縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年6月 7日

六月七日 国難と政府―沖縄戦と東日本大震災

巨大津波のもたらした見渡す限りの廃墟が、毎日のようにテレビにうつしだされる。
しかし、被災地からはるか離れた東京では、国会議事堂が漂流している。連日、政党間の「場外乱闘」がおもしろおかしくマスコミをにぎわせている。「ペテン師」などと罵詈雑言が飛び交う、大義なき個人攻撃。口汚く、聞き苦しい。

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視野狭窄の国会議員の頭のなかは、国益よりも、身の振り方、目先の政局対応でいっぱいなのだろう。
そんなひまがあったら、被災地のガレキの山をどうするんじゃ、はたらかないのなら、国会議員の歳費をかえせ、という声もあがる。

震災の廃墟の光景に重なって、戦争を体験したわれわれ年配者には、それに、さきの敗戦の焼け跡がだぶって見える。
66年前のちょうど今月、十八万人の死者を出して、沖縄戦は終わった。市民も巻き込んだ逃げ場のない戦いだった。あと二ヶ月で日本は降伏したのに。

津波のような米軍の二カ月間の攻撃で、日本軍は組織的抵抗を終えた。命令により降伏をゆるされず、最後まで抵抗した日本軍兵士は、敵の徹底した報復の標的となり殲滅された。戦争を知らない人は、ウイキペディアで「沖縄戦」を参照してほしい。海兵隊員スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社学術文庫)も。
半世紀後、東日本震災に出撃した米軍の「トモダチ」作戦は、日本人に感謝されている。

当時、日本の戦争指導者は、沖縄を、連合軍の本土上陸を阻む「防波堤」と位置付けていたのだ。戦いが終わり、あとには、爆弾と砲弾のすさまじい破壊による瓦礫が残された。
延べ二千機の特攻機による連合軍艦艇への捨て身の攻撃もむなしかった。
巨大戦艦大和も、四月に沖縄に向け海上特攻に出撃、雷撃を浴びて、あえなく海の藻屑と消えた。信じがたいかもしれないが、銃後のぼくらは、7万トンの秘密戦艦「大和」の存在(もちろん沈没も)をしらされていなかった。

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五月には、同盟国ナチスドイツは無条件降伏し、世界を敵に回した島国の日本は孤立無援だった。
そんな状況でも無策の戦争指導者は混乱して和平の道を探せず、大空襲で原爆投下で都市を焼き払われ、多大の死傷者を出した。
しかし、なおも徹底抗戦して、一億玉砕しても国体を護持すると言い募る陸軍。沖縄敗戦からわずか三ヶ月後の八月の降伏決定まで、指導者たちの議論が紛糾した。
だれがみても敗戦必至の状況に政府は目をそらした。無策のままむなしく時間を空費し、大都市大空襲と原爆の投下とソ連の火事泥的参戦を招いたのだ。
降伏に至る判断の逡巡により、この年だけで二百万人の失われなくてもよい人命を、日本は失った。ようやく無条件降伏を連合国に伝えたのは八月にはいってからだ。「国体を護持し得て」(終戦詔書)、戦争は終わった。戦禍にたおれた犠牲は300万人といわれている。

昭和以降近年の政府が信用できないのは、国難に際しての決定の優柔不断だろう。国難に遭遇すると、日本の政府指導者たちは、いつも、このようなパターンをとる。難局でもたつくと、ここ一番の合意が得られず、いつも決断がさきおくりされるのはなぜか。縦割り組織間の意思疎通にかけ、責任を持って裁断する権力者がいないこと。

今回の震災では、自衛隊の救援体制だけが、事前にシミュレーションされ、的確に部隊を投入し行動できた。

今回の震災が人災といわれるゆえんは、政府と東京電力の組織運営力によるところが大きい。その底流に長年にわたる根深い権力の争いがあったことがわかった。
前の戦争は、「神州不滅」、精神力で負けるはずがないという思い込み、今回の事故は「原子力の安全神話」に頼りきった点は共通している。日本の英知が結集したはずの原子力行政の破綻。原子力「ムラ」と呼ばれるエリートにゆだねた「国民」の責任なのだろうか。

投稿者 nansai : 11:41