2009年07月02日
七月二日
梅雨の合間に、落語「雨乞い源兵衛」をナマで聞けるチャンスだ。立ち見も歓迎らしい。
八軒家寄席第二回が土曜日午後六時いよいよ開演だ。前回の林屋染二師匠が熱演の「三十石夢の通い路」は大好評だった。

なにしろ、いまをときめく天満の繁昌亭でトリをつとめる売れっ子落語家が、50席たらずの特設寄席での熱気あふれる公演は、ファンには聞き逃せない。
会場は、北大江公園前のイタリアンレストラン「マリアン」。
演目は、「雨乞い源兵衛」。あまり知られていない演目だが、小佐田定雄作で初演は1980年の新作落語だ。解説本によると、ストーリーは、テレビの「まんが日本昔話」にヒントを得たそうだ。
へえ、落語作者はどんなはなしからでも自由に発想できるのだなあと感心した。
子供に人気の昔話も落語になる。おもしろいやないか。いつまでも古典にこだわらず、今のご時勢にあった悲喜こもごもの笑いを落語化すればいいのだ。
さっそく、ぼくもひとつアイデアが浮かんだのだが、いまはないしょにしておく。
投稿者 nansai : 14:43
2009年06月26日
六月二十六日 うん、気持ちはわかるぞ。サンスポ「ノーモア暗黒時代」特集

かつての常勝?タイガースが、だめトラ状態になって必死にあがいている。
「タイガースみたいやないがな。こんな強いタイガースには、つきあいきれんで。」と不遜にもぼやいていた昨年が、あほみたいだ。驕れるものは久しからず、だった。
星野も岡田も最初のシーズンは4位だったからなあと、最初は遠慮がちに真弓阪神を見守っていた新聞雑誌が、たまりかねて、タブーだった首脳批判を始めた。気の早いのは、次の内閣まで取りざたし始めた。
ぼくにしてみれば、うん、これはこれで、面白くなったぞ。
5位、借金6.こんなに弱い阪神では、キオスクで新聞も売れず、部数低下で新聞社もおまんまの食い上げだろう。
監督をぼろくそに批判しないと、新聞が売れないところまできてしまったのか。勝っても負けても、甲子園球場は満員御礼だが。

まずサンスポの「ノーモア暗黒時代」緊急連載。
取り巻きのはずのトラ番記者が、火ぶたをきった。
真弓監督は底上げの力となる2軍を重要視していない。もっと動け。ファーム視察を欠かさなかった前監督のように、もっと自分の目で、2軍戦力をみきわめるべしという。
ベンチでの真弓のなんともいえない薄笑いが、まわりを唖然とさせるという。
言いたいことは山ほどあろう。
監督の動きが遅い。動くと、こける、自分の意見がないからコーチの意見を聞きすぎるのか。切り札檜山の出番がつくれない。下位のチームにクローザーはいらない。いっせいにブーイングだ。
いいぞ、その調子。と声援していたら、なんのことはない。
怪企画、サンスポ特集「ノーモア暗黒時代」は、へなへなとトーンダウンしてしまった。
トラを再び暗黒時代に戻さないためのトラ番記者15年の渾身の提言だったはずなのに。
「補強OK 太っ腹オーナーに甘えればよかったのに」の見出しで、緊急提言は幕引きのようだ。
いったい、だれにメシ食わせてもらっとるんじゃと、球団と、こてこてのトラキチたちに噛みつかれたのだろう。
ある見出しに、「株主怒った、」というのがあった。
これは傑作だ。あんまり負けるので、どんな選手をとってきたんやと、社長が株主総会でつるし上げられたらしい。

ぼくは、半世紀にわたるトラウオッチャー。甲子園にほとんど行かないから、現場のナマの野次の肺腑をえぐる激烈さは知らない。
タクシーの運転手さんと野球批評を楽しむ。かれらは容赦しない。えげつない。4番新井に三塁を守らせるのは無茶だ。オリンピックで腰骨を骨折したのが、かんたんに半年で直るはずがない。などなど。
クールでハンサムな真弓は、球史に残る天才的ユーティリティ・プレーヤーだった。でも、監督のウツワかなあ。ぼくは、違うと思う。ナガシマさんのように。

関西系のテレビ解説は、高校野球もどきのよいしょ中継だ。若いアナの猫なで声が気持ち悪い。
いつからああなったのか。OB解説者も辛口の正論をかますとすぐおろされるのだろう、奥歯にものの挟まったコメントばかりだ。
強いばかりが阪神ではないとも思うのだ。
晩年の名監督ケーシーステンゲル監督率いていた、むかしのニューヨークメッツのように。毎年100敗以上最下位だったが解任はされず、ニューヨーク市民から愛されたという。この国では無理だろうが。
残りの長いシーズン。まだ優勝をあきらめていないなどと言うソラゾラしい大本営発表は、もういい。
いい材料がないから、といって、悔い改めたサンスポも、一面に、カーネルおじさんの担ぎ出しはないだろう。
「カーネルお祓いで、超常現象」とは、わけわからん。「真弓宮司が真弓に太鼓判。呪い解けた!」
なんでも、サンダース人形が、住吉大社で修復初披露され、87歳の宮司さんが、監督と同姓の真弓さんだそうな。そういうことか。悲しいね。
ああ、なにしとるんや。ぼけ。ドジ。歯に絹を着せないつっこみ、ぼやき、罵詈雑言を浴びせつつ、応援しよう。それしかない。むかしのように。

投稿者 nansai : 13:04
2009年06月22日
六月二十二日 首の重みに耐えかねて
むちうちでもないのに、突然の首の痛みで一週間を棒に振ってしまった。
週末に首にかすかな痛みを生じたが、ほうっておいたら、そのうち首が回らなくなった。その晩も酒を飲んだから、自業自得かもしれない。

首が痛いと、ベッドに横たわるのが、どっこいしょと一苦労だ。まず仰向けになるのが一大事である。首が痛いと、ベッドで頭が微妙に左右に動かせない。激痛で寝返りが打てないのにまいった。
枕にアイスノンをおいて、ぼんのくぼを冷やそうとするのだが、後頭部がそこに軟着陸できない。枕の上10センチから着陸態勢にはいり、おそるおそる頭をおろそうとすると、あいててて、激痛が走る。
久しぶりで訪れた整骨の先生は、これはかなりひどい。安静にしてアイスノンで冷やせという。テレビ医学番組では、首の痛みは、腫瘍とか思わぬ重大な原因によることがあるとか。
ぎょっとして、整形外科でレントゲンをとってもらっら、
少し頚椎の骨の間がせばまっているようだ。すりへって経年変化なのだろう。いまのところ、しびれもないし、首の牽引をしましょうということになった。

一週間たって、ま、大事に至らず、ぼくの首は何とか元に戻りそうになってきた。
かくかくしかじかと、整骨の先生に報告したら、むっとされた。両方の治療を併用することは相成らん。という法律があるといわれた。いつもは人当たりのいい若い先生だが、どっちの治療法を取るかとせまられ、びっくり。
整形外科の首吊り料金は一回320円、整骨治療は500円、どっちも10分足らずで済む。後期高齢者医療保険で、半分は公の負担(すんまへん)だが、効果のほどは、首痛バージン?のぼくにはわからん。
首脳とはよくいったもので、首がいかれると、集中してことにあたれない。タイガースや麻生内閣のように死に体になってしまうのが、よくわかった。
脳は首がささえる。落ちたものを拾うとか、真横のテーブルの新聞をとろうとする、そんな何かごくささいな動作も、すこしだけ首を動かさないと、どうにもならない。
うつむいて、何かに集中することができない。だらしない話だが、このていどで、本を読んだりパソコンに向かう気力が失せるのには驚いた。
日にちグスリは、よく効く。整骨か牽引か、治療法に悩むより早く、激痛も取れ、ぼくの首は元通りになりそうだ。痛みが取れ首が回わせるようになると、周囲がよく見える。だんだん、自分のすがたが、カエルにみえてきた。懲りないカエルだ。

投稿者 nansai : 13:04
2009年06月05日
六月一日 500年前の硝煙立ち込める古戦場が、すぐ前の公園だったとは、知らなかった。

ここら一帯は、今から500年前、楼の岸と呼ばれ、砦が築かれていた。石山合戦で、織田信長軍の本願寺包囲戦の舞台だった。包囲は、十二年に及んだ。秀吉の大阪城の築かれる前だ。
「楼岸 夢一定 蜂須賀小六」)は、直木賞作家佐藤雅美の時代小説だ。「ろうのきし ゆめいちじょう」。

秀吉につかえ、戦国乱世の過酷な抗争をしたたかに生き抜いた蜂須賀小六正勝という人物を主人公に据えた。小六は、墨俣一夜城の築城で名を知られている。
石山合戦では、「楼の岸」で戦って名を上げ、晩年はこの地に屋敷を構え、寺を建てた。
楼の岸とは、大川のほとりの砦の位置からきた地名である。大阪市中央区京橋三丁目あたりだ。
なんと、うちの事務所の北側すぐ目の前の北大江公園付近が、その砦の跡と知って驚いた。
1570年石山合戦当時、土塁の上に櫓を建てた砦が、上町台地の突端に築かれた。楼とは、やぐらである。

この上から敵軍を監視し、鉄砲を楯のかげから撃ちかける。
戦国時代の城の攻防は、こうした砦を建てて、持久戦に持ち込む戦法が盛んに行われた。鉄砲櫓は、双葉社から刊行されている「信長戦記」などに、コンピューターグラフィックでいきいきと見事に復元されている。綿密な資料にもとずく、CG作家成瀬京司氏の力作である。信長戦記など、成瀬CG作品を載せたムックは、アマゾンで入手できる。

次の川辺の写真は、対岸の大川北岸から、「楼の岸」跡を望んだところ。

ここ「楼の岸」は、12年間も、信長軍に包囲され篭城を余儀なくされた石山本願寺一揆勢への西国からの援助物資の陸揚げ地でもあった。
天正4年、この砦をめぐって、本願寺顕如軍と織田信長軍の鉄砲傭兵隊の間で激しい銃撃戦が展開された。
5月、ここ楼岸砦から門徒一万ばかりが数千の鉄砲を手に押し寄せてきた。51歳の蜂須賀小六は、先陣を切って門徒勢につっこみ、つぎからつぎへ槍をくりだしつき伏せた。敵の首を一番多く上げ、「楼岸一番の首」とたたえられ、信長の目に留まり、褒美にと陣羽織をぬいで恩賞にあづかった。

この時代、本格的に鉄砲を集団で使用したのは、三段撃ちで名高い「長篠の戦い」といわれているが、5年さかのぼるこの地の銃撃戦が本邦最初ではないかとの説もあるそうだ。
織田、豊臣と、はげしい有為転変の世を生き延び、晩年、小六正勝は、大阪城外の楼の岸に屋敷を構え、淀川を借景とした。御殿山屋敷という。
佐藤雅美「楼の岸 夢一定」は、死期の迫った小六が蜂須賀家の将来を案じつつ息を引き取る、つぎのシーンで終わる。
大阪城築城にあたり、淀川の両岸に植えた木々が青々と色づいて、目にまぶしい
「体を起こしてくれぬか。久しぶりに淀川を眺めてみたい。」
と突如、「うおー」と刀槍をあわせる何万もの雄たけびが耳朶によみがえった。
「死のうは一定、しのび草にはなにをしょぞ。一定かたり おこすよの」は、信長の気に入りの小唄だった。
小六は繰り返した。
「死のうは一定‥」
死ぬのはなりゆきで、ぜひもない。一定語りとは、誰かが語り継いでくれようか。
蜂須賀小六正勝は生前に寺院の建立を思い立ち、美濃国の安住寺が兵乱のため退廃しているのを大阪に移して、楼の岸に再建した。いまの八軒家あたりだろう。
その安住寺は、その後慶長9年大阪の陣で焼失、天王寺へ移されたという。
本願寺は、秀吉の時代に、京都に移るが、残された大阪の門徒は、ここ楼の岸に念仏をあげる坊舎を建てた。のちの津村別院である。
投稿者 nansai : 16:21
2009年05月27日
五月二十七日(水)
ようやく狼が来なかったことにみな気づいたようだ。

日曜日の午後誰もいない万博道路。一人の女性ランナーがマスクをして一心不乱に走っていた。マスクをしてまで走るひとををはじめてみた。ビールスをだれかに感染させる?、誰かから感染させられる?せきやくしゃみのしぶきが飛び散るのを防ぐのがマスクの役目だろうに。
日本人のマスク信仰は根強いものがある。
何だ、普通の「流感」と同じじゃないか。当局は気づくのが遅かったのか。
それは感染者の多く出たアメリカでは、調べて早くからわかっていた。マイルドだし、わが国ではあれほど騒いでほとんどが治り、死者もゼロだ。
そもそも日本でも年間100万人の季節性インフルエンザは発生する。約一万人が合併症でなくなるのだが、ぼくらは、インフルエンザ注射をして、淡々と対応してきた。
アメリカのネットでは、意外なほど扱いが冷静だ。全米で感染者の数はふえ、一部の学校は閉鎖されているが、たいしたことにはならず、死者(合併症がほとんど)の数は少ない。
政府広報の情報量が、具体的で豊かで克明だ。啓蒙のためのパンフレットやポスターがネットでPDF化され、すぐどこでも印刷できる体制だ。

説明のイラストも、鼻の頭のむずむずして赤いゆるきゃらを登場させた。とぼけてユーモラス。
当局も、手洗いはしっかりと、せきやくしゃみは手か袖でおさえるように、という広報を繰り広げている。せきもくしゃみもティシューでおさえればよい、あとはくずかごにすてましょう。袖でおさえてもいいというのが、至れり尽くせりというか、ご愛きょうだ。
べつにマスクは特別の場合以外は、強制されていない。日本は、薬局でマスクが売られていないと、買い込もうとしたみんなパニックになった。マスクをしていないと変な目でみられるのは、徳川時代と同じ。
まえまえから、あまり正しく解明されていないらしいのだがスペイン風邪のようなパンデミックが、恐れられてきた。国立感染症研究所は警鐘を鳴らして、きのどくに毎年狼少年だった。地震の予知に似ていた。
ペストやエボラ熱など、恐怖映画の影響があったのか、大臣が深夜テレビで警告するさわぎになった。水際で食い止めねばならぬ作戦は、映画のシーンにはなっても、検疫はどだい不可能で絵空ごとだったのだろう。関西の医療も崩壊寸前となった。
今回の関西を襲った豚インフル騒動は、一人橋本知事がオトコをあげ、張り切りすぎた大臣たちはあほみたいだった。
まるでイソップ物語だが、あとあと小説の絶好のテーマになるだろう。
ニューズウイークは、早くから「オオカミは来なかった」特集をしていた。
投稿者 nansai : 16:09
2009年05月20日
五月二十日 おひさしぶり。お帰りなさい、タイガース。
歯がゆい。とにかく打てない。
覚悟はしていたが、とうとうあの懐かしい「だめトラ」が帰ってきたのだ。ならば、テレビ前に陣どって罵詈雑言を浴びせつつ、得心して観戦できる。
甲子園の切符は、三月開幕と同時に完売したらしいのだが。同じチームが、昨年の今ごろと比べて、こんなにも違うものか。
豚インフルのせいで、恒例の風船あげも禁止だとか。

球界最高年俸を誇る持ち駒が豊富?すぎたのか、粗悪な輸入選手に目移りした。
野球選手としてはメスをいれた後期高齢選手に、あまりに頼りすぎだろう。新聞の見出しにはなるが、しょせん賞味期限切れの英雄神話に酔ったのだ。生身のベテランだからいくらがんばっても、シーズンを通じて鉄人などいはしない。
若さには勝てない。昨年、屈辱の逆転負けした巨人の生えあがりの無名若手選手たちをみるがいい。
桜井、林など、チャンスを与えて、若い(もう若くもないか)能力をひき上げはぐくむことを忘れていた。試合運びがとんちんかんで、檜山や藤川の出る幕が作れない。
無表情な真弓新監督は、まだチームが掌握できていないのだろう。名店の居抜きの雇われマダムのようだ。

今シーズン、くやしいが、だめトラぶりを楽しむには、デイリースポーツが面白い。
「記者席からの視点、岡田の法則」というコラムがある。技術論にうるさい前監督が、はがゆそうに具体的に敗因を指摘している。
「いずれもベンチの支持が徹底されていないし、遅い。」などと、なかなかベンキョウになる。
投稿者 nansai : 17:56
2009年04月27日
四月二十日 クサナギ君のこと。なんぼのもんや。
深夜、ぐでんぐでんに酔っ払った男がひとり。なぜか、だれもいない公園で全裸になって奇声を発した。
通報されて、逮捕され牢屋に入れられた。麻薬を疑われたのか。

大騒ぎになった。全裸の酔っ払いが、有名な芸能人だったからである。
NHKがニュースのトップで報道した。芸能界ニュースとワイドショーで食べている民放は、一斉に走り出し、もちろん全局、繰り返し報道した。
酔っ払って裸になった。それがなんぼのもんや。報道も、ええかげんにせい、というのも大人気ない。
こんなご時勢に、新聞もテレビも、もっと報道すべきニュース価値は、ほかに山ほどあるだろうに、と思う。
人を傷つけたわけでもなく、公然わいせつというが、深夜でだれもみていない。立ちしょんべん程度の、軽犯罪?大新聞なら、社会面の最下段へ載せる程度の事件?なのだ。
「お酒を飲みすぎてわけがわからなくなりました。
もっと大人にならなければ」と、処分保留のまま釈放されたクサナギ君は、たどたどしい口調で神妙に記者会見で反省の弁を述べた。人気絶頂で、有能、誠実なかれは、もう三十三才らしい。「大人」とは、いくつ以上の年齢をさすのかな。
この国の「国民」は、芸能人が大好きだからか、騒ぎすぎになる。視聴率がうなぎのぼりになる。人材不足の政党からは、芸能界から、選挙にも担ぎ出される。それこそ、いいかげんにしてほしい。
「怒りではらわたの煮えくり返った」鳩山総務大臣が、またしゃしゃり出た。クサナギ君は「最低の人間」だと決め付けたという。別にクサナギファンでもないぼくだが、テレビでみて、これにはむっとした。

失礼だが、自民党閣僚のあんたには、いわせたくない。かつて身内の中川財務大臣の国辱的酩酊事件をかばったやないか。
総務大臣のはらわたは、なんで煮えくり返ったか。
地デジのキャンペーンキャラクタにクサナギ君を起用していたので、作ったポスターなどがパーになってしまうということかららしい。
痛快なのは、鳩山総務大臣の公式ホームページ。ネット上は、正論の嵐のような反撃だ。ぼこぼこにされている。むっとしたのは、ぼくだけではなかったらしい。
反論を隠さず載せているのは正しいのだが。もし鳩山大臣がネットを克明に読んだら、読み物として、血の気が引く内容だ。
もうあんたには投票しない。自民党の盟友、中川財務大臣の国際的「泥酔」をかばったのに、なんちゅうことを言うのだという鋭い指摘もある。びびった大臣は、発言を取り消した。おそまつ。

