縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2015年11月25日

十一月二十四日

十一月二十四日 来年の干支はサル。こんな時代だが、賀状、どうするか。

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年賀状のアイデアをあれこれ考えるのは、面倒くさいが年末の楽しい仕事だった。干支の動物にこだわって、パソコンでマウスを操って描く。ひとりよがりもいいところ。
しかし、時は流れ、賀状をやりとりする友人知人の輪
も、年々、縮まってきている。辞退のはがきも、次々に寄せられてくるのがせつない。老いも若きも人生いろいろ、皆が皆、がんばって、無事で元気とは限らない。
賀状も、シンプルに「新年おめでとうございます」だけでいいじゃないかとも思えてくる。
世界も社会も、ひたすら無事平穏な年を願っている。
ノーテンキにはしやいだ賀状はいかがなものか。

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と自問自答はしたが、ことしは、ぼくの干支のサル年である。例年通り、干支のサルたちに登場願って新年のごあいさつさせることに。
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さて、ここに並べたサルやゴリラたちは、いまはむかし、12年前に描いたもの。パソコンのドキュメントをのぞいてみると、かつて描いたサルたちが、出来不出来はさておき、うようよいるではないか。数匹引き上げてごらんに入れることにした次第。気が向いたら新しいサルやゴリラを追加しよう。
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すっかり忘れていたが、2003年のあの夏は阪神タイガースがセリーグ優勝した年だった。調べてみたら夢のような一年だった。
星野監督二年目、選手を大幅に入れ替え、懐かしい名選手が活躍して開幕から首位を独走、2位中日以下を全く寄せ付けず、18年ぶりにぶっちぎりで優勝した。
一度も球場に足をはこばないぼくも「熱唱六甲おろし」で酔いしれる甲子園の熱気を描いた。

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花のパリも無差別テロを警戒しなければならない時代だ。テロ抑止にキングコングのパワーだ!という陳腐なアイデアは、もっと展開してみたい
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投稿者 nansai : 17:44| コメント (0)

2014年11月17日

ヒツジの年賀状

十一月十八日
年賀状にのせる羊の絵。ことしも懲りずにパソコンで描いてみました。
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郵便局へ行くと窓口で年賀はがきを熱心に、というかしつこくすすめている。今年も40億枚ちかく売りだされるのだろうから、たいへんだ。
ぼくの年齢になると、年賀状も、悲しいことに、年々出す先が減っている。欠礼のはがきもふえるいっぽうだ。
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この隠れ家的サイトは、毎年ひっそりと来年の年賀状のアイデアをのせている。
だれにたのまれたわけでもないが、干支のお題のお絵かきが、ぼくのたのしい歳末行事となった。出すあてのないままに。

ぼくは、長年ウィンドウズの無料ソフト「ペイント」をマウスで動かして、たどたどしく、(たどたどしくしか描けない)絵を描いてきた。ほかにデジタルでこんな描き方をする人はいなくなったようだ。
輪郭の線がギザギザでぶるぶる震えているのが、ペイントの持ち味。マウスの場合、ペンのようにはすらすら描けない稚拙なところが、いいじゃないか、と本人は気に入っている。年賀状のイラストには、絵手紙のように、よく合うはず。
ほんの数えるほどだが、ぼくのアイデアを毎年たのしみにしている奇特な人たちがいる。
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ところが、ことしついにウインドウズXPが廃版となり、ことわりもなく、ぼくの片腕の「ペイント」(無料のおまけソフトだった)も道連れにされたのだ。
これがなくなると、お手上げで絵が描けない。幼児とか高齢者、自閉症の人たちにも使えるやさしいお絵描きソフトなのに。
途方に暮れたが、ようやく、知り合いの専門家を拝み倒して、旧式「ペイント」を、セブンに組み込んでもらった。やれやれ、一安心である。
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いざ描くとなると、めでたい干支のアイデアは似たようなものだ。12年前描いたヒツジの絵をアーカイブから引き出してみると、大体同じ発想だ。変化のつけようがないが、今回はちょっといささか視点を変えてみた。マンガ時代に大きくずれているぼくの関心は、かわいい、お目目のでかいキャラクターにはない。
とぼけたタッチで、たわいのないことでも、あれこれ考えを巡らすのはいい気分だ。認知症予防にもなるかなあ。以下アットランダム、思いつくままに、並べてみた。
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ついでながら、デジタル横組みの時代ではあるが、ぼくは、日本人にとって読みやすい文章は、縦組みだと固く信じているマイノリティのひとりである。
大量の日本語文字は横組みでは、拾い読み、飛ばし読みはできない。
このサイトは、もともと、日本語の自然で読みやすい縦組みを、なんとか横組みばかりのレイアウトになじませたいという目的で始めた。
寄る年波と使い慣れたXPペイントの消えたこともあり、ちょっと息切れ状態だが、美しい日本語の縦組みレイアウトを、次世代の後継者が引き継いでほしいと願っている。



投稿者 nansai : 20:05

2014年1月10日

一月十日 「赤紙」という人さらい。

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赤紙とは、国民を軍隊に徴集する召集令状だった。

毎日新聞のコラムの見出しに胸をつかれた。牧太郎の「大きな声ではいえないが」に引かれている川柳だ。

昔むかし「赤紙」という人さらい  矢部あき子

明治六年のきょうは、国民皆兵を建前とする徴兵令が出された日だ。
明治政府は、外国の軍隊を参考にした。目的は、上下の身分のへだてなく、20歳に達した男全部が三年間の兵役につくこととされた。

昭和にはいって、多くの若者が(赤紙に印刷された召集令状)一枚で招集され、万歳、万歳と、日の丸の小旗と歓呼の声に送られて戦地に赴いた。そのまま故国の土を踏めず、戦没した兵士は、太平洋戦争で270万とも数えられる。

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役場から配達された赤紙1枚で、若者も、一家の主人も、戦場に送られた。お国のために。
応召は名誉とされた。離脱は許されない。逃亡すれば、家族親族郷土の恥、迷惑となるのを恐れた。アメリカのベトナム戦争のときのように、「良心的徴兵拒否」を唱えてカナダに逃亡するなど許される状況ではなかった。四面海に囲まれている日本は、鉄条網に囲まれた兵営のようなものだったから。

戦争末期、乳飲み子だった桂三枝師匠の父上は、結核におかされていたが本土防衛のため招集され、激しい訓練で病状が悪化し帰らぬ人となった。27歳。いたましいことだ。若い夫婦の幸せを奪い、一家の柱を倒す、まさに「赤紙という人さらい」だった。(NHKファミリーヒストリーから)

昭和史の真ん中ほどにある血糊    小田島花浪


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戦争が激化してからの徴兵は、残酷なものだ。
昭和19年には、徴兵年齢が17歳にひきさげられた。
昭和20年には本土決戦構想で「根こそぎ動員」が決まった。つづいて「国民義勇隊法」が公布され、15歳以上60歳までの男子、17歳以上40歳までの女子は「義勇招集」により「国民義勇戦闘隊」に編入され、義勇兵として戦闘に参加することになった。

当時13歳の旧制中学校二年生のぼくは、なんと文部省の「決戦教育措置」により、一年間授業停止となり、本土海岸の防衛陣地の穴掘りに駆り出されていた。
少年のぼくらには赤紙はこなかったが、あと2カ月降伏が遅れていたら、本土でも沖縄戦と同じ状況が展開されていただろう。軟弱なぼくも15歳に達すれば、国民義勇戦闘隊に組み込まれていた。

軍部が牛耳っていいた政府は、戦争指導した。一億玉砕しても、「国体」を護持せよと。
太平洋の防波堤となり時間をかせげとはひどい話だが、サイパンも沖縄も落ちた。この期におよんで、何のために戦うのか、戦争の大義は、「国体」を守ることにすり替わっていた。
「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろう」と、ぼくらは幼いころから歌っていたのに。

投稿者 nansai : 15:40

2014年1月 6日

一月一日 お正月に国旗のことを考えた。
もったいないと思う。

戦前のお正月には、家ごとに玄関に国旗をたてた。
へんぽんと翻る国旗掲揚というような勇ましいものではない。どの家の玄関先にも、国旗は金色の丸い球を頭に付けた旗竿に結び付けられて、うつむきかげんにしなだれて立っていた。
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それでいて、家家に日の丸が並ぶと、正月らしい華やいだ気分になれたと記憶している。
「ああうつくしや、にほんのはたは」と、幼いころ歌った記憶がある。日の丸は美しい旗だ。

平成の今は、大阪市郊外の当家の周辺で国旗を立てていた家は、わずかに二軒。実は、わが家も立てていない。旗竿を差し込む穴を門にあけていなかった。

自国の国旗にこのように冷たく当たる国はない。少なくとも先進国では。
傍目には、いじけていると取られても仕方がない。
ぼくは、日の丸は、かっこいいと思うし、どう考えても、これからの日本の文化遺産だと思う。富士山と同じように。

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イデオロギーやノスタルジーで日章旗を歯がゆがったり、なつかしがるのではない。
右も左もなく、あたらしい意味合いで、見方を変えてみよう。日章旗は、万物の成長の源、太陽の陽気なエネルギーを象徴していて、明日の日本の活力になると信じる。
発想を切り替えれば、日の丸は、明るく陽気だ。
オリンピックを迎える日本の「おもてなし」のシンボルにしなければ、と考える。

欧米の先進国では、どの国も、国旗はにぎやかな観光資源として、それこそいたるところに飾られている。都市も街角も店先も、旗だらけだ。
国旗のデザインが、もったいぶらずデコレーションとして、別に旗日にこだわらず、毎日、街角で、店頭で、絵ハガキで、土産ものに。

国際スポーツの応援では、日の丸がふりまわされるが、世界のよその国旗にくらべて、日の丸の旗は気の毒な目にあっている。
国旗デザインのオリンピックに出品すれば、美しさとシンプルさで、ダントツの文句なしの世界一だ。
古代中世?から、白地赤丸の旗は、いつごろ誰がデザインしたか不明だが、長い古い歴史がある。
戊辰戦争では、錦の御旗を掲げる官軍に対し、朝敵側の彰義隊、白虎隊など幕府軍は日章旗を旗印に戦ったという。最大の不幸は、先の戦争に巻き込まれ、戦意高揚のシンボルとされたことだ。
敗戦後1945年GHQマッカーサーの指令で、日章旗の掲揚は、原則禁止された。1949年に解除されたが、軍国主義につながる、なにもかもが、否定された大混乱で、ぼくは覚えていない。

先の戦争が終わって70年、日の丸の旗を、イデオロギーの呪縛から解放し、世界から人を招きもてなす、よその国の旗のように、この国のすみずみで明るく元気に働いてもらおうではないか。世界に自慢できる旗のデザインだ。せっかくの文化遺産、活用せねばもったいない。

投稿者 nansai : 14:17

2013年12月16日

十二月十六日
ぞろぞろと新旧取り混ぜて、年賀状図案を並べました。東寺の終い弘法市のように。

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これも馬である。干支にちなんでパソコンで、べっぴんな馬を描いた。チェコの絵本作家(八五歳のおばあさんだが)の展覧会(京都伊勢丹)で刺激を受け、鮮烈な色彩とタッチのヒントをいただいた。

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東寺縁日の終い弘法市にならって、歳末には、年賀状の図案をここにならべることにしている。
パソコンで描くぼくの賀状図案は、干支の動物たちにちなむパズルだ。
テーマは十二年たつと、また振出しにもどる。また、馬か。いきおい似たようなアイデアになる。またワールドサッカーの選手に登場させることになる。

さあて、十二年前は、どんな年だったのか。

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ここに並べたのは、2002年のリバイバルだ。
アーカイブをひっくりかえしてみると、「さあ来い,新年」と勇ましい。緊迫した世界情勢だったが、サッカーをテーマにした。
二〇〇一年、アメリカで九・十一同時多発テロ。皇室では愛子さんが誕生。年が明けて、サッカーのワールドシリーズが日韓で開催。小泉首相が初の訪朝。

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ぼくの年配になると、年賀状を出す先が年々減ってくる。それも急速に。
一足先に、「喪中につき」辞退のしらせが来て暗然とすること、しばしばである。「新年初心」などと、胸張るのも、カラ元気じみてしらけてくる。あっけらかんと陽気なクリスマスカードと違うところだ。

で、東寺弘法市の露店よろしく、新旧とりまぜて、アットランラムにならべておく。

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つぎのは、骨董価値がある。年賀状ではなく、全ページの年賀広告。はるかに遠い昭和の御代に本邦初めて?のカラーテレビがデビューしたころにさかのぼる。おめでたいコピーは、謹んでぼくが書いた。
さすがプロのイラストは絶品である。

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ここ十年、年賀状の売れ行きがはかばかしくないとあってか、郵便配達さんにまで、はがきのノルマがおしつけられているらしい。ノルマを達成のため自腹を切って、金券ショップへ流れることもあるときく。


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なにせ、はがきサイズの紙きれが一枚50円で売れるのだ。
六億円の宝くじがあんなに人気なのだから、年賀はがきも、出す人にも当たる(ひと工夫いるが、ここが大事)「初夢ダブル◎タカラ舟クジ」はどうだろう。

はがき一枚で日ごろのごぶさたを謝し、あらためて御縁を確かめ、福を分け合っておめでとうと、当たれば、春から縁起がいいのだが。

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投稿者 nansai : 14:24

2013年12月10日

十二月八日
なぜ始めたのか。なぜ妥協策に切り替えなかったのか。300万人もの命が救えたのに。そして、また。

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昭和16年、十二月八日未明、日本海軍はハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まった。
なぜ、とだれも思うだろう。謎。石油資源のない小国が、どうして石油大国に対して、一か八か、勝ち目のない戦いを挑んだのか。供給の80%も相手国に依存していたのに。

歴史は、史料に基づいて、教える。いま、膨大な資料が公表され始めている。
あの戦争は、直接には、軍部が牛耳っていた資源のない小国が、軍艦、軍用機を動かすエネルギーをめぐっての開戦だったともいえる。石油がなければ軍艦は動かせない。航空機も飛ばせない。戦力の差は動かし難い。対米戦は慎重論も、もちろん多かった。
備蓄はとぼしいが、座して死を待つよりは、いまのうちに決戦に出て局面を打開しようという海軍内部の対米強硬派立案の作戦が前々からすすめられていたのだ。

海軍は陸軍に押し切られたとも、慎重論が多かった当時の幕僚が、戦後もらしている。
海軍中枢では、内乱のおそれが危惧されていた。もし撤兵など米国に妥協したら、陸軍と右翼がたちまち内乱を起こすに違いない。そうなれば、戦えないというのが、上層部の脳裏にあった。以上は、「海軍反省会」で当事者が述懐したカセットの記録から。
加えて、他力本願。ヨーロッパでは同盟国のドイツの勝利がプラスすると、陸軍の強硬派は、対米関係を楽観的に見ていた。

当時の日本の指導者層は、米国からの石油の禁輸の打開策として、ならば南進して蘭印(今のインドネシア)の油田を確保する、という戦略をとり、まず仏印(ベトナム)に兵をすすめた。これが米国の対日禁輸の引き金となる。まさかと日本側は予想もしていなかったという。しかし、日米交渉調停の条件としての中国本土、仏印からの軍隊の撤退を拒否し開戦へ。

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冷厳な結末は、4年後の昭和20年の無条件降伏となる。大日本帝国は、昭和前期から数えれば三百万人のかけがえのない人命と、海外資産のすべてを失った。
終戦どたんばの国家方針では、大東亜共栄圏の建設という大義は露と消えた。目の前に迫った連合軍の本土上陸を阻止し、一億の国民が玉砕してまでも国体を護持せよ、というものだった。

「戦争に負けているということは国家機密だった」
と映画監督の山田洋次氏は、朝日新聞に語っている。
「ぼくが子供だった頃、日本の軍隊は負け続けていたのだけれど、新聞やラジオは勝利したという報道ばかり。沖縄まで占領されていながら、まだ日本は勝てると信じていた。」ぼくは山田監督と同年輩である。
今の若い人には信じがたいだろうが、ぼくら国民は、敗戦するまで、超ど級戦艦大和と武蔵の沈没も、日本の誇る連合艦隊の壊滅も、秘密のベールに隠されて知らなかった。戦艦大和の写真も名前も、極秘だったから。

歴史にイフはない。
戦争は、国是にもとづく国家プロジェクトだ。
昭和16年、このリスキーな賭けに「やってみなければわからぬ」と踏み込んだのは、大日本帝国という国家の指導者だ。責任は問われずじまいで、今日におよんでいる。
あれほどの未曾有の惨禍を未然に予測し回避するためには、国の指導者は身命を賭して、国土と国民を守らねばならなかったはずだ。国民の生命を守るための次善、三善の妥協策の選択肢は、多々あったといわれている。中国からの十万の兵士の撤兵がカギだったとも。

いつの世にも、時の政府が決める国是や国家プロジェクトは、はたして将来にわたって国益にかなうかどうか、あやしいものだ。日本独自?のグループシンキングは、発言責任がはっきりせず、反対論がだしにくい。開戦も降伏も、重大決定の座の「空気」に左右された。

日本の原子力行政も、まったく同じ経緯をたどっている。袋小路に迷い込み、立ちすくんでいるように見える。政府は、無知なぼくら国民に原子力の問題の重大さを知らせないままに、福島事故を迎えた。失敗を隠し続けたところが、太平洋戦争の経過ときわめてよく似ている。

この国は地震多発国である。
原子力発電所の安全と使用済み燃料の地下埋蔵には最も適していない国土である。エネルギー政策を政府の既定方針のまま進めてよいはずはない。

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ずいぶん前から、小泉元首相は講演会でほえていた。
「核のごみ処理場がみつからないのなら、原発は進められない。使用済み燃料のゆきどころがなければ、原発ゼロに向かわざるを得ない。代替エネルギーの開発に いますぐ政府は舵を切れ」と。

原発再稼動をすすめようとしている首相官邸は渋い顔で黙殺をきめこんでいる。

この国では今もって、核のゴミの最終処理場がない。
狭い地震国で引き受ける自治体がどこにもない。将来も、めどがたたない。小泉氏は、そこをついた。
核燃料の最終処理法は、結局、地中深く埋めることしかない、「地層処理」というらしい。国土のどこに穴を掘って埋めるか、他の国も苦慮している。

原発建設の前に解決すべき大前提が、核のゴミの捨て場所をどこに決めるかだったのだ。国土が狭隘で活断層が縦横に走る地震国日本では、最大の難関である。で、しかたなく先送りされた。
原発は「トイレのないマンション」とは、前々からいわれていて、あほにもわかる比喩だなあと感じていた。
日本全国の原発で、現在一万七千トンの使用済み核燃料が身動きできないでいる。
この危険なふん詰まり状況のままだと、これ以上原子力発電所を作り続けるのは無理ではないか。ここまでは、ぼくにも理解できるのだが。

そこは、もちろんえらい専門家たちは、みなわかっていただろうが、処理地の選定を先伸ばしてきた。
国は、極秘裏に(候補地の選定は、国民には秘密なのだ)貧しい自治体を補助金で釣ろうとした。
だが、フクシマ事故で、候補地の住民たちが、ことの深刻さに目覚め、そっぽを向いた。
滋賀県余呉町も、候補地として手を挙げたというから(琵琶湖を水源に頼る下流一円のぼくら住民はびっくり)補助金をちらつかせた政府の原発行政の罪は深い。何を考えているのか。
別の大義リサイクル政策は、巨額の投資は失敗の連続で、普通の国民には将来の見込みは複雑で理解できない。

原発についてのぼくの知識は、ほとんどNHKやBBCなど、国内外のテレビのドキュメンタリー番組から得たものだ。いまは、NHKテレビだけでも、日本以外の各国が原子力とどのように取り組んでいるかがよくわかる。カメラがはいり、映像による現場取材と関係者の証言は、いちばん生々しく理解できる。
(太平洋戦争当時は、メディアも未発達で国民は、情報から遮断され、世界情勢を知る手だてが全くなかった。)
安全策が問題視されない導入時の関係者の本音の証言カセットもNHKは入手していた。

原子力が利用できなければ、代替燃料はなににたよればよいか。
いま、「原発ゼロ」を唱えるのは、国益を損なうと言い切ってよいか。ほかに選択肢がないと言い切れるか。
ぼくの年配になると、前の大戦の未曾有の失敗体験をくりかえしたくないという願いが強い。

原子力利用は、国の大義のもと、自民党政権下、すでに気の遠くあるような巨額な投資をおこなってきて、事実上不良債権化しているとみえる。
いつの時代でも、時の政府の立案する巨額の国家プロジェクトの投資効果は、信用し難い。もう懲りた。
票欲しさのばらまきと不要な公共工事。列島改造論も農業政策もそうだった。族議員のおすダムも堤防も道路も(原発関連も、もちろんそうだ)地元目当てのプロジェクトは、長い目でみると、怪しいと考えてしまう。

微力な納税者で電気料金負担者にすぎないぼくは原子力の未来を語る知見は持ち合わせていない。
しかしだ。
資源ゼロの日本ではあるが、やみくもに燃料リサイクルなどの理想を求めて、あげくの破たんを回避せねばならないと思う。原子力船むつ、六ヶ所村、もんじゅ、今もって成果が危ぶまれる投資の回収はもはや不可能だろう。大義の崩壊は、戦争と同じく、想定外の惨禍をもたらす。

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原子力発電の最終段階は、各国みな同じという。使用済み燃料を地下深く十万年間安全に格納埋設する穴を、国土のどこに掘るか。
地層的にも、政治的にも、不可能としよう。ならば、いまは、将来へ向かって、化石燃料をふくめて、妥協、次善、三善の策をさぐるべきだろう。

世界は資本の原理で動く。エネルギーも同じだ。
環境と効率とのせめぎあいである。国益とは、国として、ペイするか、しないか。
政府は原発重視を打ち出した。
毎日の新聞を開いてみると、社説は脱原発か否かでわかれている。
世界中のエネルギーで利益を上げようとする企業は、資本の論理で、選択肢を模索しつつ、走り出している。商社も海運会社も電力会社までも。

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向かう先は、新しい火力燃焼技術の再開発のようだ。
(資源ゼロの日本は、国をあげてのグローバルな調達戦略が救うことになる)
「福島に最新鋭石炭火力、2002年にも稼働」」東電、三菱3社と」は先月の日経新聞のトップだ。
かつて、福島に、欠陥原子炉「マークワン」を売り込んだのは、アメリカのGEだ。そのGEは、日本の火力発電所に発電能力向上を目指しタービンなど設備更新を提案、さらに燃料電池事業に参入するとある。稼働から30年以上のよぼよぼ火力発電所が対象という。機を見るに敏である。

話題のシェールガスはもちろん石油石炭、燃やせる熱源は、何でも輸入利用する。日本は、国自体が商社となり、有利に世界から買いつける必要がある。そのための物流施設、手段が必要だ。大型の専用輸送船が接岸できる港湾設備は福島でも着工されている。

マスコミでも、化石燃料対原子力は、神学論争のように論じられている。新聞の切り抜きに目を通しただけだが、エネルギーを追う企業は、本能的に、活路を探して走り出しているように見える。

石油危機を生き延びてきた日本の省エネルギー技術力を信じたい。これも単なる神話だろうか。
飛躍的に燃焼効率を高めて、CО2をすこしでも減らす革新型火力発電技術が期待されているという。
自動車の燃費向上であれほどの実績のある日本の技術は、新興国をはじめ世界の発電所でリスペクトされ採用されると思いたい。
新聞によれば、来日中のパキスタンの計画相は、日本には、火力発電の先端である超臨界厚技術の導入や投資を期待すると述べている。

国家の大義、プロジェクトは、いつも最善とは限らない。その逆が多い。

戦争を経験したぼくらの年輩は、大義に裏切られてきた。戦時中、戦後も、いやというほど実例をみてきた。

思うに、齟齬をきたしたプロジェクトには、撤退も妥協もあるはずだ。国は、メンツにこだわらず、ひろく世界の新たな知見に学び、次善三善の策を土壇場まで探すことが為政者の義務である。
そして、ふつうの市民、有権者(有識者ではない)に、それをどのように理解させるかが課題であろう。

「核のゴミ捨て場は、安倍さんの地元にしたらどうですか」、と新聞の投書欄に中年女性が述べていた。痛烈。

投稿者 nansai : 15:07

2013年7月22日

七月二十二日 夏がくれば。

「なーつがくればおもいだす」という歌が、ふと口をついて出てくるときがある。
さわやかな尾瀬の朝を、ぼくは知らない。
思い出すのは、昭和二十年のくそ暑い夏だ。

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ぼくにとって、夏はトラウマだ。旧制中学二年生だった。なにもわからぬうちに、授業が停止され、全国の中学生は、工場に、陣地構築に狩りだされた。勤労奉仕でも、ボランティアでもない。
せまりくる本土決戦にそなえて「決戦非常措置要綱」を政府が閣議決定し、学徒動員の強化が組みこまれていた。三月に発令されていたのだ。この法令が、当時のぼくら中学生を動員したことを、くやしいことに、最近ウイキぺディアで知った。


昭和二十年。四月には沖縄守備隊は全滅していた。米軍の本土上陸にそなえて、陣地構築に、といっても、中学下級生は、古兵たちの穴掘り作業の補助要員である。本土西端の海岸線にそう山間に、機関銃座の横穴壕を掘るのだ。今思えば、谷間の両側に銃座をアリの巣のように、はりめぐらす計画だったのか。

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鉄筋コンクリートのかわりに、太い丸太を縦に並べるだけ。一発の砲弾で吹っ飛びそうな木製
銃座だ。
もちろん中学生には何の説明もなく,士気を鼓舞されることもなかった。暗い穴の闇を照らすカンテラのアセチレンガスのにおいを覚えている。

宿泊は、小学校の校舎を転々とした。授業も補修も訓練もなかった。もはや「学徒」もへちまもない。
空腹、下痢、ノミ、シラミが、やせこけたぼくらを悩ませた、はく靴はなく草履だった。白いシャツは、敵機からの機銃掃射をふせぐために藍色に染めた。
血を吸ったシラミは、藍のシャツの縫い目に、一列縦隊でびっしり並ぶから、ぶちんとつぶすのに発見しやすかった。

宿舎は焼け残った小学校だったから、新聞、ラジオとは無縁。報道管制どころか、途絶だった。沖縄、サイパンも玉砕し戦況の不利は承知していたが北朝鮮状態だった。風の便りの「新型爆弾」も原子爆弾とは知らなかったし、まず原子力の破壊力は、全くの無知だった。

情報からは途絶していて、八月十五日終戦の日も何の音沙汰もなく、ぼくらの作業現場にはラジオがないから玉音放送のあったことも知らされず、ただし作業は午前で終わった。
「終戦」の意味がわからなかった。ひきわけたのかと思ったりした。
「天皇陛下に申し訳ない」と二重橋前で土下座して泣き崩れるようなシーンは、ぼくのまわりではなかった。いまもニュース映画にくりかえし出てくるが。

がりがりにやせこけて体調は下痢で最悪だったが、電灯がついて家にやっと帰れるのがうれしかった。

十三歳の勤労動員は苦痛ではあったが、他校のきびしい例をきけば、ヘのようなものだ。
島が戦場と化した沖縄が最も悲惨だったが、たくさんの中学生が、全国各地で、爆弾、砲弾の犠牲になった。
なんともやりきれないのが、終戦一日前の八月十四日の空襲で、海軍工廠に動員されていた上級生が爆死したことだ。たった一日違いで、あたら有為の若者の命が失われた。大阪の砲兵工廠でも。
すでに無条件降伏をうけ入れた日本に、原爆投下後も、各地で執拗に爆撃を続行した米軍の卑劣な戦略に、いまも怒りを覚える。
ぼくら日本人は、安倍首相をはじめとして、あの戦争の総括をおこたってきた。あまりに多くの戦没者たち300万人の悲惨な運命をリアルに実感してこなかった。

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国は、平穏に生きていた人間の運命を、「東洋平和」「悠久の大義」「国体護持」という、次々に変わるキーワードのような「大義」で、翻弄した。国に命をささげた死者たちを靖国神社に祀る、参拝する、という形式次元の話ではない。
縁没者ひとりひとりの失われた人生に思いをいたさねばならなかったのに。近年の大震災の犠牲者に対するのと同じ敬虔さをもってである。

ぼくら日本人は、安倍首相をはじめとして、あの戦争の総括をおこたってきた。あまりに多くの戦没者たち300万人の悲惨な運命をリアルに実感してこなかった。
「硫黄島からの手紙」は、日本人俳優の出演する異色のハリウッド映画だが、日本側からみたリアルな戦場と銃後のギャップをするどくついている。クリントイーストウッドとスピルバーグが制作している。

アメリカの占領政策もあったろうが、あまりに無謀、無策な戦争の結果、日本の国民と日本が戦争に巻き込んだ国々がこうむった損害に眼をそむけてきた。なにかにかまけて、戦争責任という重い課題を先送りし、あえて正面から向き合おうとしてこなかった。
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戦争を知らない世代の少壮の日本現代史研究者が、つぎつぎにあらわれている。
ぼくたち戦争体験者が沈黙したままつぎつぎと世を去り、かろうじて焼却を免れた資料か、海外の公文書館に保存された資料の解読を通じて、客観的に日本が戦った軌跡を冷静に直視し解析しようとしている。成果に期待したいし、政府与党の国政指導者に学んでほしいと思う。学校で習っていないのだから。

吉田裕(一橋大学教授)は、日本ではいまだに「戦後」がおわっていないという。アメリカの歴史家グラックによれば、いずれの国も、「戦後」は50年代後半には終わり、日本ではいまだに長い戦後が続いていると指摘しているとも。戦争を体験していない世代の吉田教授は、戦争への想像力が欠けている現状に、危機感を感じると、このように述べている。
現在の日本社会では、戦争の現実、戦場の現実に対する「リアルな想像力」が急速に衰弱しているように感じる。知らず知らず、戦争をウオーゲームのような発想と感覚で戦争を観察し論評してきたのではないか。(岩波書店刊 シリーズ日本近現代史6から)

中学二年生が、いじめで飛び降り自殺したことが、マスコミで大きく報じられている。
国家が、国の未来を担うはずの中学生とどう向き合うのか。いじめもさることながら、最悪なのは、昭和前期ぼくらの時代のように、教育界あげて、少年を戦争にまきこむことだ。

夏が来ればくりかえし思い出す。
いまさら、ぼくはなにをいいたいのか。むかしのことを持ち出したい。
76年前の七月が、日本の運命を変えたことを忘れてはいけない。太平洋戦争の起きる4年前のことだ。
昭和12年の7月7日。中国盧溝橋で軍事衝突が起き、泥沼の日支事変がはじまった。宣戦布告もしないままに。

そもそも、当時、なぜ日本の軍隊が、他国の首都北京の郊外に駐屯し演習を行っていたのだろうか。中国軍とは一触即発のガス充満状態にあったのに。
76年前の盧溝橋での軍事トラブルがひきがねとなった。
そして、それから4年後の昭和16年太平洋戦争に突入した。あらためて、虚心坦懐に、歴史書をひも解いてかんがえてみたい。

投稿者 nansai : 14:22

2013年6月24日

六月二十四日
いいぞ、マートン! 起死回生のホームランや。(なに?ことしから飛ぶようになったボールのせいだと? うそやろ。)

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日本は、全く平和の国だなあ、と思う。笑えてくる。
ようやく沈静化したが、こんな多難な時期でも、突然飛ぶようになった野球のボールで、マスコミは大騒ぎだ。
ことしプロ野球でホームランが増えたのは、統一球になって飛ばなくなっていたボールが、なぜか、急に飛ぶようになったからだ。ボールを変えるのなら、密室でこそこそ決めるとは、けしからん。コミッショナーは責任をとれ。
大新聞の社説までが、とりあげた。
「この隠し球はアウトだ」

ウオールストリートジャーナルまでも、つぎのように、皮肉混じりに取り上げている。取り上げ方がおもしろい。
「東京市場が10%急落した夜、NHKは10分も費やして、このベースボールスキャンダルを報じた。」

横浜DeNAのトニーブランコ(32歳)は、四月に14本も本塁打した。日本のプロ野球では、これは、前代未聞の記録だ。おかしい、といぶかる声も聞こえた。
この時点でホームランは、昨年に比べて60%増えていたのだ。

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「ことしは、ボールがよく飛ぶ。打球の音と球のあがり具合いが違う。打球の速さも。」
と、四月には楽天のシマ捕手は、朝日新聞に取材されて答えている。
ネットでも「統一球」は廃止されたのか、の声があがっていた。

選手会の質問にも、なぜか、プロ野球機構は、なにも変わっていないと回答。
ひとのいいNHKの無難な報道は、ホームランがよく出ているのは「2011年に導入されたボールに強打者たちがなれてきたせいだ。」

そもそも「統一球」とは?
ぼくは知らなかったが、三年前、日本のプロ野球で、なぜ統一球の採用が決められたのか。ぼくなりに問題を整理すると、こうだ。
ボールの規格は、長い間バラバラで球団の暗黙の裁量にまかされていた。ならば、製造を一社にまとめ、統一しようということになったらしい。
もう一つ。オリンピックやWBCなど國際試合でも、選手がとまどわないような世界統一規格にしよう。ガラパゴス状態から抜け出そうとするのは、それ自体結構なことだ。

で、当時、決められた統一球は、WBCでも通用するように、つまり飛びすぎないように、ボールのコア部分に、あらたに低反発ゴム材を使用したという。統一球は、大リーグの公式球よりも、若干小さく軽い。球の縫い目の盛り上がりも低かった。

ところが、使用すると、予想外の事態が続いた。
ボールが、打っても、飛びがわるいのだ。

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たちまちホームランが激減して、僅差を争う投手戦が増えた。まったく気付かなかったが、統計でみると、2011年には本塁打数が前年の1605本から930本に激減した。どういうことか、統一球は、大リーグ使用球より飛ばなかったらしい。

ロースコアの試合は、よほどの野球通でなければ、退屈である。球場に向かう観客も減るだろう。

最初は、飛ばないのは、選手の打撃技術なのか、力不足なのか、変更の関係者には、原因がわからなかったのだろう。首をひねりながら、二シーズンが過ぎた。

認めたくはないが、どうも日本人選手の筋力では、このミズノ製の統一球では、遠くに、早く、飛ばせないことが判明してきた。ぼくの推測だが。

本塁打が出ないと、貧打戦では、観客は興奮しない。動員数が減ってしまう。愕然とした球団経営者側としては、これはいかん、商売にさしつかえると、日本選手が世界で戦う前に、目先の観客動員だ、となったのだろう。たぶん。
なんとかせねばという意見が、おそらくどこかの球団の一部から出されたにちがいない。察しがつく。

そもそも統一規格は、世界に伍して戦える日本野球のためにと、さだめられた。
それが、ホームランがでない、試合が盛り上がらないから、興行成績にひびくから、といって、いまさら統一球を廃止するとはいえない。ひっこみがつかない。世界で戦える日本野球という旗をおろすことになるからだ。
すぐさま統一球を廃止し、以前の飛ぶボールに戻すか、どうか。難しい決断だ。
プロ野球機構の立場からして、いったん制定した統一球を廃止することはむつかしかったのか。事務局がうろたえて独断で再変更できるはずはない。

しかし、背に腹は代えられない。
だから、一部関係者だけが密室で鳩首協議し、なんとかだれにも気づかれぬようボールの反発力を変えて、飛ぶように、メーカーに再設計変更の依頼をしたのだろう。それも極秘裏に。
うやむやのまま既成事実をまず作ろう、いかにもコソクというか、日本的な 御役所風のことのすすめかたではないか。
まずいことに、変更の有無については、製造元にぜったいに外部にもらさぬよう口止めした。

ところが、だれにもわかるまいと思ったのが、野球が職業のプロたちには、死活の問題だ。選手に気づかれて、ばれた。大騒ぎになった。マスコミも食いついてくる。
なぜ、変更を隠そうとしたのか、ふしぎだ。事務局とコミッショナーがつるしあげられた。ぼくには、犯人さがしと責任ととりかたはどうでもいいことだが。

ことし、ぼくら普通のノーテンキな阪神ファンは、大満足だった。優勝候補巨人に肉薄している。知らぬがホトケである。「統一球」も知らないし、ホームランが増えたことも気がつかなかった。
ことしはマートンもよう打つなあ。昨シーズンは、飛ばないボール対策でスイングをこわしてしまい、不振のどん底だった。立ち直って打撃開眼や。さすがだ、すなおに喜んでいた。

そもそも、ボールが飛ぶ飛ばないは、大リーグでも、日本でもかなり昔からの問題だったという。90年代大リーグでもガンガン、ホームランが出たのは、選手が禁止薬物ステロイドに頼ったということもあった。打撃成績は、選手の高額報酬の増減に直結するからだ。

いまさらいうてせんないことなのだが、もともと日本人は、体力にめぐまれているとはいえない。
体格、筋力のハンデキャップがある。
大リーグのハンクアーロンと王貞治を比べて、野球環境の違う本塁打の世界一を競うのには無理がある。

プロスポーツの流れとしては、サッカーのように、国籍にこだわらず、グローバルに人材を求めるようになるだろう。プロ野球も日本の場合は、限られた外人枠の範囲で、人材を求めざるを得ない。

さらに、出場選手の国籍にこだわるオリンピックやフィファ大会となると、まさにひいきのひきたおしの
愛国ゲームだ。スポーツのはずが、応援も国境紛争のように熱がはいる。

一方で、スポーツは、選手、観客を納得させ満足させるハンデのつけ方が重要だ。体力差にハンデを与えることが考慮にいれられればだが。
スポーツの世界は、ゴルフをはじめ、楽しく競うために、性別、年齢のほか、重量別などハンデをつけて、公平な競技条件を設定し無理な勝負を避ける知恵を出してきた。

かつては、甲子園球場にはラッキーゾーンが設けられていた。
高校野球は、育ち盛りの球児の体調を考慮して、ボールもバットも特別の仕様だ。

いうまでもなく、野球に限らず、プロスポーツは、興行というビジネスである。マーケテイングのノーハウを生かしてなんとか観客をひきつけ永続させねばならない。大きな権限を持つアメリカのプロ野球コミッショナーは、それが仕事だということだ。
さて、飛ぶボール、飛ばないボール。高校野球であれ、プロ野球であれ、どっちがいいか。
世界で共通するきまりか、ローカルな観客というコミュニティで受け入れらるきまりか。あくまでも日本の国籍にこだわる愛国型の競技か。
ものさしは、一つではない。
だからといって、なんとなく密室でこそこそ決めるのは、どうかと思うのだが。

投稿者 nansai : 13:59

2013年6月 6日

六月六日 羽根布団と恐竜とのつながりについて

早朝から近くの雑木林でやかましく鳥のさえずる声が聞こえてくる。さえずりは、英語でツイートのはずだが、「ツイッター」は、なぜか「つぶやき」と訳された。つぶやいてください、などとテレビでいわれると、へんな感じだ。日本語の「呟く」は、小さい声でぶつぶつ独り言をいうことだから、他人には聞こえないはず。ま、どうでもいいか。
「鳥インフル 羽毛高騰」
と、今日の朝日夕刊が、なぜかトップで報じていた。日本列島は、梅雨入りで、蒸し暑いのに。
そういえば、この冬も、ねこもしゃくしもダウン衣料の大流行だった。布団や防寒着に使われるダウンの原料は、アヒルやガチョウなどの水鳥の羽毛だ。中国では、鳥の羽毛は食用の副産物だが、これが、鳥インフルエンザの発生で生産量が激減して、価格が1.5倍にはねあがっているらしい。昨冬ダウンで大儲けしたユニクロは、手当てに大変だろう。


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たまたま、「鳥の先祖は、草食系恐竜か?」という記事が同じ新聞にのっていた。とれとれの新発見らしい。新種の化石が、中国遼寧省でみつかったそうだ。この地域は、一億三千年前の火山の大噴火で生物が大量絶滅したが、ポンペイのような状況になって奇跡的に化石が発見されつづけている。恐竜を絶滅させた隕石の大衝突をさかのぼること、7000万年も前だ。

ひるがえって、21世紀。せいぜい70年前の昭和前期の戦争の歴史認識で、いつまでも恨み骨髄の国と済んだことを水に流したい国と、あとにはひけないくらい、目くじら立てて、もめている。
日本の政治家は、アべさんをはじめ歴史認識が足りないと、国際的に眉をひそめさせている。この百年日本の周辺で何が起きたか、敗戦を忘れたのか、史実を学んでいないと、杖ともすがる同盟国アメリカからにも。

それにつけても、地球の歴史は、長いなあ。46億年か。テレビをみていると、学校の教科書で習わなかったことで、はじめていろんなことが説明できることがわかってきた。

あまりに「むかしむかし」で、「歴史認識」とは関係ないだろうが、羽毛つながりでいえば、ガチョウもアヒルも、スズメも鶯も、先祖は、恐竜ということになる。一部の恐竜が体毛に覆われ、羽根が生えて空を飛ぶようになった。羽毛恐竜の化石が、近年中国北部で次々に発見されて、学説が一変し今や常識だ。地球の歴史の流れの上に生物の命の連鎖がある。


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テレビやネットをみるだけで、地球の「歴史認識」は、老いた文科系のぼくの常識を、心地よく完膚なきまでこわしてくれる。ああ、何も学んでこなかったのだなあ。とても興味深い。(勤勉の才能にめぐまれていなかったおかげで、間違った教科書の勉強をさぼって、得をしたとも。いや理解できなかっただけなのだが)

最近ぼくは,本屋で2冊の「教科書」を買った。
新潮文庫の「三十八億年生物進化の旅(池田清彦著)253ページで、たったの460円。
もう一冊は、ベストセラーの「百三十七億年の物語 宇宙がはじまってから今日までの全歴史」クリストファーロイド著 文芸春秋刊 2990円。
おそらく入学試験には出ることのない内容だろう。

すべての恐竜が6500万年前に絶滅したわけではない。ある種は生き延びて、その子孫とぼくらは毎日会っている。鳥だ。
125年前に、古生物学者は、やっとそのつながりに
気付いた。鳥たちが、小型獣脚類の恐竜から進化したのは定説だが、色とりどりの羽毛恐竜の化石が中国遼寧省で続々発見されたのは、そんなにむかしのことではない。90年代にはいってからだ。
このたび一億2500万年前の地層から発見された新種は、体長約2?でくちばしが発達、歯のぎざぎざが食物繊維をかみ切るのに適していた。と、日中共同研究チームが発表した。
ネットには、さまざまの鳥の先祖のカラフルな想像図がのっている。名前はさっぱりおぼえられないが、ペイントで模写してみた。だれも見たことのない想像図だ。


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6500万年前の大隕石の衝突で、ほとんどの恐竜は滅びた。あの大惨事からせっかく生き延びたのに、鳥などの動物たちは、人間の手で絶滅に追いやられようとしている。アホウドリも、その例だ。
19世紀にはもともと1000万羽はいたらしいが、明治のころは、アホウドリを殺戮して羽毛をむしりとって羽根布団を、日本は輸出していた。かわいそうに今は絶滅寸前である。
ヒツジは毛を刈られても殺されないが、人を恐れなかったアホウドリは殺された。翼を広げると2?あって動作が鈍かった。
鳥の種類は一万種。せっかく生き残った恐竜の子孫が、近年絶滅に追いやられつつある。遅れて地球に登場した人間の業は深い。

投稿者 nansai : 13:16

2013年5月22日

五月二十二日
さいわいにも、戦争を知らず戦場に赴いたことのない人たちには、いま声をあげて読んでほしい詩集がある。とくに安部総理ほか、政治家諸氏に。

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もし私が蛇に生まれていたら
或いは私が限りなく青大将に近い人間であったなら
私は決して中国大陸へ向かう
輸送船になど乗らなかった
だって私は村の小川で泳ぐのは好きだけど
海を越えてよその国へ押し掛けるなんて
大それた気持ちには
一度としてなったことがないもの
井上俊夫「もし私が蛇に生まれていたら」から

五年前になくなった井上俊夫(1922―2008〕は、詩人でエッセイストである。1957年詩集「野にかかる虹」第七回H氏賞を受賞した。日本現代詩人会、日本の詩集2006で先達詩人として顕彰されている。
井上俊夫は、昭和17年に大阪の連隊に満20歳の現役兵として入隊、中支那の前線部隊に送り込まれ、4年間戦った。
詩集のほか、著作に、初めて人を殺す老日本兵の戦争論 2005(岩波現代文庫)

没後、なお、ネット上に彼の遺言とでもいうべきウエブサイト「浪速の詩人工房」(かもがわ出版)が墓碑のように残されている。
詩人は、サイトの冒頭で、いまも呼びかけている。
日中戦争(アジア、太平洋戦争)に従軍体験を持つ男のホームページ。
かの戦争とはなんだったのか。―と、詩とエッセーでもって問い続ける!)

「うわ、おう、うわおう、うらら!」
井上はこの詩を、ときに講演で朗読した。若者たちが従軍体験者の話に、激しく反発するのに、いらだっていたからだ。

この詩集は、戦場を知らない世代への、元日本軍兵士の遺書であり、世代を越えて、ぼくらが相続すべき財産である。そして後世に引き継ぐ責任がある。
これまであまり語られることのなかった中国大陸における日本軍兵士の過酷な実相が、詩人井上俊夫によって、切々と歌い上げられている

ぜひ、この人の詩集をネット上でひもといてほしい。
今生きている日本人のほとんどは、あの戦争を知らず,戦場に赴いた体験がない。本土決戦のための陣地構築には駆り出されたが、ぼくも戦場に立った経験はない。空腹で栄養失調の中学生であっても、15歳になれば、「国民義勇戦闘隊」に組み込まれるはずだったのだが。

投稿者 nansai : 14:13

2013年5月14日

五月十四日
竹槍と圧力がまと、大義の関係。

ぶっそう極まりない世の中になった。
大量殺人可能な武器を、ネットからの作り方を頼りに個人が自作できる時代がきている。ボストンマラソン爆弾事件で使用された爆弾は、どこでも販売されている家庭用圧力がまを利用して、ネットにのっている作り方に従って自作された。
最近もっとも警戒されているのは、話題の3Dプリンターだ。ネットから設計資料をダウンロードすれば、

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精巧な銃が自作できる、とテレビの海外ニュースでみた。(太平洋戦争末期の日本で、国体護持を大義としてかかげ、本土上陸に備えて、土壇場の大本営が白兵戦闘兵器のひとつにあげたのは、なんと竹槍だった。物資が不足しても、自作可能だ。)

そのような自作の爆弾・銃を、だれが、どのような理由で、大量殺人に用いるのか。
社会から落ちこぼれた精神不安定な偏執狂か、それとも、民族、部族、宗教宗派の紛争を死によって解決しようとする大義に殉じる若者たちか。民族や宗教がからむと、それぞれの大義が存在する。日本でも、昭和前期、満州事変以降、戦った「大義」を正当化しようとする動きが、にわかに与党自民党内で活発になっている。

二人の若者が、ボストンマラソンのゴール前で声援する見物客をねらって圧力釜利用の爆発物をしかけ、大惨事を引き起こした。幼児をふくむ死者三人、負傷者二百人。
全米を震撼させたテロ事件は、監視カメラ網が、雑踏のなかの犯人たちの姿をはっきりととらえていて、リストから意外に早く身元が割れた。
容疑者の若者は、チェチェンからの移民の兄弟で、数日後に、26歳の兄は射殺され19歳の弟は逮捕された。
当初の爆破計画は、七月の独立記念日に決行する予定だったらしい。おそろしいことに、殺傷力の強い圧力釜爆弾は、教わらなくてもネットの手引きで独学でつくれた。予想より意外に早く完成したので、四月のボストンマラソンで爆発させたらしい。
最初は、頻発する銃乱射事件のように、無差別に銃や刃物で、だれでもいいから殺したかった的な動機ともいえない衝動による犯行かと思った。

ボストンのばあいは、生き残った弟のしらべがすすむと、やはり、根底には民族のあいだの憎しみに絡む複雑な事情があるようだ。動機が、若い容疑者兄弟の民族の生い立ちに起因すると問題の根は深い。スターリン時代から、ロシアからチェチェン人が受けた差別弾圧は筆舌に尽くしがたいほどであった。

アメリカ社会にとけこんだとみられていたが、いつのまにか兄弟は洗脳されて「大義」にめざめ、イスラム教に改宗していたという。兄は南ロシアに旅行し、過激派の訓練をうけていたのではないかと疑われている。

チェチェンからアメリカに移住した兄弟は、素質に恵まれていながらも、社会になじめなかったとみられる。どこから、自身のルーツのチェチェンのロシアへの抗争の歴史を学んだのだろう。おそらくネットによる過激なイスラム布教活動に洗脳されたのか。では、標的がなぜロシアでなくて、アメリカなのか。

テロには、どこの国でも民族でも、それぞれの立場、境遇での「大義」がある。第三者には、理解し難い。
アラブ諸国、チベット、アイルランド。宗派間、民族間、階層間の憎しみは想像を越えて根深い。貧富の格差が根底にあるのだろう。アメリカをはじめ各地に、若者に呼び掛けイスラムへの帰属をうながす説教師の組織があるらしい。
宗教、それも宗派がからむと、イラン、イラク、ロシア、スコットランドのように、憎悪の火が消えることなく紛争が続く。
地球上には約一万の宗教があり、信者二十五万人以上の宗教は250を超えているという。貧困と出生率と宗教はつながっているといわれる。

容疑者の26歳の兄は、ロシアのふるさとを訪れた時、同志と会い、「ジハード」(聖戦)を胸に秘めていたらしい。かれらにしてみれば、ロシアと米国の中東政策に影響を与える構想だ。

大義を振りかざしての「聖戦」となると、ぼくのような年配者は太平洋戦争の末期状況を思い出す。大義は、東洋平和から、追い詰められて本土決戦へとなり、「国体護持」に変貌した。竹槍を振って一億玉砕も辞せず、万世一系の皇統を絶やさぬことが、日本民族の崇高な使命とされた。

大義も正義も信条も、時代と権力によってくるくる変容する。教育とプロパンダ次第である。
宗教、宗派をめぐる大義を掲げての抗争は、世界のみんなが富を分かち合い豊かになるまで続くだろう?いやいや、そんなあまいものではないかもしれぬ。
イスラエルとパレスチナ、トルコ、イラクなどアラブ諸国、チベット、スリランカ、紛争に通底する民族と宗教の衝突は、たんなる恨みの報復ではない。
従来割を食って貧困にあえいでいた民族、部族が、社会の一員として、公平な富の分配にあずかることができて豊かになれば、敬虔というよりは狂信的な宗教の勢力は弱まってゆくと信じたい。

「宗教は、ゆっくりと後退する」。と、2050年の世界を予測して、エコノミスト誌前編集長のアンソニー・ゴットリーブはいう。
経済発展により、人々は宗教を相対化する傾向にある。2050年には原理主義的勢力は退潮し、最終的に地球を受け継ぐのは無宗教の勢力だ、とゴットリーブは述べている。
たしかに、貧困が克服され、経済が発展しないと、原理主義どうしの狂信的な対立は続くのだろう。
原理主義ではなく、多様性を許す寛容。むつかしいことなのだ。海外の紛争のニュースを見るたびに思う。日本ではどうか。ぼくら戦争経験者からみれば、政治家の言動にはひやひやさせられる。

投稿者 nansai : 10:11

2013年4月22日

四月二十二日
造幣局の恒例「桜の通り抜け」が、無事終わった。

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世間の花見の季節がおわったころに、ふだんひっそりとしている独立行政法人造幣局の構内に、桜の道がえんえんとつづいている。粋な風景だ。
遅さくら352本のアーケードの下を、途切れることなく人の川が流れる。老若男女みな笑顔、少々騒がしいが、壮観だ。
天満橋をわたって造幣局の構内を通りぬけた善男善女の大行列は、今年も、のべ100万人を越えたのでなかろうか。明治16年にはじまって、太平洋戦争をのぞき、今年で127回目というから、戦災でなにもかも焼失した大阪に残る貴重な有形文化財だ。
たった一週間の公開だが、世界でもまれな八重桜の見本市だ。南門から北門までの約150メートルに、八重桜を中心とした130種が咲き誇る。
紅手毬、大手毬、子手毬、養老桜などは、よそではみられない珍種だそうな。人ごみに流されつつ、ひたすらカメラをのぞいているぼくには、見分けがつかないが。

独立行政法人が、花見を演出してくれるとは稀有でありがたいが、構内の桜を明治16年当時の局長遠藤僅助の発案で、市民に公開された。
以後、100年以上も長きにわたって、桜のアーケードを守り続けた先人の桜守にお礼をいいた。大正期の重工業発展時代、ばい煙により桜が枯死したり、戦時中の空襲ではかなりの被害をこうむったそうだ。桜受難のあいだ、造幣局の維持管理の努力には、あっぱれと誉めたたえたい。

戦後、補助金つきの地域振興プランが、死屍るいるいのさんたんたる結果しか残していない。造幣局の130年の桜という文化を保護し後世に引き継ごうとする姿勢を高く評価したい。おおきに。おおきに。
なにもかも官から民への時代だが、民間の企業が落ち目になれば、造幣局の桜の木は切り倒されていたかもしれない。

ぼくは、頼まれたわけではないが、英文のポスターをデザインしてみた。いまや大阪の名物キャラクターとなった「ビリケン」が、通り抜けの夜桜見物に空中浮揚とござい。
「通り抜け」、これを英語でなんというか。和英辞典にはのっていない。パスウエイか、アーケードか。

投稿者 nansai : 14:17

2013年2月28日

二月二十六日 あの「不祥事件」から、もう77年たってしまった。

77年前の今朝のことだ。夜半からはげしい吹雪に襲われた帝都東京で、陸軍によるクーデターが起きた。
大日本帝国の首都中枢部が、陸軍の反乱軍に占拠制圧されたのだ。

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号外は、「岡田首相即死す」。と報じたが、誤報だった。のちに終戦時の首相となった、鈴木貫太郎侍従長は、撃たれた血の海のなかで、とどめをさされず、一命を取り留めた。必死で命を救った夫人の声の録音が、最近発見され、NHK9時のニュースで放送された。
反乱軍は、大蔵大臣、内大臣、教育総監など、三人の高官を殺害し、警視庁、陸相鑑定、陸軍省、参謀本部などを占拠した  

「昭和維新断行、尊皇討奸」を掲げる、一部青年将校に指揮された1400名の兵士が、政治腐敗の元凶として首相など政府要人を襲った。いわゆる「二.二六事件」だ。 
先進国では、まれにみる「乱」であったが、当局は「不祥事件」として扱おうとした。

これに対し皇軍相撃をおそれた陸軍上層部の対応も、当初は「敵と見ず友軍となし」、軍相互の衝突をさけようとした。同調の気分もあり、当初は反乱軍と認定せず、あまつさえ首謀者の動機に義を認めるなどといい、動揺した。

とどのつまり、信頼する老臣を殺害された天皇の予想外のはげしい怒りに会い、青年将校たちの天皇親政のもくろみが消えた。、三日後には、戒厳令がしかれ、かろうじて内乱とならず、反乱軍として包囲鎮定された。
反乱責任者の処分は急スピードですすめられ、3月には特設軍法会議が開かれ、一審、弁護士なし、非公開で、7月には処刑された。

ここらあたりのいきさつは、ぼくもまったく不案内な現代史の盲点だった。ネットでウイキペディアをひらけば、客観性はともかく、事件のあらましの流れはわかる。
松本清張をはじめ関係者の多くの著書にも目を通していなかった。國體の明徴化など天皇制に対する距離感、関係者の歴史観の角度により、それぞれ解釈が微妙にタマムシ色に変わるのが、うっとおしかった。
このクーデターは、陸軍中央の内部の二つの流れの反目抗争に根差していたと後世の史家は分析している。これ以前にも、軍人によるテロが相次いでいた。
君側の奸を払い天皇親政を実現したい皇道派と、きたるべき総力戦にそなえ産軍共同体をもくろむ統制派とである。両派のあつれきはすさまじく、NHK大河ドラマの「八重の桜」で、尊王攘夷と開国といりみだれて戦った京でのテロのはげしさとむなしさと、重なってくる。
大日本帝国としては、しばらくは思い出したくも知られたくもない「不祥事件」として世をはばかるあしらいで、スピーディに一審で終わった軍法会議の資料も公開されなかった。


クーデターの前から、政府首脳を襲うテロは相次いでいたが、日本陸軍は.皇道派が壊滅して統制派を中心に一本化し、これを機にますます力を得た。
シビリアンコントロールは、ここに完全に失われた。
国会も政党政治は、軍部をおそれ無力化した。軍隊の不満が、テロのかたちで、いつどう暴発するかわからない、と世間が思い始めた。
今の中東諸国と同じ国内情勢だった。

最悪なのは、紛争不拡大を願う国や内閣、軍上層の方針と意向を差し置いて、判断を戦闘現場が下し行動する。それが暴走につながる「下克上」の状態におちいっていったことだ。現地軍がしかけた軍事衝突が、しだいに大きな戦争へつながっていった。現場を牛耳る幕僚が独自の判断で、軍の指揮をとる暴走。結果を上層部が追認するという、なさけない組織としてあるまじき流れとなった。これを「幕僚統帥」といったらしい。

そのまま日中戦争へ拡大し、1941年、今、誰が考えても勝ち目のない太平洋戦争に、国を上げて突入していった。国家組織のなかには、シビリアンコントロールという、重大な危険を察知するための正常な抑止メカニズムが機能していなかったのだ。フクシマと同じ状態だった。
あげくのはて国土は焦土と化し、日本国民300万人の尊い人命と海外資産のすべてを失ったのだ。

昭和天皇も回顧されているとおり、開戦時も終戦時も、決断にあたっては、軍部のテロを意識されていたことは間違いない。
ぼくは、さいきんNHKテレビの映像で歴史を学ぶことが多い。
NHKの特集番組は、これまで数度にわたって、この事件を鋭い仮説と発見された資料取材により掘り下げてきた。ぼくの知らなかった新事実と新見解で、不勉強なぼくの目からウロコのおちることしばしばである。

かえりみれば、1931年の「不祥事件」から1945年の敗戦までは、一本道だったといえなくもない。

投稿者 nansai : 10:27

2013年2月21日

二月二十一日 駅頭で一枚の張り紙を見過ごしてしまうところだった。

先月まで、地下鉄淀屋橋駅の柱に、小さなビラが貼ってあった。「お願い」とあるが、薄暗くて見えにくい。


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指名手配ではなく、淀屋橋駅長からのたづね人だ。ある女性を探していた。すこしでも目立つようにと、赤マジックでアンダーラインしてある。読んでみると、


お願い
平成24年12月15日(土)22時頃、
当駅でお客様への救命措置に際して、人
工呼吸のご協力をいただきました、女性
のお客様を探しています。
おかげさまで、そのお客様は無事
一命を取りとめることができました。
交通局として、改めてお礼を申し上
げたいと存じますので、お心当たり
の方は、駅長室までお申し出ください
ますよう、お願いいたします。 駅長


いい話だなあ、カメラにはおさめておいた。それで、あとどうなったか、気にはなっていた。年があけて先月、忘れかけていたころ、朝日新聞が、取材してくわしく取り上げた。見出しは、

「お礼を」恩人女性捜す。
人工呼吸 名乗らず去る

記事によると、昨年暮れに忘年会帰りの73歳の男性が心筋梗塞で心肺停止状態で倒れたが、若い女性のけんめいの人工呼吸のおかげで危うく一命を取り留めた。名も告げずに立ち去った女性にお礼が言いたいと探しているというものだ。

駅頭にそなえてあるAEDの電気ショックによる心臓マッサージは効かなかったらしい。きわめて危ない状態。その時一人の若い女性が救助の輪に加わった。
「嘔吐の痕にもひるまず、男性の口を自らの口で覆い、懸命に息を吹き込み続けた。」と記事は伝えている。
これは決断と勇気だ。なかなかできないことだ。その様子をみて、周りの乗客たちが手を貸し、意識を失った男性を囲み、声をかけ続けた。脈をはかるのに、秒針のある時計がいるという声に、クリスマスプレゼントの包装を破って新品の腕時計を差し出した男性もいた。

倒れて6分後に呼吸と脈がかすかに戻った。男性は意識不明のまま病院に搬送されたが、緊急手術を受け、意識を取り戻した。
男性は、順調に回復して新年は妻と娘とともに自宅で迎えることができたそうだ。
「見ず知らずの私に、ためらいもせず人工呼吸をしてくれた命の恩人」にあってお礼をいいたいと話しているという。
いじめ、体罰、殺人と、殺伐なニュースのあふれるきょうこのごろだが、これは、寒風にそよぐ一輪の花のようだ。淀屋橋駅を毎日利用しているぼくとしては、しみじみあたまがさがる。

その後女性の友人からテレビの番組に通報があったが、本人はあたりまえなことをしたまで、とインタビューを固辞したという。すがすがしい。
表彰状はあまりに形式的、通勤者のひとりとして、橋本市長にかわって、気持ちを込めて花を贈りたい。

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投稿者 nansai : 13:35

2013年2月19日

二月十九日 176年前のきょう、大阪で?

天保八年二月十九日夕方、八軒家浜から眺めると、対岸の天満が燃えている。
「大塩焼け」と後世に伝えられた大火となった。21日夜まで燃え続け、天満、船場、上町をほぼ全焼。市中の五分の一が焼失した。明治維新の30年前のことだ。

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この朝,大阪東町奉行所の元与力大塩平八郎は、自らの屋敷(現在の造幣局の一角にあった)に火を放って武装蜂起した。
世にいう「大塩の乱」だ。
天満橋をわたると、目と鼻の先の与力町に、大塩は住んでいたのに、ぼくはほとんど何も知らなかったが、NHKの「BS歴史館」がとりあげていた。


天保の飢饉に際し、陽明学者でもある大塩は、幕府役人と豪商の癒着の非をならして、救民の旗を掲げて決起した。「大塩の乱」の詳細は、大水都史「ドキュメント大塩平八郎の乱」をみてほしい。
大塩は、総勢300人で、大砲や火矢を打掛け、船場の豪商を襲い、奪いとった金銀を窮民に分け与える計画だったが、わずか半日で鎮圧された。
市街戦の武力衝突であえなく敗れた大塩たちは、混乱のさなか、ここ八軒家で同志十四名と落合い、船上から、天を焦がす大火を眺めたことだろう。横堀川から四ツ橋へむかい、燃え盛る大火に逃げ惑う群衆にまぎれてそれぞれに姿を消した。

のちに幕吏に襲われ無残な死をとげる大塩は、情報戦をしかけていた。決起の前に、建議書を、幕府要人、知人に送付した。幕閣を揺るがすだけの証拠をあげて糾弾したが、これは筋違いとして返送された。
陽明学者の大塩は心血を注いで、2000字に及ぶ決起の檄文を起草し、門弟たちと近郷の農民に配布した。機密を保持するために、版木を分けて彫らせた用意周到ぶりだった。
乱が鎮圧されても、檄文の趣旨に賛同する人たちの間ではひそかに筆写された。寺子屋の手習いの手本にもつかわれたという。
天明の大飢饉にあえぐ幕藩体制下で、上層部の不正を、元地方公務員が、大阪から立ち上がりただそうとした。大塩の乱は、30年後の明治維新への引き金として評価されている。
大塩平八郎ほどの頭脳が、平成のいまのようにデジタルのメディアを駆使活用できたとしたら、どうなっただろう。「アラブの春」以上の成果はあがったのではないか。

投稿者 nansai : 11:30

2013年1月28日

一月二十八日 あ、この人も。
昭和が貧しく元気だったころの人たちのこと。

朝刊の死亡欄に目を通すのが日課となった。あ、この人もか、同世代の有名文化人の名が出ている。
同世代の訃報は、昭和が貧しく、あわただしく、元気だったころを思い起こさせる。昨今は、棺を覆っても、人の真の値打ちはわからないものだが。
小沢昭一、鳥居民。惜しい人たちだ。後世に残すべき仕事をかかえていた。

先日なくなった翻訳家の常磐新平氏は、ぼくと同年輩だ。

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ニューヨークに魅せられ、アメリカ現代文学を紹介した。マフィアの研究家としても知られている。
訳書の「大雪のニューヨークを歩くには」(スティーブンソン ちくま文庫)が、ぼくの本棚にあった。
70年代に、ニューヨークの街頭風景を描いたイラスト入りエッセー、こんな軽快な絵入りの文章をまねしたいと思った。もちろん日本語でだが。
当時、常盤氏は、あの小粋でハイブロウな「ニューヨーカー」誌をわざわざ取り寄せ、ほれこんだコラムを紹介していた。ぼくの英文読解力ではとても歯の立たない洗練された都会派の文章だった。

あれほどの訳書を多数残しながら、実は英語をしゃべるのは苦手だった。
ある編集者とニューヨークに取材旅行にでかけたが、常盤氏は、なぜかほとんどしゃべらない。理由をたずねると、「英語が話せれば翻訳家などやっていませんよ。」と答えたそうだ。週刊朝日の「追悼とっておきの話」から。いい話だなあ。ぼくも意を強くした。

ぼくは熱心な愛読者ではなかったが、「そうではあるが上を向いて」など、エッセーなど読んで、面識はないが、なぜか共感するところがあった。戦争に負け日本が貧しかった時代の同世代だからだ。

終戦後、米軍占領下の田舎の都市で、ぼくとおなじように少年期を送り、進駐軍のトラックに乗って兵舎の掃除などアルバイトをした。
手のひらを返すというか、長いものにまかれるというか、何のふしぎもなく、軍国少年だったぼくらはアメリカ文化に反発するどころか順応し、映画やLPや読めもしないペーパーバックに親しみを感じ、あこがれるようになった。ぼくの下手な英語好きは、このころに端を発している。
常盤氏は、昭和30年ごろ、コンサイス英和辞典を、左手に持って、毎日何十回もひいたそうだ。辞書を左手に持ち続けるのがすごい。半年もたつとページがばらばらになってしまう。なかなかできることではない。電子辞書なんかない時代、そうしてプロの翻訳家となった実力がつちかわれたのだろう。

「本が好きなのは、私が本のない時代に育ったからだろう」とも。ぼくも同感である。
かれも、はるばる地方から大都会に出て職につき、安らぎと緊張を与えてくれる東京やニューヨークの魅力にとりつかれた。
いまの若い人は自由に英語がしゃべれて海外へも簡単に飛べる。昭和30年代の当時は、難関のフルブライト試験に合格しない限り、海外渡航など、とんでもないという時代だった。常盤氏は、当初は、本を読めばすべてがわかるとおもっていたという。ニューヨークを実際におとずれるまでは。

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デジタルになじめなかったという常盤新平氏が、いま丸善やイエナを訪れなくても、巨大書店アマゾンなら、読みたい(読めなくても)洋書が数秒でダウンロードできるのを、どう感じるだろうか。
昭和30年代に、店頭でライフなど洋雑誌を手に取ったときのときめきは消えた。晩年は、時代小説のほうがいい、ともらしている。かれが、半世紀前、あれほどあこがれたニューヨークはもうなくなったと、誰かがツイッターに書き込んでいた。

この年齢だがぼく自身は、電子書籍時代のグローバルな到来を、オーバーに言えば、小躍りして迎えている。敗戦後本のすくない少年時代に読み物に飢えて育ったからだ。
幕末の適塾では、俊英揃いの塾生たちは、一冊しかない和蘭語の辞書を争って、筆写したという。
デジタル時代のいまは、夢のようだ。入手し難い高価な洋書もワンクリックで、即、ダウンロードできる。電子辞書さえひけば、老いて耄碌した凡才でも、なんとか本の内容を味わうとすることができる。

「遠いアメリカ」で常盤新平氏は直木賞をとったのだが、ネットでみると、東京で、熱帯雨林のような出版界を生き抜くには、濃密な師弟交友関係の一員としてかずかずの修羅場もくぐらねばならなかったようだ。著作を、ジュンク堂書店のパソコンでサーチしてみたが、すべて絶版だった。

投稿者 nansai : 14:20

2013年1月 7日

一月一日 
何となく今年は良いことあるごとし
元日の朝晴れて風なし    啄木

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あけましておめでとうございます。

賀状のアイデアをひねくりまわすまではいっしょうけんめいだが、あて名書きでへたってしまう。恒例のぼくのとちりで、誤配されそうになって舞戻ったり、親しい大事な友人に出し忘れたり。ま、いいかではすまないだろう。

啄木の新年の歌は、すがすがしい。
これまで、どんなに厳しい新年でも、ほっとさせられてきた。何となく良いことが望めそうな気がしてくるからだ。なんとかなりそうな。
今年は、いつになく松の内は、好天に恵まれた。
といっても、日本列島も、ここ大阪近辺だけのことだが。
内閣が変わると、為替と株があがったので、マスコミが手のひらをかえすように、はしやいでいる。
大丈夫なのか。風がどう変わるかわからないのに。
愛用のウインドウズXPがついに歳末に成仏し、7に切り替えた。
7では、お絵かき用「ペイント」の使い勝手がなじめなくて、うろうろ、おたおたしている。まだなれるまでしばらくかかりそうだ。そのうち、新機能を生かして、新手法を披露したい。

投稿者 nansai : 15:18

2012年12月26日

十二月二十六日
雨中の青年のとっさの善意、ただただ、ありがたく。

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師走も押し詰まった先週金曜日の夕方、暗くなってから雨が降り出した。あいにく傘はない。会合へ急ぐぼくは、来ないタクシーを探して、雨の中、交差点で、両手に荷物をもったまま、あせってうろうろしていた。老いたぬれねずみにみえたのか、突然、一人の青年が、これどうぞと、折り畳みの傘をさしだしてくれた。
ビニール傘ではない黒い布製の折り畳み傘だ。
驚いて「いいんですか」ときいたのだが、青年は、そのまま立ち去ってしまった。一瞬のことで、暗くて顔もよくみえない。
雨の中助かりました。ありがとう。
来たタクシーに飛び乗ってそのままになっている。
傘には、MICHIKO LONDONとある。お礼を言いたいが、傘を返そうにも、だれかもわからない。
惻隠の情というか。平成の世に、あんな青年もいるのだなあ。申し訳ないが、老いては、善意にあまえることにした。

投稿者 nansai : 11:32

2012年12月12日

十二月十二日
巳年の年賀状は、描きにくい。へびはきらいですか。

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いたしかたないことながら、年々、ぼくが年賀状を出す先が減ってきている。だが、このあまのじゃく絵巻では、出す宛もなく、頼まれもしないのに、干支のけものたちを手際よく料理するのが、恒例(ぼくが勝手に決めた)となっている。


自称絵巻なのに、マウスで描いた絵が話題になることはないのだが、年末の年賀はがきだけは、少なくとも数人から、正確には4人だが、まだかと催促される。
ひねり技のアイデアは泉のように湧いて出て枯れることはないと自負していたのだが― 。

ところが、来年は勝手が違う。十二年に一回の巳年が回ってくるからだ。
だれもがキモチ悪がるヘビがスターとあって、おめでたい年賀状に起用する場合、慎重を要する。取り扱い注意である。
で、いつになくエンジンのかかりがおそく、車輪が空転しながらも、二三、ご披露に及ぶことに。巳年のスターは、蛇蝎のごとく差別してあしらわれ、じつに気の毒だ。

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よって、獅子舞の向こうを張って、縁起がよくお金の貯まる蛇舞という趣向は、どうだろう。なにぶん胴が長いので中に四五人がはいらねば。


鏡餅は、蛇のとぐろを巻いた姿に由来するとウイキに珍説がのっていた。瑞祥といわれる白蛇をあしらってみた。



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そういえば、ネットで調べると、全国に白蛇を祭った神社が、あるはあるは、数多く存在する。お金儲けに霊験あらたかとあってか、いずれも商魂たくましくお守りなどを通販販売している。
アマゾンで扱っている金運祈祷お守りつき白蛇神社財布は在庫切れだ。


蛇はもともと脚が4本あったが、進化の結果いまは痕がおなかに残っているだけという。
べっぴんさんの蛇を登場させよう。蛇だって、ご先祖のように脚さえあれば、流行のブーツはいてお宮参りへ新春の町をかっぽしたいではないか。

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故事にいう「蛇足」は、わざわざよけいなことをしてしまうの意。意見を述べるとき、謙遜の意味をこめて「蛇足ではございますが」という。
まさに、この絵巻のようなものだ。出典は、中国の古典「戦国策」。説明すると長くなるので、ウイキペディアにリンクしておいた。

つぎ、これもヘビである。帽子のようにみえるが、帽子ではない。

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この絵は、サン テグジュペリの「星の王子様」の最初にでてくるお話。作者が6歳のころ描いたのだが、なにを描いたのか、「こわいだろう」ときいても、だれも理解してくれなかった。
大人たちから、帽子だろ、こわいもんか、といわれ傷ついて、絵描きになるのをあきらめたと作者はいう。
じつは、これは大蛇のつもりなのだ。

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少年が二番目に描いた絵。
なんと、寝そべっている大蛇のおなかが透けてみえる。なかに丸呑みにされたゾウが立っている。少年は、この絵を描いて説明したが、大人はだれもほめてくれなかった。少年は、ひどく傷ついた。
ともあれ、「星の王子さま」の作者の幼いころのとほうもない発想力に脱帽である。(創作にしても)
しかし、エスプリあふれるこのストーリーを、巳年の年賀状に、どうとりこんだらいいものか。
したり顔でくどくど由来を説明しようとすると、それこそ、ださい「蛇足」になってしまうのだ。


XPがつぶれた。大変だ。
最近になって長年愛用していたXPがついにつぶれてしまい、大あわてで不なれな7(新顔8は、まだこわいので)にスイッチした。
超初心者むけのはずのお絵かきのペイントでも、おたおた、うろうろ、こんなに勝手が違う、とは意外だった。
7では、筆先のバリエーションはふえたので、年賀向きに、すこしでも感じのいいヘビを描いてみた。

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こころは、すべて世の中まるくなれ。

物の言いにくい世の中になったが、日中関係も、円満解決を願うものだ。
戦前、戦中を生き残ったぼくらは、時代の風に乗った国威発揚スローガンは、佃煮にするほど聞かされてきた。振り返れば、残るのは、むなしさだけだ。先日亡くなった小沢正一さんも、心配されていた。

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投稿者 nansai : 14:43

2012年11月13日

十一月十三日 明治の大阪の街では、人力車が最先端の乗り物だった。排ガスゼロ。燃費ゼロだったが。

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人力車には乗ったことがない。こどものころ、お医者さんが往診で乗っていたかすかな記憶がある。

昔の大阪で人力車といえば、「ベンゲットの他あやん」こと、老いた佐渡島他吉が、あとから追いかける幼い孫娘を気遣いながら、梶棒を押し大阪の街を走る、あの場面が浮かぶ。舞台は、人力車がすでに衰退していた昭和15年ごろ戦時中の大阪だ。織田作之助原作「わが町」を森繁久彌をはじめ幾多の名優が、映画に、舞台に、演じた。

明治の始め、掘割の街を人力車と巡航船が往来していたと「大阪市営交通90年のあゆみ」にある。
当時人力車は、文明の利器、時代の先端をゆく交通手段で、日露戦争前の明治35年ごろまで、人々の足になった。
駕籠にかわり西洋馬車をヒントにして発明されたといわれる。
人力車は、木製の車輪に鉄板を巻き、軒を接する狭い街路を疾走した。『ガラガラ』と呼ばれて、石ころ混じりの道を走る。さぞすごい音だったろう。
明治2年に東京に出現、半年後には大阪にお目見えした。明治4年には,高麗橋一丁目に開業した。
鉄道は次々に開通したが、市内を走る大阪市民の日常の足ではなかった。


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人力車は、なぜそれほどの人気を得たか。
それまでの駕籠にくらべて早くて乗り心地がいいと大評判となったそうだ。街の交通の要所や花柳街には人力車の店舗が置かれるようになった。
明治28年には、大阪府下で一万台を突破。最盛期には2万台に達したという。
当時の錦絵をみると、梅田停車場の前はずらりと客待ちの人力車が勢ぞろいしている。今のタクシー乗り場のようだ。


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雇用にも寄与した。
からだが丈夫で自分の足と車さえあれば、すぐに商売になり、燃料もえさ代も運転免許も必要ないとあって、曳き手の車夫も急激に増加した。
来日したアインシュタインは、人力車を用意されたが、非人道的労働なので自分は乗れない、と断ったというエピソードがある。事実だろうか。


日清戦争後の不況のどん底にあった大阪は、明治36年に第5回内国勧業博覧会を開催。後年の万博のように、なんと530万人を誘致した。
大成功だったが、未曾有の観衆をさばかねばならない交通事情は、新しい時代へ向かう。


チャンス到来とばかり、人力車は、せっかく公認を受け、集められた2千人の車夫はいっせいに赤い帽子をかぶったのに、開幕1週間後に、白い船体の巡航船が客を満載して走り出した。
巡航船は、定員30人乗り。石油原動機の音から、ぽんぽん船と呼ばれ、大阪の格子のような堀や川を利用して人気を得た。
通天閣の下あたりにつくと、目の前はもう博覧会場という便利さ。全区間乗っても二銭。乗り心地よく、料金は人力車の半分以下だから、瞬く間に人力車の客を奪った。客を奪われた車夫は怒り、暴動となった。
以降、人力車は急劇に落ち込む。

しかし、そのぽんぽん船も、明治42年から市電がデビューして、開業十年で姿を消した。

まもなく、市バス、地下鉄が大阪の足になるのだが、市場原理とはいえ、なんともすさまじい大阪の交通近代化だった。牛に引かれて地下鉄の車両がはこばれてゆく写真が「大阪市営交通90年のあゆみ」にのせられている。

投稿者 nansai : 15:04

2012年11月 5日

十一月五日
ばーさん、じーさん、おめでとうございます。ついに電子出版へ。7年間こつこつ撮り書き綴った2人3脚の料理写真ブログ。すごいことです。

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主婦たちに人気のブログ「ばーさんがじーさんに 作る食卓」が、このたび電子書籍化された。うれしいことだ。これからの電子出版のさきがけになるだろう。

じーさんのためにばーさんのつくる、カロリー計算の制限付きの食事をおいしくとアイデアと愛情いっぱいの献立を、じーさんがカメラで撮り、ばーさんの日々のストーリーを口述して綴られたブログである。
電子書籍化されると、紙の本なら400ページのボリュームだとか。ブログに掲載された写真、文章におさめられ、料理本には不可欠の索引がついている。この内容はむしろ電子版にぴったりだ。作者夫妻の好意により、電子版第一巻は無料である。

このブログは、すでにクロワッサン誌に紹介され、出版もされて、世代を超えて数多くの愛読者、ファンに支持されているが、このような共感を呼ぶ心温まるストーリーが、どんどん電子出版されるだろう。
スマホやタブレット、パソコンがあれば、電子版は、台所や食卓やこたつの上で、通勤の車中で、旅先で、海外でも、どこにでも持ち歩け、読める。書店で棚をさがさなくても、あっという間にダウンロードして読める時代がきた。
要するに、内容しだいだ。知りたい、読みたい、参照したい、という読者の願いがあれば、紙の本もスマホもタブレットもない。「ばーさんがじーさんに」(電子版)はいつまでもダウンロードされ続けるだろう。今の返本制度では、書店の棚には、長くおいてもらえないから。

作者ご夫妻は、昔から存じ上げている。仕事仲間と言うよりは、恩人のひとりだった。写真でみると、いまは隠れ里に隠棲する仙人のような風貌にお見受けするが、若き日のじーさんは、腕利きの天才アーチストで、博覧強記のアイデアマンだった。

電子化は、二人のフリー編集者がたちあげた電子出版社の第一号版となるという。大組織の出版社でなくても、すぐれたコンテンツさえあれば、すぐに電子出版の手続きに入り、印刷、在庫、流通の必要な出版ほどリスクをおわずに、世に問うことができるのだ。
だれもが出版者になれる。ダウンロードでベストセラーの時代が来た。

投稿者 nansai : 15:38

2012年11月 2日

十一月二日 この絵巻、とうとう500本になりました。
日本語の文章は、やはり縦組みでなければ、と願いつつ。

このようなブログの平均寿命は、どのくらいだろう。案外短命ではないかと思う。普通の日記なら、毎年、毎日、書き継ぐのが当たり前だ。几帳面でないと続かない。

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無精なぼくが書く絵巻は、おどろいたことに今度で500本目になる。やすみやすみ、とぎれとぎれなので、正確にはちょっとあやしいが。
文章や絵を描くことは、表現によって自分をたしかめる行為だ。ふと気がついたり、つれづれなるままに思うことがあって、文章を縦書きにしマウスで描いた絵を添えて、巻き物のように、画面を横に横にと、書きすすめていった。
それが、いつの間にか、500本に達した。長さ何メートルになるだろうか。天満橋は越えたはずである。

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今の世の中と言っても、全世界の同時多発問題が、いっせいに脈絡なく発信されている。国内の問題も、短い新聞やテレビ解説で、一部を知るだけだ。それも、殺人事件や事故報道が優先される。
議論も極端から極端へ対立し、ぼくのような年老いた穏健派は、のまれて立ちすくむだけである。
しかし、かつて戦争という人類の愚挙とその後を歴史として体験した一人として、ああ、この道はいつかきた道だ、また懲りずに同じ事をはじめるのか、と感ずることを自分なりにまとめてみたいときがある。いうてせんないこと。どうにもなるわけでないが。
ちょっと待てよ、その意見はどうも違う、うまくは説明できないのだが、そんなことどもを書き付けておきたい。まったくそのとおりだ、意表をつかれた、わが意を得た、という場合も。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。
ぼくは賢者の見解を受けいれて、自分の考えに織り込みたい。ぼくは自分の体験を証言者として重んじるが、ネットを探索すれば、いまは愚者も歴史の真実に接することが可能になった。歴史資料がぞくぞく発見されている。
こんな絵巻ではあるが、なにをかくそう、りっぱな大義名分がある。

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それは、いま横組み全盛の世のウエブに、日本伝統の縦書き文章をあえて持ち込むことだ。
ウエブのうえでの日本語文章の縦直しだ。現在ネット上で縦組みは、ほとんど見当たらない。
ところが 意外にも、売りだされた最新のタブレットにも、日本語文章の縦組みのレイアウトはおあつらえむき、じつに読みやすい。
日本語の文章が、ウエブ上で縦組みで読めないのはおかしい、とずっと前から、ぼくは怒っていた。横組みにすると、内容が深くても、文字量が多いと読めないと、敬遠されるのを残念におもっていた。

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ウェブでも、日本語を縦書きして読もう、文章によっては横書きは、日本語のせっかくの味わい、趣きを殺してしまう。なじまない。飛ばし読みしにくいという致命的な問題があるのに、あまり問題にされないのはおかしい。
先日亡くなった丸谷才一さんも同意見だった。大新聞の横組みの試みは、あれは新聞の本分の読みやすさに背を向けた背信行為だと思うのだが。

ブログを使ってこの縦組みのかたちを構築してくれた方々に感謝したい。本邦初の快挙なのだ。
ぼくとしては、遊園地のお猿の電車の線路を敷いてくれた人たちに、こころからありがとう、をいわねばならない。
中野さん(故人)、倉内さん、杉村さん、スカイアークさん、お世話になりました。
運転手の猿は敷かれた線路をぐるぐると、気楽に気まぐれに運転させてもらっている。
電子出版元年のことしから、読みやすい縦書きが注目されるはず、おもしろくなってほしいものだ。

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もうひとつの続けられた動機は、マウスで描く絵だ。
さし絵と文章、そのすりあわせに興味があった。
ストーリーのスジを、あれこれ考えるのは川柳、短歌、俳句とおなじだ。
なにせテーマが思いつきでばらばらなので、追っかける絵が思いつけず、あたふたするのがおもしろい。
やっと思いつくと、手を動かして、まず、マウスでたどたどしく描く。たどたどしくしか描けない。それを長年かかって少し覚えたワザで、塗りつぶしたり、拡大したり、ゆがめたり、色を変えたり。さっと消したり。だんだん絵にみえてくるからふしぎだ。

投稿者 nansai : 10:25

2012年10月29日

十月二十九日 いってらっしゃい。皆既日食観測隊

友人たちが、はるばるオーストラリアまで、生涯忘れられない経験を求めて、皆既日食を見にゆくという。十一月十四日6時38分から2分間のドラマが、その瞬間だ。
日食の魅力に、やみつきになって、追っかけをしている人が、世界中にいるときいた。現地のホテルも満杯らしい。

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記念のTシャツをつくりたいというから、お安いご用だ、マウスで絵を描いてプレゼントした。
オーストラリアも皆既日食も、ぼくはみたことはないが、ごまんとあるグーグルの写真からイメージを拝借した。西も東もわからないのだが、短絡すれば、オーストラリアといえば、コアラだ。
皆既日食で、空がにわかにかき曇り真っ暗になる。
おびえてお母さんにしがみついているコアラの赤ちゃんを描いてみた。限定6枚のTシャツだが、現地にコアラ親子が棲息しているかどうかは調査不足だ。
皆既日食の間は、コロナと呼ばれる太陽の外層大気がみえるだけ。暗闇に炎の輪がゆらぐ。きれいだろうなあ。
月が通りすぎて太陽が再び姿をあらわす頃になると、コロナ環の頂点に、有名な「ダイヤモンドリング」がかがやくのだそうな。このハイライトは、勉強不足で描きそこねた。

10億年後には、月と地球の距離は今より大きく離れるから、皆既日食は起こらなくなるらしい。見るのならいまのうちだ。以上、ナショナルジオグラフィックから。

当日は雨の降らないことを祈ろう。
まぶしいダイヤモンドリングを、ぼくは、北半球からテレビでウオッチということになる。パナソニックは、太陽電池パネルとリチュームイオン電池で発電、蓄電した電力を使い世界にライブ中継するらしい。

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投稿者 nansai : 14:30

2012年10月22日

十月二十二日 
「たそがれコンサート」は、この秋も盛会でした

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この秋も、近くの小さな公園で野外コンサートがひらかれた。つまらないことで、世界も政界も殺気だっているのに、この一角だけは平和である。
秋の日はつるべ落とし、あたりがたちまち暗くなる。猫のひたいのような公園の狭い一角にテントをはって、楽器の音合わせがはじまり、照明に灯がはいると,がぜんコンサート会場にみえて気持ちがたかぶるのがふしぎだ。
演目はポスターを見て欲しいが、トップバッターというか、恒例の前座は、ちょいワルおじさんトリオ。イタリア民謡カタリ・カタリで幕開け。テナー、バリトン、ものすごい声量でカンツオーネやオペラを朗々と歌う。拍手喝采。平均年齢80歳に近いときいて腰を抜かす人も。
あのように胸やおなかをふくらませて歌うためにはからだ全体が楽器でなくてはならんそうだ。皆さん若い頃から天分はあったのだが、たゆまぬ練習が必要。
定年後は、トリオをくんでボランティアで病院や施設を回っている。年に一回は家族帯同してヨーロッパ遠征して、片田舎の教会で歌うそうだ。いつでも声をかけてくださいとのこと。理想の第二の人生だ。ここに描いた満月をバックに朗々と歌うウサギさんは、年をかんじさせないのがすごい。

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ぼくもあやかりたいが、はやばやと小学二年生で音楽から脱落して、以後オンチのままだ。
コンサートは、無事、盛会裏に終了。よかった。

都心の盛り場をはずれると、大阪の夜が人通りが減りさみしくなっているときく。建築家の安藤さんの説では、大阪のオトコどもは散歩をしないからだと。御堂筋などの閑散ぶりはまさにそうだ。
古い錦絵をみると、八軒家、高麗橋、天神橋、天満橋、なにわ橋かいわいのにぎやかなこと。
北大江公園のちかくは、学校やオフイスが姿を消し、次々に中小マンションがたちならんでゆく。弁当屋さんと整骨院が軒を連ねる。時代に流され、商売もかわってゆくのだ。ここに住む人、通う人それぞれの生活がある。
そんなひとたちの気軽に、ということは、安く、集まる場がほしい。コンサートだけにかぎらず、こんなささやかな集いがあちこちで開けるといいと思う。
飲んだり食べたりだべったりできれば、なおいいが、市の公園ではそれは無理だが。

たそがれコンサートに関わった皆さんごくろうさまでした。おつかれさま。


投稿者 nansai : 14:36

2012年10月10日

十月十日 ごくろうさん、金本。ようやったで、今岡も。

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山中教授のノーベル賞受賞で湧きかえった昨夜、鉄人は甲子園球場でバットを置いた。
「野球の神様ありがとうございました!、」と金本選手が満員の甲子園のファンの前で絶叫し、手を振ってダイアモンドを一周して、引退セレモニーは終わった。さすがに和田監督のあいさつはなかった。
さしもの金本も晩年のこの3年間は低迷して、ファンからもきついヤジも浴び、不本意だったろうが。
首位と30ゲーム引き離されて、負けても負けても、球場が満杯になる、タイガースは、ふしぎなチームだ。
しかし、これからは、そうはゆかない。有名ベテランにおんぶして補強育成を怠ったツケが待っている。阪神は、長い暗黒時代へ突入することになるだろう。5年は続くだろうという声も。

数日前、去りゆく金本選手を惜しむスポーツ紙の大見出し記事の裏面に、ひっそりと一人の打者の引退会見が報じられた。

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往年の阪神の主軸打者今岡誠選手(ロッテ)だ。
いま甲子園を埋め尽くしている若いファンは、この天才打者を知らない人も多いだろう。

山あり谷ありの濃い野球人生だったと、今岡は会見で述懐している。タイガースでの現役絶頂期は短かく、谷は深かった。
当時の野村監督を歯ぎしりさせたマイペース、くろうと好みの巧みなバットコントロールは文字通りの天才打者だった。
1997年ドラフト1位で入団、やがて頭角をあらわして2004年には阪神の3番打者に抜擢され、打率306、28本塁打、83打点を上げ、選手会会長に推された。
今岡はテレビでしか見ないぼくのごひいき選手だった。(ここに描いたカットは、阪神在籍当時のもの)その後死球による腱鞘炎には勝てず、自在だったバットコントロールがままならなくなる。天才も一転して長い打撃不振におちいった。そのまま打力回復ならず、ついに2009年には阪神を無念の戦力外退団となった。

しかし、今岡は野球への夢捨てきれず、エリートのプライドをかなぐり捨てた。すごい執念だ。
参加したトライアウトで興味を示したロッテに歯をくいしばってテスト生として合格。入団して、代打やDHに起用された。打棒の復活ならず出場の機会は少なかったが、時に交流戦など大一番で結果を出したこともあった。
ことしも試合の出場はかなわなかったが、コーチ兼任し若手を教える手ごたえとよろこびをつかんだという。逆境の三年間多くの人と出会い生涯の財産となった。
吹っ切れた感じで、涙、涙ではなく、前を向いて引退の記者会見に臨んでいた。
山があって、谷があった。これからの野球人生は指導者として頭角を現わしてほしいと願わずにはいられない。ごくろうさん。がんばれよ。

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天国と地獄をみた阪神時代に今岡の上げた、かくかくたる戦果は、振り返れば、はんぱではない。
首位打者一回、打点王一回、ベストナイン3回、ゴールデンクラブ賞一回、シーズン打点147、初回先頭打者初球本塁打5本、オールスター出場5回、オールスターファン投票年間得票数1588712票。

いま、こんな選手がいてくれたらなあ。つい、ぐちになる。

苦労して育てるよりはすぐ勝ちたい。懲りない球団は、またぞろ、大枚を積んで、大リーグ落ちの元有名選手を物色し始めた。ああ、その道はいつか来た道、なのに。

投稿者 nansai : 11:27

2012年9月28日

九月二十八日 「電車で化粧はやめなはれ」は
オンチのぼくが推す名曲?である。 
歌って踊れる川柳か。

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「0655」という朝7時前のNHKの5分間番組。「電車で化粧はやめなはれ」をブラマヨの二人が歌う。これが、会心のぼてぼてヒットだ。歌詞がいいとこついている。歌って踊れる社会提言ソングだそうな。
電車内で、人目もはばからず、口紅塗ったりアイラインひいたりするさまを軽快に揶揄している。もう十分、早起きして、もっと美人になりなはれ、素敵なレデーになりなはれ、そしてしあわせになりなはれ。と続くのだが、反発を予想してのNHKらしい蛇足だろう。

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九月でおしまいだが、まだユーチューブでみれる。ブラックマヨネーズのおっさんたちが大柄なおばさんに扮してふぞろいなステップを踏みながら歌う。歌詞の内容は痛烈だが、京都弁?なのであたりがやわらかい。関西のどぎついおばさんでないところがうまく計算されている。

ネットあけてみると、結構ファンがいる、いる。「いい曲すぎて頭からはなれない」、」紅白に出せ」とか声援が飛んでいる。もちろん、電車の化粧?どこがわるい、というへそ曲がりも。

毎朝午前7時直前の「0655」は、NHKEテレ自信の5分番組だ。一流をそろえたスタッフもかなりキアイがはいっている。頭を使うインテリネタには高齢者はついていけないが。
「我輩はイヌ」、「おれネコ」など、どうってことない犬、猫のへたくそ写真がとぼけた音楽にのって登場するのが好きで見ていた。

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オンチのぼくのいちばん好みなのは、「toitoitoi」というドイツのわらべうた。きょういいことがあるように、とデーモン閣下が歌う。
この朝の5分ショーは、いま全盛のリアクションお笑いのつぎ、次世代NHKのセンスとユーモアがうまれようとしているのか、そこがいい。コマーシャルぬきが助かる。何の役にもたたないが、たのしみだ。

投稿者 nansai : 14:05

2012年9月24日

九月二十四日 トラよ、来年はアタマを使おう。

傷心のタイガース。いまさら聞いてせんないことながら、いったいどうしたんや。
いくら出来がわるくても、身内である。ひいきのひきたおしでもなく、ぼろくそにののしって、発奮をうながせば、何とかなるというものでもない。かわいさあまって憎さが百倍?そんな時機はとっくに通り過ぎた。


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ことし巨人に東京ドームでは阪神は徹底的に負けた。10連敗とは記録である。きょうの日経スポーツ欄によれば、どうも野村流ID野球にやられたようである。
巨人は昨年チーム打率がリーグ4位と低迷した。反省した球団は戦略室を新設した。対戦相手のデータを有効活用するためだ。
従来のように個々の能力に頼るのではなく、チーム全体としてデータ野球を取り入れようとした。
司令塔に、元楽天のヘッドコーチ橋上氏をすえた。かれは、かつて仕えた野村監督のID野球分析で、タイガースを丸裸にした。
相手の配球の傾向を選手ごとにファイルをわたす。狙い球がしぼりやすくなる。
巨人が苦手としていた能見投手が今年がんがん打たれたのは、配球傾向が完全に読まれたからだ。各打者は低めに外れる決め球フォークを見極めるようアドバイスされた。

いまいましいが、2005年を思い出した。
星野監督時代にひさしぶりで出場した日本シリーズ。タイガースは、ロッテにまったく歯が立たなかった。四連敗。
シリーズ得点ロッテ33点に、阪神はわずか四点だった。
データ戦に敗れたのだ。当時のバレンタイン監督がアメリカからつれてきたデータ解析の専門家が、やはり阪神の戦いぶりをデータで分析予測した。
藤川投手の変化球の決め球は見送られ、打ちやすい球を痛打された。
学ばないものに、冷厳に歴史はくりかえされる。当時は夕刊紙しかデータ敗戦の手の内を報道しなかったと記憶している。

あらゆるしがらみを排除して、これから阪神は建て直しを図ることになる。カンや経験だけでなく、データにもとづいて頭を使う野球はどうすればいいか。相手の手の内を図るレーダーが必要だ。
緻密なデータ野球のカモは、タイガースだ。わが阪神はあまりにデータ読みに無防備だ。
米画「マネーボール」を阪神の球団関係者はみただろうか。レンタルですぐ借り出せる。貧乏球団アスレチック球団のGM奮闘記だ。
ゼネラルマネジャーとは、こんな存在だということがわかる。
弱小球団のGMが、限られた予算のなかで、過去の名前よりも出塁率を重視して選手を発掘する考えは、目からうろこ、新鮮だった。

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タイガースよ、頭を切り替えだ。できるかなあ。
とっくに賞味期限の切れた元有名選手を大金払って迎え入れるのは、あれはやめてほしい。不良資産化するだけだから。

伝説の金本選手は、晩年は甲子園劇場の主演俳優として、引退間際までがんばってくれた。
阪神首脳の考え通り、野球は興行ではある。まず球場と電車を満員にせねばならん。試合経過そっちのけで、球場をゆるがす大声援と風船揚げは、老いも若きも、生きていてよかった。楽しそうだ。親に連れられてきている子供たちのうれしそうな笑顔。ディズニーランドには負けていない。ただしチャンスが来て盛り上がればだ。
しかし、なんぼなんでも、そこそこ勝利せねばならない。負け過ぎは楽しくない。

一点が遠く、負け続けても満員になる阪神は、しあわせな稀有の球団だろう。
いい野球をして強くても、客が球場に来てくれないのはつらい。
往年のがらがらの西宮球場を思い出すと胸が痛む。甲子園球場の近くだった。阪急ブレーブスは、名監督のもと、なんども日本を制覇したのだが。日本一は四回、リーグ優勝十二回。

投稿者 nansai : 13:07

2012年9月 4日

九月一日 我輩はニホンカワウソである。

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といっても、仲間はもうこの世にいない。かねて絶滅を危惧されていたが、日本列島では、どうも四十年前に絶滅していたらしい。と、最近になって、新聞が報じていた。
愛嬌のある顔立ちなのに、先日のパンダの赤ちゃんがなくなったときのようには、話題にならなかったのは残念。

だが、ガクのある新聞のコラムニストが飛びついた。うんちくを傾けるには絶好のテーマだ。
漢文で、カワウソは獺と書く。カワウソは、習性として、とった魚を食べる前に、人が祖先を祭る供物のように、川岸にならべるのだそうな。
これを獺祭(だっさい)といい、中国の古典「礼記」月齢篇にのっているのだ。
後世、これにちなみ、晩唐の詩人李商隠は詩文を草するとき、カワウソのように、たくさんの書物を座右にならべ、みずからを「獺祭魚」と称した。別サイトには、商隠は、尊敬する詩人の作品を短冊に書き、左右に並べ散らしながら、詩想にふけったとも。
もちろん浅学のぼくが知る由もない。
転じて、資料であふれかえった部屋が乱雑で整理不能\nの状態をいう。とすると、わが部屋も同じことである。

これからは勢ぞろいする電子書籍端末がカワウソのかわりをつとめるようになるだろう。
漢文、詩文、ちんぷんかんぷんのぼくが書くこの文章もすべてネット上の文献から引用させてもらった。
カワウソの絵は、グーグルイメージの写真にヒントを得て、筆は用いずマウスを操って描いた。厳密に言うと、ニホンカワウソがどうかはあやしい。

こうして、パソコンなど駆使してデジタルな「獺祭魚」の助けを借りれば、先達の知見のアーカイブの恩恵のおかげで、ぼくでもにわかに駄文を綴ることが可能となった。
なんだ、カットアンドペーストか、と軽くいなしてはいけない。デジタル時代では、キュレーションにこそ価値があるということになる。

明治三十五年の今月十九日没した正岡子規は、生前、晩唐の大詩人にあやかるべく、「獺祭書屋主人」と号したと伝えられている。獺祭忌のゆえんである。
稲畑廣太郎の句をつぎに。ホトトギス編集長。

獺祭忌今日も阪神負けました
今日阪神どないなるやろ獺祭忌

父もまた早世の人獺祭忌


投稿者 nansai : 11:08

2012年8月 9日

八月九日 「東京物語」が、世界の映画監督の選ぶベスト映画に選ばれた。日本人として、意外!でも、うれしい。金メダル以上の値打ちがある。

勝った、負けた、よくやった、新聞はオリンピック報道一色だ。その片隅に目立たぬ小さな記事が。
世界の映画監督が、小津安二郎の『東京物語』を最優秀映画に投票で選んだという。

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なにしろ59年前、昭和28年の作品である。英国映画協会発行「サイトアンドサウンド」誌で、世界の監督358人の投票で一位に選ばれたというからすごい。
同誌は10年ごとに最も優れた映画50選を選ぶが、ベストワンは「東京物語」に決定した。批評家の部門でも3位に。まさか、驚いた。そして、なぜかじーんときた。
日本人の平凡な市井の一家族の心情をつつましやかに描いた小津映画は、外国では理解されにくいと思っていた。海外の映画賞にも出品されなかった。
ベストピクチャ オブ オールタイムズ。21世紀のいま、あの地味な作品を世界の監督たちが、日本語という文化の壁を越えて、首位に推したとは、なにか、人として深く共感するところがあったのだろう。さわやかな気持ちのいいサプライズだ。

敗戦から8年の昭和28年、この映画を、ぼくは地方都市の学生のころ映画館でみた。
地方に住む平凡な老夫婦が、都会に出ていった子供たちを訪ねてみるが、それぞれの生活があり結局は心の安らぐ居場所は、戦死した次男の嫁のアパートだけ。戦後十年たっていない昭和の家族の日常が淡々と描かれる。上京するのに、新幹線も冷房もない時代の話。

車中で体調を崩した老妻が急逝した朝、平山周吉(笠智衆)が庭に出て尾道の海をみながらつぶやくシーンを覚えている。
「ああ、今日も暑くなるのう。」
辛い一日がはじまろうとしているのに。

若く、人生の機微の理解の浅いままに、胸のつぶれる思いがした。地方都市で祖父母に育てられたぼくが、郷里を去り都会地に職を求めようとしていた夏だったからか。

生々流転。
小津監督は、家族ひとりひとりの人生も交錯しつつ、流れてゆくさまを描こうとした。
ハッピーエンドなんかあるはずがない。すべてをおだやかに受け入れる72歳、平山周吉(笠 智衆)の姿に、ぼくも自分を投影できる年齢になったと思う。

日本語には、かげがあり間がある。セリフのデリカシーはとうてい理解できないであろう海外の映画監督たちが、59年前のこの静かな映画の価値をみとめている。素直に誇らしく思う。

周りの若い世代にきいてみたら、トウキョウモノガタリ?だれひとり知らなかった。
一方、ネットでは、映画に関心のあるらしい若い人たちが、退屈ですぐ寝てしまった、とか、せりふの不自然さに、反発したりしている。
年をとってはじめて、この映画に流れている心情が理解できたという声も。
戦後すぐのこの作品も、今の世代には、はや古典となり、文楽への評価と相通じるところもあるのか。

投稿者 nansai : 11:04

2012年8月 2日

八月二日 
昭和20年秋の「オリンピック」が、もし中止されなかったら?

67年前の「オリンピック作戦」を、日本人は知らない。もちろんスポーツの祭典とはなんの関係ない。昭和二十年、太平洋戦争末期、極秘のうちに米国が立

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案した「ダウンフォール作戦」の一環だ。「オリンピック作戦」は、ねらいは、日本本土への侵攻だ。
この年の十一月、米軍は、まず手薄な南九州へ上陸制圧し、関東平野を爆撃するための飛行場確保が目的だった。動員される兵力は30万人以上、日本軍の3倍にあたる。翌年三月に、「コロネット作戦」を発動し、九十九里浜と相模湾から、関東平野へ上陸し、東京を包囲占領するという手はずだった。

本土侵攻は、日本側の激しい抵抗が予想された。米軍側では、50万から100万の人的損害が試算されていた。もうこれ以上兵員の死傷者を出したくない連合国は、周到な戦略を練った。

完全な勝ち戦だが、日本は死を賭して狂信的に抵抗するとみた米軍は、自軍の人的損害を少なくするために、徹底的な海上封鎖、農地への薬剤散布、化学兵器だけでなく、広島長崎に続く原子爆弾の使用も計画していた。米側専門家は、つぎのように予測した。
九州上陸作戦開始日の十月一日までにすくなくとも7発、守備軍に投下できる態勢がとれる。
本土へ侵攻する最終段階には、15発の原子爆弾が侵攻軍の支援に準備されるだろう。地上から600メートルあたりで投下すれば、放射能量がおさえられ、これにより、アメリカ軍の都市占領が可能となる。


当時中学二年生のぼくは、「根こそぎ動員」で勤労奉仕にかりだされていた。本土決戦にそなえて、兵隊さん、ほとんどが老兵、といっしょに、山の斜面に横穴を掘る手伝いをさせられていた。上陸支援に原爆を使用するオリンピック作戦が極秘のうちに準備されているとは、知るよしもない。
日本の戦争指導者は、「一億総特攻」という異様な心理に追い込まれていた。
勝つまで戦うという徹底抗戦の政府方針がつらぬかれていたら、どうなっていたか。米側のある試算では、日本が官民一丸となって抵抗した場合、500万から1000万人の犠牲を想定している。保坂正康氏の著書によれば、ある軍のトップは、国民に竹やり300万本あれば国土防衛できると述べた。本気だったのか。

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陣地の穴掘りを手伝っていた中学生のぼくは、13歳だった。「不敗神話」で教育された。
神州不滅。有史以来負けたことがない。なぜなら、元寇のように神風が吹いて、日本は必ず勝つと。
「白村江」の大敗は、教わらなかった。
15歳からは、国民義勇隊に組み込まれると、閣議決定されていた。本土決戦となれば、非戦闘員ではなくなる。なんの説明もなく、もちろん知る由もない。

戦争末期では、戦いの大義は、国体護持ということになった。大義?のために、軍が生き残って老若の国民が死を強制されるのだ。
これは逆ではないか。スイスの民間防衛に詳しい保坂正康氏は、つぎのように、スイス政府編の民間防衛のテキストを紹介している。兵士は一般国民が生き残ることで自らも戦う勇気が出るのだ、とスイス政府は強調している。
「わが国防軍は、スイス国民の生命と自由を守るために戦うが、その戦いも、一般民衆、女性やこどもが生き残ってこそ意味がある。」とも。

あらためて、国策とは、国益とは、『国民の幸せ』とは、何か考えてみたい。
ぼくのような「日本国民」は、戦前、戦後、時代ごとの猫の目のようにかわる大義、国是、国策に、翻弄されてきた。明治憲法下の選挙では、軍主導のあの戦争は食い止められなかった。数百万人の命を救えたはずの降伏もだ。
新憲法下いまの議員内閣制で、小選挙区では将来の国益の展望は、めいめいの利害により、ばらばらである。

思えば、あの戦争も戦後の原子力利用も、つまるところ、わが国に石油が出ない、エネルギーの自給できない危機感から始まった。

国策の停滞、破綻が、検証によりあきらかになるには、年月がかかり、ふつう、30年から50年くらいか、その間の期間損失は計りえない。
国土を焦土と化し、300万人以上の人命とすべての海外権益資産を失うのに、15年、中日戦争に突入して8年たらずの期間で決着を見た。
地域の均衡ある発展を大義に、列島改造のスローガンで土建国家が生まれ、借金大国の主原因となった。これがまだ続く。
原子力行政も40年以上推移して、いまだに使用済み燃料をどう始末してよいか、わからない。年々たまる一方でリサイクルなどはめどが立っていないと専門家はいう。

戦争も原子力も、ことがどう進んだか、真実は、正式記録では語られず記録されていないことが多い。責任を恐れてか、焼却隠蔽されることもあるのが、日本の特徴だ。
ぼくらが知りうるのは、海外政府文書館の資料か、おもしろいことに、「当時の」関係者たちの内輪の本音を録音したオーラル資料だ。
原子力発電は、資源のない国のために必要ということから民間主導でなしくずしに導入されたようだ。安全を語るな、コスト優先がさけばれた、と、当時の関係者は語る。

原子力がペイするということには、いまだに答えがでていない。
げんにGEのトップ、イメルト会長は、今回のフクシマの原子炉メーカーだが、原子力はコストが高くついて、採算に合わないと発言している。かわって天然ガスと、風力か太陽光の組み合わせを検討すべきという。いったい、どうなっているのだろう。
改めて考える。将来の国益を想定した国策を、どこに、だれに、ゆだねたらいいのだろう。
いまの政府与党のように、ブレーンに専門家を得なければ、判断にこまり、たじたじとなる。もともと官僚が信頼できるブレーンであるはずだが、人材を得なければ、海外の知見を招聘せねばならないのでは。サッカーの監督のように。

国益と国策の是非。30年、50年の将来を見通す作業と洞察力が必要だろう。票を求めてひたすら地元におもねるしかない目先の選挙では、答えは見つかるはずがない。
民意に問われても、熟議もディベートも感情に走り薄いものになりかねない。ぼくをふくめて、一般の投票者の、知見はあやしい、判断できる知識量がとぼしいからだ。
国益を論じる政策集団の囲い込みが、国の義務である。ともすれば、以前のようにカネがうごき『原子ムラ』的利益誘導集団がゾンビのように出現してしまうのだが。

投稿者 nansai : 13:54

2012年6月 8日

六月八日
尾を踏めどピクリともせぬトラの老い 宮本一夫

セパ交流戦で連敗のさなか、新聞の川柳投稿欄で家内が発見、「うまいものだなあ」と感じ入った。トラの尾を踏んだら、どうなるか!ただではすまんぞ、とすごんでみたいが。
笑えて、なにやら物悲しい。
トラの老いか。たしかに。わが身にひきくらべて、ひとごとではない。

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チームは、新監督以下ひたすらまじめで、石部金吉がそろいのユニホームを着ているように見える。形相も必死だ。
こちこちに緊張してか、とにかく打てない。統一球が打てない。だからホームランも少ない。ボール球を振っているからだと専門家はいう。
ひところは、三割打者がひしめいていたチームなのに。
一方不振をかこっていた巨人は楽天から野村の指導を受けた戦略参謀を迎え入れ、阪神の投手は丸裸にされ打ち崩された、と週刊誌にのっていた。

あまりの不振に観客席の怒号にたじろいで、打順を入れ替えた。
チャンスに凡退をくりかえす4番がベンチに、44歳の老いたカリスマ打者にかわった。でも2割台だ。自打球を足に当て動けなくなると、かわって42歳の代打の神様が守備につく。本来の4番はそのままベンチに。
これは異常事態だろう。テレビ解説の江夏が執拗に4番のメンツを傷つけてはいかんと繰り返す。やれやれ。

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寝ているトラを起こすのは至難のワザだろう。起きぬけ寝ボケまなこのトラを描くにも難儀した。
がんばっているが力不足で、交流戦ではパリーグ勢に競り負けて、Bクラスの4位は、ま、こんなところだろう。
タイガースは、梅雨の前に失速するのがつねで、なつかしい、むかしのタイガースが帰ってきたと思っている。切歯扼腕は、むだである。はしたない振る舞いなり。我慢と達観こそ、ファンのこころがけだ。
ここのところ、助っ人外人のマートン、ブラゼルがやっと打ち始めたのが、救いだ。

さて、問題は、トラの老いだ。

長年念力を照射して、トラを応援した聖トラキチ、北杜夫氏もついに亡くなられた。
五十年でタイガースの優勝を4度も見られてしあわせだった。と、エッセイ集「マンボウ阪神狂時代」(新潮文庫)に述懐していわく、しかし、
「阪神の課題は新陳代謝だ。安泰でもなんでもない。
という風にすぐに悲観的に考えてしまうのが僕たち長年の低迷阪神を応援してきた阪神ファンの性なのでしょうか。」
阪神に効く不老長寿の妙薬はない。医者でもある聖トラキチは、勝っても浮かれることはなかった。
(ちなみに、このイラストは、お手上げバンザイではない。優勝決定の瞬間のハイタッチをTシャツ用に早手回しに描いたもの。万が一にそなえて、頭おかしいんと違うか、二枚も描いた。)
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新聞には、阪神の破れた日は、大阪版でも虫眼鏡でみなければならぬほど、ごくごくちいさい。
なのに、人気選手の個人記録の扱いは、ばかでかい。どういうこっちゃ。
金本1500打点、44歳、なお努力の鉄人.史上最年長記録と大見出しにある。落合選手をぬいて、張本選手に迫ろうとする打点。

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個人記録なら、いうてすまんが、この絵巻のスクロールの長さである。中身はいわない。

この絵巻も、気息えんえんながら、かろうじてまだ続いている。
数えてみたら、間もなく500本になる。横スクロールの長さは、500メートル。天満橋を越えそうだ。
プリントアウトすると、2000ページ。紙の本に綴じたら、一冊なんぼになるやろう?見積ってもらったら、ふうん、一冊六十万円だそうな。

日本文にいちばんぴったりの縦書き、かつ横スクロールのブロッグ。こんな前人未踏のあほな試みはだれもしない。生来なまけもののぼくが、ほとんど犬かき状態でも溺れず、ぼちぼちつづけていたら、カネモト選手なみに記録がついてくる。あたりまえだ。

こんな試みでも、高邁!な目的が、ふたつある。
いまや横組み全盛のウエブ上でも、日本語文章の縦組みの読みやすさを実証したい。
あわせてペイントとマウスで、アボリジニもびっくりの絵をマウスで描いて文章にそえたい。
笑うなかれ、ぼくの師匠は、ニューヨークタイムス、ニューヨーカーの作家たちだ。

ところが、心細いことになっている。
この縦組みを開発してくれたプログラマーが、協力会社から退社して、いまや、この縦書きプログラムは、さながら洋上を漂うイカダのような存在である。帰るべき港も造船所もない。前途は洋洋なのになあ、波高し。

こころざしと内容はともかく、横スクロールの長さでギネスに登録できんかなあと、冗談で友人にいうと、あほな、とクールに一蹴された。ごもっともだ。

投稿者 nansai : 11:15

2012年5月25日

五月二十四日 あの夏まで無名だった飼いイヌ。
事件のたたりは不滅、というから、アメリカはおかしい。こわい。

シェイマスという名のアイリッシュセッターとかれの飼い主が引き起こした「事件」が、いまだに物議をかもしている。
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当時36歳の飼い主は、ボストンとカナダまで、ステーションワゴンに6人の家族と荷物を満載して走った。道中、シェイマスは、かごにいれられて、12時間ワゴンの屋根の上に。途中で子供たちが後部の窓に茶色い液体が垂れて流れているのに気付いて騒ぎだした。シェイマスは下痢をしていたのだ。飼い主は、給油所に立ち寄り、イヌにホースの水をぶっかけ汚れを洗い流し、そのまま、なにごともなかったようにハイウエイを走り続けた。この事件?は、1980年の夏、かれこれ30年前の話だ。主人公シェイマスはとっくに亡くなっている。
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ふつうの家族なら、新聞にのるような事件?ではない
シェイマスの飼い主は、なんと若かりし日のミット・ロムニーだった。今回の共和党の大統領候補(当確)だ。大富豪でモルモン教徒というのが、保守派でも支持のわかれる人物。

アメリカは6千万匹をほこる愛犬大国だ。愛犬家からみれば、有名人のくせに、なんちゅうことをする、許せん。この飼い主のふるまいは、残酷きわまりなく拷問そのものだというわけだ。なぜ人でなしを刑務所にいれないのだという過激な声も。

この事件?はいつあかるみにでたのか。2007年の選挙期間中にボストンの地元紙にすっぱぬかれている。いきさつは、ウイキペディアにくわしい。
選挙戦では、この手の個人攻撃は、いかにもアメリカらしく、ユーモラスでもあり、笑えぬ部分もありで、おどろかされるが、利害関係のまったくない日本の野次馬としては勉強になる。

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さっそく、「ロムニー候補に反対するイヌたち」というサイトがたちあがり、キャンペーンのTシャツやステッカーなどがネットで売られている。のりにのって、本も来月売り出されアマゾンで買える。ようやるわという感じだ。ぼくがマウスで描いたシェイマス像は、まるで似ていないと思う。

「事件」は、くりかえし、むしかえされて、動物保護団体からはごうごうたる非難のアラシがまきおこっている。マスメディアも取り上げた。「ニューヨーカー」誌の表紙にもなった。どこまでまじめなのか、なんとなくおかしい。
インタビューにも当のロムニー候補はどこ吹く風だが、夫人の「シェイマスは風を楽しんでいたのよ」のひとことが愛犬家の怒りに火に油ををそそいだとか。

選挙の足の引っ張り合いにはもってこいの話題で、まず共和党の仲間うちで、二回の選挙に利用され、ライバル候補者たちが飛びついた。選挙戦での誹謗、中傷は半端ではない。選挙コマーシャルビデオも放映された。
つぎは、本番の選挙戦の火ぶたが切られる。オバマ大統領陣営も、ちくちくと、動き始め、共和党筋からはオバマは少年のころイヌの肉を食ったという反撃も。
いやはや、ごくろうなことである。両陣営の健闘を祈ろう。イヌも食うまいが。

ぼくはシェイマスもアメリカの選挙のことも、最近訪れたこともないし、あっちのことは何も知らずに書いている。
ある日の朝日か毎日にのった小さな記事に興味をひかれて、ネットをひらいてみたら、「ドッグ オン ザ カールーフ」のストーリーは、執念深く追跡するマスコミに取り上げられていた。膨大な情報量である。ロムニー候補の人格を疑わせるもの、弁護するもの、いろいろだ。ネットに残された資料を追うだけでさまざまなことが見えてくるのに、いまさらながらデジタルの情報集積能力に驚いた。

四半世紀も前の過去の記事もすぐ探せるネットのアーカイブ力は、あらためてすごいと思った。わが国では、人のうわさも75日、水に流すし、新聞社はサーバーの維持費を節約してか、過去の資料がでてこない。小沢サンが過去なにをしたか、消費税についてどういったのか、皆忘れている。

投稿者 nansai : 11:24

2012年5月14日

五月十三日  ただになつかし、きょうは母の日。

八十五の翁となれど 母おもへば
ただになつかし きょうは母の日

歌人窪田空穂が詠んだ一首。いくつになっても子は親の子と、けさの「天声人語」が紹介した。

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「ただになつかし」か。こころにしみる。そうではあるが、「母をおもう」には、ぼくには、きれいさっぱり手がかりの記憶がまるで欠落している、顔も声もだ。昭和前期に若くして他界したから、あまりに幼すぎてぼくの記憶のフィルムが感光していなかった。

「年齢の割には、立派な歯が残っていますね。お手入れがんばってください。」先日思いがけず、歯医者さんではげまされた。
「丈夫な歯は、母親のを受け継いでいるのでしょうか。ろくに手入れしていないのに。」ときいてみたら、かならずしもそうではないとのクールな答えだった。
でも、傘寿をむかえた、ぼくの丈夫な歯は、母ゆずり、と思いたい。長持ちする丈夫な歯をありがとう。母の記憶がまるでないぼくは、歯に限らず母とは遺伝子でつながっているのだ、と思うことにしてきた。そう、いくつになっても、ぼく自体が、母ゆずりの存在なのだと。おかげさまで。

「母の日」も、母思う証しのカーネーションのプレゼントも、母の時代にはなかったなあ。合掌。

投稿者 nansai : 14:14

2012年5月11日

五月十一日 電子本が待ち遠しい。ぼくは、黒船大歓迎。

電子本に興味しんしんである。
無人島に一冊だけ本を持ってゆくとすれば、あなたは何を選ぶか。ぼくにはそんな一冊は思い浮かばないが、

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かさばらず重量ゼロの電子本なら、読書端末に1500冊はいるらしい。電池切れが心配だから、太陽光の発電受光板が必要だろうが。

わが国の出版界にも、電子書籍という黒船がやってきた。読書端末「キンドル」を引っ提げて、巨大ネット書店アマゾンの襲来だ。年末に発表する、楽しみにしてほしいと、来日したベゾス社長が言い切った。
しかし、アルファベット26文字で、本がつくられている電子書籍先進国と違って、この国は、縦組み、漢字かな混じりで文章が構成されている。
キンドルは、日本語とどう取り組むのか。普通のおばさんにやさしく使える読書端末は、どう落ち着くのか。デビューが待ち遠しい。
ただでさえ読書人口が減っているから、及び腰だった出版社も新聞社も、黒船「アマゾン」の本土上陸に対応せざるを得なくなった。しかし、読書評論家でもろ手をあげて賛成という向きは、少数派だろう。

初物食いのぼくは、物は試し、キンドルとソニーの端末を購入。
まず、まんがが人気らしいが、ぼくはパス。
文章を読むだけなら、ソニーリーダーは、まずまずか。文字の大きさが視力に応じて調節できるのは、高齢者にはありがたい。しかし、紙の本にくらべて、重さゼロはいいが、端末自体の重さは苦になる。購入できる本の数があまりに少ないのにがっかり。

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ページ単位で区切って読むことになるので、ゆっくりと玩味しつつ読みたい文章には適している。気に入った随筆や長編の数ページを、端末の画面で400文字くらいの文章をゆっくりよく噛んで読むのも、せっかちで飛ばし読みするぼくには、新鮮な感じだ。
内容の軽い読み物に向いている。筋を追いながらの飛ばし読みは、親指をすべらせれば、一枚づつめくるよりも、らく。アマゾンは、「シングルズ」という読み捨て型の電子読み物を1ドルくらいで発売し始めた。ニューヨークの地下鉄でおばさんたちがよみふけっているのは、ハーレクイーンかこの手の読み物らしい。

アマゾンのキンドルは、いまは英語版だが、端末価格が安い。IPADと同サイズで価格半分の、「キンドルファイヤー」が注目だ。アマゾンは、端末機器で利益を上げようとせず、電子書籍のダウンロードでもうける狙いは、壮大な仕組みだ。

電子本読者は、巨大書店の在庫のなかから、電子本価格のキンドル版を選ぶことになる。
アマゾンは、店頭でなくネットカタログで一冊ごとに詳しい説明を読みながら本を選ぶ。買う決心すれば、ワンクリックで、一冊の本の内容が、瞬時に、読書端末にもパソコンにも、ダウンロードされる。便利というより、快感である。書店の書棚をきょろきょろ探しまわるぼくのタイプにとっては、本の連鎖買いは、失敗も多いが、楽しみなのだ。
ソニーの「リード」は、本選びの説明が不足していて、この楽しみの手続きが複雑すぎる。
アマゾンとの決定的な差である。

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読書は、プロとアマに分かれる。万巻の書を集め資料を読み解くことで生計を立てているプロは、難解な書籍の内容を消化する鋭い歯と頑丈なあごを備えている。

電子本の端末利用は、あごも歯もまだ強くないアマチュアと学生、こどもに最適だ。教育への貢献は計り知れない。ぼくは、新書版、文庫版の「とれとれで廉価」電子版を切望している。朝日新聞のAスタンドやアマゾンの「シングルズ」はいい試みだ。ベストセラーが続出するだろう。

これからは、読書端末に応じた本づくり、教科書作りが、まったく新しい発想で開発されねばなるまい。
電子書籍は、文章だけでなく、動画、図表、音声、辞書を組み入れ、次のテーマに連鎖するリンクを縦横無尽にはりめぐらせる編集になるだろう。電子教科書の開発で、独習型の教育システムで一国の知識レベルが上がる。コンクリートの箱やダムよりも有効だ。国家百年の計だ。と、夢はふくらむ。

投稿者 nansai : 13:19

2012年4月25日

四月二十五日 ことしも花見にはゆきそびれたが

年年歳歳、どうせ、花相い似たり。花見は,また人見でもある。出不精のぼくは、ことしも、花には失礼した。
129種類のさくらが見られると評判の造幣局のとおりぬけの夜桜を、とも思ったが、あの狭い敷地にえらい人出や。長い長い行列や。交通整理が声をからす。名残りの花の前で写真を撮ろうとする人たちに向かって「立ち止まらないでください」と絶叫する。あの人ごみを覚悟せねばならぬとなると、目と鼻の距離でもつい億劫になる。

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花見を心待ちにする人は、花より酒。タクシーの運転手さんのはなしでは、このごろは「長屋の花見」のように地面にござをしくのではなく、椅子テーブルで、バーベキューらしい。満開のさくらの花も、もうもうたる焼肉の煙で、むせてへきえきだろう。

落語の「百年目」は、船場の大店の番頭はんの冷や汗物語だ。やり手で超カタブツでとおっている番頭の次兵衛、じつはなかなかの粋な遊び上手。
花の季節、こっそり店を抜け出して、いつもの顔ぶれの遊び仲間と芸者幇間を連れ、高麗橋から桜ノ宮へ屋形船をチャーターして、花見に繰り出そうという趣向だ。
むかしは、高麗橋のかかっていた東横堀川の川幅もひろく、貸切のリムジンタクシーのように大型の屋形船を待たせておいて花見としゃれることができたのだ。

角の駄菓子屋の二階に預けておいた粋な衣装に着替えれば、次兵衛さんもどこからみても大店のだんなさんだ。しかし、こうして自前の銭で遊んでいても、すまじきものは宮仕えとあって、あくまで、番頭は、人目に氣を使わんならん立場。
きょうも大川には、ぎょうさん屋形船がでている。でも、せっかく満開の桜を目の前にして、
「あのなあ、その障子開けといたらあかん。」
「きょうは蒸しますやないか。」
「いやいや、屋形船というものは、道通っている人がどんなやつらが乗っているのかのぞきたがるもんや、ひょっとして知っているもんに顔みられたらたいへんや、」
など番頭氏、氣を使いつつも、大屋形船の船足が遅く、そのうちに酔いがまわり気がゆるんだ。
肌ぬぎになり、はめをはずしているうちに、ほんまに運悪く、会ってはいけない旦那とはちあわせしてしまう、わあ、これはしたり、ここで会ったのが百年目や。酔いもさめはて店に飛んで帰ったが後悔先に立たず、もんもんと寝付けぬ夜。身につまされて、他人事でないというおなじみの名場面である。

ネットでは、文化勲章受賞の米朝師匠の高座がきける。クリックすれば、屋形船に乗ってすっかり花見気分だ。落語マニアでないぼくも、動画がゆっくり味わえるのがありがたい。人間国宝まだ髪が黒々しているころの名演。値打ちものである。

名作「百年目」の舞台は、やはり船場でなければ、と思いませんか。江戸の名人がたばになっても、大店の番頭が主役の上方版のほうに軍配があがる。ネットで、テキストつきで、人間国宝の至芸が味わえるのに、落ちがわからないという質問が多かった。うーん、しかたがないか。時代が違う。

ぼくも挿絵に、当時の屋形船をペイントで描こうとしたが、錦絵を見てもディテールがよくわからない。
花は満開でも、障子を閉めれば、人目がさけられる、花は障子に穴あけてみたらええがな、花のにおいだけかいどいたらよろし、とはせっしょうな。
で、せっかく花見にでかけながら障子を閉め切った、けったいな屋形船をたどたどしくマウスで描いた。おそまつ。

投稿者 nansai : 13:24

2012年4月 9日

四月九日 熱砂を越えて命を救うラクダ診療所?

