縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2013年12月16日

十二月十六日
ぞろぞろと新旧取り混ぜて、年賀状図案を並べました。東寺の終い弘法市のように。

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これも馬である。干支にちなんでパソコンで、べっぴんな馬を描いた。チェコの絵本作家(八五歳のおばあさんだが)の展覧会(京都伊勢丹)で刺激を受け、鮮烈な色彩とタッチのヒントをいただいた。

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東寺縁日の終い弘法市にならって、歳末には、年賀状の図案をここにならべることにしている。
パソコンで描くぼくの賀状図案は、干支の動物たちにちなむパズルだ。
テーマは十二年たつと、また振出しにもどる。また、馬か。いきおい似たようなアイデアになる。またワールドサッカーの選手に登場させることになる。

さあて、十二年前は、どんな年だったのか。

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ここに並べたのは、2002年のリバイバルだ。
アーカイブをひっくりかえしてみると、「さあ来い,新年」と勇ましい。緊迫した世界情勢だったが、サッカーをテーマにした。
二〇〇一年、アメリカで九・十一同時多発テロ。皇室では愛子さんが誕生。年が明けて、サッカーのワールドシリーズが日韓で開催。小泉首相が初の訪朝。

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ぼくの年配になると、年賀状を出す先が年々減ってくる。それも急速に。
一足先に、「喪中につき」辞退のしらせが来て暗然とすること、しばしばである。「新年初心」などと、胸張るのも、カラ元気じみてしらけてくる。あっけらかんと陽気なクリスマスカードと違うところだ。

で、東寺弘法市の露店よろしく、新旧とりまぜて、アットランラムにならべておく。

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つぎのは、骨董価値がある。年賀状ではなく、全ページの年賀広告。はるかに遠い昭和の御代に本邦初めて?のカラーテレビがデビューしたころにさかのぼる。おめでたいコピーは、謹んでぼくが書いた。
さすがプロのイラストは絶品である。

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ここ十年、年賀状の売れ行きがはかばかしくないとあってか、郵便配達さんにまで、はがきのノルマがおしつけられているらしい。ノルマを達成のため自腹を切って、金券ショップへ流れることもあるときく。


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なにせ、はがきサイズの紙きれが一枚50円で売れるのだ。
六億円の宝くじがあんなに人気なのだから、年賀はがきも、出す人にも当たる(ひと工夫いるが、ここが大事)「初夢ダブル◎タカラ舟クジ」はどうだろう。

はがき一枚で日ごろのごぶさたを謝し、あらためて御縁を確かめ、福を分け合っておめでとうと、当たれば、春から縁起がいいのだが。

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投稿者 nansai : 14:24

2013年12月10日

十二月八日
なぜ始めたのか。なぜ妥協策に切り替えなかったのか。300万人もの命が救えたのに。そして、また。

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昭和16年、十二月八日未明、日本海軍はハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まった。
なぜ、とだれも思うだろう。謎。石油資源のない小国が、どうして石油大国に対して、一か八か、勝ち目のない戦いを挑んだのか。供給の80%も相手国に依存していたのに。

歴史は、史料に基づいて、教える。いま、膨大な資料が公表され始めている。
あの戦争は、直接には、軍部が牛耳っていた資源のない小国が、軍艦、軍用機を動かすエネルギーをめぐっての開戦だったともいえる。石油がなければ軍艦は動かせない。航空機も飛ばせない。戦力の差は動かし難い。対米戦は慎重論も、もちろん多かった。
備蓄はとぼしいが、座して死を待つよりは、いまのうちに決戦に出て局面を打開しようという海軍内部の対米強硬派立案の作戦が前々からすすめられていたのだ。

海軍は陸軍に押し切られたとも、慎重論が多かった当時の幕僚が、戦後もらしている。
海軍中枢では、内乱のおそれが危惧されていた。もし撤兵など米国に妥協したら、陸軍と右翼がたちまち内乱を起こすに違いない。そうなれば、戦えないというのが、上層部の脳裏にあった。以上は、「海軍反省会」で当事者が述懐したカセットの記録から。
加えて、他力本願。ヨーロッパでは同盟国のドイツの勝利がプラスすると、陸軍の強硬派は、対米関係を楽観的に見ていた。

当時の日本の指導者層は、米国からの石油の禁輸の打開策として、ならば南進して蘭印(今のインドネシア)の油田を確保する、という戦略をとり、まず仏印(ベトナム)に兵をすすめた。これが米国の対日禁輸の引き金となる。まさかと日本側は予想もしていなかったという。しかし、日米交渉調停の条件としての中国本土、仏印からの軍隊の撤退を拒否し開戦へ。