すわ、クスリとかんちがいされたのか。これは、笑えてくるような小ネタだ。
伝えるべきニュースバリューとは、なにか。マスコミは、取り上げるニュースの優先順位を考えるべきだ。矜持というものがあるだろうに。望むのが無理かもしれない。
日本国民の、視聴者の、無邪気な、異常なまでの?芸能人好きに乗じようとする態度は、もういいかげんにしてほしい。
芸能人のこの手の事件?は、後を絶つまい。
ドジの代償として、有名税をどう払ってもらうか。「公然わいせつ罪」?の罰をどうしたものか。
ならば、いま政府が取り上げようとしている「社会奉仕命令」が、効果的で、おもしろい。
クサナギ君は、贖罪?のため、社会のためになる何かの行為をしたらいいのだ。まちがいなく大喝采だ。
罰のかわりの社会奉仕も、公園の掃除やらくがきの消去なんかではもったいない。
交通遺児の教育費援助でも、お年寄りに優先座席を譲ろうとか、飲んだら乗るなとか飲酒運転の防止でも、地デジ普及でもいい。なにか世のためになることに、クサナギ君の知名度で貢献してはどうか。
ポスターに出たり歌ったりメッセージ?ティシャツ(大きなお世話だが、デザインしておいた)売ったりして、その収益や印税を、寄付すれば、かれならすごい金額になるはず。公園にベンチか遊具を寄贈するのもいい案だ。
人気タレントのクサナギ君は、これまでも評判のよい好青年だったというが、社会奉仕のアイデアしだいで、逆境をはねかえし社会に貢献する好感度ナンバーワンになること請け合いだ。無償の社会奉仕で、ついていなかったエラーの後の満塁ホーマーをねらおう。
あの鳩山総務大臣も、昨年法務大臣のとき「社会奉仕命令」の勉強会を持ったという。この際、名誉挽回に、実現提案に賛成してはどうだろうか。
投稿者 nansai : 11:50
2009年04月23日
四月二十日 花、見終わって

造幣局の「通り抜け」が終わって、花見のシーズンもやっと閉幕である。
芭蕉の句に「さまざまのこと思い出す桜かな」。
さまざまのことが起きている。よくないことのほうが多いかな。
「ただたのめ はなは はらはら あのとおり」
一茶は、観音さまにすがるしかないとつっぱなす。
満開の桜の絵を描こうとしたが、あかん、どうにもぼくの手におえない。
絵に描き劣りするもののひとつに、清少納言は、桜をあげている。枕草子では、絵に描くとつまらなくなるものとして、なでしこ、菖蒲とならんで桜が、槍玉に。
実物の迫力にはかなうはずがない。あきらめた。

花見は、人見である。人、人、人。
この年になるまで、花の下の喧騒がいやで、花見をさけてきたが、いささか心境に変化をきたした。
「見納めてあと何回の花見かな」
と、花見には縁のなかったぼくの句。
ことしは、平日の午後、コンパクトデジカメを片手に、満開の桜の名所を、靖国神社と千鳥が淵、大阪城と大川端と、花を見るというより、駆け足で撮ってまわった。
昼間の花見は、大阪は、花にはそぐわぬ地味な服装をした中高年のおっさん、おばはんばかり。みなカメラかケータイで写真をとる。 花の下で飲んで騒ぐ人は皆無だった。大川では、ビニールのシートをしいてお弁当を食べている家族を見かけたが、すぐそばにホームレスのブルーのテントが並んでいる。なぜか同じ色だ。どうもねえ。花見のビニールシートは、ピンクの桜色にしてはどうだろうと余計なことを考えた。
これは「通り抜け」に急ぐ善男男女たち。なにしろ入場無料だからねえ。

中国語のアナウンスがひびく大阪城は広すぎて、城内では、桜が目立たない。由緒ありげな「桜門」も立て札は立っていたが、さびしい。
東京の花見は、さすがに若い人も外人も多い。千鳥が淵の桜は美しい。

靖国神社のごったがえす境内は、屋台や茶店で、天神祭りのようだ。

右翼の街宣車はいなかった。
悠久の大義に生きようとし南海に散った神風特攻隊、密林で植えて戦没した英霊たちは、このくったくのない天下泰平ぶりをどうみているのだろう。

投稿者 nansai : 15:47
2009年04月15日
四月十三日月曜日 満員御礼。八軒家寄席
土曜日夕方、先客万来を祈って招き猫君に羽織を着せて高座にあげたポスターがすごい人気で(残念ながらまっかなうそです)狭い店内が大入り満席となった。

北大江公園前のイタ飯レストランが、「八軒家寄席」に変身し、高座を急ごしらえでしつらえた。
ぐらぐらするので大丈夫かいなと心配だったが、えらいもんやねえ、たちまちお囃子のパーカッションで、狭い店内が、繁昌亭におとらず、うきうきした気分につつまれた。
やあ、よかったでえ。目の前で聞く真打の落語は迫力あるわと大評判。林家染二師匠の汗拭きながらの大熱演で、本命の「三十石夢の通い路」に「寝床」の二本立てを満喫できた。
染二師匠は、連日天満繁昌亭でトリをつとめる重鎮といってもよいプロ中のプロだが、50名入って満員の、こんな狭い席でも、手を抜かない。りっぱな賞をぎょうさんとっておいでやが、ここのお客が大事といわはるんや。たいしたものやねえ。いっぺんで、さして落語通でないぼくは、サインももらって、フアンになってしまった。
サイドディディシュで演じてもらった大サービスの「寝床」もこれまたよかった。寝床をとられたと、べそかく定吉どんの心境もよくわかるが、下手な浄瑠璃をきかせたいのに、みなに逃げられてしまう大家さんの気持ちに同情の念禁じ得なかった。

大家さんの稽古を積んだ、せっかくの自慢の芸を、酒と料理つきでも、なんだかだ理由をつけて、誰も聞いてやろうとしない。でも、気の毒な大家さんは、腹をたてては、ときどきおだてられ、途中で結局みな寝てしまうのだが、ああ、旦那芸というやつは、番頭はんの見え透いたお世辞に弱いのが、あさましい。
そうや、この南斎の落書き絵巻と同じやないか。笑えんわ。他人事ではないわと、わが身につまされた。
投稿者 nansai : 17:22
2009年03月31日
三月三十日 郵便ポストは、絶滅危惧種か?
手紙は、郵便ポストがなければ生きていけないのに。
郵便ポストは、だれも手紙を入れてくれないから、おなかがすいて、死んでしまいそうだ。
このままだと、―どうなる?

手紙を出し忘れて、通勤途上の地下鉄淀屋橋近辺で投函しようと思った。
ところが、郵便ポストが、どこにも見当たらない。駅員にきくと、ここにはポストはないという。(一日何十万人の乗客が乗り降りするターミナル駅なのに)
駅員は、地図を見ながら、ポストは地上に上がって淀屋橋を越え市役所の近くにあると教えてくれた。
でっかい市役所の庁舎の前にもポストは見当たらない。ガードマンのおっさんに聞くと、やれやれ、はるか、あっちのクスノキの向こうにあるという。淀屋橋駅から、郵便ポストまで、500メートル以上はあろうか。

ぼくは、ポストの数がすくないのは、郵政民営化のせいだとか、いきりたって非難するつもりはない。
ビジネス街の集配体制は、遅滞なく日々整然とおこなわれているのだろう。
ぼくの心配するのは、むかしながらの手紙もはがきも、このままだと、消えてゆくのかなあ、という哀惜の思いである。ぼくにしてみれば、困ったことだ。
郵便ポストが近くになければ、手紙もはがきもやりとりは、むつかしい。大阪のような人口三百万人の大都市の中心に、郵便ポストがないのは困ったものだ、とぼやくのは、ぼくのような風変わりな一部のひとたちだけかもしれない。
しかし、メールですむことを、なぜ、めんどうな手紙やはがきにしたためるのか、とケータイから片時も目を離さない若い人たちは問うだろう。
無駄ではないかと問われても、日本にむかしからあった伝統的文化とか習慣の問題なので、こたえようがない。ほっておいても後世がきめてくれる。
郵便局もごくろうなことである。大の男(この頃女性も増えた)が手紙を配達して、80円、ぺらぺらのはがきにいたっては、わずか50円。
ときに、ぼくのような粗忽者が、料金不足の手紙を出すと、先方へは配達されずに、また費用をかけて当家の郵便受けに逆戻りしてくる。申し訳ないと反省する。
時流と経済原則に合わねば、手紙もはがきも、滅びてゆくだろう。
ユニバーサルサービスといったって、しょせん他人様の負担でしか、継続できないのだ。
吹けば飛ぶような軽量の郵便物の物流を、コストの高い人力にゆだねるのだ。実費に見合う集配量を徴収しないかぎり、サービスの継続生存は難しい。商売にならないのは、自明の理である。

とすると、手紙を書いて封筒にいれ、宛名を書き切手を張って、ポストに投函する、という古来のしきたりは、早晩、消滅するはめに陥るのだろうか。
人が集め配達する手紙もはがき新聞も、消えてゆく。
それで何の不自由も感じない若い層が増えている。
なんでも、ケータイで事足りるかれらは、新聞も読まない。それでいいのだ。しかし、それでいいのだろうか?と、異議をとなえたいぼくらもトーンダウンしてしまう。
そのうちに時代おくれの郵便ポストは、好事家の保存の対象となり、「郵政博物館」!でしかお目にかかれなくなる。
投稿者 nansai : 17:35
2009年03月26日
三月二十六日 終わった。勝ててよかった。

勝ててよかった。WBC優勝チームが凱旋してきた。待ち受けたマスコミのフラッシュ。面白うて、やがて悲しき――だ。
WBCも日韓戦となると、がぜん、日本中が燃えあがって、だれも愛国者になるのが不思議だ。イチローではないが、負けるとプライドが許さん、という気になるのも、おとなげないのだが。
国の威信をかけて、実力伯仲のチームが、がちんこ勝負とあっては、こたえられない。後世に語り継がれる名勝負となる。勝負も、因縁の遺恨試合という物語り
なら、燃え上がるだろう。
この不況下に、経済効果500億円超え。面白い。

韓国では、なおのことらしい。イチローは、憎悪のブーイングの標的だ。国対国の試合では、野球は、アジアでは、擬似戦争なのだ。サッカーよりも。
勝った時の韓国チームが、マウンドに国旗を立てるのは、硫黄島か、竹島にみたてているのだろう。決勝戦のドジャース球場は、5万人入場者の70%が韓国系だったらしい。アジア独特の鳴り物入りの応援のすさまじさは、ドジャースファンが仰天したという。
韓国選手の名前も、いまは、カタカナ表示だから、だれがだれだか、ほとんどわからずじまいだ。失礼な話だと思う。サムライ側も、ふだん活躍ぶりがお目にかかれない実力選手が、ここぞというところで打ってくれた。
一方、勧進元のアメリカは、燃えてこない。本気度はいまいちだ。国技のはずなのに、スプリングキャンプの変形みたいなとらえかたをしている。
まなじりをつり上げてかかってゆく挙国一致の日韓チームとは取り組み姿勢に違いがありすぎる。
なぜか。
大リーグのプロ球団がいい顔をしないから、いい選手が手をあげてこないのだ。これからリーグ戦に勝ち抜いてポストシーズン、ワールドシリーズへの長丁場が待っている。
球団にしてみれば、リーグ開幕を目前にひかえた支配下選手は、財産なのだから。愛国心に駆られて怪我でもされたら大損だ。選手側も、保険がかからないとかあるらしい。
WBCは、先見の明の誉れ高いコミッショナー氏の名案とのことだが、各球団が協力しないままではいかんと反省しきり。夏に移そうという案もあるそうな。
日本は、守り抜いてアメリカに勝った。全試合でホームランはたった二本。スモールベースボールをなめてはいけないことはわかったらしい。いま、伝統的野球はアジアにあるとも。
近い将来、中国が力をつけてくれば、アジアだけでも、選手権リーグは燃えるだろうな。
投稿者 nansai : 15:27
2009年03月17日
三月十九日 えー、落語「三十石」のポスターがでけました。四月十日午後5時開演でっせ。

世は落語ブームであるらしい。
ひょうたんからコマとはこのこと。隣のイタめしレストランに、願ってもない話が舞い込んできた。
ある有名な落語家の知人がたまたま店に立ち寄り、ここで土曜の夜に落語を一席というのもおもろいで、という申し出があったとさ。
渡りに船でオーナーシェフも舞い上がり、とんとん、ハナシがはずみ、演目も、ここ八軒家船着場にちなんで、古典落語の定番「三十石船 恋の通い路」ときては、申し分ない。
はなしの舞台の三十石船は、すぐそこの八軒家船着場と京都伏見を明治の中ごろまで往復していた。

演者は、上方落語ではかくれもない天満繁昌亭大賞の林屋染二さん。掃き溜めにツルという感じがしないでもないが、四月十日土曜日決行と相成った由。
さして広くもない店内のテーブルや椅子を片付けて高座をしつらえ、50席の「八軒家寄席」と、大きく出てオープンする。
まったく落語通でないぼくだが、近所のよしみで、頼まれてはしかたがない。
ポスターの図案を、マウスをうごかしてこちょこちょと。染二師匠を三十石舟の船頭に見立てた似顔もあまり似ていないが、ご勘弁を。

おりしも春から水都再生のキャンペーンがくりひろげられるようだが、この北大江公園界隈は、にぎわいに乗れず、ひっそりしている。今回の八軒家寄席が成功して定例イベントになるといいな。
林屋染二師匠の熱演がたのしみだ。盛況を祈ろう。
ポスターのPDF版をこちらに。

投稿者 nansai : 14:48
三月十六日 泥の川から、カーネルおじさん無事生還。呪いは解けたぞ。

なーんにもいいことのない関西で、久々の明るいニュースだ。カーネルサンダースの呪いが解け、真弓新監督ひきいる阪神タイガースの日本一、疑いなし!と、新聞が書き立てた。
24年前の阪神タイガース優勝時、ファンに道頓堀川に投げ込まれたカーネルサンダース人形が川底のヘドロの泥の中から、両手首とめがねがないまま、発見され引き上げられたからだ。
タイガースは18年間、日本一になれず「カーネル サンダースの呪い」とも言われた。
まもなく全身がみつかり「これで呪いが解けた。ことしは優勝だ。」と、きびしい世の中に、ほんのほっこりした話題で、まずはめでたい。

23年前、わけもわからずヘドロの道頓堀川に投げ込まれたサンダースおじさんとしては、救出されて、久しぶりで太陽を浴び、まるで浦島太郎状態だろう。周りの状況は一変している。置かれていたケンタッキーの道頓堀店は、もうない。
大リーグのひそみにならい、ずいぶん前に一部マスコミがつくりあげ、ほんとうは、だれもあまり気にしていなかった呪いだが、人形が大阪市から持ち主に返還され、早くもどこに置くかで議論が起きているらしい。
昨年の「食い倒れ人形」騒ぎといい、関西人には、格好の話題だ。かつての救い主ランディバース選手に生き写しというカーネルサンダース。当然、ケンタッキーフライドチキンの甲子園店に飾ることになるのか。

ところがどっこい、アメリカKFC本社のえらいさんは、何を思ったか、大リーグのシカゴカブス(福留選手が在籍)に手紙を出していたそうな。
タイガースと同じく優勝から遠ざかっているのがカブスだ。ことしの開幕日に、「日本からサンダース人形を運んできて、シカゴのリグレー球場に押し出してはどうでしょうか。呪いが解けるかもしれません。」と申し出たのだ。大きなお世話と思うのだが。
優勝から遠ざかっているといっても、カブスのは半端ではない。なんと101年だ。1900年のワールドシリーズで敗退していらい、じつに一世紀だ。
カブスの優勝を阻んだのは、「ヤギの呪い」だとファンは信じているそうだ。
本拠地リグレー球場にいつもヤギを連れて観戦していた熱烈ファンがいた。ある年のワールドシリーズに、かれはヤギとともに締めだされた。ヤギが臭いというのが理由だった。激怒したかれは、「「二度とこの球場でワールドシリーズがおこなわれることはないだろう」と、不吉な予言を残して球場をあとにした。それから一世紀。呪いは解けていない。
カーネルおじさん像は、フライドチキンの本場アメリカにはない。日本の発明なのだ。
はたして、これでヤギの呪いが解けるのかねえ。
せっかくの申し出にも、カブス球団は、ン?という感じらしい。そうだろう。
投稿者 nansai : 14:42
2009年03月09日
三月二日月曜日 2009 DD45とは、おぬし、何者だ?
十階建てのビルくらいの巨大隕石が、三月二日月曜日、地球のすぐそばを通過した。と、過去完了で、BBCは報じた。
人類にとって、これはこわいことだったのだ。地球から72000キロに接近してきた、この隕石の直径は、21から41メートル。アポロ型小惑星に分類されるのだろうか。侵入者の正式名は、2009 DD45.

まず、土曜日オーストラリアで発見されたが、MPCの専門家チームが確認したのは三日前だったそうだ。宇宙空間のニアミスと報じたブログもある。知らぬが仏だった。
この惑星がもし地球に衝突していたら、どうなっただろう。破壊力は、広島原爆1000個に相当すると専門家は警告する。後の祭りだが。
小惑星としては、1908年、シベリアのツングースカ川流域上で爆発して、2000平方キロにわたり、8000万本の樹木をなぎ倒した隕石と同じサイズという。BBCは、ほかにもでかい惑星があるとして、ジャガイモみたいな惑星イトカワの写真をのせている。(最近の研究では、シベリアに衝突した、あの隕石の直径は、いわれたより小さく30メートルではないかとも。)
週末、日本のマスコミは、世界恐慌はそっちのけで小沢党首の献金疑惑や、WBC日韓野球の報道で多忙を極めていた。
ことは重大とみた国連の地球接近物体対策チームは、今年の六月にこのような重大問題を公式に検討するが、その前にDD45について話し合うとしている。話しあってどうにかなるものかなあ。

BBCによれば、ある専門家の意見では、隕石の破壊力は、内部の物質構造と、地球大気に突入する角度しだいだそうな。祈るしかなさそうだ。
つぎは、2029年に、大きめの小惑星99942アポフィスが21000マイル以内に接近するそうだ。
杞憂(ワードでちゃんと変換されて出てくる)におわればいいが。
投稿者 nansai : 14:54
2009年03月06日
二月二十八日 抱擁を無料でいかが?