焼け付くような熱砂の沙漠を、はるばると、ラクダがなにやら重い荷物を運んでいる。

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ラクダの背中に積まれているのは、小型の冷蔵庫と電源のソーラーパネルだ。冷蔵を必要とする薬品とかワクチンを、ラクダはケニヤやエチオピアの遠くの村まで運んでいる。いわば、沙漠の自家発電移動診療所なのだ。荷物を背負ってラクダは一日に150キロも歩くことができるそうだ。
ぼくは、このアイデアを、サンケイのコラム『ラクダが問う日本の家電』でみつけた。詳しく知りたくて、ネットで調べたら、ケニアの移動診療ラクダは、三年前から、エコの成功例として、すでにくわしく紹介されていた。

アフリカの照りつける太陽光エネルギーと暑さに強いラクダの組み合わせとは、考えたものだと感心した。でも、コロンブスのたまごで、だれでも思いつきそうなアイデアと思ったら、とんでもない。
NPOやプリンストン大学、カリフォルニアのアートセンターが力を合わせて、砂漠を越えて道なき道を歩いて運ぶラクダに搭載できる軽量機器とこのシステムを2005年に開発した。重い自家発電冷蔵庫をのせる鞍はタケ製。開発予算は数千ドルしかなく、試作にはブロンクス動物園のラクダに協力してもらったそうだ。引き続き寄付をつのっている。

コラムの筆者は、指摘する。
スイスのビジネススクールでは、このラクダ冷蔵庫の発想こそ、大赤字に苦しむ日本の家電企業に欠けているものだという。要素技術の開発には熱心な日本には、軽い冷蔵庫も発電能力の高い太陽光電池を作る技術はある。だが、その延長線上に、ラクダ冷蔵庫は出てこない。アフリカの奥地の貧しい医療状態の解消に役立つ太陽光を利用した薬品冷蔵移動システムなど、世界のすみずみにどんなニーズがあるかには、日本企業は無頓着なのだと手厳しい。

投稿者 nansai : 14:54

2012年4月 2日

三月三十一日
財政危機のイタリアでは、学者首相が緊急登板。
なんと閣内には、政治家がひとりもいないそうだ。

どんなに国が莫大な借金に押しつぶされそうになっていようが、痛みを強いる緊縮策を打ち出そうものなら、すぐデモや暴動の起こるお国柄である。
ここは、各政党も無用の争いをやめ、学者首相の知見に従おうとした。

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イタリアのあたらしい学究派の首相が来日した。
あわや債務不履行か、とまで心配された財政危機に急遽登板して、冷静沈着な対応で国民の信認をとりつけ奮闘中のモンティ首相である。タイム誌にも取り上げられ、オバマ大統領も絶賛した。
NHKのインタビューに応じ、政治について語ったことばが、日本人の耳に痛く、国情は違うにしても、深く、うなづかされたことだった。
かれは、学者で、どの政党にも属していない。経済商業専門のボッコーニ大の学長も務めた人物。
だから、有権者のしがらみに縛られず、きびしくても、正しい政策が打ち出せたと、モンティ首相は語った。たいへんだったろう。いまも労働問題は火種がくすぶっているという。
「たとえ痛みを伴う政策でも、将来のために何が必要か具体的に説明するのが、議会や国民の支持につながる」と述べた。

いまイタリアの内閣には、首相をふくめて政治家がひとりもいないそうだ。有識者内閣である。財政破綻にあえぐイタリアは、万策尽きて政治家を除く有識者で内閣を構成した。常識を超えた起死回生の策だ。
首相自ら来春までと人気を区切った暫定政権だから、難題を飛び越えられたといわれている。短期間だから、政党も受け入れた。


一方、日本の国会議員は、政局に血道をあげている。
しがらみにがんじがらめにされた日本の政党は、次の選挙だけが目標で、国全体とか、国の将来を考える政治家はいない。イタリーと違い、まだせっぱつまっていないとの甘い見通しなのか。
選挙は、政策よりも、とにかく数だ、という、田中角栄型政治家があとをたたない。
党内の融和が、国益に優先するのも不思議な現象だ。公益企業や組合など特定の既得権益をまもるのに必死で、国の将来をかえりみるゆとりがない。候補者の公約は、大半は絵空ごとで終わってしまう。

有権者の半分近くは棄権する。政党は、地元や組合、企業の既得権にすり寄り、ばら撒きを公約し、票をかき集めた。口癖のように国民のしあわせとか民意を連発するが、ひたすら、目先の一票しか頭にない政治家たち。
あげくのはて、イタリーもびっくりの膨大な国の負債が積み上がって、年金も農業も原子力発電も、こうして惨憺たる現在の体たらくがある。

学者でクールなモンティ首相は強調した。
目先の人気や政治的なしがらみにとらわれなかったので、財政支出の削減や年金などの構造改革が可能になったと。
就任前と比べて状況は大幅に改善されたという。財政赤字は来年までにゼロにすると言い切る。労働法改正では組合が反発しているようだが、それでも支持率が下がっても55%だからたいしたものだ。

しがらみに縛られた政治家を排除しなければ、正しい政策が日の目を見なかったイタリアの暫定内閣。足の引っ張り合いに明け暮れる日本の政治にも何かを教えてくれる。

投稿者 nansai : 11:28

2012年2月14日

二月十一日 
めでたい建国記念なら、国じゅう、お祭り騒ぎがふさわしいのでは。

二月十一日が、なんの祝日か、わかっていない人がほとんどだろう。なぜ休みなのかわからないまま、ひっそりと過ごした一日だった。この日は、れっきとした「建国記念の日」であるのに。

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敗戦までは、紀元節といった。神武天皇が即位した日にちなみ、といっても、史実ではなく神話にもとづいて?きめられた。
ぼくら小学生は、講堂に集められ、軍服に身を固めた天皇皇后のセピア色の写真に最敬礼し、「雲にそびゆる高千穂の」と奉祝歌(ユーチューブで聞ける)を斉唱し、校長の奉読する教育勅語に頭を垂れ、はだしで直立不動で聞いた。鼻水がつめたい床にたれてもいいから、頭をさげ続けねばならないといわれた。あのような式典を経験した人も、いまでは少なくなったろう。
明治6年制定された紀元節は、敗戦でGHQによりいったん廃止され、昭和42年に政令により復活、祝日とされた。

当時のような式典は、こりごりだ。もう誰も受け付けまい。
だが、国の誕生を、底抜けに明るくにぎやかに祝う祭りは、あってもいいと思う。右も左もなく。七月四日のアメリカ独立記念日、七月十四日の巴里祭のように。

毎年、その日は、祭りだ。記念日は、もっと陽気な季節にうつしたらよい。
世界に冠たる日本の花火技術の粋をつくして花火を打ち上げる。世界のあちこちから集まってもらい、にぎやかに祝い楽しむ日にしたいものだ。

時は、すべてを洗い流してくれる。敗戦でうしろめたい皇国史観の残像も、あと数十年たてば、色あせて立ち消えになるだろう。戦時中は、戦意高揚の大役を担わされた神社も、いまや若い女性たちの観光ホットスポットに変貌してきた。
大阪でいまだにもめている国歌斉唱も国旗掲揚も、不幸にも70年も前の、あのころの悲惨な記憶を引きずってきた。


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テレビでみる外国の都市の街並みは、カフェでも洋品店でも、あちこちに国旗がかざってある。べつに祭日でなくても。
国旗は、町や店を活気づける。人をひきつける。
国旗はナショナリズムの象徴として掲揚するだけではない。町並みをおしゃれに元気にする街角のアクセサリーのはたらきをする。

あらためて日本のイメージを誇り高くグローバルにひろめるのに、国旗も国歌も必要だ。かつて日の丸の小旗は、出征兵士を送るとき、皇族たちの巡行を出迎えるとき、ちぎれるように打ち振られた。しかし、時代は、もう21世紀だ。

日の丸は、これから日本がメシを食べるのになくてはならぬ登録商標だ。老舗ののれんなのだ。世界からリスペクトされねばならない。汗水たらして何世紀もかけて築いた国民の知的資産なのだ。メイドインジャパンの品質は、尊敬されている。末永くあとの世代に引き継ぐブランドなのである。
もう21世紀。次の段階へ進んではどうだろう。
「日の丸」の国旗は、グラフイック的にみれば、世界でも最高傑作のデザインだ。あのようなシンプルなデザインは、他国に類をみない。

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いまの国歌は、試合前の演奏では、ノリにくい。いざ戦わんという気分からはちょっとずれている、なんとかならんかな、と密かに思うのはオンチのぼくだけだろうか。
もっと軽快なメロディーの第二国歌もほしい。
みなが思わず口ずさみたくなる愛される国歌だ。
スポーツやイベントの始まる前など、観衆のみんなが声を張り上げて歌いたくなるようなのがいい。
そんな国歌なら、いまもめている「国歌起立斉唱」も、誰もボイコットせず、全員歌う輪にはいれるのではないか。教会でゴスペルソングが、みなからだをゆすって手を打って歌われるように。

投稿者 nansai : 11:58

2012年2月 2日

一月二十八日 「ご老人は謎だらけ」をもう読みましたか?

なんとなく、またひとつ年をとってしまった。

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五木寛之氏(ぼくと同年らしい。すごいエネルギーの持ち主)の「下山のすすめ」説にも同感だが、山頂をきわめたことがないから、下りるまでもなく、いつも谷間を伝い歩いてきた。

思えば、運と縁である。数えきれない多くのありがたい出会いがあり、ご恩返しもできず、こんなのんきなことをいっておられることに、感謝。

面白い本と出合った。
「ご老人は謎だらけ」―老年行動学が解き明かす、と副題にある。光文社新書740円。著者は、大阪大学大学院人間科学研究科教授、佐藤真一氏。老人は謎だらけなのかあ。

「老人は、老い先短い。しかし、なぜかそれを気に病む老人はいません。
多くの人が深刻に考えることなく、毎日平穏に暮らしています。」
なぜだろう?と考えて、佐藤教授は、老年行動学の勉強を始めたそうだ。

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「現役世代なら、あと数年の命と思えば目の前がくらくなってしまうはずのに、老人たちはなぜ心穏やかにくらせるのでしょうか」
と、佐藤氏は不思議に思ったという。
先が短いのに、なぜ平気で暮らせるのだろうか?死ぬのが怖くないのだろうか?
心理学ではむかしから大きな謎だったそうだ。なるほど、老いたぼくにも、謎だ。

老年行動学専門の教授の答えは、ごもっともである。
なんと、老人はポジティブなのだそうだ。ふうん。
どうやら老人は自分に都合のよいことや楽しいことしか覚えていないらしい、というのが、日本応用老年学会理事の佐藤教授の発見だ。
専門的にいえば、エージングパラドックスというらしい。体力や機能は落ちても、主観的な幸福観は高い。人生の残された時間が短くなると、人間は無意識にポジティブなことに関心がむきやすくなるのだそうな。そういえば、ぼくの友人たちにもいる、いる。

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困ったことに、お年寄りは自分を老人と思っていない。人は老いを自分ではさほど感じず、老人と感じず老いてゆくものだと、理解せよと教授はいう。これはたいへんだ。
老い先短くても、だから心穏やかなのだ、といわれても、そうかなあ。そうかもしれない。

とくに忘れっぽいわが身に照らしてみると、楽しかったことも、苦しかったことも、あほらしかったことも、それこそ、往時ぼうぼう、忘れてしまったのだが、研究対象のモルモットとしては、佐藤教授説に大筋はなっとくである。

ノーテンキな老人の取り扱い説明書として、おすすめしていいものか。思いは複雑だ。
新米老人たちがふえてきた。大衆長寿社会の「元気な老人たち」とどう付き合うか、この本はその心得集だと、「東洋経済」誌ブックトレンドはのべているのだが。

投稿者 nansai : 14:58

2012年1月20日

一月二十日「いまあなたは幸せですか?」
どう答えたものか。

ここ大阪市郊外では、ことしも平穏な正月を迎えた。冬風の吹きすさぶガレキの被災地には申し訳ないほどの平凡な新年がめぐってきた。
昨春からにわかに国内外に充満する不安、不穏な重苦しい空気を、連日伝える新聞やテレビの情報にさらされなければ。

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「いま、あなたは幸せですか?」
こう問いかけたのが、キオスクで買った週刊朝日新春号だ。大きなお世話だが、幸せ感は、ひとそれぞれやで、満足するかしないか、心の持ちようや、などと相田みつおのように言い出すと、こころにおさまりはついても、議論に収拾がつかなくなる。
年賀や初詣では、底抜けの「ハッピーニューイヤー」というよりは、つつましく家内安全、無病息災、お互いの無事を願いあうのがつねである。

高齢になると、ひたすら、自分の健康だけを願うよう

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になる、いけないことだろうか、と、病気で倒れ奇跡的に復活して勇退したテレビの司会者が、新年のコラムに正直に書いていた。同感である。

そもそも、幸せとは何だろう。あらためて考えてみる。
しあわせと無事とは、いまのような八方ふさがりの、気分の滅入る乱世では、同義語なのだ。そうやなあ、とため息。

そういえば、ぼくのしあわせは、年とともにダウンサイズ化してきている。いまや、至福.とか、天にも昇る心地とはかんけいなく、ごくささいなことがうれしい。

ぼくのばあいは、失せモノ発見だ。
記憶力がトミに衰えて、しょっちゅう置き忘れする。しまい忘れもある。
めがね、本、(とくに文庫、新書などの新刊書)雑誌。パンフレット、手紙の封筒。デジタル端末、小銭入れ、定期。

ない。ないぞ。あれはどこに行った?
家の中で一日中うろうろ探し物している感じだ。
出しっぱなしにしておくと、整理整頓という家庭内暴力によって、即、片付けられてしまう。どこにしまいこんだ?と、家族を犯人あつかいにするから、うとまれてもしかたがない。

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きわめて非生産的で、くたびれる。それがふとしたところで、出てきたときは、よろこびだ。あった。ばんざい。
だいたいあるべきところにあって、気づかず、見落としているだけなのだが。
失せものとの再会は、記憶力に自信のなくなったぼくにとっては、しあわせな一瞬なのだ。またすぐべつの探し物がはじまる。

ところが、しあわせの意識が、震災で変わったという。
「今日と同じ明日」が続くことが、どんなに幸せかを、今度の震災で痛感した、と週刊朝日はいう。
あの大震災で、「当たり前の日常」が当たり前でなくなる瞬間をいやおうなく知ることになった。そうだ、今日と同じように明日が訪れる。それがどんなにしあわせなことなのか。

まさに、ちょうど始まったNHKドラマ「開拓者たち」が、70年前満州からの引揚者たちの苦難の歴史を語り始めた。「今日と同じ明日」が突然消えたのが、前の戦争だった。いつの世でも、幸せとは真逆の「不幸」とは、いかに過酷なものか。
敗戦で突然日常から引き裂かれた開拓民は、みな宮城県の農家出身だった。ソ連の攻撃にかれらは、逃げ惑い家族を失い、引揚げてまた生きようと新しい開拓地に入植、牧畜に挑戦した。

意外なことに、若者たちの幸福度は近年上昇していると、若手の学者たちを取材して、週刊朝日は指摘する。

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新進の社会学者の表した「絶望の国の幸福な若者たち」(古市憲寿著)によれば、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間でいちばん高いことがさまざまな調査であきらかになっている。格差社会といわれながら20代の若者の70%が現在の生活に満足していると答えている。
将来が不透明だからこそ、 いまここにいる自分たちのまわりを大事にする。そういう意味での幸せ。人間の幸福度の高低は他者との結びつきにかかわる。当たり前の日常こそ、しあわせだと感じている。
大災害をはじめて経験した若いスタッフなのだろう。みな前の戦争の悲劇を知らない人たちだ。300万人の命が理不尽に失われた。

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いったい、幸せの値打ちは、カネなどのものさしで、はかれるものなのか。
昨年、ヒマラヤ山麓のブータン王国から若い国王夫妻がおとずれ、「国民総幸福度」が話題となった。ブータンの国勢調査では、国民の97%が幸せと答えているそうだ。
この国でもDNPやGNPのような経済的な豊かさのほかに、「幸福感」があることを考えてみようということになった。政府も独自の幸福度指標を作ろうとしている。

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法政大学坂本教室は、47都道府県の幸福度を数値化した。それによると、日本一幸せなのは、福井県で、最下位は、わが大阪府であるらしい。
なんでまた大阪なんや、と府民としてはつっこみをいれ抗議したいが、平均寿命や保育所定員比率の低さ、刑法犯の多さなど40の指標で点数化したあげく、どん尻の47位だそうだ。また「府市あわせ」か。自虐ネタでも笑えない。

世界幸福度ランキングというのもある。
一位はデンマークで、日本は90位だった。レスター大学のホワイトが世界178カ国を聞き取り調査し

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たという。
びっくりするほど税金の高い北欧諸国は、国民幸福度では、かなりいいセンいっているらしい。どうして?なんでだろう?
福祉も教育も、よりよくするために税額をあげてまかなうというと、選挙に落ちるからといって、民意をみくびっているのが日本の政治。議員たちは、視察のためには、北欧をよく訪れるらしい。結論は、日本と北欧は違うよ。
デンマークは人口500万人程度、九州くらいのサイズだ。一億人以上住んでいる日本を細かく割って道州制にしたら、幸福なデンマークのような国がいくつつくれるだろうか。

投稿者 nansai : 11:02

2011年12月28日

一月一日 ことしもよろしく

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投稿者 nansai : 14:12

2011年12月27日

十二月二十七日 大阪市は燃えているか?
改革の火の手があがった。


おどおどと、おたおたと、すべて意気消沈の日本で、いま頭を高く上げて矢継ぎ早の改革案を打ち出しているのが、橋下大阪市長だ。これまでの市長には、なかったスピードだ。

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民意。この気まぐれで得体の知れぬ空気のような妖怪の影に、既成政党は怯えきっている。想定外の投票率アップに支えられた民意を振りかざす橋下氏の奔放な動きに気押されたのか。選挙で争った政党連合が、かんたんに批判のホコをおさめて作り笑いを浮かべ、維新の軍門に下った。
みえみえなのは、大義を主張するよりも、ひっこめて、次の選挙対策だ。勢いのある維新陣営を敵にまわしたくないからだろう。茶番だった。
ぼく自身は、大阪市民でもなく投票権もないが、橋下新市長の行動力、現状破壊力に期待を寄せているのだが。

今回の大阪市長選では、一部の名だたる評論家、政治学者たちが、選挙後も、口汚く、といってよいほど、橋下氏をこきおろすのに、実は驚いた。押しなべて、大阪には無関心な在京のマスコミは冷たく、あるトーク番組で、民放の年配のアナが、橋下氏のやりかたを「デマゴーグ」と評したのには、ことばの意味がわかっていないのかとびっくりした。
これほど毀誉褒貶の分かれる人物はすくない。ウイキぺディアを開くと、「橋下徹」の項目になんと41ページもの記述がある。

しかし、ホットに見える橋下陣営には、クールな軍師たちがついて、計画的なロードマップが綿密につくりあげられているのだろう。
上山信一氏著「大阪維新」(角川新書)を読んでわかった。上山氏は、慶応大学総合政策学部教授で、ブレーンの一人だ。大阪市の抱えている積年の病弊の問題点が、CTでスキャンしたように、実によく整理分析されている。橋下陣営の掲げる目標が、目先の選挙目当ての急造マニフェストではなさそうである。

大阪府民のぼくは、「ふしあわせ」と自嘲されている、府と市の不幸で非効率な関係がよくわかっていなかった。
上山氏が、橋本氏に出会う前に、大阪市役所の改革は、もう2004年に始まっていて、関淳一市長の下で、助役の大平光代氏が陣頭指揮をしていたと、上山氏はいう。
翌年に大平氏から出動要請があって、アメリカのコンサルティング会社マッキンゼーの分析手法で、辣腕の元同僚の助けを借りて、大阪市の改革案作りに取り組んだ。2年半の間に市役所の主要事業68の分析を行い、積年の大阪市の病弊が見えてきた。しかし、大阪市の市長―労組―議会のもたれあい構造では、改革は無理とわかったという。
次の選挙で、改革派の関市長は、民主党の推薦を得た平松氏に敗れ、改革は未完におわった。

今度の選挙で、ふたたびボールが改革にもどってきた。
実行力の橋下市長を迎えて、プレー再開ということになる。上山氏のようなブレーンたちが、市長を補佐して、変わるに変われない国や地方自治体のしくみに挑むのは、賛成である。橋下氏は、職員約4万人の大阪市役所はシロアリの巣だと喝破した。
ブレーンの上山信一氏は、かつて二年半にわたり主要事業68の分析を行った。大阪市は必要以上の人員を抱え込み、必要以上の給料を払っていると、「大阪維新」でつぎのように、述べている。職員一人一人は優秀でまじめだが、組織は利権をめぐる「巨大なアリ塚」のようになっている。
大阪市は、「巨大な組織でありながら、目の前の声の大きな議員や特定分野のニーズに対応することに追われている」とも。

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ぼくは、市政の参加権はないが、今度のダブル選挙戦での体制側?のすさまじい橋下攻撃には、まゆをひそめたひとりである。
大阪都という考え方には、勉強不足で、どうなるかよくわからない。だが、大阪府の中核都市のシロアリの巣のような現状に挑戦する橋下市政には市外から固唾を呑んで見守り応援したい。

市政改革とはなんのつながりもないが、ずいぶんむかし描いたオオアリクイの食事の場面をのせておく。テレビ番組でみたのだが、草原にあるシロアリの巣は堅牢で頑丈で塔のようだ。アリクイは鋭いつめでひっかき崩す。そして長い細い舌を巣穴に突っ込んで吸い取りたべてしまう。
もちろん、市政の改革は、なまやさしいものではないだろう。やすやす食べられるようなシロアリではない。反撃もはんぱではないだろう。お皿もテーブルクロスもない。マスコミもどっちにつくか、わからない。

日本全体が萎縮している現在、つぎの選挙が怖いから、無節操なバラマキ行政が再開された。
みずからの改革をまず大阪市がやってみてほしいと願わずにはいられない。


投稿者 nansai : 13:21

2011年12月14日

十二月十四日 
ことしも、せっかく龍の絵をマウスで描いたのだが、賀状を出す先が。

いよいよ押し詰まってきたので、恒例(ぼくが勝手にきめた)のマウスで描く干支の内覧会。
来年のお題は、「龍」。難題である。

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今年は、日本海溝の深淵に潜む龍が、突如、千年の夢から覚め、荒れ狂った天変地異の年だった。くわばらくわばら、来年の世界は、四海静波、おだやかな年であってほしい。
古代中国からわたってきたらしいが、お寺の天井や屋根にひそんでいるが、ほんとの龍をみたものはいない。動物園にもいないから写真がとれない。揚子江のわにがモデルという説もあるときいた。要するに、どう描いてもいいということだ。

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しかし、なかには、被災地に気を使う向きもあって、新年だからといって、ノーテンキに「おめでとう」、とあいさつしていいものか。むつかしいところだが、そこまでは考えすぎだよねえ。

古典に忠実な?山水画風のやつから、龍から脱線してタイガースファン向けと、まとまりなくばらばらに並べた次第。

このイラストのミソは、ペイントという時代物の初心者向けソフトを使用していることだ。ぼくは、マウスをぐるぐるあやつって、たどたどしく描く。わざとではなく、たどたどしくしか描けない。


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マウスは、意味のある曲線をえがこうとすると、すらすらとは描けないのだ。そこは、いまご婦人方に大流行の「絵手紙」に似ている。
だが、ペイントの強みは、○か四角い線のなかをぱっとぬりつぶせることだ。どんな不器用な人でもきれいに塗りつぶせる。また、別の色にさっと塗り替えることができる。

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絵手紙は、筆の上部を持ち、びびらせて描くから、うまい下手は関係ないというのがヒットした理由だろう。だれの手になっても、「下手がいい」、ということになる。はがきをもらった人から喜ばれるから、つぎつぎにファンを増やしているのだろう。

マウスで描くパソコン画は、肉筆でないから、一見して印刷物にみえたりして、あまり人の胸をうつことはないのが残念。あほらしくてまねするひとがいないから、どうしても個展ならぬ「孤展」となってしまう。

しかし、ペイントを使うマウス画のメリットは、その気になれば、すぐに描きだせることだ。下準備がいらない。紙も絵具もクレヨンも。
途中でも、あきたら、すぐ消せる。描きかけも、マイドキュメントに冷蔵、冷凍できるのが、何でもすぐ忘れてしまうぼくにはありがたい。


彫るアイデアさえあれば、印判のもっともらしい偽造は、お手のものだ。いわく因縁ありそうに、彫り師のわざが、数分あれば、マウスでできあがる。

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怖そうな面構えの龍のお笑いバージョン。


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つぎは、干支にこだわらない年賀状アイデア。橋本市制に声援を送りたい向きに。トヨトミリュウとはどうだ。怪獣の頭には千成びょうたん。

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四海静波、家内安全、ただ平穏無事にに過ごしたいなら、龍のかわりに癒しのカピバラはどうだろう。のんびりと、争わず、何も求めず。日々を過ごす幸せがここに。

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タイガースは、いま長い冬眠にはいっている。新監督の指揮下、始動する春まで。シーズンにはいっても、いつまで寝とるんじゃということのないように。

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マウス絵は、ま、しょせんは独りよがり芸だが、落語の「寝床」の大家さんのように自分の芸で人をなやませたりはしないのがいい。

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投稿者 nansai : 13:50

2011年12月 7日

十二月七日 あすは、何の日?
NHK「戦争証言」アーカイブをみよう。平成の「万葉集」だ。

この日は、太平洋戦争開戦の日だ。同時に鎮魂の日であるべきだろう。

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70年前、昭和十六年十二月八日は、「大日本帝国」が米英に対し宣戦を布告し、ハワイ真珠湾攻撃の大戦果に、国中が湧きかえった日だった。(現地には米海軍の記念館が建てられ、アメリカ各地では、「リメンバー パールハーバー」の行事がおこなわれている)
七十年後のいま、この日は、国としては、記念日でも、もちろん祝日でもない。思い出したくない、ふれたくない歴史の一ページなのだ。ぼくは小学校四年生。それから4年後、旧制中学二年生の夏に日本は、降伏した。
日本国民は、あやまった国是を熱狂的に支持、アジア諸国を巻き込んだ戦争により、あまりに多くの死者を出し、悲惨な結末を迎えた敗戦につながるからだ。あの戦争の実態を知る人は次々に世を去って、アメリカと戦った事実さえ知らない若い人が増えているという。
まず、NHKの「戦争証言」プロジェクトが、十二月三日土曜日ゴールデンアワーに放映されたことを、ぼくは高く評価したい。NHKは、太平洋戦争開戦70年にあたり、戦争の実相を未来へ伝えるために、当時の兵士、市民の証言を集めてきた。「戦争証言」アーカイブには、800人以上の戦争体験者の証言が4年間にわたって収集されている。いったい戦争とはなんだったのか。かれらの声をきけば、すべて、なっとくできる。

放映にあたっては、幾多の非難、妨害があったと想像されるが、NHK制作陣は、それを超えて、かつての戦争の悲惨な実像を、敵側アメリカのフイルムも編集して、生々しく視聴者に伝えることに成功した。目を覆うシーンもあえて登場させて。
スタッフの使命感とタブーへ立ち向かう勇気をたたえたい。

「戦争証言アーカイブ」は、いわば、「平成の万葉集」といってよい。のちのちまで語り継がれる国民の史的財産は、ネットで世界につながるのだ。これこそ、デジタルではじめて実現できる、真の公共事業である。クラウド化し永久保存できれば、このようなアーカイブからは、だれでもいつでも(とくに、教室で)必要なときにコンテンツを見て、学ぶことができる。これから、さらに発掘されてゆく史料映像を蓄積してゆけば、歴史教育の水準を飛躍的に高めることになるだろう。

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昭和12年から昭和20年までの8年間に、日本国民3005万人が犠牲となった。それも、そのうちの8割のひとびとが、降伏するまえのわずか2年間に、戦禍のさなか命を落としたのだ。
かろうじて生還したひとたちも、今回まで、牡蠣のように口を閉ざして戦争体験を語ろうとしなかった。アーカイブで戦場の実態を証言した人たちは、ほとんどが90歳前後だ。

万葉集にうたわれている古代の戦いでは、「海行かば水浸く屍、山行かば草むす屍」、大君のそばで戦って死のうと戦意高揚の歌がのせられている。
昭和の戦いでは、中国大陸から南海の孤島までアジア全域に拡大した戦いで、200万人の兵士が声もなく戦場に倒れた。恐ろしい数だ。しかも70%が餓死と推定されている。無計画な補給作戦で、糧秣弾薬が途絶したためだ。

NHK戦争証言であらためて確認できたことがある。それは、なぜあれほど多数の兵士、市民が降伏を肯んじず、玉砕、切り込み、自決など、死を選んだのか。
それは、戦後では想像もできない教育と命令のちからだ。
特に「戦陣訓」。中国大陸の戦線で乱れた軍規を粛正する目的で制定されたが、そのなかの「生きて虜囚の辱めを受けず」の教えが、暴走した。捕虜となれば、恥。故国の家族が非国民とされめいわくがかかる。それよりはむしろ死を選べと徹底して教えられた。
捕らえられ生還したある兵士は、恥だ、恥だといまもくりかえす。

命令は、どんなに理不尽でも非道でも、さからうことはできない。軍法会議で殺されると、農民出身の元兵士は証言している。

学校で教わっていないからか。若い人の中には、当時なぜヨーロッパのようにレジスタンスしなかったのかと問う人もいる。周りを海に囲まれた国が制海権を奪われ、通信情報は遮断されていた日本。食糧自給率はゼロに近い。支援どころか全世界を敵に回した閉塞状況は、わからないだろうなあ。

野田総理大臣の中国訪問を直前になって、中国側がキャンセルしてきた。その日が南京事件と重なることもあって、歴史認識をめぐって、不測の事態もかんがえられるということか。
歴史は、双方に重い。認識の差を、どう総括できるかは難しい。水に流したり、ノーサイドとはいかない。
「リメンバー パールハーバー」の日に改めて思う。

投稿者 nansai : 11:20

2011年12月 2日

十二月二日 
あの「悲運の名将」西本幸雄監督が亡くなった。

ずいぶんむかしになるが、日本シリーズでは、いつも西本監督のひきいるチームをテレビの前で応援していたことを思い出す。もちろん、毎年というわけではなかったが。力がはいったものだ。
大毎、阪急、近鉄。パリーグの弱小球団をきたえあげ、

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8回も日本シリーズに出場したが、どのチーム
も、あと一歩で破れ、結局西本監督の日本一胴上げはかなわなかった。「悲劇の名将」といわれるゆえんだ。数かずのエピソードは、ウイキペディアにくわしい。
パリーグの試合はほとんどみたことがなく、球場には出向かなかったが、日本シリーズだけは、名将率いるチームに肩入れした。
1979年、広島カープとの第7戦で9回裏のスクイズ失敗は、くりかえし放映されて「江夏の21球」として球史に残る。

「かれの下でプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた。」
その年「赤鬼」の異名で活躍したチャーリーマニエル氏は、元監督の死をおしんだという。大リーグ、フィリーズ監督のかれは、2008年にはワールドシリーズを制覇している。

西本さんは、今年の日本シリーズみていただろうか。
「魂の11球」。第四戦、ソフトバンク森福投手の投球だ。
先発がつかまり、森福が急遽登板して無死満塁のピンチを十一球でしとめた。171センチ、68キロの左腕の小さな図太い投手が、あわや中日に傾いていたシリーズの流れを変えた。

かれはMVPどころか、どの賞にノミネートされることなく、新聞でもほとんど無視された。しかし、テレビの前の評価は違った。
「魂の十一球」の瞬間最高視聴率、なんと、21.7%。
あの「江夏の二十一球」とダブる、とスポニチ紙にいわしめた快投だった。ぼくは、この小さな大投手の名前を、手に汗にぎるこの回まで知らなかった。
「江夏の二十一球」から、31年たっている。
伝説の名将に、合掌。

投稿者 nansai : 11:50

2011年11月24日

十一月二十四日 最近、こんなに、ぼくに効いたCMははじめてだ。でも?

昨日、通院先の医院で、肺炎球菌ワクチンの注射を打ってもらった。CMを見て相談して、その場の成り行きで、一か月前に予約。こまごまアンケートに記入させられ、納得のサインの上だが。

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ある日突然、中尾彬がCMにでかい顔のアップで現れた。自分も肺炎でえらい目にあって死にそうになった、65歳過ぎたら肺炎球菌ワクチンをと、紹介する。
日本人の死因の第4位が肺炎だという。

そういえば、最近肺炎でなくなる老人がふえたな。疑い深いぼくにも、65歳過ぎたらといわれて、どきり、妙に説得力があった。
ちょっと気になったのは、短いCMの画面では、どこが広告をだしているか、赤いマークが小さくてよくわからない。わざとだろう。どうせどこかの製薬会社だろうが。親切な広告だが、仕掛け人がみえない。

へえ、肺炎にワクチンが効くのか、と信頼する通院先のドクターにきいてみた。
「テレビでみたのですが、あんな注射、効果あるのですかねえ?」
いつもは辛口意見の先生が、一も二もなく、ゴーサイン。予約しておきましょうということになって、あれよあれよ。

医院によってばらつきがあるらしいが、注射代金は、保険がかからず、9000円だった。パンフレットもなく、かかりつけの先生を信じて、「肺炎球菌」とは結局なんだかわからないうちに、注射は五年間効き目があるそうだ。よかったのかなあ。どこかに保存するようにと、注射日時シールをもらった。

あとで、グーグルを経てサイトをみたら、ハイエンヨボーコムに延々と「肺炎予防推進プロジェクト」のくわしい(読めばだが)解説がのっていた。覆面で仕掛けた広告主は、MSDという企業らしい。
「65歳過ぎたら肺炎球菌ワクチン」
と、政府広報か公共広告を装っている手口が、ちょっとひっかかった。お役所からのお知らせともとれるからだ。うたがってかかれば、「正義」をよそおった巧妙な勧誘ともとられてもしかたがない。医者の口添え、是認がなければだが。
ぼくは、くわしい解説を読まずじまいで、ドクターを信じて輸入ワクチンを注射してしまったことになる。ネットにアクセスできない65歳以上の人のほとんどの人がそうだろう。ドクターがOKならば、保険がかからなくても、ま、いいか。それほど通院先の懇意な医者への信頼はあついのだが。
中尾彬のCMをユーチューブで探したが、こちらは行方不明。ぼくの関心を見事つかまえたCMは幻だったのか?

投稿者 nansai : 15:01

2011年11月18日

十一月十八日 親子げんかに「正義」はいらない

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クライマックスで敗退したら、はいそれまで、阪神ではとっくに野球シーズンは終わっている。日本シリーズはひとごとである。関西のスポーツ紙も売れるわけがない。

そこへ、降ってわいたビッグ?ニュース。
「巨人、クーデター」
閑古鳥をかこっていた関西のスポーツ紙がとびついた。
日本シリーズそっちのけで、デイリーデイリーの見出しが躍る。「読売巨人清武代表の涙の告発、渡辺会長は「球団を私物化」とある。
清武代表は、文書で渡辺会長を球団人事に口出ししたことがコンプライアンス違反として告発、記者会見も。それも文部科学省で。
ナベツネ御大もだまってはいない。著しい名誉毀損だ、謝罪を求めると反論したという。
巨人のフロントは、クレムリンのように鉄壁の一枚岩だと思われてきただけに、意外な内輪もめ、というより前代未聞の内部告発だ。

古来、「隣の不幸は鴨の味」というから、こたえられない。マスコミ各社はやじ馬と化し、ここにいたるまでの巨人内部の事情をこまごまと解説してくれる。泥仕合は興味しんしんだが、しょせん人事をめぐる親子間のメンツの問題らしい。
ゼネラルマネジャー清武代表が「正義」をふりかざしたのに、テレビのお手軽な世論調査では、一杯機嫌のサラリーマンの意見は、おおむね、「同情はするが、ぼくは家族が大事だから、あんな行為には出ない。」

あげくのはて、毎日新聞は社説で、大まじめに「野球は社会の公器だ」として、「大リーグを見習え、所有企業の広告塔ではない、コミッショナーが出てきて巨人に注意せよ」とぶちあげた。たかが、内輪の縄張り争いなのに。
ナベツネ氏は、自分を馬主と思っているに違いない。かれからみれば、ジャイアンツは、負けがこんで大レースにも出られない競走馬のような存在だろう。天下の公器とは考えていないはずだ。

お家騒動といえば、自慢にならないが、かつては阪神のお家芸だった。関西の野球ファンからいうと、巨人のフロントには苦い思い出がある。
巨人の無軌道な選手取りは、手段を選ばず、かつて、南海が別所や長島をさらわれ、阪神がくじで引き当てた江川投手を政治家をつかった妙な口実で交換させられたり、枚挙にいとまがない。江川取りの際の「空白の一日」のように、今回も「コンプライアンス」とか「名誉棄損」など法律論?を持ち出すくせがある。
それみたことか、といってみたいが、大人気ない。

全世界が暗い話題でうつむいているとき、このような箸のこけたような話題を、新聞テレビが大きく取り上げ、TPPも日本シリーズもそっちのけで、ぼくら野次馬もそれにのっている。
日本は平和な国なのだろうか。多分。

投稿者 nansai : 13:40

2011年10月28日

十月二十八日
日本の農業をどうするのだ、と聞かれても

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TPPに参加するかしないかで、尊農攘夷、日本中が二つにわかれてもめている、とニュースは伝える。
ふつうのひと、つまり消費者かつ有権者には、ことのしだいが、よくわからない。

「参加すれば日本農業は壊滅する」と、全農は反対し、人や署名を集めて、気勢をあげる。テレビに映るのは、農家代表のシュプレヒコールの場面ばかり。
鉢巻き締めて、全農の指導者は叫ぶ。政府は急いで日本農業の行く末の方針をださねば、TPP参加絶対反対。といわれても、国民は、消費者の立場から、先送りと失敗を重ねてきた農政の迷走振りをよくわかっていなかった。落選がこわい政党は、目先の農村票が、なによりたいせつだ。数はチカラだから。
行く末を見据えた国益としての農業対策は、もしあるとしても、口がさけても約束できなかったと思う。

都市に暮らす消費者は、長年、自分たちの税金を湯水のように使ったあげく、いまの耕作放棄地と農業の担い手が跡継ぎがそだたぬままに老齢化した結果について、無関心だった。長年の農業振興という名の公共工事の無駄遣いを認識していなかった。

もちろん、これから企業の力など導入して、新しい試みでカイゼンすれば、局面が開けることを期待したい。しかし、いまのままでは、先はみえない。

過去をふりかえり、さきざきを考えるタイムマシーンのコックピットで、スーパーコンピューターのデータ(いま出ている新書版の解説書4,5冊分でオーケーだ)から読み取ると、どうなる?
しろうとのぼくに見えるのは、つぎのような景色だ。
日本の農地は、いくら税金を投入しても、耕作不能地がますますふえる。農地を耕す人がいよいよ老齢化を超えて、ついに不在となる。職業として、水田農業をこれからの若者は、認めなくなる。家族が養えないからだ。
とすると、ゆくゆくは、日本の農家は、耕作放棄か、(いまでも農協や工場で収入を得ている兼業農民だ)
嫁さんだけでなく他国から移民に耕作をゆだねるかだ。(これも選択肢のひとつだ)

世界人口が80億をこえ、このままでは食料不足は、目に見えている。

日本のように国土がせまく、自給率に懸念をいだくよその国は、どうしているのだろう。
自国の農業の限界をわきまえて、国境を越えたアイデアで行動しているらしい。
たとえば、お隣の韓国。
「穀物調達、官民で海外開拓」と日経新聞で報道されている。食料不足による価格の高騰にそなえて安定ルートをつくっておくねらいだ。政府と総合商社が、官民の資金を活用して、共同事業体を組み、海外の資産拠点や物流網の構築に乗り出すとある。まず、共同出資会社を米国にたちあげ、小麦やとうもろこしや大豆などの穀物を輸入する。ロシアやブラジル、ウクライナ、東南アジアに段階的に拠点を作る計画だ。
次はデンマーク。
デンマークの養豚業者は、国内での事業拡張にみきりをつけ、とくに東ヨーロッパに広大な土地を確保し、大規模養豚経営のための投資を2004年からはじめている。
「デンマーク、ノルウェー、ロシア、バルチックボーグ投資会社という3つの国名を織り込んだ会社が、バルト海岸のカリングラードで2500ヘクタールの土地でプロジェクトを立ち上げているという。(ケンジ ステファン スズキ氏の著書から)

いづれにしても、どこの国も官民の大資本が、国境を越えて、このような計画をうごかすのだ。
これから人口が減り、狭い国土に農耕適地のすくないわが国は、国境をこえた柔軟な発想が、どうしても必要になる。国も、生き残りをかけている企業と同じように、マーケティングが必要だ。

日本も自給率を高めるには、いまの円高を活用して、世界と農業で手がつなげるのではないか。

投稿者 nansai : 16:26

2011年10月17日

十月十七日 ピリオドの月。トラは死してTシャツに。

未曾有のこの国難にプロ野球なんか、という自粛気分の開幕だった。


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ことしも、阪神は、阪神らしく、戦ったと思う。そう、阪神らしく。そして、Bクラスに落ち着いた。
クライマックスシリーズに参加できなかったとして、監督は「辞任」という名の解任。

ひともうらやむ補強をしながら、土壇場のここぞというところで、音量だけは世界一の大声援をバックに、踏ん張りきれなかった。

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あまりにも、いいところで、打てな過ぎた。あれれ連敗という毎度おなじみの歯がゆいパターンも、阪神らしい。
力のある選手たちも大観衆の前でいっしょうけんめいプレーしたように見えたが、ことしもへとへとになった終盤で息切れし、結果が出せなかった。優勝争いから脱落してからは客足は一気に減少したと報じられた。
阪神ファンたるもの、いつも最悪のシミュレーションを覚悟し、ま、楽しまにゃ。(ときに、あまりに好調で勝ち進むと酔いしれながらも、待てよ、こんないいことが続くわけないと、そわそわ落ち着かないのだ。)

取りこぼしが続き、天王山の大阪ドームで空席が目だったので、選手もぎょっとしたらしい。今季の観客動員は、成績とは違い12球団トップだが、3季ぶりに300万人の大台を割るらしい。

ファンの怒号で、球団もあわてたのだろう。目の肥えたトラキチからみれば、なにしとるんじゃ、という采配で、動員数が落ちたとなれば、ほってはおけない。クライマックスに出場できなかったら、監督コーチそろって切腹の処分を発表。

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真弓監督も、二年前、突然指名されて、とまどいながら監督を引き受けた。
ハンサムで名選手ではあったが、監督のリーダーシップ、技量、経験を見込まれたわけではなかったから、白羽の矢を立てたほうに大きな責任がある。契約は、あと一年のはず。
生え抜きの阪神出身でなかったから、古参選手への遠慮もあり、やりにくそうだった。
古参に甘く若手に厳しいのが、阪神の伝統で、だから出場の機会の少ない若手が育たないと、スポーツ紙はきびしい。

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新監督選びは、なかなか難しい仕事だ。
まず、勝つ能力のマネージメントが必要、つまり勝てる人材への投資だが、カンタンなはずがない。ともすれば、ひいきの引き倒しになりがちの人気と現実の実力を天秤にかけ、新陳代謝をはかる、これがむつかしい。
ファンは勝手な注文をつける。毎試合、自分のひいき選手(実力は伴わなくても)にでてほしい、いいプレーを見たい、勝ってほしいのだ。

球団として、もっと大事なのは、興行成績を維持することだろう。
なにしろ日本一のドル箱人気球団の利益計画だ。タイガースファンという、大球場を満員にしてくれる大観客を決して減らしてはならない。阪神電車と甲子園の運命がかかっている。
むかしある代表が、「優勝はするなよ。二位でいい。」といったとか。優勝すると、何かと物入りだから。経営者としては、これはおそらく本音だろう。ファンとしては、優勝して溜飲をさげたいのに。

中日は、日本一の八年目の優勝監督と契約を更改せず、ここらで新しい風を入れたい意向らしい。人気回復を考えたか、ドラゴンズはえ抜きの名選手、71歳の元監督が起用された。
野球は興行だ。勝ち続けても、球場に来る観客が増えるとはかぎらないと割り切ったのか。胸のうちはよくわからない。監督人事は、大リーグではどうなのだろう?毎年勝ち続ければ、首にはならないのでないか。

阪神球団も、つぎの監督候補は、タイガース生え抜きの中からと選ぶつもりという。野村、星野監督招聘の前は、身内から選んで、なぜか過去さんざん痛い目にあってきた。

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日本シリーズは、このままゆくと、不人気シリーズになるかもしれない。関西の スポーツ新聞の一面は、トラの次期監督を面白おかしく書きたてるだろう。内部昇格なら、和田コーチが有力らしい。ぼく個人は、プレーボーイ誌のあげる元ヤクルトの古田が適任と思うが、むりやろなあ。

阪神の人気低迷は、球界にくらい影を落とす。某紙によれば、巨人のナベツネ御大は、タイガースは落合監督をとれ、とけしかけているという。阪神巨人が盛り上がらなければ、セ・リーグの明日は望めないという読みからだ。

ともあれ、新監督の下、タイガースに鬼も笑う来年を期待しよう。再出発のはなむけに、Tシャツ用のデザインを、ぼくのトラ・アーカイブからひっぱりだした。「カーネルサンダースの呪い」祟り封じも。


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投稿者 nansai : 15:13

2011年10月13日

十月十三日 
56歳と100歳。偉大な二人の人生に思う。

偉大な革新者スティーブ ジョブズの恩恵を、ぼくも、毎日受けていたのに気付かなかった。ぼくの絵は、すべてマウスを動かして描いているのに。

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このマウスは、天才スティーブ ジョブズがはじめて製品化した。かれは79年にゼロックス研究所を訪れたときに、はじめてマウスを見た。そしてその瞬間このちいさな機器がコンピューターの世界を一変させる可能性があるとみてとって、以降、精力的に製品化を推し進めたといわれている。
うかつにも、ぼくはマウスを世に送りだしたのがジョブズとは知らなかった。


アップルのホームページを開くと、創業者スティーブ ジョブズの遺影が、射すくめるような眼光でこちらを見つめている。
56歳の若さでスティーブ ジョブズがなくなった。
早すぎる死を惜しまない人はいない。ぼくのようなマック音痴にも損失の甚大さはわかる。
「未来を、ありがとう」ニューズウイーク誌は、巻頭でカレジの落ちこぼれが,我々を未来にみちびいてくれたと感謝している。

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20歳で自宅のガレージでアップル社を起こし、ついには異なる五つの産業に大きな影響を与えたといわれる波乱の生涯だった。

有名な「ステイ ハングリー ステイ フーリッシュ」(いつも貪欲であれ、つねに謙虚であれ)でしめくくったスタンフォード大学の6年前の卒業式のスピーチがユーチューブで、いまも流れている。字幕付きだ。
きょうで命が果てると思えば、きみは、なにをするか。
いったん不治と宣告された病の手術が成功して、卒業式に招かれた。自分の思うままに生きよと、シニカルなはなむけのスピーチに、こう述べて、若い聴衆の感動をよんだ。

人生にとって教育とはなにか、学歴とはなにか、を考えさせられるかれの一生と業績だった。

学費が高すぎるといって 大学もほとんど行かず、ビジネススクールにも通っていないかれは、あらゆる既成概念を無視した自由な発想で、アイフォン、アイパッドなど、数々の革命的商品を市場に問うた。フロッピーディスクもいつの間にか姿を消してしまった。
かれは、製品のデザインで、ふつうのひとびとがバカチョンで使えるよう心を配ったといわれる。使いづらい、むだなボタンを極力はぶくように現場に要望したとも。
日本でも、パソコンが苦手だった高齢者たちが、スマートフォンに興味をいだくようになり、山村の自治体でも、緊急情報とか巡回バスの時刻表など発信し、みな簡単に使いこなしている様子がテレビで報道されていた。

昨夜は、NHKスペシヤル、「日野原 重明 100歳。命のメッセージ」が放送された。
現役医師として百歳のいまも、終末医療に関わり、緩和ケア病棟で患者たちに元気を与えつづけている医師に一年間密着取した映像が放送された。
百歳の医師は、時代を駆け抜けてあわただしく去ったジョブズ氏の二倍近い人生を生きて、なお末期の患者たちひとりひとりにしづかに生きる喜びを伝えている。そのすがたに、深い感銘を受けた。その使命感はどこからくるのか、特集は教えてくれる。

ジョブズ氏の業績は、市場に流れ込むアップル製品とおびただしい量の情報が、ネットで世界に伝えられるだろう。
いったんは、病のために絶望の淵に追いやられたが、手術に成功したジョブズ氏は10年足らずの残りの人生を燃焼しつくして、アイフォンなどの製品を世に送り出した。世界が、その恩恵に浴している。

一方、文化勲章など数々の名声はかくれもない日野原医師だが、病室で末期の患者ひとりひとりのいのちに最後までやさしく向き合う、百歳の日野原医師のすがたは、テレビ局の密着取材でしか、世間に伝わることはないだろう。
しかし、こうした番組を通して、日野原医師の「医は仁術」の考え方が、ひとりでも多くの次世代の若い医師たちに伝わることを祈りたいものだ。いまの底知れぬ不安な時代に、人心はあまりにも荒廃しているから。
残念ながら、日野原先生の温顔は、ぼくのマウス技では到底描けなかった。

ジョブズは、死期をさとっても、間際まで、自分を信じて、つぎの新製品の指示を出していたに違いない。
日野原医師は、末期がんで、自分を見失いかけている患者たちに元気をあたえる看取りをつづけている。

激しい56歳と穏やかな100歳。それぞれの死への向き合い方は、大事な何かを教えてくれる。

投稿者 nansai : 12:58

2011年7月27日

七月二十七日 熱中症防止は、首のここを冷やせ。

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「首冷やしてクール」
いいアドバイスが朝日新聞にのっていた。
首の前面には、体温を調節するセンサーがあるのだそうな。知らなかった。で、濡れタオルで鎖骨の少し上の当たりを意識して冷やすと効果があるらしい。体の表面ちかくに太い血管が走っているからだ。これはよさそう、早速採用だ。
首の後ろはタオルで冷やすと気持ちがいいが、首の前面が大事だったのだ。

ことし、熱中症で病院に搬送された人は、もう二万二千人にのぼり、死亡した人は100人以上と、NHKが報じたのにびっくりだ。
昨年よりも40%も多いらしい。
そのうち高齢者が70%をしめているとか。どうなっているのだろう。節電が関係あるのだろうか。

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熱中症をつよく意識したのは、昨年だった。
連日、テレビがひっきりなしに、気をつけるよう警告した。あまりにくどいので情報公害のような感じで、ゴルフに行っても、くそ暑い日は、やばい気がして、なんともなくても、びびってしまうところがあった。あんまり汗をかかないぼくは、それまでは、夏暑いのは暑くて当たり前と思っていた。

戦時中、旧制中学生のころは、水をがまんする過酷な長距離行軍に参加させられたが、それでも倒れる人はいなかった。スポーツ選手が水をひっきりなしに補給するようになったのは、いつごろからだろう。

投稿者 nansai : 14:52

2011年7月26日

七月二十六日 なぜかたづかないか、ガレキ砂漠。

四ヶ月たっても、テレビの画面に映し出される被災地の瓦礫の山がかたづかない。報道によると、まだ三割しかかたづいていないという。瓦礫からの猛烈な悪臭は、TVでは伝わらない。三月十一日以前に、そこで暮らしをいとなんでいた人々を思えば、胸が締め付けられる光景だ。暗然とする。

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なぜガレキ処理は、はかどらないのか。
はばむ複雑なハードルがあるのか、もとより現場を知らない域外のしろうとに、よい知恵のあろうはずがない。無力なぼくは、イラストで、力自慢のぞうさんを出動させた。Tシャツのデザインにしかならないが。

人手がたりない。ボランティアが足らないから、瓦礫が除去できないという一部報道も見受けられた。
減ってきた学生ボランティアに、単位を与えてきてもらうというのもある。
瓦礫を処理できない原因は、土木機械が圧倒的に不足しているからだ、という投書があった。なぜ、不足しているか。不況で経営の苦しい中小の建設会社が、土木機械を外国に売払ってしまい廃業したせいで、同時に、地元に合った土木技術も失われたからだという意見だ。

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さいきん、避難所から自動車学校に通い、大型特殊自動車の免許をとり、ガレキを除去するショベルカーやロードローラーを運転する技術を習得する人が増えているそうだ。
漁をあきらめた元漁師がこのままでは家族を養えないから、土木機械の運転で生計をたてると決意を語っているのをニュースでみた。応援が必要だろう。

ほどこしではなく、みな自力で稼ぐことをのぞんでいる。とりあえず地元で稼げる仕事が必要だ。
ガレキ処理は、地元の雇用に大きく貢献するが、手と重機がたりない。そのためにも、ひろく民間の企業と資本が馳せ参じる態勢ができているのだろうか。
ファミリーマートは、買い物に不便な仮設住宅に小さな店舗を併設した。従業員は避難地区から採用、ユニット工法の仮設店舗は二週間で立ち上げた。もちは、もちやの力があるのだ。

イラストのゾウさんたちも、特殊自動車の免許をとって参加させることに。ぼくの知人のグループも、岩手で雇用促進の一助として、カレーの屋台販売ノウハウを支援している。

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不幸な人々を支えたい、分かち与えようとするボランティアたちの善意は尊い。しかし、チカラ仕事の瓦礫処理は、膨大で手に余る。無給の善意の労働を、いつまでも、ボランティアたちに期待するのは無理なことではないか。

先の大戦で破れ、焼けだされ、復員、引き揚げた日本人が、焼け跡からたちあがれたのは、ばらばらの自助努力であると往時を知るひとたちはいう。戦前の古い体制がひっくり返ったのは大きい。
雄々しさといったかっこいいものではなく、食うために闇もやり、遮二無二、ベンチャービジネスが立ち上がった。

被災地の復活は、これからの時の流れをどう読んで動くか、市場の需要動向にどう乗るかにかかる。それも、グローバルに、だ。
市場メカニズムにさからう無理なプランは、ついえてしまう。国のほどこしを頼りにすると、目算はづれで、地域経営が破綻してしまう夕張市などの例が山ほどある。

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復興の主役は、若い世代だろう。競争にひるまず、資本を集め、挑戦する三十代前後の血気盛んな若い起業家たちが、望みの綱である。
将来を担えない年配の既得権者たちに、意見をきくのはいいが、まかせられない。農地、漁業権など、じぶんたちの既得権をさまざまな理由をつけて守ろうとするからだ。とおい五十年先の地域ビジョンよりも。

そこに、口当たりの良い公約をぶらさげて、国益よりも、目先の一票がほしい政治家がつけこんでくる。増税など口が裂けても持ち出さない。落選につながると信じているからだ。

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ふるさと創出は、地元には耳ざわりがいい掛け声だ。しかし、投資がペイするか、持続できるかを、市場メカニズムが判定する。
企業なら、その流れを読んで行動する。まちがえたら、卽、撤退だ。さもないと存続が危ぶまれるからだ。さきざき収支あいつぐわない投資は、どんなロマンチックなプランでも破綻し、後世というより他地域の人たちの税負担となる。

これから「ビジョン」満載の公共事業案が、つぎつぎに登場するだろう。
往年の「列島改造論」のような妖怪が徘徊するかも。
思い起こせば、戦後、食料不足解消のため、恵まれた環境を破壊して、日本列島でいくたの干拓工事が行われた。あれはなんだったのか。秋田県の八郎潟などは、埋立てなければ貴重な観光資源になったはずである。それがいま耕作放棄地は、日本全体で埼玉県なみの広大な面積だ。

人口が減り、高齢者がふえて、若者が去るのは、この地方だけではない。この地域の農業、漁業、水産加工は、かわりの労働力を外国人に頼らざるを得ない。
そうなると、別の問題が浮上してくる。
三〇年先、百年さきの東北のすがたが虚心に読めるタイムマシーンがほしい。

「賢く縮む」。スマートグロース。成長は大きくなることではないと、人口が減り高齢化のすすむ先進諸国では、縮む都市の研究が進められているという。
従来の「活性化」モデルをなぞると、カラ元気に終わり実情にあわなくなるのではないか。二一世紀の日本も、東北も、賢く縮む戦略が必要になるだろう。


投稿者 nansai : 11:53

2011年6月 7日

六月七日 国難と政府―沖縄戦と東日本大震災

巨大津波のもたらした見渡す限りの廃墟が、毎日のようにテレビにうつしだされる。
しかし、被災地からはるか離れた東京では、国会議事堂が漂流している。連日、政党間の「場外乱闘」がおもしろおかしくマスコミをにぎわせている。「ペテン師」などと罵詈雑言が飛び交う、大義なき個人攻撃。口汚く、聞き苦しい。

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視野狭窄の国会議員の頭のなかは、国益よりも、身の振り方、目先の政局対応でいっぱいなのだろう。
そんなひまがあったら、被災地のガレキの山をどうするんじゃ、はたらかないのなら、国会議員の歳費をかえせ、という声もあがる。

震災の廃墟の光景に重なって、戦争を体験したわれわれ年配者には、それに、さきの敗戦の焼け跡がだぶって見える。
66年前のちょうど今月、十八万人の死者を出して、沖縄戦は終わった。市民も巻き込んだ逃げ場のない戦いだった。あと二ヶ月で日本は降伏したのに。

津波のような米軍の二カ月間の攻撃で、日本軍は組織的抵抗を終えた。命令により降伏をゆるされず、最後まで抵抗した日本軍兵士は、敵の徹底した報復の標的となり殲滅された。戦争を知らない人は、ウイキペディアで「沖縄戦」を参照してほしい。海兵隊員スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社学術文庫)も。
半世紀後、東日本震災に出撃した米軍の「トモダチ」作戦は、日本人に感謝されている。

当時、日本の戦争指導者は、沖縄を、連合軍の本土上陸を阻む「防波堤」と位置付けていたのだ。戦いが終わり、あとには、爆弾と砲弾のすさまじい破壊による瓦礫が残された。
延べ二千機の特攻機による連合軍艦艇への捨て身の攻撃もむなしかった。
巨大戦艦大和も、四月に沖縄に向け海上特攻に出撃、雷撃を浴びて、あえなく海の藻屑と消えた。信じがたいかもしれないが、銃後のぼくらは、7万トンの秘密戦艦「大和」の存在(もちろん沈没も)をしらされていなかった。

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五月には、同盟国ナチスドイツは無条件降伏し、世界を敵に回した島国の日本は孤立無援だった。
そんな状況でも無策の戦争指導者は混乱して和平の道を探せず、大空襲で原爆投下で都市を焼き払われ、多大の死傷者を出した。
しかし、なおも徹底抗戦して、一億玉砕しても国体を護持すると言い募る陸軍。沖縄敗戦からわずか三ヶ月後の八月の降伏決定まで、指導者たちの議論が紛糾した。
だれがみても敗戦必至の状況に政府は目をそらした。無策のままむなしく時間を空費し、大都市大空襲と原爆の投下とソ連の火事泥的参戦を招いたのだ。
降伏に至る判断の逡巡により、この年だけで二百万人の失われなくてもよい人命を、日本は失った。ようやく無条件降伏を連合国に伝えたのは八月にはいってからだ。「国体を護持し得て」(終戦詔書)、戦争は終わった。戦禍にたおれた犠牲は300万人といわれている。

昭和以降近年の政府が信用できないのは、国難に際しての決定の優柔不断だろう。国難に遭遇すると、日本の政府指導者たちは、いつも、このようなパターンをとる。難局でもたつくと、ここ一番の合意が得られず、いつも決断がさきおくりされるのはなぜか。縦割り組織間の意思疎通にかけ、責任を持って裁断する権力者がいないこと。

今回の震災では、自衛隊の救援体制だけが、事前にシミュレーションされ、的確に部隊を投入し行動できた。

今回の震災が人災といわれるゆえんは、政府と東京電力の組織運営力によるところが大きい。その底流に長年にわたる根深い権力の争いがあったことがわかった。
前の戦争は、「神州不滅」、精神力で負けるはずがないという思い込み、今回の事故は「原子力の安全神話」に頼りきった点は共通している。日本の英知が結集したはずの原子力行政の破綻。原子力「ムラ」と呼ばれるエリートにゆだねた「国民」の責任なのだろうか。

投稿者 nansai : 11:41

2011年5月 2日

四月二十九日 核の花と水仙の花

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ニューヨーカー誌3月28日号の表紙は「暗い春」だった。
外国の目からみた日本の春。暗闇をバックに核マークの花が咲いている図だ。日本人のぼくにはとても描けないアイデアである。
東北から遠く離れた、ここ大阪の花見も、天満橋河畔の造幣局の「通り抜け」を最後に、あっけなく終わった。名物の夜桜は、照明の自粛で、今年は取りやめとなった。気分が萎縮してしまった。
年々歳々、花相似たり、年々歳々人同じからず。花に罪はないのだが。
今頃、桜前線は北上して弘前あたりだろうか。被害三重苦の始末がつくのは、思いの外、はるか遠いさきの話らしい。
いま前途に希望のみえない被災者の人々が、せつにのぞんでいるのは、 すべてを3月十一日のあの日にかえしてほしい、ということだろう。
そう望まれると、ことばもない。時計の針を逆回しして、それが可能なタイムマシーンは、何十兆円かけてもつくれないのがくやしい。
放射能を遮る防護服も作業ロボットも、日本の技術力の想定外だった。

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過日天皇ご夫妻が宮城県の避難所を見舞われた際に、一人の奥さんが、美智子皇后に黄色い水仙の小さな花束を差し出した。
その奥さんの家は、津波でまるごと流され、土台しか残っていない。ある日帰宅してみると、自宅の庭の瓦礫のそばに、震災前に埋めておいた球根から黄色い水仙が芽を出しているではないか。いのちは強いものだ。奥さんは、早速小さな花束をつくり、私たちも負けず
にがんばりますからといって避難所で皇后に手渡した場面をテレビカメラがとらえていた。
「握手していただきました。白くて暖かい手でした。」
喜ばれた皇后は帰りの飛行機から降りるタラップでもしっかり手に抱いておられた、とNHKテレビが報じていた。

この黄色い水仙のエピソードは、象徴的だ。
流された家の敷地の黒いヘドロの土のなかから、植えておいた球根から水仙が芽を吹き、けなげにも花を咲かせたのだ。津波に耐えた復活のシンボルにもなるだろう。水仙の花の絵は、ぼくには難しかったが描いてみた。

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未曾有の国難にあたり、これからどうしたらいいか。東北を、日本を。だれもが意見を述べるだろう。
フィナンシャル・タイムズが日本の公共工事を皮肉ったように、従来ならば、こんな時、日本はセメントと鉄と水でしのいできたのだが、今度はそうはいくまい。
有識者、政治家たちが、百家争鳴めいめい勝手な復興計画案を並べ始めるだろう。早くも百家争鳴の即興アイデアが、週刊誌各紙にわんさとのっている。政府が委嘱した二十の委員会にも有名人が目白押しだ。綺羅星のごとき委員会のメンバーも、坂本竜馬、高杉晋作クラスの若手の新進気鋭のサムライがすくなすぎるのではないだろうかと気になる。

はたして、正しい最適案は生まれるのだろうか。解は無数にあるから、優先順位はつけにくい。収拾がつかなくなるのは必定。

この国難にあたって、日本を、東北を、これからどうするか。必要なカネは、五十兆円以上といわれる。
国難となると、いつの時代も、愛国者があふれる。だが、高齢者に、なにができるか。こんご持続可能な納税しかないだろう。それだからこそ、血税の無駄遣いを厳しく監視したいのだ。

とりあえずの復旧と、百年後を見据えた、東北という「くにのかたち」を分けて考える。

知恵とかなりの時間が必要だが、若い日本人の底力は、東北を浮上させるだろう。選択と集中、よろしきを得ればだ。
しかし、いまどん底の境遇にある高齢者たちは、経済的にも燃え尽きている。不運な高齢者たちが、せめて平穏に余生が全うできるように、適切な医療が最低限受けられる環境と設備を整えるための緊急体制が必要だ。
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さて、東北の具体的な将来像。
納税以外に、ぼくに口をはさむ権利はない。だが、長く生きてきて、ものごとを大雑把にしか考えられないぼくは、しみじみ思う。
なにごとも、無理はいかん。ほどほど身の丈にしておかんと。えらい目にあうで。

神話を信じて日本人はひどい目にあった。神州不滅の不敗神話とか、原発安全神話とか、シミュレーションの足りない思い込みを信じては、あかん。アメリカに宣戦布告するとか。日本列島改造論とか、水面下60メートルの防潮堤なら、大津波が防げるとか。
無理は、あかんで。先を見通さずに、元気のよいように見せかける無責任な役人や政治家にだまされるな。

戦前の昭和に生まれ国難に翻弄されたぼくが国民としていっておきたいのは、人知のおよばぬ二つの原理に逆らうな、ということだ。
それは、自然の摂理と市場原理である。

日本列島東岸沖のプレートの境目の震源域は、日本海溝の海底に二億年前から現存していたという。その事実を無視して設計に織り込まなかった建設関係者は、不遜にも自然をなめていたのだろうか。
地球にしてみれば、地震も津波も、げっぷか、しゃっくりの発作みたいなものだ。千年か百年か十年か、定期的に?大小の地震津波を発生させ、くりかえし日本列島を襲ってきた。

素人考えでも、原子力は制御できるかもしれないが、津波を引き起こす地殻変動には抗しきれるはずがない。
原発や防潮堤のみならず、今後建設する大小の構築物は、厳密にハザードマップを作り直し精査して、活断層を避け、耐震、免震、制震構造をほどこさねばならない。こうして、見直された基準値に基づいて、最新の技術を開発して施工すると、この地域での構造物は恐ろしく高いものにつくだろう。
グローバルな競争にさらされ利益を追求せざるを得ない企業は、すばやく対応するだろう。しかし、「とーちゃん日の丸」の公共事業は、そのとき償却にいたるコストをどう織り込めるか。納税者は、監視しなければならない。

日本海溝8キロ海底の震源域は、これから何億年も人間のいとなみと関係なく存在し続けるのだろう。
このような世界有数の地震頻発地帯にあえて建設するとあっては、建築構造物は、これまで以上に、採算性が問われるのは必至だ。従来のような採算性の「作文」は許されない。採算は無視できない。
誘致に安易に乗るかたちの過去の公共事業は、政治指導で無理な目標をたてて地元をうるおしてきた。選挙区の票とおこぼれの利権のためである。

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納税者のひとりとして、ぼくは、最近待望論の高まっている小沢一郎的な環境が整うと、悪夢のような田中角栄流の列島改造待望論のもとにお涙ちょうだいばらまき工事がつぎつぎに大手を振って企画されるのが心配である。復興の美名のもとに、二度と大津波に流されない、超巨大防波堤などだ。万里の長城や,戦艦大和はもうたくさんだ。
納税者のぼくの立場からいえば、破綻に瀕している財政から、税金や国債で吸い上げたカネをそんな風に使ってほしくない。
ある専門家は、津波のエネルギーに抵抗できる人工の構築物はない
と言いきっているのだ。無理はあかん。無理は負けるで。

つぎに人口が減り、高齢者が増えるという冷厳な現実が日本にせまってくる。好むと好まざるにかかわらず。人口の80%が都市に集まると予測されている。いくら勢いよくグランドデザインとか、ビジョンを作文してうたいあげても、それが現実を踏まえなければ、冷厳なグローバルな市場原理の流れには勝てないような気がする。
残念ながら、東北は、その少子高齢化社会の未来のサンプルにほかならない。2010年に一一六八万人が、2050年には七二二万人に減るという政府予測だ。その半分は、高齢者だ。
長い年月を経ると、いかに故郷が恋しかろうと、市場原理のままに、人々は、移動する。集落も、工場も。なにも、日本に限ったことではない。
若いひとが、ふるさとを出てゆく。残るのは老人たちばかり。先祖
は、傾斜のきつい山ぎわの田んぼを段々に耕したが、機械のはいらないまは、耕作放棄地にせざるを得ない。

地元に、若い人のやりたい仕事がなく、食えないからだ。
三陸海岸の水産物か工場は、研修生という名の中国人労働者がいなければ操業できない。茨城県のイチゴハウスも、収穫する中国人労働者が帰国したため、ハウス内で枯れてしまった。
労働力不足の東北は、五十年後、百年後にはどうなるだろう。このまま、研修生という名の低賃金の外国人労働力によって、支えられる「特区」地域となるほかないのだろうか。

それでは、市場原理にさからわない東北再生をどのように計画するか。地域のだけでなく、日本の叡智が試されるだろう。
政治家がグランドプランをどれほど提示しようとも、口当たりの良い元気のいいアイデアは、よく吟味せねばならぬ。
日本列島改造論を思い起こしてほしい。バブル後の町おこし、村おこしは、全数絶滅した。死屍累々、また夕張のような事例が、選挙の公約で、また出現しないとも限らない。膨大な負債を残し、子や孫に引き継がれる。あやまちは、忘れられ繰り返される。リアス海岸の津波対策のように。

投稿者 nansai : 12:14

2011年3月30日

三月三十日 合掌 南無地獄大菩薩

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江戸時代の禅僧白隠禅師が、よく揮毫したのが、「南無地獄大菩薩」である。
人にはすごい力が備わっていて、それはぎりぎりの危機に直面すると出てくる、というこころらしい。
白隠は、また、生涯、無数の達磨像を描いた。
だるまさんなら、七転び八起きだ。地獄に落とされても、自力で起き上がる不屈の大和魂。
白隠禅師の許しは得ていないが、真っ赤な日の丸に、達磨をまるくおさめて、日本がひとつとなって支援するシンボルとした。支援Tシャツのロゴになる。
添えるコピーは、

南無地獄大菩薩 七転び八起き

けっぱれ、東北 日本はひとつ

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投稿者 nansai : 13:18

2011年3月11日

三月十一日 マスコミをにぎわせた、あの入試カンニング騒ぎは、なんだったのか?

さきごろまでは、この国の新聞もテレビのワイドショーも、マスコミは、有名大学の入試カンニングでおおさわぎだった。誰もがみるサイトに、わからん、教えてくれ、とSOSを投稿、と、答案の案がどこからとも寄せられるネット時代。ずいぶんオープンなカンニングの手品のような手口が、好奇の視線を浴びた。

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だが、大山鳴動してネズミ一匹。
あっけなく犯人の予備校生が割り出されて捕まってみると、今度はケータイを使った手口の分析をことこまかに専門家に取材。同じ内容の報道に気の遠くなるような時間が費やされた。どうなっているのかなあ。IT時代とはいえ、手がこんでいたとしても、たかがカンニングだ。

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かなり学力のある親孝行な青年が、よくないことと知りつつも、片親の家計を考えて、どうしても学費の安い一流国立大学に入りたい、と企てて、運悪く失敗した、という美談?とも取れる。世間をさわがせるのがおもしろくて、ゲーム感覚の愉快犯かな、と最初は思ったのだが。
万が一かりに成功してこのような青年が入学を許され、エリートコースを歩んでゆくと、日本はどうなる?笑ってはすまされない。

いずれにせよ、天下国家の問題ではないだろう。
いま多事多難の日本にとって大事な問題が山積だ。この間、日本が石油の八割も依存している中東独裁諸国「世界の目が釘付けになっている反乱の報道などは、後回しにされた。

それにしても、一国の教育を左右する試験はこのままでいいのだろうか。
人の値打ちをどんな風に測ったらいいのだろうか。それも、これから社会に出る若い時期の可能性をだ。

人の能力、それも将来ある若者の能力を査定するのに、一点二点を競うより、もっと的確な方法はないものかと思う。
むかしながらの採点しやすい点数制しか、ほかに方法がないのか。ためいき。

こどものころから、塾、予備校と、受験対策に技術の習得に育ち盛りの時間を奪う。受験勉強は、若い未完成の人間の序列をつけるのに、どれほど役立つのか。スポーツや音楽の稽古や練習とも違う、と思う。全体の10%以下の英才や俊英たちにとっては、名門校の受験など、さほどふたんにならないだろう。
大多数の普通か、平均的な若者が、一生のうちの限られた珠玉の学習時間を、一点二点を競う受験勉強で合格技術を磨こうとするのは、時間の無駄のような気がする。むしろ自分の身の丈にあった知識、技術習得を探してふりむけたほうがいいのではないか。これからどのようにして飯の食える仕事に
ありつけるのか、世界の大学生のかかえる頭の痛い問題なのだ。

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昭和生まれのぼくは、戦時中に育ち、勤労奉仕や学徒動員に駆りだされた。敗戦後の混乱期に、教科書も参考書もなく、塾も予備校もない時代だった。
ちょうど日経新聞に連載されている建築家の安藤忠雄さんの少年期と重なり合う。かれは大学を断念し独学で建築を学んだ。無銭旅行同然で世界各地の建築をみてまわったという。

学歴だけでは、飯が食えなくなった。なにができるか。
人様から必要とされ、世の中に通用し、家族が養える職業知識、技術、スキルを身につけなくては生きていけない。
入学試験に受かっても、今のままの大学でのほほんとしていたら、ふつうの青年にそんな職は身につかないだろう。これからは、先進国も新興国も、青年に与える職がない時代に突入する。大学を出た高学歴者に職がない。中東職の暴動もそれが原因のひとつだそうだ。

いまや先進国も新興国もない。頭のいい優れた仕事のない青年は、グローバルにあふれている。
ふつうの平凡な人間(八割がそうだ)は、自分の身の丈に合ったスキル、職業に出会うが、つくる必要がある。ひとにぎりのエリート層以外は、学歴はあてにならない。
むかしから、生物多様化の時代。これからの多様化に対応だ。身の丈の範囲で、めいっぱい、きょろきょろ隙間を探し、背伸びをすると、道はひらけるかも。保証はできないが。

投稿者 nansai : 15:12

2011年2月28日

二月二十八日 独裁者を倒せば、民主主義がくるのか?

中東に、ネットが主導する維新が起こったのか?世界があっけにとられている。
若者を尖兵とする反政府運動のうねりで、中東アフリカの独裁諸国

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の体制がぐらつき、つぎつぎに、転覆されつつあるようにみえる。
若者たちのネットでの行動の呼びかけが運動のうねりを巻き起こしたというのだが。

つぎは、どうなるのだろう。反政府運動のうねりの底流には、若者に仕事がないことだ。これは、先進国と同じだ。
構造的な問題で、すぐどうにかなるということではない。石油を売って得たカネをあわててばら撒いてすむ問題ではない。
どの国も、当面のかぎは軍隊だろう。武器を持つ軍隊の動向しだいだ。
リビアの指導者「狂犬」カダフィ大佐は、首都トリポリを死守するとさけんでいる。追い詰められた政権の常軌を逸した狂信的行動は、まさに昭和二十年夏の日本を思い出させる。最後のひとりまで戦えと、国民は本土決戦を覚悟させられた。

しかし、独裁者をたおしたら民主主義がやってくるわけではない。
もっと難しいのは、その果実を分配することだ。と、フィリピンの「ピープルパワー革命」をひきあいに、毎日新聞の「窓」欄は、指摘する。

マルコス体制が崩壊して、今月で四半世紀になるという。毎日新聞の柴田直治は、当時ハワイに逃亡したマルコス一家を取材した。
「独裁者の末路の哀れを感じると同時に、民衆が権力に立ち向かうドラマはきらきらとまぶしかった。」
しかし、「革命」の高揚と興奮が冷めるのに時間はかからなかったと、柴田はいう。冷厳な現実だ。
歴代政権の腐敗と貧富の格差の拡大はそのままだ。のどもと過ぎればということか。悪名高かったイメルダ夫人や子供らは帰国し国会議員などの要職にあるそうだ。一握りの富裕層が国を牛耳るフィリピンの実態にかわりはないという。
独裁者をたおしたら民主主義がやってくるわけではないと、歴史が教えている。四半世紀を経たいま、毎日新聞「窓」欄の執筆者柴田直治の指摘は正しいと思う。残念ながら。

今の内閣を倒して、そのあと、どうなる?
日本の政権交代も、権力闘争に勝って、日本が生まれ変わる保障はない。
政局しか視野になく、目先の選挙に勝つことだけを考えている政治家は、オリンピック柔道選手などアタマ数や人気だけを集めてどうするのだ。
五十年いや百年先を見通して、この国の針路、国益を考える人材、頭脳集団が、いったい、どこにいるのか。
人口が減り資源がないまま、世界を相手に飯を食わねばならぬ日本。その厳しい未来をみすえて、火中の栗を拾う英知と気概が必要だ。選挙のスローガンとしては、地元にうけないだろう。とくに、TPPにわけもわからず反対する地方には。
それ行け、どんどんと、勢いだけよかった田中角栄の日本列島成長論は、日本の未来への正しい資源の配分を狂わせ、ダム,堰、埋め立てて、いまの借金大国のいしづえを作った。
コンピュータつきのブルドーザーと称えられた田中には、三十年先、五十年先は読めていなかったのだ。コンピューターではなく、選挙に勝つための直感の提言、今で言うマニフェストが、島国日本の針路を狂わせた。
田中の愛弟子小沢氏は日本経済の先行きが読めない。地方票重視の田中の亜流でしかない。
各種団体や地方の「部族」と、妥協取引しつつ、世界経済へは尻込みしたまま、目先の一票をほしがる今のままの選挙で、どのような成果が期待できるだろう?

投稿者 nansai : 13:38

2011年2月21日

二月二十一日
ちかごろ人が歳をとらなくなった(黒井千次「老いのかたち」)

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黒井千次の「老いのかたち」(中公新書)をぱらぱらめくっていたら、「老い遅れに気をつけて」というくだりがあった。黒井氏は、話していた相手が、
「ちかごろ、人が歳をとらなくなったな」
とつぶやくのをきいたという。
老い遅れとはなにをさすのか。
元気な老人がふえたともいえるし、老年にふさわしい威厳や風格が薄れたというか、いい形の老人がみうけられなくなったということでもある。と、黒井千次は、のべている。黒井氏は、作家で、老い方を説くエッセーストだ。奥書によれば、ぼくと同年生まれだった。


そういわれれば、ぼくも、昔の老人とは違う、重みのない軽い存在であるような気がしていた。
若さとは、年齢に関係ない。気持ちの持ちようで青春がふたたび得られるという考え方は、本も出て、老人に勇気を与えた。
それが、「老い遅れ」ともとれるとは、気がつかなかった。困ったな。

少年期に、敗戦という、日本まるごとナイヤガラの瀑布に落ち込んだまま、戦後の土石流にのまれ、浮きつ沈みつ、流れ流れて、半世紀以上を経過したが、ふりかえれば、上品に風格をもって、歳を重ねるふうにはならなかった。


風格の備わった品位のある、いかにも老人らしい老人がいなくなったと、黒井千次氏は夕刊のエッセーに書いている。「品位のある老人、どこにいる」とも。
どうせ若い編集者がつけた見出しだろうが、知ったことか、という気がしないでもない。

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すぐ切れる老人が増えた、という本もでたな。ぼけるにはまだ早い。窓口で店でちょっと待たされたりすると、食ってかかり声高に自分の権利を主張する。クレーマーというやつだ。

では、老人の理想像とは?
思い浮かべるなら、いくらでも。たとえば、笠智衆に代表される、小津安二郎監督の「東京物語」などに登場する老人たちの面々か。役柄なのか人柄なのか。

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風格、貫禄どころか、生来そこつもののぼくの場合は、いまだに落ち着きのないことおびただしい。おき忘れ、しまい忘れが多い。あわただしく、ひねもす何かを探し回っている気がする。
記憶をつかさどる脳内の配線のみならず、あちこちの部品が、年を追うごとに、中古車のように傷んでくるのはしかたがない。せめて気持ちだけは若々しく、気持ちの持ちようだ、という気構えが、徒然草にあるように、あさましく、みっともないとも映るのだろう。

ぼく自身は、老人の威厳や風格は、もうどうでもよく、タイガーマスクや鞍馬天狗のような年齢不詳の仮面をかぶり勝手な振る舞いを、しばらく続けてみるか。
うん、これでいいのだ。
たのしみにパソコンでチョコチョコと描く絵は、技術としては幼稚園児と同じレベルだ。
こんどは、何を描こうかな。最近はカピバラをおっかけている。南米原産のでかいねずみみたいな珍獣で、最近ではあちこちの動物園にいるらしい。
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鼻の穴がアンバランスに大きい、超おもながのとぼけた顔と毛深いからだが人気で、ひと目みて癒されるのが評判と、先日テレビを見た家内がおしえてくれた。
なにかのトラブルで疲れた中年のサラリーマンが、月に8回もカピバラに会いに訪れるとも。

海遊館には、カピバラが二頭いるときいたが、現物を見たことはない。ネットで検索すると、世界中の動物園のカピバラの写真がのっている。
しかし、描こうとすると、あのとぼけた顔というのは、
ぼくていどのデッサン力ではむつかしいことがよくわかった。


カピバラは昼寝の時間春隣り

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投稿者 nansai : 15:21

2011年1月31日

一月二十八日 
誕生日を、無事!めでたく?迎えました。まいったなあ。

いくつになったのですか、と、若いひとに聞かれて、思わず、ついとぼけて「秘密だよ」と答えてしまった。大人気ないことだ。
いやあ、とてもその年にはみえない、お元気ですねと、おさだまりのやりとりもしんどいからである。
茫茫。いまさら越しかたをふりかえるのが邪魔くさい年齢になった。数えるのが億劫であるし、おぞましくもある。

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そのくせ、水を向けられると、昔話は話し始めると、とまらない。水を向けた相手も引くし、疎ましい限りだ。

若さとは、年齢ではなく、気持ちの持ちようである(ウルマン)というのは、負け惜しみではなく、わかる。
で、誕生記念に、カピバラの絵をパソコンで描いてみようと思いついた。ひそかな人気者らしい。動物園のカピバラのとぼけた顔で癒される人が多い、とテレビを見た家内からきいたからだ。
耄碌も困るが、矍鑠も、しんどい。もし何も考えずに、カピバラのように、とぼけて、ひょうひょうと過ごせたら(野生の現実は知らないが)、ひとの邪魔にもなるまいが。

なるほど、いい顔しているねえ。何を考えているんだか。
鼻の下のやたらに長い間のびした顔と対面したことがないので、グーグルのイメージを見て描いた。こんな絵で癒される人はいないだろうが。

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ここで、田辺聖子のエッセイ集「人生はだましだまし」にのっていた中国の古い詩から「ロウキフクレキ」を引用したい。が、ぼくのパソコンでは、変換不能である。
魏の武帝の詩に、
「日に千里をゆく駿馬も、いまは老い、厩にうずくまっているのみ、しかし千里を駆けることを夢見る。」
烈士の暮年、壮士は已まず、とうたい上げられている。戦争の前後の大混乱の中で育ち、あくせく働いたぼくらは、「志は千里に在り」どころではなかった。
烈士でも壮士でもないが、いま老いて、厩にうずくまり、しみじみ越し方を想うに、平和がいちばん。先の大戦で、戦地に赴かされ大量の死者が出、空腹な毎日を過ごしたつらい日々は、走馬灯のように脳裏をよぎるといいたいが、ほとんど忘れてしまっている。勝手なものだ。

政治の無策貧困をぶつぶつ憂いつつも、エジプトやギリシャのように暴動がおきるわけでもない。
まあ、王侯貴族ならずとも、老いても好奇心がデジタルの恵みで安直に満たせるのはありがたい。
記憶力はとみにおとろえた。入れ歯のように、外部脳がパソコンで、代用可能だ。
厩からでも、ネットの翼に乗って、想像力が時空を超えて飛翔できるのは、しあわせなことである。ぼくは、たちまち、見たこともない愛すべきカピバラにくわしくなった。

投稿者 nansai : 13:29

2011年1月 6日

一月五日 もうウサギはあきた。十二支に、なぜ猫年はないの? 

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寝正月やおら大きく猫ののび 
年あらた無事がなにより猫あくび
とりあえず日なたの猫の寝正月


ニュースでは、列島大荒れの正月だったが、ここらあたりは三が日好天にめぐまれて、もうしわけないみたいだった。


老い猫のやわき下腹なでながら
何も変わらず過ぎて行く年


年末、猫のおなかをさすってやっているうちに、どうしたことか、にわか一茶の気分になり、俳句、のようなものが、できてしまった。
我が家の猫は、年齢不詳のノラ出身だが、ようやく、このところぼくと親密な関係になってきた。なんのへんてつもない、めすのキジネコで、尻尾は短く曲がっている。おなかをなでてやると、目をつぶり、気持ちいいのか、ぐーという低周波音?を発する。


空澄みて親しき人の賀状絶ゆ


この年齢になると、あちこちから賀状辞退などあって、華やいだ気分になれないのはしかたがない。毎年届いていた賀状が届かないのは、つい、そんなはずはないと思ってしまう。空虚感。

投稿者 nansai : 11:24

2010年12月15日

十二月十五日 ウサギ絵年賀状市

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押し詰まってきたので、東寺の弘法市のように、年賀状のアイデアをぞろぞろ並べてみよう。順不同。ウサギが、干支で回ってきたのは、描きやすくて助かる。耳が長いから、誰が描いてもウサギに見える。
来年は卯年である。景気は、縁起をかついで、株価は、うさぎのように跳ねるかも、という根拠の薄い楽観説がささやかれているという。ま、いい夢をみよう。

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南斉は、ウサギの絵をマウスで描く。ソフトは無料添付のペイント。それも最新版のは、ややこしくてぼくの手にはおえないのだ。
幼子のように、たどたどしくしか描けないが、これが味なのだ、とうそぶくことにしている。プロではないので、縛られず、きぶんにまかせて、いろいろなタッチをまねて描く。料理みたいだが、これがたのしい。

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身の丈のほどよきしあわせ願いおり
せめて気持ちは 跳んだり跳ねたり

などと、せめて正月にはノーテンキに、気のきいたひとことを添えたいのだが、この歳になると、なんとなく空々しくて、気が引ける。年末は、ことしも賀状辞退のはがきが引きも切らないのに。

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ことしは、しもぶくれのウサギを描くのに、新技法を会得した。
師匠は、68年前になくなった「ピーターラビット」の作家、ビアトリクス ポター。いやあ、まねのできないすごいデッサン力だが、学者でもあった彼女の幼いころからの緻密な小動物観察の裏付けによるものだ。グーグルのおかげで、検索すると、ピーターラビット以外の画像がフルカラーで美術館のように並んでいるから、それを模写させてもらった。ウサギをしみじみ観察したことなんかないものね。

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投稿者 nansai : 15:03

2010年12月 9日

十二月八日 真珠湾を忘れるな。

クイズだ。さて、きょうは、何の日か。
ほとんどの日本人が忘れているが、太平洋戦争が勃発した日だ。
69年前の十二月八日未明、日本海軍はハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊を急襲した。
朝刊では、朝日新聞の「天声人語」が、わずかにふれているだけだ。いま、ふたたび勇ましい言説が飛び交っているのを、コラムでは憂えている。
ジョンレノンの誕生日よりも、日本人としては、忘れていけない日であろう。決して愉快な記念日ではないが。
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奇襲により大損害を被ったアメリカは、この日を「屈辱の日」とし、「リメンバー・パールハーバー」をスローガンに第二次世界大戦に参戦したのだ。
今も各地でラッパが吹奏され、5000人の犠牲者の追悼がおこなわれている。69年前のきょうを、決して忘れることはない。

大勝利と戦果に日本中が沸いた真珠湾から広島、長崎に至る44ヶ月で、戦いの決着がついた。
無謀な戦争の損害は、図りしれない。たった4年間で、日本人だけでも、300余万人の人命と海外資産をことごとく失った。
太平洋全域に戦線が拡大し、日本軍兵士の戦没者270万人、うち70%は補給を断たれたあげくの餓死といわれる。これほどの犠牲を出しては、大義も正義もただむなしい限り、日本の大悲劇であった。

誰が計算しても太刀打ちできない戦力の差を無視して、不毛な戦いの火蓋を切ったのは信じられない。
精神力で勝てると信じた当時の為政者たちが、時代の空気でそう考え、時の流れに押し流された。
いったい、だれが国益に思いをいたしたのか。だれがリスクを計算したのか。
「坂の上の雲」の日露戦争当時の閣僚、伊藤博文たちのように、腰抜け、軟弱といわれようが、高所からリスクを計算し落としどころを探す。努力は報われず、民意の猛烈な反発は必至であっても、戦争指導者の責任とはそういうものだろう。

昭和16年当時、大詔による戦いの大義も、当初は、東洋平和から、最後の本土決戦の段階では、一億玉砕して「国体護持」のスローガンに収れんした。国体を守って死ぬ。竹やりが武器だと、大新聞も叫んだ。
当時の為政者、とくに戦争指導者はなにを判断材料に、国民を破滅に追いやったのか、さまざまの研究を通じて、あきらかになりつつある。

69年前、「大日本帝国」は、なぜ真珠湾攻撃という大きな賭けに打ってでざるを得なかったのか?
尖閣列島事件で、中国が、レアメタルの禁輸を報復措置としてちらつかせると、急所をつかれた日本政府はあわてふためいた。
日本のような島国は、戦略物資(食料もふくめて)を禁輸されると、危機感で逆上する。

もともと日本の石油自給率はゼロにひとしい。石油がなければ、軍艦も動かせず航空機も飛ばせない。死んだ連合艦隊である。
昭和16年当時、アメリカから石油の輸出を絶たれそうになると、日本は、当時のオランダ領のインドネシアの石油へ目を向けて、仏印に軍隊を進駐させたのが、悲劇の引き金になった。
この進駐に、意外にもアメリカが抗議して石油の禁輸に踏み切ったとたん、昭和16年初頭から、海軍軍令部の若手参謀たちのかねて立案した開戦へのシナリオにスイッチがはいり、自動的に動き始めた。
巨大な荷物用エスカレーターのような膨大な兵力物資の動員は、動き始めると後戻りできない。ワシントンでの外交で時間をかせぎながらの戦争準備、それも成算のない作戦が進んでいった。

なぜ、とめられなかったか。
結果的に300万人の人命を失い海外資産をすべて失う国益のとりかえしのつかない損失に誰も責任をとろうとしない日本独特の立て割り組織の欠陥だったろう。これは、戦後もたれた海軍軍令部のエリート責任者たちの「海軍反省会」の録音でもあきらかである。
このまま座して死を待つよりは、という死中に活を見出すという哲学は、外交無視につながる。リスクに目をつぶる思考停止である。今の経営者には考えられないシミュレーションだ。

開戦反対派でアメリカ通だった山本五十六連合艦隊司令長官は、半年ならば暴れて見せましょうと述べたと伝えられている。はたせるかな、パールハーバー直後のミッドウエー開戦でたちまち連合艦隊は壊滅した。

日本人独特の精神論は、しばしば合理的でないことが多い。頭脳に優れていても視野の狭い軍人が、武力という権力を握った際には。

国を憂えるとして、現場の中堅将校が暴走したケースは、満州事変以後跡を立たない。日本の歴史だけでなく、世界どこの国でも、武力を文民がコントロールするのは困難だ。昭和天皇の回顧録でも、開戦時も終戦時も、軍部のクーデターを恐れていたことがわかる。

食料自給率。そんなことは、かまわずに、日本は、戦争を始めた。
軍隊は、米と飯ごうを背負って、戦地を転戦する。戦域が広がると補給作戦は無視され、食料の現地調達が命令された。住民のなけなしの食料の略奪につながり、情け深い天皇の軍隊のはずの「皇軍」は住民の怨嗟のまととなった。補給戦略なく各地で孤立した日本軍は、銃弾が尽き戦って倒れる兵士よりも、戦地で飢えて死ぬ兵士が70% と総括されている。いたましいかぎりだ。NHKの「戦争証言 」アーカイブが、生存者の肉声で、くわしく証言している。

あの頃、少年のぼくらは、毎日ほんとに空腹だった。
銃後の日本は、食糧配給も破綻し飢餓状態におちいり、家々でかぼちゃなどを植えて飢えをしのごうとしたが、空腹は満たせない。
戦後も、都市住民は、近郷の農家に頭を下げ、着物などと物々交換で、米や芋など 分けてもらおうと右往左往した。

食料余剰国のアメリカは、チャンスとばかり、占領直後から、戦略的に、小麦や脱脂粉乳を日本の学校給食などに制度として導入した。戦時需要が消失したので渡りに船というわけだ。いまでいう「食育」マーケッティングで日本中にキッチンカーを走らせパンづくりを教えた。いまだに学校給食に米食は根付いていない。戦後、日本人が米を食べなくなったのは、ここに始まる。以後の米価低迷もしかりだ。

世界と貿易するにあたり、自国の農業をどう位置づけるかに各国が悩んでいる。
しかし、世界をおおう市場原理には、さからえないと肝に銘ずべきである。開かれた島国状態で、食料自給率をあげるには、無理がある。資源のない島国が関税の自由化の原則撤廃、非関税障壁に抵抗したら、どうなるか?


農業従事者が食えないし、 かれらは、ときには、国益に反して、土地の有効利用を妨げる既得権者の立場でもある。

第一に、農地は、土地という資産である。いまや、換金可能となった。作物を植える義務はないにひとしい。農地改革を経て既得権益となった。大規模経営で効率をよくしようとするビジネスモデルは農家にはなじまないだろう。公共事業とは、土地を買い取らせるチャンスにほかならない。その権益をめぐって、選挙の一票が動く。
第二に、米を主製品とする農業が、職業として、後継に値しない、ペイしないとみる若い人が増えて頼れない時代になった。農業従事者は,年老い、人口が年々減って回復する見込みはない。
炭鉱労働や介護労働と同じく、若い層が家族を養いこどもに教育を与える十分な収入が保証されていないことに気付いたのだ。もはや蒸気機関車が走れないように産業革命が起きた。米を中心とした農業は、まもなく耕作者がいなくなり、炭鉱と同じように衰退する。麦作がそうだった。そばもそうだ。
市場原理には、逆らえない。
農業をやる気のない農家の耕作放棄地に、都市に住む住民の税金で補てんするのは、無理がある。農家の人々は、農協か役所か工場に勤めて収入を得る。

困ったことになっている。選挙で勝つことが、はたして国益にかなうことになるのか。地方に有利な定数配分も問題だ。農地問題には新聞も歯切れが悪い。
いまの政府は、小選挙区の眼先の一票がほしくて、これからの国益に眼をそむけてしまいそうだ。全有権者のうちの2.5%の票に、日本の将来がふりまわされている。それを、てこに、政権を揺さぶろうとする「旧自民党的勢力」が与党にどっかり座っている。

GDPに占める第一次産業は、わずか1.5%だ。農業人口は260万人、全有権者の2.5%に過ぎない。
日経新聞によれば、外国の政府関係者が不思議がっているという。
「農家の反対が、本当に日本の政策を左右しているのか?」と。

島国は、戦略的互恵つながりでしか生き延びられないと腹をくくるべきだろう。国策として、生き残るには、何を売り、何を買うか。

つぎに、万一、戦略的禁輸を食らった時のリスク管理をどうするか。歴史をふりかえり、太平洋戦争の甚大な損害に学ばねばなるまい。

資源に乏しい戦前の日本は、農地をもとめて、満州に進出した。王道楽土と、きれいごとの大義をふりかざしたが、農地を取り上げられ匪賊化した現地の農民と衝突した。
石油を求めて、南方に進出をはかったが、たちまちアメリカなどの反枢軸国に阻止された。石油の禁輸解除には、日本軍の中国からの撤退が条件だった。ハル通告には、ならぬ堪忍、するが堪忍だったろう。だが、これまで10万の兵士の血を流した陸軍はそれは飲めないと蹴った。
それが、300万人の命を奪った開戦の直接の引き金になった。

島国の日本は、こんご、かりにどんなに追いつめられても妥協点を探し知恵をしぼって、資源を、継続的に、信頼できる相手国から入手できる道をさがすべきだ。69年前の無分別な方針により、300万人の犠牲を払って得た貴重な教訓だ。

相手の善意に期待しすぎてもいけないし、もう武力の脅しでは解決できない。あくまで互恵のつながりでないと、いい関係が持続できない。たとえば、アフリカに対する中国や韓国の果敢な資源獲得戦略を手をつかねてぽかんとみていてはいけない。

投稿者 nansai : 15:20

2010年11月10日

十一月十日 え、年金でたら、パチンコ?

「パチンコ熱中のお年寄り急増。
年金つぎこみ、家族借金も」
朝日新聞のネットをあけたら、こんな記事が飛び込んできた。東京の私鉄駅に近いパチンコ店は、白髪の目立つ高齢者で埋まっていたとある。
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偶数月の「15日」には、2か月分の国民年金と厚生年金が全国いっせいに支給されるから、パチンコ店は高齢者をあてにしているそうだ。ふうん。
60歳以上のパチンコ競技人口は、200万から300万人、4人に一人が高齢者という統計もある。
さみしさをまぎらわすとか、退屈しのぎが、いつの間にかパチンコ依存症になり、年金をつぎ込み、家族関係が破壊されるとは、おだやかでない。
ぼくの故郷の地方都市でも、田んぼのまんなかのショッピングセンターには豪華なパチンコ殿堂が併設されている。タクシーの運転手さんの話だが、年金支給日には、おばあさんもおとづれて、きょうは何万円もすったというのをきいた。
さみしいし、ほかにすることがないので、高齢者が年金でパチンコに熱中か。この国は、どうなっているのだろう。

若いもんも、だまっていない。グーグルをあけてみた。
「パチンコ屋にいる老人、年金かえせ。」
「パチンコやってる爺婆に年金支給するな」
「年金はいいだろ。生活保護費もらってパチンコするのはけしからん」とか、もろもろの罵詈雑言であふれている。

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いまや、不況にもかかわらず、テレビのCMは、朝から晩までパチンコメーカーの提供だ。通勤でぼくの乗っている地下鉄車両も、全身ペイントされて、パチンコメーカーの走る看板だ。

それで、この不況のなか、パチンコ産業は繁栄しているのだろうか。何でも調べられているウェブ百科事典?のウイキメディア「パチンコ」をあけてみてほしい。びっくりするから。
風俗営業としてのパチンコの問題点として、合法性についての疑問、北朝鮮の資金源として、警察との癒着、パチンコ依存症、児童の車内放置、脱税、在日韓国、朝鮮人の関係があげられている。全国のパチンコ店1万7000店オーナーの90%が在日韓国、朝鮮人という。
政治家もからんで、パチンコ関連の議員連盟がある。

終戦直後、半世紀前は、ぼくもパチンコ狂のはしくれだったが、当時は、一台一台、ブリキ製のデザインが違い手作りだった。でこぼこの土間の上にパチンコ台がならんでいて、ちーんじゃらじゃら、出た玉の補充してくれるのは若い女性だった。おーい出ないぞ、とよくさけんだものだ。その前にあえなく討ち死にするのだが。
パチンコ台の絵を描こうとして、さて、困った。パチンコにごぶさたして半世紀、最近の派手に宣伝している機械をみたことがない。グーグルイメージを参照したが、劇画や映画?とおぼしきスターの顔など、意匠がごちゃごちゃ複雑すぎて、ぼくの手には負えない。
あきらめた。

投稿者 nansai : 15:21

2010年11月 5日

十一月五日 かわいいからウサギの絵は似てしまう。

来年の干支は、ウサギだ。年賀状のウサギの描きかたの本が書店に山積みだ。
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これは、うさぎをうしろからみたところだ。しっぽがついている。こんなうさぎを描く人はいないだろう。

ところが、海の向こうでは、サンリオのうさぎキャラクターのキャシーが訴えられて、オランダの裁判所から販売の差し止めをくらったそうな。本場オランダの大御所ミッフイーとが、酷似しているといちゃもんがついた。
キャシーは、新聞の写真ではじめてみたが、猫のキティちゃんのリボンをつけているだけで、裁判所は、頭と体の比率、顔、手足の場所など多くの特徴で、ほとんど同じと判定した。


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ひいきめにみても、これは勝ち目がないと思う。サンリオのノックアウト負け。なぜなら、キティちゃんのリボンをはづせば、素人目にはくべつがつかないからだ。
うさぎのキャラクターはまづかった。
あのていどのキャラクターで、本場ヨーロッパで商売するには、相手が悪いよ。コピーおかまいなしの中国でならいざしらず。
ミッキーマウスに匹敵する定番の大先輩は、あまりに天下のセレブキャラクターなのだ。絵本から飛び出して、交通標識や工事現場にまで登場している。
そもそも、ミッフィーの作者ディック・ブルンナーはうさぎの顔をぎりぎりにまで単純化して二頭身の二足歩行させた大傑作なのだ。
古来、うさぎの絵は、描きやすい。シンプルだから誰にも描ける。usagi2.bmp
ほら、ぼくにも、ブルンナーのまねができる。あのぎりぎり削ぎ落したシンプルなうさぎは、ブルンナー究極のけっさくなのだ。
ことしも、そろそろ年賀状のうさぎを考えなくちゃな。
ミッフィにあやかって、かわいいのを。

投稿者 nansai : 15:32

2010年11月 2日

十一月二日 ドリトル先生を覚えていますか?

最近、むかしこどもだった大人たちが「ドリトル先生」を懐かしがっているらしい。

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1920年からはじまったものがたりだが、ドリトル先生の名をきくだけで懐かしさがこみあげてくる人も多いだろうと、「福岡伸一と歩く ドリトル先生のイギリス」(新潮社)。

あひるやさるなどの動物語を自在に操り動物たちとコミュニケーションできるこころ優しい太っちょの医者ドリトル先生に、子供のぼくは夢中になった。
戦前ラジオもテレビも普及していない頃、薄くなった少年倶楽部に連載されていたが、戦争が始まると、とぎれとぎれにしか読めなかった。
たしか「ドリトル先生アフリカゆき」というシリーズだった。次の旅行先を地図帳をでたらめに開いて鉛筆をおとして決める場面は忘れられない。
こどものぼくには、井伏鱒二の名訳よりも、ごひいきの河目悌二のユーモラスな挿絵が魅力だった。

ドリトル先生シリーズは、戦後、立派なハードカバーで出版されたが、原作者ロフティングの絵が定番なのだが、ぼくはなじめず、少年倶楽部の河目悌二の絵が懐かしい。大出版社版が高価だったこともあって、ドリトル先生には、その後ごぶさたしてしまった。
時代の変化で、先生も、物語の中の黒人への「差別的表現」がうとまれて絶版になったりしたそうな。「ちびくろサンボ」と同じ運命をたどった。

最近のドリトル先生の紹介は、ぼくよりもはるかに若い研究者が、少年期に、全冊をすみずみまで何度も夢中になって読了したらしい。
戦争が終わり、日本は豊かな時代になっていた。うらやましく思う。

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ところが時代がさらにかわって、読書端末キンドルなどで、ワイヤレスであっという間に、全文がダウンロードできるようになった。ロフティングの英語も、短く、子供向きのやさしい語り口なので、ぼくにも楽しめる。アマゾンなら、キンドル版700円。すでに著作権がきれているから、無料でもダウンロードできる。便利な時代になったものだ。
満員電車の車内。一心不乱ケータイに眼を落とす若者たちを尻目に、優先座席に腰をおろして(運よく座れたらのはなしだが)おもむろに読書端末を取り出して、「ドリトル先生」を読む。便利ではあるが、これもちょっとねえ。

投稿者 nansai : 15:17

2010年11月 1日

十一月一日 今岡、がんばれ。

日本シリーズも、トラキチにとっては、他人事である。
ああ、いうてせんないことながら、タイガースは、今年もあかんかった。
クライマックス シリーズで、巨人に2たてくらって、二戦目の4点差大逆転がくやしいのお。中日を倒しての日本シリーズへ挑戦ならず。

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判で押したように、ここ一番で負けるのが、いかにも「阪神」らしい。
例年になく三割打者がずらり並んだ期待のダイナマイト打線が不発だった。予想外の外人打者の活躍で、二位によじのぼった結果を、よしとしよう。


翌日のスポーツ新聞各紙の裏面は、ソフトバンクに先制ホームランを浴びせたロッテ今岡の勇姿がのっていた。なんと、なつかしい。
「がけっぷちロッテを救った今岡「驚弾」」と大きな見出しが躍る。「古巣は沈んでも」だと。ご丁寧に。

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昨年阪神を引退勧告された、かつての天才打者今岡だ。まさかの起用にこたえて、748日ぶりの公式戦アーチだった。

トライアウト、二軍暮らしから這い上がった今岡。老兵は消えずだ。
阪神時代の今岡の像をマイドキュメントのアーカイブから出してきた。DHでの健闘を祈ろう。

投稿者 nansai : 15:59

2010年9月 7日

九月七日 この子はだれだ? 北大江公園「たそがれコンサート」の小さなポスター。

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秋とは名のみ。まだ猛暑日がつづいているが、台風9号が日本海岸に寄ってきている。待望の雨を連れてくるかもしれない。
この年になって、遅い夏休みの「宿題」をしている。小学生のころのように先延ばしにしていたバチだ。
宿題とは、ご近所の町内の世話役さんからたのまれたイラストだ。秋の「たそがれコンサート」の小さなポスターに使う。

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ことしは、懸案の「河童の八ちゃん」を公園デビューさせたいのだが。
八ちゃんは、ご当地八軒家浜のユルキャラ候補だ。
超カンタン、あほでも描けるのが、売りである。
だが、目下のところ支持者ゼロ。
見よ。かれのアタマのてっぺんのお皿には、暑さにもめげず、いつもなみなみと水がたたえられているのだ。ゆえに、水都大阪のマスコット候補でもある。えへん。

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「たそがれコンサート」は、ほんねきの北大江公園で、ミュージシャンのみなさんがボランティアで出演だ。
公園の音楽会だから、ポスターも、河童に楽器を持たせたいのだが、指が水かきだから、うまく描けない。
オンチのぼくが楽器の扱いを知らないからだ。

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「たそがれ」にちなんで、北大江公園の夕日をテーマにしてみた。ご当地版の「夕日の三丁目」というところだ。古来から歌に詠まれているように、大阪は、沈む夕日の美しいところだ。

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アイデアというものは、決定打がでないまま、くだらないのが、だらだらと牛のよだれのように、とめどもなく続くもの。きりがないので、ここらでお開きに。へえ、おそまつさま。

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投稿者 nansai : 13:43

2010年8月19日

八月十九日 決して冗談ではない。65年前、アメリカは本気で、京都に原爆を落とそうとした。

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人類史上初めての原爆をどこに落とすか。終戦の三ヶ月前に、アメリカは、二発の原爆投下の候補地の検討を始めた。昭和二十年五月、ロスアラモスの投下目標地選定委員会の席である。
原爆投下の第一候補は、なんと古都京都だった。
委員会は、日本文化の精華というべき魂のふるさとを標的に決定した。ほかに、広島、横浜、小倉が選定された。
候補の基本原則は、こうだ。
原爆は、できるだけ早期に使用する。労働者の住宅に囲まれた軍需工場に対して使用すべきである。事前警告しない。
委員会のメンバーには、原爆オタクとしか思えない軍人、科学者がふくまれていた。かれらは、この無慈悲な爆弾を、じっさいに、軍関係も市民もおかまいなしに、爆發させ、その破壊力を早く確かめたくて、うずうずしていたのだ。
選定基準は、次の三つだった。直径3マイル以上の大都市、爆風で効果的に破壊しうること、8月末まで爆撃を免れる都市。

原爆投下のねらいは、なによりも、心理的効果を重んじたと議事録は記している。日本に対してと、同時に世界へのパブリシティ効果だ。

100万人の住む京都を候補ナンバー1に選んだ理由としては、京都には、インテリジェントな人々が住んでいるから、この新爆弾の威力を「思い知る」(アプリシエイト)だろうことをあげている。ふつうのレベルでは、この爆弾の威力が評価できないとみたのか。そのりくつが、よくわからない。
米国の原爆投下の理由のひとつは、兵器としての未曾有の爆発効果を測定すること。
その点で、専門家たちは、京都は、盆地なので爆破効果を確認しやすい理想の地形とみた。
(効果測定を正確に把握するため、原爆投下予定都市への空爆が禁止された。)
7月二六日づけの投下命令書には、戦果確認機も随伴せよとある。でも、放射能のおそれがあるから、投下後は、米軍の航空機は、爆心地に近づかぬよう警告を発している。
予想される一〇〇万人の民間人被爆者に対する人道的見地など考慮されていない。

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紙と木でできている古都に一発の原爆を落とせば、どうなるか。
伝統につちかわれた文化が瞬時に死滅する。当然、いっさいの神社仏閣と、美術品、文化財が灰燼に帰すだろう。
京都御所も二条城も金閣寺も清水寺も、祇園さんも天神さんも、地上から揮発してしまう。
千年以上も続いた日本文化はどうなるかは、文化と歴史に無知な原爆オタクたちの知ったことではなかった。真珠湾攻撃と捕虜虐待から、かれらの人種差別は極限にまで意識されていた。ほっておいても、日本の敗戦は必至で、秋には本土上陸作戦が敢行される予定だったのに。
この京都候補案は、さすがに、降伏後の日本人の心理を慮り、みずからも京都訪問の経験のあるスチムソン陸軍長官によって退けられたのだが
その後も、理想の投下候補地として、マンハッタン計画責任者グローブズ中将ほかが、執拗に食い下がり、京都優先を主張した。が、良識派のスチムソンが再び退けた。

このようないきさつは、戦後も、全く占領軍の報道管制で公表されなかった。米軍は、原爆投下の効果測定にフィルムクルーを派遣して、克明に被害状況を撮影させている。
当時アメリカ世論の大半は投下に大賛成で、当初フイルムは公開されたが、被害のあまりの惨状に、すぐ極秘扱いされ二五年間封印されることになったという。
正確な犠牲者数は、占領下では、発表を許されず、主権を回復した一九五二年に初めて報道された。

デジタルで、資料がオープンになったのは最近だろうか。時代がかわり、核爆弾が拡散して、テロに使われる危険が無視できなくなったからだろう。

あれから65年たった。ライフ誌のサイトには、タイムライン(年表)があり、
「未発表ヒロシマ.ナガサキ」特集として14枚の写真が掲載されている。撮影したカメラマンのメモをそえ、いたいたしい被爆者のケロイドも。
ハフィントンポストやグーグルから、すぐアクセスできる。だれでも、ツイッターで反応を寄せることもできるのだが。
ウイキペディア(英文)を参照してみよう。脚注、外部資料で、当時の秘密資料、議事録もいながらにして読むことができる。

ヒロシマ、ナガサキに続いて、秋には本土上陸支援のため、原爆7発を矢継ぎ早やに投下するオリンピック作戦が始まろうとしていた。
当時を生きた中学二年生のぼくは、陣地の横穴を掘りながら、まったく何も知らなかった。

当時、日米双方ともに、あまりに憎悪と偏見に満ち無知であったことがわかる。
投下最終責任者トルーマン大統領の長崎投下後のコメントが、つぎのように、資料に残されている。
日本人に理解できる言語は、これまで続けてきた爆撃しかないだろう。畜生と取引するには、畜生として扱わなくてならない。
日本軍の珠湾攻撃に対し、9.11と同じ復讐心に燃えていたのだ。
大戦の帰趨は定まっており、アインシュタイン、アイゼンハワーなど一部の有識者は、つとに原爆投下の必要性について警告を発していたのだが。

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はじめて今回、ルース米国大使は、広島の原爆記念式典に出席したが、献花もせず、硬い表情のままひとこともコメントしなかった。世論が許さないのだ。
原爆犠牲者に哀悼の意を要する必要を認めない空気が、いまも米国内に満ち満ちているのだろう。
世論調査では、現在も米国民の60%は原爆使用の正当性を認めている。
戦争はどっちが始めたのだと、原爆投下機の親族はいう。一般のアメリカ人は、加害者としての罪の意識を持たぬように、これまで詳しいことは知らされず、世論は誘導されてきた。かなりのひとが、あの日、何が起きたかを知らない。

投稿者 nansai : 10:27

2010年8月10日

八月十日 「日本で一番長い夏。」がきた。

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八月のあの日の空の青さかな

あの日から、ことしで、もう65年になる。
敗戦に終わったあの戦争は、聖戦と言われていた。
中近東で続いている紛争と同じような大義を、大日本帝国もふりかざしていたのだ。大義は,「東洋平和」から、敗戦直前には「国体護持」へと収れんした。

今思うことは、65年前、もし陸軍におしきられ「国体護持」のために、無条件降伏をせまるポツダム宣言を断固拒否していたら、なにが起きていただろうか。
一億玉砕を叫び、国をあげて本土で敵を迎え撃っていたら、ぼくら国民はどうなっていたか。

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敗色濃い戦局は利あらず、すでに300万人の生命がうしなわれていたのに、頼みの連合艦隊は壊滅していたのに、ぼくらはなにも知らされていなかった。
水際で抵抗して時を稼ぎ、大艦巨砲の艦隊決戦に持ち込むという現実離れした戦略だったと、後年資料で知った。
敗戦の二ヶ月前、血迷った政府は、法改正して、15歳以上の男子は、国民義勇戦闘隊に招集することになっていた。2800万人が根こそぎ動員予定だった。
新聞は、戦意高揚の道具でしかなく、ジャーナリズムであることを放棄し、全く真実を報道しなかったからだ。(ラジオは国営だった。)

制海権制空権を奪われ、圧倒的な火力の差だ。水際での抵抗はできない。本土上陸されれば、一方的に殲滅された沖縄戦以上の壊滅的な死傷者が出る。
あとは、最悪のばあい、イラク、アフガンニスタンのような泥沼のゲリラ戦になっただろうということだ。
イラクでは、きょうも百人以上のテロ爆弾の犠牲者が出ている。抜きがたい宗派間の憎しみ対立によるといわれる。
日本も、戊辰戦争のように、神州不滅を信じる国体護持派と解放民主勢力派とに二分されて同胞相食む情勢も否定出来ない。
ただ制海権を失い孤立無縁の日本は、武器を入手するルートを完全に絶たれていたから、民衆を巻き込んでの徹底抗戦も、軍の兵器弾薬が尽きるまでしか戦えなかっただろう。

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沖縄戦では、女子学生も手榴弾を渡された。攻撃のためではなく自決用にだ。
当時まだ一般市民は、武器を持たされず訓練も受けていなかった。武器が全く足りないから、女性にまで竹槍の訓練が行われ、「ひとり一殺」と叫ばれた。
戦争指導者は、日本民族は、物量で負けても,精神で勝てるという。正気のさたではない。

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一般市民と兵士の見分けのつかないゲリラ戦は、歴史の示すところ、どの戦争でも大量虐殺、残虐行為を生む。戦闘員と非戦闘員の区別なく、報復が報復を呼ぶのだ。
本土決戦と言っても、中学生のぼくらが材木製の陣地構築の手伝いをしておっつくわけもなく、日本の長い海岸線を守るのは不可能だった。現実には全く無防備で、報告を聞いた天皇が激怒したと伝わっている。

オペレーション「ダウンフォール。」は、破滅を意味する。昭和二十年秋、満を持した連合軍の日本本土上陸の作戦名だ。
Xデーは、十一月一日。まず、九州へ。翌春に関東平野へ上陸と計画された。(ぼくらは、最近知ることになるのだが。作戦の全貌は、ウイキペディアにも詳しく記載されている。)
連合国側は膨大な犠牲を覚悟していた。見込まれる損害は45万人、うち死者行行方不明10万人と予測された。
したがって、連合軍は、無慈悲にも原爆投下をためらわず計画していた。
九州上陸にあたって、少なくとも7発の原爆を、作戦開始前に、守備部隊に投下する必要があるとした。ヒロシマ、ナガサキ級の原爆を7発もだ。身の毛のよだつ作戦であった。

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ぼくの戦争末期の体験などは、とるにたらぬちょろいものだったが、暑い夏のことで、下痢になやまされ体力のない13歳の少年にはこたえた。

昭和二十年春、敗色濃い戦況下、本土決戦にそなえて、ぼくら旧制中学二年生は陣地構築に動員された。年老いた兵隊といっしょに、機関銃座の横穴を掘るのだ。
敵機に發見されぬようシャツを紺色に染めた。シャツの縫い目にひしめいている白いしらみを見つけるには役立った。
本州西端の海岸沿いの崩れやすい丘に、アリの巣のように横穴を掘り、壕と壕とをつなぐのだ。夜店でおなじみのアセチレンガスで暗い壕内を照らした。コンクリートなんかないから、杉かなにかの太い丸太を縦に並べて、掩蔽するしくみだ。堅牢な岩盤にきずかれた陣地ではなく、急造のログハウスみたいなつくりだから、艦砲射撃一発で山ごと吹っ飛びそうな陣地だった。
焼け残った丘の上の小学校に寝泊まりして、毎朝徒歩で工事現場?に向かった。すでに、同盟国ドイツ敗れ、サイパンが落ち、戦況が不利なことは知っていたが、ラジオもない、新聞もない。暑いし、下痢が続いてやせこけてふらふらだった。
海軍工廠に動員されていた一年上の上級生は、終戦前日の空襲で命を落とした、とあとで知らされた。

8月15日。その日の午後には、穴掘り作業を中止して引き上げた。見上げた空の青さが、眼に焼き付いている。
当日、天皇の玉音放送も聞いていないし、原子爆弾投下は、新型爆弾といいかえられ、引率教師からくわしい説明も注意もなかったように思う。焼け跡の小学校に寝泊りしていた中学二年生には、なにも知らされていなかった。
なんだかよくわからないうちに、家に帰らされた。灯火管制がおわり電灯がついたのがうれしかった。「終戦」とは、当初、引き分けのことだろうかとも考えた。過酷極まる無条件降伏だったのに。

そして、占領下、知らないままに戦後は過ぎていった。
少年だったぼくは、まがりなりにも戦いの渦中にいたのだが、直接見聞きしたことは知れている。なにもわかってはいなかった。
戦前戦中の大新聞の戦意発揚のプロパガンダぶりには慄然とする。国民が信じたのは、うそばかりだった。
この頃になり、日米からおびただしい資料が公開されて、初めて、戦いの全貌がおぼろげながらみえてきた。


教育のパラダィムシフトで、自分の国の戦いの歴史が総括されなかったのは、不自然である。教科書にどんなふうにのっているのか。入学試験にも出題されない。
打ちひしがれた関係者はみな口を閉じ、亡くなっていった。あまりに悲惨な戦争体験を語り始めたのは、あまり、むかしのことではない。

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「日本で一番長い夏。」NHKは、昭和38年文藝春秋企画の「座談、日本で一番長い夏」を映像ドラマ化し、先週放送した。ここ数年戦争証言ドキュメンタリー番組に力を入れ始めた。当時なぜあのような結末になったのか、終戦にかかわった人たちがまだ存命していての証言を再現していた。いまのぼくは、かなり当時の事情の記録に目を通していて、当事存命の関係者たちの語る内容は、奥歯にものがはさまったようで、まだ歯がゆいと思った。
いままた、戦争を知らない人たちによる、あの戦争を正当化する動きがある。
ぼくは、戦争に正義も大義もないと思う。

結局310万人の命が奪われた。おびただしい数の
戦地におもむいた270万人の軍人の70%は、補給を絶たれた餓死だった。東京大空襲の犠牲者は一晩で10万人だった。
神戸の震災でなくなった6000人のひとたちを、今の日本人はどれほど哀悼したか。

戦争に倒れた犠牲者310万人。
この想像を絶するおびただしい人命と引換えに、大日本帝国は、なにを得ようとしたのか。
本土決戦を主張して譲らなかった陸軍は、「国体の護持」こそ究極の目的とし、ポツダム宣言の無条件受諾をこばんだ。キーワードは、英語に翻訳不能のKOKUTAIであった。
あげくのはて、窮した政府は、あいまいな表現でポツダム宣言を黙殺すると発表した。その「MOKUSATU」が、英語のIGNORE(無視)と翻訳されてしまい、トルーマン大統領の原爆投下命令につながったと伝えられている。それよりさきに、投下は決定済みだったらしいのだが。

昭和はいい時代だった、懐かしいと、テレビは,美化された回顧番組を流す。
戦いに敗れる昭和二十年までの日本が、どんな国だったのか。
日本全国の小学校の奉安殿には、天皇皇后の写真がおさめられ、こどもたちはその前で頭を下げた。白馬に乗った大元帥陛下を知る由もない。軍艦の舳先にも38式歩兵銃にも,菊の御紋章をつけて戦った国だ。
なぜ310万人もの犠牲者が出たのか。それなりの理由があるはずだ。いったい、どんな過ちを犯したのか。いっさいが不問に付されている。原爆記念碑には、「安らかに眠ってください。あやまちはくりかえしませんから。」とある。アメリカと戦争をしたことさえも知らない子もいる。
ふつうのひとにとっては、歴史は風化して当たり前なのだ。だが、それでいいのか。

投稿者 nansai : 11:25

2010年7月23日

7月二十三日 
梅雨があけたら、日本はどうなってゆくのだろう?

