縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年12月28日

一月一日 ことしもよろしく

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投稿者 nansai : 14:12

2011年12月27日

十二月二十七日 大阪市は燃えているか?
改革の火の手があがった。


おどおどと、おたおたと、すべて意気消沈の日本で、いま頭を高く上げて矢継ぎ早の改革案を打ち出しているのが、橋下大阪市長だ。これまでの市長には、なかったスピードだ。

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民意。この気まぐれで得体の知れぬ空気のような妖怪の影に、既成政党は怯えきっている。想定外の投票率アップに支えられた民意を振りかざす橋下氏の奔放な動きに気押されたのか。選挙で争った政党連合が、かんたんに批判のホコをおさめて作り笑いを浮かべ、維新の軍門に下った。
みえみえなのは、大義を主張するよりも、ひっこめて、次の選挙対策だ。勢いのある維新陣営を敵にまわしたくないからだろう。茶番だった。
ぼく自身は、大阪市民でもなく投票権もないが、橋下新市長の行動力、現状破壊力に期待を寄せているのだが。

今回の大阪市長選では、一部の名だたる評論家、政治学者たちが、選挙後も、口汚く、といってよいほど、橋下氏をこきおろすのに、実は驚いた。押しなべて、大阪には無関心な在京のマスコミは冷たく、あるトーク番組で、民放の年配のアナが、橋下氏のやりかたを「デマゴーグ」と評したのには、ことばの意味がわかっていないのかとびっくりした。
これほど毀誉褒貶の分かれる人物はすくない。ウイキぺディアを開くと、「橋下徹」の項目になんと41ページもの記述がある。

しかし、ホットに見える橋下陣営には、クールな軍師たちがついて、計画的なロードマップが綿密につくりあげられているのだろう。
上山信一氏著「大阪維新」(角川新書)を読んでわかった。上山氏は、慶応大学総合政策学部教授で、ブレーンの一人だ。大阪市の抱えている積年の病弊の問題点が、CTでスキャンしたように、実によく整理分析されている。橋下陣営の掲げる目標が、目先の選挙目当ての急造マニフェストではなさそうである。

大阪府民のぼくは、「ふしあわせ」と自嘲されている、府と市の不幸で非効率な関係がよくわかっていなかった。
上山氏が、橋本氏に出会う前に、大阪市役所の改革は、もう2004年に始まっていて、関淳一市長の下で、助役の大平光代氏が陣頭指揮をしていたと、上山氏はいう。
翌年に大平氏から出動要請があって、アメリカのコンサルティング会社マッキンゼーの分析手法で、辣腕の元同僚の助けを借りて、大阪市の改革案作りに取り組んだ。2年半の間に市役所の主要事業68の分析を行い、積年の大阪市の病弊が見えてきた。しかし、大阪市の市長―労組―議会のもたれあい構造では、改革は無理とわかったという。
次の選挙で、改革派の関市長は、民主党の推薦を得た平松氏に敗れ、改革は未完におわった。

今度の選挙で、ふたたびボールが改革にもどってきた。
実行力の橋下市長を迎えて、プレー再開ということになる。上山氏のようなブレーンたちが、市長を補佐して、変わるに変われない国や地方自治体のしくみに挑むのは、賛成である。橋下氏は、職員約4万人の大阪市役所はシロアリの巣だと喝破した。
ブレーンの上山信一氏は、かつて二年半にわたり主要事業68の分析を行った。大阪市は必要以上の人員を抱え込み、必要以上の給料を払っていると、「大阪維新」でつぎのように、述べている。職員一人一人は優秀でまじめだが、組織は利権をめぐる「巨大なアリ塚」のようになっている。
大阪市は、「巨大な組織でありながら、目の前の声の大きな議員や特定分野のニーズに対応することに追われている」とも。

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ぼくは、市政の参加権はないが、今度のダブル選挙戦での体制側?のすさまじい橋下攻撃には、まゆをひそめたひとりである。
大阪都という考え方には、勉強不足で、どうなるかよくわからない。だが、大阪府の中核都市のシロアリの巣のような現状に挑戦する橋下市政には市外から固唾を呑んで見守り応援したい。

市政改革とはなんのつながりもないが、ずいぶんむかし描いたオオアリクイの食事の場面をのせておく。テレビ番組でみたのだが、草原にあるシロアリの巣は堅牢で頑丈で塔のようだ。アリクイは鋭いつめでひっかき崩す。そして長い細い舌を巣穴に突っ込んで吸い取りたべてしまう。
もちろん、市政の改革は、なまやさしいものではないだろう。やすやす食べられるようなシロアリではない。反撃もはんぱではないだろう。お皿もテーブルクロスもない。マスコミもどっちにつくか、わからない。