ある晩テレビのドキュメンタリをみていたら、冒頭奇妙なシーンがでてきた。
一人の気の弱そうな青年が、街頭で、看板を胸に抱いて立っている。
手書きの看板には、英語で「FREE HUGS」ハグします。無料で。と書いてある。
道行く人たちは、だれひとり気づかずに、青年の前を通り過ぎてゆく。無表情な青年が、なぜ、その場所にぽつんと立っているのか。看板に書いてある英語の意味がわからないからだ。
看板のHUGとは、抱擁だ。字引には、HUGとは(通例愛情をこめて両腕で抱きしめる)とある。
無料でハグしてあげるよ。
ようやく、気がついて一人の外人の青年が笑いかけてハグしてきた。青年は、こわばった無表情で、笑い返しもせず、ハグし終わると、またもとの姿勢に戻った。他人事ながら、あ、これじゃあ、コミュニケーションは取れないなと思った。
これは、NHKの「一期一会」という番組の奇妙な出だしのシーンだ。アナウンサーの解説では、FREEHUGは、ネットでは、すでに世界的に有名なキャンペーンだという。
青年は十九歳の専門学校生。いじめにあって、ことばによるコミュニケーションに絶望した。週に一度、思い切って道行く人と抱擁を交わすフリーハグをしているという。

へえ、こんなことが、若い人の間で、はやっているのか?ぼくは、知らなかったので、ネットにあたってみた。
これは、国際親切運動とでも言うキャンペーンで、80カ国で展開されているらしい。マンという人が、シドニーで始めた。テーマソングも有名らしい。「知らない人にハグしてあげよう」というしごく単純な原則だ。
「フリーハグ」すれば、こうなるよ。親切にもネットに120ページものガイドブック電子(PDF)版が用意されていて、こんな風に書いてある。

なにかでっかいことの片棒をかつぎませんか?
世界を変えるには、あなたの両腕だけを、おおきくひろげるだけでよいのです。
だれかさんに、ちょっとだけかがやく日をつくってあげる。知らない人も、結局は、そんなに悪い人じゃないよとみんなに教えてあげる。
みんなをひとつにし、幸せなときを 分かち合う。
あなたが悲しくてさびしいとき、フリーハグすれば、ほかのひとに話しかけ、笑いあうことができる、だれかが、あなたに笑いかけてくれる、誰かがあなたに腕をまわして大丈夫だよといってくれる。
フリーハグが、いちばんよくわかるのは、ユーチューブの動画だ。世界中の国々によって、よびかけに応ずる人の態度が異なるのがおもしろい。一期一会、さまざまなハグ場面をみると、ほほえましく、思わず笑えてくる。
なかでも、日本人が世界で一番ぎこちないのは仕方がない。なにしろお辞儀の国だからなあ。
このキャンペーンを支持したい人は、寄付してほしいとのことだ。
特製FREEHUGSのTシャツを買ってもらえれば、収益でこのサイトの運用費がまかなえる。電子ガイドブックもパソコン上で読むのは住所氏名を名乗れば無料だが、プリントアウトしたければ寄付してほしいと事務局。
ぜんぜん知らない人に呼びかけて、抱擁し合う。ぼくにはむりだが、こんなことで世界が仲良くなれるのなら、がんばってほしい。
投稿者 nansai : 15:36
2009年02月24日
二月二十二日 きょうは、にゃんの日?

あまり知られていないが、「ネコの日」なのだ。1987年英文学者の柳瀬尚紀らネコ好きのひとたちが集まって「ネコの日制定委員会」をつくって、ペット業界をたきつけ、にゃんにゃんにゃんと、222のごろあわせで制定されたということだ。

ぼくはこの日を「ネコの絵供養の日」と決めている。
描き散らかしたぼくのお絵かきアーカイブは、乱雑きわまりなく、いまや資源ごみの山と化した。
ネコの絵も、そこにずいぶん投げ込まれているが、衰えたぼくの記憶では、いつ何を描いたか、底に沈んだネコたちは、もう呼びもどせない。で、グーグルデスクトップの助けを借りて、浚ってみることに。
化けて出ないように、すっかり忘れていた猫関連の絵を数匹分ひろいあげて、ちょいと手をくわえたりして、供養する。

羽織を着せて、今はやりの落語家に。
四月には、となりのイタめしレストランで、中堅落語家の寄席が開かれることになった。演目は、地元の八軒家船着場にちなんで、古典落語の名作「三十石 夢の通い路」と決まった。

ずいぶん前に描いたねこを、りかちゃん人形のように、衣装を着せ替えるのは、デジタル画?の特技である。
当家にも、ぼくにだけなつかない「愛猫」?が一匹いる。元捨て猫なのに、リスペクトの気持ちがまったくなく、家長であるぼくを黙殺、無視して、家中をわが物顔に、動き回っている。きのうも、台所のドアの隙間をすり抜けて脱走し、心配させたあげく、しばらくして同じドアからなにごともなかったかのように家のなかへ戻ってきた。絵にも描けないせわのやける駄ネコだが、我が家の統合のシンボルなのだ。
ぼくも「ねこの気持ち」なる月刊誌を購読して、なんとか、猫の心理を推し量ろうとするが、徒労に終わっている。

新聞の投句欄で発見、これはうまいなあ、と思ったネコの俳句、川柳かな?詠み人どなたか失念。
大あくび ねこが獣に戻るとき
あごのはずれそうなネコの大あくびは、ぼくの腕では、スケッチが難しい。うちのネコをモデルにして、そのうちにと、ねらっているのだが。
投稿者 nansai : 10:58
2009年02月16日
二月十四日 ある雌ペンギンのバレンタインデー
未曾有のきびしい時代に、どうでもいいニュースだが、ときに、つい顔がほころんでしまうような話題が、世界に配信されている。ユーチューブで、ネットで。たとえば、オーストラリアの山火事でやけどしたコアラのサムだとか。
このペンギンのロキシーは、ロンドン動物園の住人だ。雌なのに、縁遠くまだ独身である。4歳の妙齢だ。

彼女は、ペンギンのなかでも、絶滅を危惧されているイワトビペンギン種である。
だが、バレンタインデーには、山ほどの愛をプレゼントされているらしい。檻には、小さな郵便受けが置かれている。ファンから寄せられたカードがこぼれ落ちそうだ。
SNSのマイスペースに、自身のホームページも持っている。
彼女は、前の動物園では仲間と折り合いが悪く、ここに移って一年。飼育係氏によれば、ほかのペンギンたちはみな相手がいるが、ロキシーは意に介さない。彼女はプールをひとりじめにして、きままにすごしているのだそうな。
そんなにもカードが集まる人気の秘密は、若くて独身の彼女は、ロンドン動物園で一番人気のある養子だからなのだ。
海外の動物園は、どこも資金難だろうが、アイデアにあふれている。動物の養子縁組制度がおもしろい。

だれでもロキシーを養女にできる。動物園は、養い親を募集して、養育費を出してもらうのだ。
ロンドン動物園のウエブサイトをのぞいてみると、ロキシーの養子縁組をすすめている。愉快なのは、バレンタインデーの贈り物に、里親権?をすすめている。申し込みもメールでも受け付けるそうだ。ロキシーの里親になって!
投稿者 nansai : 13:10
2009年02月10日
二月十日
北大江公園一帯は、戦国末期の古戦場だった。ここで信長軍と顕如軍が激突した。「本能寺の変」の十二年前。

この石碑は、公園内のどこにも、もちろん存在しない。南無阿弥陀仏。ノミのかわりにマウスを操って、ぼくがバーチャルに建立したものだ。南無阿弥陀仏。
灯台下暗しとは、このことである。目と鼻の先の小さな公園が、石山合戦の古戦場だった。
北大江公園から坐摩神社行宮へかけての一帯は、400年前の戦国時代の砦の跡だったのだ。石碑ひとつ建てられていないのは、どうしたことか。
なにしろ元亀天正の頃、大阪城を秀吉が築く前の話だ。
ここらあたりは「楼の岸」と呼ばれ、砦が築かれていた。「楼」とは、物見やぐらのことである。
石山合戦では、信長、本願寺をあわせると、かなりの数の砦や出城が築かれた。「楼の岸」は、そんな多くの砦のうちのひとつである。
大川から見上げれば、ここは上町台地の北端の要害の地で、元亀元年、顕如率いる石山本願寺と織田信長軍が激突した。
天下統一をうかがう信長を、武田、上杉、毛利、本願寺と、織田包囲網が形成され、各地で戦いを挑んできた。
元亀元年八月、信長軍は、三次三人衆軍と「野田城・福島城」の戦いで対決した。このとき、信長は命じて「楼の岸」に砦を築かせた。敵の長期篭城に備えてのことだ。

九月十一日、両城へ攻撃開始。この戦いで、日本で始めての鉄砲を用いた攻防がくりひろげられた。射撃は傭兵の雑賀・根来鉄砲衆が、敵味方に入り乱れて撃ち合った。鉄砲衆は、技能練達のスペシャリスト集団だ。今で言う期間限定の「派遣」兵で、伝来したばかりの鉄砲を携えて戦国大名の戦闘を請負い加勢した。
信長公記は、このときの様子を「御敵見方の鉄砲誠に天地も響くばかり」と記している。
ところが、九月十二日になって、突然,早鐘が打ち鳴らされ、本願寺顕如軍が戦線に参加した。
このまま、敗色濃い三次勢が信長に降れば、次はすぐ近くの本願寺の明け渡しを迫るに違いないと、顕如は危惧したのだ。
顕如みずからが、鎧を着て、信長本陣に襲い掛かり、楼の岸砦には鉄砲を撃ちかけた。中立を装っていた本願寺軍の参戦で、攻守はたちまちにところを変えた。こうして、その後十一年にわたる石山合戦の長い長い戦いが始ったのだ。

この砦は、各地の敵に転戦せねばならぬ信長群が引き上げると、封鎖された本願寺への重要な物資揚陸基地となった。ここは、難波津、渡辺津と、古来よりの良港で、海からの救援物資をここから陸揚げしたのだ。封鎖を突破しようとする 毛利水軍と、それを阻止しようとする織田水軍の 海戦がいまも語り草になっている。
やがて、天正七年、石山本願寺はついに信長に屈服し、顕如と教如は、親子対立のまま前後して大阪の地を去ることになる。
本願寺津村別院のウエブサイトには、つぎのように記してある。
「織田信長公との長い争いにより、本願寺は、生みそだててくれた大阪をはなれねばならなくなり、そこで、大阪の門徒は、この地での「お念仏」の灯りをまもるために、天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。」と。
のちに、現在の津村の地に移るのだが、当時の坊舎の位置は、石町坐摩神社行宮のあたりではないかと推測するむきもある。
五木寛之氏の著書「宗教都市・大阪前衛都市・京都」にも、「楼の岸」の地名がみえている。
にわか地元史家のぼくは不勉強で知らなかったが、「楼の岸」は知る人ぞ知るで、詳しく研究している先達のサイトも数多くあるようだ。教えられるところが多い。
ぼくは、何の気なしにぶらぶらサーチしていて、たまたま、ネット上でこの地名と初めて出会った。参考文献にも出合えた。
公園は、毎日近道して横切っているのに。
長編時代小説「楼岸夢一定」は、直木賞作家の佐藤雅美が、蜂須賀彦左衛門正勝の生涯を描いている。
正勝は、「小六」の名で親しまれている。

天正四年、この地で、51歳のかれは門徒一揆の大軍に先陣を切って突っ込んだ。気がついたら敵の首を一番多くあげ、「楼岸一番の槍」と褒めたたえられる鬼神のごとき働きを信長の馬前で見せて、陣羽織を拝領した。
小六は、晩年ここに屋敷を立てて住み、病の床から、過ぎし日々を回顧する。楼岸の小六の屋敷は、淀川を借景として建てられている。
「久しぶりで淀川を眺めてみたい」と、小六はからだをおこした。
大阪築城に当たり、淀川の両岸に植えさせた木々が青々と色づいてきて、目にまぶしい。
そこへ、突如「うおー」と刀槍を合わせる何万もの雄たけびが、小六の耳朶によみがえった。
小説の題名の「夢一定」は、信長の好んだ小唄「死のうは一定 しのび草にはなにをしょぞ 一定かたりおこすよの」から来ている。
「一定」とは、「確かにそれと決まっていること」と字引にある。
投稿者 nansai : 11:13
2009年02月03日
一月三十日 ハッピー?バースデー
うし年ではあるが、馬齢を重ねに重ねて、またまた誕生日を迎えた。めでたいどころか、うっとおしいかぎりである。バースデーケーキは用意していないが、ろうそくをたてるとすると、馬に食わせるほどの本数になった。ぼくほどの年になると、おめでとうといってもらえればうれしくないこともないが、誕生日はあまり触れられたくない話題である。

ところで、なぜ謙遜して、自分の年を「馬齢」というのだろう。
田辺聖子のエッセイに目を走らせていたら、「頽齢」ということばが出てきて、ぎくっとした。「たいれい」と、るびがふってあり、「頽齢にして未だ功ならぬ私」と続く。彼女は、自分を謙遜して、用いている。頽廃のタイだ。電子辞書をひいてみると、「老いぼれた年齢、老齢」とある。謙遜にもほどがある。いまや女史は、「未だ功ならず」どころか、文化勲章に輝く大阪の誉れなのだ。
ひょんなことを思い出した。
昭和も一桁うまれのぼくは、幼少の頃、誕生日を祝ったことはなかったように思う。戦前の田舎町では、当然、プレゼントもケーキもなかった。そのくせクリスマスツリーやサンタクロースは、童話や絵本の世界では知っていたのに。
そんなわけで、戦前、戦中のぼくらのこども時代、もちろんこの絵のようなバースデーケーキは、この世に存在しなかった。

年齢は、お正月がきて、ひとつとるものだった。数え年といった。
正月こそ、家庭内の最大のイベントだった。「もういくつ寝たらお正月」と歌って、新年が待ち遠しかった記憶がある。年齢を満で数えるのは、戦後になってからだろう。
庶民が誕生日を祝う意識は、古来より、もともと日本文化にはなかったのだろう。
国民に誕生日を祝う意識はなかったが、敗戦前の天皇の誕生日は、「天長節」で祝日というより国家行事であった。明治天皇のそれは、明治節。大正天皇の誕生日は、なぜか祝わなかった。
天長節。家々は門ごとに国旗を掲げ、子供たちは学校にあつまり、ご真影の前で校長の代読する教育勅語を頭をたれてきき、おごそかに奉祝の歌を歌った。「きょうのよき日は大君の生まれたまいしよき日なり。」
日本という国の誕生日が、敗戦前は二月十一日の紀元節だった。平成のいまは、紆余曲折あって「建国の日」となった。
国家行事として祝うとすれば、歴史がどんなに古くても出生証明の定かでない国の誕生日は一年のうちどの日にか、ま、決めればいいことなのだが、「紀元は二千六百年」という根拠のつじつまを合わせるのに苦労したらしい。

では、家族のイベントとしてのハッピーバースデーは、日本へは、戦後、持ち込まれたものだろうか。アメリカ映画が文化の泉だった頃の外国映画の影響だったのか。はっきりしない。戦前のぼくの記憶は、おぼろげである。
「ハッピーバースデー ツーユー」の歌は、1962年にマリリン・モンローがケネディ大統領の誕生日に歌って有名になったという。意外に歴史は新しいのか。
日本人は、いつから「誕生日」を祝うようになったのだろうか。
ネットで調べてみたが、頽齢のぼくのこんな間抜けな質問に答えてくれるサイトは見当たらなかった。
投稿者 nansai : 14:44
2009年01月27日
一月二十五日 オバマ大統領のスピーチは、まねできないのはなぜか
似顔絵は、しろうと絵師のぼくにとって、なかなか難しく手に負えない技術である。オバマ大統領は特徴はつかまえやすいはずだが、なぜか似てこない。彗星のように現れたかれは、リンカーンのように若くして伝説上の偉人となった。いまやカリスマとなったかれを、ゆがめたり誇張したりしてカリカチュアライズするのが、憚られるほどになった。

毎日新聞夕刊のコラムは切り出す。
「それに比べて、と私たちのリーダーを引き合いに出すのはやめよう。」と。
うーむ、そのとおりだろう。
新大統領の就任演説に沸くアメリカは、政治にまだ大きな力と希望があり、一方でそれほど病も深い。オバマは、建国の歴史、社会の葛藤、世界との交わりを語り、将来への団結と責任を説く。
だから、オバマ大統領の演説の表面をまねてもはじまらないと、「近時片々」子はいうのだ。
言葉に力があることをオバマは、選挙中のスピーチで立証した。
さらにインターネット、特にユーチューブで、24時間、増幅されてうねりのように伝わった。新聞を読まず、これまで政治に無関心だった若者層が乗ってきた。危機を乗り切るには、これまでの黒人指導者のように差別撤廃をさけぶのではなく、人種を超えたユナイトを説いた。
オバマの演説の力に驚いた日本のマスコミは、かれを支えるスピーチライターの存在に気づいた。あるワイドショーでは、笑いながら、こんな無責任な提案が出た。わが首相も、スピーチライターを雇えばいいじゃないか、と。
アメリカ歴代の大統領は、お抱えのスピーチライターと草稿を練るならわしだ。
オバマ自身、演説がたくみなだけでなく天性のスピーチライターだ。まる投げにはしない。2004年政界へ躍り出たときの、鳥肌の立つようなスピーチは自分で書いた。
今度ホワイトハウス入りする27歳の片腕の天才スピーチライターを、オバマは自分の「マインドリーダー」と呼んでいる。18ヶ月の選挙運動中の過酷な連日深夜3時までの日程のなかでスキルを身につけた。かれが、大統領の考えを話し合い取材し、二人で4、5回、キャッチボールして練り上げるという。それから最終草稿に仕上げる前に、数週間かけて、3人のスピーチライターチームは、歴史家、スピーチライターにインタビューし、危機の歴史を調べ、過去の就任演説をチェックしたとメディアは伝えている。
ただ「スピーチライターを雇えばよい」では、あのような演説は生み出せないのだ。
ホワイトハウスには、選挙運動中ネットで集めた支持者1400万人のリストがあるそうだ。ITの力により、民意と直接つなげる話し合い回路を持った新しい政治がはじまるかもしれない。
アメリカの自由と平等をめぐる歴史の振動は、津波のように寄せては返すすさまじさだ。民主主義とは言いながら、建国の建前どおりの、けっしてきれいごとの国ではない。
厳しい国情の打開に、みなに責任を求める新大統領の演説の内容は、語りつくされ、演説集が世界中で出版されている。
「それに比べて」とぼやいては、いけないのだろうか。
アメリカにくらべて長い歴史を持つわが国だが、気がつくと国の向かう方向の原点として、オバマが引き合いに出すような建国の精神や英雄がこの国に見当たらないのに、ぼくは憮然としている。
もう神話時代には帰れない。「八紘一宇」も「国体の本義」も「教育勅語」も、もうごめんだが、22世紀にむかって国のすすむべき理想をどう掲げたらよいのだろうか。
来月には、出自のはっきりしない「建国の日」が祝日として訪れてくる。
投稿者 nansai : 17:06
2009年01月15日
一月十四日 物忘れと創造性との微妙な関係について
物忘れが激しい。
家では、しょっちゅう、めがねをさがし回っている。
どこにおいたか。大体所定の場所に置き忘れているのだが、さいきんでは、おでこにのせたまま探しまわっている自分に気づいて、がくぜんとすることがある。