はげしくしつこかった豪雨が終わると、うそのように梅雨があけた。
気がつくと、顔なじみの野良猫の姿がみえない。
近所のみかん畑で、夕方になると、傍を通るひとに、小さな声で鳴いていたやつだ。かわいそうに豪雨に流されたのか。

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鼻の横にあざがあり、野良のくせに、ふさふさ長い毛の持ち主だった。暗くなってから帰り道に、たまにコンビニで買った98円のさば缶をあけてやると、こけつまろびつ金網の向こうから走り出てきたのだが。
諸行無常である。にゃむあみだぶつ。

さて、この数ヶ月、世の中いろいろあったが、とりあえず、一段落の感じである。過ぎてしまえば、それも、なぜか遠い日々のように思われる。

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ワールドサッカー、口蹄疫、参議院選挙、龍馬伝ブーム。国じゅうをマスコミがヒステリックにひっかきまわし、どうでもよいことか、何が譲れぬ大事なことかわからぬまま、評価も二転三転、ようやく落ち着いて静かになった。
集中豪雨のような情報洪水を、川岸で、呆然と、立ち尽くして眺めていた気がする。

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ワールドサッカーでは、本田選手の黄色いスパイクから放たれた無回転ボールは、ぶるぶるブレながら、ネットに突き刺さった。
戦前まったく期待薄(ぼくら、しろうとは知識も関心もなかったから無理もないのだが)というかあきらめていた日本代表が、忽然と団結をとりもどして、ベスト16に進出。選手の顔触れもしらなかったのに、ぼくらは総サムライサポーターに変身。監督の評価も「岡ちゃんやめろ」が、「岡ちゃんごめんね」と、ファンも専門家も、手のひら返しだ。

参議院選挙は、菅さんのカン敗だったと、けんけんごうごうマスコミが叩く。一方、鬼門だった消費税を取り上げたのは、新聞の社説では、大正解だとする。

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日本の総理大臣は、くるくる変わる。マスコミがはやしたてる政局は、ちいさなコップの中の嵐だろうか。
選挙に負けたら、二大政党論もどこかに吹っ飛んでしまった。大義もへったくれもない。
一国の総理大臣があんなにサッカーボールのように蹴っとばされていいものだろうか。菅さんは、いまや、アキ缶と揶揄されている。
「もともと、なにをしよう」という構想を持たない権力志向だったと、むかしの仲間からいわれているが、ほんとかねえ。土壇場でうろたえて、田中真紀子を総理にかつごうとした小沢の方が、ぼくには、胡散臭く見えるのだが。

怖い本を買った。
森嶋通夫「なぜ日本は没落するか」岩波現代文庫。
教授は指摘する。日本が没落するのは、今度のばあいも明治維新の時と同様、政治からであると。
2004年逝去されたが、指摘は怖いほど当たっているように思われる。

そうそう、いつの間にか、タイガースが、0.5差で二位につけている。エースクラス投手が、みなこけた。主力打者の覆いがたい高齢化。下馬評は、ワールドサッカー以上に期待薄だったのに。
ところがどっこいだ。勝因は、毎年スカばかり食らっていた助っ人外人が、打ちまくって救世主となったことだ。ここまでは、あほでもわかる。
ホントの勝因は、カーネルサンダースの呪いがとけたことなのだ。
ケンタッキーフライドチキンの看板じいさんは、前の優勝時に道頓堀から、白い服を着たまま、あのくさいドブ川にほうりこまれた。
めがねもどこかにいったまま、工事中に偶然救出されたのは、昨年だった。二十数年たっていた。いまはきれいに修復されて、仏像なみに、甲子園球場にうやうやしく安置されているようだ。

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大阪は、ありがたいものを堀にほうりこむ歴史がある。
欽明天皇のころにも、ピカピカ金色に輝く仏像を堀江に投げ込んだ。祟りをおそれぬふるまいであった。

投稿者 nansai : 16:57

2010年5月 6日

四月三十日 年齢をとると、みなころぶのだ。

ころぶのは、そこつなぼくだけではない。高名な作家で医学博士の渡辺淳一氏も、ころんでいた。

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『いやあ、驚きました。あきれました。そして失望しました。
昨夜、思いもしないことから、路上に転倒。
そのときの詳しい様子は、いまだに自分でもよくわからないのだが」

こんな書き出しで、週刊新潮連載のエッセイ『あとの祭り』「倒れてわかったこと。」に、作家の渡辺淳一氏が、ご自身の転倒経験を述べている。しかも、ごていねいに二週にわたって。

ある夜タクシーをさがしていて、先生は、道路の向こう側にわたろうとして、思い切って柵を越える際に、左足はまたげたが、右足がひっかかったらしい。

さすがはプロの作家、数週間前に、まったく同じような体験をしたぼくは、文筆で立つほどのひとの見事な描写力に感心しきりである。

先生は、柵に右足が引っ掛かって路上に左肩から落ちた。左手首、大腿部に激痛が走ったという。しばらくじっとしていたが、渡辺氏は、もともと整形外科医だから、自己診断して痛むがたいしたことはないと、帰ってシップをはって応急処置をした。医者にはいかなかった。

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渡辺氏は、軽妙なタッチで、事故?の一部始終を描写しつつ、
『それにしても、何故、こんなことになったのか。』とショックをかくせないもよう。
「これくらいの柵は越せると思い、少し脚を上げればいいだけだと軽く見た。ところが肝心の脚はあがっていなかった。いや、あげられなかったのである。」
作家であり医学博士である渡辺氏の結論としては、
『自分が年齢をとっている、と思っている以上に、体は年齢をとっているのである。』

渡辺淳一氏は、ぼくとほぼ同年輩だが、転倒歴では、ぼくのほうが先輩だ。じまんにはならぬが、昨年は三回もこけた。原因は、先生ご自身のお見立て通りだ。ごもっとも。

先生は、週刊新潮の次の週のエッセイ「かなりよくなりました」で、イラストの唐仁原画伯の描写が、さすがはプロだ、真にせまっていると絶賛している。
「私が歩道と車道を境している柵を越えようとして、倒れかけた格好が、まさしくぴったり、まるで隠れて見ていたように、見事に描かれている。」
絵をみているうちに、転んだ時の痛みが甦ってきたのだから驚いたそうだ。

渡辺先生は、元整形外科のお医者さんだったので、耳の痛いご託宣をずばり。
「今回のわたし程度の怪我では、病院にいかないこと。」忙しい医師はうんざりするだけ。シップと痛み止めをだすだけだから、行っても行かなくても同じだそうな。
ころんで側頭部を打ちあわてたぼくは、CTを撮ってもらったのだ。

投稿者 nansai : 14:28

2010年4月15日

四月十五日  こけちゃいました、ではすまされない。

若いころからの注意力散漫、そこつ、あわてもんである。落し物、忘れ物など、数えればきりのない限りないドジ、ちょんぼを、懲りずにくりかえしてきた。
ここ数年は、それに転倒(英語でフォール)がくわわった。老人には、これは危険信号である。

これまでは、考えごとしながらでも少々けつまずいてよろめいても、おっとととと、長年鍛えぬいた?バツグンの運動神経でバランスを復元し事なきを得てきた。が、昨年あたりから、おっとととが怪しくなってきた。とくに段差は要注意である。ふんばれずころびやすくなり、整骨院のおせわになること、しばしば。

今年は大丈夫と思ったら、先週末の夜、不覚にも、近所のコンビニ横のコンクリートのブロックにつまずき、がーんと、もろに路上におでこからつっこんでしまった。

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ほい、しまった、打ち所が悪いと、硬膜下出血が心配である。すぐ近くの病院でCTを撮った。さいわい悪運強く、眼の上が腫れ上がりお岩さん状態になっただけで、ま、事なきを得た。

その年齢で反省がたりない、と叱責されている。
両手に重いかばんやフクロをぶら下げて歩くから、ころびやすい。こけても、とっさの受身ができない。
どうせ読めもしない本や雑誌を持ち帰るな。と、いちいち、ごもっともな罵詈雑言のアラシを浴びて、ロープ際でノーガード状態だ。

65歳以上の老人の三人に一人は、一年に一度は転倒するという統計がある。米国CDCの資料にのっていた。老人の転倒は、骨折につながり、ケガによる死因の筆頭らしい。
転倒予防は、国家的大問題のひとつで、アメリカ政府広報でも大きくとりあげている。日本でも、転倒予防COMを始めたくさんのネット情報がある。当事者の老人自身が眼を通すことはないだろうが。

おかげさまで、だいぶ眼のまわりの腫れがひいてきた。
若い医者いわく、「上のまぶたが腫れぼったくたれさがっているのは、ケガのせいもあるが、まぶたの筋力がおとろえたせいだ」そうで、かんたんな手術すれば直る、とすすめられた。
飛び込みで見てもらった当直の先生が、形成外科医だったのだ。
この年齢で目元涼しくぱっちりしてもねえ、のど元過ぎて、返事は保留しておいた。

投稿者 nansai : 13:15

2010年4月 7日

四月六日 タイタニック号は、いまの日本か?

今から98年前の1912年、四月十五日未明のことだった。
乗員乗客2200人以上を乗せた豪華客船タイタニック号が、処女航海の北大西洋で、深夜、巨大氷山と接触して、二時間後に沈没した。氷の漂う海に投げ出され、1513名の犠牲者が出た。最新鋭の安全対策が凝らされた世界最大の客船が竣工間もなくなぜ沈んだのか。直後の調査の結果では、原因がいろいろ取りざたされたが、うやむやとなった。たとえば、
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無線係が、他船からの氷山の危険を警告する通信をうるさがって無視したため、船長に報告が届かなかった。
甲板の見張り番は、手違いで、双眼鏡をもっていなかった。
就航直前に、救命ボートが決められた数の半数16隻に減らしたとも。船主の意向だった。救命ボートの数が足りず、船上に取り残された乗客乗組員は船と運命をともにした。
どのひとつをとっても、危険は未然に回避されたはずだった。

ぼくの目には、108年前の豪華客船タイタニック号は、今の日本の姿に映る。
月のない星空、船室にはこうこうとあかりをつけ、氷山の存在に気づかず暗夜を航海するタイタニック号とダブって見えるのだ。巨大客船の船名は、ハトヤマ丸と読める。

巨大氷山に、10年以内に衝突するという警告は、かまびすしい。ぼくらには、まだみえない氷山とは、国債の破綻だ。
新聞の社説、専門誌、有識者の論説は、こぞって、日本国債の破綻を警告している。日本人だけが危機感を持っていないとする論者もいる。いまにギリシャと同じ状況になるとも。
とすれば、まさに一億人以上の乗客を乗せたタイタニック号状態ではないのか。

船のブリッジは、別の党から乱入した操舵手にハイジャックされ、郵政改革は逆走を始めた。
今の政府が、眼先の票をかせぐために、このままばらまき政策を続け、足りない分を国債発行して穴埋めすて、はたして大丈夫なのだろうか。
消費税は、解決策のひとつである。目前の選挙に、票の減る消費税に触れないまま、選挙に臨みたいというのも、選挙民からは、どうせ理解は得られまいとする国民をなめた話ではある。理論上よくわからないながらも、次々に発せられる専門家の国債の破綻予測に、国民は心配している。

太平洋戦争直前の昭和16年を思い出してほしい。
ぼくの眼には、いまの鳩山内閣と、太平洋戦争に、なすすべなく、ずるずると、ひきこまれていった近衛内閣がだぶって見える。
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当時の日米交渉の焦点は、中国からの日本軍の撤退だった。陸軍がつっぱねた。平和を願いつつも厳しい決断を先延ばしせざるをえなかった近衛首相は、名家出の育ちの良いお公家さんだった。
土壇場で近衛が放り出した政権を受け継いだ東条内閣が、開戦した。
あの戦争で日本は、国中が焼け野が原となり、外地資産のすべてを失い、三百万人以上の命を失った。戦争をやめることも、ままならぬ状況が、昭和二十年まで続いた。
このように、百年の大計を持たぬ為政者の責任は重い。
いっぽうで、国民の責任も重い。
日本国民は、為政者を選ぶ選挙での投票率があまりに低すぎる。無責任だと、北欧の女子留学生がテレビ討論会で力説していた。
いまは、ぼくらにとって、まだ正しい為政者が選べる可能性は、なくはない。

地を這うような田中角栄型の「眼先選挙」主義にだまされてはいけないと思う。地方では、無理だろうが。

小泉と自民党憎し、という政策抜きの私怨で、政権を運用してよいものか。
地方と組織の票田へのみ眼を向ける選挙戦術で、与党は大勝するかもしれないが、世界を見据えた将来への政策には背を向けている。
おそろしいスピードで世界が変化している。
借金大国日本が生き残るためには、市場原理を無視した成長戦略などあるはずがないのに。

投稿者 nansai : 13:50

2010年3月26日

三月二十六日 
電子本が、本を読まなくなった日本人を変える?

「手本は二宮金次郎」という小学唱歌を覚えている人は少ない。かつては日本中の小学校の校庭に、薪を背負い本を読む金次郎少年の小さな銅像が建てられていた。

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感心な金次郎少年が、薪をせおって読書したかどうかはさだかでないが、話題沸騰の携帯電子読書端末を持たせてやりたかった。論語も、親指で押すだけで本のページがめくれる。
竜馬の活動で沸く維新前夜、緒方洪庵の適塾につどった福沢諭吉、大村益次郎たち塾生は、一冊しかないオランダ語の辞書を争って筆写したそうだ。本は貴重で文化の源泉だった。先人は、こうして、外国語を学び読み解き、先進技術を取り入れて日本は、列強の仲間入りできた。その貴重な書籍が60秒でダウンロードできるようになった。

さて、いよいよ、アメリカで出版界に旋風を巻き起こしている電子本時代がはじまるのだろうか。本や新聞、雑誌が、紙から電子版の時代になるか。


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電子本ならば、分厚い本も60秒でダウンロードでき一冊が1000円程度で買える。読書端末には、なんと数百冊おさまる。
ぼくの部屋の読まない本の山積みツンドク現象は消えるだろう。古雑誌の山も、あとかたなく。

クレジットカード払いで最新刊が入手?でき、すぐ、機内にも無人島にも、どんな場所にも携帯できる。
紙ならかさばって重い本も、内容だけなら0グラムだ。
新しい物好きのぼくも、端末一台申し込んだら、三日で届いた。

将来は、改良されて、コンテンツが増えれば、教科書端末として、小学生から大学生まで教育に大きな影響を与えると予測される。電子黒板につなげると、教室でカラフルな図を大きく映し出すこともできる。動画もネットも融合した内容だから、登校しなくても学べる範囲は無限に広がる。

絵本が、しゃべり動くと、こどもには大好評だろう。

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といっても、まだ英語圏の話。読書端末は、AMAZONのキンドルが先鞭をつけたが。四月にはアップルのアイパッドが発売される。すでに予約が数十万台はいっているとか。
アメリカ出版界は、電子本へ積極的に動くらしい。
読書端末というより、スポーツ誌やファッション誌、漫画雑誌の場合は、まず表紙から迫力ある動画。映画と雑誌の合いの子のような試作が姿を見せ始めているという。

この国では、日本語の厚い壁に守られているとはいえ、日本のジャーナリズム、出版業界にとっては、黒船の襲来であろう。
この手の端末が普及するにつれ、世界どこでも書籍が60秒で入手できる。しかも、ほとんどの情報は、英語中心だ。日本人の苦手な英語でやりとりされる。
国民の英語力が、国の経済競争力にかかわってくるのだ。これは、やばいことになってきた。
例によって、おそまきながら、政府も業界の音頭をとって、電子出版対策に乗り出したという。

端末のネットワークができれば、何よりも英語など外国語の習得に役立つ。
この国の英語教育制度を一から見直し再整備するには、絶好のシステムができるのだ。
ダムから人へ、というのなら、公共投資にもっともふさわしい。外国語の辞書や教程は、国営ネット化したらいい。学習端末があれば、国民は年齢を問わず、だれでも自由に無料で、語学が習得できる。

投稿者 nansai : 15:48

2010年3月11日

三月十一日 オオカミは必ず来るのに。

あの日午後一時三十分、息を止めて、テレビを凝視していた。番組は、大津波警報一色だ。チリ大地震の余波で押し寄せる到達時刻がせまってくる。テレビは、くりかえし、沿岸地域に、避難を呼びかける。

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急に水平線が盛り上がり、3メートルの津波が三陸海岸に押し寄せるかもしれない。1960年の6メートルの津波被害の再来が心配された。
だが、何も起こらなかった。

あとからふりかえれば、気象庁が発表した到達予報時刻は、あまりに正確すぎた。だが、専門家の日食の秒読みの確かさを信じるしろうとのぼくは、そのときは、まったく疑問を持たなかった。

家人は、「そんなのくるはずがない。台風情報もいつもオーバーじゃないの。」と、はなから気象庁を信じようとしなかった。

今日の夕刊によれば、消防庁のまとめで、警告された地域でも、実際に避難した人は、全国平均でたった3、8%にとどまったそうな。専門家は、そんな勝手な予断ににがりきっているらしい。

ことほどさように、予知、警告をくりかえし徹底することは、オオカミ少年のようにまたか、とみられて、なかなかむずかしい。インフルエンザでも、地震でも、警告されても、みな自分の都合のいいように判断しがちなものだ。

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津波も地震もこわいが、予知可能な災害は、借金大国日本経済の崩壊である。
政府債務の対GDP比は、日本はジンバブエに次いで世界2位だそうだ。いまのままだ、とまちがいなくギリシャになるという警報が点滅している。
しかも、民主党内閣は、どうやら経済オンチで、官僚を敵に回し、ブレーンもシンクタンクも支えていないようだ。

テレビも新聞も、識者、専門家も、もう時間がない。あげて、増税は不可避としている。納税者番号導入も急がねばならない。

「日本暴落 恐慌の日」、と、朝日新聞三月七日日曜版は、一面で、SF調でだが、20xx年、財政破綻を予告している。このまま、借金頼みなら、10年で破綻とも。
数ヶ月前から、国債の引き受け先を決める入札が不調におわるようになり、海外の投資家画『日本は投資先として危険』とのレポートが出回っていたというシナリオの想定だ。
オオカミは必ず来る。と、日経で伊藤元重教授が警告する。債務不履行、国債の利回り高騰、高いインフレ率への誘導という事態に陥るのだろうかと。
オオカミ少年のようにみなされた学者の財政危機説は、10年以上になる。いま、主婦向けテレビの番組でも、このままだと、もう十年持たない、と専門家が口をそろえる。

しかし、いま、国を救う増税を持ち出すと、選挙に勝てないと信じられている。危機に眼をそむけて、眼先の選挙に勝つことしか念頭にない小沢政権。かれらにはレーダーがない。長期の見通しをもたず、災厄を想定することから逃げている。

投稿者 nansai : 18:19

2010年3月 3日

二月二十九日 セルフ ポートレートかも。

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お化けのようにみえるが、薔薇は薔薇である。
冬の終わり、わが小庭のすみで、雨風にうたれ寒さに震えながら、けなげにも咲き残っていた。ほとんど枯れてしまった花の真ん中には、まだピンク色が、あざやかとはいえないが、かろうじてみずみずしさをたもっている。桜の花の散り際のいさぎよさとは、また違うところだ。
老残のピンクの花の色気を、しぶといとみるか、おぞましいとみるか。

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なんだか自画像のような気がして、デジカメのシャッターを押した。
ここまでドライフラワーのようになると、春まではむりとしても、まだまだ長持ちしそうだったが、ある日、帰宅すると、寒肥を入れにきた植木屋さんの手でちょん切られていた。

投稿者 nansai : 15:29

2010年2月25日

二月二十五日
「「政治家」小沢一郎は死んだ。」(立花隆)

風向きがかわり小沢一郎民主党幹事長の去就をめぐってマスコミはさわがしい。すごい見出しを掲げた文芸春秋三月特別号の論文で、立花隆氏は、意表をついて、こう予言する。

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長期未来を考えたら、どうか。
数年以内に、小沢一郎は確実に政治的にゼロの存在になると。
かりに当座をきりぬけたとしても、小沢氏の政治生命が長くは続くはずがない。いま「20歳の若者」から見れば、小沢一郎など過去の遺物にすぎないと。
「田中角栄研究」で、数十年にわたる田中による自民党政治の実態をデータ解析により暴いた立花氏の直感には、凄みが感じられる。

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小沢氏がオヤジと慕い、師と仰ぐのが、田中角栄だ。田中の政治手法を長年にわたり調べつくした立花氏は、こう断言する。
小沢がこれから百万言を弄してどのようなもっともらしいリクツをならべようと、構造的に、田中角栄、金丸信とほとんど変わりない。政治家が影響力を振るうことのできる公共事業の巨大な国家資金の流れに預かる企業から、大っぴらにできない政治献金を、なんらかの別ルートで受け取って懐に入れるという行為は変わらない。

小沢一郎とは、なにものなのか。
日本を動かしている闇将軍と恐れられる小沢氏だが、もちろん会ったこともなく、ぼくは、永田町にも霞ヶ関にもまったく縁遠い『国民』の一人でしかない。
小沢一郎著『小沢主義」という187ページの文庫本を買って読んでみた。ゴーストライターの手によるものだろうが、「志を持て、日本人」と副題がついている。

小泉政治が目の敵だ。市場原理、自由競争で格差を生んだと、しつこく非難している。
同書にいわく、小沢氏自身も深くかかわった戦後政治は、高度成長で得た富を国が再分配し、国中にばらまいた。その結果日本は政治不在、リーダー不在の国家になったと、総括するのだが。

おどろいたことに、公共事業についてふれていない。日本中をコンクリートのダム、空港、道路や線路、ハコ物でうずめつくし、この国に、莫大な負債を残したのは、田中角栄とその一派の「日本列島改造論」だったのに。(おやじとしたう田中は、「反面教師」だという。そういい切っていいのかなあ。)

田中角栄直伝の、数は力、力はカネ。しかも、政治にはカネが必要だ。ゆえに、浄財をもってこれにあてねばならぬとも。
いまも、こう信じて疑わない小沢氏の選挙最優先主義の激烈な副作用を、ぼくは恐れる。
多数決の代償は、ただではすまない。それが健全な民主主義だろうか。
利権をちらつかせ、妥協、懐柔、恫喝は、田中軍団のお家芸だった。勝って一票でも多ければ、すべて丸取り。どんな法案も通せるというのか。ならば、とうてい議論は尽くせない。

数としての小沢チルドレン。政見を説くだけの経験も識見もなく、いわれるままに、ただ辻立ちと握手、ツーショット写真で票をかせぐ。おたまじゃくしのような候補がぞくぞくうまれてくる。

当分は、もう族議員の跋扈した自民党時代には帰れない。
しかし、はたして、小沢一郎のいうとおり、数は力でいいのか。それが自民党政権下で疲弊した日本を救う民主主義だろうか。
かれによれば、民主主義は、どぶ板選挙が原点だという。しかし、都市は避け、地方重視の地を這うような選挙の結果だけが、民意を確かめる民主主義だろうか。広い視野でグローバルに将来を見据える人材の「政府主導」でないと、日本が遅れをとっている21世紀の経済戦争は危うい。

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小沢氏は、選挙の神様らしい。日本の地方の小選挙区での勝ち方を熟知しているのだろう。
おたまじゃくしのような候補者を指導する秘書軍団がなんと20名ちかくいるといわれる。合格率の高い予備校の講師のように。
アメリカの大統領選挙にもプロのエージェントが協力するが、選挙のプロが、国の最高権力をにぎり、国策に口を出すことはない。

投稿者 nansai : 15:56

2010年1月30日

一月三十日 土曜日

ごくろうさんでした。同志中野博司君、
お礼をいわせてください。   合掌

ウエブではまだ少数派の縦組みサイトを立ち上げた先駆者が亡くなった。中野博司君。59歳。
日本で初めて、日本文縦書きウエブのかたちに挑戦したメンバーの一人が亡くなった。
ぼくのこの縦組みサイトも、かれが敷いてくれた軌道のうえを、きょうも徐行運転しているのだ。大水都史編集も、縦組みで、着々と進行している。同志中野君の残した功績は大きい。

怒涛のように押し寄せる英語万能のネット時代に、日本文化を美しい日本語で伝え残す独自の縦組みサイト。普及の道半ばで、ぼくよりもはるかに若い中野君がたおれたのは、かえすがえすも、ざんねんである。

文字数の多い日本語で書かれたウエブは、なぜ読みにくいか。英語のような横組み表記に問題がある。日本語の効率的な飛ばし読みに耐える組み方は、横組みだけでは無理である。
かれは、横組みだけでは伝わりにくい日本語文章を、読みやすくしようと、独自の縦組みフォーマットを作り上げたプロジェクトの主要メンバーだった。
無理な注文ばかりつけるデジタル音痴の南斉は、有能なテクニカルアドバイザーを失った。かれは、尊敬すべき真のデジタルおたくだった。
たとえば、この焼香の線香のけむりのゆらぎ、拡大しようか、動画処理しようか、アイデアはつきない人だった。

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めげずに、やりまっせえ。
はばむ壁は高く厚い。でも、こつこつと縦組みのよさを伝える地道な普及啓発の努力を重ねることを、中野博司君の霊前に誓い、こころから、ご冥福を祈りたい。
合掌                八軒家南斉

投稿者 nansai : 11:30

2010年1月22日

一月二十二日 百五十年前、竜馬がすぐ近所を歩いていた。

時代が求めているのだろうか。竜馬ブームが爆発している。
「日本を今一度せんたくいたし申し候事にいたすべく」と坂本竜馬は決意を述べている。
平成のいま、この国を建て直すのに、けちなマネーロンダリングなどは、もってのほか無用のことだ。

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NHK史上空前の番組宣伝のききめあってか、大河ドラマ竜馬伝が快調な滑り出しと聞く。ぼくも、マウスをあやつって、竜馬像を描いてみた。偉丈夫だが、色黒く、ちじれ毛だったらしい。似ても似つかぬが、八軒屋船着き場オリジナルのTシャツに仕立てようという魂胆だ。

というのも、坂本竜馬と、ここ天満八軒家は縁が深い。
百五十年前の文久年間、うちの事務所のある八軒家浜かいわいは、新撰組、志士たちの面々が肩で風きって闊歩していたのだ。当時の情景を、司馬遼太郎は、「竜馬はゆく」につぎのように描いている。

天満八軒屋は、伏見へ上る淀川船の大阪駅になっている。天満橋と天神橋のあいだの南岸の地で、川ぶちに船宿がぎっしり軒を並べ、京大阪をのぼりくだりする旅客でにぎわっていた。
そこに京屋という船宿がある。
京屋端新撰組の御用宿で、将軍の大阪滞在中は、ここに一小隊が駐屯し、上下する旅客をあらためていた。

黒木綿の紋服を着た長身の武士が、京屋のとなりの堺屋という船宿からでてきた。まぎれもない坂本竜馬である。

映画の一コマのように、竜馬が船宿から姿をあらわすのは、ここのビルから歩いて3分。眼と鼻の先だ。
土佐堀通からお祓い筋にあがる角あたりに、竜馬の定宿「堺屋源兵衛」が、すぐそばに新撰組の定宿「京屋忠兵衛」が軒を連ねていた。
高倉筋と古い地図にみえるが、北大江公園に上がる石段に、常夜灯が建てられていたが、(今は谷町9丁目の生国魂神社に移転)その寄進主に堺屋源兵衛、京屋忠兵衛の名がきざまれている。

「竜馬がゆく」には、土佐からはじめて大阪へ出た日の竜馬が描かれている。
竜馬は、その晩、高麗橋で暗がりからいきなり辻斬りに襲われる。取り押さえてみれば、同郷の岡田以蔵だった。後年恐れられた「人斬り以蔵」である。「事情は、旅籠できこう」と、辻駕籠に押し込んでついた先が、八軒家の船宿「京屋冶郎作」方、とある。
その京屋は、間口11件の大きな船宿だったそうで、京都伏見の寺田屋と業務提携していたと伝えられている。

ついでながら、船宿が軒を連ねていた土佐堀通りから、お祓い筋の上がり口に、「熊野かいどう」の石碑が建っている。
古代、ここらあたりは、すぐ海で難波津と呼ばれ、アジアからの船の出入りする港だった。八軒家船着き場は、平安時代から、淀川を利用する熊野詣のルートで、京都と大阪を船で結ぶ中継点だった。

Tシャツ用に、いちびって、いくつか図柄を考えてみた。イケメンな竜馬の背景は、幕末の錦絵師、国貞の描く名作「八軒家夕景」だ。川向うのはるかかなたには、箕面山系がみえる。
いずれ気が向いたら、大河ドラマ「竜馬伝」の好評なうちに、Tシャツに刷りたいのだが。どうなるか。

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投稿者 nansai : 15:21

2010年1月 8日

一月八日 なんとなく、年が明けまして。

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なんとなく今年はよいことあるごとし
元日の朝晴れて雲なし   啄木

三が日は、晴れて雲なく、びっくりするような好天。はたせるかな。「よいこと」が起こった。

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恒例新春杯で、友人の奥さんが、ぼくら10の眼の玉の前で。ホールワンしたのだ。万歳。キャディさんが飛び上がった。眼が点になったとはこのことだ。
こいつは、春から縁起がいいわい。と、まわりも福をわけてもらい、大たたきの連続だったぼくも、おっ、苦手のウッドが高く遠くへ上がるようになったではないか。ごろばかりだったのに。
なんとなく「よいこと」は、たとえささやかでも、ひそかにたいつにせねば。

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年賀状に、なにかひとことペンで走り書きしてあるのをもらうのは、うれしい。
「お元気ですか」だけでも、差し出したひとの相手を思う気持ちが伝わる。要は思いやりである、印刷は、きれいでも冷たく味気ない。
ぼくは、ないチエをしぼってマウスで描いて、手刷りのつもりで、プリントアウトするのだが、普通の印刷とみわけがつかないらしい。

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手書きで一言添えてある年賀状は、今話題の「ツイッター」のようなところが、うれしい。
たったいま自分の思いを140字以内で発信し、反応が返ってくるミニブログが、「ツイッター」だ。

ぼくは年賀状を出すときに、前にもらったのを見直すけくせがある。一年前につぶやくように年賀状の片隅に書き込まれた短いメッセージを意外に読んでいない。
一年後、年賀状を書く寸前に、差し出す相手とあらためてなつかしそうに対話している自分がいる。
とどいた年賀状にはふつう返事をださないから、一年はすぐに経ってしまう。おめでとうの賀詞に、これから手術をするとみじかく書き添えて入院し、まもなく亡くなった人もいた。ま、この歳になれば、ひとごとではないのだが。

おもしろいことに、ぼくが出す年賀状の相手のほとんどは、八軒家南斉サイトは認知されていない。かつては、賀状にも検索先をのせていたのだが。
しばしば停滞するせいか、なかには、縦組みサイトをやめてしまったと思われて、糸電話の相手がいなくなってさびしいと、年賀状に書いてきた向きも。「すんまへん。まだ生きてますがな。」と、肩で息しながら、返事するのもへんなので、そのままに。

同じ縦組みのサイトを好調にたちあげていた女流推理小説家は、どういうわけかストーカーに悩まされ、閉めてしまったときいた。これは、やりきれない。こまったことだ。

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双方向コミュニケーションは、孤立ケンカイ、わがままでヒト見知りの南斉の手に負えない。
屁をひっておかしくもなし独り者。
アタマ隠して尻隠さずのきらいはあるが、この独りよがりサイトを、細々と続けられるところまで続けようと思う。想定読者は、もうひとりのぼくだけだから。

なぜ時流にさからい、ウエブ日本文の縦組みにこだわるのか。あほと違うか。奇異に感じている向きも多いのは承知している。
アイ ハブ ア ドリーム。一寸のムシにすぎないぼくにも、志はある。日本語ウエブサイトを読みやすい縦組み表記することで、コンテンツの文字量が大量に増え、アーカイブされることで、速読拾い読みできると思うからだ。
日本語文字で構築されるウエブサイトは、全日本規模でみると、欧米のそれと比べて、あまりに貧弱、貧相である。端的にいえば、コンテンツ、なかでも文字量があまりに少ない。
日本文をウエブ上に横組みしたとき、バリアに満ちた読みにくさが、欧米のサイトに比べ、日本の文字コンテンツの充実、質的にも量的にもさまたげていると思うからである。

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郵政公社は、「年賀状はおくりもの」とコマーシャルをだしているが、ちょっと違うな。
時の流れで、こころならずも疎遠になってしまった人にも、年の初めということで、気持ちをさりげなく伝えられる機会。あいさつ、かるい会釈。メールよりは、さらっとした人間関係かな。
いまのようなかたちの年賀状は、明治かららしい。
地域でみな暮らしていて門ごとに年始回りをしていた江戸時代にはなかった風習だろう。いちいち飛脚にたのんでいたら、ばくだいなものいりだ。

たいていの連絡はメールですんでしまうから、書くの もじゃまくさい手紙やはがきの配達は、これからどうなるのだろう。

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亀井大臣は、離島や山間僻地の津々浦々に、安いはがき代、切手代でえっちらおっちら、ユニバーサルサービスさせることの物流経費をどう見積もっているのだろうか。美談づくりの選挙対策は結局高くつく。

投稿者 nansai : 16:16

2009年12月21日

十二月二十一日 おいでやす。
郵政非公認、歳末賀状アイデア市。

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公園下の古本屋さんで「枕草子」の文庫本を買う。百円。たったの。
帯のコピーに「10代のうちに読んでおきたいこの一冊」とある。
ぱらぱらとめくっていると、
「ただ過ぎに過ぐるもの」(第245段)とあり、
「帆かけたる舟、人の齢、春、夏、秋、冬。」とみえる。
あっという間に過ぎるものは、年齢か。
いわれてみれば、清少納言のころの一千年前と変わらない。平成のいまも、年を取る速度は、同じなのだ。

年末になると、「喪中につき」と、知人友人からの賀状辞退が舞い込んでくる。
高齢長寿の時代だが、年々、年賀状を出す先がへってきているのだ。

今年郵便局から売り出される年賀はがきは、36億通。文具店や書店でも、賀状のデザイン見本が、わんさとならべられている。みな干支のトラがあしらわれている。ぼくのアイデアも似たようなものだ。
だが、ありきたりのは避けたいぼくのは、アイデアがひとりよがりなので、何の意味かわからないとよくいわれる。がっかりもし、説明責任?めんどくさいのだが。冒頭の絵は、山水画風に、山中に暦日なし、寝ぼけトラの寝正月、のつもりである。
つぎに、まず、無難、ありきたりのをいくつか。


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ありきたりだが、招き猫もじり。猫変じてトラになると。

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こちらは、なんとか勝ちたいトラキチむけ。
甲子園は大入り間違いなし。

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怒ったぞ。ぜひとも、巨人を倒したい。

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笑うトラの横顔が、みそ。これはこれで、いいできなのだ。

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これも笑うトラ。開運招きトラなのだ。ウオーとトラの咆哮とオメデトウをくっつけたのは、品がないな。駄洒落が過ぎた。

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カンフーで必殺の飛び蹴り一発。デフレ退散だ。

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ゴルフボールも、トラトラトラ

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投稿者 nansai : 15:11

2009年12月18日

十二月十八日 ごくろうさん。寒いけど、がんばってな。

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「かわいい。」「癒される。」アンコールにこたえて、高さ九?の巨大なアヒルが、寒風身にしみる八軒家浜船着き場跡に、かえってきた。
「水都大阪2009」では、ややPR不足だったラバーダック。
夜はライティングもされず、暗い川にひとりぼっちで浮かんでいた。
今回は、師走一二日から二五日まで、「光のルネサンス」行事の一環で今度はライトアップされて、寒空の大川に浮かぶことになった。これは、オランダ人の作家のインスタレーション作品。
あほみたいに、ばかでかくて、のんびり、あっけらかんと、まことに単純で、意表を突くおふろのおもちゃ。
黄色いダックは、はるか遠くからも見える。人々は「やあ、でっかいなあ」といながら、ケータイカメラ片手にちかづいてゆく。
あらためて、これぞ愛される前衛作品だ。とても、いい。拍手だ。

前回浮いていたときは、マスコミがとりあげなかったせいか、案外、人が集まらず、大人は気付かなかったが、小さな子だけが無邪気に無条件にエンジョイして喜んでいた。
それを横目でみながら考えた。
大阪では、吉本系のけたたましいお笑いでないと反応しないのかなあ。大阪人は、センスがないとはいわないが、受け止めるユーモアの質が違うのか、とちょっとさびしい思いをしたことを思い出した。
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もともと、このアヒルが登場したのは、日本とオランダ修好四〇〇年を記念してだった。東京が舞台で、アヒルが浮かんだ以外は、大阪は蚊帳の外だったようだ。

ぼくは、ちょっとあたまにきた。ごまめの歯ぎしりにすぎないが。
明治以前の大阪とオランダは、近い関係にあった。
大阪こそ、蘭学発祥の地ではないか。適塾をわすれてはいけない。北浜の適塾から、福沢諭吉、大村益次郎など、蘭学をおさめ明治維新に貢献した先駆者をあまたうみだしているではないか。かれらは、一冊のオランダ語の辞書を争うように筆写したというではないか。
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大阪をわすれてはいませんか。大阪の適塾こそ、日蘭修好四〇〇年の原点の一つであると、オランダ大使館に、いっておくべきだった。
そんなわけで、おそまきながら、日蘭修好を記念して、アヒルに啓蒙されたぼくは、勝手に、ポスターとTシャツをデザインしてみた。
オランダ政府!など、主催者には、無断で。おとがめはないだろう。ま、いっか。著作権にふれないように、ダックの写真は使わず、稚拙なタッチでマウスで描いておいたから。

ついでに、おもちゃのゴムアヒルがかわいいという声にこたえて、たのまれもしないのに、Tシャツ用のデザインをいくつか。

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みよ。ゴムのアヒルが、空を飛んでいる。大川から飛び立って、オランダに帰るというストーリーだ。
大川に昔から棲んでいる河童のがたろ爺が、アヒルの子をダッコしているポスターも。一寸法師みたいに生まれたてのアヒルの子が卵の殻に乗っているのも。
いちびりついでに、このあひるに、勝手に名前を付けたダッ子。英語読みのオランダのダッチと、アヒルのダックとを組み合わせたてみたのだが。

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投稿者 nansai : 14:38

2009年12月14日

十二月八日  「リメンバー パールハーバー!」

日本人は、なにを水に流したのか。なにを忘れているのか

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きょうは、何の日か。
いまから68年前の十二月八日未明、どこで、何が起きたか。
街頭で世論調査してみるとよい。知っている人は少なくなった。
乗ったタクシーの運転手さんも、さあ?と知らない。べつに恥じるふうでもなかった。
68年前のきょう、何が始まったのか。マスコミも、大新聞は、ほとんど触れていない。NHKテレビだけは、この日にちなみ、番組を三本放送した。

1941年十二月のある日曜日の朝、大日本帝国海軍はハワイ真珠湾を奇襲し、ここに4年にわたる太平洋戦争の火蓋が切って落とされた。

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日本は、同盟国ドイツの敗色のきざしがみえてきたのに、この襲撃により、第二次世界大戦に巻き込まれて、世界を敵に回すことになった。
あげくのはて、みずからは「大東亜戦争」とよんでいた総力戦で破れ、国民310万人が亡くなった。海外資産のすべてを失い、国内の都市が灰燼に帰した。

この朝、日本海軍350機の雷撃爆撃により、真珠湾に停泊していた戦艦アリゾナを初めアメリカ太平洋艦隊の主力が壊滅した。くわしくは、鳥飼研究室、ウイキペディア参照。YOUTUBEに「真珠湾」を検索してみよう。その生々しい光景が、いまは動画で見ることができる。
大戦果は、大本営発表され、ぼくら国民を狂喜させた。新聞にのった真珠湾の航空写真は、高空から撮影されていて、みなれないせいもあって、ぼくには戦果はよくわからなかった。まだ国民学校四年生だった。
そして、いま、真珠湾はどこにあるか、と問われ、三重県と答える若い人もいると聞く。(読売新聞編集手帳)まさかとも思うのだが。

ことしも、日本側は、この日について、沈黙している。
2350名の人命を失った米国側では、いまも各地で半旗がかかげられ、ささやかでも記念式典がもたれているようだ。ネットを検索すると、「リメンバー パールハーバー」の項目には、おびただしい数のサイトが存在する。全米で、その数なんと70万以上だ。地方新聞のサイトには、在郷軍人が集まり、ラッパが吹かれ、たたまれた国旗が半旗として掲揚される光景が報道されていた。

当時の大統領ルーズベルトは、演説で、この日はわすれてはならない「恥辱の日」として記憶されようと述べた。ニューヨークタイムズ電子版のアーカイブには、この演説をはじめ最近にいたるまで過去の関連記事がもらさず収録されている。

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1177名の戦死者を出し、二日間燃え続けた戦艦アリゾナは、湾の底に沈んだその場所の上に記念館が建てられている。

アリゾナを轟沈したのは、真珠湾内に潜入した日本海軍の特殊潜航艇の戦果であると、大本営が大々的に発表した。十二月七日五隻の特殊潜航艇が出撃した。大戦果をあげながら帰らなかった搭乗員は、「九軍神」とあがめられて国民の尊崇の的となった。

特殊潜航艇とは、排水量46トン、全長24メートル、水深100メートルしか潜航できない小型潜水艇。乗員2名。魚雷ニ本を装備し、親潜水艦の前部にのせられて目的地にちかづき、敵の泊地攻撃が任務である。

十二月六日、NHKスペシアルは、アメリカの公共放送PBSとの共同制作で『真珠湾の謎―悲劇の特殊潜航艇』を放映した。
当日、ホノルル湾内への潜入は、どの艇も不首尾に終わり、最後の一隻の消息が不明だった。その一隻が海底に沈んでいるところを発見されたいきさつと、国民の士気を高めるための大本営の情報操作の内幕がよくわかる。
特殊潜航艇が、大本営の伝えたように、アリゾナを雷撃することはかなわなかった。最初に座礁し捕獲された特殊潜航艇は、全米を戦時国債キャンペーンの目玉として巡回させられた。ついたあだ名が『東条の葉巻』。
結局、特殊潜航艇は、日米両国でそれぞれのプロパガンダに使われたと番組は伝えている。


ともあれ、78年前の彼我の戦死者を忘却のかなたに消失させてしまってはいけない。アメリカ側だけでなく、戦後の日本人も同じはずだ。開戦前夜、志願して決死の突入を試みた五隻の潜航艇搭乗員たちには、改めて深い敬意をささげなければならないだろう。全員が、二十歳代の若者だった。特殊潜航艇のかげに忘れられた海軍空襲部隊55名の犠牲者も、同じく追悼されねばならばならない。

この日始まった戦争で、日本兵士210万人が戦場に斃れた。
戦死した兵士たちが出征以来身につけていたお守りの日章旗が、戦勝記念品として今アメリカにもちかえられ、いま200ドルで売買されているとNHK」クローズアップ現代」で知った。

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十二月八日を迎えて、あの戦争の評価が揺れているように見える。
あの悲劇を正当化しようとする勢力は、あとをたたない。戦争をまがりなりにも体験したぼくらの世代でも、いろいろだ。

戦争を知らない新進の世代の研究者に期待したいが、かれらのなかでも意見がわかれている。

「あの戦争は無謀な戦争であった。」『勝ち目のない戦争に突っ込んでいった愚かな決断であった。』という俗耳に入りやすい見解、あるいは気分がますます支配的になってゆく恐れがある。」
と、産経新聞の「コラム」で、新保祐司氏(都留文科大教授)は、述べている。

新保氏は、あの戦争は無謀で、愚かだった、とみてよいかと問う。
『昭和16年12月8日に、『勝ち目のない戦争』であることは、十分わかっていた「にもかかわらず」日本は開戦したのである。』とし、70年ほど前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずしてただだらだら敗れていっているのではないか。」
新保教授は、あの戦争を、歴史哲学的に回想せよという。無謀でも愚かでもないという。
310万人の犠牲者を出した戦争と敗戦を経験したぼくには、とても、日本は「戦って見事に敗れた」そのようには考えられない。
昭和のぼくは、なんのうたがいもなく、ボクハ グンジンダイスキヨとうたって育った。やむを得ず立ち上がったと、戦争を美化し正当化した、あのころの大義も正義も、しだいにご都合主義に変容していったと思う。


議論の前に、新保教授には、ぜひ検証してほしい証言がある。
NHKの「戦争証言」。これは貴重な膨大なアーカイブだ。敗戦で戦時資料は焼却隠滅された。戦争の実態を生身の参加者が証言している。
おなじくNHKで3回に渡り放映された『日本海軍400時間の証言』。いまは、番組をオンデマンドでみることができる。

国土を荒廃させあれほどの死人を出しては、正義、大義、理念、歴史哲学もすべてむなしい。国策というイデオロギーやドグマで、人は動かされた。最後は、一億玉砕して、国体護持が、国家目標だった。

戦前、戦時、戦後生きていたぼくは、皇国歴史教育を受け敗戦後の総括なき歴史認識しかなかった。外部の情報から隔絶されれば、国民は無知の状態だ。最近になって、彼我の極秘資料も発掘され、90歳前後になった兵士たちも沈黙を破って、戦場の現実を語り始めた。ぼくは、あらためて、70年前に自分の体験した戦争の本質とはなにか、を理解した。

歴史認識をめぐって論争はつきない。
が、ぼくは、市民をも巻き込んだ310万人の死者、戦場におもむき70%が銃を撃つことなく餓えて死んだ210万人の戦死者を思うとき、新保氏のいう『にもかかわらず』という開戦理由は見あたらないと思う。ぼくには、国家指導者の視野の狭さ、判断のミスとしか思えない。国はなにを守ろうとしたのか。当時も、国益とは、総力戦で焼かれ飢え、あれほどの人命を失うことではないはずだ。

神風を信じ、竹やりを振るって、精神力で敵に立ち向かう本土決戦には参加したくない。もうたくさんである。

サイパン沖縄が全滅し原爆が落とされ、敗色濃い1945年夏、旧制中学生二年のぼくは、敵の上陸に備え丸太をならべた機関銃陣地の横穴を掘っていた。軍部に主導された国家はどこへ向かってゆくのか。戦艦大和が建造されたことも、沖縄への特攻で沈んだことも、連合艦隊が壊滅したことも、情報から隔絶されたぼくたちは、真実を何も知らされていなかった。

追い詰められた大日本帝国の最後の国家ビジョンは、「東洋平和」ではなく「国体護持」だった。一億玉砕が閣議決定されていた。
一億人が本土決戦して全滅してまで守るべき国体。それが何ぼのもんじゃい、といえない時代の空気だった。
護持をめぐってポツダム宣言の受諾が遅れた。昭和二十年の戦没者、沖縄、サイパン、広島、長崎の犠牲者は、当時の世界情勢を見渡し決断が早ければ、救えたかもしれないのだ。

戦争の記憶を伝える語り部は、日米ともに高齢化し亡くなりつつある。日本人は、試験に出ない限り歴史に不勉強だし、現実に目をそむけてきたし、このままではまずいのではないのかなあ。

投稿者 nansai : 16:27

2009年11月25日

十一月二十五日(水)

「ショー」でもいい。税金の行方が、これだけ注目されたら、もうへんな事業は立ちあげられない。族議員さん方、どうする?


国の予算の無駄を洗い出すとして始まった「事業仕分け」の評判がよい。
いらない支出、急がない事業を見分けて予算を削ろうとする。
必殺仕切り人たちが、舌鋒鋭く、切り込んで質問を浴びせる。答える官庁側がもたもたすると、人民裁判とか、公開処刑みたいだと、非難するむきもあるが、やんやの喝采である。

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ムダ指摘の仕分け作業を一堂に集めテレビやネットに全面的に公開した。これは、画期的で評価できる。闘牛のように観衆、つまり納税者が熱狂する最高のパフォーマンスとなった。

ニュースでもワイドショーでもよく取り上げられるから、ぼくのように政治にうとかった人間でも、政治が身近かでよく見えるようになった。
「事業仕分け」とは、耳慣れない用語だが、われわれが払った税金がどのように使われるのか、予算編成の過程が一般公開されるのは、はじめてのこころみである。仕切り人は、民主党の国会議員と自治体職員、エコノミストら民間の有識者ら。役所の担当者と議論しながら、一つ一つ事業の必然性を吟味する。

霞が関の無駄の基準が、一般の常識に照らして、いかにあまいかがわかる。ひいては行政の刷新につながるかもしれないのだ。
これまでは、ぼくら普通の『国民』は、予算に計上される事業には、無知、無関心だった。国会を通過しようが、強行採決しようが、あきらめ気味で知らん顔だった。

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帰らぬ繰り言だが、このような手法をもっと前から導入してほしかった。
狭いこの国に97の空港をつくったり、列島のすみずみまで、新幹線を引き、オリンピックを誘致しようと巨費を投じたり、各地で繰り広げられるへんな事業をぽかんと見送っていた。
事前に投資予算の費用対効果を正しく見積もれば、大阪の財政はこんなに追いつめられていなかったろう。関西空港も泉佐野市も夕張市も、あんなことにはならなかった。議会や監査のための役所が機能していなかった。族議員が暗躍した積年の政官業のもたれあいにつっこめずチェックできなかった。
「事業仕分け」という手法は、2004年に、カナダ政府の財政難を救ったと聞く。

この快挙は、民主党の発明で専売特許かと思っていたら、なんと違った。すでに2002年に民間のNPOシンクタンクが提案し、地方自治体で、成果をあげていたのだ。

小泉内閣でも総理の指示で200年には「与党財政改革・事業仕分けに関するプロジェクト)が発足していたらしい。政権交代以前の八月までに、6省、36自治体で、合計49回実施されていたそうだ。自民党も、七月に、国の事業仕分けを実現させるとして、河野太郎氏が中心となり「無駄遣い撲滅チーム」が、反対を押し切って文科省「政策棚卸し」を行ったというが、話題にならなかったという。

不勉強なぼくは、このような理想に燃える英知を結集したシンクタンクが、中立の立場から、なんのひももつけず、霞が関の外部に誕生していたとは知らなかった。
そのシンクタンクは、「構想日本」。
政策を立案し、変革者を支援するなど、活動7原則にもとづき、元大蔵官僚の加藤秀樹氏に率いられている。
事業仕分けは、当日までの準備、報道関係、一般市民への傍聴呼びかけを行う。当日はコーディネータとして議論を運営する。しかも、交通費など実費以外はすべて自弁というから、頭が下がる。
政策シンクタンク「構想日本」のホームページをみて、その志の高さとネットワークの発展性に敬意を表したい。

いうてせんないことながら、なぜ、これまで、国として、地方として、もっと早く事業の見直しするメカニズムは機能しなかったのか。
もし、事業の見直しが、きっちり行われていたら、どうだったろうか。田中角栄のノーハウ、政官業の癒着による、道路、橋、空港、新幹線が日本列島をはいずりまわり、大阪南港にも、関空周辺にも、あのように箱モノが林立することはなかったのに。

投稿者 nansai : 17:13

2009年11月19日

十一月十九日 
不景気だ。が、とりあえず平和な日々である。

よほどしんどそうな老人にみえたのだろう。
先週、夕方満員のJR京都線の電車で、かばんをかかえてぼんやり吊革にぶらさがっていたら、ジャージーを着た女子中学生がたち上がって、どうぞ、といってくれた。優先席でもないのに。

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年齢に不足はないが、めったにないことで恐縮した。「ありがとう」と小さくつぶやいて腰を下ろす。すぐがさごそ夕刊をひろげたりせずに、瞑目。なんとなくほのぼのとしたいい気分になった。しみじみ思うに、席はゆずられると、うれしいものだ。年をとると、思いやりは、微量でもよく効く。いつも乗っている地下鉄では、まずこんなシーンはない。二駅目で彼女は降りて行った。

ほとんど毎晩のことだ。暗くなって家路をたどる坂道の脇のミカンの木の下で、一匹の捨て猫がすわりこんで鳴いている。
コンビニの横に、ミカン畑があるのだ。子猫に毛の生えたサイズ。金網越しにみると、低いかぼそい声で、鳴き続ける。昼間はあちこち移動はしているらしいが。
おなかすいているのかなあ。

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だいぶ前からで、気になっていた。うちの駄猫は訪れた人に「おおきゅうなったなあ。まるでたぬきみたいや」といわれているのに。

先夜も、かぼそい鳴き声につい後ろ髪をひかれそうな気分になって、コンビニまで舞い戻って、105円の小さなちくわを買ってなげてやった。
すぐ飛びつくかとみていると、食べ物にむしゃぶりつく前に、どうしたことか、ぼくの足元にすり寄ってくる。すぐに食べたいが、ひとのあとについてゆこうとするチエもあるのだ。うろうろしたあげく、ちくわのほうに行った。
む、む、む、小さなうめき声をあげて一生懸命かぶりついて食う。

ペットを捨てる人が多いのに、考えさせられる。

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投稿者 nansai : 14:07

2009年11月12日

十一月十二日 栄光の背番号7番の退団

初冬の日差しを受けて甲子園球場では、トライアウトが行われ、阪神のユニホームを着て、わが今岡誠選手が参加した。戦力外通告を受けた選手らを対象とする、12球団入団テストである。

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アスリートとしての「定年」退職者の採用試験ともいえる。昔の名前は通用しない、厳しい現実がテストされる。
かつて、ドラフト一位で阪神入団、首位打者、打点王を獲得した35歳の今岡が、プライドをかなぐりすてて、トライアウトに挑んだ。
ただただ好きな野球を続けたい、その一心からだ。スポーツ紙によっては、一面のトップで報じた。

天才今岡選手の華麗なホームページを見てみよう。
06年に右手の手術して以来、逸材のあのバッティングが戻ってくることはなかった。しろうとにはわからないが、右手のばね指で、天性の微妙なバットコントロールに狂いを生じたのか。ここ数年、やきもきしつつ復活を期待していたぼくとしては、残念だ。

だが、プロは、あくまで結果だ。打てて、なんぼだ。
ひざの手術後外野を守れないマツイ選手は、今年契約が終わるが、ワールドシリーズで打ちまくり底力を見せつけて、ヤンキースタジアムの花道に立った。

松井秀喜選手と同い年の、今岡の打撃技術が、あのように急速に衰えたのはなぜなのか。阪神では徒労に終わったが、環境の変化で、復活は望めないのか。

一方、40歳を超えた楽天の山崎武史選手のしたたかな活躍ぶりはどうだろう。ぎっしり書き込まれたネットをみて、かれの波乱万丈ぶりに驚かされる。
指導者とそりがあわず、中日からオリックスに移籍、戦力外通告、引退を考えたが楽天と契約、野村監督に認められるまで、逆境にほんろうされつつも。今日の結果を出した。
スポーツ紙では、獲得に色気を示している球団として、西武と広島の名があがっている。どうなるか。

こんご、今岡は、指導者の道を歩むか、山崎選手のように職人の道をつらぬくか、好漢(もちろん本人と会ったこともないのだが)の自重を祈る。

投稿者 nansai : 14:56

2009年11月 9日

十一月九日 ゴジラ天晴れ。日本の誉れ。

9年ぶりに、ニューヨークヤンキースが、ようやくワールドシリーズで優勝した。地元ニューヨークデイリー紙は報じた。
「今夜が最後のピンストライプのユニフォームだったのかもしれないマツイが、6打点をあげ、歴史を刻んだ」。

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なんと、松井秀喜選手が、最優秀選手に選ばれたのだ。シリーズ記録タイの6打点はすごい。パワーだけではない、過去のデータにもとづく頭脳プレーの結果だろう。考えて、瞬時に投手の配球が読めている。
シリーズMVPは、体力に劣る日本人打者としては、信じられない不滅の名誉だ。あえて春さきのWBC日本代表チームには参加しなかったが、国民栄誉賞ものだろう。でもこの好成績をもってしても、かれの花道になるかもしれないという。楽天の野村元監督と違って、未練がましく、ぼやきはしないだろうが。

ファンからは、ゴジラの愛称で親しまれたが、故障には勝てず、試合前にはことしで終わる契約がもう更新されることはないと、ドライにニューヨークのメディアは報じていた。来年の球団カレンダーには、かれの写真はのっていないそうだ。

渡米7年目で、もう35歳、手首を痛め、手術したひざからは、しばしば水を抜かねばならない。年俸14億円は、外野を守れないのに、チームには高すぎる買い物だと、揶揄されていた。

大リーグでの高額報酬の一流選手の出入り、入れ替えは、はげしい。MVPをとったマツイ自身は、契約継続に色気を示している。ヤンキースもニューヨークのファンも好きだとも。
勝てば、官軍。となるかどうか。
パレードの沿道をうめつくすファンからは、シリーズタイトル奪還に貢献したマツイに嵐の賞賛だが、若返りを図らねばならぬクールな球団は、日本人のようには情にほだされない。選手の価値は、コンピュータが計算する。
さて、どう出てくるか。ヤンキース。

少年の頃、熱心な阪神ファンだったときく松井選手の晩年は、広い甲子園球場が似合うと思うのだが。

投稿者 nansai : 13:31

2009年10月30日

十月三十日 「水都、わが町」を考える。どの町に、ぼくは、住んでいるのか。

北大江公園、恒例「たそがれコンサート」秋の大イベントは、めでたく終了した。ぼくの不出来なチラシがあちこちの店先に張られて、ま、無事すみました。

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この付近は、楽器関係の工房が多く、出入りするミュージシャンも多い。プロの演奏家のみなさんが、ボランティアで、客寄せチンドン屋から、やさしい解説付き名演奏など、大車輪の活躍だった。
チェロの無伴奏の協奏曲はちんぷんかんぷんだったが、弾く弓は、馬の尻尾の毛だと教えてもらった。
それも、オスの尻尾の毛でないといけない。後ろ足の付け根のしっぽへの尿のかかり具合がオスとメスで違うそうで、なるほどとなっとくした。
フルートとハープの演奏も、オンチのぼくにもやさしくわかるような日本の歌だ。「見あげてごらん、空の星を」も演奏され、がらにもなく、思わず空をみあげると、ここはビルの谷間で、真っ暗なせまい空に星はひとつもみえなかったのは残念。

隣のイタ飯食堂もおおはりきりで、店の前で焼く、もうもうと煙を上げるサンマやイカのバーベキューの匂いが、演奏会場まで流れてきた。
当店何よりの快挙は、店のトイレを公園の観客に開放したことだ。

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その太っ腹な英断に感謝して、オーナーシェフの肖像画をそそくさと描いて、ここに贈呈することにした。本人は、不揃いな歯並びが不満げなのだが。

ところで、自治体が後押ししている「町づくり」とはなんだろう。「わが町」は、織田作之助の名作だが、あの小説にでてくる「がたろ横丁」のような町は、大阪市内に残っているのだろうか。どこそこの神社の氏子も神輿をかつぐ若い衆の数がたりないときく。

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八軒屋界隈。この町内の住民は、あたらしく建ったマンション住まいがふえている。住民の大多数は、郊外やよその町から、ここのオフイスや店に通勤する、ぼくのような「通い」の住民だ。マッチ箱のような公園の四方が、マンションと当社のようなオフイスビルに囲まれているからだ。
戦災で焼けたこともあって、ほとんどの住民が新参者だろう。町づくりといっても、どだい、イタリアの田舎の町のように、教会があって、広場があってといった「コミュニティ」の態をなしていないのはしかたがない。

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ぼくは大阪で生まれて地方で育った。また、大阪に来て、半世紀以上たつのに、ぼくはどこのコミュニティに属しているのかわからずにいる。
多感な時期を過ごした田舎に帰っても、浦島太郎だし、今住んでいる郊外の家の近所に、ぼくの居場所はない。
つきあいといえば、長年、会社と仕事を通じて知り合った仲間(むかしの得意先も)とのそれだ。
しかし、この北大江公園界隈もなんだか、いつのまにか、渡来してきたぼくが「帰化」してしまったおもむきもある。ぼく個人は、区税をはらってはいないよそものだ。三代続いた家はほとんどないそうだ。みな戦後集まってきたよそものだし、親しく付き合っているわけでもないが、公園の一角に、ビルを借りて、ぼくも30年以上根をおろしているから、住民には違いない。

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ぼくの顔はしられていないが、ぼくの下手な絵がメディアになっているみたいでもある。不思議な渡来住民である。

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投稿者 nansai : 17:19

2009年10月19日

十月十九日

ぼくの描いたTシャツ絵の展示会を、丸善ボタン画廊の片隅で開くことに。

北大江公園かいわいは、楽器職人の町として売り出し中だ。十月にはいって、町内あちこちのレストランでは「たそがれコンサート」音楽イベントが開かれている。その一環として、場違いながら、ぼくのTシャツも、枯れ木も山のにぎわいということらしい。
画廊への目印は、画廊の斜め前の立ち食いうどん屋さんの回転警告灯だ。赤い光がちかちかまたたいていて交通事故現場の感じだが、遠くからもよくわかる。

これから寒うなるのに、なんでTシャツやねん、と突っ込まれると困る。高価な紙を使うよりも、布地に刷るほうが、安上がりでかんたんなのだ。ひらめけば、アイデアがすぐかたちになるし、何より、安直だから。



もし、ぼくがイラストレーションの個展を開こうとすれば、制作の手間もたいへんだし、額縁などが高くつく。
Tシャツは布地にじかに印刷するから、省エネで安直に出来上がるのが利点。といっても、せこいなりに、結構コストはかかってしまうが。
べんりになったもので、あわてて、東京のTシャツ印刷会社に、隣のイタリア食堂マリアンのご主人にパソコンで発注してもらったら、三日たらずで刷り上がった。

マウスでこちょこちょと描いて、入力して、発注すれば、好みのTシャツが完成する。
このままではあまりにイージーなので、古い友人のアートディレクター千葉さんにお願いしてポスターをつくってもらった。ありがとうございました。

投稿者 nansai : 18:37

2009年10月14日

十月十四日 ほんとに!政権が交代してしまった。さ、これからだ。

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政権交代とは、こんなものか。
戦いが終わってはじめて、政治にうとく、政局にも無頓着だったぼくにも、見えなかったことが見えてきた。

コンクリートのハコから、ヒトへ。
予算を振り向けるのは、賛成である。箱もの行政がおかしいことがわかっていながら、自民党政権下では、日本の政治はかわらないと、黙認しあきらめていた。
限られた予算に、優先順位をつけ、箱ものでなく、教育医療福祉にまわす。しごくあたりまえの民主党の方針に、賛成する。

政権交代は、官庁縦割りの既得権に縛られた税の配分先を大胆に変えられるのだ。甘い汁を吸ってきた族議員たちがうろたえるのは当然のむくいだ。でもたいへんなのは、これからだ。

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公共工事は、地方にとって、麻薬のようなものらしい。
大都会に住んでいては、そこのところの事情が、不勉強なぼくにはよくわからなかった。
土建国家の日本は、公共工事という麻薬を打ちつづけなければ、財政がゆきづまってしまう体質になってしまった。総選挙直前、女優のりピーの覚せい剤依存症の話題で持ちきりだったが、日本の地方財政がヤクづけたったとは。

ずいぶん前、自民党の古参政治家が、地方は、ダムでもトンネルでも、何の名目でもいいから、とにかくカネがほしいのだと、ホンネをもらしていたのに驚いたことを思い出す。
『米国の半分以下の人口と4%の国土面積しかない日本が、米国の年間使用量と同じ分のセメントを使い、公共事業は、米国国防費を上回る』と、ニューヨークタイムズがあきれていたという。ほんまかいな。

政権交替後、手のひらを返すように、これまでの自民党政治を総括するマスコミ報道や論評があふれた。
先日の日経の「自民党半世紀」特集に目を通したら、自民党の政治を支えたのは、政治家の個人後援会と業界団体だったと総括している。大阪郊外のぼくの選挙区では、効率が悪いとみられたのか、ほとんど選挙運動の洗礼を受けてこなかった。もちろん、個人後援会などお呼びでない。
日本列島改造という美名のもとに、半世紀以上前に田中角栄の開発した、政官業のあいだでの利益分配と集票の精緻なしくみが、これほどまでに長期にわたり持続可能だったいきさつが、あらためてよくわかった。
当時の国民は『コンピュータつきのブルドーザ」と田中角栄を英雄視したのだ。

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公共工事に偏った財政支出は、選挙対策には役立ったが、一方で巨額の財政赤字を生み出した。自民党政権下、全国津々浦々にハコモノが建てられ、ダム、道路、空港、鉄道がつくられるのを、ぼくら国民は当然のように、いや、はるか遠くの地方にばらまかれるのを、他人事のようにうけとってきた。
地方は、国のカネをあてにして、空港、新幹線、高速道路をつくりたがる。地方活性化をうたう政治家の目先の選挙公約だった。ここ大阪近辺にも、三つの空港ができた。将来の不採算性を考えては、票に結びつかなかったのか。

気づけば、つもり積もって、国として、800兆円の借金というつけが残った。
悲惨な状況の夕張市、泉佐野市のように立ち行かなくなった自治体も目白押しだし、わが大阪府も南港埋め立て工事や、失敗したオリンピック誘致などで、莫大な負債を背負っている。
国は、まだまだ国債という借金証文を発行し続けねばならない実情だ。


「世界の民主主義国のなかで、自民党に匹敵する長期政権が維持される国はまれである。
自民党が、「与党であることで与党であり続ける」ことに成功した背景には、巧妙な利益誘導政策があった。以上は、日経の『経済教室』からだ。そんなに長期にわたっていたのか。知らなかったではすまされないのだが。
このようにフェルドマン氏ほかの専門家に指摘されてみると、独裁国家でないかぎり、政権交代の必要を、これほど長く、国民が感じていなかったのは、やはり異常な国だったのか。

かねがね報道されていた政官業の癒着という実態は、苦々しくは思っていた。
この国に限ったことだけでなく、官僚が族議員と組んで特定団体の利益に沿う公共事業や補助金をきめてゆく、いわゆる鉄のトライアングル(三角形)は、いまは大学のゼミでも教えていると、女子大学生がNHK討論会でのべていた。常識なのだ。

先月のNHK大阪は、勇気をふるって?すごいテーマをドラマ化した。

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門真市の市役所をロケして、政官業 の癒着ぶりをドラマ化したのだ。架空(とは思えない)の大阪府下の「なみはや市」を舞台に、ニュータウンの建設の是非を巡って、身につまされるように描かれていた。勇気ある試みだったが、時宜を得て好評だったという声は聞こえてこなかった。ゴールデンアワーに、このようなリアルなドラマが放映されることが、世相の急変ぶりを物語っているのだろうか。

政官業の関係者をまきこんだ公共事業は、いったん間違って走り出すと、もうとめられないという。
カネのばらまかれ方が半端でないのだ。
買収、補欠の土地代金、セメントや鋼材、長期にわたる工事費。賃金として地元の雇用に結び付く割合は意外と少ないそうだ。
こうなると、何十年前の発案されたときの大義名分は、どうでもよくなる。これほど変化の激しい時代に、建設目的などは、すぐに揮発してしまう。

地元の住民にとっては、きょう、あすの仕事が最大の関心事である。カネがすべて。「この橋の工事が終わると、もう仕事がなくなる」といった地元トラックの運転手のうめきが、同情を持ってマスコミで放映される。

経営学で言う「全体最適」と「部分最適」の折り合いは、まことに困難だ。この国の行く先とか、国全体の調和は、地元には見えるわけがない。今ほしいのは仕事。目先の仕事がほしい人には、どうでもよいことだ。

「全体最適」を説かれても一般国民は、お国のためと、地元のお気の毒の境界が見分けられない。
情報公開が隠されたり不十分だから、どっちも他人事と思えてしまう。国の負っている800兆円を越える借金がどんなことなのか。プライマリーバランス?何とかなるのじゃない?
ぼくをふくめて、全体を眺めて将来を考える習慣は、身についていない。政治家の呼びかける「国民のみなさん」の実態はこうだろう。

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地方の小選挙区で戦う政治家は、地元の講演会では、後援会の切望する「部分最適」のプランを述べて、明日の一票を狙う。
国益をとなえ「全体最適」の大義をふりかざす相手には、「地方を切り捨てるのか」と居直ってみせねばならない。つまり地元への利益導入以外に約束することはない。だれの目にも国家百年の大計とのギャップがあきらかであっても。

で、どうしたらいいか。まっとうな民主主義を実現するには、政治の仕組みの大改革に帰るのだろう。容易なことではない。

議員たちは、地元の選挙で勝つことと、国政とをどう両立できるか。
何しろ経験がない。未知への遭遇だ。明治維新の岩倉使節団を見習ってか、副総理が急きょ政権交代の本場に、勉強に行くのはいいことだと、しろうとながら思った。英国などの政権交代が頻繁な運用例が参考になるだろう。先進民主主義諸国の失敗の歴史にも学ぶことは多いのでは、と政治音痴のぼくは考えた。しかし、おっとどっこい。

お手本としてのイギリス政治は、文芸春秋十一月号の、中西輝政教授のご託宣によると、「模倣不可能」とのことだ。最初の政権交代は、得てして失敗する。苦渋に満ちた長い学習期間が必要であるらしい。

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しかしながら、ぼくは、海図のない荒海に船出する民主党の若手の志と意気込みは、高く評価したい。
マニフェストを穴のあくほど読んだわけでないが、出陣した若手の武者ぶりは、すがすがしい。いいぞ、その調子だ。いまは、組織がもつかどうか、見守るだけだ。

政治家に必要なのは、大久保利通のような、つまるところ胆力だと言った人がいた。

自民党をぶっ壊すとして、金融崩壊に対処し、構造改革に立ち向かった小泉、竹中チームの実績、次世代の内閣で立ち枯れに追いやられたが、を否定せずに認める学識評論家を、ぼくは支持したい。
個人的恨みから、彼らにくしで、市場原理が格差を生んだと、時計の針を逆に回そうと、復讐の血刀を手に吠えまくる人たちを唖然としてぼくは眺めている。
とくに、特定集団の利益を代表する族議員たちだ。郵政、農林、建設など、業界に寄生する族議員の領袖たちが、よくいうわ。
市場にかわる経済効率を測る物差しを人類は発明していない。市場、それもグローバルな視点と物差しを無視すれば、世界では生きていけない。企業ならば、即、つぶれるのだ。

今度の政権では、国家の理想像が示されていないという声が高い。しかし、拙速では、国家百年の計は立つまい。取り返しがつかないことにもなりかねない。

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戦前戦後、幾多の国家理想像を提示されて、国が滅びそうになったのを、当時若く、いまや年老いたぼくは、まるで昨日のように、生々しく苦々しく思い出す。いまの時代、賢者だけでなく、愚者も、歴史に学べるのだ。

おぞましい八紘一宇、大東亜共栄圏、本土防衛、一億玉砕。日本列島改造論。
敗戦後すぐの「貿易立国」は、その通りになったが。イギリスにならっての「金融立国」も、モデルとして、その時は、なるほどと門外漢のぼくは思ったが、崩壊してしまった。

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戦争に向かって国家が破滅に向かう決断も、一握りのエリート集団によって推進された。
いずれも、日本独特の縦割り組織にへだてられ、世界情勢が把握されぬまま、若い高級参謀たちが立案し、それを権力者がまるのみにして採択、天皇に上奏した。
太平洋戦争は、海軍軍令部の中の俊英からなる第一委員会、たった十名以下の描いたシナリオ通りに破局に向かい突き進んでいったと、NHK特集「日本海軍400時間の証言」で知った。

あの戦争のような巨大なエネルギーは、いったん動き出したら、ブレーキをかけるのに、さらなるエネルギーが必要だということを教えている。
石油がなければ軍艦は動けない。米国の石油禁輸にそなえて、仏印へ兵をむけようとした。これに態度硬化させた米国は、華北からの撤兵を求めた。
日米交渉で戦争を避けるための妥協案だ。東条陸相が断固反対した。戦場ですでに10万人の命が失われている、いまさらあとにひけないと。
結局、勝ち目のない戦争になだれこみ、310万人の同胞の命が失われた。一握りのエリート軍人たちが、中国で戦死した10万の英霊に申し訳ないとして、米国への交渉を打ち切り、元も子もなくし国を危うくした。

ダム工事の中止も、これに似ている。あれだけカネを使ったのだから、いまさら後に引けない。
八つ場ダム建設は、部分最適と全体最適の激突である。

もともと、戦場での撤退、株の損切りには、大局感と勇気と決断が必要だ。
数百万人の犠牲者を出し100%負けるに決まった戦争でもやめるのは、あれほど至難だったのは、わずか、半世紀前の歴史が実証している。
でも、やめねばならぬときは、やめなければならない。

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自民党が大敗し民主党が大勝した理由は、掃いて捨てるほどある。決してマニフェストを熟読した結果ではない。投票所でも、候補者の名前以外、なんら主張がよくわからない。でも、ほとほと愛想を尽かして、小泉以降の自民党を罰したのだ。

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これからも、日本の民主主義は、日本型選挙のうえになりたってゆくのだろうか。理ではなく、ひとの情に訴える。辻立ちという、超「部分最適」を狙う選挙で、国の「全体最適」を理解させ賛同させることはできるはずがない。

小沢流選挙戦略は、地上戦だそうだ。かれの師田中角栄直伝の戦術だった。
かれは、政治は数がすべてだといった。質は二の次という意味だろう。オバマのように政見を説いて、理で集票はできないことを、角栄は知っていた。

街頭での辻立ち100回、相手の目をじっと見て握手、川上の山奥に足を運び、川下に下る。
川上の辺鄙な里には高齢者が住み、川下には、若い家族が暮らす。地道な活動の積み重ねで票田はこうして耕されるのだ。


ぼくのように、永田町にも霞ヶ関にもまったく縁のない人間には、今度の政権交代は、終戦直後以来の、身近な政治ドラマだった。従来の政治ジャーナリズム、金融専門家は、あてにならない。
新聞の雑多な切り抜きやワイドショーのコメントから、何か見えてくるものがある。
自民党政権下の半世紀の暗いジャンルに、木洩れ陽がさしてきて、物の影がぼんやりみえてきた。民社党の政府をになう若手に期待をしたい。

わが畏敬する立花隆氏が、文芸春秋誌上に気になる見解を唱えている。小沢一郎の密室政治は、民主主義ではなく、宮廷政治というべきであると。かれは、こうもつぶやいている。「小沢一郎の体質があまりに田中角栄のそれに似すぎている。」
「小沢が要職にいるかぎり、まるで角栄、金丸の亡霊が鳩山内閣を二重構造的に支配しているようにみえてしまう。」とも。

投稿者 nansai : 10:45

2009年8月26日

八月二十六日 あれはなんやろ?

八軒家浜に、アヒルが
ぷかぷか浮かんでいるぞ。

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天満橋のほとりの「川の駅」沿いに、でかい黄色いアヒルのおもちゃが、ぷかぷかと浮かんでいた。赤ちゃんがお風呂で遊ぶおもちゃのアヒルだ。木曜日の午後気づいた。
夏の日差しに照り返す黄色が、川面にあざやかに映っている。ゴム製の巨大なアヒルの子は、じっと動かない。
水都再生とはいうものの、殺風景なコンクリートで固めた岸辺と、アヒルのとぼけたバカでかさが奇妙に、いい感じで調和していた。まったく場違いで、まったく大阪らしくないところが、ユーモラスでうれしい。
なのに、事前のPR不足か。見物客がいない。目ざとく見つけた人たちが携帯で撮影しているだけ。

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ネットで調べてみたら、この途方もないアイデアはオランダ製だった。やっぱりな。
オランダの作家ホフマン氏のインスタレーションらしい。かれは、すでにベルギー、フランス、ブラジルで、公共空間で巨大な作品を展示する活動を行ってきたという。
このアヒルの子は、「水都大阪2009」と「日本オランダ修好400年」を記念して登場した。大阪とオランダは、適塾で教えられた蘭学でつながるのかな。

翌日、しっかり写真を撮ろうと、カメラをぶらさげていってみた。
ありゃ、どうしたことか、被写体は影も形もない。
まさか週末をひかえて、もう店じまいということはないだろう。眼を皿にして探したが、黄色いアヒルは、消えた。

川の道駅のガイドさんにきいてみたら、空気が抜けるる不具合でぺちゃんこになったらしい。目下修理中とのこと。川面から忽然と消えたはずだ。

空気を入れなおして、また、元気な顔をみせてほしいものだ。
あれはすごかったでえ。などと、都市伝説として、誰も見たことのない幻のアヒルにならんように。

世界のいろんな川で、この巨大アヒルの仲間が浮べられているという。大阪の次は、インドときいた。
物騒な世の中、いま、ベルギーの運河に浮いているアヒル君には災難がふりかかった。テロ攻撃?を加えたやつがいて、風船にでかい穴をあけたそうだ。嵐でやられて、ようやく帰ってきたばかりなのに。
ラジオオランダのネットによれば、おそろしいことだ、とても残念だ、と作者が大阪からコメントしていた。

このインスタレーションは、契約期間が過ぎればまもなく撤去される。
水都の住人であるぼくも、このどでかい、かわいいアイデアに敬意を表して、思い出に残るTシャツのデザインを思いついた。

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ひょっとして、大川端に着水した幻のアヒル人形となるかもしれない。オランダからアイデアが飛んできたのだから、話題になるよと、お隣のイタ飯レストランの大将に見せた。

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オランダへ向かって空高く舞い上がるアヒルなんかいいじゃないか、どう?水都2009記念のTシャツにしても、クッキーの箱に張ってもいいし。
ぴんと来ず、無反応。
おもろいアイデアなんだけどなあ。

それにしても、オランダ生まれのアヒルの子は、空気を満タンにして再び元気のいい姿をみせてくれるのだろうか。
大人は気付かずとおりすぎても、子どもたちは興奮してはしりまわっていたそうだ。

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投稿者 nansai : 14:45

2009年8月20日

八月二十日

NHK「戦争証言プロジェクト」は、あすの日本のための追悼施設だ。

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NHKがインターネット上で「戦争証言プロジェクト」を進めている。これは、300万人の尊い命を失った悲劇の負け戦の記録である。デジタルでこそ記録しえた。先の大戦終結から64年、これは偏狭なナショナリズムにあおられることなく、冷厳な歴史を直視し、未来を考えるために、後世に残す貴重な資料となった。
あれほどの惨憺たる敗北を喫した敗軍が正しくリアルに歴史を語ることは少なかった。11年に完成するこのこころみは、後世に伝える情報の金字塔である。
ここに、日本で初めて、いや、世界で初めてではないか、テレビとインターネットが初めて大規模に融合した戦史が完成しつつある。

まず、サーチエンジンに「戦争証言」と打ち込んでみてほしい。
日本人が知らされていなかった、知ろうとしなかった太平洋戦争の生々しい実録が、アジア太平洋各地で参戦し、かろうじて生き延びてきた人の証言により浮かび上がってくる。
戦場は地獄だったと回想する証言者たちは、90歳前後、ようやく重い口を開いた。

何の大義もなく成算もなく突入した大戦で310万人の同胞が命を落とした。巻き込まれたアジアの人たちは、2千万人とも。
200万人もの日本軍兵士が戦場に送られた。兵士の70%が、補給を断たれ、弾を撃つことなく、餓死したといわれる。

NHKは、これまで、営々としてあの悲惨な戦争の実相を、映像と敵味方双方の生存者への取材を通じて数々のドキュメンタリーを制作、放映してきた。
ネット編集が綿密ていねいだから、NHKスぺシャルなど長時間ドキュメンタリーも丸ごと収録され、必要な部分だけ抜き見することができるのはありがたい。

過去放映されたドキュメント「太平洋戦争」と、シリーズ証言記録「兵士と戦争」をネットに完全収録した。これに地図、年表、証言者の索引から、レイテ戦から沖縄上陸など、個別のストーリーへリンクされる構成だ。
いま、若い人も政治家もあまりに歴史認識が足りないといわれる。
近現代史は、授業で教えない、入学試験に出ない。でも、このような史実を、アーカイブで動画で見ることができる。いつでも、どこでもだ。

ネットとテレビのクロスメディア編集は、あらゆる情報を百科事典のように、整然と整理できる。伝えやすく教えやすい。教科書を授業でどう使うかに教育革命をもたらすだろう。BBCなど他国に先を越されてきたが、NHKの今回の試みは、21世紀のデジタル情報伝達に、出版とは別の新しい可能性を投げかけている。
日本の教育は変わるかもしれない。
この方向に向かう投資こそ、国民から白い目で見られているハコものでない、次の世代の人材を育てる公共事業ではないか。

投稿者 nansai : 15:54

2009年8月 5日

八月四日 ヒロシマ原爆投下目的のおぞましさ?

ぼんやりみていた昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」の特集に恐ろしい衝撃を受けた。
昭和二十年八月六日。あの日の原子爆弾投下は、残虐きわまる人体実験だったのか。「なぜ警戒警報は鳴らなかったのか・・・。」
番組では、原爆を搭載したB29「エノラ・ゲイ」は、ヒロシマ市民を油断させて、最大限に有効に、原爆を落としたのだ、と告発されていた。 

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息をのんでみたこのドキュメンタリーは,AERAの長谷川熙ライターの取材による「エノラ・ゲイは二度舞った」にもとづいている。

「あの核攻撃のやりかたを工夫した人間たちの残虐さについて、つよい嫌悪感と反感を捨てることができない。」
こう語るのは、原爆投下直後に海軍による被ばく調査に参加した若木重敏氏。93歳。京大理学部出身の元海軍技術大尉だ。

「エノラ・ゲイは上空を旋回しながら通過、その間に日本側に警報を発令、解除させた。この解除放送を傍受するや反転して、無警報の中で地上に出ていた大人口をまるごと被ばくさせた。原爆の影響を測る「人体実験」の効果を最高度に上げた。」

1メートル以上深く地下にいたら、人体への原爆の影響はほとんどない、とアメリカ側はわかっていたそうだ。
しっかりした防空壕にはいっていたら、爆心地近くでも、人々はたすかっていたのだ。

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テレビでは、奇跡的に防空壕で命を取り留めた二人の当時の少年少女の証言を紹介していた。
当日もし警戒警報が出されていたら、人身被害はかなりすくなくてすんだのではないか。14万人も死ななくて済んだかもしれないのだ。

米軍機は、広島市を通過したと見せかけ反転し、警報を解除させるように、フエイントをかけたと、若田氏は証言する。これが事実とすると、まるで西部劇の悪漢の卑怯なガンさばきをみるようだ。
その日「エノラ・ゲイ」は、戦果観測機を従えていた。無警戒の市民が防空壕にはいっていないのを見すまして、原爆を投下したのだろうか。人的被害を最大化にする実験効果を意図して。
もちろん60年以上前のとぼしい(または秘匿された)データ証言から、エノラ・ゲイの航路を追跡することは容易ではない。

ぼくは、以前から、マンハッタン計画の総責任者グローブス少将の特異な判断行動に疑問をいだいていた。権力者独特の傲慢で非情な性格が資料から読み取れる。
かれが原爆投下地区の選定にあたり、京都を最適として執拗にのぞんだことにひっかかっていた。高度に教育された市民だからこそ、被爆すれば、この爆弾の重要性を思い知るだろうというのが理由だ。反対されて沙汰やみになったが、かれが実験地区に京都を押した理由は、そのはかりしれぬ文化価値である、というから常軌を逸していた。

アエラ誌8月10日によれば、原爆投下が成功した直後、総指揮官グローブス少将は、「医学陣も含めた被爆地の早急な組織的調査を命じた」といわれる。「病理学標本」の収集もだ。広島への原爆投下は未曾有のスケールの人体実験だったのか。
戦後進駐した米軍は、ABCCを設立したが、被ばく者を治療せず生きた標本扱いにしたことも違和感を感じて記憶に残っている。

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もし、あの朝、警報が出て市民が防空壕にはいっていれば、あのようなたくさんの人的被害は出なかったという若木説を、ぼくは、昨夜テレビでみるまで、知らなかった。

「原爆機反転す。ヒロシマは実験室だった」(1994光文社)」「広島反転爆撃の証明」(文芸春秋)。
協和発酵副社長だった元海軍技術将校若木重敏氏は、すでに数冊の告発の書を出版していた。いずれも絶版だが、話題に上らなかったのか。
まだご存命らしい若木氏をはじめ高齢の関係者へのさらなる取材で、真実が明らかになることを望みたい。

不幸にして、もし事実ならば、64年前の米機の狂気のふるまいは、まさに「鬼畜」だったというほかはない。戦争とはそういうものだ、と言い切ってよいか。

歴史は、風化する。ニューメキシコの国立核博物館では、ヒロシマ.ナガサキに落とされた原爆ファットマンとリトルボーイをかたどったアクセサリーが4ドル50セントで売られている。ウエブサイトは、「リアクション」をどうぞ、と、くったくがない。リアクションとは、「核反応」。
ごく最近おこなわれた世論調査では、アメリカ人の61%が原爆投下の正当性を認めている。55歳以上は73%が賛成、35歳から54歳の60%は賛成、34歳から14歳では50%が容認している。

投稿者 nansai : 13:40

2009年7月31日

七月三十一日 「ブラックスワン」を読み始めたら(カンケイないか?)

ありえないなんてコトは、ありえない。よくわからんが、不確実性とリスクの本質を描いたミリオンセラーを読み始めた。人間の頭脳と思考の限界と、その根本的な欠陥を解き明かすと、腰巻のコピーにある。おもしろそうだ。
白鳥が黒いはずはない。黒い白鳥はオーストラリアで発見されるまで誰も信じなかった。何事も予測できない。強い衝撃を受ける。もっともらしい説明がでっちあげられる。先のことは予測できない。でも失敗を恐れるなが、結論のようだ。

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昨夜は、想定外の事故だった。こんなことがおこってよいものか。
うちの臆病な家猫が、探し回っても、家のなかにいないのに気づいた。暗くなって外へ出てしまったらしい。
うろうろ回りを探して木陰にうずくまっているところをやっと発見、いやがるやつを玄関に抱いて入ろうとしたら、野獣のような叫び声を発して狂ったように突如暴れだした。
不意をつかれ、鋭い爪でひっかれたぼくは腰をひねって石畳に転倒した。ああ、いてえ。プロレスのバックドロップ状態で、したたかに腰を打ってしばらくは声も出ない。
手からぽたぽた出血しながら暴れる脱走犯を取り押さえたのに、家族からはねぎらいのことばもない。猫の嫌がる抱き方をしたからだと冷たいコメント。

引っかき傷より、打った腰が心配だ。この腰のひねりようでは、週末予定していた炎天下のゴルフは涙を呑んで辞退せざるを得ない。石川遼にあやかりたかったのに残念。

あとからの判定で、ネコは、ぼくが玄関のドアを開けた時に脱走した、という裁定がくだった。悪いのは、気付かないぼくで、罰せられて当然だという。証人は当のネコだけ。事実誤認だ。つめでひっかかれ、腰を痛めたぼくは、おおいに不服だが、当家には上級栽はない。

投稿者 nansai : 14:05

2009年7月28日

七月二十八日 疲れたタイガースは、夏休み。

ファンから見放されてしまったのか。オールスターゲームに、阪神選手からは、だれも選ばれなかった。

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つまるところ、プロ野球なのに、スターーがおらんというこっちゃ。
球宴に一人も出ないのもあんまりだからと、監督推薦で、金本と藤川がお情けで拾われた感じだ。

エラーが多い。併殺打ばかりだ。推定年俸は球界ナンバー一なのに、と、新聞雑誌、マスコミの批判がねちねち激しくなってきた。
まるでむかしの巨人軍みたいだと。
巨人軍こそいい面の皮だ。
そういえば、金にあかせて選手をかき集めて、実績がいまいちだったなあ。

今は違う。巨人を見習えと、読売新聞から教えられる。教育枠から這い上がってきた若者が、眼の色変えて競り合い、安い年俸でぴちぴち躍動しとるやないか。
スポーツ新聞が売れないから、ネタに窮して、一面から、阪神へ他球団元監督コーチの厳しい(遠慮がちだが)叱咤が飛んでいる。

ここにきて、たまりかねた球団代表が口を出し始めた。真弓監督は絶対に変えないという。
監督も、不振の新井も絶対に変えないという。
補強を怠ったと責められているのに、決めたことを覆すと、面子にかかわるということらしい。

だから、トラは、なかなか立ち上がれそうにない。選手は、がんばってはいる。トシのせいにしたくはないが、慢性疲労でからだがいうことをきかなくなっているのだ。

いったい全治何年かかるやろう?日本経済より長くかかるかもしれない。
ことしは、もうええ。優勝はあきらめへんでと、つまらん意地をはらず、甲子園球場ががらがらにならんうちに、若手を育て、血の入れ替えだろう。

私見だが、ヤクルトの高田監督のようなジェネラルマネジャーが望まれる。北海道へ移転した日本ハムを日本一に育てた長期ビジョンが必要と思うのだが。

投稿者 nansai : 17:18

2009年7月21日

七月二十日 輝け。日替わりヒーローたち。

スポーツのヒーローは、目まぐるしく日替わりだ。
だが、全英オープンのトム ワトソン59歳の戦いは、不滅、歴史に残る。予選で消えた石川遼も、日本では記憶されるだろう。初日4位につけた久保谷は、ようやっても、無視。

日曜ナイターでの阪神能見投手が巨人打線を前に仁王立ちは、スポーツ新聞の一面にもとりあげられない。まったく久しぶりに、阪神が巨人に三連戦を勝ち越したのに。
九回無失点でなげきった。途中まであわやノーヒットノーランかという勢いだった。

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拙攻の続いたあと、十回ようやく平野、金本の連打でもぎ取った虎の子の一点を、藤川がセーブしてだ。

「180センチの長身だから、沈む変化球が生きた。
天に向かってグラブを突き上げ、よどみなく左腕を振り下ろす様は、まるで歌舞伎役者のよう。」
と、朝日が、変身した能見投手の雄姿を描ききっている。そえられた白黒写真がまたいい。構図が役者絵のようだった。
刺激されてマウスを動かしてみた。うーん、錦絵もどきは、どうもうまくいかんなあ。

投稿者 nansai : 11:55

2009年7月13日

七月十三日 歩道上の凶器。自転車。

先週は、ぼくは、八軒家かいわいの道路を歩いていて、二回も交通事故に遭遇しそうになった
相手はふつうの自転車である。

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歩道のうえを、自転車は、音を立てず忍び寄り、すり抜け、追い抜いてゆく。
一回目は、歩道を歩いていて、後ろから肩をどーんとつかれよろめいた。赤いシャツを着たおっさんがごめんともいわず、ゆうゆうと走りさり遠ざかった。
それこそ、あ、という間。

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歩行者は安心しきって、歩道を歩いている。後ろに目はない。突き飛ばされて吹っ飛んで転倒したら、声もかけられない。(これを計画的にやれば、大阪名物ひったくりだ)
もう一回は、ゼブラ交差点だ。
信号が青に変わる。待ちかねた歩行者は、横断歩道をよそ見せずとことこと前を向いて歩く。そこへ、横から、斜めから、自転車が飛びこんでくる。
その日も、ぼくのすぐ真横に一台突っ込んできた。
ぶっつかれば跳ね飛ばされて転倒だ。目をつぶった。観念して、思わず「ああっ」と声が出た。
危うし。南斉。
ギギギギと、寸前の急ブレーキで、自転車は急停止。
乗っていたのは、中学生くらいの少年。びっくりした顔で「すみません」という。
つい、ぼくもいくじなく、つぶやいた。
「ああ、びっくりした」と。

「こらあ、気をつけんかい」などと、ぼくには怒鳴りつける元気はもうない。

大阪の無法地帯は、歩行者が通る歩道だ。
歩道上を我が物顔に疾走する自転車をたしなめ警告する信号もメッセージもない。
クルマから人を守るための歩道を、スピードの出る自転車が暴走すれば、これから、かなりのけが人(打ち所によっては死人も)が出るだろう。防ぐいい案は出ないだろう。

投稿者 nansai : 15:50

2009年7月10日

七月十日

デジタルらくがき絵巻を、こっそり紙の絵本にヘンシンさせました。

この「南斎らくがき絵巻」をパソコンのディスプレー上でしか見られないのを、抜粋し印刷製本して、二冊の「南斎絵本」に変身させた。ウエブから紙への試みは、当初この絵巻サイトを立ち上げたアートディレクターの意欲 的な実験である。その労を多としたい。

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ブログは、「砂に書いたラブレター」のようなものだから、寄せては返す時間の波に打たれて、やがては消え去るもの。サーバーの都合しだい。それを、あえて、紙に印刷すると、こうなるという、おもしろい試みだ。同じコンテンツだが、改めて紙上でみると、まったく違う味わいがあるのにおどろく。いわゆるクロスメディアだ。

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どさくさにまぎれ、ま、デジタルだから、いいかと、軽いノリで描いた本人の目からは、動かぬ証拠として印刷物となると、いろいろあらが目立つ。何年も前のことで、初歩的転換ミス以外にも手をいれたいところが、散見されるが、すべて、あとのまつりである。


地獄から天国へ、そしてまた地獄へ真っ逆さま、長年にわたる阪神タイガースウオッチャーとしてのトラ本は、描き飛ばした本人にしてみれば、感慨ムリョーである。読み返せば、ピュアなトラキチから袋叩きされそうだ。


時の流れで内容も色あせ、印刷費も思いのほか高くついたので、門外不出とすることに。

このやくたいもないブログだが、発足に当たっての高邁な志は、こうだ。りっぱな大義名分がある。

ひとつ、うつくしい日本語を、ウエブの上でも、伝統にもとづいて、縦書き、横流れで表記すること。日本文の漢字かな混じり文の読みやすさ、やさしさを、世に訴えたい。
ふたつ、パソコンの狭い画面で、大量の日本文字を読むのに、横書きだと難儀する。拾い読みしながら、早く読み飛ばせ、大意をつかみやすい文章は縦組みをおいてほかにない。ウエブに最適の文章作成術をさぐってみたい。
ユーザビリティの権威ニールセン氏は、ひとはウエブの文章を読まない、スキャンするといい切っている。なるほど。スキャンするとは、スポーツ新聞を走り読みするように、読みたい場所を探し読みすることなのだ。

というわけで、ぼくの持論は、こうだ。ウエブには独自の文章術があるはず。読みやすい日本文は、ウエブでも、やはり、縦組みで、技術開発されねばならない。すくなくとも、ウエブ上から、縦組みの日本文が抹殺されるのだけは避けたいと思う。
当サイトもマウスをあやつって実験をくりかえしているが、あまり大方の賛同は得られていない。
いつも忙しがっている隣のイタ飯屋シェフの批評は、こうだ。文章が長い、テーマが重い、なかなか更新されない。そうやなあ。

さて、これからは、ネット動画の時代がはじまる。
それはそれとして、おっとりと、絵と文章を、ウエブ上で、カレーライスか親子どんぶりのように、統合して(動けばおもしろい)何らかの味がだせないものか。フォントもおおきくし、優しい印象の文字群を選ぶと、日本文独特の情趣あふれる雰囲気がかもし出されると思う。
癒し系の絵手紙に用いると、絶妙だ。そのうちに年賀状も絶滅危惧種に指定されるだろう。
メールもいいが、このようなまどろっこしいコミュニケーションも残しておきたい。デジタルに弱いぼくは、幼児用のお絵描きソフトとワードで、試みている。いわば、平成の文人画。南画。と、これは自画自賛だ。
マイクロソフトは、次回発売のセブンからは無駄なソフトをリストラするそうで、ぼく愛用のペイント(アクセサリーの中にある)は消える運命にある。

投稿者 nansai : 14:27

2009年7月 8日

七月八日 「皿屋敷」満員御礼

林家染二師匠をむかえての八軒家寄席は、期待どおりの盛況だった。梅雨の晴れ間の土曜日晩とあって、町内の女性の浴衣姿が、イタリアンレストランを寄席らしい風景に変貌。50席が満席となった。

「皿屋敷」が大熱演だった。
お菊の幽霊を演ずるのが、背の高い師匠だ。
ぐらぐらする急ごしらえの高座に仁王立ちになる幽霊の迫力に拍手喝采。でもはらはらしたねえ。
染二師匠の解説によると、お菊のような幽霊になるには条件がある。ひとつ、美人であること。

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次に、やせていること。太っていては幽霊になれない。その点、今夜のお客さんは、みなさん資格があると。大リップサービスだ。

古来、お菊の幽霊の名作は、北斎、芳年と数多い。ぼく南斉は、落語のエンターテイナーとしてのお菊の幽霊を描いてみた。幽霊に見えない?そうだろう。

演目は、浄瑠璃、歌舞伎でおなじみだ。井戸の中からお菊の亡霊が「お皿が一枚……二枚……」「九枚……一枚足りない」とうらめしげにつぶやく。落語は、町内の若者たちが皿屋敷にお菊の幽霊見物にでかけるはなしだ。幽霊が九枚数えるのを聞くと狂い死にするといわれ、その前に逃げ出さねばならん。でもお菊があまりにいい女なので、怖いもの見たさに若者たちは懲りずにまた出かける。

浄瑠璃、歌舞伎、映画、お化け屋敷、落語と、同じ噺を長い年月を経て、怖がらせたり笑わせたり工夫をくわえ、時代に味付けしながら伝えてゆくのは、だいじなことだ。

投稿者 nansai : 13:05

2009年7月 2日

七月二日

梅雨の合間に、落語「雨乞い源兵衛」をナマで聞けるチャンスだ。立ち見も歓迎らしい。

八軒家寄席第二回が土曜日午後六時いよいよ開演だ。前回の林屋染二師匠が熱演の「三十石夢の通い路」は大好評だった。

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なにしろ、いまをときめく天満の繁昌亭でトリをつとめる売れっ子落語家が、50席たらずの特設寄席での熱気あふれる公演は、ファンには聞き逃せない。
会場は、北大江公園前のイタリアンレストラン「マリアン」。

演目は、「雨乞い源兵衛」。あまり知られていない演目だが、小佐田定雄作で初演は1980年の新作落語だ。解説本によると、ストーリーは、テレビの「まんが日本昔話」にヒントを得たそうだ。
へえ、落語作者はどんなはなしからでも自由に発想できるのだなあと感心した。
子供に人気の昔話も落語になる。おもしろいやないか。いつまでも古典にこだわらず、今のご時勢にあった悲喜こもごもの笑いを落語化すればいいのだ。

さっそく、ぼくもひとつアイデアが浮かんだのだが、いまはないしょにしておく。

投稿者 nansai : 14:43

2009年6月26日

六月二十六日 うん、気持ちはわかるぞ。サンスポ「ノーモア暗黒時代」特集


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かつての常勝?タイガースが、だめトラ状態になって必死にあがいている。
「タイガースみたいやないがな。こんな強いタイガースには、つきあいきれんで。」と不遜にもぼやいていた昨年が、あほみたいだ。驕れるものは久しからず、だった。

星野も岡田も最初のシーズンは4位だったからなあと、最初は遠慮がちに真弓阪神を見守っていた新聞雑誌が、たまりかねて、タブーだった首脳批判を始めた。気の早いのは、次の内閣まで取りざたし始めた。
ぼくにしてみれば、うん、これはこれで、面白くなったぞ。

5位、借金6.こんなに弱い阪神では、キオスクで新聞も売れず、部数低下で新聞社もおまんまの食い上げだろう。
監督をぼろくそに批判しないと、新聞が売れないところまできてしまったのか。勝っても負けても、甲子園球場は満員御礼だが。

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まずサンスポの「ノーモア暗黒時代」緊急連載。
取り巻きのはずのトラ番記者が、火ぶたをきった。

真弓監督は底上げの力となる2軍を重要視していない。もっと動け。ファーム視察を欠かさなかった前監督のように、もっと自分の目で、2軍戦力をみきわめるべしという。
ベンチでの真弓のなんともいえない薄笑いが、まわりを唖然とさせるという。

言いたいことは山ほどあろう。
監督の動きが遅い。動くと、こける、自分の意見がないからコーチの意見を聞きすぎるのか。切り札檜山の出番がつくれない。下位のチームにクローザーはいらない。いっせいにブーイングだ。

いいぞ、その調子。と声援していたら、なんのことはない。
怪企画、サンスポ特集「ノーモア暗黒時代」は、へなへなとトーンダウンしてしまった。
トラを再び暗黒時代に戻さないためのトラ番記者15年の渾身の提言だったはずなのに。
「補強OK 太っ腹オーナーに甘えればよかったのに」の見出しで、緊急提言は幕引きのようだ。
いったい、だれにメシ食わせてもらっとるんじゃと、球団と、こてこてのトラキチたちに噛みつかれたのだろう。
ある見出しに、「株主怒った、」というのがあった。
これは傑作だ。あんまり負けるので、どんな選手をとってきたんやと、社長が株主総会でつるし上げられたらしい。

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ぼくは、半世紀にわたるトラウオッチャー。甲子園にほとんど行かないから、現場のナマの野次の肺腑をえぐる激烈さは知らない。
タクシーの運転手さんと野球批評を楽しむ。かれらは容赦しない。えげつない。4番新井に三塁を守らせるのは無茶だ。オリンピックで腰骨を骨折したのが、かんたんに半年で直るはずがない。などなど。

クールでハンサムな真弓は、球史に残る天才的ユーティリティ・プレーヤーだった。でも、監督のウツワかなあ。ぼくは、違うと思う。ナガシマさんのように。

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関西系のテレビ解説は、高校野球もどきのよいしょ中継だ。若いアナの猫なで声が気持ち悪い。
いつからああなったのか。OB解説者も辛口の正論をかますとすぐおろされるのだろう、奥歯にものの挟まったコメントばかりだ。

強いばかりが阪神ではないとも思うのだ。
晩年の名監督ケーシーステンゲル監督率いていた、むかしのニューヨークメッツのように。毎年100敗以上最下位だったが解任はされず、ニューヨーク市民から愛されたという。この国では無理だろうが。

残りの長いシーズン。まだ優勝をあきらめていないなどと言うソラゾラしい大本営発表は、もういい。

いい材料がないから、といって、悔い改めたサンスポも、一面に、カーネルおじさんの担ぎ出しはないだろう。
「カーネルお祓いで、超常現象」とは、わけわからん。「真弓宮司が真弓に太鼓判。呪い解けた!」
なんでも、サンダース人形が、住吉大社で修復初披露され、87歳の宮司さんが、監督と同姓の真弓さんだそうな。そういうことか。悲しいね。

ああ、なにしとるんや。ぼけ。ドジ。歯に絹を着せないつっこみ、ぼやき、罵詈雑言を浴びせつつ、応援しよう。それしかない。むかしのように。

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投稿者 nansai : 13:04

2009年6月22日

六月二十二日 首の重みに耐えかねて

むちうちでもないのに、突然の首の痛みで一週間を棒に振ってしまった。
週末に首にかすかな痛みを生じたが、ほうっておいたら、そのうち首が回らなくなった。その晩も酒を飲んだから、自業自得かもしれない。

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首が痛いと、ベッドに横たわるのが、どっこいしょと一苦労だ。まず仰向けになるのが一大事である。首が痛いと、ベッドで頭が微妙に左右に動かせない。激痛で寝返りが打てないのにまいった。
枕にアイスノンをおいて、ぼんのくぼを冷やそうとするのだが、後頭部がそこに軟着陸できない。枕の上10センチから着陸態勢にはいり、おそるおそる頭をおろそうとすると、あいててて、激痛が走る。

久しぶりで訪れた整骨の先生は、これはかなりひどい。安静にしてアイスノンで冷やせという。テレビ医学番組では、首の痛みは、腫瘍とか思わぬ重大な原因によることがあるとか。
ぎょっとして、整形外科でレントゲンをとってもらっら、
少し頚椎の骨の間がせばまっているようだ。すりへって経年変化なのだろう。いまのところ、しびれもないし、首の牽引をしましょうということになった。

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一週間たって、ま、大事に至らず、ぼくの首は何とか元に戻りそうになってきた。

かくかくしかじかと、整骨の先生に報告したら、むっとされた。両方の治療を併用することは相成らん。という法律があるといわれた。いつもは人当たりのいい若い先生だが、どっちの治療法を取るかとせまられ、びっくり。
整形外科の首吊り料金は一回320円、整骨治療は500円、どっちも10分足らずで済む。後期高齢者医療保険で、半分は公の負担(すんまへん)だが、効果のほどは、首痛バージン?のぼくにはわからん。

首脳とはよくいったもので、首がいかれると、集中してことにあたれない。タイガースや麻生内閣のように死に体になってしまうのが、よくわかった。
脳は首がささえる。落ちたものを拾うとか、真横のテーブルの新聞をとろうとする、そんな何かごくささいな動作も、すこしだけ首を動かさないと、どうにもならない。
うつむいて、何かに集中することができない。だらしない話だが、このていどで、本を読んだりパソコンに向かう気力が失せるのには驚いた。

日にちグスリは、よく効く。整骨か牽引か、治療法に悩むより早く、激痛も取れ、ぼくの首は元通りになりそうだ。痛みが取れ首が回わせるようになると、周囲がよく見える。だんだん、自分のすがたが、カエルにみえてきた。懲りないカエルだ。

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投稿者 nansai : 13:04

2009年6月 5日

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六月一日 500年前の硝煙立ち込める古戦場が、すぐ前の公園だったとは、知らなかった。

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ここら一帯は、今から500年前、楼の岸と呼ばれ、砦が築かれていた。石山合戦で、織田信長軍の本願寺包囲戦の舞台だった。包囲は、十二年に及んだ。秀吉の大阪城の築かれる前だ。

「楼岸 夢一定 蜂須賀小六」)は、直木賞作家佐藤雅美の時代小説だ。「ろうのきし ゆめいちじょう」。
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秀吉につかえ、戦国乱世の過酷な抗争をしたたかに生き抜いた蜂須賀小六正勝という人物を主人公に据えた。小六は、墨俣一夜城の築城で名を知られている。
石山合戦では、「楼の岸」で戦って名を上げ、晩年はこの地に屋敷を構え、寺を建てた。

楼の岸とは、大川のほとりの砦の位置からきた地名である。大阪市中央区京橋三丁目あたりだ。
なんと、うちの事務所の北側すぐ目の前の北大江公園付近が、その砦の跡と知って驚いた。
1570年石山合戦当時、土塁の上に櫓を建てた砦が、上町台地の突端に築かれた。楼とは、やぐらである。

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この上から敵軍を監視し、鉄砲を楯のかげから撃ちかける。
戦国時代の城の攻防は、こうした砦を建てて、持久戦に持ち込む戦法が盛んに行われた。鉄砲櫓は、双葉社から刊行されている「信長戦記」などに、コンピューターグラフィックでいきいきと見事に復元されている。綿密な資料にもとずく、CG作家成瀬京司氏の力作である。信長戦記など、成瀬CG作品を載せたムックは、アマゾンで入手できる。

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次の川辺の写真は、対岸の大川北岸から、「楼の岸」跡を望んだところ。

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ここ「楼の岸」は、12年間も、信長軍に包囲され篭城を余儀なくされた石山本願寺一揆勢への西国からの援助物資の陸揚げ地でもあった。

天正4年、この砦をめぐって、本願寺顕如軍と織田信長軍の鉄砲傭兵隊の間で激しい銃撃戦が展開された。
5月、ここ楼岸砦から門徒一万ばかりが数千の鉄砲を手に押し寄せてきた。51歳の蜂須賀小六は、先陣を切って門徒勢につっこみ、つぎからつぎへ槍をくりだしつき伏せた。敵の首を一番多く上げ、「楼岸一番の首」とたたえられ、信長の目に留まり、褒美にと陣羽織をぬいで恩賞にあづかった。

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この時代、本格的に鉄砲を集団で使用したのは、三段撃ちで名高い「長篠の戦い」といわれているが、5年さかのぼるこの地の銃撃戦が本邦最初ではないかとの説もあるそうだ。

織田、豊臣と、はげしい有為転変の世を生き延び、晩年、小六正勝は、大阪城外の楼の岸に屋敷を構え、淀川を借景とした。御殿山屋敷という。

佐藤雅美「楼の岸 夢一定」は、死期の迫った小六が蜂須賀家の将来を案じつつ息を引き取る、つぎのシーンで終わる。

大阪城築城にあたり、淀川の両岸に植えた木々が青々と色づいて、目にまぶしい
「体を起こしてくれぬか。久しぶりに淀川を眺めてみたい。」
と突如、「うおー」と刀槍をあわせる何万もの雄たけびが耳朶によみがえった。
「死のうは一定、しのび草にはなにをしょぞ。一定かたり おこすよの」は、信長の気に入りの小唄だった。
小六は繰り返した。
「死のうは一定‥」

死ぬのはなりゆきで、ぜひもない。一定語りとは、誰かが語り継いでくれようか。

蜂須賀小六正勝は生前に寺院の建立を思い立ち、美濃国の安住寺が兵乱のため退廃しているのを大阪に移して、楼の岸に再建した。いまの八軒家あたりだろう。
その安住寺は、その後慶長9年大阪の陣で焼失、天王寺へ移されたという。
本願寺は、秀吉の時代に、京都に移るが、残された大阪の門徒は、ここ楼の岸に念仏をあげる坊舎を建てた。のちの津村別院である。


投稿者 nansai : 16:21

2009年5月27日

五月二十七日(水)

ようやく狼が来なかったことにみな気づいたようだ。

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日曜日の午後誰もいない万博道路。一人の女性ランナーがマスクをして一心不乱に走っていた。マスクをしてまで走るひとををはじめてみた。ビールスをだれかに感染させる?、誰かから感染させられる?せきやくしゃみのしぶきが飛び散るのを防ぐのがマスクの役目だろうに。
日本人のマスク信仰は根強いものがある。
何だ、普通の「流感」と同じじゃないか。当局は気づくのが遅かったのか。
それは感染者の多く出たアメリカでは、調べて早くからわかっていた。マイルドだし、わが国ではあれほど騒いでほとんどが治り、死者もゼロだ。
そもそも日本でも年間100万人の季節性インフルエンザは発生する。約一万人が合併症でなくなるのだが、ぼくらは、インフルエンザ注射をして、淡々と対応してきた。

アメリカのネットでは、意外なほど扱いが冷静だ。全米で感染者の数はふえ、一部の学校は閉鎖されているが、たいしたことにはならず、死者(合併症がほとんど)の数は少ない。
政府広報の情報量が、具体的で豊かで克明だ。啓蒙のためのパンフレットやポスターがネットでPDF化され、すぐどこでも印刷できる体制だ。

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説明のイラストも、鼻の頭のむずむずして赤いゆるきゃらを登場させた。とぼけてユーモラス。
当局も、手洗いはしっかりと、せきやくしゃみは手か袖でおさえるように、という広報を繰り広げている。せきもくしゃみもティシューでおさえればよい、あとはくずかごにすてましょう。袖でおさえてもいいというのが、至れり尽くせりというか、ご愛きょうだ。

べつにマスクは特別の場合以外は、強制されていない。日本は、薬局でマスクが売られていないと、買い込もうとしたみんなパニックになった。マスクをしていないと変な目でみられるのは、徳川時代と同じ。

まえまえから、あまり正しく解明されていないらしいのだがスペイン風邪のようなパンデミックが、恐れられてきた。国立感染症研究所は警鐘を鳴らして、きのどくに毎年狼少年だった。地震の予知に似ていた。
ペストやエボラ熱など、恐怖映画の影響があったのか、大臣が深夜テレビで警告するさわぎになった。水際で食い止めねばならぬ作戦は、映画のシーンにはなっても、検疫はどだい不可能で絵空ごとだったのだろう。関西の医療も崩壊寸前となった。
今回の関西を襲った豚インフル騒動は、一人橋本知事がオトコをあげ、張り切りすぎた大臣たちはあほみたいだった。
まるでイソップ物語だが、あとあと小説の絶好のテーマになるだろう。
ニューズウイークは、早くから「オオカミは来なかった」特集をしていた。

投稿者 nansai : 16:09

2009年5月20日

五月二十日 おひさしぶり。お帰りなさい、タイガース。

歯がゆい。とにかく打てない。
覚悟はしていたが、とうとうあの懐かしい「だめトラ」が帰ってきたのだ。ならば、テレビ前に陣どって罵詈雑言を浴びせつつ、得心して観戦できる。

甲子園の切符は、三月開幕と同時に完売したらしいのだが。同じチームが、昨年の今ごろと比べて、こんなにも違うものか。
豚インフルのせいで、恒例の風船あげも禁止だとか。

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球界最高年俸を誇る持ち駒が豊富?すぎたのか、粗悪な輸入選手に目移りした。
野球選手としてはメスをいれた後期高齢選手に、あまりに頼りすぎだろう。新聞の見出しにはなるが、しょせん賞味期限切れの英雄神話に酔ったのだ。生身のベテランだからいくらがんばっても、シーズンを通じて鉄人などいはしない。

若さには勝てない。昨年、屈辱の逆転負けした巨人の生えあがりの無名若手選手たちをみるがいい。
桜井、林など、チャンスを与えて、若い(もう若くもないか)能力をひき上げはぐくむことを忘れていた。試合運びがとんちんかんで、檜山や藤川の出る幕が作れない。
無表情な真弓新監督は、まだチームが掌握できていないのだろう。名店の居抜きの雇われマダムのようだ。

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今シーズン、くやしいが、だめトラぶりを楽しむには、デイリースポーツが面白い。
「記者席からの視点、岡田の法則」というコラムがある。技術論にうるさい前監督が、はがゆそうに具体的に敗因を指摘している。
「いずれもベンチの支持が徹底されていないし、遅い。」などと、なかなかベンキョウになる。

投稿者 nansai : 17:56

2009年4月27日

四月二十日 クサナギ君のこと。なんぼのもんや。

深夜、ぐでんぐでんに酔っ払った男がひとり。なぜか、だれもいない公園で全裸になって奇声を発した。
通報されて、逮捕され牢屋に入れられた。麻薬を疑われたのか。

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大騒ぎになった。全裸の酔っ払いが、有名な芸能人だったからである。
NHKがニュースのトップで報道した。芸能界ニュースとワイドショーで食べている民放は、一斉に走り出し、もちろん全局、繰り返し報道した。
酔っ払って裸になった。それがなんぼのもんや。報道も、ええかげんにせい、というのも大人気ない。
こんなご時勢に、新聞もテレビも、もっと報道すべきニュース価値は、ほかに山ほどあるだろうに、と思う。

人を傷つけたわけでもなく、公然わいせつというが、深夜でだれもみていない。立ちしょんべん程度の、軽犯罪?大新聞なら、社会面の最下段へ載せる程度の事件?なのだ。

「お酒を飲みすぎてわけがわからなくなりました。
もっと大人にならなければ」と、処分保留のまま釈放されたクサナギ君は、たどたどしい口調で神妙に記者会見で反省の弁を述べた。人気絶頂で、有能、誠実なかれは、もう三十三才らしい。「大人」とは、いくつ以上の年齢をさすのかな。

この国の「国民」は、芸能人が大好きだからか、騒ぎすぎになる。視聴率がうなぎのぼりになる。人材不足の政党からは、芸能界から、選挙にも担ぎ出される。それこそ、いいかげんにしてほしい。

「怒りではらわたの煮えくり返った」鳩山総務大臣が、またしゃしゃり出た。クサナギ君は「最低の人間」だと決め付けたという。別にクサナギファンでもないぼくだが、テレビでみて、これにはむっとした。

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失礼だが、自民党閣僚のあんたには、いわせたくない。かつて身内の中川財務大臣の国辱的酩酊事件をかばったやないか。

総務大臣のはらわたは、なんで煮えくり返ったか。
地デジのキャンペーンキャラクタにクサナギ君を起用していたので、作ったポスターなどがパーになってしまうということかららしい。

痛快なのは、鳩山総務大臣の公式ホームページ。ネット上は、正論の嵐のような反撃だ。ぼこぼこにされている。むっとしたのは、ぼくだけではなかったらしい。

反論を隠さず載せているのは正しいのだが。もし鳩山大臣がネットを克明に読んだら、読み物として、血の気が引く内容だ。
もうあんたには投票しない。自民党の盟友、中川財務大臣の国際的「泥酔」をかばったのに、なんちゅうことを言うのだという鋭い指摘もある。びびった大臣は、発言を取り消した。おそまつ。

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すわ、クスリとかんちがいされたのか。これは、笑えてくるような小ネタだ。
伝えるべきニュースバリューとは、なにか。マスコミは、取り上げるニュースの優先順位を考えるべきだ。矜持というものがあるだろうに。望むのが無理かもしれない。
日本国民の、視聴者の、無邪気な、異常なまでの?芸能人好きに乗じようとする態度は、もういいかげんにしてほしい。

芸能人のこの手の事件?は、後を絶つまい。
ドジの代償として、有名税をどう払ってもらうか。「公然わいせつ罪」?の罰をどうしたものか。

ならば、いま政府が取り上げようとしている「社会奉仕命令」が、効果的で、おもしろい。
クサナギ君は、贖罪?のため、社会のためになる何かの行為をしたらいいのだ。まちがいなく大喝采だ。
罰のかわりの社会奉仕も、公園の掃除やらくがきの消去なんかではもったいない。
交通遺児の教育費援助でも、お年寄りに優先座席を譲ろうとか、飲んだら乗るなとか飲酒運転の防止でも、地デジ普及でもいい。なにか世のためになることに、クサナギ君の知名度で貢献してはどうか。

ポスターに出たり歌ったりメッセージ?ティシャツ(大きなお世話だが、デザインしておいた)売ったりして、その収益や印税を、寄付すれば、かれならすごい金額になるはず。公園にベンチか遊具を寄贈するのもいい案だ。

人気タレントのクサナギ君は、これまでも評判のよい好青年だったというが、社会奉仕のアイデアしだいで、逆境をはねかえし社会に貢献する好感度ナンバーワンになること請け合いだ。無償の社会奉仕で、ついていなかったエラーの後の満塁ホーマーをねらおう。

あの鳩山総務大臣も、昨年法務大臣のとき「社会奉仕命令」の勉強会を持ったという。この際、名誉挽回に、実現提案に賛成してはどうだろうか。

投稿者 nansai : 11:50

2009年4月23日

四月二十日 花、見終わって

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造幣局の「通り抜け」が終わって、花見のシーズンもやっと閉幕である。
芭蕉の句に「さまざまのこと思い出す桜かな」。
さまざまのことが起きている。よくないことのほうが多いかな。
「ただたのめ はなは はらはら あのとおり」
一茶は、観音さまにすがるしかないとつっぱなす。

満開の桜の絵を描こうとしたが、あかん、どうにもぼくの手におえない。
絵に描き劣りするもののひとつに、清少納言は、桜をあげている。枕草子では、絵に描くとつまらなくなるものとして、なでしこ、菖蒲とならんで桜が、槍玉に。
実物の迫力にはかなうはずがない。あきらめた。

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花見は、人見である。人、人、人。
この年になるまで、花の下の喧騒がいやで、花見をさけてきたが、いささか心境に変化をきたした。

「見納めてあと何回の花見かな」
と、花見には縁のなかったぼくの句。
ことしは、平日の午後、コンパクトデジカメを片手に、満開の桜の名所を、靖国神社と千鳥が淵、大阪城と大川端と、花を見るというより、駆け足で撮ってまわった。

昼間の花見は、大阪は、花にはそぐわぬ地味な服装をした中高年のおっさん、おばはんばかり。みなカメラかケータイで写真をとる。 花の下で飲んで騒ぐ人は皆無だった。大川では、ビニールのシートをしいてお弁当を食べている家族を見かけたが、すぐそばにホームレスのブルーのテントが並んでいる。なぜか同じ色だ。どうもねえ。花見のビニールシートは、ピンクの桜色にしてはどうだろうと余計なことを考えた。
これは「通り抜け」に急ぐ善男男女たち。なにしろ入場無料だからねえ。

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中国語のアナウンスがひびく大阪城は広すぎて、城内では、桜が目立たない。由緒ありげな「桜門」も立て札は立っていたが、さびしい。
東京の花見は、さすがに若い人も外人も多い。千鳥が淵の桜は美しい。

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靖国神社のごったがえす境内は、屋台や茶店で、天神祭りのようだ。

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右翼の街宣車はいなかった。
悠久の大義に生きようとし南海に散った神風特攻隊、密林で植えて戦没した英霊たちは、このくったくのない天下泰平ぶりをどうみているのだろう。

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投稿者 nansai : 15:47

2009年4月15日

四月十三日月曜日 満員御礼。八軒家寄席

土曜日夕方、先客万来を祈って招き猫君に羽織を着せて高座にあげたポスターがすごい人気で(残念ながらまっかなうそです)狭い店内が大入り満席となった。

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北大江公園前のイタ飯レストランが、「八軒家寄席」に変身し、高座を急ごしらえでしつらえた。
ぐらぐらするので大丈夫かいなと心配だったが、えらいもんやねえ、たちまちお囃子のパーカッションで、狭い店内が、繁昌亭におとらず、うきうきした気分につつまれた。
やあ、よかったでえ。目の前で聞く真打の落語は迫力あるわと大評判。林家染二師匠の汗拭きながらの大熱演で、本命の「三十石夢の通い路」に「寝床」の二本立てを満喫できた。

染二師匠は、連日天満繁昌亭でトリをつとめる重鎮といってもよいプロ中のプロだが、50名入って満員の、こんな狭い席でも、手を抜かない。りっぱな賞をぎょうさんとっておいでやが、ここのお客が大事といわはるんや。たいしたものやねえ。いっぺんで、さして落語通でないぼくは、サインももらって、フアンになってしまった。

サイドディディシュで演じてもらった大サービスの「寝床」もこれまたよかった。寝床をとられたと、べそかく定吉どんの心境もよくわかるが、下手な浄瑠璃をきかせたいのに、みなに逃げられてしまう大家さんの気持ちに同情の念禁じ得なかった。

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大家さんの稽古を積んだ、せっかくの自慢の芸を、酒と料理つきでも、なんだかだ理由をつけて、誰も聞いてやろうとしない。でも、気の毒な大家さんは、腹をたてては、ときどきおだてられ、途中で結局みな寝てしまうのだが、ああ、旦那芸というやつは、番頭はんの見え透いたお世辞に弱いのが、あさましい。
そうや、この南斎の落書き絵巻と同じやないか。笑えんわ。他人事ではないわと、わが身につまされた。

投稿者 nansai : 17:22

2009年3月31日

三月三十日 郵便ポストは、絶滅危惧種か?
手紙は、郵便ポストがなければ生きていけないのに。
郵便ポストは、だれも手紙を入れてくれないから、おなかがすいて、死んでしまいそうだ。
このままだと、―どうなる?


