2012年02月02日
一月二十八日 ハッピー?バースデー。
なんとなく、またひとつ年をとってしまった。

五木寛之氏(ぼくと同年らしい。すごいエネルギーの持ち主)の「下山のすすめ」説にも同感だが、山頂をきわめたことがないから、下りるまでもなく、いつも谷間を伝い歩いてきた。
思えば、運と縁である。数えきれない多くのありがたい出会いがあり、ご恩返しもできず、こんなのんきなことをいっておられることに、感謝。
面白い本と出合った。
「ご老人は謎だらけ」―老年行動学が解き明かす、と副題にある。光文社新書740円。著者は、大阪大学大学院人間科学研究科教授、佐藤真一氏。老人は謎だらけなのかあ。
「老人は、老い先短い。しかし、なぜかそれを気に病む老人はいません。
多くの人が深刻に考えることなく、毎日平穏に暮らしています。」
なぜだろう?と考えて、佐藤教授は、老年行動学の勉強を始めたそうだ。

「現役世代なら、あと数年の命と思えば目の前がくらくなってしまうはずのに、老人たちはなぜ心穏やかにくらせるのでしょうか」
と、佐藤氏は不思議に思ったという。
先が短いのに、なぜ平気で暮らせるのだろうか?死ぬのが怖くないのだろうか?
心理学ではむかしから大きな謎だったそうだ。なるほど、老いたぼくにも、謎だ。
老年行動学専門の教授の答えは、ごもっともである。
なんと、老人はポジティブなのだそうだ。ふうん。
どうやら老人は自分に都合のよいことや楽しいことしか覚えていないらしい、というのが、日本応用老年学会理事の佐藤教授の発見だ。
専門的にいえば、エージングパラドックスというらしい。体力や機能は落ちても、主観的な幸福観は高い。人生の残された時間が短くなると、人間は無意識にポジティブなことに関心がむきやすくなるのだそうな。そういえば、ぼくの友人たちにもいる、いる。

困ったことに、お年寄りは自分を老人と思っていない。人は老いを自分ではさほど感じず、老人と感じず老いてゆくものだと、理解せよと教授はいう。これはたいへんだ。
老い先短くても、だから心穏やかなのだ、といわれても、そうかなあ。そうかもしれない。
とくに忘れっぽいわが身に照らしてみると、楽しかったことも、苦しかったことも、あほらしかったことも、それこそ、往時ぼうぼう、忘れてしまったのだが、研究対象のモルモットとしては、佐藤教授説に大筋はなっとくである。
ノーテンキな老人の取り扱い説明書として、おすすめしていいものか。思いは複雑だ。
新米老人たちがふえてきた。大衆長寿社会の「元気な老人たち」とどう付き合うか、この本はその心得集だと、「東洋経済」誌ブックトレンドはのべているのだが。
投稿者 nansai : 14:58
2012年01月20日
一月二十日「いまあなたは幸せですか?」
どう答えたものか。
ここ大阪市郊外では、ことしも平穏な正月を迎えた。冬風の吹きすさぶガレキの被災地には申し訳ないほどの平凡な新年がめぐってきた。
昨春からにわかに国内外に充満する不安、不穏な重苦しい空気を、連日伝える新聞やテレビの情報にさらされなければ。

「いま、あなたは幸せですか?」
こう問いかけたのが、キオスクで買った週刊朝日新春号だ。大きなお世話だが、幸せ感は、ひとそれぞれやで、満足するかしないか、心の持ちようや、などと相田みつおのように言い出すと、こころにおさまりはついても、議論に収拾がつかなくなる。
年賀や初詣では、底抜けの「ハッピーニューイヤー」というよりは、つつましく家内安全、無病息災、お互いの無事を願いあうのがつねである。
高齢になると、ひたすら、自分の健康だけを願うよう

になる、いけないことだろうか、と、病気で倒れ奇跡的に復活して勇退したテレビの司会者が、新年のコラムに正直に書いていた。同感である。
そもそも、幸せとは何だろう。あらためて考えてみる。
しあわせと無事とは、いまのような八方ふさがりの、気分の滅入る乱世では、同義語なのだ。そうやなあ、とため息。
そういえば、ぼくのしあわせは、年とともにダウンサイズ化してきている。いまや、至福.とか、天にも昇る心地とはかんけいなく、ごくささいなことがうれしい。
ぼくのばあいは、失せモノ発見だ。
記憶力がトミに衰えて、しょっちゅう置き忘れする。しまい忘れもある。
めがね、本、(とくに文庫、新書などの新刊書)雑誌。パンフレット、手紙の封筒。デジタル端末、小銭入れ、定期。
ない。ないぞ。あれはどこに行った?
家の中で一日中うろうろ探し物している感じだ。
出しっぱなしにしておくと、整理整頓という家庭内暴力によって、即、片付けられてしまう。どこにしまいこんだ?と、家族を犯人あつかいにするから、うとまれてもしかたがない。

きわめて非生産的で、くたびれる。それがふとしたところで、出てきたときは、よろこびだ。あった。ばんざい。
だいたいあるべきところにあって、気づかず、見落としているだけなのだが。
失せものとの再会は、記憶力に自信のなくなったぼくにとっては、しあわせな一瞬なのだ。またすぐべつの探し物がはじまる。
ところが、しあわせの意識が、震災で変わったという。
「今日と同じ明日」が続くことが、どんなに幸せかを、今度の震災で痛感した、と週刊朝日はいう。
あの大震災で、「当たり前の日常」が当たり前でなくなる瞬間をいやおうなく知ることになった。そうだ、今日と同じように明日が訪れる。それがどんなにしあわせなことなのか。
まさに、ちょうど始まったNHKドラマ「開拓者たち」が、70年前満州からの引揚者たちの苦難の歴史を語り始めた。「今日と同じ明日」が突然消えたのが、前の戦争だった。いつの世でも、幸せとは真逆の「不幸」とは、いかに過酷なものか。
敗戦で突然日常から引き裂かれた開拓民は、みな宮城県の農家出身だった。ソ連の攻撃にかれらは、逃げ惑い家族を失い、引揚げてまた生きようと新しい開拓地に入植、牧畜に挑戦した。
意外なことに、若者たちの幸福度は近年上昇していると、若手の学者たちを取材して、週刊朝日は指摘する。

新進の社会学者の表した「絶望の国の幸福な若者たち」(古市憲寿著)によれば、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間でいちばん高いことがさまざまな調査であきらかになっている。格差社会といわれながら20代の若者の70%が現在の生活に満足していると答えている。
将来が不透明だからこそ、 いまここにいる自分たちのまわりを大事にする。そういう意味での幸せ。人間の幸福度の高低は他者との結びつきにかかわる。当たり前の日常こそ、しあわせだと感じている。
大災害をはじめて経験した若いスタッフなのだろう。みな前の戦争の悲劇を知らない人たちだ。300万人の命が理不尽に失われた。

いったい、幸せの値打ちは、カネなどのものさしで、はかれるものなのか。
昨年、ヒマラヤ山麓のブータン王国から若い国王夫妻がおとずれ、「国民総幸福度」が話題となった。ブータンの国勢調査では、国民の97%が幸せと答えているそうだ。
この国でもDNPやGNPのような経済的な豊かさのほかに、「幸福感」があることを考えてみようということになった。政府も独自の幸福度指標を作ろうとしている。

法政大学坂本教室は、47都道府県の幸福度を数値化した。それによると、日本一幸せなのは、福井県で、最下位は、わが大阪府であるらしい。
なんでまた大阪なんや、と府民としてはつっこみをいれ抗議したいが、平均寿命や保育所定員比率の低さ、刑法犯の多さなど40の指標で点数化したあげく、どん尻の47位だそうだ。また「府市あわせ」か。自虐ネタでも笑えない。
世界幸福度ランキングというのもある。
一位はデンマークで、日本は90位だった。レスター大学のホワイトが世界178カ国を聞き取り調査し

たという。
びっくりするほど税金の高い北欧諸国は、国民幸福度では、かなりいいセンいっているらしい。どうして?なんでだろう?
福祉も教育も、よりよくするために税額をあげてまかなうというと、選挙に落ちるからといって、民意をみくびっているのが日本の政治。議員たちは、視察のためには、北欧をよく訪れるらしい。結論は、日本と北欧は違うよ。
デンマークは人口500万人程度、九州くらいのサイズだ。一億人以上住んでいる日本を細かく割って道州制にしたら、幸福なデンマークのような国がいくつつくれるだろうか。
投稿者 nansai : 11:02
2011年12月28日
一月一日 ことしもよろしく

投稿者 nansai : 14:12
2011年12月27日
十二月二十七日 大阪市は燃えているか?
改革の火の手があがった。
おどおどと、おたおたと、すべて意気消沈の日本で、いま頭を高く上げて矢継ぎ早の改革案を打ち出しているのが、橋下大阪市長だ。これまでの市長には、なかったスピードだ。

民意。この気まぐれで得体の知れぬ空気のような妖怪の影に、既成政党は怯えきっている。想定外の投票率アップに支えられた民意を振りかざす橋下氏の奔放な動きに気押されたのか。選挙で争った政党連合が、かんたんに批判のホコをおさめて作り笑いを浮かべ、維新の軍門に下った。
みえみえなのは、大義を主張するよりも、ひっこめて、次の選挙対策だ。勢いのある維新陣営を敵にまわしたくないからだろう。茶番だった。
ぼく自身は、大阪市民でもなく投票権もないが、橋下新市長の行動力、現状破壊力に期待を寄せているのだが。
今回の大阪市長選では、一部の名だたる評論家、政治学者たちが、選挙後も、口汚く、といってよいほど、橋下氏をこきおろすのに、実は驚いた。押しなべて、大阪には無関心な在京のマスコミは冷たく、あるトーク番組で、民放の年配のアナが、橋下氏のやりかたを「デマゴーグ」と評したのには、ことばの意味がわかっていないのかとびっくりした。
これほど毀誉褒貶の分かれる人物はすくない。ウイキぺディアを開くと、「橋下徹」の項目になんと41ページもの記述がある。
しかし、ホットに見える橋下陣営には、クールな軍師たちがついて、計画的なロードマップが綿密につくりあげられているのだろう。
上山信一氏著「大阪維新」(角川新書)を読んでわかった。上山氏は、慶応大学総合政策学部教授で、ブレーンの一人だ。大阪市の抱えている積年の病弊の問題点が、CTでスキャンしたように、実によく整理分析されている。橋下陣営の掲げる目標が、目先の選挙目当ての急造マニフェストではなさそうである。
大阪府民のぼくは、「ふしあわせ」と自嘲されている、府と市の不幸で非効率な関係がよくわかっていなかった。
上山氏が、橋本氏に出会う前に、大阪市役所の改革は、もう2004年に始まっていて、関淳一市長の下で、助役の大平光代氏が陣頭指揮をしていたと、上山氏はいう。
翌年に大平氏から出動要請があって、アメリカのコンサルティング会社マッキンゼーの分析手法で、辣腕の元同僚の助けを借りて、大阪市の改革案作りに取り組んだ。2年半の間に市役所の主要事業68の分析を行い、積年の大阪市の病弊が見えてきた。しかし、大阪市の市長―労組―議会のもたれあい構造では、改革は無理とわかったという。
次の選挙で、改革派の関市長は、民主党の推薦を得た平松氏に敗れ、改革は未完におわった。
今度の選挙で、ふたたびボールが改革にもどってきた。
実行力の橋下市長を迎えて、プレー再開ということになる。上山氏のようなブレーンたちが、市長を補佐して、変わるに変われない国や地方自治体のしくみに挑むのは、賛成である。橋下氏は、職員約4万人の大阪市役所はシロアリの巣だと喝破した。
ブレーンの上山信一氏は、かつて二年半にわたり主要事業68の分析を行った。大阪市は必要以上の人員を抱え込み、必要以上の給料を払っていると、「大阪維新」でつぎのように、述べている。職員一人一人は優秀でまじめだが、組織は利権をめぐる「巨大なアリ塚」のようになっている。
大阪市は、「巨大な組織でありながら、目の前の声の大きな議員や特定分野のニーズに対応することに追われている」とも。

ぼくは、市政の参加権はないが、今度のダブル選挙戦での体制側?のすさまじい橋下攻撃には、まゆをひそめたひとりである。
大阪都という考え方には、勉強不足で、どうなるかよくわからない。だが、大阪府の中核都市のシロアリの巣のような現状に挑戦する橋下市政には市外から固唾を呑んで見守り応援したい。
市政改革とはなんのつながりもないが、ずいぶんむかし描いたオオアリクイの食事の場面をのせておく。テレビ番組でみたのだが、草原にあるシロアリの巣は堅牢で頑丈で塔のようだ。アリクイは鋭いつめでひっかき崩す。そして長い細い舌を巣穴に突っ込んで吸い取りたべてしまう。
もちろん、市政の改革は、なまやさしいものではないだろう。やすやす食べられるようなシロアリではない。反撃もはんぱではないだろう。お皿もテーブルクロスもない。マスコミもどっちにつくか、わからない。
日本全体が萎縮している現在、つぎの選挙が怖いから、無節操なバラマキ行政が再開された。
みずからの改革をまず大阪市がやってみてほしいと願わずにはいられない。
投稿者 nansai : 13:21
2011年12月14日
十二月十四日
ことしも、せっかく龍の絵をマウスで描いたのだが、賀状を出す先が。
いよいよ押し詰まってきたので、恒例(ぼくが勝手にきめた)のマウスで描く干支の内覧会。
来年のお題は、「龍」。難題である。


今年は、日本海溝の深淵に潜む龍が、突如、千年の夢から覚め、荒れ狂った天変地異の年だった。くわばらくわばら、来年の世界は、四海静波、おだやかな年であってほしい。
古代中国からわたってきたらしいが、お寺の天井や屋根にひそんでいるが、ほんとの龍をみたものはいない。動物園にもいないから写真がとれない。揚子江のわにがモデルという説もあるときいた。要するに、どう描いてもいいということだ。

しかし、なかには、被災地に気を使う向きもあって、新年だからといって、ノーテンキに「おめでとう」、とあいさつしていいものか。むつかしいところだが、そこまでは考えすぎだよねえ。
古典に忠実な?山水画風のやつから、龍から脱線してタイガースファン向けと、まとまりなくばらばらに並べた次第。
このイラストのミソは、ペイントという時代物の初心者向けソフトを使用していることだ。ぼくは、マウスをぐるぐるあやつって、たどたどしく描く。わざとではなく、たどたどしくしか描けない。

マウスは、意味のある曲線をえがこうとすると、すらすらとは描けないのだ。そこは、いまご婦人方に大流行の「絵手紙」に似ている。
だが、ペイントの強みは、○か四角い線のなかをぱっとぬりつぶせることだ。どんな不器用な人でもきれいに塗りつぶせる。また、別の色にさっと塗り替えることができる。

絵手紙は、筆の上部を持ち、びびらせて描くから、うまい下手は関係ないというのがヒットした理由だろう。だれの手になっても、「下手がいい」、ということになる。はがきをもらった人から喜ばれるから、つぎつぎにファンを増やしているのだろう。
マウスで描くパソコン画は、肉筆でないから、一見して印刷物にみえたりして、あまり人の胸をうつことはないのが残念。あほらしくてまねするひとがいないから、どうしても個展ならぬ「孤展」となってしまう。
しかし、ペイントを使うマウス画のメリットは、その気になれば、すぐに描きだせることだ。下準備がいらない。紙も絵具もクレヨンも。
途中でも、あきたら、すぐ消せる。描きかけも、マイドキュメントに冷蔵、冷凍できるのが、何でもすぐ忘れてしまうぼくにはありがたい。
彫るアイデアさえあれば、印判のもっともらしい偽造は、お手のものだ。いわく因縁ありそうに、彫り師のわざが、数分あれば、マウスでできあがる。




怖そうな面構えの龍のお笑いバージョン。








つぎは、干支にこだわらない年賀状アイデア。橋本市制に声援を送りたい向きに。トヨトミリュウとはどうだ。怪獣の頭には千成びょうたん。

四海静波、家内安全、ただ平穏無事にに過ごしたいなら、龍のかわりに癒しのカピバラはどうだろう。のんびりと、争わず、何も求めず。日々を過ごす幸せがここに。

タイガースは、いま長い冬眠にはいっている。新監督の指揮下、始動する春まで。シーズンにはいっても、いつまで寝とるんじゃということのないように。

マウス絵は、ま、しょせんは独りよがり芸だが、落語の「寝床」の大家さんのように自分の芸で人をなやませたりはしないのがいい。

投稿者 nansai : 13:50
2011年12月07日
十二月七日 あすは、何の日?
NHK「戦争証言」アーカイブをみよう。平成の「万葉集」だ。
この日は、太平洋戦争開戦の日だ。同時に鎮魂の日であるべきだろう。

70年前、昭和十六年十二月八日は、「大日本帝国」が米英に対し宣戦を布告し、ハワイ真珠湾攻撃の大戦果に、国中が湧きかえった日だった。(現地には米海軍の記念館が建てられ、アメリカ各地では、「リメンバー パールハーバー」の行事がおこなわれている)
七十年後のいま、この日は、国としては、記念日でも、もちろん祝日でもない。思い出したくない、ふれたくない歴史の一ページなのだ。ぼくは小学校四年生。それから4年後、旧制中学二年生の夏に日本は、降伏した。
日本国民は、あやまった国是を熱狂的に支持、アジア諸国を巻き込んだ戦争により、あまりに多くの死者を出し、悲惨な結末を迎えた敗戦につながるからだ。あの戦争の実態を知る人は次々に世を去って、アメリカと戦った事実さえ知らない若い人が増えているという。
まず、NHKの「戦争証言」プロジェクトが、十二月三日土曜日ゴールデンアワーに放映されたことを、ぼくは高く評価したい。NHKは、太平洋戦争開戦70年にあたり、戦争の実相を未来へ伝えるために、当時の兵士、市民の証言を集めてきた。「戦争証言」アーカイブには、800人以上の戦争体験者の証言が4年間にわたって収集されている。いったい戦争とはなんだったのか。かれらの声をきけば、すべて、なっとくできる。
放映にあたっては、幾多の非難、妨害があったと想像されるが、NHK制作陣は、それを超えて、かつての戦争の悲惨な実像を、敵側アメリカのフイルムも編集して、生々しく視聴者に伝えることに成功した。目を覆うシーンもあえて登場させて。
スタッフの使命感とタブーへ立ち向かう勇気をたたえたい。
「戦争証言アーカイブ」は、いわば、「平成の万葉集」といってよい。のちのちまで語り継がれる国民の史的財産は、ネットで世界につながるのだ。これこそ、デジタルではじめて実現できる、真の公共事業である。クラウド化し永久保存できれば、このようなアーカイブからは、だれでもいつでも(とくに、教室で)必要なときにコンテンツを見て、学ぶことができる。これから、さらに発掘されてゆく史料映像を蓄積してゆけば、歴史教育の水準を飛躍的に高めることになるだろう。

昭和12年から昭和20年までの8年間に、日本国民3005万人が犠牲となった。それも、そのうちの8割のひとびとが、降伏するまえのわずか2年間に、戦禍のさなか命を落としたのだ。
かろうじて生還したひとたちも、今回まで、牡蠣のように口を閉ざして戦争体験を語ろうとしなかった。アーカイブで戦場の実態を証言した人たちは、ほとんどが90歳前後だ。
万葉集にうたわれている古代の戦いでは、「海行かば水浸く屍、山行かば草むす屍」、大君のそばで戦って死のうと戦意高揚の歌がのせられている。
昭和の戦いでは、中国大陸から南海の孤島までアジア全域に拡大した戦いで、200万人の兵士が声もなく戦場に倒れた。恐ろしい数だ。しかも70%が餓死と推定されている。無計画な補給作戦で、糧秣弾薬が途絶したためだ。
NHK戦争証言であらためて確認できたことがある。それは、なぜあれほど多数の兵士、市民が降伏を肯んじず、玉砕、切り込み、自決など、死を選んだのか。
それは、戦後では想像もできない教育と命令のちからだ。
特に「戦陣訓」。中国大陸の戦線で乱れた軍規を粛正する目的で制定されたが、そのなかの「生きて虜囚の辱めを受けず」の教えが、暴走した。捕虜となれば、恥。故国の家族が非国民とされめいわくがかかる。それよりはむしろ死を選べと徹底して教えられた。
捕らえられ生還したある兵士は、恥だ、恥だといまもくりかえす。
命令は、どんなに理不尽でも非道でも、さからうことはできない。軍法会議で殺されると、農民出身の元兵士は証言している。
学校で教わっていないからか。若い人の中には、当時なぜヨーロッパのようにレジスタンスしなかったのかと問う人もいる。周りを海に囲まれた国が制海権を奪われ、通信情報は遮断されていた日本。食糧自給率はゼロに近い。支援どころか全世界を敵に回した閉塞状況は、わからないだろうなあ。
野田総理大臣の中国訪問を直前になって、中国側がキャンセルしてきた。その日が南京事件と重なることもあって、歴史認識をめぐって、不測の事態もかんがえられるということか。
歴史は、双方に重い。認識の差を、どう総括できるかは難しい。水に流したり、ノーサイドとはいかない。
「リメンバー パールハーバー」の日に改めて思う。
投稿者 nansai : 11:20
2011年12月02日
十二月二日
あの「悲運の名将」西本幸雄監督が亡くなった。
ずいぶんむかしになるが、日本シリーズでは、いつも西本監督のひきいるチームをテレビの前で応援していたことを思い出す。もちろん、毎年というわけではなかったが。力がはいったものだ。
大毎、阪急、近鉄。パリーグの弱小球団をきたえあげ、

8回も日本シリーズに出場したが、どのチーム
も、あと一歩で破れ、結局西本監督の日本一胴上げはかなわなかった。「悲劇の名将」といわれるゆえんだ。数かずのエピソードは、ウイキペディアにくわしい。
パリーグの試合はほとんどみたことがなく、球場には出向かなかったが、日本シリーズだけは、名将率いるチームに肩入れした。
1979年、広島カープとの第7戦で9回裏のスクイズ失敗は、くりかえし放映されて「江夏の21球」として球史に残る。
「かれの下でプレーするのは楽しかった。父のように尊敬していた。」
その年「赤鬼」の異名で活躍したチャーリーマニエル氏は、元監督の死をおしんだという。大リーグ、フィリーズ監督のかれは、2008年にはワールドシリーズを制覇している。
西本さんは、今年の日本シリーズみていただろうか。
「魂の11球」。第四戦、ソフトバンク森福投手の投球だ。
先発がつかまり、森福が急遽登板して無死満塁のピンチを十一球でしとめた。171センチ、68キロの左腕の小さな図太い投手が、あわや中日に傾いていたシリーズの流れを変えた。
かれはMVPどころか、どの賞にノミネートされることなく、新聞でもほとんど無視された。しかし、テレビの前の評価は違った。
「魂の十一球」の瞬間最高視聴率、なんと、21.7%。
あの「江夏の二十一球」とダブる、とスポニチ紙にいわしめた快投だった。ぼくは、この小さな大投手の名前を、手に汗にぎるこの回まで知らなかった。
「江夏の二十一球」から、31年たっている。
伝説の名将に、合掌。
投稿者 nansai : 11:50
2011年11月24日
十一月二十四日 最近、こんなに、ぼくに効いたCMははじめてだ。でも?
昨日、通院先の医院で、肺炎球菌ワクチンの注射を打ってもらった。CMを見て相談して、その場の成り行きで、一か月前に予約。こまごまアンケートに記入させられ、納得のサインの上だが。

ある日突然、中尾彬がCMにでかい顔のアップで現れた。自分も肺炎でえらい目にあって死にそうになった、65歳過ぎたら肺炎球菌ワクチンをと、紹介する。
日本人の死因の第4位が肺炎だという。
そういえば、最近肺炎でなくなる老人がふえたな。疑い深いぼくにも、65歳過ぎたらといわれて、どきり、妙に説得力があった。
ちょっと気になったのは、短いCMの画面では、どこが広告をだしているか、赤いマークが小さくてよくわからない。わざとだろう。どうせどこかの製薬会社だろうが。親切な広告だが、仕掛け人がみえない。
へえ、肺炎にワクチンが効くのか、と信頼する通院先のドクターにきいてみた。
「テレビでみたのですが、あんな注射、効果あるのですかねえ?」
いつもは辛口意見の先生が、一も二もなく、ゴーサイン。予約しておきましょうということになって、あれよあれよ。
医院によってばらつきがあるらしいが、注射代金は、保険がかからず、9000円だった。パンフレットもなく、かかりつけの先生を信じて、「肺炎球菌」とは結局なんだかわからないうちに、注射は五年間効き目があるそうだ。よかったのかなあ。どこかに保存するようにと、注射日時シールをもらった。
あとで、グーグルを経てサイトをみたら、ハイエンヨボーコムに延々と「肺炎予防推進プロジェクト」のくわしい(読めばだが)解説がのっていた。覆面で仕掛けた広告主は、MSDという企業らしい。
「65歳過ぎたら肺炎球菌ワクチン」
と、政府広報か公共広告を装っている手口が、ちょっとひっかかった。お役所からのお知らせともとれるからだ。うたがってかかれば、「正義」をよそおった巧妙な勧誘ともとられてもしかたがない。医者の口添え、是認がなければだが。
ぼくは、くわしい解説を読まずじまいで、ドクターを信じて輸入ワクチンを注射してしまったことになる。ネットにアクセスできない65歳以上の人のほとんどの人がそうだろう。ドクターがOKならば、保険がかからなくても、ま、いいか。それほど通院先の懇意な医者への信頼はあついのだが。
中尾彬のCMをユーチューブで探したが、こちらは行方不明。ぼくの関心を見事つかまえたCMは幻だったのか?
投稿者 nansai : 15:01
2011年11月18日
十一月十八日 親子げんかに「正義」はいらない

クライマックスで敗退したら、はいそれまで、阪神ではとっくに野球シーズンは終わっている。日本シリーズはひとごとである。関西のスポーツ紙も売れるわけがない。
そこへ、降ってわいたビッグ?ニュース。
「巨人、クーデター」
閑古鳥をかこっていた関西のスポーツ紙がとびついた。
日本シリーズそっちのけで、デイリーデイリーの見出しが躍る。「読売巨人清武代表の涙の告発、渡辺会長は「球団を私物化」とある。
清武代表は、文書で渡辺会長を球団人事に口出ししたことがコンプライアンス違反として告発、記者会見も。それも文部科学省で。
ナベツネ御大もだまってはいない。著しい名誉毀損だ、謝罪を求めると反論したという。
巨人のフロントは、クレムリンのように鉄壁の一枚岩だと思われてきただけに、意外な内輪もめ、というより前代未聞の内部告発だ。
古来、「隣の不幸は鴨の味」というから、こたえられない。マスコミ各社はやじ馬と化し、ここにいたるまでの巨人内部の事情をこまごまと解説してくれる。泥仕合は興味しんしんだが、しょせん人事をめぐる親子間のメンツの問題らしい。
ゼネラルマネジャー清武代表が「正義」をふりかざしたのに、テレビのお手軽な世論調査では、一杯機嫌のサラリーマンの意見は、おおむね、「同情はするが、ぼくは家族が大事だから、あんな行為には出ない。」
あげくのはて、毎日新聞は社説で、大まじめに「野球は社会の公器だ」として、「大リーグを見習え、所有企業の広告塔ではない、コミッショナーが出てきて巨人に注意せよ」とぶちあげた。たかが、内輪の縄張り争いなのに。
ナベツネ氏は、自分を馬主と思っているに違いない。かれからみれば、ジャイアンツは、負けがこんで大レースにも出られない競走馬のような存在だろう。天下の公器とは考えていないはずだ。
お家騒動といえば、自慢にならないが、かつては阪神のお家芸だった。関西の野球ファンからいうと、巨人のフロントには苦い思い出がある。
巨人の無軌道な選手取りは、手段を選ばず、かつて、南海が別所や長島をさらわれ、阪神がくじで引き当てた江川投手を政治家をつかった妙な口実で交換させられたり、枚挙にいとまがない。江川取りの際の「空白の一日」のように、今回も「コンプライアンス」とか「名誉棄損」など法律論?を持ち出すくせがある。
それみたことか、といってみたいが、大人気ない。
全世界が暗い話題でうつむいているとき、このような箸のこけたような話題を、新聞テレビが大きく取り上げ、TPPも日本シリーズもそっちのけで、ぼくら野次馬もそれにのっている。
日本は平和な国なのだろうか。多分。
投稿者 nansai : 13:40
2011年10月28日
十月二十八日
日本の農業をどうするのだ、と聞かれても

TPPに参加するかしないかで、尊農攘夷、日本中が二つにわかれてもめている、とニュースは伝える。
ふつうのひと、つまり消費者かつ有権者には、ことのしだいが、よくわからない。
「参加すれば日本農業は壊滅する」と、全農は反対し、人や署名を集めて、気勢をあげる。テレビに映るのは、農家代表のシュプレヒコールの場面ばかり。
鉢巻き締めて、全農の指導者は叫ぶ。政府は急いで日本農業の行く末の方針をださねば、TPP参加絶対反対。といわれても、国民は、消費者の立場から、先送りと失敗を重ねてきた農政の迷走振りをよくわかっていなかった。落選がこわい政党は、目先の農村票が、なによりたいせつだ。数はチカラだから。
行く末を見据えた国益としての農業対策は、もしあるとしても、口がさけても約束できなかったと思う。
都市に暮らす消費者は、長年、自分たちの税金を湯水のように使ったあげく、いまの耕作放棄地と農業の担い手が跡継ぎがそだたぬままに老齢化した結果について、無関心だった。長年の農業振興という名の公共工事の無駄遣いを認識していなかった。
もちろん、これから企業の力など導入して、新しい試みでカイゼンすれば、局面が開けることを期待したい。しかし、いまのままでは、先はみえない。
過去をふりかえり、さきざきを考えるタイムマシーンのコックピットで、スーパーコンピューターのデータ(いま出ている新書版の解説書4,5冊分でオーケーだ)から読み取ると、どうなる?
しろうとのぼくに見えるのは、つぎのような景色だ。
日本の農地は、いくら税金を投入しても、耕作不能地がますますふえる。農地を耕す人がいよいよ老齢化を超えて、ついに不在となる。職業として、水田農業をこれからの若者は、認めなくなる。家族が養えないからだ。
とすると、ゆくゆくは、日本の農家は、耕作放棄か、(いまでも農協や工場で収入を得ている兼業農民だ)
嫁さんだけでなく他国から移民に耕作をゆだねるかだ。(これも選択肢のひとつだ)
世界人口が80億をこえ、このままでは食料不足は、目に見えている。
日本のように国土がせまく、自給率に懸念をいだくよその国は、どうしているのだろう。
自国の農業の限界をわきまえて、国境を越えたアイデアで行動しているらしい。
たとえば、お隣の韓国。
「穀物調達、官民で海外開拓」と日経新聞で報道されている。食料不足による価格の高騰にそなえて安定ルートをつくっておくねらいだ。政府と総合商社が、官民の資金を活用して、共同事業体を組み、海外の資産拠点や物流網の構築に乗り出すとある。まず、共同出資会社を米国にたちあげ、小麦やとうもろこしや大豆などの穀物を輸入する。ロシアやブラジル、ウクライナ、東南アジアに段階的に拠点を作る計画だ。
次はデンマーク。
デンマークの養豚業者は、国内での事業拡張にみきりをつけ、とくに東ヨーロッパに広大な土地を確保し、大規模養豚経営のための投資を2004年からはじめている。
「デンマーク、ノルウェー、ロシア、バルチックボーグ投資会社という3つの国名を織り込んだ会社が、バルト海岸のカリングラードで2500ヘクタールの土地でプロジェクトを立ち上げているという。(ケンジ ステファン スズキ氏の著書から)
いづれにしても、どこの国も官民の大資本が、国境を越えて、このような計画をうごかすのだ。
これから人口が減り、狭い国土に農耕適地のすくないわが国は、国境をこえた柔軟な発想が、どうしても必要になる。国も、生き残りをかけている企業と同じように、マーケティングが必要だ。
日本も自給率を高めるには、いまの円高を活用して、世界と農業で手がつなげるのではないか。
投稿者 nansai : 16:26
2011年10月17日
十月十七日 ピリオドの月。トラは死してTシャツに。
未曾有のこの国難にプロ野球なんか、という自粛気分の開幕だった。

ことしも、阪神は、阪神らしく、戦ったと思う。そう、阪神らしく。そして、Bクラスに落ち着いた。
クライマックスシリーズに参加できなかったとして、監督は「辞任」という名の解任。
ひともうらやむ補強をしながら、土壇場のここぞというところで、音量だけは世界一の大声援をバックに、踏ん張りきれなかった。

あまりにも、いいところで、打てな過ぎた。あれれ連敗という毎度おなじみの歯がゆいパターンも、阪神らしい。
力のある選手たちも大観衆の前でいっしょうけんめいプレーしたように見えたが、ことしもへとへとになった終盤で息切れし、結果が出せなかった。優勝争いから脱落してからは客足は一気に減少したと報じられた。
阪神ファンたるもの、いつも最悪のシミュレーションを覚悟し、ま、楽しまにゃ。(ときに、あまりに好調で勝ち進むと酔いしれながらも、待てよ、こんないいことが続くわけないと、そわそわ落ち着かないのだ。)
取りこぼしが続き、天王山の大阪ドームで空席が目だったので、選手もぎょっとしたらしい。今季の観客動員は、成績とは違い12球団トップだが、3季ぶりに300万人の大台を割るらしい。
ファンの怒号で、球団もあわてたのだろう。目の肥えたトラキチからみれば、なにしとるんじゃ、という采配で、動員数が落ちたとなれば、ほってはおけない。クライマックスに出場できなかったら、監督コーチそろって切腹の処分を発表。

真弓監督も、二年前、突然指名されて、とまどいながら監督を引き受けた。
ハンサムで名選手ではあったが、監督のリーダーシップ、技量、経験を見込まれたわけではなかったから、白羽の矢を立てたほうに大きな責任がある。契約は、あと一年のはず。
生え抜きの阪神出身でなかったから、古参選手への遠慮もあり、やりにくそうだった。
古参に甘く若手に厳しいのが、阪神の伝統で、だから出場の機会の少ない若手が育たないと、スポーツ紙はきびしい。

新監督選びは、なかなか難しい仕事だ。
まず、勝つ能力のマネージメントが必要、つまり勝てる人材への投資だが、カンタンなはずがない。ともすれば、ひいきの引き倒しになりがちの人気と現実の実力を天秤にかけ、新陳代謝をはかる、これがむつかしい。
ファンは勝手な注文をつける。毎試合、自分のひいき選手(実力は伴わなくても)にでてほしい、いいプレーを見たい、勝ってほしいのだ。
球団として、もっと大事なのは、興行成績を維持することだろう。
なにしろ日本一のドル箱人気球団の利益計画だ。タイガースファンという、大球場を満員にしてくれる大観客を決して減らしてはならない。阪神電車と甲子園の運命がかかっている。
むかしある代表が、「優勝はするなよ。二位でいい。」といったとか。優勝すると、何かと物入りだから。経営者としては、これはおそらく本音だろう。ファンとしては、優勝して溜飲をさげたいのに。
中日は、日本一の八年目の優勝監督と契約を更改せず、ここらで新しい風を入れたい意向らしい。人気回復を考えたか、ドラゴンズはえ抜きの名選手、71歳の元監督が起用された。
野球は興行だ。勝ち続けても、球場に来る観客が増えるとはかぎらないと割り切ったのか。胸のうちはよくわからない。監督人事は、大リーグではどうなのだろう?毎年勝ち続ければ、首にはならないのでないか。
阪神球団も、つぎの監督候補は、タイガース生え抜きの中からと選ぶつもりという。野村、星野監督招聘の前は、身内から選んで、なぜか過去さんざん痛い目にあってきた。

日本シリーズは、このままゆくと、不人気シリーズになるかもしれない。関西の スポーツ新聞の一面は、トラの次期監督を面白おかしく書きたてるだろう。内部昇格なら、和田コーチが有力らしい。ぼく個人は、プレーボーイ誌のあげる元ヤクルトの古田が適任と思うが、むりやろなあ。
阪神の人気低迷は、球界にくらい影を落とす。某紙によれば、巨人のナベツネ御大は、タイガースは落合監督をとれ、とけしかけているという。阪神巨人が盛り上がらなければ、セ・リーグの明日は望めないという読みからだ。
ともあれ、新監督の下、タイガースに鬼も笑う来年を期待しよう。再出発のはなむけに、Tシャツ用のデザインを、ぼくのトラ・アーカイブからひっぱりだした。「カーネルサンダースの呪い」祟り封じも。

投稿者 nansai : 15:13
2011年10月13日
十月十三日
56歳と100歳。偉大な二人の人生に思う。
偉大な革新者スティーブ ジョブズの恩恵を、ぼくも、毎日受けていたのに気付かなかった。ぼくの絵は、すべてマウスを動かして描いているのに。

このマウスは、天才スティーブ ジョブズがはじめて製品化した。かれは79年にゼロックス研究所を訪れたときに、はじめてマウスを見た。そしてその瞬間このちいさな機器がコンピューターの世界を一変させる可能性があるとみてとって、以降、精力的に製品化を推し進めたといわれている。
うかつにも、ぼくはマウスを世に送りだしたのがジョブズとは知らなかった。
アップルのホームページを開くと、創業者スティーブ ジョブズの遺影が、射すくめるような眼光でこちらを見つめている。
56歳の若さでスティーブ ジョブズがなくなった。
早すぎる死を惜しまない人はいない。ぼくのようなマック音痴にも損失の甚大さはわかる。
「未来を、ありがとう」ニューズウイーク誌は、巻頭でカレジの落ちこぼれが,我々を未来にみちびいてくれたと感謝している。

20歳で自宅のガレージでアップル社を起こし、ついには異なる五つの産業に大きな影響を与えたといわれる波乱の生涯だった。
有名な「ステイ ハングリー ステイ フーリッシュ」(いつも貪欲であれ、つねに謙虚であれ)でしめくくったスタンフォード大学の6年前の卒業式のスピーチがユーチューブで、いまも流れている。字幕付きだ。
きょうで命が果てると思えば、きみは、なにをするか。
いったん不治と宣告された病の手術が成功して、卒業式に招かれた。自分の思うままに生きよと、シニカルなはなむけのスピーチに、こう述べて、若い聴衆の感動をよんだ。
人生にとって教育とはなにか、学歴とはなにか、を考えさせられるかれの一生と業績だった。
学費が高すぎるといって 大学もほとんど行かず、ビジネススクールにも通っていないかれは、あらゆる既成概念を無視した自由な発想で、アイフォン、アイパッドなど、数々の革命的商品を市場に問うた。フロッピーディスクもいつの間にか姿を消してしまった。
かれは、製品のデザインで、ふつうのひとびとがバカチョンで使えるよう心を配ったといわれる。使いづらい、むだなボタンを極力はぶくように現場に要望したとも。
日本でも、パソコンが苦手だった高齢者たちが、スマートフォンに興味をいだくようになり、山村の自治体でも、緊急情報とか巡回バスの時刻表など発信し、みな簡単に使いこなしている様子がテレビで報道されていた。
昨夜は、NHKスペシヤル、「日野原 重明 100歳。命のメッセージ」が放送された。
現役医師として百歳のいまも、終末医療に関わり、緩和ケア病棟で患者たちに元気を与えつづけている医師に一年間密着取した映像が放送された。
百歳の医師は、時代を駆け抜けてあわただしく去ったジョブズ氏の二倍近い人生を生きて、なお末期の患者たちひとりひとりにしづかに生きる喜びを伝えている。そのすがたに、深い感銘を受けた。その使命感はどこからくるのか、特集は教えてくれる。
ジョブズ氏の業績は、市場に流れ込むアップル製品とおびただしい量の情報が、ネットで世界に伝えられるだろう。
いったんは、病のために絶望の淵に追いやられたが、手術に成功したジョブズ氏は10年足らずの残りの人生を燃焼しつくして、アイフォンなどの製品を世に送り出した。世界が、その恩恵に浴している。
一方、文化勲章など数々の名声はかくれもない日野原医師だが、病室で末期の患者ひとりひとりのいのちに最後までやさしく向き合う、百歳の日野原医師のすがたは、テレビ局の密着取材でしか、世間に伝わることはないだろう。
しかし、こうした番組を通して、日野原医師の「医は仁術」の考え方が、ひとりでも多くの次世代の若い医師たちに伝わることを祈りたいものだ。いまの底知れぬ不安な時代に、人心はあまりにも荒廃しているから。
残念ながら、日野原先生の温顔は、ぼくのマウス技では到底描けなかった。
ジョブズは、死期をさとっても、間際まで、自分を信じて、つぎの新製品の指示を出していたに違いない。
日野原医師は、末期がんで、自分を見失いかけている患者たちに元気をあたえる看取りをつづけている。
激しい56歳と穏やかな100歳。それぞれの死への向き合い方は、大事な何かを教えてくれる。
投稿者 nansai : 12:58
2011年07月27日
七月二十七日 熱中症防止は、首のここを冷やせ。

「首冷やしてクール」
いいアドバイスが朝日新聞にのっていた。
首の前面には、体温を調節するセンサーがあるのだそうな。知らなかった。で、濡れタオルで鎖骨の少し上の当たりを意識して冷やすと効果があるらしい。体の表面ちかくに太い血管が走っているからだ。これはよさそう、早速採用だ。
首の後ろはタオルで冷やすと気持ちがいいが、首の前面が大事だったのだ。
ことし、熱中症で病院に搬送された人は、もう二万二千人にのぼり、死亡した人は100人以上と、NHKが報じたのにびっくりだ。
昨年よりも40%も多いらしい。
そのうち高齢者が70%をしめているとか。どうなっているのだろう。節電が関係あるのだろうか。

熱中症をつよく意識したのは、昨年だった。
連日、テレビがひっきりなしに、気をつけるよう警告した。あまりにくどいので情報公害のような感じで、ゴルフに行っても、くそ暑い日は、やばい気がして、なんともなくても、びびってしまうところがあった。あんまり汗をかかないぼくは、それまでは、夏暑いのは暑くて当たり前と思っていた。
戦時中、旧制中学生のころは、水をがまんする過酷な長距離行軍に参加させられたが、それでも倒れる人はいなかった。スポーツ選手が水をひっきりなしに補給するようになったのは、いつごろからだろう。
投稿者 nansai : 14:52
2011年07月26日
七月二十六日 なぜかたづかないか、ガレキ砂漠。
四ヶ月たっても、テレビの画面に映し出される被災地の瓦礫の山がかたづかない。報道によると、まだ三割しかかたづいていないという。瓦礫からの猛烈な悪臭は、TVでは伝わらない。三月十一日以前に、そこで暮らしをいとなんでいた人々を思えば、胸が締め付けられる光景だ。暗然とする。

なぜガレキ処理は、はかどらないのか。
はばむ複雑なハードルがあるのか、もとより現場を知らない域外のしろうとに、よい知恵のあろうはずがない。無力なぼくは、イラストで、力自慢のぞうさんを出動させた。Tシャツのデザインにしかならないが。
人手がたりない。ボランティアが足らないから、瓦礫が除去できないという一部報道も見受けられた。
減ってきた学生ボランティアに、単位を与えてきてもらうというのもある。
瓦礫を処理できない原因は、土木機械が圧倒的に不足しているからだ、という投書があった。なぜ、不足しているか。不況で経営の苦しい中小の建設会社が、土木機械を外国に売払ってしまい廃業したせいで、同時に、地元に合った土木技術も失われたからだという意見だ。

さいきん、避難所から自動車学校に通い、大型特殊自動車の免許をとり、ガレキを除去するショベルカーやロードローラーを運転する技術を習得する人が増えているそうだ。
漁をあきらめた元漁師がこのままでは家族を養えないから、土木機械の運転で生計をたてると決意を語っているのをニュースでみた。応援が必要だろう。
ほどこしではなく、みな自力で稼ぐことをのぞんでいる。とりあえず地元で稼げる仕事が必要だ。
ガレキ処理は、地元の雇用に大きく貢献するが、手と重機がたりない。そのためにも、ひろく民間の企業と資本が馳せ参じる態勢ができているのだろうか。
ファミリーマートは、買い物に不便な仮設住宅に小さな店舗を併設した。従業員は避難地区から採用、ユニット工法の仮設店舗は二週間で立ち上げた。もちは、もちやの力があるのだ。
イラストのゾウさんたちも、特殊自動車の免許をとって参加させることに。ぼくの知人のグループも、岩手で雇用促進の一助として、カレーの屋台販売ノウハウを支援している。

不幸な人々を支えたい、分かち与えようとするボランティアたちの善意は尊い。しかし、チカラ仕事の瓦礫処理は、膨大で手に余る。無給の善意の労働を、いつまでも、ボランティアたちに期待するのは無理なことではないか。
先の大戦で破れ、焼けだされ、復員、引き揚げた日本人が、焼け跡からたちあがれたのは、ばらばらの自助努力であると往時を知るひとたちはいう。戦前の古い体制がひっくり返ったのは大きい。
雄々しさといったかっこいいものではなく、食うために闇もやり、遮二無二、ベンチャービジネスが立ち上がった。
被災地の復活は、これからの時の流れをどう読んで動くか、市場の需要動向にどう乗るかにかかる。それも、グローバルに、だ。
市場メカニズムにさからう無理なプランは、ついえてしまう。国のほどこしを頼りにすると、目算はづれで、地域経営が破綻してしまう夕張市などの例が山ほどある。

復興の主役は、若い世代だろう。競争にひるまず、資本を集め、挑戦する三十代前後の血気盛んな若い起業家たちが、望みの綱である。
将来を担えない年配の既得権者たちに、意見をきくのはいいが、まかせられない。農地、漁業権など、じぶんたちの既得権をさまざまな理由をつけて守ろうとするからだ。とおい五十年先の地域ビジョンよりも。
そこに、口当たりの良い公約をぶらさげて、国益よりも、目先の一票がほしい政治家がつけこんでくる。増税など口が裂けても持ち出さない。落選につながると信じているからだ。

ふるさと創出は、地元には耳ざわりがいい掛け声だ。しかし、投資がペイするか、持続できるかを、市場メカニズムが判定する。
企業なら、その流れを読んで行動する。まちがえたら、卽、撤退だ。さもないと存続が危ぶまれるからだ。さきざき収支あいつぐわない投資は、どんなロマンチックなプランでも破綻し、後世というより他地域の人たちの税負担となる。
これから「ビジョン」満載の公共事業案が、つぎつぎに登場するだろう。
往年の「列島改造論」のような妖怪が徘徊するかも。
思い起こせば、戦後、食料不足解消のため、恵まれた環境を破壊して、日本列島でいくたの干拓工事が行われた。あれはなんだったのか。秋田県の八郎潟などは、埋立てなければ貴重な観光資源になったはずである。それがいま耕作放棄地は、日本全体で埼玉県なみの広大な面積だ。
人口が減り、高齢者がふえて、若者が去るのは、この地方だけではない。この地域の農業、漁業、水産加工は、かわりの労働力を外国人に頼らざるを得ない。
そうなると、別の問題が浮上してくる。
三〇年先、百年さきの東北のすがたが虚心に読めるタイムマシーンがほしい。
「賢く縮む」。スマートグロース。成長は大きくなることではないと、人口が減り高齢化のすすむ先進諸国では、縮む都市の研究が進められているという。
従来の「活性化」モデルをなぞると、カラ元気に終わり実情にあわなくなるのではないか。二一世紀の日本も、東北も、賢く縮む戦略が必要になるだろう。
投稿者 nansai : 11:53
2011年06月07日
六月七日 国難と政府―沖縄戦と東日本大震災
巨大津波のもたらした見渡す限りの廃墟が、毎日のようにテレビにうつしだされる。
しかし、被災地からはるか離れた東京では、国会議事堂が漂流している。連日、政党間の「場外乱闘」がおもしろおかしくマスコミをにぎわせている。「ペテン師」などと罵詈雑言が飛び交う、大義なき個人攻撃。口汚く、聞き苦しい。

視野狭窄の国会議員の頭のなかは、国益よりも、身の振り方、目先の政局対応でいっぱいなのだろう。
そんなひまがあったら、被災地のガレキの山をどうするんじゃ、はたらかないのなら、国会議員の歳費をかえせ、という声もあがる。
震災の廃墟の光景に重なって、戦争を体験したわれわれ年配者には、それに、さきの敗戦の焼け跡がだぶって見える。
66年前のちょうど今月、十八万人の死者を出して、沖縄戦は終わった。市民も巻き込んだ逃げ場のない戦いだった。あと二ヶ月で日本は降伏したのに。
津波のような米軍の二カ月間の攻撃で、日本軍は組織的抵抗を終えた。命令により降伏をゆるされず、最後まで抵抗した日本軍兵士は、敵の徹底した報復の標的となり殲滅された。戦争を知らない人は、ウイキペディアで「沖縄戦」を参照してほしい。海兵隊員スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社学術文庫)も。
半世紀後、東日本震災に出撃した米軍の「トモダチ」作戦は、日本人に感謝されている。
当時、日本の戦争指導者は、沖縄を、連合軍の本土上陸を阻む「防波堤」と位置付けていたのだ。戦いが終わり、あとには、爆弾と砲弾のすさまじい破壊による瓦礫が残された。
延べ二千機の特攻機による連合軍艦艇への捨て身の攻撃もむなしかった。
巨大戦艦大和も、四月に沖縄に向け海上特攻に出撃、雷撃を浴びて、あえなく海の藻屑と消えた。信じがたいかもしれないが、銃後のぼくらは、7万トンの秘密戦艦「大和」の存在(もちろん沈没も)をしらされていなかった。

五月には、同盟国ナチスドイツは無条件降伏し、世界を敵に回した島国の日本は孤立無援だった。
そんな状況でも無策の戦争指導者は混乱して和平の道を探せず、大空襲で原爆投下で都市を焼き払われ、多大の死傷者を出した。
しかし、なおも徹底抗戦して、一億玉砕しても国体を護持すると言い募る陸軍。沖縄敗戦からわずか三ヶ月後の八月の降伏決定まで、指導者たちの議論が紛糾した。
だれがみても敗戦必至の状況に政府は目をそらした。無策のままむなしく時間を空費し、大都市大空襲と原爆の投下とソ連の火事泥的参戦を招いたのだ。
降伏に至る判断の逡巡により、この年だけで二百万人の失われなくてもよい人命を、日本は失った。ようやく無条件降伏を連合国に伝えたのは八月にはいってからだ。「国体を護持し得て」(終戦詔書)、戦争は終わった。戦禍にたおれた犠牲は300万人といわれている。
昭和以降近年の政府が信用できないのは、国難に際しての決定の優柔不断だろう。国難に遭遇すると、日本の政府指導者たちは、いつも、このようなパターンをとる。難局でもたつくと、ここ一番の合意が得られず、いつも決断がさきおくりされるのはなぜか。縦割り組織間の意思疎通にかけ、責任を持って裁断する権力者がいないこと。
今回の震災では、自衛隊の救援体制だけが、事前にシミュレーションされ、的確に部隊を投入し行動できた。
今回の震災が人災といわれるゆえんは、政府と東京電力の組織運営力によるところが大きい。その底流に長年にわたる根深い権力の争いがあったことがわかった。
前の戦争は、「神州不滅」、精神力で負けるはずがないという思い込み、今回の事故は「原子力の安全神話」に頼りきった点は共通している。日本の英知が結集したはずの原子力行政の破綻。原子力「ムラ」と呼ばれるエリートにゆだねた「国民」の責任なのだろうか。
投稿者 nansai : 11:41
2011年05月02日
四月二十九日 核の花と水仙の花

ニューヨーカー誌3月28日号の表紙は「暗い春」だった。
外国の目からみた日本の春。暗闇をバックに核マークの花が咲いている図だ。日本人のぼくにはとても描けないアイデアである。
東北から遠く離れた、ここ大阪の花見も、天満橋河畔の造幣局の「通り抜け」を最後に、あっけなく終わった。名物の夜桜は、照明の自粛で、今年は取りやめとなった。気分が萎縮してしまった。
年々歳々、花相似たり、年々歳々人同じからず。花に罪はないのだが。
今頃、桜前線は北上して弘前あたりだろうか。被害三重苦の始末がつくのは、思いの外、はるか遠いさきの話らしい。
いま前途に希望のみえない被災者の人々が、せつにのぞんでいるのは、 すべてを3月十一日のあの日にかえしてほしい、ということだろう。
そう望まれると、ことばもない。時計の針を逆回しして、それが可能なタイムマシーンは、何十兆円かけてもつくれないのがくやしい。
放射能を遮る防護服も作業ロボットも、日本の技術力の想定外だった。

過日天皇ご夫妻が宮城県の避難所を見舞われた際に、一人の奥さんが、美智子皇后に黄色い水仙の小さな花束を差し出した。
その奥さんの家は、津波でまるごと流され、土台しか残っていない。ある日帰宅してみると、自宅の庭の瓦礫のそばに、震災前に埋めておいた球根から黄色い水仙が芽を出しているではないか。いのちは強いものだ。奥さんは、早速小さな花束をつくり、私たちも負けず
にがんばりますからといって避難所で皇后に手渡した場面をテレビカメラがとらえていた。
「握手していただきました。白くて暖かい手でした。」
喜ばれた皇后は帰りの飛行機から降りるタラップでもしっかり手に抱いておられた、とNHKテレビが報じていた。
この黄色い水仙のエピソードは、象徴的だ。
流された家の敷地の黒いヘドロの土のなかから、植えておいた球根から水仙が芽を吹き、けなげにも花を咲かせたのだ。津波に耐えた復活のシンボルにもなるだろう。水仙の花の絵は、ぼくには難しかったが描いてみた。

未曾有の国難にあたり、これからどうしたらいいか。東北を、日本を。だれもが意見を述べるだろう。
フィナンシャル・タイムズが日本の公共工事を皮肉ったように、従来ならば、こんな時、日本はセメントと鉄と水でしのいできたのだが、今度はそうはいくまい。
有識者、政治家たちが、百家争鳴めいめい勝手な復興計画案を並べ始めるだろう。早くも百家争鳴の即興アイデアが、週刊誌各紙にわんさとのっている。政府が委嘱した二十の委員会にも有名人が目白押しだ。綺羅星のごとき委員会のメンバーも、坂本竜馬、高杉晋作クラスの若手の新進気鋭のサムライがすくなすぎるのではないだろうかと気になる。
はたして、正しい最適案は生まれるのだろうか。解は無数にあるから、優先順位はつけにくい。収拾がつかなくなるのは必定。
この国難にあたって、日本を、東北を、これからどうするか。必要なカネは、五十兆円以上といわれる。
国難となると、いつの時代も、愛国者があふれる。だが、高齢者に、なにができるか。こんご持続可能な納税しかないだろう。それだからこそ、血税の無駄遣いを厳しく監視したいのだ。
とりあえずの復旧と、百年後を見据えた、東北という「くにのかたち」を分けて考える。
知恵とかなりの時間が必要だが、若い日本人の底力は、東北を浮上させるだろう。選択と集中、よろしきを得ればだ。
しかし、いまどん底の境遇にある高齢者たちは、経済的にも燃え尽きている。不運な高齢者たちが、せめて平穏に余生が全うできるように、適切な医療が最低限受けられる環境と設備を整えるための緊急体制が必要だ。

さて、東北の具体的な将来像。
納税以外に、ぼくに口をはさむ権利はない。だが、長く生きてきて、ものごとを大雑把にしか考えられないぼくは、しみじみ思う。
なにごとも、無理はいかん。ほどほど身の丈にしておかんと。えらい目にあうで。
神話を信じて日本人はひどい目にあった。神州不滅の不敗神話とか、原発安全神話とか、シミュレーションの足りない思い込みを信じては、あかん。アメリカに宣戦布告するとか。日本列島改造論とか、水面下60メートルの防潮堤なら、大津波が防げるとか。
無理は、あかんで。先を見通さずに、元気のよいように見せかける無責任な役人や政治家にだまされるな。
戦前の昭和に生まれ国難に翻弄されたぼくが国民としていっておきたいのは、人知のおよばぬ二つの原理に逆らうな、ということだ。
それは、自然の摂理と市場原理である。
日本列島東岸沖のプレートの境目の震源域は、日本海溝の海底に二億年前から現存していたという。その事実を無視して設計に織り込まなかった建設関係者は、不遜にも自然をなめていたのだろうか。
地球にしてみれば、地震も津波も、げっぷか、しゃっくりの発作みたいなものだ。千年か百年か十年か、定期的に?大小の地震津波を発生させ、くりかえし日本列島を襲ってきた。
素人考えでも、原子力は制御できるかもしれないが、津波を引き起こす地殻変動には抗しきれるはずがない。
原発や防潮堤のみならず、今後建設する大小の構築物は、厳密にハザードマップを作り直し精査して、活断層を避け、耐震、免震、制震構造をほどこさねばならない。こうして、見直された基準値に基づいて、最新の技術を開発して施工すると、この地域での構造物は恐ろしく高いものにつくだろう。
グローバルな競争にさらされ利益を追求せざるを得ない企業は、すばやく対応するだろう。しかし、「とーちゃん日の丸」の公共事業は、そのとき償却にいたるコストをどう織り込めるか。納税者は、監視しなければならない。
日本海溝8キロ海底の震源域は、これから何億年も人間のいとなみと関係なく存在し続けるのだろう。
このような世界有数の地震頻発地帯にあえて建設するとあっては、建築構造物は、これまで以上に、採算性が問われるのは必至だ。従来のような採算性の「作文」は許されない。採算は無視できない。
誘致に安易に乗るかたちの過去の公共事業は、政治指導で無理な目標をたてて地元をうるおしてきた。選挙区の票とおこぼれの利権のためである。

納税者のひとりとして、ぼくは、最近待望論の高まっている小沢一郎的な環境が整うと、悪夢のような田中角栄流の列島改造待望論のもとにお涙ちょうだいばらまき工事がつぎつぎに大手を振って企画されるのが心配である。復興の美名のもとに、二度と大津波に流されない、超巨大防波堤などだ。万里の長城や,戦艦大和はもうたくさんだ。
納税者のぼくの立場からいえば、破綻に瀕している財政から、税金や国債で吸い上げたカネをそんな風に使ってほしくない。
ある専門家は、津波のエネルギーに抵抗できる人工の構築物はない
と言いきっているのだ。無理はあかん。無理は負けるで。
つぎに人口が減り、高齢者が増えるという冷厳な現実が日本にせまってくる。好むと好まざるにかかわらず。人口の80%が都市に集まると予測されている。いくら勢いよくグランドデザインとか、ビジョンを作文してうたいあげても、それが現実を踏まえなければ、冷厳なグローバルな市場原理の流れには勝てないような気がする。
残念ながら、東北は、その少子高齢化社会の未来のサンプルにほかならない。2010年に一一六八万人が、2050年には七二二万人に減るという政府予測だ。その半分は、高齢者だ。
長い年月を経ると、いかに故郷が恋しかろうと、市場原理のままに、人々は、移動する。集落も、工場も。なにも、日本に限ったことではない。
若いひとが、ふるさとを出てゆく。残るのは老人たちばかり。先祖
は、傾斜のきつい山ぎわの田んぼを段々に耕したが、機械のはいらないまは、耕作放棄地にせざるを得ない。
地元に、若い人のやりたい仕事がなく、食えないからだ。
三陸海岸の水産物か工場は、研修生という名の中国人労働者がいなければ操業できない。茨城県のイチゴハウスも、収穫する中国人労働者が帰国したため、ハウス内で枯れてしまった。
労働力不足の東北は、五十年後、百年後にはどうなるだろう。このまま、研修生という名の低賃金の外国人労働力によって、支えられる「特区」地域となるほかないのだろうか。
それでは、市場原理にさからわない東北再生をどのように計画するか。地域のだけでなく、日本の叡智が試されるだろう。
政治家がグランドプランをどれほど提示しようとも、口当たりの良い元気のいいアイデアは、よく吟味せねばならぬ。
日本列島改造論を思い起こしてほしい。バブル後の町おこし、村おこしは、全数絶滅した。死屍累々、また夕張のような事例が、選挙の公約で、また出現しないとも限らない。膨大な負債を残し、子や孫に引き継がれる。あやまちは、忘れられ繰り返される。リアス海岸の津波対策のように。
投稿者 nansai : 12:14
2011年03月30日
三月三十日 合掌 南無地獄大菩薩