友人に言わせると、自業自得。めがね歴の浅いぼくははずしていることが多いから、置き忘れたり、扱いがぞんざいなのだ。
このような物忘れは救いがたいが、「ほら、なんといったけなあ、あれ。」といったたぐいの、度忘れというのはきわめて人間的な感覚で、コンピューターやロボットには今のところ決して起こらないそうだ。
ある学者の説では、この度忘れの状態と創造性とひらめきを要求している脳の状態が非情によく似ているらしい。以上は、新進気鋭の脳科学者茂木健一郎氏の本にのっていた。
創造性は、「体験×意欲+準備」だということだ。この意欲とは、度忘れしたことを一生懸命思い出そうとしている状態らしい。
「年齢を重ねるほど、創造性の元になる記憶は豊富になるのですから、年寄ったら、むしろ創造性がたかまってよいはず」と、若い脳科学者はうれしいことをいってくれる。
「経験をたくさん積んだお年寄りが本気で意欲をだすことが、一番すごい」と、岡本太郎や手塚治虫をひいて、茂木博士は断定するのだ。後期高齢者のぼくが言うのではない。最新の理論に裏付けられた俊英の脳科学者のお説なのだ。

だが、いいアイデアを思いつくには、当然、これだけでは不十分。ひらめきを得る準備が必要と続き、くわしくは「脳を活化す仕事術」(茂木賢一郎 PHP研究所)を読破するしかない。
投稿者 nansai : 15:05
2009年01月13日
一月十日 他人事ではないガザは、どうなる?
ガザの戦闘は、市民を巻き添えにした一方的な殺戮になるだろう。圧倒的な火力の差があるからだ。
こどもたちなど無辜の死傷者をこれ以上出さないためには、戦力優位側の一方的停戦しかない。
イスラエルの建国から六十年たつが、もう21世紀なのだ。

あれほど優れた民族が、非ユダヤ人との共存を拒否し排斥し抑圧する国家であってはならず、なぜ20世紀の残虐な戦争の愚をくりかえすのか。
原理主義同士のがちんこ勝負だから、大義も正義も、双方、言いつのればきりがない。ただ、これ以上無辜の人々を巻き込んで死なせてはいけないと思う。
昭和二十年の沖縄殲滅戦が思い出される。掃蕩戦に巻き込まれて、せまい島内で逃げ場のなかった20万人もの一般人の犠牲を出した。悪夢をみるようだ。
イスラエル側は、無差別ではなく、隠されている武器や輸送トンネルなど、目標をピンポイントに絞って攻撃しているという。が、巻き添えになる一般人(子供が多い)の死傷者は増える一方だ。
戦力で優位に立つと、兵士たちは、劣勢の敵(一般人をまきこんで)に対して、なぜ、こうも残虐になれるのか。
戦場でなぜ殺戮が起こるか。
おぞましい戦争の歴史をふりかえると、今に始まったことでなく、そこに一定のパターンがくりかえしみえてくる。
一般市民と戦闘員(正規兵にせよ、テロリスト、ゲリラ、レジスタンスにせよ)が、ある区域に追い詰められ、混在して見分けがつかない状態で起きる。
一方的に兵力に格差があるとき、一般人と戦闘員の見境なく、殺戮が起こる。
たとえば、作戦中に味方が殺された場合だ。報復が正当化され、殺戮の名分、言い訳となる。
それがいまガザで起きている。日支事変、沖縄戦、ベトナム戦争、イラク戦争。世界のあらゆる戦場で、それは起きた。
報復を大義が支援すると、感情が燃え上がり抑制がきかず、おそろしいことになる。
9・11がそうだった。
太平洋戦争でも、米軍の無差別爆撃、原爆攻撃の大義は、真珠湾攻撃など、日本の卑劣な行為への報復だ、謝る必要はないと、現在も当時のパイロットたちが証言している。
このような戦闘の大義名分は、当然根深く双方にある。
いまこの手の戦争の武器は、メディアである。
携帯、ユーチューブやフェースブック、テレビを駆使して、それぞれの正義、自軍の戦闘の正当性を世界に向かって主張する宣伝戦争でもある。ネットの力は大きい。とくに、ユーチューブの動画は、24時間、戦闘の模様を伝えている。
双方の言い分はつきることがない。イスラエル側は、ネット上の文字で、パレスチナ側は映像で訴えているとBBCは伝えている。爆撃でけがをしたこどもたちの血だらけの映像が伝える現実のほうが正確で説得力がある、とぼくの目には見える。
撃ちかた、止め。とにかく戦闘は止めねばならない。
だが、戦闘は終息しても、問題は解決しない。
ガザ紛争の根っこには、パレスチナの貧困がある。救いがたい若者の失業がある。高く厚い塀でへだてたイスラエルとの経済格差がある。
国を興す産業がなく、家族を養う仕事がなく、かろうじて国際援助で食ってゆく。そんな状態が長続きしてよいはずがない。なすすべのない若者たちは、どこへゆくのか。
ガザの話題が、いつの間にか、日本の若者労働のことになってしまった。
投稿者 nansai : 16:52
2009年01月07日
一月七日 白地に赤く、日の丸?染めて
年越し派遣村のテレビ中継など、うっとおしい限りのお正月だった。恐慌退散を願って厄払いは、やはり、おてんとさまである。

ここに、大阪をよみがえらせる「大水都」のイメージシンボルを提案し高く掲げるしだいだ。
なんだ、季節はずれの、しわだらけのTシャツではないかと、いぶかる向きもあろう。ま、ことのしだいはこうだ。
大きな赤い丸は、太陽である。真中に小さく白く丸い穴があけてある。丸は、OSAKAのOなのだ。
Tシャツの表は、朝日をかたどった。東の生駒山から昇る朝日だ。
裏面は、夕日である。西から大阪の海や川や堀を照らす。

Tシャツには、思いを込めて「水都、わが町」。と 刷り込んだが、「わが町」は、わが敬愛する織田作之助の小説のタイトルである。かれは大阪の夕日を愛したといわれている。劇化されて、主役の「ベンゲットのたーやん」を舞台で森繫が演じたのは、ずいぶん前のはなしだ。
万葉集に次の歌がある。
難波津を漕ぎ出てみれば 神さぶる
生駒高根に 雲そたなびく
難波津は、当時の交通の要衝で、東国の防人たちがここから出征して西へ送られ、アジア諸国の船がここに着いた。シルクロードの終点だった。場所は、八軒家船着場から、眼と鼻の先の高麗橋付近とされている。
大阪は、夕日の都だった伝えられている。生駒山から見下ろす大阪湾の夕日に輝く風景は、「押してるや」という枕詞に象徴されている。晴れた日は淡路島がみえた。
おしてるや 難波の津ゆり 船装い
我は漕ぎぬと 妹に告ぎこそ
じつは、昨年よせばよいのに、Tシャツ展をこころみ、近所のボタン会社画廊の片隅にぶら下げてもらった。その中の、われながら「傑作」がこれである。
デザインの意図不明だったせいで、ご町内の衆にも全く評判にならず、むなしく持ち帰って部屋の隅にぶらさげておいたのだが、だんだん変色してきてほこりまみれになってきた。
まったくなにもめでたい話題のない正月に、大水都の再生開運を願い、季節外れのTシャツのほこりをはらって、今年の幕開けにしたい。
投稿者 nansai : 13:47
2008年12月26日
十二月二十六日
暗い年末だが、マウスで、そそくさと描いてみた。







ウエブのうえで、例年のとおり、干支をテーマの南斎描く年賀状の展覧会、(7点しかないが)、開くことにした。
週刊誌を開くと、大物経済評論家のみなさんは、いっせいに超悲観論を展開している。株価急騰するも、景気どん底、失業者街にあふれる。暴風津波警報だ。
ドルは今以上に暴落、投売りされると予測する大前氏。スピリチュアルカウンセラーEさんもくわわり、「一人ひとりが、手綱を締めなおし、再び正しい道、善き選択をしてゆくことがいま何よりも大切です」と、ありがたいおすすめ。こんなことを活字にしてどうするのかな。
年賀状では、悲観、楽観、強気、取り混ぜて描いた。ピカソの闘牛からのぱくりは、われながら、白眉のできであると、自画自賛。ええかげんにせえ。
大前氏は、日本の1500兆円の膨大な個人資産を使って、いまこそ「国家ファンド」を作れという。世界の優良企業が安く買えるのだ。穀物メジャーや鉱山会社、石油会社を買い叩けと勇ましい。100年に一度の危機は、逆にチャンスなのだとか。
で、この手の空気を読んで、年賀状を作ってみた。
といって、切手を貼って出す先もないから、隣のイタリアン料理店マリアンの壁にならべておいてもらった。
同店は、紺の不景気に、ミュージシャンたちに、プロ、アマチュアを問わず、演奏の場を提供して、満員大当たりである。自慢ののどを披露し、楽器を演奏するささやかなスペースが、求められていたのだ。
知らなかったが、この界隈は、知る人ぞ知る楽器ストリートなのである。
近所のビルにはハープやバイオリンの工房や店があり、有名ミューシャンが出入りしているそうだ。
投稿者 nansai : 15:52
2008年12月05日
がんばれ。不況の街を走る「おばちゃんタクシー」
しょぼふる雨の朝、タクシーに乗った。おっ、めずらしく、運転手は、おばちゃんだ。乗り込んでおどろいた。

へえ、運転席の横、熊のぷーさん2匹が小皿に乗って、こっちを向いている。メーターの上には、モールのミニチュアツリーがちょこんとかざってある。
「この不景気でしょ。なんとか元気を出してもらおうと思って」と、おばちゃん運転手は抱負を語る。

「後部の窓にも、ちかちか光るツリーをおきたかったが、整備係にこれ以上電気を使ったらあかん」と言われたと残念そう。
レーマンショックで、あれからころっとお客さんの意識がかわったと、経済分析も確かだ。でも、十一月はノルマは達成できたと胸を張って、
「この月はこれからや。」と、意気軒昂だ。
大阪のタクシーでクリスマス装飾!しているのは、おそらく不況にめげない、この一台ではないだろうか。
大阪のおばちゃんは、たくましいなあ。
しょぼふる雨の中、近場のワンメーターで、すんまへんでしたねえ。
降りるとき足元が滑るから気をつけなさいとアドバイスされ、ごくろうさん、元気とおつりも、もらってしまった。
投稿者 nansai : 14:41| コメント (0)
2008年11月18日
2009年賀状は、猛牛の鼻息で恐慌退散だ。
ジングルベルがきこえてくるのに、暗く重苦しいニュースが多い。世界を覆う金融不安で、海外のテレビニュースやネットを見ると、各国の消費不況、失業の深刻さがわかる。

国内は、首相の漢字能力とか、給付金のくばりかたとか、まだ、どこか間が抜けているのだが。
でも、数週間後に、新年はやってくる。
本屋の店先は、もう年賀状の手本が山積みだ。おめでとうという気分には、程遠いけれども。
さて、来年の干支は、丑である。
希望に満ちてとはいかないまでも、ウシにちなんで、ぼくも年賀状のアイデアをぼつぼつ考え出すことに。
ウシもいろいろだが、英語で雄牛BULLは、もともと強気のシンボルだ。瀕死のウオール街のはずれに3200キロのブロンズ彫刻があるらしい。

で、ウシの鼻息に託してでも、世界恐慌退散を祈ろうと、世界中が自信喪失してどん底のいま、
世直しに雄牛を何とか描いて料理しようと思いついた。
枯れた墨絵の牛もいいが、ここはスペインの闘牛でなけばならぬ。トロという。日本にはいない猛々しさだ。

ところで、究極の雄牛は、なんといってもピカソだ。
力強い名作がいろいろある。
「贋作ピカソ尽くし」をこころみる。謹写しつつ、ありがたくヒントをいただくことにした。
これは、有名なゲルニカから。色は勝手に塗ってしまった。
キャラクターさえきまれば、年賀状のアイデアは湯水のごとくだ。

何だ、パクリじゃないかというなかれ。
かの琳派の「風神雷神」のごとく、後世に伝えるテーマを押し頂いて、ぼくが年賀状に「本歌取り」させていただくのだ。いずれも、勝手にひねり着色した贋作ではあるが、オリジナルなのだ。

描いているうちに、調子がでてきて、ピカソが乗り移ってきたぞ。
ピカソもマウスで描いたら、眼を輝かして新境地を発見したことだろう。

みっともないが悪乗りして、この際、雅号?を、光鼠、つまりピカソに改めて、鼻息荒く、
CHANGEとはどうだ。

と、せっかく勢いよくぶち上げたものの後期高齢者の年賀状は、年々辞退者がふえ、出す先がくしの歯をひくようにへってゆくのだ。
投稿者 nansai : 14:50
2008年11月12日
新大統領の頭を悩ませる「ファースト ドッグ」選び

「ホワイトハウスで友人をつくるなら、イヌを飼うことだ」とは、トルーマン大統領の名言だ
オバマ次期大統領の解決すべきつぎの大きな課題は、もちろん二つの戦争と金融恐慌だ。しかし、別の難問?をかかえているという。
それは、来年のホワイトハウス入りの前に、家族のための愛犬をえらばなければならないことだ。
当選したオバマ氏は、勝利演説で、愛するこどもたちにホワイトハウスで小犬を飼ってもいいと約束した。このほほえましい約束を、世界中がきいていたのだ。いま、全米のウエブサイトは、どんな犬種が選ばれるか、いや選ぶべきかの話題で持ちきりである。
ホワイトハウスで大統領と家族を癒してくれる愛犬は、国民のスターでもある。
ファーストレディーならぬ「ファーストパピー(仔犬)」にどんな犬種がふさわしいか、ペット好きのアメリカ人の最大の関心事なのだ。

オバマ氏は、記者会見で子犬選びに条件が二つあると述べた。上の娘のアレルギーを引き起こす、毛の抜けない、血統の正しい犬か、引き取り手のない収容施設の犬。(私のように雑種が多いのだが)。と、ユーモアを交えて、選ぶのに悩むことになりそうだとも。
記者会見でのコメントはあちこちで引用され、がちがちの共和党寄りの評論家も拍手した。全米の愛犬家、アレルギーのこどもを抱えている家庭、捨て犬を救いたい団体の共感をいっきょに獲得したのだ。
現在の最有力候補は、アレルギー持ちのマリアちゃんがリサーチしてお気に入りの「ゴールデンドードル」らしい。プードルとゴールデンレトリーバーの交配種だ。
犬にくわしくないぼくは、グーグルで探し当てた写真を見ながら、マウスでスケッチした。もじゃもじゃした毛並みの描写は、写真にはとてもかなわない。
大不況の暗いニュースをよそに、アメリカ中のブログやウエブサイトは、44代大統領の愛犬候補の情報で、ハチの巣をつついたようだ。人気投票?(犬気投票か)、も始った。

オバマ氏は、捨て犬(自分のように雑種が多い)を収容所から引き取りたいとも述べている。このほう方がオバマ氏らしいという声も。
もともと、ジェファソンの牧羊犬からジョージブッシュのスコチッシュテリアにいたるまで、歴代の大統領にかわいがられた犬たちは、純血種が多いそうだ。犬たちは、ウエブサイトのアルバムで記録され、その名を歴史にとどめている。
さすがアメリカだと、たまげたのは、ブッシュ大統領の愛犬バーニーは、なんと堂々たる自分のホームページを持っている。ホワイトハウスのサイトだから、国費で運営されていることになる。バーニーは有名犬で、ユーチューブでは、ちょっかいを出した記者に噛み付いたシーンが紹介されている。
いまのようなきびしい時期だからこそ、ついほっこりしてしまう。
わが首相官邸は、どうだろう。まず、首相が、あんなにくるくる変わったら、とても犬なんか飼えないよねえ。
若者向けにキャラが立つと自称する首相だが、選挙の人気取りには、ハンフリー・ボガードのように顔をゆがめて葉巻をくわえるよりは、仔犬を抱くほうが親しみを感じてもらえるのでは?
投稿者 nansai : 14:18
2008年11月10日
「猛虎魂絶叫G倒 平尾」(デイリースポーツ)は、ちょっとはづかしいな。おめでとう、ライオンズ!
久しぶりで、テレビで、7戦にまでもつれ込んだ日本シリーズ決勝戦を堪能した。劣勢をはね返す見事な戦いぶりだった。土壇場の敵地で巨人を破った手負いの西武、若獅子戦士たちに祝福をおくろう。

はじめは、普段なじみのないライオンズの選手は、みな同じ顔に見えた。投手も野手も、ヘルメットからぼさぼさのうしろ髪がはみだしているのは、おしゃれなのだろう。
ところが、打つは、走るは。連投を辞せず、強打者をねじふせるは。
それは、わかさ、わかさだ。王手をかけられてあきらめず、敵地で第6戦、第7戦をとった。
渡辺監督はあっぱれだった。湧井、岸の投手起用は、すごかった。だいたん、きわまりない。経験豊富で苦労人の投手は、監督にふさわしいのか。
昨年、26年ぶりにbクラスに落ち、主砲の抜けたチームを一年で日本一に押し上げた。
力一杯振る打者のヘッドスピードが違う。若手にのびのびと力を発揮させたコーチ陣の指導力に脱帽である。
渡辺監督を支えるバイブルがあると、デイリーは一面で報じている。現役時代、広岡、森、野村と名将のもとでつけてきた「野球ノート」だ。からだで覚えたかけがえのない暗黙知を文字にして残す、プロの知恵と根性は、りっぱである。

けさ、キオスクで買った関西のスポーツ紙の苦心の見出しは、いじましい。
「猛虎魂絶叫G倒、平尾。」
と、決勝打を放ち優秀選手に輝いた平尾のガッツポーを3面にのせた。平尾は、八年前に阪神を去った選手だ。
「93年ドラ2阪神入団、01年交換トレード‥プロ15年目に日本一に輝いた」とも。切り込み写真説明に、「93年、入団会見で初々しい表情の平尾」とある。
シリーズの解説で、ゲスト阪神金本が、巨人には歯がたたなかった強かったとしみじみ語るのをきいた。
このシリーズで、人気ではなく、若さのちからを思い知らされた。
投稿者 nansai : 15:49
2008年10月24日
山椒魚は、流されて仰天した。大阪人の土石流パワー。
山椒魚は、突然、体が浮きあがったので驚いた。人の波に押されて、そのまま、駅のホームに投げ出された。

遅い夕方の地下鉄ラッシュアワー、山椒魚は、いつもの満員電車の入り口に立つ。次の駅で、乗客がどっと降りるから、必ず座れるはず。
「一歩中へ、おすすみください」と車内アナウンスされるが、ぎゅうぎゅう詰めで身動きできない。つかまるつり皮もバーもない。
次の駅梅田に着いた。
いっせいに出口に進もうとする乗客の流れに逆らって、山椒魚は一歩肩をなかにいれようとした。
それが無用な抵抗で、あっという間に人の波に押し流され、からだがうきあがってしまった。あれは、人ではなく水流だな。土石流のような勢いだ。
突き飛ばされ、ホームでうつぶせに倒れた。幸運にも頭は打たなかったが、左の腰をしたたかに打った。
おそろしい一瞬の人の波は、足早にすぐに消えた。
かっこわるかったが、山椒魚は、なにごともなかったように起き上がって、突き飛ばされた入り口からのこのこ入りなおして、腰をさすりつつ、あいた席に座った。車内のだれも気づいている風はなかった。
年老いた山椒魚は、ちくちくいたむ腰をさすりながら、反省した。
ここは、大阪である。無理は、自業自得である。
人の情けとか、惻隠の情とかに甘えてはならん。すべて自己責任なのだ。あいてて、後悔は先にたたずだ。
なにしろ、ひき逃げもひったくりも放置自転車も、すべて、日本一の「わが町」である。
曽根崎署の横でクルマに跳ねられ三キロも引きずられて亡くなった人もいる。オデッセイ?に乗っていたた犯人は、いまだに捕まっていない。
投稿者 nansai : 12:20
2008年10月23日
阪神まいった!
岡田監督「悲しき胴上げ」
と、サンスポの見出しは容赦ない。
胴上げされて監督が号泣した。「しやない」悲しき退陣、と小見出しが追い討ちをかける。