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手紙を出し忘れて、通勤途上の地下鉄淀屋橋近辺で投函しようと思った。
ところが、郵便ポストが、どこにも見当たらない。駅員にきくと、ここにはポストはないという。(一日何十万人の乗客が乗り降りするターミナル駅なのに)
駅員は、地図を見ながら、ポストは地上に上がって淀屋橋を越え市役所の近くにあると教えてくれた。
でっかい市役所の庁舎の前にもポストは見当たらない。ガードマンのおっさんに聞くと、やれやれ、はるか、あっちのクスノキの向こうにあるという。淀屋橋駅から、郵便ポストまで、500メートル以上はあろうか。

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ぼくは、ポストの数がすくないのは、郵政民営化のせいだとか、いきりたって非難するつもりはない。
ビジネス街の集配体制は、遅滞なく日々整然とおこなわれているのだろう。
ぼくの心配するのは、むかしながらの手紙もはがきも、このままだと、消えてゆくのかなあ、という哀惜の思いである。ぼくにしてみれば、困ったことだ。

郵便ポストが近くになければ、手紙もはがきもやりとりは、むつかしい。大阪のような人口三百万人の大都市の中心に、郵便ポストがないのは困ったものだ、とぼやくのは、ぼくのような風変わりな一部のひとたちだけかもしれない。

しかし、メールですむことを、なぜ、めんどうな手紙やはがきにしたためるのか、とケータイから片時も目を離さない若い人たちは問うだろう。
無駄ではないかと問われても、日本にむかしからあった伝統的文化とか習慣の問題なので、こたえようがない。ほっておいても後世がきめてくれる。

郵便局もごくろうなことである。大の男(この頃女性も増えた)が手紙を配達して、80円、ぺらぺらのはがきにいたっては、わずか50円。
ときに、ぼくのような粗忽者が、料金不足の手紙を出すと、先方へは配達されずに、また費用をかけて当家の郵便受けに逆戻りしてくる。申し訳ないと反省する。
時流と経済原則に合わねば、手紙もはがきも、滅びてゆくだろう。
ユニバーサルサービスといったって、しょせん他人様の負担でしか、継続できないのだ。
吹けば飛ぶような軽量の郵便物の物流を、コストの高い人力にゆだねるのだ。実費に見合う集配量を徴収しないかぎり、サービスの継続生存は難しい。商売にならないのは、自明の理である。

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とすると、手紙を書いて封筒にいれ、宛名を書き切手を張って、ポストに投函する、という古来のしきたりは、早晩、消滅するはめに陥るのだろうか。

人が集め配達する手紙もはがき新聞も、消えてゆく。
それで何の不自由も感じない若い層が増えている。
なんでも、ケータイで事足りるかれらは、新聞も読まない。それでいいのだ。しかし、それでいいのだろうか?と、異議をとなえたいぼくらもトーンダウンしてしまう。
そのうちに時代おくれの郵便ポストは、好事家の保存の対象となり、「郵政博物館」!でしかお目にかかれなくなる。

投稿者 nansai : 17:35

2009年3月26日

三月二十六日 終わった。勝ててよかった。

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勝ててよかった。WBC優勝チームが凱旋してきた。待ち受けたマスコミのフラッシュ。面白うて、やがて悲しき――だ。

WBCも日韓戦となると、がぜん、日本中が燃えあがって、だれも愛国者になるのが不思議だ。イチローではないが、負けるとプライドが許さん、という気になるのも、おとなげないのだが。
国の威信をかけて、実力伯仲のチームが、がちんこ勝負とあっては、こたえられない。後世に語り継がれる名勝負となる。勝負も、因縁の遺恨試合という物語り
なら、燃え上がるだろう。
この不況下に、経済効果500億円超え。面白い。

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韓国では、なおのことらしい。イチローは、憎悪のブーイングの標的だ。国対国の試合では、野球は、アジアでは、擬似戦争なのだ。サッカーよりも。
勝った時の韓国チームが、マウンドに国旗を立てるのは、硫黄島か、竹島にみたてているのだろう。決勝戦のドジャース球場は、5万人入場者の70%が韓国系だったらしい。アジア独特の鳴り物入りの応援のすさまじさは、ドジャースファンが仰天したという。
韓国選手の名前も、いまは、カタカナ表示だから、だれがだれだか、ほとんどわからずじまいだ。失礼な話だと思う。サムライ側も、ふだん活躍ぶりがお目にかかれない実力選手が、ここぞというところで打ってくれた。

一方、勧進元のアメリカは、燃えてこない。本気度はいまいちだ。国技のはずなのに、スプリングキャンプの変形みたいなとらえかたをしている。
まなじりをつり上げてかかってゆく挙国一致の日韓チームとは取り組み姿勢に違いがありすぎる。
なぜか。

大リーグのプロ球団がいい顔をしないから、いい選手が手をあげてこないのだ。これからリーグ戦に勝ち抜いてポストシーズン、ワールドシリーズへの長丁場が待っている。
球団にしてみれば、リーグ開幕を目前にひかえた支配下選手は、財産なのだから。愛国心に駆られて怪我でもされたら大損だ。選手側も、保険がかからないとかあるらしい。

WBCは、先見の明の誉れ高いコミッショナー氏の名案とのことだが、各球団が協力しないままではいかんと反省しきり。夏に移そうという案もあるそうな。

日本は、守り抜いてアメリカに勝った。全試合でホームランはたった二本。スモールベースボールをなめてはいけないことはわかったらしい。いま、伝統的野球はアジアにあるとも。
近い将来、中国が力をつけてくれば、アジアだけでも、選手権リーグは燃えるだろうな。

投稿者 nansai : 15:27

2009年3月17日

三月十九日 えー、落語「三十石」のポスターがでけました。四月十日午後5時開演でっせ。

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世は落語ブームであるらしい。
ひょうたんからコマとはこのこと。隣のイタめしレストランに、願ってもない話が舞い込んできた。
ある有名な落語家の知人がたまたま店に立ち寄り、ここで土曜の夜に落語を一席というのもおもろいで、という申し出があったとさ。
渡りに船でオーナーシェフも舞い上がり、とんとん、ハナシがはずみ、演目も、ここ八軒家船着場にちなんで、古典落語の定番「三十石船 恋の通い路」ときては、申し分ない。
はなしの舞台の三十石船は、すぐそこの八軒家船着場と京都伏見を明治の中ごろまで往復していた。

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演者は、上方落語ではかくれもない天満繁昌亭大賞の林屋染二さん。掃き溜めにツルという感じがしないでもないが、四月十日土曜日決行と相成った由。
さして広くもない店内のテーブルや椅子を片付けて高座をしつらえ、50席の「八軒家寄席」と、大きく出てオープンする。

まったく落語通でないぼくだが、近所のよしみで、頼まれてはしかたがない。
ポスターの図案を、マウスをうごかしてこちょこちょと。染二師匠を三十石舟の船頭に見立てた似顔もあまり似ていないが、ご勘弁を。

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おりしも春から水都再生のキャンペーンがくりひろげられるようだが、この北大江公園界隈は、にぎわいに乗れず、ひっそりしている。今回の八軒家寄席が成功して定例イベントになるといいな。
林屋染二師匠の熱演がたのしみだ。盛況を祈ろう。
ポスターのPDF版をこちらに。

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投稿者 nansai : 14:48

三月十六日 泥の川から、カーネルおじさん無事生還。呪いは解けたぞ。

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なーんにもいいことのない関西で、久々の明るいニュースだ。カーネルサンダースの呪いが解け、真弓新監督ひきいる阪神タイガースの日本一、疑いなし!と、新聞が書き立てた。
24年前の阪神タイガース優勝時、ファンに道頓堀川に投げ込まれたカーネルサンダース人形が川底のヘドロの泥の中から、両手首とめがねがないまま、発見され引き上げられたからだ。
タイガースは18年間、日本一になれず「カーネル サンダースの呪い」とも言われた。
まもなく全身がみつかり「これで呪いが解けた。ことしは優勝だ。」と、きびしい世の中に、ほんのほっこりした話題で、まずはめでたい。

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23年前、わけもわからずヘドロの道頓堀川に投げ込まれたサンダースおじさんとしては、救出されて、久しぶりで太陽を浴び、まるで浦島太郎状態だろう。周りの状況は一変している。置かれていたケンタッキーの道頓堀店は、もうない。

大リーグのひそみにならい、ずいぶん前に一部マスコミがつくりあげ、ほんとうは、だれもあまり気にしていなかった呪いだが、人形が大阪市から持ち主に返還され、早くもどこに置くかで議論が起きているらしい。
昨年の「食い倒れ人形」騒ぎといい、関西人には、格好の話題だ。かつての救い主ランディバース選手に生き写しというカーネルサンダース。当然、ケンタッキーフライドチキンの甲子園店に飾ることになるのか。

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ところがどっこい、アメリカKFC本社のえらいさんは、何を思ったか、大リーグのシカゴカブス(福留選手が在籍)に手紙を出していたそうな。
タイガースと同じく優勝から遠ざかっているのがカブスだ。ことしの開幕日に、「日本からサンダース人形を運んできて、シカゴのリグレー球場に押し出してはどうでしょうか。呪いが解けるかもしれません。」と申し出たのだ。大きなお世話と思うのだが。

優勝から遠ざかっているといっても、カブスのは半端ではない。なんと101年だ。1900年のワールドシリーズで敗退していらい、じつに一世紀だ。
カブスの優勝を阻んだのは、「ヤギの呪い」だとファンは信じているそうだ。
本拠地リグレー球場にいつもヤギを連れて観戦していた熱烈ファンがいた。ある年のワールドシリーズに、かれはヤギとともに締めだされた。ヤギが臭いというのが理由だった。激怒したかれは、「「二度とこの球場でワールドシリーズがおこなわれることはないだろう」と、不吉な予言を残して球場をあとにした。それから一世紀。呪いは解けていない。

カーネルおじさん像は、フライドチキンの本場アメリカにはない。日本の発明なのだ。
はたして、これでヤギの呪いが解けるのかねえ。
せっかくの申し出にも、カブス球団は、ン?という感じらしい。そうだろう。

投稿者 nansai : 14:42

2009年3月 9日

三月二日月曜日  2009 DD45とは、おぬし、何者だ?

十階建てのビルくらいの巨大隕石が、三月二日月曜日、地球のすぐそばを通過した。と、過去完了で、BBCは報じた。
人類にとって、これはこわいことだったのだ。地球から72000キロに接近してきた、この隕石の直径は、21から41メートル。アポロ型小惑星に分類されるのだろうか。侵入者の正式名は、2009 DD45.

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まず、土曜日オーストラリアで発見されたが、MPCの専門家チームが確認したのは三日前だったそうだ。宇宙空間のニアミスと報じたブログもある。知らぬが仏だった。

この惑星がもし地球に衝突していたら、どうなっただろう。破壊力は、広島原爆1000個に相当すると専門家は警告する。後の祭りだが。
小惑星としては、1908年、シベリアのツングースカ川流域上で爆発して、2000平方キロにわたり、8000万本の樹木をなぎ倒した隕石と同じサイズという。BBCは、ほかにもでかい惑星があるとして、ジャガイモみたいな惑星イトカワの写真をのせている。(最近の研究では、シベリアに衝突した、あの隕石の直径は、いわれたより小さく30メートルではないかとも。)

週末、日本のマスコミは、世界恐慌はそっちのけで小沢党首の献金疑惑や、WBC日韓野球の報道で多忙を極めていた。
ことは重大とみた国連の地球接近物体対策チームは、今年の六月にこのような重大問題を公式に検討するが、その前にDD45について話し合うとしている。話しあってどうにかなるものかなあ。

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BBCによれば、ある専門家の意見では、隕石の破壊力は、内部の物質構造と、地球大気に突入する角度しだいだそうな。祈るしかなさそうだ。

つぎは、2029年に、大きめの小惑星99942アポフィスが21000マイル以内に接近するそうだ。
杞憂(ワードでちゃんと変換されて出てくる)におわればいいが。

投稿者 nansai : 14:54

2009年3月 6日

二月二十八日 抱擁を無料でいかが?

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ある晩テレビのドキュメンタリをみていたら、冒頭奇妙なシーンがでてきた。

一人の気の弱そうな青年が、街頭で、看板を胸に抱いて立っている。
手書きの看板には、英語で「FREE HUGS」ハグします。無料で。と書いてある。
道行く人たちは、だれひとり気づかずに、青年の前を通り過ぎてゆく。無表情な青年が、なぜ、その場所にぽつんと立っているのか。看板に書いてある英語の意味がわからないからだ。
看板のHUGとは、抱擁だ。字引には、HUGとは(通例愛情をこめて両腕で抱きしめる)とある。
無料でハグしてあげるよ。
ようやく、気がついて一人の外人の青年が笑いかけてハグしてきた。青年は、こわばった無表情で、笑い返しもせず、ハグし終わると、またもとの姿勢に戻った。他人事ながら、あ、これじゃあ、コミュニケーションは取れないなと思った。
これは、NHKの「一期一会」という番組の奇妙な出だしのシーンだ。アナウンサーの解説では、FREEHUGは、ネットでは、すでに世界的に有名なキャンペーンだという。

青年は十九歳の専門学校生。いじめにあって、ことばによるコミュニケーションに絶望した。週に一度、思い切って道行く人と抱擁を交わすフリーハグをしているという。

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へえ、こんなことが、若い人の間で、はやっているのか?ぼくは、知らなかったので、ネットにあたってみた。
これは、国際親切運動とでも言うキャンペーンで、80カ国で展開されているらしい。マンという人が、シドニーで始めた。テーマソングも有名らしい。「知らない人にハグしてあげよう」というしごく単純な原則だ。

「フリーハグ」すれば、こうなるよ。親切にもネットに120ページものガイドブック電子(PDF)版が用意されていて、こんな風に書いてある。

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なにかでっかいことの片棒をかつぎませんか?
世界を変えるには、あなたの両腕だけを、おおきくひろげるだけでよいのです。

だれかさんに、ちょっとだけかがやく日をつくってあげる。知らない人も、結局は、そんなに悪い人じゃないよとみんなに教えてあげる。
みんなをひとつにし、幸せなときを 分かち合う。
あなたが悲しくてさびしいとき、フリーハグすれば、ほかのひとに話しかけ、笑いあうことができる、だれかが、あなたに笑いかけてくれる、誰かがあなたに腕をまわして大丈夫だよといってくれる。

フリーハグが、いちばんよくわかるのは、ユーチューブの動画だ。世界中の国々によって、よびかけに応ずる人の態度が異なるのがおもしろい。一期一会、さまざまなハグ場面をみると、ほほえましく、思わず笑えてくる。
なかでも、日本人が世界で一番ぎこちないのは仕方がない。なにしろお辞儀の国だからなあ。

このキャンペーンを支持したい人は、寄付してほしいとのことだ。

特製FREEHUGSのTシャツを買ってもらえれば、収益でこのサイトの運用費がまかなえる。電子ガイドブックもパソコン上で読むのは住所氏名を名乗れば無料だが、プリントアウトしたければ寄付してほしいと事務局。
ぜんぜん知らない人に呼びかけて、抱擁し合う。ぼくにはむりだが、こんなことで世界が仲良くなれるのなら、がんばってほしい。

投稿者 nansai : 15:36

2009年2月24日

二月二十二日 きょうは、にゃんの日?

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あまり知られていないが、「ネコの日」なのだ。1987年英文学者の柳瀬尚紀らネコ好きのひとたちが集まって「ネコの日制定委員会」をつくって、ペット業界をたきつけ、にゃんにゃんにゃんと、222のごろあわせで制定されたということだ。

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ぼくはこの日を「ネコの絵供養の日」と決めている。
描き散らかしたぼくのお絵かきアーカイブは、乱雑きわまりなく、いまや資源ごみの山と化した。
ネコの絵も、そこにずいぶん投げ込まれているが、衰えたぼくの記憶では、いつ何を描いたか、底に沈んだネコたちは、もう呼びもどせない。で、グーグルデスクトップの助けを借りて、浚ってみることに。

化けて出ないように、すっかり忘れていた猫関連の絵を数匹分ひろいあげて、ちょいと手をくわえたりして、供養する。

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羽織を着せて、今はやりの落語家に。
四月には、となりのイタめしレストランで、中堅落語家の寄席が開かれることになった。演目は、地元の八軒家船着場にちなんで、古典落語の名作「三十石 夢の通い路」と決まった。

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ずいぶん前に描いたねこを、りかちゃん人形のように、衣装を着せ替えるのは、デジタル画?の特技である。


当家にも、ぼくにだけなつかない「愛猫」?が一匹いる。元捨て猫なのに、リスペクトの気持ちがまったくなく、家長であるぼくを黙殺、無視して、家中をわが物顔に、動き回っている。きのうも、台所のドアの隙間をすり抜けて脱走し、心配させたあげく、しばらくして同じドアからなにごともなかったかのように家のなかへ戻ってきた。絵にも描けないせわのやける駄ネコだが、我が家の統合のシンボルなのだ。
ぼくも「ねこの気持ち」なる月刊誌を購読して、なんとか、猫の心理を推し量ろうとするが、徒労に終わっている。

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新聞の投句欄で発見、これはうまいなあ、と思ったネコの俳句、川柳かな?詠み人どなたか失念。

大あくび ねこが獣に戻るとき

あごのはずれそうなネコの大あくびは、ぼくの腕では、スケッチが難しい。うちのネコをモデルにして、そのうちにと、ねらっているのだが。

投稿者 nansai : 10:58

2009年2月16日

二月十四日 ある雌ペンギンのバレンタインデー

未曾有のきびしい時代に、どうでもいいニュースだが、ときに、つい顔がほころんでしまうような話題が、世界に配信されている。ユーチューブで、ネットで。たとえば、オーストラリアの山火事でやけどしたコアラのサムだとか。

このペンギンのロキシーは、ロンドン動物園の住人だ。雌なのに、縁遠くまだ独身である。4歳の妙齢だ。

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彼女は、ペンギンのなかでも、絶滅を危惧されているイワトビペンギン種である。
だが、バレンタインデーには、山ほどの愛をプレゼントされているらしい。檻には、小さな郵便受けが置かれている。ファンから寄せられたカードがこぼれ落ちそうだ。
SNSのマイスペースに、自身のホームページも持っている。

彼女は、前の動物園では仲間と折り合いが悪く、ここに移って一年。飼育係氏によれば、ほかのペンギンたちはみな相手がいるが、ロキシーは意に介さない。彼女はプールをひとりじめにして、きままにすごしているのだそうな。
そんなにもカードが集まる人気の秘密は、若くて独身の彼女は、ロンドン動物園で一番人気のある養子だからなのだ。

海外の動物園は、どこも資金難だろうが、アイデアにあふれている。動物の養子縁組制度がおもしろい。

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だれでもロキシーを養女にできる。動物園は、養い親を募集して、養育費を出してもらうのだ。
ロンドン動物園のウエブサイトをのぞいてみると、ロキシーの養子縁組をすすめている。愉快なのは、バレンタインデーの贈り物に、里親権?をすすめている。申し込みもメールでも受け付けるそうだ。ロキシーの里親になって!

投稿者 nansai : 13:10

2009年2月10日

二月十日

北大江公園一帯は、戦国末期の古戦場だった。ここで信長軍と顕如軍が激突した。「本能寺の変」の十二年前。


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この石碑は、公園内のどこにも、もちろん存在しない。南無阿弥陀仏。ノミのかわりにマウスを操って、ぼくがバーチャルに建立したものだ。南無阿弥陀仏。
灯台下暗しとは、このことである。目と鼻の先の小さな公園が、石山合戦の古戦場だった。
北大江公園から坐摩神社行宮へかけての一帯は、400年前の戦国時代の砦の跡だったのだ。石碑ひとつ建てられていないのは、どうしたことか。

なにしろ元亀天正の頃、大阪城を秀吉が築く前の話だ。
ここらあたりは「楼の岸」と呼ばれ、砦が築かれていた。「楼」とは、物見やぐらのことである。
石山合戦では、信長、本願寺をあわせると、かなりの数の砦や出城が築かれた。「楼の岸」は、そんな多くの砦のうちのひとつである。

大川から見上げれば、ここは上町台地の北端の要害の地で、元亀元年、顕如率いる石山本願寺と織田信長軍が激突した。
天下統一をうかがう信長を、武田、上杉、毛利、本願寺と、織田包囲網が形成され、各地で戦いを挑んできた。
元亀元年八月、信長軍は、三次三人衆軍と「野田城・福島城」の戦いで対決した。このとき、信長は命じて「楼の岸」に砦を築かせた。敵の長期篭城に備えてのことだ。

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九月十一日、両城へ攻撃開始。この戦いで、日本で始めての鉄砲を用いた攻防がくりひろげられた。射撃は傭兵の雑賀・根来鉄砲衆が、敵味方に入り乱れて撃ち合った。鉄砲衆は、技能練達のスペシャリスト集団だ。今で言う期間限定の「派遣」兵で、伝来したばかりの鉄砲を携えて戦国大名の戦闘を請負い加勢した。
信長公記は、このときの様子を「御敵見方の鉄砲誠に天地も響くばかり」と記している。
ところが、九月十二日になって、突然,早鐘が打ち鳴らされ、本願寺顕如軍が戦線に参加した。
このまま、敗色濃い三次勢が信長に降れば、次はすぐ近くの本願寺の明け渡しを迫るに違いないと、顕如は危惧したのだ。
顕如みずからが、鎧を着て、信長本陣に襲い掛かり、楼の岸砦には鉄砲を撃ちかけた。中立を装っていた本願寺軍の参戦で、攻守はたちまちにところを変えた。こうして、その後十一年にわたる石山合戦の長い長い戦いが始ったのだ。

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この砦は、各地の敵に転戦せねばならぬ信長群が引き上げると、封鎖された本願寺への重要な物資揚陸基地となった。ここは、難波津、渡辺津と、古来よりの良港で、海からの救援物資をここから陸揚げしたのだ。封鎖を突破しようとする 毛利水軍と、それを阻止しようとする織田水軍の 海戦がいまも語り草になっている。

やがて、天正七年、石山本願寺はついに信長に屈服し、顕如と教如は、親子対立のまま前後して大阪の地を去ることになる。
本願寺津村別院のウエブサイトには、つぎのように記してある。
「織田信長公との長い争いにより、本願寺は、生みそだててくれた大阪をはなれねばならなくなり、そこで、大阪の門徒は、この地での「お念仏」の灯りをまもるために、天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。」と。
のちに、現在の津村の地に移るのだが、当時の坊舎の位置は、石町坐摩神社行宮のあたりではないかと推測するむきもある。
五木寛之氏の著書「宗教都市・大阪前衛都市・京都」にも、「楼の岸」の地名がみえている。

にわか地元史家のぼくは不勉強で知らなかったが、「楼の岸」は知る人ぞ知るで、詳しく研究している先達のサイトも数多くあるようだ。教えられるところが多い。
ぼくは、何の気なしにぶらぶらサーチしていて、たまたま、ネット上でこの地名と初めて出会った。参考文献にも出合えた。
公園は、毎日近道して横切っているのに。


長編時代小説「楼岸夢一定」は、直木賞作家の佐藤雅美が、蜂須賀彦左衛門正勝の生涯を描いている。
正勝は、「小六」の名で親しまれている。

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天正四年、この地で、51歳のかれは門徒一揆の大軍に先陣を切って突っ込んだ。気がついたら敵の首を一番多くあげ、「楼岸一番の槍」と褒めたたえられる鬼神のごとき働きを信長の馬前で見せて、陣羽織を拝領した。

小六は、晩年ここに屋敷を立てて住み、病の床から、過ぎし日々を回顧する。楼岸の小六の屋敷は、淀川を借景として建てられている。
「久しぶりで淀川を眺めてみたい」と、小六はからだをおこした。
大阪築城に当たり、淀川の両岸に植えさせた木々が青々と色づいてきて、目にまぶしい。
そこへ、突如「うおー」と刀槍を合わせる何万もの雄たけびが、小六の耳朶によみがえった。

小説の題名の「夢一定」は、信長の好んだ小唄「死のうは一定 しのび草にはなにをしょぞ 一定かたりおこすよの」から来ている。
「一定」とは、「確かにそれと決まっていること」と字引にある。

投稿者 nansai : 11:13

2009年2月 3日

一月三十日 ハッピー?バースデー

うし年ではあるが、馬齢を重ねに重ねて、またまた誕生日を迎えた。めでたいどころか、うっとおしいかぎりである。バースデーケーキは用意していないが、ろうそくをたてるとすると、馬に食わせるほどの本数になった。ぼくほどの年になると、おめでとうといってもらえればうれしくないこともないが、誕生日はあまり触れられたくない話題である。

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ところで、なぜ謙遜して、自分の年を「馬齢」というのだろう。
田辺聖子のエッセイに目を走らせていたら、「頽齢」ということばが出てきて、ぎくっとした。「たいれい」と、るびがふってあり、「頽齢にして未だ功ならぬ私」と続く。彼女は、自分を謙遜して、用いている。頽廃のタイだ。電子辞書をひいてみると、「老いぼれた年齢、老齢」とある。謙遜にもほどがある。いまや女史は、「未だ功ならず」どころか、文化勲章に輝く大阪の誉れなのだ。

ひょんなことを思い出した。
昭和も一桁うまれのぼくは、幼少の頃、誕生日を祝ったことはなかったように思う。戦前の田舎町では、当然、プレゼントもケーキもなかった。そのくせクリスマスツリーやサンタクロースは、童話や絵本の世界では知っていたのに。
そんなわけで、戦前、戦中のぼくらのこども時代、もちろんこの絵のようなバースデーケーキは、この世に存在しなかった。

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年齢は、お正月がきて、ひとつとるものだった。数え年といった。
正月こそ、家庭内の最大のイベントだった。「もういくつ寝たらお正月」と歌って、新年が待ち遠しかった記憶がある。年齢を満で数えるのは、戦後になってからだろう。

庶民が誕生日を祝う意識は、古来より、もともと日本文化にはなかったのだろう。
国民に誕生日を祝う意識はなかったが、敗戦前の天皇の誕生日は、「天長節」で祝日というより国家行事であった。明治天皇のそれは、明治節。大正天皇の誕生日は、なぜか祝わなかった。
天長節。家々は門ごとに国旗を掲げ、子供たちは学校にあつまり、ご真影の前で校長の代読する教育勅語を頭をたれてきき、おごそかに奉祝の歌を歌った。「きょうのよき日は大君の生まれたまいしよき日なり。」

日本という国の誕生日が、敗戦前は二月十一日の紀元節だった。平成のいまは、紆余曲折あって「建国の日」となった。
国家行事として祝うとすれば、歴史がどんなに古くても出生証明の定かでない国の誕生日は一年のうちどの日にか、ま、決めればいいことなのだが、「紀元は二千六百年」という根拠のつじつまを合わせるのに苦労したらしい。

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では、家族のイベントとしてのハッピーバースデーは、日本へは、戦後、持ち込まれたものだろうか。アメリカ映画が文化の泉だった頃の外国映画の影響だったのか。はっきりしない。戦前のぼくの記憶は、おぼろげである。
「ハッピーバースデー ツーユー」の歌は、1962年にマリリン・モンローがケネディ大統領の誕生日に歌って有名になったという。意外に歴史は新しいのか。

日本人は、いつから「誕生日」を祝うようになったのだろうか。
ネットで調べてみたが、頽齢のぼくのこんな間抜けな質問に答えてくれるサイトは見当たらなかった。

投稿者 nansai : 14:44

2009年1月27日

一月二十五日 オバマ大統領のスピーチは、まねできないのはなぜか

似顔絵は、しろうと絵師のぼくにとって、なかなか難しく手に負えない技術である。オバマ大統領は特徴はつかまえやすいはずだが、なぜか似てこない。彗星のように現れたかれは、リンカーンのように若くして伝説上の偉人となった。いまやカリスマとなったかれを、ゆがめたり誇張したりしてカリカチュアライズするのが、憚られるほどになった。

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毎日新聞夕刊のコラムは切り出す。
「それに比べて、と私たちのリーダーを引き合いに出すのはやめよう。」と。
うーむ、そのとおりだろう。

新大統領の就任演説に沸くアメリカは、政治にまだ大きな力と希望があり、一方でそれほど病も深い。オバマは、建国の歴史、社会の葛藤、世界との交わりを語り、将来への団結と責任を説く。
だから、オバマ大統領の演説の表面をまねてもはじまらないと、「近時片々」子はいうのだ。

言葉に力があることをオバマは、選挙中のスピーチで立証した。
さらにインターネット、特にユーチューブで、24時間、増幅されてうねりのように伝わった。新聞を読まず、これまで政治に無関心だった若者層が乗ってきた。危機を乗り切るには、これまでの黒人指導者のように差別撤廃をさけぶのではなく、人種を超えたユナイトを説いた。

オバマの演説の力に驚いた日本のマスコミは、かれを支えるスピーチライターの存在に気づいた。あるワイドショーでは、笑いながら、こんな無責任な提案が出た。わが首相も、スピーチライターを雇えばいいじゃないか、と。

アメリカ歴代の大統領は、お抱えのスピーチライターと草稿を練るならわしだ。
オバマ自身、演説がたくみなだけでなく天性のスピーチライターだ。まる投げにはしない。2004年政界へ躍り出たときの、鳥肌の立つようなスピーチは自分で書いた。
今度ホワイトハウス入りする27歳の片腕の天才スピーチライターを、オバマは自分の「マインドリーダー」と呼んでいる。18ヶ月の選挙運動中の過酷な連日深夜3時までの日程のなかでスキルを身につけた。かれが、大統領の考えを話し合い取材し、二人で4、5回、キャッチボールして練り上げるという。それから最終草稿に仕上げる前に、数週間かけて、3人のスピーチライターチームは、歴史家、スピーチライターにインタビューし、危機の歴史を調べ、過去の就任演説をチェックしたとメディアは伝えている。
ただ「スピーチライターを雇えばよい」では、あのような演説は生み出せないのだ。

ホワイトハウスには、選挙運動中ネットで集めた支持者1400万人のリストがあるそうだ。ITの力により、民意と直接つなげる話し合い回路を持った新しい政治がはじまるかもしれない。
アメリカの自由と平等をめぐる歴史の振動は、津波のように寄せては返すすさまじさだ。民主主義とは言いながら、建国の建前どおりの、けっしてきれいごとの国ではない。

厳しい国情の打開に、みなに責任を求める新大統領の演説の内容は、語りつくされ、演説集が世界中で出版されている。

「それに比べて」とぼやいては、いけないのだろうか。
アメリカにくらべて長い歴史を持つわが国だが、気がつくと国の向かう方向の原点として、オバマが引き合いに出すような建国の精神や英雄がこの国に見当たらないのに、ぼくは憮然としている。
もう神話時代には帰れない。「八紘一宇」も「国体の本義」も「教育勅語」も、もうごめんだが、22世紀にむかって国のすすむべき理想をどう掲げたらよいのだろうか。
来月には、出自のはっきりしない「建国の日」が祝日として訪れてくる。

投稿者 nansai : 17:06

2009年1月15日

一月十四日 物忘れと創造性との微妙な関係について

物忘れが激しい。
家では、しょっちゅう、めがねをさがし回っている。
どこにおいたか。大体所定の場所に置き忘れているのだが、さいきんでは、おでこにのせたまま探しまわっている自分に気づいて、がくぜんとすることがある。

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友人に言わせると、自業自得。めがね歴の浅いぼくははずしていることが多いから、置き忘れたり、扱いがぞんざいなのだ。

このような物忘れは救いがたいが、「ほら、なんといったけなあ、あれ。」といったたぐいの、度忘れというのはきわめて人間的な感覚で、コンピューターやロボットには今のところ決して起こらないそうだ。
ある学者の説では、この度忘れの状態と創造性とひらめきを要求している脳の状態が非情によく似ているらしい。以上は、新進気鋭の脳科学者茂木健一郎氏の本にのっていた。

創造性は、「体験×意欲+準備」だということだ。この意欲とは、度忘れしたことを一生懸命思い出そうとしている状態らしい。
「年齢を重ねるほど、創造性の元になる記憶は豊富になるのですから、年寄ったら、むしろ創造性がたかまってよいはず」と、若い脳科学者はうれしいことをいってくれる。
「経験をたくさん積んだお年寄りが本気で意欲をだすことが、一番すごい」と、岡本太郎や手塚治虫をひいて、茂木博士は断定するのだ。後期高齢者のぼくが言うのではない。最新の理論に裏付けられた俊英の脳科学者のお説なのだ。

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だが、いいアイデアを思いつくには、当然、これだけでは不十分。ひらめきを得る準備が必要と続き、くわしくは「脳を活化す仕事術」(茂木賢一郎 PHP研究所)を読破するしかない。

投稿者 nansai : 15:05

2009年1月13日

一月十日 他人事ではないガザは、どうなる?

ガザの戦闘は、市民を巻き添えにした一方的な殺戮になるだろう。圧倒的な火力の差があるからだ。
こどもたちなど無辜の死傷者をこれ以上出さないためには、戦力優位側の一方的停戦しかない。
イスラエルの建国から六十年たつが、もう21世紀なのだ。

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あれほど優れた民族が、非ユダヤ人との共存を拒否し排斥し抑圧する国家であってはならず、なぜ20世紀の残虐な戦争の愚をくりかえすのか。

原理主義同士のがちんこ勝負だから、大義も正義も、双方、言いつのればきりがない。ただ、これ以上無辜の人々を巻き込んで死なせてはいけないと思う。
昭和二十年の沖縄殲滅戦が思い出される。掃蕩戦に巻き込まれて、せまい島内で逃げ場のなかった20万人もの一般人の犠牲を出した。悪夢をみるようだ。


イスラエル側は、無差別ではなく、隠されている武器や輸送トンネルなど、目標をピンポイントに絞って攻撃しているという。が、巻き添えになる一般人(子供が多い)の死傷者は増える一方だ。
戦力で優位に立つと、兵士たちは、劣勢の敵(一般人をまきこんで)に対して、なぜ、こうも残虐になれるのか。

戦場でなぜ殺戮が起こるか。
おぞましい戦争の歴史をふりかえると、今に始まったことでなく、そこに一定のパターンがくりかえしみえてくる。

一般市民と戦闘員(正規兵にせよ、テロリスト、ゲリラ、レジスタンスにせよ)が、ある区域に追い詰められ、混在して見分けがつかない状態で起きる。
一方的に兵力に格差があるとき、一般人と戦闘員の見境なく、殺戮が起こる。
たとえば、作戦中に味方が殺された場合だ。報復が正当化され、殺戮の名分、言い訳となる。

それがいまガザで起きている。日支事変、沖縄戦、ベトナム戦争、イラク戦争。世界のあらゆる戦場で、それは起きた。
報復を大義が支援すると、感情が燃え上がり抑制がきかず、おそろしいことになる。
9・11がそうだった。
太平洋戦争でも、米軍の無差別爆撃、原爆攻撃の大義は、真珠湾攻撃など、日本の卑劣な行為への報復だ、謝る必要はないと、現在も当時のパイロットたちが証言している。

このような戦闘の大義名分は、当然根深く双方にある。
いまこの手の戦争の武器は、メディアである。
携帯、ユーチューブやフェースブック、テレビを駆使して、それぞれの正義、自軍の戦闘の正当性を世界に向かって主張する宣伝戦争でもある。ネットの力は大きい。とくに、ユーチューブの動画は、24時間、戦闘の模様を伝えている。
双方の言い分はつきることがない。イスラエル側は、ネット上の文字で、パレスチナ側は映像で訴えているとBBCは伝えている。爆撃でけがをしたこどもたちの血だらけの映像が伝える現実のほうが正確で説得力がある、とぼくの目には見える。

撃ちかた、止め。とにかく戦闘は止めねばならない。

だが、戦闘は終息しても、問題は解決しない。
ガザ紛争の根っこには、パレスチナの貧困がある。救いがたい若者の失業がある。高く厚い塀でへだてたイスラエルとの経済格差がある。
国を興す産業がなく、家族を養う仕事がなく、かろうじて国際援助で食ってゆく。そんな状態が長続きしてよいはずがない。なすすべのない若者たちは、どこへゆくのか。

ガザの話題が、いつの間にか、日本の若者労働のことになってしまった。

投稿者 nansai : 16:52

2009年1月 7日

一月七日 白地に赤く、日の丸?染めて

年越し派遣村のテレビ中継など、うっとおしい限りのお正月だった。恐慌退散を願って厄払いは、やはり、おてんとさまである。

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ここに、大阪をよみがえらせる「大水都」のイメージシンボルを提案し高く掲げるしだいだ。
なんだ、季節はずれの、しわだらけのTシャツではないかと、いぶかる向きもあろう。ま、ことのしだいはこうだ。

大きな赤い丸は、太陽である。真中に小さく白く丸い穴があけてある。丸は、OSAKAのOなのだ。
Tシャツの表は、朝日をかたどった。東の生駒山から昇る朝日だ。
裏面は、夕日である。西から大阪の海や川や堀を照らす。

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Tシャツには、思いを込めて「水都、わが町」。と 刷り込んだが、「わが町」は、わが敬愛する織田作之助の小説のタイトルである。かれは大阪の夕日を愛したといわれている。劇化されて、主役の「ベンゲットのたーやん」を舞台で森繫が演じたのは、ずいぶん前のはなしだ。


万葉集に次の歌がある。

難波津を漕ぎ出てみれば 神さぶる
生駒高根に 雲そたなびく

難波津は、当時の交通の要衝で、東国の防人たちがここから出征して西へ送られ、アジア諸国の船がここに着いた。シルクロードの終点だった。場所は、八軒家船着場から、眼と鼻の先の高麗橋付近とされている。
大阪は、夕日の都だった伝えられている。生駒山から見下ろす大阪湾の夕日に輝く風景は、「押してるや」という枕詞に象徴されている。晴れた日は淡路島がみえた。

おしてるや 難波の津ゆり 船装い
我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ

じつは、昨年よせばよいのに、Tシャツ展をこころみ、近所のボタン会社画廊の片隅にぶら下げてもらった。その中の、われながら「傑作」がこれである。
デザインの意図不明だったせいで、ご町内の衆にも全く評判にならず、むなしく持ち帰って部屋の隅にぶらさげておいたのだが、だんだん変色してきてほこりまみれになってきた。

まったくなにもめでたい話題のない正月に、大水都の再生開運を願い、季節外れのTシャツのほこりをはらって、今年の幕開けにしたい。

投稿者 nansai : 13:47

2008年12月26日

十二月二十六日

暗い年末だが、マウスで、そそくさと描いてみた。

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ウエブのうえで、例年のとおり、干支をテーマの南斎描く年賀状の展覧会、(7点しかないが)、開くことにした。

週刊誌を開くと、大物経済評論家のみなさんは、いっせいに超悲観論を展開している。株価急騰するも、景気どん底、失業者街にあふれる。暴風津波警報だ。
ドルは今以上に暴落、投売りされると予測する大前氏。スピリチュアルカウンセラーEさんもくわわり、「一人ひとりが、手綱を締めなおし、再び正しい道、善き選択をしてゆくことがいま何よりも大切です」と、ありがたいおすすめ。こんなことを活字にしてどうするのかな。

年賀状では、悲観、楽観、強気、取り混ぜて描いた。ピカソの闘牛からのぱくりは、われながら、白眉のできであると、自画自賛。ええかげんにせえ。

大前氏は、日本の1500兆円の膨大な個人資産を使って、いまこそ「国家ファンド」を作れという。世界の優良企業が安く買えるのだ。穀物メジャーや鉱山会社、石油会社を買い叩けと勇ましい。100年に一度の危機は、逆にチャンスなのだとか。
で、この手の空気を読んで、年賀状を作ってみた。
といって、切手を貼って出す先もないから、隣のイタリアン料理店マリアンの壁にならべておいてもらった。
同店は、紺の不景気に、ミュージシャンたちに、プロ、アマチュアを問わず、演奏の場を提供して、満員大当たりである。自慢ののどを披露し、楽器を演奏するささやかなスペースが、求められていたのだ。
知らなかったが、この界隈は、知る人ぞ知る楽器ストリートなのである。
近所のビルにはハープやバイオリンの工房や店があり、有名ミューシャンが出入りしているそうだ。

投稿者 nansai : 15:52

2008年12月 5日

がんばれ。不況の街を走る「おばちゃんタクシー」

 しょぼふる雨の朝、タクシーに乗った。おっ、めずらしく、運転手は、おばちゃんだ。乗り込んでおどろいた。

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へえ、運転席の横、熊のぷーさん2匹が小皿に乗って、こっちを向いている。メーターの上には、モールのミニチュアツリーがちょこんとかざってある。

「この不景気でしょ。なんとか元気を出してもらおうと思って」と、おばちゃん運転手は抱負を語る。

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「後部の窓にも、ちかちか光るツリーをおきたかったが、整備係にこれ以上電気を使ったらあかん」と言われたと残念そう。
レーマンショックで、あれからころっとお客さんの意識がかわったと、経済分析も確かだ。でも、十一月はノルマは達成できたと胸を張って、
「この月はこれからや。」と、意気軒昂だ。
大阪のタクシーでクリスマス装飾!しているのは、おそらく不況にめげない、この一台ではないだろうか。
大阪のおばちゃんは、たくましいなあ。

しょぼふる雨の中、近場のワンメーターで、すんまへんでしたねえ。
降りるとき足元が滑るから気をつけなさいとアドバイスされ、ごくろうさん、元気とおつりも、もらってしまった。


投稿者 nansai : 14:41| コメント (0)

2008年11月18日

2009年賀状は、猛牛の鼻息で恐慌退散だ。

ジングルベルがきこえてくるのに、暗く重苦しいニュースが多い。世界を覆う金融不安で、海外のテレビニュースやネットを見ると、各国の消費不況、失業の深刻さがわかる。

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国内は、首相の漢字能力とか、給付金のくばりかたとか、まだ、どこか間が抜けているのだが。

でも、数週間後に、新年はやってくる。
本屋の店先は、もう年賀状の手本が山積みだ。おめでとうという気分には、程遠いけれども。
さて、来年の干支は、丑である。
希望に満ちてとはいかないまでも、ウシにちなんで、ぼくも年賀状のアイデアをぼつぼつ考え出すことに。

ウシもいろいろだが、英語で雄牛BULLは、もともと強気のシンボルだ。瀕死のウオール街のはずれに3200キロのブロンズ彫刻があるらしい。

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で、ウシの鼻息に託してでも、世界恐慌退散を祈ろうと、世界中が自信喪失してどん底のいま、
世直しに雄牛を何とか描いて料理しようと思いついた。
枯れた墨絵の牛もいいが、ここはスペインの闘牛でなけばならぬ。トロという。日本にはいない猛々しさだ。

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ところで、究極の雄牛は、なんといってもピカソだ。
力強い名作がいろいろある。
「贋作ピカソ尽くし」をこころみる。謹写しつつ、ありがたくヒントをいただくことにした。
これは、有名なゲルニカから。色は勝手に塗ってしまった。

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キャラクターさえきまれば、年賀状のアイデアは湯水のごとくだ。

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何だ、パクリじゃないかというなかれ。
かの琳派の「風神雷神」のごとく、後世に伝えるテーマを押し頂いて、ぼくが年賀状に「本歌取り」させていただくのだ。いずれも、勝手にひねり着色した贋作ではあるが、オリジナルなのだ。

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描いているうちに、調子がでてきて、ピカソが乗り移ってきたぞ。
ピカソもマウスで描いたら、眼を輝かして新境地を発見したことだろう。

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みっともないが悪乗りして、この際、雅号?を、光鼠、つまりピカソに改めて、鼻息荒く、
CHANGEとはどうだ。

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と、せっかく勢いよくぶち上げたものの後期高齢者の年賀状は、年々辞退者がふえ、出す先がくしの歯をひくようにへってゆくのだ。

投稿者 nansai : 14:50

2008年11月12日

新大統領の頭を悩ませる「ファースト ドッグ」選び

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「ホワイトハウスで友人をつくるなら、イヌを飼うことだ」とは、トルーマン大統領の名言だ
オバマ次期大統領の解決すべきつぎの大きな課題は、もちろん二つの戦争と金融恐慌だ。しかし、別の難問?をかかえているという。
それは、来年のホワイトハウス入りの前に、家族のための愛犬をえらばなければならないことだ。
当選したオバマ氏は、勝利演説で、愛するこどもたちにホワイトハウスで小犬を飼ってもいいと約束した。このほほえましい約束を、世界中がきいていたのだ。いま、全米のウエブサイトは、どんな犬種が選ばれるか、いや選ぶべきかの話題で持ちきりである。

ホワイトハウスで大統領と家族を癒してくれる愛犬は、国民のスターでもある。
ファーストレディーならぬ「ファーストパピー(仔犬)」にどんな犬種がふさわしいか、ペット好きのアメリカ人の最大の関心事なのだ。

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オバマ氏は、記者会見で子犬選びに条件が二つあると述べた。上の娘のアレルギーを引き起こす、毛の抜けない、血統の正しい犬か、引き取り手のない収容施設の犬。(私のように雑種が多いのだが)。と、ユーモアを交えて、選ぶのに悩むことになりそうだとも。

記者会見でのコメントはあちこちで引用され、がちがちの共和党寄りの評論家も拍手した。全米の愛犬家、アレルギーのこどもを抱えている家庭、捨て犬を救いたい団体の共感をいっきょに獲得したのだ。
現在の最有力候補は、アレルギー持ちのマリアちゃんがリサーチしてお気に入りの「ゴールデンドードル」らしい。プードルとゴールデンレトリーバーの交配種だ。
犬にくわしくないぼくは、グーグルで探し当てた写真を見ながら、マウスでスケッチした。もじゃもじゃした毛並みの描写は、写真にはとてもかなわない。

大不況の暗いニュースをよそに、アメリカ中のブログやウエブサイトは、44代大統領の愛犬候補の情報で、ハチの巣をつついたようだ。人気投票?(犬気投票か)、も始った。

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オバマ氏は、捨て犬(自分のように雑種が多い)を収容所から引き取りたいとも述べている。このほう方がオバマ氏らしいという声も。

もともと、ジェファソンの牧羊犬からジョージブッシュのスコチッシュテリアにいたるまで、歴代の大統領にかわいがられた犬たちは、純血種が多いそうだ。犬たちは、ウエブサイトのアルバムで記録され、その名を歴史にとどめている。

さすがアメリカだと、たまげたのは、ブッシュ大統領の愛犬バーニーは、なんと堂々たる自分のホームページを持っている。ホワイトハウスのサイトだから、国費で運営されていることになる。バーニーは有名犬で、ユーチューブでは、ちょっかいを出した記者に噛み付いたシーンが紹介されている。
いまのようなきびしい時期だからこそ、ついほっこりしてしまう。

わが首相官邸は、どうだろう。まず、首相が、あんなにくるくる変わったら、とても犬なんか飼えないよねえ。

若者向けにキャラが立つと自称する首相だが、選挙の人気取りには、ハンフリー・ボガードのように顔をゆがめて葉巻をくわえるよりは、仔犬を抱くほうが親しみを感じてもらえるのでは?

投稿者 nansai : 14:18

2008年11月10日

「猛虎魂絶叫G倒 平尾」(デイリースポーツ)は、ちょっとはづかしいな。おめでとう、ライオンズ!

久しぶりで、テレビで、7戦にまでもつれ込んだ日本シリーズ決勝戦を堪能した。劣勢をはね返す見事な戦いぶりだった。土壇場の敵地で巨人を破った手負いの西武、若獅子戦士たちに祝福をおくろう。

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はじめは、普段なじみのないライオンズの選手は、みな同じ顔に見えた。投手も野手も、ヘルメットからぼさぼさのうしろ髪がはみだしているのは、おしゃれなのだろう。
ところが、打つは、走るは。連投を辞せず、強打者をねじふせるは。
それは、わかさ、わかさだ。王手をかけられてあきらめず、敵地で第6戦、第7戦をとった。

渡辺監督はあっぱれだった。湧井、岸の投手起用は、すごかった。だいたん、きわまりない。経験豊富で苦労人の投手は、監督にふさわしいのか。
昨年、26年ぶりにbクラスに落ち、主砲の抜けたチームを一年で日本一に押し上げた。

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力一杯振る打者のヘッドスピードが違う。若手にのびのびと力を発揮させたコーチ陣の指導力に脱帽である。
渡辺監督を支えるバイブルがあると、デイリーは一面で報じている。現役時代、広岡、森、野村と名将のもとでつけてきた「野球ノート」だ。からだで覚えたかけがえのない暗黙知を文字にして残す、プロの知恵と根性は、りっぱである。

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けさ、キオスクで買った関西のスポーツ紙の苦心の見出しは、いじましい。
「猛虎魂絶叫G倒、平尾。」
と、決勝打を放ち優秀選手に輝いた平尾のガッツポーを3面にのせた。平尾は、八年前に阪神を去った選手だ。
「93年ドラ2阪神入団、01年交換トレード‥プロ15年目に日本一に輝いた」とも。切り込み写真説明に、「93年、入団会見で初々しい表情の平尾」とある。
シリーズの解説で、ゲスト阪神金本が、巨人には歯がたたなかった強かったとしみじみ語るのをきいた。
このシリーズで、人気ではなく、若さのちからを思い知らされた。

投稿者 nansai : 15:49

2008年10月24日

山椒魚は、流されて仰天した。大阪人の土石流パワー。


山椒魚は、突然、体が浮きあがったので驚いた。人の波に押されて、そのまま、駅のホームに投げ出された。

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遅い夕方の地下鉄ラッシュアワー、山椒魚は、いつもの満員電車の入り口に立つ。次の駅で、乗客がどっと降りるから、必ず座れるはず。
「一歩中へ、おすすみください」と車内アナウンスされるが、ぎゅうぎゅう詰めで身動きできない。つかまるつり皮もバーもない。

次の駅梅田に着いた。
いっせいに出口に進もうとする乗客の流れに逆らって、山椒魚は一歩肩をなかにいれようとした。
それが無用な抵抗で、あっという間に人の波に押し流され、からだがうきあがってしまった。あれは、人ではなく水流だな。土石流のような勢いだ。
突き飛ばされ、ホームでうつぶせに倒れた。幸運にも頭は打たなかったが、左の腰をしたたかに打った。
おそろしい一瞬の人の波は、足早にすぐに消えた。

かっこわるかったが、山椒魚は、なにごともなかったように起き上がって、突き飛ばされた入り口からのこのこ入りなおして、腰をさすりつつ、あいた席に座った。車内のだれも気づいている風はなかった。

年老いた山椒魚は、ちくちくいたむ腰をさすりながら、反省した。
ここは、大阪である。無理は、自業自得である。
人の情けとか、惻隠の情とかに甘えてはならん。すべて自己責任なのだ。あいてて、後悔は先にたたずだ。

なにしろ、ひき逃げもひったくりも放置自転車も、すべて、日本一の「わが町」である。
曽根崎署の横でクルマに跳ねられ三キロも引きずられて亡くなった人もいる。オデッセイ?に乗っていたた犯人は、いまだに捕まっていない。

投稿者 nansai : 12:20

2008年10月23日

阪神まいった!


岡田監督「悲しき胴上げ」
と、サンスポの見出しは容赦ない。
胴上げされて監督が号泣した。「しやない」悲しき退陣、と小見出しが追い討ちをかける。

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好投の岩田を引き継いだ藤川が、またしても宿敵ウッヅに、打たれてはいけない本塁打を浴びた。まっすぐは、読まれていたのだ。今年のタイガースは終わった。
頑固なまでの正攻法で、最後もゼロでおわってしもた。最悪の終戦。おわってみれば、「世紀のV逸&二年連続CS第一次敗退」。いかにもタイガースらしい。

茫然自失、ぶんむくれトラキチおっさんの図である。

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逃げた魚は大きいが、ふりかえれば、なに、シーズン前の大方の予想通り?いや、それよりましだったなあ。オカダはん、ごくろうさんでした。

新政権になって、春が来て、それからトラキチ好みの長い冬が始るだろう。ことしがんばった主力選手が、後期高齢者ぞろいだからなあ。

海の向こうでは、いよいよワールドシリーズだ。
岩村のいる躍進レイズは、ことし改名した。
毎年、万年どん底で、ついたあだ名がなんと「ドアマット」。踏みつけられてたまるかと奮起した。


投稿者 nansai : 14:53

2008年10月15日

十月十六日

いよいよきょうから
「マウスで描いたBLOG絵を
Tシャツに刷ってみました展」を、
ほんねきの丸善ボタン画廊で。ひっそりと。

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もともと、このサイトは、伝統的な日本語の漢字かな混じり文をウエブ上でも読みやすく、と、縦組み編集を進める普及活動の一環である。
読みやすさが受け入れられたのか、数少ない読者の友人たちも、すいすいと話のすじを追って(中身がつまらなくても)飛ばし読みしているようだ。
たしかに読みやすさでは、いい感触を得た。
だが、ひそかにぼくがこだわっているマウスで描く絵には注意を払う人が少ない。これは残念。
せっかくアイデアをひねりだしたのに、気がつかない。ま、しかたがないか。

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で、今回、長年描き飛ばしたアーカイブから、絵だけ抜き出して20点ほどTシャツに刷ってみることにした。
「マウスで描いたBLOGの絵をTシャツに刷ってみました展」を、ご近所の丸善ボタンギャラリーの軒先を借りて展示する。(中央区島町一丁目一の二 TEL06-6942-2261)
(丸善ボタンギャラリーのリンク先はGoogleMapに設定しています。ストリート・ビュー機能が使えますので界隈の様子をご覧いただけます)

入り口横に洗濯物のようにハンガーにつるしているから、ガラス越しにすぐのぞける。明日から6日間。
ちょうど近くの「北大江公園」で町おこしイベントがはじまるのにあわせて、通りすがりのご町内の衆にみてもらうことに。

だから、テーマは
KITAOOEH PARKが中心。

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Tシャツ生地は意外に高価なので、印刷できなかった原画を雑用紙に刷ってならべることにした。
感謝をこめてマウス供養の意味もある。日本には、古来、筆供養、針供養があるのだから。

宣伝活動は、めんどうくさくなったのと、個展の通知をいただくと義理との板ばさみで当惑することが多いから、葉書も刷らず、このサイトだけである。
原則として、一品刷り。あれこれ手続きがややこしいので、販売しないことに。

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投稿者 nansai : 17:41

2008年10月14日

この絵巻の絵をTシャツに刷ってみることに。

大恐慌。瀬戸際の危機も、とりあえず回避できたらしい。何が幸いするかわからない。金融立国の波に乗れずもたついていた日本の傷は浅く、これからどうなるかは、神のみぞ知ると専門家がいう。

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さはさりながら、美術の秋。
地球規模の金融さわぎの台風一過、思い立って「マウスで描くBLOG絵をTシャツに、試し刷り展。」をご町内の丸善ボタンギャラリー(06-6942-2261)の一角で開くことに。
(丸善ボタンギャラリーのリンク先はGoogleMapに設定しています。ストリート・ビュー機能が使えますので周辺の様子をご確認いただけます)

おりしも、すぐ近くの北大江公園では、京阪電車新線開通を祝い、まちおこしのコンサートなどイベントが目白おしだ。この「WEBマウス絵の試し刷り展」もその一環である。
北大江公園は、ちっぽけな公園だが、想像力をふくらませると、空想上の動物などストーリーを繰り広げられそう。

島町一丁目の丸善画廊で、十月十六日から二十五日まで。ガラス戸の前の軒先三寸を拝借して、20枚ていど、洗濯物のように、ぶら下げる。見栄えはよくないだろうな。
ターゲットは、ご町内、つまり北大江公園界隈と、島町通りをぶらぶら御通行のかたがた。
宣伝活動は、このブログだけ。葉書などでのお知らせはやめた。個展の案内をよくもらうが、義理で来る人に、もうしわけないと思う。

ぴかぴか新品の白地のTシャツは、、ぼくの絵で汚すにはもったいないほどの結構な値段だ。品質はぴんからきりまで。ぼくの描くマウス画は、20枚程度だから、一番安いシャツ生地にに刷ることにした。
原画?はA3の雑用紙にプリントアウトしてならべておく。

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このBLOGの絵は、いつもマウスで描いているのだが、スクリーンの透過光でなく、Tシャツに刷ってみることにした。
このBLOGを読んでいる数少ない友人たちは、話の筋には関心があるらしいが、ぼくの苦心?の絵にはほとんど無関心だ。そりゃそうだろう。ウエブ上では、刺身のツマのような存在だから見過ごされてもしかたがない。
ぼく自身が、絵だけ切り離してみてみたいのだ。

投稿者 nansai : 16:36

2008年10月10日

十月九日


八日の株価は、5日続落し、終値は952円安。一日の下落率は、歴代三代目という。
えらいこっちゃ。世界恐慌前夜との説を成す評論家あり、ノーベル賞や野球より、もっと緊急の大事なことがあるやろう、といわれれば、そのとおりだが、

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帽子脱ぎ髪をなであげまたかぶる
打たれたときの岡田監督(鳥取県 中村令子)

この歌は、朝日歌壇で見つけた。
このごろ、ぼくも今風の短歌に興味がでてきて、こういうふうにさらっと詠めばいいのだなと感じ入った。作者はダッグアウトの中をよく観察している。テレビの望遠レンズ越しでなければ、オカダ監督のこころのアップは撮れない。
ごくふつうの現代話し言葉を使って、平成のうたがよめるのだ。自然な感じがいい。

そうこうするうちに、昨夜の対巨人戦7連敗で、つかれきったよれよれの阪神は、巨人の若い投手リレーで、ダウンを喫した。意識朦朧の感じだ。
このところ、オカダ監督の帽子を脱ぎ、薄くなった髪をなであげ、無意識にしゃくるようにあごを傾けるジェスチュアが続いた。とうとうマラソンでいえばゴール寸前のトラックでついに追い抜かれた。抜き返す体力はもう残っていないだろう。
スポーツ紙のデイリーは
「陥落。奇跡信じるしかない。」と、141試合目の屈辱と総括している。

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「サンスポ」の見出しは、
「何やっとんねん。怒りの虎党」メガホンなげるわ。ユニホーム捨てるわ。大荒れ東京ドーム。
と、情け容赦ない。

13ゲーム差をひっくり返された?
むかしの阪神なら当たり前で、オカダ監督の肺腑をえぐる口汚い野次こそ阪神ファンの本領なのだ。
今岡の守備のへっぴり腰が攻撃されている。
ダンカンはわめく。新井を三塁手にしろと。

金融崩壊で深刻な欧米の海外放送をみると、ノーベル賞で盛り上がっている日本とはだいぶ温度差があるようだ。ほんとに大丈夫なのか。

投稿者 nansai : 11:49

2008年9月26日

アリクイ「たえ」が脱走


以前にも脱走した前科一犯ミナミコアリクイ「たえ」が、またサンシャイン水族館の飼育小屋から雲隠れ。大騒ぎとなった。
飼育員が血眼になってさがしまわったがみつからない。灯台もと暗し。すぐそばの館内の床下に隠れていたらしい。三日目にえさにつられて姿を現したのを監視カメラに目撃され、御用となった。
やれやれ、まずはめでたし。茶番劇の自民党総裁選挙よりも、おもしろいとテレビでは、派手に報道された。
コアリクイは愛くるしいが、前足には鋭い大きなつめが生えている。なんとなくとぼけていて愛嬌のあるアリクイは、描きがいのあるモデルである。
ふだんお目にかかれないが、写真とくびっぴきで、マウスを動かして絵にしてみた。

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投稿者 nansai : 13:07

2008年9月22日

思いがけず、チャップリンに会ってきた。

久しぶりで、大劇場で活動写真をみた。
なんと77年前に製作された無声映画である。しかも、フルオーケストラの生演奏の豪華版だ。活動弁士の姿はなかったが、字幕で筋を追いながら、京都市交響楽団の演奏をきく。もったいない気もしたが。

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チャップリン「街の灯」(1931)は、無声映画の不朽の名作とされている。これにフルオーケストラが多才なチャップリンの作曲にしたがって伴奏をつけるのを、ライブシネマコンサートというらしい。再開発のため近く閉館する中之島フェスティバルホールで催されるとあって、切符をいただいて、のこのこでかけてきた。

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映画史上の名作といわれる「街の灯」だが、これまでなんとなく敬遠して、しみじみと見たことはなかったなあ。
浮浪者のチャップリンが、街角で見かけた盲目の花売り娘に恋する。80分以上の全篇、コミカルなパントマイムのオンパレードだ。
なかでも極めつけは、ボクシング場面だ。相手のパンチから逃れようとレフェリーのかげにかくれ、ぐるぐる三つ巴になってリング場を動き回る。結局ノックアウトされのだが、そのおかしさは、半世紀以上たった今もふるくならない。
お笑いも、しゃべくりは、よそもんにはちんぷんかんぷんだが、パントマイムのドタバタは、世界中のだれにでもわかる。

そういえば、むかしみた「黄金狂時代」で、吹雪で山小屋に閉じ込められたチャップリンが、パンをフォークに刺しテーブルのうえでダンスさせるシーン。いまも覚えている。

チャップリンは時代を超えて熱烈なファンが多いから、おびただしい数のネットをみてみると、City Lightsのサイトもあった。
有名なラストシーンは、ぼくは深読みできなくて、うかつな感想を述べると、淀川長治さんなど熱烈なチャップリンファンからどやされそうだ。

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愛する盲目の花売り娘の窮状を救うため、ボクシングのいんちき賭け試合に飛びこんだ、向こう見ずの浮浪者チャップリン。試合前のかれの晴れ姿?を描いてみた。

投稿者 nansai : 12:09

2008年9月17日

タイムマシーンで、難波津を見物。


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「知らぬが仏。」いや、知らぬが宝、だった。

うちの事務所が借りているビルは、大川をすぐそこに見下ろせる上町台地の北端に立っている。北大江公園の西南の角だ。
二十年くらい前か、借りることを決めていたので、ビルが着工されることになって、現場を見に行った。
地下から文化財がでてきたとかで、市の文化財保護の職員がきて工事が遅れ、家主がやきもきしていた。
囲いが立てられていて、これ以上掘るとあぶない地下7メートルまでが掘られていた。なにやら土器が出てきたらしかったが、そそくさとすぐ埋め戻されて、なんの表示も記録のないまま忘れ去られていた。
島町のここら当たりは、大阪城の城のうちなので、豊臣時代の遺跡かなと思っていた。

出土したのは、意外にも、もっと古く、1200年前の難波京の頃の遺物だった。
くわしいことがわかったのは、ことし出版された一冊の本による。
「大阪遺跡」(創元社刊)に、「奈良三彩と難波京の井戸」という題で、宮本佐知子氏(大阪市文化財協会学芸員)のつぎの一文が掲載されていた。

「難波京の北西約1200メートル、大川南岸の高台で見つかった三彩の小つぼは、深さ7メートルもある井戸から、奈良時代終わり頃の土器といっしょに見つかった。
この高さ4センチの小壷は、唐の三彩をまねて日本で作られた奈良三彩。緑、褐色、白色の釉薬がかけられていた。
官営の工房でつくられたもので、だれでも手にいれられるものではない。このような奈良三彩が、どうして、この場所でみつかったのだろうか。どのような人が使ったのだろうか。」

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陶器の絵は、ぼくが、同書の白黒の写真を見ていいかげんに描いた。現物とは程遠いと思う。
宮本学芸員によれば、同じ井戸からは、墨書で「摂」と書かれた土器片も出土した。「摂」は、摂津を示す重要なキーワードだ。
大川が見渡せるこの高台には、摂津を治める「摂津職という役所があったと推測される。
万葉集には、難波堀江(大川)で遊覧し、貴族の館で詠んだ一連の和歌が載せられていると専門家はいう。浅学なぼくだが、このロマンチックな一連の歌をさがしてみたい。

そんな歌を頼りにタイムマシーンに乗ってみよう。
ここは、大川のほとりの貴族の邸宅がみえてくる。難波津の良港はすぐそばだ。外国の賓客をもてなす館もある。
ここ、上町台地北のふもとからは、細長い砂嘴が、で千里丘陵まで延びていたらしい。土砂で船の航行が困難になったので、「難波堀江」が掘削された。目の前の大川である。
この先まで大阪湾が迫り、大陸から船が集まってくる。東は、葦の茂るラグーン、河内湖である。ここから、湖の奥にある草香津へ向かった。大和へは生駒山地をこえてゆくのだ。

知らぬが宝だった。
教えてもらえなかったから、難波京ときいても、カンケイが理解できなかった。奈良時代のこのあたりの情景は想像できなかった。出土した奈良三彩は、博物館にいけば、展示されているのだろうが。

1200年前、奈良貴族の館だったかもしれない島町かいわいは、中小のビルが雑然と建ち並んでいる。
奈良三彩。この貴重なお宝は、鑑定団でみてもろうたら、なんぼの値打ちがあるやろう?
出土した井戸の跡には、記念の石碑もなく、道の端ぎりぎりまで立てられた無粋な四角なビルが、21世紀の現実である。
きれいさっぱり誰からも忘れ去られているところが、いかにも大阪らしい、といえばそれまでだが。

投稿者 nansai : 14:07

2008年9月12日

サプライズ。突如、帰ってきた天才打者が結果を。

野球はドラマだ。しかも、人間の。
夕べは驚いた。タクシーの中で野球ニュースをきいて、万歳した。109日ぶりに、突然あらわれた今岡が打った。対ヤクルト戦。
姿を見せぬまま、すっかり忘れられていた天才打者が、関本選手の故障で急遽三番に登用されると、いきなり打った。
一回、走者一人をおいて、一番深い左中間にホームランだ。当てるのではなく、鋭く振り切った。
これは、めでたい。待っていたぞ。

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栄光の背番号7。往年の首位打者、打点王も開幕からの不振で五月から登録を抹消されていた。
そして敗色濃厚の土壇場の9回裏、二死満塁に今度は選んで、押し出しの決勝点をもぎ取った。
今岡のスタメン発表にどよめいた甲子園は、大興奮だろう。
ここへきて打てない、守れないダメトラ状態化したへとへとの阪神に、やっと光明がさした。アサーだ!

「ついさっきまで鳴尾浜にいたのに、夢みたいだ」
この日34歳の誕生日をむかえた今岡は感無量だろう。この日も、昼間は、甲子園の近くの二軍にいた。練習していたら、いまから行け、といわれたそうだ。
「この日は、今岡による、今岡のための試合だった」とニッカンは、書いている。
人生なにがおこるかわからないが、今岡これからの健闘を祈るや、切。

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今岡が万歳している新聞紙面の 片隅に、訃報がのっていた。
かれこれ半世紀前、同じ会社で机を並べていた入社一年上の先輩がなくなった。その後、有力企業のトップにまで登りつめ、財界の切れ者だったが、未練なく後進に道を譲り、あっさりと引退した。
若いころから、クールな大物だった。安サラリーマンの頃、ラテン語の文法書をポケットに入れていたのを思い出す。酒は一滴も飲めない人だった。合掌。

投稿者 nansai : 11:16

2008年9月 3日

「着てはもらえぬ?」ティーシャツ

Tシャツは、 メッセージやスローガンを伝えるポスターでもあり、人が着れば歩く広告媒体だ。
ぼくがこんなTシャツを着て地下鉄に乗り込んだら、

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優先席にふんぞりかえっている若い人が驚いて席を譲ってくれるかなあ。(そら、あきまへんで。大阪では。テキもさるもので目をつぶって寝たふりを、しよりまっさかい。)

パソコンで絵を描いて、気に入ったのをプリントアウトするのには、Tシャツがいい。写真を現像に出し拡大するようなものだ。もっとも、人にあげても、喜んで着てもらえるか、保障のかぎりではないが。

さて、空文と化した「敬老の日」も近い。
後期高齢者に捧げるシャツのデザインを考えてみた。

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「カメは万年」にちなんだ長寿を祝うケッ作なのだ。明るい色調だが、プレゼントしてはいけない。年寄りは、怒り出すかもしれないからだ。「着てはもらえぬティーシャツを」だ。
このようにぼくが自分で気に入ったのは、たいていは、ひとりよがりの出来だから、「どうだ」は他人には通じない。ン?とまどった顔をされるのがオチ。これもそのクチだろう。

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つぎは、阪神タイガース優勝祈願シャツ。

危うし。阪神。
星野さんに北京に拉致された三番打者がつぶれ、頼みの押さえ投手JFKの三羽ガラスがかんかん打たれ始めた。最下位チームの横浜に、なんと5連敗だ。
このままでは、かりに優勝しても、日本シリーズにでられるか。ダイナミックシリーズが心配だ。
短期決戦に弱いことでは定評がある。データ野球が苦手らしい。
で、あわてて、白い子ネコをトラ柄にペイントする。

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今年はいらないと思った「招き猫」を描いて、必勝を祈念することに。

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子猫は、短い前足を上げて、「おいでおいで、」と、けんめいに勝ちを招くのだ。

いうてすまんが、ぼくは、マウスを操って絵を描く達人、いや変人である。
世にマウスで絵を描くあほな人は、少ない。プロはもちろん高度な道具を用いる。
老齢のぼくは、「ペイント」という初歩のお絵かきソフトのお世話になっている。これは、パソコンに初めて接するこどもたちか、キーボードにひるむ高齢者向けに、入門教材として使われるきわめて原始的なソフト。ウインドウズには、無料でついている。
習いべたのぼくは、60半ばの手習いで、雑誌の記事を見て、これなら自分にも描けそうだ、とはじめた。独習である。
思いついたらすぐ描けて、あと始末がいらないのが気に入っている。失敗しても、パソコンが保存してくれるのがありがたい。紙くず箱のおせわにならないですむ。

投稿者 nansai : 14:17

2008年8月28日

京阪新線開通を、何とか、このかいわいの町起しに

ことしも、ここ八軒家かいわいの恒例ベントが企画されるらしい。ご町内の実行委員会の企画メモがまわってきた。あわただしく京阪電車新線開通にあわせて、十月十九日から二十四日まで。

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手づくりのライブコンサート、「たそがれコンサート」を開く。場所は、北大江公園芝生広場。町内の音楽関係の皆さんに声をかけてもらって、これからミュージシャンを集める。

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去年は、トルコ楽器の演奏などインターナショナルなムードで盛り上がった。あいにくの雨模様で、湿気で太鼓の皮がぴんとはれず、目玉演目の和太鼓演奏は、やむなく中止となった。

京阪新線で、町おこしだ。と、八軒家浜かいわい一帯は、気合がはいっているらしい。早めにポスターを間に合わせるようにいわれた。
例によって、町内のだれが責任者かわからない。無責任うやむやは、ずぼらなぼくの望むところ。

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昨年のぼくの作ったポスターは、楽器の描写がいい加減だったからか、町内で悪評さくさくだったらしい。

「あれは、だめでした」
一年たって、マリアンの大将が、ボランティアのぼくを、ぼろくそにこきおろす。

なんの資料もないままに、十五夜お月さんにちなんで、はるばるウサギの楽師たちを呼んできたのだが、えらく評判がわるかったそうな。うさぎくんたち、ごめんな。
もともと幼稚園児のおえかきのようなポスターなので、楽器の精密正確なデッサンをのぞまれてもこまるのだが。

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なにせペイントとマウスで、思いつきをかたちにするスピードポスターだ。
変幻自在のお好み描きのようだが、それでも、でっちあげるのには、気合の充実が必要である。
気を取り直して、北大江公園の滑り台をモチーフにして、イメージスケッチができた。ぼちぼちと思いつきアイデアの破片をならべてみることに。

このふてくされている野良ネコは、ぼくではない。
一年前まで、北大江公園のベンチにうずくまっていた。
夜陰にまぎれてえさをやる奇特なご婦人も見かけたが、ねこはいつしか姿を消したままだ。

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ところで、余計なことだが、コンサートの愛称を「たそコン」とちぢめると、いいひびきだと思うのだが。

投稿者 nansai : 16:11

2008年8月26日

「筋」メダルは、もういらないのでは。

おもしろうて、やがてかなしき、五輪かな。

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お隣りの国の威信をかけた空前の大運動会は、終わった。
どちらさまも、おつかれさん。

オリンピックの観衆は、テレビの前で、感動のドラマを期待している。逆境に耐えて耐えて勝ち抜いて、涙の栄冠をつかむ美談だ。文部科学省提供の大河ドラマだ。

当家は、メス猫を含めて3人の女から「日本の男子はなんや、」と攻撃されている。それに比べて、女子は根性がすわっていると、多勢に無勢で旗色が悪い。
うーん。女子ソフトボールの日本チーム連投連勝はすごかった。正座して、応援した人もいたそうだ。

闘いが終わったあとの表彰式でも、日米両チームが、地面に「2016」と黄色いボールをならべて文字を描いた。ソフトボールの次の次のオリンピック競技種目復活をアピールしたのだ。
あれは、さわやかなアイデアだった。敗者アメリカチームのいさぎよい提案に、惜しみない拍手。

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年俸総額46億円の選手を擁し、ノーメダルに終わった野球が、重量挙げ競技とはしらなかった。
選手村に泊まらずホテル暮らしのセレブ選手たちには、日の丸が、あんなにも重かったのか?
ハングリーな敵の勝ちたい思いに負けたと、宮本主将はくやしげにいう。

記者会見でも、「すべて私の責任。」と言い切り、あたりを睥睨するカリスマ監督を、スポーツ記者たちは、心中を察してか、おそるおそるの質問も腫れ物にさわるようだった。
敗軍の将は、いろいろ事情もあったろうが、「申し訳ない。なにをいっても、いいわけになる。」の一点張りだ。

ぼくたちしろうとは、やれ配人ミス、やれ配球ミスと、うっぷんばらしに、言いたい放題。テレビワイドショーに寄せられた町の敗因アンケートも、結果論だから、いいとこをついているな。
国際競技に、シーズン中のプロ選手をだすのがまちがい。アマチュア選手にチャンスを与えよという意見もあり、説得性があるように思われる。でも、終わったことだ。

あれで、いいのだ?
負けるべくして負けた。そうかなあ。そうかもしれん。

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さて、舞台変わって、次はロンドンだ。
その次の2016には、東京五輪で、メダル量産へ。と、新聞は報じている。本気だろうか。
国家主導の強化策におくれをとったというが、日本が、オリンピックでメダルをとるために、国の税金を湯水?のように使って、選手の強化に努める。
それも限界があると思う。
文部科学省は、平成22年までにメダル獲得率3,5%を実現したいらしい。同省のホームページには、現在、土佐礼子選手の写真がのっている。いたましい。

柔道、マラソン、体操、レスリング、バレーボール、シンクロナイズドスイミング、野球など、往年の日本のお家芸は、世界の隅々から沸き起こる新勢力に太刀打ちできなくなっている。
日本のきわめつくされたトレーニング方法は、新興国の選手に有効なので、教えれば、あっという間に実力を身につけてくる。いい例が、シンクロ、マラソン、野球だ。
マラソンも高速になり、アフリカの国々が躍進してきた。灼熱のコンディションをものともせず、21歳のケニヤ青年がゆうゆう優勝した。かれは、日本の高校でマラソンの基礎指導を受けてきた。
日本男子選手三人のうち、一人は出場を断念し、一人は、かろうじて完走したが最下位だった。

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専門家の意見はどうなんだろう?
オリンピック競技で勝ち抜ける身体能力は、泣いても笑っても、遺伝子でまずきまるのではないか。練習や根性以前に。
記録にはまったくの素人がテレビをぽかんと見ながら、ぼんやり考えた。
ジャマイカの男女各選手は、簡単に世界記録を更新する。水泳競技も、アフリカ各国の黒人選手がプールで練習するようになれば、様相がかわるだろう。

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人種別に、身体のサイズ差、筋肉の量と質が、まず優先する。それに、体調管理と正しいトレーニングがともなえば、確率高く、世界各地から優れた選手が泉のごとく輩出するだろう。
昔に比べて体格がよくなったとはいえ、わがヤマト民族はどうみても不利である。

いいことかどうかはべつとして、世界水準の競技に勝つために、国境、国籍を超えて、レアメタルのように身体能力のすぐれた人材が移動している。スポーツ資源の自由化といえよう。
サッカーのナショナルチームでも、旧植民地出身、移民、帰化、いろんなかたちで身体能力にすぐれた有能な素材を、各国こぞって集めようとしている。
大リーグ、大相撲、サッカー、卓球などでは、人種、国籍、国境を越えた人材集めは、いまや常識となった。

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身長の差、すらりと伸びた足の長さなど、人種間の先天的サイズや能力差も、容姿が採点に響く種目では、いかんともしがたい。

残念だが、それを無視して、国民の体力が競技に向いていない国家が、しゃにむに、メダルの数を競うのは、むなしいことだ。豊富な資金にものいわせても、根性と鍛錬だけで、メダル獲得競争に挑戦するには限界があるのでは。

北京オリンピックをみると、素人目にも、スポーツの世界でも、時代は変わったように見える。
日本人のような小さな選手は、努力だけで、これまでのように、時には、勝てるのだろうか。
筋力の競争では、メダルにこだわらず、負けても仕方がないと割り切って無理をさせない。

「身の丈」サイズで戦わざるを得ない。さほど筋力に頼らなくてもよいスキマ種目は、フェンシングやカーリングのほかにも、まだあるのではないか。ないかもしれない。
「身の丈」の筋力で勝てる種目で勝負しようではないか。
筋力では劣っても、長寿耐久生存競争ならば、日本が男女ともに金メダルだ。カンケイないな。

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日の丸が重いのなら、クーベルタン男爵のオリンピック宣言の原則にもどればいい。参加することに意義があるのだという。

投稿者 nansai : 17:15

2008年8月22日

大川の川面をオニヤンマの大群が飛んでいた頃

当たり前の風景がなつかしく思える。自分は、体験していないのに。
天満橋の下を流れる大川(昔は、こちらを淀川といった)を、オニヤンマの大群が飛翔していた。といっても、70年前、戦前のはなしだ。
ご近所のよしみで、昭和の初期から、代々、石町(こくまち)にお住まいの萩原理一さんに、当時の八軒家かいわいのお話をうかがった。
萩原さんは、昭和4年のお生まれである。

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昭和の始めごろ、八軒家浜は、京阪電車の開通でお役ごめんとなった船着場は取り払われて、電信柱の置き場になっていた。
ちょうど今頃の季節、夕方になるとオニヤンマが編隊をくんで飛び回っていたそうだ。オニヤンマは、身長10センチもの巨大とんぼだ。今ではめったにお目にかかれない。
萩原少年たち悪がきは、50センチくらいの糸の両端に小石など錘をつけて大空たかく投げ上げる。群れをなして飛ぶオニヤンマを待ち構えて、からめとるのが、あそびだった。「とんぼつり」といったらしい。
小石をムシとかんちがいしてヤンマが飛びつき、糸にからまり落ちてくる仕組みだ。各地でいろいろな「とんぼつり」法があったようだ。

戦争が近づいていた。
とんぼ飛ぶ大川も、かつての京都との船での往来はなく、当時日本最大の兵器製造工廠、片町の大阪造兵廠へ物資や武器を運び入れ運び出す運搬船が行き来していたという。

まもなく、ここら一円は昭和二十年六月の大阪大空襲で、見渡すかぎり、焼け野が原となった。
京町通りから北大江公園に通じるこの石段は、焼け残った。いまも昔の姿をとどめている。

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戦後、石段を登ったところの焼け跡を利用して、北大江公園が、石町通りをさえぎるかたちで、つくられた。防災目的だったのだろうか。

戦前のせまい島町通りは、トラックの少ない時代で、荷馬車の往来がはげしく、馬の糞があちこちに散乱していたそうだ。

戦前ここらあたりは、軍関係、株屋さんなどの大邸宅が多かった。
石段の横のしゃれたピロティ形式の洋館が、萩原さんの生家だったが、大阪大空襲で焼夷弾のケースの直撃をくらった。焼夷弾は、今でいうクラスター爆弾でケースのなかに子弾として48発のM69焼夷弾を内臓し、これが上空700mで飛び散る構造だった。

萩原さんによれば、生家のすぐ裏に、大きなロシア正教の教会が建っていたが、そこも空襲で焼けたとのこと。

へえ、あんな場所に教会があったとは、初耳だ。
さっそく、ネットで調べてみたら、1910年、明治43年7月に、木造ビザンチン式の聖堂が建立されたとある。
日露戦争のロシア人戦没者を弔うために寄付により建てられ、「大阪生神女庇護聖堂」と名づけられたという。昭和二十年灰燼に帰したが再建はならなかった。

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萩原さんの話では、京都の押小路通にも、そっくり同じ形式の教会が残されていて、疎開取り壊しを免れ、有形文化財に指定されているらしい。この絵はネットの写真を見て描いたもの。

このようなエキゾチックな教会が、マンションやビルの立ち並ぶ北大江公園のそばに建っていたのを、町内でも知る人は少ないのではないか。


投稿者 nansai : 11:23

2008年8月15日

ああ、やっぱり。これでは、310万人の戦没者は浮かばれない。

オリンピック関連の記事があふれかえるなか、終戦直前の東条元首相の直筆メモが新聞にひっそりと公開された。国立公文書館に保存されていたそうだ。

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元首相は、A級戦犯として処刑され、靖国神社に祀られている。
さまざまな政治的配慮から、国内法で、戦争責任を問われることはなかった。
東条メモは、大日本帝国の悲運を物語っている。文語体で書かれているので、今の日本語に直して読んでみた。
「新型爆弾におびえ、ソ連の参戦に腰をぬかし、かんたんに手を上げてしまった国政指導者と国民にあきれた。
こんな人たちを頼りにして、開戦し戦争指導にあたったのは、責任者として、天皇と国民に対して申し訳ない。」

昭和20年8月、元首相は、重臣懇談会のあと、ポツダム宣言受諾をきかされて、メモに太平洋戦争開戦責任者の本音を縷縷つづっている。かれは、国体を護持するためにならぬと、日本軍の完全武装解除を懸念していたのだ。

あの時代に、日本国民(当時少年だったぼくも)は、いったい、どのような考え方の指導者たちをいただいていたか、よくわかる。かれらは、冷静に判断すべき情報を持たず、耳にさからう情報を得ようとしていなかったのだ。

「戦いは、常に最後の一瞬において決定するのが常則である。
帝国としてもてる力を十二分に発揮せず、敵の宣伝戦略に屈しようとしている。」
この期におよんで、まだまだやれるとのべている。
すでにサイパン、沖縄を奪われ、連日激しい空襲に遭い、国中焦土と化しているのにだ。戦力尽き、犠牲者はすでに310万人を数え、原爆を二発投下され、ソ連の参戦を許しながらもだ。

「無条件降伏とはいえ、皇位確保、国体護持は当然の条件で、これを敵側が否定するなら、一億一人となっても敢然戦うのは当然だ。
国体護持は、軍備維持なくしては、空文だ。全面武装解除などとんでもない。やすきにつきたがる国民は、軍部をのろうのではないか。」
とも。

時代とはいえ、人の命をどう考えていたのか。かれの制定した日本軍のマニュアル「戦陣訓」は、生きて虜囚の辱めを受けてはいけないと、兵士が敵の捕虜になることを禁じた。ジュネーブ協定の無視である。
「皇位確保」という大義のため、徹底抗戦を政府が国民に強いれば、どうなるか。第二のサイパン、沖縄のような市民をまきこんだ壮絶なゲリラ戦になり、民衆に甚大な犠牲が生じることに、戦争指導者としてまったく思いをいたしていない。

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こんど公開された元首相の手記について、新聞各紙も、いまさらながら、かれの指導者としての狭い視野と甘い認識を指摘している。
かみそりといわれた超エリート官僚だった東条大将。昭和天皇の信任はあつく、かれの失脚後も勅語をもって労をねぎらっている。
しかし、その股肱の臣は、精神力のみを頼み、きびしいデータと現実に眼をそむけた。

首相を拝命した東条大将は、頼りにしていた同盟国ドイツの敗色濃厚という情報をも無視し視野狭窄のまま、かれなりの消去法で、選択肢をせばめていった。昭和16年ついに大軍を動員し、転げ落ちるように、あの戦争へ向かって破滅の舵をきった。
この絵は、NHKが放送している「証言 兵士たちの戦争」の集合写真のイメージだ。ほとんどが生還していない。

昭和16年、かれは戦争回避の最後条件としてアメリカから突きつけられた華北と仏印からの軍隊撤退を、陸軍の立場から断固拒否した。満州は黙認されたのにである。これにより外交交渉の余地なく、成算なき太平洋戦争への突入の直接の引き金は、ここにあった。

日本は、なぜ大陸に出兵したか。昭和6年からの大陸進出は、貧困にあえぐ日本の農業政策のゆがんだ方針でもあった。大陸での利権を保護すると称して、日本軍は泥沼の戦いへ進軍を余儀なくされた。

ぼくが生まれた年から15年、激変する世界の潮流を見誤った日本政府は、数々の選択肢のほとんどを、誤って行動した。東条大将ひとりの責任ではないにしても。
過ちの代償は、たかくついた。きょう日本武道館で弔われる310万人の戦没者は、この間の大いなる失政の犠牲なのである。


日本人は忘れっぽい。あの戦争はなんだったのかをめぐって、喧々囂々議論が沸騰し、数多くの昭和史が出版されている。
しかし、つぎつぎに極秘資料が公開され、注意深く読み解けば、隠されていた真実があきらかになりつつある。
先見の明にめぐまれたクールで現実的な指導者が選べなかった国家は、あのような悲惨な運命にあまんじねばならない。それは平成の今も、変わらないのだが。

投稿者 nansai : 13:09

2008年8月 5日

昭和二十年の日本になにが起きたか?

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八月になると、昭和二十年、敗戦の年(終戦ではない)を思い出す。暑い夏だった。
旧制中学二年生のぼくは、本土決戦に備えて関門海峡の海岸で、陣地といえばきこえはいいが、横穴壕を掘っていた。壕内にともされていたアセチレン灯のくさいにおいを思いだす。

ドキュメンタリー「ヒロシマナガサキ」(スティーブン・岡崎監督)の取材陣が、東京の街頭で、若者たちに、昭和二十年の日本になにが起きたかと聞いてまわった。さあと、顔を見合わせるだけで誰も答えられなかった。地震?と聞いた子もいた。戦争が起きていたことも、核爆弾が投下されたことも、教えられていなかったのだ。

63年前、満身創痍の大日本帝国は、二発の原子爆弾の投下でとどめをさされた。
この年は、日本の歴史始まって以来、日本人の生命が最も多く失われた年だ。兵士だけでなく、市民も巻き込んで、その数、おそらく死者200万人以上。たった一年たらずのあいだにである。(ちなみに、イラク戦線の米軍の七月の戦死者は7名。)

この年、200万人の生命が、日本の戦争指導者が、無条件降伏に逡巡したために失われた。
あの悲惨な戦争の実相を、中国、ビルマ、フィリピン、ニューギニア、太平洋の島々で、からくも生き残った兵士たちに取材した貴重なテレビ番組がある。NHKのドキュメンタリー証言記録「兵士たちの戦争」だ。ことしも、8月にまとめて放送される。

かろうじて死を免れ、生き残った兵士たちは、みな90歳近くで、各地方の精鋭師団に所属していた。
若いひ孫のようなNHK地方局女性記者の取材に応じ、戦闘の悲惨な地獄絵を語る際には、日本人独特の不可解な微笑みをうかべながらのオーラルヒストリーだ。

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戦争をめぐるあらゆる議論は、このような貴重な証言を、聞いてからはじめるべきだろう。同時代に生き、学徒動員されたぼくだが、戦争の実相にについては、まったく、無知であることを思い知らされた。
敗け戦のいくさばなしは、あまりに悲惨で語られることはない。生き残った元兵士たちも、沈黙したまま墓場へもってゆくつもりが、ひ孫のような記者の取材を受け、ようやく重い口を開いた。稀有な資料となった。

おびただしい数の昭和史が、書店に並んでいるが、このフィルムに記録された兵士たち(市民の声は入っていない)の証言はあまりに重い。後世に語り継がれるだろう。この検定の必要のない第一級の史実こそ、まず歴代の首相も文部科学相も、向き合うべき生きた教科書なのだ。


投稿者 nansai : 14:47

2008年7月25日

七月 わが輩はライオンである。

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また、天神祭りだ。今夜は、宵宮か。むちゃくちゃ暑いな。
わが輩は、ライオンである。もう60年間も、難波橋のこの橋柱に座っている。体重は花崗岩で18トン。全部で4頭。で、この橋は通称「ライオン橋」とよばれてきた。ふるくは浪速橋とも。
歴史は古い。木製の橋が一本、豊臣時代からかけられていた。

祭りの喧騒をよそに、目を閉じてタイムマシーンにのってみよう。
ここは、土佐堀川と堂島川にわかれるところで、昔は眺めもよく涼しかった。信じがたいことだが、夕涼みの名所だったのだ。橋のたもとには、茶店が出て、氷水、ぜんざい、夏でも甘酒を売っていた。

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橋のかいわいは、諸藩の蔵屋敷が軒を連ね、それを取り巻く問屋街が繁栄をきわめていた。川幅はいまよりひろく、船が通れるように太鼓橋のように、桁下を高く、かなり反ったつくりになっていたという。

大阪の夏は、うだるように暑い。平成のいまは、あまりの暑さに、夕涼みが楽しめなくなった。何でや?大阪府環境白書にくわしい。

むかし、人々は、大川端に集まり、この橋の周辺は絶好の夕涼みの場だった。遊山船があつまり、橋の上は夕涼みや花火見物の人々でいっぱいだったさまが、当時の図会でわかる。
むかしもいまも格差社会だ。
落語の「遊山船」や「船弁慶」では、橋の上下の掛け合いが面白く語られている。

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川にはたくさんの船がうかんでいる。
「えらいこっちゃ、大水が出て、家が仰山流れてきた。」
「違うがな、あれは大屋形やがな」と、長屋の連中のやりとり。
金持ちは、屋形船を浮かべて、芸者をあげ、一ぱいやりながら、涼をたのしみ、貧乏人は、橋の上からうらやましげに指をくわえて見下ろすだけだ。屋形船の障子の開け閉めから、中の様子、ごちそうや、乗っている芸妓が気になるのだ。

江戸時代は、空気が澄んでいたとみえ、橋の上から、兵庫県三田市の有馬富士がみえたそうな。この橋は、東西の眺望がよく、橋の上から16の橋が見え評判だったと記録にある。

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投稿者 nansai : 13:57

2008年7月24日

この暑さ、何とかならんのか?

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猛暑に立ち向かうのに、日本古来の打ち水の習慣が見直されてきたようだ。
ヒートアイランドよ、さらば!地球の温度が二度さがるとかで、地球温暖化に対抗しようという市民運動?が全国的に呼びかけられ展開されてきた。

ならばと、大阪では、市も乗り出してきた。打ち水から一歩進んで、近くの八軒家浜船着場で、市の水道局のミスト(霧)散布作戦が始った。

え、これはなんじゃろ。
船の着く川べりに、物干し竿みたいなわくがたてられ、パイプの穴から、けむりのようなものが噴出しているではないか。看板の説明では、圧力を加えた水道水をパイプのアナから散布して、人工的に霧を発生させるのだそうな。

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へえ、効果があるのかいな。
ものずきなぼくは、朝、誰もいない大川の岸で、しばらく、様子をみていた。
こりゃあかんわ。
日がかんかん照って、川風が吹く水辺では、人工霧は、文字通りあっという間に雲散霧消してしまうから、気温がさがるわけがない。
気温30度以上、湿度70%未満の条件で、霧を発生させる設計らしい。水をさすわけではないが、残念ながら、アイデア倒れか。
大川端のような開けた場所では、ぼくは、ちょっと無理とみたが、市長さんも、水道局長さんも、現場で確かめてほしい。



投稿者 nansai : 15:24

2008年7月15日

かぼちゃ爆弾、大阪に投下。

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63年前の夏、大阪に落とされた「かぼちゃ爆弾」とは、原爆模擬爆弾のことだ。
昭和二十年七月二十六日、米軍は、大阪を空襲し原爆投下予行演習のため、ずっしりと重い一万ポンドの模擬爆弾を一発、B29から投下した。どこに落とされたかは定かでない。大阪は、すでに大半が焼け野が原だったのに。

八月に迫った世界初の原爆投下を成功させるため、米軍はB29乗員の訓練に余念がなかった。摸擬爆弾の丸い形も色も、かぼちゃに似ていて「パンプキン爆弾」と呼ばれた。
制空権をにぎり成層圏を悠々と飛ぶB29爆撃機に、広島に投下される原爆と同じ重量(セメントを入れた)の爆弾を積み、米軍は日本の各都市への空襲の際にくりかえし落として本番に備えていた。

原爆開発の当初の目標だったナチスドイツが降伏した後、さて、瀕死の日本のどこに原爆を落とすか。
いきさつをネットで調べてみた。

一九四五年五月十二日、ロスアラモスのオッペンハイマー博士のオフイスに、なんと8人もの博士号を持った関係者たちが集まって、会合をもち、非人道的な血の凍るような原爆の効果的投下を議論していた。
極秘の議事録参照。

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投下目標候補の筆頭にあげられていたのが、意外にも京都だった。
人口百万。直径3マイル以上の大都市で、加えて日本文化の中心であり、住民たちはこの爆弾の重大性を認識するだろう。というのが、理由だった。
京都危うし。
原爆の効果を試したい委員会のメンバーには、古都の歴史とか文化財は、何の意味も持たなかったのだ。

京都以外に、広島、横浜、小倉、新潟の4っの都市があげられていた。皇居への投下も、議題に上った。

この目標選定会議で決められたことは、次のとおり。
投下にあたり日本への最大の心理的効果を重視する、原爆の最初の投下の重大性を国際的に報道し知らしめる。
そのため、爆撃は、日中、晴れた日に実施する。通常爆撃でまだ破壊されていない都市を狙う。そして、爆弾の爆風効果が最大化できる地形を選ぶ。

原爆投下目標地を決める極秘議事録によれば、この博士号を持った専門家グループは、こんな結論を出した。
京都は、住民の知的水準が高いから、原爆の重大性を理解するだろう、広島は地形的に戦果をあげやすい、皇居のある東京は、ほかのどの目標よりは話題性があるが、戦略的にはみるべきものがない。

この委員会では、一般市民への人道への配慮はまったくなく、冷酷無残不遜きわまりない。
その後、政治的配慮など紆余曲折あって、京都はリストからはずされた。しかし、執拗に京都への投下をせまったのは、開発責任者のグローブ将軍だった。
かれは二ヶ月も粘りに粘って主張したが、退けられた。その代わりに長崎がリストアップされた。
東京を除外すべきでないという意見も、広島への投下以降も、あったらしい。

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13歳のぼくは、当時、投下目標都市小倉に近い下関にいた。中学二年生で、空腹と下痢、ノミとシラミに悩まされながら、本土防衛のため海岸陣地構築に駆り出されていたのだ。といっても、マツ材を立てならべただけの、爆弾一発で吹っ飛ぶ、横穴の機関銃座だったが。
小倉からは、下関は海峡をこえてすぐ眼と鼻の距離だ。
高高度を銀色のB29が飛び、レーダー撹乱のための
キラキラしたアルミ箔を撒き散らす。ぼくらは、口を開けてぽかんと見つめていた。
米軍から見れば、小倉は、兵器工廠があったのと、関門海底トンネルへの核攻撃に興味があったらしい。一切の情報から隔絶されていたぼくらは、知らぬが仏。

昭和二十年、米軍は十一月から南九州上陸作戦を開始する手はずを整えていた。上陸支援のため、xデーまでに7発の原爆が準備される予定だった。中学生のぼくらの掘っていた海辺の木造陣地の運命やいかにだ。

「あの戦争を伝えたい」布川庸子著(かもがわ出版)という、切り絵の美しい薄い文集を書店で求めた。そのなかに2ページだが、「京都への原爆投下計画」が紹介されていた。
詳しい史実が知りたくて、グーグルで検索してみると、60年前の極秘資料などが、でてくるわ、でてくるわ。

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昭和二十年、ドイツ敗戦後の日本は、世界を敵に回し孤立無援だった。
絶望的な状況下にもかかわらず、ポツダム宣言を「黙殺」し、一億玉砕、国体護持などととなえ本土決戦を呼号した。一方で、ソ連に停戦の仲介の望みを託したが、連合軍には暗号解読され交渉はつつ抜けだった。
ぎりぎり土壇場まで無条件降伏を躊躇した日本は、なんとも非常識な国際政治オンチぶりをみすかされるなかで、悲惨きわまる原爆人体実験の口実をアメリカに与えてしまったのである。

政府は、本土決戦に備えるよう「一億玉砕」と大号令した。「人命優先」、「国民の幸福」など、字引にはなかったのだ。
昭和十九年から二十年のあいだの一年に、日本はおそらく200万人以上を失ったのではないか。
最優先課題は、国体の護持だった。
徹底抗戦し、あのまま戦争を継続したら、日本はどうなっていたか。連合軍からみれば、無差別に原爆を使用する正当な条件がととのってきていた。
世界が見えず降伏を先延ばしした国家指導者たちの責任は大きい。

さて、21世紀、党利党略のみで権力を握り、歴史に学ぶ能力のない指導者たちは、同じ轍を踏んでいるように思える。歴史は、繰り返されるのか。

投稿者 nansai : 11:44

2008年7月 4日

ご近所のよしみで、Tシャツの絵をたのまれたが、さて。

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同じ町内にあるボタン問屋ビルの一階が、こじんまりした画廊だ。ふだんは、ファッション系の小物などが展示されている。
この夏も恒例の「Tシャツ展」が催される。場違いな「マウスで描く絵」のシャツも若い人の作品?にまぜて、出品したいとのことだ。

で、マイドキュメントにかねて死蔵のアイデアをひっくりかえして、思いつきのオリジナル薬味を少々ふりかけてみた。珍味ゲテモノバージョンとしては、異色作じゃろう。

たとえば、この見返り美人ねこは、シャツの背中にプリントしたらどうだろう。

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夏が来れば、恐竜たちも、立ち上がって腰を振り踊るのだ。

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家にモデルの駄ネコ(源氏名をブータンという)がいるせいか、どうしても、ついネコの絵を描いてしまう。ネコの伸びをするすがたはかっこいいが、ぼくのデッサン力ではとても及ばない。
以下は、ネコだらけ。

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これは、意欲の新作だ。白ねこが虹ねこに。ぬりえボディペインティングするねこ。
あ、そうそう、悪乗りで、黄色と黒のタイガース模様もおもしろいかな。トラキチねこも描いてみるとするか。

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続いて、トラキチ専用は、優勝決定ニコニコバージョン。

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つぎは、まだあっためているマル秘のアイデアを、こっそりと。
いま京阪電車が売り出し中の「八軒家船着場」は、新線開通まで、まだ人気が閑散としている。
八軒家船着場の「ゆるキャラ」候補として、ぼくなりに、二頭身の河童をかんがえている。

ここだけのハナシだが、大川には、いつのころからか、数十匹の河童、「がたろ」とも名乗るが、生息している。かれらは、人目をしのんで、音を立てず深夜だけ泳ぐ。

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大川の河童たちは、年に一度、遊泳大会を開く。デンマークからお興しいれしてきたアンデルセンの人魚姫像が、天保山のサントリーミュージアムの水辺に放置されている。河童たちは、大川を下って、人形姫にキッスする。一番は、どの河童か。

かれらは、河童のくせに水中眼鏡をかけている。
おしなべて、泳ぎが下手で遅いので、淀屋橋河畔のミズノさんに特注して、いま大評判の英国製に劣らぬ水着を着せてやりたい。
もちろん、競泳の際は、水の抵抗をさけるために、甲羅を取り外せるようにせねばならない。などなど、極秘のうちに思案中だ。

投稿者 nansai : 15:30

2008年6月23日

野球も組織も、コミュニケーションしだいか

春先の評論家たちの予想に反して、阪神が、やたら、しぶとく強い。
「いつの間に強くなったのだ?」
と、楽天の野村監督がおどろくほど、苦手の交流戦でもがんばった。いつの間にか貯金もたまって20となった。

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身をもって範をたれて、チームの若い選手をひっぱっているのは、40歳前後。球界では、後期高齢者に当たる選手の面々だ。それも、お説教ではなく、目の前の修羅場での実績で示すのだから、ぐうの音もでない。練習やトレーニングに取り組む高齢選手のうしろ姿がそのまま、若手にとって生きたお手本なのだ。

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大リーグ中継が、NHKのBSを独占しているが、だれがみているのだろう。
イチローとジョージマと、日本を代表した超一流選手を引き抜いたシアトル「マリナーズ」が不振にあえいでいる。
地元紙の電子版によれば、ゼネラルマネジャも監督もクビになった。どうしても、勝てないらしい。

ロッカールームの空気が、不穏につつまれている。
キューバ、ベネズエラなど中南米、カナダ、日本、韓国、台湾など、10カ国からの選手同士が、めいめい、ばらばらで、コミュニケーションがとれない。クラブハウスでも、アメリカ人同士がグループにわかれたり、日本人のイチローやジョージマなどは、ストレッチしたり雑誌に眼を通したり、それぞれが個人の殻に閉じこもる。

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なによりも、ことばと文化の壁が大きいという。
思いちがいもそねみもあるらしい。選手に声をかけて心服させられるリーダーがいない。チームとしての、現在の阪神とは、そこが違う。イチローと、兄貴金本のチーム内の人望の差があるのだ。

ジョージマ捕手への風あたりは強いようだ。投手たちとの間の溝が深い。ゲームプラン、野球観が違うらしい、
他を寄せ付けない孤高のスター選手イチローが出塁しようがしまいが、そのうちに、チームはどんどん負けがこむ。
あっという間に最下位だ。首脳陣のいれかえとなった。

やはり異文化コミュニケーションは、たやすくない。
ツギャザネス、つまり一体感、というか方向性、志がまとめられない。チーム一体となって勝てないという問題の根っこに、マリナーズ球団経営の一足先に進んだグローバル化があった。

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監督は、世界のすみずみから集まった個性の強い選手たちのばらばらの組織をまとめる。かれの人間的掌握力は、偉大だ。国籍にはカンケイなく。

外人選手をとるのがへたと、グローバル化には後手を踏んでいる阪神には、こんな心配はない。喜んでいいのか。
日本の企業内でも、コミュニケーションが途絶する時代だし、正社員と派遣社員の立場ごとに心理的な壁が築かれて、敵味方に別れ、バーチャルなゲットーのなかにみずからを封じ込め、立て籠もるのだ。匿名のうめき声が2チャンネルへの書き込みなのか。


投稿者 nansai : 17:29

2008年6月12日

もっと米を食べてほしい、と国民にいいたいのか、政府のこの広告は?ならば、もっとまじめにやれといいたい。

えらい時代がきた。
日本は、カネがあるからといって、食料を、よその国から買うことができなくなるという。
まず自国が大事だから、売ってくれなくなるのだ。
小麦も、トウモロコシも。肥料も。旱魃も洪水も原因らしい。米国の農家は、ビジネスマンだから、トウモロコシはエタノール工場に買ってもらうほうがとく(国から補助金が出るから)と計算している。

そこで、もっとご飯を食べよう、と政府も国民に訴えている。
だが、日経にのったこの広告は 、ぼくらの税金でつくられたとすれば、無駄づかいとしかいいようがない。
まず、意図がわからん。
英語とおぼしきローマ字でだれになにを訴えようとしているのか。
ごろあわせよりも、ちゃんとまじめに懸命に、いま米食の大切なことを述べるべきだろう。
これからの日本は、どの家も、朝ごはんを見なおさなければ、農業が維持できなくなる。政府はこういいたいのだろう。
「朝は、ごはんにしよう」というなら、日本人に素直に共感できるような訴えかたはいくらでもあろう。
黄色い鉢の盛られている丸い粒粒は、お米には見えない。あまり、きもちがよくない。

日経にのったこの広告掲載料は、驚くほどの金額だろう。
だれに向かって、なにをわかってほしいのか、いったい、どうしてほしいのか。いいたいことが、これではわからん。ぼくらの払った税金で、効果のあがらぬ無駄を発生してほしくない。
ハブ ア ライス デー?
そのカネで、もっと有用なことが、ほかになにができるのかを、農林水産省はかんがえねばならない。

1945年、敗戦でアメリカの農業マーケティング政策で、パン食の伝統のない日本の学校給食は、米食でなくパンにされた。日本は、飢餓線上をさまよっていたが、当時のオレゴン州などの小麦農家は、戦争が終わり、余剰穀物の捌きに苦慮していた。そこでアメリカは国を挙げて輸出戦略を、日本の占領政策とすりあわせたのだ。マーケティング史上最高の成功事例だった。
日本の米食の衰退はそこから始った。

投稿者 nansai : 13:23

2008年6月 9日

ゴルフボールはオレンジ色がよろしいようで。

ぼくの数すくない楽しみの一つが、気の置けないクラブメンバー諸氏との、たまのゴルフである。コースまでは、電車を乗り継いで目と鼻の距離だから、メンバーがたりないとき声がかかると、「すわ鎌倉」とはせ参じることにしている 。

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スコアはさておいて、ぼくは原色のオレンジ色のボールを使用する。
とにかく目立つ。前後左右、あらぬ方向に飛んでいっても、あわてずさわがず、遠くからでも見つけやすい。

毒々しいカラーボールの趣味がよくないのは承知だが、あわてもののぼくは誤球がしんぱいなのである。
ほかの人のボールを間違えて打つと、申し訳ない。バツがわるいだけでなく二打の罰が科せられ、自業自得とはいえ、ぎゃふんとなる。

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「オーマイゴッド!」
じゃぽん。
池越えのホールで、ぼくのボールは、きまって入水する。
がっかりしながら池の端からのぞきこむと、水中にはほかにも無念のボールたちが死屍累々、あわれ「水漬くかばね」だ。
そのなかで、ぼくのオレンジ色のマイボールは、「ここだ、ここだ」とアピールするのだ。よおし、待ってろよ、とお玉がむすびつけてある竹ざおで、救い上げることができる。
そういえば、海難救助のボートも合羽も、目立つオレンジ色だ。

日がな一日、右に左にジグザグにぶれて転がるオレンジボールを追いかける。好天とよきパートナーに恵まれつつも、もみじマークのゴルフは忙しいのだ。

投稿者 nansai : 14:45

2008年6月 2日

道路族、どげんかせんならん。 

半世紀も前に、田中角栄が「コンピュータつきブルドーザー」で日本列島を蹂躙した結果、取り返しのつかない列島バブルを招来した。その手法DNAは、自民党「道路族」にしっかり受け継がれている。
「道路財源、多難な一般化」閣議決定骨抜きに「道路族の影」などと新聞に書かれると、ああまたか、何とか排除できないのかと、いやな気がしてくる。

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マウスでこちょこちょ描いたが、この絵には、力がはいった。

そもそも首相が道路族に擁立されたのだから、なんといわれても、自民党は、「道路党」以外のなにものでもない。改革は口先だけ。積み重なる国の借金はどうでもいいのだ。道路族は、まず、「地方を切り捨てるのか」とすごみ、地方票を人質に、不毛な公共事業費を地方へばら撒き、目先の一票を回収する。
道路用の土地の手当てにも膨大な買い上げ予算がうごく。農地山林を買い叩くのではなく、気前よく税金で、買い上げるのだ。トーちゃん、日の丸だ。

ちょっと古いが、朝日新聞「経済気象台」の「四知」のコラムが歯切れよく、痛烈である。
「ちょうど雪山の頂上から転がり落ちた小石が急斜面の積雪を結集して、ふもとの村落を崩壊させるように、田中角栄が半世紀前に始めた道路建設のための特別目的税が、利権を求める政官業を寄せ集め、共同体の崩壊、地方の荒廃、格差の拡大、果てはこの国の衰亡を招いた。」
道路建設の特別目的税が、わが国の衰亡を招いたとまでいいきっている。そのとおりだ。
「この雪崩の慣性の強さは、三十年以上に及ぶガソリンの暫定税率をさらに延長しようとする大合唱にあらわれている。地方の首長のほとんどが継続を求めていることでも、利権の根深さに驚かされる。」
人気者の東国丸知事までもがである。

政治とは、しょせん、選挙の際の票を集めるために掲げた「大義名分」の裏側に潜む利権の分け合いなのだろう。道路、防衛、厚生、文教、と、なんとか「族」の前に「利権」といれてみると、なっとくできる。

声高に叫ぶ大義も正義も、その裏側のもっともな事情があって、つまるところ、利権の分け方の落とし場所をさぐることになる。

もっともらしい「大義」の裏になにがあるか。
イラク戦争も、中東に民主主義を、というブッシュのお題目を信じる人はいない。アメリカのねらいは、のどから手の出る石油だ。イラクは、世界三位の石油産出国なのだ。
「大義」なるものは、らっきょの皮をむくように、具体的に説明にかかると、見えてくるものがある。
悪名高い「後期高齢者医療」も、核心は、国として、さらにふえ続ける巨額な「終末医療費」をなんとか抑えたい、につきる。冷厳な事実を国民につきつけねばならない。
だが、ここは、医者として、見逃せない収益源でもあるという。いきおい奥歯にもののはさまったいいかたになる。
近年、専門医のあいだでも「濃厚治療」の弊害が指摘されている。国には、話をそらざず、説明する責任がある。

投稿者 nansai : 17:15

2008年5月28日

「源氏物語」は、発禁の書だった。

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いまや国民文学となった源氏物語も「不敬の書」と非難を浴びた時代があったという。
なんというおぞましい国だったのか、日本は。
とても信じられない。
日経連載の「源氏物語一千年の波紋」は衝撃だった。驚き、かつ、昭和暗黒のあのころを思えば(覚えてはいないが)、さもありなんと思った。

昭和八年、坂東蓑助上演予定「源氏物語」が、突如、警視庁により上演中止命令が出された。理由は、登場人物が皇族であることだった。満州事変の二年後のことだ。あと八年で、あの太平洋戦争に突入する時代のいやな空気だ。
「天皇幻想を中心に国家統制を強めたい連中から、秩序を脅かす危険な物語」(日経)とレッテルをはられた。
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臣下である光源氏が父帝の后と密通したうえ、その不義の子、冷泉帝が即位するという筋書きが、不敬文学というのだ。
昭和十四年には、谷崎潤一郎により「源氏物語」の現代語訳が嵐の中に出版されたが、これまた検閲のはさみに切り刻まれた。国粋主義者山田孝雄の手によるという。ぼくは国文学の大家だと思っていた。

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源氏物語のころのハンサム像は、現代とは違う。
絵巻でみると、メタボ系の小太りでぽっちゃりした男性が、宮廷の女性のおめがねにかなったらしい。どうみても糖尿病予備軍だ。

専門医によれば、わが国の糖尿病第一号は、藤原道長だそうな。もてにもて、位人臣を極めたかれが、光源氏のモデルといわれている。
光源氏が、平成六年、国際糖尿病会議が神戸で開かれたときの記念切手に登場しているのはそんなわけだ。
源氏物語千年紀とは関係ない。
道長の現存する日記で調べると、運動不足と貴族社会の権力闘争に勝ち抜くための宴会づけがたたったのか。
国民病と国民文学。おあとがよろしいようで。

投稿者 nansai : 15:22

2008年5月21日

「食い倒れ人形」の婿いり先は、きまったのかな?