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冷厳な結末は、4年後の昭和20年の無条件降伏となる。大日本帝国は、昭和前期から数えれば三百万人のかけがえのない人命と、海外資産のすべてを失った。
終戦どたんばの国家方針では、大東亜共栄圏の建設という大義は露と消えた。目の前に迫った連合軍の本土上陸を阻止し、一億の国民が玉砕してまでも国体を護持せよ、というものだった。

「戦争に負けているということは国家機密だった」
と映画監督の山田洋次氏は、朝日新聞に語っている。
「ぼくが子供だった頃、日本の軍隊は負け続けていたのだけれど、新聞やラジオは勝利したという報道ばかり。沖縄まで占領されていながら、まだ日本は勝てると信じていた。」ぼくは山田監督と同年輩である。
今の若い人には信じがたいだろうが、ぼくら国民は、敗戦するまで、超ど級戦艦大和と武蔵の沈没も、日本の誇る連合艦隊の壊滅も、秘密のベールに隠されて知らなかった。戦艦大和の写真も名前も、極秘だったから。

歴史にイフはない。
戦争は、国是にもとづく国家プロジェクトだ。
昭和16年、このリスキーな賭けに「やってみなければわからぬ」と踏み込んだのは、大日本帝国という国家の指導者だ。責任は問われずじまいで、今日におよんでいる。
あれほどの未曾有の惨禍を未然に予測し回避するためには、国の指導者は身命を賭して、国土と国民を守らねばならなかったはずだ。国民の生命を守るための次善、三善の妥協策の選択肢は、多々あったといわれている。中国からの十万の兵士の撤兵がカギだったとも。

いつの世にも、時の政府が決める国是や国家プロジェクトは、はたして将来にわたって国益にかなうかどうか、あやしいものだ。日本独自?のグループシンキングは、発言責任がはっきりせず、反対論がだしにくい。開戦も降伏も、重大決定の座の「空気」に左右された。

日本の原子力行政も、まったく同じ経緯をたどっている。袋小路に迷い込み、立ちすくんでいるように見える。政府は、無知なぼくら国民に原子力の問題の重大さを知らせないままに、福島事故を迎えた。失敗を隠し続けたところが、太平洋戦争の経過ときわめてよく似ている。

この国は地震多発国である。
原子力発電所の安全と使用済み燃料の地下埋蔵には最も適していない国土である。エネルギー政策を政府の既定方針のまま進めてよいはずはない。

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ずいぶん前から、小泉元首相は講演会でほえていた。
「核のごみ処理場がみつからないのなら、原発は進められない。使用済み燃料のゆきどころがなければ、原発ゼロに向かわざるを得ない。代替エネルギーの開発に いますぐ政府は舵を切れ」と。

原発再稼動をすすめようとしている首相官邸は渋い顔で黙殺をきめこんでいる。

この国では今もって、核のゴミの最終処理場がない。
狭い地震国で引き受ける自治体がどこにもない。将来も、めどがたたない。小泉氏は、そこをついた。
核燃料の最終処理法は、結局、地中深く埋めることしかない、「地層処理」というらしい。国土のどこに穴を掘って埋めるか、他の国も苦慮している。

原発建設の前に解決すべき大前提が、核のゴミの捨て場所をどこに決めるかだったのだ。国土が狭隘で活断層が縦横に走る地震国日本では、最大の難関である。で、しかたなく先送りされた。
原発は「トイレのないマンション」とは、前々からいわれていて、あほにもわかる比喩だなあと感じていた。
日本全国の原発で、現在一万七千トンの使用済み核燃料が身動きできないでいる。
この危険なふん詰まり状況のままだと、これ以上原子力発電所を作り続けるのは無理ではないか。ここまでは、ぼくにも理解できるのだが。

そこは、もちろんえらい専門家たちは、みなわかっていただろうが、処理地の選定を先伸ばしてきた。
国は、極秘裏に(候補地の選定は、国民には秘密なのだ)貧しい自治体を補助金で釣ろうとした。
だが、フクシマ事故で、候補地の住民たちが、ことの深刻さに目覚め、そっぽを向いた。
滋賀県余呉町も、候補地として手を挙げたというから(琵琶湖を水源に頼る下流一円のぼくら住民はびっくり)補助金をちらつかせた政府の原発行政の罪は深い。何を考えているのか。
別の大義リサイクル政策は、巨額の投資は失敗の連続で、普通の国民には将来の見込みは複雑で理解できない。

原発についてのぼくの知識は、ほとんどNHKやBBCなど、国内外のテレビのドキュメンタリー番組から得たものだ。いまは、NHKテレビだけでも、日本以外の各国が原子力とどのように取り組んでいるかがよくわかる。カメラがはいり、映像による現場取材と関係者の証言は、いちばん生々しく理解できる。
(太平洋戦争当時は、メディアも未発達で国民は、情報から遮断され、世界情勢を知る手だてが全くなかった。)
安全策が問題視されない導入時の関係者の本音の証言カセットもNHKは入手していた。