好投の岩田を引き継いだ藤川が、またしても宿敵ウッヅに、打たれてはいけない本塁打を浴びた。まっすぐは、読まれていたのだ。今年のタイガースは終わった。
頑固なまでの正攻法で、最後もゼロでおわってしもた。最悪の終戦。おわってみれば、「世紀のV逸&二年連続CS第一次敗退」。いかにもタイガースらしい。
茫然自失、ぶんむくれトラキチおっさんの図である。

逃げた魚は大きいが、ふりかえれば、なに、シーズン前の大方の予想通り?いや、それよりましだったなあ。オカダはん、ごくろうさんでした。
新政権になって、春が来て、それからトラキチ好みの長い冬が始るだろう。ことしがんばった主力選手が、後期高齢者ぞろいだからなあ。
海の向こうでは、いよいよワールドシリーズだ。
岩村のいる躍進レイズは、ことし改名した。
毎年、万年どん底で、ついたあだ名がなんと「ドアマット」。踏みつけられてたまるかと奮起した。
投稿者 nansai : 14:53
2008年10月15日
十月十六日
いよいよきょうから
「マウスで描いたBLOG絵を
Tシャツに刷ってみました展」を、
ほんねきの丸善ボタン画廊で。ひっそりと。

もともと、このサイトは、伝統的な日本語の漢字かな混じり文をウエブ上でも読みやすく、と、縦組み編集を進める普及活動の一環である。
読みやすさが受け入れられたのか、数少ない読者の友人たちも、すいすいと話のすじを追って(中身がつまらなくても)飛ばし読みしているようだ。
たしかに読みやすさでは、いい感触を得た。
だが、ひそかにぼくがこだわっているマウスで描く絵には注意を払う人が少ない。これは残念。
せっかくアイデアをひねりだしたのに、気がつかない。ま、しかたがないか。

で、今回、長年描き飛ばしたアーカイブから、絵だけ抜き出して20点ほどTシャツに刷ってみることにした。
「マウスで描いたBLOGの絵をTシャツに刷ってみました展」を、ご近所の丸善ボタンギャラリーの軒先を借りて展示する。(中央区島町一丁目一の二 TEL06-6942-2261)
(丸善ボタンギャラリーのリンク先はGoogleMapに設定しています。ストリート・ビュー機能が使えますので界隈の様子をご覧いただけます)
入り口横に洗濯物のようにハンガーにつるしているから、ガラス越しにすぐのぞける。明日から6日間。
ちょうど近くの「北大江公園」で町おこしイベントがはじまるのにあわせて、通りすがりのご町内の衆にみてもらうことに。
だから、テーマは
KITAOOEH PARKが中心。



Tシャツ生地は意外に高価なので、印刷できなかった原画を雑用紙に刷ってならべることにした。
感謝をこめてマウス供養の意味もある。日本には、古来、筆供養、針供養があるのだから。
宣伝活動は、めんどうくさくなったのと、個展の通知をいただくと義理との板ばさみで当惑することが多いから、葉書も刷らず、このサイトだけである。
原則として、一品刷り。あれこれ手続きがややこしいので、販売しないことに。




投稿者 nansai : 17:41
2008年10月14日
この絵巻の絵をTシャツに刷ってみることに。
大恐慌。瀬戸際の危機も、とりあえず回避できたらしい。何が幸いするかわからない。金融立国の波に乗れずもたついていた日本の傷は浅く、これからどうなるかは、神のみぞ知ると専門家がいう。

さはさりながら、美術の秋。
地球規模の金融さわぎの台風一過、思い立って「マウスで描くBLOG絵をTシャツに、試し刷り展。」をご町内の丸善ボタンギャラリー(06-6942-2261)の一角で開くことに。
(丸善ボタンギャラリーのリンク先はGoogleMapに設定しています。ストリート・ビュー機能が使えますので周辺の様子をご確認いただけます)
おりしも、すぐ近くの北大江公園では、京阪電車新線開通を祝い、まちおこしのコンサートなどイベントが目白おしだ。この「WEBマウス絵の試し刷り展」もその一環である。
北大江公園は、ちっぽけな公園だが、想像力をふくらませると、空想上の動物などストーリーを繰り広げられそう。
島町一丁目の丸善画廊で、十月十六日から二十五日まで。ガラス戸の前の軒先三寸を拝借して、20枚ていど、洗濯物のように、ぶら下げる。見栄えはよくないだろうな。
ターゲットは、ご町内、つまり北大江公園界隈と、島町通りをぶらぶら御通行のかたがた。
宣伝活動は、このブログだけ。葉書などでのお知らせはやめた。個展の案内をよくもらうが、義理で来る人に、もうしわけないと思う。
ぴかぴか新品の白地のTシャツは、、ぼくの絵で汚すにはもったいないほどの結構な値段だ。品質はぴんからきりまで。ぼくの描くマウス画は、20枚程度だから、一番安いシャツ生地にに刷ることにした。
原画?はA3の雑用紙にプリントアウトしてならべておく。

このBLOGの絵は、いつもマウスで描いているのだが、スクリーンの透過光でなく、Tシャツに刷ってみることにした。
このBLOGを読んでいる数少ない友人たちは、話の筋には関心があるらしいが、ぼくの苦心?の絵にはほとんど無関心だ。そりゃそうだろう。ウエブ上では、刺身のツマのような存在だから見過ごされてもしかたがない。
ぼく自身が、絵だけ切り離してみてみたいのだ。
投稿者 nansai : 16:36
2008年10月10日
十月九日
八日の株価は、5日続落し、終値は952円安。一日の下落率は、歴代三代目という。
えらいこっちゃ。世界恐慌前夜との説を成す評論家あり、ノーベル賞や野球より、もっと緊急の大事なことがあるやろう、といわれれば、そのとおりだが、

帽子脱ぎ髪をなであげまたかぶる
打たれたときの岡田監督(鳥取県 中村令子)
この歌は、朝日歌壇で見つけた。
このごろ、ぼくも今風の短歌に興味がでてきて、こういうふうにさらっと詠めばいいのだなと感じ入った。作者はダッグアウトの中をよく観察している。テレビの望遠レンズ越しでなければ、オカダ監督のこころのアップは撮れない。
ごくふつうの現代話し言葉を使って、平成のうたがよめるのだ。自然な感じがいい。
そうこうするうちに、昨夜の対巨人戦7連敗で、つかれきったよれよれの阪神は、巨人の若い投手リレーで、ダウンを喫した。意識朦朧の感じだ。
このところ、オカダ監督の帽子を脱ぎ、薄くなった髪をなであげ、無意識にしゃくるようにあごを傾けるジェスチュアが続いた。とうとうマラソンでいえばゴール寸前のトラックでついに追い抜かれた。抜き返す体力はもう残っていないだろう。
スポーツ紙のデイリーは
「陥落。奇跡信じるしかない。」と、141試合目の屈辱と総括している。

「サンスポ」の見出しは、
「何やっとんねん。怒りの虎党」メガホンなげるわ。ユニホーム捨てるわ。大荒れ東京ドーム。
と、情け容赦ない。
13ゲーム差をひっくり返された?
むかしの阪神なら当たり前で、オカダ監督の肺腑をえぐる口汚い野次こそ阪神ファンの本領なのだ。
今岡の守備のへっぴり腰が攻撃されている。
ダンカンはわめく。新井を三塁手にしろと。
金融崩壊で深刻な欧米の海外放送をみると、ノーベル賞で盛り上がっている日本とはだいぶ温度差があるようだ。ほんとに大丈夫なのか。
投稿者 nansai : 11:49
2008年09月26日
アリクイ「たえ」が脱走

以前にも脱走した前科一犯ミナミコアリクイ「たえ」が、またサンシャイン水族館の飼育小屋から雲隠れ。大騒ぎとなった。
飼育員が血眼になってさがしまわったがみつからない。灯台もと暗し。すぐそばの館内の床下に隠れていたらしい。三日目にえさにつられて姿を現したのを監視カメラに目撃され、御用となった。
やれやれ、まずはめでたし。茶番劇の自民党総裁選挙よりも、おもしろいとテレビでは、派手に報道された。
コアリクイは愛くるしいが、前足には鋭い大きなつめが生えている。なんとなくとぼけていて愛嬌のあるアリクイは、描きがいのあるモデルである。
ふだんお目にかかれないが、写真とくびっぴきで、マウスを動かして絵にしてみた。

投稿者 nansai : 13:07
2008年09月22日
思いがけず、チャップリンに会ってきた。
久しぶりで、大劇場で活動写真をみた。
なんと77年前に製作された無声映画である。しかも、フルオーケストラの生演奏の豪華版だ。活動弁士の姿はなかったが、字幕で筋を追いながら、京都市交響楽団の演奏をきく。もったいない気もしたが。

チャップリン「街の灯」(1931)は、無声映画の不朽の名作とされている。これにフルオーケストラが多才なチャップリンの作曲にしたがって伴奏をつけるのを、ライブシネマコンサートというらしい。再開発のため近く閉館する中之島フェスティバルホールで催されるとあって、切符をいただいて、のこのこでかけてきた。

映画史上の名作といわれる「街の灯」だが、これまでなんとなく敬遠して、しみじみと見たことはなかったなあ。
浮浪者のチャップリンが、街角で見かけた盲目の花売り娘に恋する。80分以上の全篇、コミカルなパントマイムのオンパレードだ。
なかでも極めつけは、ボクシング場面だ。相手のパンチから逃れようとレフェリーのかげにかくれ、ぐるぐる三つ巴になってリング場を動き回る。結局ノックアウトされのだが、そのおかしさは、半世紀以上たった今もふるくならない。
お笑いも、しゃべくりは、よそもんにはちんぷんかんぷんだが、パントマイムのドタバタは、世界中のだれにでもわかる。
そういえば、むかしみた「黄金狂時代」で、吹雪で山小屋に閉じ込められたチャップリンが、パンをフォークに刺しテーブルのうえでダンスさせるシーン。いまも覚えている。
チャップリンは時代を超えて熱烈なファンが多いから、おびただしい数のネットをみてみると、City Lightsのサイトもあった。
有名なラストシーンは、ぼくは深読みできなくて、うかつな感想を述べると、淀川長治さんなど熱烈なチャップリンファンからどやされそうだ。

愛する盲目の花売り娘の窮状を救うため、ボクシングのいんちき賭け試合に飛びこんだ、向こう見ずの浮浪者チャップリン。試合前のかれの晴れ姿?を描いてみた。
投稿者 nansai : 12:09
2008年09月17日
タイムマシーンで、難波津を見物。

「知らぬが仏。」いや、知らぬが宝、だった。
うちの事務所が借りているビルは、大川をすぐそこに見下ろせる上町台地の北端に立っている。北大江公園の西南の角だ。
二十年くらい前か、借りることを決めていたので、ビルが着工されることになって、現場を見に行った。
地下から文化財がでてきたとかで、市の文化財保護の職員がきて工事が遅れ、家主がやきもきしていた。
囲いが立てられていて、これ以上掘るとあぶない地下7メートルまでが掘られていた。なにやら土器が出てきたらしかったが、そそくさとすぐ埋め戻されて、なんの表示も記録のないまま忘れ去られていた。
島町のここら当たりは、大阪城の城のうちなので、豊臣時代の遺跡かなと思っていた。
出土したのは、意外にも、もっと古く、1200年前の難波京の頃の遺物だった。
くわしいことがわかったのは、ことし出版された一冊の本による。
「大阪遺跡」(創元社刊)に、「奈良三彩と難波京の井戸」という題で、宮本佐知子氏(大阪市文化財協会学芸員)のつぎの一文が掲載されていた。
「難波京の北西約1200メートル、大川南岸の高台で見つかった三彩の小つぼは、深さ7メートルもある井戸から、奈良時代終わり頃の土器といっしょに見つかった。
この高さ4センチの小壷は、唐の三彩をまねて日本で作られた奈良三彩。緑、褐色、白色の釉薬がかけられていた。
官営の工房でつくられたもので、だれでも手にいれられるものではない。このような奈良三彩が、どうして、この場所でみつかったのだろうか。どのような人が使ったのだろうか。」

陶器の絵は、ぼくが、同書の白黒の写真を見ていいかげんに描いた。現物とは程遠いと思う。
宮本学芸員によれば、同じ井戸からは、墨書で「摂」と書かれた土器片も出土した。「摂」は、摂津を示す重要なキーワードだ。
大川が見渡せるこの高台には、摂津を治める「摂津職という役所があったと推測される。
万葉集には、難波堀江(大川)で遊覧し、貴族の館で詠んだ一連の和歌が載せられていると専門家はいう。浅学なぼくだが、このロマンチックな一連の歌をさがしてみたい。
そんな歌を頼りにタイムマシーンに乗ってみよう。
ここは、大川のほとりの貴族の邸宅がみえてくる。難波津の良港はすぐそばだ。外国の賓客をもてなす館もある。
ここ、上町台地北のふもとからは、細長い砂嘴が、で千里丘陵まで延びていたらしい。土砂で船の航行が困難になったので、「難波堀江」が掘削された。目の前の大川である。
この先まで大阪湾が迫り、大陸から船が集まってくる。東は、葦の茂るラグーン、河内湖である。ここから、湖の奥にある草香津へ向かった。大和へは生駒山地をこえてゆくのだ。
知らぬが宝だった。
教えてもらえなかったから、難波京ときいても、カンケイが理解できなかった。奈良時代のこのあたりの情景は想像できなかった。出土した奈良三彩は、博物館にいけば、展示されているのだろうが。
1200年前、奈良貴族の館だったかもしれない島町かいわいは、中小のビルが雑然と建ち並んでいる。
奈良三彩。この貴重なお宝は、鑑定団でみてもろうたら、なんぼの値打ちがあるやろう?
出土した井戸の跡には、記念の石碑もなく、道の端ぎりぎりまで立てられた無粋な四角なビルが、21世紀の現実である。
きれいさっぱり誰からも忘れ去られているところが、いかにも大阪らしい、といえばそれまでだが。
投稿者 nansai : 14:07
2008年09月12日
サプライズ。突如、帰ってきた天才打者が結果を。
野球はドラマだ。しかも、人間の。
夕べは驚いた。タクシーの中で野球ニュースをきいて、万歳した。109日ぶりに、突然あらわれた今岡が打った。対ヤクルト戦。
姿を見せぬまま、すっかり忘れられていた天才打者が、関本選手の故障で急遽三番に登用されると、いきなり打った。
一回、走者一人をおいて、一番深い左中間にホームランだ。当てるのではなく、鋭く振り切った。
これは、めでたい。待っていたぞ。

栄光の背番号7。往年の首位打者、打点王も開幕からの不振で五月から登録を抹消されていた。
そして敗色濃厚の土壇場の9回裏、二死満塁に今度は選んで、押し出しの決勝点をもぎ取った。
今岡のスタメン発表にどよめいた甲子園は、大興奮だろう。
ここへきて打てない、守れないダメトラ状態化したへとへとの阪神に、やっと光明がさした。アサーだ!
「ついさっきまで鳴尾浜にいたのに、夢みたいだ」
この日34歳の誕生日をむかえた今岡は感無量だろう。この日も、昼間は、甲子園の近くの二軍にいた。練習していたら、いまから行け、といわれたそうだ。
「この日は、今岡による、今岡のための試合だった」とニッカンは、書いている。
人生なにがおこるかわからないが、今岡これからの健闘を祈るや、切。

今岡が万歳している新聞紙面の 片隅に、訃報がのっていた。
かれこれ半世紀前、同じ会社で机を並べていた入社一年上の先輩がなくなった。その後、有力企業のトップにまで登りつめ、財界の切れ者だったが、未練なく後進に道を譲り、あっさりと引退した。
若いころから、クールな大物だった。安サラリーマンの頃、ラテン語の文法書をポケットに入れていたのを思い出す。酒は一滴も飲めない人だった。合掌。
投稿者 nansai : 11:16
2008年09月03日
「着てはもらえぬ?」ティーシャツ
Tシャツは、 メッセージやスローガンを伝えるポスターでもあり、人が着れば歩く広告媒体だ。
ぼくがこんなTシャツを着て地下鉄に乗り込んだら、

優先席にふんぞりかえっている若い人が驚いて席を譲ってくれるかなあ。(そら、あきまへんで。大阪では。テキもさるもので目をつぶって寝たふりを、しよりまっさかい。)
パソコンで絵を描いて、気に入ったのをプリントアウトするのには、Tシャツがいい。写真を現像に出し拡大するようなものだ。もっとも、人にあげても、喜んで着てもらえるか、保障のかぎりではないが。
さて、空文と化した「敬老の日」も近い。
後期高齢者に捧げるシャツのデザインを考えてみた。

「カメは万年」にちなんだ長寿を祝うケッ作なのだ。明るい色調だが、プレゼントしてはいけない。年寄りは、怒り出すかもしれないからだ。「着てはもらえぬティーシャツを」だ。
このようにぼくが自分で気に入ったのは、たいていは、ひとりよがりの出来だから、「どうだ」は他人には通じない。ン?とまどった顔をされるのがオチ。これもそのクチだろう。

つぎは、阪神タイガース優勝祈願シャツ。
危うし。阪神。
星野さんに北京に拉致された三番打者がつぶれ、頼みの押さえ投手JFKの三羽ガラスがかんかん打たれ始めた。最下位チームの横浜に、なんと5連敗だ。
このままでは、かりに優勝しても、日本シリーズにでられるか。ダイナミックシリーズが心配だ。
短期決戦に弱いことでは定評がある。データ野球が苦手らしい。
で、あわてて、白い子ネコをトラ柄にペイントする。