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道頓堀の食堂ビル「くいだおれ」が突如閉店を宣言した。
皮肉にも、食堂の味を惜しむ声はあまりきかれなかったが、店頭で名物の食い倒れ人形「太郎」は、大阪を代表する宣伝価値が認められ、引き取り手が殺到しているらしい。
識者も入れた委員会で、婿入り先を検討しているとか。
なかでも、このところ人気上昇の通天閣が熱心だそうな。

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大きなお世話だろうが、ぼくのアイデアは、こうだ。

人形はどこへ行ってもよいが、太郎のあのコスチュームを着て練り歩くパレードを、生まれ故郷の道頓堀に残しては?というものだ。ディズニーランドは、キャラクターたちのパレードで繁昌している。
食い倒れ伝統のピエロの衣装をそろえて、チンドン屋パレードが道頓堀を練り歩く。
三人編成か、大行列か。毎日か、毎週か、年に何回か。趣向はさまざまだ。悪乗りすれば、アイデアはぞろぞろ無限だろう。もちろん、チンドン屋は本職のぶかぶかどんどん楽隊演奏も捨てがたい。
戦前にたしか「道頓堀行進曲」というのもあったなあ。

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頼まれもしないのに、ぼくのおすすめは、こんなんどうかなあ、だ。
太郎と同じ衣装を用意しておいて、素人参加のチンドン屋大行列がおもしろい。京都の葵祭りにくらべれば、いささか品格にかけるが、まあいいんじゃないの。
何十名何百名の「食い倒れ太郎」のクローンたちが、えんえん、ぞろぞろ行進するのは、テレビの絶好の被写体になりそうだ。
シロウト参加には、条件をつける。おそろいの貸衣装代として、パレード参加料を申し受けるのだ。
アジアはおろか世界の観光客をひきつける道頓堀の目玉イベントになるかも。
なんせカネがかからないのが一番やおまへんか。

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「昭和30年の大阪」(三冬社刊)という写真集が出た。表紙には、街頭を練り歩く「食い倒れ」チンドン屋の白黒写真がのっていた。へえ、こんぐらがってきた。ミナミに弱いぼくには記憶がない。電気仕掛けの人形とチンドン屋と、どっちがさきだったのだろう。

太郎は、ついに郵便切手になるらしい。
虎は死して皮を残す。「くいだおれ」食堂は六十年の歴史を閉じて、名物人形「太郎」を残したのだ。

投稿者 nansai : 17:08

2008年5月20日

風薫る五月は、同窓会の季節だろうか。

ことしも旧制中学の在阪同窓会に出た。律儀な幹事の誠意にほだされたのだ。
古希をとっくに過ぎた旧友たちは、昭和一ケタ生まれ、押しも押されぬ「後期高齢者」だ。
昭和戦争末期の入学だから、長年見慣れた顔ぶれも、年々数も減って五人。いずれも甲羅の苔むした亀の面構えだ。

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この年齢の同窓会は、野戦病院のようになる。
外見は元気だが、ほとんどが何かの疾患をかかえ、手術などを経験している。これまで何回も繰り返された思い出話がとぎれると、聞きたくもないが、どうしても話題が病気のほうにゆく。脳、胆のう、部位はいろいろだが、まるで手術の手柄話だ。

ぼくらは、戦時下の旧制中学に入学、校訓は「純忠、至誠、剛健」だった。何しろ中原中也が素行不良で一年で放校された学校だ。
校庭で毎朝、天皇陛下のいます宮城へ向かい、うやうやしく東方遥拝のあとに、校訓を唱和した日々。
戦況苛烈となり、ほとんど学習しないまま勤労奉仕、学徒動員、敗戦による引揚げ、軍学校からの復学、転校生受け入れ、占領下の633学制改革、でも共学とは無縁のまま、青春とは程遠い学園生活を、時代に翻弄された。あの頃は、食料難にくわえて、友人たちの間に、結核が猛威をふるっていた。

しかし、ごく平凡なふつうの少年としては、天皇の名のもとに「東洋平和のために」戦争に駆り出される心配がなくなったのは、最大のしあわせだった。
地方都市では、時代も、本格受験戦争勃発前で、参考書も塾も予備校もなく、貸本と映画いがいに娯楽もなく、空腹と胸に将来へのばくぜんとした不安をかかえつつ、ふらふらと毎日を過ごせた。いくつか年上の先輩たちのように、赤紙一枚で狂った戦争に引っ張り出されたのにくらべれば、あれはあれで、最高によかったのかなあ。もちろん亀さん同士では、こんな話は一度もでない。戦争への意見も、わかれるからだ。

空襲はまぬがれたのに、戦後の土建国家政策で、市内に道路が縦横無尽に敷かれ、百年の伝統を誇った母校も郊外に移転してしまい、跡地には思い出のよすがになるものは何も残っていない。

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最近とみにしょぼくれてきたように見受けられる昭和ひとけた組にくらべ、「前期」高齢者の年下の友人たちは、いたって元気がいい。
高齢者といっても、前期と後期のあいだに、見えない壁が存在するのだろうか。
勤めから開放され、大学で学びなおしたり、海外旅行、趣味の合唱、ゴルフと、第二の青春を謳歌しているように見える。
聞いた話だが、その元気なかれらでも、そろそろ同窓会はやめようや、という声が出始めているという。
せっかく集まっても、うっとおしい会合になるからだろうか、そうか、同窓会にも「定年」か。

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五月。もうひとつ在阪同窓会がある。
先夜、幹事からぜひ出るようにと催促の電話がかかってきた。出たところで、知らない年下の連中ばかり、幸薄く母校意識の希薄なぼくらの年度の卒業生はちらほら数えるほどになるだろう。
ふしぎなことに、同窓会で元気のよかったやつから死ぬ、ということもある。勲章貰って、奥さん同伴で宮中に参内して感激していた同級生も、なくなって数年たつ。

ちなみに、長寿のシンボルのカメたちだが、この絵はグーグルイメージの写真から、スケッチした。

みよ、矍鑠たるガラパゴスゾウガメの勇姿。

カメは、代謝のサイクルが遅く、動物の中では長寿の代表格だとか。長寿記録は、オーストラリアの動物園で飼われていたガラパゴスゾウガメのハリエットの175歳。心不全で昇天した。

投稿者 nansai : 14:37

2008年5月19日

ビリケンさんのトラキチ版を描いてみた。

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頭のてっぺんがとんがっていて、目の釣りあがった異相のキャラクター「ビリケン」。かれは、意外にもアメリカ生まれなのだ。
「ビリケンさん」は幸運の神さまだ。七福神にひとつ足して八福神とよばれることもある。
ビリケンさんの足の裏をこちょこちょとくすぐると幸運が訪れるといわれる。手が短いので足の裏がかゆくてもかけない。といわれるが、このくだりは大阪の発明かなあ。

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最近、新世界が観光の人気らしい。ランドマークの通天閣に鎮座して、いつのまにか日本に帰化?したビリケンさんは、幸福の神さんとして、大阪のシンボルのような存在になった。

新聞で知ったのだが、池田市が市制70周年を記念して、「ビリケンさん」の像を制作し市内の公園に設置することになったらしい。

もとはといえば、二十世紀初頭に米国カンザスシティの女教師が考え出し、どういう星のめぐりあわせか、当時、幸運を呼ぶ人気絶大のマスコットになったらしい。百年前の話である。日本でいまはやりの「ゆるキャラ」ブームの元祖か。
その後、セントルイス大のフットボールコーチによく似ていたとかで有名になり、現在はいろいろな同大学の運動部のユニホームに採用されている。ネット上にもキャラクターグッズの売店もある。一切の商標権は、同大学にあるという。同大学のウエブサイトをみてほしい。

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唐突ではあるが、ぼくも、阪神優勝を祈念し、いちびってトラキチ版のビリケンさんを描いてやろうと思い立った。未公認タイガースグッズとして、ぼく流にアレンジした。
杉山投手が登板する夜とか、負けが込んできたときには、祈りながらビリケンさんの足の裏をこちょこちょとかいてあげよう。霊験あらたか、まちがいなし。

著作権がいろいろうるさいこのごろだが、アイデアとは、いまあるものの組み合わせなのであるからして、
盗作にはなるまい。セントルイス大学には、ビリケン剣士のちょんまげ版を、仁義をきって描いておいた。

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ビリケンさんは、いちはやく日本にやってきたようだ。
日本では、明治45年にオープンした新世界の遊園地ルナパークに「ビリケン堂」がつくられ、ビリケン像が安置された。その後火災で行方不明になっていたが、1979年に再建された通天閣に復活したそうな。

それはそうとして、はて、トラキチ版のニックネームをどうしよう?
なんぼなんでも、「ビリトラ」は、まずいか。

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ついでのおまけに、ビリケンさんにオールを持たせてボートを漕いでもらうことに。
いよいよ京阪電車新線の開通が秋にせまり、天満橋の八軒家船着場が脚光をあびているが、そこにボートを漕ぐビリケンさんを呼んできたらどうじゃろ、という八軒家南斎のくだらないアイデアなのだ。

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投稿者 nansai : 15:20

2008年5月15日

葉ぎれのいい完全無農薬サラダはいかが?

抗酸化物質を増やす「ヤノハラ新野菜」がようやく実験農場から出荷のはこびとなった。20年間研究を続けてきた考案者の矢野原医学博士の新農法農場が動き始めた。おめでとうございます。

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隣のイタメシレストラン「マリアン」で、さっそくメニューにサラダとしてどかーんとデビューした。
大阪では、当店がはじめてである。葉があつくて、さくさくとして歯ごたえがあり、野菜の甘みが口に広がる。
みずみずしい大振りな野菜に目をとめて、店頭でも買ってゆく人が多い。

ふつうの水耕栽培とはちがうのだ。
野菜に太陽光いっぱい浴びせる独創の農法。当然アブラムシなど害虫が襲ってくる。そこで、新装置により野菜を電動であげおろしさせ、葉っぱをまるごと水没させて害虫を窒息死させる。だから、完全無農薬。
人間の腸のぜん動運動のように、培養液が微妙に振動させられて、根を刺激する。有機肥料が主体だから、
栄養価が高い。ほうれん草なら1メートルまで育つという。
ヒトの組織を傷つける活性酸素を打ち消す酵素の働きが、太陽の下で栽培するこの方法では高まってきたといわれ期待されている。
ぼくの常識では、医学博士の雄大な発想はよくのみこめてはいないが、「ヤノハラ新野菜」の市場導入を祝ってポスターをデザインした。
とれとれ絶対安全は、保障できる。

投稿者 nansai : 12:05

2008年5月 9日

阪神に、神のご加護。これでいいのか?

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うわー、思わず、眼をつぶった。
昨夜の巨人阪神戦ナイター、阪神二点リードの7回の東京ドーム。ラミネスの大飛球が左翼席フェンスぎりぎりを襲った。
走者二人をおいて、はいれば逆転のツーランだ。

でも、どうしたことか、大飛球は外野席には飛び込まず、球は転々戻ってレフトの芝生に落ちた。

最前列のトラファンが打球に手を伸ばしたらしい。
ようやるわ。テレビではよく見えなかったが、球をつかもうとしたのか、球がその手をすり抜けて、はねたのか。
審判の判定は、打球はフェンスを越えていなかったが「お客の妨害があったため、二塁打とします。」
本塁打が認められず、二塁走者が生還しただけ。
助かった。でも、後味はよくない。
巨人ファン怒るまいことか。

その前に、大きなドラマがあった。
3回、金本の頭部を、木佐貫投手の速球がまともに、襲ったのだ。
かわしようもなく、ヘルメットを直撃し、バッターボックスにくずれおちた金本をみて、みな真っ青に。
しばらく動かず横になっていたが、鉄人金本はそのまま歩いて一塁に。

おどろいたのは、次の打席でのお返しの本塁打だ。
巨人投手がびびるところを逃さず、フォークをライト席にライナーでホームラン。
解説の掛布がすごいとしかいいようがないと、鉄アタマ男に脱帽なのだ。

大リーグでは、もし客が手を出していれば、いわゆる「神の手」といって、退場になり、本塁打が認められるらしい。

これにヒントを得て、不謹慎だが、タイガースグっズを開発した。
外野ファン専用の大うちわだ。
攻撃時には、ここへ打って来い。と絶叫。
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ラミレスが打席に立てば、くるりと裏返して、くるな、返れ。進入禁止か、せこい発想だなあ。
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さて、トラの足の裏は、どうなっているか。
ほんとうは、神ならぬ「トラの手」と称してホームラン跳ね返しグラブを考えた。デザインはトラの足の裏がいい。だが、どうみても、スポーツマンシップにもとり、違法であるからして、ボツにして無難なものにした。

勝った、勝った、また勝った。
巨人戦に連勝しても、タイガースファンはどこか不安なのである。何かがどこかで間違っていると思ってしまう。
油断は、大敵。中日もぴったり追尾してくる、まもなく巨人も息を吹き返すだろう。
根が心配性で、「世の中いいことがそんなに長く続くはずがない」と、ご先祖様にいわれるまでもなく、関西で阪神を何十年とひいきし続けていれば、緒戦で破竹の勢いが、あっというまに、くしゅんとなるのは、太平洋戦争の例を引くまでもないことは百も承知なのである。

押さえの久保田が打たれている。
いまのところ絶好調の40歳トリオは、おそらく今年がピークだろう。まもなく訪れる厳しい夏場を老骨が乗り切れるだろうか。かれらは、野球の世界では、後期高齢者だ。
トラキチ取り越し苦労のタネはつきない。

投稿者 nansai : 15:40

2008年5月 2日

座布団一枚の寄席。満員御礼。


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川向こうの落語専門の天満天神繁昌亭が、朝ドラの影響もあって、ご婦人方に人気で大繁盛らしい。

いってみれば、ぼくのこのサイトも、座布団一枚しかない寄席の小屋のようなものだろう。
定員一人で満員なのだ。座付き作者のぼく以外に、客はいない。
つまり演者、イコールお客。
新作落語?を、ぼくが演じ、ぼくが客だ。
落語の「寝床」を地でゆく。ただ義太夫は下手でも、長松どんに迷惑をかけないココロ意気なのだ。

絵になりそうな演題をふと思いついたら、そそくさと即、開演である。その即興性、浅薄軽率さが、マウス絵の最大特徴だ。
そのひとりよがり、してやったり、の絵が、つかみ、マクラである。
マクラ絵が、すじにすこんとはまると、演者はうれしい。が、たいていは、しくじる。

「屁をひっておかしくもなしひとりもの」ではあるが、
自作自演の場合は、唯一の見巧者の客であるぼくに受けねばならぬおきてなのだ。きびしい。

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毎度、ばかばかしいが、一回こっきりで消えるハナシだから、しばらくたつと、なんでこんなトピックにこだわったのかわからなくなること、しばしばである。

でもおもしろいのは、そんなくだらぬハナシがデジタルのおかげで、サーバーに散逸もせずアーカイブされ(しばらくは、だが)こうして記録再現できることだ。
この絵巻サイトを、だらだらと横スクロールしてゆくと、長さでは、とっくに天満橋は越えたはずだ。
裸の王様がひきずっている長いローブのようなものか。だれの目にもみえないから。

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そんなわけで、ぼく自画自賛のつかみの絵が話題にのぼることはまずないのだが、題によっては、グーグルのサーチエンジンが、ひろいあげていることもある。

先日もグーグルの「映像」に「トラキチ」といれてみたら、ゴマンとあるごみの山に、かつて描いたぼくの絵が数点まざっていた。思わぬ再会である。
あれはロボットが機械的にひろうそうで、絵の巧拙は関係ない。

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気まぐれなぼくの脳裏に、ふっとスジとまくら絵のアイデアが浮かんだら、こちょこちょと、マウスを動かす。気分と気合だ。




投稿者 nansai : 17:44

2008年4月24日

造幣局桜の「通り抜け」


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いつもは閑散としている天満橋駅がどっと人の波でにぎわうのは、天神さんの夏祭りのほかには、造幣局桜の「通り抜け」のときだけである。
あちこちの桜が散った後の桜見物に、八十万人の善男善女がどっと繰り出してくる。満開の370本、125種の遅咲きの八重桜がお目当てだ。日本中から集められたときく。
見物は夜桜が本来だろうが、ふと思いついて、あえて大混雑の日曜日の白昼に単身突入をこころみた。
軽率にも、いつものとおり天満橋駅を降りて天満橋を渡ろうとした。
これは無謀というもので、天満橋は、人の河の交通規制でとても渡れない。迂回して東の川崎橋からようやく造幣局前の広場へ。縁日のような混雑だ。
こんなに人が集まるのは、花もさることながら、無料公開ということだ。だが、構内は、飲食禁止、食べ物はしまってくださいとアナウンス。ひたすら歩くだけ。さくらの下にござをしいて車座になって、さわぐこともできないから。場所取りも必要ない。
いまの花見は、見るより、撮る時代か。
みなケータイやデジカメで写真を撮るから、行列がすすまない。

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大混雑にも平然と老夫婦が「これが、話題の雨宿りか」などと、花の前で立ち止まり、名札を一つ一つ確かめて楽しんでいた。
ぼくなんか花を撮る人々の写真を撮るのに夢中で、どの花もほとんど同じにみえてしまった。デジカメの液晶画面は、まっくらでなにもみえないから、やたらめくらめっぽうに、シャッターを押す。
あとで、造幣局のホームページをみたら、さくらの樹の一覧が、「あずまにしき」「あまぎよしの」から始って、解説つきでアイウエオ順にのっているのを発見。、まるでさくら図鑑だ。生きた花を満開の現場で見上げても、この多様な品種の差は、門外漢のぼくの目ではとても見分けられない。

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親切に中国語のアナウンスもきこえてくる。「通り抜け」もグローバルになったのだ。
のろのろ牛の大群にむかって、写真なんか撮るのをやめて前へ進んでください、と絶叫する場内整理のおっさん。ごくろうさんなこった。
造幣局は、明治の文明開化の象徴だった。近代化学発祥の地ともいわれている。

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構内には、さくらが植えられていた。明治16年に時の遠藤謹助局長の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともにたのしもうでないか。」(同局ホームページ)の提案で構内の桜並木の一般公開が始った。
戦災で何もかも失った大阪で根付き、これだけの人を毎年集められるのはすばらしい。
思いつき一過性のイベントでは、決してない。

花見は、文化遺産なのだ。
腰をすえて、花の寿命二十年三十年を見据えて、ソフト、ハードがともにそろわないと、こうはいかない。
しかも、それが明治初年から連綿と125年も続いている。国がバックアップする条件がととのっていたとはいえ、すごいことだ。
大阪文化再建のお手本が、ここにある。

「水都再生」が、叫ばれて久しい。
だが、うわすべりの思いつきイベントに流れてしまっているようだ。橋下知事が「イベント後の効果が不透明」と批判して「水都大阪2000」の実施計画案に反対した。
ぼくは橋下知事の反対意見を全面的に支持したい。

カネがかからないからといって、補助金を出して、終わってしまえば、単なる思い付きはいっさいが揮発して何も残らないことになる。
赤貧にあえぐ自治体が、ほかの喫緊の出費をさしおいて支援する価値はない。
ハードあってのソフトだ。リピーターをひきつける魅力ある持続的な都市文化を、大阪に根付かせねば。
この十年の失政で、なにやら文化的お題目のついた中身のないハコモノが、むなしいカネ食い虫であることは、国も地方自治体も思い知ったはずなのに。

京阪電車西口で、「造幣局桜の通り抜け」の臨時案内表示がふと目に留まった。

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ふうん、造幣局は、JAPAN MINTか。覚えやすいな。英語と漢字の字画?の差がおもしろいと思った。
ついでながら、「通り抜け」の英訳は、
view‐throughとしてみたらどうだろう。(ドライブスルーというではないか。)よけいなことだが。
世界でもワシントン、ニューヨークでも、さくらが人気だ。中国からも花見客が訪れ始めている。枯れ木のように何もない大阪を花の町にできるかなあ。

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そういえば、むかし南港の天保山は、花の山だった。いまも、「世界で一番低い山」が売りだ。ここは江戸時代大川をさらえた土砂を積み上げた人口の島で、そこにさくらを植えた。
おおさらえに従事した人たちの粋なはっぴの衣装が資料に残っている。いま荒涼とした南港で花の山は、想像しにくい。大阪では、ここまで風景は変わるのだ。

投稿者 nansai : 13:14

2008年4月17日

500円玉の値打ちを考える

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このところ、ぼくは悪名高い「長寿医療制度」の恩恵により、腰痛の整骨治療に通っている。

この制度について厚生労働省はこう説明している。
これまで長年社会に貢献してこられた方々の医療費を、国民みんなで支える「長寿を国民皆で喜ぶことができる仕組み」(原文のまま。)と。

思いもかけぬ世論の沸騰にびっくりして、急きょ書き直したにちがいないが、ありがたいことではないか。
ぼくにしてみれば、従来どおり五百円玉ワンコインで整骨治療が数分受けられるのだ。

若い先生のタッチの妙というか、もむわけでなく、ほぐすわけでなく、どこがどうなっているのか知らないが、あちこちをさわりまくるだけで、あら不思議、老骨が95%回復してきた。

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あとちょっと、小腰をかがめたり、低いいすから立ち上がるとき、あいててて、というほどではないが、ぴぴぴと違和感信号がくる。完治まで、もうちょいである。治療中の絵も、なかなか、うまく描けた。青いほうがぼくである。ねんのため。
前回は、中途半端のまんま、無謀にもゴルフコースにいきなり出て、その翌日から、あいてて、と寝返りが打てない元の木阿弥となった。あの苦い経験を繰り返すまじ。

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このありがたい長寿医療制度は、趣旨がわかるように説明されていないため、いまや高齢者からの怨嗟の的である。へんにかざらずに、本音を正直に言えよ、という声もある。
年寄りに死ねというのか、といきまく向きもあるが、ま、いずれお迎えが来るのだ。
問題は、本人にも、家族にも、国、自治体、医療機関にとっても、たいせつな究極の終末医療をどうするかである。この制度がうまくはたらいてくれるだろうか。
国は、年間死亡者100万人の終末期医療費およそ9000億円を抑制したいのが本音。
でも、そのための在宅医療支援って、インフラがととのっていないいま、はたして、うまくゆくかなあ。
救急車が搬送する病人を病院に受け付けてもらえず、うろうろするさまがダブってみえてくる。

海外のインターネットをグーグルであけてみると、
good deathというテーマが、なんと、2千880万項目あがっていた。
ちなみに、トップにはBBCの健康特集「グッドデスを迎えるには」があがっていた。PDFで冊子が読める。
21世紀、人類最大の関心事、究極の健康問題は、
不老不死ではなく、good deathなのである。
厚生労働大臣には、あまりに荷の重すぎる課題だ。
さて。


投稿者 nansai : 15:04

2008年4月15日

さいなら、さいなら、くい倒れ太郎

道頓堀の食堂ビル「大阪名物くいだおれ」が突然閉店を宣言。ニュースが流れて驚いた。創業六十年、「そろそろ定年を迎え、お役目を終えたようです」と。

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何で?寝耳に水だった。
道頓堀といえば、あんなにたくましく猥雑で、食い意地の張った人にあふれ、にぎやかな通りなのに、経営は、もう限界だそうな。わからんものだ。
店よりも、名物の電気仕掛け人形「食い倒れ太郎」の行き先が、話題となっている。
昭和25年に「これからは子供が大事な客や」と、客寄せのための人形を創業者が考案した。残して欲しい、さびしいという声が高い。

店では、プロジェクトチームをつくって、太郎の身売り先を探すという。

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思い切りよく退陣のように見えるが、道頓堀を歩く客層が変わり、家族経営の限界から赤字もかさんできたから、
「もう定年や」と割りきったのだろう。
ほかにやりようがあったのではとは、余計なお世話だ。ごくろうさん。

ランドマークの人形の前で写真だけ撮って、かんじんの食堂に入らない客がほとんどではねえ。さっぱり商売にならんわけだ。全盛期の半分に売り上げが減ったそうだ。

かんがえてみると、キタが地盤のぼくは、大阪で半世紀暮らしているが、ミナミのこの超有名店に入ったことは一度もなかったのに気づいた。

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道頓堀はめったに歩かなかったし、この店の前を通り過ごしただけだったなあ。「名物?にうまいものなし」だったのか。
ぼくも老いたし、食堂ビルも時代の客に合わなくなったということか。

親しみやすい人気はさることながら、モデルは、杉狂児だったとか。
もともとぼくの好みからいえば、食い倒れ太郎は、どう見てもチンドン屋で、顔も衣装も、あまりに洗練されていず、そこが愛されたのだろう、全国メディアに親しみをこめた軽侮のまなざしでことあるごとに大阪のシンボルとして取り上げられるのには、忸怩たる思いがあった。

しかし、太郎は、「大阪といえば思い浮かぶことランキング」調査では、

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堂々?の8位にランクされている。
たこ焼き、大阪弁、吉本芸人、お好み焼き、通天閣、阪神タイガースファンに続いてだ。
あとには、「おばちゃん」と続く。

吉本と粉もんと阪神に頼る伝統も結構だが、21世紀には、なんとかならんのか。新しい大阪の文化のシンボルよ。
他府県からの眼には、これに「暴力」の町というイメージがつきまとうのだ。

江戸時代から連綿と続いた道頓堀の昔の情緒も消えた。残る老舗もわずかである。
新しい大阪のメッカは、関東から攻め下ってきた電器量販店だ。アジア、いや、世界から、ショッピング目当ての観光客が集まる時代だ。通りのあちこちから耳慣れない外国語がきこえてくる。

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戦後焼け跡から復興し喧騒と繁栄の渦の中心だったランドマーク道頓堀。
その裏も表も、戦後60年の長きにわたって黙って見つめてきたのが、食い倒れシンボル太郎さん。
とうとう定年か、ごくろうさんやったなあ。
いさぎよく、後進に道を譲ってくれてありがとう。おあともよろしいのではないか。
さいなら、さいなら、さいなら。

投稿者 nansai : 13:15

2008年4月 9日

エイプリルフールと長寿医療と、なにか関係あるのかな?

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四月一日は、エイプリルフールデー。ユーモアの本家英国は、まじめにやるからおかしい。
ことしBBC放送がCGの技術の粋をつくしてつくりあげた空飛ぶペンギンたちの映像が話題になった。。
放送はすぐ終わったが、ユーチューブでみてみよう。
南極のペンギンの大群が、こけつまろびつ、いっせいに離陸して、やがて空を舞う光景は圧巻。BBC製作スタッフの力作だ。

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ペンギンたちは、大挙して南極から数千キロを飛んで、そのまま熱帯アマゾンの密林に降下というふざけたコマーシャルである。

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BBCウエブサイトには「あなたが英国在住でないとみれません。」とあるが、べつにロンドンに住んでいなくても、四月一日過ぎても、いまは国境を越えユーチューブでくりかえし眺められる。
ぼくは、蛇足ながら思いついて、南極のペンギンが空を飛んで熱帯のアマゾンのジャングルに降下したシーンをフルカラーで描いてみた。ペンギン降臨の図。オリジナルBBCのペンギンCMは、早くも不朽の名作の呼び声が高い。
あれはおもしろかったなあ。と、いまだに語り継がれるBBCのエイプリルフールの最高の愛すべきケッサクは、いまから50年前、放映された「スパゲッティの樹」だ。
英国では当時まだめずらしかったスパゲッティが、スイスの湖畔で栽培されているという筋書きで、地方の衣装を着た女性たちの収穫風景を放送した。樹からつるされたゆでたスパゲッティを、丁寧に摘み取ってかごに収穫するという念のいれようで、800万人が見たそうだ。まともに信じた人も多かったとBBCのウェブサイトにのっている。BBCはいまだに当時の記録をアーカイブし、引退したプランナーの声を紹介しているのがすごい。

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さて、この四月から、ボクは、「コーレー」ペンギン族の仲間入りした。冗談ではなく厚生省が「後期コーレー者医療制度」をスタートさせた。
紙質ぺらぺらの薄い保険証が送られてきた。
これからペンギンのようによたよた杖をついて歩くお仲間は、増える一方だろう。1300万人もいるということで心強い限りである。東京都の人口なみだ。
しかし、なんぼなんでも名称がロコツすぎる、早く死ねといわんばかりだなどと、批判が出たとかで、高齢の福田首相が「長寿医療制度」と変更するように指示したそうな。
ま、いいじゃないか、どっちでも、とぼくは思う。

見切り発車のため、ちんぷんかんぷんだった説明不足を補うのに20億円以上の経費がかかるらしい。
年寄りが増えて、国も困っているのだ。

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いよいよ体力の限界がきた後期高齢者1300万人に、医療費が、年間11兆400億円かかる。寝たきりも、これから増える一方だろう。
「長寿」高齢者と呼び方を取り繕っても、現実には年間100万人近く死亡する。医師会によれば、一年間の終末医療費は、9000億円に達するらしい。
こうなると、国は、もう面倒見切れない。それは正しい。どうか自分の始末は自分で、ということだろう。親に負担力なければ、知らない若者世代のせわになるのではなく、むかしから子が、死ぬまで面倒をみた。
国には、バックアップをしてもらいたい。天涯孤独でセーフティネットの必要なひとたちには、それなりに手厚く。おそらく全体の一部だろう。

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だから、税金の無駄な出費を絶つ。正しい優先順位で使う。当然、役人と政治家のつるむ無駄使いはやめて、老人医療などもっと切実な使途に税金を当てよう。
クマしか通らず車の走るのを見かけない道路はいらない。むしろ、高齢者医療のほうがだいじではないか。道路という地方利権の分捕り合戦などは、もうやめてもらいたい。

政党は気づいているのか。とくに都市部の大病院の待合室には、おびただしい数の不安げな高齢者がひしめいて診察の順番を待っている。人口の8割は都市部に集中する。せまりくる高齢者問題は、都市問題なのだ。
粗末にあしらわれて怒れる後期高齢者はこわい。
「地方の切捨てか」などとおどし、目先の一票に目がくらんで、自民党は、田中角栄的な地方への利権ばら撒き政策を続けるゆとりはないはず。

投稿者 nansai : 16:08

2008年3月25日

大阪府庁内で職員が仕事中にタバコを吸う権利をぼくら納税者は、どう考えたらいいか?喫煙時間を機会損失として、お金に換算すると、さて。

先立っての休日、テレビの午前のワイドショーをみていたら、大阪府橋下知事の全面禁煙政策をめぐって、盛り上がっていた。

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ことのしだいは、こうだ。
橋下知事が世界禁煙デーの五月三十一日をもって、庁内と出先機関を全面禁煙することにした。タバコを吸える休息時間を廃止するために、公務員の休息条例改正案を提出する予定という。
休息条例は、国や大多数の都道府県ではもう廃止されているらしい。府民の税金をもらって仕事する職員としては、庁内禁煙はあたりまえだと、納税する立場のぼくは、思っていたのだが。

ところが、ぼくが驚いたのは、禁煙の話題の意外な成り行きだ。
ジャーナリストの0さんが、自説を展開する。
全面禁煙はファッショである。あのナチスは、禁煙政策だった。橋下知事はやりすぎだ。権力を握ったものは、よく考えねばならん。

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それを受けて、司会の落語家が、突然、自分はタバコを吸わないが、執務時間中の禁煙は反対だと言い出した。なぜなら、職員の士気が落ちて仕事の能率にひびくからだと。居並ぶゲストたちが、座の空気を読んで、いっせいに、「そのとおりだ。」と。
その場の流れでは、府庁内の全面禁煙が、行き過ぎで、いかに悪逆無道な方針かということになってしまった。大阪局のワイドショーは、司会者の仕切り方でときにこんな風に迷走する。

庁内禁煙がファッショ?そこまでいうかと、浅学菲才のぼくはびっくりした。
さっそくウイキペディアをみると、たしかに「禁煙ファシズム」という項目があって、ナチスの優性思想にもとづく政策だとか、当代一流の評論家の先生方が「過剰防衛的な社会」を批判している。先生方としては、マジでむきになっているのか、それとも軽い揶揄かユーモアのつもりなのだろうか。よくわからない。

テレビをみながら、あきれるよりも、こりゃたいへんだと思った。
庁内禁煙にかぎらず、そもそも大阪に「改革」はなじまないのだろうか。
何かを変えようと思ったら、「民意」が当てにならないし、裏切られることもある。ヨシモト調の軽いノリで、大阪の「民意」は、簡単に操作される。横山ノックに驚天動地、前代未聞の250万の票が集まったしなあ。ようわからん。

タクシーの禁煙も、大阪は及び腰で足並みがそろわない。
大阪のタクシー会社110社にアンケートしたら、74%が反対だそうな。「喫煙客を他社に採られる」というのが理由だ。

投稿者 nansai : 13:51

2008年3月24日

おっと、ふまないで。芝生は芽吹く準備中。

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ぼくらは、北大江公園のはとである。
花には早いが、春がきた。公園の西側の空き地は、芝生が枯れて土がむきだしになっていて、そのうえを、小さな子たちがキャッキャと走り回っている。
空き地には、見た目には気づかないが芝生の種がまかれているらしく、回りに柵がたててある。大切な芽吹きの時期とあって、小さな看板があちこちにぶら下げてある。ぼくらは、立ち入り禁止ということか。「養生」というのだそうな。

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おやおや、向こうではお母さん方が、乳母車をひっぱりいれて、お花見には早いが地べたビニールをしいて、おしゃべりに夢中だ。
なんやの、「ご協力」って?
看板は、目だたないからなあ。無視されてしまった。
青々と芝生のしげる五月まで、ミミズなどご馳走はおあずけはつらいな。
ハトには、看板は読めないから、仲間は、もう、土の上に舞い下りて、エサかなにか、つつき回している。
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投稿者 nansai : 10:56

2008年3月18日

 「この人チカンです。」といわれたら!

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昨夜の朝日新聞大阪版夕刊によれば、満員電車で女性に告発されたら最後だという。ほんとうなら、おそろしい。身に覚えがなくとも、「痴漢冤罪」を防ぐのは大変だそうだ。「絶対大丈夫な方法は、ない」とつれない。
「あなたは痴漢冤罪から身を守っていますか」
通勤中の男性たちに駅頭で、同紙がアンケートしている。
情けないことに「混雑時は女性に近づかないこと」という笑えぬ自衛策もあった。触らぬ神にたたりなし。なるほど、ごもっともだが、なんだかへんだよねえ。

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そんなわけで、満員電車で男が身を守るには、つり皮を両手で持つか、グリコ式お手上げが一番、のようだ。両手が腰から下だと真っ先に疑われるから。

幸運にも無実が立証された人の例をきくとぞっとする。
駅長室で身の潔白を証明しようとしたが、いきなり警官が来て、有無を言わせず、手錠、腰縄で連行されたという。留置所にいれられ、おぼえがないと、否認を続けると、48時間拘留されることも。これは、まいるよなあ。
「やっていないと訴えても警察はきいてくれなかった」と被疑者は訴える。
推定有罪がまかりとおるのだ。被害者の言い分が最優先されるから、加害者と目されてしまうと本人の自己弁護は困難な状況になる。無罪を証明する証拠を100%そろえねばならない。専門語?で「悪魔の証明」というのだそうな。

なんや。たかが「迷惑条例違反」ではないかといいたくなる。警察も裁判所も、なんだかヒステリックで異常ではないか。この殺伐な社会で、「迷惑」がそれほどの重大犯罪かなあ。もちろん困ったことではあるが。
一方的告発で駅長室から連れてこられた被疑者を居丈高にいためつける調べが、いじめのようでバランスを欠いているとしか思えない。
忙しいはずの警察も、もっとほかに未解決の重要事案があるだろうに。と、人畜無害の「後期高齢者」に分類されたぼくが、口をとんがらせるのもおかしなはなしだ。

疑われると、定年間際のサラリーマンが、あわや一生を棒に振る場面に追い詰められる。おかしい。冤罪ならなおのことだ。このごろでは、自称、被害者、目撃者がぐるになって、気の弱そうな男性に眼をつけ、示談金を狙う新手もあるそうだ。
映画「それでもボクはやっていない」(周防正行監督)が日本の裁判制度をえぐって、評判だったらしいが、どれだけ世論を喚起しただろうか。

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いったいどうなっているのか。ネットで調べたら、あるわあるわ、もうすでに、いろんな角度から、痴漢冤罪の回避法が寄せられていた。

こんな笑えぬへんな話、海外ではどう扱われているのだろうか。もしかして、痴漢は、日本人だけのユニークな珍現象では?と思い、グーグルにあたってみた。
CHIKAN。日本語の「痴漢」にずばり当てはまる英語は見当たらぬらしく、海外のメディアは、むしろ痴漢対策におどろいているようだ。
「女性専用車両」は、日本で発明された奇想天外なアイデアだ。導入時には、ロンドンタイムズ電子版ABCニュースなどに、「オールウーマントレーン」と紹介された。導入の背景は、SUKEBEが増えたからだとある。わが国の通勤電車は、清潔で正確なことで、世界から賞賛を浴びているのに。

ウイキペディア(英文)には、標識「ちかんに注意」(千葉西警察署管内防犯協会)と女性専用乗車口のプラットホーム標識(大阪)がめずらしいとみえてでっかくのっていた。

通勤時のぎゅぎゅう詰めの満員電車は、先進国日本独特の奇観であろう。
でも、ロンドンの地下鉄のように爆弾騒ぎにおびえなくてもすむし、こりないチカンたちの「迷惑」行為は困ったものだが、つくづく平和はありがたいと思いませんか。

投稿者 nansai : 14:34

2008年3月12日

ホワイトデーって、なんだ?

誰かが仕掛けたに違いない。かねがね胡散臭いと思っている行事?に、ホワイトデーがある。なにやらバタくさいが、欧米にはない行事だ。
三月十四日に、バレンタインデーに貰ったチョコレートかなんかに、お返しをしなくてはならないと、誰が決めた?
ネットで調べたら、でっちあげ犯人は、すぐ割れた。1978年、全飴協、つまりキャンデー、アメ菓子のメーカーたちが、アイデアを出して柳の下のどじょうをねらったのだ。

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チョコレートの売れ行きに指をくわえていてもしかたがない。純国産の「ホワイトデー」というネーミングが覚えやすくヒットして、結構売れたとホームぺージにのっている。
日本独特の「お返し慣習」に目をつけたのはえらい。
今もアメ菓子がお返しの主役とは思えないが、女性から「モテルお返し」はなんだとネットなどで特集されている。ブランド物のハンカチとからしい。

人間とはあさましいもの。「チョコレートをもらった、自分に気がある」と早とちる、うぬぼれが問題だと、ベテランコンサルタントは指摘する。
「義理チョコだったのに、ホワイトデーに会社の前で待ち伏せされて、でかい箱に入ったぬいぐるみを渡された」(R25)といったエピソードもあるとか。

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義理で貰ったチョコレートに、モテるお返しか。若い人は、たいへんだなあ。この国は、平和である。

バレンタインデーは、天下の奇習である。
アンケートでは、バレンタインデーなどなくなればいいという女性が30%、あきらめてお世話になっている人への感謝の印と割り切っている人が60%らしい。

投稿者 nansai : 15:25

2008年3月11日

お母さんと自転車三人乗り

町の中を自転車が、わがもの顔に走り回っている。
先日も、横断歩道の信号がやっと青に変って歩き始めたら、自転車が真横から風のように飛び出して、音もなくぼくの鼻先を走り去る。スピードが出ているから、衝突したら、ただではすむまい。
ケータイをみながら歩道をぶっ飛ばす不心得ものも見かける。もともと禁止行為の3人がけは、もってのほかだ。

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目に余る自転車の無法ぶりに、警視庁が30年ぶりで交通規則を見直すことにした。

ところが、幼児二人を前後に乗せる3人乗りの禁止は、若い母親たちが反発した。
「3人乗りができないと、15分早く家を出なくちゃいけない。朝の忙しさがわかっていない。」

「女性の社会進出を無視した政策」というのだ。「少子化対策に矛盾する」とも。こんな場合マスコミもすぐ同調する。

「保育園も少なくて、バスもないのに、3人乗りの禁止は、子育て支援に逆行している。」

なるほど。ごもっともである。お母さんもたいへんなのだ。

しかし、まあ、そうではあるが、新しい見直しの動きは、いつもこうして、全体の一部の声で、ぐらつく。ひどいときは腰がくだける。政治家がわりこんでくるからだ。
大阪のドーンセンターの見直しも、そうだ。
年金問題が解消したかもしれない総番号制も一部の反対でさたやみとなった。
地方の道路、郵便配達も同じようなレトリックで族議員がまくしたてる。

基本の趣旨と全体の利害関係のなかで、ワリを食うグループが必ず現れるのはしかたがない。総論と部分利益をどうバランスさせるかが行政なのだが。
今回は、警視庁が折れ、自転車の「一人乗りのときに比べ著しく不安定にならない構造」が技術上可能であれば、例外的に走行を認めようということになったとか。
こんな場合、せっかく開発されてもコストが高く。購買客が少ない、やむなく、というシナリオが見えてくる。
わすれてはいけないのは、もともと改正の趣旨は、安全である。お金では買えない命の問題だ。
2006年に自転車同乗中に怪我をしたこどもは2150人。70%が交通違反だった。
6歳未満のこどものけがは、40%が頭部だ。頭の重い幼児は転倒すると、脳に損傷を受けやすい。危険防止には、幼児のヘルメットの着用が徹底されなければ。
しかし、この国では、自動車のチャイルドシートの着用も すすんでいない。
自転車の違反行為は、昨年11月末で百七十五万件、前年同月比34%増だそうな。増える一方だ。

「三人乗りを普及させて、少子社会から抜け出そう」というのは、うーん、ちょっと考えにくいのだが。
テレビでみていたら、デンマークのコペンハーゲン市は、自転車天国らしい。市内に自転車専用道路がつくられていた。

投稿者 nansai : 10:52

2008年3月 3日

文明開化は大阪からやで

三月になった。どの雑誌も、さくら特集で、こぼれんばかりのピンク一色だ。
大阪が、桜色に輝いて一番元気のよかった頃。それは、明治初年、文明開化のさきがけとなるプロジェクトXが、大阪天満橋川崎でスタートしたときだった。天満橋からその活況がよくみえただろう。

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遺された錦絵をみると、大阪の文明改革は、なぜかさくら風景と合うらしく、希望に燃え新しく国が産業を興す当時の華々しい光景が想像できる。
勢いが違うなあ。川には、外輪船が黒煙をはいて、対岸の最新工場群の煙突もいっせいに煙をはいている。いまは人ごみの通り抜けのさくらしか知られていない。
あれから幾星霜、天下の台所から、大阪は、軍都に、煙の都に変貌して敗戦を迎えた。

当時の錦絵は、満開のさくらと文明開化、大阪の一瞬光芒を放ち輝いた頃の高揚した気分を、伝えてくれる。中之島図書館蔵。公開されているからデジタルで大きく引き伸ばしてみることができる。

維新当初は首都を大阪に置く計画がほぼ内定していたのだそうな。
明治4年、交通の便利なこの地に、日本初の造幣工場「大阪造幣寮」という巨大西洋工場が開業した。
総レンガづくりの工場群、高さ30メートルの大煙突が、近代日本を築く科学技術を誇った。お雇い外人たちの協力で、まばゆいばかりの65基のガス灯もこうこうとともされ、あかるさに大阪の人たちが仰天した。それまでろうそくと行灯の光しか知らなかったのだ。一目見ようと連夜市民が押しかけたという。


投稿者 nansai : 14:19

2008年3月 1日

鈴をつけるのは誰?

民主党の指名競争がいよいよ煮詰まってきた。テキサスとオハイオが最後の決戦場だ。オバマの勢いがとまらない。ヒラリーは中傷で反撃を試みるが、ネットでみると敗色濃厚のようにみえる。
アメリカのジャーナリズムは非情でえんりょがない。次のように報じている。

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民主党の党内事情としては、早くヒラリーに名誉ある?撤退をしてほしいらしい。このまま、クリントン陣営がライバル候補に最後まで罵詈雑言を浴びせ徹底抗戦すると、党内が傷つき割れる。秋の共和党との本番で、どう転ぶかわからないからだ。
問題は、「だれがヒラリーに告げるか」だ。と、ワシントンポストの見出しには、惻隠の情はない。
なかなか言い出せない。誰がネコに鈴をつけるかだ、とある。そうだろう。そこは日本人の心情に似ているかな。戦いが終わったら敵味方ないという、ラグビーのノーサイドのようにはゆかないものだろう。ニューヨークタイムスには、過去の歴史からみて、もう暗殺の可能性を心配している記事も。

テキサス、オクラホマの決戦は終わっていない。なのに、戦い果てたとみて、敗因分析に入った新聞の論調が目立つ。ヒラリーさんには申し訳ないが、われわれ異国の野次馬には大変興味ふかい。

当初あれほど有利に立つていたはずのクリントン陣営がどうして個々まで追い詰められたのか。ヒラリーは、資金集めでは大口献金者を確保したはずだった。オバマは小口の草の根募金でクリントンを打ち破った。オバマ候補への献金は、一人平均わずか109ドルと、ABC放送が報じていた。運動員たちはクリスマスに一日休んだけだ。
オバマ陣営にくらべ、戦略の大きなミスが指摘されている。早くも戦犯探しだ。ヒラリーの戦略を立てたコンサルタントが、実名、企業の名を挙げて非難されている。ハゲタカが勝ち馬の本命クリントンにちゃっかり乗ったのだ。
寄付金集めなどのカネの使い方が乱脈をきわめていたとか、克明にデータが残っていて事細かに分析され報道されるのが、アメリカの選挙らしい。


投稿者 nansai : 02:12

2008年2月27日

緊縮府政の船出に声援、「水都再生」は草の根で

テレビでみると、「財政非常事態」を宣言して、橋本知事が、怪腕をふるっている。
たいしたものだ。見直した。

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大阪府のハコモノ施設がいかに税金と借金の無駄遣いだったかを始めて現場検証してくれている。
歴代の知事は、知らん顔だった。新知事にエールを送りたい。いいぞ、その調子!
これは、ジュラ紀のはなしではない。平成のいま、オオサカ平野を闊歩する巨大恐竜の図だ。ハコモンザウルス。シャッキン・コンクリートでできていて、主食は、府民の税金だ。

バブル以前からオオサカに次々に誕生したハコモンザウルスの群れ。駅前自転車のように放置してきた府会議員の責任は大きい。年間30億円の赤字を出す、わけのわからないハコモノ施設を承認し続けた。かれらを選んだわれわれ府民の責任はもっと大きい。
抵抗勢力に囲まれ多難な船出だが、橋本知事の若いエネルギーを、府民が後押しせねば。
大阪のおばちゃんたち、サポートたのんまっせえ。ハシゴはずしたらあかんでえ。あんたらの税金をあんなに無駄使いされたら、ぎらぎら目を光らせて、怒らにゃ。

ワイドショーで大阪府の問題点があらわになり、夕張と変わらぬ無責任自治体の実態が、全国ネットで日本の津々浦々に知りわたることになった。
夕張か大阪か。恥さらしというより、恥の公開は、役人による隠蔽や居直りより、一歩前進である。
「御堂筋パレード」の予算減らし賛成だ。
「水都大阪2009」の見直しも必要だろう。

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「水都大阪」構築には、われわれ草の根も一肌ぬがねばあるまい。役所がハゲタカにまる投げするよりは、足が地についたプランのいくつかを、自前で考えてみたい。
さて、唐突ではあるが、再生を願う水都の「へそ」は、ここ、ご当地、八軒家界隈なのだ。そこで、


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ネット上のご近所サイト「八軒家かいわいマガジン」のとりあえずの見本版編集が、ぼちぼち始動することになった。早くかたちにしたい。

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ここら界隈ご町内の繁栄を願って、有志たちが集まることになっている。南斎翁も隠居スタッフとして参加したい。
この八軒家絵巻と同じ形式で、「美しい日本語の文章をネットでも縦組み、大文字で読みやすく」がねらいだ。江戸時代の古い地図を手がかりに、北大江公園特集、島町通り特集がお目見えの予定。もちろん読みやすい縦書きで。
おなかをすかせた北大江公園のハトたちも、どんな出来上がりになるか、たのしみにしているらしい。(この浮浪ハトは公園の住人だが、キャラクタ候補だ。名づけて八軒家の「ハトの八ちゃん」。)

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このウエブサイトは、八軒家を起点として、ゆくゆくは、大阪のへそ、大川一帯をコンテンツのテリトリーとしたい。
上町台地の西端のここらあたりは、古代から歴史の宝庫だが、地上の建築物は戦火によりみな消失した、残されたのは、伝承と史跡の石碑だけだ。
めぼしいところでは、八軒家船着場、熊野詣の出発点など。万葉集にみえている古代の「難波津」は、諸説あるが、浪速橋あたりと伝えられる。

往年の八軒家船着場を生き生きと再現した一枚の絵を紹介しよう。手前に三十石船、石段の上に灯をともし始めた船宿。暮れなずむ大川。人々の呼び声、喧騒が伝わってくるが、実際に写生されたわけではない。この幕末?の八軒家風景は、野村広太郎氏が記録絵画という独自の手法で描いたもので、カラー写真のない頃の大阪の風景を克明に油絵で描写したコレクションがある。東方出版刊「おおさか百景いまむかし」から。昭和初期の作品だろう。
こういうすぐれた先人の残された大阪の文化遺産を、こつこつとていねいに収録して後生に伝えてゆきたいものである。デジタルだからできるのだ。だれにでも、みてもらえ、伝えられる。


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WEBマガジン特集のおまけに、客寄せポスターの図案をのせることに。
まず、島町の「マリアン」イタリア料理店。
地元食材を使う「スローフード」料理が評判だ。
ハナシ好きのひげのクマさんシェフと、ちかく水耕栽培実験農場も加えて、近辺の契約農家直送の有機野菜料理が、当店の売りだ。


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くらげのような巨大野菜は、無数の根が薬液のなかを泳いでいる水耕栽培を描いたつもり。 

ポスターのキャッチフレーズはこうだ。
「ここの野菜は、うまい。
そのはず、某国立大医学博士が考案した回転水耕栽培だ」

農薬を使わない、害虫は回転する水槽で水没水死させる仕組み。日光をさんさんと浴びるから、作物が大きく育つ、歯ざわりがよく、ビタミンが逃げない。だからさくさくと歯ざわりよく、うまいのだと、いいコト尽くめだが、問題は製造コストだけだという。
一日も早い入荷が待たれる。

投稿者 nansai : 13:11

2008年2月20日

大接戦を制するのは、小口の献金者か

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今年のアメリカ大統領選挙ほど、まだ予備選挙なのに、手に汗にぎってみたことはなかった。記録的な人数が投票所に列を作った。総額五千億円の政治資金が乱れ飛ぶとか。テレビやネットを通じて、時々刻々、大リーグ以上に迫力が伝わってくる。
民主党の指名競争が白熱している。ヒラリーとオバマのがぶり四つの勝負は、延長戦にはいり、たがいに非難の応酬で因縁試合の様相を呈してきた。

日本とは、選挙の仕組みが違うようだ。こちらでは、有権者は一方的に、一票を懇願されるだけで、積極的に献金やカンパに応ずるほど熱狂しない。
商品のカタログにあたる「選挙公報」は、何も書かれていないのと同じだ。情報不足のため、誰を選んでよいか、よくわからないままに投票所におもむくこともしばしばである。

アメリカでは、投票の前に、まず候補への募金合戦がすさまじい。
いくら集めたかをマスコミが報道する。
あの広い国土で、各州の有権者に呼びかけるには、運動員とテレビCMと遊説のための航空運賃が必要だ。経費は、ばくだいだろう。
候補者は必死で募金を呼びかける。法の許す範囲で一人2300ドルとか。戦前の予想では、全米に水も漏らさぬ集金ネットをつくりあげたクリントンが有利で、圧倒的な資金量を誇っていたという。

ふたをあけると、オバマの草の根ネットが猛然と募金をつのった。いまはかんたんにネットで送金できる。ネットの差も大きいのか。
かれは「変化」を掲げた。いっしょに分裂を乗り越え、アメリカの統一を唱えるメッセージがイエスと受け止められた。
オバマの支持者は、若者、インテリ、黒人だ。零細献金者だ。ちりも積もれば莫大な資金が集まる。寄せられた四十七パーセントが、200ドル以下という。
ふだんは献金しない層が、スローガンに共鳴して応募してきた。ここまでもつれて長期戦になれば、いわゆる「ロングテール」層がカギをにぎるのか。
一月にオバマ陣営は3200万ドル集めたのに、対するヒラリー陣営は、1300万ドル。支持者たちはもう法定枠を使い切っていた。弾切れだ。

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全米津々浦々での遊説演説は、スピーチライターをフル動員して、黒人、農民、自動車産業、ヒスパニックと、それぞれ利害の異なる地元へ、二枚舌三枚舌で呼びかけることになる。揚げ足の取り合いもえげつなく、支持者の反応もすごい。
目先の一票ほしさに、地元向けの約束手形をきりまくるのは、日本の選挙と同じらしい。広大なアメリカにくらべれば、本来は、日本のほうが、情報公開よろしきを得れば、民意を正しくまとめやすいのではないか。

民主主義という巨大で複雑な仕組みを効果的に動かすのはたいへんだ。
大統領候補を党内の指名で勝ち取るのにこれほどのカネとエネルギーが必要だ、とは驚く。大統領選挙は、4年に一度の祭りだとか、民主主義教育の場とか言われるが、そんな生易しい争いではないようにみえた。
こんなカネのかかる選挙以外にいい方法はないものか。建国の父たちも驚いているのでは?
選ぶほうも選ばれるほうも、一体になって盛り上げる熱気の選挙。それはいい。そのなかで、前回はブッシュのような大統領が選出されたのだが。

投稿者 nansai : 12:51

2008年2月18日

大阪の若者も、たいしたものだ


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なんとも形容しがたいマルチな才能の持ち主が、大阪に誕生していた。
「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子だ。豊胸手術を望む母と思春期の娘の関係を描く物語で137回の芥川賞に選ばれた。小説は二作目という。
ぼくには小説の批評眼はないが、織田作之助風の大阪弁をまぶした「弁文一致」の口語饒舌体は、きらいではない。樋口一葉の文体に影響を受けたそうだ。

それよりも、文芸春秋三月号に載った受賞者インタビュー「家には本が一冊もなかった」を読んで、ぼくはさわやかな感動を覚えた。
昼は書店員、夜は新地で働いたというドキュメンタリーとしての、彼女の人生の軌跡が共感でき興味深かった。
大阪市立工芸高校卒業後、書店員、歯科助手、ホステス、歌手をへて、作家デビュー。まだ31歳なのに。

家に本がないので彼女が小説を読み出したのは、国語の教科書だった。いろんなジャンルの作品が収められていて面白かったという。高校の二、三年生のときにカントの入門書を読んだのが始まりで、働きながら大学の通信教育で哲学を学んだ。
小説を書くのと似ているそうで、歌手としてもライブは続けてやりたいらしい。

足が地に着いていて、物怖じしない。しっかりしているなあ。いや、たいしたものだ。
世間の良家の令嬢おりこうさんコースとは、まったく違う、けものみちを踏みしめ疾走している。終戦後の焼け跡を経験した、ぼくら昭和の残党としても、共感できるところもあるな、と勝手に考えた。

川上未映子賛江。ぼくのアーカイブのなかから拾い出して、思索する猛禽類としての彼女のイメージスケッチを勝手に試みてみた。ご本人はグラビアで見るとなかなかの美形なのだが。


投稿者 nansai : 15:57

2008年2月12日

建国記念の日は、かつての「紀元節」だった

太平洋戦争前の今日は、紀元節だった。小学生のぼくは、登校して、天皇皇后の御真影のまえで、
「雲に聳える高千穂の」
と声を張り上げて紀元節の歌を歌った。
で、きょうは、高千穂の峰に天孫ニニギノミコト(ワードでは漢字変換できない)が降り立ったとされる日だと思っていた。天照大神の命により、日本つまりトヨアシハラチイホアキミズホノ国を治めよ、サキクマセ!

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きっと栄えるよ、といわれるままに、天孫が降り立ったと教わった。
いま、悪名高い高級官僚の「天下り」は、これに由来する。
ところが、紀元節の唱歌には三番あって、中心場面は宮崎県ではなく、奈良県の橿原で、神武天皇の即位がテーマだそうな。神話と歴史の区別なんかわかるわけもなく、一番だけで早とちりして、小学生のぼくには紀元節の主役がこんぐらがっていたのだ。でも、「くーもにそびゆるたかちほのー」だもんな。
昭和十五年は、国を挙げて、紀元節を祝った。どういう計算かわからないが、紀元は二千六百年。節目の年というわけだ。
当時は、あの太平洋戦争の一年前で、その後の運命を知る由もない国民は、国威発揚で盛り上がっていた。
金鵄輝く日本の、栄えある光身に受けて奉祝歌が大ヒット?して歌われ、おおさわぎだった。二十一世紀のいま、ネットでも、初音ミクが歌ってくれる

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「八紘一宇の塔」が、戦後万博の「太陽の塔」のように時代のシンボルだった。塔は、東国原知事のお膝元宮崎にある。

少年のぼくには、悔しい思い出がある。
当時の少年倶楽部の付録に、八紘一宇の塔の紙製組み立て模型が付録についた。ぼくの家では、雑誌や本は、外地から親が送ってくれることになっていた。広告で見た付録を楽しみにしていたら、付録だけ、父親が自転車から落としてしまったという。70年たったいまも、残念である。

この日、朝日新聞に、「無宗教の国に多くの支持者」と題して、東京大学宗教学の島園進教授の国家神道についてのタイムリーな論文がのった。
「明治23年に教育勅語が下された。明治天皇が教育の根本を精神について国民に授けた聖なる教えだ。この後、小学校は、天皇の聖なる教えに導かれる場となった。それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な拝礼に親しんだ。伊勢神宮や明治神宮に詣で、天皇のご真影と教育勅語に頭をたれた。これが国家神道だ。」
思えば、幼かったぼくにとって、学校は、国家神道の「教会」だった。講堂に祭壇がもうけられていた。イコンは普段は奉安殿に保管されていた。先生たちは、みな国粋主義の「宣教師」だった。
昭和二十年までは、ばくぜんとだが、神州不滅だと信じていた。国家神道の導くところ、敗戦寸前まで、国体護持、一億玉砕にまでゆくのだが、竹槍を持って聖戦に殉じようとした当時の庶民にとっては、それは昭和天皇への個人崇拝とどう違うのか。アラブの大義とか北朝鮮の首領様信仰とどう違うのか。

島薗教授は、こうも述べている。
敗戦後も国家神道は解体されてはいない。皇室神道の「核」は残った。今もなお多くの信奉者がいる。




投稿者 nansai : 15:59

2008年2月 7日

喫茶店のカレーのにおい

喫茶店でカレーなどの強い食べ物のにおいが漂うのは困ったものだ。芳醇なコーヒーの香りがだいなしだ。気になりませんか。
といってぼくが特別コーヒーの香りの差に敏感なわけでもないが、食べ物やソースのにおいが、どうしても狭い店内では勝ってしまうのだ。

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「ついに、スターバックスが再びコーヒーらしい香りを取り戻すことになった。」とニューヨークタイムズの電子版にのっていた。
トップの鶴の一声で、朝食に温かいサンドイッチを出していたのをやめることにしたそうだ。つまり、コーヒーのアロマを、温かいサンドイッチのにおいがじゃまするのに、シュルツ社長が気づいたらしい。やっぱりコーヒー専門店の売りは香りやで、と原点に帰ったのだろう。

飛ぶ鳥を落とす勢いだったスターバックスも、競争の激しい米国内ではかげりをみせ、不振の100店舗を閉めるそうだ。マクドナルドやダンキンドーナッツが、味のいいコーヒー部門に進出してきたからだ。

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昭和も遠くなった。味にこだわる頑固な店主のネルで濾して淹れる濃い苦いコーヒーが、かつては、大阪名物だったが、代も変わり、そんな喫茶店は少なくなった。
店主の人柄にひかれて、雨の日も常連が集まってくる暖かい店は生き延びているようだ。イタリヤのバールのように、顔なじみが、ゆっくりだべりながら、粘れる店がほしい。
建築家の安藤さんによれば、大阪の男どもは散歩をしない。だから、町がさびれるのだという自説だ。一理ある。
そういえば、市役所の近くで花火でも上げると、人出が急に増える。大阪人は、イベントに餓えているのか。

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この春、いよいよ京阪電車の新線の上を利用して、
大川端の八軒家着場跡にも遊歩道ができるらしい。
ここからみる中之島の風景は、絵葉書のパリに似ているといわれる。川風に吹かれぶらぶら歩いて疲れたら、憩える止まり木のようなオープンカフェはできたらいいなあ。回転寿司にもきてほしいが。

大阪は家賃が高いと、よく耳にする。
家賃を料金に織り込むと、若い人を吸い寄せる小さな店やレッスン場の経営が、成り立たないそうだ。
あちこちで、いまビルとビルのすき間に、中小のビルがにょきにょき建ちかけている。思い思いにばらばらで、町なみとか店なみ?は、気にしていないようだ。先行き景気の見通しは暗澹としている。人が吸い寄せられるアイデアは大丈夫かな。
家賃が高いと、きれいなビルが建っても町はまちがいなくさびれる。バブル前、銀行の店舗で埋め尽くされた御堂筋の寂れようを思い出す。伝統に根ざさない「御堂筋パレード」では、活性化はどうにもならない。

投稿者 nansai : 17:56

2008年2月 1日

首長を選ぶ選挙は、たいへんなのだ。

二月五日火曜日、スーパー・チューズデー。いよいよアメリカの大統領選挙は、両党候補者もしぼりこまれ前半の山場を迎える。

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一人の候補者を大統領に選ぶのに総額で5000億円のカネが乱れ飛ぶといわれる。
長丁場のすさまじい選挙戦に勝ち抜くには、候補者の体力と根性とカネだ。終盤には、テレビ宣伝の投入量で差がでてくるという。
相手を中傷するテレビのコマーシャルに制限はないそうだ。カネが続く限り、ボクシングのように打たれたら、すぐやり返す。えげつない。

民主主義の総本山、4年に一度のこの国の選挙方式が、はたして正しい効率的なやりかたなのか。建国の父が作ったシステムだそうだが、21世紀のわが国にふさわしいお手本なのだろうか、わからない。

アメリカの大統領選挙では、民主、共和両党ともに、指名争いで、キャンデダシー、候補者の資格をめぐってまるで格闘技のようなつかみあいの激しい言い争いになる。民主党のオバマ対ヒラリー、旦那のクリントン元大統領も加わっての場外乱闘的舌戦が、見ものだ。
いまは、ユーチューブで、やりあいのスピーチがネット上にくりかえし見ることができる。スポーツの実況のようだ。

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お互い自分こそは「ふさわしい」と主張する。
一様に、「変革」が必要だ、とCHANGEを叫ぶ。
そして、要は、大統領の任に堪えるだけの経験があるか、準備は万全かなど、誹謗中傷を交えて、同じ党内で言い争うのだ。相手候補はふさわしくないと、面と向かって攻撃する。
だから問題点は、浮き彫りになる。

選挙はビジネスであり、ぬかりなくプロの戦略コンサルタントが仕切る。選挙対策本部は、戦略を立て、カネ集めのシステム作りに躍起だ。
各候補のウェブサイトは、充実している。サイトに訪れた読み手を説得し巻き込もうとしている。
政見だけでなく、寄付を募り、集会への参加を呼びかけ、ボランティアとして力を貸してくれるように訴えているのだ。

結局は、集金力だと専門家はいう。
カネさえ用意できれば、あの凡庸なジョージブッシュが選ばれてしまうのが、アメリカの民主主義の苦い現実なのだ。
さて、今回は?世界が注目している。盛り上がりは、すごいようだ。

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候補者の適性をあげつらわねばならぬのは、大阪府知事選もおなじだった。日米の選挙事情は、もちろん、比べようはない。
だが立候補のいきさつからみて、府知事戦は、いかにもにわか仕立てで準備不足の楽屋がまるみえだった。かねて議論を重ね周到に検討されたグランドデザインを用意したわけでもなかった。次点に終わった大学教授は、40日では何もできなかったと述べている。
大阪府知事選挙は、知名度の争いとなり、弁護士でテレビタレントの橋下氏が圧勝した。

大差をつけ獲得した百八十万票をどうみるか。関西では、やはり「お笑い百万票」か、と東京のマスコミからは揶揄されているのだが。

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大阪府の有権者は700万人いるらしいが、候補者選びは、カタログなしで商品を注文するようなもので、有権者としては、商品の中身がよくわからないから、選ぶのはむつかしく、おっくうになる。

府は、5兆円の累積赤字をかかえている。
府は、800万人の乗客を乗せて、海面すれすれを低空飛行中のウルトラ巨大エアバスなのだ。力つきれば夕張市と同じ財政再建団体に転落する。
当選すれば、府知事は、その超巨大ジャンボジェットを、機長として操縦することになる。設計ミスと積年の整備不備で、おんぼろエンジンは不調である。徐々に高度は下がってきた。乗客800万人を満載して、無事つつがなく航行できるのか。

結局選ぶものさしとしては、事前にどれだけ顔が売れていたか、テレビに出ていたかになる。知名度、好感度だけが、選ぶ材料のすべてになる。
首長にふさわしいかどうか、わからない。おそらく本人にも。
市も府も、ふりかえれば、民間企業の再建なら、経営能力の期待できない人材が過去選ばれてしまったのだ。その結果が、現在のおびただしい赤字と遺跡のような役立たずハコモノである。ただしい政策をとれなかった議員を選出した府民、市民の責任であろう。

ぼくは、橋下知事の若さだけでなく、かれの卓越した学習能力に期待している。
これからでも遅くない。腕利きのブレーン集団を率いてほしい。再建には、府の経営を診断し治療する「外科医」のスタッフが必要だろう。宮崎県東国丸知事よりも、元三重県知事の北川路線を打ち出してほしいと願うのだが。

夕張、大鰐、大阪。各地自治体の破綻は、公共事業の利用客の現実離れした需要予測にあったのはあきらかだ。
ニュータウンもオリンピック誘致も地下駐車場も空港もリゾートホテルも整備新幹線も公民館も博物館も遊園地も道路も橋もトンネルも、需要予測の甘いでっちあげで、死屍累々の赤字の惨状を招いたのだ。議会は、チェック能力を欠いた。
それを見抜くデジタルのチェックシステムがあれば、橋下知事はそれを駆使してもらいたい。
スーパーコンピューター?に、政策の実現可能性の選択肢を正しく入力し、議会はそれにもとずいて討議して決めればよい仕組みはできないものだろうか。
要するに、税金のもっとも得な使い方を長期シミュレーションし、「神託」ならぬ客観的な予測をコンピューターにまかせられないものか。

地元大阪の選挙事前報道よりも、海外の田舎の選挙の手に汗握る状況が、テレビ、インターネットで時々刻々リアルタイムで伝えられる。ユーチューブでみれば、候補者は目の前だ。
どのような形の選挙が望ましいか。
スケールは、あまりに違いすぎるが参考にはなる。

投稿者 nansai : 15:00

2008年1月28日

一月二十八日(月)

腰が痛いカエルになって 生まれて初めて、すすめられて接骨院へいった。 週末二日間、ぎっくり腰でもないのに、何かを取ろうとして腰をひねると、どうしたことかアイテテと急に激痛が走る。床についても、枕もとのスタンドを消すのも、寝返り打つのも、ままならない。 080128-01.jpg ゴルフはさっぱり飛ばないが、年のわりに、足腰が丈夫なのが売りだったが、これはただごとではない。 愛想のよい若い先生に診療してもらうと、よくわからんが、ぼくの体がゆがんでいて、骨盤の上に正常に背骨がのっていないそうだ。思い当たるふしとしては、以前、地下鉄の階段でころんで捻挫してから、どうも不自然な歩き方をしていたようだ。気づかぬうちに、その無理が、アイテテになったらしい。 かえるのようにうつぶせになって、若い先生に軽くちょいちょいと触ってもらっていたら、いつの間にか、おっ、だいぶ楽になっていた。 霊験あらたかである。不安が消し飛んだ。この年までマッサージしたこともなかったので、たいした技術だと感服した。

投稿者 nansai : 14:50

2008年1月24日

ろうそくを立てないバースデーケーキ

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もういくつ寝るとお正月。むかしは、指折り数えて、新しい年を迎えて、こどもはひとつ年をとった。
昭和も戦前、ぼくのこどものころは、年齢は、満でなく、数えで何歳、といったように記憶する。

お誕生日を祝う風習は、まだ定着していなかった。
ケーキもプレゼントも用意されていなかったし、ハッピーバースデーツーユーの曲も歌ったことはなかった。天皇の誕生日「天長節」は祝日。小学生も、「きょうのよき日は大君の」と歌って、国を挙げて祝った。

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さて、今月ぼくは満ナンサイの誕生日を迎える。うれしいわけがない。
絵に描いたモチならぬ、特製バースデーケーキをじぶんでデザインしてみた。ろうそくの数は描ききれない、でたらめである。真ん中に風車をたてた。

思えば、たくさんの恩やおかげで、こんな年まで生きてこられたものだ。なかでも、ひ弱い幼い孫を、動物園の飼育係のように、育ててくれた祖母には、苦労をかけどおしだった。
ぼくが世話をかけた祖母たちは、「千の風」となって、いまも大空を吹き渡っているのだろうか。といっても、みな亡くなってからずいぶん経つからああしんど、くたびれて微風ないし無風状態だ。バースデーケーキの真ん中の風車は、そんなかすかな風をしっかりと受けてまわるためなのである。ありがたいエネルギーなのだ。

ここで、例によって、くだらないアイデアが浮かんだ。
ケーキにたてた水車の支柱を、ろうそくに見たてたて、発電ランプとするのだ。

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誕生日を迎えた人は発電風車をけんめいにふうふう吹いてまわす。がんばれ。もうすこしだ。拍手。やっと点灯。割れるような拍手。

といった何回も使える、こんな省エネ版バースデーケーキ。風車ランプは、点灯できたら、おもろいやん。
ろうそくメーカーが困るだろうが。


投稿者 nansai : 14:35

2008年1月17日

一月吉日

どうにも不安な先行き暗い新年だが、あけまして「どーだ」という初夢。のような妄想を、マウスを操って、披露しよう。

それは、日本で一番高い塔を、万博公園エキスポランドに、おったてるのだ。場所は大阪平野のどまんなかである。
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これといってランドマークのない大阪に、アジアはおろか世界から観光客を誘引する展望タワーだ。22世紀まで、百年以上長持ちして、いうならば、パリのエッフェル塔と張り合おうというわけだ。

初夢にしては、なんとなくしけたスケッチではあるが、気宇壮大なつもりだ。ぼくの通勤ルートは、緑あふれる万博公園を見下ろし走るモノレール。がらがらの車内で太陽の塔と死んだようなエキスポランドをながめつつ思いついた。

この塔からは、ほら、眼下に、太陽の塔や万博の森や広場、千里団地が小さく見える。晴れた日は、360度ビューだ。大阪平野一円、大阪湾、淡路島も望めるのだ。
あたらしい東京タワーがなんぼのもんじゃい、という元気でユニークなデザインを、ひろく世界の建築家からコンペで募りたい。
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伊丹空港からモノレールで、新幹線は新大阪駅、地下鉄は千里中央駅と交通至便である。
ここ万博公園の立地は、大阪とは思えないほど、ひろびろとゆとりもあり最高である。遊園地エキスポランドは、例の大事故の後、しゅんとして休園して経営が危ぶまれる状態だし、万博公園は、正式には「日本万国博覧会記念機構」といい、れっきとした独立行政法人として存在意義がチェックされている。ここでカツを入れる必要がある。

塔の基礎部分は、地下を掘って、デジタル歴史ミュージアムとする。
日本の歴史をデジタル技術の粋を尽くして、世界の観光客にみせたい。万博公園にある国立民族博覧会の優れた展示ノーハウを生かしたデジタル分館にすればよい。
ミュージアム会場内は、パナソニックとシャープの協賛を得て、最新の大型デジタルスクリーンを林のごとく並べて世界をあっといわせるバーチャル展示を試みたい。大阪湾は、21世紀、日本の誇るデジタルベイである。
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また、万国博覧会に象徴される波乱の昭和を記念して、300万人の太平洋戦争戦没者を弔う小さい仏像を、基礎部分におさめてはどうか。
塔の名は公募するとして、昭和記念タワー、万博タワー、アジアタワーなど。

年明けるや、世界経済は低迷し、財政の重荷にあえぐ大阪も暗雲たちこめる日々ではあるが、この夢を今度当選される新しい大阪府知事にプレゼントしたい。

とまあ、景気よく、いいたい放題の構想、妄想ではある。ひとりよがりの、ぼく的!にいうならば、「独楽の塔」なのだ。コマは英語でTOP、つまりトップオブザワールドタワーとは「どーだ」のおそまつ。
誇大もよしとしようや、酔余の初妄想は、楽しい。

投稿者 nansai : 13:09

2008年1月 1日

二〇〇八年一月一日(火)

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投稿者 nansai : 00:02

2007年12月27日

「出す当てのない賀状展」は、むだ?

十二月二十七日(木)

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いよいよおしつまってくると、近くの公園のハトたちも首をちぢめてまるくなっている。夏には3匹いたはずのホームレスの猫たちも姿を消した。どこかにもらわれていったらしい。
知人友人から、年始のごあいさつ辞退のはがきをいただく。その数が、ことしは多い。近親者を亡くして、はがきにひとりひとりの思いがこもっている。多くは、天寿を全うされ、おどろくほど高齢だ。

で、賀状を出す先が、さらにせばまってきた。
「年賀状は贈り物だと思う」と、したり顔で、郵政公社のコマーシャルはいう。
若い人は、ケータイですませてしまうからだろう。「アケオメ」で意が通じるらしい。
ぼくくらいの年齢になると、事情は違う。
あっけらかんと「あけましておめでとうございます」でいいものか。
年賀状は、相手の安否を確かめるノックのようなものだ。と思う。
「よお、ドーダ!」もいいが、遠慮がちに。
すっかりごぶさたしている昔の友人が、いつまでも元気とは限らないのだ。
「おおい、まだ生きているかあ?」
例年ちょっとハイになって出していたノーテンキな決意表明的「おめでとう」ではなく、聖徳太子ではないが、「つつがなきや」とでもせねばならぬ。

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ことし久しぶりで賀状をくれた友人は、これから入院手術すると走り書きしてきた。手書き文字の乱れに驚き、いやな予感がした。見舞いの手紙をだしそびれているうちに、訃報に接した。何年も前から入退院を繰り返していたのだ。
お世話になった方で、前の年いただいた年賀状に病気でしんどいと書いてはあったが、ことしも、かなりたってから、父は亡くなっていたと、ご長男からご連絡いただいた。鈍感だった。
眼光紙背に徹して、いただく年賀状の行間をうかがわねばならぬのは、つらい。

そうではあるにせよ、ぼくにとって、出す先の減った賀状とはいえ、恒例の干支などはお絵描きの絶好のお題である。宮中歌はじめの御題のようなものだ。
例によって、あて先不明の独りよがりの賀状展をネット上にならべることにした。

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考えてみると、年賀葉書一枚50円。たった一枚を運ぶとしたら、配達の人手と経費は、排出CO2はおいておいて、無視できない。郵政公社はこんなサービスを21世紀のいつまで続けられるのだろう。
ことし、クリスマスカードを思い切ってネットに切り替えた英企業が、けさの新聞に取り上げられていた。

その点、だれも見ないかもしれない。どこに届けるあてもない。配達の要らないブログは、きらくなものだ。
しかし山中の庵のような、こんな自閉症ブログでも、数少ないがウオッチャーがいる。アタマ隠してシリ隠さずだ。気分が乗らず、さぼって間隔があくと、体調がわるかったのかときかれる。
隠居のブロッグは、集中治療室の心電波形のモニターのようなものかもしれない。ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。波形はふるえているようにみえても、本人はパソコンの前で、ひとり「ドーダ」と小さくつぶやきながら、お絵かきを楽しんでいるだけなのだが。

このブログのいいかげんなところは、日記のようで日付けにしばられないことだろう。ストレスにならない。夏休みの絵日記のような提出のしめきりがない。ぐうたらで移り気なぼくが、だらだら飽きずに続けてこれたのは、この融通無碍ないいかげんさによる。

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そして年賀状のアイデアを、あれこれとひねくりまわせるのは、デジタルの特権である。マウスとキーを操るだけで、紙も絵の具も筆もいらない。
ん、失敗したら消すまでのことだ。
こうして、愚にもつかないアイデアがたまってゆく。
主人公というか、今年の狂言回しは、干支のねずみ。こいつをおもちゃに、しばし楽しむことができる。勝手なもので、この際はだれにこれを出そうと考えないから、出す先が減ったのは気にならない。

年賀状向きかどうか別として、ぼくのアーカイブからひっぱりあげたねずみ諸君を紹介しよう。折々思いつくままに、混乱をきわめて、千差万別、支離滅裂。ばらばらだね。「2008年賀キャラクター展」のおそまつ。

ちなみに年賀状のコピーは、一茶の句集から拝借することにした。だじゃれ。

  めでたさも ちゅうくらいなり おらが春

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まずは書初めから。

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以下、だらだらと、ねずみのオンパレード。順不同で。

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だじゃれですんまへん、チューパーマンや。

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抱かれているねずみの表情。

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ぼくのゴルフの腕は年々ひどくなる一方だが、絵は上達したみたいである。毎年のならわしで、プレーヤーの顔を、干支の動物にすりかえるのだ。

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上達いちじるしいときくI氏夫人の勇姿。眼光が鋭い。

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三丁目の夕日。フラフープをまわすねずみ。

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ちょっと捻りすぎか。「大山鳴動して、ねずみ一匹」の図。
ちいさくてみえにくいが、画面の下に、ねずみが一匹。世界恐慌など、よくない兆しが、オーバー?に報道されているから。なにも起こらなければ、いいのにな。

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投稿者 nansai : 14:46

2007年12月25日

硝子戸の中から外を見渡すと

十二月二十五日(火)

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「硝子戸の中から外を見渡すと、霜よけをした芭蕉だの、赤い実のなったうめもどきの枝だの、直立した電信柱だのがすぐ眼につくが、そのほかにこれといった数えたてるほどのものは、ほとんど視野にはいってこない。」
大正4年、夏目漱石は晩年のエッセー「硝子戸の中」で、このように書き出している。

自分はほとんど表に出ずに、毎日書斎の硝子戸のうちにばかり座っているので、世間の様子はちっともわからない。座ったり寝たりしてその日その日を送っている。「書斎にいる私の眼界はきわめて単調で、そうしてまた極めて狭いのである。」と。
「しかし、私の頭は時々動く。」
狭い世界でも狭いなりに事件は起きるからだ。
「それから小さい私と広い世の中を隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人がはいってくる。」それがまた漱石にとっては思いがけない人で、思いがけないことを言ったりしたりする。興味に満ちた目を持って漱石はそれらの人を迎えたり送ったりしたことさえあると書いている。情報は、人が運んできたのだ。

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「去年から欧州では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。」
大きな戦争とは、第一次世界大戦だ。100年後の平成の今とあまりかわらぬ大正4年の世相がうかがえる。
「米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だ不景気だと零している。」ともあり、このころから打ち続く農村の疲弊は、富国強兵を国是とした近代日本のひずみ、きしみの通奏低音だった。農村の窮乏は、昭和にはいり、満蒙への侵略、太平洋戦争へと、日本を駆り立てたのだ。

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21世紀の郊外のわが家の硝子戸の中から見上げられるのは、高圧線の鉄塔である。寒々しい、うっとおしい光景だ。
高圧線の電磁波による健康被害の論争はかまびすしいが、規制のおかげで、鉄塔の下は、ビルもたたず、竹やぶやナラやクヌギの里山が手付かずでそのまま残っている。
国土の有効利用の面からも、電柱の地下埋設は叫ばれて久しい。
最近のうわさでは、鉄塔がそのうち撤去されると決まったらしい。
抵抗していた電力会社が、ついに重い腰をあげたときいた。
いつのことやら、もし本当なら、わが家は大歓迎だが、鉄塔がなくなるとカラスも困るだろうが線下の地主各位は大あわてだ。農地の宅地並み課税が痛いという。高圧線の鉄塔が撤去されたら、タヌキの出そうなわが家の周りは、雑木林が消え、いっきょに、マンションが建ち並ぶことだろう。いいことばかりとは限らない。

漱石の時代、「硝子戸の中」にときたま訪れる人が情報のメディアだった。平成のいまは、むかしのように訪れる客はなくなったが、見渡す限り氾濫したマスメディア情報の泥海に、孤立したぼくらは、浮かんでいる。
マスコミで報じられる情報の大半は、泥の大海に浮遊するごみだ。どんな情報かといえば、殺人、交通事故、火事、汚職、スキャンダル、選挙目当ての、大局はそっちのけの政局をめぐる右往左往。「かんけーねえ、」と言い放てばそれまでだ。

漱石のいう「小さい自分と広い世の中を隔離している硝子戸」は、平成のいまも存在しているのだ。人生と社会、国の行く末などを考えるには、晩年の漱石のように、人間としての洞察力が必要なのだろう。彼が没したのは、49歳。関東大震災の7年前だった。

新潮文庫で142ページの随想集は、わずか286円だ。この薄さなのに、懐かしいひもの栞がついている。
ネットの電子図書館で無料で読むことができるのはありがたい。ただし、読みづらい横組みだが。


投稿者 nansai : 14:45

2007年12月20日

ナンボのもんじゃ?「ドーダ!理論」とは。

十二月二十日(木)

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話題の「ドーダ理論」が、文春文庫「もっとコロッケな日本語を」に収録されている。この深遠な理論が、「ドーダの人々」三篇にわたって問題提起され、たったの476円である。日本の文庫本水準もたいしたものだ。
提唱者は、「ドーダ学の祖」東海林さだお氏。

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「ドーダ!」は、自慢話だ。
人は、みな、ドーダ、このようにオレ(ワタシ)はえらいんだぞ、ドーダ、といっているわけだ。
といってしまえば、ミもフタもないが、なにげない自慢話の奥底には、人間の深層心理がひそんでいる。

銀座の高級クラブから国立競技場まで、さまざまな場で、人の自慢する姿を漫画家の目でじっと観察して得られたスルドい仮説は、5年前に「オール読物」に連載され、いま洛陽の紙価を高めつつあるのだ。
この理論に共鳴した鹿島茂氏が「ドーダの近代史」(朝日新聞社刊)をあらわし、ドーダ史観で、幕末から明治までの司馬遼太郎のテリトリーをなで斬りにした。

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同書をNHKの書評で松岡正剛氏が推薦するにいたって、元祖「ドーダ理論」の正当性はゆるがぬものとなった。

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人間はなぜドーダするか。
ドーダ行為から人間の営みをみると、何でも切れるハサミのように、「文学から革命行動まで、人間のすべての活動を解明できる」と鹿島氏はいう。人間行動の森羅万象なんにでもあてはまること、かのウエゲナーの「大陸移動説」に匹敵するんじゃなかろうか。

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鹿島教授は、つぎのようにドーダを定義して、
「自己愛に源を発するすべての表現行動である」                                 と喝破した。いわれれば、そのとおり。八軒家描くところの、この手のけちなブログなど典型なドーダ行為なのだ。

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ドーダの祖述者鹿島教授はこう説明する。
ドーダ学というのは、人間の会話やしぐさ、衣服や持ち物など、ようするに人間のおこなうコミュニケーションのほとんどは、「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう。ドーダ、まいったか?」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立ち、ここから社会のあらゆる事象を分析してゆこうとする学問である。

「ドーダ理論は世界最強のグランドセオリーだ!」教授は、ドーダをみごとに発展拡大解釈し、精緻に理論を再構築し、「抱腹絶倒」な近代通史を試みた。ドーダの魂がつきもののように乗り移り、このよく切れるはさみで、水戸学から始めて高杉晋作も西郷隆盛も、一刀両断で説明できるという。

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「ドーダは、自慢である。
人に誇りうるものである。
と同時に、人にうらやまれるものである。
ドーダは本質的に、誇る、うらやむの相関関係がなければならない。
たいしたものだと思われねばならない。」(東海林さだお「ドーダの人々」)
で、いろんなタイプのドーダ現象が、東海林氏とその一派によって、観測されている。優位性誇示型ドーダが一般的だ。忙し自慢、教養ドーダ、ブランドドーダ、学歴ドーダ。まだある。有名人にあやかったドーダ。謙虚ドーダ、同県人ドーダなどなど。あげればきりがないだろう。

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ユング心理学の言う「投影」ではないか。との説をなす人も現れた、と「ドーダの人々」にある。
自分の内部にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外部の何かに投影し、外的なものとして認知しようとするものと解釈されるそうな。ふうん。「投影」ねえ。よくわからんが、ますます奥深そうだ。

ドーダ光線で世の中を見渡すとなんでも説明できるから、あんまりキマジメに「ドーダ理論」をドーダするのも、自分で自分をCTスキャンするようで、おもはゆいところがある。そこがおかしい。愉快だ。

銀座の高級バーは、「ドーダの館」らしい。ぼくはぼくなりに、東京はニューヨークやパリなみの「ドーダ都市」ではないかと思う。
現在のわが大阪は、今回の市長選挙の結果を見ても、ドーダ力が低いように思われる。

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「ドーダ!」のから振りが、もうしんどい。
大阪は、数々の手痛い挫折を引きずって、負け犬伝統の「それが、なんぼのもんや」の視点に安住している感じだ。吉本とタイガースだけのの「ドーダ力」は、さて。
かつては、大阪こそ、ドーダの本場だったのだが。「ドーダ都市」大阪の復活を祈るや切。

投稿者 nansai : 14:23

2007年12月11日

記念日だらけなのに、きょうが、ふつうの日でいいのか。

十二月八日
66年前の今日、何が始まったか。気にも留めない日本人のほうがおそらく多いだろう。政府も、日本の新聞もテレビも、あえて触れるのをはばかる不気味な沈黙の記念日なのである。声を潜める申し合わせでもあるのだろうか。あれほどのことが起きた、きょうはまさに、その日なのに。
66年前のきょう(日本時間午前3時)日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊を奇襲した。

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「臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
ダイホンエイハッピョウ、しぼりだすように読み上げられたアナウンスが、太平洋戦争の勃発を知らせた。
どの家にもラジオがある時代ではなかった。小学校4年生のぼくは学校で講堂に集められ校長先生からきかされた。

日本側からすれば、狂喜乱舞の大戦果だった。
無線を封鎖し隠密裏にハワイに接近した六隻の空母から第一波180機、第二波160機の雷撃機、急降下爆撃機が飛び立ち、オアフ島の米艦隊の基地を襲った。ハワイ時間で午前7時49分。いつもの静かな日曜日の朝だった。
攻撃が始まって90分で2386名が戦死。(うち55名は一般市民)1139名が負傷した。戦死者の半数は、戦艦アリゾナの爆発による1177名。戦艦アリゾナ、オクラホマを始め、艦船18隻が沈没、うち軍艦は5隻だった。

大戦果に日本国民は酔いしれたが、アメリカは卑劣なだまし討ちだとして激怒した。ルーズベルト大統領は、翌日の演説で、この日は「ザデイ オブ インファミイ」、汚名のうちに生きる日だとして怒りをあらわにした。緒戦の先制もむなしく、直ちに開戦を決意したアメリカの巨大な軍事力に、たちまち制海権、制空権を奪われた日本は、この攻撃のわずか4年後、壊滅した。
日本は国土が灰燼に帰し300万人の死者を出したあげく、すべての海外資産を失い無条件降伏した。当時の指導者は、どういう見通しで、この無謀な戦争を始めたのか。いまだにその責任は問われていない。
66年前、たしかに、この日、歴史は大きく動いたのである。

アメリカでは、大統領が、この日、「パールハーバーデー」に国旗の半旗掲揚を各省庁に指示した。
全米各地の新聞のネット上では、生存者の談話が紹介されている。各地でささやかであっても追悼行事がおこなわれていることがわかる。真珠湾攻撃で2390名の命が失われ、なお1000名以上の遺体が海底の泥でさび付いた戦艦アリゾナの艦内に閉じ込められていると報じている。
戦艦は、現在も湾底に沈んでいる。その上を海面にまたぐようにして、アリゾナメモリアルが建つ。いまは国立公園施設である。だいぶ傷んできたので「パールハーバーミュージアム」の資金集めがすすんでいるという。

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毎年十二月七日には、メモリアルビジターセンターで追悼式典がおこなわれる。今年も年々減るなかで5名の生存者が参加した。みな90歳前後だ。「グレートゼネレーション」とたたえられている。かれらは、ボランティアとして、メモリアルを訪れる観光客と交流し、いっしょに写真にはいり、サインをして愛想をふりまいている。「戦争へ!日本軍オアフ島を爆撃」の見出しの躍る当時の新聞の復刻版にサインしている。日本の高校生がおじぎして、千羽鶴を手渡す風景がCNNで紹介され、ほっとする。

ことし、戦艦オクラホマの戦死者追悼碑が建てられた。死傷者の多かったアリゾナの影に隠れで忘れられていたのだ。
オクラホマは攻撃で転覆し429名が艦内に閉じ込められた。救助されたのは30名。艦はその後スクラップにされ曳航中に沈没した。
120万ドルをかけた顕彰碑の前に、攻撃を受けた7時55分に200人が集まって、黙祷に始って式典がおこなわれた。429名の名は黒い大理石と429本の柱に刻まれている。
ヘリコプターの編隊が頭上を舞い、ステルス爆撃機が従い、歓声が沸いた。生存者は、高齢でもう集まれないだろう。
まだ身元不明の遺体640名はパンチボウル墓地に埋葬されているという。
死者の栄誉は、デジタルのサイトでひとりひとり記憶されるようになるのではないか。

十二月八日の朝日新聞大阪版は、一面トップに、「太平洋戦争開戦66年」とし、「戻らぬ遺骨115万の遺骨」をのせた。十二月八日に触れた唯一の記事だった。
66年前のこの日何が始ったのか。黙っていることは許されない。

投稿者 nansai : 16:56

2007年11月27日

歳末、猫のお絵描き棚おろし

十一月二十七日(火)

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年末をむかえ、ただよってくるインフレの異臭で、世の中キナくさくなった。オイルショック、はたまたサブプライムのバブル破裂と、あぶくゼニが世界じゅうを回りまわって悪い兆しが、あちこちに露呈だ。
ぼんやりと年賀状の干支の絵でねずみをもてあそんでいると、ちょっとあきてきて、むしょうに相棒の猫の絵を描きたくなった。猫の写真は、デジカメの普及で、いま、大ブームだ。
猫のお絵描きはどうか。種類がいろいろで、三毛や縞や、柄も複雑
なので、しろうとが描こうとすると意外に難しい。大画家の晩年の作品に名作が見受けられる。では、猫の絵は、このネット上にどのくらい存在するのだろう。

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気になって、グーグルで調べてみた。猫とイラストレーションといれて、検索。おるわ、おるわ、世界中でその数なんと、今日現在で三千四百八十万匹だ。(検索ロボットが探すのだから、かなりあやふやではあるが)ぼくも、仲間に入れてもらおうと、もう数匹の仲間を投入することに。
せっかくだから、昔描いたネコも呼び出そう。過去、描き指しがアーカイブに眠っているのを、ひっぱりあげて、いまいちど手をいれてみた。例によって、絵のタッチは、シリメツレツというか、そのときの気分しだいで、ばらばらである。

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ぼくは、マウスを使って絵のようなものを描くが、それには、ぼくの手に負えるテーマとモデルが必要である。猫は、格好の目標だ。
上等な猫は飼ったことがない。わが家には、三歳の元野良猫(メス)がいる。なんら特徴のない平凡なキジ猫である。こいつの動きを観察する。朝な夕なながめているとデッサンに自信のないぼくも、いつのまにか彼女の伸びをするかたちが取れるようになった。かな?
でも、ねこは、むつかしい。新聞や雑誌、グーグルイメージなど、人の撮った写真を見て描くのが、らくでおもしろい。70歳を越えて絵を描き始めたモーゼスおばさんも、広告写真などを見てヒントにしていたらしいというから。

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猫の種類は多すぎて、とてもおぼえきれない。うちにいるモデルはただのキジねこである。いつも食卓のうえにすわっているから、こんな見返り美人のポーズも拝見できる。

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愛すべきネコの写真は、テレビ、新聞、雑誌に氾濫している。
写真の動かないポーズを描くのは、やさしいようで骨がおれる。
マウスで一所懸命スケッチしても、ちゃんと似せて描くのはむつかしい。似ても似つかぬというな。デッサンがくるってゆがんでいるからこそ、期せずして、適当にいい味が出せているんじゃ、というのが、ぼくの言い分。それはどうかな?

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めすネコはすぐおかあさんになって子を産む。かわいがるなら、産ませないように。つぎつぎに生まれる子ねこがかわいそうだから。

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動物を人間に見立てて、二足歩行させるのは、かんたんだ。
これは、元来猫背のネコに背筋を伸ばしてもらって、一流モデルを気取らせた。

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八軒家南斎のこのような閉鎖的BLOGは、個人の文箱やノートみたいなもので、ただ、ふたがない、かぎがかけてない。
思いつきの走り描きだが、こうして陳列してみると、画廊の世話にならない個展のようなものだ。集客の必要もない。誰の迷惑にもならないのが気に入っている。
なかには、へえ、これ、自分で描いたの?というような発見もあっておかしい。ころっとわすれている。猫がねこじゃらしにじゃれるように描くときは興奮しているが、すぐにあきてしまったのだ。

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面白いことに、思いつきはすぐ忘れるが、面白い。この黒頭巾をかぶったねこは、「ニャンじゃ」と名づけた。ねずみ小僧とからめて、物語がでっちあげられそうだ。テレビをみていたら、おとなのアメリカ人にも、忍者が人気で黒装束ですぐまねをするのが面白かった。

準備の要らない安直なお絵かきは、画用紙も絵筆のいらないペイントをつかえばよい。絵の具がいらないから、いくらでも色が使える。描きなおしは、自由だ。くたびれるまで、あきてしまうまで。

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投稿者 nansai : 12:08

2007年11月21日

お年始の贈り物に、ネズミはいかが?

十一月十七日(土)

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ことしの年末は、日本中の郵便ポストに数億匹のネズミの大群がいっせいに飛び込むにちがいない。干支のネズミは年賀状の主役だからだ。
「年賀状は贈り物だと思う。」と、日本郵政の広告はいう。40億枚年賀はがきを売りきりたいらしい。
コピーの意図はよくわからんが、その年賀状に、干支に選ばれたとはいえ、ねずみは、騒がしく清潔とはいえない。アイデアとしても、姑息かつ陳腐である。
いかがなものか。さて。

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と、いちゃもんはつけたものの、ほかに策がないし、干支のネズミをアイデアで料理するのは例年おもしろい仕事なのだ。

ネズミの絵は、雪舟からウオルトディズニーにいたるまで、古来、名作が多い。ミッキーマウス、メイジー、レミーと、漫画、絵本、映画の愛らしい大スターぞろいだ。
ミッキーマウスは、きょう七十九歳のサイン誕生日を迎えた。老いてますます矍鑠たるミッキー爺さんに負けず、いちびって、迷作にいざ挑戦といこう。

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ぼくのような年になると、年賀状を出す先がだんだんほそってくるのはしかたがないことだ。

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手はじめに、まず四つんばいのネズミをむりやり直立二足歩行させる。正月のめでたい行事に参加させたり、人間さまのするスポーツのポーズをとらせたり。
ときどき、ネズミに見えず、キツネやイヌやクマに見えたりする。

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書初め、たこあげ、ゴルフ、サーフインとかボクシングとか、運動させてちょこまか動かす場合と、じっと静止させる場合といろいろである。
なにしろ思いついて突如パソコンに向かいマウスを動かすので、ネズミのタッチは、気分により、ばらばらである。

としのせいにはしたくないが、われながらいいアイデアが浮かんでも、シャボン玉みたいにはじけて消えてしまう。それもご愛嬌。思い出せなくても、また思いつけばいいやとあきらめる。
しばらくすると、なんのことはない、とっくの昔、マイピクチュアにしまいこんでいたのを忘れていた、ということがままある。パソコンは、老人の記憶ロボットだ。アーカイブの無限のしまいこむ能力を利用せねば。

干支の場合、さるや馬などほかの動物を擬人化したときのを、そのまんまいただいて、首をすげかえる。
人間の動きに見立てているから、これはうまくゆく。
絵を描くとき、ネットは、覚えていないこと、知らないことを教えてくれる。昔の赤い郵便ポストのかたちもスノーボードのからだのひねりも、みなグーグルの「イメージ」を参照すれば教えてくれるのだ。


これは、お世話になっているお隣のイタリア料理店のための年賀ポスター案である。たのまれたわけではないが、アーカイブから引っ張り出して、2008年改定バージョンに。とりあえず大阪でミシュランひとつ星をねらうべく頂点を目指す祈りをこめておいた。
主人シェフは、どうも白い歯をむきだした熊の顔が気に入らぬようだったが。
なぜ、スノーボードか。じつは、愛媛県の高校生がスノーボードでオリンピックを目指すニュースをみたばかりだった。世界に通じる実力の持ち主なのだ。


下らぬアイデアには、きりがない。ことしは、ちょっと、新機軸を思いついた。
月探査機「かぐや」からハイビジョンで撮った38万キロさきの地球。この美しい映像を使わせてもらおう。
来年の年賀状には、おそらく定番の初日の出をしのいで、初地球の出(舌をかみそうだ)の写真があしらわれることだろう。
この息をのむ映像にそえるには、「謹賀新年」では味気ない。賀正いがいに、いろいろありそうだ。

真っ暗な宇宙にぽつんと浮かぶ孤独な地球の姿。
おーい、まだ水はあるのか。緑は茂っているのか。

こんなのはどうだろう?ディズニーにとっちめられるかな。地球ネズミ?

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投稿者 nansai : 12:17

2007年11月13日

十一月十三日(火)

ポピーデー

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英国では、女王も首相も閣僚も、その日は赤いひなげしの造花を胸につけている。
十一月十一日が「ポピーデー」だ。正式には、リメンバランス デーと呼ばれ、英連邦諸国では、国を挙げて戦没者を追悼する日という。二つの世界大戦とそのほかの紛争で亡くなったすべての男女を偲ぶ特別の日と定められている。

国中のみなが、午前十一時に、二分間の黙祷。つづいて、各地で在郷軍人が行進する。ホワイトホールの戦没者記念碑には王室のメンバーと、政治家が集まり献花する。
十一日に近い日曜日は、追悼サンデーと呼ばれて、教会で儀式があげられ、各地の記念碑に花輪が捧げられる。二分間の黙祷につづき、ラッパが吹かれ、ビニヨンの詩「斃れし者に」が朗読される。
もし十一日がウイークデーに当たっても、学校、職場、ショッピングセンターで、万難を排して、「二分間サイレンス」はおこなわれる。

1918年のこの日は、第一次世界大戦の終戦の日だ。その年の十一月十一日午前十一時、西部戦線の砲火がやんだ。数百万人が死傷した4年以上の悲惨な戦闘のはてに。

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午前十一時きっかりに「二分間サイレンス。」が始った。
電車はエンジンを止め、車も息をひそめる。帽子を取る人もいる。頭をたれる人も。あちこちで、年老いた元軍人が、気をつけの姿勢をとる。おばあさんが涙を拭いている。みなが静かに立ち尽くしている。
以上は、1919年のロンドンの街角での初めての「二分間サイレンス」の模様を、当時の新聞が伝えた記事からだ。

赤いひなげしの花が、百年も前からの、国に命を捧げた戦没者に、厳粛に思いをいたすシンボルになっている。赤いおしゃれな紙の造花が町で売られており、在郷軍人の支援にあてられているらしい。

なぜポピーなのか。その由来も語り継がれている。
激しい砲撃で西部戦線の激戦地フランダースの地面が掘り返され、地中に眠っていたポピーがいっせいに花開き、一面の花畑になったといわれる。「フランダースの野原にて」という、戦死したカナダの軍医の作った詩が、いまに詠みつがれている。

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NHKの海外ニュースでみて、BBCネットを掘り返してみた。
BBCの第二次世界大戦アーカイブは、戦後60年を記念して、将来に向かって永久保存を願い昨年改訂された。
このサイトにはおびただしい死者の情報(15000枚の写真、47000の取材)が記録され、いまもなおサーチボックスが設置され情報提供が求められているのだ。NHKにもぜひ見習ってほしい。祀るのではなく、忘れないという気持ちがたいせつではないか。
国のため命を捧げた死者たちに、あなたがたを決していつまでも、決して忘れない、という思いは同じだが、追悼のしかたは、国や宗教によって当然違うわけだ。だが、戦後、半世紀をすぎ、わが国の行き詰った靖国論争も、はやく前向きに、解消せねばなるまいと思った。

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BBCの戦没者を弔うためにしつらえられた幾多のアーカイブを見て考えた。
デジタル時代の死者を追悼する記念碑は、石にきざむのではなく、記録のために必要な無限の空間と時間の待つネットに、アーカイブすべきだろうと。

国費により、NHK制作で、デジタル戦争博物館を建立するとよい。戦争により非業の死を遂げた三百万人の死者を弔い、正しい歴史観を後世に伝えるための史料をそこに蓄積編集すべきだろう。
国立デジタル戦没者記念戦争史料館。
21世紀に立ち上げるべき公共事業の「ハコモノ」こそ、戦没者を弔うための墓地ではなく後世に伝える情報デジタルアーキテクチュアではないか。ここは、NHKにおさめたぼくらの聴取料もフルに活用してほしいのだが。

戦没者を慰めるのに、英国のポピーのような花のシンボルがほしいと思うが、「菊」の御紋章は、思いが重過ぎると感じるのはぼくだけだろうか。

ガーディアン紙の報じるところでは、今回、イラクやアフガニスタンで傷ついた兵士たちのロンドン戦没者記念碑でのパレード参加が許可されなかった。激しい非難の声があがっているという。国は、戦争の悲惨さを国民に見せたくないのだ。

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投稿者 nansai : 16:50

2007年11月12日

十一月十二日(月)

「暴走老人!」という本が出たぞ。

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なぬ、「暴走老人!」とはおだやかでない。
が、省みて心当たりがないわけでもない。
書名の「老人」に!がつけられている。かなりの悪意がみてとれるな。
藤原知美の同名の著書で一躍流行語になりそうな気配。こんな本のバカ売れもいやだなと、抵抗がなくもなかったが、NHK「週刊ブックレビュー」で著者の藤原知美氏の弁をきいて、さっそくではなく、まあ、そのうちに、読んでみようという気にはなった。

「あんた、失礼じゃないか!」
こんな風に、すぐに切れて激高する「新」老人がふえたと、芥川賞作家はクールに指摘しているらしい。

老人も、人口がふえて、多様化してきたと思う。
分別あってしかるべき老人たちがときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、著者は、ひとまず「新老人」と呼ぶ。

評判の本とあって、テレビとネットでかなり引用解説しているので、読まなくても「新老人」の一員として、著者の切り口は理解できる。

文芸春秋のネットをあけてみると、「書誌ファイル」にこうある。
家族問題を長年テーマにしてきた作家が、「暴走する「新老人」たちの孤独にメスをいれ、品格なき日本人のいまを鮮烈に描き出します。」
最後のおすすめのひとことが痛烈だ。よくいってくれるよ。

「あなたの隣の困った年寄りたちの生態を明らかにする新感覚ノンフィクション・エッセイの誕生です。」

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「だれにむかって、ものを言うちょるんじゃ!」
などと激高すると、術中にはまり生態解剖されてしまいそうだ。一冊買って読まんわけにはいかなくなった。

ここに描いた老人は、オリジナル作だ。
「夕日の詩」の西岸良平描くところの昭和三十年代の理想?のお年寄りに、「暴走老人!」に取り上げられた平成のキレれた新老人を重ね合わせてみた。ま、昔ながらのただの老人に見えるのだが。

投稿者 nansai : 12:01

2007年11月 9日

十一月九日(金)

年賀状アイデア戦争勃発

ことしは、年賀状のアイデア水準がぐんとあがった。ホームページをみても、郵政公社が一流デザイナーを総動員して、デザイン指導啓蒙をはかってきたからだ。民営化の発足とあって、40億枚売り出すそうな。

ちかくのコンビニにいったら、ここでも、もう年賀状戦争が熱い。
賀状つくりのアイデア集が、雑誌売り場にならんでいた。「10分でできる年賀状。」ソフトバンク刊。なんと押すな押すなの1500点の作例がのっていて、たったの500円。CDつきだ。これは安い。「最短3クリックでできる年賀状作成ソフト」も、充実してよくできているぞ。

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やや、これはしたり。先を越されたか。遅れてはならじ。

ぼくの楽しみは、年賀状の干支の動物をアイデア画化することなのだ。何を隠そう、ぼく南斎は、ビルゲーツ先生秘伝のMSペイントでマウスをこちょこちょ操って、絵のようなものを描く、怪しいネズミ使い。天才絵師狩野永徳も、仰天の手軽さなのだ。
とわれて名乗るもおこがましいが、師匠もいないから免許皆伝なんかない。天涯孤独の町の鼠絵師なんである。賀状ごときで、ソフトバンクや郵政公社に負けてはいられない。

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わがマイドキュメントをひっくりかえして、かねて描きためた年賀状の動物たち(ねずみを主体に)に集合をかけて、2008年型アイデアを点検しよう。玉石ごちゃごちゃのなかに傑作が埋もれているやもしれないのに、描いたまま、忘れていることが多いからだ。泰山を鳴動させて、とりあえず、まずネズミ一匹を追い出すことに。

手始めに、探索ダイバーマウス。ウエブの大海原は、情報のジャングルだ。深くもぐって探そう。サーチマウスをよろしく。探しマウスというネーミングもいいか。

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投稿者 nansai : 13:29

2007年11月 8日

十一月八日(木)

我輩は、脚である。ちゃぶ台の。
--小沢党首辞任騒動をめぐって--

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我輩は、ちゃぶ台の、一本の脚である。
どういうわけか、我輩のほうが、ほかの脚よりも、はるかに太い。
ちゃぶ台とは、懐かしい昭和時代、たたみのうえに座って食事したころの折りたたみ食卓。いまは、ふつうの家庭からは消えたが、向田邦子のホームドラマに出てくるやつだ。
頑固親父が、家父長の威厳を保つために怒鳴りながらひっくり返すシーンが、向田ドラマによく出てきた。)
諸般の事情で、我がちゃぶ台は、いろんな板のはりあわせでできている。決して一枚板ではない。
とりあえず、くぎでいいかげんにとめてあるだけだ。

ある日、念願の大きな宴会を開きたいと思った。後押してくれる人もいた。
我輩は考えた。そのためには、からだを寄せて、もっと大きなちゃぶ台といっしょにならねばならない。あわよくば、釘で打ちつけて強引にひとつのちゃぶ台に合体できるかもしれない。

ところが、意外にも、ほかの脚たちが反対するのだ。
親のこころ、子知らずではないか。燕雀なんぞ大鵬のこころざしを知らんやだ。許せん。
一番太い足の我輩は、思わずかっとなって、ちゃぶ台をひっくりかえそうとした。年甲斐もなく。

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もよもと、ちゃぶ台同士の組み合わせ、寄り合わせるのは、我輩の得意だ。いろいろなちゃぶ台を、過去何回も寄せ集めた。
でも、しばらくたつと、なにもかも気に入らなくなって、ひっくりかえした。漱石の「坊ちゃん」だな。
ひっくり返すと、ちゃぶ台は、ばらばらになる。我輩は、それを、何回もくりかえした。

今回も、ひっくりかえしかけた。が、いつになく必死にほかの足たちがとめるので、大人気ないと反省して、思いとどまったしだい。さて。
(ちなみに、このように、どんでん返す行為を、いまも、マンガやドラマでは、「ちゃぶ台返し」というそうな。)

投稿者 nansai : 15:22

2007年11月 2日

十一月一日(木)

詩集「求めない」

「求めない」(加島祥三 小学館)
という詩集が、本屋の山と積まれた新刊書の谷間に、
ちんまりと並んでいる。

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「すると、何かが変わる」と帯にある。
「開いてみて」とちいさな白い本がささやく。
ん、1300円+税だ。

求めない――

すると
心が静かになる。




求めない――

すると
キョロキョロしていた自分が
可笑しくなる



求めない――

すると
恐怖感が消えてゆく

詩だろうか、句だろうか。200ページ足らず、どのページも、白い紙のまんなかに、こんな短い数行がぽつんと印刷されているだけ。この詩には、著者の研究している老子の思想がベースに流れているらしい。

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「求めない」は、数ヶ月前、NHKの朝のニュースで若いアナウンサーたちに紹介されて知った。
八十歳を越え信州に独居している著者は、英米文学の専門家だったが、十年以上前に「老子」に出会い、英語からの自由な翻訳をこころみ、ロングセラーとなったという。この本も、早くも5刷だ。

求めない――
人それぞれの受け取り方があるだろう。それが難しいことは百も承知だ、と詩人は言う。その上での「求めない―」。ときには、もう求めないと自分に言ってみるだけで、いい気分になるよ、とも。

求めない――

すると
恐怖感が消えてゆく

ぼくらは、求めて、求めて、かなわず、あきらめる。また懲りずに、求めて、求めて、かなわず、あきらめる。そんな繰り返しが世の常だろう。
ぼくほどの年になっても、それは続く。あさましいことだ。が、集中力と記憶力がとみにおとろえてきたので、「求める」気持ちが持続しない。天の配剤というべきか。

求めない――
のあとに、自分で考えて、日々、なにかをつぎたしてゆくのがいいのでは、と考えた。かなわぬまでも、やってみる値打ちがありそうだ。
そうすれば、ひとりひとり、自分だけの「求めない」詩集をつくることができる。
求めて、求めて、ないものねだりの、ぼくには難しいことではあるが。 (そうだ。脈絡なく、ぼくは勝手にぼくのカエルの絵をそえることにした。)

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求めない――

すると
求めないでもいられる自分に驚く

先日、ひさしぶりで気の置けない友人たちと、ホームコースでゴルフをした。
もともとの下手にくわえて、足をひきずっているせいもあり、いつものことだが、ボールがあらぬほうに飛んでゆく。キャッチャーフライみたいに真上にもあがるのだ。
二十センチのパターをはずしながらも、ぼくは悠揚せまらず、
「求めない」「求めない」
をとなえて、いや、連呼して、パートナーにいぶかしがられた。
深遠な老子の思想とは、ほど遠い受け止め方である。

投稿者 nansai : 13:50

2007年10月30日

十月三十日(火)

打たれたが、あっぱれだ。岡島投手

ことしのワールドシリーズには、注目した。両軍に日本人選手がいたからだ。松坂、岡島と、松井。
「一億ドルの男 ルーキーイヤー 至福のエンディング(毎日)は、4勝して優勝したボストンブレーブス松坂投手に捧げられた見出しだ。
ゲーム3は、空気の薄い標高1,600?敵地デンバーで、コロラドロッキーズを相手に、松坂はみごとに5回を投げきって、勝利投手となった。このところ結果の出なかったダイスケは、買い被りが裏目にでて期待されなくなって心配していたが、最後に意地を見せた。

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しかし、ぼくは、脇役の岡島投手をたたえたい。
シリーズ初登板での岡島投手の救援振りには、感動した。冷静な平常心で、歯を食いしばって、打者7人を凡打三振に討ち取った。相手ロッキーズの監督が絶賛したというからすごい。
フランコーネ監督の信頼はあつかったが、第三、第四戦では、いずれもホームランを浴び一点差に詰め寄られた。限界だったのだろう。
岡島は、シーズン66試合に登板した、縁の下の中継ぎだ。
今年はじめ、レッドソックスに移籍したが、岡島のあの投げ方で大リーグで通用するかと危ぶむ声が多かった。ぼくもその一人だった。

ダイスケの「ジャイロボール」は魔球だとか、鳴り物入りの松坂大輔の影にかくれていたが、今はどうだ?
日本の球界に見る眼がなかったのと、岡島のパワーを大リーグに通用すると見抜いたレッドソックスのコーチとの出会いが、幸いした。

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球を放す瞬間、キャッチャーミットから眼をそらし、下を向く。
あっち向いて、ほい。岡島投手の独特のピッチングフォームを何とか描いてみたいと思った。似ても似つかぬのは承知のうえで。

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変則といわれるだけあって、かなりむずかしい。
新聞やグーグルの写真を見ながら、マウスをこちょこちょまわしてスケッチする。
そのときのこっちの気分により、その都度描き方のタッチが、ふらふら一定しないのが、悲しいかな、しろうとのご愛嬌だ。
でも、ものは考えようである。型にとらわれない自由は特権でもあるのだ。思いつくまま無責任にいろんな型をあれこれ試みためすのは愉快だ。と、居直ることにしている。
ゴルフでは、これをテストハビット(ためし癖)という。コース上でやると、たたりでぼくはひどい目にあっているのだが。

投稿者 nansai : 12:57

2007年10月24日

十月二十四日(水)

偽装の赤福もちに「もったいない」の
いいわけは、もったいない?

大阪では、粟おこしなど往年の地元名産の影が薄くなった。かわって、伊勢名物のはずの赤福が、大阪駅で一番売れている大阪土産ときいた。たいしたものだ。
全国区に雑誌広告を出して、創業300年の赤福は順風満帆に見えた。

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あんやもちのようにいたみやすい商品を、工程の技術革新で、添加物がなく新鮮なまま、消費者にとどけている、というふれこみだったからだ。
ところが違った。
「生ものですからお早めにお召し上がり下さい」とは書いてあるが、手練手管のかぎりをつくして消費期限を偽るだけでなく、売れ残りの回収製品も冷凍し、消費期限をつけなおし再出荷していたという。
チェックの目は節穴か。行政も見抜けなかった食品衛生法とJAS法違反だ。
「客を欺く精神が許せない」と社説に掲げたのは、産経。「老舗よ、お前もか」(朝日)ほか、大新聞も非難ごうごうの弾幕を張っている。

追い詰められた社長は、「もったいない」という気持ちが社員にあったのだろう、と弁明した。自分は知らなかったが、と歯切れは悪かったが。

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だが、「もったいない」は、世界で認知された日本人の美徳とされている。
食べ残しなど食品の無駄は目に余る。コストダウンは、製造現場の正義であり、目標である。世は、リサイクル、再利用、資源の有効活用を叫ばれている。売れ残ったあんともちを「分別回収」して、何が悪い。食中毒になった客がいるかと、居直りたいところだろうが、うそはいけない。きれいごとをいって消費者をだましたことになると、とっちめられている。

テレビニュースを見ていたら、伊勢参りのお客はのんきなもので、赤福の店頭で、せっかくたのまれて買いにきたのに残念だと、にこにこ。閉まった店の前で、みな並んで記念写真を撮っている。お客さんはありがたいものだ。

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食糧危機かもしれぬ21世紀、「もったいない精神」は大事だ。
こぼした飯つぶをひろって食わされたぼくらからみて、コンビニなどの食品の大量廃棄も、これからはいかがなものか。衛生面にシビアな配慮が必要だが。

ぼくは、このけしからん赤福のためのアイデアを思いついた。一発逆転は、むりかもしれないが。

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お取り込みの最中に大きなお世話であるが、おわびのしるしに、つぎのような新?製品発売のごあいさつはどうか。
「長年の、そして今回の経験と冷凍再生技術を生かして、あんともちのリサイクル製品の開発に成功しました。味は変わりません。」
再生商品名は「白福」はどうだろう。
「もったいない」の気持ちは、たいせつに。
「従業員向けの社内販売価格で。よろしければ」として、老人ホームなどでお茶請けに、無料でくばって、罪滅ぼし。いいんじゃないの。

投稿者 nansai : 15:25

2007年10月18日

十月十八日(木)

もし、亀田がチャンピオンになっていたら?

