縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2015年1月23日

一月二十八日

満州事変?きいたことがありますか。
戦いが終わって70年。日本はかつてどう戦ったのか。もう自分たちの歴史に目をそむけてはいけない。

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「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々がなくなった戦争でした。」
と、天皇陛下は新年にあたって、「戦争の歴史を学び、考えることが極めて大切」と強調された。
「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えてゆくことが、今極めて大事なことだと思われます。」
陛下は、今の日本人に必要なのは、戦争へ突き進んだ時代を真摯に見つめなおすことだ、という重い問いかけをされたのではないか。(サンデー毎日)

天皇誕生日の談話でも、昭和戦争では三百十万人の日本人が犠牲になったことに改めて触れ、「夢を持って生きていた多くの人々が若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限りです。」と述べられた。
このように、80歳を迎えた天皇の談話が、平和メッセージとして、マスコミ各社にくりかえし引用されたのは、異例のことだ。
あたかも、安部内閣、自民党のなにやらキナくさい「歴史認識」を、たしなめるようにもとれるからか。

天皇が示唆された、歴史認識のキーワードは、「満州事変」である。
日本人として、きわめてまっとうな歴史認識がここにある。
今、日本人の大半は、昭和六年に中国大陸で起きた「満州事変」とはなにか、認識がないのではないだろうか。日本が「建国」した満州国も。


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これは満州国の国旗である。黒い喪章はぼくが描き加えた。
昭和ひとけた生まれの同じ世代だが、天皇も、菅原文太も、高倉健も、当然昭和六年の満州事変の記憶はない。小学校の図画の時間でこの国旗の絵を描いた人はいた。

さきの戦争へ、なぜ日本がつきすすんでいったか、満州事変前後を、最近の史料によりふりかえってみよう。
思えば、昭和ひとけたの日本は、国の首脳が襲われ暗殺されたテロとクーデターに明け暮れた。青年将校、右翼たちが、天皇親政をもとめ、財閥の横暴をとがめ、君側の奸を除くというスローガンのもとに、総理大臣、大蔵大臣など重臣たち、民間の財界トップが襲われ暗殺された。
昭和六年の三月事件、十月事件のクーデター計画、七年の5.15事件の海軍士官と民間右翼の連合テロ、昭和十一年二月の陸軍青年将校によるクーデター。
関東軍と軍中央が動いて満州事変がおこり、傀儡政権の満州国が建国された。
同時に、決して進んではいけない方向に、国家を導いてゆく潮流が徐々に強まってきた。

政党は崩壊し、いつしか国策は、議会における討論やトップの決定よりも、エリート軍官僚の頭脳により策定されるとした。
派閥争いを勝ち抜いたエリート軍部官僚たちは、ドイツの国防軍をみて、次の戦争は、「総力戦」となると予想、国家総動員体制、統制経済が必要とした。
こうして軍国主義へと向かった日本は、エリート軍部官僚の描いた「国家総力戦」のシナリオ通りに、とりかえしのつかない誤算をくりかえしながら、秘密裏にことがすすんでゆく。
軍部は、満蒙、蘭印の資源確保をうかがいつつ、ナチスドイツがイギリスやオランダに勝利するとみて三国同盟を結び、ドイツ勝利を機に蘭印などを漁夫の利を計算したようだ。
しかし、石油資源を得るために南進をねらった仏印進駐で、米英との対立が決定的となった。アメリカの石油全面禁輸は予想してなかったとされる。当時の石油の備蓄は二年、切れれば、軍艦は動けなくなる。
こうして、軍主導で杜撰な戦争計画がすすめられ、ついに、どう計算しても勝ち目のない太平洋戦争に突入してしまった。

戦後70年は節目の年である。
歴史認識をめぐって、国内外で、いまなお、はげしくもめている。
先の戦争で日本軍は270万人を失ったが、他国の領土で戦い、ために他国の人々が巻き込まれておびただしい犠牲が出た。
せっかく天皇が示唆されたように、あらためて戦争の歴史を正しく学習しなければ、と思う。


投稿者 nansai : 17:36| コメント (0)