今年はいらないと思った「招き猫」を描いて、必勝を祈念することに。

子猫は、短い前足を上げて、「おいでおいで、」と、けんめいに勝ちを招くのだ。
いうてすまんが、ぼくは、マウスを操って絵を描く達人、いや変人である。
世にマウスで絵を描くあほな人は、少ない。プロはもちろん高度な道具を用いる。
老齢のぼくは、「ペイント」という初歩のお絵かきソフトのお世話になっている。これは、パソコンに初めて接するこどもたちか、キーボードにひるむ高齢者向けに、入門教材として使われるきわめて原始的なソフト。ウインドウズには、無料でついている。
習いべたのぼくは、60半ばの手習いで、雑誌の記事を見て、これなら自分にも描けそうだ、とはじめた。独習である。
思いついたらすぐ描けて、あと始末がいらないのが気に入っている。失敗しても、パソコンが保存してくれるのがありがたい。紙くず箱のおせわにならないですむ。
投稿者 nansai : 14:17
2008年08月28日
京阪新線開通を、何とか、このかいわいの町起しに
ことしも、ここ八軒家かいわいの恒例ベントが企画されるらしい。ご町内の実行委員会の企画メモがまわってきた。あわただしく京阪電車新線開通にあわせて、十月十九日から二十四日まで。

手づくりのライブコンサート、「たそがれコンサート」を開く。場所は、北大江公園芝生広場。町内の音楽関係の皆さんに声をかけてもらって、これからミュージシャンを集める。

去年は、トルコ楽器の演奏などインターナショナルなムードで盛り上がった。あいにくの雨模様で、湿気で太鼓の皮がぴんとはれず、目玉演目の和太鼓演奏は、やむなく中止となった。
京阪新線で、町おこしだ。と、八軒家浜かいわい一帯は、気合がはいっているらしい。早めにポスターを間に合わせるようにいわれた。
例によって、町内のだれが責任者かわからない。無責任うやむやは、ずぼらなぼくの望むところ。

昨年のぼくの作ったポスターは、楽器の描写がいい加減だったからか、町内で悪評さくさくだったらしい。
「あれは、だめでした」
一年たって、マリアンの大将が、ボランティアのぼくを、ぼろくそにこきおろす。
なんの資料もないままに、十五夜お月さんにちなんで、はるばるウサギの楽師たちを呼んできたのだが、えらく評判がわるかったそうな。うさぎくんたち、ごめんな。
もともと幼稚園児のおえかきのようなポスターなので、楽器の精密正確なデッサンをのぞまれてもこまるのだが。


なにせペイントとマウスで、思いつきをかたちにするスピードポスターだ。
変幻自在のお好み描きのようだが、それでも、でっちあげるのには、気合の充実が必要である。
気を取り直して、北大江公園の滑り台をモチーフにして、イメージスケッチができた。ぼちぼちと思いつきアイデアの破片をならべてみることに。
このふてくされている野良ネコは、ぼくではない。
一年前まで、北大江公園のベンチにうずくまっていた。
夜陰にまぎれてえさをやる奇特なご婦人も見かけたが、ねこはいつしか姿を消したままだ。

ところで、余計なことだが、コンサートの愛称を「たそコン」とちぢめると、いいひびきだと思うのだが。
投稿者 nansai : 16:11
2008年08月26日
「筋」メダルは、もういらないのでは。
おもしろうて、やがてかなしき、五輪かな。

お隣りの国の威信をかけた空前の大運動会は、終わった。
どちらさまも、おつかれさん。
オリンピックの観衆は、テレビの前で、感動のドラマを期待している。逆境に耐えて耐えて勝ち抜いて、涙の栄冠をつかむ美談だ。文部科学省提供の大河ドラマだ。
当家は、メス猫を含めて3人の女から「日本の男子はなんや、」と攻撃されている。それに比べて、女子は根性がすわっていると、多勢に無勢で旗色が悪い。
うーん。女子ソフトボールの日本チーム連投連勝はすごかった。正座して、応援した人もいたそうだ。
闘いが終わったあとの表彰式でも、日米両チームが、地面に「2016」と黄色いボールをならべて文字を描いた。ソフトボールの次の次のオリンピック競技種目復活をアピールしたのだ。
あれは、さわやかなアイデアだった。敗者アメリカチームのいさぎよい提案に、惜しみない拍手。

年俸総額46億円の選手を擁し、ノーメダルに終わった野球が、重量挙げ競技とはしらなかった。
選手村に泊まらずホテル暮らしのセレブ選手たちには、日の丸が、あんなにも重かったのか?
ハングリーな敵の勝ちたい思いに負けたと、宮本主将はくやしげにいう。
記者会見でも、「すべて私の責任。」と言い切り、あたりを睥睨するカリスマ監督を、スポーツ記者たちは、心中を察してか、おそるおそるの質問も腫れ物にさわるようだった。
敗軍の将は、いろいろ事情もあったろうが、「申し訳ない。なにをいっても、いいわけになる。」の一点張りだ。
ぼくたちしろうとは、やれ配人ミス、やれ配球ミスと、うっぷんばらしに、言いたい放題。テレビワイドショーに寄せられた町の敗因アンケートも、結果論だから、いいとこをついているな。
国際競技に、シーズン中のプロ選手をだすのがまちがい。アマチュア選手にチャンスを与えよという意見もあり、説得性があるように思われる。でも、終わったことだ。
あれで、いいのだ?
負けるべくして負けた。そうかなあ。そうかもしれん。

さて、舞台変わって、次はロンドンだ。
その次の2016には、東京五輪で、メダル量産へ。と、新聞は報じている。本気だろうか。
国家主導の強化策におくれをとったというが、日本が、オリンピックでメダルをとるために、国の税金を湯水?のように使って、選手の強化に努める。
それも限界があると思う。
文部科学省は、平成22年までにメダル獲得率3,5%を実現したいらしい。同省のホームページには、現在、土佐礼子選手の写真がのっている。いたましい。
柔道、マラソン、体操、レスリング、バレーボール、シンクロナイズドスイミング、野球など、往年の日本のお家芸は、世界の隅々から沸き起こる新勢力に太刀打ちできなくなっている。
日本のきわめつくされたトレーニング方法は、新興国の選手に有効なので、教えれば、あっという間に実力を身につけてくる。いい例が、シンクロ、マラソン、野球だ。
マラソンも高速になり、アフリカの国々が躍進してきた。灼熱のコンディションをものともせず、21歳のケニヤ青年がゆうゆう優勝した。かれは、日本の高校でマラソンの基礎指導を受けてきた。
日本男子選手三人のうち、一人は出場を断念し、一人は、かろうじて完走したが最下位だった。

専門家の意見はどうなんだろう?
オリンピック競技で勝ち抜ける身体能力は、泣いても笑っても、遺伝子でまずきまるのではないか。練習や根性以前に。
記録にはまったくの素人がテレビをぽかんと見ながら、ぼんやり考えた。
ジャマイカの男女各選手は、簡単に世界記録を更新する。水泳競技も、アフリカ各国の黒人選手がプールで練習するようになれば、様相がかわるだろう。

人種別に、身体のサイズ差、筋肉の量と質が、まず優先する。それに、体調管理と正しいトレーニングがともなえば、確率高く、世界各地から優れた選手が泉のごとく輩出するだろう。
昔に比べて体格がよくなったとはいえ、わがヤマト民族はどうみても不利である。
いいことかどうかはべつとして、世界水準の競技に勝つために、国境、国籍を超えて、レアメタルのように身体能力のすぐれた人材が移動している。スポーツ資源の自由化といえよう。
サッカーのナショナルチームでも、旧植民地出身、移民、帰化、いろんなかたちで身体能力にすぐれた有能な素材を、各国こぞって集めようとしている。
大リーグ、大相撲、サッカー、卓球などでは、人種、国籍、国境を越えた人材集めは、いまや常識となった。

身長の差、すらりと伸びた足の長さなど、人種間の先天的サイズや能力差も、容姿が採点に響く種目では、いかんともしがたい。
残念だが、それを無視して、国民の体力が競技に向いていない国家が、しゃにむに、メダルの数を競うのは、むなしいことだ。豊富な資金にものいわせても、根性と鍛錬だけで、メダル獲得競争に挑戦するには限界があるのでは。
北京オリンピックをみると、素人目にも、スポーツの世界でも、時代は変わったように見える。
日本人のような小さな選手は、努力だけで、これまでのように、時には、勝てるのだろうか。
筋力の競争では、メダルにこだわらず、負けても仕方がないと割り切って無理をさせない。
「身の丈」サイズで戦わざるを得ない。さほど筋力に頼らなくてもよいスキマ種目は、フェンシングやカーリングのほかにも、まだあるのではないか。ないかもしれない。
「身の丈」の筋力で勝てる種目で勝負しようではないか。
筋力では劣っても、長寿耐久生存競争ならば、日本が男女ともに金メダルだ。カンケイないな。

日の丸が重いのなら、クーベルタン男爵のオリンピック宣言の原則にもどればいい。参加することに意義があるのだという。
投稿者 nansai : 17:15
2008年08月22日
大川の川面をオニヤンマの大群が飛んでいた頃
当たり前の風景がなつかしく思える。自分は、体験していないのに。
天満橋の下を流れる大川(昔は、こちらを淀川といった)を、オニヤンマの大群が飛翔していた。といっても、70年前、戦前のはなしだ。
ご近所のよしみで、昭和の初期から、代々、石町(こくまち)にお住まいの萩原理一さんに、当時の八軒家かいわいのお話をうかがった。
萩原さんは、昭和4年のお生まれである。

昭和の始めごろ、八軒家浜は、京阪電車の開通でお役ごめんとなった船着場は取り払われて、電信柱の置き場になっていた。
ちょうど今頃の季節、夕方になるとオニヤンマが編隊をくんで飛び回っていたそうだ。オニヤンマは、身長10センチもの巨大とんぼだ。今ではめったにお目にかかれない。
萩原少年たち悪がきは、50センチくらいの糸の両端に小石など錘をつけて大空たかく投げ上げる。群れをなして飛ぶオニヤンマを待ち構えて、からめとるのが、あそびだった。「とんぼつり」といったらしい。
小石をムシとかんちがいしてヤンマが飛びつき、糸にからまり落ちてくる仕組みだ。各地でいろいろな「とんぼつり」法があったようだ。
戦争が近づいていた。
とんぼ飛ぶ大川も、かつての京都との船での往来はなく、当時日本最大の兵器製造工廠、片町の大阪造兵廠へ物資や武器を運び入れ運び出す運搬船が行き来していたという。
まもなく、ここら一円は昭和二十年六月の大阪大空襲で、見渡すかぎり、焼け野が原となった。
京町通りから北大江公園に通じるこの石段は、焼け残った。いまも昔の姿をとどめている。

戦後、石段を登ったところの焼け跡を利用して、北大江公園が、石町通りをさえぎるかたちで、つくられた。防災目的だったのだろうか。
戦前のせまい島町通りは、トラックの少ない時代で、荷馬車の往来がはげしく、馬の糞があちこちに散乱していたそうだ。
戦前ここらあたりは、軍関係、株屋さんなどの大邸宅が多かった。
石段の横のしゃれたピロティ形式の洋館が、萩原さんの生家だったが、大阪大空襲で焼夷弾のケースの直撃をくらった。焼夷弾は、今でいうクラスター爆弾でケースのなかに子弾として48発のM69焼夷弾を内臓し、これが上空700mで飛び散る構造だった。
萩原さんによれば、生家のすぐ裏に、大きなロシア正教の教会が建っていたが、そこも空襲で焼けたとのこと。
へえ、あんな場所に教会があったとは、初耳だ。
さっそく、ネットで調べてみたら、1910年、明治43年7月に、木造ビザンチン式の聖堂が建立されたとある。
日露戦争のロシア人戦没者を弔うために寄付により建てられ、「大阪生神女庇護聖堂」と名づけられたという。昭和二十年灰燼に帰したが再建はならなかった。

萩原さんの話では、京都の押小路通にも、そっくり同じ形式の教会が残されていて、疎開取り壊しを免れ、有形文化財に指定されているらしい。この絵はネットの写真を見て描いたもの。
このようなエキゾチックな教会が、マンションやビルの立ち並ぶ北大江公園のそばに建っていたのを、町内でも知る人は少ないのではないか。
投稿者 nansai : 11:23
2008年08月15日
ああ、やっぱり。これでは、310万人の戦没者は浮かばれない。
オリンピック関連の記事があふれかえるなか、終戦直前の東条元首相の直筆メモが新聞にひっそりと公開された。国立公文書館に保存されていたそうだ。

元首相は、A級戦犯として処刑され、靖国神社に祀られている。
さまざまな政治的配慮から、国内法で、戦争責任を問われることはなかった。
東条メモは、大日本帝国の悲運を物語っている。文語体で書かれているので、今の日本語に直して読んでみた。
「新型爆弾におびえ、ソ連の参戦に腰をぬかし、かんたんに手を上げてしまった国政指導者と国民にあきれた。
こんな人たちを頼りにして、開戦し戦争指導にあたったのは、責任者として、天皇と国民に対して申し訳ない。」
昭和20年8月、元首相は、重臣懇談会のあと、ポツダム宣言受諾をきかされて、メモに太平洋戦争開戦責任者の本音を縷縷つづっている。かれは、国体を護持するためにならぬと、日本軍の完全武装解除を懸念していたのだ。
あの時代に、日本国民(当時少年だったぼくも)は、いったい、どのような考え方の指導者たちをいただいていたか、よくわかる。かれらは、冷静に判断すべき情報を持たず、耳にさからう情報を得ようとしていなかったのだ。
「戦いは、常に最後の一瞬において決定するのが常則である。
帝国としてもてる力を十二分に発揮せず、敵の宣伝戦略に屈しようとしている。」
この期におよんで、まだまだやれるとのべている。
すでにサイパン、沖縄を奪われ、連日激しい空襲に遭い、国中焦土と化しているのにだ。戦力尽き、犠牲者はすでに310万人を数え、原爆を二発投下され、ソ連の参戦を許しながらもだ。
「無条件降伏とはいえ、皇位確保、国体護持は当然の条件で、これを敵側が否定するなら、一億一人となっても敢然戦うのは当然だ。
国体護持は、軍備維持なくしては、空文だ。全面武装解除などとんでもない。やすきにつきたがる国民は、軍部をのろうのではないか。」
とも。
時代とはいえ、人の命をどう考えていたのか。かれの制定した日本軍のマニュアル「戦陣訓」は、生きて虜囚の辱めを受けてはいけないと、兵士が敵の捕虜になることを禁じた。ジュネーブ協定の無視である。
「皇位確保」という大義のため、徹底抗戦を政府が国民に強いれば、どうなるか。第二のサイパン、沖縄のような市民をまきこんだ壮絶なゲリラ戦になり、民衆に甚大な犠牲が生じることに、戦争指導者としてまったく思いをいたしていない。

こんど公開された元首相の手記について、新聞各紙も、いまさらながら、かれの指導者としての狭い視野と甘い認識を指摘している。
かみそりといわれた超エリート官僚だった東条大将。昭和天皇の信任はあつく、かれの失脚後も勅語をもって労をねぎらっている。
しかし、その股肱の臣は、精神力のみを頼み、きびしいデータと現実に眼をそむけた。
首相を拝命した東条大将は、頼りにしていた同盟国ドイツの敗色濃厚という情報をも無視し視野狭窄のまま、かれなりの消去法で、選択肢をせばめていった。昭和16年ついに大軍を動員し、転げ落ちるように、あの戦争へ向かって破滅の舵をきった。
この絵は、NHKが放送している「証言 兵士たちの戦争」の集合写真のイメージだ。ほとんどが生還していない。
昭和16年、かれは戦争回避の最後条件としてアメリカから突きつけられた華北と仏印からの軍隊撤退を、陸軍の立場から断固拒否した。満州は黙認されたのにである。これにより外交交渉の余地なく、成算なき太平洋戦争への突入の直接の引き金は、ここにあった。
日本は、なぜ大陸に出兵したか。昭和6年からの大陸進出は、貧困にあえぐ日本の農業政策のゆがんだ方針でもあった。大陸での利権を保護すると称して、日本軍は泥沼の戦いへ進軍を余儀なくされた。
ぼくが生まれた年から15年、激変する世界の潮流を見誤った日本政府は、数々の選択肢のほとんどを、誤って行動した。東条大将ひとりの責任ではないにしても。
過ちの代償は、たかくついた。きょう日本武道館で弔われる310万人の戦没者は、この間の大いなる失政の犠牲なのである。
日本人は忘れっぽい。あの戦争はなんだったのかをめぐって、喧々囂々議論が沸騰し、数多くの昭和史が出版されている。
しかし、つぎつぎに極秘資料が公開され、注意深く読み解けば、隠されていた真実があきらかになりつつある。
先見の明にめぐまれたクールで現実的な指導者が選べなかった国家は、あのような悲惨な運命にあまんじねばならない。それは平成の今も、変わらないのだが。
投稿者 nansai : 13:09
2008年08月05日
昭和二十年の日本になにが起きたか?

八月になると、昭和二十年、敗戦の年(終戦ではない)を思い出す。暑い夏だった。
旧制中学二年生のぼくは、本土決戦に備えて関門海峡の海岸で、陣地といえばきこえはいいが、横穴壕を掘っていた。壕内にともされていたアセチレン灯のくさいにおいを思いだす。
ドキュメンタリー「ヒロシマナガサキ」(スティーブン・岡崎監督)の取材陣が、東京の街頭で、若者たちに、昭和二十年の日本になにが起きたかと聞いてまわった。さあと、顔を見合わせるだけで誰も答えられなかった。地震?と聞いた子もいた。戦争が起きていたことも、核爆弾が投下されたことも、教えられていなかったのだ。
63年前、満身創痍の大日本帝国は、二発の原子爆弾の投下でとどめをさされた。
この年は、日本の歴史始まって以来、日本人の生命が最も多く失われた年だ。兵士だけでなく、市民も巻き込んで、その数、おそらく死者200万人以上。たった一年たらずのあいだにである。(ちなみに、イラク戦線の米軍の七月の戦死者は7名。)
この年、200万人の生命が、日本の戦争指導者が、無条件降伏に逡巡したために失われた。
あの悲惨な戦争の実相を、中国、ビルマ、フィリピン、ニューギニア、太平洋の島々で、からくも生き残った兵士たちに取材した貴重なテレビ番組がある。NHKのドキュメンタリー証言記録「兵士たちの戦争」だ。ことしも、8月にまとめて放送される。
かろうじて死を免れ、生き残った兵士たちは、みな90歳近くで、各地方の精鋭師団に所属していた。
若いひ孫のようなNHK地方局女性記者の取材に応じ、戦闘の悲惨な地獄絵を語る際には、日本人独特の不可解な微笑みをうかべながらのオーラルヒストリーだ。

戦争をめぐるあらゆる議論は、このような貴重な証言を、聞いてからはじめるべきだろう。同時代に生き、学徒動員されたぼくだが、戦争の実相にについては、まったく、無知であることを思い知らされた。
敗け戦のいくさばなしは、あまりに悲惨で語られることはない。生き残った元兵士たちも、沈黙したまま墓場へもってゆくつもりが、ひ孫のような記者の取材を受け、ようやく重い口を開いた。稀有な資料となった。
おびただしい数の昭和史が、書店に並んでいるが、このフィルムに記録された兵士たち(市民の声は入っていない)の証言はあまりに重い。後世に語り継がれるだろう。この検定の必要のない第一級の史実こそ、まず歴代の首相も文部科学相も、向き合うべき生きた教科書なのだ。
投稿者 nansai : 14:47
2008年07月25日
七月 わが輩はライオンである。

また、天神祭りだ。今夜は、宵宮か。むちゃくちゃ暑いな。
わが輩は、ライオンである。もう60年間も、難波橋のこの橋柱に座っている。体重は花崗岩で18トン。全部で4頭。で、この橋は通称「ライオン橋」とよばれてきた。ふるくは浪速橋とも。
歴史は古い。木製の橋が一本、豊臣時代からかけられていた。
祭りの喧騒をよそに、目を閉じてタイムマシーンにのってみよう。
ここは、土佐堀川と堂島川にわかれるところで、昔は眺めもよく涼しかった。信じがたいことだが、夕涼みの名所だったのだ。橋のたもとには、茶店が出て、氷水、ぜんざい、夏でも甘酒を売っていた。

橋のかいわいは、諸藩の蔵屋敷が軒を連ね、それを取り巻く問屋街が繁栄をきわめていた。川幅はいまよりひろく、船が通れるように太鼓橋のように、桁下を高く、かなり反ったつくりになっていたという。
大阪の夏は、うだるように暑い。平成のいまは、あまりの暑さに、夕涼みが楽しめなくなった。何でや?大阪府環境白書にくわしい。
むかし、人々は、大川端に集まり、この橋の周辺は絶好の夕涼みの場だった。遊山船があつまり、橋の上は夕涼みや花火見物の人々でいっぱいだったさまが、当時の図会でわかる。
むかしもいまも格差社会だ。
落語の「遊山船」や「船弁慶」では、橋の上下の掛け合いが面白く語られている。
川にはたくさんの船がうかんでいる。
「えらいこっちゃ、大水が出て、家が仰山流れてきた。」
「違うがな、あれは大屋形やがな」と、長屋の連中のやりとり。
金持ちは、屋形船を浮かべて、芸者をあげ、一ぱいやりながら、涼をたのしみ、貧乏人は、橋の上からうらやましげに指をくわえて見下ろすだけだ。屋形船の障子の開け閉めから、中の様子、ごちそうや、乗っている芸妓が気になるのだ。
江戸時代は、空気が澄んでいたとみえ、橋の上から、兵庫県三田市の有馬富士がみえたそうな。この橋は、東西の眺望がよく、橋の上から16の橋が見え評判だったと記録にある。

投稿者 nansai : 13:57
2008年07月24日
この暑さ、何とかならんのか?