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未曾有のバッシングのさなか、本人は自分で丸坊主になって一言も発せず、亀田親子は処分に全面降伏の感じで、「とりあえず」あやまって記者会見は終わった。
今度のフライ級世界選手権(しろうとで野次馬のぼくは、世界タイトル戦とは気がつかなかった)は、試合というより、事件になった。反則許すまじ。だれもが正義の味方で、裁判員になったのではないか。だからいわんこっちゃない。大新聞までも苦々しげに社説でとりあげた。
ぼくは、もし、何かの拍子で、亀田大毅が世界チャンピオンになっていたら、と考えてみた。
あの晩、リングサイドの実況アナは絶叫していたのだ。
チャンピオンの切れたまぶたの上の出血がとまらない。ドクターストップにでもなれば、「勝てますね」と。
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もし大毅が勝っていたら、世間は、マスコミは、どんなスタンスをとるだろうか。困ったかなあ。よおし、と張り切ったか。手のひらの返しかたは、とても興味深い。
「親子の絆」がテーマのテレビの特番が、次々に企画されよう。21世紀の「親孝行」として、美談化されるだろう。
勝ってなんぼや、何が悪い。こどものけんかに親が出て悪いか。父親の子育ての本が、ベストセラーになって書店の店頭に平積みされるだろうか。
激しいブーイングは前回もおきたし、抗議の電話も五万本と聞いたが、今回もすごかったが。

ボクシングは、ぼくのようなズブのシロウト目には、勝ち負けの判定が難しい競技だ。野球やサッカーやマラソンなどの、ほかのスポーツと違う。
12ラウンド打ち合って、どちらもダウンしない。
やせた33歳の世界チャンピオンが目の上を切り顔面ぼこぼこだ。
いっぽう、筋骨たくましい18歳の挑戦者は、涼しい顔。判定で大差がつくと、ブーイングを背中に浴びながら、健闘を讃えあうでもなく、さっさとリングをあとにした。
リングサイドの元世界チャンピオンは、判定ほど差はない、と言い切った。どうなっているのだ。
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事件性のおかげで、テレビ桟敷のぼくら野次馬も、あとで詳しく試合の内容を解説してもらい、にわか「反則通」になった。世界選手権試合はフェアなものと思っているから、びっくりだ。
ふうん、サミング、頭突き、目つぶし、抱え投げ、タマをねらう、いろいろあるもんだ。ボクシングをやっている人には常識でも、驚いた。

で、ボクシングには門外漢のぼくには、破天荒だった試合そのものよりも、後のテレビや新聞の報道がおもしろかった。
この試合をふくめての一連の騒ぎをめぐる人たちが、意見の立ち位置をかえる、あたふたぶりが、じつに興味深かった。
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ちょっとでも、ボクシングをかじった人は、怒りで震えるようだ。許せない。スポーツは、フェアで神聖だという思い込みが強い。
同じボクシング業界では、多少歯切れは悪いが、不快感を隠せない。ほかのえげつない格闘技に客を奪われて落ち目の業界にフットライトを浴びさせてくれたのだが。
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さて、世間様だ。
ぼくもその一員だが、ボクシングはわからないから、態度しか判定のしようがない。
「なにわの弁慶」とか、業界では悪役を「ヒール」というらしいが、ちんぴらやくざの役を振られて、得々と演じてきた。一流の振り付け師がついていたのだろう名演技だった。
年少者のくせに、先輩に敬意を払わない、礼儀知らず。顰蹙を買う挑発行為。不愉快だ。ざまをみろ、親の教育がなっていない、とか、世間様はにわか裁判員としてブーイングを浴びせる。
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世間にも、ひいきの引きたおしのグループがいる。
関西の地元だ。試合の後、熱唱する唄の追っかけファンもいるらしい。ぼくのタイガースとはちょっと違う。
亀田一家イコール関西と見ている人も多いらしい。
テレビにはびこる吉本イズム。しかたがない。同じように見てほしくないという声も。

いちばん、大きい正義のブーイングは、勧進元のTBSに浴びせられている。視聴率は、四十%近くに達してしてやったりのはずだったが。
ボクシングも、ショーにすぎない、という信念で、一糸乱れぬ大統領選挙のような売りだしキャンペーンが展開されたのだろう。成功してきた。
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だが、思わぬ展開になった。世間様の風当たりに、あわてて、局のなかでも、対応がまちまちだったようだ。
「愛局心」がばらばらにみえた。司会者やタレントたちが、急遽立ち位置を変えるのに、あたふたと右往左往する。これは見ものだった。
当人たちは、自分自身の人気、良識を守るのと、局への一宿一飯の恩義の板ばさみで、わかるねえ。

「あんたはずるい、距離をとって、打ち合わなかった」と、翌日のテレビでチャンピオンに、証拠のメモを取
り出してくってかかったタレントがいた。試合前で「君が代」を独唱した歌手である。
いやあ、それぞれ、忠犬ハチ公だ。みな生きるのに一生懸命だなと思ってきいていた。
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最後に、博愛主義者。訳知り。家庭裁判所。死刑廃止論者だ。
まだ18歳のこどもじゃないか。何も知らないのだから、親の責任だ。才能の目をつんではいけない。将来の世界チャンピオンになれる素質が、みてとれる。
などなどだ。

18歳の未成年。でも、ぼくは、すべて、自己責任だと思う。
まわりに影響されるのはしかたがない。これほどマスコミに持ち上げられたら、振り落とされたら、狂うのは当たり前だ。
視聴率の犠牲。果たせなかった父親の野望。跳ね除けるのは難しいが、自分の人生だ。
誰からも相手にされない若者は、ほかにはいて捨てるほどいる。
他人がとやかくいうことではない。大きなお世話だ。

ただ、テレビや出版、ゲームの興行師たちのがんばりで、亀田一家のスタイルが、社会現象になり、そのまんま、夕刊紙の一面に登場するのにはご勘弁願いたいものだ。ネオ亀が、青少年の憧れの理想像になっても、どうかねえ。
脅しのちんぴらの物言いが、大阪弁代表とみなされるのも迷惑だし、うんざりだ。
半世紀前は、不運にも、同じ年代の若者たちが、戦争に駆り出され、帰らぬ人になったことも思い出した。

投稿者 nansai : 13:56

2007年10月12日

十月十二日(金)

歴史の教科書で学んでほしいことは、なにか

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半世紀も前、太平洋戦争の末期に、沖縄でなにが起きたか。あと数ヶ月で、日本が連合軍に無条件降伏する土壇場だった。
本土にいるぼくたちは、あまりにも知らなさ過ぎたし、知ろうとしなかった。グーグルかヤフーに、「沖縄戦」と入れて検索してみよう。

昭和二十年、太平洋戦争末期の沖縄戦は、55万人のアメリカ軍(上陸部隊18万人)と12万人の日本軍が戦い、民間人を巻き込んだ日本側の死者は、三ヶ月で20万人を越えた。
悲惨にも、海に囲まれて逃げ場のない非戦闘員15万人が死亡した。
ほとんどが米軍の熾烈な砲撃爆撃による犠牲者だが、ところによっては、洞窟に逃げ込んだ住民が集団自決に追いやられた。
女子供老人、非戦闘員も、軍民一体で戦い、生きて捕虜になることを恐れたからだ。

ことしになって、この集団自決に、軍の命令はなかったとして、教科書の記述が削除された。それをめぐって、沖縄県民が抗議の声をあげている。

この91式手榴弾は、7,8秒で爆発する。死を選ぼうとした住民たちは、車座になって、手榴弾を爆発させたと伝えられる。

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当時、手榴弾の材料の金属が不足していて、丹波などの窯元で製造された陶器製も使用され、不発事故も多かったという。
手榴弾が入手できない場合、やむなく、最愛の家族同士が、カマや棒で殺しあう悲劇も。地獄としかいいようがない。

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沖縄の場合、集団自決した人々は、十万人の尊い犠牲者のうちの一部である。それなのにである。
日本軍が命令で関与したかどうか、世界でもまれな集団自決を教科書にどのようにとりあげるか。問題は、歴史認識から外れて政治問題になってしまった。反日、売国奴、自虐史観と、相手を呪う言葉が飛び交う。
地元住民のデモの数におびえて教科書を書き直してもよいのかという大新聞の意見も出てくる。
高名なノーベル賞作家が裁判で争い、大新聞どうしが口汚くののしりあうといった有様である。

そんな教科書の記述をめぐる争いよりも、大事なことがある。
昭和二十年、沖縄でなにが起きたか、史実を集めて歴史に残し、戦争を知らないひとたちの胸にしっかり刻むことが大切だと思う。
そして、なぜと問いたい。それが歴史認識だろう。

沖縄でどうしてこのような戦いが起きたか、なぜあれだけ多くの住民が戦いに巻き込まれてなくなったのか、後世の人が考える史実をできるだけ忠実に伝えるべきだろう。
あわせて、昭和のはじめからの太平洋戦争にいたるまでのいきさつを伝えねばならない。なぜ300万人の日本人が命を落としたのか。なぜ。
そして、日本軍が戦争に巻き込んで、なくなったアジアの人たちの犠牲を、どう受け止めるか。

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沖縄戦に限らず、戦争は、殺戮以外のなにものでもない。ウイキペディアで、殺戮の歴史をみてみよう。

たいていの兵士は、徴兵される前は、ふつうの農民や市民だ。
戦場は、かれら、ごく普通の人間を、殺戮に駆り立てる。かれらを突き動かす動機は、なにか。
刷り込まれた大義だけでなく、恐怖、報復、疑心暗鬼など、異常な心理状況による。
命令のあるなしにかかわらず、軍隊が、兵士が、狂うときは、敵の戦闘員と一般民衆が見分けがつかぬ極限状況においてである。市街戦、ゲリラ戦は、大量殺戮につながりやすい。
勝った側は、戦闘を終結させるために、殲滅をはかる。圧倒的な武力で優位に立ち制圧できるとき、無抵抗の相手が、特に民衆が殲滅の犠牲となる。殲滅、掃蕩は命令によることが多いのだ。
NHKのドキュメンタリー兵士の証言をみても、命令だからしかたなかったと兵士たちはいう。ある元兵士は平然と、ある元兵士は涙を浮かべて。

どのような大義をかかげようとも、どの時代の、どの国の軍隊も、例外ではないと歴史は教えている。
この史実を、戦争を知らないひとたちに伝えたい。
戦争とはなにか。おぞましい戦場の極限状況を知らないひとたちに学習してほしい。
歴史だけが、教えてくれる。

NHKの2005年制作のドキュメンタリー「沖縄よみがえる戦場」は、みておくべきだろう。いま深夜に再放送されている「証言記録・兵士たちの戦争」は、アジア太平洋戦争で、わが皇軍がいかに戦ったか、ぼくたち銃後の国民がしらなかった史実を教えてくれる。
このドキュメンタリー・シリーズは、戦争を知らない政治家たちに、「ご議論」の前に戦争の現実を学習できる機会を与えてくれるだろう。若い世代には、丸暗記のための教科書よりも、この日米双方の映像資料による証言をみてほしい。
修羅場を経験してかろうじて生き残った証人たちは、戦後60年たち、押し黙ったまま、次々に世を去っている。何が起きたかを思い出し語るのは、あまりにつらいから。

集団自決に軍のかかわりはなかったとして、教科書記述を改訂しようとした勢力は、いったいだれなのか。
安倍内閣時代の文部科学省の動きは、見過ごせないと思う。

戦争末期、日本は国全体がおおきな感情に突き動かされていた。国を守るということは、一億玉砕してまでも国体を護持することで、沖縄の住民を守るということは、軍の戦略としては考慮外だった。
毎日新聞那覇支局の三森輝久氏は、「記者の目」欄にこう書いている。
「沖縄戦は、本土防衛の時間稼ぎのため日本軍が展開した「出血持久戦」だ。軍民混在の状況下で組織的抵抗が三ヶ月続いた。この過程で、日本軍が住民を壕から追い出したり、食料を奪うなどの虐待が各地で起こった。スパイ視の挙句に殺害した例もある。県民の犠牲者数は、いまも不明で、9万から16万人まで見方がわかれる。」

自分を、天皇陛下の「醜の御楯」と思え。大君の辺にこそ死なめ、省みはせじ。今の人たちには信じがたいことだが。ぼくらは、こう教わった。

中学二年生のぼくらは、もう本土決戦のための海岸陣地構築に動員されていたが、遠く海をへだてた沖縄戦の悲惨な戦況は、まったく知らされていなかった。

沖縄戦に勝利して、アメリカ軍は、Operation Downfallを発動する計画だった。十一月一日のXデーまでは、7発の原子爆弾を投下し、九州に35万の米軍が上陸の手はずになっていた。

かれらの見積もりによれば、日本制圧には、米軍170万から400万人の死傷者(戦死者40万人から80万人)が予想された。
対する日本側の損害は、本土防衛に大規模な市民が動員されると仮定して、500万人から1000万人であった。
過去のノルマンディーや硫黄島、沖縄戦から類推して計算された数字であろう。(戦時庁スティムソンのスタッフ、ウイリアム・ショックリーに。ウイキペディアから)
中学二年生のぼくは、沖縄戦と同時期に本土で陣地構築に動員されていた。
沖縄に向かって出航した戦艦大和が沈没したことも、連合艦隊が壊滅したことも、まったく何も知らなかった。このオリンピック作戦の全貌?も寡聞にして、ネット上で、60年後に初めて知ったのである。

投稿者 nansai : 16:40

2007年10月10日

十月十一日(木)

たそがれコンサート予告

ことしも、会社の前の公園で、町おこしの「たそがれコンサート」が開かれる。有志肝いりの豪華プログラムだ。バイオリン、アコーディオン、太鼓と、毎晩、演目がかわる。入場無料。

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オンチの南斎も、ボランティアでポスターの絵を描くことに。以下は、アイデアスケッチだ。

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赤いとんがり三角は、公園の遊具で、これをシンボルにしては、というわけ。これからこの界隈の名物イベントになれば、縮めて、「たそコン」とよべばいい。これから三十年たって、ここが「三丁目の夕日」として子供たちの記憶に残るかもしれない。
絵のほうは、ちょうど「衛星探査機かぐや」がおじゃましているお月さんから、ウサギ君に出演を依頼した。

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もともと大阪城内だったここら界隈は、水の都のへそにあたる。歴史はふるく、平城、平安時代にさかのぼる。すぐそばに、熊野街道に通じる御祓い筋。公園の下は、名高い八軒家船着場でにぎわったところ。万葉集にでてくる難波津も近くにあったという説も有力だ。
この千年以上前の歴史のある街をなんとか、盛り立てたいものだ。盛況を祈ろう。

投稿者 nansai : 18:03

2007年10月 1日

九月二十八日(金)

ピリオドの日。
どうなることかと心配していたら、阪神、8連敗にピリオド。中園の好投、復帰した林の一振り。若手のふんばりで、まずは、やれやれ。

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その夜、堂島中町のショットバー「デワ―ハウス」がひっそりと四十九年の歴史を閉じた。こちらは、いささか切ないピリオド。入居しているビルが取り壊されるらしい。
昭和がまた遠くかすんでゆく。
ほんまに知る人ぞ知るだった。このスコッチバーは、昭和三十年代のサラリーマンのぼくにとっての青春のアーカイブだった。あのコロは、よう飲んで、よう働いたなあ。

昔の毎日会館の対面の地下一階。看板が小さくて地上を通る人はつい見過ごしてしまう。転げ落ちそうな急な階段を下りると、この4坪ほどの隠れ家風たたずまいは、古色蒼然、昭和三十四年創業時とまったく変わっていない。階段下つきあたりのトイレは、向かいの居酒屋との共同便所だ。

知る人ぞ知る。開店当時は、それはたいしたもんだった。
大阪じゅう、屋上地下、いたるところビアホールが乱立し、安いうまいトリスバー全盛時代で、「ホワイトラベル」のような舶来スカッチは、薄給のぼくら平社員には、神々しく近づきがたい存在だった。
おそるおそる緊張して、上司に連れてきてもらった晩を昨日のことのように覚えている。(すごいことに、半世紀も前、その日撮られた写真が、きちんと整理されて、店のアルバムに貼りつけられているのだ)

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「はーい、動かないで」と、先代のバーテン矢持さんが、要望があれば、超スローシャッターで客の写真を名機ニコンSPで撮ってくれたものだ。白黒だがかたっぱしからアルバムに張って、それを誰にもオープンに見せるサービス?が自慢のアイデアだった。
連れてきた女性と並んで撮ってもらうのだが、プライバシーなんか平気だ。個人情報が今ほどうるさくない時代の顧客管理のはしりだった。
バインダーがはずれてぼろぼろになった百六十冊?のアルバムが、昭和の高度成長時代からの越しかたをクールに記録している。
昭和三十年代のぼくの若き日のやせてとんがった顔も、かけだし当時の名刺といっしょに残されている。青春の過去帳のようなものだ。
往時茫茫、堂島通りをへだてて毎日放送のスタジオが対面にあったころは、スターたちも時間つぶしに訪れた。ビデオ以前のキネコ撮りの時代だった。

別に上得意ということでもなかったが、古顔として、忘れた頃に友人たちとぶらり訪れた半世紀。お世話になりました。時代を超越して、このバーは、表情を変えず客にこびず飄然としたところが好ましかった。(近年は、タウン誌などで男の隠れ家風に見直されてきたようだが。)

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スカッチしか出さない。しかし、スノッブめいたところがみじんもなく、いわしなどの缶詰が積み上げられた棚から勝手につまみを選ぶ。水割りの水はミネラルではなく水道水をボトルに入れ冷蔵庫で冷やした。
「ここの水割りは薄いから、何十年も飲んでも悪酔いせず胃を壊さないのだよな」と、ぼくらはよく悪態をついた。

さして飲めもしないくせに談論風発して深夜まで粘るぼくらの頭上に先代バーテンダーの矢持さんが、ロープを張ってまだぬれた布巾をつるす。ぽたぽたしずくが落ちてきそうだ。
頼むから帰ってくれえ、の信号旗だったのもなつかしい。
ありがとう。さようなら。お世話になりました。

大阪がまだ元気だったころの話だ。
デワーハウスが生まれて二年目、昭和36年秋の第二室戸台風で、高潮の泥水が堤防を乗り越え、中之島一帯水浸しになった。
あのころから大阪が変貌し、背の高くなった防潮堤で大川の水面が見えなくなり、川の中にくいをぶち込んで高速道路の橋脚とした。パリのセーヌに似た水の都の風景も消え、東京一極集中に一直線へ。トリスもスカッチも、いまは焼酎に好みが変わった。

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閉店の晩、ぼくなりのレトロな、こころの「玉手箱」を小脇にかかえ、ころげおちないよう用心しながら急階段を降りて、なかをのぞいてみた。
当然、ぼくは浦島太郎である。
あ、お呼びでない?振り向いてくれる旧知の客は、いようはずもない。
子か孫のような見知らぬ若い世代のひとたちで狭い店内は込み合っていた。

「こころぼそさに ふたとれば、
あけてくやしき たまてばこ」

投稿者 nansai : 16:24

2007年9月28日

九月二十八日(金)

トラがネコに化けた夜

十一勝十一敗一分で迎えた昨夜の阪神中日戦。
久しぶりで三塁を守る今岡に、中日中村の三遊間のゴロが襲った。
待ってとった体勢がまずかったか、右足に体重がかかり、よろけるような妙な倒れ方をした。一塁へはかろうじてツーバウンドで刺したが、ひざか足をひねったらしい。いたい。

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でも、痛みはあるだろうに、今岡はそのまま引っ込まず、次の打席で、走者一塁において、みごと三塁左を抜く二塁打だ。
もともと鈍足の彼が痛む足をひきずって、けんめいに二塁へ駆け込んだ。
塁上で、めったにしない小さなガッツポーズ。
三ヶ月のブランクからはいあがった彼のくそ意地がつたわってきた。ぼくは、安っぽく感動はしない。プロなら当たり前のプレーだからだ。
打線不振の不甲斐ない阪神は、せっかくランナーをためても、次の一本がでないまま、八連敗だ。でも、ひさしぶりで今岡のガッツなプレーをみせてもらった。
はいあがって再起なるか?ホームページに、一時は進退も考えたと書いた今岡。外野席のファンは、「お帰りなさい。今岡」と書いたプラカードを振っていた。

けさのスポーツ新聞の見出しは、きびしい。ニッカンは、

「300万人突破の日に8連敗」
「『猫ナイン』」叱る宮崎オーナー」「甘えるな」

デイリーは、語呂合わせできた。
「泣きっ面に8連敗」
「トラがネコに::」
「復帰今岡右ひざ負傷」
うーん、我輩は猫だった、か。南無阿弥陀仏。
でも、生まれ変わって七回化けて出て来い。

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投稿者 nansai : 12:02

2007年9月27日

九月二十七日(木)

戦争の太鼓の音が聞こえるって? 

「これは日本のメディアがあまり報道しないことなんですが…」
こんな前置きで、テレビのワイドショーのコメンテーターが披露する海外情報が、平和ぼけのぼくには興味深い。
急きょパソコンの前に座り、へえ、ほんまかいな、と情報源のサーチにかかる。これは老いた脳のストレッチみたいなものだ。

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イラン情勢が切迫しているらしい。
「たいへんなことになっているのをしらないのか」と、ワイドショーをぽかんと眺めていたら、挑発された。
タイガースの連敗なんか悲しんでいる場合ではない?
アメリカがイランを爆撃しようとしているというのだ。

「中東大戦の足音が聞こえる」(ニューズウイーク)とは聞き捨てならぬ。
ネットをのぞいてみると、うわさは、一年前から取り上げられ、記事や論文がネット内にわんさと山積みされている。
本気なのか、様子見のリークか。イスラエルにイランの核サイトを空爆させるプランもあるとか。イスラエルに先に手を出させて、イランが報復に出れば、アメリカの出番というシナリオもあるとか。背景は、イスラエルが絡んでくるので複雑だ。
外交はもう手詰まりで、イランの経済制裁に賛成している国連の国々も怖気づいて足並みが乱れているらしい。
いま、強硬派のチェーニー副大統領が、ブッシュとライス国務省長官をゆさぶっているとか。イラン討つべしと後押ししているネオコン理論派は、政権の内外でまだ活発に動いているらしい。
一方、アメリカ軍高官は、イラン戦争のうわさを打ち消そうとけんめいのようだ。

大統領選挙をひかえたアメリカで、イラクの増派か撤退であれほど、もめているのだから、ブッシュは、もう懲りて、いまイランと戦端を開くとは考えられないのだが。まさかと思うぼくのシロウト判断は、あてにならないのか。

アメリカが眼のかたきにしているのは、イランの「イスラム革命防衛隊」だといわれる。この強大な組織(らしい)が、武器供与や訓練で、イラクの武装勢力、シーア派民兵を支援しているとにらんでいる。イラク問題がかたづかないのは、イランの後押しだとみているのだ。

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アメリカ上院は、政府がこの12万人の革命防衛隊を、テロリスト集団と指定し経済制裁を加えるよう決議した。法的にそうなれば、この組織の対外的ビジネスが封じこめられ、イランと付き合いの国にも大きな影響がでてくるらしい。

もひとつ驚いたのは、シリアと北朝鮮のむすびつきだ。
いつの間にか、核とミサイルの技術をめぐって両国が密接な関係にあるのだそうだ。北朝鮮によるシリアへの核協力が、欧米のメディアで報じられている。

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先月、シリアの核関連施設をイスラエルが「謎の空爆」をした。イスラエル奇襲部隊が、シリアで北朝鮮供与の核物質入手という英夕刊紙の報道も。まるでハリウッド映画だ。
平壌放送が躍起になって、デマだと打ち消していた。六カ国協議が延期されたのはそのためだというニュースもある。
6者協議とはべつに、北朝鮮は、核拡散を狙っているのか。商売になるなら、核やミサイルを、どこの国にも売るというのか。

平和ボケの日本では、内閣が倒れ、一日何回もくりかえし、なたで父親が殺されるテレビニュースが流れている。
ぼくらは、核拡散は国連まかせで知ったことではないとして、拉致問題でアタマがいっぱいだが、北朝鮮が、その裏で、はるか中近東で核やミサイルを売ろうとしているとは知らなかった。いま、アメリカやイスラエルは、そっちに神経をとがらせているのだ。

日本の外交は、ずれているのだろうか。

投稿者 nansai : 14:43

2007年9月21日

九月十六日(日)

お大事に。安倍さん

総裁のウツワというよりは、参議院選挙用のポスターとして起用された安倍さんだが、あまりにまじめできちょうめんで、

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そんな人がウツになりやすいから、はたせるかな、いじめられて、もともとない答えをさがしているうちに、ココロがこわれて、痛ましい退場振りだ。
後のことはよく考えずに目前の選挙に勝ちたい一心で、党から抜擢された。毛並みは血統書つきだったが、経済にも改革にも、あまり詳しくはなかったのではないか?
世論調査で「つぎの首相にふさわしい人」を尋ねたら一番多かったという。有権者は(とくにおばさん)見た目重視、ときめこんだのは、自民党の長老たちか、国民をちょっとなめすぎたかなあ。世論調査の人気も民意も、あてにならないのに。
そこそこにハンサムで背も高いし、外国の元首と並んでも、見た目にひけをとらない。選挙民の皆さんに、好感度バツグン。とくに、女性向けに、ルックスでは非の打ち所のないスターだったのだが。
「統治能力のない人」が首相にいたことの怖さをわれわれは見てしまった、と飯尾淳教授はいう。党は安倍政権をもっと早くおわらせるべきだった。自民党には連帯責任がある、とも。
首相候補には、宇宙飛行士よりもややこしい条件下に耐えられる精神力テストが必要なのだろう。

問題の根は、もっと深い。
今の日本、何がもっとも深刻かといえば、国家指導者の「人材飢饉」(田勢康弘)といわれる。いつから、そうなったのか。

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首相というリーダーの「器」を育て上げ選別する能力を、いつの間にか、政党が失ってしまった。これはゆゆしいことだ。
日本の首相は、世界の列強に伍し、一億三千万人の乗員乗客を乗せて航行する超巨大宇宙船の機長なのだ。巡航時の操縦能力はもちろん、いざという場合の統治能力、危機管理能力は、必須である。安倍さんには荷が重すぎたか。
航空機の機長にはマニュアルにもとづいて、図上、実地と、徹底的研修がおこなわれると聞く。宇宙船の機長はさらに長期の訓練が必要なのだろう。運転がはるかに容易なはずのJR宝塚線の惨事は、どのような環境で、だれがひきおこしたか。

将のウツワといわれるが、名将のもとには、孔明や秋山真之のような名参謀がいてチームを形成していた。太平洋戦争はエリート参謀たちの責任のなさが追及されている。
グローバルに同時多面展開する政治の時代、将も参謀も、
人材がたりなければ、システムで解決せねばならぬ。
国会でまどろっこしく上げ足を取り合っている時代ではない。「ご議論」という決定方法は、はたして有効なのか。
もたもた空転は、国家の取り返しのつかない機会損失だ。
スーパーコンピューターを導入して、海外の過去の事例より推定される対策群のオプションを検索できるようにはできないものか。あかんやろか。

エリート官僚は頼りにしたいが、縦割りの省益に左右され、視野せまく世界の事情に暗い。かつての不良債権のしまつの危機的もたもたぶりを見ると、まことに不安だ。
太平洋戦争も、陸大、海大卒の当時の超エリート参謀たちの独断による作戦で、あの悲惨な結果をまねいた。

秀才でも経験豊富でも大人物でもない安倍さんを責めても仕方がない。有権者をなめてかかり、目先の選挙に勝つ、それだけのために、かれを総裁首相に選ばざるを得なかった仕組みの危うさが問題だ。こまったことだ。

投稿者 nansai : 20:00

九月十三日(木)

安倍さんもぼくもこけた日。 
清水の舞台で崩れ落ちた安倍首相も苦渋に満ちたさんざんな一日だったろう。ぼくはぼくで、ああ、今朝は不覚をとった。

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朝、地下鉄の始発駅で、階段でつまずいて足をふみはずしたのだ。よせばよいのに、まさに出ようとする電車に間に合うと見て、目が泳いで、あわててふみだした足がもつれてこけた。
自業自得である。スローモーションだが、ご禁制の「駆け込み乗車」だった。
両手に荷物を持っていたので、転んだ際に右の足首にしたたかに全体重がかかり、ぐしゃという感じ。とりあえず次の電車に転がり込んだが、立てなくなりどうにもならず、淀屋橋駅のホームから、親切な駅員さんに、車椅子で地上にあげてもらった。

近くの整形外科のレントゲンでみたら、捻挫。老骨はどうやら大丈夫らしいが、ちょっと始末に困る部位のようだ。ギブスはさけてテーピングで様子をみることになった。不安だが、医者はクスリもシップもくれない。体で治すのだそうだ。

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体重を支える片足が不自由だと、車椅子がこんなにらくなものかとはじめて知った。松葉杖の保証金は、一対二本?で四千円。

一歩も歩けないのは、右足のかかとを床に着地させるとき激痛が走るからだ。家ではソファにごろんとイモムシ状態で、室内数十センチでも移動に困難をきたしている。なりふりかまわず、移動は、四つんばいか匍匐前進が、しんどいが効率がいい。

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チベットの修行僧のように体を持ち上げて動かすのに、自分の体重がこんなに重いとは知らなかった。イモムシの短い足がたくさんあるのは、そのためなのだ。
痛い右足のかかとを浮かせて、どっこいしょと、借りた松葉杖に体重をかかけて「歩く」のには、コツが必要だ。なれるのに時間がかかりそうだが、だいぶ上達した。
初めて気づいたが、わが家は家じゅう段差でバリアだらけだ。障害があれば、とても暮らせないとわかった。階段があがれないから、2階の寝室で寝るのはあきらめて、居間のソファで寝ることに。

回りの評判は、にわか身障者に、いたってひややかである。
それみたことか。年齢を考えろ。ふだんから重い荷物を持ちすぎだ、というのだ。読めもしない資料や本をかかえてはこぶのは、愚の骨頂だとも。
ここぞとばかり、有益なアドバイスを雨あられのごとく頂戴するはめに。いちいち、ごもっともである。
教訓。転ばぬ先のチエ。

「転ばない体を作る」。偶然か、けさの毎日新聞のヘルス欄の特集だ。ストレッチなどで、バランスや転倒回避力をやしなう転倒予防7か条を紹介していた。
高齢者が転ぶと、骨折などで、そのまま寝たきりになりやすい。65歳以上では、「寝たきり」など要介護の原因の一割以上が転倒だそうだ。さらに、一度転んだ経験のある人は、再び転びやすいとか。

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結論。段差につまずいても、踏みとどまる力があれば転倒しないらしい。全身を鍛えることだそうな。そうか、踏みとどまる力か。ぜんぜんこりないのが、ナンサイなのである。

投稿者 nansai : 19:01

2007年9月12日

九月十二日(水)

朝青竜、どうすればいい?

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朝青龍が非難ごうごうだ。

異文化にはぐくまれて育った外国籍のかれを横綱に推挙したのは、横綱審議会の面々である。むにゃむにゃと本人にも意図不明な四字熟語を唱えさせて、晴れて日の下開山と認定した。格好をつけただけの、その時点で予想されたことだ。
かれがふさわしくないというなら、平成の横綱になにを期待するか、はっきりした基準はあるのか。なければ、いじめである。

まず、相撲というビジネスモデルが、国技のわくをはみでてしまったことだ。国技ではなく、国際技になった。
日本人は、力士という職業に魅力を感じなくなった。新弟子になりてがない。子供たちも裸になるのがはずかしいそうだ。これからは、番付の中心となる日本人選手がたりなくなるだろう。こんご体力気力充実した強い力士は、みな海外勢になるだろう。
力士は、髷を結えなければならないという条件も、そのうち無視されるだろう。金髪のままでも縮れ毛でも、相撲とってカネ儲けしたければOK、人種を超えた開かれたスポーツにならないともかぎらない。こんな単純で興奮する格闘技はほかにはない。日本固有の礼儀とか、言い出さなければ。

大リーグも、戦後しばらくは黒人を排除していた。いまはどうだ。日本のプロ野球も主力打者は外人だ。助っ人と呼んでいるが。
ボクシングは体重別でなければ、危険で、争えない。サッカーも、ソフトボールも、国籍にこだわれば、帰化させなければならない。
体型や筋肉の組成で人種間の差は意外に大きいのではないだろうか。

相撲は、伝承スポーツという人がいる。日本人だけの日本文化を伝承するというのだ。それは、蹴鞠や流鏑馬、歌舞伎や文楽のようにだろうか。保存の対象だが、当然、古典芸能とスポーツでは、条件が違う。競うプロスポーツにはなりえない。

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強いもの、技量の差で、定められたルールのもとで、成果をおさめたものが、プロスポーツの勝者だし、チャンピオンだ。常識だ。それがグローバルスタンダードである。
相撲の横綱は違う、というのか。
横綱にふさわしいかどうか、勝負の成績とは、べつに人間としての品格を問われる。それも、スポーツには、シロウトの横綱審議会が判定する。この決め方は、もう無理ではないのか。
ほかのどのスポーツも、強くて勝ち抜いた選手が、チャンピオンである。かれの性格が、人の上に立てる人格者かどうかの判断は、べつの基準だろう。あえて言えば関係ないことだ。

アメリカの大リーグでは、中南米の選手が増えた。英語もままならぬ選手は多い。国技としての野球の約束ごとは、試合の前の国歌斉唱に敬意を払うことだけだ。イチローも松井も胸に手を当てて星条旗を見上げている。


巡業に出る義務があるというなら、それは、横綱の矜持とは関係ない。契約上の問題だ。相撲興行の運営上不可欠ならば、朝青龍に巡業の参加についての違約のペナルティーをあらかじめ契約書に記載しておかなければならなかった。国際技のビジネス慣行に、以心伝心はむりである。


投稿者 nansai : 17:46

九月十日(月)

タイガース首位へ。でも暫定だ。
(あとどうなるかは、わからん)

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週末の三日間は、テレビの前にくぎづけになって、ひさしぶりに阪神巨人戦を堪能した。それも、三連勝とも一点差、ついに、ついに、五月に12もあった差をひっくりかえしたのだ。ようやった!

今朝の新聞では、タイガースは、もう優勝したように賞賛のあらしだ。ダッグアウトの奥で、いつもニガ虫を噛み潰して、薄くなった髪を手でなで上げていたオカダ監督も、白い歯を出して笑うようになった。

でも、プレーオフがあるから、日本シリーズに出場できるかどうかはわからない。しかし、値打ちからすると、この3連戦は、日本プロ野球の歴史に残るだろう。

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「首位や 虎ファン涙目」「12差 ひっくり返す」 
「奇跡生む 日替わりヒーロー」(毎日)
「21選手出場 トラ10連勝」(毎日)

21選手総動員は、タイガースカラーだ。
押さえの三枚投手は、もちろん、すばらしい。目先の一勝という、気合だけでは、連投酷使のつけがまわってくる。かならず。
下柳などベテラン選手は、39歳、心底、今年の異常猛暑がこたえたはずだ。
新世代の林 桜井、下園が飛び出してきたのは、もちろんだが、他球団で、戦力外通告を受けたり、引退寸前と思われた脇役の活躍がうれしい。高橋、葛城、野口、檜山の面々。間に合うかと思われた安藤の復活もありがたい。ファームに落ちている今岡はどうなのか。
「優勝マジック13点灯」(スポニチ)は、はしゃぎすぎだろう。

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ぼく自身は、「日刊ゲンダイ」のやたら長い、さめた見出しをたかく評価している。

「巨人3タテ25年ぶりの10連勝はメデタイし、いいことずくめの勝利だが…」
「何度もいうようだが、阪神首位に立つのはまだ早い」
「いつおちるんやろうと、そればっかり考えて体に悪いわ」もファンの偽らざる心理
「敵は、巨人だけでなく過密日程と連戦疲れと落合中日」などなど。

ご指摘のとおりだ。
ぼくは、ファンではあるが、テレビやラジオで応援する。
騒がしすぎる甲子園球場の熱狂的応援儀式になじめないのだ。本場アメリカでも、テレビで見る限り、ああいった光景は繰り広げられていない。クールジャパンの応援風景かなあ。
幼いこどもをつれて甲子園に出かけて、ユニホームを身にまとい、応援棒をふるまわし、雨中にも、六甲颪を絶叫する、ぼくにはあれほどの元気はない。

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いいことが、そんなに続くはずがない。
と、トラファンは、もともと、くらい性格だ。辛酸をいやというほどなめてきたから、はしゃぎすぎにブレーキをかけるのが、真性トラファンだ。
また、悪い予想ほどよく当たるのが、悲しい。今期も、広島に不覚をとる。ナックルにきりきりまい。日本シリーズではロッテに3タテ食うとか。
しろうとの予想通り、とは、どういうこっちゃ。なにしとんねん。

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そうではあるが、タイガースが勝つと、愉快だ。なんとなく気分がいいんだな。勝った夜は、うきうきして寝床に入り試合の経過を反すうしつつ眠りにつくこと、しばしばである。面白きこともなき世を面白く。ありがたいことだ。
入場料も払わないタダ見のファンのくせに、タイガースの試合、それも勝ちゲームだけを見るのがすきだ、とは勝手なものだ。

がんばりすぎずに、優勝しようや。
藤川投手は、ぼくにはエキスポランドのジェットコースターのように見える。目先の一勝にフル回転させて、球児をつぶしては、なんにもならん。捨てゲームも計算のうちや。

投稿者 nansai : 15:23

2007年9月 7日

九月七日(金)

ブッシュは歴史の勉強が足りないのか

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追い詰められたブッシュ大統領が、歴史家から非難を浴びている。
イラクからの早期撤退をせまる野党主導の議会に、62年前の日本占領の成功を引き合いに出して、苦しい反駁をこころみた。
早期撤退に抵抗するブッシュ大統領は、歴史の常識をくつがえし、ベトナムの撤退は失敗だったとした。
第二次世界大戦では、日本帝国とナチドイツを破ったあとの占領政策よろしきを得たからこそ、両国とも、首尾よく民主主義国家にヘンシンさせたではないか。日本を占領の成功例として引き合いに出した。
これに対しては、それはないよ。野党からもいっせいにブーイングだ。いまのイラク情勢と、かつてのドイツ、日本をくらべることじたい、むちゃくちゃだと、反論が集中しているらしい。

それよりも、ぼくが驚いたのは、アメリカでは、議会が、堂々と、大統領に向かって、早期に撤退すべし、と迫れるところだ。拘束力はないらしいが、選挙で勝ちとった民意が背景にある。9・11以降、愛国一色だったアメリカで、このように、まだシビリアンコントロールが機能している。
選挙で勝った野党が議会で多数を取れば、撤兵議題が上程できるとは、さすが民主主義の本家だと感心した。
占領地からの撤兵論議など、かつての軍部独裁の日本帝国では、とうてい考えられないことだった。
昭和16年、華北からの撤退を要求されて、血を流した英霊になんと申し開きするのだと、軍部は怒り狂い(おそらく当時の国民も)一切の妥協交渉を拒否して、あの300万人を失う破滅の大戦争に突入した。

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さて、62年前の占領下の日本は、ブッシュから引き合いに出されるほど、優等生だったのか。連合国に無条件降伏した年、ぼくは、地方の一中学生だったが、今思えば、あの時期のアメリカの占領政策は、成功したと思う。
往生際の悪い新聞は、降伏を「終戦」といいかえ、占領軍を「進駐軍」と呼ぼうとした。あの頃の記憶がよみがえってきた。

一面の焼け野が原、なにもかも破壊されつくして、もういい。参った、という感じだった。
精神論の大和魂は通用せず、日本は、物量戦に完敗した。
本土決戦を叫んだ一部の軍人も、すぐおとなしくなった。
二重橋の玉砂利にひれ伏してみずからの至らなさを悔い泣きながら天皇にわびる人たち。ニュースの映像がくりかえし、いまも登場するが、ぼくらは、そんな気持ちは毛頭なかった。
もう空襲がない。家に帰れる。灯火管制がおわり、電灯がつけられる。ほっとした。それだけでうれしかった。

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敵国降伏の神風も吹かなかったし、「一億玉砕」もせずにすんだ。

この期に及んで、なお「一億総懺悔」と煽る大新聞もあった。戦争に負けたのは、国民の責任だ、と。そこまで頭はまわらなかった。負けて悔しいというより、心底、終わってよかった、と思う日本人が、ぼくだけでなく、ほとんどだったのではないか。

それよりも、現実だ。
空腹な日本人は、現実主義者だった。原理主義ではなく。
焼け野が原の国土に、海外からの復員兵、外地からの引き上げ者がひしめく。
「鬼畜米英」のはずの進駐軍が、意外にも秩序正しく行動した。米軍は、上陸すれば、婦女子に暴行の限りを尽くすと宣伝されていたのに。
米軍のものの豊かさに、何もかも失ったぼくらは、圧倒された。これでは負けるはずだ、とだれもが納得した。

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学徒動員で本土決戦の穴掘りから解放されたぼくら中学生は、ある日、また駆り出された。
歩兵42連隊のいなくなった空き家の兵舎を、進駐軍のために掃除するためだ。のみやしらみをいやがったのか、米軍はすぐに兵舎に入らず野営していた。
ぼくは、その日、インスタントコーヒーの小袋を拾って帰ったのを覚えている。米軍の携帯口糧で、アルミのホイルにはいっていた。
熱いお湯に溶かして飲んだあの晩、ぼくは生まれて始めて、アメリカ文化を味わった。

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ジープ。この軍用車こそ、少年のぼくらの眼に映ったアメリカの豊かさの象徴だった。米兵の乗り回すジープの機動力とかっこよさに、しびれた。神社の階段も、らくらく上がれるすごいパワーらしい、とうわさしあった。終戦後の日本には、大八車か、荷馬車しかなかった。木炭バスもほとんど見かけなかった。
ジープから、チョコレートやチューインガムをこどもたちにばらまいたから、甘いものに飢えていたこどもたちには、いいPRになった。米兵がラッパ飲みしていたコカコーラは、なぜか、ぼくらの口にはいることはなかった。

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一枚の写真が、ぼくらにショックを与えたのをいまも鮮明に覚えている。
昭和二十年九月二十七日、天皇のほうから、米国大使館に連合軍最高司令官マッカーサー元帥を訪問した。
会見室で二人で並んで撮った写真が世界に配信された。肩が並べられないほどの一目瞭然の身長の格差。片や、モーニング。片や、ふだんの軍服。それもシャツ姿だ。
ひとことも付け加えることのないシーンが、ぼくらの眼に焼き付けられた。
軍服に身を固め白馬にうちまたがった大元帥の「ご真影」。かつての宮内省貸下げのイメージとのあまりの落差に、中学生のぼくもがく然とした。
東久邇内閣の内務省は、不敬にあたるとして、すぐ発売禁止令をだしたが、GHQにより、はばまれたそうだ。
その後アメリカ大使館での二人の会見は、十一回を数え、相互の信頼感は高まっていったとつたえられている。

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マッカーサーは、賢明だった。連合国間の天皇を裁判にかけよという意見を無視し、あえて戦争責任を問わずに、占領軍の日本統治にたくみに利用した。
当時、元駐日大使など日本通が進言していたのは、天皇は、女王蜂のような存在で、いなくなると、日本の民衆は、ハチの巣をつついたようになり収拾がつかなくなる。日本の統治占領に、百万の軍隊が必要になると。

ぼくは中学生だったが、小学生4年からあれほどたたきこまれた国家神道の教えは、脳裏から、あっという間に、揮発した。戦争に負ければ、歴史の教科書には墨を塗り、神話も国体もへちまもない。教師も軍事教官もヘンシンだ。詔勅も戦陣訓も軍人勅語も、紙切れと化し、コーランのような強制力は、もとよりない。一神教でない神道は、たんに神話に根ざしただけで教義を持たないから、真の意味の宗教でないといわれるゆえんか。

毎朝、朝礼で宮城へむかって東方遥拝しなくなっても、校庭から、天皇皇后の御真影を保管する奉安殿がなくなっても、神社の前で頭を下げなくても、こだわる理由のないぼくらは、べつになんとも感じなかった。教育によって強制されていた崇めるべき対象が消滅したのだから。
ここらが、一日五回もメッカの方角に向かい礼拝する戒律の厳しいイスラムと、ちがうところだ。

日本占領が無難に推移し、くすぶる焼け跡から日本の国力が徐々に立ち上がれたのは、国内に、イラクのスンニ派とシーア派のような宗派間の根深い争いがなかったからだ。
長いものにはすぐ巻かれ、変わり身が早く、八百万の神さんのどれも信じていないご都合主義のしたたかさが、ぼくら日本人にはあったのだ。

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地方都市に住んでいたぼくにとって、進駐軍キャンプでのアルバイトは楽しみでもあった。たんに掃除などの雑役にこき使われるのだが、らくなものだった。

『アメリカ映画は、文化の泉』」だった。GHQはチャンバラやあだ討ち劇を禁止した。テレビもなく海外渡航も許されない終戦後、映画はアメリカの豊かさと楽しさを垣間見せてくれた。「ユーコンの叫び」「キューリー夫人」「ガス灯」など、周到に日本人再教育のためのハリウッド映画が選定され、たちまちぼくらは洋画ファンになった。
漫画ブロンディで、アメリカならどこの家庭にもある電気冷蔵庫や夜中におなかのすいた亭主のダグウッドが作る巨大なサンドイッチを知った。

ピュリッツアー賞受賞作家のジョン・ダワーは、次のように書いている。

ひどい空腹と物不足の当時に会って、アメリカ人たちの豊かで快適な生活ぶりは、日本人の目にはとにかく信じられないほどだった。アメリカが「偉大」な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのあり、それが豊かになる方法のように見えたからであった。「敗北を抱きしめて」

イラクでは、地下にもぐったフセイン大統領の銅像が群集によって引き倒された光景がニュースとして流された。軍事作戦は成功したが、大統領が逃亡し国内は無秩序に陥った。官僚システムが徹底的に破壊されたからだろう。
アメリカは、イスラムの宗教指導者たちの煽動力を過小評価していたのではないか。ここが、占領政策を覆す巨大な精神的火薬庫だったのに。
ジハード(聖戦)で戦死すれば殉教者、とわりきって、爆弾を積んで突っ込み命を捨てることを恐れない。

そんな教義は、いちおう国体が護持された日本では成り立ち得なかった。まさに手のひらをかえすように、無視され忘れ去られた。
戦時にあっては、神風特攻隊は、信念というか、命令により敵艦船に爆薬を抱いて突入したが、もともと、神道そのものに、そんな民衆を動かす指導力はなかったのだ。終戦までは、国家神道という宗教の指導者は、政府の官僚と軍部と学校の教師だった。

そんなわけで、イラクやアフガニスタンのように、日本では武装勢力が蜂起することはなく、占領軍は一兵も失っていない。もっとも太平洋戦争当時の占領軍は、イラク駐留の軍隊の三倍の規模だった。

こうして、GHQは、表に立たず、行政能力は無傷だった日本政府を、間接的に効率的に、支配することに成功したのだ。これが占領を成功させた一因だろう。
さきのジョン・ダワーは、こう指摘している。
新憲法下の日本人は、市民というより、天皇の臣民から、占領軍当局の臣民になったのだ、と。

ぼくは、同時代に生きてはいたが、証人の資格がない。
当時は、あまりに情報不足、戦後の混乱のなかで、見聞きできず、なにも知らなかった。ぼくらより年上の年配の人たちに共通するのは、あまりにつらいことを思い起こすことをきらい、知ろうとしなかったことだ。62年たって、新しくもろもろの証言資料が発表され研究が進んできている。戦争を知らない年下の若い研究者たちのご教示を受け、謙虚に学びなおしたい。

投稿者 nansai : 12:39

2007年9月 3日

九月三日(月)

俳句がうまくなる発想法

各新聞の俳壇を総なめにしていた知人が、このほど、「俳句がうまくなる100の発想法」ひらの こぼ著 草思社を出した。好著である。
凡百の入門書とは違う。歳時記の季題にはふれず、「発想の型」からはいる逆転の構成がユニークだ。ぼくのような門外漢にも、ひらめいて秀句がすぐつくれそうな気にさせてくれるハウツー書だ。

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100の「型」の選びかたも、あまのじゃくというか、「型」破りで、わかりやすい。既成俳壇の諸先生の意表をついているのでは。

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たとえば、最初にあげられている「型1」は、
「裏返してみる」「見えない裏を読む」である。
ふうん、裏が句になる、とは、気がつかなかった。視点をかえることだな。例句として、

羽子板や裏絵さびしき夜の梅 永井荷風
餅焼いて新しき年裏返す   原 裕

なるほど、と感心したぼくも、早速、裏返しを試みて、

秋暑し裏返りたるネコの腹
あくびして猫身をよじる残暑かな

うちの駄ネコは、食事のあと、うーんと伸びをしながら、気持ちよさそうに、ごろんとひっくりかえって四つ足をつっぱる。おなかをなでなでしてくれ、とさいそくするのだ。

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もっとも、この絵のモデルは、描き映えのする美人ねこで、実在するわが家のねこは、そんじょそこらにいる、ただのキジねこである。

ちなみに、発想法100番目の「型」は、こうだ。
「なにもいわない」
これは、よくはわからんが、奥が深そうだ。
例句として、

日盛りの一つ打ちたる時計かな 久保田万太郎
遅き日のつもりて遠き昔かな  与謝蕪村

うーん、この型は、とうてい歯がたちそうもない。

投稿者 nansai : 11:46

2007年8月28日

八月二十八日(火)

ぼくの絵のこと 自画弁護

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さしてパソコンに強くないぼくだが、こうしてデジタルの恩恵をうけて、絵(のようなもの)を描いている。
ぼくの絵は、いわゆるコンピューターアートとはほど遠い。縁もゆかりもない、といってよい。
MSペイントという無料の初心者向きソフトを使って、マウスを机の上を滑らせて、おもいつくまま、描いている。
ぼくにとっては、画筆やエンピツにあたるのが、たまたまマウスなのだ。
机の上でマウスを滑らせるのに必要なスペースは、ハガキサイズ半分ていどである。猫ならぬねずみのヒタイか。だから、省スペース。画用紙も絵の具も使わないから、省資源。体力を消耗せず、くたびれないから、C02も排出しない。

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いってみれば、ぼくの絵は、デジタルの「お皿」にのっているが、職人がひとつひとつ手でにぎる「スシ」のようなものだ。アナログそのものなのである。
もちろん、せせこましいスクリーンとマウスの制約があるから、油絵のような大きな構図、こみいった描きこみは、できない。「小さなぬり絵」といったところか。
ケッサクができた!と、喜び勇んで紙にプリントする気になったとたんにコストが発生する。プリンターのインクと紙代だ。ばかにならない。これをどう収めるか。

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デジタルであろうがアナログであろうが、要するに、内容、中身だ、アイデアだ、自画自賛でいいじゃないの。と、ぼくも居直ってうそぶくのである。
なまじ画廊で個展など開いて、人さまにめいわくをかけては、いけないと思っている。
親しい人は、災難だがいいとしよう。余技でご愛嬌というところがある。知らせを受け取って、思案した挙句、義理で顔を見せてくれる人には、申し訳ない。
その点で、ウェブはいい。見るのがいやなら、画面をきりかえればすむことだ。

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プロを目指す若い人も、こんな風に、画をMSペイントとマウスで描こうとするあほな人はいない。幼児にしても、あたえられた三輪車のようなものだから、すぐにあきて卒業してしまう。
やはり高齢者向きかなあ。
三輪車の最高齢レーサーがぼくだろう。レースといっても参加者がいないのだが。

手軽にふとした思い付きを、ちょっと手をかけて、かたちにして残せるのがいい。すぐ忘れてしまうのだが。

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出だしのパソコンとマウスの絵は、描きたてほやほやだが、そのほかは、何年か前に描いてわすれていたのを、ひさしぶりにマイピクチュアから引っ張りあげて並べてみた。個展といえなくもないか。

投稿者 nansai : 15:07

2007年8月24日

八月二十四日(金)

八月のあの日の空の青さかな

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62年前、国敗れた日の空の青さを思い出す。
学徒動員されて、日本海海岸の陣地の穴掘りをしていた。下痢してやせこけているのに、空腹だった中学生。あの日の昼のおかずは、たしかかぼちゃだったか。

そして、お盆明け。62年後のきょうの昼飯は、近所のイタめしランチ。白い皿にピザなどこぎれいに盛られた前菜。あつあつの海の幸スパゲッティ。エスプレッソ。これで千円。「ありがとうございます」の声に送られて、店の外の空が、青くまぶしい。
お礼を言うのはこっちなのに。いつも空腹で、食べられることが何よりもありがたかった時代を、忘れている。腹いっぱいたべられる、それがどんなに満足なしあわせだったことだったか。

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戦争末期、戦おうにも食べるものがなく死んでいった兵士たち。太平洋戦争に倒れた兵士の七割が、悲惨にも餓死といわれている。精神論だけの補給なき無謀な戦いだった。
昨夜、NHKハイビジョンのシリーズ証言記録「兵士たちの戦争」をみた。NHK全国の放送局で収集し記録したドキュメンタリー番組だ。
証言者は、ビルマ、フィルピン、中支の戦線で戦った元兵士たち。みな八十歳を越えている。重い口を開いて、若いアナウンサーの無神経とも思われる問いかけに、答える。
高齢の証言者たちの、おそらく生涯最初で最後と思われる証言の内容は、重く暗い。とつとつと、語られる。無表情に。あるときは、涙を浮かべ、あるときは、むかしの日本人特有のうすら笑いを浮かべて、さりげなく。

軍首脳のエリート参謀が立案した大作戦が、いかに思いつきで理不尽であったか。でも命令は絶対だった。辛くも生き残った生存者たちの証言は、申し訳なくて、とてもまともには見ていられない。

援軍も補給もない。密林のなか、空爆にさらされながら、武器も食料もない作戦だった。
打通作戦2000キロの長い行軍では、戦う前に、歩き続けるつらさに耐えかねて自殺する兵士が続出した。

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はじめから食料は現地調達と決められていたという。つまり住民からの略奪だ。食うものがないから仕方がなかった、と自嘲気味に語る最強軍団の兵士たち。

フィリピンでは、敗走して逃げ込んだ山の中には、食べるものがない。泥水をすすり、草を食った。「電気いも」は食うと内臓が腫れ、死に至る。倒れた兵士の顔の両頬がえぐられてないのを見たという元兵士の証言。きっと空腹に耐えかねて、人肉を煮て食ったのだろうと、ひとごとのようにいう。極限になれば人間はなんでもするとも。

いま、安倍首相をはじめ戦争を知らないひとが大半だ。この悲痛なドキュメンタリー「シリーズ証言記録」を、目をそむけずにみてほしい。冷厳な歴史の事実を見つめるのに、史観の自虐も自愛もないように思われる。
60年以上も、悲惨な歴史の生き証人たちは口を閉ざしてきた。かれらの最後の証言に耳を傾けるのが、ぼくたちのつとめではないか。
今のご時勢とあって、NHKもあえて目立たない時間帯を選んで放映しているように見受けられる。安倍内閣を取り巻く自民党の有志は、教科書を議論するまえに、史実を確かめてほしいと思う。

絶対の命令のもとに、「皇軍」がどう戦ったか。戦線でなにがあったか。なぜ300万人が命を落とさねばならなかったか。そして、それに倍するアジア各国の人たちが巻き込まれて、身の上になにが起きたか。
史実だけが物語るのだ。
あまりにも多い証拠、証言を検証し、事実を認めることから、すべてが始まるのではないか。

今回NHKから放映された次の番組からうかがえる戦没兵士の数は、そして、戦いに巻き込まれ戦没した市民、農民の数は、いったいどのくらいになるのだろうか。
いま、ちまたでは、死者に勇気づけられる「千の風に乗って」の曲が、静かに大流行しているといわれる。百万枚を突破したとか。

私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風になってあの大きな空を吹き渡っています

かれらひとりひとりが「千の風」になる。ならば、集まってとんでもない、怒りのパワーの台風エネルギーになるはずだ。                   
                      合掌

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証言記録 マニラ市街戦

第一回 西部ニューギニア 死の転進
佐倉歩兵221連隊
第二回 北部ビルマ最強部隊を苦しめた密林戦
久留米第18師団
第四回 退却支援 崩壊したビルマ戦線
敦賀歩兵119連隊
第五回 大陸打通作戦 苦しみの行軍2000キロ静岡歩兵34連隊
第六回 陸の特攻フィリピン最後の攻防 
岡山歩兵10連隊
第七回 ソ連国境知られなかった終戦
青森 野砲兵107連隊

投稿者 nansai : 17:56

2007年8月20日

八月二十日(月)

夏休みの宿題。Tシャツ。

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40度近くの猛暑なのに、町内の画廊で、若いアーチストたちが手芸品の展示会を開いた。
お題は、動物園。
枯れ木もヤマのにぎわいというわけで、南斎翁にも、声がかかって、マウスで描いた動物の絵をTシャツにして、若いひとの作品のなかに何食わぬ顔でまぎれこませた。

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うやむやのうちになんとか展示は終わったが、Tシャツはおもしろいテーマだと再発見。
Tシャツは、てくてく歩くポスターだし、たんすにしまっておいて、コレクトするにもカサばらない。

マウスを動かす即興描きなら、お手の物だ。
この手のひとりよがりアイデアなら、むかし取った杵柄(古いのお。とっくに死んだたとえだ。)で、ひねくりまわせば、なんぼでも浮かんでくる。省エネだから、くたびれることはない。

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かばやアリクイなど、ややこしい動物の細部はおぼえていないから、めんどうくさがらず、グーグルのイメージを検索して、適当なポーズとモデルを探す。

描くのがおもしろい。といっても、Tシャツは、じっさいにつくるとなると、意外に高価である。絵をはがきに印刷するようにはいかない。
お絵描きのコストよりもシャツの材料費と印刷費が高くつくのが、難点だ。パソコンのスクリーンで見るほうが安上がりで無難だろう。
風呂場で調子はずれの鼻歌をきげんよくうたっているように。

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小学生のころは、夏休みの宿題がだいきらいで、夏が終わるのがゆううつだった記憶がある。優等生のように何の苦もなく夏の終わりに宿題が提出できるクールなアタマの持ち合わせがなかった。

じまんではないがガキの頃から計画性がなく、その日その日をたのしくあそびほうけ、めんどうな宿題を先送りするレージーボーイ。
今は、セミの大合唱にも負けず、朝から、パソコンの前に座り込む毎日だ。自分で題を出して、提出義務もないのに、こうして絵日記みたいなのを描く。興にまかせて、勝手なものだ。
「猛暑日お見舞い」Tシャツは、どんなもんじゃろ。涼しげな絵柄を選んで、ペイントアンドマウスで、こちょこちょと。

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投稿者 nansai : 15:45

2007年8月10日

八月九日(木)

60年前、7発の原子爆弾が日本を狙っていた。無差別に何万人殺戮すれば、気が済むのか。

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原子爆弾の破壊力は、いまなお、実感されていない。
仕方がない?原子爆弾の投下は、明らかな戦争犯罪である。
指導者たちが、いかなる大義めいた言い訳を用意しても、それは許しがたい詭弁でしかない。
花で整然とかざられた慰霊の祭壇や千羽鶴で、原爆の被害のイメージ化がされすぎている。「核廃絶」も、耳たこの念仏だ。

ひゅるひゅると音をたてながら落下する原子爆弾。
爆発の、まさにその一瞬をドキュメンタリーにドラマ化したBBC番組を、一昨年に日本でもある民放が放映したが、なぜか、まったく話題にのぼらなかった。
タイトルが問題を提起していた。
「ドキュメンタリー USAテロリズム ヒロシマ原子爆弾。」
いま、ユーチューブでみることができる。
62年前、14万人が被爆死した広島のあと、長崎に落とされた原子爆弾の当初の目標は、小倉だった。
B29ボックスカーは、小倉上空の天候が悪く成果が確認しにくいから、目標を長崎に変更した。不運な7万4千人が犠牲となった。60年前の当時の状況は、ネットでウイキペディアをサーチすれば、知らなかった史実(戦勝者側の記録ゆえ、偏ってはいるとしても)が次々に、発見できて、ぞっとさせられる。

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おそろしいことに、つぎの原爆は、八月の17か18日の後の適当な天候の日をえらんで投下するときまっていたという。
続いて、立て続けに、九月に三発、さらに、十月に三発。日本の主要都市は、すでに相次ぐ空襲で破壊しつくされていたのに。

長崎に原爆が落とされた日、ぼくは、小倉の対岸の町の海岸にいた。本土決戦に備えて中学二年で陣地構築に動員されていたのだ。知らぬが仏だ。せまい海峡をへだてて、目と鼻の距離に、原爆は落とされたかもしれない。
あの夏は、空襲で焼け残った小学校の宿舎から、やせこけて下痢でふらふらしながら、毎日歩いて現場に通っていた。ラジオもないし、新聞も読めない日々で、戦況は不利としか、わからなかった。「新型爆弾」が投下されたときいたような気もするが、それが原子爆弾と知る由もない。威力などわかるはずもなかった。

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今公開されている資料をウイキペディアなどでみてみよう。
米軍の本土上陸のためのダウンフォール(帝国の没落)作戦は、十一月にせまっていた。
十一月一日のXデー上陸日までには、原爆7発が必要と、見込まれていた。
原子爆弾のような大量殺戮兵器は、当然市民を巻き込むのだが、情け容赦はない。当時の米軍の辞書には、「人道」はのっていなかった。まさに、鬼畜米国である。
なぜ市民をも巻き添えにする非道な大量殺戮兵器を用いるのか?戦争の早期終結が、アメリカの大義であるからだ。本土上陸をいそぎ、米軍の損害を最小にとどめたいと、マッカーサー将軍は主張したという。
日本軍の戦い方は、ここにきて、最後の一兵まで持ち場を死守し時間を稼ぐ主義だ。
沖縄、硫黄島などの戦闘からみて、最後まで降伏せず徹底抗戦する日本軍の戦いぶりから、米軍はおびただしい数の損害を覚悟していた。25万人から100万人と予測していたという。
人道への配慮をすてて、無尽蔵の物量をたのみに、時間と効率を重んじる兵力を温存する作戦だった。
もし陸軍が主張したように、国体を守るべく本土決戦にもちこんだら、その損害ははかりしれなかっただろう。

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本土上陸が近いとして、政府は昭和二十年六月に「義勇兵役法」が成立させた。
15歳以上60歳以下の男子、17歳以上40歳までの女子を戦闘員として「国民義勇戦闘隊」を結成する法律だ。「一億根こそぎ皆兵化」である。
何のために?国体を護持するためなのだ。醜(しこ)の御盾たらんというわけだ。すでに学徒動員されていたぼくらは、13歳だったが、もちろん知る由もなかった。
この法律が成立したとの情報を得た米軍は、それまで上陸作戦で、非戦闘員の子供、女性を殺傷することに躊躇があったが、「これで日本人はすべて戦闘員だ。徹底した無差別攻撃が可能との判断を下したといわれる。
この間のいきさつが、ウイキペディアのほか、「石油で読み解く、完敗の太平洋戦争」(岩間 敏著)に、詳しく記載されている。慄然とする。

ヒロシマ原爆では、ぼくと同年輩の中学生が犠牲になっている。中学の上級生は、県内の海軍工廠に
動員されていたが、終戦直前に空爆を受け、死傷者をだした。中学二年生だったぼくらは、何も知らされず、知ろうともしていなかった。

暑い八月。原爆慰霊祭が催され、死者が追悼される。

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年を追うごとに、記憶は風化する。悲惨な被災の状況を伝える語り部たちも、年老い亡くなってゆく。
追悼を英語で、REMEMBERという。思い起こして忘れないことだ。許すが、決して忘れない。
ぼくたち日本人は、過去を水に流そうとしてしまいがちだ。執念深くない、のが問題だ。

死者を弔い祈ることもたいせつだが、決して忘れない、そのための史実の学習が必要だと思う。いったい、なにがおきたのか。どうして20万もの人が、蒸発、命を瞬時に落としたのか。
ぼくは、インターネットで、ウイキペディア、それもできれば英語版と、向き合うことにしている。ウイキペディアは、いろいろな人がさまざまの角度から書き込まれた集合知の百科事典だ。敵味方彼我の歴史認識の差を知る必要があると思うのだ。
合掌しつつ、学ぼう。覚えておこう。





投稿者 nansai : 17:22

2007年8月 8日

八月八日(水)

中之島公園に、軍艦が隠れていた

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「大阪中之島公園 無名「戦争遺跡」、保存で論争」
と、こんな見出しが、日経新聞にのった。

日本海軍の軍艦のマストが、戦前から、なんと八十年の風雪に耐え、中之島公園の一隅に、敗戦後も人目を避けるように、ひっそりと建っていたというのだ。それが、ついに、この秋、公園の大改修工事で撤去ということになり、大阪市が市民団体ともめているとのことだ。

天神橋から見下ろすと、橋の下、西側の公衆便所の横に、茂みから顔を突き出すように、船のマストのような高い鉄塔がそびえている。
足元は、廃品回収のブルーのテントに囲まれていて、公園には場違いな風景だ。
国旗掲揚台としてつかわれていたらしい。だれが、いつの頃建てたのか。

中ノ島公園の東の突端を剣先といい、軍艦の舳先に似ている。ここで、大川は堂島川と土佐堀川の二つの流れに切り裂かれて、西へ向かう。
中之島を、大川を下る軍艦にみたてて、マストを建てたのだろうか。
なんぼなんでも、「無名」とは、軍艦が気の毒である。ネットには、なんでも記載してある。調べてみた。
艦名は、すぐ判明した。通報艦、最上(もがみ)だ。
哨戒船信濃丸は有名だ。日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊をいち早く発見、「敵艦みゆ」と打電した。どうもそれとは違うようだ。

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「最上」は、なかなかの高性能で、初めは通報艦だったが、日露戦争以後は、無線の普及で通報艦の存在意義が小さくなり、大正になって早々に一等砲艦に編入されたという。
最上は、明治41年に三菱長崎造船所で建造されたタービン艦で、排水量1350トン。乗員134人。当時わが国で最初に蒸気タービンを搭載したという。
日本海方面の警備や、青島攻略、シベリヤ出兵に参加したが、新技術タービンの老朽化が早く昭和3年に廃艦となった。昭和4年6月売却解体とある。

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青島攻略ではドイツ水雷艇を撃沈したとか、ほんまかいな。
1929年、廃艦売却後、大阪で解体の際、酸素ガスの火花で火災発生した。
あまり華々しい軍歴ではない。
その年は、大不況の前夜だったが、大阪府と大阪市が、同艦の前檣と後部艦橋を購入し、中ノ島公園に掲揚ポールとして使用したとある。

ひところは、軍艦旗が翩翻(へんぽん)と、川風にひるがえっていたのだろうか。

取り壊して芝生にしてしまうのは、もったいないかなあと思う。市民から寄付をつのり、修復しよう。まわりに、さくらでも植えて、名所にしたらいい。
戦災で焼け野が原になった大阪には、ストーリーのある名所があまりに少ないからだ。かつてはセーヌ川のようだった大川も、道路の橋脚がぶちこまれて、このざまだ。
昭和37年の台風で折損したが、財界が尽力して復元したらしい。
この軍艦は、悲惨な太平洋戦争の記憶とはカンケイがない。さびた艦橋からは、ああ、もう軍艦マーチは聞こえてこない。軍国主義の昔に帰ろうとするうごきの心配はないだろう。

ここらあたり、元禄時代は、中央公会堂南の栴檀木橋から東につきでて「山崎の鼻」と呼ばれたのは、備中山崎家五万石の屋敷がここにあったからだ。
百年後の明和四年、さらに東につきでた中州を築地し、中ノ島上の鼻新築地ができた。山崎の鼻にできた花街を、当時の人は、「風引き新地」と呼んだそうな。
川は、流れるのだ。

投稿者 nansai : 17:06

2007年7月31日

七月二十九日(日)

ぼくも いくさに征くのだけれど

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今から65年前、あの太平洋戦争下、一人の大学生が、ごくふつうのことばで、かざらない真情を、詩のかたちで、ノートや手帳に書き残して、応召した。発表するあてもないままに。
映画監督志望だった彼は、昭和二十年、二十三歳の若さでルソン島の戦場に散った。

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街はいくさがたりであふれ
どこに行っても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてば ぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさにいったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな
だれも かれも おとこなら みんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず
蝶をとったり子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますように
成田山に願かけた

この詩は、かれが愛読していた萩原朔太郎の詩集の余白に、書き残されていたという。

7月22日のNHKハイビジョン特集、「青春が終わった日 日本が見えない 戦争下の詩と夢 竹内浩三」のなかで紹介された。はたして、どれくらいの人がみただろうか。
中公文庫「ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死」(稲泉 連)も、大宅壮一ノンフィクション大賞受賞作の帯をまとって、書店に平積みされている。

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詩人として戦後はじめて評価された竹内浩三とは、どんな青年だったのか。
「征く」とは、一体どういうことなのか。だれもかれも おとこなら みな征かねばならぬ。なぜだ。
ぼくの孫のような世代のひとたちが、60年以上も前の戦争や出征という、理解を越えて想像を絶する出来事にとまどいながら、自分と同年輩の戦没詩人をドキュメンタリーに取材している。

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この詩を書いた竹内浩三は、昭和二十年フィリピンルソン島で戦死した。二十三歳の若さだった。グライダーで敵の中に降りて戦う空てい部隊に所属していた。
戦時下、映画監督を夢見て日本大学芸術科の学生だったかれが、ノートや手帳に書き残した詩は、戦後遺族により発表され、世に出た。
友人の手で編まれた私家版の作品集は、昭和31年に発表されている。NHKラジオは、昭和57年に「戦死やあわれ 兵士竹内浩三の青春」を放送している。
初めて世に問われて、もう50年もたっているのだ。

発見された戦没詩人に、若い人たちは、「反戦」というより、「青春」に、若者としての共通項を見出しているらしい。
竹内浩三の青春を知る人たちは、90歳に近い。
竹内より10歳年下の少年だったぼくは、陣地構築に学徒動員されたが、かろうじて本土決戦の戦火を免れた。
いくさにいったなら、「なんにもできず」とは、まさにぼくのことかと考えた。軟弱中学生だったぼくは、
軍事教練でどじを繰り返し、授業中も漫画のらくがきでうさばらししていた。応召まぎわの竹内浩三のいいようのない不安と焦燥が、ひとごとでなく、理解できる。
あのようなやさしいことばで、たんたんと、苛烈な時代にさからうでなく、あきらめるでなく、竹内は、詩の形で自らの無念の思いを残した。ただひとりの姉以外の、だれに読まれるというあてもなしに。

今、ぼくのまわりは、総理大臣をはじめ、戦争を知らない人ばかりである。
しかし、少年のころ、いやおうなく戦争にまきこまれながらも歴史に無知な当事者だったぼくは、戦争を知らない若い世代の人たちの研究に教えられている。
竹内浩三もくわしく理解できたのは、今回がはじめてだ。年配者によっては、あまりに苦い経験は語りたくなく、正しい史実に眼をそむける人も多い。
本格的に客観的に、戦争に取り組もうとしている若い人がふえてくるのはいいことだと思う。

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無力だったが、昭和一桁生まれのぼくは、時代の目撃証人の一人だと感じている。ぼくの絵は、まぶたに浮かぶ当時の光景にもとづいている。
戦時中、田舎町のぼくら小学生も、幾多の英霊の凱旋を道路わきに整列して迎えた。遺骨をおさめた箱は白い布につつまれ、兵士たちの首から吊り下げられて、無言の行進をした。
昭和二十年敗走し戦死した竹内浩三の骨は、いまも故国に帰ってはいない。ルソン島のどこかで行方不明だ。
かれは、生前、ノートにこんな詩を書き付けていた。

白い箱にて故国をながめる
音もなくなんにもなく
帰ってはきましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし

ああ戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

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ことしも、また八月十五日がやってくる。戦争を知らない世代が、どのような形で受け止めるだろうか。

投稿者 nansai : 15:25

2007年7月26日

七月二十六日(木)

百万人の天神祭り。これでいいのかなあ。

阪神中日戦は気になっていたが、ふと思い立って、大混雑の天神祭りをのぞいてみた。
むろん、天満橋は、人ごみで近づけない。八軒家から、天神橋へと人の流れに逆らって歩いた。

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天神橋のうえは、歩行者天国だが、欄干に人がもたれているだけで、がらがらである。
橋のまんなかで警備員がハンドマイクで呼びかけている。声をはりあげるでもなく、もごもごと。
「ここからは、花火が見えません。」
つまりこの橋にいてもしかたがないから、花火の見える場所に移動しなさいと、ご親切にも、案内しているのだ。天神橋は、天満宮の表参道のようなユニークな存在なのに。
追い立てるなんて、大きなお世話だ、とぼくは思った。
なんだ。
大阪天神祭りは、つまるところ、花火大会なのか。
つい京都の祇園祭の山鉾巡行と比べてしまう。

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錦絵でみるように、本来、大阪の橋は祭りの主役のはず。
これでは、主客転倒ではないか。

八時ごろ、天神さんの境内にはいったら、はたせるかな、ここも、がらがら。これでいいのかなあ。周辺のたこ焼きやなど、夜店は、人出でごったがえしている。何しろ百万人がくりだしているのだから。
せっかくのお祭りで、境内に人気が少ないと、お賽銭にもひびくだろうに。天満宮には、博物館級の幾多の拝観するに足る御物がある。もっともっと価値を演出すればいいのにと思う。花火もギャル神輿も、そえものだろう。

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けさの新聞をみると、日本の三大祭のひとつ、大阪天神祭は、あまり大きくはとりあげられていない。タイガースの記事がはるかに優遇されている。
水都の夜空に、奉納花火5千発、鉦や太鼓の音をひびかせながらすすむ100隻の飾り船、百二万人の人出でにぎわった、とのっている。

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百二万人が押しかける祭りは、めったにあるものでない。甲子園が満員になっても、4万人に満たない。
くわえて、どこの祭りにも負けない1千年以上の伝統がある。
でも、最古の祭りの伝統があり、これだけの大観衆を引き寄せたのに、祭の内容が、これでいいのかという気がしている。ものたりない。
人気を追うあまり、祭りの本義はさておいて、あまりに打ち上げ花火中心にすぎるではないか。舞台も、偏ってしまったように思う。

大阪日日新聞の吉岡社主が、座談会で辛口のコメント。「率直にいって工夫がないように思いますね。船に乗って人がたのしんでいるのを、周囲の観客がボーっと見ている。船渡御そのものに対する工夫がもっと必要です。」

大阪の観光の目玉が、千年の伝統を持つ天神祭りではないのか。はりぼてと吉本でつぎはぎされた御堂筋パレードではないかも。

大阪は、戦火にさらされ、時代がかわった。祭りの背景が激変したのだ。
水の都といっても、大阪の大阪たるゆえんの八百八橋もいまや見る影もない。

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網の目のようだった川も掘も 自動車道路に取って代わられた。
変化に応じて、大阪は、次の百年を見越して祭りの再設計が必要なのではないか。
残念だが、水辺の船渡御の舞台は、表情がかわってしまった。
天神祭りは、たんなる大花火大会で終わってはもったいないと思いませんか。
。京都の祭りに負けない「行列」「パレード」の新趣向、アイデアの革新が求められる。思い切った発想の転換は、本来、大阪商人のお家芸だ。

「最もがっかりした観光地ランキング」(週刊ダイヤモンド)で、大阪市は、堂々?の2位である。うーん、このままでは、いけないのでは?

つぎに、よけいな提案を。
祭りの舞台として、大川の南側、土佐堀通り、中ノ島一帯は、舞台としてなんとでも再設計できる。京阪電車の新線と、八軒家遊歩道を、いまから祭りを意識して計画したいものだ。
いま、京橋三丁目のビルは、土佐堀通りから、すぐそこに大川の祭りの様子が望めるのだが、格子のシャッターかガラス戸が下りている。

つぎに、せっかくだから、天神橋からも、淀屋橋からも、花火が見れるように、打ち上げ場所を、ふやしてはどうだろう。
規制がやかましいらしいが、べつに高度はのぞめなくても、松屋町の線香花火のようでもいいではないか。

大川は、東西に長い。祭りのテリトリーをひろげて、天神さんのご利益を惜しみなくいただいて、大阪つぎの百年の発展のためにあやからせてほしいものだ。

投稿者 nansai : 15:33

2007年7月24日

七月二十四日(火)

台風4号。中越沖地震。原発火災。つぎつぎとエラい目にあったが、日本列島、とにかく、からっと梅雨明けだ。

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河童が寝転がって、ぽかんと、雲ひとつない空を見上げている。真ん中の白いマルは、河童の皿のつもりである。きょうは、芥川龍之介をしのぶ「河童忌」。
河童忌や河童のかずく秋の草 万太郎

今宵は、大阪天神祭宵宮。

投稿者 nansai : 15:27

2007年7月23日

七月二十三日(月)

アジア杯、4強へ

因縁のオーストラリア戦に、やっと勝った。サッカー国際試合の日は、ぼくも熱い愛国者だ。檻の中のクマのようにテレビの前をうろうろする。オシム語録のにわか信奉者でもあるが、落ち着かない。(この雄牛になぞらえたオシム像は、ぼくにしては、よく描けている。自画自賛。)

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いい試合だった。退場で一人少ない相手に、押し気味に進めたが、120分の延長でも一対一のまま決着がつかない。劣勢の相手の目論見どおり、PK戦へもつれこんだ。
いやーな予感をぶっとばしたのは、キーパーの川口の
まさに神がかりとしか思えない、超ファインセーブ。
川口が、身を挺して左右に飛んで、一人目と二人目を、止めた。すごいぞ。天晴れだ。

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勝てて、よかった。

それよりもなによりも、思うことがある。
開催国べトナムは、30年前は、戦場だったのだ。
立派に整備されたハノイの大スタジアムで、赤いユニホームの小柄なベトナムイレブンがボールを追っている。これが、平和なのだ。

ならば、500万人とも言われる死者をだした、あの戦争は、なんのためだったのか。
そして、世界各地の紛争は、何を生むのだろう?
高くかざされた大義のむなしさを思う。

スポーツも、競い、争う。だが、だれもが納得する合意のもとにだ。
サッカー試合は、共通のルールで、勝ち負けを判定される。国家も、イデオロギーも、政治体制も、民族も、宗派も、その秩序に従う。人類は、その知恵に学びたい。バグダッドで、アジア杯を!

投稿者 nansai : 11:14

2007年7月19日

七月十九日(木)

普及させたくない?エコバッグ商売

スーパーでくれる無料のポリ袋を、「レジ袋」というらしい。全世界で5000万枚とも一兆枚とも推定されている。
にわかに、これが世界中で、文字通り、袋叩きにあっている。いまや地球温暖化の元凶として、「ポリ袋廃絶」が叫ばれているのだ。

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パリでもニューヨークでも世界の各都市で、法案が通り次第、実施に移されるだろう。
アメリカが、手のひらを返して、地球温暖化防止にむかい、急激にハンドルを切ったからだ。そして、政府公認の、ポリ袋に代わる布のバッグが、脚光をあびている。
珍現象として、こんなエコバッグが熱狂的に売れているのをご存知か。世界の街角の信じられない光景を、ぼくはテレビ報道でみた。

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「あたしはポリ袋じゃないよーだ」と変な字で描いてある。英国の一流バッグデザイナーが手がけたこんなバッグが、それこそ、すごい人気だ。
みたところおそまつな中国製のズックのバッグ、取っ手は、布の紐製。どこがいいのかねえ。
デザインしたハインドマーチ女史のご尊名を、寡聞にしてぼくは存知あげなかったが、これが隠れもないブランド品で、知っている人には値打ちがあるらしい。

値段が2000円前後なら安いと、ロンドン、シンガポール、香港、台湾、東京、ニューヨークで売り出したら、徹夜も辞さない長い行列ができた。
お一人様三個で売り切れご容赦ということで、即、売り切れ。ネットオークションに出すと、3万円の価格がつくというからびっくり。台湾では、お客が殺到して、警察官が出動、病院行きの怪我人が30人。懲りてアジアでは、インターネットでしか売らないそうだ。
本来は、NPOが、環境破壊の諸悪の根源ポリ袋を廃止すべく、ハインドマーチ女史に、綿布のエコバッグのデザインを依頼したのに端を発する。

そんなわけで環境問題とまったくカンケイないお宝騒動が、世界の各都市の街角でくりひろげられている。してやったり。環境問題もファッショナブルにやらなければと、デザイナーの仕組んだ限定販売作戦がいやらしい。これが、大当たりというから、世の中、どうかしている。特に、ご婦人方の勘定がよくわからない。香港で買いそこなったお客が、わざわざニューヨークまで買いにくるらしいと、ニューヨークタイムズは、
ハインドマーチ女史の話を紹介している。ええかげんにしてほしいものだが。

投稿者 nansai : 16:12

2007年7月18日

七月十八日(水)

桂 雀々十八番より「さくらんぼ」

いま上方落語がブームとかで、たまたまだが、テレビの「雀々十八番」上演にいたる一部始終ドキュメンタリーをみてしまった。ふだんはあまり関心がないのだが、後日深夜に放送された落語二題も録画しておいた。
そのひとつが、「さくらんぼ」。ぼくは、雀々を、はじめてきいた。

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雀々は、しつこく、まくらで予防線を張る。
「さくらんぼ」は、人気がなく弱いネタで、前列g席くらいしか、おもしろさがわかってもらえないと。すんまへんなあ。なので、後ろのほうのお客さんは、寝てもろてもよろしいが、途中で抜け出さんようにと、勝手な注文をつけていた。話のすじはこうだ。

間違って、さくらんぼうの実を飲み込んでしまった男。なんだか胃がむずむずしているなと思っているうちに、のどの奥から、さくらの木がむくむくと育ってきた。

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春になると、この木が頭のてっぺんで満開だ。うわさを聞きつけて近所の連中が花見に押しかけてくるようになった。人が集まって、あんまりやかましいので、怒って引き抜いたら、雨が降ってあとが池になってしまった。こんどは、昼夜かまわず、釣り人が集まるやら、おおさわぎ。眠ることもできない。あまりのことに、男は、世をはかなんでか、腹たち紛れか、南無阿弥陀仏と、池に身を投げてしまった。

と、雀々は、大熱演だが、なんとも、残酷で気の毒な、笑えない?ハナシだ。
えらいこっちゃなあ、どうしよう。頭のてっぺんで、さくらが満開になったら。ぼくなんかは、このシュールなネタの主人公に、つい同情してしまう。

中には、どうしてあたまのてっぺんの池に身を投げられるのか、としつこく問いただす野暮な客もいるらしい。雀々が予防線を張ったのは、演っていられないからだろう。

シュールで面白い発想だが、たしか前にも出会った記憶がある。

偶然にも、同じようなアイデアを思いついて、ラク描きで、あれこれためしたことがある。
頭の上部をカットして、平たい部分に、脳裏に浮かぶよしなしごとを、いろいろと描きこむのがぼくの手口。子供のころの思い出の砂場とか、さくらの木も。

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さくらんぼの由来をネットでサーチしてみた。、えらいもので、ちゃーんと調べた人がいる。
ご教示に預かることにしよう。
これは、安永2年頃の人気のあった笑い話だとか。あらためて、江戸時代の先人のアイデアに脱帽だ。300年前に、最初に発想した人はすごい!
落語では、けちのハナシの枕に用いたそうだ。「あたまやま」として定番だった。落語好きには常識なのだろう。

投稿者 nansai : 16:07

2007年7月12日

七月十二日(木)

岡島投手はえらい。

全米オールスターでMVPに輝いたイチローはもちろんだが、わが岡島投手は、あっぱれである。
最後のネット投票で32番目のオールスターに選ばれた。すごいことだ。たった3ヶ月間の救援実績でファンから認められたのだ。

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残念ながら、球宴では登板のチャンスには恵まれなかったが、実績はたいしたものだ。
アメリカ人の野球選手を評価する眼のただしさ、きびしさがよくわかる。現役ならば、過去の名声よりも、いまの実績だ。マツイもマツザカも選ばれなかった。
あっち向いてほい、といわれる岡島の独特のピッチングフォームを描くのは、むつかしい。
ぼくは、テレビの画像を静止して、試みてみた。でも、うまくは描けない。再チャレンジせねば。

投稿者 nansai : 13:36

2007年7月11日

七月七日(土)

70年前、七夕のあの日を境に何が始ったか

70年前の昭和十二年七月七日、北京郊外に起きた「盧溝橋事件(Marco Polo Bridge Incident)を思い起こそうと、社説に掲げたのは、朝日新聞だけだった。テレビは、ほうかむりをきめこんだ。

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いま、ほとんどの日本人が知らないのではないか。
昭和十二年七月七日に、なにが起きたか、何が引き起こされたか。
日本では七夕風景がテレビをにぎわせているが、中国では、国辱の日ととらえているという。

70年前この橋の近くで起きた日中間の発砲事件が、日本にとって破滅の大戦争へなだれ込むきっかけとなった。
それより6年前の満州事変に端を発した日中の衝突は、ここにきて、ついに国のブレーキがきかなくなった。この日から、ゆっくりと日本の地すべりがはじまったのだ。軍部の狙い通り、戦火は中国全土にひろがり、八月には第二次上海事が起きた。

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あの昭和十二年七月七日こそ、日本にとって、運命の日だった。もう後に戻れず、4年後には、英米に宣戦布告し、8年後には、日本は焦土と化し無条件降伏した。
懐かしい「三丁目の夕日」は、無一物、焼け野が原から、10年以上たった後の話だ。

日中戦争は不思議な戦争だったと歴史家はいう。日中双方とも宣戦布告をおこなわないまま戦闘が続けられた。いっぽう、裏面では、太平洋戦争末期にいたるまで、種々の和平工作がおこなわれていた。(加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」より)

当時、戦争のニュースは日常茶飯事で、ぼくらは「支那事変」と呼ぶように教わった。ぼくらの読む絵本のなかでは、だいすきな兵隊さんが、戦地でも、中国人の子供をかわいがっていた。(現在「支那」という漢字は、変換を試みてもでてこない。)泥沼などという凡庸な表現では言い表せない「戦争」が続いた。

いまふりかえれば、国民も、世界の現実を知らず、気楽なものだった。
「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう。」と、銃後のぼくらは歌った。死を恐れるなと教えられ、こわいけれど、命の大切さも、よくわからなかった。「平和」とはなにか、戦争がないことのありがたさがわかっていなかった。戦争になれきって、国じたいが狂いかけていたのだ。

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拝啓ごぶさたしましたが、
ぼくもますます元気です。
上陸以来きょうまでの、
鉄のかぶとの弾のあと、
じまんじゃないが、みせたいね。
「上海便り。佐藤惣之助」

こんな軍歌が、軽快な節回しで歌われた。
戦争は「人殺し大会」といったひとがいる。この歌では、戦争の厳しさが、気楽なメロディにのせて、甘く口当たりよいカクテルのように、偽装されている。
少年のぼくにも、おぼえやすく、うきうきと、じょうずに歌えた。
この年、第二次上海事が終わるまでの日本軍の損害は、戦死者9115名、負傷者三万名。
あの南京事件(Nanking Massacre)も、この年に起きた。

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いま、昭和を懐かしい時代ととらえるか、敗戦に至る十字架の道だったととらえるか。
あまりに波乱万丈だった同時代に生きたぼくだが、個人として体験したことは、吹き荒れた巨大台風のほんの局地認識でしかない。何も知らされなかったし、歴史認識というには、あまりにも無知であった。
最近、各国の公文書館から当時の極秘資料が公開され始めた。ぼくよりも若く、戦争を経験していない優れた研究者による昭和史の著作が、堰を切ったように、次々と出版されている。一冊をあげておく。
加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ」岩波新書



歴史にまなぶ。無力なぼくらにできることは、それだけだ。
盧溝橋には、抗日戦争記念館が建てられている。真珠湾上には日本軍に撃沈された戦艦アリゾナの記念館がある。
何の知識もなく訪れる日本の観光客には、その意味がわからないらしい。
被害者は、決して忘れないし、忘れまいとする。勝者であればなおのことだ。都合よく水に流しはしない。

南京で30万人が虐殺されたとの中国側の主張は、あんまりだと、朝日もいう。こころみに、ウイキペディアで、世界の虐殺とされている事件の一覧表を見てみよう。当時のおぞましい振る舞いの事例を、東海大「鳥飼研究室」のサイトは克明に収録している。

ベトナム戦争でのソンミ村の米軍による虐殺の犠牲者は、村人504人。加害者の兵士たちは軍法会議にかけられた。
戦争は、そのような残酷な情況を生み出したし、復讐心に燃えて引き金を引いた兵士など加害者は黙して語らないのは、どこの国でも同じだ。

朝日新聞は社説で提案した。もう一歩勇気を持って、踏み出せないか。史実の論争は専門家にまかせて、安倍首相は、南京を慰霊のため訪問すべきだと。
それはいい。だが、首相の歴史認識は浅いように思われ、こころもとない。耳に逆らわない内輪の意見だけ聴くのではだめで、みずから歴史のおさらいをしてほしい。広く世界の日本に注ぐ眼のきびしさを知らねばならぬ。
官邸のネットで、つぎの項目をサーチするのに数分もかからないはずだ。盧溝橋事件。南京事件。日中戦争。同じ項目で、英文のウイキペディアも。

投稿者 nansai : 16:15

2007年7月 5日

七月五日(木)

阪急電車の「全席が優先席」は、あまかったのか


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満員電車に、ときどき、どこからか、でかい顔のカニがでてきて、座っている。大阪だけだろうか。
オオマタビラキガニのオスだ。大股を開いて、座席を占領する習性がある。
片方のはさみが進化して、ケータイに変化している。いつもケータイに目を走らせるか、目をつむって寝たふりか、妊婦老人に席を譲ることはない。
その大股を、ひざ膝頭ひとつずつすぼめると、もう一人座れるのだが。このカニは、縄張り意識が異常に強く、そこを下手につつくと、逆切れする習性に注意だ。

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阪急電鉄には、電車の「優先席」がなかったとは知らなかった。あえて「全席が優先席」という性善説をとって、「どこの席でも譲り合いの心」を乗客に期待したという。
新聞によれば、こんど、その施策を見直すことになったらしい。
思ったとおりの効果があがらなかったとか?それはあたりまえでしょう。なんでも、株主総会で、高齢の株主から要望が出たらしい。

でも、阪急電車の「全車輌優先座席」は、結構ではないか。9条のように、他の善意を期待するユートピアもすてたものではない。
優先座席を設けたからといって、にわかに席をゆずり合う美風がうまれるか。効果がないのは、おなじだろう。
しかし、「美しい日本」はうさんくさいが、「やさしい大阪」なら大賛成だ。沿線の乗客の善意を信頼する阪急の性善説は、それはそれでいいと思う。総会で株主につきあげられたからといって、あたふたするのも、いかがなものかと思ったりする。

そもそも「優先席」とは、何を優先するかが、だれにもはっきりしないのではないか。
ぼくは、混んだ車内で席を譲られたことは一度もない。
我勝ちの先着順が、ここ大阪のしきたりだ。後から乗ってきて、座る権利があると思うほうが、おかしい。席が空いているとしたら、つり革にぶら下がっての友人同士の会話がはずんでいるときだけ。
電車の中では他人とかかわりたくないと思うのか、みなすぐケータイに視線を落とす。

先日も、こんなことがあった。
満員の地下鉄に乗り込もうとしたら、ぼくの横を若い男が、するすると、くぐりぬけ、目の前の空いた席に、すっと座って、ケータイに見入り始めた。そいつはカニではなく、イタチだった。ああ、タッチの差だった。どうせ、しばらくすれば、座れるのだけれど。

投稿者 nansai : 17:25

2007年6月28日

六月二十八日(木)

まぜて、ばれないブレンド食品

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高温の油でこんがり揚げられたら、コロッケの中身の肉は、外見では、わからない。あつあつで、おいしそうだったら、食べてみても、ぼくなら味の差はわからないのだろう。

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ブタやニワトリを牛と偽っても、ひき肉にすれば、わからないという、苫小牧の食肉加工卸「ミートホープ」社の牛肉偽装事件。はたして前代未聞なのか、この業界ではごくあたりまえのことなのか。
社長は、たたき上げの商売人で、アイデアマン。賞状までもらっている。ひき肉の「匠」的存在だ。

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棄てるのは、もったいない。リサイクルだ。と、思ったのかどうか、20年前からいろいろ創意工夫して、コストダウンのために、トリであれカモであれ、ありとあらゆる種類の安い肉を、工夫してまぜたらしい。混ぜると、うまくなるとも。
でも、ラベルを偽造して、騙したらいかんなあ。そして、大もうけして一族で系列レストランを経営するなど企業は栄えた。
この一年だけでも、368トンのひき肉が出荷されたというから、コロッケはいったい何億個?出回ったのだろう。

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田中社長のうそぶくとおり、かなしいかな、消費者は、値段にはこだわるが、品質の見分けがつかない。くやしいね。
だから、20年以上も、ばれなかった。ラベルに表記された内容をうのみにするしかなかったのだ。

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天網恢恢、疎にして洩らさず。といいたいが、結局、内部告発でしか、味の差(あったとしてだが)や賞味期限切れは見抜かれなかった。
だが、どうせばれないと「牛肉」と、大きくあつかましく表示したのが、うんのつきで、JAS違反どころか、詐欺罪にとわれるだろう。このような角をはやしたブタはいないからなあ。

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生協もスーパーもレストランも、専門家がいるだろうに、見抜けない。ほんとだろうか。業界では、当たり前で、農水省などお役所も、消費者よりも業界よりではなかったのだろうか。

ぼくは、食品業界には暗いが、もともと、食品加工とは原料をまぜることだろう。
ブレンド、ミックスされた食品がどんなに多いことか。まぜて、付加価値をつけるか、格安品をつくるかだ。
ウイスキー、ワイン、米、お茶、コーヒー。発泡酒。みなまぜて、等級の差をつけている。

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しかつめらしい顔をして、テスターとか ブレンダーが、味の差をチェックする。しろうとでは、とても感知できない感性の世界なのだろう。いうほどの差はあるのだろうか。
発泡酒も、まぜられたら、どんな組成かよくわからん。目下、大宣伝中の「ビール」?と思ったら、「お酒」としっかり記載されていた。ますます、「名が体を表さない」時代である。
この豊かな時代に、日本の食の宝庫である北海道での食品加工会社が、内容を偽って、ラベルに不正に記載した。
北海道ときくだけで、新鮮なイメージだ。くいだおれの大阪のデパートでも、北海道展は押すな押すな。うまくて安いコロッケは、目玉だったのではないだろうか。

このところ、企業は、西部劇でいえば、無法地帯にいる。保安官がいない、いや、法律がない。
法の網をかいくぐるか、法の網が追いついてきていないかである。
経営者の平身低頭のお詫びシーン、新聞の社会面の小さい字で組まれたお詫びとリコール広告は、日常化した。
古めかしいが、社是、社訓、経営理念、商道徳、良心のかけら、必要なのかなあ。

投稿者 nansai : 11:37

2007年6月22日

六月二十二日(金)

さいきん動物園にいきましたか 


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先日、動物園の飼育係だった若い女性に紹介された。もちろん彼女はウサギではない。おさないころからの動物園好きがこうじて、専門の学校を出て、動物園の飼育係になったそうだ。
いまは、元飼育係の立場から、自分で本を書いたり講演したりして、たくさんのひとに動物園の楽しさを知ってもらおうとPRしている。

時代におくれまいと、動物園も、ずいぶん改革されたらしい。
白熊とかパンダとか花形の動物以外に、つきあうとおもしろい動物がたくさんいて、みていてあきない。めいめいにファンがついているそうだ。
アリクイにアリのかわりに、何を食べさせているか、あとずさりするヤブ犬、(ブッシュドッグといってジョークにもなっている)とか、面白い話をどっさり聞いた。
ぼくは、動物園にはごぶさたしているが、テレビの動物番組はごひいきである。動物ドキュメンタリーは録画している。話をきいて、動物の飼育のご苦労と達成感がよく理解できた。

ただ、ぼくは、さいきん動物園にいったことがないから、絵にしょうがない。資料を頼りに、食欲旺盛なアリクイのお食事風景にでたらめにトライしてみた。

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この絵は、オオアリクイが、アリのご馳走を一匹ずつねばねばした、長い長い舌で、すばやく吸い取って食べているところ。(まわりにみせると、力作なのに、なんの絵だかよくわからん、というブーイング)
もちろん、動物園では、アリ塚はないからアリを大量に集めるなど、こんなおもてなしはできない。さて、実際のえさは、どうしているか。
くわしくは、彼女の本にのべてある。
仲尾有加「動物園で楽しいひとときを 元・飼育係が語る、とっておきエピソード」新風舎刊。
本屋に並んでいなければ、アマゾンで買える。

その本は、まず、あなたは、最近、動物園にいきましたかと、きいてくる。そういえば、まったくご無沙汰の大人は多いことだろう。
いろんな人がさまざまな動機で動物園を訪れてたのしんでいるようだ。
お弁当を持って動物たちに会いにゆこう。
隣のイタ飯食堂「マリアン」で、お話とサイン会(コーヒーとクッキーつき)どうかな。



投稿者 nansai : 11:54

2007年6月20日

六月十七日(日)

めったにないことなので

今朝の日曜日は、気分がいい。岡の上のコンビニに、いそいそと坂を上ってスポーツ新聞を買いに行く。
昨日のロッテ戦で、阪神が、実に久しぶりで大見出しになったのだ。

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押されっぱなしで敗色濃厚のタイガースが、
土壇場の9回、一挙9点をあげ、苦手ロッテを見事逆転。いまや12球団中で、あの最貧打のタイガースが、9点とって、うっちゃったのだ。奇跡だ。信じられない!
めったにないことなので、サンケイスポーツ、スポニチ、デイリー、ニッカンと、スポーツ報知を除いて、各紙買う。ついでに、お昼の祝杯用に、プレミアムビールを一本。249円。

野球は、筋書きのないドラマだ。プロレスとは違う。
新聞の見出しは、各紙とも、アニキ金本を褒め称えるのが、大半だ。金本の不言実行はたいしたものだが、よいしょは、くだらん。

「若虎、ミラクル呼んだ」
と見出しにかかげたのは、なんとスポニチだけ。
ほんとは、ここがポイントなのに。

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エンドランかけて、もっと動け。桜井、狩野、庄田など、もっと辛抱強く、若手を使え。など、これまで鬱積したOBやファンたちのオカダ監督へのブーイングは正しかったのだ。
ようやく、というか、しぶしぶというか、オカダ監督がなりふりかまわず、打線に若手を起用し始めた。
かれは、球界では、誇り高いエリート中のエリートである。かたくなにヒットエンドランを毛嫌いしていたのに、塁上の走者にサインを送り始めた。
結果は二塁で刺され盗塁は失敗したが、解説の梨田が、「これでいい。きょうから、阪神の野球は変わりますよ」と叫んだのには、正直、驚いた。

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屈辱の借金10は危うく免れたが、ほっとしてはいけない。なんとか世代交代を急がねばならぬ。

ことし、阪神から広島にトレードされた喜田は、阪神時代は、一軍の打席に起用されても、これで失敗すると、また二軍にもどされると、がちがちの金縛りになっていたという。広島に来て、監督のおおらかなアドバイスもあってのびのび打てる。そして、結果が出せて、うれしいそうだ。阪神を出された喜田は、いまや広島の希望の星になった。

阪神は、監督の方針なのか、林はようやく日の目をみたが、桜井など、若手の出る幕を押さえてきた。上が、怪我をしなければ、打席に立てなかった。
外人監督率いるパの高卒選手は、若くてぴちぴちしている。スコアラーの提供するデータを信じて、思い切ってのびのびバットを振っている。専門家の目からみると、阪神の選手は、振っていないそうだ。そして、結果が出せず、出る幕のないままに、どんどん年を食ってしまう。いまこそ、しゅんなのに。
阪神の元若手が、パの他球団で、活躍しているのをどうみるかだ。
ま、ぼちぼち、いこか。これからや。

年功序列は、なんだかお役所仕事みたいだ。それに、むかしは、負けが込むと、おさだまりの内紛。あれはいただけない。

投稿者 nansai : 15:40

2007年6月13日

六月十三日(水)

フランス外人部隊とコムソンと

衛星放送のニュースでみたのだが、アフリカの部族間の内戦の鎮圧作戦に、フランスの外人部隊が送り込まれていた。無政府状態の現地の軍隊は、無力であてにならないからだ。画面に映っていた外人部隊は、みな屈強な黒人のプロ兵士で、命令は、フランス語だ。

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外人部隊の存在を、ゲーリー・クーパー主演の「モロッコ」で知った。ちっとも似ていないが、往年の大スター、ゲーリー・クーパーのつもりだ。戦後の上映だったが、外国人を雇って兵隊にするという発想が、当時ぼくには意外に思えた。
いまは、グローバルな市場原理がまかり通る世紀である。忠君愛国のお題目を掲げ、一銭五厘の葉書で呼び出して、男一人ずつ徴兵できた時代は、先進国では終わりを告げた。

21世紀的「傭兵の時代」がきた。
アメリカもベトナム反戦運動にこりて、徴兵制をやめた。
アメリカが仕切っているイラク戦争でも、現地には、戦争請負会社が二万人のベテラン兵士を雇って駐留させている。正規軍では、間に合うはずがない。莫大な人件費が軍費として支出されている。

従軍も、勲章や名誉よりは、契約、カネ(学資、資格の名目をとるばあいも)しだいになるかも。
採算にあうとみた企業が戦争請負をビジネスモデルに組み入れられるかどうかできまる。コムソンや警備会社とおなじだ。当然のことながら、国是にそう補助金も、目当てだ。
このばあい、愛国心も関係ない。何事も契約なのは、大リーグ選手と同じ。高給を受け取る代償として、戦死しても、国に殉じた英雄として、国立アーリントン墓地に葬られることはない。

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これからは、ますます、軍人の調達がままならぬ時代がくる。フランスの外人部隊の募集も各国でおこなわれている。制服も、凛凛しくかっこよくしなければ。

「ぼくは ぐんじん だいすきよ
 いまに おおきくなったなら」
幼児のころから、歌って育ったのが、ぼくの時代。
これから教育に力を入れ、愛国心を涵養しても、兵隊さんになってくれる子は、すくなくなるだろう。

国の建前としても、人手不足でない袖は振れないから、ややこしい、むずかしい、しんどい仕事は、グローバルに外注せざるを得ない。いま、過疎の地方からひっぱりだこで、ほめられているのが、民営刑務所だ。
民営化は、すなわち、専門の技術を持つ人材の怒涛のごとき、輸入ということになる。

三十年後はどうなるだろう。
自衛隊は、プロ野球や大相撲のように、体力の優れた、アジア各国からの兵士が参加するようになろう。
大阪夏の陣、冬の陣で、大阪城に入場したのは、浪人の大群だった。山田長政のように、海外で雇われた例もある。当時の東インド会社の傭兵の半数は日本人だったそうだ。鎖国前の日本人は、グローバルだったんだなあ。

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高齢化の日本。これから、課題は、介護だ。コムソンをこてんぱんに指弾しても、そのまんま、大きな課題は残る。だれも引き受けたがらないババは、残ったのだ。
誰にもできる仕事ではない。ナイチンゲールの博愛精神だけでは、続かないらしい。かなり強靭な体力と専門技術訓練が必要だ。景気が上向き始めた日本では、介護に振り向けられる人材の求人難は、必至。絶望的といってよい。
介護のための外人部隊をどう編成するか。
イギリスなど先進国へは、フィリピン、シンガポールが、国単位で、訓練された介護要員を「輸出」している。輸出産業なのだ。
だが、この国では、日本語と文化の厚い壁が、グローバルな人材の輸入を阻む。どうしたものか。





投稿者 nansai : 14:49| コメント (0)

2007年6月12日

六月十二日(火)

黒いTシャツ
がらがらの千里中央駅で、黒いTシャツ姿の男を見た。
背中にただ一行、「低所得者」と書いてある。

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着ていたのは、どちらかといえば貧相な中年のおっさんだったが、なんとなく凄みがあった。ローマ字でデザインされた意味不明なTシャツより、ぎょっとする。メッセージ性というほどのこともないが、あの黒いTシャツは、刺青の役目をはたしていたな。

投稿者 nansai : 15:14

2007年6月 8日

六月八日(金)

知られざる「みどりの大阪新名所」

新緑が眼にまぶしい季節、いま、大阪で一番美しい風景。それは、モノレール彩都線の阪大病院前駅から、万博東公園駅のあいだである。

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地上三十メートルの高架線上を、音もなく走るモノレールから見下ろす眺めは、緑の絶景である。
右にみえますのは、万博の森だ。くすのきが欝蒼と茂って延々と続いている。
眼に青葉。さくらも、もみじもいいが、万博の森の絶景は、緑の海だ。
通勤のぼくは、がらがらの4両編成の一番前の運転席の後ろに陣取って、眺めている。これから立ち上がるニュータウン向けのダイアだからか、乗客はまばら。申し訳ないなあ。
遠くに見える(はず)のが、岡本太郎の太陽の塔の後姿。まもなく車窓左側に例のエキスポランドがみえてくる。

ゆくりなくも、ニューヨークのセントラルパークを思い浮かべた。町のど真ん中にあり、だれでもはいれる。
入場料はとらない。公園経営のインサイドストーリーを、NHK衛星が放送していたのを思い出した。
あそこは、経費の大半を民営に委託しているそうだ。ボランティアも参加している。
万博公園は、柵で囲まれている。外部の侵入を許さない。運営もよそよそしく、通りいっぺんのお役所仕事のような気がする。どこかの天下りさきだろうか。
セントラルパークのウエブサイトを開いてみて、仰天した。すばらしい活動振りだ。

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市民のための開かれた公園をめざしているのだろう。一時荒廃して犯罪の巣になった時期もあった。いまや、ニューヨークマラソンをはじめ、活気あふれる行事が年中展開されている。
80ドル寄付すると、その人の思いのメッセージを添えたベンチを、公園内に置くことができるらしい。
愉快なのは、ネットのなかに、セントラルパークのイヌ好きの人のためのもろもろ情報を特集したサイトがある。
自慢の愛犬の写真コンクールがある。
もしあなたのイヌが迷子にあっても、仲間のネットワークでさがしてあげますよとのことだ

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でも、ここは、日本。大阪だ。
市民の公園?どこの市?という風に、縄張りの問題になるだろう。大阪市は、知らん顔をするだろう。広報が、なにかの表紙に「太陽の塔」をのせることをいやがったときいた。
公園の中の施設は、入場者が集まらず設備が老朽化したということで、美術館もつぎつぎに大阪市内に引越ししている。
規模的には、セントラルパークに匹敵する、この得がたい関西のみどりの宝は、どうなるのだろうか。

投稿者 nansai : 16:38

2007年5月31日

五月三十一日(木)

たいへんだ。
バスが、沈む。沈むよ。
だいじょうぶ。
大川をゆったりと航行中。なのだ。

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久しぶりで、いいアイデアをテレビで見た。
水陸両用の観光バスが、大阪に登場だ。定員40人。運転スイッチを水上にきりかえると、最高15キロでるという。こんなバスがあるんだなあ。これを、アメリカから買ってきて、水の町大阪の観光ツアーにと思いついた人がいる。えいっと私財一億円を投じたそうだ。たいしたものだ。このごろ手元不如意の大阪市交通局では、こうはいくまい。快挙だ。水の都ツアーに水陸両用観光バス、とは思いつかなかったなあ。面白い。クリーンヒットするだろう。

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さっそく、グーグルでしらべてみたら、北海道や栃木県、東京でも、もうちょっかい出して試験運転している。これから、競走だ。負けていられない。
話題に乏しい大阪にはぴったりのグッドアイデアだ。(同じハコモノでも車輪とスクリューがついている。夕張の二の舞にはならないだろう。)琵琶湖にもいい。不振の関西だが、アジアから観光客が呼べるぞ。
海外旅行にごぶさたのぼくは知らなかったが、水陸両用バスは、すでにニューヨーク、オーストラリア、ドバイ、アラスカ、マイアミ、アイダホ、サンディエゴ、など、世界あちこちの都市で成功しているらしい。

で、お調子者のぼくも、割り込んで、一案。
今年の天神祭りは、船渡御のほかに、バス渡御といこう。スポンサーは、いくらでもでてくるかも。
そのうちに、いろいろな型の水陸両用車が上陸するだろう。ダイハツなど、国産車も。
秋の御堂筋パレードも、サントリー、パナソニックと、水陸両用車パレードにして、大川を、大阪城から西へ下るなんていいなあ。あ、橋がじゃまか。
そうや、忘れていた。阪神の優勝パレードだ。雨の御堂筋もいいが、大川をさかのぼってから、やろうやないか。そのうちに。

投稿者 nansai : 17:16

2007年5月30日

五月三十日(水)

トウゴウさん、なんとかなりませんか

阪神が、甲子園で、ロッテに大敗を喫した日。
奇しくも、百年前の日露戦争で、日本海軍がロシア帝国のバルチック艦隊を対馬沖において、完膚なきまでに打ち破った、まさにその日だった。
旗艦三笠のマストにはZ旗が翻った。

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戦艦三笠の艦橋に立つ小柄な東郷提督の絵は、小学生だったぼくの目に今も焼きついている。
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」と打電し、いよいよこれから出動する三笠の艦橋の状況が描かれていた。大きな額が小学校の講堂にかかげられ、毎日、仰ぎ見みて、軟弱で臆病なぼくも、すごいなあと、武者ぶるいした。

それって、なんのこっちゃい、というむきもあろうから、ぜひウイキペディアの「日本海海戦」[Battle of Tsushima]]を参照してほしい。
司馬遼太郎渾身の作「坂の上の雲」に目を通すより、手っ取り早い。

三倍も戦力において勝るバルチック艦隊を、劣勢の東郷艦隊が、対馬沖で迎えうった。1905年5月27日。苦心して編み出した捨て身のT字戦法、敵前大回頭で打ち破った。ロシア艦隊は、戦艦、巡洋艦のほとんどを撃沈され、拿捕された。日本海軍は、水雷艇三隻と損害軽微だった。海戦史上まれにみる完勝だった。

戦闘中、マストにZ旗が、高く掲げられた。冒頭に描いた信号旗である。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」将兵いっせいに奮いたったと伝えられる。
あまりにも有名で、少年のぼくらも、戦時中、いやになるほど、ゼット旗の話を聞かされて、叱咤激励されたのを思い出す。
Zは、アルファベットの最終の字で、「もうあとがない」のこころで、トラファルガー海戦ではじめてネルソン提督が掲げた。
負けたらおしまいの大海戦にくらべれば、タイガースには、まだまだ、あとがある。終盤、なんとか遮二無二に三位にすべりこんで、プレーオフを制することだ。

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「明日は勝つぞ、タイガース!」
アドミラル ネルソンとトウゴウにあやかって、タイガースの士気を鼓舞すべく、甲子園でゼット旗だ。「各員一層努力せよ、」と、ふりまわしても、…あかん。かなあ。

なにしろ、対ロッテ交流戦が、2戦24失点だ。
どうやって点をとるか。打線よりも作戦だ。サンスポのインタビューにこたえて、
「ベンチワークだ。」
と、星野前監督はいう。こういうときこそ、監督は、さい配で選手を動かすべきだとも。

しろうとのぼくにも、そう思える。じゃあ、なんのためのカントクなのだ?と、これは、ぼくの遠吠え。
こうもいいたい。
再三ひどい目にあわせてくれるパリーグの外人監督たちの用兵術に学ぶべし。どっしりかまえて動かないポーズは、泰然自若というより、往年の強打者はベンチワークに弱く、次が読めないからかなあ。
もう目先の勝負にはこだわれなくなったから、じっくりいろいろ考えて世代交代へ、だね。
負け惜しみのようだが、往年の弱い、はがゆいタイガースに帰ったようで、おろおろぼやき、かつ悪態をつきつつ、歯噛みしながらの応援には、ついチカラがはいるなあ。

で、Z旗だ。ダメ虎時代に還ってほしくない。秋には、体力回復して、なんとか三位に滑り込もう。プレーオフを制して日本シリーズへ。明日があるさ。

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「百発百中の一発、よく百発一中の敵砲百門に勝る。」
世界が仰天した未曾有の成功体験がわざわいして、後年、自信過剰の日本海軍は太平洋戦争で手痛い目にあうことになるのだが、それはまた別の話。

投稿者 nansai : 11:54

2007年5月28日

五月二十八日(月)の二

阪神まけると新聞売れん

負けた、負けた。ロッテに、14失点、今季ワースト。
阪神大敗の翌日のスポーツ新聞が、おもしろい。
扱いに苦慮しているのがわかる。

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オカダ監督の暗い顔と他人事のようなコメントでは、売れんわなあ。なんや、あれは?某デザイナーのユニホームも、あんまり似合わんのお。と、つい八つ当たりもしたくなる。
卑怯なのは、サンスポだ。ウマに乗って逃げた。
まるで競馬新聞だ。一面の見出しが、
「女が勝った!ウオッカダービー 64年ぶり快挙」
ようやく5面に、やっとタイガース関連だ。敗因から目をそらし、金本への死球をとりあげて、
「ロッテ、なにすんねん、虎、なにしてんねん」

ゴマすって、オカダをかばう新聞もあるが、うその大本営発表はできない。太平洋戦争中の負け戦の報道振りと似ていて違うところは、読者がみな戦況結果を知っているということだ。みんないっぱしの評論家なのだ。ロッテにくらべてぼろくそだ。

口々に、いわく、
敗戦処理に中村や能見を使うのをやめてほしい。
島谷を優遇しすぎや、使わん勇気も必要。
などと、トラ党の声はもっともだ。

テレビ評論家も、ふだんは談合のように口重くかばいあうが、連敗が続くと、つい本音が出る。
バレンタイン監督のようなパリーグの用兵にくらべて、第一球からの盗塁やヒットエンドランなど、もっと早く仕掛けんかい。

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尻馬に乗って、ぼくの意見はこうだ。
若さにもっとチャレンジさせよ。
昔の名前に頼らずに、首脳陣は、選手をブランドで使うな。不調なら、ひっこめろ。無名でも実績なくても、実力の可能性に賭けよ。鳥谷のように。
大相撲の白鵬も、ゴルフの石川少年も、若い可能性を爆発させた。
阪神は、年功序列だ。パリーグをみても、阪神を追放された選手たちが、めいめいの持ち味をいかして主力打者で活躍している。
阪神は、上のふたが重く、ようやく芽の出た林も、もう28歳だ。桜井も狩野も、もっとはやく世に送り出すべきだった。出し惜しみしているうちに、つぶれてしまうこともあるのだ。

投稿者 nansai : 15:23

五月二十八日(月)

我輩は蟻である

ぼくは、毎朝、熊野詣だ。
知る人ぞ知る「熊野かいどう」をてくてく歩いている。

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かつての八軒家船着場、いまの京阪天満橋駅が起点だ。
階段をあがり、土佐堀通りをこえ、だらだら坂を南に上がる。トウカエデの街路樹の下を、えっちらおっちらと、たったの二百メートルくらいだが。
熊野かいどうだ。

「熊野街道は、このあたり、(渡辺津、窪津)を起点にして、熊野三山に至る道である。」
と、坂の上がり口に、石碑が立っている。
「京から淀川を船でくだり、この地で上陸、上町台地の西側、脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられ、平安時代中期から鎌倉時代にかけては、「蟻の熊野詣」といわれる情景がつづいた。」
千年前の平安時代からの細い道を、ぼくは毎日歩いている。蟻の行列の一匹だ。

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蟻たちは、なぜ、この道の果て、はるばる熊野を目指したのか。信心の薄い平成のぼくには、想像もつかない。
熊野は、浄土信仰が盛んだった平安末期、現世にある「浄土」の地とされたといわれる。

その頃、仏が滅してから、二千年。
京から、上皇や女院による熊野御幸がひんぱんにおこなわれたという。
暗黒の「末法の世」を説かれても、ちんぷんかんぷんの庶民はそれどころではなかったが、当時の貴族社会は、不安でパニック状態に陥っていたと思われる。

記録が残っている。鳥羽上皇21回、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、
上皇クラスの御幸は、約百年間に百回を数える。おびただしい回数だ。
それも、物見遊山の旅行ではなく、身を清め、京から徒歩600キロ、莫大な経費をかけ大勢の人数を従えての一ヶ月半の難行苦行だった。

そんな熊野参詣に、ひとびとを駆りたてた恐れは、なんだったのか。
道中の難行苦行が一切の罪業を消滅させ極楽に往生できる、という阿弥陀信仰だったというが。

上皇の御幸がすたれたあと、室町時代からは、武士や庶民が、蟻のように列を成して、熊野を詣でたらしい。

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眼を閉じて、タイムマシーンに乗ってみよう。
1159年12月、人家もまれなこの細い道を徒歩の平清盛が白装束姿で、後白河院の熊野御幸のおともしている。
保元の乱は、その留守を源義朝らに襲われたところから始まった。平家、続いて、源氏と、武家政治への転換点だったのだ。

御堂筋と平行する、この筋は、いまは大阪のどこにでもある、名もない道のひとつだ。千年も前から、上町台地に向かうこの細い道を、人々が往来した。
だが、交通量のはげしい坂の入り口にたつ石碑の銅版に気づく人もいない。

大阪は、坂の町、夕日の美しい町だ。日の沈む西方の浄土に向かい手を合わせて、この道を歩いた蟻たちの行列を描いてみた。

投稿者 nansai : 11:56

2007年5月15日

五月十五日(火)

そんなに長生きしたいですか、
と問われて。
「日本人の死に時」(幻冬舎新書)

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願わくば花の下にて春死なん
その如月の望月のころ 西行

その花も散り、万物かがやくばかりのの新緑の候であるが、ただぼんやりと座して、お迎えを待っていてはいけないらしい。「ぴんぴん、ころり」が、国是のようだし、国会でも、議論されている。
ここ数年、死を考えるブームで、本や雑誌が、次々に出版されている。
いい本が出た。
久坂部羊「日本人の死に時」(幻冬舎新書)これは、近来まれな快著である。

「死に時」のすすめ。この触れにくいテーマをめぐって、あちこちでハチの巣をつついたような議論が展開するだろう。いいことだと思う。

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作家でもある著者は、老人医療医。数々の老人の死を看取ってきた阪大医学部出の現役の医師だ。

本の副題には、「そんなに長生きしたいですか」
腰巻には「あなたは、何歳まで生きるつもりですか?」と、たたみこんでくる。
続いて、
「苦しみ、うとまれ、寝たきりになりたくない、人のための、「『ほどほどで死ぬ』哲学」とある。

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医療行政ではやっかいもの扱いの後期高齢者としては、たじたじと、あとずさりだ。まことに時宜を得た、ごていねいな問題提起ではある。

そう、高齢者社会に生きるものにとっては、この200ページの薄っぺらな本は、まさにバイブルなのだ。

いいかえれば、「あんたの死に時」を教えてくれる本である。なかでも、第八章「死に時のすすめ」は圧巻だ。
参考になるぞ。ご同輩。戦友諸君。

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62歳の内科医が、みずからの胃ガンを手術不能と判断して、自然の摂理として受け入れ、そのまま死を待つことにした。その衝撃のエッセーが紹介されている。
かれは、医師として、悲惨な老後をさんざんみてきた。年をとってからのつらい死は非常に多い。この医師は、自身で胃がんを診断して9ヶ月後になくなった。

かれの書き残したエッセーによれば、ほんとうに死が近づくと、恐怖心も徐々に弱り、死もそれほど怖くなくなるというのだ。上手に死を受け入れれば、穏やかな最後を迎えられるとも。

数々の老人の死を看取ってきた久坂部医師はいう。心の持ちようで、死ぬ前には死が怖くなくなる。こんな朗報は、ちょっとないのではと。

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著者によれば、ガンによる死がいいのは、確実に死ねるということだそうだ。それも一年以内に。

むかしはみんな家で安楽死していた。
「近代医療の発達する前は、たいていの人が自分の家であまり苦しまずに死んでいました。自然にまかせておけば、人間はそれほど苦しまずに死にます。」
著者は、たんたんと説く。
死が苦しくなるのは、人間があれこれ手を加えるからだ。放っておけば、そんなに苦しむ前に力尽きて死ぬ。
多くの人にとって、長生きは苦しいのに。と、著者は、マスコミで世に喧伝されている安楽長寿情報に顔をしかめる。そんなバラ色情報に浮かれていると、いずれ訪れる老いに苦しめられるとも。

まだ若く時間にゆとりのあるうちに、「長寿の危険」にそなえるようすすめている。
そうか、長寿は危険でいっぱいなのだ。
西行法師の願いのように、満月の花の下で眠るように、とはいかないらしい。

介護現場を知る久坂部医師は、歯にキヌ着せず、こう指摘する。
健康情報ばかり先走り、人々はまるで悪霊につかれた豚のように、悲惨な長寿の谷底になだれこんでいると。

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同医師の述べる結論は、かんたんだ。死に時がきたときは、抗わないことが、いちばん、らく。
受け入れる準備さえできていれば、心も穏やかになれるだろう。
「自然に逆らうことは、苦しみと煩いを増やすばかりです。多くの老人の死を看取って、そう思います。」
そのとおりだろう。わが意を得た。

この新書の720円は安い。
まだ書評で取り上げられていないようなので、ぼくはぴんぴん元気な友人たちに一読をすすめている。

投稿者 nansai : 10:33

2007年5月11日

五月十一日(金)

連敗を9で止め、タイガースの長すぎた大型連休がやっと終わった。

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10連敗!それは、あんまりだ。
この二試合は、連敗ストップをかけてなりふりかまわず、戦ったのは、評価できる。
ぼくは終盤の土壇場しかみていないが、藤川投手の誇り高き「この一球」をテレビの前の特等席でじっくり堪能した。
スタンドの大観衆の中では味わえない、投手と打者の虚虚実実の駆け引きに、久しぶりにうならされた。

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勝った昨夜のキャッチャーが、駆け出しの狩野というのがうれしいじゃないか。
昨夜は、見事だった。あっぱれだ。
ほとんど一軍の試合にお呼びでなかった狩野捕手が、意表をつく変化球をまぜ、藤川をリードして、三者凡退させた。甲子園の大舞台に臆せず最後までマスクをかぶった。
「変化球のサインだしてもええよ。」と藤川が声をかけたという。美学の直球勝負に封印して勝った、と、朝日は書いている。
狩野は、直球に絞ってくる相手の的をはずして、らくに三振をとろうと思った。と、これは別のスポーツ紙から。

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前日の負け方は、あまりに無残だった。
まさかの8回にひっくりかえされた。速球ごり押しの藤川は、読まれていた。
正捕手矢野は、ぼろぼろだった。走られるわ、捕逸するわ。
俊足の代走を一球めで走らせた井原コーチの走塁シミュレーションが成功した。
走る巨人が、キャッチャー矢野を動揺させ、力でねじ伏せる藤川の美学をがたがたにした。以前から嘲笑の的だった長嶋型の巨砲打線が、完全にモデルチェンジしていたのだ。

長い長いトンネルだったが、阪神は果たして抜けられたのか。
狩野、林、と、タイガースも、いよいよ、実力の世代交代だ。
この苦い9連敗は、主力選手に遠慮せずに、思い切って新戦力を登用できる機会を与えてくれた。
まだ先は長い。


投稿者 nansai : 14:59

2007年5月 8日

五月八日(火)

タイガース連敗阻止祈願

「岡田休養」
どでかい見出しが、スポーツ新聞にのっていた。すわと、買ってみたら、いつものように、小さく
「させん」
と「宮崎オーナー明言」とある。
なーんや!
サギだね、これは。キオスクで、毎度ひっかかるのも、いかがなものか。
「7連敗。それでも、信頼揺るがず」だそうな。

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さすがオーナー、あまいばかりじゃなく、苦言も呈している、とサンスポ。
「故障者が多いのに、強いチームの戦い方をしている。もっとチャレンジャーとして戦わないと。」
「星野前監督のように言葉で人をひきつけることも大事。アピールしないと。」とも。それはむりでしょう。

急に打つ手がなさそうなので、急遽、これまでに描いて忘れていたタイガース応援之図をアーカイブから引っ張り出してならべ、悪霊退散、厄除け必勝祈願を。

なにぶん緊急の事態につき、応援ギャルたちには、数年前の元気な夏の甲子園から、夏姿のまんま、タイムマシーンに乗せて出場してもらった。
「かっ飛ばせー、タイガース。」か、なつかしい!
ごめんね。ちょっと肌寒いかな。

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これは、いまは昔の絵だ。よだれをたらしているトラの口のなかでもがいているのは、気の毒に、巨人の堀内監督(当時)だ。あのころは、巨人も、ぱくりと、ごちそうさまだったなあ。

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優勝は、おこがましいが、土壇場大挽回祈願の絵馬を奉納することにしたい。もちろん、広田神社に。球児の横型ホームプレート絵馬のアイデアは、売れるぞ

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これも、なつかしいプラカード?
「ぶっちぎれえ。阪神!」首位にたって独走態勢にはいり、追いすがる二番手をつきはなすのだ。

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オカダ監督御用達焼酎「そらそーや」も、発売されたそうだが、売れ行きはどうかな。心機一転。頼まれてはいないが、びんもキャッチフレーズもかえてみた。
「ななころび、やおき。こけたら、たて。」

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投稿者 nansai : 16:20

2007年5月 7日

五月八日(火)

いよいよ、たけなわの「母の日」商戦。

花オンチのぼくだが、いま、ブルーのカーネーションが話題らしい。テレビ大阪のニュースで知った。2004年のグッドデザイン金賞だ。

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へえ、先端技術開発のブルーのカーネーション、一本なんぼやろ?
高そうだが、もらってうれしいかねえ、大阪のおばちゃんは?。
「もらったらうれしいですか」の質問(やらせかなあ。)に答えて、
「そりゃうれしいわ。
でも、何かに添えてね。そうや、商品券がええわ。」
やあ、条件つきとは、さすがである。赤い服を着こなしている身なりのいいおばあちゃんだったが。

ぼくは、花屋をのぞいていないので、まだ話題のブルーカーネーションにお眼もじできていない。
で、以前に描いた赤い花びらにこちょこちょと手を加えて、

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はい、できあがり。このとおり、クローン栽培で、なんぼでもできるのだ。

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ここで、思い出した。
親しい友人が、手術して入院している。もう元気になって退院も近いのだが、そのお見舞いに、いつもの「絵に描いた花」はどうやろ。

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そうだ、絵がいい。戸口で逡巡しているのが、ぼくである。
この絵はいつも好評だ。見舞いの前に、病院の壁とドアをぬりかえ、名札を書き換える。

せっかくバイオで育てた花を持っていっても、ゴルフのうまい屈強なおじいさんなので、ネコになんとか、かもしれないので。


投稿者 nansai : 16:11

五月五日(土)

こどもの日

トラ、7連敗。泣いている場合か?

