縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2011年12月 2日

十二月二日 
あの「悲運の名将」西本幸雄監督が亡くなった。

ずいぶんむかしになるが、日本シリーズでは、いつも西本監督のひきいるチームをテレビの前で応援していたことを思い出す。もちろん、毎年というわけではなかったが。力がはいったものだ。
大毎、阪急、近鉄。パリーグの弱小球団をきたえあげ、

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8回も日本シリーズに出場したが、どのチーム
も、あと一歩で破れ、結局西本監督の日本一胴上げはかなわなかった。「悲劇の名将」といわれるゆえんだ。数かずのエピソードは、ウイキペディアにくわしい。
パリーグの試合はほとんどみたことがなく、球場には出向かなかったが、日本シリーズだけは、名将率いるチームに肩入れした。
1979年、広島カープとの第7戦で9回裏のスクイズ失敗は、くりかえし放映されて「江夏の21球」として球史に残る。

「かれの下でプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた。」
その年「赤鬼」の異名で活躍したチャーリーマニエル氏は、元監督の死をおしんだという。大リーグ、フィリーズ監督のかれは、2008年にはワールドシリーズを制覇している。

西本さんは、今年の日本シリーズみていただろうか。
「魂の11球」。第四戦、ソフトバンク森福投手の投球だ。
先発がつかまり、森福が急遽登板して無死満塁のピンチを十一球でしとめた。171センチ、68キロの左腕の小さな図太い投手が、あわや中日に傾いていたシリーズの流れを変えた。

かれはMVPどころか、どの賞にノミネートされることなく、新聞でもほとんど無視された。しかし、テレビの前の評価は違った。
「魂の十一球」の瞬間最高視聴率、なんと、21.7%。
あの「江夏の二十一球」とダブる、とスポニチ紙にいわしめた快投だった。ぼくは、この小さな大投手の名前を、手に汗にぎるこの回まで知らなかった。
「江夏の二十一球」から、31年たっている。
伝説の名将に、合掌。

投稿者 nansai : 2011年12月 2日 11:50