縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2012年4月25日

四月二十五日 ことしも花見にはゆきそびれたが

年年歳歳、どうせ、花相い似たり。花見は,また人見でもある。出不精のぼくは、ことしも、花には失礼した。
129種類のさくらが見られると評判の造幣局のとおりぬけの夜桜を、とも思ったが、あの狭い敷地にえらい人出や。長い長い行列や。交通整理が声をからす。名残りの花の前で写真を撮ろうとする人たちに向かって「立ち止まらないでください」と絶叫する。あの人ごみを覚悟せねばならぬとなると、目と鼻の距離でもつい億劫になる。

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花見を心待ちにする人は、花より酒。タクシーの運転手さんのはなしでは、このごろは「長屋の花見」のように地面にござをしくのではなく、椅子テーブルで、バーベキューらしい。満開のさくらの花も、もうもうたる焼肉の煙で、むせてへきえきだろう。

落語の「百年目」は、船場の大店の番頭はんの冷や汗物語だ。やり手で超カタブツでとおっている番頭の次兵衛、じつはなかなかの粋な遊び上手。
花の季節、こっそり店を抜け出して、いつもの顔ぶれの遊び仲間と芸者幇間を連れ、高麗橋から桜ノ宮へ屋形船をチャーターして、花見に繰り出そうという趣向だ。
むかしは、高麗橋のかかっていた東横堀川の川幅もひろく、貸切のリムジンタクシーのように大型の屋形船を待たせておいて花見としゃれることができたのだ。

角の駄菓子屋の二階に預けておいた粋な衣装に着替えれば、次兵衛さんもどこからみても大店のだんなさんだ。しかし、こうして自前の銭で遊んでいても、すまじきものは宮仕えとあって、あくまで、番頭は、人目に氣を使わんならん立場。
きょうも大川には、ぎょうさん屋形船がでている。でも、せっかく満開の桜を目の前にして、
「あのなあ、その障子開けといたらあかん。」
「きょうは蒸しますやないか。」
「いやいや、屋形船というものは、道通っている人がどんなやつらが乗っているのかのぞきたがるもんや、ひょっとして知っているもんに顔みられたらたいへんや、」
など番頭氏、氣を使いつつも、大屋形船の船足が遅く、そのうちに酔いがまわり気がゆるんだ。
肌ぬぎになり、はめをはずしているうちに、ほんまに運悪く、会ってはいけない旦那とはちあわせしてしまう、わあ、これはしたり、ここで会ったのが百年目や。酔いもさめはて店に飛んで帰ったが後悔先に立たず、もんもんと寝付けぬ夜。身につまされて、他人事でないというおなじみの名場面である。

ネットでは、文化勲章受賞の米朝師匠の高座がきける。クリックすれば、屋形船に乗ってすっかり花見気分だ。落語マニアでないぼくも、動画がゆっくり味わえるのがありがたい。人間国宝まだ髪が黒々しているころの名演。値打ちものである。

名作「百年目」の舞台は、やはり船場でなければ、と思いませんか。江戸の名人がたばになっても、大店の番頭が主役の上方版のほうに軍配があがる。ネットで、テキストつきで、人間国宝の至芸が味わえるのに、落ちがわからないという質問が多かった。うーん、しかたがないか。時代が違う。

ぼくも挿絵に、当時の屋形船をペイントで描こうとしたが、錦絵を見てもディテールがよくわからない。
花は満開でも、障子を閉めれば、人目がさけられる、花は障子に穴あけてみたらええがな、花のにおいだけかいどいたらよろし、とはせっしょうな。
で、せっかく花見にでかけながら障子を閉め切った、けったいな屋形船をたどたどしくマウスで描いた。おそまつ。

投稿者 nansai : 2012年4月25日 13:24