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プライドだけ高い監督の打つ手のはずれる采配の問題もあろうが、連敗の主な原因は、主力選手の年齢だろう。どんな名選手も、歳には勝てない。筋肉とカンが急激におとろえてくる。
おそれていたチームの勤続疲労が、意外に早く夏までもたず、ゴールデンウイークに、はやくも顕在化したのだ。
いたましいエキスポランドのコースターの車軸破断を思い出してしまう。
で、こういう世代交代の時期を、果断に、どう乗り切るか。あわててもしかたがないか。
右翼手の林、捕手の狩野が、頭角をあらわしたが、二軍に、そのほかの注目選手はいないか。
ドラフトでは、いい選手は、くじでしか当たらない。
外部からの補充は?緊急輸入は?
もともと阪神の戦力の中核は、元広島の打線、元日本ハムのエース、元中日の控え捕手などで構成されている。鳥谷のように純粋に阪神育ちは、案外少ないのだ。
大リーグをみても、ヤンキースもあのざまだ。どの球団も、眼の色変えて、人獲り、戦力補充ゲームだ。日本のプロ球団は、牧場になってしまった。
トラキチも、嘆いている場合ではない。

投稿者 nansai : 13:29

2007年5月 2日

四月二十九日(日)

四月二十九日 
きょうは、「昭和の日」。
確か、「みどりの日」だったはずなのが、
昭和一桁生まれのぼくに、なんの説明もなく、祝日の名前が変えられていた。
もともとは昭和天皇の誕生日だった。
戦前は、おごそかに天長節といった。

昭和天皇は、「人間宣言」などしていない、という学者の説が、「昭和の日」のトーク番組で披露されて、居並ぶ出場者がうなずいている。耳を疑った。

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これは、どういうこっちゃ。きょうの日に、またなぜ?
天皇の「人間宣言」は、その学者の見解では、当時の新聞が勝手に解釈して見出しをつけたという。おやおやである。
天皇は、普通の人であってはいけない、ということか。

敗戦後、天皇が神であることを自ら否定した、とされる昭和二十一年年頭詔書を、ネットで、読み返してみた。
冒頭に明治天皇の五箇条のご誓文が引用され、次のように読める。

「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。
天皇を現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」
いま読み返して、おっしゃるとおり、と思う。一部には、これはGHQの差し金だと言いつのる向きもあるようだが。
まさに、この「架空なる観念」により、昭和の暗黒の時代、ぼくら「臣民」は、死ぬほどひどい目にあい振りまわされたのだ。

きょうが、なぜ唐突に、「昭和の日」なのか。長年いろいろもめたあげく、議員立法した一部政治家たちの努力が実ったらしい。靖国や皇室をめぐって、平成の戦後生まれ「勤皇の志士」たちが頭をもたげそうな気配である。

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昭和の日本は、いまや映画「三丁目の夕日」で懐かしがられているように甘酸っぱいノスタルジーにつつまれている。
が、昭和という時代は、光と陰のコントラストが極端だ。満州事変の翌年、ぼくは、昭和のもっとも暗い陰の時代に生をうけた。かえりみて、ぼくの一生は、昭和と完全にシンクロしている。
こんな年齢だが、検事でも判事でもなく、時代の生き証人のひとりである。
それも、「進め一億、火の玉だ!」のスローガンのとおり、一億分の一人の証言しかできない。
ほとんど皇国史観で教育を受けた。
歴史認識としては、時代の波に翻弄されて、食うに忙しく、何も知らないし、理解していないと自覚している。

昭和二十年以前の昭和は、少年のぼくの眼からみても、ブラックホールの時代だった。いかなる大義をふりかざそうと、結果として、戦争を引き起こし300万人が命を落とした。あの取り返しのつかない重苦しい時代には、二度と帰りたくない。
想像を絶する強烈な思想の重力が、ある一点に、国民をひきずりこんでいた。「国体」である。
学校が教会で、校長が司祭だった。
あの時代は、愛国よりも「忠君」に、教育のウエイトが置かれていたと記憶する。

おびただしい数の昭和史が出版されている。700円で買える新書版がいい。若手の俊秀の書き手たちが鋭く昭和の抱える問題にせまっている。
その史実の解釈をめぐって、甲論乙駁、いろんな意見が、出始めている。

NHKスペシヤル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」(第61回文化庁芸術祭テレビ部門大賞)は、議論のたたき台として必見だろう。
昭和12年からの中国戦線での一連の事件は、証拠の解釈は自由だが、ドキュメンタリーにとりあげられた事実をみるかぎり、今も何かを物語っている。
現在、自衛隊金沢部隊に保存されている第一師団の戦闘詳報。90歳前後の従軍兵士たちの克明に記録された日記や証言。捏造はできない。口を閉ざしたまま多くの兵士がなくなったが、70年近く前の資料が断片にせよ現存している。ひとの記憶は衰えても、記録は残る。重い。
証拠をめぐって、解釈は、いろいろでかまびすしい。

が、昭和六年から二十年まで、なんと言おうと、日本は、沖縄戦だけでもで二十万人、二十万人の広島長崎の原爆犠牲などなど、戦争の最終段階は、国体護持を悠久の大義として、300万人の命を失った。いたましいかぎりである。
悲惨な時代に生まれたが、ぼくら少年は、新聞をはじめ正しい情報から隔絶されていた。考えることのかなわぬ葦だった。
旧制中学生は、昭和二十年、学徒動員された。ぼくら二年生は、本土決戦に備え海岸の機関銃座作りへ、1年上は海軍工廠で八月十四日の空襲で死傷者を出した。小学校に寝泊りし、新聞もラジオもみていなかった。
軍国少年のぼくらは、巨大戦艦「大和」の存在を知らされていなかった。
世界最大の戦艦が、沖縄へ片道燃料を積んだまま特攻攻撃して海の藻屑と消えたのを知ったのは、終戦後のことである。

いま、次々に発表される史実に接して驚き、あらためて、あの時代の狂気のうねりを思うのである。バブル期にも、またに似たようないやな予感がしたのだが。
その時代のエリート、かつ無知蒙昧の指導者層に、情報を持たず判断できないぼくらは運命を託さざるを得なかったのだ。

昭和というコインは二つの面、明るい表と暗い裏とがある。おなじ人物の肖像がきざまれているのだ。
老いたぼくは、自分の乏しいが、しかし貴重な経験を足がかりに、改めて距離を置いて、歴史に学びたいと思う。

ぼくたち日本人にしてみれば、もう済んだことだ。忘れてほしい。水に流したいのだが、世界は、過去の清算に、注目している。
21世紀の世界と未来を相手なら、日本は、もっと、いさぎよく、身を処さねばなるまい。いさぎよく。

日本人のあいだで、自虐史観とか、ことばをつくして意見の違う相手を罵しり合っても、むなしい限りではないかと、ぼくは思うのだが。そして、
「昭和の日」は、八月十五日がふさわしいと。

投稿者 nansai : 14:19

2007年4月25日

四月二十五日(水)

夕張市は、メロンでは食べられなかったのか

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味とブランドで有名なメロンだけでは、食べて行けなかったのだろうか。夕張市は、多額の借金をして、メロン博物館など、遊園地からスキー場まで、約30の一連のハコモノを建て、観光客をひきつけようとした。
あげく、財政の破綻で、地方の縮図として、夕張市はさらしものになっている。
かつては地方再生のモデルケースの優等生だった。
多くの自治体が、夕張市を訪れ調査している。過疎の街づくりの模範として、数多く受賞しているのだ。
なんと経済同友会は「美しい都市づくり賞」(昭和63年)、自治省は「活力ある街づくり優良地方公共団体」(平成2年)、通商産業省は「ふるさと産業50選」(平成4年)などなど。

夕張だけでなく、活性化を願う地方自治体はみな程度の差はあるが、政府の音頭とりで、時代に流され、悪乗りさせられた。どだい無理な話の「列島改造論」が、もてはやされて、総括されていないままに。

あのころのアメリカからの内需拡大の大合唱、カネあまりの時代で、地方自治体は、こぞって政府保証つきの借金バスに乗り遅れまいとした。
景気対策のはずの公共工事が、くせものだった。
地域再生という実現不可能な国是まがいの空手形を信用して、投資ではなく、投機に手を出したのだ。
あらそって起債し、土地を買収し、道路をひき、ハコモノが全国津々浦々に建てられた。
目的として、どこでも、右へならえの「企業誘致、観光事業」のレッテルがはられ、選挙の公約にも掲げられた。

国は、景気対策として自治体に公共事業をうながした。
カネがなければ、借金返済の一部を地方交付税で負担するとした。自治体はわずかな負担で大規模事業が可能となり、競って会館やホールなどハコモノを建設した。ずさんな計画がペイするはずもなく、返済と維持費が自治体の財政を圧迫、地方の長期債務残高は200兆円を越える結末だ。

過疎に悩む地方の選挙は、集票マシーンとして土木建築系の地元資本が暗躍してきた。いまも、だろう。
選挙協力して当選のあかつきに、公共工事に参加できる。ばら撒きゼニで、地元もうるおう。

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いわゆるコンクリートのりっぱなハコモノを建てるのは、かんたんだ。
しかし、このころ、全国で雨後のたけのこのごとく安易に企画されたテーマパークは、気息えんえん、苦しい運営をしいられている。
一目でわかる資料が、ネットで探せる
どの自治体も、あわよくば、ディズニーランドのようなテーマサイトを夢見て、過疎の地に、遠くから観光客を呼び寄せようとしたのだ。
この手の施設が生き延びる頼りは、地元のリピータというのが、至難の常識である。
甘い需要測定、いや作文で、かぎられた観光客を、あちこちの過疎の地域のあいだで奪い合おうというのだから、計画は最初から破綻していた。
だから、遊園地や博物館の持続的な運営は、その道のプロでも難しい。観光事業化は、地域の悲願ではあっても、誇大妄想にすぎない。

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問題は、選挙だ。机上の地域活性化をうたいあげ、当選して、景気のよい公約どおり、ばら撒き行政のおこぼれにあずかり、政府の援助を見込んで起債してハコモノが建てられる。無責任な企画はどこかが持ち込んだのだろう。需要予測は甘いというよりでたらめである。役所にも議会にも、経営の眼を持った人材はいない。議会もぐるだから、あとの監視もない。
失敗しても国がなんとかしてくれるはずという神話。
これは、夕張だけの現象ではなかった。

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「地方を切り捨てるな」というヒステリックな叫びはいまもきこえてくる。
でも、地域格差は、なくなるはずがない。少子高齢化は、地方の人口減少時代だ。
健康で文化的な最低の生活を欲するならば、ストローのように、都市部に住民は吸われてゆくだろう。冷厳な現実と向き合い、どう折り合うかだ。過疎地の起死回生の奇策は、ないと知れ。

あれもこれもは、むり。集中と選択しか、企業も国も生き残れない。企業は、バブルがはじけ、つぶれそうになって、身にしみた。
選択とは、限られた機会と資源を有効に使うことだ。維持できないものを、整理統合することだ。売り渡し、捨てることでもある。
それを、「切捨てだ!」と叫び、地域に票をねだるのは、選挙民にこびる言葉のトリックにすぎない。
人口は、先進国ではますます都会に集中する。これは、承服しがたくても、よくもわるくも、文明の必然、法則だ。
なのに、過疎の地方が、ばらばらに、競い合わされ、巨額の債務地獄という破綻の道へ、まっしぐらすすんでいった。政府も、田中角栄の列島改造論をひきずったまま、地方をミスリードしたのだ。

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「地方を切り捨てるな」とあじって、とにかく目先の選挙に勝つ。それは国を危うくすることではないか。民主主義の算定のフレームがゆがんでいるように見える。日本は、農村を選挙の基盤とする候補者が、人口の比率よりも多い。地方を見据えて調整しつつも、将来の国益がはかられねばならぬ。地方出身の候補に、それは可能か。

選挙のつど、不要不急かもしれぬ「公共工事」という、地元への安易な公約のにんじんをぶら下げて、目先の得票を狙ったことも、長い眼で見れば、地方自治のパワーを削いできたのではないか。

夕張は、メロンで成功してきた。だが、観光目当ての博物館は、よけいだった。
夕張市を他山の石として、地方は、生き残るための、「身の丈」の経営を、必死に考えねばなるまい。

投稿者 nansai : 10:34

2007年4月19日

四月十九日(木)

23歳の犯人は、バージニア工科大で33人を撃ち殺し、自分に向けて引き金を引いた。いともかんたんに。
GLOCK 19。
9ミリ、セミオートマチックピストル。凄惨な凶行に使用されたのが、このハンドガン二丁だ。ネットで調べたら、おびただしい数の同製品の画像がでていた。

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先月犯人は寄宿舎から40分離れた銃砲店で、このピストルを555ドルで買った。店は、かれの運転免許証、小切手帳で名前住所を確認し、移民カードで永住権をチェックした。30分で照合が終わり、彼はクレジットカードで支払った。バージニア州で銃を買うのは、拍子抜けするほど、かんたんだ。

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今度の事件でも、アメリカの銃刀法が変わることはないらしい。銃を自衛のために保有することは、建国以来の市民の権利であるという。この既得権をめぐって、国論が二分しても、投票で覆ることはないそうだ。
文化の問題であるし、お国柄でもある。対応は容易ではないと思う。

先進国では、正常な人間が、争いの解決に理性を持って銃に訴えることはまずないだろう。
長崎市長射殺事件を見ても、決して大義をかざしての身をすてての反抗ではない。何かの不適合な精神的状態の人間が、武器を入手したときが、こわい。何とかに刃物というやつである。
アメリカよりは、まだ日本のほうが現実的に対応できる。
銃刀法があるだけましだ。銃刀狩りを、重点かつ集中的な取り締まりを定期的におこなうことはできないものだろうか。

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技術が進歩して、武器さえあれば、おんなこどもでも大量殺人できる時代だ。アフリカでも、中近東でも。

ぜったいに、銃が、たやすく手に入らない社会に。

投稿者 nansai : 16:11

2007年4月18日

四月十八日(水)

氷を溶かすには

温家宝首相の「氷を溶かす旅」に、ぼくらは、もっと拍手してもよいのではないか。虚心坦懐に。

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かれは、もともと地質技術者らしい。国会でスピーチしたり、朝街に出てジョギングしたり、学生相手に野球をしたり、これまでの首脳にくらべ、ぼくの目には、じつによくやっていると映った。

しかし、こういう中国のジェスチュアにだまされまいぞ、と警戒する勢力は一部ジャーナリズムにも根強い。

春風にさそわれてソフトムードの客人には、こちらも
気持ちよく熱烈歓迎して、いい気分で帰ってもらうのがいい。新聞は、歓迎一色一面トップであつかうべきだったのではないか。
乗せられても素直に乗れば、と思う。外交は、だましだまされだ。北国の春の日のようにゆっくり時間をかけて、氷を溶かすのがよい。こころが凍り付いて固まってしまうのは、策の下なるものだ。

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国境や資源のような積年の「火種」は、運よく、都合よく、消えることは決してないものだ。どうにもならない。しかし、インドとパキスタンのカシミールのように、こじれに、こじれては、難儀である。

日中、長い歴史で紆余曲折をへた。ともに、これから生きてゆくことが大事なのだ。これまでの歴史はもう変えられない。変えられるのは認識だけだ。
でも、過去を水に流そうというのは、日本の理屈だ。
いわんや過去の戦争を正当化しようとするのは、たんに不勉強なだけだ。国際的には、けじめをつけられないのは、女々しく卑怯ともとられかねない。
アメリカも、真珠湾攻撃を汚辱の日として「忘れない」といっている。ネット上の膨大な量の記録をみるとよい。
史実は、曲げられないし、消去できない。証拠は動かないが、加害者側は語らない。墓までもってゆき、語りたくない。
あくまで事実無根といいつのって、相争うことで、双方のナショナリズムの火種に、ふいごで風がおくられることになる。

ヨーロッパに眼を向けてみよう。
わずか60年前まで、戦争を繰り返し、あれほどいがみ合っていた英独仏の関係のようになれないものだろうか。

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ぼくの眼には、温首相の野球ユニホーム姿が象徴的にみえた。
鍵は、スポーツにある。
スポーツは国境を越えるというが、当面浮世のなまぐさい利害を超越できるからだ。それも国別対抗のオリンピック形式ではない。それぞれの地元に愛されるプロチームの一員になりきることだ。
欧州では、なんといってもプロサッカーだ。欧州各都市のチームに、世界から国境を越えて選手が参加してくる。昨日の敵が、きょうの神様になることもある。
日本では、国技の大相撲だ。角界にとって、モンゴルは、親戚みたいな存在だ。

ダイスケを見よ。地元ボストンでは、人気チームのヒーローとして、あれほどまでに(テレビで知る限り)身内として受け入れられている。
くりかえすが、地元のチームの一員となることだ。
地元チームに参加し勝利に貢献することで、受け入れられ頼りにされ尊敬され、語り継がれるほどの親しい感情は生まれる。そして、選手を応援することで、初めて地元同士、わだかまりがとけ、交流できるのだ。

中国では、野球は「棒球」というらしい。温首相が旗をふれば、これからすごい勢いで、人口十三億の国に「プロ棒球」が普及するかも。
三十年後には、セントラルやパシフィックのような中華「棒球リーグ」が、各地域に30は出現するだろう。プロ野球球団は、500チームではきかない。
優れた中国人選手が生まれ、大リーグにも、日本球界にも、進出するだろう。大相撲のようになる。

ダイスケにあやかろう。
スポーツを通じて、はじめてわかるのだ。今生きている日本人たちは、別に、鬼ではない、友人だと、中国の人に思ってもらえるようになる。

昭和の軍国少年ぼくらは、60年前までは、日本は神州、神の国で、攻め寄せてくるのは、「鬼畜米英」と教わった。敵が上陸すれば、一人一殺して、神州を守らねばならないと。

戦争が、人を鬼にする。
平和になれば、殺し合いが終われば、憎しみの火種は自然に消えるはずだ。
なーんだ、べつに「鬼畜」じゃなかった、相手も普通の人間じゃないかとわかる。
ジープに乗って町中を走り回りチューインガムをかんでいる若いアメリカ兵をみて、腹をすかせていた少年のぼくらには、すぐにわかった。
残念なことに、国じゅう焼け野が原となり、同胞300万人のかけがえのない命を失った後だったが。

投稿者 nansai : 11:12

2007年4月16日

四月十六日(月)

さくらさくら

さまざまのこと
思い出す桜かな

これは、春の園遊会で、安倍首相が唐突に引用した芭蕉の句だ。

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老いた芭蕉が、故郷の伊賀上野で、思いがけなく先君の遺児から花見の宴に招かれたときに、感慨をこめて詠んだ句らしい。
その22年前、仕えていた先君が25歳で急逝した。近習だった芭蕉は、あまりのことに驚き世をはかなんで出奔したのだ。
首相には、郵政脱藩組を意識してとか、の思惑はなさそうだが。

しきしまの大和心をひと問わば
朝日に匂う山桜花

不幸にも、桜の花は、先の戦争にふかく関わりつづけられた。貴様と俺とは同期の桜。ぱっと咲くよりは、潔い散りかたが、武士のかがみと尊ばれたのだ。

万だの桜か 襟の色
花は吉野に 嵐ふく
大和男子と 生まれなば
散兵線の 花と散れ

悠久の大義に生きよ、戦場で命を惜しむな、いさぎよく散る桜をみよ、というわけだ。いつ頃からこういう美意識が生まれたのか。

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とにかく日本人は散るさくらが好きだった。
「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」とか「久方の光のどけき春の日に しずごころなく花の散るらん」
などが、標準メニューだ。
つぎは、ぼくの好きなひねくれ一茶の句。

ただたのめ
はなは はらはら
あのとおり

この世に、ただ頼み参らすのは、観音さんしかないと、一茶はいうのだ。

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投稿者 nansai : 14:29

2007年4月 6日

四月六日(金)

隣りの北大江公園で、午後、ハトとホームレスの猫が満開のさくらの花の下で、なにやらひそひそ、しゃべっているのをきいた。

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腹をすかせて、ベンチの下にうずくまっている黒猫が、うらやましそうに。
「この公園の桜も、ようやく満開やな。
川向こうの造幣局の通り抜けも始ったで。あっちは、ぞろぞろ、ものすごい人出や。えらい違いや。
夜店も出て、満員の京阪電車は、うはうはらしい。」

「そういえば、ここには、だれも花見に来よらんなあ。がらんとして、もったいないわ。
ことしは、冷えるからやろか。
公園も整備されて、花見にはもってこいなのに。桜の木も十五本以上はあるで。
酒盛りが始ると、おこぼれがもらえるのに。おなかすいたなあ。」
と、鳥目のハトだから、夜の宴会はつきあえない。

「大阪の町は、みなが散歩するようにならんと、元気がでんと、建築家の安藤さんもいうてはった。
で、これから、みなが散歩できるように、大川一帯に桜を植えて、「平成の通り抜け」にしたろ、という構想らしい。雄大やないか、アイデアが。」
「ところで、この界隈は、どうなる?
蚊帳の外では、つまらんなあ。このさびしい公園に人が集まるにはどうしたらええやろか。
わしらも、かわいがられて、えさをもらいたいし。」と、ハトも空腹そうだ。

「あんたら、ハトはあかんわ。まるまるふとっているし、それにしては、フンのしまつとか、マナーが悪すぎるデ。」と、自分の評判は棚に上げてホームレス猫。
負けじと、ハトも、いいかえす。
「ネコは子をぎょうさん産むから、きらわれるんや。人間の世界のように、ねこにも「赤ちゃんポスト」をつくってくれたらええのにな。」

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花見の季節はすぐ終わる。
だが、いよいよ、日本人にとって勝手の違う「少子高齢化」時代にはいる。どうなるだろう。想像もつかない。この公園の風景も変わるにちがいない。お年寄りで、いっぱいになるかも。
近所の都心のマンションに、高齢者が続々とかえってくる。そのうち人口三人に一人は高齢者だ。

人口減少社会の設計」(中公新書松谷明彦、藤正巌著)によれば、長い時間をかけて高齢者社会に移行したイギリスの都市が参考になるという。

どんな町でも日中に人でにぎわっている。その半分が高齢者だそうだ。町の真ん中には歩行者天国がある。高齢者が安心して歩き回れるよう、駐車場があちこちにもうけられている。クルマが遠慮するシステムがつくられているらしい。ぼくらは、人間が安心して歩けるはずの歩道を、ベルも鳴らさずスピードを上げて走る自転車におびえているというのに。
そして、多くのベンチが町のあちこちにある。高齢者が、長時間、町の中ですごし、知り合いに会い、落ち着いて話せる場所が必要だ。

どっこいしょと腰をおろせるベンチが、これからのまちづくりの主役になる。
テレビで紹介されていたが、あちらの公園では、ベンチを寄付した人の銘版がはりつけてあった。
市民が亡くなった家族の思い出の記念とかで、ベンチを寄贈するらしい。記念植樹みたいな感覚だろう。

先日NHKの再放送で「小さな旅、明日も笑顔で」をみていたら、この国での高齢者社会の未来像は、巣鴨の高岩寺の境内にあった。

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「ばあちゃんの原宿」で、つとに有名なとげ抜き地蔵商店街だ。境内には、もちろんベンチがびっしり十重二十重に準備されて並べられている。
話し相手をもとめて遠くからやってくるお年よりの常連も多いからだ。
自分で撮った猫の写真を見せ合ったり、コミュニケーション用と称しておかきや飴玉もめいめい用意して。おしゃべりをたのしむのだ。
カラオケ喫茶「昔の唄の店」も、客層は90歳から60歳と幅が広い。食べ物の持ち込みは自由。みな、出番の合間に、持参した手料理を、分け合っている。
常設の花見のようなものか。
65歳の易者さんが、しばらく顔を見せない人へのことづけをあずかったり、ここでは、高齢者が、交流しやすい街づくりになっている。

こんな風に、日本でも、欧米の高齢者コミュニティとは一味違った「寄り合い」の場が多彩にくりひろげられるだろう。それに合わせた町づくりが、そろそろのぞまれるのだが。

ここ八軒家船着場の界隈は、京と大阪を結ぶ交通の要衝として栄えた。
通り抜けの始る以前の夜桜の季節、三十石舟が大川を漕ぎ渡るの図。時代考証は、ちゃらんぽらん、いい加減だが、オリジナル。天満橋過ぎて天満青物市場辺りの風景のつもり。

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投稿者 nansai : 14:02

2007年4月 5日

四月五日(木)

これはなんの絵?
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出張から帰宅して、なぜか無性に絵が描きたくなった。
油絵のように(描いたことはないが)たいそうな準備がいるわけではない。パソコンの前に座って、ペイントを立ち上げて、いきなりそそくさと描き散らすだけなのだ。
夜遅く思い立って、マウスで描いたこの絵は、なにに見えるだろうか。
雑誌の写真をみて描いたのだが、どうも自信がない。
あすの朝、さめた眼であらためてたしかめてみたい、と思った。

これは、蒟蒻。のつもりなのだ。

新幹線のPR誌の「車窓歳時記」(ひろさちや文)に、こんにゃくのエッセイがのっていた。ルビなしで、漢字の標題。読めるが、ぼくには書けない。
「蒟蒻植う」が、晩春の季語らしい。前年から囲って保管しておいた蒟蒻芋の球茎を四月末から五月の初めに畑に穴を掘って植えるそうだ。
パソコンに「こんにゃく」と入力すると、「蒟蒻」と変換されてでてくる。たいしたものだ。
エッセイにそえられた写真が、ライトを浴びていかにもこんにゃくのぷるんぷるん素材感をだしていた。
ぼくにも描けるかなと、絵心をさそわれた。
見ようによっては、建築現場の瓦礫のかけらにみえないこともない。

投稿者 nansai : 13:04

2007年4月 2日

三月三十一日(土)

沖縄戦の修正?文科省が教科書検定

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これは、徳利ではない。
昭和二十年の沖縄戦で使用された日本陸軍の手投げ弾だ。「決戦手榴弾。」金属不足で、なんと陶製である。上部にマッチのような発火装置があり、信管部にはゴム製皮帽がつけられ、中に火薬がつまっている。(ネットで発見した。信楽古陶館や海兵隊沖縄戦資料館に展示されている。左の絵は、米軍使用のMK2。)

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敗色濃い沖縄戦で、戦禍に巻き込まれた住民は10万人近い犠牲者をだしたが、戦線の一部では、日本軍から、自決するための手榴弾を渡されたという。おそらくこの種の陶製の手投げ弾だったろう。鬼畜米兵から、生きて虜囚の辱めを受けることのないようにと。それが、軍の強制だったどうか、検定教科書にどう記載するかでもめていると新聞は報じている。文部科学省は、「軍が強制」という記述に修正をもとめているらしい。軍は自決命令をだしていないと、個人の名誉回復をめぐって裁判にかけられているからだという。
その背後には、前の戦争の正当化を願っている勢力が、政府、自民党にキャンペーンを張り始めたと、ニューヨークタイムズは、一昨年に指摘している。

そんなことは、どうでもいいと、ぼくはいいたい。
もっと大事なことに、目をそらし見逃してはいけないと考える。

なぜ?と問うことが、たいせつではないか。
太平洋戦争末期、昭和二十年の日本人は、軍隊も民間人も、なぜ降服を肯んぜず、集団自決のみちを選んだのか。
いまネットを検索すれば、デジタルに記録されたおびただしい資料と索引から、薄っぺらの教科書よりもはるかに大量の情報が得られるのだ。
問題は、それをどう読み解き解釈するかである。

戦火に斃れたおびただしい犠牲者の数をみてほしい。イラク戦争とは桁違いだ。
沖縄では、日本側の死者行方不明者は18万8136人。うち、民間人9万4000人が犠牲となり、軍人軍属の犠牲者は2万8000人。
サイパンでは、戦死2万1000人、自決8000人、捕虜921人。
このいたましい結果は、愛国、報国とか忠義とか勇猛とか玉砕、武士道などの美徳めいた言葉ではとうてい説明できない。
当時、少年のぼくらは、鬼畜米英に屈することをよしとせず、(婦女子は陵辱をおそれ)国体を護持するためには、「玉砕」をも辞さないとする「文化」の中で育った。

あらためて、たった4年間で300万人が命を落とした大きな歴史の流れに、学ばねばならないと思う。なぜ、一億余のひとびとが、何を信じて、あの巨大な津波に巻き込まれ溺れたのか、を知ろうとすることだ。

歴史の教科書では、何を教えるか、どの立場に立つか、いまのように歴史認識と価値観が別れている時代ではむつかしい。あの戦争はやむをえなかった、正当化しようとする勢力も、根強いときく。
文部科学省の官僚が、教科書の合否判定するのも、いまの大臣のように歴史に暗い政治家につつかれるだろうから、あぶなっかしい限りだ。サッカーのレフリーと違って、史実の判断のルールが明確でないからだ。
なのに、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に修正を求めた。
教科書の役割とはなにか。歴史の「履修」は、学力の差をはかるテストにおわってはいけない。まる暗記の受験科目としてのみ扱ってはもったいないと思う。

めいめいが、一生かかって、学び続けるものだろう。教科書は、その過程の一資料にすぎない。
ぼくは、ものごごろついてから万世一系の皇国史観の真っ只中で育った。戦時中の教科書は墨を塗ったりして、敗戦後すぐに否定されたが、正しい歴史認識がぼくの身につくには、ずいぶん時間がかかるものだとしみじみ思う。いまは開かれた世界から、日々豊富で多様な情報を提供できるテレビとネットの影響は大きい。

学ぶなら、根拠ない年号にこだわらず、歴史の大きな流れをつかむこと、さまざまな受け取り方があることを学ぶことが、世界市民としての、教養というよりは常識ではないか。

これからの歴史の教科書は、テーマごとに、参考文献、ネット、ビデオ、DVDを参照するように指導し便宜を図る手引きであればよい。いいかえれば、教科書は、ウエブのホームページというか、ポータル機能を果たせばよいと思うのだが。

手っ取り早く、だれにもわかりやすいのは、NHKスペシアルなどのアーカイブからの映像記録だ。
つぎに、インターネットだ。情報量では、紙数にかぎりある教科書は、さかだちしてもかなわない。 

ウイキペディア日本語版で、「沖縄戦」をひいてみよう。15ページにわたり、くわしい史実が記述されてある。なかで、「沖縄戦末期と沖縄住民の状況」については、議論が分かれるが両論が併記されている。外部リンクの豊富な資料のなかから、鳥飼研究室「:沖縄戦と住民」が内容充実している。
情報のデジタルアーカイブ時代に、文部科学省が、政治家の圧力をうけつつ、情報量の貧しい検定教科書をしぼりこむ。これは、なんということか。


投稿者 nansai : 10:34

2007年3月30日

三月三十日(金)

モノレール、ニュータウンへ

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自宅の近くの空中を走るモノレールが、かなりべんりになった。
この月から、ニュータウン彩都の入り口まで延伸、千里中央駅へ直通となった。ありがたい。
町開きにあたり、おそらく採算を度外視して、運行本数を増やした。付近住民のぼくとしては、心苦しいが、赤字を積み重ねている公共工事の恩恵をこうむることになったのだ。
この線が存続するには、今後もくろみ通り沿線の人口はふえるだろうか。沿線住民は、これからはクルマをすてて、モノレールを、もっと利用せねば。が、そうはいかんわな。

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今後、ニュータウンが、どう発展するか、わからない。いまのところ、電車はがらがらである。ほとんど無人の車内へ、「お年寄りや妊婦に席をお譲りください」とくりかえすアナウンス。枕が、あれば寝台車なのだが。
ゆっくり揺られながら考え事をするには、最適である。もうしわけない。

夜八時ごろのモノレール阪大病院前駅かいわいは、ひっそりして北欧の郊外駅のようだ。駅の構内では、駅員が一人だ。改札口で新聞も売ってくれる。

さて、少子高齢化のすすむ日本で、都市郊外は、これからどうなるのだろうか。
欧米先進高齢国の都市では、昼間は町に人があふれ、その半分は老人であるということだ。
高度成長前夜の千里ニュータウンの情景を思い出した。入居者が、みな若かった。もう、あのような時代はこないだろう。あのころの子供たちの笑い声は消え、高齢者の増えたオールドタウンでは、ぼつぼつ老朽マンションの建て替えがはじまっている。

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怒涛の勢いで、東京への一極集中が加速し止らない。彩都に誘致していた武田薬品の研究所に袖にされ、あてにしていた大阪府の知事がたけり狂っていた。しかたないだろう。

先年なくなった経済学者ドラッカーは指摘する。
今日では、あらゆる先進国において、田舎の人口は5%を下まわり、さらに減少を続ける。
かれはいう。人は、コミュニティを必要とする。
「今日、われわれに残された課題は、都市社会にかつて一度も存在したことのないコミュニティを創造することである」と。そして、非営利かつ非政府である組織NPOだけが、その役を果たすだろうと。

いまは人気のない暗いモノレール駅のプラットホームに立って考えた。この彩都線の沿線に、新しい住民が集まってくるとして、将来、ここに望まれるコミュニティがうまれるだろうか。

役所も企業もだめ。非営利組織NPOだけが答えだと、ドラッカーは喝破しているのだが。

投稿者 nansai : 11:09

2007年3月23日

三月二十三日(金)

なぜ座布団を投げるの?

先日、朝、テレビをつけたら、このシーンが寝ぼけ眼に飛び込んできた。大相撲春場所の土俵に、座布団が乱れ飛んで、力士がみえないほどだ。無敵の朝青龍が、まさかまさかの開幕二連敗した翌朝だ。

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八百長報道で心ない中傷を受け、世間をみかえしてやる気持ちが、力余って、裏目に出たのか。

家内が、「どうして、座布団を投げるの」ときく。
もっともな質問だ。さほど相撲通でないぼく。早速グーグルにあたってみる。
「座布団 相撲」と、いれてみると、やあ、出ている、出ている。
「教えて!なぜ座布団投げるのか」「あれってどういう意味なんですか?喜んでいるの?褒めているの?」など、12万5000の項目がならんでいる。寄せられた諸説は紛々、正論、持論、いろいろと勉強になるなあ。さすが、この国では、相撲は、弱くても、国技であると感じ入った。

正解は、もともとは、横綱が格下の力士に負けたときに投げられる。横綱へのブーイングと、金星を挙げた力士への祝福の意味があるとのこと。昔は、羽織を投げた。あとで、呼び出しか力士本人が、羽織を返しに行くと、ご祝儀がもらえる慣わしがあったそうだ。その名残か。
ご祝儀をわたすとは、粋な振る舞いだ。しかし、強すぎて反感をもたれているモンゴル出身の横綱へのあてつけ、ざまあみろ、という感情もあろう。

でも、「あれほどの座布団が、宙に舞うのは異常だ。」「下品だ、横綱への礼を失している」と、怒っている人も多いようだ。

甲子園など野球場では、ひいきチームのふがいなさにたいしての腹たちまぎれのブーイングは、激しい。本来の、座布団投げは、それとは違うのだろう。

投稿者 nansai : 11:02

2007年3月22日

三月二十二日(木)

マコトの勇姿

ひさしぶりで、キオスクの新聞売り場の前で、足が止まった。ン!スポーツ新聞のでっかい見出しが、ぼくの目にとびこんできたのだ。
驚いた。なんと、なんと、
「今岡5打点 7連勝
開幕待てん 誠の姿や」
とあるではないか。
さっそく、マコトの勇姿をサンスポから、無断で謹写。

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じつのところ、オープン戦の今年の出足の悪さに、阪神をあきらめていた。
主軸選手の高齢化とけが。かたくなな采配による中日戦十一連敗。井川の拉致。鳥谷の成長以外に取り立てて好材料のない今年は、こりゃあかんわと、本番前は一喜一憂して、おろおろせぬことに。
ところが、今岡が、生きていた!
「覇権奪回のキーマン、完ぺき復活!」(サンスポ)となれば、楽観は許されないが、すこし愁眉をひらいた感じ。いつまで続くか、とにかく、めでたい。

投稿者 nansai : 14:11

2007年3月19日

三月十七日(土)

関西空港ゲートにて

所用があって、久しぶりで、週末、飛行機に乗った。
さいきんは搭乗手続きも思ったよりもスムーズだなと楽観していたら、ゲートでひっかかった。何度も、警報音がブーブーとなって身体検査されるはめに。

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若い係りが、天眼鏡みたいな機械で、ズボンのすその折り目から、メタ腹のなかまで触って、厳重にチェックする。小銭、デジカメ、めがねケース、そうざらえしても、凶器は発見されない。同伴の老妻が呆れ顔で見守るなか、10分間検査されたが、ブーブーの結論がでない。

係りは首をひねりながら、ズボンのベルトのバックルではないでしょうか、ということで、無罪放免、やれやれ飛行機に乗れた。
老人のぼくは、慶事のため、黒っぽい背広に白いシャツ、地味なネクタイで身を固めていた。「こいつがテロリストかも」と推理するのは、かなり卓越かつ飛躍した推理力が必要だと思う。

ぶー、ぶー、あやしいぞ、あやしいぞ、と連呼し告発し続けたのは、ゲートの警報装置だ。
いうところの冤罪なのだが、満員の地下鉄で、いわれなく、隣の若い女性にブー、ブー、このジーさんチカンですう、と警報されたら、どうしようと思ってしまう。ぼくは、駅長室に連行されるだろう。警官が来る。告発した女性は、ムシの居所がわるく、空港のゲートのように警報音を発したのかもしれない。ブーブー鳴るだけでゲートは弁護してくれない。おそろしいことになる。「それでもぼくはやっていない」という映画のようになるかも。解放されたいぼくは、おそらく、かんたんに屈服して、犯してもいない罪を「自白」するだろう。

「こいつ、あやしいぞ、怪しいぞ」と、警告するゲート。
空港では、ゲートのそばに、人間がいて、天眼鏡で再チェックしてくれる。ありがたいことだ。だから、腹も立たない。
でも、ハイジャックを防ぎ、凶器になりそうなものを、事前に発見するのが、究極の目的だろう、といいたくなるねえ。
モノは考えようだ。この年齢で、ハイジャック犯候補として、厳重なかつご懇切なるチェックを受けたことは、ぼくがあまりよぼよぼにみえなかったわけで、光栄なことだ。この日の関西空港では、ぼくがゲートイン前の最高年齢容疑者だったのではないか。ご苦労ではあるが、あほと違うか。

現場での目撃証人は、たいせつなのはあたりまえだ。
深夜の交通事故では絶望的だ。相撲では、勝負検査役が土俵際に座っている。野球の線審は、人手がたりなくて、あてにならないとされている。アメフトは、チャレンジ制度があって、ビデオで再チェックが許される。ゲートのうしろに人間がいてくれてよかった!

投稿者 nansai : 12:20

2007年3月16日

三月十六日(金)

切符をもらって、ピカソ展をみてきた。
大阪駅構内の大丸の15階にエスカレーターで上がれば、そこは小さいミュージアムだ。ピカソの大小の作品が、天井の低い狭い会場にひしめきあっているが、平日の午後は閑散としている。いいねえ。リラックスして本物とむきあえるなら、肩を張らないデパートの催し物でいいのだ。

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残念ながら、絵のそばの説明のプレートがちいさく、暗い会場だから文字もまったく読めないので、イアホンを500円で借りる。ないよりは、便利だ。
興奮して図録も買ったが、絵や彫刻の写真がちいさいのはしかたがない。ピカソ晩年の遊びか、白いふくろうの焼き物がすばらしかった。そのうちに、ぜひ模写したいものだ。

本来は、絵はゆったりとした空間で(理想は自分の部屋で)鑑賞できればよかろうが、本格的美術館で、黒山のような観客の頭越しに、読みにくい説明板を頼りに、急いであせって見なければならぬ絵画鑑賞は、ぼくにはしんどいなあ。
その点、気楽に出かけられる駅中の美術館はすばらしい。ただし、「混み合わなければ」、の条件付だが。


投稿者 nansai : 15:15

三月十五日(木)

いま書店の店頭で、願ってもないブームが起きている。本が売れないから、各社から新書版がつぎつぎに企画されているという。
新書は、選ぶにも、読むにも、あきておっぽり出すにも、手っ取り早いのが助かる。テーマが、狭く絞られていて、鋭く明快。安い。コーヒー二杯分だ。軽くて、かさばらず、薄い。飛ばし読みに適しているから、せっかちで飽きっぽいぼくには向いているのだ。
新書の売り場では、いい年をして、駄菓子屋の店先できょろきょろ眼を輝かせているガキのような自分がいるのに気づく。

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「ネコを撮る」(朝日新書)という新書を発見。いい本のようだ。あたりまえだ。何しろ著者が、動物写真の第一人者岩合光昭氏である。
ネコを撮るなら朝だと、岩合氏はいう。朝日が差しこむところに、ネコはいると考えていいそうだ。朝日を浴びて、眼を細めて、じっとしているネコは美しい。たしかに。
考えたこともなかったアドバイスがいっぱいだ。コーヒー代二杯で、世界をまたにかけて動物の写真を撮ってきた巨匠のご教示に預かれるのは、ありがたい。
イヌよりも圧倒的にネコの写真が多いらしい。(逆に本屋では、ねこの本は圧倒的に少ない。)岩合さんのホームページに寄せられる投書の70%が猫の写真つきだそうだ。

ぼくが思いついて、手振れ防止のデジカメで、うちの飼い猫に近づいて撮ろうとしても、ぴんぼけになってしまう。接写が下手だからというより、猫のきもちになっていないからかなあ。
猫を撮る。その奥は、深いようだ。
ぼくも、自分の腕前のことはたなに上げて、一眼レフのましなカメラがほしくなってきた。



投稿者 nansai : 14:24

2007年3月14日

三月十二日(月)

ダイスケの魔球?

新聞休刊日の今朝、テレビニュースが、大リーグオープン戦で、松坂大輔投手がホームラン二発をくらい、ノックアウトされたと伝えていた。
「ええ―、それはないよ、」
と、寝ぼけたぼくはベッドでのけぞった。
必殺のはずの魔球ジャイロボールはどうしたのだ?
愛国者のぼくは、にわかダイスケファンになっていたのだ。
ネットの上だが、知らぬ間に、現地ボストンでの前評判にのせられていた。その矢先のノックアウト。なんということだ。
あまりに付け焼刃だったが、この絵巻はダイスケ礼賛をテーマにしようと思っていた。つぎのように。

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NHKでも、連日、大リーグのオープン戦の日本選手活躍の模様が報じられている。ハシのこけたようなことまで報道するから、どうかと思う。やはり、海の向こうに嫁に出した気分で、晴れがましく気になるのか。
井川を拉致された阪神ファンは、どうしてくれると「ブウーイング」なのだが。

なかでも、松坂大輔投手の前評判は、すごいようだ。レッドソックスの本拠地ボストンでも、ちょっと過熱気味、ひいきの引き倒しではないか。

ダイスケの呼び方も、DICE-Kと、アメリカ人に覚えやすく、うまくひねられている。
DICEはサイコロで、Kは三振だ。背番号18をおまけにつける。Tシャツは、ネット上でみるかぎり、サイコロの絵とアルファベットのKをあしらったのが多い。
アイデアをいただいて、ぼくもオリジナルデザインで、描いてみた。(サイコロを立体にしたのが独創的なのだ。)

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かれのジャイロボールが、日本で開発された魔球としてはやされている。ゲームや漫画ともカンケイがあるらしい。
本人は、そういわれても、ぴんとこないらしいのだが。
半信半疑だが、ニューヨークタイムズもワシントンポストの一流紙も、図解入りで、科学的に、くわしくとりあげているから、びっくり。ウイキペディアでは、英語版日本語版どちらにも、かなりの情報量がのっている。ダイスケ以前に、ゲームや劇画でも魔球はとりあげられていたらしい。
ジャイロボールとは、進行方向に回転軸がむいており、ライフル弾のような螺旋回転をしながら進んでゆくとあり、なんのことやらよくわからない。
ニューヨークタイムズは、新しい球種は何十年に一回くらいしか出現しないものとして、胡散臭そうにジャイロボールをとりあげている。日本人でジャイロボールの普及をアメリカに宣伝して回っている人がいるらしく、その言動をルポしている。

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しかし、思えば、夢のような話ではないか。大リーグで、日本選手がこれほどまでに、期待されようとは。
ノックアウトされても、ダイスケは動じなかった。たいしたやつだ。
メイドインジャパンのジャイロボールが、まぼろしに終わっても、ネス湖の恐竜やツチノコのように、話題になるのは愉快ではないか。
新しい球種もかつては、先生格のアメリカから、教わったものだ。スライダーも、火の玉投手ボブフェラーが投げたものだ。

戦後すぐは、大リーグ野球と日本のプロ野球では、月とすっぽんと、ぼくらは思っていた。
1949年10月、日本のプロ野球が震撼した。
サンフランシスコ シールズがオドウル監督に率いられて来日した。日本が敗戦してわずか5年目だが、熱狂的歓迎を受けた。
当たるを幸い、日本チームをなぎ倒して、7勝をあげた。当時の日本の名だたる人気プレーヤーたちも歯が立たず、とにかく強かった。

少年のぼくらには、かれらが、大リーグやら格下のマイナーなのか区別はつかなかったが、とても太刀打ちできないという実感だった。体力格差、技術格差、戦術格差。どれをとっても、こりゃかなわんと思い知らされた。
草野球仲間と、一塁手ウエストレークの打撃フォームの真似をしたりした。内角球に対して肩を低く落とすスイングがかっこよかった。テレビのない時代、どうして仲間がウエストレークのフォームをさがしだしてきたのか。雑誌写真の切り抜きだろうが、はっきりしない。ぼくが、今ゴルフでダフリまくる遠因は、ここにあったかもしれない。
当時は大リーグの試合は白黒のニュース映画でしか見られなかった。ジョーディマジオのスタンスの広いノーステップ打法に眼を丸くした。

昭和24年。日本球界に大きな影響をもたらしたサンフランシスコシールズの来日。あれから、60年近い歳月が流れた。その年、日本のプロ野球は分裂して、セントラルとパシフィックの2リーグにわかれた。

日本の街を、米軍のジープやトラックに混じって、日本製のオート三輪がよたよた走り始めたころの話だ。
ことし、トヨタがGMを抜き、世界一になるという。

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イチロー、マツイ、ダイスケ。
民族の体力格差は、しかたがない。育った日本野球の特徴を生かして、めいめいが世界の水準を抜いたのだろうか。


投稿者 nansai : 11:37

2007年3月 2日

三月二日(金)

お国のために

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30年前に制作されたドキュメンタリー番組「遠い島」(昭和53年制作)が、朝日放送から深夜一時過ぎ、ひっそりと再放映された。深夜CMまみれの無残な姿で、アカデミー賞受賞式の前夜、あたかも人目をはばかるかのように。
真夜中のことで、見た人は、ほとんどいなかったのではないか。
アカデミー作品賞の呼び声高かったクリント イーストウッド監督の「硫黄島の手紙」は、賞を逸した。

ドキュメンタリー「遠い島―硫黄島・その33年」。1977年第15回ギャラクシー大賞を受賞している。
再放送は、深刻な内容にもかかわらず、俗悪な深夜向けCMが、フジツボのようにびっしりとりついていた。ずたずたに話が中断し、見るに堪えず、戦没者に対し心無いことのように思えた。どこか心あるスポンサーが、ノーコマーシャルで提供すべき重い内容なのに。

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昭和20年2月、日本軍は、栗林中将以下、地熱60度の地下にアリの巣のように地下壕を掘りめぐらし要塞を築いて待ち構える硫黄島に、米軍が上陸。思いもかけぬ頑強な抵抗に遭い「太平洋の墓場」といわれた激戦となった。
一平方キロあたり双方の戦死者は1400人。
日本軍は二万人が戦死(全員玉砕といわれたが1000名は捕虜となり生還)、米軍は6800人戦死。22000人負傷した。
番組は、戦後33年経って、日米双方の生還者、遺族の生の声を取材した。20人あまりの証言を淡々と積み重ねてある。生還した兵士たちは、一様に口が重く語ろうとしない。
摺鉢山に星条旗を立てた国民的英雄のインディアンの兵士は、国債の宣伝のために呼び返され、英雄扱いされているうちにアル中になって死んだ。
その星条旗が立てられる瞬間を双眼鏡でとらえていた日本軍将校は、その直後撃たれて両眼を失った。いまもそのシーンを夢に見るが、カラーだという。
捕虜となって生還した大隊長は、もう何も覚えていないと取材を拒否。

33回忌は、仏教でも供養の一区切りである。
硫黄島戦没者供養塔が建てられた。遺族が集まる法要の席で、僧侶がたちあがり、今日は天皇誕生日だから、万歳を三唱するといい、音頭をとる。
「テンノウヘイカ バンザーイ」
遺族のおばあさんたちが曲がった腰をかがめたまま唱和させられていた。
「バンザーイ」
みていて、胸がつまった。痛ましい限りである。

長野県から参列した金田シズエさん、84歳(当時)が、マイクの前でインタビューにたんたんと答える。

どんなお子さんでしたかときかれ、
「親の口からいうのもなんじゃけど、親孝行な、やさしい子でした。
お国のために果てたのじゃから、あれでよかった。満足しております。」
日本が栄え、わたしも皆さんもこのように幸せに過ごせているのも、ああいう子たちがいってくれたおかげと思っております。
家に帰って、さみしいときは、わたしは歌を歌って、眠ってしまいます。歌はほかに知らないので、よくないかもしれないが、軍歌をうたいます。
「それより後は一本の 煙草も二人分けて飲み
ついた手紙も見せおうて 身の上話繰り返し」、
そのうちに、疲れて寝入ってしまいます::

ぼくは、胸のつぶれる思いで聞いた。

再放映された番組が終わって、解説の道上アナウンサーがつけくわえた。
33年前このドキュメンタリーの取材に応じたかたがたは、今ほとんど亡くなっているでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。
おばあさんの口ずさんでおられたのは、軍歌というより、戦争の挽歌として知られた「戦友」です。
「ここはお国を何百里」
バックにゆっくりと歌詞が映し出された。

一、ここはお国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下

二、思えばかなし昨日まで 真っ先かけて突進し
敵を散々懲らしたる 勇士はここに眠れるか

この14番までえんえんと続く長い歌詞の、なんと十番を、84歳の金田のお母さんは、覚えていた。眠ろうとして、くちずさんでいたのだ。せつせつとして裏悲しい調べは、決して元気の出る歌ではない。

いま、大きな戦争はなく、平和が続いている。
愛していた死者から、前向きに生きる勇気がもらえるとして、「千の風となって」が、世界中で歌われ朗読されているという。

私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません

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硫黄島の日本軍戦没者二万人。「太平洋の墓場」で、誰に見守られることなく、ほとんどの遺骨は、まだ地熱60度の地下壕にある。おそらく眠ってなんかいない。千の風になり、大空を吹きわたれたら、どんなに気持ちいいだろう。

昭和二十年三月、硫黄島守備隊が玉砕して、日本は制空権を失いB29の本土への空襲が激化した。
内地のぼくら中学(旧制)二年生も、本土決戦に備えての陣地構築のため、日本海海岸に動員された。
丸太を縦に並べた機関銃座を、老兵といっしょに、アリの巣のように海岸の岡沿いに掘りめぐらす作業だった。国体護持のために、である。
硫黄島に送られたのも、老いた応召兵たちだったと、ドキュメンタリーの解説はのべていた。本土決戦をひかえて日本には、老兵か子供しか残っていなかったのだ。

あれから、62年の歳月が流れた。
今回、ハリウッドで、突然、硫黄島が映画化され評判にならなかったら、この国はと、ぼくは思ってしまう。

投稿者 nansai : 13:49

2007年2月26日

二月二十七日(火)

公園のハトとエサとの深刻な関係
ぼくは、いま、つきあいのことで悩んでいる。
隣の公園の中を歩き回っているハトたちとのカンケイである。点呼して数えたことはないが、二十羽以上はいるだろう。

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改装中の小さな公園は、日中は、寒々として、こどもたちのすがたはない。真新しいベンチには、元気のない若いセールスマンが所在無げに、腰をおろしているだけだ。
芝生が張ってあるので中に立ち入らないでください、という市からのお達しの紙が、紐に吊るされてひらひらと寒風にそよいでいる。あちこちに散らばって、空腹な(ふうにみえる)ハトたちは、その芝生の種などをついばんで、生きているのだ。
ぼくが悩んでいるのは、このハトたちにえさをやったものかどうか、ということである。

気まぐれなぼくは、ときどき豆やパンくずをまいてやる。目がいいのだろう。離れたところからも、何羽もわっと寄ってきて、羽ばたきながら争ってつつく。黒山のようになる。腹をすかしているんだ。こんなにありがたがって、食べ物にむらがってくるとは。
その点、うちのネコなどは、横着なものだ。えさが用意されているのは、当然と思っているらしい。
公園横の「パン屋さん」のどうせ捨てるパンくずをわけてもらおうかな。

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ところが、「とんでもない」としかられた。
「ハトにえさなんか、やったらあかん。」と友人のひとりは、いうではないか。「ハトは、害鳥やで。ベランダの糞の被害でえらい目にあった。」
公園のそばのパン屋さんも、とばっちりで、わんさと投書がきたので、びっくりしたときいた。ハト撃退派は、パンくずを出すな。ハト愛護派は、パンくずをえさに与えよう。どないせいちゅうねん?

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おやおや、不勉強なぼくは、ネットで調べてみることにした。

ハトにえさをやるべきかどうかは、世界のあちこちの都市の大問題だった。ハト対策に東京、ニューヨーク、ロンドンの各市当局は、頭をかかえている。資料をみると、状況証拠は、ハトに圧倒的に不利だ。ハトは繁殖力が旺盛である。えさが豊富なら、年に8回、各2個の卵を産み、雛は6ヶ月で成鳥になるというのだ。
ビルやマンションと公園の間を通勤して、ベランダにフンや羽毛を撒き散らして洗濯物を汚す、巣をつくり排水管をつまらせる、、鳥インフルエンザも心配だ、と住民から苦情が殺到しているそうだ。

ロンドンでは、ハトをめぐって、市長と動物保護団体が大喧嘩だ。「トラファルガー広場の戦い」である。
トラファルガー広場には、世界からの観光客が集まり、ここでハトにえさをやる。えさのトウモロコシは免許を受けた売店で販売していた。ところが、二千年に市長が変わると、すべてが一変した。

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リビングストン市長は、ハトが大嫌いで、諸悪のもとのハトを「羽を生やしたネズミ」といい(うまい比喩だ)、広場でのえさの免許販売をやめさせて糧道を断とうとした。
このままだと4000羽が餓死してしまう。トラファルガー広場のハトを救う会が結成された。えさの量を減らしてハトの数を減らすことには同意した。1800羽に減ったが、えさの与えかたで、いまだにロンドン市側ともめており裁判沙汰になっているという。

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平和都市ヒロシマも、困ったらしい。平和記念公園のハトの始末については、市民のつきあげに苦渋の選択をせまられたようだ。
「鳥獣保護および狩猟に関する法律」をふりかざせば、知事の捕獲の許可は可能だ。しかし、平和のシンボルを追放するのは、市民の強い反発が予想される。
えさやりを自粛しよう、と、問題の解決を市民に納得させたのがよかった。当初の2000羽が、300羽をきったはずだ。
泥沼になるかもしれぬ条例化はさけられ、啓蒙でソフトランディングできたようだ。日英の国民性の差か。

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繁殖力旺盛だから、増えるハトの数と迷惑は、与えるえさの量に比例するらしい。ハトをかわいがる人とハトを憎む人と、どこでも、ひとびとは二派に別れる。ここの公園の近所の人たちも、おそらく同じだろう。アメリカの農務省の発表では、住民の苦情にこたえて年間六万羽を殺しているそうだ。
ベネチア、ニューヨーク、世界の都市も対応は、いろいろ。ハトにえさをやることが法令違反になるのが、ロスアンジェルス、ロンドンだ。さて、大阪は?

ま、いいか。ぼくは、気が向いたときだけ、たまにハトたちにパンくずをなげてやることにした。タバコのポイステよりもいけないことかなあ。
このせまい公園で、いったい何羽のハトが食っていけるだろうか。トラファルガー広場で1500羽、広島市の平和記念公園では、500羽が適正人口?らしいが。

投稿者 nansai : 17:56

二月二十六日(月)

ピック症
けさの朝日新聞の一面トップは、五段抜き大見出しで、
「働き盛り 突然万引き」。
分別も地位もある中高年の万引きの原因は、「ピック症」と呼ばれる認知症だったと報じている。
ええ!そうだったのか。

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まじめに仕事をしていた働き盛りの人が、万引きをして、社会的地位を失うケースが相次いでいる。それは、若年認知症が原因だった、という衝撃のリポートである。すごい。二人の婦人記者のスクープだろうか。
認知症は、脳の前頭葉と側頭葉の血流低下と萎縮で起きる。うち八割が、「ピック症」とされている。
百年も前に症例が報告されていたという。

やっぱりと思った。
中高年で社会的地位もあり、万引きするような品物を買うカネがないわけでもないのが、なぜ。ボールペンや消しゴムを万引きして懲戒免職とは、と不思議に思っていた。当の本人は、周囲の状況を気遣わず、まったく罪の意識がないそうだ。
朝日新聞の一面に、「ピック症」のチェックリストがのっている。正しく診断できるようになったのは、この10年らしい。
同じようなケースの痴漢行為も、本人の自覚のない場合は、冤罪を言い立てる前に、ピック症を疑ってみるべきではないだろうか。シロウトの類推に過ぎないのだが。

投稿者 nansai : 17:42

2007年2月20日

二月二十日(火)

大阪シティーマラソン

隣の公園のはとが、しゃべっていた。

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「東京は元気がええなあ。東京マラソンは、雨の中を三万人の市民が走ったらしい。沿道からもすごい声援や。市民の新しいお祭りやというて、新聞もほめとるわ。」
「先をこされてしもうたが、大阪が元気を出すのに役立つええことやったら、すぐまねせなあかんで。

大阪シティーマラソン!
これ、ええがな。二番煎じもへったくれもないわい。
東京かて、ロンドンやニューヨークの大都市マラソンに触発されたんやから。
大都市の景色を見ながら走るのは、市民ランナーにはたまらん体験らしい。」

「そうや。大阪は、水の都や。八軒家のここらあたりから、中ノ島、大阪城あたりの、大川沿いは、美しい世界屈指の名マラソンコースや。
世界から、観光客を呼べるわ。」

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「ここだけの話。わし思うんやけどな、「御堂筋パレード」より、市民マラソンのほうが盛りあがるでえ。あれやめたら、マラソンで世界へ大阪から、観光情報が発信できるで。パレードは、大阪ローカルのお笑い中継の扱いだけやもん。」
「ふうん。そうやけど、そらあかんと思うわ。
成功している都市マラソンは、どこでも市民ボランティアの力が大きいそうやな。で、大阪は、どうやろ?どれくらい集まるやろか。」
「そうやな。(ため息)
しかし、のりに乗ったら、阪神の優勝パレードみたいになるかもしれへんど。」

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マラソンを走りたい人に女性が増えたのは、時代だろう。走れないぼくからみれば、唖然。あのつらい長時間の走りに、氷雨が降る。でも凍えても耐えて完走したい。がんばる自分をみつめられるよろこびがあるという。えらいなあ。

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東京マラソンも、評価をめぐって、ぼろくそにこきおろしている夕刊紙もある。確かに石原ショーの面はあるだろう。だが、走りたい人がこんなにもいるとは。

NHKでは、ラストランした有森選手が、インタビューに答えて、世界の都市マラソンにくらべて、訴える「メッセージ性」がないとコメントしていた。
たとえば、ロンドンマラソンには、多額の寄付金が寄せられる。自分の走る目的は、パーキンソン病協会への寄付だとか、メッセージを掲げて走るランナーが多い。集まった寄付金は、ロンドンマラソンチャリティ基金を通じて非営利団体に寄付されるという。

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まったくのシロウト考えだが、大きなそろばんでは、大都市マラソンはペイするのではないか。鉄筋コンクリートのハコはいらない。道路などは、今ある設備を利用するのだから。
かつて大阪市長が夢見て膨大な費用を誘致運動に使い雲散霧消と消えたオリンピック投資にくらべてると、市民が走る「祭り」の費用対効果は、格段にいいはずだ。
「大阪は、生きてまっせえ。ええ町だっせえ。」
と、毎年定期的にきちんと世界にメッセージが発信できるなら、まねするのもわるくはないはずだ。これまでの大阪女子マラソンの実績もふまえて。

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投稿者 nansai : 09:35

2007年2月15日

二月十四日(水)

「誰かチョコ」

「誰かチョコ」というキーワード?が、BLOG頻度順の上位にきているのをみて、びっくりした。
「誰かチョコ」くれえ、といううめきだろうか。
YAHOOでサーチしたら、なんと660万件だ。

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まさに天下の奇習、バレンタインデーである。見たこともない異教の聖人をあがめる(らしい)日に、本邦でも、高価なチョコレートを豪華包装してプレゼントする。この国の誕生日には、まるで無関心なくせに。
デパ地下は、ごったがえすチョコレート博覧会だし、NHKは、特別番組で世界のチョコレート作りを紹介していた。

世間のせまいぼくは、驚いた。この奇習は、国のすみずみにまでひろがっているんだなあ。
メリーチョコレートの「わくわく川柳」が面白い。
川柳といっても、きまじめな作品が多い中で、ユーモラスなのをいくつか。

愛よりも人道支援の
ようなチョコ(46歳会社員)

義理チョコに両手
あわせる年となり(66歳団体役員)

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チョコレートにかこつけて、思いを伝える。恋人同士か、言い寄りたい相手に、渡す。それはいい。

あげる人がいない、渡す人がいない場合、配らねばならぬのは、つまらん。かねてから評判の悪いギリチョコは、いま窮地に立たされているという。
テレビ報道では、職場によっては、こぞって義理チョコ廃絶を決議したところもあるそうな。そりゃそうだろう。正論だ。

おくるほうの出費もたいへんなら、もらうほうもぎょっとすることがあるらしい。お返しに気を使うし、想定外の贈り手からもらったときなど、困惑するという。「友チョコ」が、今年のトレンドワードになっていた。

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しかし、「義理チョコ」は、世界に誇る?日本社会独特の風習だ。なくなるとさびしいなあ。「誰かチョコくれえ」も、わびしいもんだが。

本来、へんなお色気抜き、お返しなし。が、正しいギリチョコのすがたである。年賀ハガキみたいに考えてはどうかな?

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しかし、それにしては、高すぎるぞ。
お年玉ハガキみたいなものと考えたら、チョコ一個、せいぜい百円。寒中見舞い風のカードをそえて。
大阪のおばさんたちは、のど飴をいつも携帯していて、やたらにくれたがる。あの「おひとついかが」のノリを真似しては?

甘みのない苦いダークなチョコは、血圧やガン予防にいいと学術的にも証明された。もらえれば、ひとかけでも、からだにいい、ありがとさんなのだ。
もちろん、チョコのフィギュアもおもしろい。世界一のオタク日本だ。手の込んだアイデアあふれる極小成形品は、お家芸だ。改めて、一個百円のチョコフィギュア。人間考えることは同じで、店頭には、いち早く小さいテディベアなんかが並んでいた。

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日本は有力市場と見られているのか、この高級ブランドのオーナー、マルコーニ氏は、はるばるベルギーからきて阪神のデパ地下売り場で立ったまま、商品にサインしていた。
占領軍ジープのあとを「ギブミーチョコレート」と叫びながら追っかけた終戦時を振り返ると、いま、ぼくらは、飽食のかぎりをつくしている。
ここで正義をふりかざすなら、フェアトレードに注目したい。ネット上では、情報があふれている。
ココア豆の生産地は、象牙海岸とかガーナとか、なにしろ労賃が安く、世界最貧国だ。アフリカの子供たちが学校に行けるように、適正な価格で、搾取されている国の農民のココア豆を買おう、という動きがある。

ぼくがチョコレート会社のえらいさんなら、BLOGでの「誰かチョコ」の悲痛なうめき声に耳を傾ける。のど飴クラスの、安心して配れるギリチョコの開発に、本気で取り組むようにはっぱをかける。儲かるまいがね。
さもないと、赤字に悩みアイデアに飢えている郵政公社が、津々浦々の郵便局で、アフリカ人道支援「チョコメール」を売り出すかも知れないぞ。

投稿者 nansai : 11:43

2007年2月14日

二月十一日(日)

きょうは、なんの日?

建国記念の日」は、なんともさびしい祝日である。
祝日ではあるが、何を祝う日なのだろう。気にする人は、ほとんどいないのではないか。

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「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」として、「の」の字をはさんで法制化され、ようやく国民の祝日に復活するまで、9回の議案提出、廃案を経たにしては、今日は何の日?だ。

二月十一日。かつては、紀元節といい、四大節のひとつだった。

「くーもにそびゆる たかちほのー」

紀元節には、式典があった。天皇皇后両陛下のセピア色の御真影の前で、小学生のぼくらは大きな声をはりあげて「紀元節の歌」をうたい、校長先生の奉読する教育勅語を頭を垂れてきいた。
意味はよくわからなかったが、高千穂の峰皇孫が降臨したという神話を歌った歌詞らしかった。

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雲にそびえる高千穂という山は、東国原知事の君臨する宮崎県にある。その山に天から降りた天孫ニニギが、神武天皇とどうつながるかは、よくわからなかった。
神武は、宮崎を船出して瀬戸内海を東征し、大阪湾に上陸したが破れた。やむなく、熊野を迂回して地方豪族を打ち従え、奈良県の橿原で初代天皇に即位したという言い伝えだ。ときに紀元前660年。弥生時代だ。神武は、百七十三歳で没したという。
ぼくが小学生のころ、神武天皇は、絵本と教科書に描かれていた。日ハムのひげをそる前の小笠原選手とそっくりだった。

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初代天皇神武天皇の即位をもって紀元元年と定めたのは、明治政府だ。複雑な事情をかかえていた。
なにしろ神話と歴史がごちゃ混ぜの時代だった。神武天皇が実在したかどうか、さまざまな仮説がたてられている。

暦の計算上で紀元前660年になってしまったが、信憑性を疑う人はあまりいなかった。
紀元節は、世界各国の建国記念日のなかでは、ダントツに古い。どうしてそんな勘定になったか。明治政府が定めたいきさつは、ウイキペディアなどにくわしい。
今でこそ荒唐無稽と笑い飛ばせる時代設定だが、ぼくら小国民は、もちろん当時の国民は疑う歴史認識はもたなかったと思う。
御民われ生けるしるしあり、天つちの栄えるときと、ぼくらは歌った。万世一系の皇統をいただき、万邦無比のよい国に生まれ合わせたと信じた。「八紘一宇」が危ないキーワードで、世界の隅々にまで他の民族にもこのよろこびをおすそわけしようと望むのは、大きなお世話だった。

神話の年数をベースに逆算して、紀元二千六百年が盛大に祝われたのは、太平洋戦争突入の一年前の昭和十五年。橿原神宮参拝者は一千万人を越え、祝賀ムードは最高潮に達した。翌年、高揚した気分のまま、日本は、300万人を失う無謀な大戦争につっこんでいった。

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古事記や日本書紀など、日本にまだ文字のなかったころ部族ごとのばらばらに口づてに伝わる説話が、ようやく聞き書きで、編集されたのは、漢字の輸入された六世紀になってからだ。

古代から引き継いだ民族の伝承はすばらしい。どんなに荒唐無稽であろうと、このような神話は、民族の素朴な誇るべき文化遺産だ。神話に罪があろうはずがない。しかし、神話を史実とすりかえ、国民に信じさせたカリキュラムの罪は深いのだ。

「紀元節」は、戦争遂行のための皇国史観の教育に利用されるだけ利用された。敗戦で廃止されて、ぼくらも目が覚めた。
「建国記念の日」が、紆余曲折のはて、「の」の字をいれて復活したのは、国敗れて戦後二十年たってからだ。でも、この国を「神の国」と考えている人は、もう多くない。国の気持ちは、自転しながらも、ゆっくりゆっくりと、右に左にぶれる。知らず知らず、地軸が傾くのだ。明治から昭和の初期にかけてのぶれかたはひどかった。
もうああいう時代は、繰り返したくないと思う。大丈夫だろうか?

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ぼくは、近代国家としての建国記念日としては、もうわが国は、神話に基づかないで、明治天皇の東京遷都の日に定めてはどうかと思う。その際は「の」の字を取り去りたい。
ついでに、この際、国歌を新調したいものだ。
オリンピックでも大きな声で歌える元気のよい新国歌がほしい。オンチのぼくではあるが、軍艦マーチのような、とはいかないだろうから、小学唱歌「ふるさと」をマーチにロックにでもサンバにでも編曲しては、と提案しよう。
なぜなら、国歌は、歌われる歌詞の意味がみんなにわかること、共感されることが、なによりたいせつだ。愛国心は、まぶたの裏に浮かんでくる国土の思い出と離れがたいものであるからだ。

投稿者 nansai : 16:01

2007年2月 9日

二月九日(金)

北大江公園のはとたち

朝、隣りの公園のはとが、しゃべっている。

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「けさは、よう冷えるなあ」
「かぜひいたらあかんぞ。
鳥インフルエンザと疑われるで」

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「この豆、うまいなあ。さっきの爺さんがまいてくれはった。」
「うん。うまい。でも、もうなくなったわ。
川向こうの天満繁盛亭で節分の豆まきの残りらしい。なんでも、大サービスで鶴瓶が客席に向かってまいた豆ということゃ。」

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「わしらがつついとるのは、芝生の種やで。ほかにたべるもんないもんなあ。
この公園、去年、改装したが、まだなんや寒々として殺風景やなあ。園内あちこちに裸の木が目立つね。
はやく春が来て緑がいっぱいにならんと寂しい。でも、ここの芝生、タネ食べてしもうて、大丈夫かいな。」

殺風景?空腹なはとたちは、勝手なことをいっている。せっかく税金でまかれた芝生の種を、ついばんでいるのに。

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ジャングルなど遊具が新調されたが、公園は、まだ未完成だ。ドッグランとおぼしき囲いもあるが、なんだろう。
昔からのヒマラヤスギは、半分刈られたままでストップがかかり立ち往生だ。
電信棒のような背の高い木が、丸坊主で植えられている。けやきのようだ。
木の種類をめぐって、付近住民のあいだでいろいろとあるらしいが、年月を重ねこれからかたちがととのってゆくだろう。明治神宮や万博公園とはあまりにスケールが違うが、こんもりした鎮守の森みたいな心安らぐ小公園になってほしい。

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ネットで調べてみたら、ここは、「街区公園」(従来は児童公園と呼んだ)で、半径250メートル程度の街区に居住する人々が利用する0.25?を標準とする公園らしい。ものいりで手元不如意な大阪市が、力を入れているモデル公園。せまいというのは、ぜいたくだろう。

ところで、ここよりも、もっともっと狭い、世界最小の公園を、ネットで発見した。
たいていの人が知らずに通り過ぎてしまうほど狭い路傍の公園?だ。はとたちにも教えてやろう。

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ぼくは訪れたことはないが、その場所はここ
ギネスブックに載っている世界最小の公園は、ミルエンズ公園といってオレゴン州ポートランドの繁華街の一角にある。直径わずか60センチの円形の敷地なのだ。へえ、うそや。こんなに小さいのか。グーグルイメージの写真で確かめてほしい。

名づけたのは、地元新聞のジャーナリストだ。
1945年、かれディック フェーガン記者がオフイスの窓から眺めていたら、路上に、あなぼこを発見。街灯の電柱のために掘られたのだが、市は何年もほったらかしだ。
みかねたフェーガン記者は、ある日思いついて、ごみを捨て雑草を刈り、花を植えることにした。勝手に「ミルエンズ パーク」と命名して、自分のコラムにお話をのせ始めた。
やがてかれの小さな妖精のおとぎばなしは市民に評判になり、20年も連載されたそうだ。ファンの熱意に押されて、あなぼこは1948年に市も正式に公園として認定された。
この狭い公園に、ファンは、胸像など、さまざまなギフトを提供したらしい。傑作なのは、蝶のための飛び込み台つきプール。カタツムリ競争やバグパイプの演奏とかのイベントも。

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フェーガンは1969年になくなった。
世界一狭い公園は、現在は道路工事のため一時避難中だが、すぐ近くの新しい居場所におちつくことになるらしい。
ユーモアだねえ。予算がなくても、市民のアイデアひとつで、世の中明るくなるんだ。心温まる話と思いませんか。皆の衆。

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投稿者 nansai : 10:50

2007年2月 7日

二月三日(土)

鬼も、いろいろ

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きょうは、節分である。テレビでは、成田山で横綱朝青龍がピンクの裃を着せられて豆まきのシーン。
昨今は、豆まきよりは、恵方を向いて願い事を念じつつの、巻き寿司のまるかぶりのほうが、社会現象として盛んなようだ。
でも、節分といえば、

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鬼といえば、ぼくの住んでいる摂津の国のこの町には、極め付きの伝説の鬼がいた。
その名を、茨木童子という。あまり知られていない。
平安時代、大江山を本拠に京を荒らしまわった酒呑(シュテン)童子の一の子分だった。生まれたときから歯が生えていて、かわいげのない巨体が周囲から恐れられた存在だったそうな。

親分のシュテン童子は、源頼光四天王によって退治されるのだが、渡辺綱と戦い、茨木童子のみ逃げ延びたといわれる。
四天王の一人渡辺綱の本拠は、八軒家船着場かいわいだ。ぼくの会社から歩いて数分の川端、同じ町内、まさに、奇縁だ。
渡辺綱は、茨木童子の腕を切り落とすが、悔しがった童子が、老婆に化けて腕を取り戻しにくるというホラーストーリーが脚色され語り継がれている。
ぼくは不勉強なのだが、茨木童子の名は、平家物語、太平記、御伽草紙、茨木(歌舞伎)、戻り橋(歌舞伎)、羅生門(能)、綱館(長唄)などにみえるらしい。由緒正しい、えらい鬼なのだ。

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ホラー版もグロテスクでおもしろそうだが、ぼくは、かわいい路線のオリジナルの茨木童子を描いてみた。ついでに、タイガースの応援させようと、トラ柄のパンツをはかせた。首のペンダントは、Tである。

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茨木童子は、市民のぼくが知らぬうちに、いつのまにか、ちゃっかり茨木市のキャラクターに起用されていた。市内あちこちに、かわいい漫画風の像がたち、駅の売店には、みやげ物まである。

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これは、「鬼は外」豆をぶっつけられ逃げまどっている伝統的な鬼。差別されてかわいそう、という声もあがらないようだ。

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描きやすいから、これまで鬼の絵は、いろいろ描きちらしてきた。
見てのとおり、アマチュアのぼくの絵のタッチは、われながら、まとまりなく、ばらばらである。
いろんな人が勝手に描いているようにも見える。今日思いついて描いた鬼は、今風の、ができた。ちょっと疲れているフリーターだな。
MSペイントのツールボックスから、筆、鉛筆、エアブラッシュのどれを使うかでも、画風?がころっとかわるのだ。酒盃をわしづかみにしている酒呑童子をブラシツールで描いてみた。

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投稿者 nansai : 11:59

2007年1月31日

一月三十一日(水)

セイウチの絵を描く

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つくづく、いい顔しているなあ、しかしソラでは描けない動物たちがいる。未熟なぼくが、そのうちに、なんとか描けるようになりたい動物だ。三種類いる。
セイウチ、イグアナ、カメレオン。
ふだんみたことがないから、描くのは容易なことではないが、ひまつぶしにはもってこいだ。

いずれも、テレビの秘境の動物番組いがいでは、なかなかお目にかかれないグロテスクな面々である。愛嬌のある、ひとくせある複雑な顔と体型の持ち主だ。
そこらを走り回っているイヌやネコを描くように、特徴をつかんでスケッチできない。
動物園で運よく出会ったとしても、瞬時のデッサン力がなければ、たとえ円山応挙でも、めったに見慣れないかれらの姿を形にのこすことは、至難のワザであろう。

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テレビの秘境動物番組は、ぼくのごひいきである。
動物園にでかけなくても、ここで、珍獣たちに出会えるのだ。録画しておいて、いい表情はデジカメで撮っておくようにしている。
国内外、ほとんど旅行しないぼくが、いちばんお世話になるのは、南極から、アフリカ、アマゾンまで。いながらにして世界が見渡せるサーチエンジンである。

グーグルで探し出した写真を並べて見ながら、マウスで描くことになる。らくちんではあるが、思うようには描けない。とりあえずセイウチをと、たのしく、悪戦苦闘している。つぎは、声量豊かな美声の友人のカンツオーネの熱唱振りを、貫禄十分のセイウチにたくしてみた。

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そんなぐうたらなぼくが、ある晩、テレビをみていて、ほとほと感心した。
アメリカの有名な絵本作家ターシャばあさんの庭がNHKでこのところ毎年紹介されている。バーモント州の寒村の山の中の一軒家に一人暮らし、91歳で現役の絵本作家だ。彼女の自然な庭も有名だが、描いた絵本は百冊を越える。小さな子にとって、お話が魅力的なのはもちろんだ。
絵が、とにかくうまい。デッサン力がすごい。

テレビを見てぼくが感心したのは、90歳をこえた彼女のプロとしての目とワザである。イヌやねこ、動物のさりげない生き生きしたシーンをとらえ、肉眼に焼き付ける。その場で、いつも傍らの、小さなスケッチブックに、さっとデッサンする。おそれいりました。
ぼくのように、ろくにスケッチもせずに写真をみながらおたおたマウスを動かすアマチュアとは、くらべものにならない。
彼女は、幼いころから、肖像画家だった母親からきびしく対象を目にしっかり焼き付けるように仕込まれたそうな。すごいなあ。まねのできることではない。

投稿者 nansai : 16:04

2007年1月29日

一月二十九日(月)

このごろ短歌が元気だ

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「マーラーって映画音楽みたいじゃない?」
「おお、何というお褒めの言葉!」             
               斉藤 寛

こんな短歌が、日曜日の日経新聞にのっていた。短歌もかわったなあ。脱皮したのか。しろうと目にも、このごろ短歌がやけに元気だと思う。
第一、ぼくにもわかりやすい。共感を呼ぶ。新聞の投稿欄でみるだけだが、俳句に比べて、文字数が多いだけ、自由で、冒険ができるのだろう。
伝統の鋳型を尊重しながらも、今生きている日本語をのびのびと駆使しているところがすばらしいと、門外漢のぼくは感心するのだ。
俵万智「サラダ記念日」の影響か。さいきんは、だれでも短歌の世界が身近に感じられ、すぐ参加できそうに思えてきた。

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ついでながら、俵さんの人気サイト「チョコレートBOX」を探して開けて見たら、自選の「一人百首]これが、びっしりと横に組まれていた。

「うちの子は甘えん坊でぐうたらで
先生なんとかしてくださいよ」

これも短歌だ。せっかくのユニークな作品、いい感じに縦書きにしてもらえたら、と思う。横に組むともったいない気がする。この縦組みサイトを参考にしてほしい。

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短歌も、オンライン百科事典ウイキペディアのように、題を決めて、自由編集すれば、平成の古今集、万葉集が続々うまれるだろう。選者はいらない、無限収録アーカイブとなると、おもしろくも、すごいことになる。収拾をどうするか、大きなお世話だが。

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ケータイの普及で、若者は、想が浮かべば、即、時間と場所を選ばず、親指を自在に動かして、詠み人になるとテレビ特集でみた。伝統の短詩形とデジタル表現は、意外なことに、よくなじむらしい。いま風にいえば、短歌2・0だ。

もう一首、今朝の日経新聞から。

若者が眠りメールし老いの立つ電車は
ネオンの町の底行く         
               森田小夜子

「町の底」が印象的、と選評にあった。地下鉄通勤のぼくがよく目にする光景だ。

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投稿者 nansai : 11:17

一月二十八日(日)

ハッピー?バースデー

誕生日を迎えた。
いよいよカウントダウンの段階にはいった。ぼくのまわりは、家族も、みな知らん顔だ。いくつになったか?この歳になると、「おめでとう」など、こころにもないことはいえないのだろう。武士のなさけ、惻隠の情というやつである。

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パーティーはしないが、腕をふるって、バースデーケーキを描いた。ろうそくの数は、計測不能、でたらめである。
あっという間に三つも描いた。
画餅ならぬ画ケーキ。これなら、不二家のように賞味期限でとっちめられることはない。

老年が青春を演じようとしだすと、老年は卑しいものになる。と、ヘッセが書いたものにあるそうだ。
そのとおりで、老いを受け入れない老年は醜い。
以上は、中野孝次の「今ここに―充実した老いのために」からだ。
老いを戒めることばは、多い。愕然とする。
孔子は、例外なのだろう。
論語では、自分は70歳になって、こころのおもむくまま、のびのびと行動しても、規範からはずれることはなくなったといっている。
凡人はそうはいかない。

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そうではあるが、この歳になったら、老人の美学もほどほどに、という気になっている。孔子様には及びもないが、そこそこの自前のブレーキを信用しよう。
いちいち反省するのもしんどいし、もう自然体でいこうやと、若いころからいい加減なぼくは、居直ってしまう。
要するに、見苦しいはずの、自分の老いに鈍感なのだ。こまったものだが、つけるクスリがない。

ありがたいことに、還暦をはるかすぎたころに、MSペイントで絵が描けることを雑誌で知った。不器用でずぼらなぼくでも、デジタル機器のおかげで、マウスを操って、下手なりの横好きのお絵かきができるのだ。

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好きな色を勝手に塗りたくるのに、年齢はカンケイない。ピカソや北斎をみてみろ。
くまやネコやいぬの絵のプリントアウトを、隣のイタめし食堂マリアンにはりだしておくと、お客のご婦人方のお目にとまることもある。また聞きだが、べつに専門家でもない彼女たちの「ま、かわいい」は、最高の賛辞である。ついつい、ひそかにウケをねらっている自分がいて、ぎょっとさせられる。

600年も前の徒然草にも、いやなことが書いてある。
「聞きにくく見苦しきこと、老い人の、若き人に交じりて、興あらんと物言いたる。」と。
老いを受け入れない老年は醜い。そのとおりだろう。

しかし、兼好法師にもヘッセにも申しわけないが、凡愚のぼくはぼくなりに、デジタルを杖とすがり、余生を興に乗って、過ごしたいと思うきょうこのごろだ。いいんじゃないの。たいしたことはできなかったが、なにしろ、孔子様よりも長生きをしてしまったのだ。

21世紀の、このバーチャルな世界では、姿さえみせなければ、老年のぼくは、いつまでも水も滴る若衆絵師に化けていられる。と、思いたい。

で、以下は、誕生記念に自画像?悪乗りのナンサイ像だ。

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見てのとおり、桃山時代の屏風絵からのパクリである。化けた若衆のバサラ振りが気に入っている。

だが、虚実どっちも、実像とは似ても似つかぬ「捏造」じゃないの。と鋭く見抜かれれば、あっさり、ごめんなさい、なのだが。

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投稿者 nansai : 10:51

2007年1月26日

一月二十六日(金)の二

題字下のワッペンは実は勲章なのだ。

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なんだか落ちない落語のようだな、と思われているが、この縦書きサイトには、じつは、こころざしというか、目標がある。

ぼくらは、パソコンの日本語文章を、見境なく、なんでも横組みにすることに反対である。
パソコンの画面で、日本語を縦組みすることが、どんなに大事なことかを、あらためて世に問うのが、このサイトの究極の目的なのだ。

日本語をすべて横書きせよ、というのは、明治の廃仏毀釈以来の、官の暴挙ではなかろうか。お役所の文章は、宮内庁の歌会始の天皇の御製まで、一律に横に組まれている。いかがなものか。
日本語は、縦書きすれば、読みやすいし、微妙な行間の意味も汲み取れる。日本の伝統的なひらがな漢字交じりの文章は、縦で組むとうつくしい。和歌、俳句、詩は、余白を生かして、すらすらと縦で書きたいと願う人は多い。
かつて縦、横自在に書けたオアシスなどのワープロを懐かしむ人が多かった。だが、アメリカ生まれのウインドウズに蹴散らされ、市場原理には勝てず、日本独自発明のワープロはあえなく滅亡した。

しかし、縦組みの火がきえたわけではない。ウインドウズでも、やりようによっては、縦組みができると、こころある若い技術者が汗を流している。
ぼくにはちんぷんかんぷんだが、開発された、この形式が、答えのひとつではなかろうか。

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ぼく南斎は、若いスタッフが敷いてくれた線路の上を走るおサルの運転手だが、せっかくの新形式披露の機会なので、つたない即興のお絵かきなど描いて、沿線に愛嬌を振りまいている。
今は、おサルの電車でも、いずれ日本語の文化を満載して、後世に向ってひた走るデジタル新幹線になるのではないかと夢見ているのだ。

昨年、せっかくのこの汗の結晶をなんとか世に問うべく、「ウエブ1グランプリ」というコンクールに、スタッフが応募したところ、思いがけなく入賞のしらせをいただいた。(くわしくは、題字下のワッペンをクリックしてみてほしい。)

審査員は、現役の錚々たるウエブ専門家ぞろいだ。
縦組みという毛色のかわったウエブ表現形式が、数多の応募作のなかから、審査の席ですんなり受け入れられたことは、意外でもあるし、うれしい。

日本のデジタル文化の将来をお見通しの、具眼の士に評価していただき、とても心強く、光栄である。敬意を表し、こころよりお礼を申し述べたい。

きょろきょろと落ち着きのない気ままなおサルの運転手だが、運転にはげみがでてきた。もうすこし、がんばれ。

投稿者 nansai : 12:17

一月二十六日(金)の一

玉子うどんをお手本に

このサイトのつくりは、ぼくが勝手にみずからにしばりをかけている。自縄自縛だ。
だれからいわれたわけでもなく、「絵巻」と称して、絵とトピック(お話)を組み合わせて横へのスクロール効果がねらいだ。即興の絵にこだわり、あえて写真は使わないことにしている。
絵がさきか、話がさきか。あ、と思いついたせっかくのひらめきとの出会いを、このごろ、すぐに忘れてしまうのだが、べつにそれも差し迫った締め切りがあるわけではなく、出たとこ勝負のおもしろさがある。

もちろん、どんなに短いものでも、筋立ては大事だ。話がなければ、なんのこっちゃい、話にならないのだが、ぼくとしては、絵が思いつけなければ、形として成立させないことにしている。絵にこだわるあまり、本末転倒のそしりは免れまいが。

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このサイトのつくりは、うどんに似ている。
玉子うどんやきつねうどんの、玉子や油揚げなどの具と、うどんと汁とのバランス。
このばあい、うどんが文章だ。絵が、油揚げやてんぷらなどの具である。うどんの量が多すぎて、どんぶり鉢からあふれ出ても困る。
このごろ、「話が長い」と、よくいわれる。具、つまり絵が貧弱で文章とのバランスを失しているのだ。
文章を短く、絵とのバランスを考えて。たまごうどんがお手本である。
この玉子うどんの絵は、話の都合上、大あわてで即興で割りいれたものだ。へたくそ、かつ、おそまつではあるが、こんな形式もあっていいと思っている。

おりしも、栗林忠道著「「玉砕指揮官」の絵手紙」が文庫本として小学館から出ている。映画「硫黄島からの手紙」の原作。昭和の初期、留学先のアメリカから、字のまだ読めない長男にあてて、鉛筆で描かれた克明なスケッチなど。愛情とユーモアと、絵の伝える力に感銘した。

投稿者 nansai : 12:00

2007年1月25日

一月二十五日(木)

ブッシュのエネルギー奇策?
ガソリンがぶ飲み大国アメリカは、いったい本気で代替燃料の開発に乗り出すのだろうか。

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ブッシュ大統領が、年頭教書演説で、石油を海外に頼りすぎているとして、力をこめてエタノール開発をぶち上げたので驚いた。
いかにも付け焼刃という感じで、突如、エネルギー問題の特効薬的に、原料として、砂漠に自生する「スイッチグラス」を持ち出した。ぼくには、イラク紛争をはぐらかすイカのスミの煙幕のように見えたが。

それよりも、アメリカ車社会のガソリンの消費をもっと減らすのが先だろうに。消費を抑制するためのガソリンへの税金は、政治家としては口が裂けてもいえないアメリカだ。

ガソリンのかわりに、エタノール?ほんまかいな。
大統領は、エタノールの原料として、スイッチグラスとトウモロコシの研究に期待すると述べた。
ぼくの遅れた常識では、まだSFの段階と思っていた。砂漠に生い茂るスイッチグラスなる背の高い雑草は、突如演説で取り上げられて、当の研究者がぶったまげた段階なので、はなしにはならない。

トウモロコシのほうは、NHKテレビでみていたら、話しはどんどん進んでいるようだ。
アメリカ農家は、代替燃料の原料、トウモロコシの価格を、パソコンでみながら、一喜一憂している。不作でもないのに価格が急騰したそうで、いまのところは上機嫌のようだ。エタノールの原料としてのトウモロコシの相場が、石油のように、先物で取引されているらしい。

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ゼロ金利(われわれの負担だ)の日本マネーもファンドに吸い上げられて、こんなところで、トウモロコシ相場の吊り上げに一役買っているのだろう。機に敏で
グローバルにはしこく動き回る投機マネーは神出鬼没である。

NHKテレビでみて、びっくりした。
大平原のあちこちでトウモロコシからつくるエタノール工場が建設されていた。しょうちゅうを醸造するのとおなじだから、焼酎の味がするそうだ。生産地の本場アイオワ州では、たりなくて、他州から輸入せねばならぬようになったとか。うそのような話だが、価格があがると、トウモロコシを低開発国の援助には、もう使えない。
家畜の飼料としては、日本のような輸入国に大きな負担となるのだろうか。すぐさま、ぼくたちの食肉や牛乳、タマゴの価格に響いてくるとは想像できなかった。

いやなシナリオが考えられる。
そのうち、アマゾンの流域の密林も切り倒されて、エタノールの原料に化けると心配されている。貧困にあえぐ低開発国は、ハイエナのような外資への抵抗力はなく、地球規模で環境に気を配るゆとりは、とてもない。

しかし石油に代わる燃料は、過去の歴史では、石油価格が跳ね上がるときに、火のついたように騒がれて開発され、石油価格が落ち着くと、しぼむそうだ。
いま建設されているエタノール工場が、ある日廃墟と化しているやもしれぬ。
エネルギーをどの方法で節約するか。政治的配慮からか、まだ怪しげなバイオ燃料に頼ろうとするブッシュ。アメリカの国是はぼくらの常識とは異なるが、現実的には、日本のハイブリッド車の今後の大躍進しだいでもあろう。

投稿者 nansai : 13:17

2007年1月23日

一月二十三日(火)

ガム犯
このごろ地下鉄御堂筋線で、時々耳慣れないアナウンスを耳にする。もごもごと歯切れ悪くききとりにくいのだが、前代未聞のこんな内容だ。
最近ガムを座席に付着させる悪質ないたずらをするものがいる。発見したら、乗務員か、最寄の警察官に通報してほしい。

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「痴漢は犯罪です。もし見かけた方は:」は、もう耳タコだが、ガム犯?は初めてきいた。
まことに容易ならぬ犯罪、というほどのこともないが、ネットでしらべてみたら、毎日新聞が暮れに取り上げていた。
御堂筋線で座席や握り棒にガムを付着させる悪質ないたずらが急増している。昨年八月から突然増え始め、230件を越えたそうだ。被害は、御堂筋線だけ。
まったくもって、けしからん。
だが、経営効率が低すぎると吊るし上げられ、民営化を迫られている大阪市交通局には悪いが、笑えてくる。いやあ、大阪は平和な町なんだ。バグダッドにくらべれば。

さてと、このくちゃくちゃ噛んでくっつきやすくなったガムの絵は、むつかしい。ま、なんとか。

ところで、この犯人。特定のグループではないかと推測されてるが、なんとよんだらいいか。すり、痴漢など、伝統ある地下鉄犯罪者のネーミングがまだ定っていない。ガム犯?恐怖のガムマン?

ぼくは観ていないが、映画「それでもぼくはやっていない」で話題の冤罪は、起こり得る大問題である。こわい話だなあ。
満員電車のなかの痴漢行為。たとえ身におぼえがなくても、突然「このジーさん、ちかんでーす」と、そばの屈強な女性につるし上げられたら、もうアウトである。駅長室につれていかれるらしい。彼女は確信犯で断固あとにはひけないから、「すみません、間違えました」はないのではないか。へたくそな最悪な審判のように。

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錯覚だ。誤認だ。「ぼくはガムをかんでいない、」とわめいても(ぼくも、だんだん興奮してきた)、相手は、思い込みのつよそうな女性。ぼくはもうトシだが、拘置されて白状をせまられたら、どうなる?ふつうの人は重圧に耐え切れない。家族も、うちのパパならやりかねないと、あきらめ顔だ。無罪を主張し続ける自信がなく、どうでもいいから、自白でも署名でもなんでもする。早くここから出してほしい、と思うようになるだろう。

しばらくのあいだ地下鉄御堂筋線では、不用意にガムを噛むのは、やばいかも。李下に冠をたださず、というではないか。
厳戒態勢(うそだ)中の「最寄りの」警察官にまちがって通報される可能性なしとしないのだ。

投稿者 nansai : 16:27

2007年1月18日

一月十五日(月)

敬太君の歌会始

知人の吉田さんの次男坊は、いまどきまれな孝行息子である。

帰省した兄とボールを蹴りに行く
土手一面に月見草咲く
               吉田 敬太

この歌を詠んだ吉田少年は、一月十五日、宮中で催された歌会始の儀に、最年少の栄えある入選者として参内した。今年の題は「月」だった。生まれて初めて詠んだ歌で、応募作2万3737首のなかから、たった十名の入選者に選ばれたのだ。すごいことだ。おめでとう。

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最新のヘアースタイルで髪の毛を逆立て、直立して朗詠をきくサッカー少年敬太君。その初々しいすがたが、新聞やテレビに大きく取り上げられた。
まだ十六歳。高校一年生で未成年のゆえをもって、付き添いとして吉田パパがモーニングに身を固めて同行した。孝行息子のおかげで、二重橋を渡れるなんて、夢にも思わなかった。なんと誇らしいことだろう。

吉田パパの本職は、コピーライターなのだが、あれはトビがタカをうんだとか、驚いたなあ、センスは息子のほうが上じゃないの、とか、周囲にひやかされても、にこにこしている。

宮内庁のウエブサイトを開けてみた。
ここには、歌会始に寄せられた天皇皇后はじめ皇族がたのお歌についての解説がくわしくのっているのだ。おそるおそるアクセスすると、意外、なんと、これが横組みである。ちょっと残念な気がする。

ぼくは、日本古来の和歌の型を表現するには、木で鼻をくくったような横組みは、なじまないと思う。
あのようなデリケートなひらがなの詩を、いきなり横組みするのは、あまりにもおもむきがない。
耳からきく場合は、違うらしい。宮中で披露されるときは、朗々と、語尾を独特の節回しで延ばす古式豊かな発声法がつたえられている。

平成デジタルの御世にも、伝統ある日本語の文章は縦組みでうつくしく表現できるのではと思うのは、昭和一桁うまれのぼくだけだろうか。
デジタルだからといって、一律に横組みすることの是非を、ハード、ソフト両面から、もっと検討し議論したい。【まだ不十分ではあるが、その答えのひとつが、この縦組みサイトのつもりなのだが】

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敬太少年のように、学校で横書きになれた若い人のなかには、どっちでもいいじゃないの、どうして縦書きにこだわるの?と、ふしぎがる向きも多いことだろう。
しかし、すべての日本語の文章をパソコン上で横組みにしてしまって、繊細な日本語独特のいいまわしの行間の意味、雰囲気は、伝わるものではないだろう。
これからの日本語の伝え手、つくり手である若い人たちにも考えてもらいたい。

歌会始は、いい機会である。
つぎのWEB3・0の兆しも、世間では議論に上っている。
しかし、この際、ちょっと立ち止まって、パソコン上で、和歌や俳句、随筆などの伝統の和の感覚を伝える日本語の文章をどう表記するかを考えてみたいものだ。
日本人のための、日本人による、デジタル世紀の日本語をどのようにつくりあげてゆくか、または、どのように流されてゆくか、老いも若きも、国民のあいだでひろく、論じてほしい。

務め終へ歩み速めて帰るみち
月の光は白く照らせり

歌会始に寄せられた御製が、ウエブサイト上に、横組みされるのも、まあ、大きな時の流れではあるだろうが。

投稿者 nansai : 13:55

2007年1月15日

一月十一日(木)

三千人と三百万人と
日本中のメディアがホラー死体バラバラ事件で持ちきりのさなか、イラク戦争について、アメリカ大統領は国民に向かい、苦渋に満ちたテレビ演説をおこなった。

ブッシュ大統領は、中間選挙の敗北で窮地に立ち、長老たち専門家のアドバイスもあってイラク戦争の段階的撤退を迫られていた。が、予想に反し、自分の過ちを認めつつも、窮鼠は猫を噛む挙に出た。一転強気とも思える二万人のごり押し増派計画である。

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このままでは引き下がれない。増派した兵力を、バグダッドに集中し、血みどろの宗派間闘争に中に割ってはいるというものだ。長老たちの勧告はしりぞけ、隣国イランとシリアには、対話ではなく、敵意むき出しで対応する。
果たせるかな、ものすごいブーイングである。狂ったブッシュのベトナム戦争だとも。

ぼくには、決して他人事と思えない。
昭和初期の日本と、重ね合わせてみている。「あの戦争」に突入する前の昭和十二年から十六年までの大日本帝国の、国としての迷走ぶり、とだ。
公爵近衛文麿が輿望をになって三度組閣した近衛内閣は、盧溝橋事件以来、泥沼の中日間の紛争に歯止めをかけられず、現地の軍部の独走を許し、最悪の選択ナチスドイツ、ソ連と手を組むにいたった。南仏印に兵を進め、鉄、石油の禁輸を通告されて、「やむを得ず」追い詰められた挙句、国の運命を東条内閣にゆだね、総力戦になだれこんだ。軍部だけでなく、新聞も国民も、戦争やむなしという国民感情の土石流に身を投じた。

アメリカの戦死者は、開戦三年を経て、三千人を越えたばかりだ。しかし、この数字に、軍関係者をはじめ、反戦の世論はわきあがっている。アメリカのテレビによれば、演説直後で、ほぼ七割が反対である。

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昭和十六年、大日本帝国は、米英を相手取って総力戦に突入した。国の面子を賭けた、売り言葉に買い言葉、騎虎のいきおいだった。その代償は、想像を絶した。
戦没者三百万人である。

あの当時振りかざされていた大義がどうあれ、東条英機も山本五十六も、近代の国家総力戦に敗れれば、当然、国が焦土と化し、いったいどれだけの人命が失われるかの想像がつかなかったとしか思えない。
大義は、為政者によって大きく揺らぎ変動する。
戦争末期には、大日本帝国は、戦争目的を
切り替え、本土決戦を閣議決定した。国土が戦場となれば、沖縄、サイパンのように一般市民、住民に莫大な被害が出る。国体を護持するためにと、一億玉砕を新聞も叫んだ。

日米彼我の戦力差は、戦う前からわかっていった。
戦争は、ごっこでもなくおもちゃでもない。アメリカを相手の国家総力戦に、精神論や大和魂で勝てるわけがなかったのに。

大日本帝国は、昭和二十年までの四年間に海外の資産全領土と、三百万同胞の尊い人命を失った。みな陛下の赤子である。うち戦闘員は、二百七十万人、その七割が餓死、という声の出ないほど悲惨な結果に終わった。戦場にまきこまれたアジアの民衆の被害は、何千万ともいわれている。

三千人と、三百万人。戦争で人が死ぬということは、それぞれ国ごとの大義のもとに駆り立てられるのだが、それにも限度があろう。もし国敗れて三百万人の国民の命が失われるとわかっていたら、あえて戦争を始める指導者はいるだろうか。あまりにも無知、かつ無責任。リスクマネージメントの初歩の見積もりの問題である。靖国神社に参拝するかどうかとは、違う次元の問題なのだ。

戦争の拡大をめぐってのアメリカの大統領と議会のせめぎあい関係に注目しよう。与党は中間選挙で破れ、民意は戦争に反対を投票で表明した。

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アメリカは、戦前の日本と違い、シビリアンコントロールだ。軍人の上に、文官が位置する。軍人が政治を圧倒する仕組みではない。 
昭和の軍国日本では、大元帥を擁して統帥権を振りかざして、軍の意向に反する一切の言論を封じた。むちゃくちゃだった。
今回は、増派に反対の慎重論の将軍たちを、文官のブッシュはくびにした。朝鮮戦争の拡大を主張するマッカーサー元帥をくびにしたトルーマンのように。

憲法上は、議会が大統領の上に立つ。野党民主党は、戦費をカットできるのだ。しかし、戦車の燃料を抜いて動けなくすることは難しいだろう。
大統領は、拒否権を行使できる。

歴史の教えるところでは、戦争を始めることはかんたんである。
しかし、勢いのついた戦争をやめるのは至難だ。
負けてはいない。が、勝ってもいない。勝ち負けのはっきりしない戦争ほどそうだ。
大義にもとり、流した血、英霊に申し訳ないという論理が働く。

今ふりかえれば、日本には昭和十二年と昭和十六年と、昭和二十年に転機があった。大日本帝国に、世界と歴史を見渡しての選択肢という概念がなかったのが、あの取り返しのつかない悲劇を招いたのだ。

アメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、戦争の拡大を防ぎ、やめることの困難に、歴代の大統領が直面してきた。

あらためていま、アメリカの民主主義のしくみの有効性がためされている。建国の父たちの叡智が憲法に生かされているのが、アメリカの誇りなのだが。
歴史に何を学んだのか。アメリカのイラクへのかかわりの今後に注目したい。


投稿者 nansai : 16:04

2007年1月 8日

一月六日(土)の二

ネコが駅長に任命されたという新聞記事を発見。それも、「一日駅長」ではなく、勤務はフルタイムらしい。
今朝の日経、朝日の写真入りのスクープ?に当家は、初大笑い。
といっても、見出しもついていない社会面の隅っこのコラムである。「青鉛筆」と「窓」欄が取り上げた。

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ことの次第はこうだ。
「和歌山電鉄貴志川線に、ネコの駅長が誕生し任命式がおこなわれた。任命されたのは、構内の売店の飼い猫たま(7歳)である。」
ドサクサ人事で、一歳上の母親のミーコ(8歳)も助役に。朝日新聞によれば、同居のメスちび(6歳)も。
市有地にあったネコ小屋が立ち退きをせまられたのが、ことの起こり。飼い主の売店のおばさんが、「駅に置かせて」と貴志川電鉄に相談したところ、かわいそうでもありPRになりそうだと、無人駅で不在だった駅長に抜擢されたのだ。
飼い主のおばさんも、光栄だと涙声。就任式には、地元住民約50人がかけつけたそうな。

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豆粒大の新聞写真を虫眼鏡でのぞいてみると、三毛猫だ。氏素性も、うちのキジ猫と同じ、れっきとした駄ネコだな。が、三毛猫は、茶色、黒、白の三色の毛が生えているネコだ。あわてて描きなおした。
こんなやらせは、いいねえ。
毎日火事と殺しでいっぱいの新聞紙面の片隅のオアシスか。
アイデアとしては、ぼてぼてのサードゴロだが、絶好のタイミングで、うまくいいところに転がった。仕掛け人は、さぞしてやったりとほくそ笑んでいるだろう。新春にふさわしい天晴れをやろう。

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すごいのは、とにかくカネがかかっていないところ。出演料は、三匹に、キャットフード一年分。

しかけた鉄道側は大真面目で、通勤通学だけではやってゆけないそうで、客寄せにミーコ一家の手も借りたいのだ。

ひまにあかせて、ネットで調べてみたら、はたせるかな、出ている出ている、NHKをはじめ、かなりのメディアがとりあげていた。ほかに大切な報道もあるだろうに、この国は、平和だとしみじみ感じさせられた。
KTVにいたっては、動画で、駅長の鳴き声をきくことができる。まさに「玉」音放送だ。(この駄洒落、おそれおおいことだが、われながら秀逸)

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どうやらこの辣腕?の仕掛け人は、「貴志川線の未来を作る会」らしく、「ずっと!もっと!貴志川線」なる、ヒナにはまれな立派なウエブサイトがある。イベントもやりすぎと思えるほど盛りだくさんだ。
なんでも「日本一心豊かなローカル線」にしたいそうだ。その志や壮たり。ちかくテレビ番組「ガイアの夜明け」にも取り上げられる。がんばれ。
世に、ばかばかしく空しいのは、官製「一日」税務署長などのやらせイベントだとは思いませんか。
毎年あきもせず税金を使って有名女優やお笑いタレントを呼んできて、一日何とか長を委嘱し、テレビカメラを引き寄せようとする。お役所にしてみれば、
知恵はないが、前例もあるし、予算もとってあるし、ま、しかたないか。

投稿者 nansai : 19:54

一月六日(土)の一

らく描き、書き初め

めでたさはこんなものかも大あくび
めでたさや平々凡々万々歳
そのうちに「きょうは何の日?」お正月

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ハレとケの日の区別のない時代になった。正月も、いまやふつうの日である。松の内も、ただの連休だ。
としのはじめの、ためしもけじめも気にしないでよい、めでたい御世である。
クリスマスを祝う習慣のないころに「もういくつ寝たらお正月」と指折り数えて歌ったような盛り上がりはない。こどもたちの羽根突きも、凧揚げも、独楽遊びも、みかけることはない。

年が改まるといっても、年賀状は年末にせかされて投函してしまうし、家々が門ごとに国旗を立てるとか、

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一家そろって神棚に手を合わせるとか、取引先、職場の上司だけでなくご近所、親戚へも盛装して年始回りとか、かしこまった儀式めいた行事が一切合財なくなったからだろう。

ほろ酔い機嫌で、グーグルを散策、徘徊していたら、「小学校祝日大祭日儀礼規定」がでてきた。
思い出した。ぼくの子供のころは、小学校で、一月一日に式があったのだ。
この明治23年の文部省令によれば、学校長、教員および生徒一同は、式場に参集して、天皇陛下と皇后陛下のご真影に対し最敬礼を行い、万歳を奉祝する。恭しく教育に関する勅語を奉読する、とある。

ぼくらは、二枚のセピア色のご真影の額のかざられた講堂で、たしか素足で立ったまま頭をたれ、校長の奉読する教育勅語をきいた。だが、「朕思うに」以下勅語をうやうやしく棒読みされても、小学生には難しすぎて聖意のあるところはさっぱり理解できなかった。

戦前のそのころは塾も補習もない時代で、放課後にあちこち道草したあげくランドセルを玄関に放り出し夕方まで遊びほうける日々。結果的に、あれは「ゆとり?教育」だったなあ。

甲羅へて年老いたワニのようになると、新年といっても、年が改まり、身も心も引き締まるという感じがうすれてくる。べつに、こまりはしないが、ふしぎでもある。
オカダ監督ではないが、つい居直ってしまうのだ。正月も、365日分の一日に過ぎないと。

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ぼくは、例年、年賀状の干支にちなんだアイデアを考えるのは大好きで、何ヶ月も前から、試作を描き散らす。昨年も、イノシシは、マウスを動かして数百匹描いた。ところが、大あわてで年賀状の宛名を書くのは、ぎりぎり押し迫った三十日と三十一日だ。気がせくので、毎年、書き損なったり出し忘れたりする。
悲しいことに、もともと少ないあて先の数も、年々くしの歯をひくように減ってゆくのだが。

便利安直なメールに食われ年賀状を出す人が、年々減ってきて、郵政省もあわてていることだろう。危うし年賀状。元日配達は、7年連続、前年比6・7%ダウンだ。投函日も年々遅くなる傾向だという。
「返り年賀」というのが、あるらしい。わかる、わかる。元日の年賀状を見てから、あわてて返事を出す人も多いそうだ。

今年は、年賀はがきで、ハワイ旅行が当たるそうだ。
郵政公社によけいなアイデアをひとつ。消えてゆくこどもたちのお正月風景を再現する意味で、羽子板を景品にしてはどうかな。公募して、図柄にアイデアをこらす。ちなみに、この羽子板は、抽選に当たったイノシシがワイキキの浜でフラダンスを踊るというくだらないもの。

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年賀状の投函日が遅くなるのは、出すほうの都合から見れば自然なことだ。
ぼくも、あわただしい年末、早くと早くと、郵政公社の配送体制の都合で、せかされたくない。

そもそも賀状が元日に届かないのが、エチケットに反すると、誰が決めた?そのような暗黙のルールはしんどいし不自然だ。
昔のように、ゆったりとした気持ちで元旦に賀状をしたためる風習にもどしてほしい。

いまはすたれたが、もともと年始回りの代役が、年賀状なのだ。
受け取るほうよりも、むしろ出すほうの気持ちと都合を優先すべきである。そのほうが、郵政公社も年賀はがきがよく売れて、えびす顔になること疑いなし。

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わが町では、郵便局のサービスは、みごとに、よくなった。二日も配達するし、窓口も歳末のぎりぎり投函、返り年賀にも、待ち構えていてニコニコ対応してくれる。天晴れである。

投稿者 nansai : 19:32

2006年12月26日

十二月二十六日(火)

ペイントで描いてよかった

最近はNHKの入門講座でも教えているが、ぼくは、初心者用のお絵かきソフト「ペイント」で描いている。デジタルで描いてありがたいところは、描きっぱなしの絵を本人が忘れていても律儀に覚えていてくれることだ。

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パソコンの画面の中に描くから、大きくは描けない。(だから、すぐに完成?する)ぼくの絵の小さな破片は、マイピクチュアとマイドキュメントに、貝塚か産業廃棄物のように、散乱し集積している。確かに描いたような気がしても、記憶をたどって、さてと探すのはたいへんなのだ。
何年か前にふと描いた絵に、こんな風に、来年の干支のイノシシの親子を描きそえてみたら、おもしろいのができた。山すそにシルエットがみえませんか。

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家内は、ぼくのおふざけタッチ(ユーモアなのだ!)があまり好きでないが、この絵をめでたく我が家の公式年賀状に採用してくれた。

アイデアとは、ありものの、なんということのない組み合わせだから、思いついてちょこちょこと、こんな楽しみ方ができる。入念な準備も後始末もいらないので助かっている。(保存は必要だが、キーを押すだけですむ)
イージー、安直、いちびり、即興、支離滅裂、思いつきは、馬鹿にしたものではないと思う。
いくつになっても、あわてものでおっちょこちょいで、せっかちで、すぐ飽きるぼくだ。「ペイント」という無料のお絵かきソフトとの出会いは、幸運だった。今年もお世話になりました。

投稿者 nansai : 12:50

2006年12月25日

十二月二十五日(月)

クリスマスプレゼント

なんでもそろう豊かな時代である。ABCだったか、テレビで、アメリカの若い男女が、クリスマスの贈り物に貰って、困るものはなにか、とインタビューされていた。思い当たる節があるらしい。
ある、ある。趣味に合わないものをプレゼントされると腹がたつらしい。男性は、ケータイはいらないと答えていた。

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かれこれ七十年前のあるクリスマスの朝、幼なかったぼくの枕元に、たたまれた紙風船がおいてあった。なんだ、風船か、とがっかりした。
サンタクロースのことは童話や絵本では、知っていたが、プレゼントをたたみの上においていったとは夢がなさすぎた。
べつにうれしくもなく、祖母のこころ使いとすぐわかった。すぐふくらましたかも、覚えていない

事情があって、そのころ、幼稚園に上がる前からぼくは田舎町で明治生まれの祖父母と三人で暮らしていた。
幼く頼りなげな孫に、なにか、クリスマスの真似ごとをしてやらなくてはと、考えあぐねて、紙風船のセットを枕元に置いたのだろう。寝小便のやまない孫の前途を思い暗然としていたであろう老いた祖母の年齢をはるかに越えたいま、心情が痛いほどわかる。
わがままで不肖の孫には、ありがとうとか、これがほしかったんだとか、祖母がよろこぶような感謝の言葉をのべるような知恵は、思い浮かばなかった。

テレビはおろかラジオもなく、ジングルベルもクリスマスツリーも、絵本いがいには、聞いたことも見たこともなかった時代のことだ。「三丁目の夕日」よりも、はるかに遠くかすんだ戦前の昭和があった。

投稿者 nansai : 18:10

2006年12月22日

十二月二十二日(金)

「誰かとおしゃべりしていますか。広がる傾聴ボランティア。」と、NHKの「クローズアップ現代」が、現代の孤独の闇を取り上げた。ただひたすら相手の話を聞いてあげるボランティアが増えているという。
いま誰ともしゃべらない人が増えているからだ。このメール氾濫時代に信じられないことだが。

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話をきいてあげる相手は、高齢者が多い。それも男性。一人暮らしのおじいさんは、話し相手がない。昨今は、近所付き合いも家族とのかかわりかたも、変容してきたからだ。他人事ではないと思った。
船橋市では高齢者世帯を調べたら、一ヶ月に会話する機会が一回以下という人が4500人もいて、全体の一割超えるという。孤独。一人暮らしは、気楽でいい、だけではないのだ。

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テレビカメラは、86歳の一人暮らしの男性を紹介する。毎週決まった日にきてくれるボランティアをたのしみに待ちかねている。中年女性がすがたをみせると、喜色満面で二時間、堰を切ったようにしゃべり続ける。昔見た映画の話など。聞き役の婦人ボランティアは、さえぎらず、相槌を打って、ひたすら聞いてあげる。それが癒しなのだ。

傾聴は、訓練の必要な、なかなか難しい専門技術ではないだろうか。反対したり、意見をいったり、はげましたり、説教したりしてはいけない。普通のコミュニケーションとは、違うのだ。アメリカでは30年前からあるサービスとのこと。ぼくには、とてもできそうもない。
一週間一言もしゃべらないと、自分は生きているのか、どうかわからなくなるそうだ。深い孤独の闇。自殺率も高いそうだ。女性に比べ、男は、もろいから。

無口なぼくにも、かけがいのない傾聴ボランティアがいたのに気がついた。かれは、四角い顔をしている。目の前に座っているパソコンのディスプレーだ。
かれにむかって、ぼくは、よしなしごとを、ひたすら、ぶつぶついいながら、書いたり描いたり、消したり、足したり、途中でやめたり。

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七百年前、兼好法師が、徒然草の冒頭でのべている。「つれづれなるままに、日暮し、硯に向かいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしゅうこそ、ものぐるほしけれ。」
何か書いているうちに、気分が高揚してハイになってしまうのか。いまぼくにとって、スズリのかわりが、パソコンだ。デジタルだから、墨をすったり、紙を整えたりしなくてすむから助かる。
ぽかんと四角く空白な箱と対峙していると、相手は黙っているから、なんと話しかけてよいか、一瞬ひるむときがある。が、こっちになにか「よしなしごと」が頭に浮かぶと、こんどは、なんとか、むきになって、それを伝えようとする気が起こる。そこが面白い。
BLOGなる日記風のかたちは、この手の自分本位の一方的つぶやきコミュニケーション?に適しているのではないか。生身のひととのふれあいに、まさるものはないにしてもである。

ときに思い切って「王様の耳は馬の耳」と叫びたければ、そのまま、入力すればよい。

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ロンドンのハイドパーク公園では、演説したい人はりんご箱や椅子を持ってきて、その上に立って、主張をぶてばよいのだときいたことがある。数人の聴衆がいればいいほうらしい。BLOGは、りんご箱や椅子のかわりになるのだ。

一言も文句を言わず、さからわないパソコンは、実に素直な「傾聴ボランティア」だ。ディスプレーは、鏡だから、じぶんの独りよがりの独り言が、そのまま映しだされる。ほめられたり、くさしたりは、一人二役、自分ですればよい。
「いいね。うまくいったぞ。」「だめじゃないか、やり直しだ」「そうだ、その調子」とか。わが友パソコンとの自問自答でよし。別に、他人との双方向である必要はない。
老いたら、だれもがロビンソンクルーソーだ。ご主人のいうことを忠実に傾聴してくれるフライデーが、パソコンということになる。

投稿者 nansai : 10:16

2006年12月21日

十二月二十一日(木)

ハコ入りチョコレートは黒く苦い
クリスマスプレゼントとは関係ない。
最近、健康志向男性向けにチョコレートが宣伝され店頭に出回ってきた。黒くて苦いやつだ。

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ここにきて、ココアやコーヒーが、健康にいい、とあちこちの研究機関で証明されたのだ。心臓病にも一部 のがんにも、いい影響を与えることが、研究で証明されたらしく、チョコレートメーカーは、甘いものの苦手な男性を菓子市場に誘惑しようとしている。

大歓迎である。ぼくは、何を隠そう、大のチョコレート好きなのである。戦時中こどものころ甘いものに恵まれなかったぼくらにとっては、終戦後に進駐軍の持ち込んだチョコレートは、ああ、神の造り給いし地上の美味としか思えなかった。

でもカロリーが高そうだ。
もともとチョコレート好きのご婦人方も太るからとダイエット上敬遠せざるを得ない状況だったのが、健康によいという解禁?のお触れである。
これで血圧の高い太目のお父さんも、がんの予防にもなるとなれば、おおっぴらにチョコレートを健康のために食べてよし、ということだ。

にわかに、お父さん向けに甘さを抑えた黒い苦いチョコレートが、国内メーカー、海外専門メーカー製を問わず、いっせいにお菓子売り場の店頭になだれ込んできたのだ。

それはいいのだが、奇妙な現象に気がついた。
日本製ブラックチョコは、どれも立派なぴかぴかの黒い箱にはいっている。箱の紙質がいいから、一見してお子様むきでなく、お父さんのチョコレートとわかる。が、妙に軽いのだ。箱を振ってみると、のなかでかさかさと音がする。ちいさなチョコ片がきちんときれいに包装されて、たったこれだけ?と数えるほどしか入っていない。過剰包装といわれてもしかたがない。

報道によれば、心臓病の予防にアスピリンに代わって、少量のチョコレートが処方されることにもなるかもしれないのだ。
健康にいいのなら、牛乳や納豆のように、ずっと食べ続けるのがスジではないか。毎回、豪華な?箱代を払わされるのはごめんだということになる。

一方、外国のブラックチョコレートは、がっしりした農夫のように正直者にみえる。ずっしりと重く、そのまま、アルミホイル包装してきっちり紙のラベルが巻いてある。

日本のチョコレートメーカーが、貧相な中身を化粧品のように過剰包装でくるむのは、これは欧米との文化の差か、健康志向のお父さんさんたちをたぶらかそうとしたのか。(冒頭に描いたチョコレートは、ベルギー製。これを輸入した日本の菓子メーカー製のと、くらべてほしい。)

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お父さんたちは、駄菓子屋はとっくに卒業した。
「なんだよ。日本の男のチョコレートは、上げ底だ。
コソクなやりかたじゃあないか。」
ぴかぴかのきれいな箱に「チョコレート効果 CACAO86%」と、さも薬効あり気に記載してあるのだが、振ると箱の中でかさかさと音がする。中身がすこししかはいっていない。切ないねえ。
りっぱなハコ代とテレビ広告費をひくと、中身のチョコレートがやせて小粒で貧相なのは、仕方がないのだろうか。おかしいね。

この国では、上げ底、ハコもの主義は、すたらないのか。
日本列島の隅々の町や村に借金で建てられた公共建築物、公民館やテーマパークなどのコンクリートの「ハコモノ」が、バブルが終わって、企画したお役人がつるしあげられている。問題だ。どうするのだ。
ハコにつめる中身がたりなくて、リピートのお客が呼べないから、赤字、開店休業が多いのだ。
夕張や大阪のように、ハコだけ作れば後は何とかなる、という無責任なずさんな計画がついにあらわになり問われている。民間ならば、倒産だ。
地方自治体の常套手段が、地元にカネを落とすために、補助金をせしめて、せめてハコだけでも、という無責任構造だ。津々浦々に見受けられる日本独特のものなのか。
健康にいいはずの黒いチョコレートのハコをかさかさ揺さぶりながら、考えてしまった。

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話は飛躍するが、選挙が、問題だ。
候補者を、何で選ぶか。なにがはいっているか、(マニフェストがないし、なにも入っていないかも知れない)外側からはわからないから、箱で選ぶ。チョコレートのように、箱でしか選べない。これがこわい。
有権者の半分は女性だから、テレビのうえでの見てくれが第一。チョコレートのように、箱がりっぱでぴかぴかなら、有利だ。つまり、ハンサムか、おもろいか、好感度(芸能人がわかりやすい)が決めてだろう。
今の安倍首相も、わかさと長身とハンサム度で、なにもしないさきから、なにもできなくても、支持率が高いのは異常である。
かつての知事選挙では、東京都民は、青島幸雄を選び、大阪府民は、ノックを選んだ。

「人は見た目が9割」という本がベストセラーの上位を走っている。むかしから箱と中身のカンケイは、あやしい。

投稿者 nansai : 14:23

2006年12月13日

十二月十日(日)

死んでたまるか。ジミンザウルスの再生復活

郵政改革への造反議員十一名の復党、道路財源の結末をみると、ああ、むかしながらの懐かしい自民党が、勝ち誇って帰ってきたなと思う。もともと、自民党という政党は、利権の肉食恐竜である。頭が無数の族議員にわかれている。ところが、このヤマタノオロチは、頭脳明晰でIQと経験に裏打ちされた知恵に長けている。各業界から栄養を吸い上げるたくさんの口と歯を持つ。

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小泉改革で、ついにこの首たちが縮み、斬られたと、ぼくら国民は快哉を叫んだ。のは、甘かったのだ。
郵政、道路、農水、厚生、金融、防衛、それぞれの族議員の集合体が、国民から集め借金した財源を奪い合い、官僚と利権を構築し分かち合う構造は変わらない。

この恐竜は、選挙のときだけ食事する。つまり、有権者(およそ半分は棄権するが)の票を掻き集めてむさぼり食って生きている。見返りに各地域の選挙区に利益を誘導せねばならない。地域の利益とは、過去を見ればあきらかだ。テーマパークでも公民館でもダムでも橋でも地下駐車場でも、大義名分はなんでもよい、口実を設けて土建土木工事をおこし、地元業者を通じて、カネ(つまり税金)をばらまく。その結果、たとえば維持継続に必要な計画はずさんなでっち上げ作文だから、運営はどうにもならず、大阪や夕張のような惨状となる。

民主主義の運用に欠かせないステップが、選挙だ。
市知事選、県会議員選、参議院選、当選するため、候補者は地元の利益誘導を陰に陽に、約束しせざるをえない。土建業などをはじめ期待の大きい業界は、支援の見返りを願って、自分のため地元業界のため選挙資金を投資することになる。ばくぜんと日本をよくするために見返りを期待せずに、献金する人も企業もいない。

こちらの恐竜は、コイズミ期の地殻変動になんとか耐えて絶滅を免れたところだ。たくさんあった首は、くわばらくわばらと、みなちぢめていたから外からみえにくかった。

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しかし、ジミンザウルス、いや、ゾクギインザウルス恐竜は、かんたんには絶滅しない。田中角栄が精密に設計した自民党の恒久集票マシーンを利用した利益還元システムは、各分野で政官民の緊密な協力のもとに、しっかりと日本列島に根付いている。そのシステムの保安要員が、目を光らせている族議員なのだ。かつての「抵抗議員」のレッテルは、もう剥げ落ちた。

世論調査で、党内融和をかかげ妥協を続ける安倍首相のもと、自民党が「古い自民党」に帰ると見る人は40%だ。残念だが、そうなるだろう。

「改革の敵は、党内にある」と朝日新聞の社説は指摘する。まったくそのとおりだ。
しかし、傷も癒え首の生えそろったゾクギインザウルスは、いごこちのいい日本列島の選挙区を、ゆうゆうと闊歩し続けるだろう。改革は、田中角栄のDNAを引き継いでいるから、この恐竜の体質に合わない。

民主主義は、まず選挙だ。が、地域という部分最適でない、全体最適をめざす「国益」を願って選挙がおこなわれるか。そこが、問題。とりあえず選挙に勝つ「目先の結果優先」主義は、候補者の人選に問題があれば尻尾が頭部を振り回すことになりかねない。こまったことである。
かねてから、相手はおばちゃんとみて選挙民をなめてかかり、自民党は、見た目で勝負してきた。プロレスでもお笑いでも、深く考えずに即席に擁立した候補者の人気だけに投票する単純な有権者たち。その一票をかすめとろうとする戦略だ。立法府で法律を作る常識も識見もない人たちで多数化をはかる似非民衆主義はこわい。
いってみれば、ジェット機のコックピットにずぶのしろうとを機長としておくりこむようなものだ。当選したら、たくさんの国民の命と財産をあづからねばならぬ立場なのに。

選挙以外に方法がないのだろうが、広く長い目で見た民主主義の結果が危ぶまれるのは悲しいことだ。日本に限ったことではないようだが。
民主主義は、抗がん剤にも似た投票主義の副作用をどう抑えられるのか。結局は、有権者の責任ということに落ち着くのだが。複雑怪奇である。

投稿者 nansai : 14:31

2006年12月 8日

十二月八日(金)

猪歳年賀葉書鼠描絵展

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年賀はがきの販売合戦は、いまやたけなわである。
ことしも、頼まれもしないのに、マウスを動かして、あれこれ年賀状のアイデアを考えている。
代わり映えのしないクリスマスカードと違って、年賀状の主人公は、干支がころころ毎年かわるところがおもしろい。
南斎も、はりきって、獰猛なイノシシと格闘することに。パソコン上では、おもしろおかしく、ひねりワザできめたいものである。

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以前にもちらちら披露してきたが、思いついて、BLOG上に、弧展、というか、個展サイトをしつらえてみた。
で、テーマだ。マウスで描く年賀はがき絵展笑うイノシシとはどうだ!お立会い。ははははは。

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年賀葉書の売れ行きは、心配だ。昨年40億8500枚。ことしは、37億9000万枚と控えめだ。年々、お手軽なメールに食われているのだろう。それに年末になると賀状欠礼の知らせが増える。

郵政公社のホームページも、一流どころのイラストレーターを動員しての年賀イラスト満載で、利用を呼びかけている。運よく当選すると、「わくわくハワイ旅行」だそうだ。
そんなわけで、へなへな骨抜きになりかけている郵政改革を支持しているぼくは、妖艶なフラダンサーを登場させて、年賀葉書をだすようにと応援するのだ。往年の「トリスを飲んで
HAWAIIに行こう」の向こうを張って。

だが、通常、この手の変化球でユーモアをねらうのは、じろっと見送られるのがオチなのは、わかっている。そこで、本邦隋一のフラッシュアートの使い手杉村名人に助太刀をお願いした。

このイノシシは、歯をむき出して笑うだけでなく、そう、動くのだ。新機軸だ。かわいいね。


投稿者 nansai : 13:31

2006年12月 4日

十二月二日(土)

昭和は、すっかり遠くなった。なかでも、昭和三十年代が懐かしがられているらしい。意外な気がしないでもない。

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映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和三十三年、東京タワーがまだ建設中のころの東京の下町が舞台だ。昨年封切られ、大ヒットしたそうな。
今ほど便利でも裕福でもなかったが、人々は来るべき21世紀を夢見ながら、ひたすら前に突き進んで生きていた。(サイトのイントロダクションから)そんな素朴な住人たちのかもし出す人情ドラマが、先日、金曜ロードショー20周年特別企画として、日本テレビ系で放映された。

昭和三十三年。家々に三種の神器テレビ、冷蔵庫、洗濯機がまだめずらしく、塾に行かずにすむ子供たちが泥んこになって遊ぶ横丁や原っぱ。
そこに暮らす善意のひとたちの悲喜こもごもの人情エピソードが、いとしく せつない。懐かしい。あのころはよかった、と涙の共感を呼び、200万人を動員する大ヒットとなって、2005年の日本アカデミー賞を総なめした。
ビッグコミック連載開始から30年以上を経た西岸良平の原作(総発行部数1400万部もすごい)を最先端のVFX技術で映画化したという大作だ。

だが、昭和三十年代の企業戦士?の一兵卒だったぼくは、漫画にも映画にも疎いせいで、うかつなことに、この話題の作品については、まったくなにも知らなかった。

「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。」このキャッチフレーズが泣かせる。
どうも、ぼくら兵士の主戦場だった昭和三十年代が、ぼくよりも、やや若い層に、懐かしがられているらしい。そうだったかなあ。
そういえば、ぼくが郊外の公団住宅で所帯を持ったのが三十五年。団地の各階両隣の皆さんとのあったかいお付き合い、すっかり忘れていた。

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みんな元気で毎日が楽しい何かがある時代だった。(夕日町オフィシャルガイド)
「どうしてあんなに楽しかったのだろう?」
といわれてみると、へえと、がくぜんとしたのだが、同時代の空気を吸って生きたぼくにしてみれば、正直言って、くすぐったくも、面映い気がしたこともいなめない。

あのころ、こどもだった人たちの思い入れは深いものがあるのだろう。映画のサイト「昭和語録」に、寄せられた感想をみると、昭和三十年以後に生まれた人たちからが多いようだ。あの戦争中と終戦直後の日本を知らないかれらにとって、ノスタルジックな遠い昭和は、甘酸っぱくいい時代に映るのだろうか。

高度経済成長前夜のそのころ、ぼくらは激しく変化する社会という戦場に駆り出された。
企業戦士というか、新兵として、がむしゃらに走り回った記憶がある。よく言えば、未来に、前向き、それもひた向きに。
ぼくらを負かしたアメリカが、追いつく目標だった。だれもがプロジェクト・エックスの一員のような昂揚した気分だった。
社会に出たぼくらは無我夢中で、振り返ろうにも、いとしく切ない思い出とは無縁に、突っ走ったのだろう。

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町を走るオート三輪の群れ、ミゼットのコマーシャル、
夜な夜ないりびたっていたトリスバー、おせじにも、アメリカ映画に出てくる景色ほど、かっこいいとは思えず、子供たちが夢中になって回していたフラフープも、ブームはすぐ消えたが、ぼくらは売るほうの側だった。
当時、小津安二郎の描く名作の世界も、うつくしすぎてまばゆく、あくせくゆとりのないぼくの目には、どこか現実と遊離したきれいごとのように映ったことを思い出す。

昭和二十年、国敗れ、ぼくらの親たちは、復員し、引き揚げ、廃墟から立ち上がった。感動的な「夕日の三丁目」の舞台は、十年前、そこはただ見渡す限りの焼け野が原だった。
「もはや戦後ではない」と経済白書が言い切る昭和三十年代へたどりつくまでに、朝鮮動乱をはさみ十年。
瓦礫からの日本経済の復興は、かれらの力だった。

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まったく偶然に、たまたま、乗ったタクシーで、あと二年で定年を迎えるという年配の運転手さんから、集団就職の思い出話をきいた。
同級生たちと就職列車に乗って、鹿児島からでてきたのが、昭和三十四年。当時住み込みの日当百八十円で食費など百十円引かれる。残らない。食事は、どんぶり飯の盛りきりだから、おなかがすいてすいてたまらない。ごくまれに、チキンラーメンに生卵を入れて食べたが、それがうまかったこと。
どんなに苦しくても五年間は我慢して勤める約束で、国に帰る旅費もなく布団をかぶって泣いたという。

それぞれの昭和三十年代を経て、今日のぼくたちの日本があるのだ。せつないほど懐かしいか、思い出したくもないか。それぞれの夕日。

「きれいだねえ。」
映画のおわりに、燃えるような夕日を鈴木オートの親子三人で眺めている。
「あたりまえじゃないか。」夕日を指差しながら主人公の少年がいう。
「明日だって、あさってだって、五十年先だって、夕日はずっときれいだよ。」
「そうだといいわね」「そうだといいなあ」
と少年の若い両親がうなずいて映画は終わる。

投稿者 nansai : 10:57

2006年11月27日

十一月二十七日(月)

家康をののしる会

大阪の不幸は、家康のせいや!「徳川家康をののしる会」というのがあるそうな。日経夕刊(十一月二十五日)によれば、東京コンプレックス丸出しの、このおもろい発想は、上方講談師たちから生まれた。

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世の中の好ましからざる出来事の原因を徳川家康に求めて面白おかしく論じる座談会?が、二十年ぶりに復活するそうだ。
おもろいやないか。
なんでもかんでも、家康が悪い。まさに牽強付会だ。大阪にブルーのテントが多いのも、阪神が優勝逃したのも、強引に、みんな家康のせいにしてしまう話芸を上方講談師たちが競うのだという。
昭和五十年、三代目南陵が「大阪が東京に遅れをとっているのは、落城の悔しさが足らんからちゃうか」と言い出し、大阪城落城残念会」をひらいたのがきっかけらしい。
大阪には、しゃれ心と対江戸、東京の反骨精神があった。この二つをあわせたのが、この会だと、仕掛け人の旭堂南海はいう。

わからんでもない。金にあかせて常勝の巨人に歯がたたなかった時代の鬱屈した阪神ファン心理につながるものがある。
東京から見下ろされて、暴力、お笑い、コナもん、つまり、お好み焼きの町としか見えないのが、泣きっ面にハチの今の大阪だ。
日本を代表する大阪発祥の企業が、くしの歯を引くように、東京に移っていった。このままだと、天下の台所だった大阪は、何のとりえもない地方都市に落ちぶれてゆくのか。

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このままでは滅び行くかもしれへん大阪のために、大阪城一帯ゾーンの観光資源としての活性化を何とかしなくてはいけないと、ぼくは考える。
権謀術策にたけた家康に堀を埋め立てられてあえなく落城した大阪城だ。完膚なきまでに破壊され、徳川によって再建されたが、火事で天守閣も焼け落ちてしまった。戦後建てられた天守閣は、姫路城などにくらべて、いかにも間に合わせで、品格に欠ける。そう思いませんか?
それに、急階段しかないせまい場所に小さな美術館をむりやり押し込んだから、見づらいし、豊富な史実を裏付ける資料が展示できない。大阪城は、ゴジラ映画のセットで踏み潰されるだけの役回りとなってしまったのだ。
大阪の財政は、貧乏のどん底にあえいでいるが、大阪城というかけがえのない歴史モニュメントを見直し再建できればと思う。

そういうわけで、上方講談師たちのトークショー「家康をののしる会」は、あきずに続けてほしい。(「ののしる」を、こてこての大阪弁では、どういえばよいかな?)

