縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年1月31日

一月二十八日 
誕生日を、無事!めでたく?迎えました。まいったなあ。

いくつになったのですか、と、若いひとに聞かれて、思わず、ついとぼけて「秘密だよ」と答えてしまった。大人気ないことだ。
いやあ、とてもその年にはみえない、お元気ですねと、おさだまりのやりとりもしんどいからである。
茫茫。いまさら越しかたをふりかえるのが邪魔くさい年齢になった。数えるのが億劫であるし、おぞましくもある。

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そのくせ、水を向けられると、昔話は話し始めると、とまらない。水を向けた相手も引くし、疎ましい限りだ。

若さとは、年齢ではなく、気持ちの持ちようである(ウルマン)というのは、負け惜しみではなく、わかる。
で、誕生記念に、カピバラの絵をパソコンで描いてみようと思いついた。ひそかな人気者らしい。動物園のカピバラのとぼけた顔で癒される人が多い、とテレビを見た家内からきいたからだ。
耄碌も困るが、矍鑠も、しんどい。もし何も考えずに、カピバラのように、とぼけて、ひょうひょうと過ごせたら(野生の現実は知らないが)、ひとの邪魔にもなるまいが。

なるほど、いい顔しているねえ。何を考えているんだか。
鼻の下のやたらに長い間のびした顔と対面したことがないので、グーグルのイメージを見て描いた。こんな絵で癒される人はいないだろうが。

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ここで、田辺聖子のエッセイ集「人生はだましだまし」にのっていた中国の古い詩から「ロウキフクレキ」を引用したい。が、ぼくのパソコンでは、変換不能である。
魏の武帝の詩に、
「日に千里をゆく駿馬も、いまは老い、厩にうずくまっているのみ、しかし千里を駆けることを夢見る。」
烈士の暮年、壮士は已まず、とうたい上げられている。戦争の前後の大混乱の中で育ち、あくせく働いたぼくらは、「志は千里に在り」どころではなかった。
烈士でも壮士でもないが、いま老いて、厩にうずくまり、しみじみ越し方を想うに、平和がいちばん。先の大戦で、戦地に赴かされ大量の死者が出、空腹な毎日を過ごしたつらい日々は、走馬灯のように脳裏をよぎるといいたいが、ほとんど忘れてしまっている。勝手なものだ。

政治の無策貧困をぶつぶつ憂いつつも、エジプトやギリシャのように暴動がおきるわけでもない。
まあ、王侯貴族ならずとも、老いても好奇心がデジタルの恵みで安直に満たせるのはありがたい。
記憶力はとみにおとろえた。入れ歯のように、外部脳がパソコンで、代用可能だ。
厩からでも、ネットの翼に乗って、想像力が時空を超えて飛翔できるのは、しあわせなことである。ぼくは、たちまち、見たこともない愛すべきカピバラにくわしくなった。

投稿者 nansai : 13:29

2011年1月 6日

一月五日 もうウサギはあきた。十二支に、なぜ猫年はないの? 

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寝正月やおら大きく猫ののび 
年あらた無事がなにより猫あくび
とりあえず日なたの猫の寝正月


ニュースでは、列島大荒れの正月だったが、ここらあたりは三が日好天にめぐまれて、もうしわけないみたいだった。


老い猫のやわき下腹なでながら
何も変わらず過ぎて行く年


年末、猫のおなかをさすってやっているうちに、どうしたことか、にわか一茶の気分になり、俳句、のようなものが、できてしまった。
我が家の猫は、年齢不詳のノラ出身だが、ようやく、このところぼくと親密な関係になってきた。なんのへんてつもない、めすのキジネコで、尻尾は短く曲がっている。おなかをなでてやると、目をつぶり、気持ちいいのか、ぐーという低周波音?を発する。


空澄みて親しき人の賀状絶ゆ


この年齢になると、あちこちから賀状辞退などあって、華やいだ気分になれないのはしかたがない。毎年届いていた賀状が届かないのは、つい、そんなはずはないと思ってしまう。空虚感。

投稿者 nansai : 11:24