縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年2月28日

二月二十八日 独裁者を倒せば、民主主義がくるのか?

中東に、ネットが主導する維新が起こったのか?世界があっけにとられている。
若者を尖兵とする反政府運動のうねりで、中東アフリカの独裁諸国

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の体制がぐらつき、つぎつぎに、転覆されつつあるようにみえる。
若者たちのネットでの行動の呼びかけが運動のうねりを巻き起こしたというのだが。

つぎは、どうなるのだろう。反政府運動のうねりの底流には、若者に仕事がないことだ。これは、先進国と同じだ。
構造的な問題で、すぐどうにかなるということではない。石油を売って得たカネをあわててばら撒いてすむ問題ではない。
どの国も、当面のかぎは軍隊だろう。武器を持つ軍隊の動向しだいだ。
リビアの指導者「狂犬」カダフィ大佐は、首都トリポリを死守するとさけんでいる。追い詰められた政権の常軌を逸した狂信的行動は、まさに昭和二十年夏の日本を思い出させる。最後のひとりまで戦えと、国民は本土決戦を覚悟させられた。

しかし、独裁者をたおしたら民主主義がやってくるわけではない。
もっと難しいのは、その果実を分配することだ。と、フィリピンの「ピープルパワー革命」をひきあいに、毎日新聞の「窓」欄は、指摘する。

マルコス体制が崩壊して、今月で四半世紀になるという。毎日新聞の柴田直治は、当時ハワイに逃亡したマルコス一家を取材した。
「独裁者の末路の哀れを感じると同時に、民衆が権力に立ち向かうドラマはきらきらとまぶしかった。」
しかし、「革命」の高揚と興奮が冷めるのに時間はかからなかったと、柴田はいう。冷厳な現実だ。
歴代政権の腐敗と貧富の格差の拡大はそのままだ。のどもと過ぎればということか。悪名高かったイメルダ夫人や子供らは帰国し国会議員などの要職にあるそうだ。一握りの富裕層が国を牛耳るフィリピンの実態にかわりはないという。
独裁者をたおしたら民主主義がやってくるわけではないと、歴史が教えている。四半世紀を経たいま、毎日新聞「窓」欄の執筆者柴田直治の指摘は正しいと思う。残念ながら。

今の内閣を倒して、そのあと、どうなる?
日本の政権交代も、権力闘争に勝って、日本が生まれ変わる保障はない。
政局しか視野になく、目先の選挙に勝つことだけを考えている政治家は、オリンピック柔道選手などアタマ数や人気だけを集めてどうするのだ。
五十年いや百年先を見通して、この国の針路、国益を考える人材、頭脳集団が、いったい、どこにいるのか。
人口が減り資源がないまま、世界を相手に飯を食わねばならぬ日本。その厳しい未来をみすえて、火中の栗を拾う英知と気概が必要だ。選挙のスローガンとしては、地元にうけないだろう。とくに、TPPにわけもわからず反対する地方には。
それ行け、どんどんと、勢いだけよかった田中角栄の日本列島成長論は、日本の未来への正しい資源の配分を狂わせ、ダム,堰、埋め立てて、いまの借金大国のいしづえを作った。
コンピュータつきのブルドーザーと称えられた田中には、三十年先、五十年先は読めていなかったのだ。コンピューターではなく、選挙に勝つための直感の提言、今で言うマニフェストが、島国日本の針路を狂わせた。
田中の愛弟子小沢氏は日本経済の先行きが読めない。地方票重視の田中の亜流でしかない。
各種団体や地方の「部族」と、妥協取引しつつ、世界経済へは尻込みしたまま、目先の一票をほしがる今のままの選挙で、どのような成果が期待できるだろう?

投稿者 nansai : 13:38

2011年2月21日

二月二十一日
ちかごろ人が歳をとらなくなった(黒井千次「老いのかたち」)

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黒井千次の「老いのかたち」(中公新書)をぱらぱらめくっていたら、「老い遅れに気をつけて」というくだりがあった。黒井氏は、話していた相手が、
「ちかごろ、人が歳をとらなくなったな」
とつぶやくのをきいたという。
老い遅れとはなにをさすのか。
元気な老人がふえたともいえるし、老年にふさわしい威厳や風格が薄れたというか、いい形の老人がみうけられなくなったということでもある。と、黒井千次は、のべている。黒井氏は、作家で、老い方を説くエッセーストだ。奥書によれば、ぼくと同年生まれだった。


そういわれれば、ぼくも、昔の老人とは違う、重みのない軽い存在であるような気がしていた。
若さとは、年齢に関係ない。気持ちの持ちようで青春がふたたび得られるという考え方は、本も出て、老人に勇気を与えた。
それが、「老い遅れ」ともとれるとは、気がつかなかった。困ったな。

少年期に、敗戦という、日本まるごとナイヤガラの瀑布に落ち込んだまま、戦後の土石流にのまれ、浮きつ沈みつ、流れ流れて、半世紀以上を経過したが、ふりかえれば、上品に風格をもって、歳を重ねるふうにはならなかった。


風格の備わった品位のある、いかにも老人らしい老人がいなくなったと、黒井千次氏は夕刊のエッセーに書いている。「品位のある老人、どこにいる」とも。
どうせ若い編集者がつけた見出しだろうが、知ったことか、という気がしないでもない。

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すぐ切れる老人が増えた、という本もでたな。ぼけるにはまだ早い。窓口で店でちょっと待たされたりすると、食ってかかり声高に自分の権利を主張する。クレーマーというやつだ。

では、老人の理想像とは?
思い浮かべるなら、いくらでも。たとえば、笠智衆に代表される、小津安二郎監督の「東京物語」などに登場する老人たちの面々か。役柄なのか人柄なのか。

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風格、貫禄どころか、生来そこつもののぼくの場合は、いまだに落ち着きのないことおびただしい。おき忘れ、しまい忘れが多い。あわただしく、ひねもす何かを探し回っている気がする。
記憶をつかさどる脳内の配線のみならず、あちこちの部品が、年を追うごとに、中古車のように傷んでくるのはしかたがない。せめて気持ちだけは若々しく、気持ちの持ちようだ、という気構えが、徒然草にあるように、あさましく、みっともないとも映るのだろう。

ぼく自身は、老人の威厳や風格は、もうどうでもよく、タイガーマスクや鞍馬天狗のような年齢不詳の仮面をかぶり勝手な振る舞いを、しばらく続けてみるか。
うん、これでいいのだ。
たのしみにパソコンでチョコチョコと描く絵は、技術としては幼稚園児と同じレベルだ。
こんどは、何を描こうかな。最近はカピバラをおっかけている。南米原産のでかいねずみみたいな珍獣で、最近ではあちこちの動物園にいるらしい。
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鼻の穴がアンバランスに大きい、超おもながのとぼけた顔と毛深いからだが人気で、ひと目みて癒されるのが評判と、先日テレビを見た家内がおしえてくれた。
なにかのトラブルで疲れた中年のサラリーマンが、月に8回もカピバラに会いに訪れるとも。

海遊館には、カピバラが二頭いるときいたが、現物を見たことはない。ネットで検索すると、世界中の動物園のカピバラの写真がのっている。
しかし、描こうとすると、あのとぼけた顔というのは、
ぼくていどのデッサン力ではむつかしいことがよくわかった。


カピバラは昼寝の時間春隣り

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投稿者 nansai : 15:21