江戸時代の禅僧白隠禅師が、よく揮毫したのが、「南無地獄大菩薩」である。
人にはすごい力が備わっていて、それはぎりぎりの危機に直面すると出てくる、というこころらしい。
白隠は、また、生涯、無数の達磨像を描いた。
だるまさんなら、七転び八起きだ。地獄に落とされても、自力で起き上がる不屈の大和魂。
白隠禅師の許しは得ていないが、真っ赤な日の丸に、達磨をまるくおさめて、日本がひとつとなって支援するシンボルとした。支援Tシャツのロゴになる。
添えるコピーは、
南無地獄大菩薩 七転び八起き
けっぱれ、東北 日本はひとつ

投稿者 nansai : 13:18
2011年03月11日
三月十一日 マスコミをにぎわせた、あの入試カンニング騒ぎは、なんだったのか?
さきごろまでは、この国の新聞もテレビのワイドショーも、マスコミは、有名大学の入試カンニングでおおさわぎだった。誰もがみるサイトに、わからん、教えてくれ、とSOSを投稿、と、答案の案がどこからとも寄せられるネット時代。ずいぶんオープンなカンニングの手品のような手口が、好奇の視線を浴びた。

だが、大山鳴動してネズミ一匹。
あっけなく犯人の予備校生が割り出されて捕まってみると、今度はケータイを使った手口の分析をことこまかに専門家に取材。同じ内容の報道に気の遠くなるような時間が費やされた。どうなっているのかなあ。IT時代とはいえ、手がこんでいたとしても、たかがカンニングだ。

かなり学力のある親孝行な青年が、よくないことと知りつつも、片親の家計を考えて、どうしても学費の安い一流国立大学に入りたい、と企てて、運悪く失敗した、という美談?とも取れる。世間をさわがせるのがおもしろくて、ゲーム感覚の愉快犯かな、と最初は思ったのだが。
万が一かりに成功してこのような青年が入学を許され、エリートコースを歩んでゆくと、日本はどうなる?笑ってはすまされない。
いずれにせよ、天下国家の問題ではないだろう。
いま多事多難の日本にとって大事な問題が山積だ。この間、日本が石油の八割も依存している中東独裁諸国「世界の目が釘付けになっている反乱の報道などは、後回しにされた。
それにしても、一国の教育を左右する試験はこのままでいいのだろうか。
人の値打ちをどんな風に測ったらいいのだろうか。それも、これから社会に出る若い時期の可能性をだ。
人の能力、それも将来ある若者の能力を査定するのに、一点二点を競うより、もっと的確な方法はないものかと思う。
むかしながらの採点しやすい点数制しか、ほかに方法がないのか。ためいき。
こどものころから、塾、予備校と、受験対策に技術の習得に育ち盛りの時間を奪う。受験勉強は、若い未完成の人間の序列をつけるのに、どれほど役立つのか。スポーツや音楽の稽古や練習とも違う、と思う。全体の10%以下の英才や俊英たちにとっては、名門校の受験など、さほどふたんにならないだろう。
大多数の普通か、平均的な若者が、一生のうちの限られた珠玉の学習時間を、一点二点を競う受験勉強で合格技術を磨こうとするのは、時間の無駄のような気がする。むしろ自分の身の丈にあった知識、技術習得を探してふりむけたほうがいいのではないか。これからどのようにして飯の食える仕事に
ありつけるのか、世界の大学生のかかえる頭の痛い問題なのだ。

昭和生まれのぼくは、戦時中に育ち、勤労奉仕や学徒動員に駆りだされた。敗戦後の混乱期に、教科書も参考書もなく、塾も予備校もない時代だった。
ちょうど日経新聞に連載されている建築家の安藤忠雄さんの少年期と重なり合う。かれは大学を断念し独学で建築を学んだ。無銭旅行同然で世界各地の建築をみてまわったという。
学歴だけでは、飯が食えなくなった。なにができるか。
人様から必要とされ、世の中に通用し、家族が養える職業知識、技術、スキルを身につけなくては生きていけない。
入学試験に受かっても、今のままの大学でのほほんとしていたら、ふつうの青年にそんな職は身につかないだろう。これからは、先進国も新興国も、青年に与える職がない時代に突入する。大学を出た高学歴者に職がない。中東職の暴動もそれが原因のひとつだそうだ。
いまや先進国も新興国もない。頭のいい優れた仕事のない青年は、グローバルにあふれている。
ふつうの平凡な人間(八割がそうだ)は、自分の身の丈に合ったスキル、職業に出会うが、つくる必要がある。ひとにぎりのエリート層以外は、学歴はあてにならない。
むかしから、生物多様化の時代。これからの多様化に対応だ。身の丈の範囲で、めいっぱい、きょろきょろ隙間を探し、背伸びをすると、道はひらけるかも。保証はできないが。
投稿者 nansai : 15:12
2011年02月28日
二月二十八日 独裁者を倒せば、民主主義がくるのか?
中東に、ネットが主導する維新が起こったのか?世界があっけにとられている。
若者を尖兵とする反政府運動のうねりで、中東アフリカの独裁諸国

の体制がぐらつき、つぎつぎに、転覆されつつあるようにみえる。
若者たちのネットでの行動の呼びかけが運動のうねりを巻き起こしたというのだが。
つぎは、どうなるのだろう。反政府運動のうねりの底流には、若者に仕事がないことだ。これは、先進国と同じだ。
構造的な問題で、すぐどうにかなるということではない。石油を売って得たカネをあわててばら撒いてすむ問題ではない。
どの国も、当面のかぎは軍隊だろう。武器を持つ軍隊の動向しだいだ。
リビアの指導者「狂犬」カダフィ大佐は、首都トリポリを死守するとさけんでいる。追い詰められた政権の常軌を逸した狂信的行動は、まさに昭和二十年夏の日本を思い出させる。最後のひとりまで戦えと、国民は本土決戦を覚悟させられた。
しかし、独裁者をたおしたら民主主義がやってくるわけではない。
もっと難しいのは、その果実を分配することだ。と、フィリピンの「ピープルパワー革命」をひきあいに、毎日新聞の「窓」欄は、指摘する。
マルコス体制が崩壊して、今月で四半世紀になるという。毎日新聞の柴田直治は、当時ハワイに逃亡したマルコス一家を取材した。
「独裁者の末路の哀れを感じると同時に、民衆が権力に立ち向かうドラマはきらきらとまぶしかった。」
しかし、「革命」の高揚と興奮が冷めるのに時間はかからなかったと、柴田はいう。冷厳な現実だ。
歴代政権の腐敗と貧富の格差の拡大はそのままだ。のどもと過ぎればということか。悪名高かったイメルダ夫人や子供らは帰国し国会議員などの要職にあるそうだ。一握りの富裕層が国を牛耳るフィリピンの実態にかわりはないという。
独裁者をたおしたら民主主義がやってくるわけではないと、歴史が教えている。四半世紀を経たいま、毎日新聞「窓」欄の執筆者柴田直治の指摘は正しいと思う。残念ながら。
今の内閣を倒して、そのあと、どうなる?
日本の政権交代も、権力闘争に勝って、日本が生まれ変わる保障はない。
政局しか視野になく、目先の選挙に勝つことだけを考えている政治家は、オリンピック柔道選手などアタマ数や人気だけを集めてどうするのだ。
五十年いや百年先を見通して、この国の針路、国益を考える人材、頭脳集団が、いったい、どこにいるのか。
人口が減り資源がないまま、世界を相手に飯を食わねばならぬ日本。その厳しい未来をみすえて、火中の栗を拾う英知と気概が必要だ。選挙のスローガンとしては、地元にうけないだろう。とくに、TPPにわけもわからず反対する地方には。
それ行け、どんどんと、勢いだけよかった田中角栄の日本列島成長論は、日本の未来への正しい資源の配分を狂わせ、ダム,堰、埋め立てて、いまの借金大国のいしづえを作った。
コンピュータつきのブルドーザーと称えられた田中には、三十年先、五十年先は読めていなかったのだ。コンピューターではなく、選挙に勝つための直感の提言、今で言うマニフェストが、島国日本の針路を狂わせた。
田中の愛弟子小沢氏は日本経済の先行きが読めない。地方票重視の田中の亜流でしかない。
各種団体や地方の「部族」と、妥協取引しつつ、世界経済へは尻込みしたまま、目先の一票をほしがる今のままの選挙で、どのような成果が期待できるだろう?
投稿者 nansai : 13:38
2011年02月21日
二月二十一日
ちかごろ人が歳をとらなくなった(黒井千次「老いのかたち」)

黒井千次の「老いのかたち」(中公新書)をぱらぱらめくっていたら、「老い遅れに気をつけて」というくだりがあった。黒井氏は、話していた相手が、
「ちかごろ、人が歳をとらなくなったな」
とつぶやくのをきいたという。
老い遅れとはなにをさすのか。
元気な老人がふえたともいえるし、老年にふさわしい威厳や風格が薄れたというか、いい形の老人がみうけられなくなったということでもある。と、黒井千次は、のべている。黒井氏は、作家で、老い方を説くエッセーストだ。奥書によれば、ぼくと同年生まれだった。
そういわれれば、ぼくも、昔の老人とは違う、重みのない軽い存在であるような気がしていた。
若さとは、年齢に関係ない。気持ちの持ちようで青春がふたたび得られるという考え方は、本も出て、老人に勇気を与えた。
それが、「老い遅れ」ともとれるとは、気がつかなかった。困ったな。
少年期に、敗戦という、日本まるごとナイヤガラの瀑布に落ち込んだまま、戦後の土石流にのまれ、浮きつ沈みつ、流れ流れて、半世紀以上を経過したが、ふりかえれば、上品に風格をもって、歳を重ねるふうにはならなかった。
風格の備わった品位のある、いかにも老人らしい老人がいなくなったと、黒井千次氏は夕刊のエッセーに書いている。「品位のある老人、どこにいる」とも。
どうせ若い編集者がつけた見出しだろうが、知ったことか、という気がしないでもない。

すぐ切れる老人が増えた、という本もでたな。ぼけるにはまだ早い。窓口で店でちょっと待たされたりすると、食ってかかり声高に自分の権利を主張する。クレーマーというやつだ。
では、老人の理想像とは?
思い浮かべるなら、いくらでも。たとえば、笠智衆に代表される、小津安二郎監督の「東京物語」などに登場する老人たちの面々か。役柄なのか人柄なのか。

風格、貫禄どころか、生来そこつもののぼくの場合は、いまだに落ち着きのないことおびただしい。おき忘れ、しまい忘れが多い。あわただしく、ひねもす何かを探し回っている気がする。
記憶をつかさどる脳内の配線のみならず、あちこちの部品が、年を追うごとに、中古車のように傷んでくるのはしかたがない。せめて気持ちだけは若々しく、気持ちの持ちようだ、という気構えが、徒然草にあるように、あさましく、みっともないとも映るのだろう。
ぼく自身は、老人の威厳や風格は、もうどうでもよく、タイガーマスクや鞍馬天狗のような年齢不詳の仮面をかぶり勝手な振る舞いを、しばらく続けてみるか。
うん、これでいいのだ。
たのしみにパソコンでチョコチョコと描く絵は、技術としては幼稚園児と同じレベルだ。
こんどは、何を描こうかな。最近はカピバラをおっかけている。南米原産のでかいねずみみたいな珍獣で、最近ではあちこちの動物園にいるらしい。

鼻の穴がアンバランスに大きい、超おもながのとぼけた顔と毛深いからだが人気で、ひと目みて癒されるのが評判と、先日テレビを見た家内がおしえてくれた。
なにかのトラブルで疲れた中年のサラリーマンが、月に8回もカピバラに会いに訪れるとも。
海遊館には、カピバラが二頭いるときいたが、現物を見たことはない。ネットで検索すると、世界中の動物園のカピバラの写真がのっている。
しかし、描こうとすると、あのとぼけた顔というのは、
ぼくていどのデッサン力ではむつかしいことがよくわかった。
カピバラは昼寝の時間春隣り

投稿者 nansai : 15:21
2011年01月31日
一月二十八日
誕生日を、無事!めでたく?迎えました。まいったなあ。
いくつになったのですか、と、若いひとに聞かれて、思わず、ついとぼけて「秘密だよ」と答えてしまった。大人気ないことだ。
いやあ、とてもその年にはみえない、お元気ですねと、おさだまりのやりとりもしんどいからである。
茫茫。いまさら越しかたをふりかえるのが邪魔くさい年齢になった。数えるのが億劫であるし、おぞましくもある。

そのくせ、水を向けられると、昔話は話し始めると、とまらない。水を向けた相手も引くし、疎ましい限りだ。
若さとは、年齢ではなく、気持ちの持ちようである(ウルマン)というのは、負け惜しみではなく、わかる。
で、誕生記念に、カピバラの絵をパソコンで描いてみようと思いついた。ひそかな人気者らしい。動物園のカピバラのとぼけた顔で癒される人が多い、とテレビを見た家内からきいたからだ。
耄碌も困るが、矍鑠も、しんどい。もし何も考えずに、カピバラのように、とぼけて、ひょうひょうと過ごせたら(野生の現実は知らないが)、ひとの邪魔にもなるまいが。
なるほど、いい顔しているねえ。何を考えているんだか。
鼻の下のやたらに長い間のびした顔と対面したことがないので、グーグルのイメージを見て描いた。こんな絵で癒される人はいないだろうが。

ここで、田辺聖子のエッセイ集「人生はだましだまし」にのっていた中国の古い詩から「ロウキフクレキ」を引用したい。が、ぼくのパソコンでは、変換不能である。
魏の武帝の詩に、
「日に千里をゆく駿馬も、いまは老い、厩にうずくまっているのみ、しかし千里を駆けることを夢見る。」
烈士の暮年、壮士は已まず、とうたい上げられている。戦争の前後の大混乱の中で育ち、あくせく働いたぼくらは、「志は千里に在り」どころではなかった。
烈士でも壮士でもないが、いま老いて、厩にうずくまり、しみじみ越し方を想うに、平和がいちばん。先の大戦で、戦地に赴かされ大量の死者が出、空腹な毎日を過ごしたつらい日々は、走馬灯のように脳裏をよぎるといいたいが、ほとんど忘れてしまっている。勝手なものだ。
政治の無策貧困をぶつぶつ憂いつつも、エジプトやギリシャのように暴動がおきるわけでもない。
まあ、王侯貴族ならずとも、老いても好奇心がデジタルの恵みで安直に満たせるのはありがたい。
記憶力はとみにおとろえた。入れ歯のように、外部脳がパソコンで、代用可能だ。
厩からでも、ネットの翼に乗って、想像力が時空を超えて飛翔できるのは、しあわせなことである。ぼくは、たちまち、見たこともない愛すべきカピバラにくわしくなった。
投稿者 nansai : 13:29
2011年01月06日
一月五日 もうウサギはあきた。十二支に、なぜ猫年はないの?

寝正月やおら大きく猫ののび
年あらた無事がなにより猫あくび
とりあえず日なたの猫の寝正月
ニュースでは、列島大荒れの正月だったが、ここらあたりは三が日好天にめぐまれて、もうしわけないみたいだった。
老い猫のやわき下腹なでながら
何も変わらず過ぎて行く年
年末、猫のおなかをさすってやっているうちに、どうしたことか、にわか一茶の気分になり、俳句、のようなものが、できてしまった。
我が家の猫は、年齢不詳のノラ出身だが、ようやく、このところぼくと親密な関係になってきた。なんのへんてつもない、めすのキジネコで、尻尾は短く曲がっている。おなかをなでてやると、目をつぶり、気持ちいいのか、ぐーという低周波音?を発する。
空澄みて親しき人の賀状絶ゆ
この年齢になると、あちこちから賀状辞退などあって、華やいだ気分になれないのはしかたがない。毎年届いていた賀状が届かないのは、つい、そんなはずはないと思ってしまう。空虚感。
投稿者 nansai : 11:24
2010年12月15日
十二月十五日 ウサギ絵年賀状市

押し詰まってきたので、東寺の弘法市のように、年賀状のアイデアをぞろぞろ並べてみよう。順不同。ウサギが、干支で回ってきたのは、描きやすくて助かる。耳が長いから、誰が描いてもウサギに見える。
来年は卯年である。景気は、縁起をかついで、株価は、うさぎのように跳ねるかも、という根拠の薄い楽観説がささやかれているという。ま、いい夢をみよう。

南斉は、ウサギの絵をマウスで描く。ソフトは無料添付のペイント。それも最新版のは、ややこしくてぼくの手にはおえないのだ。
幼子のように、たどたどしくしか描けないが、これが味なのだ、とうそぶくことにしている。プロではないので、縛られず、きぶんにまかせて、いろいろなタッチをまねて描く。料理みたいだが、これがたのしい。

身の丈のほどよきしあわせ願いおり
せめて気持ちは 跳んだり跳ねたり
などと、せめて正月にはノーテンキに、気のきいたひとことを添えたいのだが、この歳になると、なんとなく空々しくて、気が引ける。年末は、ことしも賀状辞退のはがきが引きも切らないのに。




ことしは、しもぶくれのウサギを描くのに、新技法を会得した。
師匠は、68年前になくなった「ピーターラビット」の作家、ビアトリクス ポター。いやあ、まねのできないすごいデッサン力だが、学者でもあった彼女の幼いころからの緻密な小動物観察の裏付けによるものだ。グーグルのおかげで、検索すると、ピーターラビット以外の画像がフルカラーで美術館のように並んでいるから、それを模写させてもらった。ウサギをしみじみ観察したことなんかないものね。





投稿者 nansai : 15:03
2010年12月09日
十二月八日 真珠湾を忘れるな。
クイズだ。さて、きょうは、何の日か。
ほとんどの日本人が忘れているが、太平洋戦争が勃発した日だ。
69年前の十二月八日未明、日本海軍はハワイの真珠湾に停泊中のアメリカ艦隊を急襲した。
朝刊では、朝日新聞の「天声人語」が、わずかにふれているだけだ。いま、ふたたび勇ましい言説が飛び交っているのを、コラムでは憂えている。
ジョンレノンの誕生日よりも、日本人としては、忘れていけない日であろう。決して愉快な記念日ではないが。

奇襲により大損害を被ったアメリカは、この日を「屈辱の日」とし、「リメンバー・パールハーバー」をスローガンに第二次世界大戦に参戦したのだ。
今も各地でラッパが吹奏され、5000人の犠牲者の追悼がおこなわれている。69年前のきょうを、決して忘れることはない。
大勝利と戦果に日本中が沸いた真珠湾から広島、長崎に至る44ヶ月で、戦いの決着がついた。
無謀な戦争の損害は、図りしれない。たった4年間で、日本人だけでも、300余万人の人命と海外資産をことごとく失った。
太平洋全域に戦線が拡大し、日本軍兵士の戦没者270万人、うち70%は補給を断たれたあげくの餓死といわれる。これほどの犠牲を出しては、大義も正義もただむなしい限り、日本の大悲劇であった。
誰が計算しても太刀打ちできない戦力の差を無視して、不毛な戦いの火蓋を切ったのは信じられない。
精神力で勝てると信じた当時の為政者たちが、時代の空気でそう考え、時の流れに押し流された。
いったい、だれが国益に思いをいたしたのか。だれがリスクを計算したのか。
「坂の上の雲」の日露戦争当時の閣僚、伊藤博文たちのように、腰抜け、軟弱といわれようが、高所からリスクを計算し落としどころを探す。努力は報われず、民意の猛烈な反発は必至であっても、戦争指導者の責任とはそういうものだろう。
昭和16年当時、大詔による戦いの大義も、当初は、東洋平和から、最後の本土決戦の段階では、一億玉砕して「国体護持」のスローガンに収れんした。国体を守って死ぬ。竹やりが武器だと、大新聞も叫んだ。
当時の為政者、とくに戦争指導者はなにを判断材料に、国民を破滅に追いやったのか、さまざまの研究を通じて、あきらかになりつつある。
69年前、「大日本帝国」は、なぜ真珠湾攻撃という大きな賭けに打ってでざるを得なかったのか?
尖閣列島事件で、中国が、レアメタルの禁輸を報復措置としてちらつかせると、急所をつかれた日本政府はあわてふためいた。
日本のような島国は、戦略物資(食料もふくめて)を禁輸されると、危機感で逆上する。
もともと日本の石油自給率はゼロにひとしい。石油がなければ、軍艦も動かせず航空機も飛ばせない。死んだ連合艦隊である。
昭和16年当時、アメリカから石油の輸出を絶たれそうになると、日本は、当時のオランダ領のインドネシアの石油へ目を向けて、仏印に軍隊を進駐させたのが、悲劇の引き金になった。
この進駐に、意外にもアメリカが抗議して石油の禁輸に踏み切ったとたん、昭和16年初頭から、海軍軍令部の若手参謀たちのかねて立案した開戦へのシナリオにスイッチがはいり、自動的に動き始めた。
巨大な荷物用エスカレーターのような膨大な兵力物資の動員は、動き始めると後戻りできない。ワシントンでの外交で時間をかせぎながらの戦争準備、それも成算のない作戦が進んでいった。
なぜ、とめられなかったか。
結果的に300万人の人命を失い海外資産をすべて失う国益のとりかえしのつかない損失に誰も責任をとろうとしない日本独特の立て割り組織の欠陥だったろう。これは、戦後もたれた海軍軍令部のエリート責任者たちの「海軍反省会」の録音でもあきらかである。
このまま座して死を待つよりは、という死中に活を見出すという哲学は、外交無視につながる。リスクに目をつぶる思考停止である。今の経営者には考えられないシミュレーションだ。
開戦反対派でアメリカ通だった山本五十六連合艦隊司令長官は、半年ならば暴れて見せましょうと述べたと伝えられている。はたせるかな、パールハーバー直後のミッドウエー開戦でたちまち連合艦隊は壊滅した。
日本人独特の精神論は、しばしば合理的でないことが多い。頭脳に優れていても視野の狭い軍人が、武力という権力を握った際には。
国を憂えるとして、現場の中堅将校が暴走したケースは、満州事変以後跡を立たない。日本の歴史だけでなく、世界どこの国でも、武力を文民がコントロールするのは困難だ。昭和天皇の回顧録でも、開戦時も終戦時も、軍部のクーデターを恐れていたことがわかる。
食料自給率。そんなことは、かまわずに、日本は、戦争を始めた。
軍隊は、米と飯ごうを背負って、戦地を転戦する。戦域が広がると補給作戦は無視され、食料の現地調達が命令された。住民のなけなしの食料の略奪につながり、情け深い天皇の軍隊のはずの「皇軍」は住民の怨嗟のまととなった。補給戦略なく各地で孤立した日本軍は、銃弾が尽き戦って倒れる兵士よりも、戦地で飢えて死ぬ兵士が70% と総括されている。いたましいかぎりだ。NHKの「戦争証言 」アーカイブが、生存者の肉声で、くわしく証言している。
あの頃、少年のぼくらは、毎日ほんとに空腹だった。
銃後の日本は、食糧配給も破綻し飢餓状態におちいり、家々でかぼちゃなどを植えて飢えをしのごうとしたが、空腹は満たせない。
戦後も、都市住民は、近郷の農家に頭を下げ、着物などと物々交換で、米や芋など 分けてもらおうと右往左往した。
食料余剰国のアメリカは、チャンスとばかり、占領直後から、戦略的に、小麦や脱脂粉乳を日本の学校給食などに制度として導入した。戦時需要が消失したので渡りに船というわけだ。いまでいう「食育」マーケッティングで日本中にキッチンカーを走らせパンづくりを教えた。いまだに学校給食に米食は根付いていない。戦後、日本人が米を食べなくなったのは、ここに始まる。以後の米価低迷もしかりだ。
世界と貿易するにあたり、自国の農業をどう位置づけるかに各国が悩んでいる。
しかし、世界をおおう市場原理には、さからえないと肝に銘ずべきである。開かれた島国状態で、食料自給率をあげるには、無理がある。資源のない島国が関税の自由化の原則撤廃、非関税障壁に抵抗したら、どうなるか?
農業従事者が食えないし、 かれらは、ときには、国益に反して、土地の有効利用を妨げる既得権者の立場でもある。
第一に、農地は、土地という資産である。いまや、換金可能となった。作物を植える義務はないにひとしい。農地改革を経て既得権益となった。大規模経営で効率をよくしようとするビジネスモデルは農家にはなじまないだろう。公共事業とは、土地を買い取らせるチャンスにほかならない。その権益をめぐって、選挙の一票が動く。
第二に、米を主製品とする農業が、職業として、後継に値しない、ペイしないとみる若い人が増えて頼れない時代になった。農業従事者は,年老い、人口が年々減って回復する見込みはない。
炭鉱労働や介護労働と同じく、若い層が家族を養いこどもに教育を与える十分な収入が保証されていないことに気付いたのだ。もはや蒸気機関車が走れないように産業革命が起きた。米を中心とした農業は、まもなく耕作者がいなくなり、炭鉱と同じように衰退する。麦作がそうだった。そばもそうだ。
市場原理には、逆らえない。
農業をやる気のない農家の耕作放棄地に、都市に住む住民の税金で補てんするのは、無理がある。農家の人々は、農協か役所か工場に勤めて収入を得る。
困ったことになっている。選挙で勝つことが、はたして国益にかなうことになるのか。地方に有利な定数配分も問題だ。農地問題には新聞も歯切れが悪い。
いまの政府は、小選挙区の眼先の一票がほしくて、これからの国益に眼をそむけてしまいそうだ。全有権者のうちの2.5%の票に、日本の将来がふりまわされている。それを、てこに、政権を揺さぶろうとする「旧自民党的勢力」が与党にどっかり座っている。
GDPに占める第一次産業は、わずか1.5%だ。農業人口は260万人、全有権者の2.5%に過ぎない。
日経新聞によれば、外国の政府関係者が不思議がっているという。
「農家の反対が、本当に日本の政策を左右しているのか?」と。
島国は、戦略的互恵つながりでしか生き延びられないと腹をくくるべきだろう。国策として、生き残るには、何を売り、何を買うか。
つぎに、万一、戦略的禁輸を食らった時のリスク管理をどうするか。歴史をふりかえり、太平洋戦争の甚大な損害に学ばねばなるまい。
資源に乏しい戦前の日本は、農地をもとめて、満州に進出した。王道楽土と、きれいごとの大義をふりかざしたが、農地を取り上げられ匪賊化した現地の農民と衝突した。
石油を求めて、南方に進出をはかったが、たちまちアメリカなどの反枢軸国に阻止された。石油の禁輸解除には、日本軍の中国からの撤退が条件だった。ハル通告には、ならぬ堪忍、するが堪忍だったろう。だが、これまで10万の兵士の血を流した陸軍はそれは飲めないと蹴った。
それが、300万人の命を奪った開戦の直接の引き金になった。
島国の日本は、こんご、かりにどんなに追いつめられても妥協点を探し知恵をしぼって、資源を、継続的に、信頼できる相手国から入手できる道をさがすべきだ。69年前の無分別な方針により、300万人の犠牲を払って得た貴重な教訓だ。
相手の善意に期待しすぎてもいけないし、もう武力の脅しでは解決できない。あくまで互恵のつながりでないと、いい関係が持続できない。たとえば、アフリカに対する中国や韓国の果敢な資源獲得戦略を手をつかねてぽかんとみていてはいけない。
投稿者 nansai : 15:20
2010年11月10日
十一月十日 え、年金でたら、パチンコ?
「パチンコ熱中のお年寄り急増。
年金つぎこみ、家族借金も」
朝日新聞のネットをあけたら、こんな記事が飛び込んできた。東京の私鉄駅に近いパチンコ店は、白髪の目立つ高齢者で埋まっていたとある。

偶数月の「15日」には、2か月分の国民年金と厚生年金が全国いっせいに支給されるから、パチンコ店は高齢者をあてにしているそうだ。ふうん。
60歳以上のパチンコ競技人口は、200万から300万人、4人に一人が高齢者という統計もある。
さみしさをまぎらわすとか、退屈しのぎが、いつの間にかパチンコ依存症になり、年金をつぎ込み、家族関係が破壊されるとは、おだやかでない。
ぼくの故郷の地方都市でも、田んぼのまんなかのショッピングセンターには豪華なパチンコ殿堂が併設されている。タクシーの運転手さんの話だが、年金支給日には、おばあさんもおとづれて、きょうは何万円もすったというのをきいた。
さみしいし、ほかにすることがないので、高齢者が年金でパチンコに熱中か。この国は、どうなっているのだろう。
若いもんも、だまっていない。グーグルをあけてみた。
「パチンコ屋にいる老人、年金かえせ。」
「パチンコやってる爺婆に年金支給するな」
「年金はいいだろ。生活保護費もらってパチンコするのはけしからん」とか、もろもろの罵詈雑言であふれている。

いまや、不況にもかかわらず、テレビのCMは、朝から晩までパチンコメーカーの提供だ。通勤でぼくの乗っている地下鉄車両も、全身ペイントされて、パチンコメーカーの走る看板だ。
それで、この不況のなか、パチンコ産業は繁栄しているのだろうか。何でも調べられているウェブ百科事典?のウイキメディア「パチンコ」をあけてみてほしい。びっくりするから。
風俗営業としてのパチンコの問題点として、合法性についての疑問、北朝鮮の資金源として、警察との癒着、パチンコ依存症、児童の車内放置、脱税、在日韓国、朝鮮人の関係があげられている。全国のパチンコ店1万7000店オーナーの90%が在日韓国、朝鮮人という。
政治家もからんで、パチンコ関連の議員連盟がある。
終戦直後、半世紀前は、ぼくもパチンコ狂のはしくれだったが、当時は、一台一台、ブリキ製のデザインが違い手作りだった。でこぼこの土間の上にパチンコ台がならんでいて、ちーんじゃらじゃら、出た玉の補充してくれるのは若い女性だった。おーい出ないぞ、とよくさけんだものだ。その前にあえなく討ち死にするのだが。
パチンコ台の絵を描こうとして、さて、困った。パチンコにごぶさたして半世紀、最近の派手に宣伝している機械をみたことがない。グーグルイメージを参照したが、劇画や映画?とおぼしきスターの顔など、意匠がごちゃごちゃ複雑すぎて、ぼくの手には負えない。
あきらめた。
投稿者 nansai : 15:21
2010年11月02日
十一月二日 ドリトル先生を覚えていますか?
最近、むかしこどもだった大人たちが「ドリトル先生」を懐かしがっているらしい。

1920年からはじまったものがたりだが、ドリトル先生の名をきくだけで懐かしさがこみあげてくる人も多いだろうと、「福岡伸一と歩く ドリトル先生のイギリス」(新潮社)。
あひるやさるなどの動物語を自在に操り動物たちとコミュニケーションできるこころ優しい太っちょの医者ドリトル先生に、子供のぼくは夢中になった。
戦前ラジオもテレビも普及していない頃、薄くなった少年倶楽部に連載されていたが、戦争が始まると、とぎれとぎれにしか読めなかった。
たしか「ドリトル先生アフリカゆき」というシリーズだった。次の旅行先を地図帳をでたらめに開いて鉛筆をおとして決める場面は忘れられない。
こどものぼくには、井伏鱒二の名訳よりも、ごひいきの河目悌二のユーモラスな挿絵が魅力だった。
ドリトル先生シリーズは、戦後、立派なハードカバーで出版されたが、原作者ロフティングの絵が定番なのだが、ぼくはなじめず、少年倶楽部の河目悌二の絵が懐かしい。大出版社版が高価だったこともあって、ドリトル先生には、その後ごぶさたしてしまった。
時代の変化で、先生も、物語の中の黒人への「差別的表現」がうとまれて絶版になったりしたそうな。「ちびくろサンボ」と同じ運命をたどった。
最近のドリトル先生の紹介は、ぼくよりもはるかに若い研究者が、少年期に、全冊をすみずみまで何度も夢中になって読了したらしい。
戦争が終わり、日本は豊かな時代になっていた。うらやましく思う。

ところが時代がさらにかわって、読書端末キンドルなどで、ワイヤレスであっという間に、全文がダウンロードできるようになった。ロフティングの英語も、短く、子供向きのやさしい語り口なので、ぼくにも楽しめる。アマゾンなら、キンドル版700円。すでに著作権がきれているから、無料でもダウンロードできる。便利な時代になったものだ。
満員電車の車内。一心不乱ケータイに眼を落とす若者たちを尻目に、優先座席に腰をおろして(運よく座れたらのはなしだが)おもむろに読書端末を取り出して、「ドリトル先生」を読む。便利ではあるが、これもちょっとねえ。
投稿者 nansai : 15:17
2010年11月01日
十一月一日 今岡、がんばれ。
日本シリーズも、トラキチにとっては、他人事である。
ああ、いうてせんないことながら、タイガースは、今年もあかんかった。
クライマックス シリーズで、巨人に2たてくらって、二戦目の4点差大逆転がくやしいのお。中日を倒しての日本シリーズへ挑戦ならず。

判で押したように、ここ一番で負けるのが、いかにも「阪神」らしい。
例年になく三割打者がずらり並んだ期待のダイナマイト打線が不発だった。予想外の外人打者の活躍で、二位によじのぼった結果を、よしとしよう。
翌日のスポーツ新聞各紙の裏面は、ソフトバンクに先制ホームランを浴びせたロッテ今岡の勇姿がのっていた。なんと、なつかしい。
「がけっぷちロッテを救った今岡「驚弾」」と大きな見出しが躍る。「古巣は沈んでも」だと。ご丁寧に。

昨年阪神を引退勧告された、かつての天才打者今岡だ。まさかの起用にこたえて、748日ぶりの公式戦アーチだった。
トライアウト、二軍暮らしから這い上がった今岡。老兵は消えずだ。
阪神時代の今岡の像をマイドキュメントのアーカイブから出してきた。DHでの健闘を祈ろう。
投稿者 nansai : 15:59
2010年09月07日
九月七日 この子はだれだ? 北大江公園「たそがれコンサート」の小さなポスター。

秋とは名のみ。まだ猛暑日がつづいているが、台風9号が日本海岸に寄ってきている。待望の雨を連れてくるかもしれない。
この年になって、遅い夏休みの「宿題」をしている。小学生のころのように先延ばしにしていたバチだ。
宿題とは、ご近所の町内の世話役さんからたのまれたイラストだ。秋の「たそがれコンサート」の小さなポスターに使う。

ことしは、懸案の「河童の八ちゃん」を公園デビューさせたいのだが。
八ちゃんは、ご当地八軒家浜のユルキャラ候補だ。
超カンタン、あほでも描けるのが、売りである。
だが、目下のところ支持者ゼロ。
見よ。かれのアタマのてっぺんのお皿には、暑さにもめげず、いつもなみなみと水がたたえられているのだ。ゆえに、水都大阪のマスコット候補でもある。えへん。


「たそがれコンサート」は、ほんねきの北大江公園で、ミュージシャンのみなさんがボランティアで出演だ。
公園の音楽会だから、ポスターも、河童に楽器を持たせたいのだが、指が水かきだから、うまく描けない。
オンチのぼくが楽器の扱いを知らないからだ。




「たそがれ」にちなんで、北大江公園の夕日をテーマにしてみた。ご当地版の「夕日の三丁目」というところだ。古来から歌に詠まれているように、大阪は、沈む夕日の美しいところだ。


アイデアというものは、決定打がでないまま、くだらないのが、だらだらと牛のよだれのように、とめどもなく続くもの。きりがないので、ここらでお開きに。へえ、おそまつさま。


投稿者 nansai : 13:43
2010年08月19日
八月十九日 決して冗談ではない。65年前、アメリカは本気で、京都に原爆を落とそうとした。

人類史上初めての原爆をどこに落とすか。終戦の三ヶ月前に、アメリカは、二発の原爆投下の候補地の検討を始めた。昭和二十年五月、ロスアラモスの投下目標地選定委員会の席である。
原爆投下の第一候補は、なんと古都京都だった。
委員会は、日本文化の精華というべき魂のふるさとを標的に決定した。ほかに、広島、横浜、小倉が選定された。
候補の基本原則は、こうだ。
原爆は、できるだけ早期に使用する。労働者の住宅に囲まれた軍需工場に対して使用すべきである。事前警告しない。
委員会のメンバーには、原爆オタクとしか思えない軍人、科学者がふくまれていた。かれらは、この無慈悲な爆弾を、じっさいに、軍関係も市民もおかまいなしに、爆發させ、その破壊力を早く確かめたくて、うずうずしていたのだ。
選定基準は、次の三つだった。直径3マイル以上の大都市、爆風で効果的に破壊しうること、8月末まで爆撃を免れる都市。
原爆投下のねらいは、なによりも、心理的効果を重んじたと議事録は記している。日本に対してと、同時に世界へのパブリシティ効果だ。
100万人の住む京都を候補ナンバー1に選んだ理由としては、京都には、インテリジェントな人々が住んでいるから、この新爆弾の威力を「思い知る」(アプリシエイト)だろうことをあげている。ふつうのレベルでは、この爆弾の威力が評価できないとみたのか。そのりくつが、よくわからない。
米国の原爆投下の理由のひとつは、兵器としての未曾有の爆発効果を測定すること。
その点で、専門家たちは、京都は、盆地なので爆破効果を確認しやすい理想の地形とみた。
(効果測定を正確に把握するため、原爆投下予定都市への空爆が禁止された。)
7月二六日づけの投下命令書には、戦果確認機も随伴せよとある。でも、放射能のおそれがあるから、投下後は、米軍の航空機は、爆心地に近づかぬよう警告を発している。
予想される一〇〇万人の民間人被爆者に対する人道的見地など考慮されていない。

紙と木でできている古都に一発の原爆を落とせば、どうなるか。
伝統につちかわれた文化が瞬時に死滅する。当然、いっさいの神社仏閣と、美術品、文化財が灰燼に帰すだろう。
京都御所も二条城も金閣寺も清水寺も、祇園さんも天神さんも、地上から揮発してしまう。
千年以上も続いた日本文化はどうなるかは、文化と歴史に無知な原爆オタクたちの知ったことではなかった。真珠湾攻撃と捕虜虐待から、かれらの人種差別は極限にまで意識されていた。ほっておいても、日本の敗戦は必至で、秋には本土上陸作戦が敢行される予定だったのに。
この京都候補案は、さすがに、降伏後の日本人の心理を慮り、みずからも京都訪問の経験のあるスチムソン陸軍長官によって退けられたのだが
その後も、理想の投下候補地として、マンハッタン計画責任者グローブズ中将ほかが、執拗に食い下がり、京都優先を主張した。が、良識派のスチムソンが再び退けた。
このようないきさつは、戦後も、全く占領軍の報道管制で公表されなかった。米軍は、原爆投下の効果測定にフィルムクルーを派遣して、克明に被害状況を撮影させている。
当時アメリカ世論の大半は投下に大賛成で、当初フイルムは公開されたが、被害のあまりの惨状に、すぐ極秘扱いされ二五年間封印されることになったという。
正確な犠牲者数は、占領下では、発表を許されず、主権を回復した一九五二年に初めて報道された。
デジタルで、資料がオープンになったのは最近だろうか。時代がかわり、核爆弾が拡散して、テロに使われる危険が無視できなくなったからだろう。
あれから65年たった。ライフ誌のサイトには、タイムライン(年表)があり、
「未発表ヒロシマ.ナガサキ」特集として14枚の写真が掲載されている。撮影したカメラマンのメモをそえ、いたいたしい被爆者のケロイドも。
ハフィントンポストやグーグルから、すぐアクセスできる。だれでも、ツイッターで反応を寄せることもできるのだが。
ウイキペディア(英文)を参照してみよう。脚注、外部資料で、当時の秘密資料、議事録もいながらにして読むことができる。
ヒロシマ、ナガサキに続いて、秋には本土上陸支援のため、原爆7発を矢継ぎ早やに投下するオリンピック作戦が始まろうとしていた。
当時を生きた中学二年生のぼくは、陣地の横穴を掘りながら、まったく何も知らなかった。
当時、日米双方ともに、あまりに憎悪と偏見に満ち無知であったことがわかる。
投下最終責任者トルーマン大統領の長崎投下後のコメントが、つぎのように、資料に残されている。
日本人に理解できる言語は、これまで続けてきた爆撃しかないだろう。畜生と取引するには、畜生として扱わなくてならない。
日本軍の珠湾攻撃に対し、9.11と同じ復讐心に燃えていたのだ。
大戦の帰趨は定まっており、アインシュタイン、アイゼンハワーなど一部の有識者は、つとに原爆投下の必要性について警告を発していたのだが。

はじめて今回、ルース米国大使は、広島の原爆記念式典に出席したが、献花もせず、硬い表情のままひとこともコメントしなかった。世論が許さないのだ。
原爆犠牲者に哀悼の意を要する必要を認めない空気が、いまも米国内に満ち満ちているのだろう。
世論調査では、現在も米国民の60%は原爆使用の正当性を認めている。
戦争はどっちが始めたのだと、原爆投下機の親族はいう。一般のアメリカ人は、加害者としての罪の意識を持たぬように、これまで詳しいことは知らされず、世論は誘導されてきた。かなりのひとが、あの日、何が起きたかを知らない。
投稿者 nansai : 10:27
2010年08月10日
八月十日 「日本で一番長い夏。」がきた。

八月のあの日の空の青さかな
あの日から、ことしで、もう65年になる。
敗戦に終わったあの戦争は、聖戦と言われていた。
中近東で続いている紛争と同じような大義を、大日本帝国もふりかざしていたのだ。大義は,「東洋平和」から、敗戦直前には「国体護持」へと収れんした。
今思うことは、65年前、もし陸軍におしきられ「国体護持」のために、無条件降伏をせまるポツダム宣言を断固拒否していたら、なにが起きていただろうか。
一億玉砕を叫び、国をあげて本土で敵を迎え撃っていたら、ぼくら国民はどうなっていたか。

敗色濃い戦局は利あらず、すでに300万人の生命がうしなわれていたのに、頼みの連合艦隊は壊滅していたのに、ぼくらはなにも知らされていなかった。
水際で抵抗して時を稼ぎ、大艦巨砲の艦隊決戦に持ち込むという現実離れした戦略だったと、後年資料で知った。
敗戦の二ヶ月前、血迷った政府は、法改正して、15歳以上の男子は、国民義勇戦闘隊に招集することになっていた。2800万人が根こそぎ動員予定だった。
新聞は、戦意高揚の道具でしかなく、ジャーナリズムであることを放棄し、全く真実を報道しなかったからだ。(ラジオは国営だった。)
制海権制空権を奪われ、圧倒的な火力の差だ。水際での抵抗はできない。本土上陸されれば、一方的に殲滅された沖縄戦以上の壊滅的な死傷者が出る。
あとは、最悪のばあい、イラク、アフガンニスタンのような泥沼のゲリラ戦になっただろうということだ。
イラクでは、きょうも百人以上のテロ爆弾の犠牲者が出ている。抜きがたい宗派間の憎しみ対立によるといわれる。
日本も、戊辰戦争のように、神州不滅を信じる国体護持派と解放民主勢力派とに二分されて同胞相食む情勢も否定出来ない。
ただ制海権を失い孤立無縁の日本は、武器を入手するルートを完全に絶たれていたから、民衆を巻き込んでの徹底抗戦も、軍の兵器弾薬が尽きるまでしか戦えなかっただろう。

沖縄戦では、女子学生も手榴弾を渡された。攻撃のためではなく自決用にだ。
当時まだ一般市民は、武器を持たされず訓練も受けていなかった。武器が全く足りないから、女性にまで竹槍の訓練が行われ、「ひとり一殺」と叫ばれた。
戦争指導者は、日本民族は、物量で負けても,精神で勝てるという。正気のさたではない。

一般市民と兵士の見分けのつかないゲリラ戦は、歴史の示すところ、どの戦争でも大量虐殺、残虐行為を生む。戦闘員と非戦闘員の区別なく、報復が報復を呼ぶのだ。
本土決戦と言っても、中学生のぼくらが材木製の陣地構築の手伝いをしておっつくわけもなく、日本の長い海岸線を守るのは不可能だった。現実には全く無防備で、報告を聞いた天皇が激怒したと伝わっている。
オペレーション「ダウンフォール。」は、破滅を意味する。昭和二十年秋、満を持した連合軍の日本本土上陸の作戦名だ。
Xデーは、十一月一日。まず、九州へ。翌春に関東平野へ上陸と計画された。(ぼくらは、最近知ることになるのだが。作戦の全貌は、ウイキペディアにも詳しく記載されている。)
連合国側は膨大な犠牲を覚悟していた。見込まれる損害は45万人、うち死者行行方不明10万人と予測された。
したがって、連合軍は、無慈悲にも原爆投下をためらわず計画していた。
九州上陸にあたって、少なくとも7発の原爆を、作戦開始前に、守備部隊に投下する必要があるとした。ヒロシマ、ナガサキ級の原爆を7発もだ。身の毛のよだつ作戦であった。

ぼくの戦争末期の体験などは、とるにたらぬちょろいものだったが、暑い夏のことで、下痢になやまされ体力のない13歳の少年にはこたえた。
昭和二十年春、敗色濃い戦況下、本土決戦にそなえて、ぼくら旧制中学二年生は陣地構築に動員された。年老いた兵隊といっしょに、機関銃座の横穴を掘るのだ。
敵機に發見されぬようシャツを紺色に染めた。シャツの縫い目にひしめいている白いしらみを見つけるには役立った。
本州西端の海岸沿いの崩れやすい丘に、アリの巣のように横穴を掘り、壕と壕とをつなぐのだ。夜店でおなじみのアセチレンガスで暗い壕内を照らした。コンクリートなんかないから、杉かなにかの太い丸太を縦に並べて、掩蔽するしくみだ。堅牢な岩盤にきずかれた陣地ではなく、急造のログハウスみたいなつくりだから、艦砲射撃一発で山ごと吹っ飛びそうな陣地だった。
焼け残った丘の上の小学校に寝泊まりして、毎朝徒歩で工事現場?に向かった。すでに、同盟国ドイツ敗れ、サイパンが落ち、戦況が不利なことは知っていたが、ラジオもない、新聞もない。暑いし、下痢が続いてやせこけてふらふらだった。
海軍工廠に動員されていた一年上の上級生は、終戦前日の空襲で命を落とした、とあとで知らされた。
8月15日。その日の午後には、穴掘り作業を中止して引き上げた。見上げた空の青さが、眼に焼き付いている。
当日、天皇の玉音放送も聞いていないし、原子爆弾投下は、新型爆弾といいかえられ、引率教師からくわしい説明も注意もなかったように思う。焼け跡の小学校に寝泊りしていた中学二年生には、なにも知らされていなかった。
なんだかよくわからないうちに、家に帰らされた。灯火管制がおわり電灯がついたのがうれしかった。「終戦」とは、当初、引き分けのことだろうかとも考えた。過酷極まる無条件降伏だったのに。
そして、占領下、知らないままに戦後は過ぎていった。
少年だったぼくは、まがりなりにも戦いの渦中にいたのだが、直接見聞きしたことは知れている。なにもわかってはいなかった。
戦前戦中の大新聞の戦意発揚のプロパガンダぶりには慄然とする。国民が信じたのは、うそばかりだった。
この頃になり、日米からおびただしい資料が公開されて、初めて、戦いの全貌がおぼろげながらみえてきた。
教育のパラダィムシフトで、自分の国の戦いの歴史が総括されなかったのは、不自然である。教科書にどんなふうにのっているのか。入学試験にも出題されない。
打ちひしがれた関係者はみな口を閉じ、亡くなっていった。あまりに悲惨な戦争体験を語り始めたのは、あまり、むかしのことではない。

「日本で一番長い夏。」NHKは、昭和38年文藝春秋企画の「座談、日本で一番長い夏」を映像ドラマ化し、先週放送した。ここ数年戦争証言ドキュメンタリー番組に力を入れ始めた。当時なぜあのような結末になったのか、終戦にかかわった人たちがまだ存命していての証言を再現していた。いまのぼくは、かなり当時の事情の記録に目を通していて、当事存命の関係者たちの語る内容は、奥歯にものがはさまったようで、まだ歯がゆいと思った。
いままた、戦争を知らない人たちによる、あの戦争を正当化する動きがある。
ぼくは、戦争に正義も大義もないと思う。
結局310万人の命が奪われた。おびただしい数の
戦地におもむいた270万人の軍人の70%は、補給を絶たれた餓死だった。東京大空襲の犠牲者は一晩で10万人だった。
神戸の震災でなくなった6000人のひとたちを、今の日本人はどれほど哀悼したか。
戦争に倒れた犠牲者310万人。
この想像を絶するおびただしい人命と引換えに、大日本帝国は、なにを得ようとしたのか。
本土決戦を主張して譲らなかった陸軍は、「国体の護持」こそ究極の目的とし、ポツダム宣言の無条件受諾をこばんだ。キーワードは、英語に翻訳不能のKOKUTAIであった。
あげくのはて、窮した政府は、あいまいな表現でポツダム宣言を黙殺すると発表した。その「MOKUSATU」が、英語のIGNORE(無視)と翻訳されてしまい、トルーマン大統領の原爆投下命令につながったと伝えられている。それよりさきに、投下は決定済みだったらしいのだが。
昭和はいい時代だった、懐かしいと、テレビは,美化された回顧番組を流す。
戦いに敗れる昭和二十年までの日本が、どんな国だったのか。
日本全国の小学校の奉安殿には、天皇皇后の写真がおさめられ、こどもたちはその前で頭を下げた。白馬に乗った大元帥陛下を知る由もない。軍艦の舳先にも38式歩兵銃にも,菊の御紋章をつけて戦った国だ。
なぜ310万人もの犠牲者が出たのか。それなりの理由があるはずだ。いったい、どんな過ちを犯したのか。いっさいが不問に付されている。原爆記念碑には、「安らかに眠ってください。あやまちはくりかえしませんから。」とある。アメリカと戦争をしたことさえも知らない子もいる。
ふつうのひとにとっては、歴史は風化して当たり前なのだ。だが、それでいいのか。
投稿者 nansai : 11:25
2010年07月23日
7月二十三日
梅雨があけたら、日本はどうなってゆくのだろう?
はげしくしつこかった豪雨が終わると、うそのように梅雨があけた。
気がつくと、顔なじみの野良猫の姿がみえない。
近所のみかん畑で、夕方になると、傍を通るひとに、小さな声で鳴いていたやつだ。かわいそうに豪雨に流されたのか。

鼻の横にあざがあり、野良のくせに、ふさふさ長い毛の持ち主だった。暗くなってから帰り道に、たまにコンビニで買った98円のさば缶をあけてやると、こけつまろびつ金網の向こうから走り出てきたのだが。
諸行無常である。にゃむあみだぶつ。
さて、この数ヶ月、世の中いろいろあったが、とりあえず、一段落の感じである。過ぎてしまえば、それも、なぜか遠い日々のように思われる。

ワールドサッカー、口蹄疫、参議院選挙、龍馬伝ブーム。国じゅうをマスコミがヒステリックにひっかきまわし、どうでもよいことか、何が譲れぬ大事なことかわからぬまま、評価も二転三転、ようやく落ち着いて静かになった。
集中豪雨のような情報洪水を、川岸で、呆然と、立ち尽くして眺めていた気がする。

ワールドサッカーでは、本田選手の黄色いスパイクから放たれた無回転ボールは、ぶるぶるブレながら、ネットに突き刺さった。
戦前まったく期待薄(ぼくら、しろうとは知識も関心もなかったから無理もないのだが)というかあきらめていた日本代表が、忽然と団結をとりもどして、ベスト16に進出。選手の顔触れもしらなかったのに、ぼくらは総サムライサポーターに変身。監督の評価も「岡ちゃんやめろ」が、「岡ちゃんごめんね」と、ファンも専門家も、手のひら返しだ。
参議院選挙は、菅さんのカン敗だったと、けんけんごうごうマスコミが叩く。一方、鬼門だった消費税を取り上げたのは、新聞の社説では、大正解だとする。

日本の総理大臣は、くるくる変わる。マスコミがはやしたてる政局は、ちいさなコップの中の嵐だろうか。
選挙に負けたら、二大政党論もどこかに吹っ飛んでしまった。大義もへったくれもない。
一国の総理大臣があんなにサッカーボールのように蹴っとばされていいものだろうか。菅さんは、いまや、アキ缶と揶揄されている。
「もともと、なにをしよう」という構想を持たない権力志向だったと、むかしの仲間からいわれているが、ほんとかねえ。土壇場でうろたえて、田中真紀子を総理にかつごうとした小沢の方が、ぼくには、胡散臭く見えるのだが。
怖い本を買った。
森嶋通夫「なぜ日本は没落するか」岩波現代文庫。
教授は指摘する。日本が没落するのは、今度のばあいも明治維新の時と同様、政治からであると。
2004年逝去されたが、指摘は怖いほど当たっているように思われる。
そうそう、いつの間にか、タイガースが、0.5差で二位につけている。エースクラス投手が、みなこけた。主力打者の覆いがたい高齢化。下馬評は、ワールドサッカー以上に期待薄だったのに。
ところがどっこいだ。勝因は、毎年スカばかり食らっていた助っ人外人が、打ちまくって救世主となったことだ。ここまでは、あほでもわかる。
ホントの勝因は、カーネルサンダースの呪いがとけたことなのだ。
ケンタッキーフライドチキンの看板じいさんは、前の優勝時に道頓堀から、白い服を着たまま、あのくさいドブ川にほうりこまれた。
めがねもどこかにいったまま、工事中に偶然救出されたのは、昨年だった。二十数年たっていた。いまはきれいに修復されて、仏像なみに、甲子園球場にうやうやしく安置されているようだ。

大阪は、ありがたいものを堀にほうりこむ歴史がある。
欽明天皇のころにも、ピカピカ金色に輝く仏像を堀江に投げ込んだ。祟りをおそれぬふるまいであった。
投稿者 nansai : 16:57
2010年05月06日
四月三十日 年齢をとると、みなころぶのだ。
ころぶのは、そこつなぼくだけではない。高名な作家で医学博士の渡辺淳一氏も、ころんでいた。

『いやあ、驚きました。あきれました。そして失望しました。
昨夜、思いもしないことから、路上に転倒。
そのときの詳しい様子は、いまだに自分でもよくわからないのだが」
こんな書き出しで、週刊新潮連載のエッセイ『あとの祭り』「倒れてわかったこと。」に、作家の渡辺淳一氏が、ご自身の転倒経験を述べている。しかも、ごていねいに二週にわたって。
ある夜タクシーをさがしていて、先生は、道路の向こう側にわたろうとして、思い切って柵を越える際に、左足はまたげたが、右足がひっかかったらしい。
さすがはプロの作家、数週間前に、まったく同じような体験をしたぼくは、文筆で立つほどのひとの見事な描写力に感心しきりである。
先生は、柵に右足が引っ掛かって路上に左肩から落ちた。左手首、大腿部に激痛が走ったという。しばらくじっとしていたが、渡辺氏は、もともと整形外科医だから、自己診断して痛むがたいしたことはないと、帰ってシップをはって応急処置をした。医者にはいかなかった。

渡辺氏は、軽妙なタッチで、事故?の一部始終を描写しつつ、
『それにしても、何故、こんなことになったのか。』とショックをかくせないもよう。
「これくらいの柵は越せると思い、少し脚を上げればいいだけだと軽く見た。ところが肝心の脚はあがっていなかった。いや、あげられなかったのである。」
作家であり医学博士である渡辺氏の結論としては、
『自分が年齢をとっている、と思っている以上に、体は年齢をとっているのである。』
渡辺淳一氏は、ぼくとほぼ同年輩だが、転倒歴では、ぼくのほうが先輩だ。じまんにはならぬが、昨年は三回もこけた。原因は、先生ご自身のお見立て通りだ。ごもっとも。
先生は、週刊新潮の次の週のエッセイ「かなりよくなりました」で、イラストの唐仁原画伯の描写が、さすがはプロだ、真にせまっていると絶賛している。
「私が歩道と車道を境している柵を越えようとして、倒れかけた格好が、まさしくぴったり、まるで隠れて見ていたように、見事に描かれている。」
絵をみているうちに、転んだ時の痛みが甦ってきたのだから驚いたそうだ。
渡辺先生は、元整形外科のお医者さんだったので、耳の痛いご託宣をずばり。
「今回のわたし程度の怪我では、病院にいかないこと。」忙しい医師はうんざりするだけ。シップと痛み止めをだすだけだから、行っても行かなくても同じだそうな。
ころんで側頭部を打ちあわてたぼくは、CTを撮ってもらったのだ。
投稿者 nansai : 14:28
2010年04月15日
四月十五日 こけちゃいました、ではすまされない。
若いころからの注意力散漫、そこつ、あわてもんである。落し物、忘れ物など、数えればきりのない限りないドジ、ちょんぼを、懲りずにくりかえしてきた。
ここ数年は、それに転倒(英語でフォール)がくわわった。老人には、これは危険信号である。
これまでは、考えごとしながらでも少々けつまずいてよろめいても、おっとととと、長年鍛えぬいた?バツグンの運動神経でバランスを復元し事なきを得てきた。が、昨年あたりから、おっとととが怪しくなってきた。とくに段差は要注意である。ふんばれずころびやすくなり、整骨院のおせわになること、しばしば。
今年は大丈夫と思ったら、先週末の夜、不覚にも、近所のコンビニ横のコンクリートのブロックにつまずき、がーんと、もろに路上におでこからつっこんでしまった。

ほい、しまった、打ち所が悪いと、硬膜下出血が心配である。すぐ近くの病院でCTを撮った。さいわい悪運強く、眼の上が腫れ上がりお岩さん状態になっただけで、ま、事なきを得た。
その年齢で反省がたりない、と叱責されている。
両手に重いかばんやフクロをぶら下げて歩くから、ころびやすい。こけても、とっさの受身ができない。
どうせ読めもしない本や雑誌を持ち帰るな。と、いちいち、ごもっともな罵詈雑言のアラシを浴びて、ロープ際でノーガード状態だ。
65歳以上の老人の三人に一人は、一年に一度は転倒するという統計がある。米国CDCの資料にのっていた。老人の転倒は、骨折につながり、ケガによる死因の筆頭らしい。
転倒予防は、国家的大問題のひとつで、アメリカ政府広報でも大きくとりあげている。日本でも、転倒予防COMを始めたくさんのネット情報がある。当事者の老人自身が眼を通すことはないだろうが。
おかげさまで、だいぶ眼のまわりの腫れがひいてきた。
若い医者いわく、「上のまぶたが腫れぼったくたれさがっているのは、ケガのせいもあるが、まぶたの筋力がおとろえたせいだ」そうで、かんたんな手術すれば直る、とすすめられた。
飛び込みで見てもらった当直の先生が、形成外科医だったのだ。
この年齢で目元涼しくぱっちりしてもねえ、のど元過ぎて、返事は保留しておいた。
投稿者 nansai : 13:15
2010年04月07日
四月六日 タイタニック号は、いまの日本か?
今から98年前の1912年、四月十五日未明のことだった。
乗員乗客2200人以上を乗せた豪華客船タイタニック号が、処女航海の北大西洋で、深夜、巨大氷山と接触して、二時間後に沈没した。氷の漂う海に投げ出され、1513名の犠牲者が出た。最新鋭の安全対策が凝らされた世界最大の客船が竣工間もなくなぜ沈んだのか。直後の調査の結果では、原因がいろいろ取りざたされたが、うやむやとなった。たとえば、

無線係が、他船からの氷山の危険を警告する通信をうるさがって無視したため、船長に報告が届かなかった。
甲板の見張り番は、手違いで、双眼鏡をもっていなかった。
就航直前に、救命ボートが決められた数の半数16隻に減らしたとも。船主の意向だった。救命ボートの数が足りず、船上に取り残された乗客乗組員は船と運命をともにした。
どのひとつをとっても、危険は未然に回避されたはずだった。
ぼくの目には、108年前の豪華客船タイタニック号は、今の日本の姿に映る。
月のない星空、船室にはこうこうとあかりをつけ、氷山の存在に気づかず暗夜を航海するタイタニック号とダブって見えるのだ。巨大客船の船名は、ハトヤマ丸と読める。
巨大氷山に、10年以内に衝突するという警告は、かまびすしい。ぼくらには、まだみえない氷山とは、国債の破綻だ。
新聞の社説、専門誌、有識者の論説は、こぞって、日本国債の破綻を警告している。日本人だけが危機感を持っていないとする論者もいる。いまにギリシャと同じ状況になるとも。
とすれば、まさに一億人以上の乗客を乗せたタイタニック号状態ではないのか。
船のブリッジは、別の党から乱入した操舵手にハイジャックされ、郵政改革は逆走を始めた。
今の政府が、眼先の票をかせぐために、このままばらまき政策を続け、足りない分を国債発行して穴埋めすて、はたして大丈夫なのだろうか。
消費税は、解決策のひとつである。目前の選挙に、票の減る消費税に触れないまま、選挙に臨みたいというのも、選挙民からは、どうせ理解は得られまいとする国民をなめた話ではある。理論上よくわからないながらも、次々に発せられる専門家の国債の破綻予測に、国民は心配している。
太平洋戦争直前の昭和16年を思い出してほしい。
ぼくの眼には、いまの鳩山内閣と、太平洋戦争に、なすすべなく、ずるずると、ひきこまれていった近衛内閣がだぶって見える。

