縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年2月21日

二月二十一日
ちかごろ人が歳をとらなくなった(黒井千次「老いのかたち」)

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黒井千次の「老いのかたち」(中公新書)をぱらぱらめくっていたら、「老い遅れに気をつけて」というくだりがあった。黒井氏は、話していた相手が、
「ちかごろ、人が歳をとらなくなったな」
とつぶやくのをきいたという。
老い遅れとはなにをさすのか。
元気な老人がふえたともいえるし、老年にふさわしい威厳や風格が薄れたというか、いい形の老人がみうけられなくなったということでもある。と、黒井千次は、のべている。黒井氏は、作家で、老い方を説くエッセーストだ。奥書によれば、ぼくと同年生まれだった。


そういわれれば、ぼくも、昔の老人とは違う、重みのない軽い存在であるような気がしていた。
若さとは、年齢に関係ない。気持ちの持ちようで青春がふたたび得られるという考え方は、本も出て、老人に勇気を与えた。
それが、「老い遅れ」ともとれるとは、気がつかなかった。困ったな。

少年期に、敗戦という、日本まるごとナイヤガラの瀑布に落ち込んだまま、戦後の土石流にのまれ、浮きつ沈みつ、流れ流れて、半世紀以上を経過したが、ふりかえれば、上品に風格をもって、歳を重ねるふうにはならなかった。


風格の備わった品位のある、いかにも老人らしい老人がいなくなったと、黒井千次氏は夕刊のエッセーに書いている。「品位のある老人、どこにいる」とも。
どうせ若い編集者がつけた見出しだろうが、知ったことか、という気がしないでもない。

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すぐ切れる老人が増えた、という本もでたな。ぼけるにはまだ早い。窓口で店でちょっと待たされたりすると、食ってかかり声高に自分の権利を主張する。クレーマーというやつだ。

では、老人の理想像とは?
思い浮かべるなら、いくらでも。たとえば、笠智衆に代表される、小津安二郎監督の「東京物語」などに登場する老人たちの面々か。役柄なのか人柄なのか。

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風格、貫禄どころか、生来そこつもののぼくの場合は、いまだに落ち着きのないことおびただしい。おき忘れ、しまい忘れが多い。あわただしく、ひねもす何かを探し回っている気がする。
記憶をつかさどる脳内の配線のみならず、あちこちの部品が、年を追うごとに、中古車のように傷んでくるのはしかたがない。せめて気持ちだけは若々しく、気持ちの持ちようだ、という気構えが、徒然草にあるように、あさましく、みっともないとも映るのだろう。

ぼく自身は、老人の威厳や風格は、もうどうでもよく、タイガーマスクや鞍馬天狗のような年齢不詳の仮面をかぶり勝手な振る舞いを、しばらく続けてみるか。
うん、これでいいのだ。
たのしみにパソコンでチョコチョコと描く絵は、技術としては幼稚園児と同じレベルだ。
こんどは、何を描こうかな。最近はカピバラをおっかけている。南米原産のでかいねずみみたいな珍獣で、最近ではあちこちの動物園にいるらしい。
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鼻の穴がアンバランスに大きい、超おもながのとぼけた顔と毛深いからだが人気で、ひと目みて癒されるのが評判と、先日テレビを見た家内がおしえてくれた。
なにかのトラブルで疲れた中年のサラリーマンが、月に8回もカピバラに会いに訪れるとも。

海遊館には、カピバラが二頭いるときいたが、現物を見たことはない。ネットで検索すると、世界中の動物園のカピバラの写真がのっている。
しかし、描こうとすると、あのとぼけた顔というのは、
ぼくていどのデッサン力ではむつかしいことがよくわかった。


カピバラは昼寝の時間春隣り

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投稿者 nansai : 2011年2月21日 15:21