日本全体が萎縮している現在、つぎの選挙が怖いから、無節操なバラマキ行政が再開された。
みずからの改革をまず大阪市がやってみてほしいと願わずにはいられない。


投稿者 nansai : 13:21

2011年12月14日

十二月十四日 
ことしも、せっかく龍の絵をマウスで描いたのだが、賀状を出す先が。

いよいよ押し詰まってきたので、恒例(ぼくが勝手にきめた)のマウスで描く干支の内覧会。
来年のお題は、「龍」。難題である。

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今年は、日本海溝の深淵に潜む龍が、突如、千年の夢から覚め、荒れ狂った天変地異の年だった。くわばらくわばら、来年の世界は、四海静波、おだやかな年であってほしい。
古代中国からわたってきたらしいが、お寺の天井や屋根にひそんでいるが、ほんとの龍をみたものはいない。動物園にもいないから写真がとれない。揚子江のわにがモデルという説もあるときいた。要するに、どう描いてもいいということだ。

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しかし、なかには、被災地に気を使う向きもあって、新年だからといって、ノーテンキに「おめでとう」、とあいさつしていいものか。むつかしいところだが、そこまでは考えすぎだよねえ。

古典に忠実な?山水画風のやつから、龍から脱線してタイガースファン向けと、まとまりなくばらばらに並べた次第。

このイラストのミソは、ペイントという時代物の初心者向けソフトを使用していることだ。ぼくは、マウスをぐるぐるあやつって、たどたどしく描く。わざとではなく、たどたどしくしか描けない。


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マウスは、意味のある曲線をえがこうとすると、すらすらとは描けないのだ。そこは、いまご婦人方に大流行の「絵手紙」に似ている。
だが、ペイントの強みは、○か四角い線のなかをぱっとぬりつぶせることだ。どんな不器用な人でもきれいに塗りつぶせる。また、別の色にさっと塗り替えることができる。

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絵手紙は、筆の上部を持ち、びびらせて描くから、うまい下手は関係ないというのがヒットした理由だろう。だれの手になっても、「下手がいい」、ということになる。はがきをもらった人から喜ばれるから、つぎつぎにファンを増やしているのだろう。

マウスで描くパソコン画は、肉筆でないから、一見して印刷物にみえたりして、あまり人の胸をうつことはないのが残念。あほらしくてまねするひとがいないから、どうしても個展ならぬ「孤展」となってしまう。

しかし、ペイントを使うマウス画のメリットは、その気になれば、すぐに描きだせることだ。下準備がいらない。紙も絵具もクレヨンも。
途中でも、あきたら、すぐ消せる。描きかけも、マイドキュメントに冷蔵、冷凍できるのが、何でもすぐ忘れてしまうぼくにはありがたい。


彫るアイデアさえあれば、印判のもっともらしい偽造は、お手のものだ。いわく因縁ありそうに、彫り師のわざが、数分あれば、マウスでできあがる。

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怖そうな面構えの龍のお笑いバージョン。


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つぎは、干支にこだわらない年賀状アイデア。橋本市制に声援を送りたい向きに。トヨトミリュウとはどうだ。怪獣の頭には千成びょうたん。

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四海静波、家内安全、ただ平穏無事にに過ごしたいなら、龍のかわりに癒しのカピバラはどうだろう。のんびりと、争わず、何も求めず。日々を過ごす幸せがここに。

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タイガースは、いま長い冬眠にはいっている。新監督の指揮下、始動する春まで。シーズンにはいっても、いつまで寝とるんじゃということのないように。

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マウス絵は、ま、しょせんは独りよがり芸だが、落語の「寝床」の大家さんのように自分の芸で人をなやませたりはしないのがいい。

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投稿者 nansai : 13:50

2011年12月 7日

十二月七日 あすは、何の日?
NHK「戦争証言」アーカイブをみよう。平成の「万葉集」だ。

この日は、太平洋戦争開戦の日だ。同時に鎮魂の日であるべきだろう。

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70年前、昭和十六年十二月八日は、「大日本帝国」が米英に対し宣戦を布告し、ハワイ真珠湾攻撃の大戦果に、国中が湧きかえった日だった。(現地には米海軍の記念館が建てられ、アメリカ各地では、「リメンバー パールハーバー」の行事がおこなわれている)
七十年後のいま、この日は、国としては、記念日でも、もちろん祝日でもない。思い出したくない、ふれたくない歴史の一ページなのだ。ぼくは小学校四年生。それから4年後、旧制中学二年生の夏に日本は、降伏した。
日本国民は、あやまった国是を熱狂的に支持、アジア諸国を巻き込んだ戦争により、あまりに多くの死者を出し、悲惨な結末を迎えた敗戦につながるからだ。あの戦争の実態を知る人は次々に世を去って、アメリカと戦った事実さえ知らない若い人が増えているという。
まず、NHKの「戦争証言」プロジェクトが、十二月三日土曜日ゴールデンアワーに放映されたことを、ぼくは高く評価したい。NHKは、太平洋戦争開戦70年にあたり、戦争の実相を未来へ伝えるために、当時の兵士、市民の証言を集めてきた。「戦争証言」アーカイブには、800人以上の戦争体験者の証言が4年間にわたって収集されている。いったい戦争とはなんだったのか。かれらの声をきけば、すべて、なっとくできる。

放映にあたっては、幾多の非難、妨害があったと想像されるが、NHK制作陣は、それを超えて、かつての戦争の悲惨な実像を、敵側アメリカのフイルムも編集して、生々しく視聴者に伝えることに成功した。目を覆うシーンもあえて登場させて。
スタッフの使命感とタブーへ立ち向かう勇気をたたえたい。