当時の日米交渉の焦点は、中国からの日本軍の撤退だった。陸軍がつっぱねた。平和を願いつつも厳しい決断を先延ばしせざるをえなかった近衛首相は、名家出の育ちの良いお公家さんだった。
土壇場で近衛が放り出した政権を受け継いだ東条内閣が、開戦した。
あの戦争で日本は、国中が焼け野が原となり、外地資産のすべてを失い、三百万人以上の命を失った。戦争をやめることも、ままならぬ状況が、昭和二十年まで続いた。
このように、百年の大計を持たぬ為政者の責任は重い。
いっぽうで、国民の責任も重い。
日本国民は、為政者を選ぶ選挙での投票率があまりに低すぎる。無責任だと、北欧の女子留学生がテレビ討論会で力説していた。
いまは、ぼくらにとって、まだ正しい為政者が選べる可能性は、なくはない。
地を這うような田中角栄型の「眼先選挙」主義にだまされてはいけないと思う。地方では、無理だろうが。
小泉と自民党憎し、という政策抜きの私怨で、政権を運用してよいものか。
地方と組織の票田へのみ眼を向ける選挙戦術で、与党は大勝するかもしれないが、世界を見据えた将来への政策には背を向けている。
おそろしいスピードで世界が変化している。
借金大国日本が生き残るためには、市場原理を無視した成長戦略などあるはずがないのに。
投稿者 nansai : 13:50
2010年03月26日
三月二十六日
電子本が、本を読まなくなった日本人を変える?
「手本は二宮金次郎」という小学唱歌を覚えている人は少ない。かつては日本中の小学校の校庭に、薪を背負い本を読む金次郎少年の小さな銅像が建てられていた。

感心な金次郎少年が、薪をせおって読書したかどうかはさだかでないが、話題沸騰の携帯電子読書端末を持たせてやりたかった。論語も、親指で押すだけで本のページがめくれる。
竜馬の活動で沸く維新前夜、緒方洪庵の適塾につどった福沢諭吉、大村益次郎たち塾生は、一冊しかないオランダ語の辞書を争って筆写したそうだ。本は貴重で文化の源泉だった。先人は、こうして、外国語を学び読み解き、先進技術を取り入れて日本は、列強の仲間入りできた。その貴重な書籍が60秒でダウンロードできるようになった。
さて、いよいよ、アメリカで出版界に旋風を巻き起こしている電子本時代がはじまるのだろうか。本や新聞、雑誌が、紙から電子版の時代になるか。

電子本ならば、分厚い本も60秒でダウンロードでき一冊が1000円程度で買える。読書端末には、なんと数百冊おさまる。
ぼくの部屋の読まない本の山積みツンドク現象は消えるだろう。古雑誌の山も、あとかたなく。
クレジットカード払いで最新刊が入手?でき、すぐ、機内にも無人島にも、どんな場所にも携帯できる。
紙ならかさばって重い本も、内容だけなら0グラムだ。
新しい物好きのぼくも、端末一台申し込んだら、三日で届いた。
将来は、改良されて、コンテンツが増えれば、教科書端末として、小学生から大学生まで教育に大きな影響を与えると予測される。電子黒板につなげると、教室でカラフルな図を大きく映し出すこともできる。動画もネットも融合した内容だから、登校しなくても学べる範囲は無限に広がる。
絵本が、しゃべり動くと、こどもには大好評だろう。

といっても、まだ英語圏の話。読書端末は、AMAZONのキンドルが先鞭をつけたが。四月にはアップルのアイパッドが発売される。すでに予約が数十万台はいっているとか。
アメリカ出版界は、電子本へ積極的に動くらしい。
読書端末というより、スポーツ誌やファッション誌、漫画雑誌の場合は、まず表紙から迫力ある動画。映画と雑誌の合いの子のような試作が姿を見せ始めているという。
この国では、日本語の厚い壁に守られているとはいえ、日本のジャーナリズム、出版業界にとっては、黒船の襲来であろう。
この手の端末が普及するにつれ、世界どこでも書籍が60秒で入手できる。しかも、ほとんどの情報は、英語中心だ。日本人の苦手な英語でやりとりされる。
国民の英語力が、国の経済競争力にかかわってくるのだ。これは、やばいことになってきた。
例によって、おそまきながら、政府も業界の音頭をとって、電子出版対策に乗り出したという。
端末のネットワークができれば、何よりも英語など外国語の習得に役立つ。
この国の英語教育制度を一から見直し再整備するには、絶好のシステムができるのだ。
ダムから人へ、というのなら、公共投資にもっともふさわしい。外国語の辞書や教程は、国営ネット化したらいい。学習端末があれば、国民は年齢を問わず、だれでも自由に無料で、語学が習得できる。
投稿者 nansai : 15:48
2010年03月11日
三月十一日 オオカミは必ず来るのに。
あの日午後一時三十分、息を止めて、テレビを凝視していた。番組は、大津波警報一色だ。チリ大地震の余波で押し寄せる到達時刻がせまってくる。テレビは、くりかえし、沿岸地域に、避難を呼びかける。

急に水平線が盛り上がり、3メートルの津波が三陸海岸に押し寄せるかもしれない。1960年の6メートルの津波被害の再来が心配された。
だが、何も起こらなかった。
あとからふりかえれば、気象庁が発表した到達予報時刻は、あまりに正確すぎた。だが、専門家の日食の秒読みの確かさを信じるしろうとのぼくは、そのときは、まったく疑問を持たなかった。
家人は、「そんなのくるはずがない。台風情報もいつもオーバーじゃないの。」と、はなから気象庁を信じようとしなかった。
今日の夕刊によれば、消防庁のまとめで、警告された地域でも、実際に避難した人は、全国平均でたった3、8%にとどまったそうな。専門家は、そんな勝手な予断ににがりきっているらしい。
ことほどさように、予知、警告をくりかえし徹底することは、オオカミ少年のようにまたか、とみられて、なかなかむずかしい。インフルエンザでも、地震でも、警告されても、みな自分の都合のいいように判断しがちなものだ。

津波も地震もこわいが、予知可能な災害は、借金大国日本経済の崩壊である。
政府債務の対GDP比は、日本はジンバブエに次いで世界2位だそうだ。いまのままだ、とまちがいなくギリシャになるという警報が点滅している。
しかも、民主党内閣は、どうやら経済オンチで、官僚を敵に回し、ブレーンもシンクタンクも支えていないようだ。
テレビも新聞も、識者、専門家も、もう時間がない。あげて、増税は不可避としている。納税者番号導入も急がねばならない。
「日本暴落 恐慌の日」、と、朝日新聞三月七日日曜版は、一面で、SF調でだが、20xx年、財政破綻を予告している。このまま、借金頼みなら、10年で破綻とも。
数ヶ月前から、国債の引き受け先を決める入札が不調におわるようになり、海外の投資家画『日本は投資先として危険』とのレポートが出回っていたというシナリオの想定だ。
オオカミは必ず来る。と、日経で伊藤元重教授が警告する。債務不履行、国債の利回り高騰、高いインフレ率への誘導という事態に陥るのだろうかと。
オオカミ少年のようにみなされた学者の財政危機説は、10年以上になる。いま、主婦向けテレビの番組でも、このままだと、もう十年持たない、と専門家が口をそろえる。
しかし、いま、国を救う増税を持ち出すと、選挙に勝てないと信じられている。危機に眼をそむけて、眼先の選挙に勝つことしか念頭にない小沢政権。かれらにはレーダーがない。長期の見通しをもたず、災厄を想定することから逃げている。
投稿者 nansai : 18:19
2010年03月03日
二月二十九日 セルフ ポートレートかも。

お化けのようにみえるが、薔薇は薔薇である。
冬の終わり、わが小庭のすみで、雨風にうたれ寒さに震えながら、けなげにも咲き残っていた。ほとんど枯れてしまった花の真ん中には、まだピンク色が、あざやかとはいえないが、かろうじてみずみずしさをたもっている。桜の花の散り際のいさぎよさとは、また違うところだ。
老残のピンクの花の色気を、しぶといとみるか、おぞましいとみるか。

なんだか自画像のような気がして、デジカメのシャッターを押した。
ここまでドライフラワーのようになると、春まではむりとしても、まだまだ長持ちしそうだったが、ある日、帰宅すると、寒肥を入れにきた植木屋さんの手でちょん切られていた。
投稿者 nansai : 15:29
2010年02月25日
二月二十五日
「「政治家」小沢一郎は死んだ。」(立花隆)
風向きがかわり小沢一郎民主党幹事長の去就をめぐってマスコミはさわがしい。すごい見出しを掲げた文芸春秋三月特別号の論文で、立花隆氏は、意表をついて、こう予言する。

長期未来を考えたら、どうか。
数年以内に、小沢一郎は確実に政治的にゼロの存在になると。
かりに当座をきりぬけたとしても、小沢氏の政治生命が長くは続くはずがない。いま「20歳の若者」から見れば、小沢一郎など過去の遺物にすぎないと。
「田中角栄研究」で、数十年にわたる田中による自民党政治の実態をデータ解析により暴いた立花氏の直感には、凄みが感じられる。

小沢氏がオヤジと慕い、師と仰ぐのが、田中角栄だ。田中の政治手法を長年にわたり調べつくした立花氏は、こう断言する。
小沢がこれから百万言を弄してどのようなもっともらしいリクツをならべようと、構造的に、田中角栄、金丸信とほとんど変わりない。政治家が影響力を振るうことのできる公共事業の巨大な国家資金の流れに預かる企業から、大っぴらにできない政治献金を、なんらかの別ルートで受け取って懐に入れるという行為は変わらない。
小沢一郎とは、なにものなのか。
日本を動かしている闇将軍と恐れられる小沢氏だが、もちろん会ったこともなく、ぼくは、永田町にも霞ヶ関にもまったく縁遠い『国民』の一人でしかない。
小沢一郎著『小沢主義」という187ページの文庫本を買って読んでみた。ゴーストライターの手によるものだろうが、「志を持て、日本人」と副題がついている。
小泉政治が目の敵だ。市場原理、自由競争で格差を生んだと、しつこく非難している。
同書にいわく、小沢氏自身も深くかかわった戦後政治は、高度成長で得た富を国が再分配し、国中にばらまいた。その結果日本は政治不在、リーダー不在の国家になったと、総括するのだが。
おどろいたことに、公共事業についてふれていない。日本中をコンクリートのダム、空港、道路や線路、ハコ物でうずめつくし、この国に、莫大な負債を残したのは、田中角栄とその一派の「日本列島改造論」だったのに。(おやじとしたう田中は、「反面教師」だという。そういい切っていいのかなあ。)
田中角栄直伝の、数は力、力はカネ。しかも、政治にはカネが必要だ。ゆえに、浄財をもってこれにあてねばならぬとも。
いまも、こう信じて疑わない小沢氏の選挙最優先主義の激烈な副作用を、ぼくは恐れる。
多数決の代償は、ただではすまない。それが健全な民主主義だろうか。
利権をちらつかせ、妥協、懐柔、恫喝は、田中軍団のお家芸だった。勝って一票でも多ければ、すべて丸取り。どんな法案も通せるというのか。ならば、とうてい議論は尽くせない。
数としての小沢チルドレン。政見を説くだけの経験も識見もなく、いわれるままに、ただ辻立ちと握手、ツーショット写真で票をかせぐ。おたまじゃくしのような候補がぞくぞくうまれてくる。
当分は、もう族議員の跋扈した自民党時代には帰れない。
しかし、はたして、小沢一郎のいうとおり、数は力でいいのか。それが自民党政権下で疲弊した日本を救う民主主義だろうか。
かれによれば、民主主義は、どぶ板選挙が原点だという。しかし、都市は避け、地方重視の地を這うような選挙の結果だけが、民意を確かめる民主主義だろうか。広い視野でグローバルに将来を見据える人材の「政府主導」でないと、日本が遅れをとっている21世紀の経済戦争は危うい。

小沢氏は、選挙の神様らしい。日本の地方の小選挙区での勝ち方を熟知しているのだろう。
おたまじゃくしのような候補者を指導する秘書軍団がなんと20名ちかくいるといわれる。合格率の高い予備校の講師のように。
アメリカの大統領選挙にもプロのエージェントが協力するが、選挙のプロが、国の最高権力をにぎり、国策に口を出すことはない。
投稿者 nansai : 15:56
2010年01月30日
一月三十日 土曜日
ごくろうさんでした。同志中野博司君、
お礼をいわせてください。 合掌
ウエブではまだ少数派の縦組みサイトを立ち上げた先駆者が亡くなった。中野博司君。59歳。
日本で初めて、日本文縦書きウエブのかたちに挑戦したメンバーの一人が亡くなった。
ぼくのこの縦組みサイトも、かれが敷いてくれた軌道のうえを、きょうも徐行運転しているのだ。大水都史編集も、縦組みで、着々と進行している。同志中野君の残した功績は大きい。
怒涛のように押し寄せる英語万能のネット時代に、日本文化を美しい日本語で伝え残す独自の縦組みサイト。普及の道半ばで、ぼくよりもはるかに若い中野君がたおれたのは、かえすがえすも、ざんねんである。
文字数の多い日本語で書かれたウエブは、なぜ読みにくいか。英語のような横組み表記に問題がある。日本語の効率的な飛ばし読みに耐える組み方は、横組みだけでは無理である。
かれは、横組みだけでは伝わりにくい日本語文章を、読みやすくしようと、独自の縦組みフォーマットを作り上げたプロジェクトの主要メンバーだった。
無理な注文ばかりつけるデジタル音痴の南斉は、有能なテクニカルアドバイザーを失った。かれは、尊敬すべき真のデジタルおたくだった。
たとえば、この焼香の線香のけむりのゆらぎ、拡大しようか、動画処理しようか、アイデアはつきない人だった。

めげずに、やりまっせえ。
はばむ壁は高く厚い。でも、こつこつと縦組みのよさを伝える地道な普及啓発の努力を重ねることを、中野博司君の霊前に誓い、こころから、ご冥福を祈りたい。
合掌 八軒家南斉
投稿者 nansai : 11:30
2010年01月22日
一月二十二日 百五十年前、竜馬がすぐ近所を歩いていた。
時代が求めているのだろうか。竜馬ブームが爆発している。
「日本を今一度せんたくいたし申し候事にいたすべく」と坂本竜馬は決意を述べている。
平成のいま、この国を建て直すのに、けちなマネーロンダリングなどは、もってのほか無用のことだ。

NHK史上空前の番組宣伝のききめあってか、大河ドラマ竜馬伝が快調な滑り出しと聞く。ぼくも、マウスをあやつって、竜馬像を描いてみた。偉丈夫だが、色黒く、ちじれ毛だったらしい。似ても似つかぬが、八軒屋船着き場オリジナルのTシャツに仕立てようという魂胆だ。
というのも、坂本竜馬と、ここ天満八軒家は縁が深い。
百五十年前の文久年間、うちの事務所のある八軒家浜かいわいは、新撰組、志士たちの面々が肩で風きって闊歩していたのだ。当時の情景を、司馬遼太郎は、「竜馬はゆく」につぎのように描いている。
天満八軒屋は、伏見へ上る淀川船の大阪駅になっている。天満橋と天神橋のあいだの南岸の地で、川ぶちに船宿がぎっしり軒を並べ、京大阪をのぼりくだりする旅客でにぎわっていた。
そこに京屋という船宿がある。
京屋端新撰組の御用宿で、将軍の大阪滞在中は、ここに一小隊が駐屯し、上下する旅客をあらためていた。
黒木綿の紋服を着た長身の武士が、京屋のとなりの堺屋という船宿からでてきた。まぎれもない坂本竜馬である。
映画の一コマのように、竜馬が船宿から姿をあらわすのは、ここのビルから歩いて3分。眼と鼻の先だ。
土佐堀通からお祓い筋にあがる角あたりに、竜馬の定宿「堺屋源兵衛」が、すぐそばに新撰組の定宿「京屋忠兵衛」が軒を連ねていた。
高倉筋と古い地図にみえるが、北大江公園に上がる石段に、常夜灯が建てられていたが、(今は谷町9丁目の生国魂神社に移転)その寄進主に堺屋源兵衛、京屋忠兵衛の名がきざまれている。
「竜馬がゆく」には、土佐からはじめて大阪へ出た日の竜馬が描かれている。
竜馬は、その晩、高麗橋で暗がりからいきなり辻斬りに襲われる。取り押さえてみれば、同郷の岡田以蔵だった。後年恐れられた「人斬り以蔵」である。「事情は、旅籠できこう」と、辻駕籠に押し込んでついた先が、八軒家の船宿「京屋冶郎作」方、とある。
その京屋は、間口11件の大きな船宿だったそうで、京都伏見の寺田屋と業務提携していたと伝えられている。
ついでながら、船宿が軒を連ねていた土佐堀通りから、お祓い筋の上がり口に、「熊野かいどう」の石碑が建っている。
古代、ここらあたりは、すぐ海で難波津と呼ばれ、アジアからの船の出入りする港だった。八軒家船着き場は、平安時代から、淀川を利用する熊野詣のルートで、京都と大阪を船で結ぶ中継点だった。
Tシャツ用に、いちびって、いくつか図柄を考えてみた。イケメンな竜馬の背景は、幕末の錦絵師、国貞の描く名作「八軒家夕景」だ。川向うのはるかかなたには、箕面山系がみえる。
いずれ気が向いたら、大河ドラマ「竜馬伝」の好評なうちに、Tシャツに刷りたいのだが。どうなるか。



投稿者 nansai : 15:21
2010年01月08日
一月八日 なんとなく、年が明けまして。

なんとなく今年はよいことあるごとし
元日の朝晴れて雲なし 啄木
三が日は、晴れて雲なく、びっくりするような好天。はたせるかな。「よいこと」が起こった。

恒例新春杯で、友人の奥さんが、ぼくら10の眼の玉の前で。ホールワンしたのだ。万歳。キャディさんが飛び上がった。眼が点になったとはこのことだ。
こいつは、春から縁起がいいわい。と、まわりも福をわけてもらい、大たたきの連続だったぼくも、おっ、苦手のウッドが高く遠くへ上がるようになったではないか。ごろばかりだったのに。
なんとなく「よいこと」は、たとえささやかでも、ひそかにたいつにせねば。

年賀状に、なにかひとことペンで走り書きしてあるのをもらうのは、うれしい。
「お元気ですか」だけでも、差し出したひとの相手を思う気持ちが伝わる。要は思いやりである、印刷は、きれいでも冷たく味気ない。
ぼくは、ないチエをしぼってマウスで描いて、手刷りのつもりで、プリントアウトするのだが、普通の印刷とみわけがつかないらしい。

手書きで一言添えてある年賀状は、今話題の「ツイッター」のようなところが、うれしい。
たったいま自分の思いを140字以内で発信し、反応が返ってくるミニブログが、「ツイッター」だ。
ぼくは年賀状を出すときに、前にもらったのを見直すけくせがある。一年前につぶやくように年賀状の片隅に書き込まれた短いメッセージを意外に読んでいない。
一年後、年賀状を書く寸前に、差し出す相手とあらためてなつかしそうに対話している自分がいる。
とどいた年賀状にはふつう返事をださないから、一年はすぐに経ってしまう。おめでとうの賀詞に、これから手術をするとみじかく書き添えて入院し、まもなく亡くなった人もいた。ま、この歳になれば、ひとごとではないのだが。
おもしろいことに、ぼくが出す年賀状の相手のほとんどは、八軒家南斉サイトは認知されていない。かつては、賀状にも検索先をのせていたのだが。
しばしば停滞するせいか、なかには、縦組みサイトをやめてしまったと思われて、糸電話の相手がいなくなってさびしいと、年賀状に書いてきた向きも。「すんまへん。まだ生きてますがな。」と、肩で息しながら、返事するのもへんなので、そのままに。
同じ縦組みのサイトを好調にたちあげていた女流推理小説家は、どういうわけかストーカーに悩まされ、閉めてしまったときいた。これは、やりきれない。こまったことだ。

双方向コミュニケーションは、孤立ケンカイ、わがままでヒト見知りの南斉の手に負えない。
屁をひっておかしくもなし独り者。
アタマ隠して尻隠さずのきらいはあるが、この独りよがりサイトを、細々と続けられるところまで続けようと思う。想定読者は、もうひとりのぼくだけだから。
なぜ時流にさからい、ウエブ日本文の縦組みにこだわるのか。あほと違うか。奇異に感じている向きも多いのは承知している。
アイ ハブ ア ドリーム。一寸のムシにすぎないぼくにも、志はある。日本語ウエブサイトを読みやすい縦組み表記することで、コンテンツの文字量が大量に増え、アーカイブされることで、速読拾い読みできると思うからだ。
日本語文字で構築されるウエブサイトは、全日本規模でみると、欧米のそれと比べて、あまりに貧弱、貧相である。端的にいえば、コンテンツ、なかでも文字量があまりに少ない。
日本文をウエブ上に横組みしたとき、バリアに満ちた読みにくさが、欧米のサイトに比べ、日本の文字コンテンツの充実、質的にも量的にもさまたげていると思うからである。

郵政公社は、「年賀状はおくりもの」とコマーシャルをだしているが、ちょっと違うな。
時の流れで、こころならずも疎遠になってしまった人にも、年の初めということで、気持ちをさりげなく伝えられる機会。あいさつ、かるい会釈。メールよりは、さらっとした人間関係かな。
いまのようなかたちの年賀状は、明治かららしい。
地域でみな暮らしていて門ごとに年始回りをしていた江戸時代にはなかった風習だろう。いちいち飛脚にたのんでいたら、ばくだいなものいりだ。
たいていの連絡はメールですんでしまうから、書くの もじゃまくさい手紙やはがきの配達は、これからどうなるのだろう。

亀井大臣は、離島や山間僻地の津々浦々に、安いはがき代、切手代でえっちらおっちら、ユニバーサルサービスさせることの物流経費をどう見積もっているのだろうか。美談づくりの選挙対策は結局高くつく。
投稿者 nansai : 16:16
2009年12月21日
十二月二十一日 おいでやす。
郵政非公認、歳末賀状アイデア市。

公園下の古本屋さんで「枕草子」の文庫本を買う。百円。たったの。
帯のコピーに「10代のうちに読んでおきたいこの一冊」とある。
ぱらぱらとめくっていると、
「ただ過ぎに過ぐるもの」(第245段)とあり、
「帆かけたる舟、人の齢、春、夏、秋、冬。」とみえる。
あっという間に過ぎるものは、年齢か。
いわれてみれば、清少納言のころの一千年前と変わらない。平成のいまも、年を取る速度は、同じなのだ。
年末になると、「喪中につき」と、知人友人からの賀状辞退が舞い込んでくる。
高齢長寿の時代だが、年々、年賀状を出す先がへってきているのだ。
今年郵便局から売り出される年賀はがきは、36億通。文具店や書店でも、賀状のデザイン見本が、わんさとならべられている。みな干支のトラがあしらわれている。ぼくのアイデアも似たようなものだ。
だが、ありきたりのは避けたいぼくのは、アイデアがひとりよがりなので、何の意味かわからないとよくいわれる。がっかりもし、説明責任?めんどくさいのだが。冒頭の絵は、山水画風に、山中に暦日なし、寝ぼけトラの寝正月、のつもりである。
つぎに、まず、無難、ありきたりのをいくつか。

ありきたりだが、招き猫もじり。猫変じてトラになると。

こちらは、なんとか勝ちたいトラキチむけ。
甲子園は大入り間違いなし。

怒ったぞ。ぜひとも、巨人を倒したい。


笑うトラの横顔が、みそ。これはこれで、いいできなのだ。

これも笑うトラ。開運招きトラなのだ。ウオーとトラの咆哮とオメデトウをくっつけたのは、品がないな。駄洒落が過ぎた。



カンフーで必殺の飛び蹴り一発。デフレ退散だ。

ゴルフボールも、トラトラトラ


投稿者 nansai : 15:11
2009年12月18日
十二月十八日 ごくろうさん。寒いけど、がんばってな。

「かわいい。」「癒される。」アンコールにこたえて、高さ九bの巨大なアヒルが、寒風身にしみる八軒家浜船着き場跡に、かえってきた。
「水都大阪2009」では、ややPR不足だったラバーダック。
夜はライティングもされず、暗い川にひとりぼっちで浮かんでいた。
今回は、師走一二日から二五日まで、「光のルネサンス」行事の一環で今度はライトアップされて、寒空の大川に浮かぶことになった。これは、オランダ人の作家のインスタレーション作品。
あほみたいに、ばかでかくて、のんびり、あっけらかんと、まことに単純で、意表を突くおふろのおもちゃ。
黄色いダックは、はるか遠くからも見える。人々は「やあ、でっかいなあ」といながら、ケータイカメラ片手にちかづいてゆく。
あらためて、これぞ愛される前衛作品だ。とても、いい。拍手だ。
前回浮いていたときは、マスコミがとりあげなかったせいか、案外、人が集まらず、大人は気付かなかったが、小さな子だけが無邪気に無条件にエンジョイして喜んでいた。
それを横目でみながら考えた。
大阪では、吉本系のけたたましいお笑いでないと反応しないのかなあ。大阪人は、センスがないとはいわないが、受け止めるユーモアの質が違うのか、とちょっとさびしい思いをしたことを思い出した。

もともと、このアヒルが登場したのは、日本とオランダ修好四〇〇年を記念してだった。東京が舞台で、アヒルが浮かんだ以外は、大阪は蚊帳の外だったようだ。
ぼくは、ちょっとあたまにきた。ごまめの歯ぎしりにすぎないが。
明治以前の大阪とオランダは、近い関係にあった。
大阪こそ、蘭学発祥の地ではないか。適塾をわすれてはいけない。北浜の適塾から、福沢諭吉、大村益次郎など、蘭学をおさめ明治維新に貢献した先駆者をあまたうみだしているではないか。かれらは、一冊のオランダ語の辞書を争うように筆写したというではないか。

大阪をわすれてはいませんか。大阪の適塾こそ、日蘭修好四〇〇年の原点の一つであると、オランダ大使館に、いっておくべきだった。
そんなわけで、おそまきながら、日蘭修好を記念して、アヒルに啓蒙されたぼくは、勝手に、ポスターとTシャツをデザインしてみた。
オランダ政府!など、主催者には、無断で。おとがめはないだろう。ま、いっか。著作権にふれないように、ダックの写真は使わず、稚拙なタッチでマウスで描いておいたから。
ついでに、おもちゃのゴムアヒルがかわいいという声にこたえて、たのまれもしないのに、Tシャツ用のデザインをいくつか。

みよ。ゴムのアヒルが、空を飛んでいる。大川から飛び立って、オランダに帰るというストーリーだ。
大川に昔から棲んでいる河童のがたろ爺が、アヒルの子をダッコしているポスターも。一寸法師みたいに生まれたてのアヒルの子が卵の殻に乗っているのも。
いちびりついでに、このあひるに、勝手に名前を付けたダッ子。英語読みのオランダのダッチと、アヒルのダックとを組み合わせたてみたのだが。






投稿者 nansai : 14:38
2009年12月14日
十二月八日 「リメンバー パールハーバー!」
日本人は、なにを水に流したのか。なにを忘れているのか

きょうは、何の日か。
いまから68年前の十二月八日未明、どこで、何が起きたか。
街頭で世論調査してみるとよい。知っている人は少なくなった。
乗ったタクシーの運転手さんも、さあ?と知らない。べつに恥じるふうでもなかった。
68年前のきょう、何が始まったのか。マスコミも、大新聞は、ほとんど触れていない。NHKテレビだけは、この日にちなみ、番組を三本放送した。
1941年十二月のある日曜日の朝、大日本帝国海軍はハワイ真珠湾を奇襲し、ここに4年にわたる太平洋戦争の火蓋が切って落とされた。

日本は、同盟国ドイツの敗色のきざしがみえてきたのに、この襲撃により、第二次世界大戦に巻き込まれて、世界を敵に回すことになった。
あげくのはて、みずからは「大東亜戦争」とよんでいた総力戦で破れ、国民310万人が亡くなった。海外資産のすべてを失い、国内の都市が灰燼に帰した。
この朝、日本海軍350機の雷撃爆撃により、真珠湾に停泊していた戦艦アリゾナを初めアメリカ太平洋艦隊の主力が壊滅した。くわしくは、鳥飼研究室、ウイキペディア参照。YOUTUBEに「真珠湾」を検索してみよう。その生々しい光景が、いまは動画で見ることができる。
大戦果は、大本営発表され、ぼくら国民を狂喜させた。新聞にのった真珠湾の航空写真は、高空から撮影されていて、みなれないせいもあって、ぼくには戦果はよくわからなかった。まだ国民学校四年生だった。
そして、いま、真珠湾はどこにあるか、と問われ、三重県と答える若い人もいると聞く。(読売新聞編集手帳)まさかとも思うのだが。
ことしも、日本側は、この日について、沈黙している。
2350名の人命を失った米国側では、いまも各地で半旗がかかげられ、ささやかでも記念式典がもたれているようだ。ネットを検索すると、「リメンバー パールハーバー」の項目には、おびただしい数のサイトが存在する。全米で、その数なんと70万以上だ。地方新聞のサイトには、在郷軍人が集まり、ラッパが吹かれ、たたまれた国旗が半旗として掲揚される光景が報道されていた。
当時の大統領ルーズベルトは、演説で、この日はわすれてはならない「恥辱の日」として記憶されようと述べた。ニューヨークタイムズ電子版のアーカイブには、この演説をはじめ最近にいたるまで過去の関連記事がもらさず収録されている。

1177名の戦死者を出し、二日間燃え続けた戦艦アリゾナは、湾の底に沈んだその場所の上に記念館が建てられている。
アリゾナを轟沈したのは、真珠湾内に潜入した日本海軍の特殊潜航艇の戦果であると、大本営が大々的に発表した。十二月七日五隻の特殊潜航艇が出撃した。大戦果をあげながら帰らなかった搭乗員は、「九軍神」とあがめられて国民の尊崇の的となった。
特殊潜航艇とは、排水量46トン、全長24メートル、水深100メートルしか潜航できない小型潜水艇。乗員2名。魚雷ニ本を装備し、親潜水艦の前部にのせられて目的地にちかづき、敵の泊地攻撃が任務である。
十二月六日、NHKスペシアルは、アメリカの公共放送PBSとの共同制作で『真珠湾の謎―悲劇の特殊潜航艇』を放映した。
当日、ホノルル湾内への潜入は、どの艇も不首尾に終わり、最後の一隻の消息が不明だった。その一隻が海底に沈んでいるところを発見されたいきさつと、国民の士気を高めるための大本営の情報操作の内幕がよくわかる。
特殊潜航艇が、大本営の伝えたように、アリゾナを雷撃することはかなわなかった。最初に座礁し捕獲された特殊潜航艇は、全米を戦時国債キャンペーンの目玉として巡回させられた。ついたあだ名が『東条の葉巻』。
結局、特殊潜航艇は、日米両国でそれぞれのプロパガンダに使われたと番組は伝えている。
ともあれ、78年前の彼我の戦死者を忘却のかなたに消失させてしまってはいけない。アメリカ側だけでなく、戦後の日本人も同じはずだ。開戦前夜、志願して決死の突入を試みた五隻の潜航艇搭乗員たちには、改めて深い敬意をささげなければならないだろう。全員が、二十歳代の若者だった。特殊潜航艇のかげに忘れられた海軍空襲部隊55名の犠牲者も、同じく追悼されねばならばならない。
この日始まった戦争で、日本兵士210万人が戦場に斃れた。
戦死した兵士たちが出征以来身につけていたお守りの日章旗が、戦勝記念品として今アメリカにもちかえられ、いま200ドルで売買されているとNHK」クローズアップ現代」で知った。

十二月八日を迎えて、あの戦争の評価が揺れているように見える。
あの悲劇を正当化しようとする勢力は、あとをたたない。戦争をまがりなりにも体験したぼくらの世代でも、いろいろだ。
戦争を知らない新進の世代の研究者に期待したいが、かれらのなかでも意見がわかれている。
「あの戦争は無謀な戦争であった。」『勝ち目のない戦争に突っ込んでいった愚かな決断であった。』という俗耳に入りやすい見解、あるいは気分がますます支配的になってゆく恐れがある。」
と、産経新聞の「コラム」で、新保祐司氏(都留文科大教授)は、述べている。
新保氏は、あの戦争は無謀で、愚かだった、とみてよいかと問う。
『昭和16年12月8日に、『勝ち目のない戦争』であることは、十分わかっていた「にもかかわらず」日本は開戦したのである。』とし、70年ほど前、日本の国民は戦って見事に敗れたが、今日の日本列島の住民は、戦わずしてただだらだら敗れていっているのではないか。」
新保教授は、あの戦争を、歴史哲学的に回想せよという。無謀でも愚かでもないという。
310万人の犠牲者を出した戦争と敗戦を経験したぼくには、とても、日本は「戦って見事に敗れた」そのようには考えられない。
昭和のぼくは、なんのうたがいもなく、ボクハ グンジンダイスキヨとうたって育った。やむを得ず立ち上がったと、戦争を美化し正当化した、あのころの大義も正義も、しだいにご都合主義に変容していったと思う。
議論の前に、新保教授には、ぜひ検証してほしい証言がある。
NHKの「戦争証言」。これは貴重な膨大なアーカイブだ。敗戦で戦時資料は焼却隠滅された。戦争の実態を生身の参加者が証言している。
おなじくNHKで3回に渡り放映された『日本海軍400時間の証言』。いまは、番組をオンデマンドでみることができる。
国土を荒廃させあれほどの死人を出しては、正義、大義、理念、歴史哲学もすべてむなしい。国策というイデオロギーやドグマで、人は動かされた。最後は、一億玉砕して、国体護持が、国家目標だった。
戦前、戦時、戦後生きていたぼくは、皇国歴史教育を受け敗戦後の総括なき歴史認識しかなかった。外部の情報から隔絶されれば、国民は無知の状態だ。最近になって、彼我の極秘資料も発掘され、90歳前後になった兵士たちも沈黙を破って、戦場の現実を語り始めた。ぼくは、あらためて、70年前に自分の体験した戦争の本質とはなにか、を理解した。
歴史認識をめぐって論争はつきない。
が、ぼくは、市民をも巻き込んだ310万人の死者、戦場におもむき70%が銃を撃つことなく餓えて死んだ210万人の戦死者を思うとき、新保氏のいう『にもかかわらず』という開戦理由は見あたらないと思う。ぼくには、国家指導者の視野の狭さ、判断のミスとしか思えない。国はなにを守ろうとしたのか。当時も、国益とは、総力戦で焼かれ飢え、あれほどの人命を失うことではないはずだ。
神風を信じ、竹やりを振るって、精神力で敵に立ち向かう本土決戦には参加したくない。もうたくさんである。
サイパン沖縄が全滅し原爆が落とされ、敗色濃い1945年夏、旧制中学生二年のぼくは、敵の上陸に備え丸太をならべた機関銃陣地の横穴を掘っていた。軍部に主導された国家はどこへ向かってゆくのか。戦艦大和が建造されたことも、沖縄への特攻で沈んだことも、連合艦隊が壊滅したことも、情報から隔絶されたぼくたちは、真実を何も知らされていなかった。
追い詰められた大日本帝国の最後の国家ビジョンは、「東洋平和」ではなく「国体護持」だった。一億玉砕が閣議決定されていた。
一億人が本土決戦して全滅してまで守るべき国体。それが何ぼのもんじゃい、といえない時代の空気だった。
護持をめぐってポツダム宣言の受諾が遅れた。昭和二十年の戦没者、沖縄、サイパン、広島、長崎の犠牲者は、当時の世界情勢を見渡し決断が早ければ、救えたかもしれないのだ。
戦争の記憶を伝える語り部は、日米ともに高齢化し亡くなりつつある。日本人は、試験に出ない限り歴史に不勉強だし、現実に目をそむけてきたし、このままではまずいのではないのかなあ。
投稿者 nansai : 16:27
2009年11月25日
十一月二十五日(水)
「ショー」でもいい。税金の行方が、これだけ注目されたら、もうへんな事業は立ちあげられない。族議員さん方、どうする?
国の予算の無駄を洗い出すとして始まった「事業仕分け」の評判がよい。
いらない支出、急がない事業を見分けて予算を削ろうとする。
必殺仕切り人たちが、舌鋒鋭く、切り込んで質問を浴びせる。答える官庁側がもたもたすると、人民裁判とか、公開処刑みたいだと、非難するむきもあるが、やんやの喝采である。

ムダ指摘の仕分け作業を一堂に集めテレビやネットに全面的に公開した。これは、画期的で評価できる。闘牛のように観衆、つまり納税者が熱狂する最高のパフォーマンスとなった。
ニュースでもワイドショーでもよく取り上げられるから、ぼくのように政治にうとかった人間でも、政治が身近かでよく見えるようになった。
「事業仕分け」とは、耳慣れない用語だが、われわれが払った税金がどのように使われるのか、予算編成の過程が一般公開されるのは、はじめてのこころみである。仕切り人は、民主党の国会議員と自治体職員、エコノミストら民間の有識者ら。役所の担当者と議論しながら、一つ一つ事業の必然性を吟味する。
霞が関の無駄の基準が、一般の常識に照らして、いかにあまいかがわかる。ひいては行政の刷新につながるかもしれないのだ。
これまでは、ぼくら普通の『国民』は、予算に計上される事業には、無知、無関心だった。国会を通過しようが、強行採決しようが、あきらめ気味で知らん顔だった。

帰らぬ繰り言だが、このような手法をもっと前から導入してほしかった。
狭いこの国に97の空港をつくったり、列島のすみずみまで、新幹線を引き、オリンピックを誘致しようと巨費を投じたり、各地で繰り広げられるへんな事業をぽかんと見送っていた。
事前に投資予算の費用対効果を正しく見積もれば、大阪の財政はこんなに追いつめられていなかったろう。関西空港も泉佐野市も夕張市も、あんなことにはならなかった。議会や監査のための役所が機能していなかった。族議員が暗躍した積年の政官業のもたれあいにつっこめずチェックできなかった。
「事業仕分け」という手法は、2004年に、カナダ政府の財政難を救ったと聞く。
この快挙は、民主党の発明で専売特許かと思っていたら、なんと違った。すでに2002年に民間のNPOシンクタンクが提案し、地方自治体で、成果をあげていたのだ。
小泉内閣でも総理の指示で200年には「与党財政改革・事業仕分けに関するプロジェクト)が発足していたらしい。政権交代以前の八月までに、6省、36自治体で、合計49回実施されていたそうだ。自民党も、七月に、国の事業仕分けを実現させるとして、河野太郎氏が中心となり「無駄遣い撲滅チーム」が、反対を押し切って文科省「政策棚卸し」を行ったというが、話題にならなかったという。
不勉強なぼくは、このような理想に燃える英知を結集したシンクタンクが、中立の立場から、なんのひももつけず、霞が関の外部に誕生していたとは知らなかった。
そのシンクタンクは、「構想日本」。
政策を立案し、変革者を支援するなど、活動7原則にもとづき、元大蔵官僚の加藤秀樹氏に率いられている。
事業仕分けは、当日までの準備、報道関係、一般市民への傍聴呼びかけを行う。当日はコーディネータとして議論を運営する。しかも、交通費など実費以外はすべて自弁というから、頭が下がる。
政策シンクタンク「構想日本」のホームページをみて、その志の高さとネットワークの発展性に敬意を表したい。
いうてせんないことながら、なぜ、これまで、国として、地方として、もっと早く事業の見直しするメカニズムは機能しなかったのか。
もし、事業の見直しが、きっちり行われていたら、どうだったろうか。田中角栄のノーハウ、政官業の癒着による、道路、橋、空港、新幹線が日本列島をはいずりまわり、大阪南港にも、関空周辺にも、あのように箱モノが林立することはなかったのに。
投稿者 nansai : 17:13
2009年11月19日
十一月十九日
不景気だ。が、とりあえず平和な日々である。
よほどしんどそうな老人にみえたのだろう。
先週、夕方満員のJR京都線の電車で、かばんをかかえてぼんやり吊革にぶらさがっていたら、ジャージーを着た女子中学生がたち上がって、どうぞ、といってくれた。優先席でもないのに。

年齢に不足はないが、めったにないことで恐縮した。「ありがとう」と小さくつぶやいて腰を下ろす。すぐがさごそ夕刊をひろげたりせずに、瞑目。なんとなくほのぼのとしたいい気分になった。しみじみ思うに、席はゆずられると、うれしいものだ。年をとると、思いやりは、微量でもよく効く。いつも乗っている地下鉄では、まずこんなシーンはない。二駅目で彼女は降りて行った。
ほとんど毎晩のことだ。暗くなって家路をたどる坂道の脇のミカンの木の下で、一匹の捨て猫がすわりこんで鳴いている。
コンビニの横に、ミカン畑があるのだ。子猫に毛の生えたサイズ。金網越しにみると、低いかぼそい声で、鳴き続ける。昼間はあちこち移動はしているらしいが。
おなかすいているのかなあ。

だいぶ前からで、気になっていた。うちの駄猫は訪れた人に「おおきゅうなったなあ。まるでたぬきみたいや」といわれているのに。
先夜も、かぼそい鳴き声につい後ろ髪をひかれそうな気分になって、コンビニまで舞い戻って、105円の小さなちくわを買ってなげてやった。
すぐ飛びつくかとみていると、食べ物にむしゃぶりつく前に、どうしたことか、ぼくの足元にすり寄ってくる。すぐに食べたいが、ひとのあとについてゆこうとするチエもあるのだ。うろうろしたあげく、ちくわのほうに行った。
む、む、む、小さなうめき声をあげて一生懸命かぶりついて食う。
ペットを捨てる人が多いのに、考えさせられる。

投稿者 nansai : 14:07
2009年11月12日
十一月十二日 栄光の背番号7番の退団
初冬の日差しを受けて甲子園球場では、トライアウトが行われ、阪神のユニホームを着て、わが今岡誠選手が参加した。戦力外通告を受けた選手らを対象とする、12球団入団テストである。

アスリートとしての「定年」退職者の採用試験ともいえる。昔の名前は通用しない、厳しい現実がテストされる。
かつて、ドラフト一位で阪神入団、首位打者、打点王を獲得した35歳の今岡が、プライドをかなぐりすてて、トライアウトに挑んだ。
ただただ好きな野球を続けたい、その一心からだ。スポーツ紙によっては、一面のトップで報じた。
天才今岡選手の華麗なホームページを見てみよう。
06年に右手の手術して以来、逸材のあのバッティングが戻ってくることはなかった。しろうとにはわからないが、右手のばね指で、天性の微妙なバットコントロールに狂いを生じたのか。ここ数年、やきもきしつつ復活を期待していたぼくとしては、残念だ。
だが、プロは、あくまで結果だ。打てて、なんぼだ。
ひざの手術後外野を守れないマツイ選手は、今年契約が終わるが、ワールドシリーズで打ちまくり底力を見せつけて、ヤンキースタジアムの花道に立った。
松井秀喜選手と同い年の、今岡の打撃技術が、あのように急速に衰えたのはなぜなのか。阪神では徒労に終わったが、環境の変化で、復活は望めないのか。
一方、40歳を超えた楽天の山崎武史選手のしたたかな活躍ぶりはどうだろう。ぎっしり書き込まれたネットをみて、かれの波乱万丈ぶりに驚かされる。
指導者とそりがあわず、中日からオリックスに移籍、戦力外通告、引退を考えたが楽天と契約、野村監督に認められるまで、逆境にほんろうされつつも。今日の結果を出した。
スポーツ紙では、獲得に色気を示している球団として、西武と広島の名があがっている。どうなるか。
こんご、今岡は、指導者の道を歩むか、山崎選手のように職人の道をつらぬくか、好漢(もちろん本人と会ったこともないのだが)の自重を祈る。
投稿者 nansai : 14:56
2009年11月09日
十一月九日 ゴジラ天晴れ。日本の誉れ。
9年ぶりに、ニューヨークヤンキースが、ようやくワールドシリーズで優勝した。地元ニューヨークデイリー紙は報じた。
「今夜が最後のピンストライプのユニフォームだったのかもしれないマツイが、6打点をあげ、歴史を刻んだ」。

なんと、松井秀喜選手が、最優秀選手に選ばれたのだ。シリーズ記録タイの6打点はすごい。パワーだけではない、過去のデータにもとづく頭脳プレーの結果だろう。考えて、瞬時に投手の配球が読めている。
シリーズMVPは、体力に劣る日本人打者としては、信じられない不滅の名誉だ。あえて春さきのWBC日本代表チームには参加しなかったが、国民栄誉賞ものだろう。でもこの好成績をもってしても、かれの花道になるかもしれないという。楽天の野村元監督と違って、未練がましく、ぼやきはしないだろうが。
ファンからは、ゴジラの愛称で親しまれたが、故障には勝てず、試合前にはことしで終わる契約がもう更新されることはないと、ドライにニューヨークのメディアは報じていた。来年の球団カレンダーには、かれの写真はのっていないそうだ。
渡米7年目で、もう35歳、手首を痛め、手術したひざからは、しばしば水を抜かねばならない。年俸14億円は、外野を守れないのに、チームには高すぎる買い物だと、揶揄されていた。
大リーグでの高額報酬の一流選手の出入り、入れ替えは、はげしい。MVPをとったマツイ自身は、契約継続に色気を示している。ヤンキースもニューヨークのファンも好きだとも。
勝てば、官軍。となるかどうか。
パレードの沿道をうめつくすファンからは、シリーズタイトル奪還に貢献したマツイに嵐の賞賛だが、若返りを図らねばならぬクールな球団は、日本人のようには情にほだされない。選手の価値は、コンピュータが計算する。
さて、どう出てくるか。ヤンキース。
少年の頃、熱心な阪神ファンだったときく松井選手の晩年は、広い甲子園球場が似合うと思うのだが。
投稿者 nansai : 13:31
2009年10月30日
十月三十日 「水都、わが町」を考える。どの町に、ぼくは、住んでいるのか。
北大江公園、恒例「たそがれコンサート」秋の大イベントは、めでたく終了した。ぼくの不出来なチラシがあちこちの店先に張られて、ま、無事すみました。

この付近は、楽器関係の工房が多く、出入りするミュージシャンも多い。プロの演奏家のみなさんが、ボランティアで、客寄せチンドン屋から、やさしい解説付き名演奏など、大車輪の活躍だった。
チェロの無伴奏の協奏曲はちんぷんかんぷんだったが、弾く弓は、馬の尻尾の毛だと教えてもらった。
それも、オスの尻尾の毛でないといけない。後ろ足の付け根のしっぽへの尿のかかり具合がオスとメスで違うそうで、なるほどとなっとくした。
フルートとハープの演奏も、オンチのぼくにもやさしくわかるような日本の歌だ。「見あげてごらん、空の星を」も演奏され、がらにもなく、思わず空をみあげると、ここはビルの谷間で、真っ暗なせまい空に星はひとつもみえなかったのは残念。
隣のイタ飯食堂もおおはりきりで、店の前で焼く、もうもうと煙を上げるサンマやイカのバーベキューの匂いが、演奏会場まで流れてきた。
当店何よりの快挙は、店のトイレを公園の観客に開放したことだ。

その太っ腹な英断に感謝して、オーナーシェフの肖像画をそそくさと描いて、ここに贈呈することにした。本人は、不揃いな歯並びが不満げなのだが。
ところで、自治体が後押ししている「町づくり」とはなんだろう。「わが町」は、織田作之助の名作だが、あの小説にでてくる「がたろ横丁」のような町は、大阪市内に残っているのだろうか。どこそこの神社の氏子も神輿をかつぐ若い衆の数がたりないときく。

八軒屋界隈。この町内の住民は、あたらしく建ったマンション住まいがふえている。住民の大多数は、郊外やよその町から、ここのオフイスや店に通勤する、ぼくのような「通い」の住民だ。マッチ箱のような公園の四方が、マンションと当社のようなオフイスビルに囲まれているからだ。
戦災で焼けたこともあって、ほとんどの住民が新参者だろう。町づくりといっても、どだい、イタリアの田舎の町のように、教会があって、広場があってといった「コミュニティ」の態をなしていないのはしかたがない。

ぼくは大阪で生まれて地方で育った。また、大阪に来て、半世紀以上たつのに、ぼくはどこのコミュニティに属しているのかわからずにいる。
多感な時期を過ごした田舎に帰っても、浦島太郎だし、今住んでいる郊外の家の近所に、ぼくの居場所はない。
つきあいといえば、長年、会社と仕事を通じて知り合った仲間(むかしの得意先も)とのそれだ。
しかし、この北大江公園界隈もなんだか、いつのまにか、渡来してきたぼくが「帰化」してしまったおもむきもある。ぼく個人は、区税をはらってはいないよそものだ。三代続いた家はほとんどないそうだ。みな戦後集まってきたよそものだし、親しく付き合っているわけでもないが、公園の一角に、ビルを借りて、ぼくも30年以上根をおろしているから、住民には違いない。

ぼくの顔はしられていないが、ぼくの下手な絵がメディアになっているみたいでもある。不思議な渡来住民である。

投稿者 nansai : 17:19
2009年10月19日
十月十九日
ぼくの描いたTシャツ絵の展示会を、丸善ボタン画廊の片隅で開くことに。

北大江公園かいわいは、楽器職人の町として売り出し中だ。十月にはいって、町内あちこちのレストランでは「たそがれコンサート」音楽イベントが開かれている。その一環として、場違いながら、ぼくのTシャツも、枯れ木も山のにぎわいということらしい。
画廊への目印は、画廊の斜め前の立ち食いうどん屋さんの回転警告灯だ。赤い光がちかちかまたたいていて交通事故現場の感じだが、遠くからもよくわかる。
これから寒うなるのに、なんでTシャツやねん、と突っ込まれると困る。高価な紙を使うよりも、布地に刷るほうが、安上がりでかんたんなのだ。ひらめけば、アイデアがすぐかたちになるし、何より、安直だから。

もし、ぼくがイラストレーションの個展を開こうとすれば、制作の手間もたいへんだし、額縁などが高くつく。
Tシャツは布地にじかに印刷するから、省エネで安直に出来上がるのが利点。といっても、せこいなりに、結構コストはかかってしまうが。
べんりになったもので、あわてて、東京のTシャツ印刷会社に、隣のイタリア食堂マリアンのご主人にパソコンで発注してもらったら、三日たらずで刷り上がった。

マウスでこちょこちょと描いて、入力して、発注すれば、好みのTシャツが完成する。
このままではあまりにイージーなので、古い友人のアートディレクター千葉さんにお願いしてポスターをつくってもらった。ありがとうございました。
投稿者 nansai : 18:37
2009年10月14日
十月十四日 ほんとに!政権が交代してしまった。さ、これからだ。

政権交代とは、こんなものか。
戦いが終わってはじめて、政治にうとく、政局にも無頓着だったぼくにも、見えなかったことが見えてきた。
コンクリートのハコから、ヒトへ。
予算を振り向けるのは、賛成である。箱もの行政がおかしいことがわかっていながら、自民党政権下では、日本の政治はかわらないと、黙認しあきらめていた。
限られた予算に、優先順位をつけ、箱ものでなく、教育医療福祉にまわす。しごくあたりまえの民主党の方針に、賛成する。
政権交代は、官庁縦割りの既得権に縛られた税の配分先を大胆に変えられるのだ。甘い汁を吸ってきた族議員たちがうろたえるのは当然のむくいだ。でもたいへんなのは、これからだ。

公共工事は、地方にとって、麻薬のようなものらしい。
大都会に住んでいては、そこのところの事情が、不勉強なぼくにはよくわからなかった。
土建国家の日本は、公共工事という麻薬を打ちつづけなければ、財政がゆきづまってしまう体質になってしまった。総選挙直前、女優のりピーの覚せい剤依存症の話題で持ちきりだったが、日本の地方財政がヤクづけたったとは。
ずいぶん前、自民党の古参政治家が、地方は、ダムでもトンネルでも、何の名目でもいいから、とにかくカネがほしいのだと、ホンネをもらしていたのに驚いたことを思い出す。
『米国の半分以下の人口と4%の国土面積しかない日本が、米国の年間使用量と同じ分のセメントを使い、公共事業は、米国国防費を上回る』と、ニューヨークタイムズがあきれていたという。ほんまかいな。
政権交替後、手のひらを返すように、これまでの自民党政治を総括するマスコミ報道や論評があふれた。
先日の日経の「自民党半世紀」特集に目を通したら、自民党の政治を支えたのは、政治家の個人後援会と業界団体だったと総括している。大阪郊外のぼくの選挙区では、効率が悪いとみられたのか、ほとんど選挙運動の洗礼を受けてこなかった。もちろん、個人後援会などお呼びでない。
日本列島改造という美名のもとに、半世紀以上前に田中角栄の開発した、政官業のあいだでの利益分配と集票の精緻なしくみが、これほどまでに長期にわたり持続可能だったいきさつが、あらためてよくわかった。
当時の国民は『コンピュータつきのブルドーザ」と田中角栄を英雄視したのだ。

公共工事に偏った財政支出は、選挙対策には役立ったが、一方で巨額の財政赤字を生み出した。自民党政権下、全国津々浦々にハコモノが建てられ、ダム、道路、空港、鉄道がつくられるのを、ぼくら国民は当然のように、いや、はるか遠くの地方にばらまかれるのを、他人事のようにうけとってきた。
地方は、国のカネをあてにして、空港、新幹線、高速道路をつくりたがる。地方活性化をうたう政治家の目先の選挙公約だった。ここ大阪近辺にも、三つの空港ができた。将来の不採算性を考えては、票に結びつかなかったのか。
気づけば、つもり積もって、国として、800兆円の借金というつけが残った。
悲惨な状況の夕張市、泉佐野市のように立ち行かなくなった自治体も目白押しだし、わが大阪府も南港埋め立て工事や、失敗したオリンピック誘致などで、莫大な負債を背負っている。
国は、まだまだ国債という借金証文を発行し続けねばならない実情だ。
「世界の民主主義国のなかで、自民党に匹敵する長期政権が維持される国はまれである。
自民党が、「与党であることで与党であり続ける」ことに成功した背景には、巧妙な利益誘導政策があった。以上は、日経の『経済教室』からだ。そんなに長期にわたっていたのか。知らなかったではすまされないのだが。
このようにフェルドマン氏ほかの専門家に指摘されてみると、独裁国家でないかぎり、政権交代の必要を、これほど長く、国民が感じていなかったのは、やはり異常な国だったのか。
かねがね報道されていた政官業の癒着という実態は、苦々しくは思っていた。
この国に限ったことだけでなく、官僚が族議員と組んで特定団体の利益に沿う公共事業や補助金をきめてゆく、いわゆる鉄のトライアングル(三角形)は、いまは大学のゼミでも教えていると、女子大学生がNHK討論会でのべていた。常識なのだ。
先月のNHK大阪は、勇気をふるって?すごいテーマをドラマ化した。

門真市の市役所をロケして、政官業 の癒着ぶりをドラマ化したのだ。架空(とは思えない)の大阪府下の「なみはや市」を舞台に、ニュータウンの建設の是非を巡って、身につまされるように描かれていた。勇気ある試みだったが、時宜を得て好評だったという声は聞こえてこなかった。ゴールデンアワーに、このようなリアルなドラマが放映されることが、世相の急変ぶりを物語っているのだろうか。
政官業の関係者をまきこんだ公共事業は、いったん間違って走り出すと、もうとめられないという。
カネのばらまかれ方が半端でないのだ。
買収、補欠の土地代金、セメントや鋼材、長期にわたる工事費。賃金として地元の雇用に結び付く割合は意外と少ないそうだ。
こうなると、何十年前の発案されたときの大義名分は、どうでもよくなる。これほど変化の激しい時代に、建設目的などは、すぐに揮発してしまう。
地元の住民にとっては、きょう、あすの仕事が最大の関心事である。カネがすべて。「この橋の工事が終わると、もう仕事がなくなる」といった地元トラックの運転手のうめきが、同情を持ってマスコミで放映される。
経営学で言う「全体最適」と「部分最適」の折り合いは、まことに困難だ。この国の行く先とか、国全体の調和は、地元には見えるわけがない。今ほしいのは仕事。目先の仕事がほしい人には、どうでもよいことだ。
「全体最適」を説かれても一般国民は、お国のためと、地元のお気の毒の境界が見分けられない。
情報公開が隠されたり不十分だから、どっちも他人事と思えてしまう。国の負っている800兆円を越える借金がどんなことなのか。プライマリーバランス?何とかなるのじゃない?
ぼくをふくめて、全体を眺めて将来を考える習慣は、身についていない。政治家の呼びかける「国民のみなさん」の実態はこうだろう。

地方の小選挙区で戦う政治家は、地元の講演会では、後援会の切望する「部分最適」のプランを述べて、明日の一票を狙う。
国益をとなえ「全体最適」の大義をふりかざす相手には、「地方を切り捨てるのか」と居直ってみせねばならない。つまり地元への利益導入以外に約束することはない。だれの目にも国家百年の大計とのギャップがあきらかであっても。
で、どうしたらいいか。まっとうな民主主義を実現するには、政治の仕組みの大改革に帰るのだろう。容易なことではない。
議員たちは、地元の選挙で勝つことと、国政とをどう両立できるか。
何しろ経験がない。未知への遭遇だ。明治維新の岩倉使節団を見習ってか、副総理が急きょ政権交代の本場に、勉強に行くのはいいことだと、しろうとながら思った。英国などの政権交代が頻繁な運用例が参考になるだろう。先進民主主義諸国の失敗の歴史にも学ぶことは多いのでは、と政治音痴のぼくは考えた。しかし、おっとどっこい。
お手本としてのイギリス政治は、文芸春秋十一月号の、中西輝政教授のご託宣によると、「模倣不可能」とのことだ。最初の政権交代は、得てして失敗する。苦渋に満ちた長い学習期間が必要であるらしい。

しかしながら、ぼくは、海図のない荒海に船出する民主党の若手の志と意気込みは、高く評価したい。
マニフェストを穴のあくほど読んだわけでないが、出陣した若手の武者ぶりは、すがすがしい。いいぞ、その調子だ。いまは、組織がもつかどうか、見守るだけだ。
政治家に必要なのは、大久保利通のような、つまるところ胆力だと言った人がいた。
自民党をぶっ壊すとして、金融崩壊に対処し、構造改革に立ち向かった小泉、竹中チームの実績、次世代の内閣で立ち枯れに追いやられたが、を否定せずに認める学識評論家を、ぼくは支持したい。
個人的恨みから、彼らにくしで、市場原理が格差を生んだと、時計の針を逆に回そうと、復讐の血刀を手に吠えまくる人たちを唖然としてぼくは眺めている。
とくに、特定集団の利益を代表する族議員たちだ。郵政、農林、建設など、業界に寄生する族議員の領袖たちが、よくいうわ。
市場にかわる経済効率を測る物差しを人類は発明していない。市場、それもグローバルな視点と物差しを無視すれば、世界では生きていけない。企業ならば、即、つぶれるのだ。
今度の政権では、国家の理想像が示されていないという声が高い。しかし、拙速では、国家百年の計は立つまい。取り返しがつかないことにもなりかねない。

戦前戦後、幾多の国家理想像を提示されて、国が滅びそうになったのを、当時若く、いまや年老いたぼくは、まるで昨日のように、生々しく苦々しく思い出す。いまの時代、賢者だけでなく、愚者も、歴史に学べるのだ。
おぞましい八紘一宇、大東亜共栄圏、本土防衛、一億玉砕。日本列島改造論。
敗戦後すぐの「貿易立国」は、その通りになったが。イギリスにならっての「金融立国」も、モデルとして、その時は、なるほどと門外漢のぼくは思ったが、崩壊してしまった。

