縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2012年9月 4日

九月一日 我輩はニホンカワウソである。

kawauso.JPG

といっても、仲間はもうこの世にいない。かねて絶滅を危惧されていたが、日本列島では、どうも四十年前に絶滅していたらしい。と、最近になって、新聞が報じていた。
愛嬌のある顔立ちなのに、先日のパンダの赤ちゃんがなくなったときのようには、話題にならなかったのは残念。

だが、ガクのある新聞のコラムニストが飛びついた。うんちくを傾けるには絶好のテーマだ。
漢文で、カワウソは獺と書く。カワウソは、習性として、とった魚を食べる前に、人が祖先を祭る供物のように、川岸にならべるのだそうな。
これを獺祭(だっさい)といい、中国の古典「礼記」月齢篇にのっているのだ。
後世、これにちなみ、晩唐の詩人李商隠は詩文を草するとき、カワウソのように、たくさんの書物を座右にならべ、みずからを「獺祭魚」と称した。別サイトには、商隠は、尊敬する詩人の作品を短冊に書き、左右に並べ散らしながら、詩想にふけったとも。
もちろん浅学のぼくが知る由もない。
転じて、資料であふれかえった部屋が乱雑で整理不能\nの状態をいう。とすると、わが部屋も同じことである。

これからは勢ぞろいする電子書籍端末がカワウソのかわりをつとめるようになるだろう。
漢文、詩文、ちんぷんかんぷんのぼくが書くこの文章もすべてネット上の文献から引用させてもらった。
カワウソの絵は、グーグルイメージの写真にヒントを得て、筆は用いずマウスを操って描いた。厳密に言うと、ニホンカワウソがどうかはあやしい。

こうして、パソコンなど駆使してデジタルな「獺祭魚」の助けを借りれば、先達の知見のアーカイブの恩恵のおかげで、ぼくでもにわかに駄文を綴ることが可能となった。
なんだ、カットアンドペーストか、と軽くいなしてはいけない。デジタル時代では、キュレーションにこそ価値があるということになる。

明治三十五年の今月十九日没した正岡子規は、生前、晩唐の大詩人にあやかるべく、「獺祭書屋主人」と号したと伝えられている。獺祭忌のゆえんである。
稲畑廣太郎の句をつぎに。ホトトギス編集長。

獺祭忌今日も阪神負けました
今日阪神どないなるやろ獺祭忌

父もまた早世の人獺祭忌


投稿者 nansai : 2012年9月 4日 11:08