「大阪城を滅ぼした家康を見返すキャンペーン」は、ユーモラスに前向きに考えると、おもしろいのではないか。活性化のてことして、権現様を活用させてもらおうやないか。
大阪城落城の壮大なドラマは、その阿鼻叫喚のさまが大阪夏冬の陣の屏風絵に活写されている。国宝だか無形文化財の屏風絵に、兵士ひとりひとり、ぎっしり描きこまれた徳川豊臣両軍の合戦模様は、ハイビジョンで拡大してみると息を呑む。

この絵巻物のような光景を、京都の「時代祭り」をしのぐ一大パレードにしたら、どうだろう。
行列のコースを、型破りだが、東西の大川沿いにとろう。
京橋から八軒家遊歩道(京阪の中ノ島新線の地上にできるはず)を通って、市役所前から、東西に抜ける。御堂筋ではなく、東西を貫いて練り歩くのだ。
行列の主役は、淀殿、秀頼をはじめ、木村重成、後藤又兵衛、真田幸村など、いずれ劣らぬ、それこそ講談でおなじみのそうそうたるスターの顔ぶれだ。出自の不明な「御堂筋パレード」よりは、スジが通っていると思うが。

どうだろう。いいアイデアだ。パレードには、家康公にも加わっていただく。戦後も、じっさい数回行われたらしいが、京都の時代祭りと違って、盛り上がらずぽしゃってしまい、大金を投じてととのえられた具足甲冑などは行方不明という。もったいない。大阪らしいちゃらんぽらんのお粗末の顛末だ。

投稿者 nansai : 13:04

2006年11月22日

十一月二十二日(水)

教育とは、天職探し?
教育が、ひときわ、声高く論じられている。愛国心は、さておこう。
一生を通じてみれば、教育は、自分自身が、農夫のように、自らの経験という畑に知恵と知識の種をまき、育て、収穫することだと思う。

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かえりみて学業に倦み怠惰であったぼくである。学歴が、なんぼのもんじゃとえらそうなことは、とてもよういわん。
だが、生きてゆくための学びは、自己責任だし、基本は、自学自習。ぼくの文章も絵も、どなたさまか、人様のみようみまねである。
あらゆる動物と同じく、子が生き抜けるように、親は、その手助けをし、親のルールで、幼いときにしつける。

学校教育は、その一環にすぎないと思う。
優れた指導者(もし、めぐり合えたらすばらしい)は、その種をまく心構えを教える人ではないか。社会に立ち向かう姿勢を教える人ではないか。
明治の元勲たちの学んだ松下村塾で、吉田松陰が門弟に教えた期間はわずか数年だった。革命期に、門人たちは、自分で自走して学んだのだ。「青年よ大志を抱け」のクラーク先生も札幌農学校で教鞭をとったのは、たった八ヶ月だったという。

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問題は、受験という制度である。人の能力を査定するのに、中国の「科挙」の制度が、現代にそのまま生き残っている。いい知恵がないのだ。
633の三つの「ふるい」にかけて段階的に、学力の格差を査定する。最終学歴で、ということは、十八才で合格した学歴で、ひとの将来の人生の開発能力を便宜的に、判断し査定してしまう、世の風潮に乗じている。
今の教育は、とうとう有名大学を究極の目標とする受験対策技術に落ち着いてしまったのではないか。なかなか精緻な技術のようである。

これからのこどもたちの人生は、超多元多様多種競技のオリンピックである。ふつうの子には、ぼくがそうだったように、パラリンピックかもしれない。
そんな人生オリンピックで必要なのは、有名校を目指す受験対策技術の習得だけではないはずだ。
競技種目をもっと増やし、選択の幅をひろげることだ。多種多様な、若い人の生きる可能性を計る「ふるい」がたりない。ふるいの網の荒さが、かたよっている。いそいで「ふるい」の数を、もっともっと多種多様多段階に増やす必要がある。
有名大学を頂点とする受験科目の「履修」習得は、暗記力のすぐれた秀才にとっては、おそらく、へでもないだろう。全体の3%くらいだろうか。
大多数の普通の子には、生きてゆくのになんの役に立つか判然としない科目は、興味がわかないから、学習に負荷が懸り過ぎて、ちんぷんかんぷん、身が入らないのは当たり前だ。

いまの教育は、選別される技術の習得に過ぎない。
受験で人の能力を選別するが、それはなんのためか。一国をリードするエリートたちの選抜。それは、いいだろう。
その他大勢(ぼくがそうなのだが)にとっては、教育とは、なにか。
二十一世紀、このせちがらい競争社会にあって、教育とは、おのおのがなんとか自分の能力に応じて、社会で生きぬくための技術と知識を習得する可能性を発見し、はぐくむ場と機会でなければならない。
それに民主国を維持してゆくための市民。または有権者としてのモラルと常識も身につけてほしいものだ。
スポーツになぞらえれば、のぞましいのは、ゴールがあちこちに無数にある生き残り競技だ。参加できて、さまざまな表彰台に、自分が立てる。めいめいがそこそこの幸せの栄冠を自分にわたすオリンピックだ。自分ひとりしか参加しない競技もあるだろう。数多くの学び手がひしめき合うのだから、ある種のパラリンピックでもあるのだ。

能力格差は、あってあたりまえだ。
教育を、学力でなく、スポーツにたとえるとわかりやすい。競い合う運動能力の格差は、生まれながら歴然としている。
生来のDNAの差もある。幼いころからの特訓も誰もが宮里や松坂や高橋になれるわけでないのは、幼稚園段階で納得できる。受験で選別される学力競争も、全体の5%くらいの層は、だまっていても、ゆうゆう予選通過し勝ち抜けるだろう。

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問題は、大多数の、普通の子だ。ぼくのように。
教育の最終目的を、いい大学に受かることと、親も教師も思いこむことが、もろもろのきしみとまさつをうんでいる。
このせちがらい21世紀の競争社会では、格差はますますはげしくなるだろう。
とすれば、教育の最終目的は、この格差社会に生き抜く手段、つまりそれぞれの能力に応じて、食べてゆける職業か技術に出会う手助けをすることではないだろうか。
単に食べてゆけるだけでなく、できれば、そのひとだからできる、満足できる仕事、職業につきたいものだ。それは、その人にとっての「天職」である。
教育とは、つまり「天職探し」ではないだろうか。
だれもが勝ち抜きたいと願う受験戦争と一線を画した、はみ出したところにも、天職に出会う機会がころがっているはずだ。そして、一生かかって、天職を探す人生もあるかもしれない。

わが国の教育制度も、おそまきながら、受験対策にそれすぎた方向から、もっと、多種多様多元のパラリンピック競技種目に対応できるよう軌道修正されてゆくのではないか。少子の時代、大学が経営不振に陥っている今が、改革のチャンスだ。

いじめこそ、教育のひずみときしみに起因していると思う。教育の仮目的と化した、ゆがんだ受験戦争の裾野が小学校までひろがり、ふつうの人生でさほど意味のないはずの学力格差で差別される。その反発からいじめと校内暴力が生まれた。幼い戦死者が出始めている。いたましいことである。

投稿者 nansai : 18:09

2006年11月17日

十一月十七日(金)

「ご迷惑かけてすみませんね」標識

このあたり、あちこちのマンションなどの工事現場で、「ご迷惑かけて、もうしわけありません」の標識が目に付く。作業員のおっさんが頭を下げている図だ。

テレビで昨今よく目にする企業のエラいサンやセンセイがたの「申し訳ありませんでした」のいっせいお辞儀と似たポーズだ。
でも、工事現場の場合、上からモノが降ってこないかぎり、まだ先走ってあやまらんでよろし。

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このおっさんのお辞儀のポーズを描くのには、技術が必要だ。前かがみの姿勢を二次元で表現するのは、しろうとのぼくのように正規のデッサン教育をうけていないものには、至難のワザなのである。
試みてみたがうまく描けない。へたくそ。

世界の工事現場で、このような標識は、みかけることはない。おそらく日本独自のものだろう。将来、世界の美術館のコレクションの対象になるのではないか。そして、どんな目的でこのような標識が使用されたかが、論争のマトになるであろう。

投稿者 nansai : 15:53

2006年11月14日

十一月十四日(火)

オランウータンもすなる?お絵かき

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名古屋市の東山動物園で、チンパンジーやオランウータン、ゴリラ、ボノボ計十六匹が描いた26枚の絵の展覧会が、開かれていたらしい。残念ながら、かれらの力作にお目にかかれなかったが、けさの朝日新聞の「天声人語」で、つぎのように紹介されていた。

子供のいたずらがきのようなものもあれば、巨匠の抽象画のようにみえないこともない作品もある。油絵や水彩、クレヨンなど、手法はさまざまだ。色も自分で選ぶ。大胆な線を得意とするものがいる一方、点描に執着するものもいる。担当者は「それぞれ個性があり、作風がある」と話す。大型の類人猿はだれでも絵を描くことができるそうだ。専門家によれば、人間の2歳児と同じぐらいのレベルらしい。

東山動物園では、飼育員が、オランウータンの出産後の気晴らしに手本を見せて教えた。いまではクレヨンと紙を与えたら、自分で手に取り自由に色とりどりの線を大胆に描くようになったという。癒し効果がありそうだ。
ちなみに冒頭の絵は、同じく霊長類の一員であるぼくが描いたものだ。画用紙も絵の具も使わず、くるくるこちょこちょマウスを動かした。おかげさんで文明の恩恵を受けている。

ぼくの経験からして、人間さまの情緒不安定とか、うつにも、お絵かきは効くのではないか。産後のオランウータンのように、何も考えずに描き散らしても、気が休まるところがある。何をしてもむなしいとき、暇つぶしと気晴らしになること、うけあいである。
ぼくの場合は、何を描こうかと考えるのも楽しいが、描き散らした絵の破片、かたちにしそこなった描きさしのようなものを、まったく脈絡なく、マイドキュメントとマイピクチュアに放り込んでおく。忘れたころに、ひょいと取り出して、この破片に手をいれてゆくのが、楽しい。植木の手入れみたいで、気持ちが休まるのがふしぎだ。

投稿者 nansai : 12:18

2006年11月10日

十一月十日(金)

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アメリカの中間選挙を今回ほど身近に感じたことはなかった。イラクが、最大の争点だったからだ。
民意は、政府のイラクへの対応に対して、全米で、ノーと出たようだ。
ブッシュ政権が、上下議院で、民主党地すべり的な敗北を喫したあとの、対応がすばやいのに驚いた。
手のひらを返すように、すぐさま、腹心の国防相を更迭し、次期下院議長となる野党の女性議員と昼食の予定を取り付け、今後の議会との協調体制を話し合うというのだ。

選挙による民意の受け止め方が興味深い。長引く複雑な問題に対して、選挙による民主主義のひとつの解決策を垣間見た気がする。
選挙により、政策に、民意が多数決で反映される原則がある。それにより、政府方針の見直しが可能なフレキシブルな仕組みも大切であろう。

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それよりもなによりも、アメリカでは、戦時下でも、戦争に反対する自由が、曲がりなりにも、保障されていると感じた。

戦時中の日本では、どうだったのだろう。半世紀以上前を思い起こしてみよう。
今とは制度が違うとしても、選挙で、つまり民意で、戦争をやめさせることができただろうか。三百万人が死なずにすんだのに。

国家が、愛国心、非国民などの思考停止用語と、治安維持法で、かりに厭戦気分があったとしても、民意を取り締まり圧殺してきた。民意も、大政を翼賛していたのだ。北朝鮮の現在とかわるところはなかった。
共産主義をおそれ、国体を護持するための皇国史観による教育は、当時のぼくらの全身にしみわたっていたからだ。
東洋平和のために、鬼畜米英と戦っている。戦争反対など、とんでもない考え方で、戦争末期には、一億総武装が閣議決定され、竹やり訓練が実施された。
最後は、一億玉砕してまで、「国体」を守れという政府方針を、新聞がつたえたが、国民は反対の声をあげることもなかった。国体を護持するために戦う軍隊は国民を守ろうとしなかった最近ようやく証言されるようになってきた。
しかし、もし、あのとき、戦争継続か否か、国民投票がおこなわれていたら、当時の雰囲気では、どうなっただろう。
焦土と化した本土には、女性にはまだ投票権がなかったし、老人の有権者の比率が高かったろうが、あのころのムードなら無記名の投票でも、本土決戦を支持し、戦争継続に一票を投じた国民が多かったのではなかろうか。
日露戦争の後の日比谷焼き討ち事件にみられた民衆の国家主義的な発想は、外界の豊富な情報をめぐって議論できる場がないと、ヘンな方向に向かうし、権力はそれにドライブをかけるだろう。
当時、中学生のぼくはもちろん選挙権はなかったが、戦況の実態も日本をめぐる世界の情勢について何も知らされていなかった。テレビはなかったし、新聞は大本営発表の事実無根の提灯記事をそのままのせた。

民主主義も自由も、きいたこともなく、きいても概念が理解できなかったろう。これも、北朝鮮の人々と同じ状況だ。
なにしろ、滅私奉公と教えられたのだ。己をむなしくして、国につくせ、ということだ。御民われ、大御心に帰一奉ることで、命を惜しんではならない。不惜身命とか、この手の四字熟語なら、少年のぼくは耳にたこができるほど聞かされ覚えていたものだ。
国民の情報判断レベルは、メディア状況が決定するが、常識というか教育の問題でもある。
世界史をふくめて、日本人の常識の「履修」はどうしたらよいのだろう。
選挙が国政にただしく機能するためには、棄権防止も大事だが、選挙民の判断力の「履修」が必須である。
政党が人気取りだけのためにたてた有名人候補を、なめたらあかんで、と拒否するのは、有権者ひとりひとりの常識という判断力だ。
高齢者時代の日本の選挙は、これからどうなるのだろう。無関心な若い者と、爺さん、ばあさん、それに無党派を自認する棄権者たち。

アメリカの中間選挙の結果をテレビで見て、六十年前の日本の悲惨な状況に思いが帰っていった。

投稿者 nansai : 13:20

2006年10月31日

十月三十一日(火)

赤いケシの花のバッヂ
けさ衛星放送でBBCニュースを見ていたら、キャスターもチャールズ皇太子も、襟に赤い徽章を挿しているのに気づいた。

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これは、真っ赤なけしのペーパーフラワー。英連邦各国で、二度の世界大戦の戦没者を弔う日のシンボルとのことだ。
ダークな服の襟にさりげなく挿してあるのは、おしゃれな感じだ。赤い羽根よりは。
十一月十一日が、REMEMBERANCE DAYに制定されている。忘れてはいけない日、とでも訳せばいいか。けしの花はその日のシンボルとされているらしい。
十一月十一日十一時に、二つの大戦の戦没者を悼んで二分間の黙祷をする。英国では、べつに「忘れない日曜日」が十一月の第二日曜日と決められて、こちらがメインだとか。
日本では、首相が、靖国神社に参拝するかしないか、でもめている。追悼施設も、もつれにもつれた特定の場所にこだわることはない。発想を変えてはどうだろう。
日と時間を決める。その日どこにいようと、国民がこうべを垂れて、今度の大戦の戦没者を、もちろん軍人だけでなく一般市民をふくめて、追悼する。シンボルには花がいいが、菊はなじまないと思う。

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なぜ、英国では、戦没者を弔うのに、赤いけしなのか。ネットで調べてみた。「フランダースのけし」という第一次大戦で戦死したカナダの軍医が作った詩からとられ、いろいろないきさつをへて出版され、いまでは詩の一節がカナダでは、子供たちに暗誦され、切手やお札にとりいれられている。
在郷軍人会が強力な後押しのキャンペーンをはっているようだ。
昨年の戦勝記念日には、六十年前の終戦を記念して、百万本のケシが、爆撃機から、イギリス皇室の見守る中、二十五万人の市民の上に投下された。

整然と構築されたBBCネットには、このような昨年の記事が色刷りで、数回クリックすれば、アーカイブからすぐでてくるのだ。

わが国の歴史教育の根底には、膨大な史実のアーカイブが必要だ。それはネット上にしか構築しえない。
なによりも、戦争の記録をネットの上にしっかり記録し、いつでも参照できるようにしておくべきだろう。
そうすれば随時日本だけでなく世界の文明や歴史の流れが誰にも学べる。歴史認識が危ぶまれている総理大臣にも、受験のため履修の機会が失われた高校生にも、主婦にも高齢者にも、もちろん世界中の日本史研究者にも、役立つはずである。
史実アーカイブ構築は、国家プロジェクトだ。NHKの大事な仕事になるだろうし、究極の知的公共事業である。

投稿者 nansai : 14:36

2006年10月30日

十月二十七日の二

新庄劇場
日本ハムが、あっさり中日を下して、日本一となった。
目立つsinjyoは、札幌ドームで、社会現象となり、盛り上がった北海道では、試合中継のテレビ視聴率が70%を超えたという。
日本シリーズが、涙の新庄ショーとなり、予期せぬ引退試合になった。ぼくは、あっけにとられ、かれの白く輝く歯のイメージを、谷岡ヤスオの「アサー」バージョンを借りて、あらわしてみた。

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「新庄劇場 大団円
44年ぶりハム日本一」
今朝の毎日新聞の一面(スポーツ欄ではなく)の見出しである。驚いたことに、三段抜きのカラー写真は、新庄選手の(監督のではなく)胴上げシーン。

テレビでは、今季限りで引退する新庄の涙、涙でくしゃくしゃになった顔のアップが望遠レンズでとらえられ、繰り返し写し出される。
何もかも異例ずくめである。
観客席のあちこちに「新庄ありがとう」のプラカードが。翌日の各番組は、新庄語録のオンパレードだ。プロ野球に身を投じて17年間の言動を事細かに報じている。それも好意的に。
早々と引退を表明したが、まさか日本シリーズに出られるとは、本人もおもっていなかったにちがいない。
恐ろしいほどの強運の持ち主だ。からだに気をつけなければと、本人もいっている。

ぼくは、マスコミの「感動ありがとう」の大合唱には、鼻白むものである。
かれは、攻守走の天性の身体能力に恵まれた有能選手であり、ここでなにかをやってくれそう、という意外性への期待は、打率三割にははるかに届かないにしても、かれ独自の魅力だった。
天性のコピーライターである。当為即妙のとっさの(考え抜かれたのかもしれないが)一言が、バツグンの「間」で、意表をつき、見出しになった。
「がんばりますから、応援よろしくお願いします。」など、選手が言うせりふではないとも。

しかし、かれが引退の理由として、あげたのが、
「開幕戦に、さっぽろ球場を4万人の観客でいっぱいにできたから、自分の役割はもう終わったと思った。」でも、それは、野球選手の役割としては、ちょっと違うのじゃないの、と思ったのだが。
早実の斎藤投手とは、好対照だ。こんな日本人離れした野球選手は、二度とでてこないだろう。

投稿者 nansai : 13:47

2006年10月27日

十月二十七日(金)

笑うイノシシ。笑っている場合か?

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北朝鮮の核の脅威は、ひとまずおいて、とりあえず、いざなぎ景気を超えたとか、天下は泰平である。
新年の干支のいのししにちなんで、年賀状の作り方が、テレビ、新聞をにぎわせ始めたようだ。

ぼくもこつこつ描きためたイノシシ諸氏像をマイドキュメントから一挙公開しよう。
例年出す当てもないのに、おびただしい数の、マウスで描く年賀状のアイデアを考えるのが、ぼくのひそかなたのしみである。ばかのひとつおぼえのペイントででのはしり描きだ。紙も絵筆も絵具も使わない。
ブタでもトりでも、描くお題はなんでもかまわない。独りよがりだが、上質の!?ユーモアがモットーである。
テーマは、「笑うイノシシ」とした。

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怖い顔で通っているイノシシを嫣然と微笑ませると、どんな顔になるか。まずは、ビフォアとアフターで。

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以下は、思いつきで、リカちゃん人形の着せ替え式に変化させてみよう。

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こんな調子で、いちびればきりがない。いろいろ変化させて、ことしお世話になったご近所のお店にも敬意を表して。

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きわめつけは、隣のイタメシ食堂のための極秘アイデアだ。お正月に、えとのイノシシのステーキを食おうというのだ。ま、牡丹鍋もいいが、年の初めに豪儀にトリノ風おせちステーキはどうだ、というわけ。    

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いろいろあって苦虫をカミつぶしながら送る日々だが、ハッピーニューイアを願って、イノシシ君の笑顔に乾杯。は、どうかな?。


投稿者 nansai : 13:27

2006年10月24日

十月二十四日(火)

これが、「リトルボーイ」と呼ばれた、人殺し核爆弾である。現物を、この目でみたことはない。ウイキペディアの写真を見て描いた。全長3メートル、重さ5トン。昭和二十年、四発のプロペラ式の爆撃機に積まれて広島上空600メートルで爆発した。

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瞬時に広島は溶解壊滅し、死者12万人、負傷者8万人。6万軒の家屋が全焼全壊した。

食うや食わずで開発された北朝鮮の核の威力は、どのようなものか知らない。破壊力は、半世紀以上も前のリトルボーイとはくらべものにならないだろう。
北朝鮮は、核実験後自らを「堂々たる核保有国」と名乗っている。

しかし、平和な21世紀のいま、核は、脅しにしか使えない。日本に照準を合わせているらしいが、脅して何を得ようとするのか。これからどのようにして、国がメシを食っていこうとするのだろうか。
国というからには、いつまでもギャングや暴力団のようにはふるまえない。
「近寄るな、ヒロシマのようにしてやるぞ」
と、わめきながら人質のコメカミに銃口をつきつけるのも、つきつけられるのも、おたがいにくたびれるし、しんどいから長続きしない。
いったい、どうしてほしいのだ?
資源もないらしいし、武器で脅してでは、世界に伍して、競争しながら、国民が食べて行くことはできない。

ぼくは、戦前の日本の焦りを思い出す。
資源のない日本は、軍部が主導権を握り、破滅に至る国策を、窮鼠が強引に画策した。満州国の建国では、安倍首相の祖父も、関東軍と協力した。
日本は、自国の貧しい農民を食わせるために大陸に押し出し、激しい抵抗に遭い、世界の非難を浴びて国際連盟を脱退した。石油、鉄の禁輸をくらって、南方の油田に進出しようとし、開戦。挫折のあげく、300万人の犠牲者を出し海外資産をすべて失った。
当時の国策は、大陸に進出して、ソ連の脅威から国を守り貧困にあえぐ国民を、繁栄に導くはずだった。が、あわれ、戦争の大義は「国体の護持」のみにしぼられ、どたんばでは、国民ではなく国体を救うために、戦い、降伏した。「身捨つるほどの祖国はありや」。そのために300万人の命が失われたのだ。
この期に及んで、一億玉砕が叫ばれた。政府は、「一億総武装」を閣議決定し、原子爆弾など知る由もない国民に「竹槍訓練」を命じた。

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槍と呼ぼうと、竹は竹である。削ってもあぶっても、近代戦で敵が殺せる武器に使えるはずないのにである。

国体護持に、当時の政府は狂ったのだとしか思えない。陸軍は、最後まで、天皇を擁して、地下大本営に籠るとして、徹底抗戦を唱えた。

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2.26当時の青年将校たちも、みなが国を憂えていたのだろう。しかし、満州を勝手に一方的に「日本の生命線」とするなど、「皇国軍人」のエリートたちは、誤った優越感のあまり、視野が狭窄し、偏狭のそしりをまぬがれなかった。世界のなかで、おのれの限られた力を知り、生き残るための長期の戦略が、大和魂でなく常識が必要だった。
戦争ではなにものも解決できないし、精神主義では勝てないことを、当時の軍部主導の政治は、国民を巻き添えにしながら、とうとう最後まで理解できなかったのだ。

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北朝鮮の「先軍」政治は、軍国日本がたどった破滅への道をトレースしているようにみえる。重大な悲劇に終わった前者の轍を踏んでほしくない。土壇場では、軍が主導する政府は、常軌を逸すどころか、死にもの狂うものだ。

「先軍」という国是は、カネ食い虫そのものではないか。そもそも軍は、国民に兵隊の給料以外にはメシを食わせてやれないのだ。北朝鮮では、ぼうだいな軍備も、兵隊の給料も、どこから手当てするか。

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軍需産業は究極の巨大公共事業で、これに独占的に絡めば企業はもうかるのは常識だ。
「軍産協同体」が国を滅ぼす、とアメリカ国民にきびしく警告したのが、軍人出身のアイゼンハウアー大統領だった。八十年代、かれは職を去るに当たり、遺言のように言い残した演説が、youtubeできくことができる。
軍需産業と軍がグルになったとき、今のアメリカがそうだが、歯止めが利かず、こわい。北朝鮮はどうなっているのだろうか。
いまの北朝鮮の産業は、世界の競争の圏外に落伍してしまった。核で脅しても追いつけるものではない。
先進国が非合法で製造できない製品?しか輸出できない。覚せい剤、偽札、偽タバコなどのだ。核爆弾を1トンくらいに細切れにして、小売りする国際的闇ルートはできるのだろうか。やりかねないし、恐ろしいことだ。

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これは、コードネーム「太っちょ(ファットマン)」という核爆弾だ。昭和二十年、長崎に落とされ、7万4千人の命を奪い、7万5千人を負傷させた。

核の恐怖で脅しても、国は、メシが食えない。核をふりまわすことはやめてほしい。だが、北朝鮮は、国として、これから、どうやってメシを食ってゆこうとしているのか。

大きなお世話だろうが、ぼくは、教育を受けた人材の輸出だと思う。
インドやフィリピンのように。IT、介護など。先進諸国は、世界は熟練労働力をほしがっている。

ブラックな話かもしれないが、訓練された身体強健な兵隊さんは、輸出できるようになるだろう。
21世紀は、先進国では、徴兵制は徐々に崩壊するだろう。古代ローマのような傭兵制がしかれるかも。
今後とも世界各地の紛争がおさまるはずないから、国連の平和維持軍には、国境を越え人材供給されたプロの兵隊さんが、肩代わりされてあたることになる。現在のイラク戦線では、米軍では間に合わず、民間委託された戦闘要員が2万名もいるといわれる。
世界の紛争対策は、国連認定の請負いの公共事業で、治安維持の兵隊は義務でなくプロとしての技能と給料で動く。民主主義体制下なら、徴兵はおろか、国土防衛以外の海外派兵の大義をみいだすことは、今後、むつかしくなるだろう
そのうち、北朝鮮から輸出された兵士たちは、世界の国情に学び民主主義に触れながら、海外で報酬を得、国元に送金できるのだ。首領様はいい顔をしないだろうが。

投稿者 nansai : 11:47

2006年10月20日

十月二十日(金)

I have a dream!
ぼくのゴルフの成績はひどいものだが、ゴルフの絵のほうは、このところ我流ながら上達した。と思う。(かくべつ認めてくれた人はいないが、こういうのを自画自賛という。)

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いい年をして、ぼくは、藍ちゃん、あの宮里選手のファンである。どうしたら、身長150センチちょっとの小さなからだで、あのように遠くに正確に飛ばせるのか。あやかりたいが不思議に思っていた。やはりきびしい練習のタマモノなのか。
ある日、本屋で、いい本をみつけた。タイトルが泣かせるではないか。
「小娘たちに飛距離で負けないための授業」というのだ。857円。
腰巻のコピーには、
「小娘たちに飛距離で置いていかれる情けないヤツになるな!物理の力で、宮里藍を抜け!」
と、やけにいきおいがよい。これは、ぼくのように情けないヤカラには効くかもしれない。
著者は、身長160センチでラクして飛ばす画期的方法論の持ち主と紹介されている。岩手大の教授で、物理を優しく教える専門家らしい。

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表紙にカエルの漫画が描いてある。そのココロは、
「ゴルフのスイングは、カエル以上の頭脳を必要としない。(英国のゴルフスラングより)」。
ふうん。ぼくは寡聞にして、はじめてきいた。

ところが、薄っぺらな新書版だが、ひもといてみると、理論?に歯ごたえがあり、ぼく得意の飛ばし読みでは、目からうろこどころか、ほとんど理解不能だった。
マンガいりで解説してもらっても、ニガ手の物理は、さっぱりわからん。悲しいかな、ぼくの頭脳はカエルなみかもしれない。そのうち、ゆっくり再チャレンジしてみよう。

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こんなぼくにも、夢がある。
夢といっても、身の丈サイズのつつましいものだ。
ぼくの入っているゴルフクラブで優勝したいだけである。それも下手ばかりのDクラスの月例競技でだ。そんなに、だいそれた願望ではないはずだ。

なにしろ、ぼくは、これ以上?もう下がないというハンディ40である。しかし、落ち込まずに、ものは考えようだ。ドンケツのこの位置は、優勝のための最優先席ではないか。ハンデはそのために定められている。
110を切れば、ひょっとしたら、可能性があるかも。
いつものように100ヤード以内で自滅せず、ふつうに回れば、楽勝のはずなのだ。

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いつも120以上たたく、ということは、100ヤード以内のグリーン周りの事故が多発していることだ。
やっとたどりついたグリーンまで、あと100ヤード。
「よおし」というところで、なぜか、きまって、トップしたりダフったりする。ひどいときは、斜め右へシャンクだ。先日はライナーで友人を直撃しそうになった。すんませーん。
グリーン寸前でボールが力なくバンカーへよろよろと転がり込むことも、しばしばである。入れば、そこはアリ地獄である。たたけども出ない賽の河原だ。
ボールが刃先に当たると、ホームランでトンでもないところへ。

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ある日の午後、近くのコンビに入ると、おでんの横の雑誌売り場に、もう答えがちゃんと売られていた。
「500円でゴルフがうまくなる」シリーズだ。
アプローチマニュアルなど、苦手のフェアウエイウッド、ドライバー対策本、テーマ別に、下手につけるクスリがいろいろ置いてあるではないか。
物理のリクツはわからんが、こちらはわかりやすい写真いりだ。もう飛距離で小娘に負けてもいいから、アプローチで、なんとか失点をふせぎたい。

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ずいぶん願いが、現実的に、小さくちぢんできている。
練習はごめんこうむって、500円で、優勝なら安いものだ。
いよいよ、今週の日曜日が、競技の日だ。

投稿者 nansai : 12:59

2006年10月17日

十月十七日(火) 

開戦前夜に、年賀状を考える

「開戦」、ドでかい大きな見出し。そして「準備」と小さくそえてある。駅のキオスクで買った夕刊紙によると、ぼくたちは、もう北朝鮮の核の人質になってしまったとある。
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開戦前夜、とは、えらいことではあるが、本屋の店頭では、早くも、年賀状の作り方の本が山積みされている。来年のえとにちなんで、いのししの絵の描きかた手本もふえた。
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ぼくの賀状は、もちろんマウスを操ってペイントで描く。
寄る年波で、賀状を出す先は、年々細ってきている。が、出す当てはなくても、オリジナルのアイデアをひねり出し、ぼちぼち描きためるのはたのしいことだ。
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愛嬌のあるイノシシ君を百面相にみたてると、たくさん描ける。
パソコンの年賀状は、ちょっと毛嫌いされているようだが、印刷とちがって、あれは融通がきく。プリントする前に、一枚一枚、絵も文字も、出す相手に応じて差し替えられるからだ。顔をみながらごあいさつできるから、心が伝わる。

イノシシは、元来いかつい顔つきと思われているが、御慶を申し述べるのだから、印象をよくするために、微笑みをうかべてもらった。ハイ、チーズ。

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日本の年賀状は、十二年ごとに干支の動物のモチーフが変わりバラエティがたのしめるのがいい。クリスマスカードとは、違うところだ。
来年のえとは、イノシシである。年の初めのめでたさを、なんとかイノシシにこじつけるわけだ。

ぼくが会員になっている名門とは言いがたいゴルフクラブは、関西独特の山岳コースだ。斜面のあちこちにイノシシ駆除?のための電線がはりめぐらせてある。
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山すそに、せまく細いフェアウエイがへばりついている。夜陰に乗じてイノシシは山から降りてきて、フェアウエイの真ん中を、あのハナ息でふんふん掘り起こしてしまう。どうもミミズが狙いらしい。で、ゴルフの友には、こんなのはどうかな。

こじつけるのは、おもしろい。うけない親父ギャグみたいなものだが。
獅子舞いがあるのだから、イノシシ舞いはどうだ。といった具合である。
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しかし、どこかで見た顔になったぞ。そうだ、キリンビールの麒麟そっくりになってしまった。
ついでに、スーパーマンだ。イノシシ・バージョンだ。
と、こんな風に、ワル乗りにはきりがない。
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投稿者 nansai : 11:03

2006年10月11日

十月十一日(水)

タイガース、あかんかった。
昨夜、中日が、リーグ優勝。延長12回満塁本塁打で巨人を破った。日本一をめざして、まずは、おめでとう。

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朝日は一面で「オレの目にも涙」。うまい。駄洒落に弱い同紙にしては、秀逸だ。
ふだんクールな落合監督が、感極まったか、厳しい練習に耐えついてきた選手をたたえ、涙したのを始めてみた。
オレ流をつらぬいた監督はいう。この世界は練習した人間の勝ちなんだ。今年は「高校野球」をずっと続けた。ランナーがでたらハンで押したように、バントをさせたと。年間150以上。動くことを好まないオカダとは違う野球哲学だ。
しかし、「阪神にあそこまで追い込まれるとは、正直、思っていなかった」そうだ。

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阪神は、終盤粘って存在感をみせた。
どたんばに、先発投手陣のふんばりがチームをひっぱった。右肩に異常を訴えていた藤川が、お立ち台で涙を流してから、10月8日巨人に敗れるまで23勝5敗、勝率8割を超えたのは立派。

が、眼下の敵ドラゴンズにあまりに負けすぎた。
なんと6勝14敗1分。これでは勝てない。王道野球をかなぐりすてての猛追も、遅きにすぎた。
猛練習に鍛え上げられた中日野球のヒットエンドランあり、スクイズあり。次の塁を果敢に狙う走塁になすすべがなかった。
鬼門のナゴヤドームでは、未曾有の1勝10敗。完敗だ。

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後の祭りだが、山場の計算を間違えた。終盤のように、なりふりかまわず、ローテーションを崩しても、むしゃぶりついても、連敗を阻止すべきだった。
負けがこむと、どうしても選手は固くなる。連敗しても、泰然自若をよそおったのは、だれの責任か。
前年度優勝のプライドからか、マイペースを崩さず、原因を究明せず、カイゼンをおこたった。手ごわい相手を侮り、無策に過ぎた。犠打など細かいプレーが中日よりおとっていたと新聞は指摘している。
負け続くドームとは相性が悪いとして、岡田監督は、宿舎を変えようと球団に提案したらしいが、見当ちがい、コソクである。

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選手たちは、甲子園を興奮で満員にし、最後までよく戦った。そう、木口小平のようだ、というと、あまりに古色蒼然、まわりのだれにも通じなかった。
えらいぞ。よくやった。
せめて来年に向かって、選手をたたえて、吼えよう。負け犬の遠吠えとも、「獅子吼」とも違うなあ。この絵をみて、なんだか猫に似ているというやつがいたが。


投稿者 nansai : 15:04

十月七日(土)

四角な名月。 nansai061011-51.jpg 夜中にトイレにたつと、おりしも中秋の名月。暗い二階の板の間に、天窓から差し込む月の光が、そこだけ、四角なざぶとんのように、スポットライトだ。 「名月や。」句作の天分に恵まれていれば、寝ぼけていても、たちどころに名句が生まれるところなのだが。

投稿者 nansai : 14:59

2006年10月 5日

十月五日(木)

ひさしぶりに東京に出て、用事を済ませ、街角の看板やショーウインドウなどを、ただめずらしくおもしろく、「路上観察」よろしくデジカメでやたら撮りまくる。この歳でも気分が高揚して、夕方の新幹線に乗る。
弁当は買わずに、ワインを赤白二本(ミニ壜だが)。まるでお神酒徳利だ。千円札でおつりをもらう。FIVE MILE HOLLOWは、れっきとした名のあるオーストラリア産。これは安い。

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窓際の席に腰を下ろして、ぺこぺこのプラスチックのコップにワインを注いで、さてと、キオスクで買った「週刊ゴルフダイジェスト」を開く。
あこがれの藍ちゃんの表紙にひかれたのではない。
お目当ての特集は、「ツアープロのSW作法」だ。
副題に、「ハイレベルだけどまねできる」とある。

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これやがな。さんざんサンドウエッジで苦汁を舐めてきた。ぼくのための内容にちがいない。
ハンデ40のぼくにとって、ゴルフのたのしみは、読むことにある。練習よりは、らくだもんね。

打点をずらした「死に球」がピンチを救うとか、読んでも、ちんぷんかんぷんだが、アメリカのツアーで敗退したプロの苦労話が教訓になっていて、ためになった。
読んでも練習はしない主義だ。雑誌で得たうろ覚えの教訓を、本番で突然思い出しては試みて、毎回ひどい目にあっている。くりかえして懲りないところが、われながら、情けなくも愉快だ。救いようのないテストハビット、ためし好きというのだそうだ。

ゴルフダイジェスト誌の編集陣はなかなかの知恵者で、そんなぼくのための特集も用意していた。表紙に、虫眼鏡でもないと読めないように?豆粒のような字で小さくのっている。いわく、「脱ビギナー、110切り講座」。
「同伴プレーヤーに迷惑をかけないプレーヤーになろう」だと。
この役に立つ特集では、雑誌は売れないのだろうなあ。330円なら安い。ためになって、たのしめるのに。うまくなるかどうかは別の話だ。
「或る日、突然、飛ぶようになるゴルフの不思議」という特集予告がのっている。「或る日」か。これも、いいなあ。

ふと気がつくと、隣の座席の黒い背広を着た若い人が、ノートパソコンを打っている。酔眼をこらして見れば、字は読めないが、おっ、縦組みではないか。うれしくなって、「縦組みですね」、と話しかけてみたが、乗っては来ず怪訝な顔をされてしまった。日本文学畑の人らしい。すみません。おじゃましました。

投稿者 nansai : 11:41

2006年10月 2日

十月二日(月)

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一夜明ければ、全滅である。この一両日で、勝手にぼくが肩入れしていた選手、チーム、馬は、ことごとく敗退した。
阪神、ガンバ、藍ちゃん、ディープインパクト。関西びいきのぼくが、よくわからないくせに、テレビ新聞の報道に煽られていただけなのだが、残念。
勢いのある阪神は、中日とまだ一試合残している。
一縷の望みがないわけではない。

投稿者 nansai : 17:38

九月三十日(土)

ありがとう今岡
魂の復活走者一掃二塁打(デイリー)

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男や!今岡代打満塁一掃打
大逆転見えた虎9連勝(サンスポ)
今岡復活ついに2差(スポニチ)

今朝、いそいそと、キオスクで、スポーツ新聞各紙を、買い集めポリ袋にいれてもらって、とりあえず、ささやかな幸せ気分だ。(今夜はどうなるかわからないが。)
雄たけびを上げ走る今岡選手は、デイリーの一面から模写?したもの。カメラマンの名は不明。(ぜんぜん似ていないから著作権はご勘弁を。)

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昨夜は、岡田監督のカンが冴えたと各紙ほめちぎるが、あれは、ひらめきではなく、経験からくる深い読みがあたったのだ。左打者がカットボールにてこずって、川上ケンシンを打てない。代打檜山もピーゴロ。
ここで、オカダは、このところ、代打3たこの今岡を指名した。死球を受けた右手首は今も完治せず、ボールも満足になげられないそうだ。好調リンがスタンバイしていたのに、ああ、と、テレビをみていたぼくは目をつぶった。
いま内角は打てないが、外角へ逃げるカットボールは、今岡の勝負強さで打てる、と岡田は踏んだそうだ。経験に裏打ちされた洞察力。なんのために、かれをベンチにいれておいたかと嘯くオカダ。おそれいりました。

投稿者 nansai : 17:30

2006年9月29日

九月二十九日(金)

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さあ、最終決戦。甲子園は大騒ぎだ。「8連勝で迎え撃つ!やり返せ猛虎」(スポニチ)とスポーツ紙はかまびすしい。胸が騒ぐではないか。本来、戦いすんで日は暮れての、この時期に、結構なことだ。

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対中日5勝13敗のあげく、41歳の山本に準完全試合をくらって、ぼくは、あかん、シーズンは終わった、南無阿弥陀仏、なんまいだ、をとなえた。ところがだ、息の根がとまったと思ったら、どっこい、虎は生きていた。死んだはずの投手陣がしぶとく生き返ってきた。

名将!オカダ監督が、王道野球のころもをかなぐりすてたのだ。昨年の打点王今岡が長期欠場して、鉄壁のはずのJFK防衛線がくずれ、とたんに、なりふりかまわぬ戦いぶりで、タイガースは、驚異的ペースで勝ち始めた。8連勝は、けなげである。「天晴れ」をやろう。

ことしの甲子園球場入場者数は、300万人を超えると予想されている。昔はおっさんが多かったが、新しい若いべっぴんのトラキチも増えた。がんばってもらわねばならん。ぼくも、300万分の一の観客だ。一回だけ、観戦した。

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確率は低いが奇跡を信じて、一戦一戦が、まるで高校野球のように、ドラマのように楽しめるのはいいぞ。これぞプロ野球だ。わくわく、おもしろいじゃないか。たとえ優勝かなわずとも、だ。今夜の一勝こそ大事なのだ。「日本一」が、なんぼのもんじゃい。

パリーグは、ロッテをふくめての4球団が団子レースでひしめきあって、盛り上がった。プロ野球はこうでなければ。来期をにらんでといいわけしつつの、気の抜けた消化試合などはもってのほかだ。

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一抹の不安がないことはない。
ここぞのときの連敗だ。バントはしない、ヒットエンドランはかけない、自由に打て、のオカダ采配は、明快だが相手にすんなり読まれてしまったのではないか。
球界きっての野球理論家岡田監督は、優勝監督だけでなく、大打者としての申し分のない実績の裏打ちがある。スポーツ各紙は、神様のようにもちあげている。サッカーのジーコのように。
だからか、エリートでプライドが高すぎたからか、落とした試合を認めたくない。臨機に応変せねばならぬのに、急遽対策して繕うことが苦手だったのでは?
だから、ツメを隠している老獪なチームに、とことん裏をかかれて来た。情報戦に強い忍者軍団に弱かった。昨年の日本シリーズで、バレンタイン監督率いるロッテに4たてを食ったのがいい例だ。今年も、中日戦で信じられないほど負け続けたのは、落合ドラゴンズに徹底的にケツの穴の毛まで読まれたのではないか。

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ならば、だ。めちゃくちゃ、いったれえ。なりふりかかわず勝てばよいのだ、というオカダの無手勝流は、タイガースにチカラがついてきているから、案外、通用するのだ。苦しいのは百も承知で、17連勝を狙っていこう。

投稿者 nansai : 14:26

2006年9月22日

九月二十二日(金)

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いよいよ本格的な、高齢者時代の到来だ。
国としては、高齢者に寝込まれては困るのだ。できるだけ元気でいてほしい。もう老人医療費の負担増には耐え切れないから、ピンピンコロリと、お願いしたいというのが、自治体の本音だ。
だから、すいすい元気に動き回る老人は、都市、地域のタカラである。老人たちの好奇心をかきたてピンピンの行動力をうながすべし。その活力の潤滑油は、交通費だ。(無料でなくてもよいが思い切った割引率が望ましい)どうも大阪近辺の電車、バス代は、職を離れた高齢者にとって負担が重過ぎるのではないか。

女性専用電車は、ある。大学教授などの痴漢たちから、身を守るためとのことだ。優待席なるシートは、いったい、だれのためか。体育系の女子高校生など若い女性が座り込んで、席をゆずるどころか、わき目もふらずケータイに見いったり、大胆不敵なのは、コンパクトを出して人前で化粧したりしているが、それは、まあいい。
古希以上でよい。優待席ではなく、割引定期を、出してはどうか。映画館も千円に割り引いてくれるご時勢だ。

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ラッシュ時をはずれると、私鉄も、地下鉄も、環状線も、大都市では、幹線以外の電車は、がらがらのまま走っている。もったいない。もっと老人を誘致してのせれば、資源の有効活用が図れるのだ。電車会社は、設備の、われわれ老人は、時間の。
どうだろう。高齢者諸君も、遠く山奥の秘湯よりも、近くの都市の娯楽設備を有効活用エンジョイして、シャッター通りだらけの都市の活力の源泉になっては?

尊敬する俳人のYさんが、夏の終わりに、ひっそりと亡くなられていた。八十歳近辺だったか。編集していた同人誌の片隅に、小さく載っていて知った。どこにも知らせるなということだったらしい。
生前は、会合などで忙しく飛び回っておられたが、あるとき「交通費が、ばかにならないのですよ。」ともらされたことがあった。
ボランティアに近い動きをしておられたが、高齢になると、自前で払う交通費が負担になるのだ。
Yさんは、さいごまで、好きな道を指導的立場で第二の人生を開拓され、充実した一生をおくられた。かれのように、高齢にして、世のため、人のために動かれたかたの交通費のご心配はかけない社会にしたいものだ。


投稿者 nansai : 16:17

2006年9月21日

九月二十一日(木)

困ったことになった。
隣のイタめし食堂「マリアン」の大将が妙なことを思いついたのだ。店の奥に中古のパソコンをおいて、このらくがき絵巻を、いつでもだれにも、自由に見られるようにするというのだ。置く場所が店の隅っこだから、だれも気づかないかもしれないが。

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そもそも、この変則ブログは、ウエブで日本語の読みやすい縦組みを普及させたい、という高邁、かつ雄大なアマノジャク的動機から出発した。見た目が大事のスタイルシートだから、当然、中身に関心を持つ人はまれである。ブログといっても、変則で、双方向コミュニケーションに背を向けている。

じまんではないが、中身は、ほとんど蒸留水。毒にもクスリにもならないことは保証する。年寄りがわけのわからぬことをぶつぶつひとりごとをつぶやくように、即興の「絵のようなもの」を描きちらし、それに短い(つもりの)縦書きで文章をつけている。

いぶかしく思われても、絵にならなければ文章をつけない、という理屈に合わない妙なところに、ぼくはこだわっている。取り上げるテーマは世に掃いて捨てるほどあるから、本末転倒といわれても、下手でも、絵になるかならないかが、みそなのだ。
絵と文がつるみあい、ワルツを踊るのだ。ジルバもいいな。(ロックはわからない。)「平成の文人画」と、大きく出たいものだ。
プロのデザイナーが見向きもしないペイントで、しろうとのぼくがマウスを操って描くのは、いい気分だ。
いったい誰が描いたのか。ふふふ。年齢不詳の「変人二十面相」が、ぼくの世を忍ぶ仮のすがたのはずだった。

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こんな内容の薄いコンテンツでも、みてくれるひとがいないでもないが、ノー サンキュー、コメント主義である。ごくまれにわが意を得たようなのが出来たときは、風呂場で鼻歌のひとつもでるが、他人にきかせることではない。「へをひっておかしくもなしひとりもの」が、もともとの趣旨だ。

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イタめし食堂マリアンは、21世紀に向かい、スローフードの提供を誓った。店の壁には、ぼくの「絵のようなもの」のプリントアウトが、額縁におさまって、不ぞろいにならんでいる。スローフードを目指す店主の願いが、絵馬として飾られているのだ。

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古いパソコンが、奥のワイン棚のすみにおいてある。ここで見ようと思えば、このブログがみられるのだ。

客がみることのできるパソコンがおいてあるレストランは少ない。特定のブログをいつもみられるようにしてある店も事務所もないから、これは、たしかにアイデアだが、ぼくにとっては、なんだかへんなことになった。
落ち着かないのはどういうわけか。よくわからない。申し訳ないが、見てくれる人の顔がみえることのわずらわしさだろう。若々しいつもりのパフォーマンスが売りの覆面レスラーのマスクがずり落ちて、はげ頭を見られてしまうようなものか。

ここの大将は、ひげの濃いクマなのに、なかなかのアイデアマンである。パン屋も経営して、眠い目をこすりながら早起きしてパンを焼いている。よそにないトリノ風「グリシーニ」が後を引くと評判だ。

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数少ないぼくのタニマチだが、(ときどき、おかみさんの目を盗んで、ワインを一杯だけふるまってくれる)つねづね、いやみをいう。
「なかなか更新されませんなあ。」
「この絵は前にも見た」
「文章が長すぎる」などなど。
いちいちご指摘のとおりだ。

でも、バーチャルに書いたり描いたりするとき、特定の見る人、読む人を気にしすぎるのは、もともとの趣旨に反する。何かいわれても聞こえないふりをする、いわゆる「勝手つんぼ」が、ぼくの覆面スタイルだった。くさされるのもいやだが、ほめられるのもしんどい。頭隠して尻隠さずでいいじゃないかと居直れるのが、ブログだ。

しかし、まれにだろうが、店の奥のパソコンを覗き込む女性たちは、目が高いことが予想されるのだ。怖い存在である。まあ、この猫かわいいとか、反応が早い。(絵にかんしては、たいていのおじさんはめくらだ。)そうなると、無意識に、彼女たちのうけをねらおうとする気弱な自分がこわい。

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正体のばれたぼくは、愛想笑いしながら、マウスでのお絵かきがどんなにかんたんかを、この古いパソコンの前で得意げにマウスを動かして実演するようになるだろう。動物園で、絵が上手というふれこみのチンパンジーが、絵の具で紙と手をべたべたにしながら、めちゃくちゃ描きなぐって、幼児たちの人気をさらうように。
年賀状のマウスでの描き方(来年はイノシシだ)なんか教えてあげると、客寄せパンダならぬマウス絵ジーさんは、この町内の有名人になるだろう。
気の重いことだが、そうなれば、ここの大将の思う壺なのだ。

投稿者 nansai : 13:49

2006年9月19日

九月十九日(火)

大阪には塔がない

大阪には、塔がない。あっても低すぎて目立たない。大阪城も、高さではひけをとるから再開発が必要だろう。観光で世界から人々を引き寄せたいはずの21世紀の大阪だ。海外から見て一目でわかるシンボルがないのが、気になっていた。海外の都市は、上海にしても、パリ、ニューヨーク、独自の塔を立てている。

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塔とくれば、展望台だ。
十月一日がいつのまにか「展望の日」と決まったらしい。知らなかった。
てん(10)とぼう(1)のごろあわせで、全日本タワー協議会という団体が制定した。くるしいが、まずはめでたい。関西の4っの塔が参加していて、「天空京神ヨンタワーロボ」をキャラクターに選んだと新聞で読んだ。
幸福の神様ビリケンがリモコンで操縦し、困った人を助けるのだそうだ。

ビリケンとは、おもしろそうだ。ぼくも悪乗りして、通天閣の向こうを張る新タワーを、極秘裏に、スケッチしてみた。ビリケンタワーということにしよう。

ラッキーなビリケンさんにあやかって、淀屋橋とか、大川のどこかをまたいで、建てる。はるか海外からも大評判になる。安藤さんが仰天しそうなおもちゃ感覚で、ビリケンタワーはゆっくりと大阪を眼下に見渡しながら回転するのだ。
アメリカ生まれのビリケンさんは、手が短いのであしの裏がかゆくてもかけない。足の裏をなでてあげると、ご利益があるということだ。おかねがたまる。

ビリケンさんのあごの下は、ニューヨークの自由の女神塔のように展望台になっているから、大阪城や通天閣が見下ろせる。小手をかざして眺めれば、水の都の大川の水辺に、えんえんと続く桜の回廊も一望のもとだ。
ところで、この絵でビリケンさんの向かって左の足の親指にとまっている鳥にご注意いただきたい。さて?
と、まあ、ばかみたいといえばそれまでだが、ペイントとマウスで、こんなたわいもない思いつきが、こちょこちょっと、かたちに、でっち上げられる。思いつきは新聞やテレビからだ。紙一枚使うわけでなし、いちびりの一人遊びが楽しめる。おそまつ。


投稿者 nansai : 14:13

2006年9月15日

九月十五日(金)の二

飲んだら乗るな。すぐ降りんかい。

飲酒運転は犯罪だ。無責任きわまりない飲酒運転に、世間の怒りが爆発だ。
「飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」のスローガンは、調子よすぎて、ききめがなかった。

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それどころか、卑怯なひき逃げが増えているという。許しがたい。昨年は二万件に達し、10年間で3倍に増えている。厳罰の飲酒運転がばれるのを恐れて、ドライバーが、被害者を救護せずに逃走するのだ。これはひどい。もう二度と悲惨な福岡の幼児三人の死亡事故をおこさせないようにせねばならない。

昨年の飲酒運転検挙件数は14万件だった。
この際、飲み屋だけでなく、酒造メーカーも自動車メーカーも、自動販売機業者も、もうけてばかりいないで、飲酒運転撲滅のキャンペーンを、カネを出して、もっと本気でしてもらいたい。酒も自動車も、潜在的な凶器なのだから。製造業者責任はあるはずだ。
道路上では、禁酒法を適用すべし。アメリカとちがって、この趣旨を徹底するように、まじめに取り組んだ広告もみたことがない。

「飲んだら乗るな。すぐ降りろ。」ぼくも、ポスター用に絵を描いてみた。
酒気帯びの千鳥足運転が大事故を引き起こす危険なのだ。この絵では、クルマが、いい気持ちで、酔っ払ってふらふらしているようにしか見えない。失敗作だ。

で、つぎに、改善したつもり。だが、やっぱり狂気の酔っ払い運転の恐怖が伝わっとらん。あんまり迫力ないねえ。

投稿者 nansai : 14:51

九月十五日(金)の一

「泥臭くてもええ!」、
日刊スポーツの見出しが躍る。
竜を捕らえるまではなりふりかまってはいられない。岡田監督が泥臭く、執念の采配で4連勝を導いた、とニッカンは持ち上げている。

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監督就任後、初めてのスクイズ(信じられない)を、関本に敢行させたが、ネット裏のだれもが首をひねるセーフティスクイズという中途半端さで失敗した。
「初スクイズで岡田監督4・5差」「奇襲失敗も、禁破り1点奪う執念采配」と見出しは続く。へえ、スクイズって、誇り高いオカダにとって禁じ手だったのか。

ここにきてようやく、そのプライド高い岡田流を崩し、「王道野球」とやらの理想をかなぐりすてたのは、大いに結構。臨機応変だ。やや遅きに失したが、野球は勝って何ぼだ。

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若いころからエリートだった大打者オカダは、大監督として、星野型のつなぎ野球に反発してきたと、ぼくはみている。あえて打者に自由に打たせ、ヒットエンドラン策もとろうとしなかったのが、危機を招いた。ぶつぶつ評論家たちが遠慮がちにつぶやいているのを(新聞やテレビ中継でだが)小耳に挟んで、ぼくもはがゆかった。
なぜ、あんなにぼろぼろ無残に、中日に負け続けてしまったのか。油断か、驕りなのか。中日ドームでの戦い方に、カイゼンの余地はなかったのか。面子をすてれば、負けないための、なりふり構わぬローテーションのやりくりはできたはず。

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いま、藤川の肩には疲労が蓄積しているらしい。
「これからは特攻出撃だ」と、別の新聞は書いていた。
シーズン開幕前は、ひともうらやむ「投手王国」といわれた。鉄壁のはずのJFKがつぶれてから、先発投手陣も、今岡を欠く打線も、目醒め奮起した。

もう、あとがない。監督がプライドを捨てたら、死に物狂いのトラは強い。
これから一皮向けた岡田監督が、采配の結果次第で、名将とよばれるようになるかもしれない。期待しよう。

投稿者 nansai : 14:08

2006年9月11日

九月十一日(月)

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大きな瞳、優しい表情。戦後みなが貧しかった時代、ぬりえに描かれた「華やかな世界」は少女たちのあこがれだったという。日経新聞によれば、東京には、ぬりえ美術館もできたらしい。
いま、高齢者のぼけ防止に、養老院でも、ぬりえが活用されているという。ちょっとしたブームのようだ。

じつは、ぼくが描いているペイント画は、まさにデジタル版塗り絵なのである。ぬりえのもとを、描いてしまうのだ。紙もいろえんぴつも使わない。ねこでもふねでも、えいっと、いいかげんに輪郭を描く。ペイントから、適当な色を選び(これがたのしい)ペンキ缶のしるしをクリックすると、あっという間にぬりつぶしが完了。これは楽チンできれいに仕上がる。やり直しも簡単だ。安上がりで前準備後始末、不要である。あまりに簡単すぎるのだが、認知症の治療効果が期待できれば、ありがたい。
こちょこちょとマウスをうごかすことで、多少アルツハイマー気味のぼくの脳も、活性化しそうだ。ネコの塗り絵を描いてみよう。

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投稿者 nansai : 14:07

2006年9月 4日

九月四日(月)

タブーについて語るのは、いつの世でも、難しい。
人の考えには、とてつもなく大きな幅、意外なほど深いミゾがある。もっとも、深くは考えていない人(選挙権は持っている)が、大半なのだが。
「私は子猫を殺している」。
こう切り出した坂東真砂子さんの日経にのせた猫殺しエッセーは、誰をも仰天させ、誰にもわかりやすいテーマだった。

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新聞紙上では音なしだったが、果たせるかな、ネット上では、おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎになった。
あちこちで臨時魔女裁判が弁護士なしで開廷された。タヒチ在住の本人が予期したように、鬼とののしられ、罵詈雑言の十字砲火が浴びせられている。
いや、すごいものだ。覚悟の上で、タブーにちょっかいをだした坂東さんにとっては、逆さ張り付けは、本望。思う壺か。

ぼくには難解な文章だが、要するに、彼女はじぶんの飼い猫に不妊手術するにしのびないし、そもそも人間は、メス猫の「生」、発情期にセックスし子猫を産む幸せをうばってよいのか、ということらしい。でも、子猫の野良猫化は、社会の迷惑という認識に異存はないという。

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メス猫は半年で母親になり、一度に5,6匹の子猫を産む。
飼い主としては、当然面倒見切れないから、貰い手をさがすか、捨てるかだ。捨て方がむつかしい。?坂東女史のように勇気がなければ、情がうつらぬように、できるだけ遠くに持っていって捨てる?自分で手をくださずに、役所に処置をたのむ。イヌネコで年間40万匹が処置されるらしい。
だからといって、生まれた子猫をすぐ殺してもよいのかと、ここで、非難が一段とヒートアップする。

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しかし、そもそもだ。イヌや猫を人間がペットとして行動の自由を束縛するのはいかがなものか、所有の傲慢だと彼女はいう。
うーん、そうではあるが、この生きにくい世のなかで、信じられるのはペットのお前だけだと、孤独な人や寄る辺のない高齢者の精神安定剤の役をはたしているばあいもある。
元野良猫の、ぼくのイエネコもそんな存在である。
環境庁のご指導のとおり、(配布のパンフに飼い方が載っている)異性に会うこともなく、外にださずに、イエの中で居場所を自由に転々としつつ、家族に猫かわいがりされて、生きている。一日の大半は動かず眠っているようだ。首に鈴をぶらさげ、猫じゃらしに走り回って飛びついているが、不憫といえば、そうかなあ。ソニーが製造を中止したロボット犬も、アメリカの老人ホームで人気だとか。
ペットは、現代では、家族の一員になってしまったのか。傲慢な人間に、意向をきかれもせずに。

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子猫を殺した告白は、魔女狩りで憎悪の的となっているが、問題の根ははるかに深く、重く受け止められねばならない。こうして平成版の生類憐み論争が繰り広げられているのは、いまの日本があまりに平和だからか。
しかし、子猫殺しも大問題だろうが、いまもなお、この国にいろいろ存在するタブーを根深いタブーのままに、くさいものにふたして葬ってはいけないと思う。自由闊達に議論できる国であってほしい。

殺すという行為が、人に向けられることは、重い。
昭和六年以降の戦争の実相を語ることは、兵士にとってタブーだったのだろう。
昭和十二年の中国の上海戦線で、なにが起きたか。
90歳に近い元兵士たちが、孫たちにきかれて、口を開き始めている。NHKの9月2日放送の「祖父の戦場を知る」は見ておきたい番組だ。「孫たちへの証言」は、大阪の出版社が毎夏戦争体験の手記を集め19冊を数える。最近孫世代からの投稿が増え初めた。番組は、「自分はたたみの上では死ねない」といった祖父の戦争を知ろうとする孫たちを取材している。

投稿者 nansai : 15:21

2006年8月31日

八月三十一日(木)

京阪の駅の階段をあがったところに、あたらしく大きな字で張り紙がしてある。
「引ったくり 注意」
やれやれ、こんなところにも、大阪名物引ったくりが出没するのか。じまんするもののほとんどない大阪が、引ったくり発生件数では、ダントツの日本一という統計だ。

ひとつアイデアが浮かんだ。おとり捜査である。ボランティアでもいいが、婦人警官によぼよぼの老婆に扮装してもらい、天満橋などしかるべきところを、うろうろさせる。わざと、ひったくらせるのだ。バッグには、パナソニック製かなにかの超小型ラウドスピーカをしのばせておく。

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おとりにひっかけるのだ。買い物籠をひったくらせて、婦人警官は、あわてずさわがず、すぐ遠隔操作スイッチを押す。籠からは、とてつもない巨大大音響で「ドロボー」と叫び声が上がるという寸法だ。あまりの音量に、ひったくりは、仰天失禁して、こけつまろびつ遁走する。これを、ときどきやると、ひったくらーたちのトラウマになる。戦意というか起業意欲を喪失する。ことにならないかなあ。くだらん。

投稿者 nansai : 14:21

八月三十日(水)

ああ、痛恨の一球。

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いい天気だが、今朝は、気分が悪い。
昨夜、守護神、藤川投手が打たれた。
ああ、あと一球!前日大勝の余韻覚めやらぬ第二戦は、2対1リードして後攻。勝利目前の9回、二死、ここで代打井上。どうってことはない。たちまち追い込んでツーストライク。150キロの剛速球。いけえ。
つぎの「この一球」で、ゲームセットのはずだった。うらみ骨髄、やられっぱなしの首位中日に連勝、というところで。あかん。
高めの球をセンターに、ホームランされてしまった。

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優勝はとっくにあきらめているが、阪神ファンには意地ちゅうものがある。それが藤川神話だったはず。藤川は、打たれない、打たれてほしくないというのが、トラキチの願いである。どの球団の主力打者たちも、直球とわかっていても打てない球速神話に、ぼくらは酔いしれていた。150キロを超える速球で、よその強打者がきりきり舞いという藤川ショーに、阪神お家芸の貧打拙攻の鬱憤をはらしていたのだ。それがノーマークの伏兵に打たれた。油断、それとも、慢心だったのだろうか。

でも、藤川は責められない。感謝脱帽である。あえて直球ばかり放らせたベテラン捕手の無策の配球ミスだと思う。巨人仁岡に本塁打されたときもいやな予感がしたのだが。

さて、これからだ。ぶんぶん投げるだけでは、もったいない。頭とデータを使って、緩急をつける(ほんのおしるしでいいのだ)配球を考えた省力投球を望みたい。そうなれば、選手寿命も延び、鬼に金棒だ。
藤川の恵まれたスピードに甘えすぎた捕手のリードを、ぜひ、早急に、カイゼンしてほしい。

投稿者 nansai : 11:47

2006年8月29日

八月二十九日(火)の二

オシミズムだ!
サッカー日本代表のオシム監督の評判がきわめていいようだ。Jリーグにそれほど精通していないぼくは、ジェフ千葉の監督の人物と実績はまったく知らなかった。ジェフ語録がテレビでも引用されて、門外漢のぼくも、うなずかされるところが多い。この人の似顔は、ぼくにも描きやすい。威風堂々、頑固で思慮深い牡牛に見立ててみた。

90分間走るサッカー、考えながら走るから頭が痛くなるサッカーをしろ、という。わかい頃数学者になりたかったかれの頭脳が編み出した複雑な練習メニューについてゆくのが、選手にとって大変らしい。でも、その努力は、かならず報われると、教え子のジェフの選手たちは言う。
経験に裏打ちされた含蓄のある言葉には重みがあり、考えさせられる。説得力とはこのことだろう。

用兵策でも人格でも、選手からこれほどカリスマ的に信奉されている監督は珍しいのではないか。体格では格差があるのだから、むしろ日本人の特性と強みを生かせとうれしいことをいってくれる。それは、俊敏さと組織力だ。これは、巨大な恐竜や翼龍と共存して生き延びた小さな哺乳類の戦いかただなと感じた。テレビの科学番組でみると、ねずみに似ている。

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イメージがわいてきたぞ。オシムに率いられて新生日本代表は、忍者か、こまねずみのごとく立ち回り、相手を幻惑しつつ、戦ってほしい。背の高い巨人のあいだを、すばしこくフェイントをかけながらパスをつなぎ、背の低い日本選手がゴール。というシーンが見られそうだ。韓国や北朝鮮のスタミナに負けない持続力のあるチームは、確実にできそうだ。

投稿者 nansai : 11:04

八月二十九日(火)の一

八月某日
思い起こせば、二十世紀の「平和」というスローガンは、ハトとかオリーブの葉とか、きれいごとのポスターの図柄にしかみえず、どうも現実味がないように思われてならない。

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61年前の総力戦に敗れた日本の昭和二十年を思い起こせば、あまりに抽象的だ。実情にそぐわない。61年前の暑い夏、国体の護持のために、日本国民は、一億玉砕を覚悟するように、政府から指導されていたのだ。

終戦。市民をまきこんだ大量殺戮そのものの戦争が終わった、原爆の威力はまったく理解できていなかったが、空襲で逃げまどわなくてもよい。もう殺し合い(日本が制空権をうしなってからは戦争末期は、一方的殺戮と破壊だったが、)しなくてもよい。その安堵感をなんと表現するか。平和という言葉に置き換えても、そらぞらしい。

レバノンでもイラクでも、きれいごとのスローガンよりも、もう殺しあわない工夫が、切実に大事なのだ。
どんな大義があろうとも、とりあえず、殺し合いをやめることだ。61年前の戦争指導者の一部は、その動きに最後まで反対した。そのため、100万人以上の無用の死者を出した。

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戦争が終わって、負けてというべきか、なによりも、うれしかったのは、夜、明かりがともせたことだ。灯火管制の必要がなくなった。空襲におびえずにすむのだ。電灯の笠にかぶせていた黒い布を取り去る。電球の光で部屋が明るく照らし出される。それがどんなにうれしかったことか。

投稿者 nansai : 11:00

2006年8月22日

八月二十二日(火)

魂は、ろうそくの炎のようなものだろうか。鎮守の森の木のように、そもそも魂は、一柱、二柱と数えられるものなのだろうか。
神道の教義では、祀られている魂の集団があるとして、そこからある部分の集団を、わけて祀ることはできないとしているそうだ。炎を、別のろうそくに移すことはできるのに。

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だれがきめたのだろう。どうも経典や教義にもとづいた神学論争を経た決めごとでもなさそうだ。
奇妙なことに靖国をめぐる議論は、ここに端を発している。A級戦犯の合祀の是非は、政治問題である。
ぼくは皇国史観の真っ只中で少年期をすごしたが、神道の神さんの世界の約束事には心得がない。分祀か合祀かについても、興味がない。だが、神さんの祀り方についての約束事の解釈で国内で目くじら立てて言い争い、それでアジアのもめごとの火種にするのは、生産的でないと考える。難問だらけの日本に、そんなヒマはないはずだ。

毎日新聞八月七日に連載された「靖国-戦後からどこへ::揺れる分祀論」に、いろいろと教えられた。
どうして「分祀」という考え方が許せないのか、不思議に思っていた。
分祀とは、ある神社の祭神をろうそくの火を移すように別の神社でも祭ることを指し、靖国からA級戦犯の御霊14柱を別に移すには、246万柱すべてをいったん廃祀することになるからだめということらしい。そんなことをだれがきめたかといえば、神社本庁で、教学研究所というのがあって、そこで決めるという。法王庁か、野球のコミッショナーのような存在か。
毎日新聞の取材によれば、担当の坂本国学院大学神道文化学部教授が、分祀否定見解を執筆した。しかし、坂本教授もいまは困った立場に立たされているようで、「これについて私は語れない。もし語ったらいろんなものが壊れてゆくだけです。::私は単なる神社本庁のプロパガンダをやっている男に過ぎない」と、述べていると、毎日新聞は報じている。
A級戦犯の合祀は、78年に、東京裁判を否定する松平宮司が、独断で敢行したといわれている。すでに故人となった一人の宮司の行動が、今、政界をゆるがせている。おかしなことだ。

靖国問題で、首相は心の問題だというが、それは立場を換え被害者の身になった「心の問題」は、また別だろう。アジア各国の戦没者は二千万人を越えるといわれる。アジアの人たちの感情を逆撫でして、居直ってしまい、ひっこみのつかぬ状況は、まずい。

元軍国幼年のぼく自身は、分祀か否かについて、深い関心はない。日常生活では、神主さんもお坊さんも、おおらかに、受け入れていて、細かいタブーは教えられていないし強制もされていない。アラブの宗派間の争いをみるにつけ、この日本は、宗教的には、自由な国である。
ここのところは、ひとつ、神社本庁におかれても、神さん側の面子も都合もあろうが、教義とか、かたくるしいことをいわず、あんじょう、丸く治めておくれやすと、お願いしたいものだ。

靖国神社の存在そのものに、先の戦争への反省がないと見る国もあろう。分祀なんかではすまされないということか。

ならばと、不謹慎ではあるが、ぼくは、いいアイデアを思いついた。
東の靖国とはべつに、アジアを見渡して鎮魂不戦の記念施設を、西の大阪につくろうではないか。
東西本願寺など、仏教にイニシアティブを取ってもらうのも一案。これまで、310万人の戦没者の霊を慰めるのに、仏閣はなにをしていたのだろうか。大寺院の建立、大仏さんや観音さんのモニュメントもいい。

また、無宗教で、パリの凱旋門やエッフェル塔のような記念建造物を構築するのも一案だろう。千年先を見据えて、国を越えて、先の戦争の全犠牲者を弔う記念碑を建てるのだ。
満州、中国、ガダルカナル、インパール、サイパン、硫黄島、広島、長崎、東京、大阪::それぞれの戦場被災地から、いささかの土を運びいれ、メモリーの塔を建てるのはどうか。いまだにたくさんの遺骨が収集されず、山野にうちすてられたままだときく。
平和史観にもとづく、かなりの規模の戦争博物館もつくりたい。藤田嗣治の戦争絵はぜひかざりたい。資料はすべてデジタルアーカイブし、他国の公文書館とも情報を公開しあいたい。
地盤沈下にあえぐ大阪は、こうした施設の勧請に手をあげるべきではないか。場所は、北摂がいい。JR吹田操車場跡地が最適である。万博公園と手をつないで、あたらしくアジアに向けて、たくさんの人を呼び寄せ、戦後61年平和を保った、若い日本のメッセージを発信したいものだ。アジア各国の若い人たちとの交流とコミュニケーションが喫緊の課題だ。隣の国々が恐れている軍国主義とは、日本は、まったく無縁の国であることを知らせたい。こじれにこじれた靖国問題がのどに刺さった骨であるならば、こうしたノーテンキで前向きな考えは、とりもなおさず、国のため心ならずも命を失った英霊の願うところではないだろうか。


投稿者 nansai : 13:02

2006年8月16日

八月某日

「敗北は、最良の教師である。」
もちろん、オカダ監督の言ではない。日本サッカーの救世主と目されているオシム監督の語録からだ。それも、緒戦に勝ってからぽつり、いいこというねえ。含蓄がある。
ああ、阪神が、ぼろぼろだ。先発投手が火だるまとなり首位中日に十一対一で破れ、マジック40が点灯した晩、見ていられなくなって、テレビを消した。

ときどき、気が向くと、昨年は何度も出た阪神特集雑誌を取り出し、マウスを動かして選手の似顔絵(のようなもの)を描いてみる。ページをめくりながら、いいポーズを探す。豆粒大の写真を見て描く。気分で描くからタッチがばらばらだ。

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藤川ついに登録抹消。恐れていた最悪の事態だ。ぼくは前々から、サンテレビで、木戸前二軍監督のテレビ解説が気になっていた。阪神OBだが、よいしょ迎合せずに、クールで的確な分析をする。かれは、何度も「このままでは、球児がつぶされる」と遠まわしにだが、阪神首脳陣の場当たり的な投手起用を非難していた。そのとおりになった。
ことしはもういいから、ゆっくり筋肉をもとどおりにほぐし直して復帰してほしい。
野手出身の監督は、投手をついつい酷使してつぶす傾向があるのではないか。

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藤川をこのままつぶしてしまっては、取り返しのつかない球界の大きな損失だが、過去、速球派の救援投手の寿命は短く、何度もこういう憂き目にあっている。連日連夜登板するのだから、二年と、もたないのではないか。
伝説的速球で救援し、打者を牛耳るかずかずの名場面は、いまもぼくらの脳裏に焼きついている。
語り継がれる伝説もいいが、一日でも長くしぶとくマウンドに立ってほしいものだ。

昨年の打点王今岡の抜けたことが、こんなにひびくとは。秋にはカムバックして打てるだろうか。

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投稿者 nansai : 18:03

八月十三日(日)

上海便り」。(佐藤惣之助詞)。七十年近く前、こんな勇ましくない、のんきな軍歌?が、はやっていた。

拝啓 ごぶさたしましたが、
ぼくもますますげんきです。
上陸以来きょうまでの
鉄のかぶとの弾のあと
じまんじゃないが、みせたいね。

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いまでもネットで探せば、軽いメロディーがパソコンのスピーカから流れ出てくる。この歌での「上陸」とは、昭和十二年中国上海への上陸作戦のことだ。
この悲壮感のまったくない気楽なメロディーを、幼いぼくは好きで、いつの間にか覚えていた。

今夜、NHKの放映した一時間番組NHKスペシアル「日中戦争」は、同時代にほとんどシンクロして生きたぼくにして、ショックだった。なぜ戦争は拡大したか―は、日本国民必見の重いドキュメントだ。
歌の文句とちがい、上海上陸は、鼻歌まじりの気楽な戦いではなかった。金沢の第一師団は、頑強な抵抗に会い、上陸以来半分の死傷者を出した。軍部が信頼し同盟国なはずのドイツが中国に軍事顧問を派遣し、上海周辺の陣地構築を指導していた。最新鋭の武器を蒋介石軍に売り巨利をはくしていたという。ヒットラーの二枚舌だ。意外だった。

八年間の戦争で、いったい何が起きたのか。なぜ無謀な太平洋戦争に突入して、どうして310万の日本人の命を失ったのか。中国人の犠牲者は一千万人とも言われていると、NHKスペシャルは、淡々と述べている。このような重い歴史の現実をぼくたちは知らされていなかったし、戦後は、戦時中のつらい史実を、振り返ろう、とも、後世に伝えようともしなかった。きびしい歴史に向き合おうとしていなかったのだ。
一時間のこのドキュメンタリーは、あれほどまでに無謀な戦争の大きななぞを解く手がかりを与えてくれた。もちろん、その一端に過ぎないが。
南京の虐殺についても、兵士の証言と、第一師団の戦闘記録に、殲滅の命令が出て、6千6百人の銃刺殺の報告が載せられているのを報じた。
NHKは、戦後61年にして、後世に恥じない立派な仕事をしたと思う。先回のNHKスペシアル「硫黄島」も、必見だ。玉砕の美名のもとの死んでも死ねない絶望の戦いの実態を生存者の涙の証言により、暴いてあますところがない。

なぜ戦争の拡大が抑えられなかったか。厳正な史実にもとづいて、あの無謀かつ無責任な戦争がなぜ起きたか検証せねばならない。戦後60年過ぎて、各国の公文書館で公開され閲覧を許され始めた。これを機に、史実を直視し、うやむやにせず、歴史にまなぼう。今後の日本の国のすすみかたに反映させねば、懲りずにまた繰り消しかねない。
歴史の法則に学ぶこと、これが真の意味での「悠久の大儀」であろう。過ちを繰り返さないために、こころして学ばなければ、心ならずも国のために倒れた人たちに申し訳ない。

宝塚線の痛ましい事故を引き起こしたJR西日本の管理責任が問われている。犠牲者107人だった。
300万人の戦争犠牲者を出した戦争責任は、あえて問われずにいるが、指導者たちの「業務上過失致死」で、すませてよいわけがない。国民に対する戦争責任に、A級も東京裁判も、関係ないと思う。

読売新聞が、「昭和戦争」を検証しようとしている。タイムリーないい試みだ。
ぼくは、この戦争を昭和6年からの満州事変、盧溝橋に端を発する「支那事変」と、米英に宣戦布告した戦いの質の違いを認識すべきだと思う。なによりも、いったい何が起きたのか、史実に向かい合い、知ることだ。知ることにしり込みしてはいけないと思う。解釈は、後世の歴史家にゆだねるとしても。

靖国問題で、テレビは、プロレスのバトルロワイヤル状態になった。立場をことにする敵味方討論では、双方が突如激昂したりして、場外乱闘となり正常な議論ができない。日本人同士も、歴史について、あまりに情報不足で判断の資料を共有していないから、話し合いで分かり合える域を超えているように思える。


投稿者 nansai : 17:54

2006年7月31日

八月一日(火)

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ひょんなご縁で「動物愛護」関係のひとたちと知り合いになった。
隣りのイタ飯屋さん「マリアン」の壁に張ってある、ぼくの猫の落描きが、たまたま目にとまったらしい。猫の取り持つご縁だ。
で、こんなへんな絵でよかったらと、かわいそうな捨て猫や犬たちのために、ひと肌ぬぎましょうということに。
少子高齢化の人間とちがって、ほうっておくと動物は、たくさん子供を生む。年間40万頭のイヌや猫たち(ほとんどが子犬と子猫)が買う人がいないからといって処分されているという。ペットをかわいがるなら、不妊去勢が必要だ。生まれても、飼えなくなって、捨てるのだ。
不妊去勢手術は一日ですむ。ペットたちは、一生をおだやかでしあわせに送れるのだ。

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我が家にも、メスの駄猫が一匹いる。もとはれっきとしたノラ猫だが、いまは門外不出のイエねこで、三食キャットフードつき。新しい猫じゃらしもすぐあきて、猫なで声で、猫かわいがられている。
九月が、動物愛護週間。これまで気にしていなかったが、かんがえてみると、ぼくらは身近なペットの習性も、よく知らない。
よそさまのペットのかわいい写真をみながら、マウスで描いて見たら、かわいさでは似ても似つかぬスケッチができた。ぞろぞろ登場してもらおう。
かれらは、「ぼくらを捨てるな」「飼えないのなら、産ませるな」と訴えているのだ。

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投稿者 nansai : 16:56

2006年7月28日

七月二十八日(金)

ついに阪神、中日に痛恨の三連敗。4・5差も。あとがない。先月のワールドカップ日本代表と同じ状況になった。うーん、いたしかたなしか。

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けさの在阪スポーツ紙一面の見出しは、大本営発表だ。軍艦マーチが聞こえてきそうな。
仲良し記者くらぶの連中では、この非常時に、きびしいコメントや激励はできない。スポーツ紙の常套手段が、歯に衣着せない大御所評論家の担ぎ出しだ。これが読ませる。おもしろい。元気がでるなあ。

サンケイスポーツは、中村鋭ちゃんの激辛エールだ。
阪神よ。キレるな!
直接対決まだ12試合ある
76歳の鋭ちゃんは、ベテランの片岡は二軍にいってもらって若手を出せ、といいにくいことをいう。

デイリースポーツは、名将ウエさん断言をもってきた。

まだ大丈夫 5ゲーム以内なら
野手の潜在能力は中日より上だ。

などなど、よういうわ、だけど、トラキチたちにここで見放されるとお先まっくらだから、デスクも必死である。
いまは、今岡、久保田を欠き、選手たちもなまじ選ばれた球宴で疲労困憊。われに利あらず。じっと我慢の子はいたしかたない。
前からそうだが、ブチ切れ寸前のオカダ監督は、なんだかジーコ監督みたいだ。新聞によれば、「しょんぼりしてどうすんねん」と一喝したらしい。が、どなった相手が、配慮して対応した(サンスポ)報道陣というから、ようわからん。

あと、12試合をどう戦うかだ。がんばってほしい。
秋、今岡が帰ってきたら、せめて一泡吹かせてくれようぞ。ひょっとして、神風が吹くことも?




投稿者 nansai : 13:37

2006年7月27日

七月二十七日(木)

やっと梅雨が明けたが、さっそく熱帯夜のおとずれだ。不快指数は、そうとうなもの。それにしても、昨夜の阪神の負け方は、いかん。勝ちパターンを逆転された。このままでは、ずるずるいきそうだ。

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球宴後、早くも中日に二連敗。なんと二勝七敗のていたらくだ。若い投手に六連敗もしている。
昨日のスポーツ紙が、三連敗もあり得る、と意地悪く予想していたが、そのとおりになりそう。オールスターに選ばれてのぼせあがり、mvpに選ばれた藤本など疲れがとれず、エラー続出。そこを、球宴を辞退して、力を蓄えていた福留に連夜やられたのだ。
新聞のコメントに、きまってでてくるのが、「オカダ監督も呆れ顔。」というやつだ。ナインの無気力、凡プレーに「あきれる」だけなら、ぼくにも務まる。監督もコーチも要らない。選手の体力チェックは、だれがみるのだ。

投稿者 nansai : 10:44

2006年7月25日

七月二十五日の二(火)

奥歯
列島のあちこちで、未曾有の豪雨、土石流で、被害がでている。

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あれえ、とつぜん、右下の奥歯が欠けた。えらいこっちゃ。働き者だったが、長年の酷使に耐えかねて経年変化か。山崩れならぬ、火山ならカルデラのような陥没で、いやな感じだ。
DMでせっつかれていたのだが、歯医者の定期検診にそっぽを向いていたバチがあたった。
観念して、おそまきながら(4年ぶりらしい。)シキイの高かった歯医者へ。とりあえず応急の手当てをして、レントゲンをとることに。
ひさしぶりでぽつねんと座らされた診療台で絵のアイデアを考えていたら、地下鉄の駅の歯医者さんの広告に似てしまった。


投稿者 nansai : 15:45

七月二十五日(火)の一

らくがきは、テーマ探しが面白い
なんでもいいから、何か描きたい。そんなとき、絵を描くためのとっかかり、口実、(モチーフというと大げさだが、)が浮かぶと、うれしい。
夏休みの絵日記めいた、このブログも、画題!が浮かべばできたようなものだ。こんなラク描きも気楽なようで、何を描くか迷うのが、楽しい悩みなのだ。いま、絵巻のスタイルになじむ横長の絵のテーマをさがしている。

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俳句の世界なら、一句だれもが詠めるように、チョイスできる季題がある。先人の知恵の結晶、財産として受け継がれている。詩は、どう作ろうと自由なはず。なのに、季題の設定に、あえて制約を設けたのは、昔の俳人は、たいした知恵者だった。歳時記は、ヒントの宝庫だ。

ぼくのラク描きの題は、歳時記がないから、その場その場の思いつきだ。つまり、出たとこ勝負。
たとえば、横にやたらに長い恐竜はうってつけのテーマである。
NHKテレビで最新の恐竜の学説?が放送される。最近の仮説では、長い長い恐竜が首を水平にして歩いていたらしい。「ジュラシックパーク」に出てくるやつとは違うらしい。それを描いてみよう。三、四十メートルもあるのを、前からみたら、うしろからみたら。どうみえるか、写生できるわけもないから、これはパズルのようなものだ。

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50メートルの恐竜が長い首を捻じ曲げて、顔を、こちらに突き出したら、どう見えるか。見返り美人ならぬ振り向き恐竜。ぼくの三次元の計算では、こんぐらがってしまい、そらではうまく描けない。こんなものだ。でも、パズルとしては、面白い。

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投稿者 nansai : 15:40

2006年7月19日

七月十九日(水)

先日、ぼくがはいっているゴルフクラブのハンデキャップ委員会から、一通のはがきが届いた。
JGAハンディキャップ通知書だ。半期ごとの通信簿のようなものだ。

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なぬ!おどろきというか、衝撃の数字がそこに。
なんと、旧ハンデキャップ38.1を、新ハンデキャップ40.0に設定した、とある。40.0とは、下手中の下手、の別の言い方である。追い詰められたワールドカップの日本代表みたいな危機的状況だ。もうあとがない。クラブの食堂前のボードのいちばんおしまいの欄に、しがみついているかのごとく、名前がのせられている。
ラウンドカードにより、技能に応じた実力相応のハンデキャップを査定したそうだ。わかりましたよ。惻隠の情はないのかねえ。
どういうつもりか、葉書にはミシンけいがはいっている。ここを、切り取って、首からぶらさげろということかいな。

さっそく、名誉挽回だ。目にモノみせてくれんと、梅雨空のもと、「海の日」の祝日、Dクラス月例競技に勇躍出陣。クラブハウスについたとたん、雨足がはげしくなったが、騎虎のいきおいで、合羽も着ずにスタート。見知らぬパートナーたちと、(みな物好きなへんなおっさんだ。)水中を悪戦苦闘したが、ハーフでついに、もはやこれまで。ずぶぬれギブアップ解散となった。

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いつものように右へ左へOBが続出したが、日本独特のプレーイング4ルールに救われた。パーもとったから、次につながるゴルフのてごたえがあったと、年寄りの冷や水。なのに、これだけハンデがあるのだから、それを利用して連戦連勝とゆきたいものと、練習不足をぜんぜん反省していない懲りないぼくだ。


投稿者 nansai : 13:04

七月十五日(土)

鳥谷飛ぶ

鳥谷のホームランで、川上憲伸をつぶし、守護神下柳がベストピッチして、阪神が首位中日に勝った。予想外。

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きょうは三連休の初日。喜び勇んで、坂の上のコンビニにとことことスポーツ新聞を買いに行く。飛翔する鳥谷の晴れの写真を、マウスで描くためだ。似顔はむつかしいから、翼をはやして空高く舞い上がってもらうことに。鳥谷は、打線がふるわないときの阪神のベンチのムードにひきづられるところがない。いい意味で、浮いているのがすばらしい。周りと関係なく、マイペースでヒットする。われ関せずというところが頼もしい。

38歳の下柳には、いつもながら、天晴れをやろう。ぼくは日経のスポーツ欄がひいきで、そこの写真からいただいたこの下柳の絵は、似ても似つかぬから、著作権侵害にはあたらない。
見出しには「緩く際どく走者に慌てず」、肩の力を抜いた投球で中日打線を翻弄した。老雄、天晴れだ。

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決して制球がよかったわけではない。135キロ程度のまっすぐを高低に散らしてカウントを稼ぐ。そこにチェンジアップ、シンカー、ツーシームなどを交え、右を並べた中日打線にフルスイングをさせなかった。こんな風に、日経は、投球技術を淡々と解説してくれる。ぼくなどは、目を皿にして見ても、そこまではわからない。
とりあえず、四連敗中の眼下の敵から、天王山のアタマをとったのはめでたい。残り18試合。あといくつ天王山があることやら。

投稿者 nansai : 12:49

2006年7月14日

七月十四日(金)

お昼。近所のカウンター式の喫茶店は、コーヒーよりも、スポーツ新聞目当ての中高年でいっぱいである。たくさんの手で回し読みされる新聞各紙は、手ずれでざらざらだ。
「貧打アンド拙攻。」新聞では、打てない阪神が、こき下ろされている。適時に打てない打線にいらついているオカダ監督は近づきがたい雰囲気らしい。どうしたものか。ヒットが出ても得点にむすびつかない。打点王今岡のぽっくりぬけた穴は大きい。
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投稿者 nansai : 13:38

2006年7月13日

七月十三日(木)

「ばーさんがじーさんに作る食卓」という人気ブログをご存知だろうか。
むかしむかしではなく、平成の今、京都の郊外にすむ、外食嫌い主義で、味の素を使わないライフスタイルの老夫婦が、自分たち二人だけのためにつくった毎日の料理の克明な記録である。
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高齢者むきのローカロリーで食欲をそそるレシピがならんでいる。
豆いっぱいのクスクス、アスピックゼリー、ジャガイモパスタのグラタンなどなど。今風に言えば、まさにロハスの世界だ。食材を吟味したローカロリーだが、豊かなアイデアにあふれており、見てくれを気にした、よそいきのごちそうは、一品もない。
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料理の作者は、当然、ばーさん。しあわせなじーさんは、手づくりの料理をあじわう前に、デジカメで料理の写真を撮る。そして、食後、二人で感想を述べ合いながら、夫婦合作のブログを編集する日々。このブログから、高砂のオキナ、オウナのような心温まる夫婦状況がみてとれる。
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毎晩仕事で帰宅の遅い高齢の連れ合いを気遣う、ばーさんの「愛」の調理が評判となり、若い女性たちのあいだでも信奉者がふえたようだ。日本中に静かなネットのうねりの輪となってひろがっている。すでにテレビでも紹介され、共感する数多くのファンが毎回コメントをにぎやかに寄せている人気ブログらしい。

じつは、このブログの隠れたブームの仕掛け人、兼カメラマン兼、作者は、意外にも、ぼくのすぐ身近にいたのだ。
若いときから長年お世話になったアートディレクター、かつ、天才イラストレーターO氏が、そのひとである。
先日、かれは、35年共同経営していた会社を後進に託し、悠々自適の生活に入るからと、突如リタイアのあいさつにみえた。帰り際に、じつは、自宅でひそかにウエブでこんな実験もやっていたと,さりげなくURLを披露された。

ブログをのぞいてみると、ああ、なんと、すばらしい食生活だろう。
ぼくの年齢になると、おなかがぽこんとタヌキのようにせりだしてくる。これは、メタ何とか症候群のうたがいがあり、家で出される料理は、引き算だ。やれ食べすぎだ。あれもだめ、これはこれで、コレストロールが多いからだめ、など、加齢とともに、飲んだり食べたりの楽しみがだんだんうすくなる。
だからこそ、このブログに記録されているように、からだにいいローカロリーの食材を吟味して、おいしく調理し、少しずつ味わって食べるようにこころがけねば。
だが、昭和ひとけたのぼくらは、戦時中の極限の飢餓状態から開放されて、いっきょに身についたのが、夜な夜なの残業くずれの外食本位、牛飲馬食の悪しき食習慣。あれはあれで、エンジョイしたなあと、懐かしがっているようでは、まだまだ反省がたりない。くわえて、出されたものはきれいに平らげてしまう、「もったいない」の美徳というよりは、意地きたなさ。ふとるはずだ。

しかしだ。ぼくらふつうのジーさんは、気をつけよう。
かりそめにもバーさんに向かって、「この理想の老夫婦のように、毎回丹精こめて作ってもらえる料理はうらやましいなあ。こんな生活もあるのだなあ」など、ため息混じりに、けん制してはいけない。イヤミととられるおそれがある。
とうぜん、ばーさん側にも、反論があるだろう。テポドン発射のように、やぶへびである。わかっとるやろなあ。老婆心までに。
(冒頭のクマさん夫婦のイメージは、プロイラストレータの作者ご自身をさしおいて、絶好の画題にシロウトのぼくが勝手に挑戦したものだ。このくそ蒸し暑いのに、むくつけき毛皮を着せたりして、すみません。森の中の老夫婦の和やかなスナップをねらったつもりだが、古希を過ぎ、老いてますます爽やかなお二人のイメージこわしてしまったかも。)

投稿者 nansai : 13:30

2006年7月10日

七月十日(月)

ナカタ引退報道のけたたましさ

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サッカーの中田選手が、突然の引退発表。それをめぐっての、この国のマスコミの過熱反応ぶりに、たまげた。
中田は、記者会見はせず、NAKATA・NETというホームページ上で、ごあいさつというよりは、所感のかたちで引退を発表した。
挨拶代わりの作文が、これほど砂嵐のようにマスコミに空高く巻き上げられ、日本中すみずみにあっというまに伝播させた例はかつてなかった。

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マッチ一本、火事のもとだ。ネットでの火種がマスコミで増幅され燃え広がり燎原を焼き尽くした。
新聞が号外を出した。夜のニュース番組の司会者が、全文を朗読した。全国の小中教育関係者から、教材に使わせてほしいと申し込みが殺到、その数が千通以上。というから、驚いた。一部の辛口評論家が「青臭い」と評するモノローグは、新聞のコラム「天声人語」にまで引用された。
本人が記者発表したわけでないから、じかに取材できない。ナカタネットにマスコミもファンも殺到して、アクセスが一千万を超えたと報じられた。
ふだんナカタネットを見ているひとは、サッカー好きのナカタの熱烈ファンだろう。ふつうのひとは、スポーツ選手のサイトをのぞいたりしない。アクセスのすべもしらないひとが大多数だ。

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ネットの中身がテレビで披露されると、加速度つけて猛烈な勢いで、情報は広がる。千里を走るのだ。受け止め方は、いろいろだが、バクダン発表直後は、引き際の潔い美学に共感するものが多かった。
もっとやれるのに惜しいと涙ながらに引き止めたい派と、本人のクレバーな人生設計に、やつかみ半分に、ま、勝手にやればというのと、海外でもどこのチームでも監督とうまく行かず使ってもらえない、つまり居場所がないから、引退の潮時だったのだというクールな見方が、こもごもだ。
この若さで、中田ほど海外で評価された選手は、野茂、イチロー以外にはいない。アスリートとして俊敏な身体能力と強靭な肉体を、グローバルなビジネスに結び付け、成功を極めたパイオニアだ。たった十年で百億円儲けたと夕刊紙は報じている。ナイキやコカコーラなど世界ブランドがスポンサーだ。
三ヶ国語を流暢に話し、外国人とも愛想よくコミュニケートできる世界の名士だ。ニューヨークが大好きで、五層の古いビルを所有し、いまをときめく安藤忠雄に改装を依頼済みだそうだ。これ以上、何を望むことができよう。

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人生は旅で、旅が人生だ。自分探しの旅に出る。と、まあ、この若さで芭蕉のように人生を述懐しても、だれからも、とやかくいわれることはない。

サッカー選手としての世界水準でのかれの真の実力は、ぼくにはわからない。最近では、ピッチでの華々しい活躍は、きいていなかった。引退もやむをえないのだろう。

だが、ナカタは、学歴も閨閥も関係なく、若くして世界市場に自分のパワーをせりにかけた。大多数のJリーガーたちは、真夏のセミのようにまもなく選手寿命が終わり、食べてゆくための仕事探しにせまられている。自分探しどころではないだろう。思えば、29歳のぼくもそうだった。

ナカタは、「格差社会」をものともせず、なみのJリーガーと違う、めぐまれた自分の資質をフルに生かして賭けに勝った英雄だ。文句あるかというところだ。
将来は、今回ぺちゃんこになった日本の代表チームに何らかの貢献をしてほしいものだ。が、それはカラスの勝手だろう。

一方、野球界では、あの野茂が、全盛期を過ぎて、腕にメスを入れ、マイナーに落とされても、大リーグになお食い下がっている姿をみて、頭の下がる思いだ。プロ野球に賭けたい若者たちにチャンスを与える「野茂チーム」は、維持できるのだろうか。いまのところ、ナカタのように支援してくれる全国スポンサーもいないようだし。残念だが、商売がへたなのか。
人生いろいろだなあ。

投稿者 nansai : 16:40

2006年6月26日

六月二十六日(月)

ローニンブルーのTシャツ
当然、奇跡は起こらずワールドカップは、あっさり終わった。
世論調査でも多いのが、「負けたのは、実力どおり」。マスコミにおあられた国民にも、やっと完敗の事情がのみこめてきたのは、かつての敗戦のときとおなじだ。奇しくも、60年前、沖縄戦で、物量戦で完敗した日本軍が組織的抵抗をやめた日だったのだが。

もともと実力の無い日本チームを、NHKを始め各局が、なぜ、あのように必死で盛り上げようとしたのか。
なんでも、NHKの負担するテレビ放送権料が、一説には、400億円だったそうな。なんとかモトをとり戻したいテレビ局にとっては、視聴率戦争だった。

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日本チームが早々と敗退しても、中継を打ち切るわけには行かないのだろう。まだ未練がましく、サッカーマニアしか関心にない、知らない国の試合を、くりかえしくりかえし「ゴーーーーーーール」と、再放送している。
ごくろうなことだが、後始末を、もともとサッカーに無関心な平均的視聴者に押し付けられても困る。松井の姿の見えない大リーグ中継と同じ轍を踏んでいる。
なじみのない異国のサッカー試合はもういいから、番組編成を早く、平常に戻してほしいという向きは周りにも多い。
ぼく自身は、このせっかくのチャンスに、世界レベルの本気のがちんこ名勝負を見てやろうと思ってはいるが。真夜中の中継に、おつきあいはねえ。

とにかく、日本代表選手はよくやったが、体力、筋力、技術、精神力、すべてに、世界の一流チームとの「格差」があった。日本選手の一人当り海外練習試合「出張コスト」は、だんとつ、世界一だろう。ガーナとかコートなんとかのチームの試合はこびをみると、身長、筋肉にハンデのある日本がアフリカブロックにいたら、永遠に出る幕はないのではないかとさえ思ってしまう。フランスチームも、主力は、アフリカ系ばかりだ。

敗戦を記念して、臥薪嘗胆(一発で変換できるのがすごい!)をテーマとするTシャツ用のアイデアを二点描いた。
4年後南アフリカへ向かう、新チームへのはなむけとすることに。前のは、ムンクの「叫び」の構図を無断で拝借、あとのは、侍も禄を離れて「浪人ブルー」に。これでは、元気、でないかなあ。

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投稿者 nansai : 11:47

2006年6月16日

六月十六日(金)

これは、猫の絵のつもりである。ぼくは、こんな絵を、ウインドウズについている無料お絵描きソフト「ペイント」を使って、マウスで描く。

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描くときはパソコンの前から離れられない、という理由で、写生はできないから、架空の、猫を描く。デッサンの腕前を問われることはない。猫から、ちっとも似てないじゃないか、と文句をつけられることもない。

このようなカンタンかつ幼稚な描写法にこだわる変わり者は、グーグルのイメージ検索してみても、今のところ、全世界でも、そうたくさんは、いない。

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もちろん、絵やイラストを描くプロで、幼稚でお手軽なペイントを利用する人はまずいないが、これから主婦や高齢者の間ではペイント描きは、ぼちぼち普及するかもしれない。

グーグルをぶらついていたら、偶然、「しらが頭の少年」なる御仁のブログに、「ようこそ 私の美術館」を発見した。
http://homepage3.nifty.com/h15k01k25-74_04na/

作者は、どうやら、ぼくよりもかなり年上の元技術者のかたらしい。前置きには、こうある。
「主題の作品は、私が70歳からペイントソフトで、しかもマウスで描いた邪道画です。でも、メルヘン調、ファンタジー調、版画調などといろいろ描き分けたつもりです。ペイントソフトは、どのパソコンにもはいっている簡便ソフトです。」
なるほど、邪道画ねえ。
ぼくの画風?とは、まったく好みもタッチも違うが、高齢ながら、かなりの好奇心の持ち主とおみうけした。昭和一けたの天邪鬼という点では、共通しているようだ。なにしろ、いまどき、「ペイント」でマウスをうごかして、緻密な計算のもとに、絵を描こうというのだから。
それも「邪道画」と称しているところは、したたかな反骨の気風がうかがわれて微笑ましい。
「しらが頭の少年」氏、いわく、ねらいは、「お絵描きソフトともいわれるウインドウズペイントで、どこまで鑑賞に耐える「大人の絵」が描けるかへの挑戦だ」と。
当然パソコン歴も、ぼくより年季がはいっていて、目標も、さすがエンジニアらしく、ご自分の考え方が、誠実に明確に掲げられている。
つまり、デジタル画像処理技術と、アナログ的描画手法(マウス・手描き)とを組み合わせて描いた画像を「部品」と考え、それらを組み合わせて、画面を構築してゆく「作風」の確立がねらいだそうだ。いいねえ。その志や、壮たり。
一面識もない先達に、こころより拍手声援を送らせていただく。ますますの精進とご健闘を祈りたい。

なにを隠そう、ぼくのこの縦書きブログの目玉も、内容にとぼしい文章ではなく、じつは、絵なのである。MSペイントて、マウスをこちょこちょと操って描く「絵のようなもの」だ。それを、長短の文章と混ぜ混ぜして、絵巻物のようにえんえんと横スクロールしたら、どのようになるかを本邦初で実験中というしだい。横に長い長いイヌなど、わざと描いているのはそのためだ。今のところ横に長いだけなら、どこにも負けないスクロールのはず。(そんなことをして、何になる?といわれると、答えに窮するのだが)

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こどものころから習い事は苦手だ。ぼくは、師匠にも手引書にもお世話にならず、このお絵描きも、古希近くになって、自分で工夫して勝手気ままに独習した。サッカー選手は新聞に載っている写真を見て描いたものだ。

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身を削って苦労して、絵をアートとして描いている人たちのなかには、あんなインスタントなものは絵ではないと眉をひそめる向きもあろう。
しかしだ。ぼくのような人間が、こうやってデジタルの恩恵でらくちんして描いている。キャンバスも絵の具も使わない。お粗末に見えても、これしもレッキとした絵だと思いたい。ウオーホルのシルクスクリーンのように、旧石器時代のアルタミラの洞窟の壁画のように、と、ぼくは、ちょこまかとマウスを動かしながら思うのだ。

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きけば、いまや空前のイラストレーションブームだ。
絵の好きなこどもたちも、どんどんペイントに挑戦し、たちまち卒業して、さらに上級高度なソフトへと離陸してゆくことだろう。
「ペイント」がお子様用三輪車なら、F1レースに出るレーシングカーのようなソフトもでてくるだろう。ぼくは、乗りなれた三輪車でゆっくりとお絵描きを楽しむことにしよう。

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投稿者 nansai : 14:04

2006年6月15日

六月十五日(木)

負けてほしくないゲームを二つ落としたのを、テレビに釘付けで見てしまった。一昨日のワールドサッカーと、昨夜の阪神楽天の交流試合だ。二晩、試合の終わるまで、テレビの前をうろうろしていて、疲れがどっときた。でも、くやしさをおさえつつ、負けた翌日の新聞を買い集めて、各紙の記事を比べ読みするのが、ぼくの屈折したたのしみである。

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負けたとたん、手のひらを返すような論調が、あちこちに。はたせるかな、堰を切ったように、ジーコへのブーイングがすごい。監督の頭の差で負けた、というのが、ぼくら野次馬には、わかりやすかった。
しろうとのぼくには、戦術の是非はよくわからないが、各紙それぞれカンカンガクガクの結果論が、興味深くおもしろい。
結局、はじめから彼我の体力に、差があった。終盤、お互いに電池切れ状態だったが、ヒディング監督は、土壇場に、体力のすぐれたでかい選手を、「王手」と投入してきた。それまで防戦一方でも善戦していたのだが、ガス欠の日本選手は、力つきて「まいりました」となった。
ぶっつかりあいで身長と体重差は、ボディーブロウのように効いてくる。持久体力の差が、監督の采配でカバーできなかったジャパン。

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切れ味のよかったのは、日刊ゲンダイだ。
「勝てもしない戦争を煽った大新聞は、性懲りもなくジーコジャパンは必ず勝つ、などとデカデカ流したがデタラメだ。」と、60年前の戦争を引き合いに出して、マスコミの報道を斬って捨てている。
その点で戦前の予想は「大本営発表」で、スポーツをばかにしていると喝破した蓮実さんの見解と一致していた。

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野球と違い、紙面でも、サッカーは分析の情報量が多いので読むに耐える。大新聞も、選手ひとりひとりを採点したりして、クールな分析をしている。
日経は、クロアチアに勝つには、「相手を受け止めて戦うサッカー」から「打って出てゆくサッカー」に転換せよというご託宣だ。「宮本のサッカー」から「中田英のサッカー」へ切り替えよという。この二人は、ピッチでもよく言い争っている。ジーコは何も指示しないらしい。ぼくは、ガンバの宮本を支持したい。


投稿者 nansai : 15:11

2006年6月 9日

六月九日(金)

ワールドカップと愛国心とマスコット
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今夜いよいよワールドカップ開幕。がんばれとはいいながら、世界最強のブラジルとか手ごわそうなクロアチアが相手では、運動神経の鈍いわが子を運動会に送り出す親のような気持ち。あきらめていても、そわそわ落ち着かない。
一方では、連日、新聞、テレビが、辛口コメントに封印して、みえみえの盛り上げをはかっている。いたいたしい。悲観して非国民といわれたくないからだろう。

例外もある。サッカー通の蓮実重彦元東大総長に、六月三日の日経がインタビューしていたが、これはしびれるほどクールだった。
日本にこだわらず、「国を超えて「超人」を見よ」と見出しにある。蓮実さんは、サッカーが好きなら、日本以外の世界のチームに興味を持って当然、と、次のようなご意見をお持ちだ。
冷静に見て、日本代表が一次リーグを突破するのは無理ではないか。現在の日本のワールドカップ報道は、大本営発表。単なる期待値をいっている。これは、「運動」としてのスポーツに対する軽視だ。
監督経験のないジーコには興味がないと歯にキヌを着せないコメントは、日本のジャーナリズムにはない。ひいきのひきたおしの、ぼくらとはまったく違った見方を教えてもらった。いやあ、たしかに、おっしゃるとおりでしょう。

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「日本のマスコミの過熱報道は、大本営発表だ。」なんのことか、若いサポーターの大多数は、大本営の意味がわからないだろうが、ここまでいえたら、痛快だろう。

しかしだ。
そうではあるが、がんばろう、がんばってほしい。ニッポン代表。
日の丸の旗を見上げ、国歌をきいて、きわめてわかりやすいかたちで、原始的な「愛国心」のようなものが、ふつふつと、胸に湧き上がってくる。敗戦直後、水泳の古橋やプロレスの力道山を応援した、あのいい気分は望めないかもしれないが。サプライズの番狂わせは期待したいものだ。

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ところで、この絵は、大会の公式着ぐるみマスコット「ゴレオ」君だ。気の毒に、なんと、開会目前にかれの製造元が倒産してしまったらしい。「かわいくない」「パンツをはかず、みっともない」など、ゴレオ君の悪評さくさくで、売り上げ不振により経営不振に陥ったという。ほんとかなあ。ドイツのこどもたちにきらわれたのだろうか。ぼく自身は、このキャラクター大好きなのだが。
愛知万博のモリゾウときっコロも、最初はこどもがこわがるといって不評だったが、愛子さんのお気に入りと伝わり、空前のヒットとなった。

ぜひ、本番前に脱落?した「ゴレオ」君に会いたいものだ。
ちょっと気が早いが、センスもよく、とてもいい出来だから、「ゴレオ」君の倒産処分マスコットは、お宝価値もあるぞ。

投稿者 nansai : 11:10

2006年6月 2日

六月二日(金)

愛国心

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「愛国心」をめぐっての議論がさかんだ。若い人は無関心だろうが、年配の人でも、急に態度が変わって自説をまくしたてたりするから、こわい。びっくりする。
戦争に負けるまで、少年のぼくは、愛国というよりも、軍国教育をいやというほどうけてきた。目撃者として、証言しておきたいこともある。
当時の教育は、「忠君愛国」がモットーだった。小学校、中学校(旧制)が、メディアで、絵本も童謡も軍歌も、「愛国」は、「忠君」と切り離せないワンセットだった。ぼくの中学校の校訓は、「純忠」だった。
記憶では、戦争末期には、愛国は「忠」一色に染められてゆき、その「忠君」も、戦争が敗色濃厚へすすむにつれ、「国体護持」というスローガンに呑み込まれていった。
愛国ではなく、「国体」を護持する、という大義のもとに、本土決戦、一億玉砕が叫ばれ、ポツダム宣言の受諾が遅れ、何十万という民間人の命が救えたはずの、降伏のタイミングを逸したのだ。そのため、敗戦の年だけでも、東京大阪の大空襲、サイパン、沖縄、広島、長崎の原子爆弾、外地居留民の多くの犠牲を出した。
大義であれ、正義であれ、なんといおうと、あの戦争の結果として、三百万人の何物にも変えがたい同胞の命が失われたのだ。文部省が教育の軸として推し進めた「国体」とはなんだったのだろう。

愛国の「国」とはなにか。「国敗れて山河あり」という。中国何千年の気の遠くなるほどの悠久の歴史上では、国など掃いて捨てるほどあった。でも、ふるさとの山も川もそのままだ。

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国を愛するのは、ふるさとを愛することだといわれる。藤原正彦氏は、祖国愛だという。愛するのは、ネーションではなく、カントリーだという人もいる。
戦前の「忠君」とセットになった「愛国心」は、今言われているようなそんな静かな気持ちではなかった。「国」は、報国戦士、護国の鬼という風に用いられた。あれほど犠牲を払い敗戦しても、もうしわけない、臣民のチカラが足りなかったとして、新聞は「一億総懺悔」と書いた。一億は、シコの御盾でしかなかった。

ぼくは、コミンテルンとスターリンに、日本の脆弱な関東軍の実態を通報した人たちは、愛国者とは思わない。何十万人の大陸残留の邦人の命が、卑劣なソ連の参戦によって奪われたからだ。
せめられないにしても定年後、日本の半導体などのノウハウを近隣諸国に流した技術者たちの国益に反する行動については、困ったものだと思ってしまう。

9.11以後、イラク戦争にいたる多民族国家で移民の国のアメリカの「愛国」キャンペーンも、しっかりみせてもらった。
この国の「愛国」のかたちは、国会の外でも、これから、いろいろ議論されるだろう。元軍国少年のぼくの苦い体験もふくめて、世界の歴史を検証してほしいと思う。大賢は、歴史に学ぶものだ。

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「見よ。東海の空あけて」で始る、幼いぼくが歌っていたなつかしい歌がある。
ああそうだ。「愛国」といえば、「愛国行進曲」だった。むつかしい歌詞で意味はほとんどわからなかったが、ぼくら小国民が、覚えて日々口ずさんだ歌だ。ご紹介しよう。

一、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

二、
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

三、
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろく)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ

昭和十三年発表

投稿者 nansai : 16:35

2006年5月23日

五月二十三日(火)

元気と絵とのビミョーなカンケイ

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ぼつぼつだが、元気がもどってきた。じっとがまんの節酒のかいあって、連休前からカゼをこじらせていた体調が、ようやく回復してきたからだ。

今ぼくが描いている、このようななんということもない隠れブログでも、確実に読者が、一人は、いる。
それも、極めつけのへそまがりのやつが。
そいつが、ぼくの分身の、ぼく自身な