戦争に向かって国家が破滅に向かう決断も、一握りのエリート集団によって推進された。
いずれも、日本独特の縦割り組織にへだてられ、世界情勢が把握されぬまま、若い高級参謀たちが立案し、それを権力者がまるのみにして採択、天皇に上奏した。
太平洋戦争は、海軍軍令部の中の俊英からなる第一委員会、たった十名以下の描いたシナリオ通りに破局に向かい突き進んでいったと、NHK特集「日本海軍400時間の証言」で知った。
あの戦争のような巨大なエネルギーは、いったん動き出したら、ブレーキをかけるのに、さらなるエネルギーが必要だということを教えている。
石油がなければ軍艦は動けない。米国の石油禁輸にそなえて、仏印へ兵をむけようとした。これに態度硬化させた米国は、華北からの撤兵を求めた。
日米交渉で戦争を避けるための妥協案だ。東条陸相が断固反対した。戦場ですでに10万人の命が失われている、いまさらあとにひけないと。
結局、勝ち目のない戦争になだれこみ、310万人の同胞の命が失われた。一握りのエリート軍人たちが、中国で戦死した10万の英霊に申し訳ないとして、米国への交渉を打ち切り、元も子もなくし国を危うくした。
ダム工事の中止も、これに似ている。あれだけカネを使ったのだから、いまさら後に引けない。
八つ場ダム建設は、部分最適と全体最適の激突である。
もともと、戦場での撤退、株の損切りには、大局感と勇気と決断が必要だ。
数百万人の犠牲者を出し100%負けるに決まった戦争でもやめるのは、あれほど至難だったのは、わずか、半世紀前の歴史が実証している。
でも、やめねばならぬときは、やめなければならない。

自民党が大敗し民主党が大勝した理由は、掃いて捨てるほどある。決してマニフェストを熟読した結果ではない。投票所でも、候補者の名前以外、なんら主張がよくわからない。でも、ほとほと愛想を尽かして、小泉以降の自民党を罰したのだ。

これからも、日本の民主主義は、日本型選挙のうえになりたってゆくのだろうか。理ではなく、ひとの情に訴える。辻立ちという、超「部分最適」を狙う選挙で、国の「全体最適」を理解させ賛同させることはできるはずがない。
小沢流選挙戦略は、地上戦だそうだ。かれの師田中角栄直伝の戦術だった。
かれは、政治は数がすべてだといった。質は二の次という意味だろう。オバマのように政見を説いて、理で集票はできないことを、角栄は知っていた。
街頭での辻立ち100回、相手の目をじっと見て握手、川上の山奥に足を運び、川下に下る。
川上の辺鄙な里には高齢者が住み、川下には、若い家族が暮らす。地道な活動の積み重ねで票田はこうして耕されるのだ。
ぼくのように、永田町にも霞ヶ関にもまったく縁のない人間には、今度の政権交代は、終戦直後以来の、身近な政治ドラマだった。従来の政治ジャーナリズム、金融専門家は、あてにならない。
新聞の雑多な切り抜きやワイドショーのコメントから、何か見えてくるものがある。
自民党政権下の半世紀の暗いジャンルに、木洩れ陽がさしてきて、物の影がぼんやりみえてきた。民社党の政府をになう若手に期待をしたい。
わが畏敬する立花隆氏が、文芸春秋誌上に気になる見解を唱えている。小沢一郎の密室政治は、民主主義ではなく、宮廷政治というべきであると。かれは、こうもつぶやいている。「小沢一郎の体質があまりに田中角栄のそれに似すぎている。」
「小沢が要職にいるかぎり、まるで角栄、金丸の亡霊が鳩山内閣を二重構造的に支配しているようにみえてしまう。」とも。
投稿者 nansai : 10:45
2009年08月26日
八月二十六日 あれはなんやろ?
八軒家浜に、アヒルが
ぷかぷか浮かんでいるぞ。

天満橋のほとりの「川の駅」沿いに、でかい黄色いアヒルのおもちゃが、ぷかぷかと浮かんでいた。赤ちゃんがお風呂で遊ぶおもちゃのアヒルだ。木曜日の午後気づいた。
夏の日差しに照り返す黄色が、川面にあざやかに映っている。ゴム製の巨大なアヒルの子は、じっと動かない。
水都再生とはいうものの、殺風景なコンクリートで固めた岸辺と、アヒルのとぼけたバカでかさが奇妙に、いい感じで調和していた。まったく場違いで、まったく大阪らしくないところが、ユーモラスでうれしい。
なのに、事前のPR不足か。見物客がいない。目ざとく見つけた人たちが携帯で撮影しているだけ。

ネットで調べてみたら、この途方もないアイデアはオランダ製だった。やっぱりな。
オランダの作家ホフマン氏のインスタレーションらしい。かれは、すでにベルギー、フランス、ブラジルで、公共空間で巨大な作品を展示する活動を行ってきたという。
このアヒルの子は、「水都大阪2009」と「日本オランダ修好400年」を記念して登場した。大阪とオランダは、適塾で教えられた蘭学でつながるのかな。
翌日、しっかり写真を撮ろうと、カメラをぶらさげていってみた。
ありゃ、どうしたことか、被写体は影も形もない。
まさか週末をひかえて、もう店じまいということはないだろう。眼を皿にして探したが、黄色いアヒルは、消えた。
川の道駅のガイドさんにきいてみたら、空気が抜けるる不具合でぺちゃんこになったらしい。目下修理中とのこと。川面から忽然と消えたはずだ。
空気を入れなおして、また、元気な顔をみせてほしいものだ。
あれはすごかったでえ。などと、都市伝説として、誰も見たことのない幻のアヒルにならんように。
世界のいろんな川で、この巨大アヒルの仲間が浮べられているという。大阪の次は、インドときいた。
物騒な世の中、いま、ベルギーの運河に浮いているアヒル君には災難がふりかかった。テロ攻撃?を加えたやつがいて、風船にでかい穴をあけたそうだ。嵐でやられて、ようやく帰ってきたばかりなのに。
ラジオオランダのネットによれば、おそろしいことだ、とても残念だ、と作者が大阪からコメントしていた。
このインスタレーションは、契約期間が過ぎればまもなく撤去される。
水都の住人であるぼくも、このどでかい、かわいいアイデアに敬意を表して、思い出に残るTシャツのデザインを思いついた。

ひょっとして、大川端に着水した幻のアヒル人形となるかもしれない。オランダからアイデアが飛んできたのだから、話題になるよと、お隣のイタ飯レストランの大将に見せた。

オランダへ向かって空高く舞い上がるアヒルなんかいいじゃないか、どう?水都2009記念のTシャツにしても、クッキーの箱に張ってもいいし。
ぴんと来ず、無反応。
おもろいアイデアなんだけどなあ。
それにしても、オランダ生まれのアヒルの子は、空気を満タンにして再び元気のいい姿をみせてくれるのだろうか。
大人は気付かずとおりすぎても、子どもたちは興奮してはしりまわっていたそうだ。

投稿者 nansai : 14:45
2009年08月20日
八月二十日
NHK「戦争証言プロジェクト」は、あすの日本のための追悼施設だ。

NHKがインターネット上で「戦争証言プロジェクト」を進めている。これは、300万人の尊い命を失った悲劇の負け戦の記録である。デジタルでこそ記録しえた。先の大戦終結から64年、これは偏狭なナショナリズムにあおられることなく、冷厳な歴史を直視し、未来を考えるために、後世に残す貴重な資料となった。
あれほどの惨憺たる敗北を喫した敗軍が正しくリアルに歴史を語ることは少なかった。11年に完成するこのこころみは、後世に伝える情報の金字塔である。
ここに、日本で初めて、いや、世界で初めてではないか、テレビとインターネットが初めて大規模に融合した戦史が完成しつつある。
まず、サーチエンジンに「戦争証言」と打ち込んでみてほしい。
日本人が知らされていなかった、知ろうとしなかった太平洋戦争の生々しい実録が、アジア太平洋各地で参戦し、かろうじて生き延びてきた人の証言により浮かび上がってくる。
戦場は地獄だったと回想する証言者たちは、90歳前後、ようやく重い口を開いた。
何の大義もなく成算もなく突入した大戦で310万人の同胞が命を落とした。巻き込まれたアジアの人たちは、2千万人とも。
200万人もの日本軍兵士が戦場に送られた。兵士の70%が、補給を断たれ、弾を撃つことなく、餓死したといわれる。
NHKは、これまで、営々としてあの悲惨な戦争の実相を、映像と敵味方双方の生存者への取材を通じて数々のドキュメンタリーを制作、放映してきた。
ネット編集が綿密ていねいだから、NHKスぺシャルなど長時間ドキュメンタリーも丸ごと収録され、必要な部分だけ抜き見することができるのはありがたい。
過去放映されたドキュメント「太平洋戦争」と、シリーズ証言記録「兵士と戦争」をネットに完全収録した。これに地図、年表、証言者の索引から、レイテ戦から沖縄上陸など、個別のストーリーへリンクされる構成だ。
いま、若い人も政治家もあまりに歴史認識が足りないといわれる。
近現代史は、授業で教えない、入学試験に出ない。でも、このような史実を、アーカイブで動画で見ることができる。いつでも、どこでもだ。
ネットとテレビのクロスメディア編集は、あらゆる情報を百科事典のように、整然と整理できる。伝えやすく教えやすい。教科書を授業でどう使うかに教育革命をもたらすだろう。BBCなど他国に先を越されてきたが、NHKの今回の試みは、21世紀のデジタル情報伝達に、出版とは別の新しい可能性を投げかけている。
日本の教育は変わるかもしれない。
この方向に向かう投資こそ、国民から白い目で見られているハコものでない、次の世代の人材を育てる公共事業ではないか。
投稿者 nansai : 15:54
2009年08月05日
ぼんやりみていた昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」の特集に恐ろしい衝撃を受けた。
昭和二十年八月六日。あの日の原子爆弾投下は、残虐きわまる人体実験だったのか。「なぜ警戒警報は鳴らなかったのか・・・。」
番組では、原爆を搭載したB29「エノラ・ゲイ」は、ヒロシマ市民を油断させて、最大限に有効に、原爆を落としたのだ、と告発されていた。

息をのんでみたこのドキュメンタリーは,AERAの長谷川熙ライターの取材による「エノラ・ゲイは二度舞った」にもとづいている。
「あの核攻撃のやりかたを工夫した人間たちの残虐さについて、つよい嫌悪感と反感を捨てることができない。」
こう語るのは、原爆投下直後に海軍による被ばく調査に参加した若木重敏氏。93歳。京大理学部出身の元海軍技術大尉だ。
「エノラ・ゲイは上空を旋回しながら通過、その間に日本側に警報を発令、解除させた。この解除放送を傍受するや反転して、無警報の中で地上に出ていた大人口をまるごと被ばくさせた。原爆の影響を測る「人体実験」の効果を最高度に上げた。」
1メートル以上深く地下にいたら、人体への原爆の影響はほとんどない、とアメリカ側はわかっていたそうだ。
しっかりした防空壕にはいっていたら、爆心地近くでも、人々はたすかっていたのだ。

テレビでは、奇跡的に防空壕で命を取り留めた二人の当時の少年少女の証言を紹介していた。
当日もし警戒警報が出されていたら、人身被害はかなりすくなくてすんだのではないか。14万人も死ななくて済んだかもしれないのだ。
米軍機は、広島市を通過したと見せかけ反転し、警報を解除させるように、フエイントをかけたと、若田氏は証言する。これが事実とすると、まるで西部劇の悪漢の卑怯なガンさばきをみるようだ。
その日「エノラ・ゲイ」は、戦果観測機を従えていた。無警戒の市民が防空壕にはいっていないのを見すまして、原爆を投下したのだろうか。人的被害を最大化にする実験効果を意図して。
もちろん60年以上前のとぼしい(または秘匿された)データ証言から、エノラ・ゲイの航路を追跡することは容易ではない。
ぼくは、以前から、マンハッタン計画の総責任者グローブス少将の特異な判断行動に疑問をいだいていた。権力者独特の傲慢で非情な性格が資料から読み取れる。
かれが原爆投下地区の選定にあたり、京都を最適として執拗にのぞんだことにひっかかっていた。高度に教育された市民だからこそ、被爆すれば、この爆弾の重要性を思い知るだろうというのが理由だ。反対されて沙汰やみになったが、かれが実験地区に京都を押した理由は、そのはかりしれぬ文化価値である、というから常軌を逸していた。
アエラ誌8月10日によれば、原爆投下が成功した直後、総指揮官グローブス少将は、「医学陣も含めた被爆地の早急な組織的調査を命じた」といわれる。「病理学標本」の収集もだ。広島への原爆投下は未曾有のスケールの人体実験だったのか。
戦後進駐した米軍は、ABCCを設立したが、被ばく者を治療せず生きた標本扱いにしたことも違和感を感じて記憶に残っている。

もし、あの朝、警報が出て市民が防空壕にはいっていれば、あのようなたくさんの人的被害は出なかったという若木説を、ぼくは、昨夜テレビでみるまで、知らなかった。
「原爆機反転す。ヒロシマは実験室だった」(1994光文社)」「広島反転爆撃の証明」(文芸春秋)。
協和発酵副社長だった元海軍技術将校若木重敏氏は、すでに数冊の告発の書を出版していた。いずれも絶版だが、話題に上らなかったのか。
まだご存命らしい若木氏をはじめ高齢の関係者へのさらなる取材で、真実が明らかになることを望みたい。
不幸にして、もし事実ならば、64年前の米機の狂気のふるまいは、まさに「鬼畜」だったというほかはない。戦争とはそういうものだ、と言い切ってよいか。
歴史は、風化する。ニューメキシコの国立核博物館では、ヒロシマ.ナガサキに落とされた原爆ファットマンとリトルボーイをかたどったアクセサリーが4ドル50セントで売られている。ウエブサイトは、「リアクション」をどうぞ、と、くったくがない。リアクションとは、「核反応」。
ごく最近おこなわれた世論調査では、アメリカ人の61%が原爆投下の正当性を認めている。55歳以上は73%が賛成、35歳から54歳の60%は賛成、34歳から14歳では50%が容認している。
投稿者 nansai : 13:40
2009年07月31日
七月三十一日 「ブラックスワン」を読み始めたら(カンケイないか?)
ありえないなんてコトは、ありえない。よくわからんが、不確実性とリスクの本質を描いたミリオンセラーを読み始めた。人間の頭脳と思考の限界と、その根本的な欠陥を解き明かすと、腰巻のコピーにある。おもしろそうだ。
白鳥が黒いはずはない。黒い白鳥はオーストラリアで発見されるまで誰も信じなかった。何事も予測できない。強い衝撃を受ける。もっともらしい説明がでっちあげられる。先のことは予測できない。でも失敗を恐れるなが、結論のようだ。

昨夜は、想定外の事故だった。こんなことがおこってよいものか。
うちの臆病な家猫が、探し回っても、家のなかにいないのに気づいた。暗くなって外へ出てしまったらしい。
うろうろ回りを探して木陰にうずくまっているところをやっと発見、いやがるやつを玄関に抱いて入ろうとしたら、野獣のような叫び声を発して狂ったように突如暴れだした。
不意をつかれ、鋭い爪でひっかれたぼくは腰をひねって石畳に転倒した。ああ、いてえ。プロレスのバックドロップ状態で、したたかに腰を打ってしばらくは声も出ない。
手からぽたぽた出血しながら暴れる脱走犯を取り押さえたのに、家族からはねぎらいのことばもない。猫の嫌がる抱き方をしたからだと冷たいコメント。
引っかき傷より、打った腰が心配だ。この腰のひねりようでは、週末予定していた炎天下のゴルフは涙を呑んで辞退せざるを得ない。石川遼にあやかりたかったのに残念。
あとからの判定で、ネコは、ぼくが玄関のドアを開けた時に脱走した、という裁定がくだった。悪いのは、気付かないぼくで、罰せられて当然だという。証人は当のネコだけ。事実誤認だ。つめでひっかかれ、腰を痛めたぼくは、おおいに不服だが、当家には上級栽はない。
投稿者 nansai : 14:05
2009年07月28日
七月二十八日 疲れたタイガースは、夏休み。
ファンから見放されてしまったのか。オールスターゲームに、阪神選手からは、だれも選ばれなかった。

つまるところ、プロ野球なのに、スターーがおらんというこっちゃ。
球宴に一人も出ないのもあんまりだからと、監督推薦で、金本と藤川がお情けで拾われた感じだ。
エラーが多い。併殺打ばかりだ。推定年俸は球界ナンバー一なのに、と、新聞雑誌、マスコミの批判がねちねち激しくなってきた。
まるでむかしの巨人軍みたいだと。
巨人軍こそいい面の皮だ。
そういえば、金にあかせて選手をかき集めて、実績がいまいちだったなあ。
今は違う。巨人を見習えと、読売新聞から教えられる。教育枠から這い上がってきた若者が、眼の色変えて競り合い、安い年俸でぴちぴち躍動しとるやないか。
スポーツ新聞が売れないから、ネタに窮して、一面から、阪神へ他球団元監督コーチの厳しい(遠慮がちだが)叱咤が飛んでいる。
ここにきて、たまりかねた球団代表が口を出し始めた。真弓監督は絶対に変えないという。
監督も、不振の新井も絶対に変えないという。
補強を怠ったと責められているのに、決めたことを覆すと、面子にかかわるということらしい。
だから、トラは、なかなか立ち上がれそうにない。選手は、がんばってはいる。トシのせいにしたくはないが、慢性疲労でからだがいうことをきかなくなっているのだ。
いったい全治何年かかるやろう?日本経済より長くかかるかもしれない。
ことしは、もうええ。優勝はあきらめへんでと、つまらん意地をはらず、甲子園球場ががらがらにならんうちに、若手を育て、血の入れ替えだろう。
私見だが、ヤクルトの高田監督のようなジェネラルマネジャーが望まれる。北海道へ移転した日本ハムを日本一に育てた長期ビジョンが必要と思うのだが。
投稿者 nansai : 17:18
2009年07月21日
七月二十日 輝け。日替わりヒーローたち。
スポーツのヒーローは、目まぐるしく日替わりだ。
だが、全英オープンのトム ワトソン59歳の戦いは、不滅、歴史に残る。予選で消えた石川遼も、日本では記憶されるだろう。初日4位につけた久保谷は、ようやっても、無視。
日曜ナイターでの阪神能見投手が巨人打線を前に仁王立ちは、スポーツ新聞の一面にもとりあげられない。まったく久しぶりに、阪神が巨人に三連戦を勝ち越したのに。
九回無失点でなげきった。途中まであわやノーヒットノーランかという勢いだった。

拙攻の続いたあと、十回ようやく平野、金本の連打でもぎ取った虎の子の一点を、藤川がセーブしてだ。
「180センチの長身だから、沈む変化球が生きた。
天に向かってグラブを突き上げ、よどみなく左腕を振り下ろす様は、まるで歌舞伎役者のよう。」
と、朝日が、変身した能見投手の雄姿を描ききっている。そえられた白黒写真がまたいい。構図が役者絵のようだった。
刺激されてマウスを動かしてみた。うーん、錦絵もどきは、どうもうまくいかんなあ。
投稿者 nansai : 11:55
2009年07月13日
七月十三日 歩道上の凶器。自転車。
先週は、ぼくは、八軒家かいわいの道路を歩いていて、二回も交通事故に遭遇しそうになった
相手はふつうの自転車である。

歩道のうえを、自転車は、音を立てず忍び寄り、すり抜け、追い抜いてゆく。
一回目は、歩道を歩いていて、後ろから肩をどーんとつかれよろめいた。赤いシャツを着たおっさんがごめんともいわず、ゆうゆうと走りさり遠ざかった。
それこそ、あ、という間。

歩行者は安心しきって、歩道を歩いている。後ろに目はない。突き飛ばされて吹っ飛んで転倒したら、声もかけられない。(これを計画的にやれば、大阪名物ひったくりだ)
もう一回は、ゼブラ交差点だ。
信号が青に変わる。待ちかねた歩行者は、横断歩道をよそ見せずとことこと前を向いて歩く。そこへ、横から、斜めから、自転車が飛びこんでくる。
その日も、ぼくのすぐ真横に一台突っ込んできた。
ぶっつかれば跳ね飛ばされて転倒だ。目をつぶった。観念して、思わず「ああっ」と声が出た。
危うし。南斉。
ギギギギと、寸前の急ブレーキで、自転車は急停止。
乗っていたのは、中学生くらいの少年。びっくりした顔で「すみません」という。
つい、ぼくもいくじなく、つぶやいた。
「ああ、びっくりした」と。
「こらあ、気をつけんかい」などと、ぼくには怒鳴りつける元気はもうない。
大阪の無法地帯は、歩行者が通る歩道だ。
歩道上を我が物顔に疾走する自転車をたしなめ警告する信号もメッセージもない。
クルマから人を守るための歩道を、スピードの出る自転車が暴走すれば、これから、かなりのけが人(打ち所によっては死人も)が出るだろう。防ぐいい案は出ないだろう。
投稿者 nansai : 15:50
2009年07月10日
七月十日
デジタルらくがき絵巻を、こっそり紙の絵本にヘンシンさせました。
この「南斎らくがき絵巻」をパソコンのディスプレー上でしか見られないのを、抜粋し印刷製本して、二冊の「南斎絵本」に変身させた。ウエブから紙への試みは、当初この絵巻サイトを立ち上げたアートディレクターの意欲 的な実験である。その労を多としたい。

ブログは、「砂に書いたラブレター」のようなものだから、寄せては返す時間の波に打たれて、やがては消え去るもの。サーバーの都合しだい。それを、あえて、紙に印刷すると、こうなるという、おもしろい試みだ。同じコンテンツだが、改めて紙上でみると、まったく違う味わいがあるのにおどろく。いわゆるクロスメディアだ。

どさくさにまぎれ、ま、デジタルだから、いいかと、軽いノリで描いた本人の目からは、動かぬ証拠として印刷物となると、いろいろあらが目立つ。何年も前のことで、初歩的転換ミス以外にも手をいれたいところが、散見されるが、すべて、あとのまつりである。
地獄から天国へ、そしてまた地獄へ真っ逆さま、長年にわたる阪神タイガースウオッチャーとしてのトラ本は、描き飛ばした本人にしてみれば、感慨ムリョーである。読み返せば、ピュアなトラキチから袋叩きされそうだ。
時の流れで内容も色あせ、印刷費も思いのほか高くついたので、門外不出とすることに。
このやくたいもないブログだが、発足に当たっての高邁な志は、こうだ。りっぱな大義名分がある。
ひとつ、うつくしい日本語を、ウエブの上でも、伝統にもとづいて、縦書き、横流れで表記すること。日本文の漢字かな混じり文の読みやすさ、やさしさを、世に訴えたい。
ふたつ、パソコンの狭い画面で、大量の日本文字を読むのに、横書きだと難儀する。拾い読みしながら、早く読み飛ばせ、大意をつかみやすい文章は縦組みをおいてほかにない。ウエブに最適の文章作成術をさぐってみたい。
ユーザビリティの権威ニールセン氏は、ひとはウエブの文章を読まない、スキャンするといい切っている。なるほど。スキャンするとは、スポーツ新聞を走り読みするように、読みたい場所を探し読みすることなのだ。
というわけで、ぼくの持論は、こうだ。ウエブには独自の文章術があるはず。読みやすい日本文は、ウエブでも、やはり、縦組みで、技術開発されねばならない。すくなくとも、ウエブ上から、縦組みの日本文が抹殺されるのだけは避けたいと思う。
当サイトもマウスをあやつって実験をくりかえしているが、あまり大方の賛同は得られていない。
いつも忙しがっている隣のイタ飯屋シェフの批評は、こうだ。文章が長い、テーマが重い、なかなか更新されない。そうやなあ。
さて、これからは、ネット動画の時代がはじまる。
それはそれとして、おっとりと、絵と文章を、ウエブ上で、カレーライスか親子どんぶりのように、統合して(動けばおもしろい)何らかの味がだせないものか。フォントもおおきくし、優しい印象の文字群を選ぶと、日本文独特の情趣あふれる雰囲気がかもし出されると思う。
癒し系の絵手紙に用いると、絶妙だ。そのうちに年賀状も絶滅危惧種に指定されるだろう。
メールもいいが、このようなまどろっこしいコミュニケーションも残しておきたい。デジタルに弱いぼくは、幼児用のお絵描きソフトとワードで、試みている。いわば、平成の文人画。南画。と、これは自画自賛だ。
マイクロソフトは、次回発売のセブンからは無駄なソフトをリストラするそうで、ぼく愛用のペイント(アクセサリーの中にある)は消える運命にある。
投稿者 nansai : 14:27
2009年07月08日
七月八日 「皿屋敷」満員御礼
林家染二師匠をむかえての八軒家寄席は、期待どおりの盛況だった。梅雨の晴れ間の土曜日晩とあって、町内の女性の浴衣姿が、イタリアンレストランを寄席らしい風景に変貌。50席が満席となった。
「皿屋敷」が大熱演だった。
お菊の幽霊を演ずるのが、背の高い師匠だ。
ぐらぐらする急ごしらえの高座に仁王立ちになる幽霊の迫力に拍手喝采。でもはらはらしたねえ。
染二師匠の解説によると、お菊のような幽霊になるには条件がある。ひとつ、美人であること。

次に、やせていること。太っていては幽霊になれない。その点、今夜のお客さんは、みなさん資格があると。大リップサービスだ。
古来、お菊の幽霊の名作は、北斎、芳年と数多い。ぼく南斉は、落語のエンターテイナーとしてのお菊の幽霊を描いてみた。幽霊に見えない?そうだろう。
演目は、浄瑠璃、歌舞伎でおなじみだ。井戸の中からお菊の亡霊が「お皿が一枚……二枚……」「九枚……一枚足りない」とうらめしげにつぶやく。落語は、町内の若者たちが皿屋敷にお菊の幽霊見物にでかけるはなしだ。幽霊が九枚数えるのを聞くと狂い死にするといわれ、その前に逃げ出さねばならん。でもお菊があまりにいい女なので、怖いもの見たさに若者たちは懲りずにまた出かける。
浄瑠璃、歌舞伎、映画、お化け屋敷、落語と、同じ噺を長い年月を経て、怖がらせたり笑わせたり工夫をくわえ、時代に味付けしながら伝えてゆくのは、だいじなことだ。
投稿者 nansai : 13:05
2009年07月02日
七月二日
梅雨の合間に、落語「雨乞い源兵衛」をナマで聞けるチャンスだ。立ち見も歓迎らしい。
八軒家寄席第二回が土曜日午後六時いよいよ開演だ。前回の林屋染二師匠が熱演の「三十石夢の通い路」は大好評だった。

なにしろ、いまをときめく天満の繁昌亭でトリをつとめる売れっ子落語家が、50席たらずの特設寄席での熱気あふれる公演は、ファンには聞き逃せない。
会場は、北大江公園前のイタリアンレストラン「マリアン」。
演目は、「雨乞い源兵衛」。あまり知られていない演目だが、小佐田定雄作で初演は1980年の新作落語だ。解説本によると、ストーリーは、テレビの「まんが日本昔話」にヒントを得たそうだ。
へえ、落語作者はどんなはなしからでも自由に発想できるのだなあと感心した。
子供に人気の昔話も落語になる。おもしろいやないか。いつまでも古典にこだわらず、今のご時勢にあった悲喜こもごもの笑いを落語化すればいいのだ。
さっそく、ぼくもひとつアイデアが浮かんだのだが、いまはないしょにしておく。
投稿者 nansai : 14:43
2009年06月26日
六月二十六日 うん、気持ちはわかるぞ。サンスポ「ノーモア暗黒時代」特集

かつての常勝?タイガースが、だめトラ状態になって必死にあがいている。
「タイガースみたいやないがな。こんな強いタイガースには、つきあいきれんで。」と不遜にもぼやいていた昨年が、あほみたいだ。驕れるものは久しからず、だった。
星野も岡田も最初のシーズンは4位だったからなあと、最初は遠慮がちに真弓阪神を見守っていた新聞雑誌が、たまりかねて、タブーだった首脳批判を始めた。気の早いのは、次の内閣まで取りざたし始めた。
ぼくにしてみれば、うん、これはこれで、面白くなったぞ。
5位、借金6.こんなに弱い阪神では、キオスクで新聞も売れず、部数低下で新聞社もおまんまの食い上げだろう。
監督をぼろくそに批判しないと、新聞が売れないところまできてしまったのか。勝っても負けても、甲子園球場は満員御礼だが。

まずサンスポの「ノーモア暗黒時代」緊急連載。
取り巻きのはずのトラ番記者が、火ぶたをきった。
真弓監督は底上げの力となる2軍を重要視していない。もっと動け。ファーム視察を欠かさなかった前監督のように、もっと自分の目で、2軍戦力をみきわめるべしという。
ベンチでの真弓のなんともいえない薄笑いが、まわりを唖然とさせるという。
言いたいことは山ほどあろう。
監督の動きが遅い。動くと、こける、自分の意見がないからコーチの意見を聞きすぎるのか。切り札檜山の出番がつくれない。下位のチームにクローザーはいらない。いっせいにブーイングだ。
いいぞ、その調子。と声援していたら、なんのことはない。
怪企画、サンスポ特集「ノーモア暗黒時代」は、へなへなとトーンダウンしてしまった。
トラを再び暗黒時代に戻さないためのトラ番記者15年の渾身の提言だったはずなのに。
「補強OK 太っ腹オーナーに甘えればよかったのに」の見出しで、緊急提言は幕引きのようだ。
いったい、だれにメシ食わせてもらっとるんじゃと、球団と、こてこてのトラキチたちに噛みつかれたのだろう。
ある見出しに、「株主怒った、」というのがあった。
これは傑作だ。あんまり負けるので、どんな選手をとってきたんやと、社長が株主総会でつるし上げられたらしい。

ぼくは、半世紀にわたるトラウオッチャー。甲子園にほとんど行かないから、現場のナマの野次の肺腑をえぐる激烈さは知らない。
タクシーの運転手さんと野球批評を楽しむ。かれらは容赦しない。えげつない。4番新井に三塁を守らせるのは無茶だ。オリンピックで腰骨を骨折したのが、かんたんに半年で直るはずがない。などなど。
クールでハンサムな真弓は、球史に残る天才的ユーティリティ・プレーヤーだった。でも、監督のウツワかなあ。ぼくは、違うと思う。ナガシマさんのように。

関西系のテレビ解説は、高校野球もどきのよいしょ中継だ。若いアナの猫なで声が気持ち悪い。
いつからああなったのか。OB解説者も辛口の正論をかますとすぐおろされるのだろう、奥歯にものの挟まったコメントばかりだ。
強いばかりが阪神ではないとも思うのだ。
晩年の名監督ケーシーステンゲル監督率いていた、むかしのニューヨークメッツのように。毎年100敗以上最下位だったが解任はされず、ニューヨーク市民から愛されたという。この国では無理だろうが。
残りの長いシーズン。まだ優勝をあきらめていないなどと言うソラゾラしい大本営発表は、もういい。
いい材料がないから、といって、悔い改めたサンスポも、一面に、カーネルおじさんの担ぎ出しはないだろう。
「カーネルお祓いで、超常現象」とは、わけわからん。「真弓宮司が真弓に太鼓判。呪い解けた!」
なんでも、サンダース人形が、住吉大社で修復初披露され、87歳の宮司さんが、監督と同姓の真弓さんだそうな。そういうことか。悲しいね。
ああ、なにしとるんや。ぼけ。ドジ。歯に絹を着せないつっこみ、ぼやき、罵詈雑言を浴びせつつ、応援しよう。それしかない。むかしのように。

投稿者 nansai : 13:04
2009年06月22日
六月二十二日 首の重みに耐えかねて
むちうちでもないのに、突然の首の痛みで一週間を棒に振ってしまった。
週末に首にかすかな痛みを生じたが、ほうっておいたら、そのうち首が回らなくなった。その晩も酒を飲んだから、自業自得かもしれない。

首が痛いと、ベッドに横たわるのが、どっこいしょと一苦労だ。まず仰向けになるのが一大事である。首が痛いと、ベッドで頭が微妙に左右に動かせない。激痛で寝返りが打てないのにまいった。
枕にアイスノンをおいて、ぼんのくぼを冷やそうとするのだが、後頭部がそこに軟着陸できない。枕の上10センチから着陸態勢にはいり、おそるおそる頭をおろそうとすると、あいててて、激痛が走る。
久しぶりで訪れた整骨の先生は、これはかなりひどい。安静にしてアイスノンで冷やせという。テレビ医学番組では、首の痛みは、腫瘍とか思わぬ重大な原因によることがあるとか。
ぎょっとして、整形外科でレントゲンをとってもらっら、
少し頚椎の骨の間がせばまっているようだ。すりへって経年変化なのだろう。いまのところ、しびれもないし、首の牽引をしましょうということになった。

一週間たって、ま、大事に至らず、ぼくの首は何とか元に戻りそうになってきた。
かくかくしかじかと、整骨の先生に報告したら、むっとされた。両方の治療を併用することは相成らん。という法律があるといわれた。いつもは人当たりのいい若い先生だが、どっちの治療法を取るかとせまられ、びっくり。
整形外科の首吊り料金は一回320円、整骨治療は500円、どっちも10分足らずで済む。後期高齢者医療保険で、半分は公の負担(すんまへん)だが、効果のほどは、首痛バージン?のぼくにはわからん。
首脳とはよくいったもので、首がいかれると、集中してことにあたれない。タイガースや麻生内閣のように死に体になってしまうのが、よくわかった。
脳は首がささえる。落ちたものを拾うとか、真横のテーブルの新聞をとろうとする、そんな何かごくささいな動作も、すこしだけ首を動かさないと、どうにもならない。
うつむいて、何かに集中することができない。だらしない話だが、このていどで、本を読んだりパソコンに向かう気力が失せるのには驚いた。
日にちグスリは、よく効く。整骨か牽引か、治療法に悩むより早く、激痛も取れ、ぼくの首は元通りになりそうだ。痛みが取れ首が回わせるようになると、周囲がよく見える。だんだん、自分のすがたが、カエルにみえてきた。懲りないカエルだ。

投稿者 nansai : 13:04
2009年06月05日
六月一日 500年前の硝煙立ち込める古戦場が、すぐ前の公園だったとは、知らなかった。

ここら一帯は、今から500年前、楼の岸と呼ばれ、砦が築かれていた。石山合戦で、織田信長軍の本願寺包囲戦の舞台だった。包囲は、十二年に及んだ。秀吉の大阪城の築かれる前だ。
「楼岸 夢一定 蜂須賀小六」)は、直木賞作家佐藤雅美の時代小説だ。「ろうのきし ゆめいちじょう」。

秀吉につかえ、戦国乱世の過酷な抗争をしたたかに生き抜いた蜂須賀小六正勝という人物を主人公に据えた。小六は、墨俣一夜城の築城で名を知られている。
石山合戦では、「楼の岸」で戦って名を上げ、晩年はこの地に屋敷を構え、寺を建てた。
楼の岸とは、大川のほとりの砦の位置からきた地名である。大阪市中央区京橋三丁目あたりだ。
なんと、うちの事務所の北側すぐ目の前の北大江公園付近が、その砦の跡と知って驚いた。
1570年石山合戦当時、土塁の上に櫓を建てた砦が、上町台地の突端に築かれた。楼とは、やぐらである。

この上から敵軍を監視し、鉄砲を楯のかげから撃ちかける。
戦国時代の城の攻防は、こうした砦を建てて、持久戦に持ち込む戦法が盛んに行われた。鉄砲櫓は、双葉社から刊行されている「信長戦記」などに、コンピューターグラフィックでいきいきと見事に復元されている。綿密な資料にもとずく、CG作家成瀬京司氏の力作である。信長戦記など、成瀬CG作品を載せたムックは、アマゾンで入手できる。

次の川辺の写真は、対岸の大川北岸から、「楼の岸」跡を望んだところ。

ここ「楼の岸」は、12年間も、信長軍に包囲され篭城を余儀なくされた石山本願寺一揆勢への西国からの援助物資の陸揚げ地でもあった。
天正4年、この砦をめぐって、本願寺顕如軍と織田信長軍の鉄砲傭兵隊の間で激しい銃撃戦が展開された。
5月、ここ楼岸砦から門徒一万ばかりが数千の鉄砲を手に押し寄せてきた。51歳の蜂須賀小六は、先陣を切って門徒勢につっこみ、つぎからつぎへ槍をくりだしつき伏せた。敵の首を一番多く上げ、「楼岸一番の首」とたたえられ、信長の目に留まり、褒美にと陣羽織をぬいで恩賞にあづかった。

この時代、本格的に鉄砲を集団で使用したのは、三段撃ちで名高い「長篠の戦い」といわれているが、5年さかのぼるこの地の銃撃戦が本邦最初ではないかとの説もあるそうだ。
織田、豊臣と、はげしい有為転変の世を生き延び、晩年、小六正勝は、大阪城外の楼の岸に屋敷を構え、淀川を借景とした。御殿山屋敷という。
佐藤雅美「楼の岸 夢一定」は、死期の迫った小六が蜂須賀家の将来を案じつつ息を引き取る、つぎのシーンで終わる。
大阪城築城にあたり、淀川の両岸に植えた木々が青々と色づいて、目にまぶしい
「体を起こしてくれぬか。久しぶりに淀川を眺めてみたい。」
と突如、「うおー」と刀槍をあわせる何万もの雄たけびが耳朶によみがえった。
「死のうは一定、しのび草にはなにをしょぞ。一定かたり おこすよの」は、信長の気に入りの小唄だった。
小六は繰り返した。
「死のうは一定‥」
死ぬのはなりゆきで、ぜひもない。一定語りとは、誰かが語り継いでくれようか。
蜂須賀小六正勝は生前に寺院の建立を思い立ち、美濃国の安住寺が兵乱のため退廃しているのを大阪に移して、楼の岸に再建した。いまの八軒家あたりだろう。
その安住寺は、その後慶長9年大阪の陣で焼失、天王寺へ移されたという。
本願寺は、秀吉の時代に、京都に移るが、残された大阪の門徒は、ここ楼の岸に念仏をあげる坊舎を建てた。のちの津村別院である。
投稿者 nansai : 16:21
2009年05月27日
五月二十七日(水)
ようやく狼が来なかったことにみな気づいたようだ。

日曜日の午後誰もいない万博道路。一人の女性ランナーがマスクをして一心不乱に走っていた。マスクをしてまで走るひとををはじめてみた。ビールスをだれかに感染させる?、誰かから感染させられる?せきやくしゃみのしぶきが飛び散るのを防ぐのがマスクの役目だろうに。
日本人のマスク信仰は根強いものがある。
何だ、普通の「流感」と同じじゃないか。当局は気づくのが遅かったのか。
それは感染者の多く出たアメリカでは、調べて早くからわかっていた。マイルドだし、わが国ではあれほど騒いでほとんどが治り、死者もゼロだ。
そもそも日本でも年間100万人の季節性インフルエンザは発生する。約一万人が合併症でなくなるのだが、ぼくらは、インフルエンザ注射をして、淡々と対応してきた。
アメリカのネットでは、意外なほど扱いが冷静だ。全米で感染者の数はふえ、一部の学校は閉鎖されているが、たいしたことにはならず、死者(合併症がほとんど)の数は少ない。
政府広報の情報量が、具体的で豊かで克明だ。啓蒙のためのパンフレットやポスターがネットでPDF化され、すぐどこでも印刷できる体制だ。

説明のイラストも、鼻の頭のむずむずして赤いゆるきゃらを登場させた。とぼけてユーモラス。
当局も、手洗いはしっかりと、せきやくしゃみは手か袖でおさえるように、という広報を繰り広げている。せきもくしゃみもティシューでおさえればよい、あとはくずかごにすてましょう。袖でおさえてもいいというのが、至れり尽くせりというか、ご愛きょうだ。
べつにマスクは特別の場合以外は、強制されていない。日本は、薬局でマスクが売られていないと、買い込もうとしたみんなパニックになった。マスクをしていないと変な目でみられるのは、徳川時代と同じ。
まえまえから、あまり正しく解明されていないらしいのだがスペイン風邪のようなパンデミックが、恐れられてきた。国立感染症研究所は警鐘を鳴らして、きのどくに毎年狼少年だった。地震の予知に似ていた。
ペストやエボラ熱など、恐怖映画の影響があったのか、大臣が深夜テレビで警告するさわぎになった。水際で食い止めねばならぬ作戦は、映画のシーンにはなっても、検疫はどだい不可能で絵空ごとだったのだろう。関西の医療も崩壊寸前となった。
今回の関西を襲った豚インフル騒動は、一人橋本知事がオトコをあげ、張り切りすぎた大臣たちはあほみたいだった。
まるでイソップ物語だが、あとあと小説の絶好のテーマになるだろう。
ニューズウイークは、早くから「オオカミは来なかった」特集をしていた。
投稿者 nansai : 16:09
2009年05月20日
五月二十日 おひさしぶり。お帰りなさい、タイガース。
歯がゆい。とにかく打てない。
覚悟はしていたが、とうとうあの懐かしい「だめトラ」が帰ってきたのだ。ならば、テレビ前に陣どって罵詈雑言を浴びせつつ、得心して観戦できる。
甲子園の切符は、三月開幕と同時に完売したらしいのだが。同じチームが、昨年の今ごろと比べて、こんなにも違うものか。
豚インフルのせいで、恒例の風船あげも禁止だとか。

球界最高年俸を誇る持ち駒が豊富?すぎたのか、粗悪な輸入選手に目移りした。
野球選手としてはメスをいれた後期高齢選手に、あまりに頼りすぎだろう。新聞の見出しにはなるが、しょせん賞味期限切れの英雄神話に酔ったのだ。生身のベテランだからいくらがんばっても、シーズンを通じて鉄人などいはしない。
若さには勝てない。昨年、屈辱の逆転負けした巨人の生えあがりの無名若手選手たちをみるがいい。
桜井、林など、チャンスを与えて、若い(もう若くもないか)能力をひき上げはぐくむことを忘れていた。試合運びがとんちんかんで、檜山や藤川の出る幕が作れない。
無表情な真弓新監督は、まだチームが掌握できていないのだろう。名店の居抜きの雇われマダムのようだ。

今シーズン、くやしいが、だめトラぶりを楽しむには、デイリースポーツが面白い。
「記者席からの視点、岡田の法則」というコラムがある。技術論にうるさい前監督が、はがゆそうに具体的に敗因を指摘している。
「いずれもベンチの支持が徹底されていないし、遅い。」などと、なかなかベンキョウになる。
投稿者 nansai : 17:56
2009年04月27日
四月二十日 クサナギ君のこと。なんぼのもんや。
深夜、ぐでんぐでんに酔っ払った男がひとり。なぜか、だれもいない公園で全裸になって奇声を発した。
通報されて、逮捕され牢屋に入れられた。麻薬を疑われたのか。

大騒ぎになった。全裸の酔っ払いが、有名な芸能人だったからである。
NHKがニュースのトップで報道した。芸能界ニュースとワイドショーで食べている民放は、一斉に走り出し、もちろん全局、繰り返し報道した。
酔っ払って裸になった。それがなんぼのもんや。報道も、ええかげんにせい、というのも大人気ない。
こんなご時勢に、新聞もテレビも、もっと報道すべきニュース価値は、ほかに山ほどあるだろうに、と思う。
人を傷つけたわけでもなく、公然わいせつというが、深夜でだれもみていない。立ちしょんべん程度の、軽犯罪?大新聞なら、社会面の最下段へ載せる程度の事件?なのだ。
「お酒を飲みすぎてわけがわからなくなりました。
もっと大人にならなければ」と、処分保留のまま釈放されたクサナギ君は、たどたどしい口調で神妙に記者会見で反省の弁を述べた。人気絶頂で、有能、誠実なかれは、もう三十三才らしい。「大人」とは、いくつ以上の年齢をさすのかな。
この国の「国民」は、芸能人が大好きだからか、騒ぎすぎになる。視聴率がうなぎのぼりになる。人材不足の政党からは、芸能界から、選挙にも担ぎ出される。それこそ、いいかげんにしてほしい。
「怒りではらわたの煮えくり返った」鳩山総務大臣が、またしゃしゃり出た。クサナギ君は「最低の人間」だと決め付けたという。別にクサナギファンでもないぼくだが、テレビでみて、これにはむっとした。

失礼だが、自民党閣僚のあんたには、いわせたくない。かつて身内の中川財務大臣の国辱的酩酊事件をかばったやないか。
総務大臣のはらわたは、なんで煮えくり返ったか。
地デジのキャンペーンキャラクタにクサナギ君を起用していたので、作ったポスターなどがパーになってしまうということかららしい。
痛快なのは、鳩山総務大臣の公式ホームページ。ネット上は、正論の嵐のような反撃だ。ぼこぼこにされている。むっとしたのは、ぼくだけではなかったらしい。
反論を隠さず載せているのは正しいのだが。もし鳩山大臣がネットを克明に読んだら、読み物として、血の気が引く内容だ。
もうあんたには投票しない。自民党の盟友、中川財務大臣の国際的「泥酔」をかばったのに、なんちゅうことを言うのだという鋭い指摘もある。びびった大臣は、発言を取り消した。おそまつ。

すわ、クスリとかんちがいされたのか。これは、笑えてくるような小ネタだ。
伝えるべきニュースバリューとは、なにか。マスコミは、取り上げるニュースの優先順位を考えるべきだ。矜持というものがあるだろうに。望むのが無理かもしれない。
日本国民の、視聴者の、無邪気な、異常なまでの?芸能人好きに乗じようとする態度は、もういいかげんにしてほしい。
芸能人のこの手の事件?は、後を絶つまい。
ドジの代償として、有名税をどう払ってもらうか。「公然わいせつ罪」?の罰をどうしたものか。
ならば、いま政府が取り上げようとしている「社会奉仕命令」が、効果的で、おもしろい。
クサナギ君は、贖罪?のため、社会のためになる何かの行為をしたらいいのだ。まちがいなく大喝采だ。
罰のかわりの社会奉仕も、公園の掃除やらくがきの消去なんかではもったいない。
交通遺児の教育費援助でも、お年寄りに優先座席を譲ろうとか、飲んだら乗るなとか飲酒運転の防止でも、地デジ普及でもいい。なにか世のためになることに、クサナギ君の知名度で貢献してはどうか。
ポスターに出たり歌ったりメッセージ?ティシャツ(大きなお世話だが、デザインしておいた)売ったりして、その収益や印税を、寄付すれば、かれならすごい金額になるはず。公園にベンチか遊具を寄贈するのもいい案だ。
人気タレントのクサナギ君は、これまでも評判のよい好青年だったというが、社会奉仕のアイデアしだいで、逆境をはねかえし社会に貢献する好感度ナンバーワンになること請け合いだ。無償の社会奉仕で、ついていなかったエラーの後の満塁ホーマーをねらおう。
あの鳩山総務大臣も、昨年法務大臣のとき「社会奉仕命令」の勉強会を持ったという。この際、名誉挽回に、実現提案に賛成してはどうだろうか。
投稿者 nansai : 11:50
2009年04月23日
四月二十日 花、見終わって

造幣局の「通り抜け」が終わって、花見のシーズンもやっと閉幕である。
芭蕉の句に「さまざまのこと思い出す桜かな」。
さまざまのことが起きている。よくないことのほうが多いかな。
「ただたのめ はなは はらはら あのとおり」
一茶は、観音さまにすがるしかないとつっぱなす。
満開の桜の絵を描こうとしたが、あかん、どうにもぼくの手におえない。
絵に描き劣りするもののひとつに、清少納言は、桜をあげている。枕草子では、絵に描くとつまらなくなるものとして、なでしこ、菖蒲とならんで桜が、槍玉に。
実物の迫力にはかなうはずがない。あきらめた。

花見は、人見である。人、人、人。
この年になるまで、花の下の喧騒がいやで、花見をさけてきたが、いささか心境に変化をきたした。
「見納めてあと何回の花見かな」
と、花見には縁のなかったぼくの句。
ことしは、平日の午後、コンパクトデジカメを片手に、満開の桜の名所を、靖国神社と千鳥が淵、大阪城と大川端と、花を見るというより、駆け足で撮ってまわった。
昼間の花見は、大阪は、花にはそぐわぬ地味な服装をした中高年のおっさん、おばはんばかり。みなカメラかケータイで写真をとる。 花の下で飲んで騒ぐ人は皆無だった。大川では、ビニールのシートをしいてお弁当を食べている家族を見かけたが、すぐそばにホームレスのブルーのテントが並んでいる。なぜか同じ色だ。どうもねえ。花見のビニールシートは、ピンクの桜色にしてはどうだろうと余計なことを考えた。
これは「通り抜け」に急ぐ善男男女たち。なにしろ入場無料だからねえ。

中国語のアナウンスがひびく大阪城は広すぎて、城内では、桜が目立たない。由緒ありげな「桜門」も立て札は立っていたが、さびしい。
東京の花見は、さすがに若い人も外人も多い。千鳥が淵の桜は美しい。

靖国神社のごったがえす境内は、屋台や茶店で、天神祭りのようだ。

右翼の街宣車はいなかった。
悠久の大義に生きようとし南海に散った神風特攻隊、密林で植えて戦没した英霊たちは、このくったくのない天下泰平ぶりをどうみているのだろう。

投稿者 nansai : 15:47
2009年04月15日
四月十三日月曜日 満員御礼。八軒家寄席
土曜日夕方、先客万来を祈って招き猫君に羽織を着せて高座にあげたポスターがすごい人気で(残念ながらまっかなうそです)狭い店内が大入り満席となった。

北大江公園前のイタ飯レストランが、「八軒家寄席」に変身し、高座を急ごしらえでしつらえた。
ぐらぐらするので大丈夫かいなと心配だったが、えらいもんやねえ、たちまちお囃子のパーカッションで、狭い店内が、繁昌亭におとらず、うきうきした気分につつまれた。
やあ、よかったでえ。目の前で聞く真打の落語は迫力あるわと大評判。林家染二師匠の汗拭きながらの大熱演で、本命の「三十石夢の通い路」に「寝床」の二本立てを満喫できた。
染二師匠は、連日天満繁昌亭でトリをつとめる重鎮といってもよいプロ中のプロだが、50名入って満員の、こんな狭い席でも、手を抜かない。りっぱな賞をぎょうさんとっておいでやが、ここのお客が大事といわはるんや。たいしたものやねえ。いっぺんで、さして落語通でないぼくは、サインももらって、フアンになってしまった。
サイドディディシュで演じてもらった大サービスの「寝床」もこれまたよかった。寝床をとられたと、べそかく定吉どんの心境もよくわかるが、下手な浄瑠璃をきかせたいのに、みなに逃げられてしまう大家さんの気持ちに同情の念禁じ得なかった。

大家さんの稽古を積んだ、せっかくの自慢の芸を、酒と料理つきでも、なんだかだ理由をつけて、誰も聞いてやろうとしない。でも、気の毒な大家さんは、腹をたてては、ときどきおだてられ、途中で結局みな寝てしまうのだが、ああ、旦那芸というやつは、番頭はんの見え透いたお世辞に弱いのが、あさましい。
そうや、この南斎の落書き絵巻と同じやないか。笑えんわ。他人事ではないわと、わが身につまされた。
投稿者 nansai : 17:22
2009年03月31日
三月三十日 郵便ポストは、絶滅危惧種か?
手紙は、郵便ポストがなければ生きていけないのに。
郵便ポストは、だれも手紙を入れてくれないから、おなかがすいて、死んでしまいそうだ。
このままだと、―どうなる?

手紙を出し忘れて、通勤途上の地下鉄淀屋橋近辺で投函しようと思った。
ところが、郵便ポストが、どこにも見当たらない。駅員にきくと、ここにはポストはないという。(一日何十万人の乗客が乗り降りするターミナル駅なのに)
駅員は、地図を見ながら、ポストは地上に上がって淀屋橋を越え市役所の近くにあると教えてくれた。
でっかい市役所の庁舎の前にもポストは見当たらない。ガードマンのおっさんに聞くと、やれやれ、はるか、あっちのクスノキの向こうにあるという。淀屋橋駅から、郵便ポストまで、500メートル以上はあろうか。

ぼくは、ポストの数がすくないのは、郵政民営化のせいだとか、いきりたって非難するつもりはない。
ビジネス街の集配体制は、遅滞なく日々整然とおこなわれているのだろう。
ぼくの心配するのは、むかしながらの手紙もはがきも、このままだと、消えてゆくのかなあ、という哀惜の思いである。ぼくにしてみれば、困ったことだ。
郵便ポストが近くになければ、手紙もはがきもやりとりは、むつかしい。大阪のような人口三百万人の大都市の中心に、郵便ポストがないのは困ったものだ、とぼやくのは、ぼくのような風変わりな一部のひとたちだけかもしれない。
しかし、メールですむことを、なぜ、めんどうな手紙やはがきにしたためるのか、とケータイから片時も目を離さない若い人たちは問うだろう。
無駄ではないかと問われても、日本にむかしからあった伝統的文化とか習慣の問題なので、こたえようがない。ほっておいても後世がきめてくれる。
郵便局もごくろうなことである。大の男(この頃女性も増えた)が手紙を配達して、80円、ぺらぺらのはがきにいたっては、わずか50円。
ときに、ぼくのような粗忽者が、料金不足の手紙を出すと、先方へは配達されずに、また費用をかけて当家の郵便受けに逆戻りしてくる。申し訳ないと反省する。
時流と経済原則に合わねば、手紙もはがきも、滅びてゆくだろう。
ユニバーサルサービスといったって、しょせん他人様の負担でしか、継続できないのだ。
吹けば飛ぶような軽量の郵便物の物流を、コストの高い人力にゆだねるのだ。実費に見合う集配量を徴収しないかぎり、サービスの継続生存は難しい。商売にならないのは、自明の理である。

とすると、手紙を書いて封筒にいれ、宛名を書き切手を張って、ポストに投函する、という古来のしきたりは、早晩、消滅するはめに陥るのだろうか。
人が集め配達する手紙もはがき新聞も、消えてゆく。
それで何の不自由も感じない若い層が増えている。
なんでも、ケータイで事足りるかれらは、新聞も読まない。それでいいのだ。しかし、それでいいのだろうか?と、異議をとなえたいぼくらもトーンダウンしてしまう。
そのうちに時代おくれの郵便ポストは、好事家の保存の対象となり、「郵政博物館」!でしかお目にかかれなくなる。
投稿者 nansai : 17:35
2009年03月26日
三月二十六日 終わった。勝ててよかった。

勝ててよかった。WBC優勝チームが凱旋してきた。待ち受けたマスコミのフラッシュ。面白うて、やがて悲しき――だ。
WBCも日韓戦となると、がぜん、日本中が燃えあがって、だれも愛国者になるのが不思議だ。イチローではないが、負けるとプライドが許さん、という気になるのも、おとなげないのだが。
国の威信をかけて、実力伯仲のチームが、がちんこ勝負とあっては、こたえられない。後世に語り継がれる名勝負となる。勝負も、因縁の遺恨試合という物語り
なら、燃え上がるだろう。
この不況下に、経済効果500億円超え。面白い。

韓国では、なおのことらしい。イチローは、憎悪のブーイングの標的だ。国対国の試合では、野球は、アジアでは、擬似戦争なのだ。サッカーよりも。
勝った時の韓国チームが、マウンドに国旗を立てるのは、硫黄島か、竹島にみたてているのだろう。決勝戦のドジャース球場は、5万人入場者の70%が韓国系だったらしい。アジア独特の鳴り物入りの応援のすさまじさは、ドジャースファンが仰天したという。
韓国選手の名前も、いまは、カタカナ表示だから、だれがだれだか、ほとんどわからずじまいだ。失礼な話だと思う。サムライ側も、ふだん活躍ぶりがお目にかかれない実力選手が、ここぞというところで打ってくれた。
一方、勧進元のアメリカは、燃えてこない。本気度はいまいちだ。国技のはずなのに、スプリングキャンプの変形みたいなとらえかたをしている。
まなじりをつり上げてかかってゆく挙国一致の日韓チームとは取り組み姿勢に違いがありすぎる。
なぜか。
大リーグのプロ球団がいい顔をしないから、いい選手が手をあげてこないのだ。これからリーグ戦に勝ち抜いてポストシーズン、ワールドシリーズへの長丁場が待っている。
球団にしてみれば、リーグ開幕を目前にひかえた支配下選手は、財産なのだから。愛国心に駆られて怪我でもされたら大損だ。選手側も、保険がかからないとかあるらしい。
WBCは、先見の明の誉れ高いコミッショナー氏の名案とのことだが、各球団が協力しないままではいかんと反省しきり。夏に移そうという案もあるそうな。
日本は、守り抜いてアメリカに勝った。全試合でホームランはたった二本。スモールベースボールをなめてはいけないことはわかったらしい。いま、伝統的野球はアジアにあるとも。
近い将来、中国が力をつけてくれば、アジアだけでも、選手権リーグは燃えるだろうな。
投稿者 nansai : 15:27
2009年03月17日
三月十九日 えー、落語「三十石」のポスターがでけました。四月十日午後5時開演でっせ。

世は落語ブームであるらしい。
ひょうたんからコマとはこのこと。隣のイタめしレストランに、願ってもない話が舞い込んできた。
ある有名な落語家の知人がたまたま店に立ち寄り、ここで土曜の夜に落語を一席というのもおもろいで、という申し出があったとさ。
渡りに船でオーナーシェフも舞い上がり、とんとん、ハナシがはずみ、演目も、ここ八軒家船着場にちなんで、古典落語の定番「三十石船 恋の通い路」ときては、申し分ない。
はなしの舞台の三十石船は、すぐそこの八軒家船着場と京都伏見を明治の中ごろまで往復していた。

演者は、上方落語ではかくれもない天満繁昌亭大賞の林屋染二さん。掃き溜めにツルという感じがしないでもないが、四月十日土曜日決行と相成った由。
さして広くもない店内のテーブルや椅子を片付けて高座をしつらえ、50席の「八軒家寄席」と、大きく出てオープンする。
まったく落語通でないぼくだが、近所のよしみで、頼まれてはしかたがない。
ポスターの図案を、マウスをうごかしてこちょこちょと。染二師匠を三十石舟の船頭に見立てた似顔もあまり似ていないが、ご勘弁を。

おりしも春から水都再生のキャンペーンがくりひろげられるようだが、この北大江公園界隈は、にぎわいに乗れず、ひっそりしている。今回の八軒家寄席が成功して定例イベントになるといいな。
林屋染二師匠の熱演がたのしみだ。盛況を祈ろう。
ポスターのPDF版をこちらに。

投稿者 nansai : 14:48
三月十六日 泥の川から、カーネルおじさん無事生還。呪いは解けたぞ。

なーんにもいいことのない関西で、久々の明るいニュースだ。カーネルサンダースの呪いが解け、真弓新監督ひきいる阪神タイガースの日本一、疑いなし!と、新聞が書き立てた。
24年前の阪神タイガース優勝時、ファンに道頓堀川に投げ込まれたカーネルサンダース人形が川底のヘドロの泥の中から、両手首とめがねがないまま、発見され引き上げられたからだ。
タイガースは18年間、日本一になれず「カーネル サンダースの呪い」とも言われた。
まもなく全身がみつかり「これで呪いが解けた。ことしは優勝だ。」と、きびしい世の中に、ほんのほっこりした話題で、まずはめでたい。

23年前、わけもわからずヘドロの道頓堀川に投げ込まれたサンダースおじさんとしては、救出されて、久しぶりで太陽を浴び、まるで浦島太郎状態だろう。周りの状況は一変している。置かれていたケンタッキーの道頓堀店は、もうない。
大リーグのひそみにならい、ずいぶん前に一部マスコミがつくりあげ、ほんとうは、だれもあまり気にしていなかった呪いだが、人形が大阪市から持ち主に返還され、早くもどこに置くかで議論が起きているらしい。
昨年の「食い倒れ人形」騒ぎといい、関西人には、格好の話題だ。かつての救い主ランディバース選手に生き写しというカーネルサンダース。当然、ケンタッキーフライドチキンの甲子園店に飾ることになるのか。

ところがどっこい、アメリカKFC本社のえらいさんは、何を思ったか、大リーグのシカゴカブス(福留選手が在籍)に手紙を出していたそうな。
タイガースと同じく優勝から遠ざかっているのがカブスだ。ことしの開幕日に、「日本からサンダース人形を運んできて、シカゴのリグレー球場に押し出してはどうでしょうか。呪いが解けるかもしれません。」と申し出たのだ。大きなお世話と思うのだが。
優勝から遠ざかっているといっても、カブスのは半端ではない。なんと101年だ。1900年のワールドシリーズで敗退していらい、じつに一世紀だ。
カブスの優勝を阻んだのは、「ヤギの呪い」だとファンは信じているそうだ。
本拠地リグレー球場にいつもヤギを連れて観戦していた熱烈ファンがいた。ある年のワールドシリーズに、かれはヤギとともに締めだされた。ヤギが臭いというのが理由だった。激怒したかれは、「「二度とこの球場でワールドシリーズがおこなわれることはないだろう」と、不吉な予言を残して球場をあとにした。それから一世紀。呪いは解けていない。
カーネルおじさん像は、フライドチキンの本場アメリカにはない。日本の発明なのだ。
はたして、これでヤギの呪いが解けるのかねえ。
せっかくの申し出にも、カブス球団は、ン?という感じらしい。そうだろう。
投稿者 nansai : 14:42
2009年03月09日
三月二日月曜日 2009 DD45とは、おぬし、何者だ?
十階建てのビルくらいの巨大隕石が、三月二日月曜日、地球のすぐそばを通過した。と、過去完了で、BBCは報じた。
人類にとって、これはこわいことだったのだ。地球から72000キロに接近してきた、この隕石の直径は、21から41メートル。アポロ型小惑星に分類されるのだろうか。侵入者の正式名は、2009 DD45.

