縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2014年1月10日

一月十日 「赤紙」という人さらい。

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赤紙とは、国民を軍隊に徴集する召集令状だった。

毎日新聞のコラムの見出しに胸をつかれた。牧太郎の「大きな声ではいえないが」に引かれている川柳だ。

昔むかし「赤紙」という人さらい  矢部あき子

明治六年のきょうは、国民皆兵を建前とする徴兵令が出された日だ。
明治政府は、外国の軍隊を参考にした。目的は、上下の身分のへだてなく、20歳に達した男全部が三年間の兵役につくこととされた。

昭和にはいって、多くの若者が(赤紙に印刷された召集令状)一枚で招集され、万歳、万歳と、日の丸の小旗と歓呼の声に送られて戦地に赴いた。そのまま故国の土を踏めず、戦没した兵士は、太平洋戦争で270万とも数えられる。

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役場から配達された赤紙1枚で、若者も、一家の主人も、戦場に送られた。お国のために。
応召は名誉とされた。離脱は許されない。逃亡すれば、家族親族郷土の恥、迷惑となるのを恐れた。アメリカのベトナム戦争のときのように、「良心的徴兵拒否」を唱えてカナダに逃亡するなど許される状況ではなかった。四面海に囲まれている日本は、鉄条網に囲まれた兵営のようなものだったから。

戦争末期、乳飲み子だった桂三枝師匠の父上は、結核におかされていたが本土防衛のため招集され、激しい訓練で病状が悪化し帰らぬ人となった。27歳。いたましいことだ。若い夫婦の幸せを奪い、一家の柱を倒す、まさに「赤紙という人さらい」だった。(NHKファミリーヒストリーから)

昭和史の真ん中ほどにある血糊    小田島花浪


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戦争が激化してからの徴兵は、残酷なものだ。
昭和19年には、徴兵年齢が17歳にひきさげられた。
昭和20年には本土決戦構想で「根こそぎ動員」が決まった。つづいて「国民義勇隊法」が公布され、15歳以上60歳までの男子、17歳以上40歳までの女子は「義勇招集」により「国民義勇戦闘隊」に編入され、義勇兵として戦闘に参加することになった。

当時13歳の旧制中学校二年生のぼくは、なんと文部省の「決戦教育措置」により、一年間授業停止となり、本土海岸の防衛陣地の穴掘りに駆り出されていた。
少年のぼくらには赤紙はこなかったが、あと2カ月降伏が遅れていたら、本土でも沖縄戦と同じ状況が展開されていただろう。軟弱なぼくも15歳に達すれば、国民義勇戦闘隊に組み込まれていた。

軍部が牛耳っていいた政府は、戦争指導した。一億玉砕しても、「国体」を護持せよと。
太平洋の防波堤となり時間をかせげとはひどい話だが、サイパンも沖縄も落ちた。この期におよんで、何のために戦うのか、戦争の大義は、「国体」を守ることにすり替わっていた。
「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろう」と、ぼくらは幼いころから歌っていたのに。

投稿者 nansai : 2014年1月10日 15:40