縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年3月11日

三月十一日 マスコミをにぎわせた、あの入試カンニング騒ぎは、なんだったのか?

さきごろまでは、この国の新聞もテレビのワイドショーも、マスコミは、有名大学の入試カンニングでおおさわぎだった。誰もがみるサイトに、わからん、教えてくれ、とSOSを投稿、と、答案の案がどこからとも寄せられるネット時代。ずいぶんオープンなカンニングの手品のような手口が、好奇の視線を浴びた。

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だが、大山鳴動してネズミ一匹。
あっけなく犯人の予備校生が割り出されて捕まってみると、今度はケータイを使った手口の分析をことこまかに専門家に取材。同じ内容の報道に気の遠くなるような時間が費やされた。どうなっているのかなあ。IT時代とはいえ、手がこんでいたとしても、たかがカンニングだ。

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かなり学力のある親孝行な青年が、よくないことと知りつつも、片親の家計を考えて、どうしても学費の安い一流国立大学に入りたい、と企てて、運悪く失敗した、という美談?とも取れる。世間をさわがせるのがおもしろくて、ゲーム感覚の愉快犯かな、と最初は思ったのだが。
万が一かりに成功してこのような青年が入学を許され、エリートコースを歩んでゆくと、日本はどうなる?笑ってはすまされない。

いずれにせよ、天下国家の問題ではないだろう。
いま多事多難の日本にとって大事な問題が山積だ。この間、日本が石油の八割も依存している中東独裁諸国「世界の目が釘付けになっている反乱の報道などは、後回しにされた。

それにしても、一国の教育を左右する試験はこのままでいいのだろうか。
人の値打ちをどんな風に測ったらいいのだろうか。それも、これから社会に出る若い時期の可能性をだ。

人の能力、それも将来ある若者の能力を査定するのに、一点二点を競うより、もっと的確な方法はないものかと思う。
むかしながらの採点しやすい点数制しか、ほかに方法がないのか。ためいき。

こどものころから、塾、予備校と、受験対策に技術の習得に育ち盛りの時間を奪う。受験勉強は、若い未完成の人間の序列をつけるのに、どれほど役立つのか。スポーツや音楽の稽古や練習とも違う、と思う。全体の10%以下の英才や俊英たちにとっては、名門校の受験など、さほどふたんにならないだろう。
大多数の普通か、平均的な若者が、一生のうちの限られた珠玉の学習時間を、一点二点を競う受験勉強で合格技術を磨こうとするのは、時間の無駄のような気がする。むしろ自分の身の丈にあった知識、技術習得を探してふりむけたほうがいいのではないか。これからどのようにして飯の食える仕事に
ありつけるのか、世界の大学生のかかえる頭の痛い問題なのだ。

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昭和生まれのぼくは、戦時中に育ち、勤労奉仕や学徒動員に駆りだされた。敗戦後の混乱期に、教科書も参考書もなく、塾も予備校もない時代だった。
ちょうど日経新聞に連載されている建築家の安藤忠雄さんの少年期と重なり合う。かれは大学を断念し独学で建築を学んだ。無銭旅行同然で世界各地の建築をみてまわったという。

学歴だけでは、飯が食えなくなった。なにができるか。
人様から必要とされ、世の中に通用し、家族が養える職業知識、技術、スキルを身につけなくては生きていけない。
入学試験に受かっても、今のままの大学でのほほんとしていたら、ふつうの青年にそんな職は身につかないだろう。これからは、先進国も新興国も、青年に与える職がない時代に突入する。大学を出た高学歴者に職がない。中東職の暴動もそれが原因のひとつだそうだ。

いまや先進国も新興国もない。頭のいい優れた仕事のない青年は、グローバルにあふれている。
ふつうの平凡な人間(八割がそうだ)は、自分の身の丈に合ったスキル、職業に出会うが、つくる必要がある。ひとにぎりのエリート層以外は、学歴はあてにならない。
むかしから、生物多様化の時代。これからの多様化に対応だ。身の丈の範囲で、めいっぱい、きょろきょろ隙間を探し、背伸びをすると、道はひらけるかも。保証はできないが。

投稿者 nansai : 2011年3月11日 15:12