まず、土曜日オーストラリアで発見されたが、MPCの専門家チームが確認したのは三日前だったそうだ。宇宙空間のニアミスと報じたブログもある。知らぬが仏だった。
この惑星がもし地球に衝突していたら、どうなっただろう。破壊力は、広島原爆1000個に相当すると専門家は警告する。後の祭りだが。
小惑星としては、1908年、シベリアのツングースカ川流域上で爆発して、2000平方キロにわたり、8000万本の樹木をなぎ倒した隕石と同じサイズという。BBCは、ほかにもでかい惑星があるとして、ジャガイモみたいな惑星イトカワの写真をのせている。(最近の研究では、シベリアに衝突した、あの隕石の直径は、いわれたより小さく30メートルではないかとも。)
週末、日本のマスコミは、世界恐慌はそっちのけで小沢党首の献金疑惑や、WBC日韓野球の報道で多忙を極めていた。
ことは重大とみた国連の地球接近物体対策チームは、今年の六月にこのような重大問題を公式に検討するが、その前にDD45について話し合うとしている。話しあってどうにかなるものかなあ。

BBCによれば、ある専門家の意見では、隕石の破壊力は、内部の物質構造と、地球大気に突入する角度しだいだそうな。祈るしかなさそうだ。
つぎは、2029年に、大きめの小惑星99942アポフィスが21000マイル以内に接近するそうだ。
杞憂(ワードでちゃんと変換されて出てくる)におわればいいが。
投稿者 nansai : 14:54
2009年03月06日
二月二十八日 抱擁を無料でいかが?

ある晩テレビのドキュメンタリをみていたら、冒頭奇妙なシーンがでてきた。
一人の気の弱そうな青年が、街頭で、看板を胸に抱いて立っている。
手書きの看板には、英語で「FREE HUGS」ハグします。無料で。と書いてある。
道行く人たちは、だれひとり気づかずに、青年の前を通り過ぎてゆく。無表情な青年が、なぜ、その場所にぽつんと立っているのか。看板に書いてある英語の意味がわからないからだ。
看板のHUGとは、抱擁だ。字引には、HUGとは(通例愛情をこめて両腕で抱きしめる)とある。
無料でハグしてあげるよ。
ようやく、気がついて一人の外人の青年が笑いかけてハグしてきた。青年は、こわばった無表情で、笑い返しもせず、ハグし終わると、またもとの姿勢に戻った。他人事ながら、あ、これじゃあ、コミュニケーションは取れないなと思った。
これは、NHKの「一期一会」という番組の奇妙な出だしのシーンだ。アナウンサーの解説では、FREEHUGは、ネットでは、すでに世界的に有名なキャンペーンだという。
青年は十九歳の専門学校生。いじめにあって、ことばによるコミュニケーションに絶望した。週に一度、思い切って道行く人と抱擁を交わすフリーハグをしているという。

へえ、こんなことが、若い人の間で、はやっているのか?ぼくは、知らなかったので、ネットにあたってみた。
これは、国際親切運動とでも言うキャンペーンで、80カ国で展開されているらしい。マンという人が、シドニーで始めた。テーマソングも有名らしい。「知らない人にハグしてあげよう」というしごく単純な原則だ。
「フリーハグ」すれば、こうなるよ。親切にもネットに120ページものガイドブック電子(PDF)版が用意されていて、こんな風に書いてある。

なにかでっかいことの片棒をかつぎませんか?
世界を変えるには、あなたの両腕だけを、おおきくひろげるだけでよいのです。
だれかさんに、ちょっとだけかがやく日をつくってあげる。知らない人も、結局は、そんなに悪い人じゃないよとみんなに教えてあげる。
みんなをひとつにし、幸せなときを 分かち合う。
あなたが悲しくてさびしいとき、フリーハグすれば、ほかのひとに話しかけ、笑いあうことができる、だれかが、あなたに笑いかけてくれる、誰かがあなたに腕をまわして大丈夫だよといってくれる。
フリーハグが、いちばんよくわかるのは、ユーチューブの動画だ。世界中の国々によって、よびかけに応ずる人の態度が異なるのがおもしろい。一期一会、さまざまなハグ場面をみると、ほほえましく、思わず笑えてくる。
なかでも、日本人が世界で一番ぎこちないのは仕方がない。なにしろお辞儀の国だからなあ。
このキャンペーンを支持したい人は、寄付してほしいとのことだ。
特製FREEHUGSのTシャツを買ってもらえれば、収益でこのサイトの運用費がまかなえる。電子ガイドブックもパソコン上で読むのは住所氏名を名乗れば無料だが、プリントアウトしたければ寄付してほしいと事務局。
ぜんぜん知らない人に呼びかけて、抱擁し合う。ぼくにはむりだが、こんなことで世界が仲良くなれるのなら、がんばってほしい。
投稿者 nansai : 15:36
2009年02月24日
二月二十二日 きょうは、にゃんの日?

あまり知られていないが、「ネコの日」なのだ。1987年英文学者の柳瀬尚紀らネコ好きのひとたちが集まって「ネコの日制定委員会」をつくって、ペット業界をたきつけ、にゃんにゃんにゃんと、222のごろあわせで制定されたということだ。

ぼくはこの日を「ネコの絵供養の日」と決めている。
描き散らかしたぼくのお絵かきアーカイブは、乱雑きわまりなく、いまや資源ごみの山と化した。
ネコの絵も、そこにずいぶん投げ込まれているが、衰えたぼくの記憶では、いつ何を描いたか、底に沈んだネコたちは、もう呼びもどせない。で、グーグルデスクトップの助けを借りて、浚ってみることに。
化けて出ないように、すっかり忘れていた猫関連の絵を数匹分ひろいあげて、ちょいと手をくわえたりして、供養する。

羽織を着せて、今はやりの落語家に。
四月には、となりのイタめしレストランで、中堅落語家の寄席が開かれることになった。演目は、地元の八軒家船着場にちなんで、古典落語の名作「三十石 夢の通い路」と決まった。

ずいぶん前に描いたねこを、りかちゃん人形のように、衣装を着せ替えるのは、デジタル画?の特技である。
当家にも、ぼくにだけなつかない「愛猫」?が一匹いる。元捨て猫なのに、リスペクトの気持ちがまったくなく、家長であるぼくを黙殺、無視して、家中をわが物顔に、動き回っている。きのうも、台所のドアの隙間をすり抜けて脱走し、心配させたあげく、しばらくして同じドアからなにごともなかったかのように家のなかへ戻ってきた。絵にも描けないせわのやける駄ネコだが、我が家の統合のシンボルなのだ。
ぼくも「ねこの気持ち」なる月刊誌を購読して、なんとか、猫の心理を推し量ろうとするが、徒労に終わっている。

新聞の投句欄で発見、これはうまいなあ、と思ったネコの俳句、川柳かな?詠み人どなたか失念。
大あくび ねこが獣に戻るとき
あごのはずれそうなネコの大あくびは、ぼくの腕では、スケッチが難しい。うちのネコをモデルにして、そのうちにと、ねらっているのだが。
投稿者 nansai : 10:58
2009年02月16日
二月十四日 ある雌ペンギンのバレンタインデー
未曾有のきびしい時代に、どうでもいいニュースだが、ときに、つい顔がほころんでしまうような話題が、世界に配信されている。ユーチューブで、ネットで。たとえば、オーストラリアの山火事でやけどしたコアラのサムだとか。
このペンギンのロキシーは、ロンドン動物園の住人だ。雌なのに、縁遠くまだ独身である。4歳の妙齢だ。

彼女は、ペンギンのなかでも、絶滅を危惧されているイワトビペンギン種である。
だが、バレンタインデーには、山ほどの愛をプレゼントされているらしい。檻には、小さな郵便受けが置かれている。ファンから寄せられたカードがこぼれ落ちそうだ。
SNSのマイスペースに、自身のホームページも持っている。
彼女は、前の動物園では仲間と折り合いが悪く、ここに移って一年。飼育係氏によれば、ほかのペンギンたちはみな相手がいるが、ロキシーは意に介さない。彼女はプールをひとりじめにして、きままにすごしているのだそうな。
そんなにもカードが集まる人気の秘密は、若くて独身の彼女は、ロンドン動物園で一番人気のある養子だからなのだ。
海外の動物園は、どこも資金難だろうが、アイデアにあふれている。動物の養子縁組制度がおもしろい。

だれでもロキシーを養女にできる。動物園は、養い親を募集して、養育費を出してもらうのだ。
ロンドン動物園のウエブサイトをのぞいてみると、ロキシーの養子縁組をすすめている。愉快なのは、バレンタインデーの贈り物に、里親権?をすすめている。申し込みもメールでも受け付けるそうだ。ロキシーの里親になって!
投稿者 nansai : 13:10
2009年02月10日
二月十日
北大江公園一帯は、戦国末期の古戦場だった。ここで信長軍と顕如軍が激突した。「本能寺の変」の十二年前。

この石碑は、公園内のどこにも、もちろん存在しない。南無阿弥陀仏。ノミのかわりにマウスを操って、ぼくがバーチャルに建立したものだ。南無阿弥陀仏。
灯台下暗しとは、このことである。目と鼻の先の小さな公園が、石山合戦の古戦場だった。
北大江公園から坐摩神社行宮へかけての一帯は、400年前の戦国時代の砦の跡だったのだ。石碑ひとつ建てられていないのは、どうしたことか。
なにしろ元亀天正の頃、大阪城を秀吉が築く前の話だ。
ここらあたりは「楼の岸」と呼ばれ、砦が築かれていた。「楼」とは、物見やぐらのことである。
石山合戦では、信長、本願寺をあわせると、かなりの数の砦や出城が築かれた。「楼の岸」は、そんな多くの砦のうちのひとつである。
大川から見上げれば、ここは上町台地の北端の要害の地で、元亀元年、顕如率いる石山本願寺と織田信長軍が激突した。
天下統一をうかがう信長を、武田、上杉、毛利、本願寺と、織田包囲網が形成され、各地で戦いを挑んできた。
元亀元年八月、信長軍は、三次三人衆軍と「野田城・福島城」の戦いで対決した。このとき、信長は命じて「楼の岸」に砦を築かせた。敵の長期篭城に備えてのことだ。

九月十一日、両城へ攻撃開始。この戦いで、日本で始めての鉄砲を用いた攻防がくりひろげられた。射撃は傭兵の雑賀・根来鉄砲衆が、敵味方に入り乱れて撃ち合った。鉄砲衆は、技能練達のスペシャリスト集団だ。今で言う期間限定の「派遣」兵で、伝来したばかりの鉄砲を携えて戦国大名の戦闘を請負い加勢した。
信長公記は、このときの様子を「御敵見方の鉄砲誠に天地も響くばかり」と記している。
ところが、九月十二日になって、突然,早鐘が打ち鳴らされ、本願寺顕如軍が戦線に参加した。
このまま、敗色濃い三次勢が信長に降れば、次はすぐ近くの本願寺の明け渡しを迫るに違いないと、顕如は危惧したのだ。
顕如みずからが、鎧を着て、信長本陣に襲い掛かり、楼の岸砦には鉄砲を撃ちかけた。中立を装っていた本願寺軍の参戦で、攻守はたちまちにところを変えた。こうして、その後十一年にわたる石山合戦の長い長い戦いが始ったのだ。

この砦は、各地の敵に転戦せねばならぬ信長群が引き上げると、封鎖された本願寺への重要な物資揚陸基地となった。ここは、難波津、渡辺津と、古来よりの良港で、海からの救援物資をここから陸揚げしたのだ。封鎖を突破しようとする 毛利水軍と、それを阻止しようとする織田水軍の 海戦がいまも語り草になっている。
やがて、天正七年、石山本願寺はついに信長に屈服し、顕如と教如は、親子対立のまま前後して大阪の地を去ることになる。
本願寺津村別院のウエブサイトには、つぎのように記してある。
「織田信長公との長い争いにより、本願寺は、生みそだててくれた大阪をはなれねばならなくなり、そこで、大阪の門徒は、この地での「お念仏」の灯りをまもるために、天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。」と。
のちに、現在の津村の地に移るのだが、当時の坊舎の位置は、石町坐摩神社行宮のあたりではないかと推測するむきもある。
五木寛之氏の著書「宗教都市・大阪前衛都市・京都」にも、「楼の岸」の地名がみえている。
にわか地元史家のぼくは不勉強で知らなかったが、「楼の岸」は知る人ぞ知るで、詳しく研究している先達のサイトも数多くあるようだ。教えられるところが多い。
ぼくは、何の気なしにぶらぶらサーチしていて、たまたま、ネット上でこの地名と初めて出会った。参考文献にも出合えた。
公園は、毎日近道して横切っているのに。
長編時代小説「楼岸夢一定」は、直木賞作家の佐藤雅美が、蜂須賀彦左衛門正勝の生涯を描いている。
正勝は、「小六」の名で親しまれている。

天正四年、この地で、51歳のかれは門徒一揆の大軍に先陣を切って突っ込んだ。気がついたら敵の首を一番多くあげ、「楼岸一番の槍」と褒めたたえられる鬼神のごとき働きを信長の馬前で見せて、陣羽織を拝領した。
小六は、晩年ここに屋敷を立てて住み、病の床から、過ぎし日々を回顧する。楼岸の小六の屋敷は、淀川を借景として建てられている。
「久しぶりで淀川を眺めてみたい」と、小六はからだをおこした。
大阪築城に当たり、淀川の両岸に植えさせた木々が青々と色づいてきて、目にまぶしい。
そこへ、突如「うおー」と刀槍を合わせる何万もの雄たけびが、小六の耳朶によみがえった。
小説の題名の「夢一定」は、信長の好んだ小唄「死のうは一定 しのび草にはなにをしょぞ 一定かたりおこすよの」から来ている。
「一定」とは、「確かにそれと決まっていること」と字引にある。
投稿者 nansai : 11:13
2009年02月03日
一月三十日 ハッピー?バースデー
うし年ではあるが、馬齢を重ねに重ねて、またまた誕生日を迎えた。めでたいどころか、うっとおしいかぎりである。バースデーケーキは用意していないが、ろうそくをたてるとすると、馬に食わせるほどの本数になった。ぼくほどの年になると、おめでとうといってもらえればうれしくないこともないが、誕生日はあまり触れられたくない話題である。

ところで、なぜ謙遜して、自分の年を「馬齢」というのだろう。
田辺聖子のエッセイに目を走らせていたら、「頽齢」ということばが出てきて、ぎくっとした。「たいれい」と、るびがふってあり、「頽齢にして未だ功ならぬ私」と続く。彼女は、自分を謙遜して、用いている。頽廃のタイだ。電子辞書をひいてみると、「老いぼれた年齢、老齢」とある。謙遜にもほどがある。いまや女史は、「未だ功ならず」どころか、文化勲章に輝く大阪の誉れなのだ。
ひょんなことを思い出した。
昭和も一桁うまれのぼくは、幼少の頃、誕生日を祝ったことはなかったように思う。戦前の田舎町では、当然、プレゼントもケーキもなかった。そのくせクリスマスツリーやサンタクロースは、童話や絵本の世界では知っていたのに。
そんなわけで、戦前、戦中のぼくらのこども時代、もちろんこの絵のようなバースデーケーキは、この世に存在しなかった。

年齢は、お正月がきて、ひとつとるものだった。数え年といった。
正月こそ、家庭内の最大のイベントだった。「もういくつ寝たらお正月」と歌って、新年が待ち遠しかった記憶がある。年齢を満で数えるのは、戦後になってからだろう。
庶民が誕生日を祝う意識は、古来より、もともと日本文化にはなかったのだろう。
国民に誕生日を祝う意識はなかったが、敗戦前の天皇の誕生日は、「天長節」で祝日というより国家行事であった。明治天皇のそれは、明治節。大正天皇の誕生日は、なぜか祝わなかった。
天長節。家々は門ごとに国旗を掲げ、子供たちは学校にあつまり、ご真影の前で校長の代読する教育勅語を頭をたれてきき、おごそかに奉祝の歌を歌った。「きょうのよき日は大君の生まれたまいしよき日なり。」
日本という国の誕生日が、敗戦前は二月十一日の紀元節だった。平成のいまは、紆余曲折あって「建国の日」となった。
国家行事として祝うとすれば、歴史がどんなに古くても出生証明の定かでない国の誕生日は一年のうちどの日にか、ま、決めればいいことなのだが、「紀元は二千六百年」という根拠のつじつまを合わせるのに苦労したらしい。

では、家族のイベントとしてのハッピーバースデーは、日本へは、戦後、持ち込まれたものだろうか。アメリカ映画が文化の泉だった頃の外国映画の影響だったのか。はっきりしない。戦前のぼくの記憶は、おぼろげである。
「ハッピーバースデー ツーユー」の歌は、1962年にマリリン・モンローがケネディ大統領の誕生日に歌って有名になったという。意外に歴史は新しいのか。
日本人は、いつから「誕生日」を祝うようになったのだろうか。
ネットで調べてみたが、頽齢のぼくのこんな間抜けな質問に答えてくれるサイトは見当たらなかった。
投稿者 nansai : 14:44
2009年01月27日
一月二十五日 オバマ大統領のスピーチは、まねできないのはなぜか
似顔絵は、しろうと絵師のぼくにとって、なかなか難しく手に負えない技術である。オバマ大統領は特徴はつかまえやすいはずだが、なぜか似てこない。彗星のように現れたかれは、リンカーンのように若くして伝説上の偉人となった。いまやカリスマとなったかれを、ゆがめたり誇張したりしてカリカチュアライズするのが、憚られるほどになった。

毎日新聞夕刊のコラムは切り出す。
「それに比べて、と私たちのリーダーを引き合いに出すのはやめよう。」と。
うーむ、そのとおりだろう。
新大統領の就任演説に沸くアメリカは、政治にまだ大きな力と希望があり、一方でそれほど病も深い。オバマは、建国の歴史、社会の葛藤、世界との交わりを語り、将来への団結と責任を説く。
だから、オバマ大統領の演説の表面をまねてもはじまらないと、「近時片々」子はいうのだ。
言葉に力があることをオバマは、選挙中のスピーチで立証した。
さらにインターネット、特にユーチューブで、24時間、増幅されてうねりのように伝わった。新聞を読まず、これまで政治に無関心だった若者層が乗ってきた。危機を乗り切るには、これまでの黒人指導者のように差別撤廃をさけぶのではなく、人種を超えたユナイトを説いた。
オバマの演説の力に驚いた日本のマスコミは、かれを支えるスピーチライターの存在に気づいた。あるワイドショーでは、笑いながら、こんな無責任な提案が出た。わが首相も、スピーチライターを雇えばいいじゃないか、と。
アメリカ歴代の大統領は、お抱えのスピーチライターと草稿を練るならわしだ。
オバマ自身、演説がたくみなだけでなく天性のスピーチライターだ。まる投げにはしない。2004年政界へ躍り出たときの、鳥肌の立つようなスピーチは自分で書いた。
今度ホワイトハウス入りする27歳の片腕の天才スピーチライターを、オバマは自分の「マインドリーダー」と呼んでいる。18ヶ月の選挙運動中の過酷な連日深夜3時までの日程のなかでスキルを身につけた。かれが、大統領の考えを話し合い取材し、二人で4、5回、キャッチボールして練り上げるという。それから最終草稿に仕上げる前に、数週間かけて、3人のスピーチライターチームは、歴史家、スピーチライターにインタビューし、危機の歴史を調べ、過去の就任演説をチェックしたとメディアは伝えている。
ただ「スピーチライターを雇えばよい」では、あのような演説は生み出せないのだ。
ホワイトハウスには、選挙運動中ネットで集めた支持者1400万人のリストがあるそうだ。ITの力により、民意と直接つなげる話し合い回路を持った新しい政治がはじまるかもしれない。
アメリカの自由と平等をめぐる歴史の振動は、津波のように寄せては返すすさまじさだ。民主主義とは言いながら、建国の建前どおりの、けっしてきれいごとの国ではない。
厳しい国情の打開に、みなに責任を求める新大統領の演説の内容は、語りつくされ、演説集が世界中で出版されている。
「それに比べて」とぼやいては、いけないのだろうか。
アメリカにくらべて長い歴史を持つわが国だが、気がつくと国の向かう方向の原点として、オバマが引き合いに出すような建国の精神や英雄がこの国に見当たらないのに、ぼくは憮然としている。
もう神話時代には帰れない。「八紘一宇」も「国体の本義」も「教育勅語」も、もうごめんだが、22世紀にむかって国のすすむべき理想をどう掲げたらよいのだろうか。
来月には、出自のはっきりしない「建国の日」が祝日として訪れてくる。
投稿者 nansai : 17:06
2009年01月15日
一月十四日 物忘れと創造性との微妙な関係について
物忘れが激しい。
家では、しょっちゅう、めがねをさがし回っている。
どこにおいたか。大体所定の場所に置き忘れているのだが、さいきんでは、おでこにのせたまま探しまわっている自分に気づいて、がくぜんとすることがある。

友人に言わせると、自業自得。めがね歴の浅いぼくははずしていることが多いから、置き忘れたり、扱いがぞんざいなのだ。
このような物忘れは救いがたいが、「ほら、なんといったけなあ、あれ。」といったたぐいの、度忘れというのはきわめて人間的な感覚で、コンピューターやロボットには今のところ決して起こらないそうだ。
ある学者の説では、この度忘れの状態と創造性とひらめきを要求している脳の状態が非情によく似ているらしい。以上は、新進気鋭の脳科学者茂木健一郎氏の本にのっていた。
創造性は、「体験×意欲+準備」だということだ。この意欲とは、度忘れしたことを一生懸命思い出そうとしている状態らしい。
「年齢を重ねるほど、創造性の元になる記憶は豊富になるのですから、年寄ったら、むしろ創造性がたかまってよいはず」と、若い脳科学者はうれしいことをいってくれる。
「経験をたくさん積んだお年寄りが本気で意欲をだすことが、一番すごい」と、岡本太郎や手塚治虫をひいて、茂木博士は断定するのだ。後期高齢者のぼくが言うのではない。最新の理論に裏付けられた俊英の脳科学者のお説なのだ。

だが、いいアイデアを思いつくには、当然、これだけでは不十分。ひらめきを得る準備が必要と続き、くわしくは「脳を活化す仕事術」(茂木賢一郎 PHP研究所)を読破するしかない。
投稿者 nansai : 15:05
2009年01月13日
一月十日 他人事ではないガザは、どうなる?
ガザの戦闘は、市民を巻き添えにした一方的な殺戮になるだろう。圧倒的な火力の差があるからだ。
こどもたちなど無辜の死傷者をこれ以上出さないためには、戦力優位側の一方的停戦しかない。
イスラエルの建国から六十年たつが、もう21世紀なのだ。

あれほど優れた民族が、非ユダヤ人との共存を拒否し排斥し抑圧する国家であってはならず、なぜ20世紀の残虐な戦争の愚をくりかえすのか。
原理主義同士のがちんこ勝負だから、大義も正義も、双方、言いつのればきりがない。ただ、これ以上無辜の人々を巻き込んで死なせてはいけないと思う。
昭和二十年の沖縄殲滅戦が思い出される。掃蕩戦に巻き込まれて、せまい島内で逃げ場のなかった20万人もの一般人の犠牲を出した。悪夢をみるようだ。
イスラエル側は、無差別ではなく、隠されている武器や輸送トンネルなど、目標をピンポイントに絞って攻撃しているという。が、巻き添えになる一般人(子供が多い)の死傷者は増える一方だ。
戦力で優位に立つと、兵士たちは、劣勢の敵(一般人をまきこんで)に対して、なぜ、こうも残虐になれるのか。
戦場でなぜ殺戮が起こるか。
おぞましい戦争の歴史をふりかえると、今に始まったことでなく、そこに一定のパターンがくりかえしみえてくる。
一般市民と戦闘員(正規兵にせよ、テロリスト、ゲリラ、レジスタンスにせよ)が、ある区域に追い詰められ、混在して見分けがつかない状態で起きる。
一方的に兵力に格差があるとき、一般人と戦闘員の見境なく、殺戮が起こる。
たとえば、作戦中に味方が殺された場合だ。報復が正当化され、殺戮の名分、言い訳となる。
それがいまガザで起きている。日支事変、沖縄戦、ベトナム戦争、イラク戦争。世界のあらゆる戦場で、それは起きた。
報復を大義が支援すると、感情が燃え上がり抑制がきかず、おそろしいことになる。
9・11がそうだった。
太平洋戦争でも、米軍の無差別爆撃、原爆攻撃の大義は、真珠湾攻撃など、日本の卑劣な行為への報復だ、謝る必要はないと、現在も当時のパイロットたちが証言している。
このような戦闘の大義名分は、当然根深く双方にある。
いまこの手の戦争の武器は、メディアである。
携帯、ユーチューブやフェースブック、テレビを駆使して、それぞれの正義、自軍の戦闘の正当性を世界に向かって主張する宣伝戦争でもある。ネットの力は大きい。とくに、ユーチューブの動画は、24時間、戦闘の模様を伝えている。
双方の言い分はつきることがない。イスラエル側は、ネット上の文字で、パレスチナ側は映像で訴えているとBBCは伝えている。爆撃でけがをしたこどもたちの血だらけの映像が伝える現実のほうが正確で説得力がある、とぼくの目には見える。
撃ちかた、止め。とにかく戦闘は止めねばならない。
だが、戦闘は終息しても、問題は解決しない。
ガザ紛争の根っこには、パレスチナの貧困がある。救いがたい若者の失業がある。高く厚い塀でへだてたイスラエルとの経済格差がある。
国を興す産業がなく、家族を養う仕事がなく、かろうじて国際援助で食ってゆく。そんな状態が長続きしてよいはずがない。なすすべのない若者たちは、どこへゆくのか。
ガザの話題が、いつの間にか、日本の若者労働のことになってしまった。
投稿者 nansai : 16:52
2009年01月07日
一月七日 白地に赤く、日の丸?染めて
年越し派遣村のテレビ中継など、うっとおしい限りのお正月だった。恐慌退散を願って厄払いは、やはり、おてんとさまである。

ここに、大阪をよみがえらせる「大水都」のイメージシンボルを提案し高く掲げるしだいだ。
なんだ、季節はずれの、しわだらけのTシャツではないかと、いぶかる向きもあろう。ま、ことのしだいはこうだ。
大きな赤い丸は、太陽である。真中に小さく白く丸い穴があけてある。丸は、OSAKAのOなのだ。
Tシャツの表は、朝日をかたどった。東の生駒山から昇る朝日だ。
裏面は、夕日である。西から大阪の海や川や堀を照らす。

Tシャツには、思いを込めて「水都、わが町」。と 刷り込んだが、「わが町」は、わが敬愛する織田作之助の小説のタイトルである。かれは大阪の夕日を愛したといわれている。劇化されて、主役の「ベンゲットのたーやん」を舞台で森繫が演じたのは、ずいぶん前のはなしだ。
万葉集に次の歌がある。
難波津を漕ぎ出てみれば 神さぶる
生駒高根に 雲そたなびく
難波津は、当時の交通の要衝で、東国の防人たちがここから出征して西へ送られ、アジア諸国の船がここに着いた。シルクロードの終点だった。場所は、八軒家船着場から、眼と鼻の先の高麗橋付近とされている。
大阪は、夕日の都だった伝えられている。生駒山から見下ろす大阪湾の夕日に輝く風景は、「押してるや」という枕詞に象徴されている。晴れた日は淡路島がみえた。
おしてるや 難波の津ゆり 船装い
我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ
じつは、昨年よせばよいのに、Tシャツ展をこころみ、近所のボタン会社画廊の片隅にぶら下げてもらった。その中の、われながら「傑作」がこれである。
デザインの意図不明だったせいで、ご町内の衆にも全く評判にならず、むなしく持ち帰って部屋の隅にぶらさげておいたのだが、だんだん変色してきてほこりまみれになってきた。
まったくなにもめでたい話題のない正月に、大水都の再生開運を願い、季節外れのTシャツのほこりをはらって、今年の幕開けにしたい。
投稿者 nansai : 13:47
2008年12月26日
十二月二十六日
暗い年末だが、マウスで、そそくさと描いてみた。







ウエブのうえで、例年のとおり、干支をテーマの南斎描く年賀状の展覧会、(7点しかないが)、開くことにした。
週刊誌を開くと、大物経済評論家のみなさんは、いっせいに超悲観論を展開している。株価急騰するも、景気どん底、失業者街にあふれる。暴風津波警報だ。
ドルは今以上に暴落、投売りされると予測する大前氏。スピリチュアルカウンセラーEさんもくわわり、「一人ひとりが、手綱を締めなおし、再び正しい道、善き選択をしてゆくことがいま何よりも大切です」と、ありがたいおすすめ。こんなことを活字にしてどうするのかな。
年賀状では、悲観、楽観、強気、取り混ぜて描いた。ピカソの闘牛からのぱくりは、われながら、白眉のできであると、自画自賛。ええかげんにせえ。
大前氏は、日本の1500兆円の膨大な個人資産を使って、いまこそ「国家ファンド」を作れという。世界の優良企業が安く買えるのだ。穀物メジャーや鉱山会社、石油会社を買い叩けと勇ましい。100年に一度の危機は、逆にチャンスなのだとか。
で、この手の空気を読んで、年賀状を作ってみた。
といって、切手を貼って出す先もないから、隣のイタリアン料理店マリアンの壁にならべておいてもらった。
同店は、紺の不景気に、ミュージシャンたちに、プロ、アマチュアを問わず、演奏の場を提供して、満員大当たりである。自慢ののどを披露し、楽器を演奏するささやかなスペースが、求められていたのだ。
知らなかったが、この界隈は、知る人ぞ知る楽器ストリートなのである。
近所のビルにはハープやバイオリンの工房や店があり、有名ミューシャンが出入りしているそうだ。
投稿者 nansai : 15:52
2008年12月05日
がんばれ。不況の街を走る「おばちゃんタクシー」
しょぼふる雨の朝、タクシーに乗った。おっ、めずらしく、運転手は、おばちゃんだ。乗り込んでおどろいた。

へえ、運転席の横、熊のぷーさん2匹が小皿に乗って、こっちを向いている。メーターの上には、モールのミニチュアツリーがちょこんとかざってある。
「この不景気でしょ。なんとか元気を出してもらおうと思って」と、おばちゃん運転手は抱負を語る。

「後部の窓にも、ちかちか光るツリーをおきたかったが、整備係にこれ以上電気を使ったらあかん」と言われたと残念そう。
レーマンショックで、あれからころっとお客さんの意識がかわったと、経済分析も確かだ。でも、十一月はノルマは達成できたと胸を張って、
「この月はこれからや。」と、意気軒昂だ。
大阪のタクシーでクリスマス装飾!しているのは、おそらく不況にめげない、この一台ではないだろうか。
大阪のおばちゃんは、たくましいなあ。
しょぼふる雨の中、近場のワンメーターで、すんまへんでしたねえ。
降りるとき足元が滑るから気をつけなさいとアドバイスされ、ごくろうさん、元気とおつりも、もらってしまった。
投稿者 nansai : 14:41| コメント (0)
2008年11月18日
2009年賀状は、猛牛の鼻息で恐慌退散だ。
ジングルベルがきこえてくるのに、暗く重苦しいニュースが多い。世界を覆う金融不安で、海外のテレビニュースやネットを見ると、各国の消費不況、失業の深刻さがわかる。

国内は、首相の漢字能力とか、給付金のくばりかたとか、まだ、どこか間が抜けているのだが。
でも、数週間後に、新年はやってくる。
本屋の店先は、もう年賀状の手本が山積みだ。おめでとうという気分には、程遠いけれども。
さて、来年の干支は、丑である。
希望に満ちてとはいかないまでも、ウシにちなんで、ぼくも年賀状のアイデアをぼつぼつ考え出すことに。
ウシもいろいろだが、英語で雄牛BULLは、もともと強気のシンボルだ。瀕死のウオール街のはずれに3200キロのブロンズ彫刻があるらしい。

で、ウシの鼻息に託してでも、世界恐慌退散を祈ろうと、世界中が自信喪失してどん底のいま、
世直しに雄牛を何とか描いて料理しようと思いついた。
枯れた墨絵の牛もいいが、ここはスペインの闘牛でなけばならぬ。トロという。日本にはいない猛々しさだ。

ところで、究極の雄牛は、なんといってもピカソだ。
力強い名作がいろいろある。
「贋作ピカソ尽くし」をこころみる。謹写しつつ、ありがたくヒントをいただくことにした。
これは、有名なゲルニカから。色は勝手に塗ってしまった。
キャラクターさえきまれば、年賀状のアイデアは湯水のごとくだ。

何だ、パクリじゃないかというなかれ。
かの琳派の「風神雷神」のごとく、後世に伝えるテーマを押し頂いて、ぼくが年賀状に「本歌取り」させていただくのだ。いずれも、勝手にひねり着色した贋作ではあるが、オリジナルなのだ。

描いているうちに、調子がでてきて、ピカソが乗り移ってきたぞ。
ピカソもマウスで描いたら、眼を輝かして新境地を発見したことだろう。

みっともないが悪乗りして、この際、雅号?を、光鼠、つまりピカソに改めて、鼻息荒く、
CHANGEとはどうだ。

と、せっかく勢いよくぶち上げたものの後期高齢者の年賀状は、年々辞退者がふえ、出す先がくしの歯をひくようにへってゆくのだ。
投稿者 nansai : 14:50
2008年11月12日
新大統領の頭を悩ませる「ファースト ドッグ」選び

「ホワイトハウスで友人をつくるなら、イヌを飼うことだ」とは、トルーマン大統領の名言だ
オバマ次期大統領の解決すべきつぎの大きな課題は、もちろん二つの戦争と金融恐慌だ。しかし、別の難問?をかかえているという。
それは、来年のホワイトハウス入りの前に、家族のための愛犬をえらばなければならないことだ。
当選したオバマ氏は、勝利演説で、愛するこどもたちにホワイトハウスで小犬を飼ってもいいと約束した。このほほえましい約束を、世界中がきいていたのだ。いま、全米のウエブサイトは、どんな犬種が選ばれるか、いや選ぶべきかの話題で持ちきりである。
ホワイトハウスで大統領と家族を癒してくれる愛犬は、国民のスターでもある。
ファーストレディーならぬ「ファーストパピー(仔犬)」にどんな犬種がふさわしいか、ペット好きのアメリカ人の最大の関心事なのだ。

オバマ氏は、記者会見で子犬選びに条件が二つあると述べた。上の娘のアレルギーを引き起こす、毛の抜けない、血統の正しい犬か、引き取り手のない収容施設の犬。(私のように雑種が多いのだが)。と、ユーモアを交えて、選ぶのに悩むことになりそうだとも。
記者会見でのコメントはあちこちで引用され、がちがちの共和党寄りの評論家も拍手した。全米の愛犬家、アレルギーのこどもを抱えている家庭、捨て犬を救いたい団体の共感をいっきょに獲得したのだ。
現在の最有力候補は、アレルギー持ちのマリアちゃんがリサーチしてお気に入りの「ゴールデンドードル」らしい。プードルとゴールデンレトリーバーの交配種だ。
犬にくわしくないぼくは、グーグルで探し当てた写真を見ながら、マウスでスケッチした。もじゃもじゃした毛並みの描写は、写真にはとてもかなわない。
大不況の暗いニュースをよそに、アメリカ中のブログやウエブサイトは、44代大統領の愛犬候補の情報で、ハチの巣をつついたようだ。人気投票?(犬気投票か)、も始った。

オバマ氏は、捨て犬(自分のように雑種が多い)を収容所から引き取りたいとも述べている。このほう方がオバマ氏らしいという声も。
もともと、ジェファソンの牧羊犬からジョージブッシュのスコチッシュテリアにいたるまで、歴代の大統領にかわいがられた犬たちは、純血種が多いそうだ。犬たちは、ウエブサイトのアルバムで記録され、その名を歴史にとどめている。
さすがアメリカだと、たまげたのは、ブッシュ大統領の愛犬バーニーは、なんと堂々たる自分のホームページを持っている。ホワイトハウスのサイトだから、国費で運営されていることになる。バーニーは有名犬で、ユーチューブでは、ちょっかいを出した記者に噛み付いたシーンが紹介されている。
いまのようなきびしい時期だからこそ、ついほっこりしてしまう。
わが首相官邸は、どうだろう。まず、首相が、あんなにくるくる変わったら、とても犬なんか飼えないよねえ。
若者向けにキャラが立つと自称する首相だが、選挙の人気取りには、ハンフリー・ボガードのように顔をゆがめて葉巻をくわえるよりは、仔犬を抱くほうが親しみを感じてもらえるのでは?
投稿者 nansai : 14:18
2008年11月10日
「猛虎魂絶叫G倒 平尾」(デイリースポーツ)は、ちょっとはづかしいな。おめでとう、ライオンズ!
久しぶりで、テレビで、7戦にまでもつれ込んだ日本シリーズ決勝戦を堪能した。劣勢をはね返す見事な戦いぶりだった。土壇場の敵地で巨人を破った手負いの西武、若獅子戦士たちに祝福をおくろう。

はじめは、普段なじみのないライオンズの選手は、みな同じ顔に見えた。投手も野手も、ヘルメットからぼさぼさのうしろ髪がはみだしているのは、おしゃれなのだろう。
ところが、打つは、走るは。連投を辞せず、強打者をねじふせるは。
それは、わかさ、わかさだ。王手をかけられてあきらめず、敵地で第6戦、第7戦をとった。
渡辺監督はあっぱれだった。湧井、岸の投手起用は、すごかった。だいたん、きわまりない。経験豊富で苦労人の投手は、監督にふさわしいのか。
昨年、26年ぶりにbクラスに落ち、主砲の抜けたチームを一年で日本一に押し上げた。
力一杯振る打者のヘッドスピードが違う。若手にのびのびと力を発揮させたコーチ陣の指導力に脱帽である。
渡辺監督を支えるバイブルがあると、デイリーは一面で報じている。現役時代、広岡、森、野村と名将のもとでつけてきた「野球ノート」だ。からだで覚えたかけがえのない暗黙知を文字にして残す、プロの知恵と根性は、りっぱである。

けさ、キオスクで買った関西のスポーツ紙の苦心の見出しは、いじましい。
「猛虎魂絶叫G倒、平尾。」
と、決勝打を放ち優秀選手に輝いた平尾のガッツポーを3面にのせた。平尾は、八年前に阪神を去った選手だ。
「93年ドラ2阪神入団、01年交換トレード‥プロ15年目に日本一に輝いた」とも。切り込み写真説明に、「93年、入団会見で初々しい表情の平尾」とある。
シリーズの解説で、ゲスト阪神金本が、巨人には歯がたたなかった強かったとしみじみ語るのをきいた。
このシリーズで、人気ではなく、若さのちからを思い知らされた。
投稿者 nansai : 15:49
2008年10月24日
山椒魚は、流されて仰天した。大阪人の土石流パワー。
山椒魚は、突然、体が浮きあがったので驚いた。人の波に押されて、そのまま、駅のホームに投げ出された。

遅い夕方の地下鉄ラッシュアワー、山椒魚は、いつもの満員電車の入り口に立つ。次の駅で、乗客がどっと降りるから、必ず座れるはず。
「一歩中へ、おすすみください」と車内アナウンスされるが、ぎゅうぎゅう詰めで身動きできない。つかまるつり皮もバーもない。
次の駅梅田に着いた。
いっせいに出口に進もうとする乗客の流れに逆らって、山椒魚は一歩肩をなかにいれようとした。
それが無用な抵抗で、あっという間に人の波に押し流され、からだがうきあがってしまった。あれは、人ではなく水流だな。土石流のような勢いだ。
突き飛ばされ、ホームでうつぶせに倒れた。幸運にも頭は打たなかったが、左の腰をしたたかに打った。
おそろしい一瞬の人の波は、足早にすぐに消えた。
かっこわるかったが、山椒魚は、なにごともなかったように起き上がって、突き飛ばされた入り口からのこのこ入りなおして、腰をさすりつつ、あいた席に座った。車内のだれも気づいている風はなかった。
年老いた山椒魚は、ちくちくいたむ腰をさすりながら、反省した。
ここは、大阪である。無理は、自業自得である。
人の情けとか、惻隠の情とかに甘えてはならん。すべて自己責任なのだ。あいてて、後悔は先にたたずだ。
なにしろ、ひき逃げもひったくりも放置自転車も、すべて、日本一の「わが町」である。
曽根崎署の横でクルマに跳ねられ三キロも引きずられて亡くなった人もいる。オデッセイ?に乗っていたた犯人は、いまだに捕まっていない。
投稿者 nansai : 12:20
2008年10月23日
阪神まいった!
岡田監督「悲しき胴上げ」
と、サンスポの見出しは容赦ない。
胴上げされて監督が号泣した。「しやない」悲しき退陣、と小見出しが追い討ちをかける。

好投の岩田を引き継いだ藤川が、またしても宿敵ウッヅに、打たれてはいけない本塁打を浴びた。まっすぐは、読まれていたのだ。今年のタイガースは終わった。
頑固なまでの正攻法で、最後もゼロでおわってしもた。最悪の終戦。おわってみれば、「世紀のV逸&二年連続CS第一次敗退」。いかにもタイガースらしい。
茫然自失、ぶんむくれトラキチおっさんの図である。

逃げた魚は大きいが、ふりかえれば、なに、シーズン前の大方の予想通り?いや、それよりましだったなあ。オカダはん、ごくろうさんでした。
新政権になって、春が来て、それからトラキチ好みの長い冬が始るだろう。ことしがんばった主力選手が、後期高齢者ぞろいだからなあ。
海の向こうでは、いよいよワールドシリーズだ。
岩村のいる躍進レイズは、ことし改名した。
毎年、万年どん底で、ついたあだ名がなんと「ドアマット」。踏みつけられてたまるかと奮起した。
投稿者 nansai : 14:53
2008年10月15日
十月十六日
いよいよきょうから
「マウスで描いたBLOG絵を
Tシャツに刷ってみました展」を、
ほんねきの丸善ボタン画廊で。ひっそりと。

もともと、このサイトは、伝統的な日本語の漢字かな混じり文をウエブ上でも読みやすく、と、縦組み編集を進める普及活動の一環である。
読みやすさが受け入れられたのか、数少ない読者の友人たちも、すいすいと話のすじを追って(中身がつまらなくても)飛ばし読みしているようだ。
たしかに読みやすさでは、いい感触を得た。
だが、ひそかにぼくがこだわっているマウスで描く絵には注意を払う人が少ない。これは残念。
せっかくアイデアをひねりだしたのに、気がつかない。ま、しかたがないか。

で、今回、長年描き飛ばしたアーカイブから、絵だけ抜き出して20点ほどTシャツに刷ってみることにした。
「マウスで描いたBLOGの絵をTシャツに刷ってみました展」を、ご近所の丸善ボタンギャラリーの軒先を借りて展示する。(中央区島町一丁目一の二 TEL06-6942-2261)
(丸善ボタンギャラリーのリンク先はGoogleMapに設定しています。ストリート・ビュー機能が使えますので界隈の様子をご覧いただけます)
入り口横に洗濯物のようにハンガーにつるしているから、ガラス越しにすぐのぞける。明日から6日間。
ちょうど近くの「北大江公園」で町おこしイベントがはじまるのにあわせて、通りすがりのご町内の衆にみてもらうことに。
だから、テーマは
KITAOOEH PARKが中心。



Tシャツ生地は意外に高価なので、印刷できなかった原画を雑用紙に刷ってならべることにした。
感謝をこめてマウス供養の意味もある。日本には、古来、筆供養、針供養があるのだから。
宣伝活動は、めんどうくさくなったのと、個展の通知をいただくと義理との板ばさみで当惑することが多いから、葉書も刷らず、このサイトだけである。
原則として、一品刷り。あれこれ手続きがややこしいので、販売しないことに。




投稿者 nansai : 17:41
2008年10月14日
この絵巻の絵をTシャツに刷ってみることに。
大恐慌。瀬戸際の危機も、とりあえず回避できたらしい。何が幸いするかわからない。金融立国の波に乗れずもたついていた日本の傷は浅く、これからどうなるかは、神のみぞ知ると専門家がいう。

さはさりながら、美術の秋。
地球規模の金融さわぎの台風一過、思い立って「マウスで描くBLOG絵をTシャツに、試し刷り展。」をご町内の丸善ボタンギャラリー(06-6942-2261)の一角で開くことに。
(丸善ボタンギャラリーのリンク先はGoogleMapに設定しています。ストリート・ビュー機能が使えますので周辺の様子をご確認いただけます)
おりしも、すぐ近くの北大江公園では、京阪電車新線開通を祝い、まちおこしのコンサートなどイベントが目白おしだ。この「WEBマウス絵の試し刷り展」もその一環である。
北大江公園は、ちっぽけな公園だが、想像力をふくらませると、空想上の動物などストーリーを繰り広げられそう。
島町一丁目の丸善画廊で、十月十六日から二十五日まで。ガラス戸の前の軒先三寸を拝借して、20枚ていど、洗濯物のように、ぶら下げる。見栄えはよくないだろうな。
ターゲットは、ご町内、つまり北大江公園界隈と、島町通りをぶらぶら御通行のかたがた。
宣伝活動は、このブログだけ。葉書などでのお知らせはやめた。個展の案内をよくもらうが、義理で来る人に、もうしわけないと思う。
ぴかぴか新品の白地のTシャツは、、ぼくの絵で汚すにはもったいないほどの結構な値段だ。品質はぴんからきりまで。ぼくの描くマウス画は、20枚程度だから、一番安いシャツ生地にに刷ることにした。
原画?はA3の雑用紙にプリントアウトしてならべておく。

このBLOGの絵は、いつもマウスで描いているのだが、スクリーンの透過光でなく、Tシャツに刷ってみることにした。
このBLOGを読んでいる数少ない友人たちは、話の筋には関心があるらしいが、ぼくの苦心?の絵にはほとんど無関心だ。そりゃそうだろう。ウエブ上では、刺身のツマのような存在だから見過ごされてもしかたがない。
ぼく自身が、絵だけ切り離してみてみたいのだ。
投稿者 nansai : 16:36
2008年10月10日
十月九日
八日の株価は、5日続落し、終値は952円安。一日の下落率は、歴代三代目という。
えらいこっちゃ。世界恐慌前夜との説を成す評論家あり、ノーベル賞や野球より、もっと緊急の大事なことがあるやろう、といわれれば、そのとおりだが、

帽子脱ぎ髪をなであげまたかぶる
打たれたときの岡田監督(鳥取県 中村令子)
この歌は、朝日歌壇で見つけた。
このごろ、ぼくも今風の短歌に興味がでてきて、こういうふうにさらっと詠めばいいのだなと感じ入った。作者はダッグアウトの中をよく観察している。テレビの望遠レンズ越しでなければ、オカダ監督のこころのアップは撮れない。
ごくふつうの現代話し言葉を使って、平成のうたがよめるのだ。自然な感じがいい。
そうこうするうちに、昨夜の対巨人戦7連敗で、つかれきったよれよれの阪神は、巨人の若い投手リレーで、ダウンを喫した。意識朦朧の感じだ。
このところ、オカダ監督の帽子を脱ぎ、薄くなった髪をなであげ、無意識にしゃくるようにあごを傾けるジェスチュアが続いた。とうとうマラソンでいえばゴール寸前のトラックでついに追い抜かれた。抜き返す体力はもう残っていないだろう。
スポーツ紙のデイリーは
「陥落。奇跡信じるしかない。」と、141試合目の屈辱と総括している。

「サンスポ」の見出しは、
「何やっとんねん。怒りの虎党」メガホンなげるわ。ユニホーム捨てるわ。大荒れ東京ドーム。
と、情け容赦ない。
13ゲーム差をひっくり返された?
むかしの阪神なら当たり前で、オカダ監督の肺腑をえぐる口汚い野次こそ阪神ファンの本領なのだ。
今岡の守備のへっぴり腰が攻撃されている。
ダンカンはわめく。新井を三塁手にしろと。
金融崩壊で深刻な欧米の海外放送をみると、ノーベル賞で盛り上がっている日本とはだいぶ温度差があるようだ。ほんとに大丈夫なのか。
投稿者 nansai : 11:49
2008年09月26日
アリクイ「たえ」が脱走

以前にも脱走した前科一犯ミナミコアリクイ「たえ」が、またサンシャイン水族館の飼育小屋から雲隠れ。大騒ぎとなった。
飼育員が血眼になってさがしまわったがみつからない。灯台もと暗し。すぐそばの館内の床下に隠れていたらしい。三日目にえさにつられて姿を現したのを監視カメラに目撃され、御用となった。
やれやれ、まずはめでたし。茶番劇の自民党総裁選挙よりも、おもしろいとテレビでは、派手に報道された。
コアリクイは愛くるしいが、前足には鋭い大きなつめが生えている。なんとなくとぼけていて愛嬌のあるアリクイは、描きがいのあるモデルである。
ふだんお目にかかれないが、写真とくびっぴきで、マウスを動かして絵にしてみた。

投稿者 nansai : 13:07
2008年09月22日
思いがけず、チャップリンに会ってきた。
久しぶりで、大劇場で活動写真をみた。
なんと77年前に製作された無声映画である。しかも、フルオーケストラの生演奏の豪華版だ。活動弁士の姿はなかったが、字幕で筋を追いながら、京都市交響楽団の演奏をきく。もったいない気もしたが。

チャップリン「街の灯」(1931)は、無声映画の不朽の名作とされている。これにフルオーケストラが多才なチャップリンの作曲にしたがって伴奏をつけるのを、ライブシネマコンサートというらしい。再開発のため近く閉館する中之島フェスティバルホールで催されるとあって、切符をいただいて、のこのこでかけてきた。

映画史上の名作といわれる「街の灯」だが、これまでなんとなく敬遠して、しみじみと見たことはなかったなあ。
浮浪者のチャップリンが、街角で見かけた盲目の花売り娘に恋する。80分以上の全篇、コミカルなパントマイムのオンパレードだ。
なかでも極めつけは、ボクシング場面だ。相手のパンチから逃れようとレフェリーのかげにかくれ、ぐるぐる三つ巴になってリング場を動き回る。結局ノックアウトされのだが、そのおかしさは、半世紀以上たった今もふるくならない。
お笑いも、しゃべくりは、よそもんにはちんぷんかんぷんだが、パントマイムのドタバタは、世界中のだれにでもわかる。
そういえば、むかしみた「黄金狂時代」で、吹雪で山小屋に閉じ込められたチャップリンが、パンをフォークに刺しテーブルのうえでダンスさせるシーン。いまも覚えている。
チャップリンは時代を超えて熱烈なファンが多いから、おびただしい数のネットをみてみると、City Lightsのサイトもあった。
有名なラストシーンは、ぼくは深読みできなくて、うかつな感想を述べると、淀川長治さんなど熱烈なチャップリンファンからどやされそうだ。

愛する盲目の花売り娘の窮状を救うため、ボクシングのいんちき賭け試合に飛びこんだ、向こう見ずの浮浪者チャップリン。試合前のかれの晴れ姿?を描いてみた。
投稿者 nansai : 12:09
2008年09月17日
タイムマシーンで、難波津を見物。

「知らぬが仏。」いや、知らぬが宝、だった。
うちの事務所が借りているビルは、大川をすぐそこに見下ろせる上町台地の北端に立っている。北大江公園の西南の角だ。
二十年くらい前か、借りることを決めていたので、ビルが着工されることになって、現場を見に行った。
地下から文化財がでてきたとかで、市の文化財保護の職員がきて工事が遅れ、家主がやきもきしていた。
囲いが立てられていて、これ以上掘るとあぶない地下7メートルまでが掘られていた。なにやら土器が出てきたらしかったが、そそくさとすぐ埋め戻されて、なんの表示も記録のないまま忘れ去られていた。
島町のここら当たりは、大阪城の城のうちなので、豊臣時代の遺跡かなと思っていた。
出土したのは、意外にも、もっと古く、1200年前の難波京の頃の遺物だった。
くわしいことがわかったのは、ことし出版された一冊の本による。
「大阪遺跡」(創元社刊)に、「奈良三彩と難波京の井戸」という題で、宮本佐知子氏(大阪市文化財協会学芸員)のつぎの一文が掲載されていた。
「難波京の北西約1200メートル、大川南岸の高台で見つかった三彩の小つぼは、深さ7メートルもある井戸から、奈良時代終わり頃の土器といっしょに見つかった。
この高さ4センチの小壷は、唐の三彩をまねて日本で作られた奈良三彩。緑、褐色、白色の釉薬がかけられていた。
官営の工房でつくられたもので、だれでも手にいれられるものではない。このような奈良三彩が、どうして、この場所でみつかったのだろうか。どのような人が使ったのだろうか。」

陶器の絵は、ぼくが、同書の白黒の写真を見ていいかげんに描いた。現物とは程遠いと思う。
宮本学芸員によれば、同じ井戸からは、墨書で「摂」と書かれた土器片も出土した。「摂」は、摂津を示す重要なキーワードだ。
大川が見渡せるこの高台には、摂津を治める「摂津職という役所があったと推測される。
万葉集には、難波堀江(大川)で遊覧し、貴族の館で詠んだ一連の和歌が載せられていると専門家はいう。浅学なぼくだが、このロマンチックな一連の歌をさがしてみたい。
そんな歌を頼りにタイムマシーンに乗ってみよう。
ここは、大川のほとりの貴族の邸宅がみえてくる。難波津の良港はすぐそばだ。外国の賓客をもてなす館もある。
ここ、上町台地北のふもとからは、細長い砂嘴が、で千里丘陵まで延びていたらしい。土砂で船の航行が困難になったので、「難波堀江」が掘削された。目の前の大川である。
この先まで大阪湾が迫り、大陸から船が集まってくる。東は、葦の茂るラグーン、河内湖である。ここから、湖の奥にある草香津へ向かった。大和へは生駒山地をこえてゆくのだ。
知らぬが宝だった。
教えてもらえなかったから、難波京ときいても、カンケイが理解できなかった。奈良時代のこのあたりの情景は想像できなかった。出土した奈良三彩は、博物館にいけば、展示されているのだろうが。
1200年前、奈良貴族の館だったかもしれない島町かいわいは、中小のビルが雑然と建ち並んでいる。
奈良三彩。この貴重なお宝は、鑑定団でみてもろうたら、なんぼの値打ちがあるやろう?
出土した井戸の跡には、記念の石碑もなく、道の端ぎりぎりまで立てられた無粋な四角なビルが、21世紀の現実である。
きれいさっぱり誰からも忘れ去られているところが、いかにも大阪らしい、といえばそれまでだが。
投稿者 nansai : 14:07
2008年09月12日
サプライズ。突如、帰ってきた天才打者が結果を。
野球はドラマだ。しかも、人間の。
夕べは驚いた。タクシーの中で野球ニュースをきいて、万歳した。109日ぶりに、突然あらわれた今岡が打った。対ヤクルト戦。
姿を見せぬまま、すっかり忘れられていた天才打者が、関本選手の故障で急遽三番に登用されると、いきなり打った。
一回、走者一人をおいて、一番深い左中間にホームランだ。当てるのではなく、鋭く振り切った。
これは、めでたい。待っていたぞ。

栄光の背番号7。往年の首位打者、打点王も開幕からの不振で五月から登録を抹消されていた。
そして敗色濃厚の土壇場の9回裏、二死満塁に今度は選んで、押し出しの決勝点をもぎ取った。
今岡のスタメン発表にどよめいた甲子園は、大興奮だろう。
ここへきて打てない、守れないダメトラ状態化したへとへとの阪神に、やっと光明がさした。アサーだ!
「ついさっきまで鳴尾浜にいたのに、夢みたいだ」
この日34歳の誕生日をむかえた今岡は感無量だろう。この日も、昼間は、甲子園の近くの二軍にいた。練習していたら、いまから行け、といわれたそうだ。
「この日は、今岡による、今岡のための試合だった」とニッカンは、書いている。
人生なにがおこるかわからないが、今岡これからの健闘を祈るや、切。

今岡が万歳している新聞紙面の 片隅に、訃報がのっていた。
かれこれ半世紀前、同じ会社で机を並べていた入社一年上の先輩がなくなった。その後、有力企業のトップにまで登りつめ、財界の切れ者だったが、未練なく後進に道を譲り、あっさりと引退した。
若いころから、クールな大物だった。安サラリーマンの頃、ラテン語の文法書をポケットに入れていたのを思い出す。酒は一滴も飲めない人だった。合掌。
投稿者 nansai : 11:16
2008年09月03日
「着てはもらえぬ?」ティーシャツ
Tシャツは、 メッセージやスローガンを伝えるポスターでもあり、人が着れば歩く広告媒体だ。
ぼくがこんなTシャツを着て地下鉄に乗り込んだら、

優先席にふんぞりかえっている若い人が驚いて席を譲ってくれるかなあ。(そら、あきまへんで。大阪では。テキもさるもので目をつぶって寝たふりを、しよりまっさかい。)
パソコンで絵を描いて、気に入ったのをプリントアウトするのには、Tシャツがいい。写真を現像に出し拡大するようなものだ。もっとも、人にあげても、喜んで着てもらえるか、保障のかぎりではないが。
さて、空文と化した「敬老の日」も近い。
後期高齢者に捧げるシャツのデザインを考えてみた。

「カメは万年」にちなんだ長寿を祝うケッ作なのだ。明るい色調だが、プレゼントしてはいけない。年寄りは、怒り出すかもしれないからだ。「着てはもらえぬティーシャツを」だ。
このようにぼくが自分で気に入ったのは、たいていは、ひとりよがりの出来だから、「どうだ」は他人には通じない。ン?とまどった顔をされるのがオチ。これもそのクチだろう。

つぎは、阪神タイガース優勝祈願シャツ。
危うし。阪神。
星野さんに北京に拉致された三番打者がつぶれ、頼みの押さえ投手JFKの三羽ガラスがかんかん打たれ始めた。最下位チームの横浜に、なんと5連敗だ。
このままでは、かりに優勝しても、日本シリーズにでられるか。ダイナミックシリーズが心配だ。
短期決戦に弱いことでは定評がある。データ野球が苦手らしい。
で、あわてて、白い子ネコをトラ柄にペイントする。

