縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2012年11月 2日

十一月二日 この絵巻、とうとう500本になりました。
日本語の文章は、やはり縦組みでなければ、と願いつつ。

このようなブログの平均寿命は、どのくらいだろう。案外短命ではないかと思う。普通の日記なら、毎年、毎日、書き継ぐのが当たり前だ。几帳面でないと続かない。

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無精なぼくが書く絵巻は、おどろいたことに今度で500本目になる。やすみやすみ、とぎれとぎれなので、正確にはちょっとあやしいが。
文章や絵を描くことは、表現によって自分をたしかめる行為だ。ふと気がついたり、つれづれなるままに思うことがあって、文章を縦書きにしマウスで描いた絵を添えて、巻き物のように、画面を横に横にと、書きすすめていった。
それが、いつの間にか、500本に達した。長さ何メートルになるだろうか。天満橋は越えたはずである。

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今の世の中と言っても、全世界の同時多発問題が、いっせいに脈絡なく発信されている。国内の問題も、短い新聞やテレビ解説で、一部を知るだけだ。それも、殺人事件や事故報道が優先される。
議論も極端から極端へ対立し、ぼくのような年老いた穏健派は、のまれて立ちすくむだけである。
しかし、かつて戦争という人類の愚挙とその後を歴史として体験した一人として、ああ、この道はいつかきた道だ、また懲りずに同じ事をはじめるのか、と感ずることを自分なりにまとめてみたいときがある。いうてせんないこと。どうにもなるわけでないが。
ちょっと待てよ、その意見はどうも違う、うまくは説明できないのだが、そんなことどもを書き付けておきたい。まったくそのとおりだ、意表をつかれた、わが意を得た、という場合も。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。
ぼくは賢者の見解を受けいれて、自分の考えに織り込みたい。ぼくは自分の体験を証言者として重んじるが、ネットを探索すれば、いまは愚者も歴史の真実に接することが可能になった。歴史資料がぞくぞく発見されている。
こんな絵巻ではあるが、なにをかくそう、りっぱな大義名分がある。

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それは、いま横組み全盛の世のウエブに、日本伝統の縦書き文章をあえて持ち込むことだ。
ウエブのうえでの日本語文章の縦直しだ。現在ネット上で縦組みは、ほとんど見当たらない。
ところが 意外にも、売りだされた最新のタブレットにも、日本語文章の縦組みのレイアウトはおあつらえむき、じつに読みやすい。
日本語の文章が、ウエブ上で縦組みで読めないのはおかしい、とずっと前から、ぼくは怒っていた。横組みにすると、内容が深くても、文字量が多いと読めないと、敬遠されるのを残念におもっていた。

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ウェブでも、日本語を縦書きして読もう、文章によっては横書きは、日本語のせっかくの味わい、趣きを殺してしまう。なじまない。飛ばし読みしにくいという致命的な問題があるのに、あまり問題にされないのはおかしい。
先日亡くなった丸谷才一さんも同意見だった。大新聞の横組みの試みは、あれは新聞の本分の読みやすさに背を向けた背信行為だと思うのだが。

ブログを使ってこの縦組みのかたちを構築してくれた方々に感謝したい。本邦初の快挙なのだ。
ぼくとしては、遊園地のお猿の電車の線路を敷いてくれた人たちに、こころからありがとう、をいわねばならない。
中野さん(故人)、倉内さん、杉村さん、スカイアークさん、お世話になりました。
運転手の猿は敷かれた線路をぐるぐると、気楽に気まぐれに運転させてもらっている。
電子出版元年のことしから、読みやすい縦書きが注目されるはず、おもしろくなってほしいものだ。

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もうひとつの続けられた動機は、マウスで描く絵だ。
さし絵と文章、そのすりあわせに興味があった。
ストーリーのスジを、あれこれ考えるのは川柳、短歌、俳句とおなじだ。
なにせテーマが思いつきでばらばらなので、追っかける絵が思いつけず、あたふたするのがおもしろい。
やっと思いつくと、手を動かして、まず、マウスでたどたどしく描く。たどたどしくしか描けない。それを長年かかって少し覚えたワザで、塗りつぶしたり、拡大したり、ゆがめたり、色を変えたり。さっと消したり。だんだん絵にみえてくるからふしぎだ。

投稿者 nansai : 2012年11月 2日 10:25