縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2013年1月28日

一月二十八日 あ、この人も。
昭和が貧しく元気だったころの人たちのこと。

朝刊の死亡欄に目を通すのが日課となった。あ、この人もか、同世代の有名文化人の名が出ている。
同世代の訃報は、昭和が貧しく、あわただしく、元気だったころを思い起こさせる。昨今は、棺を覆っても、人の真の値打ちはわからないものだが。
小沢昭一、鳥居民。惜しい人たちだ。後世に残すべき仕事をかかえていた。

先日なくなった翻訳家の常磐新平氏は、ぼくと同年輩だ。

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ニューヨークに魅せられ、アメリカ現代文学を紹介した。マフィアの研究家としても知られている。
訳書の「大雪のニューヨークを歩くには」(スティーブンソン ちくま文庫)が、ぼくの本棚にあった。
70年代に、ニューヨークの街頭風景を描いたイラスト入りエッセー、こんな軽快な絵入りの文章をまねしたいと思った。もちろん日本語でだが。
当時、常盤氏は、あの小粋でハイブロウな「ニューヨーカー」誌をわざわざ取り寄せ、ほれこんだコラムを紹介していた。ぼくの英文読解力ではとても歯の立たない洗練された都会派の文章だった。

あれほどの訳書を多数残しながら、実は英語をしゃべるのは苦手だった。
ある編集者とニューヨークに取材旅行にでかけたが、常盤氏は、なぜかほとんどしゃべらない。理由をたずねると、「英語が話せれば翻訳家などやっていませんよ。」と答えたそうだ。週刊朝日の「追悼とっておきの話」から。いい話だなあ。ぼくも意を強くした。

ぼくは熱心な愛読者ではなかったが、「そうではあるが上を向いて」など、エッセーなど読んで、面識はないが、なぜか共感するところがあった。戦争に負け日本が貧しかった時代の同世代だからだ。

終戦後、米軍占領下の田舎の都市で、ぼくとおなじように少年期を送り、進駐軍のトラックに乗って兵舎の掃除などアルバイトをした。
手のひらを返すというか、長いものにまかれるというか、何のふしぎもなく、軍国少年だったぼくらはアメリカ文化に反発するどころか順応し、映画やLPや読めもしないペーパーバックに親しみを感じ、あこがれるようになった。ぼくの下手な英語好きは、このころに端を発している。
常盤氏は、昭和30年ごろ、コンサイス英和辞典を、左手に持って、毎日何十回もひいたそうだ。辞書を左手に持ち続けるのがすごい。半年もたつとページがばらばらになってしまう。なかなかできることではない。電子辞書なんかない時代、そうしてプロの翻訳家となった実力がつちかわれたのだろう。

「本が好きなのは、私が本のない時代に育ったからだろう」とも。ぼくも同感である。
かれも、はるばる地方から大都会に出て職につき、安らぎと緊張を与えてくれる東京やニューヨークの魅力にとりつかれた。
いまの若い人は自由に英語がしゃべれて海外へも簡単に飛べる。昭和30年代の当時は、難関のフルブライト試験に合格しない限り、海外渡航など、とんでもないという時代だった。常盤氏は、当初は、本を読めばすべてがわかるとおもっていたという。ニューヨークを実際におとずれるまでは。

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デジタルになじめなかったという常盤新平氏が、いま丸善やイエナを訪れなくても、巨大書店アマゾンなら、読みたい(読めなくても)洋書が数秒でダウンロードできるのを、どう感じるだろうか。
昭和30年代に、店頭でライフなど洋雑誌を手に取ったときのときめきは消えた。晩年は、時代小説のほうがいい、ともらしている。かれが、半世紀前、あれほどあこがれたニューヨークはもうなくなったと、誰かがツイッターに書き込んでいた。

この年齢だがぼく自身は、電子書籍時代のグローバルな到来を、オーバーに言えば、小躍りして迎えている。敗戦後本のすくない少年時代に読み物に飢えて育ったからだ。
幕末の適塾では、俊英揃いの塾生たちは、一冊しかない和蘭語の辞書を争って、筆写したという。
デジタル時代のいまは、夢のようだ。入手し難い高価な洋書もワンクリックで、即、ダウンロードできる。電子辞書さえひけば、老いて耄碌した凡才でも、なんとか本の内容を味わうとすることができる。

「遠いアメリカ」で常盤新平氏は直木賞をとったのだが、ネットでみると、東京で、熱帯雨林のような出版界を生き抜くには、濃密な師弟交友関係の一員としてかずかずの修羅場もくぐらねばならなかったようだ。著作を、ジュンク堂書店のパソコンでサーチしてみたが、すべて絶版だった。

投稿者 nansai : 2013年1月28日 14:20