今年はいらないと思った「招き猫」を描いて、必勝を祈念することに。

子猫は、短い前足を上げて、「おいでおいで、」と、けんめいに勝ちを招くのだ。
いうてすまんが、ぼくは、マウスを操って絵を描く達人、いや変人である。
世にマウスで絵を描くあほな人は、少ない。プロはもちろん高度な道具を用いる。
老齢のぼくは、「ペイント」という初歩のお絵かきソフトのお世話になっている。これは、パソコンに初めて接するこどもたちか、キーボードにひるむ高齢者向けに、入門教材として使われるきわめて原始的なソフト。ウインドウズには、無料でついている。
習いべたのぼくは、60半ばの手習いで、雑誌の記事を見て、これなら自分にも描けそうだ、とはじめた。独習である。
思いついたらすぐ描けて、あと始末がいらないのが気に入っている。失敗しても、パソコンが保存してくれるのがありがたい。紙くず箱のおせわにならないですむ。
投稿者 nansai : 14:17
2008年08月28日
京阪新線開通を、何とか、このかいわいの町起しに
ことしも、ここ八軒家かいわいの恒例ベントが企画されるらしい。ご町内の実行委員会の企画メモがまわってきた。あわただしく京阪電車新線開通にあわせて、十月十九日から二十四日まで。

手づくりのライブコンサート、「たそがれコンサート」を開く。場所は、北大江公園芝生広場。町内の音楽関係の皆さんに声をかけてもらって、これからミュージシャンを集める。

去年は、トルコ楽器の演奏などインターナショナルなムードで盛り上がった。あいにくの雨模様で、湿気で太鼓の皮がぴんとはれず、目玉演目の和太鼓演奏は、やむなく中止となった。
京阪新線で、町おこしだ。と、八軒家浜かいわい一帯は、気合がはいっているらしい。早めにポスターを間に合わせるようにいわれた。
例によって、町内のだれが責任者かわからない。無責任うやむやは、ずぼらなぼくの望むところ。

昨年のぼくの作ったポスターは、楽器の描写がいい加減だったからか、町内で悪評さくさくだったらしい。
「あれは、だめでした」
一年たって、マリアンの大将が、ボランティアのぼくを、ぼろくそにこきおろす。
なんの資料もないままに、十五夜お月さんにちなんで、はるばるウサギの楽師たちを呼んできたのだが、えらく評判がわるかったそうな。うさぎくんたち、ごめんな。
もともと幼稚園児のおえかきのようなポスターなので、楽器の精密正確なデッサンをのぞまれてもこまるのだが。


なにせペイントとマウスで、思いつきをかたちにするスピードポスターだ。
変幻自在のお好み描きのようだが、それでも、でっちあげるのには、気合の充実が必要である。
気を取り直して、北大江公園の滑り台をモチーフにして、イメージスケッチができた。ぼちぼちと思いつきアイデアの破片をならべてみることに。
このふてくされている野良ネコは、ぼくではない。
一年前まで、北大江公園のベンチにうずくまっていた。
夜陰にまぎれてえさをやる奇特なご婦人も見かけたが、ねこはいつしか姿を消したままだ。

ところで、余計なことだが、コンサートの愛称を「たそコン」とちぢめると、いいひびきだと思うのだが。
投稿者 nansai : 16:11
2008年08月26日
「筋」メダルは、もういらないのでは。
おもしろうて、やがてかなしき、五輪かな。

お隣りの国の威信をかけた空前の大運動会は、終わった。
どちらさまも、おつかれさん。
オリンピックの観衆は、テレビの前で、感動のドラマを期待している。逆境に耐えて耐えて勝ち抜いて、涙の栄冠をつかむ美談だ。文部科学省提供の大河ドラマだ。
当家は、メス猫を含めて3人の女から「日本の男子はなんや、」と攻撃されている。それに比べて、女子は根性がすわっていると、多勢に無勢で旗色が悪い。
うーん。女子ソフトボールの日本チーム連投連勝はすごかった。正座して、応援した人もいたそうだ。
闘いが終わったあとの表彰式でも、日米両チームが、地面に「2016」と黄色いボールをならべて文字を描いた。ソフトボールの次の次のオリンピック競技種目復活をアピールしたのだ。
あれは、さわやかなアイデアだった。敗者アメリカチームのいさぎよい提案に、惜しみない拍手。

年俸総額46億円の選手を擁し、ノーメダルに終わった野球が、重量挙げ競技とはしらなかった。
選手村に泊まらずホテル暮らしのセレブ選手たちには、日の丸が、あんなにも重かったのか?
ハングリーな敵の勝ちたい思いに負けたと、宮本主将はくやしげにいう。
記者会見でも、「すべて私の責任。」と言い切り、あたりを睥睨するカリスマ監督を、スポーツ記者たちは、心中を察してか、おそるおそるの質問も腫れ物にさわるようだった。
敗軍の将は、いろいろ事情もあったろうが、「申し訳ない。なにをいっても、いいわけになる。」の一点張りだ。
ぼくたちしろうとは、やれ配人ミス、やれ配球ミスと、うっぷんばらしに、言いたい放題。テレビワイドショーに寄せられた町の敗因アンケートも、結果論だから、いいとこをついているな。
国際競技に、シーズン中のプロ選手をだすのがまちがい。アマチュア選手にチャンスを与えよという意見もあり、説得性があるように思われる。でも、終わったことだ。
あれで、いいのだ?
負けるべくして負けた。そうかなあ。そうかもしれん。

さて、舞台変わって、次はロンドンだ。
その次の2016には、東京五輪で、メダル量産へ。と、新聞は報じている。本気だろうか。
国家主導の強化策におくれをとったというが、日本が、オリンピックでメダルをとるために、国の税金を湯水?のように使って、選手の強化に努める。
それも限界があると思う。
文部科学省は、平成22年までにメダル獲得率3,5%を実現したいらしい。同省のホームページには、現在、土佐礼子選手の写真がのっている。いたましい。
柔道、マラソン、体操、レスリング、バレーボール、シンクロナイズドスイミング、野球など、往年の日本のお家芸は、世界の隅々から沸き起こる新勢力に太刀打ちできなくなっている。
日本のきわめつくされたトレーニング方法は、新興国の選手に有効なので、教えれば、あっという間に実力を身につけてくる。いい例が、シンクロ、マラソン、野球だ。
マラソンも高速になり、アフリカの国々が躍進してきた。灼熱のコンディションをものともせず、21歳のケニヤ青年がゆうゆう優勝した。かれは、日本の高校でマラソンの基礎指導を受けてきた。
日本男子選手三人のうち、一人は出場を断念し、一人は、かろうじて完走したが最下位だった。

専門家の意見はどうなんだろう?
オリンピック競技で勝ち抜ける身体能力は、泣いても笑っても、遺伝子でまずきまるのではないか。練習や根性以前に。
記録にはまったくの素人がテレビをぽかんと見ながら、ぼんやり考えた。
ジャマイカの男女各選手は、簡単に世界記録を更新する。水泳競技も、アフリカ各国の黒人選手がプールで練習するようになれば、様相がかわるだろう。

人種別に、身体のサイズ差、筋肉の量と質が、まず優先する。それに、体調管理と正しいトレーニングがともなえば、確率高く、世界各地から優れた選手が泉のごとく輩出するだろう。
昔に比べて体格がよくなったとはいえ、わがヤマト民族はどうみても不利である。
いいことかどうかはべつとして、世界水準の競技に勝つために、国境、国籍を超えて、レアメタルのように身体能力のすぐれた人材が移動している。スポーツ資源の自由化といえよう。
サッカーのナショナルチームでも、旧植民地出身、移民、帰化、いろんなかたちで身体能力にすぐれた有能な素材を、各国こぞって集めようとしている。
大リーグ、大相撲、サッカー、卓球などでは、人種、国籍、国境を越えた人材集めは、いまや常識となった。

身長の差、すらりと伸びた足の長さなど、人種間の先天的サイズや能力差も、容姿が採点に響く種目では、いかんともしがたい。
残念だが、それを無視して、国民の体力が競技に向いていない国家が、しゃにむに、メダルの数を競うのは、むなしいことだ。豊富な資金にものいわせても、根性と鍛錬だけで、メダル獲得競争に挑戦するには限界があるのでは。
北京オリンピックをみると、素人目にも、スポーツの世界でも、時代は変わったように見える。
日本人のような小さな選手は、努力だけで、これまでのように、時には、勝てるのだろうか。
筋力の競争では、メダルにこだわらず、負けても仕方がないと割り切って無理をさせない。
「身の丈」サイズで戦わざるを得ない。さほど筋力に頼らなくてもよいスキマ種目は、フェンシングやカーリングのほかにも、まだあるのではないか。ないかもしれない。
「身の丈」の筋力で勝てる種目で勝負しようではないか。
筋力では劣っても、長寿耐久生存競争ならば、日本が男女ともに金メダルだ。カンケイないな。

日の丸が重いのなら、クーベルタン男爵のオリンピック宣言の原則にもどればいい。参加することに意義があるのだという。
投稿者 nansai : 17:15
2008年08月22日
大川の川面をオニヤンマの大群が飛んでいた頃
当たり前の風景がなつかしく思える。自分は、体験していないのに。
天満橋の下を流れる大川(昔は、こちらを淀川といった)を、オニヤンマの大群が飛翔していた。といっても、70年前、戦前のはなしだ。
ご近所のよしみで、昭和の初期から、代々、石町(こくまち)にお住まいの萩原理一さんに、当時の八軒家かいわいのお話をうかがった。
萩原さんは、昭和4年のお生まれである。

昭和の始めごろ、八軒家浜は、京阪電車の開通でお役ごめんとなった船着場は取り払われて、電信柱の置き場になっていた。
ちょうど今頃の季節、夕方になるとオニヤンマが編隊をくんで飛び回っていたそうだ。オニヤンマは、身長10センチもの巨大とんぼだ。今ではめったにお目にかかれない。
萩原少年たち悪がきは、50センチくらいの糸の両端に小石など錘をつけて大空たかく投げ上げる。群れをなして飛ぶオニヤンマを待ち構えて、からめとるのが、あそびだった。「とんぼつり」といったらしい。
小石をムシとかんちがいしてヤンマが飛びつき、糸にからまり落ちてくる仕組みだ。各地でいろいろな「とんぼつり」法があったようだ。
戦争が近づいていた。
とんぼ飛ぶ大川も、かつての京都との船での往来はなく、当時日本最大の兵器製造工廠、片町の大阪造兵廠へ物資や武器を運び入れ運び出す運搬船が行き来していたという。
まもなく、ここら一円は昭和二十年六月の大阪大空襲で、見渡すかぎり、焼け野が原となった。
京町通りから北大江公園に通じるこの石段は、焼け残った。いまも昔の姿をとどめている。

戦後、石段を登ったところの焼け跡を利用して、北大江公園が、石町通りをさえぎるかたちで、つくられた。防災目的だったのだろうか。
戦前のせまい島町通りは、トラックの少ない時代で、荷馬車の往来がはげしく、馬の糞があちこちに散乱していたそうだ。
戦前ここらあたりは、軍関係、株屋さんなどの大邸宅が多かった。
石段の横のしゃれたピロティ形式の洋館が、萩原さんの生家だったが、大阪大空襲で焼夷弾のケースの直撃をくらった。焼夷弾は、今でいうクラスター爆弾でケースのなかに子弾として48発のM69焼夷弾を内臓し、これが上空700mで飛び散る構造だった。
萩原さんによれば、生家のすぐ裏に、大きなロシア正教の教会が建っていたが、そこも空襲で焼けたとのこと。
へえ、あんな場所に教会があったとは、初耳だ。
さっそく、ネットで調べてみたら、1910年、明治43年7月に、木造ビザンチン式の聖堂が建立されたとある。
日露戦争のロシア人戦没者を弔うために寄付により建てられ、「大阪生神女庇護聖堂」と名づけられたという。昭和二十年灰燼に帰したが再建はならなかった。

萩原さんの話では、京都の押小路通にも、そっくり同じ形式の教会が残されていて、疎開取り壊しを免れ、有形文化財に指定されているらしい。この絵はネットの写真を見て描いたもの。
このようなエキゾチックな教会が、マンションやビルの立ち並ぶ北大江公園のそばに建っていたのを、町内でも知る人は少ないのではないか。
投稿者 nansai : 11:23
2008年08月15日
ああ、やっぱり。これでは、310万人の戦没者は浮かばれない。
オリンピック関連の記事があふれかえるなか、終戦直前の東条元首相の直筆メモが新聞にひっそりと公開された。国立公文書館に保存されていたそうだ。

元首相は、A級戦犯として処刑され、靖国神社に祀られている。
さまざまな政治的配慮から、国内法で、戦争責任を問われることはなかった。
東条メモは、大日本帝国の悲運を物語っている。文語体で書かれているので、今の日本語に直して読んでみた。
「新型爆弾におびえ、ソ連の参戦に腰をぬかし、かんたんに手を上げてしまった国政指導者と国民にあきれた。
こんな人たちを頼りにして、開戦し戦争指導にあたったのは、責任者として、天皇と国民に対して申し訳ない。」
昭和20年8月、元首相は、重臣懇談会のあと、ポツダム宣言受諾をきかされて、メモに太平洋戦争開戦責任者の本音を縷縷つづっている。かれは、国体を護持するためにならぬと、日本軍の完全武装解除を懸念していたのだ。
あの時代に、日本国民(当時少年だったぼくも)は、いったい、どのような考え方の指導者たちをいただいていたか、よくわかる。かれらは、冷静に判断すべき情報を持たず、耳にさからう情報を得ようとしていなかったのだ。
「戦いは、常に最後の一瞬において決定するのが常則である。
帝国としてもてる力を十二分に発揮せず、敵の宣伝戦略に屈しようとしている。」
この期におよんで、まだまだやれるとのべている。
すでにサイパン、沖縄を奪われ、連日激しい空襲に遭い、国中焦土と化しているのにだ。戦力尽き、犠牲者はすでに310万人を数え、原爆を二発投下され、ソ連の参戦を許しながらもだ。
「無条件降伏とはいえ、皇位確保、国体護持は当然の条件で、これを敵側が否定するなら、一億一人となっても敢然戦うのは当然だ。
国体護持は、軍備維持なくしては、空文だ。全面武装解除などとんでもない。やすきにつきたがる国民は、軍部をのろうのではないか。」
とも。
時代とはいえ、人の命をどう考えていたのか。かれの制定した日本軍のマニュアル「戦陣訓」は、生きて虜囚の辱めを受けてはいけないと、兵士が敵の捕虜になることを禁じた。ジュネーブ協定の無視である。
「皇位確保」という大義のため、徹底抗戦を政府が国民に強いれば、どうなるか。第二のサイパン、沖縄のような市民をまきこんだ壮絶なゲリラ戦になり、民衆に甚大な犠牲が生じることに、戦争指導者としてまったく思いをいたしていない。

こんど公開された元首相の手記について、新聞各紙も、いまさらながら、かれの指導者としての狭い視野と甘い認識を指摘している。
かみそりといわれた超エリート官僚だった東条大将。昭和天皇の信任はあつく、かれの失脚後も勅語をもって労をねぎらっている。
しかし、その股肱の臣は、精神力のみを頼み、きびしいデータと現実に眼をそむけた。
首相を拝命した東条大将は、頼りにしていた同盟国ドイツの敗色濃厚という情報をも無視し視野狭窄のまま、かれなりの消去法で、選択肢をせばめていった。昭和16年ついに大軍を動員し、転げ落ちるように、あの戦争へ向かって破滅の舵をきった。
この絵は、NHKが放送している「証言 兵士たちの戦争」の集合写真のイメージだ。ほとんどが生還していない。
昭和16年、かれは戦争回避の最後条件としてアメリカから突きつけられた華北と仏印からの軍隊撤退を、陸軍の立場から断固拒否した。満州は黙認されたのにである。これにより外交交渉の余地なく、成算なき太平洋戦争への突入の直接の引き金は、ここにあった。
日本は、なぜ大陸に出兵したか。昭和6年からの大陸進出は、貧困にあえぐ日本の農業政策のゆがんだ方針でもあった。大陸での利権を保護すると称して、日本軍は泥沼の戦いへ進軍を余儀なくされた。
ぼくが生まれた年から15年、激変する世界の潮流を見誤った日本政府は、数々の選択肢のほとんどを、誤って行動した。東条大将ひとりの責任ではないにしても。
過ちの代償は、たかくついた。きょう日本武道館で弔われる310万人の戦没者は、この間の大いなる失政の犠牲なのである。
日本人は忘れっぽい。あの戦争はなんだったのかをめぐって、喧々囂々議論が沸騰し、数多くの昭和史が出版されている。
しかし、つぎつぎに極秘資料が公開され、注意深く読み解けば、隠されていた真実があきらかになりつつある。
先見の明にめぐまれたクールで現実的な指導者が選べなかった国家は、あのような悲惨な運命にあまんじねばならない。それは平成の今も、変わらないのだが。
投稿者 nansai : 13:09
2008年08月05日
昭和二十年の日本になにが起きたか?

八月になると、昭和二十年、敗戦の年(終戦ではない)を思い出す。暑い夏だった。
旧制中学二年生のぼくは、本土決戦に備えて関門海峡の海岸で、陣地といえばきこえはいいが、横穴壕を掘っていた。壕内にともされていたアセチレン灯のくさいにおいを思いだす。
ドキュメンタリー「ヒロシマナガサキ」(スティーブン・岡崎監督)の取材陣が、東京の街頭で、若者たちに、昭和二十年の日本になにが起きたかと聞いてまわった。さあと、顔を見合わせるだけで誰も答えられなかった。地震?と聞いた子もいた。戦争が起きていたことも、核爆弾が投下されたことも、教えられていなかったのだ。
63年前、満身創痍の大日本帝国は、二発の原子爆弾の投下でとどめをさされた。
この年は、日本の歴史始まって以来、日本人の生命が最も多く失われた年だ。兵士だけでなく、市民も巻き込んで、その数、おそらく死者200万人以上。たった一年たらずのあいだにである。(ちなみに、イラク戦線の米軍の七月の戦死者は7名。)
この年、200万人の生命が、日本の戦争指導者が、無条件降伏に逡巡したために失われた。
あの悲惨な戦争の実相を、中国、ビルマ、フィリピン、ニューギニア、太平洋の島々で、からくも生き残った兵士たちに取材した貴重なテレビ番組がある。NHKのドキュメンタリー証言記録「兵士たちの戦争」だ。ことしも、8月にまとめて放送される。
かろうじて死を免れ、生き残った兵士たちは、みな90歳近くで、各地方の精鋭師団に所属していた。
若いひ孫のようなNHK地方局女性記者の取材に応じ、戦闘の悲惨な地獄絵を語る際には、日本人独特の不可解な微笑みをうかべながらのオーラルヒストリーだ。

戦争をめぐるあらゆる議論は、このような貴重な証言を、聞いてからはじめるべきだろう。同時代に生き、学徒動員されたぼくだが、戦争の実相にについては、まったく、無知であることを思い知らされた。
敗け戦のいくさばなしは、あまりに悲惨で語られることはない。生き残った元兵士たちも、沈黙したまま墓場へもってゆくつもりが、ひ孫のような記者の取材を受け、ようやく重い口を開いた。稀有な資料となった。
おびただしい数の昭和史が、書店に並んでいるが、このフィルムに記録された兵士たち(市民の声は入っていない)の証言はあまりに重い。後世に語り継がれるだろう。この検定の必要のない第一級の史実こそ、まず歴代の首相も文部科学相も、向き合うべき生きた教科書なのだ。
投稿者 nansai : 14:47
2008年07月25日
七月 わが輩はライオンである。

また、天神祭りだ。今夜は、宵宮か。むちゃくちゃ暑いな。
わが輩は、ライオンである。もう60年間も、難波橋のこの橋柱に座っている。体重は花崗岩で18トン。全部で4頭。で、この橋は通称「ライオン橋」とよばれてきた。ふるくは浪速橋とも。
歴史は古い。木製の橋が一本、豊臣時代からかけられていた。
祭りの喧騒をよそに、目を閉じてタイムマシーンにのってみよう。
ここは、土佐堀川と堂島川にわかれるところで、昔は眺めもよく涼しかった。信じがたいことだが、夕涼みの名所だったのだ。橋のたもとには、茶店が出て、氷水、ぜんざい、夏でも甘酒を売っていた。

橋のかいわいは、諸藩の蔵屋敷が軒を連ね、それを取り巻く問屋街が繁栄をきわめていた。川幅はいまよりひろく、船が通れるように太鼓橋のように、桁下を高く、かなり反ったつくりになっていたという。
大阪の夏は、うだるように暑い。平成のいまは、あまりの暑さに、夕涼みが楽しめなくなった。何でや?大阪府環境白書にくわしい。
むかし、人々は、大川端に集まり、この橋の周辺は絶好の夕涼みの場だった。遊山船があつまり、橋の上は夕涼みや花火見物の人々でいっぱいだったさまが、当時の図会でわかる。
むかしもいまも格差社会だ。
落語の「遊山船」や「船弁慶」では、橋の上下の掛け合いが面白く語られている。
川にはたくさんの船がうかんでいる。
「えらいこっちゃ、大水が出て、家が仰山流れてきた。」
「違うがな、あれは大屋形やがな」と、長屋の連中のやりとり。
金持ちは、屋形船を浮かべて、芸者をあげ、一ぱいやりながら、涼をたのしみ、貧乏人は、橋の上からうらやましげに指をくわえて見下ろすだけだ。屋形船の障子の開け閉めから、中の様子、ごちそうや、乗っている芸妓が気になるのだ。
江戸時代は、空気が澄んでいたとみえ、橋の上から、兵庫県三田市の有馬富士がみえたそうな。この橋は、東西の眺望がよく、橋の上から16の橋が見え評判だったと記録にある。

投稿者 nansai : 13:57
2008年07月24日
この暑さ、何とかならんのか?

猛暑に立ち向かうのに、日本古来の打ち水の習慣が見直されてきたようだ。
ヒートアイランドよ、さらば!地球の温度が二度さがるとかで、地球温暖化に対抗しようという市民運動?が全国的に呼びかけられ展開されてきた。
ならばと、大阪では、市も乗り出してきた。打ち水から一歩進んで、近くの八軒家浜船着場で、市の水道局のミスト(霧)散布作戦が始った。
え、これはなんじゃろ。
船の着く川べりに、物干し竿みたいなわくがたてられ、パイプの穴から、けむりのようなものが噴出しているではないか。看板の説明では、圧力を加えた水道水をパイプのアナから散布して、人工的に霧を発生させるのだそうな。

へえ、効果があるのかいな。
ものずきなぼくは、朝、誰もいない大川の岸で、しばらく、様子をみていた。
こりゃあかんわ。
日がかんかん照って、川風が吹く水辺では、人工霧は、文字通りあっという間に雲散霧消してしまうから、気温がさがるわけがない。
気温30度以上、湿度70%未満の条件で、霧を発生させる設計らしい。水をさすわけではないが、残念ながら、アイデア倒れか。
大川端のような開けた場所では、ぼくは、ちょっと無理とみたが、市長さんも、水道局長さんも、現場で確かめてほしい。
投稿者 nansai : 15:24
2008年07月15日
かぼちゃ爆弾、大阪に投下。

63年前の夏、大阪に落とされた「かぼちゃ爆弾」とは、原爆模擬爆弾のことだ。
昭和二十年七月二十六日、米軍は、大阪を空襲し原爆投下予行演習のため、ずっしりと重い一万ポンドの模擬爆弾を一発、B29から投下した。どこに落とされたかは定かでない。大阪は、すでに大半が焼け野が原だったのに。
八月に迫った世界初の原爆投下を成功させるため、米軍はB29乗員の訓練に余念がなかった。摸擬爆弾の丸い形も色も、かぼちゃに似ていて「パンプキン爆弾」と呼ばれた。
制空権をにぎり成層圏を悠々と飛ぶB29爆撃機に、広島に投下される原爆と同じ重量(セメントを入れた)の爆弾を積み、米軍は日本の各都市への空襲の際にくりかえし落として本番に備えていた。
原爆開発の当初の目標だったナチスドイツが降伏した後、さて、瀕死の日本のどこに原爆を落とすか。
いきさつをネットで調べてみた。
一九四五年五月十二日、ロスアラモスのオッペンハイマー博士のオフイスに、なんと8人もの博士号を持った関係者たちが集まって、会合をもち、非人道的な血の凍るような原爆の効果的投下を議論していた。
極秘の議事録参照。

投下目標候補の筆頭にあげられていたのが、意外にも京都だった。
人口百万。直径3マイル以上の大都市で、加えて日本文化の中心であり、住民たちはこの爆弾の重大性を認識するだろう。というのが、理由だった。
京都危うし。
原爆の効果を試したい委員会のメンバーには、古都の歴史とか文化財は、何の意味も持たなかったのだ。
京都以外に、広島、横浜、小倉、新潟の4っの都市があげられていた。皇居への投下も、議題に上った。
この目標選定会議で決められたことは、次のとおり。
投下にあたり日本への最大の心理的効果を重視する、原爆の最初の投下の重大性を国際的に報道し知らしめる。
そのため、爆撃は、日中、晴れた日に実施する。通常爆撃でまだ破壊されていない都市を狙う。そして、爆弾の爆風効果が最大化できる地形を選ぶ。
原爆投下目標地を決める極秘議事録によれば、この博士号を持った専門家グループは、こんな結論を出した。
京都は、住民の知的水準が高いから、原爆の重大性を理解するだろう、広島は地形的に戦果をあげやすい、皇居のある東京は、ほかのどの目標よりは話題性があるが、戦略的にはみるべきものがない。
この委員会では、一般市民への人道への配慮はまったくなく、冷酷無残不遜きわまりない。
その後、政治的配慮など紆余曲折あって、京都はリストからはずされた。しかし、執拗に京都への投下をせまったのは、開発責任者のグローブ将軍だった。
かれは二ヶ月も粘りに粘って主張したが、退けられた。その代わりに長崎がリストアップされた。
東京を除外すべきでないという意見も、広島への投下以降も、あったらしい。

13歳のぼくは、当時、投下目標都市小倉に近い下関にいた。中学二年生で、空腹と下痢、ノミとシラミに悩まされながら、本土防衛のため海岸陣地構築に駆り出されていたのだ。といっても、マツ材を立てならべただけの、爆弾一発で吹っ飛ぶ、横穴の機関銃座だったが。
小倉からは、下関は海峡をこえてすぐ眼と鼻の距離だ。
高高度を銀色のB29が飛び、レーダー撹乱のための
キラキラしたアルミ箔を撒き散らす。ぼくらは、口を開けてぽかんと見つめていた。
米軍から見れば、小倉は、兵器工廠があったのと、関門海底トンネルへの核攻撃に興味があったらしい。一切の情報から隔絶されていたぼくらは、知らぬが仏。
昭和二十年、米軍は十一月から南九州上陸作戦を開始する手はずを整えていた。上陸支援のため、xデーまでに7発の原爆が準備される予定だった。中学生のぼくらの掘っていた海辺の木造陣地の運命やいかにだ。
「あの戦争を伝えたい」布川庸子著(かもがわ出版)という、切り絵の美しい薄い文集を書店で求めた。そのなかに2ページだが、「京都への原爆投下計画」が紹介されていた。
詳しい史実が知りたくて、グーグルで検索してみると、60年前の極秘資料などが、でてくるわ、でてくるわ。

昭和二十年、ドイツ敗戦後の日本は、世界を敵に回し孤立無援だった。
絶望的な状況下にもかかわらず、ポツダム宣言を「黙殺」し、一億玉砕、国体護持などととなえ本土決戦を呼号した。一方で、ソ連に停戦の仲介の望みを託したが、連合軍には暗号解読され交渉はつつ抜けだった。
ぎりぎり土壇場まで無条件降伏を躊躇した日本は、なんとも非常識な国際政治オンチぶりをみすかされるなかで、悲惨きわまる原爆人体実験の口実をアメリカに与えてしまったのである。
政府は、本土決戦に備えるよう「一億玉砕」と大号令した。「人命優先」、「国民の幸福」など、字引にはなかったのだ。
昭和十九年から二十年のあいだの一年に、日本はおそらく200万人以上を失ったのではないか。
最優先課題は、国体の護持だった。
徹底抗戦し、あのまま戦争を継続したら、日本はどうなっていたか。連合軍からみれば、無差別に原爆を使用する正当な条件がととのってきていた。
世界が見えず降伏を先延ばしした国家指導者たちの責任は大きい。
さて、21世紀、党利党略のみで権力を握り、歴史に学ぶ能力のない指導者たちは、同じ轍を踏んでいるように思える。歴史は、繰り返されるのか。
投稿者 nansai : 11:44
2008年07月04日
ご近所のよしみで、Tシャツの絵をたのまれたが、さて。

同じ町内にあるボタン問屋ビルの一階が、こじんまりした画廊だ。ふだんは、ファッション系の小物などが展示されている。
この夏も恒例の「Tシャツ展」が催される。場違いな「マウスで描く絵」のシャツも若い人の作品?にまぜて、出品したいとのことだ。
で、マイドキュメントにかねて死蔵のアイデアをひっくりかえして、思いつきのオリジナル薬味を少々ふりかけてみた。珍味ゲテモノバージョンとしては、異色作じゃろう。
たとえば、この見返り美人ねこは、シャツの背中にプリントしたらどうだろう。

夏が来れば、恐竜たちも、立ち上がって腰を振り踊るのだ。


家にモデルの駄ネコ(源氏名をブータンという)がいるせいか、どうしても、ついネコの絵を描いてしまう。ネコの伸びをするすがたはかっこいいが、ぼくのデッサン力ではとても及ばない。
以下は、ネコだらけ。





これは、意欲の新作だ。白ねこが虹ねこに。ぬりえボディペインティングするねこ。
あ、そうそう、悪乗りで、黄色と黒のタイガース模様もおもしろいかな。トラキチねこも描いてみるとするか。

続いて、トラキチ専用は、優勝決定ニコニコバージョン。




つぎは、まだあっためているマル秘のアイデアを、こっそりと。
いま京阪電車が売り出し中の「八軒家船着場」は、新線開通まで、まだ人気が閑散としている。
八軒家船着場の「ゆるキャラ」候補として、ぼくなりに、二頭身の河童をかんがえている。
ここだけのハナシだが、大川には、いつのころからか、数十匹の河童、「がたろ」とも名乗るが、生息している。かれらは、人目をしのんで、音を立てず深夜だけ泳ぐ。


大川の河童たちは、年に一度、遊泳大会を開く。デンマークからお興しいれしてきたアンデルセンの人魚姫像が、天保山のサントリーミュージアムの水辺に放置されている。河童たちは、大川を下って、人形姫にキッスする。一番は、どの河童か。
かれらは、河童のくせに水中眼鏡をかけている。
おしなべて、泳ぎが下手で遅いので、淀屋橋河畔のミズノさんに特注して、いま大評判の英国製に劣らぬ水着を着せてやりたい。
もちろん、競泳の際は、水の抵抗をさけるために、甲羅を取り外せるようにせねばならない。などなど、極秘のうちに思案中だ。
投稿者 nansai : 15:30
2008年06月23日
野球も組織も、コミュニケーションしだいか
春先の評論家たちの予想に反して、阪神が、やたら、しぶとく強い。
「いつの間に強くなったのだ?」
と、楽天の野村監督がおどろくほど、苦手の交流戦でもがんばった。いつの間にか貯金もたまって20となった。

身をもって範をたれて、チームの若い選手をひっぱっているのは、40歳前後。球界では、後期高齢者に当たる選手の面々だ。それも、お説教ではなく、目の前の修羅場での実績で示すのだから、ぐうの音もでない。練習やトレーニングに取り組む高齢選手のうしろ姿がそのまま、若手にとって生きたお手本なのだ。

大リーグ中継が、NHKのBSを独占しているが、だれがみているのだろう。
イチローとジョージマと、日本を代表した超一流選手を引き抜いたシアトル「マリナーズ」が不振にあえいでいる。
地元紙の電子版によれば、ゼネラルマネジャも監督もクビになった。どうしても、勝てないらしい。
ロッカールームの空気が、不穏につつまれている。
キューバ、ベネズエラなど中南米、カナダ、日本、韓国、台湾など、10カ国からの選手同士が、めいめい、ばらばらで、コミュニケーションがとれない。クラブハウスでも、アメリカ人同士がグループにわかれたり、日本人のイチローやジョージマなどは、ストレッチしたり雑誌に眼を通したり、それぞれが個人の殻に閉じこもる。

なによりも、ことばと文化の壁が大きいという。
思いちがいもそねみもあるらしい。選手に声をかけて心服させられるリーダーがいない。チームとしての、現在の阪神とは、そこが違う。イチローと、兄貴金本のチーム内の人望の差があるのだ。
ジョージマ捕手への風あたりは強いようだ。投手たちとの間の溝が深い。ゲームプラン、野球観が違うらしい、
他を寄せ付けない孤高のスター選手イチローが出塁しようがしまいが、そのうちに、チームはどんどん負けがこむ。
あっという間に最下位だ。首脳陣のいれかえとなった。
やはり異文化コミュニケーションは、たやすくない。
ツギャザネス、つまり一体感、というか方向性、志がまとめられない。チーム一体となって勝てないという問題の根っこに、マリナーズ球団経営の一足先に進んだグローバル化があった。

監督は、世界のすみずみから集まった個性の強い選手たちのばらばらの組織をまとめる。かれの人間的掌握力は、偉大だ。国籍にはカンケイなく。
外人選手をとるのがへたと、グローバル化には後手を踏んでいる阪神には、こんな心配はない。喜んでいいのか。
日本の企業内でも、コミュニケーションが途絶する時代だし、正社員と派遣社員の立場ごとに心理的な壁が築かれて、敵味方に別れ、バーチャルなゲットーのなかにみずからを封じ込め、立て籠もるのだ。匿名のうめき声が2チャンネルへの書き込みなのか。
投稿者 nansai : 17:29
2008年06月12日
もっと米を食べてほしい、と国民にいいたいのか、政府のこの広告は?ならば、もっとまじめにやれといいたい。

えらい時代がきた。
日本は、カネがあるからといって、食料を、よその国から買うことができなくなるという。
まず自国が大事だから、売ってくれなくなるのだ。
小麦も、トウモロコシも。肥料も。旱魃も洪水も原因らしい。米国の農家は、ビジネスマンだから、トウモロコシはエタノール工場に買ってもらうほうがとく(国から補助金が出るから)と計算している。
そこで、もっとご飯を食べよう、と政府も国民に訴えている。
だが、日経にのったこの広告は 、ぼくらの税金でつくられたとすれば、無駄づかいとしかいいようがない。
まず、意図がわからん。
英語とおぼしきローマ字でだれになにを訴えようとしているのか。
ごろあわせよりも、ちゃんとまじめに懸命に、いま米食の大切なことを述べるべきだろう。
これからの日本は、どの家も、朝ごはんを見なおさなければ、農業が維持できなくなる。政府はこういいたいのだろう。
「朝は、ごはんにしよう」というなら、日本人に素直に共感できるような訴えかたはいくらでもあろう。
黄色い鉢の盛られている丸い粒粒は、お米には見えない。あまり、きもちがよくない。
日経にのったこの広告掲載料は、驚くほどの金額だろう。
だれに向かって、なにをわかってほしいのか、いったい、どうしてほしいのか。いいたいことが、これではわからん。ぼくらの払った税金で、効果のあがらぬ無駄を発生してほしくない。
ハブ ア ライス デー?
そのカネで、もっと有用なことが、ほかになにができるのかを、農林水産省はかんがえねばならない。
1945年、敗戦でアメリカの農業マーケティング政策で、パン食の伝統のない日本の学校給食は、米食でなくパンにされた。日本は、飢餓線上をさまよっていたが、当時のオレゴン州などの小麦農家は、戦争が終わり、余剰穀物の捌きに苦慮していた。そこでアメリカは国を挙げて輸出戦略を、日本の占領政策とすりあわせたのだ。マーケティング史上最高の成功事例だった。
日本の米食の衰退はそこから始った。
投稿者 nansai : 13:23
2008年06月09日
ゴルフボールはオレンジ色がよろしいようで。
ぼくの数すくない楽しみの一つが、気の置けないクラブメンバー諸氏との、たまのゴルフである。コースまでは、電車を乗り継いで目と鼻の距離だから、メンバーがたりないとき声がかかると、「すわ鎌倉」とはせ参じることにしている 。

スコアはさておいて、ぼくは原色のオレンジ色のボールを使用する。
とにかく目立つ。前後左右、あらぬ方向に飛んでいっても、あわてずさわがず、遠くからでも見つけやすい。
毒々しいカラーボールの趣味がよくないのは承知だが、あわてもののぼくは誤球がしんぱいなのである。
ほかの人のボールを間違えて打つと、申し訳ない。バツがわるいだけでなく二打の罰が科せられ、自業自得とはいえ、ぎゃふんとなる。

「オーマイゴッド!」
じゃぽん。
池越えのホールで、ぼくのボールは、きまって入水する。
がっかりしながら池の端からのぞきこむと、水中にはほかにも無念のボールたちが死屍累々、あわれ「水漬くかばね」だ。
そのなかで、ぼくのオレンジ色のマイボールは、「ここだ、ここだ」とアピールするのだ。よおし、待ってろよ、とお玉がむすびつけてある竹ざおで、救い上げることができる。
そういえば、海難救助のボートも合羽も、目立つオレンジ色だ。
日がな一日、右に左にジグザグにぶれて転がるオレンジボールを追いかける。好天とよきパートナーに恵まれつつも、もみじマークのゴルフは忙しいのだ。
投稿者 nansai : 14:45
2008年06月02日
道路族、どげんかせんならん。
半世紀も前に、田中角栄が「コンピュータつきブルドーザー」で日本列島を蹂躙した結果、取り返しのつかない列島バブルを招来した。その手法DNAは、自民党「道路族」にしっかり受け継がれている。
「道路財源、多難な一般化」閣議決定骨抜きに「道路族の影」などと新聞に書かれると、ああまたか、何とか排除できないのかと、いやな気がしてくる。
マウスでこちょこちょ描いたが、この絵には、力がはいった。
そもそも首相が道路族に擁立されたのだから、なんといわれても、自民党は、「道路党」以外のなにものでもない。改革は口先だけ。積み重なる国の借金はどうでもいいのだ。道路族は、まず、「地方を切り捨てるのか」とすごみ、地方票を人質に、不毛な公共事業費を地方へばら撒き、目先の一票を回収する。
道路用の土地の手当てにも膨大な買い上げ予算がうごく。農地山林を買い叩くのではなく、気前よく税金で、買い上げるのだ。トーちゃん、日の丸だ。
ちょっと古いが、朝日新聞「経済気象台」の「四知」のコラムが歯切れよく、痛烈である。
「ちょうど雪山の頂上から転がり落ちた小石が急斜面の積雪を結集して、ふもとの村落を崩壊させるように、田中角栄が半世紀前に始めた道路建設のための特別目的税が、利権を求める政官業を寄せ集め、共同体の崩壊、地方の荒廃、格差の拡大、果てはこの国の衰亡を招いた。」
道路建設の特別目的税が、わが国の衰亡を招いたとまでいいきっている。そのとおりだ。
「この雪崩の慣性の強さは、三十年以上に及ぶガソリンの暫定税率をさらに延長しようとする大合唱にあらわれている。地方の首長のほとんどが継続を求めていることでも、利権の根深さに驚かされる。」
人気者の東国丸知事までもがである。
政治とは、しょせん、選挙の際の票を集めるために掲げた「大義名分」の裏側に潜む利権の分け合いなのだろう。道路、防衛、厚生、文教、と、なんとか「族」の前に「利権」といれてみると、なっとくできる。
声高に叫ぶ大義も正義も、その裏側のもっともな事情があって、つまるところ、利権の分け方の落とし場所をさぐることになる。
もっともらしい「大義」の裏になにがあるか。
イラク戦争も、中東に民主主義を、というブッシュのお題目を信じる人はいない。アメリカのねらいは、のどから手の出る石油だ。イラクは、世界三位の石油産出国なのだ。
「大義」なるものは、らっきょの皮をむくように、具体的に説明にかかると、見えてくるものがある。
悪名高い「後期高齢者医療」も、核心は、国として、さらにふえ続ける巨額な「終末医療費」をなんとか抑えたい、につきる。冷厳な事実を国民につきつけねばならない。
だが、ここは、医者として、見逃せない収益源でもあるという。いきおい奥歯にもののはさまったいいかたになる。
近年、専門医のあいだでも「濃厚治療」の弊害が指摘されている。国には、話をそらざず、説明する責任がある。
投稿者 nansai : 17:15
2008年05月28日
「源氏物語」は、発禁の書だった。

いまや国民文学となった源氏物語も「不敬の書」と非難を浴びた時代があったという。
なんというおぞましい国だったのか、日本は。
とても信じられない。
日経連載の「源氏物語一千年の波紋」は衝撃だった。驚き、かつ、昭和暗黒のあのころを思えば(覚えてはいないが)、さもありなんと思った。
昭和八年、坂東蓑助上演予定「源氏物語」が、突如、警視庁により上演中止命令が出された。理由は、登場人物が皇族であることだった。満州事変の二年後のことだ。あと八年で、あの太平洋戦争に突入する時代のいやな空気だ。
「天皇幻想を中心に国家統制を強めたい連中から、秩序を脅かす危険な物語」(日経)とレッテルをはられた。

臣下である光源氏が父帝の后と密通したうえ、その不義の子、冷泉帝が即位するという筋書きが、不敬文学というのだ。
昭和十四年には、谷崎潤一郎により「源氏物語」の現代語訳が嵐の中に出版されたが、これまた検閲のはさみに切り刻まれた。国粋主義者山田孝雄の手によるという。ぼくは国文学の大家だと思っていた。
源氏物語のころのハンサム像は、現代とは違う。
絵巻でみると、メタボ系の小太りでぽっちゃりした男性が、宮廷の女性のおめがねにかなったらしい。どうみても糖尿病予備軍だ。
専門医によれば、わが国の糖尿病第一号は、藤原道長だそうな。もてにもて、位人臣を極めたかれが、光源氏のモデルといわれている。
光源氏が、平成六年、国際糖尿病会議が神戸で開かれたときの記念切手に登場しているのはそんなわけだ。
源氏物語千年紀とは関係ない。
道長の現存する日記で調べると、運動不足と貴族社会の権力闘争に勝ち抜くための宴会づけがたたったのか。
国民病と国民文学。おあとがよろしいようで。
投稿者 nansai : 15:22
2008年05月21日
「食い倒れ人形」の婿いり先は、きまったのかな?

道頓堀の食堂ビル「くいだおれ」が突如閉店を宣言した。
皮肉にも、食堂の味を惜しむ声はあまりきかれなかったが、店頭で名物の食い倒れ人形「太郎」は、大阪を代表する宣伝価値が認められ、引き取り手が殺到しているらしい。
識者も入れた委員会で、婿入り先を検討しているとか。
なかでも、このところ人気上昇の通天閣が熱心だそうな。

大きなお世話だろうが、ぼくのアイデアは、こうだ。
人形はどこへ行ってもよいが、太郎のあのコスチュームを着て練り歩くパレードを、生まれ故郷の道頓堀に残しては?というものだ。ディズニーランドは、キャラクターたちのパレードで繁昌している。
食い倒れ伝統のピエロの衣装をそろえて、チンドン屋パレードが道頓堀を練り歩く。
三人編成か、大行列か。毎日か、毎週か、年に何回か。趣向はさまざまだ。悪乗りすれば、アイデアはぞろぞろ無限だろう。もちろん、チンドン屋は本職のぶかぶかどんどん楽隊演奏も捨てがたい。
戦前にたしか「道頓堀行進曲」というのもあったなあ。

頼まれもしないのに、ぼくのおすすめは、こんなんどうかなあ、だ。
太郎と同じ衣装を用意しておいて、素人参加のチンドン屋大行列がおもしろい。京都の葵祭りにくらべれば、いささか品格にかけるが、まあいいんじゃないの。
何十名何百名の「食い倒れ太郎」のクローンたちが、えんえん、ぞろぞろ行進するのは、テレビの絶好の被写体になりそうだ。
シロウト参加には、条件をつける。おそろいの貸衣装代として、パレード参加料を申し受けるのだ。
アジアはおろか世界の観光客をひきつける道頓堀の目玉イベントになるかも。
なんせカネがかからないのが一番やおまへんか。

「昭和30年の大阪」(三冬社刊)という写真集が出た。表紙には、街頭を練り歩く「食い倒れ」チンドン屋の白黒写真がのっていた。へえ、こんぐらがってきた。ミナミに弱いぼくには記憶がない。電気仕掛けの人形とチンドン屋と、どっちがさきだったのだろう。
太郎は、ついに郵便切手になるらしい。
虎は死して皮を残す。「くいだおれ」食堂は六十年の歴史を閉じて、名物人形「太郎」を残したのだ。
投稿者 nansai : 17:08
2008年05月20日
風薫る五月は、同窓会の季節だろうか。
ことしも旧制中学の在阪同窓会に出た。律儀な幹事の誠意にほだされたのだ。
古希をとっくに過ぎた旧友たちは、昭和一ケタ生まれ、押しも押されぬ「後期高齢者」だ。
昭和戦争末期の入学だから、長年見慣れた顔ぶれも、年々数も減って五人。いずれも甲羅の苔むした亀の面構えだ。


この年齢の同窓会は、野戦病院のようになる。
外見は元気だが、ほとんどが何かの疾患をかかえ、手術などを経験している。これまで何回も繰り返された思い出話がとぎれると、聞きたくもないが、どうしても話題が病気のほうにゆく。脳、胆のう、部位はいろいろだが、まるで手術の手柄話だ。
ぼくらは、戦時下の旧制中学に入学、校訓は「純忠、至誠、剛健」だった。何しろ中原中也が素行不良で一年で放校された学校だ。
校庭で毎朝、天皇陛下のいます宮城へ向かい、うやうやしく東方遥拝のあとに、校訓を唱和した日々。
戦況苛烈となり、ほとんど学習しないまま勤労奉仕、学徒動員、敗戦による引揚げ、軍学校からの復学、転校生受け入れ、占領下の633学制改革、でも共学とは無縁のまま、青春とは程遠い学園生活を、時代に翻弄された。あの頃は、食料難にくわえて、友人たちの間に、結核が猛威をふるっていた。
しかし、ごく平凡なふつうの少年としては、天皇の名のもとに「東洋平和のために」戦争に駆り出される心配がなくなったのは、最大のしあわせだった。
地方都市では、時代も、本格受験戦争勃発前で、参考書も塾も予備校もなく、貸本と映画いがいに娯楽もなく、空腹と胸に将来へのばくぜんとした不安をかかえつつ、ふらふらと毎日を過ごせた。いくつか年上の先輩たちのように、赤紙一枚で狂った戦争に引っ張り出されたのにくらべれば、あれはあれで、最高によかったのかなあ。もちろん亀さん同士では、こんな話は一度もでない。戦争への意見も、わかれるからだ。
空襲はまぬがれたのに、戦後の土建国家政策で、市内に道路が縦横無尽に敷かれ、百年の伝統を誇った母校も郊外に移転してしまい、跡地には思い出のよすがになるものは何も残っていない。

最近とみにしょぼくれてきたように見受けられる昭和ひとけた組にくらべ、「前期」高齢者の年下の友人たちは、いたって元気がいい。
高齢者といっても、前期と後期のあいだに、見えない壁が存在するのだろうか。
勤めから開放され、大学で学びなおしたり、海外旅行、趣味の合唱、ゴルフと、第二の青春を謳歌しているように見える。
聞いた話だが、その元気なかれらでも、そろそろ同窓会はやめようや、という声が出始めているという。
せっかく集まっても、うっとおしい会合になるからだろうか、そうか、同窓会にも「定年」か。

五月。もうひとつ在阪同窓会がある。
先夜、幹事からぜひ出るようにと催促の電話がかかってきた。出たところで、知らない年下の連中ばかり、幸薄く母校意識の希薄なぼくらの年度の卒業生はちらほら数えるほどになるだろう。
ふしぎなことに、同窓会で元気のよかったやつから死ぬ、ということもある。勲章貰って、奥さん同伴で宮中に参内して感激していた同級生も、なくなって数年たつ。
ちなみに、長寿のシンボルのカメたちだが、この絵はグーグルイメージの写真から、スケッチした。
みよ、矍鑠たるガラパゴスゾウガメの勇姿。
カメは、代謝のサイクルが遅く、動物の中では長寿の代表格だとか。長寿記録は、オーストラリアの動物園で飼われていたガラパゴスゾウガメのハリエットの175歳。心不全で昇天した。
投稿者 nansai : 14:37
2008年05月19日
ビリケンさんのトラキチ版を描いてみた。

頭のてっぺんがとんがっていて、目の釣りあがった異相のキャラクター「ビリケン」。かれは、意外にもアメリカ生まれなのだ。
「ビリケンさん」は幸運の神さまだ。七福神にひとつ足して八福神とよばれることもある。
ビリケンさんの足の裏をこちょこちょとくすぐると幸運が訪れるといわれる。手が短いので足の裏がかゆくてもかけない。といわれるが、このくだりは大阪の発明かなあ。

最近、新世界が観光の人気らしい。ランドマークの通天閣に鎮座して、いつのまにか日本に帰化?したビリケンさんは、幸福の神さんとして、大阪のシンボルのような存在になった。
新聞で知ったのだが、池田市が市制70周年を記念して、「ビリケンさん」の像を制作し市内の公園に設置することになったらしい。
もとはといえば、二十世紀初頭に米国カンザスシティの女教師が考え出し、どういう星のめぐりあわせか、当時、幸運を呼ぶ人気絶大のマスコットになったらしい。百年前の話である。日本でいまはやりの「ゆるキャラ」ブームの元祖か。
その後、セントルイス大のフットボールコーチによく似ていたとかで有名になり、現在はいろいろな同大学の運動部のユニホームに採用されている。ネット上にもキャラクターグッズの売店もある。一切の商標権は、同大学にあるという。同大学のウエブサイトをみてほしい。

唐突ではあるが、ぼくも、阪神優勝を祈念し、いちびってトラキチ版のビリケンさんを描いてやろうと思い立った。未公認タイガースグッズとして、ぼく流にアレンジした。
杉山投手が登板する夜とか、負けが込んできたときには、祈りながらビリケンさんの足の裏をこちょこちょとかいてあげよう。霊験あらたか、まちがいなし。
著作権がいろいろうるさいこのごろだが、アイデアとは、いまあるものの組み合わせなのであるからして、
盗作にはなるまい。セントルイス大学には、ビリケン剣士のちょんまげ版を、仁義をきって描いておいた。

ビリケンさんは、いちはやく日本にやってきたようだ。
日本では、明治45年にオープンした新世界の遊園地ルナパークに「ビリケン堂」がつくられ、ビリケン像が安置された。その後火災で行方不明になっていたが、1979年に再建された通天閣に復活したそうな。
それはそうとして、はて、トラキチ版のニックネームをどうしよう?
なんぼなんでも、「ビリトラ」は、まずいか。

ついでのおまけに、ビリケンさんにオールを持たせてボートを漕いでもらうことに。
いよいよ京阪電車新線の開通が秋にせまり、天満橋の八軒家船着場が脚光をあびているが、そこにボートを漕ぐビリケンさんを呼んできたらどうじゃろ、という八軒家南斎のくだらないアイデアなのだ。

投稿者 nansai : 15:20
2008年05月15日
葉ぎれのいい完全無農薬サラダはいかが?
抗酸化物質を増やす「ヤノハラ新野菜」がようやく実験農場から出荷のはこびとなった。20年間研究を続けてきた考案者の矢野原医学博士の新農法農場が動き始めた。おめでとうございます。

隣のイタメシレストラン「マリアン」で、さっそくメニューにサラダとしてどかーんとデビューした。
大阪では、当店がはじめてである。葉があつくて、さくさくとして歯ごたえがあり、野菜の甘みが口に広がる。
みずみずしい大振りな野菜に目をとめて、店頭でも買ってゆく人が多い。
ふつうの水耕栽培とはちがうのだ。
野菜に太陽光いっぱい浴びせる独創の農法。当然アブラムシなど害虫が襲ってくる。そこで、新装置により野菜を電動であげおろしさせ、葉っぱをまるごと水没させて害虫を窒息死させる。だから、完全無農薬。
人間の腸のぜん動運動のように、培養液が微妙に振動させられて、根を刺激する。有機肥料が主体だから、
栄養価が高い。ほうれん草なら1メートルまで育つという。
ヒトの組織を傷つける活性酸素を打ち消す酵素の働きが、太陽の下で栽培するこの方法では高まってきたといわれ期待されている。
ぼくの常識では、医学博士の雄大な発想はよくのみこめてはいないが、「ヤノハラ新野菜」の市場導入を祝ってポスターをデザインした。
とれとれ絶対安全は、保障できる。
投稿者 nansai : 12:05
2008年05月09日
阪神に、神のご加護。これでいいのか?

うわー、思わず、眼をつぶった。
昨夜の巨人阪神戦ナイター、阪神二点リードの7回の東京ドーム。ラミネスの大飛球が左翼席フェンスぎりぎりを襲った。
走者二人をおいて、はいれば逆転のツーランだ。
でも、どうしたことか、大飛球は外野席には飛び込まず、球は転々戻ってレフトの芝生に落ちた。
最前列のトラファンが打球に手を伸ばしたらしい。
ようやるわ。テレビではよく見えなかったが、球をつかもうとしたのか、球がその手をすり抜けて、はねたのか。
審判の判定は、打球はフェンスを越えていなかったが「お客の妨害があったため、二塁打とします。」
本塁打が認められず、二塁走者が生還しただけ。
助かった。でも、後味はよくない。
巨人ファン怒るまいことか。
その前に、大きなドラマがあった。
3回、金本の頭部を、木佐貫投手の速球がまともに、襲ったのだ。
かわしようもなく、ヘルメットを直撃し、バッターボックスにくずれおちた金本をみて、みな真っ青に。
しばらく動かず横になっていたが、鉄人金本はそのまま歩いて一塁に。
おどろいたのは、次の打席でのお返しの本塁打だ。
巨人投手がびびるところを逃さず、フォークをライト席にライナーでホームラン。
解説の掛布がすごいとしかいいようがないと、鉄アタマ男に脱帽なのだ。
大リーグでは、もし客が手を出していれば、いわゆる「神の手」といって、退場になり、本塁打が認められるらしい。
これにヒントを得て、不謹慎だが、タイガースグっズを開発した。
外野ファン専用の大うちわだ。
攻撃時には、ここへ打って来い。と絶叫。

ラミレスが打席に立てば、くるりと裏返して、くるな、返れ。進入禁止か、せこい発想だなあ。

さて、トラの足の裏は、どうなっているか。
ほんとうは、神ならぬ「トラの手」と称してホームラン跳ね返しグラブを考えた。デザインはトラの足の裏がいい。だが、どうみても、スポーツマンシップにもとり、違法であるからして、ボツにして無難なものにした。
勝った、勝った、また勝った。
巨人戦に連勝しても、タイガースファンはどこか不安なのである。何かがどこかで間違っていると思ってしまう。
油断は、大敵。中日もぴったり追尾してくる、まもなく巨人も息を吹き返すだろう。
根が心配性で、「世の中いいことがそんなに長く続くはずがない」と、ご先祖様にいわれるまでもなく、関西で阪神を何十年とひいきし続けていれば、緒戦で破竹の勢いが、あっというまに、くしゅんとなるのは、太平洋戦争の例を引くまでもないことは百も承知なのである。
押さえの久保田が打たれている。
いまのところ絶好調の40歳トリオは、おそらく今年がピークだろう。まもなく訪れる厳しい夏場を老骨が乗り切れるだろうか。かれらは、野球の世界では、後期高齢者だ。
トラキチ取り越し苦労のタネはつきない。
投稿者 nansai : 15:40
2008年05月02日
座布団一枚の寄席。満員御礼。

川向こうの落語専門の天満天神繁昌亭が、朝ドラの影響もあって、ご婦人方に人気で大繁盛らしい。
いってみれば、ぼくのこのサイトも、座布団一枚しかない寄席の小屋のようなものだろう。
定員一人で満員なのだ。座付き作者のぼく以外に、客はいない。
つまり演者、イコールお客。
新作落語?を、ぼくが演じ、ぼくが客だ。
落語の「寝床」を地でゆく。ただ義太夫は下手でも、長松どんに迷惑をかけないココロ意気なのだ。
絵になりそうな演題をふと思いついたら、そそくさと即、開演である。その即興性、浅薄軽率さが、マウス絵の最大特徴だ。
そのひとりよがり、してやったり、の絵が、つかみ、マクラである。
マクラ絵が、すじにすこんとはまると、演者はうれしい。が、たいていは、しくじる。
「屁をひっておかしくもなしひとりもの」ではあるが、
自作自演の場合は、唯一の見巧者の客であるぼくに受けねばならぬおきてなのだ。きびしい。

毎度、ばかばかしいが、一回こっきりで消えるハナシだから、しばらくたつと、なんでこんなトピックにこだわったのかわからなくなること、しばしばである。
でもおもしろいのは、そんなくだらぬハナシがデジタルのおかげで、サーバーに散逸もせずアーカイブされ(しばらくは、だが)こうして記録再現できることだ。
この絵巻サイトを、だらだらと横スクロールしてゆくと、長さでは、とっくに天満橋は越えたはずだ。
裸の王様がひきずっている長いローブのようなものか。だれの目にもみえないから。

そんなわけで、ぼく自画自賛のつかみの絵が話題にのぼることはまずないのだが、題によっては、グーグルのサーチエンジンが、ひろいあげていることもある。
先日もグーグルの「映像」に「トラキチ」といれてみたら、ゴマンとあるごみの山に、かつて描いたぼくの絵が数点まざっていた。思わぬ再会である。
あれはロボットが機械的にひろうそうで、絵の巧拙は関係ない。

気まぐれなぼくの脳裏に、ふっとスジとまくら絵のアイデアが浮かんだら、こちょこちょと、マウスを動かす。気分と気合だ。
投稿者 nansai : 17:44
2008年04月24日
造幣局桜の「通り抜け」

いつもは閑散としている天満橋駅がどっと人の波でにぎわうのは、天神さんの夏祭りのほかには、造幣局桜の「通り抜け」のときだけである。
あちこちの桜が散った後の桜見物に、八十万人の善男善女がどっと繰り出してくる。満開の370本、125種の遅咲きの八重桜がお目当てだ。日本中から集められたときく。
見物は夜桜が本来だろうが、ふと思いついて、あえて大混雑の日曜日の白昼に単身突入をこころみた。
軽率にも、いつものとおり天満橋駅を降りて天満橋を渡ろうとした。
これは無謀というもので、天満橋は、人の河の交通規制でとても渡れない。迂回して東の川崎橋からようやく造幣局前の広場へ。縁日のような混雑だ。
こんなに人が集まるのは、花もさることながら、無料公開ということだ。だが、構内は、飲食禁止、食べ物はしまってくださいとアナウンス。ひたすら歩くだけ。さくらの下にござをしいて車座になって、さわぐこともできないから。場所取りも必要ない。
いまの花見は、見るより、撮る時代か。
みなケータイやデジカメで写真を撮るから、行列がすすまない。

大混雑にも平然と老夫婦が「これが、話題の雨宿りか」などと、花の前で立ち止まり、名札を一つ一つ確かめて楽しんでいた。
ぼくなんか花を撮る人々の写真を撮るのに夢中で、どの花もほとんど同じにみえてしまった。デジカメの液晶画面は、まっくらでなにもみえないから、やたらめくらめっぽうに、シャッターを押す。
あとで、造幣局のホームページをみたら、さくらの樹の一覧が、「あずまにしき」「あまぎよしの」から始って、解説つきでアイウエオ順にのっているのを発見。、まるでさくら図鑑だ。生きた花を満開の現場で見上げても、この多様な品種の差は、門外漢のぼくの目ではとても見分けられない。

親切に中国語のアナウンスもきこえてくる。「通り抜け」もグローバルになったのだ。
のろのろ牛の大群にむかって、写真なんか撮るのをやめて前へ進んでください、と絶叫する場内整理のおっさん。ごくろうさんなこった。
造幣局は、明治の文明開化の象徴だった。近代化学発祥の地ともいわれている。

構内には、さくらが植えられていた。明治16年に時の遠藤謹助局長の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともにたのしもうでないか。」(同局ホームページ)の提案で構内の桜並木の一般公開が始った。
戦災で何もかも失った大阪で根付き、これだけの人を毎年集められるのはすばらしい。
思いつき一過性のイベントでは、決してない。
花見は、文化遺産なのだ。
腰をすえて、花の寿命二十年三十年を見据えて、ソフト、ハードがともにそろわないと、こうはいかない。
しかも、それが明治初年から連綿と125年も続いている。国がバックアップする条件がととのっていたとはいえ、すごいことだ。
大阪文化再建のお手本が、ここにある。
「水都再生」が、叫ばれて久しい。
だが、うわすべりの思いつきイベントに流れてしまっているようだ。橋下知事が「イベント後の効果が不透明」と批判して「水都大阪2000」の実施計画案に反対した。
ぼくは橋下知事の反対意見を全面的に支持したい。
カネがかからないからといって、補助金を出して、終わってしまえば、単なる思い付きはいっさいが揮発して何も残らないことになる。
赤貧にあえぐ自治体が、ほかの喫緊の出費をさしおいて支援する価値はない。
ハードあってのソフトだ。リピーターをひきつける魅力ある持続的な都市文化を、大阪に根付かせねば。
この十年の失政で、なにやら文化的お題目のついた中身のないハコモノが、むなしいカネ食い虫であることは、国も地方自治体も思い知ったはずなのに。
京阪電車西口で、「造幣局桜の通り抜け」の臨時案内表示がふと目に留まった。

ふうん、造幣局は、JAPAN MINTか。覚えやすいな。英語と漢字の字画?の差がおもしろいと思った。
ついでながら、「通り抜け」の英訳は、
view‐throughとしてみたらどうだろう。(ドライブスルーというではないか。)よけいなことだが。
世界でもワシントン、ニューヨークでも、さくらが人気だ。中国からも花見客が訪れ始めている。枯れ木のように何もない大阪を花の町にできるかなあ。
そういえば、むかし南港の天保山は、花の山だった。いまも、「世界で一番低い山」が売りだ。ここは江戸時代大川をさらえた土砂を積み上げた人口の島で、そこにさくらを植えた。
おおさらえに従事した人たちの粋なはっぴの衣装が資料に残っている。いま荒涼とした南港で花の山は、想像しにくい。大阪では、ここまで風景は変わるのだ。
投稿者 nansai : 13:14
2008年04月17日
500円玉の値打ちを考える

このところ、ぼくは悪名高い「長寿医療制度」の恩恵により、腰痛の整骨治療に通っている。
この制度について厚生労働省はこう説明している。
これまで長年社会に貢献してこられた方々の医療費を、国民みんなで支える「長寿を国民皆で喜ぶことができる仕組み」(原文のまま。)と。
思いもかけぬ世論の沸騰にびっくりして、急きょ書き直したにちがいないが、ありがたいことではないか。
ぼくにしてみれば、従来どおり五百円玉ワンコインで整骨治療が数分受けられるのだ。
若い先生のタッチの妙というか、もむわけでなく、ほぐすわけでなく、どこがどうなっているのか知らないが、あちこちをさわりまくるだけで、あら不思議、老骨が95%回復してきた。

あとちょっと、小腰をかがめたり、低いいすから立ち上がるとき、あいててて、というほどではないが、ぴぴぴと違和感信号がくる。完治まで、もうちょいである。治療中の絵も、なかなか、うまく描けた。青いほうがぼくである。ねんのため。
前回は、中途半端のまんま、無謀にもゴルフコースにいきなり出て、その翌日から、あいてて、と寝返りが打てない元の木阿弥となった。あの苦い経験を繰り返すまじ。

このありがたい長寿医療制度は、趣旨がわかるように説明されていないため、いまや高齢者からの怨嗟の的である。へんにかざらずに、本音を正直に言えよ、という声もある。
年寄りに死ねというのか、といきまく向きもあるが、ま、いずれお迎えが来るのだ。
問題は、本人にも、家族にも、国、自治体、医療機関にとっても、たいせつな究極の終末医療をどうするかである。この制度がうまくはたらいてくれるだろうか。
国は、年間死亡者100万人の終末期医療費およそ9000億円を抑制したいのが本音。
でも、そのための在宅医療支援って、インフラがととのっていないいま、はたして、うまくゆくかなあ。
救急車が搬送する病人を病院に受け付けてもらえず、うろうろするさまがダブってみえてくる。
海外のインターネットをグーグルであけてみると、
good deathというテーマが、なんと、2千880万項目あがっていた。
ちなみに、トップにはBBCの健康特集「グッドデスを迎えるには」があがっていた。PDFで冊子が読める。
21世紀、人類最大の関心事、究極の健康問題は、
不老不死ではなく、good deathなのである。
厚生労働大臣には、あまりに荷の重すぎる課題だ。
さて。
投稿者 nansai : 15:04
2008年04月15日
さいなら、さいなら、くい倒れ太郎
道頓堀の食堂ビル「大阪名物くいだおれ」が突然閉店を宣言。ニュースが流れて驚いた。創業六十年、「そろそろ定年を迎え、お役目を終えたようです」と。

何で?寝耳に水だった。
道頓堀といえば、あんなにたくましく猥雑で、食い意地の張った人にあふれ、にぎやかな通りなのに、経営は、もう限界だそうな。わからんものだ。
店よりも、名物の電気仕掛け人形「食い倒れ太郎」の行き先が、話題となっている。
昭和25年に「これからは子供が大事な客や」と、客寄せのための人形を創業者が考案した。残して欲しい、さびしいという声が高い。
店では、プロジェクトチームをつくって、太郎の身売り先を探すという。

思い切りよく退陣のように見えるが、道頓堀を歩く客層が変わり、家族経営の限界から赤字もかさんできたから、
「もう定年や」と割りきったのだろう。
ほかにやりようがあったのではとは、余計なお世話だ。ごくろうさん。
ランドマークの人形の前で写真だけ撮って、かんじんの食堂に入らない客がほとんどではねえ。さっぱり商売にならんわけだ。全盛期の半分に売り上げが減ったそうだ。
かんがえてみると、キタが地盤のぼくは、大阪で半世紀暮らしているが、ミナミのこの超有名店に入ったことは一度もなかったのに気づいた。

道頓堀はめったに歩かなかったし、この店の前を通り過ごしただけだったなあ。「名物?にうまいものなし」だったのか。
ぼくも老いたし、食堂ビルも時代の客に合わなくなったということか。
親しみやすい人気はさることながら、モデルは、杉狂児だったとか。
もともとぼくの好みからいえば、食い倒れ太郎は、どう見てもチンドン屋で、顔も衣装も、あまりに洗練されていず、そこが愛されたのだろう、全国メディアに親しみをこめた軽侮のまなざしでことあるごとに大阪のシンボルとして取り上げられるのには、忸怩たる思いがあった。
しかし、太郎は、「大阪といえば思い浮かぶことランキング」調査では、

堂々?の8位にランクされている。
たこ焼き、大阪弁、吉本芸人、お好み焼き、通天閣、阪神タイガースファンに続いてだ。
あとには、「おばちゃん」と続く。
吉本と粉もんと阪神に頼る伝統も結構だが、21世紀には、なんとかならんのか。新しい大阪の文化のシンボルよ。
他府県からの眼には、これに「暴力」の町というイメージがつきまとうのだ。
江戸時代から連綿と続いた道頓堀の昔の情緒も消えた。残る老舗もわずかである。
新しい大阪のメッカは、関東から攻め下ってきた電器量販店だ。アジア、いや、世界から、ショッピング目当ての観光客が集まる時代だ。通りのあちこちから耳慣れない外国語がきこえてくる。

戦後焼け跡から復興し喧騒と繁栄の渦の中心だったランドマーク道頓堀。
その裏も表も、戦後60年の長きにわたって黙って見つめてきたのが、食い倒れシンボル太郎さん。
とうとう定年か、ごくろうさんやったなあ。
いさぎよく、後進に道を譲ってくれてありがとう。おあともよろしいのではないか。
さいなら、さいなら、さいなら。
投稿者 nansai : 13:15
2008年04月09日
エイプリルフールと長寿医療と、なにか関係あるのかな?

