縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2012年8月 2日

八月二日 
昭和20年秋の「オリンピック」が、もし中止されなかったら?

67年前の「オリンピック作戦」を、日本人は知らない。もちろんスポーツの祭典とはなんの関係ない。昭和二十年、太平洋戦争末期、極秘のうちに米国が立

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案した「ダウンフォール作戦」の一環だ。「オリンピック作戦」は、ねらいは、日本本土への侵攻だ。
この年の十一月、米軍は、まず手薄な南九州へ上陸制圧し、関東平野を爆撃するための飛行場確保が目的だった。動員される兵力は30万人以上、日本軍の3倍にあたる。翌年三月に、「コロネット作戦」を発動し、九十九里浜と相模湾から、関東平野へ上陸し、東京を包囲占領するという手はずだった。

本土侵攻は、日本側の激しい抵抗が予想された。米軍側では、50万から100万の人的損害が試算されていた。もうこれ以上兵員の死傷者を出したくない連合国は、周到な戦略を練った。

完全な勝ち戦だが、日本は死を賭して狂信的に抵抗するとみた米軍は、自軍の人的損害を少なくするために、徹底的な海上封鎖、農地への薬剤散布、化学兵器だけでなく、広島長崎に続く原子爆弾の使用も計画していた。米側専門家は、つぎのように予測した。
九州上陸作戦開始日の十月一日までにすくなくとも7発、守備軍に投下できる態勢がとれる。
本土へ侵攻する最終段階には、15発の原子爆弾が侵攻軍の支援に準備されるだろう。地上から600メートルあたりで投下すれば、放射能量がおさえられ、これにより、アメリカ軍の都市占領が可能となる。


当時中学二年生のぼくは、「根こそぎ動員」で勤労奉仕にかりだされていた。本土決戦にそなえて、兵隊さん、ほとんどが老兵、といっしょに、山の斜面に横穴を掘る手伝いをさせられていた。上陸支援に原爆を使用するオリンピック作戦が極秘のうちに準備されているとは、知るよしもない。
日本の戦争指導者は、「一億総特攻」という異様な心理に追い込まれていた。
勝つまで戦うという徹底抗戦の政府方針がつらぬかれていたら、どうなっていたか。米側のある試算では、日本が官民一丸となって抵抗した場合、500万から1000万人の犠牲を想定している。保坂正康氏の著書によれば、ある軍のトップは、国民に竹やり300万本あれば国土防衛できると述べた。本気だったのか。

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陣地の穴掘りを手伝っていた中学生のぼくは、13歳だった。「不敗神話」で教育された。
神州不滅。有史以来負けたことがない。なぜなら、元寇のように神風が吹いて、日本は必ず勝つと。
「白村江」の大敗は、教わらなかった。
15歳からは、国民義勇隊に組み込まれると、閣議決定されていた。本土決戦となれば、非戦闘員ではなくなる。なんの説明もなく、もちろん知る由もない。

戦争末期では、戦いの大義は、国体護持ということになった。大義?のために、軍が生き残って老若の国民が死を強制されるのだ。
これは逆ではないか。スイスの民間防衛に詳しい保坂正康氏は、つぎのように、スイス政府編の民間防衛のテキストを紹介している。兵士は一般国民が生き残ることで自らも戦う勇気が出るのだ、とスイス政府は強調している。
「わが国防軍は、スイス国民の生命と自由を守るために戦うが、その戦いも、一般民衆、女性やこどもが生き残ってこそ意味がある。」とも。

あらためて、国策とは、国益とは、『国民の幸せ』とは、何か考えてみたい。
ぼくのような「日本国民」は、戦前、戦後、時代ごとの猫の目のようにかわる大義、国是、国策に、翻弄されてきた。明治憲法下の選挙では、軍主導のあの戦争は食い止められなかった。数百万人の命を救えたはずの降伏もだ。
新憲法下いまの議員内閣制で、小選挙区では将来の国益の展望は、めいめいの利害により、ばらばらである。

思えば、あの戦争も戦後の原子力利用も、つまるところ、わが国に石油が出ない、エネルギーの自給できない危機感から始まった。

国策の停滞、破綻が、検証によりあきらかになるには、年月がかかり、ふつう、30年から50年くらいか、その間の期間損失は計りえない。
国土を焦土と化し、300万人以上の人命とすべての海外権益資産を失うのに、15年、中日戦争に突入して8年たらずの期間で決着を見た。
地域の均衡ある発展を大義に、列島改造のスローガンで土建国家が生まれ、借金大国の主原因となった。これがまだ続く。
原子力行政も40年以上推移して、いまだに使用済み燃料をどう始末してよいか、わからない。年々たまる一方でリサイクルなどはめどが立っていないと専門家はいう。

戦争も原子力も、ことがどう進んだか、真実は、正式記録では語られず記録されていないことが多い。責任を恐れてか、焼却隠蔽されることもあるのが、日本の特徴だ。
ぼくらが知りうるのは、海外政府文書館の資料か、おもしろいことに、「当時の」関係者たちの内輪の本音を録音したオーラル資料だ。
原子力発電は、資源のない国のために必要ということから民間主導でなしくずしに導入されたようだ。安全を語るな、コスト優先がさけばれた、と、当時の関係者は語る。

原子力がペイするということには、いまだに答えがでていない。
げんにGEのトップ、イメルト会長は、今回のフクシマの原子炉メーカーだが、原子力はコストが高くついて、採算に合わないと発言している。かわって天然ガスと、風力か太陽光の組み合わせを検討すべきという。いったい、どうなっているのだろう。
改めて考える。将来の国益を想定した国策を、どこに、だれに、ゆだねたらいいのだろう。
いまの政府与党のように、ブレーンに専門家を得なければ、判断にこまり、たじたじとなる。もともと官僚が信頼できるブレーンであるはずだが、人材を得なければ、海外の知見を招聘せねばならないのでは。サッカーの監督のように。

国益と国策の是非。30年、50年の将来を見通す作業と洞察力が必要だろう。票を求めてひたすら地元におもねるしかない目先の選挙では、答えは見つかるはずがない。
民意に問われても、熟議もディベートも感情に走り薄いものになりかねない。ぼくをふくめて、一般の投票者の、知見はあやしい、判断できる知識量がとぼしいからだ。
国益を論じる政策集団の囲い込みが、国の義務である。ともすれば、以前のようにカネがうごき『原子ムラ』的利益誘導集団がゾンビのように出現してしまうのだが。

投稿者 nansai : 2012年8月 2日 13:54