原子力が利用できなければ、代替燃料はなににたよればよいか。
いま、「原発ゼロ」を唱えるのは、国益を損なうと言い切ってよいか。ほかに選択肢がないと言い切れるか。
ぼくの年配になると、前の大戦の未曾有の失敗体験をくりかえしたくないという願いが強い。

原子力利用は、国の大義のもと、自民党政権下、すでに気の遠くあるような巨額な投資をおこなってきて、事実上不良債権化しているとみえる。
いつの時代でも、時の政府の立案する巨額の国家プロジェクトの投資効果は、信用し難い。もう懲りた。
票欲しさのばらまきと不要な公共工事。列島改造論も農業政策もそうだった。族議員のおすダムも堤防も道路も(原発関連も、もちろんそうだ)地元目当てのプロジェクトは、長い目でみると、怪しいと考えてしまう。

微力な納税者で電気料金負担者にすぎないぼくは原子力の未来を語る知見は持ち合わせていない。
しかしだ。
資源ゼロの日本ではあるが、やみくもに燃料リサイクルなどの理想を求めて、あげくの破たんを回避せねばならないと思う。原子力船むつ、六ヶ所村、もんじゅ、今もって成果が危ぶまれる投資の回収はもはや不可能だろう。大義の崩壊は、戦争と同じく、想定外の惨禍をもたらす。

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原子力発電の最終段階は、各国みな同じという。使用済み燃料を地下深く十万年間安全に格納埋設する穴を、国土のどこに掘るか。
地層的にも、政治的にも、不可能としよう。ならば、いまは、将来へ向かって、化石燃料をふくめて、妥協、次善、三善の策をさぐるべきだろう。

世界は資本の原理で動く。エネルギーも同じだ。
環境と効率とのせめぎあいである。国益とは、国として、ペイするか、しないか。
政府は原発重視を打ち出した。
毎日の新聞を開いてみると、社説は脱原発か否かでわかれている。
世界中のエネルギーで利益を上げようとする企業は、資本の論理で、選択肢を模索しつつ、走り出している。商社も海運会社も電力会社までも。

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向かう先は、新しい火力燃焼技術の再開発のようだ。
(資源ゼロの日本は、国をあげてのグローバルな調達戦略が救うことになる)
「福島に最新鋭石炭火力、2002年にも稼働」」東電、三菱3社と」は先月の日経新聞のトップだ。
かつて、福島に、欠陥原子炉「マークワン」を売り込んだのは、アメリカのGEだ。そのGEは、日本の火力発電所に発電能力向上を目指しタービンなど設備更新を提案、さらに燃料電池事業に参入するとある。稼働から30年以上のよぼよぼ火力発電所が対象という。機を見るに敏である。

話題のシェールガスはもちろん石油石炭、燃やせる熱源は、何でも輸入利用する。日本は、国自体が商社となり、有利に世界から買いつける必要がある。そのための物流施設、手段が必要だ。大型の専用輸送船が接岸できる港湾設備は福島でも着工されている。

マスコミでも、化石燃料対原子力は、神学論争のように論じられている。新聞の切り抜きに目を通しただけだが、エネルギーを追う企業は、本能的に、活路を探して走り出しているように見える。

石油危機を生き延びてきた日本の省エネルギー技術力を信じたい。これも単なる神話だろうか。
飛躍的に燃焼効率を高めて、CО2をすこしでも減らす革新型火力発電技術が期待されているという。
自動車の燃費向上であれほどの実績のある日本の技術は、新興国をはじめ世界の発電所でリスペクトされ採用されると思いたい。
新聞によれば、来日中のパキスタンの計画相は、日本には、火力発電の先端である超臨界厚技術の導入や投資を期待すると述べている。

国家の大義、プロジェクトは、いつも最善とは限らない。その逆が多い。

戦争を経験したぼくらの年輩は、大義に裏切られてきた。戦時中、戦後も、いやというほど実例をみてきた。

思うに、齟齬をきたしたプロジェクトには、撤退も妥協もあるはずだ。国は、メンツにこだわらず、ひろく世界の新たな知見に学び、次善三善の策を土壇場まで探すことが為政者の義務である。
そして、ふつうの市民、有権者(有識者ではない)に、それをどのように理解させるかが課題であろう。

「核のゴミ捨て場は、安倍さんの地元にしたらどうですか」、と新聞の投書欄に中年女性が述べていた。痛烈。

投稿者 nansai : 15:07