猛暑に立ち向かうのに、日本古来の打ち水の習慣が見直されてきたようだ。
ヒートアイランドよ、さらば!地球の温度が二度さがるとかで、地球温暖化に対抗しようという市民運動?が全国的に呼びかけられ展開されてきた。
ならばと、大阪では、市も乗り出してきた。打ち水から一歩進んで、近くの八軒家浜船着場で、市の水道局のミスト(霧)散布作戦が始った。
え、これはなんじゃろ。
船の着く川べりに、物干し竿みたいなわくがたてられ、パイプの穴から、けむりのようなものが噴出しているではないか。看板の説明では、圧力を加えた水道水をパイプのアナから散布して、人工的に霧を発生させるのだそうな。

へえ、効果があるのかいな。
ものずきなぼくは、朝、誰もいない大川の岸で、しばらく、様子をみていた。
こりゃあかんわ。
日がかんかん照って、川風が吹く水辺では、人工霧は、文字通りあっという間に雲散霧消してしまうから、気温がさがるわけがない。
気温30度以上、湿度70%未満の条件で、霧を発生させる設計らしい。水をさすわけではないが、残念ながら、アイデア倒れか。
大川端のような開けた場所では、ぼくは、ちょっと無理とみたが、市長さんも、水道局長さんも、現場で確かめてほしい。
投稿者 nansai : 15:24
2008年07月15日
かぼちゃ爆弾、大阪に投下。

63年前の夏、大阪に落とされた「かぼちゃ爆弾」とは、原爆模擬爆弾のことだ。
昭和二十年七月二十六日、米軍は、大阪を空襲し原爆投下予行演習のため、ずっしりと重い一万ポンドの模擬爆弾を一発、B29から投下した。どこに落とされたかは定かでない。大阪は、すでに大半が焼け野が原だったのに。
八月に迫った世界初の原爆投下を成功させるため、米軍はB29乗員の訓練に余念がなかった。摸擬爆弾の丸い形も色も、かぼちゃに似ていて「パンプキン爆弾」と呼ばれた。
制空権をにぎり成層圏を悠々と飛ぶB29爆撃機に、広島に投下される原爆と同じ重量(セメントを入れた)の爆弾を積み、米軍は日本の各都市への空襲の際にくりかえし落として本番に備えていた。
原爆開発の当初の目標だったナチスドイツが降伏した後、さて、瀕死の日本のどこに原爆を落とすか。
いきさつをネットで調べてみた。
一九四五年五月十二日、ロスアラモスのオッペンハイマー博士のオフイスに、なんと8人もの博士号を持った関係者たちが集まって、会合をもち、非人道的な血の凍るような原爆の効果的投下を議論していた。
極秘の議事録参照。

投下目標候補の筆頭にあげられていたのが、意外にも京都だった。
人口百万。直径3マイル以上の大都市で、加えて日本文化の中心であり、住民たちはこの爆弾の重大性を認識するだろう。というのが、理由だった。
京都危うし。
原爆の効果を試したい委員会のメンバーには、古都の歴史とか文化財は、何の意味も持たなかったのだ。
京都以外に、広島、横浜、小倉、新潟の4っの都市があげられていた。皇居への投下も、議題に上った。
この目標選定会議で決められたことは、次のとおり。
投下にあたり日本への最大の心理的効果を重視する、原爆の最初の投下の重大性を国際的に報道し知らしめる。
そのため、爆撃は、日中、晴れた日に実施する。通常爆撃でまだ破壊されていない都市を狙う。そして、爆弾の爆風効果が最大化できる地形を選ぶ。
原爆投下目標地を決める極秘議事録によれば、この博士号を持った専門家グループは、こんな結論を出した。
京都は、住民の知的水準が高いから、原爆の重大性を理解するだろう、広島は地形的に戦果をあげやすい、皇居のある東京は、ほかのどの目標よりは話題性があるが、戦略的にはみるべきものがない。
この委員会では、一般市民への人道への配慮はまったくなく、冷酷無残不遜きわまりない。
その後、政治的配慮など紆余曲折あって、京都はリストからはずされた。しかし、執拗に京都への投下をせまったのは、開発責任者のグローブ将軍だった。
かれは二ヶ月も粘りに粘って主張したが、退けられた。その代わりに長崎がリストアップされた。
東京を除外すべきでないという意見も、広島への投下以降も、あったらしい。

13歳のぼくは、当時、投下目標都市小倉に近い下関にいた。中学二年生で、空腹と下痢、ノミとシラミに悩まされながら、本土防衛のため海岸陣地構築に駆り出されていたのだ。といっても、マツ材を立てならべただけの、爆弾一発で吹っ飛ぶ、横穴の機関銃座だったが。
小倉からは、下関は海峡をこえてすぐ眼と鼻の距離だ。
高高度を銀色のB29が飛び、レーダー撹乱のための
キラキラしたアルミ箔を撒き散らす。ぼくらは、口を開けてぽかんと見つめていた。
米軍から見れば、小倉は、兵器工廠があったのと、関門海底トンネルへの核攻撃に興味があったらしい。一切の情報から隔絶されていたぼくらは、知らぬが仏。
昭和二十年、米軍は十一月から南九州上陸作戦を開始する手はずを整えていた。上陸支援のため、xデーまでに7発の原爆が準備される予定だった。中学生のぼくらの掘っていた海辺の木造陣地の運命やいかにだ。
「あの戦争を伝えたい」布川庸子著(かもがわ出版)という、切り絵の美しい薄い文集を書店で求めた。そのなかに2ページだが、「京都への原爆投下計画」が紹介されていた。
詳しい史実が知りたくて、グーグルで検索してみると、60年前の極秘資料などが、でてくるわ、でてくるわ。

昭和二十年、ドイツ敗戦後の日本は、世界を敵に回し孤立無援だった。
絶望的な状況下にもかかわらず、ポツダム宣言を「黙殺」し、一億玉砕、国体護持などととなえ本土決戦を呼号した。一方で、ソ連に停戦の仲介の望みを託したが、連合軍には暗号解読され交渉はつつ抜けだった。
ぎりぎり土壇場まで無条件降伏を躊躇した日本は、なんとも非常識な国際政治オンチぶりをみすかされるなかで、悲惨きわまる原爆人体実験の口実をアメリカに与えてしまったのである。
政府は、本土決戦に備えるよう「一億玉砕」と大号令した。「人命優先」、「国民の幸福」など、字引にはなかったのだ。
昭和十九年から二十年のあいだの一年に、日本はおそらく200万人以上を失ったのではないか。
最優先課題は、国体の護持だった。
徹底抗戦し、あのまま戦争を継続したら、日本はどうなっていたか。連合軍からみれば、無差別に原爆を使用する正当な条件がととのってきていた。
世界が見えず降伏を先延ばしした国家指導者たちの責任は大きい。
さて、21世紀、党利党略のみで権力を握り、歴史に学ぶ能力のない指導者たちは、同じ轍を踏んでいるように思える。歴史は、繰り返されるのか。
投稿者 nansai : 11:44
2008年07月04日
ご近所のよしみで、Tシャツの絵をたのまれたが、さて。

同じ町内にあるボタン問屋ビルの一階が、こじんまりした画廊だ。ふだんは、ファッション系の小物などが展示されている。
この夏も恒例の「Tシャツ展」が催される。場違いな「マウスで描く絵」のシャツも若い人の作品?にまぜて、出品したいとのことだ。
で、マイドキュメントにかねて死蔵のアイデアをひっくりかえして、思いつきのオリジナル薬味を少々ふりかけてみた。珍味ゲテモノバージョンとしては、異色作じゃろう。
たとえば、この見返り美人ねこは、シャツの背中にプリントしたらどうだろう。

夏が来れば、恐竜たちも、立ち上がって腰を振り踊るのだ。


家にモデルの駄ネコ(源氏名をブータンという)がいるせいか、どうしても、ついネコの絵を描いてしまう。ネコの伸びをするすがたはかっこいいが、ぼくのデッサン力ではとても及ばない。
以下は、ネコだらけ。





これは、意欲の新作だ。白ねこが虹ねこに。ぬりえボディペインティングするねこ。
あ、そうそう、悪乗りで、黄色と黒のタイガース模様もおもしろいかな。トラキチねこも描いてみるとするか。

続いて、トラキチ専用は、優勝決定ニコニコバージョン。




つぎは、まだあっためているマル秘のアイデアを、こっそりと。
いま京阪電車が売り出し中の「八軒家船着場」は、新線開通まで、まだ人気が閑散としている。
八軒家船着場の「ゆるキャラ」候補として、ぼくなりに、二頭身の河童をかんがえている。
ここだけのハナシだが、大川には、いつのころからか、数十匹の河童、「がたろ」とも名乗るが、生息している。かれらは、人目をしのんで、音を立てず深夜だけ泳ぐ。


大川の河童たちは、年に一度、遊泳大会を開く。デンマークからお興しいれしてきたアンデルセンの人魚姫像が、天保山のサントリーミュージアムの水辺に放置されている。河童たちは、大川を下って、人形姫にキッスする。一番は、どの河童か。
かれらは、河童のくせに水中眼鏡をかけている。
おしなべて、泳ぎが下手で遅いので、淀屋橋河畔のミズノさんに特注して、いま大評判の英国製に劣らぬ水着を着せてやりたい。
もちろん、競泳の際は、水の抵抗をさけるために、甲羅を取り外せるようにせねばならない。などなど、極秘のうちに思案中だ。
投稿者 nansai : 15:30
2008年06月23日
野球も組織も、コミュニケーションしだいか
春先の評論家たちの予想に反して、阪神が、やたら、しぶとく強い。
「いつの間に強くなったのだ?」
と、楽天の野村監督がおどろくほど、苦手の交流戦でもがんばった。いつの間にか貯金もたまって20となった。

身をもって範をたれて、チームの若い選手をひっぱっているのは、40歳前後。球界では、後期高齢者に当たる選手の面々だ。それも、お説教ではなく、目の前の修羅場での実績で示すのだから、ぐうの音もでない。練習やトレーニングに取り組む高齢選手のうしろ姿がそのまま、若手にとって生きたお手本なのだ。

大リーグ中継が、NHKのBSを独占しているが、だれがみているのだろう。
イチローとジョージマと、日本を代表した超一流選手を引き抜いたシアトル「マリナーズ」が不振にあえいでいる。
地元紙の電子版によれば、ゼネラルマネジャも監督もクビになった。どうしても、勝てないらしい。
ロッカールームの空気が、不穏につつまれている。
キューバ、ベネズエラなど中南米、カナダ、日本、韓国、台湾など、10カ国からの選手同士が、めいめい、ばらばらで、コミュニケーションがとれない。クラブハウスでも、アメリカ人同士がグループにわかれたり、日本人のイチローやジョージマなどは、ストレッチしたり雑誌に眼を通したり、それぞれが個人の殻に閉じこもる。

なによりも、ことばと文化の壁が大きいという。
思いちがいもそねみもあるらしい。選手に声をかけて心服させられるリーダーがいない。チームとしての、現在の阪神とは、そこが違う。イチローと、兄貴金本のチーム内の人望の差があるのだ。
ジョージマ捕手への風あたりは強いようだ。投手たちとの間の溝が深い。ゲームプラン、野球観が違うらしい、
他を寄せ付けない孤高のスター選手イチローが出塁しようがしまいが、そのうちに、チームはどんどん負けがこむ。
あっという間に最下位だ。首脳陣のいれかえとなった。
やはり異文化コミュニケーションは、たやすくない。
ツギャザネス、つまり一体感、というか方向性、志がまとめられない。チーム一体となって勝てないという問題の根っこに、マリナーズ球団経営の一足先に進んだグローバル化があった。

監督は、世界のすみずみから集まった個性の強い選手たちのばらばらの組織をまとめる。かれの人間的掌握力は、偉大だ。国籍にはカンケイなく。
外人選手をとるのがへたと、グローバル化には後手を踏んでいる阪神には、こんな心配はない。喜んでいいのか。
日本の企業内でも、コミュニケーションが途絶する時代だし、正社員と派遣社員の立場ごとに心理的な壁が築かれて、敵味方に別れ、バーチャルなゲットーのなかにみずからを封じ込め、立て籠もるのだ。匿名のうめき声が2チャンネルへの書き込みなのか。
投稿者 nansai : 17:29
2008年06月12日
もっと米を食べてほしい、と国民にいいたいのか、政府のこの広告は?ならば、もっとまじめにやれといいたい。

えらい時代がきた。
日本は、カネがあるからといって、食料を、よその国から買うことができなくなるという。
まず自国が大事だから、売ってくれなくなるのだ。
小麦も、トウモロコシも。肥料も。旱魃も洪水も原因らしい。米国の農家は、ビジネスマンだから、トウモロコシはエタノール工場に買ってもらうほうがとく(国から補助金が出るから)と計算している。
そこで、もっとご飯を食べよう、と政府も国民に訴えている。
だが、日経にのったこの広告は 、ぼくらの税金でつくられたとすれば、無駄づかいとしかいいようがない。
まず、意図がわからん。
英語とおぼしきローマ字でだれになにを訴えようとしているのか。
ごろあわせよりも、ちゃんとまじめに懸命に、いま米食の大切なことを述べるべきだろう。
これからの日本は、どの家も、朝ごはんを見なおさなければ、農業が維持できなくなる。政府はこういいたいのだろう。
「朝は、ごはんにしよう」というなら、日本人に素直に共感できるような訴えかたはいくらでもあろう。
黄色い鉢の盛られている丸い粒粒は、お米には見えない。あまり、きもちがよくない。
日経にのったこの広告掲載料は、驚くほどの金額だろう。
だれに向かって、なにをわかってほしいのか、いったい、どうしてほしいのか。いいたいことが、これではわからん。ぼくらの払った税金で、効果のあがらぬ無駄を発生してほしくない。
ハブ ア ライス デー?
そのカネで、もっと有用なことが、ほかになにができるのかを、農林水産省はかんがえねばならない。
1945年、敗戦でアメリカの農業マーケティング政策で、パン食の伝統のない日本の学校給食は、米食でなくパンにされた。日本は、飢餓線上をさまよっていたが、当時のオレゴン州などの小麦農家は、戦争が終わり、余剰穀物の捌きに苦慮していた。そこでアメリカは国を挙げて輸出戦略を、日本の占領政策とすりあわせたのだ。マーケティング史上最高の成功事例だった。
日本の米食の衰退はそこから始った。
投稿者 nansai : 13:23
2008年06月09日
ゴルフボールはオレンジ色がよろしいようで。
ぼくの数すくない楽しみの一つが、気の置けないクラブメンバー諸氏との、たまのゴルフである。コースまでは、電車を乗り継いで目と鼻の距離だから、メンバーがたりないとき声がかかると、「すわ鎌倉」とはせ参じることにしている 。

スコアはさておいて、ぼくは原色のオレンジ色のボールを使用する。
とにかく目立つ。前後左右、あらぬ方向に飛んでいっても、あわてずさわがず、遠くからでも見つけやすい。
毒々しいカラーボールの趣味がよくないのは承知だが、あわてもののぼくは誤球がしんぱいなのである。
ほかの人のボールを間違えて打つと、申し訳ない。バツがわるいだけでなく二打の罰が科せられ、自業自得とはいえ、ぎゃふんとなる。