四月一日は、エイプリルフールデー。ユーモアの本家英国は、まじめにやるからおかしい。
ことしBBC放送がCGの技術の粋をつくしてつくりあげた空飛ぶペンギンたちの映像が話題になった。。
放送はすぐ終わったが、ユーチューブでみてみよう。
南極のペンギンの大群が、こけつまろびつ、いっせいに離陸して、やがて空を舞う光景は圧巻。BBC製作スタッフの力作だ。

ペンギンたちは、大挙して南極から数千キロを飛んで、そのまま熱帯アマゾンの密林に降下というふざけたコマーシャルである。

BBCウエブサイトには「あなたが英国在住でないとみれません。」とあるが、べつにロンドンに住んでいなくても、四月一日過ぎても、いまは国境を越えユーチューブでくりかえし眺められる。
ぼくは、蛇足ながら思いついて、南極のペンギンが空を飛んで熱帯のアマゾンのジャングルに降下したシーンをフルカラーで描いてみた。ペンギン降臨の図。オリジナルBBCのペンギンCMは、早くも不朽の名作の呼び声が高い。
あれはおもしろかったなあ。と、いまだに語り継がれるBBCのエイプリルフールの最高の愛すべきケッサクは、いまから50年前、放映された「スパゲッティの樹」だ。
英国では当時まだめずらしかったスパゲッティが、スイスの湖畔で栽培されているという筋書きで、地方の衣装を着た女性たちの収穫風景を放送した。樹からつるされたゆでたスパゲッティを、丁寧に摘み取ってかごに収穫するという念のいれようで、800万人が見たそうだ。まともに信じた人も多かったとBBCのウェブサイトにのっている。BBCはいまだに当時の記録をアーカイブし、引退したプランナーの声を紹介しているのがすごい。

さて、この四月から、ボクは、「コーレー」ペンギン族の仲間入りした。冗談ではなく厚生省が「後期コーレー者医療制度」をスタートさせた。
紙質ぺらぺらの薄い保険証が送られてきた。
これからペンギンのようによたよた杖をついて歩くお仲間は、増える一方だろう。1300万人もいるということで心強い限りである。東京都の人口なみだ。
しかし、なんぼなんでも名称がロコツすぎる、早く死ねといわんばかりだなどと、批判が出たとかで、高齢の福田首相が「長寿医療制度」と変更するように指示したそうな。
ま、いいじゃないか、どっちでも、とぼくは思う。
見切り発車のため、ちんぷんかんぷんだった説明不足を補うのに20億円以上の経費がかかるらしい。
年寄りが増えて、国も困っているのだ。

いよいよ体力の限界がきた後期高齢者1300万人に、医療費が、年間11兆400億円かかる。寝たきりも、これから増える一方だろう。
「長寿」高齢者と呼び方を取り繕っても、現実には年間100万人近く死亡する。医師会によれば、一年間の終末医療費は、9000億円に達するらしい。
こうなると、国は、もう面倒見切れない。それは正しい。どうか自分の始末は自分で、ということだろう。親に負担力なければ、知らない若者世代のせわになるのではなく、むかしから子が、死ぬまで面倒をみた。
国には、バックアップをしてもらいたい。天涯孤独でセーフティネットの必要なひとたちには、それなりに手厚く。おそらく全体の一部だろう。

だから、税金の無駄な出費を絶つ。正しい優先順位で使う。当然、役人と政治家のつるむ無駄使いはやめて、老人医療などもっと切実な使途に税金を当てよう。
クマしか通らず車の走るのを見かけない道路はいらない。むしろ、高齢者医療のほうがだいじではないか。道路という地方利権の分捕り合戦などは、もうやめてもらいたい。
政党は気づいているのか。とくに都市部の大病院の待合室には、おびただしい数の不安げな高齢者がひしめいて診察の順番を待っている。人口の8割は都市部に集中する。せまりくる高齢者問題は、都市問題なのだ。
粗末にあしらわれて怒れる後期高齢者はこわい。
「地方の切捨てか」などとおどし、目先の一票に目がくらんで、自民党は、田中角栄的な地方への利権ばら撒き政策を続けるゆとりはないはず。
投稿者 nansai : 16:08
2008年03月25日
大阪府庁内で職員が仕事中にタバコを吸う権利をぼくら納税者は、どう考えたらいいか?喫煙時間を機会損失として、お金に換算すると、さて。
先立っての休日、テレビの午前のワイドショーをみていたら、大阪府橋下知事の全面禁煙政策をめぐって、盛り上がっていた。

ことのしだいは、こうだ。
橋下知事が世界禁煙デーの五月三十一日をもって、庁内と出先機関を全面禁煙することにした。タバコを吸える休息時間を廃止するために、公務員の休息条例改正案を提出する予定という。
休息条例は、国や大多数の都道府県ではもう廃止されているらしい。府民の税金をもらって仕事する職員としては、庁内禁煙はあたりまえだと、納税する立場のぼくは、思っていたのだが。
ところが、ぼくが驚いたのは、禁煙の話題の意外な成り行きだ。
ジャーナリストの0さんが、自説を展開する。
全面禁煙はファッショである。あのナチスは、禁煙政策だった。橋下知事はやりすぎだ。権力を握ったものは、よく考えねばならん。

それを受けて、司会の落語家が、突然、自分はタバコを吸わないが、執務時間中の禁煙は反対だと言い出した。なぜなら、職員の士気が落ちて仕事の能率にひびくからだと。居並ぶゲストたちが、座の空気を読んで、いっせいに、「そのとおりだ。」と。
その場の流れでは、府庁内の全面禁煙が、行き過ぎで、いかに悪逆無道な方針かということになってしまった。大阪局のワイドショーは、司会者の仕切り方でときにこんな風に迷走する。
庁内禁煙がファッショ?そこまでいうかと、浅学菲才のぼくはびっくりした。
さっそくウイキペディアをみると、たしかに「禁煙ファシズム」という項目があって、ナチスの優性思想にもとづく政策だとか、当代一流の評論家の先生方が「過剰防衛的な社会」を批判している。先生方としては、マジでむきになっているのか、それとも軽い揶揄かユーモアのつもりなのだろうか。よくわからない。
テレビをみながら、あきれるよりも、こりゃたいへんだと思った。
庁内禁煙にかぎらず、そもそも大阪に「改革」はなじまないのだろうか。
何かを変えようと思ったら、「民意」が当てにならないし、裏切られることもある。ヨシモト調の軽いノリで、大阪の「民意」は、簡単に操作される。横山ノックに驚天動地、前代未聞の250万の票が集まったしなあ。ようわからん。
タクシーの禁煙も、大阪は及び腰で足並みがそろわない。
大阪のタクシー会社110社にアンケートしたら、74%が反対だそうな。「喫煙客を他社に採られる」というのが理由だ。
投稿者 nansai : 13:51
2008年03月24日
おっと、ふまないで。芝生は芽吹く準備中。

ぼくらは、北大江公園のはとである。
花には早いが、春がきた。公園の西側の空き地は、芝生が枯れて土がむきだしになっていて、そのうえを、小さな子たちがキャッキャと走り回っている。
空き地には、見た目には気づかないが芝生の種がまかれているらしく、回りに柵がたててある。大切な芽吹きの時期とあって、小さな看板があちこちにぶら下げてある。ぼくらは、立ち入り禁止ということか。「養生」というのだそうな。

おやおや、向こうではお母さん方が、乳母車をひっぱりいれて、お花見には早いが地べたビニールをしいて、おしゃべりに夢中だ。
なんやの、「ご協力」って?
看板は、目だたないからなあ。無視されてしまった。
青々と芝生のしげる五月まで、ミミズなどご馳走はおあずけはつらいな。
ハトには、看板は読めないから、仲間は、もう、土の上に舞い下りて、エサかなにか、つつき回している。

投稿者 nansai : 10:56
2008年03月18日
「この人チカンです。」といわれたら!

昨夜の朝日新聞大阪版夕刊によれば、満員電車で女性に告発されたら最後だという。ほんとうなら、おそろしい。身に覚えがなくとも、「痴漢冤罪」を防ぐのは大変だそうだ。「絶対大丈夫な方法は、ない」とつれない。
「あなたは痴漢冤罪から身を守っていますか」
通勤中の男性たちに駅頭で、同紙がアンケートしている。
情けないことに「混雑時は女性に近づかないこと」という笑えぬ自衛策もあった。触らぬ神にたたりなし。なるほど、ごもっともだが、なんだかへんだよねえ。

そんなわけで、満員電車で男が身を守るには、つり皮を両手で持つか、グリコ式お手上げが一番、のようだ。両手が腰から下だと真っ先に疑われるから。
幸運にも無実が立証された人の例をきくとぞっとする。
駅長室で身の潔白を証明しようとしたが、いきなり警官が来て、有無を言わせず、手錠、腰縄で連行されたという。留置所にいれられ、おぼえがないと、否認を続けると、48時間拘留されることも。これは、まいるよなあ。
「やっていないと訴えても警察はきいてくれなかった」と被疑者は訴える。
推定有罪がまかりとおるのだ。被害者の言い分が最優先されるから、加害者と目されてしまうと本人の自己弁護は困難な状況になる。無罪を証明する証拠を100%そろえねばならない。専門語?で「悪魔の証明」というのだそうな。
なんや。たかが「迷惑条例違反」ではないかといいたくなる。警察も裁判所も、なんだかヒステリックで異常ではないか。この殺伐な社会で、「迷惑」がそれほどの重大犯罪かなあ。もちろん困ったことではあるが。
一方的告発で駅長室から連れてこられた被疑者を居丈高にいためつける調べが、いじめのようでバランスを欠いているとしか思えない。
忙しいはずの警察も、もっとほかに未解決の重要事案があるだろうに。と、人畜無害の「後期高齢者」に分類されたぼくが、口をとんがらせるのもおかしなはなしだ。
疑われると、定年間際のサラリーマンが、あわや一生を棒に振る場面に追い詰められる。おかしい。冤罪ならなおのことだ。このごろでは、自称、被害者、目撃者がぐるになって、気の弱そうな男性に眼をつけ、示談金を狙う新手もあるそうだ。
映画「それでもボクはやっていない」(周防正行監督)が日本の裁判制度をえぐって、評判だったらしいが、どれだけ世論を喚起しただろうか。

いったいどうなっているのか。ネットで調べたら、あるわあるわ、もうすでに、いろんな角度から、痴漢冤罪の回避法が寄せられていた。
こんな笑えぬへんな話、海外ではどう扱われているのだろうか。もしかして、痴漢は、日本人だけのユニークな珍現象では?と思い、グーグルにあたってみた。
CHIKAN。日本語の「痴漢」にずばり当てはまる英語は見当たらぬらしく、海外のメディアは、むしろ痴漢対策におどろいているようだ。
「女性専用車両」は、日本で発明された奇想天外なアイデアだ。導入時には、ロンドンタイムズ電子版、ABCニュースなどに、「オールウーマントレーン」と紹介された。導入の背景は、SUKEBEが増えたからだとある。わが国の通勤電車は、清潔で正確なことで、世界から賞賛を浴びているのに。
ウイキペディア(英文)には、標識「ちかんに注意」(千葉西警察署管内防犯協会)と女性専用乗車口のプラットホーム標識(大阪)がめずらしいとみえてでっかくのっていた。
通勤時のぎゅぎゅう詰めの満員電車は、先進国日本独特の奇観であろう。
でも、ロンドンの地下鉄のように爆弾騒ぎにおびえなくてもすむし、こりないチカンたちの「迷惑」行為は困ったものだが、つくづく平和はありがたいと思いませんか。
投稿者 nansai : 14:34
2008年03月12日
ホワイトデーって、なんだ?
誰かが仕掛けたに違いない。かねがね胡散臭いと思っている行事?に、ホワイトデーがある。なにやらバタくさいが、欧米にはない行事だ。
三月十四日に、バレンタインデーに貰ったチョコレートかなんかに、お返しをしなくてはならないと、誰が決めた?
ネットで調べたら、でっちあげ犯人は、すぐ割れた。1978年、全飴協、つまりキャンデー、アメ菓子のメーカーたちが、アイデアを出して柳の下のどじょうをねらったのだ。

チョコレートの売れ行きに指をくわえていてもしかたがない。純国産の「ホワイトデー」というネーミングが覚えやすくヒットして、結構売れたとホームぺージにのっている。
日本独特の「お返し慣習」に目をつけたのはえらい。
今もアメ菓子がお返しの主役とは思えないが、女性から「モテルお返し」はなんだとネットなどで特集されている。ブランド物のハンカチとからしい。
人間とはあさましいもの。「チョコレートをもらった、自分に気がある」と早とちる、うぬぼれが問題だと、ベテランコンサルタントは指摘する。
「義理チョコだったのに、ホワイトデーに会社の前で待ち伏せされて、でかい箱に入ったぬいぐるみを渡された」(R25)といったエピソードもあるとか。

義理で貰ったチョコレートに、モテるお返しか。若い人は、たいへんだなあ。この国は、平和である。
バレンタインデーは、天下の奇習である。
アンケートでは、バレンタインデーなどなくなればいいという女性が30%、あきらめてお世話になっている人への感謝の印と割り切っている人が60%らしい。
投稿者 nansai : 15:25
2008年03月11日
お母さんと自転車三人乗り
町の中を自転車が、わがもの顔に走り回っている。
先日も、横断歩道の信号がやっと青に変って歩き始めたら、自転車が真横から風のように飛び出して、音もなくぼくの鼻先を走り去る。スピードが出ているから、衝突したら、ただではすむまい。
ケータイをみながら歩道をぶっ飛ばす不心得ものも見かける。もともと禁止行為の3人がけは、もってのほかだ。

目に余る自転車の無法ぶりに、警視庁が30年ぶりで交通規則を見直すことにした。
ところが、幼児二人を前後に乗せる3人乗りの禁止は、若い母親たちが反発した。
「3人乗りができないと、15分早く家を出なくちゃいけない。朝の忙しさがわかっていない。」
「女性の社会進出を無視した政策」というのだ。「少子化対策に矛盾する」とも。こんな場合マスコミもすぐ同調する。
「保育園も少なくて、バスもないのに、3人乗りの禁止は、子育て支援に逆行している。」
なるほど。ごもっともである。お母さんもたいへんなのだ。
しかし、まあ、そうではあるが、新しい見直しの動きは、いつもこうして、全体の一部の声で、ぐらつく。ひどいときは腰がくだける。政治家がわりこんでくるからだ。
大阪のドーンセンターの見直しも、そうだ。
年金問題が解消したかもしれない総番号制も一部の反対でさたやみとなった。
地方の道路、郵便配達も同じようなレトリックで族議員がまくしたてる。
基本の趣旨と全体の利害関係のなかで、ワリを食うグループが必ず現れるのはしかたがない。総論と部分利益をどうバランスさせるかが行政なのだが。
今回は、警視庁が折れ、自転車の「一人乗りのときに比べ著しく不安定にならない構造」が技術上可能であれば、例外的に走行を認めようということになったとか。
こんな場合、せっかく開発されてもコストが高く。購買客が少ない、やむなく、というシナリオが見えてくる。
わすれてはいけないのは、もともと改正の趣旨は、安全である。お金では買えない命の問題だ。
2006年に自転車同乗中に怪我をしたこどもは2150人。70%が交通違反だった。
6歳未満のこどものけがは、40%が頭部だ。頭の重い幼児は転倒すると、脳に損傷を受けやすい。危険防止には、幼児のヘルメットの着用が徹底されなければ。
しかし、この国では、自動車のチャイルドシートの着用も すすんでいない。
自転車の違反行為は、昨年11月末で百七十五万件、前年同月比34%増だそうな。増える一方だ。
「三人乗りを普及させて、少子社会から抜け出そう」というのは、うーん、ちょっと考えにくいのだが。
テレビでみていたら、デンマークのコペンハーゲン市は、自転車天国らしい。市内に自転車専用道路がつくられていた。
投稿者 nansai : 10:52
2008年03月03日
文明開化は大阪からやで
三月になった。どの雑誌も、さくら特集で、こぼれんばかりのピンク一色だ。
大阪が、桜色に輝いて一番元気のよかった頃。それは、明治初年、文明開化のさきがけとなるプロジェクトXが、大阪天満橋川崎でスタートしたときだった。天満橋からその活況がよくみえただろう。

遺された錦絵をみると、大阪の文明改革は、なぜかさくら風景と合うらしく、希望に燃え新しく国が産業を興す当時の華々しい光景が想像できる。
勢いが違うなあ。川には、外輪船が黒煙をはいて、対岸の最新工場群の煙突もいっせいに煙をはいている。いまは人ごみの通り抜けのさくらしか知られていない。
あれから幾星霜、天下の台所から、大阪は、軍都に、煙の都に変貌して敗戦を迎えた。
当時の錦絵は、満開のさくらと文明開化、大阪の一瞬光芒を放ち輝いた頃の高揚した気分を、伝えてくれる。中之島図書館蔵。公開されているからデジタルで大きく引き伸ばしてみることができる。
維新当初は首都を大阪に置く計画がほぼ内定していたのだそうな。
明治4年、交通の便利なこの地に、日本初の造幣工場「大阪造幣寮」という巨大西洋工場が開業した。
総レンガづくりの工場群、高さ30メートルの大煙突が、近代日本を築く科学技術を誇った。お雇い外人たちの協力で、まばゆいばかりの65基のガス灯もこうこうとともされ、あかるさに大阪の人たちが仰天した。それまでろうそくと行灯の光しか知らなかったのだ。一目見ようと連夜市民が押しかけたという。
投稿者 nansai : 14:19
2008年03月01日
鈴をつけるのは誰?
民主党の指名競争がいよいよ煮詰まってきた。テキサスとオハイオが最後の決戦場だ。オバマの勢いがとまらない。ヒラリーは中傷で反撃を試みるが、ネットでみると敗色濃厚のようにみえる。
アメリカのジャーナリズムは非情でえんりょがない。次のように報じている。

民主党の党内事情としては、早くヒラリーに名誉ある?撤退をしてほしいらしい。このまま、クリントン陣営がライバル候補に最後まで罵詈雑言を浴びせ徹底抗戦すると、党内が傷つき割れる。秋の共和党との本番で、どう転ぶかわからないからだ。
問題は、「だれがヒラリーに告げるか」だ。と、ワシントンポストの見出しには、惻隠の情はない。
なかなか言い出せない。誰がネコに鈴をつけるかだ、とある。そうだろう。そこは日本人の心情に似ているかな。戦いが終わったら敵味方ないという、ラグビーのノーサイドのようにはゆかないものだろう。ニューヨークタイムスには、過去の歴史からみて、もう暗殺の可能性を心配している記事も。
テキサス、オクラホマの決戦は終わっていない。なのに、戦い果てたとみて、敗因分析に入った新聞の論調が目立つ。ヒラリーさんには申し訳ないが、われわれ異国の野次馬には大変興味ふかい。
当初あれほど有利に立つていたはずのクリントン陣営がどうして個々まで追い詰められたのか。ヒラリーは、資金集めでは大口献金者を確保したはずだった。オバマは小口の草の根募金でクリントンを打ち破った。オバマ候補への献金は、一人平均わずか109ドルと、ABC放送が報じていた。運動員たちはクリスマスに一日休んだけだ。
オバマ陣営にくらべ、戦略の大きなミスが指摘されている。早くも戦犯探しだ。ヒラリーの戦略を立てたコンサルタントが、実名、企業の名を挙げて非難されている。ハゲタカが勝ち馬の本命クリントンにちゃっかり乗ったのだ。
寄付金集めなどのカネの使い方が乱脈をきわめていたとか、克明にデータが残っていて事細かに分析され報道されるのが、アメリカの選挙らしい。
投稿者 nansai : 02:12
2008年02月27日
緊縮府政の船出に声援、「水都再生」は草の根で
テレビでみると、「財政非常事態」を宣言して、橋本知事が、怪腕をふるっている。
たいしたものだ。見直した。

大阪府のハコモノ施設がいかに税金と借金の無駄遣いだったかを始めて現場検証してくれている。
歴代の知事は、知らん顔だった。新知事にエールを送りたい。いいぞ、その調子!
これは、ジュラ紀のはなしではない。平成のいま、オオサカ平野を闊歩する巨大恐竜の図だ。ハコモンザウルス。シャッキン・コンクリートでできていて、主食は、府民の税金だ。
バブル以前からオオサカに次々に誕生したハコモンザウルスの群れ。駅前自転車のように放置してきた府会議員の責任は大きい。年間30億円の赤字を出す、わけのわからないハコモノ施設を承認し続けた。かれらを選んだわれわれ府民の責任はもっと大きい。
抵抗勢力に囲まれ多難な船出だが、橋本知事の若いエネルギーを、府民が後押しせねば。
大阪のおばちゃんたち、サポートたのんまっせえ。ハシゴはずしたらあかんでえ。あんたらの税金をあんなに無駄使いされたら、ぎらぎら目を光らせて、怒らにゃ。
ワイドショーで大阪府の問題点があらわになり、夕張と変わらぬ無責任自治体の実態が、全国ネットで日本の津々浦々に知りわたることになった。
夕張か大阪か。恥さらしというより、恥の公開は、役人による隠蔽や居直りより、一歩前進である。
「御堂筋パレード」の予算減らし賛成だ。
「水都大阪2009」の見直しも必要だろう。

「水都大阪」構築には、われわれ草の根も一肌ぬがねばあるまい。役所がハゲタカにまる投げするよりは、足が地についたプランのいくつかを、自前で考えてみたい。
さて、唐突ではあるが、再生を願う水都の「へそ」は、ここ、ご当地、八軒家界隈なのだ。そこで、

ネット上のご近所サイト「八軒家かいわいマガジン」のとりあえずの見本版編集が、ぼちぼち始動することになった。早くかたちにしたい。

ここら界隈ご町内の繁栄を願って、有志たちが集まることになっている。南斎翁も隠居スタッフとして参加したい。
この八軒家絵巻と同じ形式で、「美しい日本語の文章をネットでも縦組み、大文字で読みやすく」がねらいだ。江戸時代の古い地図を手がかりに、北大江公園特集、島町通り特集がお目見えの予定。もちろん読みやすい縦書きで。
おなかをすかせた北大江公園のハトたちも、どんな出来上がりになるか、たのしみにしているらしい。(この浮浪ハトは公園の住人だが、キャラクタ候補だ。名づけて八軒家の「ハトの八ちゃん」。)

このウエブサイトは、八軒家を起点として、ゆくゆくは、大阪のへそ、大川一帯をコンテンツのテリトリーとしたい。
上町台地の西端のここらあたりは、古代から歴史の宝庫だが、地上の建築物は戦火によりみな消失した、残されたのは、伝承と史跡の石碑だけだ。
めぼしいところでは、八軒家船着場、熊野詣の出発点など。万葉集にみえている古代の「難波津」は、諸説あるが、浪速橋あたりと伝えられる。
往年の八軒家船着場を生き生きと再現した一枚の絵を紹介しよう。手前に三十石船、石段の上に灯をともし始めた船宿。暮れなずむ大川。人々の呼び声、喧騒が伝わってくるが、実際に写生されたわけではない。この幕末?の八軒家風景は、野村広太郎氏が記録絵画という独自の手法で描いたもので、カラー写真のない頃の大阪の風景を克明に油絵で描写したコレクションがある。東方出版刊「おおさか百景いまむかし」から。昭和初期の作品だろう。
こういうすぐれた先人の残された大阪の文化遺産を、こつこつとていねいに収録して後生に伝えてゆきたいものである。デジタルだからできるのだ。だれにでも、みてもらえ、伝えられる。

WEBマガジン特集のおまけに、客寄せポスターの図案をのせることに。
まず、島町の「マリアン」イタリア料理店。
地元食材を使う「スローフード」料理が評判だ。
ハナシ好きのひげのクマさんシェフと、ちかく水耕栽培実験農場も加えて、近辺の契約農家直送の有機野菜料理が、当店の売りだ。

くらげのような巨大野菜は、無数の根が薬液のなかを泳いでいる水耕栽培を描いたつもり。
ポスターのキャッチフレーズはこうだ。
「ここの野菜は、うまい。
そのはず、某国立大医学博士が考案した回転水耕栽培だ」
農薬を使わない、害虫は回転する水槽で水没水死させる仕組み。日光をさんさんと浴びるから、作物が大きく育つ、歯ざわりがよく、ビタミンが逃げない。だからさくさくと歯ざわりよく、うまいのだと、いいコト尽くめだが、問題は製造コストだけだという。
一日も早い入荷が待たれる。
投稿者 nansai : 13:11
2008年02月20日
大接戦を制するのは、小口の献金者か

今年のアメリカ大統領選挙ほど、まだ予備選挙なのに、手に汗にぎってみたことはなかった。記録的な人数が投票所に列を作った。総額五千億円の政治資金が乱れ飛ぶとか。テレビやネットを通じて、時々刻々、大リーグ以上に迫力が伝わってくる。
民主党の指名競争が白熱している。ヒラリーとオバマのがぶり四つの勝負は、延長戦にはいり、たがいに非難の応酬で因縁試合の様相を呈してきた。
日本とは、選挙の仕組みが違うようだ。こちらでは、有権者は一方的に、一票を懇願されるだけで、積極的に献金やカンパに応ずるほど熱狂しない。
商品のカタログにあたる「選挙公報」は、何も書かれていないのと同じだ。情報不足のため、誰を選んでよいか、よくわからないままに投票所におもむくこともしばしばである。
アメリカでは、投票の前に、まず候補への募金合戦がすさまじい。
いくら集めたかをマスコミが報道する。
あの広い国土で、各州の有権者に呼びかけるには、運動員とテレビCMと遊説のための航空運賃が必要だ。経費は、ばくだいだろう。
候補者は必死で募金を呼びかける。法の許す範囲で一人2300ドルとか。戦前の予想では、全米に水も漏らさぬ集金ネットをつくりあげたクリントンが有利で、圧倒的な資金量を誇っていたという。
ふたをあけると、オバマの草の根ネットが猛然と募金をつのった。いまはかんたんにネットで送金できる。ネットの差も大きいのか。
かれは「変化」を掲げた。いっしょに分裂を乗り越え、アメリカの統一を唱えるメッセージがイエスと受け止められた。
オバマの支持者は、若者、インテリ、黒人だ。零細献金者だ。ちりも積もれば莫大な資金が集まる。寄せられた四十七パーセントが、200ドル以下という。
ふだんは献金しない層が、スローガンに共鳴して応募してきた。ここまでもつれて長期戦になれば、いわゆる「ロングテール」層がカギをにぎるのか。
一月にオバマ陣営は3200万ドル集めたのに、対するヒラリー陣営は、1300万ドル。支持者たちはもう法定枠を使い切っていた。弾切れだ。

全米津々浦々での遊説演説は、スピーチライターをフル動員して、黒人、農民、自動車産業、ヒスパニックと、それぞれ利害の異なる地元へ、二枚舌三枚舌で呼びかけることになる。揚げ足の取り合いもえげつなく、支持者の反応もすごい。
目先の一票ほしさに、地元向けの約束手形をきりまくるのは、日本の選挙と同じらしい。広大なアメリカにくらべれば、本来は、日本のほうが、情報公開よろしきを得れば、民意を正しくまとめやすいのではないか。
民主主義という巨大で複雑な仕組みを効果的に動かすのはたいへんだ。
大統領候補を党内の指名で勝ち取るのにこれほどのカネとエネルギーが必要だ、とは驚く。大統領選挙は、4年に一度の祭りだとか、民主主義教育の場とか言われるが、そんな生易しい争いではないようにみえた。
こんなカネのかかる選挙以外にいい方法はないものか。建国の父たちも驚いているのでは?
選ぶほうも選ばれるほうも、一体になって盛り上げる熱気の選挙。それはいい。そのなかで、前回はブッシュのような大統領が選出されたのだが。
投稿者 nansai : 12:51
2008年02月18日
大阪の若者も、たいしたものだ

なんとも形容しがたいマルチな才能の持ち主が、大阪に誕生していた。
「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子だ。豊胸手術を望む母と思春期の娘の関係を描く物語で137回の芥川賞に選ばれた。小説は二作目という。
ぼくには小説の批評眼はないが、織田作之助風の大阪弁をまぶした「弁文一致」の口語饒舌体は、きらいではない。樋口一葉の文体に影響を受けたそうだ。
それよりも、文芸春秋三月号に載った受賞者インタビュー「家には本が一冊もなかった」を読んで、ぼくはさわやかな感動を覚えた。
昼は書店員、夜は新地で働いたというドキュメンタリーとしての、彼女の人生の軌跡が共感でき興味深かった。
大阪市立工芸高校卒業後、書店員、歯科助手、ホステス、歌手をへて、作家デビュー。まだ31歳なのに。
家に本がないので彼女が小説を読み出したのは、国語の教科書だった。いろんなジャンルの作品が収められていて面白かったという。高校の二、三年生のときにカントの入門書を読んだのが始まりで、働きながら大学の通信教育で哲学を学んだ。
小説を書くのと似ているそうで、歌手としてもライブは続けてやりたいらしい。
足が地に着いていて、物怖じしない。しっかりしているなあ。いや、たいしたものだ。
世間の良家の令嬢おりこうさんコースとは、まったく違う、けものみちを踏みしめ疾走している。終戦後の焼け跡を経験した、ぼくら昭和の残党としても、共感できるところもあるな、と勝手に考えた。
川上未映子賛江。ぼくのアーカイブのなかから拾い出して、思索する猛禽類としての彼女のイメージスケッチを勝手に試みてみた。ご本人はグラビアで見るとなかなかの美形なのだが。
投稿者 nansai : 15:57
2008年02月12日
建国記念の日は、かつての「紀元節」だった
太平洋戦争前の今日は、紀元節だった。小学生のぼくは、登校して、天皇皇后の御真影のまえで、
「雲に聳える高千穂の」
と声を張り上げて紀元節の歌を歌った。
で、きょうは、高千穂の峰に天孫ニニギノミコト(ワードでは漢字変換できない)が降り立ったとされる日だと思っていた。天照大神の命により、日本つまりトヨアシハラチイホアキミズホノ国を治めよ、サキクマセ!

きっと栄えるよ、といわれるままに、天孫が降り立ったと教わった。
いま、悪名高い高級官僚の「天下り」は、これに由来する。
ところが、紀元節の唱歌には三番あって、中心場面は宮崎県ではなく、奈良県の橿原で、神武天皇の即位がテーマだそうな。神話と歴史の区別なんかわかるわけもなく、一番だけで早とちりして、小学生のぼくには紀元節の主役がこんぐらがっていたのだ。でも、「くーもにそびゆるたかちほのー」だもんな。
昭和十五年は、国を挙げて、紀元節を祝った。どういう計算かわからないが、紀元は二千六百年。節目の年というわけだ。
当時は、あの太平洋戦争の一年前で、その後の運命を知る由もない国民は、国威発揚で盛り上がっていた。
金鵄輝く日本の、栄えある光身に受けて奉祝歌が大ヒット?して歌われ、おおさわぎだった。二十一世紀のいま、ネットでも、初音ミクが歌ってくれる。

「八紘一宇の塔」が、戦後万博の「太陽の塔」のように時代のシンボルだった。塔は、東国原知事のお膝元宮崎にある。
少年のぼくには、悔しい思い出がある。
当時の少年倶楽部の付録に、八紘一宇の塔の紙製組み立て模型が付録についた。ぼくの家では、雑誌や本は、外地から親が送ってくれることになっていた。広告で見た付録を楽しみにしていたら、付録だけ、父親が自転車から落としてしまったという。70年たったいまも、残念である。
この日、朝日新聞に、「無宗教の国に多くの支持者」と題して、東京大学宗教学の島園進教授の国家神道についてのタイムリーな論文がのった。
「明治23年に教育勅語が下された。明治天皇が教育の根本を精神について国民に授けた聖なる教えだ。この後、小学校は、天皇の聖なる教えに導かれる場となった。それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な拝礼に親しんだ。伊勢神宮や明治神宮に詣で、天皇のご真影と教育勅語に頭をたれた。これが国家神道だ。」
思えば、幼かったぼくにとって、学校は、国家神道の「教会」だった。講堂に祭壇がもうけられていた。イコンは普段は奉安殿に保管されていた。先生たちは、みな国粋主義の「宣教師」だった。
昭和二十年までは、ばくぜんとだが、神州不滅だと信じていた。国家神道の導くところ、敗戦寸前まで、国体護持、一億玉砕にまでゆくのだが、竹槍を持って聖戦に殉じようとした当時の庶民にとっては、それは昭和天皇への個人崇拝とどう違うのか。アラブの大義とか北朝鮮の首領様信仰とどう違うのか。
島薗教授は、こうも述べている。
敗戦後も国家神道は解体されてはいない。皇室神道の「核」は残った。今もなお多くの信奉者がいる。
投稿者 nansai : 15:59
2008年02月07日
喫茶店のカレーのにおい
喫茶店でカレーなどの強い食べ物のにおいが漂うのは困ったものだ。芳醇なコーヒーの香りがだいなしだ。気になりませんか。
といってぼくが特別コーヒーの香りの差に敏感なわけでもないが、食べ物やソースのにおいが、どうしても狭い店内では勝ってしまうのだ。

「ついに、スターバックスが再びコーヒーらしい香りを取り戻すことになった。」とニューヨークタイムズの電子版にのっていた。
トップの鶴の一声で、朝食に温かいサンドイッチを出していたのをやめることにしたそうだ。つまり、コーヒーのアロマを、温かいサンドイッチのにおいがじゃまするのに、シュルツ社長が気づいたらしい。やっぱりコーヒー専門店の売りは香りやで、と原点に帰ったのだろう。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったスターバックスも、競争の激しい米国内ではかげりをみせ、不振の100店舗を閉めるそうだ。マクドナルドやダンキンドーナッツが、味のいいコーヒー部門に進出してきたからだ。

昭和も遠くなった。味にこだわる頑固な店主のネルで濾して淹れる濃い苦いコーヒーが、かつては、大阪名物だったが、代も変わり、そんな喫茶店は少なくなった。
店主の人柄にひかれて、雨の日も常連が集まってくる暖かい店は生き延びているようだ。イタリヤのバールのように、顔なじみが、ゆっくりだべりながら、粘れる店がほしい。
建築家の安藤さんによれば、大阪の男どもは散歩をしない。だから、町がさびれるのだという自説だ。一理ある。
そういえば、市役所の近くで花火でも上げると、人出が急に増える。大阪人は、イベントに餓えているのか。

この春、いよいよ京阪電車の新線の上を利用して、
大川端の八軒家着場跡にも遊歩道ができるらしい。
ここからみる中之島の風景は、絵葉書のパリに似ているといわれる。川風に吹かれぶらぶら歩いて疲れたら、憩える止まり木のようなオープンカフェはできたらいいなあ。回転寿司にもきてほしいが。
大阪は家賃が高いと、よく耳にする。
家賃を料金に織り込むと、若い人を吸い寄せる小さな店やレッスン場の経営が、成り立たないそうだ。
あちこちで、いまビルとビルのすき間に、中小のビルがにょきにょき建ちかけている。思い思いにばらばらで、町なみとか店なみ?は、気にしていないようだ。先行き景気の見通しは暗澹としている。人が吸い寄せられるアイデアは大丈夫かな。
家賃が高いと、きれいなビルが建っても町はまちがいなくさびれる。バブル前、銀行の店舗で埋め尽くされた御堂筋の寂れようを思い出す。伝統に根ざさない「御堂筋パレード」では、活性化はどうにもならない。
投稿者 nansai : 17:56
2008年02月01日
首長を選ぶ選挙は、たいへんなのだ。
二月五日火曜日、スーパー・チューズデー。いよいよアメリカの大統領選挙は、両党候補者もしぼりこまれ前半の山場を迎える。

一人の候補者を大統領に選ぶのに総額で5000億円のカネが乱れ飛ぶといわれる。
長丁場のすさまじい選挙戦に勝ち抜くには、候補者の体力と根性とカネだ。終盤には、テレビ宣伝の投入量で差がでてくるという。
相手を中傷するテレビのコマーシャルに制限はないそうだ。カネが続く限り、ボクシングのように打たれたら、すぐやり返す。えげつない。
民主主義の総本山、4年に一度のこの国の選挙方式が、はたして正しい効率的なやりかたなのか。建国の父が作ったシステムだそうだが、21世紀のわが国にふさわしいお手本なのだろうか、わからない。
アメリカの大統領選挙では、民主、共和両党ともに、指名争いで、キャンデダシー、候補者の資格をめぐってまるで格闘技のようなつかみあいの激しい言い争いになる。民主党のオバマ対ヒラリー、旦那のクリントン元大統領も加わっての場外乱闘的舌戦が、見ものだ。
いまは、ユーチューブで、やりあいのスピーチがネット上にくりかえし見ることができる。スポーツの実況のようだ。

お互い自分こそは「ふさわしい」と主張する。
一様に、「変革」が必要だ、とCHANGEを叫ぶ。
そして、要は、大統領の任に堪えるだけの経験があるか、準備は万全かなど、誹謗中傷を交えて、同じ党内で言い争うのだ。相手候補はふさわしくないと、面と向かって攻撃する。
だから問題点は、浮き彫りになる。
選挙はビジネスであり、ぬかりなくプロの戦略コンサルタントが仕切る。選挙対策本部は、戦略を立て、カネ集めのシステム作りに躍起だ。
各候補のウェブサイトは、充実している。サイトに訪れた読み手を説得し巻き込もうとしている。
政見だけでなく、寄付を募り、集会への参加を呼びかけ、ボランティアとして力を貸してくれるように訴えているのだ。
結局は、集金力だと専門家はいう。
カネさえ用意できれば、あの凡庸なジョージブッシュが選ばれてしまうのが、アメリカの民主主義の苦い現実なのだ。
さて、今回は?世界が注目している。盛り上がりは、すごいようだ。

候補者の適性をあげつらわねばならぬのは、大阪府知事選もおなじだった。日米の選挙事情は、もちろん、比べようはない。
だが立候補のいきさつからみて、府知事戦は、いかにもにわか仕立てで準備不足の楽屋がまるみえだった。かねて議論を重ね周到に検討されたグランドデザインを用意したわけでもなかった。次点に終わった大学教授は、40日では何もできなかったと述べている。
大阪府知事選挙は、知名度の争いとなり、弁護士でテレビタレントの橋下氏が圧勝した。
大差をつけ獲得した百八十万票をどうみるか。関西では、やはり「お笑い百万票」か、と東京のマスコミからは揶揄されているのだが。

大阪府の有権者は700万人いるらしいが、候補者選びは、カタログなしで商品を注文するようなもので、有権者としては、商品の中身がよくわからないから、選ぶのはむつかしく、おっくうになる。
府は、5兆円の累積赤字をかかえている。
府は、800万人の乗客を乗せて、海面すれすれを低空飛行中のウルトラ巨大エアバスなのだ。力つきれば夕張市と同じ財政再建団体に転落する。
当選すれば、府知事は、その超巨大ジャンボジェットを、機長として操縦することになる。設計ミスと積年の整備不備で、おんぼろエンジンは不調である。徐々に高度は下がってきた。乗客800万人を満載して、無事つつがなく航行できるのか。
結局選ぶものさしとしては、事前にどれだけ顔が売れていたか、テレビに出ていたかになる。知名度、好感度だけが、選ぶ材料のすべてになる。
首長にふさわしいかどうか、わからない。おそらく本人にも。
市も府も、ふりかえれば、民間企業の再建なら、経営能力の期待できない人材が過去選ばれてしまったのだ。その結果が、現在のおびただしい赤字と遺跡のような役立たずハコモノである。ただしい政策をとれなかった議員を選出した府民、市民の責任であろう。
ぼくは、橋下知事の若さだけでなく、かれの卓越した学習能力に期待している。
これからでも遅くない。腕利きのブレーン集団を率いてほしい。再建には、府の経営を診断し治療する「外科医」のスタッフが必要だろう。宮崎県東国丸知事よりも、元三重県知事の北川路線を打ち出してほしいと願うのだが。
夕張、大鰐、大阪。各地自治体の破綻は、公共事業の利用客の現実離れした需要予測にあったのはあきらかだ。
ニュータウンもオリンピック誘致も地下駐車場も空港もリゾートホテルも整備新幹線も公民館も博物館も遊園地も道路も橋もトンネルも、需要予測の甘いでっちあげで、死屍累々の赤字の惨状を招いたのだ。議会は、チェック能力を欠いた。
それを見抜くデジタルのチェックシステムがあれば、橋下知事はそれを駆使してもらいたい。
スーパーコンピューター?に、政策の実現可能性の選択肢を正しく入力し、議会はそれにもとずいて討議して決めればよい仕組みはできないものだろうか。
要するに、税金のもっとも得な使い方を長期シミュレーションし、「神託」ならぬ客観的な予測をコンピューターにまかせられないものか。
地元大阪の選挙事前報道よりも、海外の田舎の選挙の手に汗握る状況が、テレビ、インターネットで時々刻々リアルタイムで伝えられる。ユーチューブでみれば、候補者は目の前だ。
どのような形の選挙が望ましいか。
スケールは、あまりに違いすぎるが参考にはなる。
投稿者 nansai : 15:00
2008年01月28日
一月二十八日(月)
腰が痛いカエルになって
生まれて初めて、すすめられて接骨院へいった。
週末二日間、ぎっくり腰でもないのに、何かを取ろうとして腰をひねると、どうしたことかアイテテと急に激痛が走る。床についても、枕もとのスタンドを消すのも、寝返り打つのも、ままならない。

ゴルフはさっぱり飛ばないが、年のわりに、足腰が丈夫なのが売りだったが、これはただごとではない。
愛想のよい若い先生に診療してもらうと、よくわからんが、ぼくの体がゆがんでいて、骨盤の上に正常に背骨がのっていないそうだ。思い当たるふしとしては、以前、地下鉄の階段でころんで捻挫してから、どうも不自然な歩き方をしていたようだ。気づかぬうちに、その無理が、アイテテになったらしい。
かえるのようにうつぶせになって、若い先生に軽くちょいちょいと触ってもらっていたら、いつの間にか、おっ、だいぶ楽になっていた。
霊験あらたかである。不安が消し飛んだ。この年までマッサージしたこともなかったので、たいした技術だと感服した。
投稿者 nansai : 14:50
2008年01月24日
ろうそくを立てないバースデーケーキ

もういくつ寝るとお正月。むかしは、指折り数えて、新しい年を迎えて、こどもはひとつ年をとった。
昭和も戦前、ぼくのこどものころは、年齢は、満でなく、数えで何歳、といったように記憶する。
お誕生日を祝う風習は、まだ定着していなかった。
ケーキもプレゼントも用意されていなかったし、ハッピーバースデーツーユーの曲も歌ったことはなかった。天皇の誕生日「天長節」は祝日。小学生も、「きょうのよき日は大君の」と歌って、国を挙げて祝った。

さて、今月ぼくは満ナンサイの誕生日を迎える。うれしいわけがない。
絵に描いたモチならぬ、特製バースデーケーキをじぶんでデザインしてみた。ろうそくの数は描ききれない、でたらめである。真ん中に風車をたてた。
思えば、たくさんの恩やおかげで、こんな年まで生きてこられたものだ。なかでも、ひ弱い幼い孫を、動物園の飼育係のように、育ててくれた祖母には、苦労をかけどおしだった。
ぼくが世話をかけた祖母たちは、「千の風」となって、いまも大空を吹き渡っているのだろうか。といっても、みな亡くなってからずいぶん経つからああしんど、くたびれて微風ないし無風状態だ。バースデーケーキの真ん中の風車は、そんなかすかな風をしっかりと受けてまわるためなのである。ありがたいエネルギーなのだ。
ここで、例によって、くだらないアイデアが浮かんだ。
ケーキにたてた水車の支柱を、ろうそくに見たてたて、発電ランプとするのだ。

誕生日を迎えた人は発電風車をけんめいにふうふう吹いてまわす。がんばれ。もうすこしだ。拍手。やっと点灯。割れるような拍手。
といった何回も使える、こんな省エネ版バースデーケーキ。風車ランプは、点灯できたら、おもろいやん。
ろうそくメーカーが困るだろうが。
投稿者 nansai : 14:35
2008年01月17日
一月吉日
どうにも不安な先行き暗い新年だが、あけまして「どーだ」という初夢。のような妄想を、マウスを操って、披露しよう。
それは、日本で一番高い塔を、万博公園エキスポランドに、おったてるのだ。場所は大阪平野のどまんなかである。

これといってランドマークのない大阪に、アジアはおろか世界から観光客を誘引する展望タワーだ。22世紀まで、百年以上長持ちして、いうならば、パリのエッフェル塔と張り合おうというわけだ。
初夢にしては、なんとなくしけたスケッチではあるが、気宇壮大なつもりだ。ぼくの通勤ルートは、緑あふれる万博公園を見下ろし走るモノレール。がらがらの車内で太陽の塔と死んだようなエキスポランドをながめつつ思いついた。
この塔からは、ほら、眼下に、太陽の塔や万博の森や広場、千里団地が小さく見える。晴れた日は、360度ビューだ。大阪平野一円、大阪湾、淡路島も望めるのだ。
あたらしい東京タワーがなんぼのもんじゃい、という元気でユニークなデザインを、ひろく世界の建築家からコンペで募りたい。

伊丹空港からモノレールで、新幹線は新大阪駅、地下鉄は千里中央駅と交通至便である。
ここ万博公園の立地は、大阪とは思えないほど、ひろびろとゆとりもあり最高である。遊園地エキスポランドは、例の大事故の後、しゅんとして休園して経営が危ぶまれる状態だし、万博公園は、正式には「日本万国博覧会記念機構」といい、れっきとした独立行政法人として存在意義がチェックされている。ここでカツを入れる必要がある。
塔の基礎部分は、地下を掘って、デジタル歴史ミュージアムとする。
日本の歴史をデジタル技術の粋を尽くして、世界の観光客にみせたい。万博公園にある国立民族博覧会の優れた展示ノーハウを生かしたデジタル分館にすればよい。
ミュージアム会場内は、パナソニックとシャープの協賛を得て、最新の大型デジタルスクリーンを林のごとく並べて世界をあっといわせるバーチャル展示を試みたい。大阪湾は、21世紀、日本の誇るデジタルベイである。

また、万国博覧会に象徴される波乱の昭和を記念して、300万人の太平洋戦争戦没者を弔う小さい仏像を、基礎部分におさめてはどうか。
塔の名は公募するとして、昭和記念タワー、万博タワー、アジアタワーなど。
年明けるや、世界経済は低迷し、財政の重荷にあえぐ大阪も暗雲たちこめる日々ではあるが、この夢を今度当選される新しい大阪府知事にプレゼントしたい。
とまあ、景気よく、いいたい放題の構想、妄想ではある。ひとりよがりの、ぼく的!にいうならば、「独楽の塔」なのだ。コマは英語でTOP、つまりトップオブザワールドタワーとは「どーだ」のおそまつ。
誇大もよしとしようや、酔余の初妄想は、楽しい。
投稿者 nansai : 13:09
2008年01月01日
二〇〇八年一月一日(火)


投稿者 nansai : 00:02
2007年12月27日
「出す当てのない賀状展」は、むだ?
十二月二十日(木)

いよいよおしつまってくると、近くの公園のハトたちも首をちぢめてまるくなっている。夏には3匹いたはずのホームレスの猫たちも姿を消した。どこかにもらわれていったらしい。
知人友人から、年始のごあいさつ辞退のはがきをいただく。その数が、ことしは多い。近親者を亡くして、はがきにひとりひとりの思いがこもっている。多くは、天寿を全うされ、おどろくほど高齢だ。
で、賀状を出す先が、さらにせばまってきた。
「年賀状は贈り物だと思う」と、したり顔で、郵政公社のコマーシャルはいう。
若い人は、ケータイですませてしまうからだろう。「アケオメ」で意が通じるらしい。
ぼくくらいの年齢になると、事情は違う。
あっけらかんと「あけましておめでとうございます」でいいものか。
年賀状は、相手の安否を確かめるノックのようなものだ。と思う。
「よお、ドーダ!」もいいが、遠慮がちに。
すっかりごぶさたしている昔の友人が、いつまでも元気とは限らないのだ。
「おおい、まだ生きているかあ?」
例年ちょっとハイになって出していたノーテンキな決意表明的「おめでとう」ではなく、聖徳太子ではないが、「つつがなきや」とでもせねばならぬ。

ことし久しぶりで賀状をくれた友人は、これから入院手術すると走り書きしてきた。手書き文字の乱れに驚き、いやな予感がした。見舞いの手紙をだしそびれているうちに、訃報に接した。何年も前から入退院を繰り返していたのだ。
お世話になった方で、前の年いただいた年賀状に病気でしんどいと書いてはあったが、ことしも、かなりたってから、父は亡くなっていたと、ご長男からご連絡いただいた。鈍感だった。
眼光紙背に徹して、いただく年賀状の行間をうかがわねばならぬのは、つらい。
そうではあるにせよ、ぼくにとって、出す先の減った賀状とはいえ、恒例の干支などはお絵描きの絶好のお題である。宮中歌はじめの御題のようなものだ。
例によって、あて先不明の独りよがりの賀状展をネット上にならべることにした。

考えてみると、年賀葉書一枚50円。たった一枚を運ぶとしたら、配達の人手と経費は、排出CO2はおいておいて、無視できない。郵政公社はこんなサービスを21世紀のいつまで続けられるのだろう。
ことし、クリスマスカードを思い切ってネットに切り替えた英企業が、けさの新聞に取り上げられていた。
その点、だれも見ないかもしれない。どこに届けるあてもない。配達の要らないブログは、きらくなものだ。
しかし山中の庵のような、こんな自閉症ブログでも、数少ないがウオッチャーがいる。アタマ隠してシリ隠さずだ。気分が乗らず、さぼって間隔があくと、体調がわるかったのかときかれる。
隠居のブロッグは、集中治療室の心電波形のモニターのようなものかもしれない。ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。波形はふるえているようにみえても、本人はパソコンの前で、ひとり「ドーダ」と小さくつぶやきながら、お絵かきを楽しんでいるだけなのだが。
このブログのいいかげんなところは、日記のようで日付けにしばられないことだろう。ストレスにならない。夏休みの絵日記のような提出のしめきりがない。ぐうたらで移り気なぼくが、だらだら飽きずに続けてこれたのは、この融通無碍ないいかげんさによる。

そして年賀状のアイデアを、あれこれとひねくりまわせるのは、デジタルの特権である。マウスとキーを操るだけで、紙も絵の具も筆もいらない。
ん、失敗したら消すまでのことだ。
こうして、愚にもつかないアイデアがたまってゆく。
主人公というか、今年の狂言回しは、干支のねずみ。こいつをおもちゃに、しばし楽しむことができる。勝手なもので、この際はだれにこれを出そうと考えないから、出す先が減ったのは気にならない。
年賀状向きかどうか別として、ぼくのアーカイブからひっぱりあげたねずみ諸君を紹介しよう。折々思いつくままに、混乱をきわめて、千差万別、支離滅裂。ばらばらだね。「2008年賀キャラクター展」のおそまつ。
ちなみに年賀状のコピーは、一茶の句集から拝借することにした。だじゃれ。
めでたさも ちゅうくらいなり おらが春



まずは書初めから。

以下、だらだらと、ねずみのオンパレード。順不同で。


だじゃれですんまへん、チューパーマンや。

抱かれているねずみの表情。

ぼくのゴルフの腕は年々ひどくなる一方だが、絵は上達したみたいである。毎年のならわしで、プレーヤーの顔を、干支の動物にすりかえるのだ。


上達いちじるしいときくI氏夫人の勇姿。眼光が鋭い。





三丁目の夕日。フラフープをまわすねずみ。

ちょっと捻りすぎか。「大山鳴動して、ねずみ一匹」の図。
ちいさくてみえにくいが、画面の下に、ねずみが一匹。世界恐慌など、よくない兆しが、オーバー?に報道されているから。なにも起こらなければ、いいのにな。




投稿者 nansai : 14:46
2007年12月25日
硝子戸の中から外を見渡すと
十二月二十五日(火)

「硝子戸の中から外を見渡すと、霜よけをした芭蕉だの、赤い実のなったうめもどきの枝だの、直立した電信柱だのがすぐ眼につくが、そのほかにこれといった数えたてるほどのものは、ほとんど視野にはいってこない。」
大正4年、夏目漱石は晩年のエッセー「硝子戸の中」で、このように書き出している。
自分はほとんど表に出ずに、毎日書斎の硝子戸のうちにばかり座っているので、世間の様子はちっともわからない。座ったり寝たりしてその日その日を送っている。「書斎にいる私の眼界はきわめて単調で、そうしてまた極めて狭いのである。」と。
「しかし、私の頭は時々動く。」
狭い世界でも狭いなりに事件は起きるからだ。
「それから小さい私と広い世の中を隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人がはいってくる。」それがまた漱石にとっては思いがけない人で、思いがけないことを言ったりしたりする。興味に満ちた目を持って漱石はそれらの人を迎えたり送ったりしたことさえあると書いている。情報は、人が運んできたのだ。