「戦争証言アーカイブ」は、いわば、「平成の万葉集」といってよい。のちのちまで語り継がれる国民の史的財産は、ネットで世界につながるのだ。これこそ、デジタルではじめて実現できる、真の公共事業である。クラウド化し永久保存できれば、このようなアーカイブからは、だれでもいつでも(とくに、教室で)必要なときにコンテンツを見て、学ぶことができる。これから、さらに発掘されてゆく史料映像を蓄積してゆけば、歴史教育の水準を飛躍的に高めることになるだろう。

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昭和12年から昭和20年までの8年間に、日本国民3005万人が犠牲となった。それも、そのうちの8割のひとびとが、降伏するまえのわずか2年間に、戦禍のさなか命を落としたのだ。
かろうじて生還したひとたちも、今回まで、牡蠣のように口を閉ざして戦争体験を語ろうとしなかった。アーカイブで戦場の実態を証言した人たちは、ほとんどが90歳前後だ。

万葉集にうたわれている古代の戦いでは、「海行かば水浸く屍、山行かば草むす屍」、大君のそばで戦って死のうと戦意高揚の歌がのせられている。
昭和の戦いでは、中国大陸から南海の孤島までアジア全域に拡大した戦いで、200万人の兵士が声もなく戦場に倒れた。恐ろしい数だ。しかも70%が餓死と推定されている。無計画な補給作戦で、糧秣弾薬が途絶したためだ。

NHK戦争証言であらためて確認できたことがある。それは、なぜあれほど多数の兵士、市民が降伏を肯んじず、玉砕、切り込み、自決など、死を選んだのか。
それは、戦後では想像もできない教育と命令のちからだ。
特に「戦陣訓」。中国大陸の戦線で乱れた軍規を粛正する目的で制定されたが、そのなかの「生きて虜囚の辱めを受けず」の教えが、暴走した。捕虜となれば、恥。故国の家族が非国民とされめいわくがかかる。それよりはむしろ死を選べと徹底して教えられた。
捕らえられ生還したある兵士は、恥だ、恥だといまもくりかえす。

命令は、どんなに理不尽でも非道でも、さからうことはできない。軍法会議で殺されると、農民出身の元兵士は証言している。

学校で教わっていないからか。若い人の中には、当時なぜヨーロッパのようにレジスタンスしなかったのかと問う人もいる。周りを海に囲まれた国が制海権を奪われ、通信情報は遮断されていた日本。食糧自給率はゼロに近い。支援どころか全世界を敵に回した閉塞状況は、わからないだろうなあ。

野田総理大臣の中国訪問を直前になって、中国側がキャンセルしてきた。その日が南京事件と重なることもあって、歴史認識をめぐって、不測の事態もかんがえられるということか。
歴史は、双方に重い。認識の差を、どう総括できるかは難しい。水に流したり、ノーサイドとはいかない。
「リメンバー パールハーバー」の日に改めて思う。

投稿者 nansai : 11:20

2011年12月 2日

十二月二日 
あの「悲運の名将」西本幸雄監督が亡くなった。

ずいぶんむかしになるが、日本シリーズでは、いつも西本監督のひきいるチームをテレビの前で応援していたことを思い出す。もちろん、毎年というわけではなかったが。力がはいったものだ。
大毎、阪急、近鉄。パリーグの弱小球団をきたえあげ、

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8回も日本シリーズに出場したが、どのチーム
も、あと一歩で破れ、結局西本監督の日本一胴上げはかなわなかった。「悲劇の名将」といわれるゆえんだ。数かずのエピソードは、ウイキペディアにくわしい。
パリーグの試合はほとんどみたことがなく、球場には出向かなかったが、日本シリーズだけは、名将率いるチームに肩入れした。
1979年、広島カープとの第7戦で9回裏のスクイズ失敗は、くりかえし放映されて「江夏の21球」として球史に残る。

「かれの下でプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた。」
その年「赤鬼」の異名で活躍したチャーリーマニエル氏は、元監督の死をおしんだという。大リーグ、フィリーズ監督のかれは、2008年にはワールドシリーズを制覇している。

西本さんは、今年の日本シリーズみていただろうか。
「魂の11球」。第四戦、ソフトバンク森福投手の投球だ。
先発がつかまり、森福が急遽登板して無死満塁のピンチを十一球でしとめた。171センチ、68キロの左腕の小さな図太い投手が、あわや中日に傾いていたシリーズの流れを変えた。

かれはMVPどころか、どの賞にノミネートされることなく、新聞でもほとんど無視された。しかし、テレビの前の評価は違った。
「魂の十一球」の瞬間最高視聴率、なんと、21.7%。
あの「江夏の二十一球」とダブる、とスポニチ紙にいわしめた快投だった。ぼくは、この小さな大投手の名前を、手に汗にぎるこの回まで知らなかった。
「江夏の二十一球」から、31年たっている。
伝説の名将に、合掌。

投稿者 nansai : 11:50