「去年から欧州では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。」
大きな戦争とは、第一次世界大戦だ。100年後の平成の今とあまりかわらぬ大正4年の世相がうかがえる。
「米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だ不景気だと零している。」ともあり、このころから打ち続く農村の疲弊は、富国強兵を国是とした近代日本のひずみ、きしみの通奏低音だった。農村の窮乏は、昭和にはいり、満蒙への侵略、太平洋戦争へと、日本を駆り立てたのだ。

21世紀の郊外のわが家の硝子戸の中から見上げられるのは、高圧線の鉄塔である。寒々しい、うっとおしい光景だ。
高圧線の電磁波による健康被害の論争はかまびすしいが、規制のおかげで、鉄塔の下は、ビルもたたず、竹やぶやナラやクヌギの里山が手付かずでそのまま残っている。
国土の有効利用の面からも、電柱の地下埋設は叫ばれて久しい。
最近のうわさでは、鉄塔がそのうち撤去されると決まったらしい。
抵抗していた電力会社が、ついに重い腰をあげたときいた。
いつのことやら、もし本当なら、わが家は大歓迎だが、鉄塔がなくなるとカラスも困るだろうが線下の地主各位は大あわてだ。農地の宅地並み課税が痛いという。高圧線の鉄塔が撤去されたら、タヌキの出そうなわが家の周りは、雑木林が消え、いっきょに、マンションが建ち並ぶことだろう。いいことばかりとは限らない。
漱石の時代、「硝子戸の中」にときたま訪れる人が情報のメディアだった。平成のいまは、むかしのように訪れる客はなくなったが、見渡す限り氾濫したマスメディア情報の泥海に、孤立したぼくらは、浮かんでいる。
マスコミで報じられる情報の大半は、泥の大海に浮遊するごみだ。どんな情報かといえば、殺人、交通事故、火事、汚職、スキャンダル、選挙目当ての、大局はそっちのけの政局をめぐる右往左往。「かんけーねえ、」と言い放てばそれまでだ。
漱石のいう「小さい自分と広い世の中を隔離している硝子戸」は、平成のいまも存在しているのだ。人生と社会、国の行く末などを考えるには、晩年の漱石のように、人間としての洞察力が必要なのだろう。彼が没したのは、49歳。関東大震災の7年前だった。
新潮文庫で142ページの随想集は、わずか286円だ。この薄さなのに、懐かしいひもの栞がついている。
ネットの電子図書館で無料で読むことができるのはありがたい。ただし、読みづらい横組みだが。
投稿者 nansai : 14:45
2007年12月20日
ナンボのもんじゃ?「ドーダ!理論」とは。
十二月二十日(木)
話題の「ドーダ理論」が、文春文庫「もっとコロッケな日本語を」に収録されている。この深遠な理論が、「ドーダの人々」三篇にわたって問題提起され、たったの476円である。日本の文庫本水準もたいしたものだ。
提唱者は、「ドーダ学の祖」東海林さだお氏。

「ドーダ!」は、自慢話だ。
人は、みな、ドーダ、このようにオレ(ワタシ)はえらいんだぞ、ドーダ、といっているわけだ。
といってしまえば、ミもフタもないが、なにげない自慢話の奥底には、人間の深層心理がひそんでいる。
銀座の高級クラブから国立競技場まで、さまざまな場で、人の自慢する姿を漫画家の目でじっと観察して得られたスルドい仮説は、5年前に「オール読物」に連載され、いま洛陽の紙価を高めつつあるのだ。
この理論に共鳴した鹿島茂氏が「ドーダの近代史」(朝日新聞社刊)をあらわし、ドーダ史観で、幕末から明治までの司馬遼太郎のテリトリーをなで斬りにした。

同書をNHKの書評で松岡正剛氏が推薦するにいたって、元祖「ドーダ理論」の正当性はゆるがぬものとなった。

人間はなぜドーダするか。
ドーダ行為から人間の営みをみると、何でも切れるハサミのように、「文学から革命行動まで、人間のすべての活動を解明できる」と鹿島氏はいう。人間行動の森羅万象なんにでもあてはまること、かのウエゲナーの「大陸移動説」に匹敵するんじゃなかろうか。

鹿島教授は、つぎのようにドーダを定義して、
「自己愛に源を発するすべての表現行動である」 と喝破した。いわれれば、そのとおり。八軒家描くところの、この手のけちなブログなど典型なドーダ行為なのだ。

ドーダの祖述者鹿島教授はこう説明する。
ドーダ学というのは、人間の会話やしぐさ、衣服や持ち物など、ようするに人間のおこなうコミュニケーションのほとんどは、「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう。ドーダ、まいったか?」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立ち、ここから社会のあらゆる事象を分析してゆこうとする学問である。
「ドーダ理論は世界最強のグランドセオリーだ!」教授は、ドーダをみごとに発展拡大解釈し、精緻に理論を再構築し、「抱腹絶倒」な近代通史を試みた。ドーダの魂がつきもののように乗り移り、このよく切れるはさみで、水戸学から始めて高杉晋作も西郷隆盛も、一刀両断で説明できるという。
「ドーダは、自慢である。
人に誇りうるものである。
と同時に、人にうらやまれるものである。
ドーダは本質的に、誇る、うらやむの相関関係がなければならない。
たいしたものだと思われねばならない。」(東海林さだお「ドーダの人々」)
で、いろんなタイプのドーダ現象が、東海林氏とその一派によって、観測されている。優位性誇示型ドーダが一般的だ。忙し自慢、教養ドーダ、ブランドドーダ、学歴ドーダ。まだある。有名人にあやかったドーダ。謙虚ドーダ、同県人ドーダなどなど。あげればきりがないだろう。

ユング心理学の言う「投影」ではないか。との説をなす人も現れた、と「ドーダの人々」にある。
自分の内部にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外部の何かに投影し、外的なものとして認知しようとするものと解釈されるそうな。ふうん。「投影」ねえ。よくわからんが、ますます奥深そうだ。
ドーダ光線で世の中を見渡すとなんでも説明できるから、あんまりキマジメに「ドーダ理論」をドーダするのも、自分で自分をCTスキャンするようで、おもはゆいところがある。そこがおかしい。愉快だ。
銀座の高級バーは、「ドーダの館」らしい。ぼくはぼくなりに、東京はニューヨークやパリなみの「ドーダ都市」ではないかと思う。
現在のわが大阪は、今回の市長選挙の結果を見ても、ドーダ力が低いように思われる。

「ドーダ!」のから振りが、もうしんどい。
大阪は、数々の手痛い挫折を引きずって、負け犬伝統の「それが、なんぼのもんや」の視点に安住している感じだ。吉本とタイガースだけのの「ドーダ力」は、さて。
かつては、大阪こそ、ドーダの本場だったのだが。「ドーダ都市」大阪の復活を祈るや切。
投稿者 nansai : 14:23
2007年12月11日
記念日だらけなのに、きょうが、ふつうの日でいいのか。
十二月八日
66年前の今日、何が始まったか。気にも留めない日本人のほうがおそらく多いだろう。政府も、日本の新聞もテレビも、あえて触れるのをはばかる不気味な沈黙の記念日なのである。声を潜める申し合わせでもあるのだろうか。あれほどのことが起きた、きょうはまさに、その日なのに。
66年前のきょう(日本時間午前3時)日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊を奇襲した。

「臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
ダイホンエイハッピョウ、しぼりだすように読み上げられたアナウンスが、太平洋戦争の勃発を知らせた。
どの家にもラジオがある時代ではなかった。小学校4年生のぼくは学校で講堂に集められ校長先生からきかされた。
日本側からすれば、狂喜乱舞の大戦果だった。
無線を封鎖し隠密裏にハワイに接近した六隻の空母から第一波180機、第二波160機の雷撃機、急降下爆撃機が飛び立ち、オアフ島の米艦隊の基地を襲った。ハワイ時間で午前7時49分。いつもの静かな日曜日の朝だった。
攻撃が始まって90分で2386名が戦死。(うち55名は一般市民)1139名が負傷した。戦死者の半数は、戦艦アリゾナの爆発による1177名。戦艦アリゾナ、オクラホマを始め、艦船18隻が沈没、うち軍艦は5隻だった。
大戦果に日本国民は酔いしれたが、アメリカは卑劣なだまし討ちだとして激怒した。ルーズベルト大統領は、翌日の演説で、この日は「ザデイ オブ インファミイ」、汚名のうちに生きる日だとして怒りをあらわにした。緒戦の先制もむなしく、直ちに開戦を決意したアメリカの巨大な軍事力に、たちまち制海権、制空権を奪われた日本は、この攻撃のわずか4年後、壊滅した。
日本は国土が灰燼に帰し300万人の死者を出したあげく、すべての海外資産を失い無条件降伏した。当時の指導者は、どういう見通しで、この無謀な戦争を始めたのか。いまだにその責任は問われていない。
66年前、たしかに、この日、歴史は大きく動いたのである。
アメリカでは、大統領が、この日、「パールハーバーデー」に国旗の半旗掲揚を各省庁に指示した。
全米各地の新聞のネット上では、生存者の談話が紹介されている。各地でささやかであっても追悼行事がおこなわれていることがわかる。真珠湾攻撃で2390名の命が失われ、なお1000名以上の遺体が海底の泥でさび付いた戦艦アリゾナの艦内に閉じ込められていると報じている。
戦艦は、現在も湾底に沈んでいる。その上を海面にまたぐようにして、アリゾナメモリアルが建つ。いまは国立公園施設である。だいぶ傷んできたので「パールハーバーミュージアム」の資金集めがすすんでいるという。

毎年十二月七日には、メモリアルビジターセンターで追悼式典がおこなわれる。今年も年々減るなかで5名の生存者が参加した。みな90歳前後だ。「グレートゼネレーション」とたたえられている。かれらは、ボランティアとして、メモリアルを訪れる観光客と交流し、いっしょに写真にはいり、サインをして愛想をふりまいている。「戦争へ!日本軍オアフ島を爆撃」の見出しの躍る当時の新聞の復刻版にサインしている。日本の高校生がおじぎして、千羽鶴を手渡す風景がCNNで紹介され、ほっとする。
ことし、戦艦オクラホマの戦死者追悼碑が建てられた。死傷者の多かったアリゾナの影に隠れで忘れられていたのだ。
オクラホマは攻撃で転覆し429名が艦内に閉じ込められた。救助されたのは30名。艦はその後スクラップにされ曳航中に沈没した。
120万ドルをかけた顕彰碑の前に、攻撃を受けた7時55分に200人が集まって、黙祷に始って式典がおこなわれた。429名の名は黒い大理石と429本の柱に刻まれている。
ヘリコプターの編隊が頭上を舞い、ステルス爆撃機が従い、歓声が沸いた。生存者は、高齢でもう集まれないだろう。
まだ身元不明の遺体640名はパンチボウル墓地に埋葬されているという。
死者の栄誉は、デジタルのサイトでひとりひとり記憶されるようになるのではないか。
十二月八日の朝日新聞大阪版は、一面トップに、「太平洋戦争開戦66年」とし、「戻らぬ遺骨115万の遺骨」をのせた。十二月八日に触れた唯一の記事だった。
66年前のこの日何が始ったのか。黙っていることは許されない。
投稿者 nansai : 16:56
2007年11月27日
歳末、猫のお絵描き棚おろし
十一月二十七日(火)

年末をむかえ、ただよってくるインフレの異臭で、世の中キナくさくなった。オイルショック、はたまたサブプライムのバブル破裂と、あぶくゼニが世界じゅうを回りまわって悪い兆しが、あちこちに露呈だ。
ぼんやりと年賀状の干支の絵でねずみをもてあそんでいると、ちょっとあきてきて、むしょうに相棒の猫の絵を描きたくなった。猫の写真は、デジカメの普及で、いま、大ブームだ。
猫のお絵描きはどうか。種類がいろいろで、三毛や縞や、柄も複雑
なので、しろうとが描こうとすると意外に難しい。大画家の晩年の作品に名作が見受けられる。では、猫の絵は、このネット上にどのくらい存在するのだろう。

気になって、グーグルで調べてみた。猫とイラストレーションといれて、検索。おるわ、おるわ、世界中でその数なんと、今日現在で三千四百八十万匹だ。(検索ロボットが探すのだから、かなりあやふやではあるが)ぼくも、仲間に入れてもらおうと、もう数匹の仲間を投入することに。
せっかくだから、昔描いたネコも呼び出そう。過去、描き指しがアーカイブに眠っているのを、ひっぱりあげて、いまいちど手をいれてみた。例によって、絵のタッチは、シリメツレツというか、そのときの気分しだいで、ばらばらである。

ぼくは、マウスを使って絵のようなものを描くが、それには、ぼくの手に負えるテーマとモデルが必要である。猫は、格好の目標だ。
上等な猫は飼ったことがない。わが家には、三歳の元野良猫(メス)がいる。なんら特徴のない平凡なキジ猫である。こいつの動きを観察する。朝な夕なながめているとデッサンに自信のないぼくも、いつのまにか彼女の伸びをするかたちが取れるようになった。かな?
でも、ねこは、むつかしい。新聞や雑誌、グーグルイメージなど、人の撮った写真を見て描くのが、らくでおもしろい。70歳を越えて絵を描き始めたモーゼスおばさんも、広告写真などを見てヒントにしていたらしいというから。


猫の種類は多すぎて、とてもおぼえきれない。うちにいるモデルはただのキジねこである。いつも食卓のうえにすわっているから、こんな見返り美人のポーズも拝見できる。

愛すべきネコの写真は、テレビ、新聞、雑誌に氾濫している。
写真の動かないポーズを描くのは、やさしいようで骨がおれる。
マウスで一所懸命スケッチしても、ちゃんと似せて描くのはむつかしい。似ても似つかぬというな。デッサンがくるってゆがんでいるからこそ、期せずして、適当にいい味が出せているんじゃ、というのが、ぼくの言い分。それはどうかな?


めすネコはすぐおかあさんになって子を産む。かわいがるなら、産ませないように。つぎつぎに生まれる子ねこがかわいそうだから。


動物を人間に見立てて、二足歩行させるのは、かんたんだ。
これは、元来猫背のネコに背筋を伸ばしてもらって、一流モデルを気取らせた。

八軒家南斎のこのような閉鎖的BLOGは、個人の文箱やノートみたいなもので、ただ、ふたがない、かぎがかけてない。
思いつきの走り描きだが、こうして陳列してみると、画廊の世話にならない個展のようなものだ。集客の必要もない。誰の迷惑にもならないのが気に入っている。
なかには、へえ、これ、自分で描いたの?というような発見もあっておかしい。ころっとわすれている。猫がねこじゃらしにじゃれるように描くときは興奮しているが、すぐにあきてしまったのだ。

面白いことに、思いつきはすぐ忘れるが、面白い。この黒頭巾をかぶったねこは、「ニャンじゃ」と名づけた。ねずみ小僧とからめて、物語がでっちあげられそうだ。テレビをみていたら、おとなのアメリカ人にも、忍者が人気で黒装束ですぐまねをするのが面白かった。
準備の要らない安直なお絵かきは、画用紙も絵筆のいらないペイントをつかえばよい。絵の具がいらないから、いくらでも色が使える。描きなおしは、自由だ。くたびれるまで、あきてしまうまで。

投稿者 nansai : 12:08
2007年11月21日
お年始の贈り物に、ネズミはいかが?
十一月十七日(土)

ことしの年末は、日本中の郵便ポストに数億匹のネズミの大群がいっせいに飛び込むにちがいない。干支のネズミは年賀状の主役だからだ。
「年賀状は贈り物だと思う。」と、日本郵政の広告はいう。40億枚年賀はがきを売りきりたいらしい。
コピーの意図はよくわからんが、その年賀状に、干支に選ばれたとはいえ、ねずみは、騒がしく清潔とはいえない。アイデアとしても、姑息かつ陳腐である。
いかがなものか。さて。

と、いちゃもんはつけたものの、ほかに策がないし、干支のネズミをアイデアで料理するのは例年おもしろい仕事なのだ。
ネズミの絵は、雪舟からウオルトディズニーにいたるまで、古来、名作が多い。ミッキーマウス、メイジー、レミーと、漫画、絵本、映画の愛らしい大スターぞろいだ。
ミッキーマウスは、きょう七十九歳のサイン誕生日を迎えた。老いてますます矍鑠たるミッキー爺さんに負けず、いちびって、迷作にいざ挑戦といこう。

ぼくのような年になると、年賀状を出す先がだんだんほそってくるのはしかたがないことだ。

手はじめに、まず四つんばいのネズミをむりやり直立二足歩行させる。正月のめでたい行事に参加させたり、人間さまのするスポーツのポーズをとらせたり。
ときどき、ネズミに見えず、キツネやイヌやクマに見えたりする。




書初め、たこあげ、ゴルフ、サーフインとかボクシングとか、運動させてちょこまか動かす場合と、じっと静止させる場合といろいろである。
なにしろ思いついて突如パソコンに向かいマウスを動かすので、ネズミのタッチは、気分により、ばらばらである。
としのせいにはしたくないが、われながらいいアイデアが浮かんでも、シャボン玉みたいにはじけて消えてしまう。それもご愛嬌。思い出せなくても、また思いつけばいいやとあきらめる。
しばらくすると、なんのことはない、とっくの昔、マイピクチュアにしまいこんでいたのを忘れていた、ということがままある。パソコンは、老人の記憶ロボットだ。アーカイブの無限のしまいこむ能力を利用せねば。
干支の場合、さるや馬などほかの動物を擬人化したときのを、そのまんまいただいて、首をすげかえる。
人間の動きに見立てているから、これはうまくゆく。
絵を描くとき、ネットは、覚えていないこと、知らないことを教えてくれる。昔の赤い郵便ポストのかたちもスノーボードのからだのひねりも、みなグーグルの「イメージ」を参照すれば教えてくれるのだ。

これは、お世話になっているお隣のイタリア料理店のための年賀ポスター案である。たのまれたわけではないが、アーカイブから引っ張り出して、2008年改定バージョンに。とりあえず大阪でミシュランひとつ星をねらうべく頂点を目指す祈りをこめておいた。
主人シェフは、どうも白い歯をむきだした熊の顔が気に入らぬようだったが。
なぜ、スノーボードか。じつは、愛媛県の高校生がスノーボードでオリンピックを目指すニュースをみたばかりだった。世界に通じる実力の持ち主なのだ。
下らぬアイデアには、きりがない。ことしは、ちょっと、新機軸を思いついた。
月探査機「かぐや」からハイビジョンで撮った38万キロさきの地球。この美しい映像を使わせてもらおう。
来年の年賀状には、おそらく定番の初日の出をしのいで、初地球の出(舌をかみそうだ)の写真があしらわれることだろう。
この息をのむ映像にそえるには、「謹賀新年」では味気ない。賀正いがいに、いろいろありそうだ。
真っ暗な宇宙にぽつんと浮かぶ孤独な地球の姿。
おーい、まだ水はあるのか。緑は茂っているのか。
こんなのはどうだろう?ディズニーにとっちめられるかな。地球ネズミ?

投稿者 nansai : 12:17
2007年11月13日
十一月十三日(火)
ポピーデー

英国では、女王も首相も閣僚も、その日は赤いひなげしの造花を胸につけている。
十一月十一日が「ポピーデー」だ。正式には、リメンバランス デーと呼ばれ、英連邦諸国では、国を挙げて戦没者を追悼する日という。二つの世界大戦とそのほかの紛争で亡くなったすべての男女を偲ぶ特別の日と定められている。
国中のみなが、午前十一時に、二分間の黙祷。つづいて、各地で在郷軍人が行進する。ホワイトホールの戦没者記念碑には王室のメンバーと、政治家が集まり献花する。
十一日に近い日曜日は、追悼サンデーと呼ばれて、教会で儀式があげられ、各地の記念碑に花輪が捧げられる。二分間の黙祷につづき、ラッパが吹かれ、ビニヨンの詩「斃れし者に」が朗読される。
もし十一日がウイークデーに当たっても、学校、職場、ショッピングセンターで、万難を排して、「二分間サイレンス」はおこなわれる。
1918年のこの日は、第一次世界大戦の終戦の日だ。その年の十一月十一日午前十一時、西部戦線の砲火がやんだ。数百万人が死傷した4年以上の悲惨な戦闘のはてに。

午前十一時きっかりに「二分間サイレンス。」が始った。
電車はエンジンを止め、車も息をひそめる。帽子を取る人もいる。頭をたれる人も。あちこちで、年老いた元軍人が、気をつけの姿勢をとる。おばあさんが涙を拭いている。みなが静かに立ち尽くしている。
以上は、1919年のロンドンの街角での初めての「二分間サイレンス」の模様を、当時の新聞が伝えた記事からだ。
赤いひなげしの花が、百年も前からの、国に命を捧げた戦没者に、厳粛に思いをいたすシンボルになっている。赤いおしゃれな紙の造花が町で売られており、在郷軍人の支援にあてられているらしい。
なぜポピーなのか。その由来も語り継がれている。
激しい砲撃で西部戦線の激戦地フランダースの地面が掘り返され、地中に眠っていたポピーがいっせいに花開き、一面の花畑になったといわれる。「フランダースの野原にて」という、戦死したカナダの軍医の作った詩が、いまに詠みつがれている。

NHKの海外ニュースでみて、BBCネットを掘り返してみた。
BBCの第二次世界大戦アーカイブは、戦後60年を記念して、将来に向かって永久保存を願い昨年改訂された。
このサイトにはおびただしい死者の情報(15000枚の写真、47000の取材)が記録され、いまもなおサーチボックスが設置され情報提供が求められているのだ。NHKにもぜひ見習ってほしい。祀るのではなく、忘れないという気持ちがたいせつではないか。
国のため命を捧げた死者たちに、あなたがたを決していつまでも、決して忘れない、という思いは同じだが、追悼のしかたは、国や宗教によって当然違うわけだ。だが、戦後、半世紀をすぎ、わが国の行き詰った靖国論争も、はやく前向きに、解消せねばなるまいと思った。

BBCの戦没者を弔うためにしつらえられた幾多のアーカイブを見て考えた。
デジタル時代の死者を追悼する記念碑は、石にきざむのではなく、記録のために必要な無限の空間と時間の待つネットに、アーカイブすべきだろうと。
国費により、NHK制作で、デジタル戦争博物館を建立するとよい。戦争により非業の死を遂げた三百万人の死者を弔い、正しい歴史観を後世に伝えるための史料をそこに蓄積編集すべきだろう。
国立デジタル戦没者記念戦争史料館。
21世紀に立ち上げるべき公共事業の「ハコモノ」こそ、戦没者を弔うための墓地ではなく後世に伝える情報デジタルアーキテクチュアではないか。ここは、NHKにおさめたぼくらの聴取料もフルに活用してほしいのだが。
戦没者を慰めるのに、英国のポピーのような花のシンボルがほしいと思うが、「菊」の御紋章は、思いが重過ぎると感じるのはぼくだけだろうか。
ガーディアン紙の報じるところでは、今回、イラクやアフガニスタンで傷ついた兵士たちのロンドン戦没者記念碑でのパレード参加が許可されなかった。激しい非難の声があがっているという。国は、戦争の悲惨さを国民に見せたくないのだ。

投稿者 nansai : 16:50
2007年11月12日
十一月十二日(月)
「暴走老人!」という本が出たぞ。

なぬ、「暴走老人!」とはおだやかでない。
が、省みて心当たりがないわけでもない。
書名の「老人」に!がつけられている。かなりの悪意がみてとれるな。
藤原知美の同名の著書で一躍流行語になりそうな気配。こんな本のバカ売れもいやだなと、抵抗がなくもなかったが、NHK「週刊ブックレビュー」で著者の藤原知美氏の弁をきいて、さっそくではなく、まあ、そのうちに、読んでみようという気にはなった。
「あんた、失礼じゃないか!」
こんな風に、すぐに切れて激高する「新」老人がふえたと、芥川賞作家はクールに指摘しているらしい。
老人も、人口がふえて、多様化してきたと思う。
分別あってしかるべき老人たちがときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、著者は、ひとまず「新老人」と呼ぶ。
評判の本とあって、テレビとネットでかなり引用解説しているので、読まなくても「新老人」の一員として、著者の切り口は理解できる。
文芸春秋のネットをあけてみると、「書誌ファイル」にこうある。
家族問題を長年テーマにしてきた作家が、「暴走する「新老人」たちの孤独にメスをいれ、品格なき日本人のいまを鮮烈に描き出します。」
最後のおすすめのひとことが痛烈だ。よくいってくれるよ。
「あなたの隣の困った年寄りたちの生態を明らかにする新感覚ノンフィクション・エッセイの誕生です。」

「だれにむかって、ものを言うちょるんじゃ!」
などと激高すると、術中にはまり生態解剖されてしまいそうだ。一冊買って読まんわけにはいかなくなった。
ここに描いた老人は、オリジナル作だ。
「夕日の詩」の西岸良平描くところの昭和三十年代の理想?のお年寄りに、「暴走老人!」に取り上げられた平成のキレれた新老人を重ね合わせてみた。ま、昔ながらのただの老人に見えるのだが。
投稿者 nansai : 12:01
2007年11月09日
十一月九日(金)
年賀状アイデア戦争勃発
ことしは、年賀状のアイデア水準がぐんとあがった。ホームページをみても、郵政公社が一流デザイナーを総動員して、デザイン指導啓蒙をはかってきたからだ。民営化の発足とあって、40億枚売り出すそうな。
ちかくのコンビニにいったら、ここでも、もう年賀状戦争が熱い。
賀状つくりのアイデア集が、雑誌売り場にならんでいた。「10分でできる年賀状。」ソフトバンク刊。なんと押すな押すなの1500点の作例がのっていて、たったの500円。CDつきだ。これは安い。「最短3クリックでできる年賀状作成ソフト」も、充実してよくできているぞ。

やや、これはしたり。先を越されたか。遅れてはならじ。
ぼくの楽しみは、年賀状の干支の動物をアイデア画化することなのだ。何を隠そう、ぼく南斎は、ビルゲーツ先生秘伝のMSペイントでマウスをこちょこちょ操って、絵のようなものを描く、怪しいネズミ使い。天才絵師狩野永徳も、仰天の手軽さなのだ。
とわれて名乗るもおこがましいが、師匠もいないから免許皆伝なんかない。天涯孤独の町の鼠絵師なんである。賀状ごときで、ソフトバンクや郵政公社に負けてはいられない。

わがマイドキュメントをひっくりかえして、かねて描きためた年賀状の動物たち(ねずみを主体に)に集合をかけて、2008年型アイデアを点検しよう。玉石ごちゃごちゃのなかに傑作が埋もれているやもしれないのに、描いたまま、忘れていることが多いからだ。泰山を鳴動させて、とりあえず、まずネズミ一匹を追い出すことに。
手始めに、探索ダイバーマウス。ウエブの大海原は、情報のジャングルだ。深くもぐって探そう。サーチマウスをよろしく。探しマウスというネーミングもいいか。

投稿者 nansai : 13:29
2007年11月08日
十一月八日(木)
我輩は、脚である。ちゃぶ台の。
--小沢党首辞任騒動をめぐって--

我輩は、ちゃぶ台の、一本の脚である。
どういうわけか、我輩のほうが、ほかの脚よりも、はるかに太い。
(ちゃぶ台とは、懐かしい昭和時代、たたみのうえに座って食事したころの折りたたみ食卓。いまは、ふつうの家庭からは消えたが、向田邦子のホームドラマに出てくるやつだ。
頑固親父が、家父長の威厳を保つために怒鳴りながらひっくり返すシーンが、向田ドラマによく出てきた。)
諸般の事情で、我がちゃぶ台は、いろんな板のはりあわせでできている。決して一枚板ではない。
とりあえず、くぎでいいかげんにとめてあるだけだ。
ある日、念願の大きな宴会を開きたいと思った。後押してくれる人もいた。
我輩は考えた。そのためには、からだを寄せて、もっと大きなちゃぶ台といっしょにならねばならない。あわよくば、釘で打ちつけて強引にひとつのちゃぶ台に合体できるかもしれない。
ところが、意外にも、ほかの脚たちが反対するのだ。
親のこころ、子知らずではないか。燕雀なんぞ大鵬のこころざしを知らんやだ。許せん。
一番太い足の我輩は、思わずかっとなって、ちゃぶ台をひっくりかえそうとした。年甲斐もなく。

もよもと、ちゃぶ台同士の組み合わせ、寄り合わせるのは、我輩の得意だ。いろいろなちゃぶ台を、過去何回も寄せ集めた。
でも、しばらくたつと、なにもかも気に入らなくなって、ひっくりかえした。漱石の「坊ちゃん」だな。
ひっくり返すと、ちゃぶ台は、ばらばらになる。我輩は、それを、何回もくりかえした。
今回も、ひっくりかえしかけた。が、いつになく必死にほかの足たちがとめるので、大人気ないと反省して、思いとどまったしだい。さて。
(ちなみに、このように、どんでん返す行為を、いまも、マンガやドラマでは、「ちゃぶ台返し」というそうな。)
投稿者 nansai : 15:22
2007年11月02日
十一月一日(木)
詩集「求めない」
「求めない」(加島祥三 小学館)
という詩集が、本屋の山と積まれた新刊書の谷間に、
ちんまりと並んでいる。

「すると、何かが変わる」と帯にある。
「開いてみて」とちいさな白い本がささやく。
ん、1300円+税だ。
求めない――
すると
心が静かになる。
求めない――
すると
キョロキョロしていた自分が
可笑しくなる
求めない――
すると
恐怖感が消えてゆく
詩だろうか、句だろうか。200ページ足らず、どのページも、白い紙のまんなかに、こんな短い数行がぽつんと印刷されているだけ。この詩には、著者の研究している老子の思想がベースに流れているらしい。

「求めない」は、数ヶ月前、NHKの朝のニュースで若いアナウンサーたちに紹介されて知った。
八十歳を越え信州に独居している著者は、英米文学の専門家だったが、十年以上前に「老子」に出会い、英語からの自由な翻訳をこころみ、ロングセラーとなったという。この本も、早くも5刷だ。
求めない――
人それぞれの受け取り方があるだろう。それが難しいことは百も承知だ、と詩人は言う。その上での「求めない―」。ときには、もう求めないと自分に言ってみるだけで、いい気分になるよ、とも。
求めない――
すると
恐怖感が消えてゆく
ぼくらは、求めて、求めて、かなわず、あきらめる。また懲りずに、求めて、求めて、かなわず、あきらめる。そんな繰り返しが世の常だろう。
ぼくほどの年になっても、それは続く。あさましいことだ。が、集中力と記憶力がとみにおとろえてきたので、「求める」気持ちが持続しない。天の配剤というべきか。
求めない――
のあとに、自分で考えて、日々、なにかをつぎたしてゆくのがいいのでは、と考えた。かなわぬまでも、やってみる値打ちがありそうだ。
そうすれば、ひとりひとり、自分だけの「求めない」詩集をつくることができる。
求めて、求めて、ないものねだりの、ぼくには難しいことではあるが。 (そうだ。脈絡なく、ぼくは勝手にぼくのカエルの絵をそえることにした。)

求めない――
すると
求めないでもいられる自分に驚く
先日、ひさしぶりで気の置けない友人たちと、ホームコースでゴルフをした。
もともとの下手にくわえて、足をひきずっているせいもあり、いつものことだが、ボールがあらぬほうに飛んでゆく。キャッチャーフライみたいに真上にもあがるのだ。
二十センチのパターをはずしながらも、ぼくは悠揚せまらず、
「求めない」「求めない」
をとなえて、いや、連呼して、パートナーにいぶかしがられた。
深遠な老子の思想とは、ほど遠い受け止め方である。
投稿者 nansai : 13:50
2007年10月30日
十月三十日(火)
打たれたが、あっぱれだ。岡島投手
ことしのワールドシリーズには、注目した。両軍に日本人選手がいたからだ。松坂、岡島と、松井。
「一億ドルの男 ルーキーイヤー 至福のエンディング(毎日)は、4勝して優勝したボストンブレーブス松坂投手に捧げられた見出しだ。
ゲーム3は、空気の薄い標高1,600b敵地デンバーで、コロラドロッキーズを相手に、松坂はみごとに5回を投げきって、勝利投手となった。このところ結果の出なかったダイスケは、買い被りが裏目にでて期待されなくなって心配していたが、最後に意地を見せた。

しかし、ぼくは、脇役の岡島投手をたたえたい。
シリーズ初登板での岡島投手の救援振りには、感動した。冷静な平常心で、歯を食いしばって、打者7人を凡打三振に討ち取った。相手ロッキーズの監督が絶賛したというからすごい。
フランコーネ監督の信頼はあつかったが、第三、第四戦では、いずれもホームランを浴び一点差に詰め寄られた。限界だったのだろう。
岡島は、シーズン66試合に登板した、縁の下の中継ぎだ。
今年はじめ、レッドソックスに移籍したが、岡島のあの投げ方で大リーグで通用するかと危ぶむ声が多かった。ぼくもその一人だった。
ダイスケの「ジャイロボール」は魔球だとか、鳴り物入りの松坂大輔の影にかくれていたが、今はどうだ?
日本の球界に見る眼がなかったのと、岡島のパワーを大リーグに通用すると見抜いたレッドソックスのコーチとの出会いが、幸いした。

球を放す瞬間、キャッチャーミットから眼をそらし、下を向く。
あっち向いて、ほい。岡島投手の独特のピッチングフォームを何とか描いてみたいと思った。似ても似つかぬのは承知のうえで。

変則といわれるだけあって、かなりむずかしい。
新聞やグーグルの写真を見ながら、マウスをこちょこちょまわしてスケッチする。
そのときのこっちの気分により、その都度描き方のタッチが、ふらふら一定しないのが、悲しいかな、しろうとのご愛嬌だ。
でも、ものは考えようである。型にとらわれない自由は特権でもあるのだ。思いつくまま無責任にいろんな型をあれこれ試みためすのは愉快だ。と、居直ることにしている。
ゴルフでは、これをテストハビット(ためし癖)という。コース上でやると、たたりでぼくはひどい目にあっているのだが。
投稿者 nansai : 12:57
2007年10月24日
十月二十四日(水)
偽装の赤福もちに「もったいない」の
いいわけは、もったいない?
大阪では、粟おこしなど往年の地元名産の影が薄くなった。かわって、伊勢名物のはずの赤福が、大阪駅で一番売れている大阪土産ときいた。たいしたものだ。
全国区に雑誌広告を出して、創業300年の赤福は順風満帆に見えた。

あんやもちのようにいたみやすい商品を、工程の技術革新で、添加物がなく新鮮なまま、消費者にとどけている、というふれこみだったからだ。
ところが違った。
「生ものですからお早めにお召し上がり下さい」とは書いてあるが、手練手管のかぎりをつくして消費期限を偽るだけでなく、売れ残りの回収製品も冷凍し、消費期限をつけなおし再出荷していたという。
チェックの目は節穴か。行政も見抜けなかった食品衛生法とJAS法違反だ。
「客を欺く精神が許せない」と社説に掲げたのは、産経。「老舗よ、お前もか」(朝日)ほか、大新聞も非難ごうごうの弾幕を張っている。
追い詰められた社長は、「もったいない」という気持ちが社員にあったのだろう、と弁明した。自分は知らなかったが、と歯切れは悪かったが。

だが、「もったいない」は、世界で認知された日本人の美徳とされている。
食べ残しなど食品の無駄は目に余る。コストダウンは、製造現場の正義であり、目標である。世は、リサイクル、再利用、資源の有効活用を叫ばれている。売れ残ったあんともちを「分別回収」して、何が悪い。食中毒になった客がいるかと、居直りたいところだろうが、うそはいけない。きれいごとをいって消費者をだましたことになると、とっちめられている。
テレビニュースを見ていたら、伊勢参りのお客はのんきなもので、赤福の店頭で、せっかくたのまれて買いにきたのに残念だと、にこにこ。閉まった店の前で、みな並んで記念写真を撮っている。お客さんはありがたいものだ。

食糧危機かもしれぬ21世紀、「もったいない精神」は大事だ。
こぼした飯つぶをひろって食わされたぼくらからみて、コンビニなどの食品の大量廃棄も、これからはいかがなものか。衛生面にシビアな配慮が必要だが。
ぼくは、このけしからん赤福のためのアイデアを思いついた。一発逆転は、むりかもしれないが。

お取り込みの最中に大きなお世話であるが、おわびのしるしに、つぎのような新?製品発売のごあいさつはどうか。
「長年の、そして今回の経験と冷凍再生技術を生かして、あんともちのリサイクル製品の開発に成功しました。味は変わりません。」
再生商品名は「白福」はどうだろう。
「もったいない」の気持ちは、たいせつに。
「従業員向けの社内販売価格で。よろしければ」として、老人ホームなどでお茶請けに、無料でくばって、罪滅ぼし。いいんじゃないの。
投稿者 nansai : 15:25
2007年10月18日
十月十八日(木)
もし、亀田がチャンピオンになっていたら?

未曾有のバッシングのさなか、本人は自分で丸坊主になって一言も発せず、亀田親子は処分に全面降伏の感じで、「とりあえず」あやまって記者会見は終わった。
今度のフライ級世界選手権(しろうとで野次馬のぼくは、世界タイトル戦とは気がつかなかった)は、試合というより、事件になった。反則許すまじ。だれもが正義の味方で、裁判員になったのではないか。だからいわんこっちゃない。大新聞までも苦々しげに社説でとりあげた。
ぼくは、もし、何かの拍子で、亀田大毅が世界チャンピオンになっていたら、と考えてみた。
あの晩、リングサイドの実況アナは絶叫していたのだ。
チャンピオンの切れたまぶたの上の出血がとまらない。ドクターストップにでもなれば、「勝てますね」と。

もし大毅が勝っていたら、世間は、マスコミは、どんなスタンスをとるだろうか。困ったかなあ。よおし、と張り切ったか。手のひらの返しかたは、とても興味深い。
「親子の絆」がテーマのテレビの特番が、次々に企画されよう。21世紀の「親孝行」として、美談化されるだろう。
勝ってなんぼや、何が悪い。こどものけんかに親が出て悪いか。父親の子育ての本が、ベストセラーになって書店の店頭に平積みされるだろうか。
激しいブーイングは前回もおきたし、抗議の電話も五万本と聞いたが、今回もすごかったが。
ボクシングは、ぼくのようなズブのシロウト目には、勝ち負けの判定が難しい競技だ。野球やサッカーやマラソンなどの、ほかのスポーツと違う。
12ラウンド打ち合って、どちらもダウンしない。
やせた33歳の世界チャンピオンが目の上を切り顔面ぼこぼこだ。
いっぽう、筋骨たくましい18歳の挑戦者は、涼しい顔。判定で大差がつくと、ブーイングを背中に浴びながら、健闘を讃えあうでもなく、さっさとリングをあとにした。
リングサイドの元世界チャンピオンは、判定ほど差はない、と言い切った。どうなっているのだ。

事件性のおかげで、テレビ桟敷のぼくら野次馬も、あとで詳しく試合の内容を解説してもらい、にわか「反則通」になった。世界選手権試合はフェアなものと思っているから、びっくりだ。
ふうん、サミング、頭突き、目つぶし、抱え投げ、タマをねらう、いろいろあるもんだ。ボクシングをやっている人には常識でも、驚いた。
で、ボクシングには門外漢のぼくには、破天荒だった試合そのものよりも、後のテレビや新聞の報道がおもしろかった。
この試合をふくめての一連の騒ぎをめぐる人たちが、意見の立ち位置をかえる、あたふたぶりが、じつに興味深かった。

ちょっとでも、ボクシングをかじった人は、怒りで震えるようだ。許せない。スポーツは、フェアで神聖だという思い込みが強い。
同じボクシング業界では、多少歯切れは悪いが、不快感を隠せない。ほかのえげつない格闘技に客を奪われて落ち目の業界にフットライトを浴びさせてくれたのだが。
さて、世間様だ。
ぼくもその一員だが、ボクシングはわからないから、態度しか判定のしようがない。
「なにわの弁慶」とか、業界では悪役を「ヒール」というらしいが、ちんぴらやくざの役を振られて、得々と演じてきた。一流の振り付け師がついていたのだろう名演技だった。
年少者のくせに、先輩に敬意を払わない、礼儀知らず。顰蹙を買う挑発行為。不愉快だ。ざまをみろ、親の教育がなっていない、とか、世間様はにわか裁判員としてブーイングを浴びせる。

世間にも、ひいきの引きたおしのグループがいる。
関西の地元だ。試合の後、熱唱する唄の追っかけファンもいるらしい。ぼくのタイガースとはちょっと違う。
亀田一家イコール関西と見ている人も多いらしい。
テレビにはびこる吉本イズム。しかたがない。同じように見てほしくないという声も。
いちばん、大きい正義のブーイングは、勧進元のTBSに浴びせられている。視聴率は、四十%近くに達してしてやったりのはずだったが。
ボクシングも、ショーにすぎない、という信念で、一糸乱れぬ大統領選挙のような売りだしキャンペーンが展開されたのだろう。成功してきた。

だが、思わぬ展開になった。世間様の風当たりに、あわてて、局のなかでも、対応がまちまちだったようだ。
「愛局心」がばらばらにみえた。司会者やタレントたちが、急遽立ち位置を変えるのに、あたふたと右往左往する。これは見ものだった。
当人たちは、自分自身の人気、良識を守るのと、局への一宿一飯の恩義の板ばさみで、わかるねえ。
「あんたはずるい、距離をとって、打ち合わなかった」と、翌日のテレビでチャンピオンに、証拠のメモを取
り出してくってかかったタレントがいた。試合前で「君が代」を独唱した歌手である。
いやあ、それぞれ、忠犬ハチ公だ。みな生きるのに一生懸命だなと思ってきいていた。
最後に、博愛主義者。訳知り。家庭裁判所。死刑廃止論者だ。
まだ18歳のこどもじゃないか。何も知らないのだから、親の責任だ。才能の目をつんではいけない。将来の世界チャンピオンになれる素質が、みてとれる。
などなどだ。
18歳の未成年。でも、ぼくは、すべて、自己責任だと思う。
まわりに影響されるのはしかたがない。これほどマスコミに持ち上げられたら、振り落とされたら、狂うのは当たり前だ。
視聴率の犠牲。果たせなかった父親の野望。跳ね除けるのは難しいが、自分の人生だ。
誰からも相手にされない若者は、ほかにはいて捨てるほどいる。
他人がとやかくいうことではない。大きなお世話だ。
ただ、テレビや出版、ゲームの興行師たちのがんばりで、亀田一家のスタイルが、社会現象になり、そのまんま、夕刊紙の一面に登場するのにはご勘弁願いたいものだ。ネオ亀が、青少年の憧れの理想像になっても、どうかねえ。
脅しのちんぴらの物言いが、大阪弁代表とみなされるのも迷惑だし、うんざりだ。
半世紀前は、不運にも、同じ年代の若者たちが、戦争に駆り出され、帰らぬ人になったことも思い出した。
投稿者 nansai : 13:56
2007年10月12日
十月十二日(金)
歴史の教科書で学んでほしいことは、なにか

半世紀も前、太平洋戦争の末期に、沖縄でなにが起きたか。あと数ヶ月で、日本が連合軍に無条件降伏する土壇場だった。
本土にいるぼくたちは、あまりにも知らなさ過ぎたし、知ろうとしなかった。グーグルかヤフーに、「沖縄戦」と入れて検索してみよう。
昭和二十年、太平洋戦争末期の沖縄戦は、55万人のアメリカ軍(上陸部隊18万人)と12万人の日本軍が戦い、民間人を巻き込んだ日本側の死者は、三ヶ月で20万人を越えた。
悲惨にも、海に囲まれて逃げ場のない非戦闘員15万人が死亡した。
ほとんどが米軍の熾烈な砲撃爆撃による犠牲者だが、ところによっては、洞窟に逃げ込んだ住民が集団自決に追いやられた。
女子供老人、非戦闘員も、軍民一体で戦い、生きて捕虜になることを恐れたからだ。
ことしになって、この集団自決に、軍の命令はなかったとして、教科書の記述が削除された。それをめぐって、沖縄県民が抗議の声をあげている。
この91式手榴弾は、7,8秒で爆発する。死を選ぼうとした住民たちは、車座になって、手榴弾を爆発させたと伝えられる。

当時、手榴弾の材料の金属が不足していて、丹波などの窯元で製造された陶器製も使用され、不発事故も多かったという。
手榴弾が入手できない場合、やむなく、最愛の家族同士が、カマや棒で殺しあう悲劇も。地獄としかいいようがない。

沖縄の場合、集団自決した人々は、十万人の尊い犠牲者のうちの一部である。それなのにである。
日本軍が命令で関与したかどうか、世界でもまれな集団自決を教科書にどのようにとりあげるか。問題は、歴史認識から外れて政治問題になってしまった。反日、売国奴、自虐史観と、相手を呪う言葉が飛び交う。
地元住民のデモの数におびえて教科書を書き直してもよいのかという大新聞の意見も出てくる。
高名なノーベル賞作家が裁判で争い、大新聞どうしが口汚くののしりあうといった有様である。
そんな教科書の記述をめぐる争いよりも、大事なことがある。
昭和二十年、沖縄でなにが起きたか、史実を集めて歴史に残し、戦争を知らないひとたちの胸にしっかり刻むことが大切だと思う。
そして、なぜと問いたい。それが歴史認識だろう。
沖縄でどうしてこのような戦いが起きたか、なぜあれだけ多くの住民が戦いに巻き込まれてなくなったのか、後世の人が考える史実をできるだけ忠実に伝えるべきだろう。
あわせて、昭和のはじめからの太平洋戦争にいたるまでのいきさつを伝えねばならない。なぜ300万人の日本人が命を落としたのか。なぜ。
そして、日本軍が戦争に巻き込んで、なくなったアジアの人たちの犠牲を、どう受け止めるか。

沖縄戦に限らず、戦争は、殺戮以外のなにものでもない。ウイキペディアで、殺戮の歴史をみてみよう。
たいていの兵士は、徴兵される前は、ふつうの農民や市民だ。
戦場は、かれら、ごく普通の人間を、殺戮に駆り立てる。かれらを突き動かす動機は、なにか。
刷り込まれた大義だけでなく、恐怖、報復、疑心暗鬼など、異常な心理状況による。
命令のあるなしにかかわらず、軍隊が、兵士が、狂うときは、敵の戦闘員と一般民衆が見分けがつかぬ極限状況においてである。市街戦、ゲリラ戦は、大量殺戮につながりやすい。
勝った側は、戦闘を終結させるために、殲滅をはかる。圧倒的な武力で優位に立ち制圧できるとき、無抵抗の相手が、特に民衆が殲滅の犠牲となる。殲滅、掃蕩は命令によることが多いのだ。
NHKのドキュメンタリー兵士の証言をみても、命令だからしかたなかったと兵士たちはいう。ある元兵士は平然と、ある元兵士は涙を浮かべて。
どのような大義をかかげようとも、どの時代の、どの国の軍隊も、例外ではないと歴史は教えている。
この史実を、戦争を知らないひとたちに伝えたい。
戦争とはなにか。おぞましい戦場の極限状況を知らないひとたちに学習してほしい。
歴史だけが、教えてくれる。
NHKの2005年制作のドキュメンタリー「沖縄よみがえる戦場」は、みておくべきだろう。いま深夜に再放送されている「証言記録・兵士たちの戦争」は、アジア太平洋戦争で、わが皇軍がいかに戦ったか、ぼくたち銃後の国民がしらなかった史実を教えてくれる。
このドキュメンタリー・シリーズは、戦争を知らない政治家たちに、「ご議論」の前に戦争の現実を学習できる機会を与えてくれるだろう。若い世代には、丸暗記のための教科書よりも、この日米双方の映像資料による証言をみてほしい。
修羅場を経験してかろうじて生き残った証人たちは、戦後60年たち、押し黙ったまま、次々に世を去っている。何が起きたかを思い出し語るのは、あまりにつらいから。
集団自決に軍のかかわりはなかったとして、教科書記述を改訂しようとした勢力は、いったいだれなのか。
安倍内閣時代の文部科学省の動きは、見過ごせないと思う。
戦争末期、日本は国全体がおおきな感情に突き動かされていた。国を守るということは、一億玉砕してまでも国体を護持することで、沖縄の住民を守るということは、軍の戦略としては考慮外だった。
毎日新聞那覇支局の三森輝久氏は、「記者の目」欄にこう書いている。
「沖縄戦は、本土防衛の時間稼ぎのため日本軍が展開した「出血持久戦」だ。軍民混在の状況下で組織的抵抗が三ヶ月続いた。この過程で、日本軍が住民を壕から追い出したり、食料を奪うなどの虐待が各地で起こった。スパイ視の挙句に殺害した例もある。県民の犠牲者数は、いまも不明で、9万から16万人まで見方がわかれる。」
自分を、天皇陛下の「醜の御楯」と思え。大君の辺にこそ死なめ、省みはせじ。今の人たちには信じがたいことだが。ぼくらは、こう教わった。
中学二年生のぼくらは、もう本土決戦のための海岸陣地構築に動員されていたが、遠く海をへだてた沖縄戦の悲惨な戦況は、まったく知らされていなかった。
沖縄戦に勝利して、アメリカ軍は、Operation Downfallを発動する計画だった。十一月一日のXデーまでは、7発の原子爆弾を投下し、九州に35万の米軍が上陸の手はずになっていた。
かれらの見積もりによれば、日本制圧には、米軍170万から400万人の死傷者(戦死者40万人から80万人)が予想された。
対する日本側の損害は、本土防衛に大規模な市民が動員されると仮定して、500万人から1000万人であった。
過去のノルマンディーや硫黄島、沖縄戦から類推して計算された数字であろう。(戦時庁スティムソンのスタッフ、ウイリアム・ショックリーに。ウイキペディアから)
中学二年生のぼくは、沖縄戦と同時期に本土で陣地構築に動員されていた。
沖縄に向かって出航した戦艦大和が沈没したことも、連合艦隊が壊滅したことも、まったく何も知らなかった。このオリンピック作戦の全貌?も寡聞にして、ネット上で、60年後に初めて知ったのである。
投稿者 nansai : 16:40
2007年10月10日
十月十一日(木)
たそがれコンサート予告
ことしも、会社の前の公園で、町おこしの「たそがれコンサート」が開かれる。有志肝いりの豪華プログラムだ。バイオリン、アコーディオン、太鼓と、毎晩、演目がかわる。入場無料。

オンチの南斎も、ボランティアでポスターの絵を描くことに。以下は、アイデアスケッチだ。

赤いとんがり三角は、公園の遊具で、これをシンボルにしては、というわけ。これからこの界隈の名物イベントになれば、縮めて、「たそコン」とよべばいい。これから三十年たって、ここが「三丁目の夕日」として子供たちの記憶に残るかもしれない。
絵のほうは、ちょうど「衛星探査機かぐや」がおじゃましているお月さんから、ウサギ君に出演を依頼した。



もともと大阪城内だったここら界隈は、水の都のへそにあたる。歴史はふるく、平城、平安時代にさかのぼる。すぐそばに、熊野街道に通じる御祓い筋。公園の下は、名高い八軒家船着場でにぎわったところ。万葉集にでてくる難波津も近くにあったという説も有力だ。
この千年以上前の歴史のある街をなんとか、盛り立てたいものだ。盛況を祈ろう。
投稿者 nansai : 18:03
2007年10月01日
九月二十八日(金)
ピリオドの日。
どうなることかと心配していたら、阪神、8連敗にピリオド。中園の好投、復帰した林の一振り。若手のふんばりで、まずは、やれやれ。

その夜、堂島中町のショットバー「デワ―ハウス」がひっそりと四十九年の歴史を閉じた。こちらは、いささか切ないピリオド。入居しているビルが取り壊されるらしい。
昭和がまた遠くかすんでゆく。
ほんまに知る人ぞ知るだった。このスコッチバーは、昭和三十年代のサラリーマンのぼくにとっての青春のアーカイブだった。あのコロは、よう飲んで、よう働いたなあ。
昔の毎日会館の対面の地下一階。看板が小さくて地上を通る人はつい見過ごしてしまう。転げ落ちそうな急な階段を下りると、この4坪ほどの隠れ家風たたずまいは、古色蒼然、昭和三十四年創業時とまったく変わっていない。階段下つきあたりのトイレは、向かいの居酒屋との共同便所だ。
知る人ぞ知る。開店当時は、それはたいしたもんだった。
大阪じゅう、屋上地下、いたるところビアホールが乱立し、安いうまいトリスバー全盛時代で、「ホワイトラベル」のような舶来スカッチは、薄給のぼくら平社員には、神々しく近づきがたい存在だった。
おそるおそる緊張して、上司に連れてきてもらった晩を昨日のことのように覚えている。(すごいことに、半世紀も前、その日撮られた写真が、きちんと整理されて、店のアルバムに貼りつけられているのだ)

「はーい、動かないで」と、先代のバーテン矢持さんが、要望があれば、超スローシャッターで客の写真を名機ニコンSPで撮ってくれたものだ。白黒だがかたっぱしからアルバムに張って、それを誰にもオープンに見せるサービス?が自慢のアイデアだった。
連れてきた女性と並んで撮ってもらうのだが、プライバシーなんか平気だ。個人情報が今ほどうるさくない時代の顧客管理のはしりだった。
バインダーがはずれてぼろぼろになった百六十冊?のアルバムが、昭和の高度成長時代からの越しかたをクールに記録している。
昭和三十年代のぼくの若き日のやせてとんがった顔も、かけだし当時の名刺といっしょに残されている。青春の過去帳のようなものだ。
往時茫茫、堂島通りをへだてて毎日放送のスタジオが対面にあったころは、スターたちも時間つぶしに訪れた。ビデオ以前のキネコ撮りの時代だった。
別に上得意ということでもなかったが、古顔として、忘れた頃に友人たちとぶらり訪れた半世紀。お世話になりました。時代を超越して、このバーは、表情を変えず客にこびず飄然としたところが好ましかった。(近年は、タウン誌などで男の隠れ家風に見直されてきたようだが。)

スカッチしか出さない。しかし、スノッブめいたところがみじんもなく、いわしなどの缶詰が積み上げられた棚から勝手につまみを選ぶ。水割りの水はミネラルではなく水道水をボトルに入れ冷蔵庫で冷やした。
「ここの水割りは薄いから、何十年も飲んでも悪酔いせず胃を壊さないのだよな」と、ぼくらはよく悪態をついた。
さして飲めもしないくせに談論風発して深夜まで粘るぼくらの頭上に先代バーテンダーの矢持さんが、ロープを張ってまだぬれた布巾をつるす。ぽたぽたしずくが落ちてきそうだ。
頼むから帰ってくれえ、の信号旗だったのもなつかしい。
ありがとう。さようなら。お世話になりました。
大阪がまだ元気だったころの話だ。
デワーハウスが生まれて二年目、昭和36年秋の第二室戸台風で、高潮の泥水が堤防を乗り越え、中之島一帯水浸しになった。
あのころから大阪が変貌し、背の高くなった防潮堤で大川の水面が見えなくなり、川の中にくいをぶち込んで高速道路の橋脚とした。パリのセーヌに似た水の都の風景も消え、東京一極集中に一直線へ。トリスもスカッチも、いまは焼酎に好みが変わった。

閉店の晩、ぼくなりのレトロな、こころの「玉手箱」を小脇にかかえ、ころげおちないよう用心しながら急階段を降りて、なかをのぞいてみた。
当然、ぼくは浦島太郎である。
あ、お呼びでない?振り向いてくれる旧知の客は、いようはずもない。
子か孫のような見知らぬ若い世代のひとたちで狭い店内は込み合っていた。
「こころぼそさに ふたとれば、
あけてくやしき たまてばこ」
投稿者 nansai : 16:24
2007年09月28日
九月二十八日(金)
トラがネコに化けた夜
十一勝十一敗一分で迎えた昨夜の阪神中日戦。
久しぶりで三塁を守る今岡に、中日中村の三遊間のゴロが襲った。
待ってとった体勢がまずかったか、右足に体重がかかり、よろけるような妙な倒れ方をした。一塁へはかろうじてツーバウンドで刺したが、ひざか足をひねったらしい。いたい。

でも、痛みはあるだろうに、今岡はそのまま引っ込まず、次の打席で、走者一塁において、みごと三塁左を抜く二塁打だ。
もともと鈍足の彼が痛む足をひきずって、けんめいに二塁へ駆け込んだ。
塁上で、めったにしない小さなガッツポーズ。
三ヶ月のブランクからはいあがった彼のくそ意地がつたわってきた。ぼくは、安っぽく感動はしない。プロなら当たり前のプレーだからだ。
打線不振の不甲斐ない阪神は、せっかくランナーをためても、次の一本がでないまま、八連敗だ。でも、ひさしぶりで今岡のガッツなプレーをみせてもらった。
はいあがって再起なるか?ホームページに、一時は進退も考えたと書いた今岡。外野席のファンは、「お帰りなさい。今岡」と書いたプラカードを振っていた。
けさのスポーツ新聞の見出しは、きびしい。ニッカンは、
「300万人突破の日に8連敗」
「『猫ナイン』」叱る宮崎オーナー」「甘えるな」
デイリーは、語呂合わせできた。
「泣きっ面に8連敗」
「トラがネコに::」
「復帰今岡右ひざ負傷」
うーん、我輩は猫だった、か。南無阿弥陀仏。
でも、生まれ変わって七回化けて出て来い。

投稿者 nansai : 12:02
2007年09月27日
九月二十七日(木)
戦争の太鼓の音が聞こえるって?
「これは日本のメディアがあまり報道しないことなんですが…」
こんな前置きで、テレビのワイドショーのコメンテーターが披露する海外情報が、平和ぼけのぼくには興味深い。
急きょパソコンの前に座り、へえ、ほんまかいな、と情報源のサーチにかかる。これは老いた脳のストレッチみたいなものだ。

イラン情勢が切迫しているらしい。
「たいへんなことになっているのをしらないのか」と、ワイドショーをぽかんと眺めていたら、挑発された。
タイガースの連敗なんか悲しんでいる場合ではない?
アメリカがイランを爆撃しようとしているというのだ。
「中東大戦の足音が聞こえる」(ニューズウイーク)とは聞き捨てならぬ。
ネットをのぞいてみると、うわさは、一年前から取り上げられ、記事や論文がネット内にわんさと山積みされている。
本気なのか、様子見のリークか。イスラエルにイランの核サイトを空爆させるプランもあるとか。イスラエルに先に手を出させて、イランが報復に出れば、アメリカの出番というシナリオもあるとか。背景は、イスラエルが絡んでくるので複雑だ。
外交はもう手詰まりで、イランの経済制裁に賛成している国連の国々も怖気づいて足並みが乱れているらしい。
いま、強硬派のチェーニー副大統領が、ブッシュとライス国務省長官をゆさぶっているとか。イラン討つべしと後押ししているネオコン理論派は、政権の内外でまだ活発に動いているらしい。
一方、アメリカ軍高官は、イラン戦争のうわさを打ち消そうとけんめいのようだ。
大統領選挙をひかえたアメリカで、イラクの増派か撤退であれほど、もめているのだから、ブッシュは、もう懲りて、いまイランと戦端を開くとは考えられないのだが。まさかと思うぼくのシロウト判断は、あてにならないのか。
アメリカが眼のかたきにしているのは、イランの「イスラム革命防衛隊」だといわれる。この強大な組織(らしい)が、武器供与や訓練で、イラクの武装勢力、シーア派民兵を支援しているとにらんでいる。イラク問題がかたづかないのは、イランの後押しだとみているのだ。

アメリカ上院は、政府がこの12万人の革命防衛隊を、テロリスト集団と指定し経済制裁を加えるよう決議した。法的にそうなれば、この組織の対外的ビジネスが封じこめられ、イランと付き合いの国にも大きな影響がでてくるらしい。
もひとつ驚いたのは、シリアと北朝鮮のむすびつきだ。
いつの間にか、核とミサイルの技術をめぐって両国が密接な関係にあるのだそうだ。北朝鮮によるシリアへの核協力が、欧米のメディアで報じられている。

先月、シリアの核関連施設をイスラエルが「謎の空爆」をした。イスラエル奇襲部隊が、シリアで北朝鮮供与の核物質入手という英夕刊紙の報道も。まるでハ