「オーマイゴッド!」
じゃぽん。
池越えのホールで、ぼくのボールは、きまって入水する。
がっかりしながら池の端からのぞきこむと、水中にはほかにも無念のボールたちが死屍累々、あわれ「水漬くかばね」だ。
そのなかで、ぼくのオレンジ色のマイボールは、「ここだ、ここだ」とアピールするのだ。よおし、待ってろよ、とお玉がむすびつけてある竹ざおで、救い上げることができる。
そういえば、海難救助のボートも合羽も、目立つオレンジ色だ。
日がな一日、右に左にジグザグにぶれて転がるオレンジボールを追いかける。好天とよきパートナーに恵まれつつも、もみじマークのゴルフは忙しいのだ。
投稿者 nansai : 14:45
2008年06月02日
道路族、どげんかせんならん。
半世紀も前に、田中角栄が「コンピュータつきブルドーザー」で日本列島を蹂躙した結果、取り返しのつかない列島バブルを招来した。その手法DNAは、自民党「道路族」にしっかり受け継がれている。
「道路財源、多難な一般化」閣議決定骨抜きに「道路族の影」などと新聞に書かれると、ああまたか、何とか排除できないのかと、いやな気がしてくる。
マウスでこちょこちょ描いたが、この絵には、力がはいった。
そもそも首相が道路族に擁立されたのだから、なんといわれても、自民党は、「道路党」以外のなにものでもない。改革は口先だけ。積み重なる国の借金はどうでもいいのだ。道路族は、まず、「地方を切り捨てるのか」とすごみ、地方票を人質に、不毛な公共事業費を地方へばら撒き、目先の一票を回収する。
道路用の土地の手当てにも膨大な買い上げ予算がうごく。農地山林を買い叩くのではなく、気前よく税金で、買い上げるのだ。トーちゃん、日の丸だ。
ちょっと古いが、朝日新聞「経済気象台」の「四知」のコラムが歯切れよく、痛烈である。
「ちょうど雪山の頂上から転がり落ちた小石が急斜面の積雪を結集して、ふもとの村落を崩壊させるように、田中角栄が半世紀前に始めた道路建設のための特別目的税が、利権を求める政官業を寄せ集め、共同体の崩壊、地方の荒廃、格差の拡大、果てはこの国の衰亡を招いた。」
道路建設の特別目的税が、わが国の衰亡を招いたとまでいいきっている。そのとおりだ。
「この雪崩の慣性の強さは、三十年以上に及ぶガソリンの暫定税率をさらに延長しようとする大合唱にあらわれている。地方の首長のほとんどが継続を求めていることでも、利権の根深さに驚かされる。」
人気者の東国丸知事までもがである。
政治とは、しょせん、選挙の際の票を集めるために掲げた「大義名分」の裏側に潜む利権の分け合いなのだろう。道路、防衛、厚生、文教、と、なんとか「族」の前に「利権」といれてみると、なっとくできる。
声高に叫ぶ大義も正義も、その裏側のもっともな事情があって、つまるところ、利権の分け方の落とし場所をさぐることになる。
もっともらしい「大義」の裏になにがあるか。
イラク戦争も、中東に民主主義を、というブッシュのお題目を信じる人はいない。アメリカのねらいは、のどから手の出る石油だ。イラクは、世界三位の石油産出国なのだ。
「大義」なるものは、らっきょの皮をむくように、具体的に説明にかかると、見えてくるものがある。
悪名高い「後期高齢者医療」も、核心は、国として、さらにふえ続ける巨額な「終末医療費」をなんとか抑えたい、につきる。冷厳な事実を国民につきつけねばならない。
だが、ここは、医者として、見逃せない収益源でもあるという。いきおい奥歯にもののはさまったいいかたになる。
近年、専門医のあいだでも「濃厚治療」の弊害が指摘されている。国には、話をそらざず、説明する責任がある。
投稿者 nansai : 17:15
2008年05月28日
「源氏物語」は、発禁の書だった。

いまや国民文学となった源氏物語も「不敬の書」と非難を浴びた時代があったという。
なんというおぞましい国だったのか、日本は。
とても信じられない。
日経連載の「源氏物語一千年の波紋」は衝撃だった。驚き、かつ、昭和暗黒のあのころを思えば(覚えてはいないが)、さもありなんと思った。
昭和八年、坂東蓑助上演予定「源氏物語」が、突如、警視庁により上演中止命令が出された。理由は、登場人物が皇族であることだった。満州事変の二年後のことだ。あと八年で、あの太平洋戦争に突入する時代のいやな空気だ。
「天皇幻想を中心に国家統制を強めたい連中から、秩序を脅かす危険な物語」(日経)とレッテルをはられた。

臣下である光源氏が父帝の后と密通したうえ、その不義の子、冷泉帝が即位するという筋書きが、不敬文学というのだ。
昭和十四年には、谷崎潤一郎により「源氏物語」の現代語訳が嵐の中に出版されたが、これまた検閲のはさみに切り刻まれた。国粋主義者山田孝雄の手によるという。ぼくは国文学の大家だと思っていた。
源氏物語のころのハンサム像は、現代とは違う。
絵巻でみると、メタボ系の小太りでぽっちゃりした男性が、宮廷の女性のおめがねにかなったらしい。どうみても糖尿病予備軍だ。
専門医によれば、わが国の糖尿病第一号は、藤原道長だそうな。もてにもて、位人臣を極めたかれが、光源氏のモデルといわれている。
光源氏が、平成六年、国際糖尿病会議が神戸で開かれたときの記念切手に登場しているのはそんなわけだ。
源氏物語千年紀とは関係ない。
道長の現存する日記で調べると、運動不足と貴族社会の権力闘争に勝ち抜くための宴会づけがたたったのか。
国民病と国民文学。おあとがよろしいようで。
投稿者 nansai : 15:22
2008年05月21日
「食い倒れ人形」の婿いり先は、きまったのかな?

道頓堀の食堂ビル「くいだおれ」が突如閉店を宣言した。
皮肉にも、食堂の味を惜しむ声はあまりきかれなかったが、店頭で名物の食い倒れ人形「太郎」は、大阪を代表する宣伝価値が認められ、引き取り手が殺到しているらしい。
識者も入れた委員会で、婿入り先を検討しているとか。
なかでも、このところ人気上昇の通天閣が熱心だそうな。

大きなお世話だろうが、ぼくのアイデアは、こうだ。
人形はどこへ行ってもよいが、太郎のあのコスチュームを着て練り歩くパレードを、生まれ故郷の道頓堀に残しては?というものだ。ディズニーランドは、キャラクターたちのパレードで繁昌している。
食い倒れ伝統のピエロの衣装をそろえて、チンドン屋パレードが道頓堀を練り歩く。
三人編成か、大行列か。毎日か、毎週か、年に何回か。趣向はさまざまだ。悪乗りすれば、アイデアはぞろぞろ無限だろう。もちろん、チンドン屋は本職のぶかぶかどんどん楽隊演奏も捨てがたい。
戦前にたしか「道頓堀行進曲」というのもあったなあ。

頼まれもしないのに、ぼくのおすすめは、こんなんどうかなあ、だ。
太郎と同じ衣装を用意しておいて、素人参加のチンドン屋大行列がおもしろい。京都の葵祭りにくらべれば、いささか品格にかけるが、まあいいんじゃないの。
何十名何百名の「食い倒れ太郎」のクローンたちが、えんえん、ぞろぞろ行進するのは、テレビの絶好の被写体になりそうだ。
シロウト参加には、条件をつける。おそろいの貸衣装代として、パレード参加料を申し受けるのだ。
アジアはおろか世界の観光客をひきつける道頓堀の目玉イベントになるかも。
なんせカネがかからないのが一番やおまへんか。

「昭和30年の大阪」(三冬社刊)という写真集が出た。表紙には、街頭を練り歩く「食い倒れ」チンドン屋の白黒写真がのっていた。へえ、こんぐらがってきた。ミナミに弱いぼくには記憶がない。電気仕掛けの人形とチンドン屋と、どっちがさきだったのだろう。
太郎は、ついに郵便切手になるらしい。
虎は死して皮を残す。「くいだおれ」食堂は六十年の歴史を閉じて、名物人形「太郎」を残したのだ。
投稿者 nansai : 17:08
2008年05月20日
風薫る五月は、同窓会の季節だろうか。
ことしも旧制中学の在阪同窓会に出た。律儀な幹事の誠意にほだされたのだ。
古希をとっくに過ぎた旧友たちは、昭和一ケタ生まれ、押しも押されぬ「後期高齢者」だ。
昭和戦争末期の入学だから、長年見慣れた顔ぶれも、年々数も減って五人。いずれも甲羅の苔むした亀の面構えだ。


この年齢の同窓会は、野戦病院のようになる。
外見は元気だが、ほとんどが何かの疾患をかかえ、手術などを経験している。これまで何回も繰り返された思い出話がとぎれると、聞きたくもないが、どうしても話題が病気のほうにゆく。脳、胆のう、部位はいろいろだが、まるで手術の手柄話だ。
ぼくらは、戦時下の旧制中学に入学、校訓は「純忠、至誠、剛健」だった。何しろ中原中也が素行不良で一年で放校された学校だ。
校庭で毎朝、天皇陛下のいます宮城へ向かい、うやうやしく東方遥拝のあとに、校訓を唱和した日々。
戦況苛烈となり、ほとんど学習しないまま勤労奉仕、学徒動員、敗戦による引揚げ、軍学校からの復学、転校生受け入れ、占領下の633学制改革、でも共学とは無縁のまま、青春とは程遠い学園生活を、時代に翻弄された。あの頃は、食料難にくわえて、友人たちの間に、結核が猛威をふるっていた。
しかし、ごく平凡なふつうの少年としては、天皇の名のもとに「東洋平和のために」戦争に駆り出される心配がなくなったのは、最大のしあわせだった。
地方都市では、時代も、本格受験戦争勃発前で、参考書も塾も予備校もなく、貸本と映画いがいに娯楽もなく、空腹と胸に将来へのばくぜんとした不安をかかえつつ、ふらふらと毎日を過ごせた。いくつか年上の先輩たちのように、赤紙一枚で狂った戦争に引っ張り出されたのにくらべれば、あれはあれで、最高によかったのかなあ。もちろん亀さん同士では、こんな話は一度もでない。戦争への意見も、わかれるからだ。
空襲はまぬがれたのに、戦後の土建国家政策で、市内に道路が縦横無尽に敷かれ、百年の伝統を誇った母校も郊外に移転してしまい、跡地には思い出のよすがになるものは何も残っていない。

最近とみにしょぼくれてきたように見受けられる昭和ひとけた組にくらべ、「前期」高齢者の年下の友人たちは、いたって元気がいい。
高齢者といっても、前期と後期のあいだに、見えない壁が存在するのだろうか。
勤めから開放され、大学で学びなおしたり、海外旅行、趣味の合唱、ゴルフと、第二の青春を謳歌しているように見える。
聞いた話だが、その元気なかれらでも、そろそろ同窓会はやめようや、という声が出始めているという。
せっかく集まっても、うっとおしい会合になるからだろうか、そうか、同窓会にも「定年」か。

五月。もうひとつ在阪同窓会がある。
先夜、幹事からぜひ出るようにと催促の電話がかかってきた。出たところで、知らない年下の連中ばかり、幸薄く母校意識の希薄なぼくらの年度の卒業生はちらほら数えるほどになるだろう。
ふしぎなことに、同窓会で元気のよかったやつから死ぬ、ということもある。勲章貰って、奥さん同伴で宮中に参内して感激していた同級生も、なくなって数年たつ。
ちなみに、長寿のシンボルのカメたちだが、この絵はグーグルイメージの写真から、スケッチした。
みよ、矍鑠たるガラパゴスゾウガメの勇姿。
カメは、代謝のサイクルが遅く、動物の中では長寿の代表格だとか。長寿記録は、オーストラリアの動物園で飼われていたガラパゴスゾウガメのハリエットの175歳。心不全で昇天した。
投稿者 nansai : 14:37
2008年05月19日
ビリケンさんのトラキチ版を描いてみた。

頭のてっぺんがとんがっていて、目の釣りあがった異相のキャラクター「ビリケン」。かれは、意外にもアメリカ生まれなのだ。
「ビリケンさん」は幸運の神さまだ。七福神にひとつ足して八福神とよばれることもある。
ビリケンさんの足の裏をこちょこちょとくすぐると幸運が訪れるといわれる。手が短いので足の裏がかゆくてもかけない。といわれるが、このくだりは大阪の発明かなあ。

最近、新世界が観光の人気らしい。ランドマークの通天閣に鎮座して、いつのまにか日本に帰化?したビリケンさんは、幸福の神さんとして、大阪のシンボルのような存在になった。
新聞で知ったのだが、池田市が市制70周年を記念して、「ビリケンさん」の像を制作し市内の公園に設置することになったらしい。
もとはといえば、二十世紀初頭に米国カンザスシティの女教師が考え出し、どういう星のめぐりあわせか、当時、幸運を呼ぶ人気絶大のマスコットになったらしい。百年前の話である。日本でいまはやりの「ゆるキャラ」ブームの元祖か。
その後、セントルイス大のフットボールコーチによく似ていたとかで有名になり、現在はいろいろな同大学の運動部のユニホームに採用されている。ネット上にもキャラクターグッズの売店もある。一切の商標権は、同大学にあるという。同大学のウエブサイトをみてほしい。

唐突ではあるが、ぼくも、阪神優勝を祈念し、いちびってトラキチ版のビリケンさんを描いてやろうと思い立った。未公認タイガースグッズとして、ぼく流にアレンジした。
杉山投手が登板する夜とか、負けが込んできたときには、祈りながらビリケンさんの足の裏をこちょこちょとかいてあげよう。霊験あらたか、まちがいなし。
著作権がいろいろうるさいこのごろだが、アイデアとは、いまあるものの組み合わせなのであるからして、
盗作にはなるまい。セントルイス大学には、ビリケン剣士のちょんまげ版を、仁義をきって描いておいた。

ビリケンさんは、いちはやく日本にやってきたようだ。
日本では、明治45年にオープンした新世界の遊園地ルナパークに「ビリケン堂」がつくられ、ビリケン像が安置された。その後火災で行方不明になっていたが、1979年に再建された通天閣に復活したそうな。
それはそうとして、はて、トラキチ版のニックネームをどうしよう?
なんぼなんでも、「ビリトラ」は、まずいか。

ついでのおまけに、ビリケンさんにオールを持たせてボートを漕いでもらうことに。
いよいよ京阪電車新線の開通が秋にせまり、天満橋の八軒家船着場が脚光をあびているが、そこにボートを漕ぐビリケンさんを呼んできたらどうじゃろ、という八軒家南斎のくだらないアイデアなのだ。

投稿者 nansai : 15:20
2008年05月15日
葉ぎれのいい完全無農薬サラダはいかが?
抗酸化物質を増やす「ヤノハラ新野菜」がようやく実験農場から出荷のはこびとなった。20年間研究を続けてきた考案者の矢野原医学博士の新農法農場が動き始めた。おめでとうございます。

隣のイタメシレストラン「マリアン」で、さっそくメニューにサラダとしてどかーんとデビューした。
大阪では、当店がはじめてである。葉があつくて、さくさくとして歯ごたえがあり、野菜の甘みが口に広がる。
みずみずしい大振りな野菜に目をとめて、店頭でも買ってゆく人が多い。
ふつうの水耕栽培とはちがうのだ。
野菜に太陽光いっぱい浴びせる独創の農法。当然アブラムシなど害虫が襲ってくる。そこで、新装置により野菜を電動であげおろしさせ、葉っぱをまるごと水没させて害虫を窒息死させる。だから、完全無農薬。
人間の腸のぜん動運動のように、培養液が微妙に振動させられて、根を刺激する。有機肥料が主体だから、
栄養価が高い。ほうれん草なら1メートルまで育つという。
ヒトの組織を傷つける活性酸素を打ち消す酵素の働きが、太陽の下で栽培するこの方法では高まってきたといわれ期待されている。
ぼくの常識では、医学博士の雄大な発想はよくのみこめてはいないが、「ヤノハラ新野菜」の市場導入を祝ってポスターをデザインした。
とれとれ絶対安全は、保障できる。
投稿者 nansai : 12:05
2008年05月09日
阪神に、神のご加護。これでいいのか?

うわー、思わず、眼をつぶった。
昨夜の巨人阪神戦ナイター、阪神二点リードの7回の東京ドーム。ラミネスの大飛球が左翼席フェンスぎりぎりを襲った。
走者二人をおいて、はいれば逆転のツーランだ。
でも、どうしたことか、大飛球は外野席には飛び込まず、球は転々戻ってレフトの芝生に落ちた。
最前列のトラファンが打球に手を伸ばしたらしい。
ようやるわ。テレビではよく見えなかったが、球をつかもうとしたのか、球がその手をすり抜けて、はねたのか。
審判の判定は、打球はフェンスを越えていなかったが「お客の妨害があったため、二塁打とします。」
本塁打が認められず、二塁走者が生還しただけ。
助かった。でも、後味はよくない。
巨人ファン怒るまいことか。
その前に、大きなドラマがあった。
3回、金本の頭部を、木佐貫投手の速球がまともに、襲ったのだ。
かわしようもなく、ヘルメットを直撃し、バッターボックスにくずれおちた金本をみて、みな真っ青に。
しばらく動かず横になっていたが、鉄人金本はそのまま歩いて一塁に。
おどろいたのは、次の打席でのお返しの本塁打だ。
巨人投手がびびるところを逃さず、フォークをライト席にライナーでホームラン。
解説の掛布がすごいとしかいいようがないと、鉄アタマ男に脱帽なのだ。
大リーグでは、もし客が手を出していれば、いわゆる「神の手」といって、退場になり、本塁打が認められるらしい。
これにヒントを得て、不謹慎だが、タイガースグっズを開発した。
外野ファン専用の大うちわだ。
攻撃時には、ここへ打って来い。と絶叫。

ラミレスが打席に立てば、くるりと裏返して、くるな、返れ。進入禁止か、せこい発想だなあ。

さて、トラの足の裏は、どうなっているか。
ほんとうは、神ならぬ「トラの手」と称してホームラン跳ね返しグラブを考えた。デザインはトラの足の裏がいい。だが、どうみても、スポーツマンシップにもとり、違法であるからして、ボツにして無難なものにした。
勝った、勝った、また勝った。
巨人戦に連勝しても、タイガースファンはどこか不安なのである。何かがどこかで間違っていると思ってしまう。
油断は、大敵。中日もぴったり追尾してくる、まもなく巨人も息を吹き返すだろう。
根が心配性で、「世の中いいことがそんなに長く続くはずがない」と、ご先祖様にいわれるまでもなく、関西で阪神を何十年とひいきし続けていれば、緒戦で破竹の勢いが、あっというまに、くしゅんとなるのは、太平洋戦争の例を引くまでもないことは百も承知なのである。
押さえの久保田が打たれている。
いまのところ絶好調の40歳トリオは、おそらく今年がピークだろう。まもなく訪れる厳しい夏場を老骨が乗り切れるだろうか。かれらは、野球の世界では、後期高齢者だ。
トラキチ取り越し苦労のタネはつきない。
投稿者 nansai : 15:40
2008年05月02日
座布団一枚の寄席。満員御礼。

川向こうの落語専門の天満天神繁昌亭が、朝ドラの影響もあって、ご婦人方に人気で大繁盛らしい。
いってみれば、ぼくのこのサイトも、座布団一枚しかない寄席の小屋のようなものだろう。
定員一人で満員なのだ。座付き作者のぼく以外に、客はいない。
つまり演者、イコールお客。
新作落語?を、ぼくが演じ、ぼくが客だ。
落語の「寝床」を地でゆく。ただ義太夫は下手でも、長松どんに迷惑をかけないココロ意気なのだ。
絵になりそうな演題をふと思いついたら、そそくさと即、開演である。その即興性、浅薄軽率さが、マウス絵の最大特徴だ。
そのひとりよがり、してやったり、の絵が、つかみ、マクラである。
マクラ絵が、すじにすこんとはまると、演者はうれしい。が、たいていは、しくじる。
「屁をひっておかしくもなしひとりもの」ではあるが、
自作自演の場合は、唯一の見巧者の客であるぼくに受けねばならぬおきてなのだ。きびしい。

毎度、ばかばかしいが、一回こっきりで消えるハナシだから、しばらくたつと、なんでこんなトピックにこだわったのかわからなくなること、しばしばである。
でもおもしろいのは、そんなくだらぬハナシがデジタルのおかげで、サーバーに散逸もせずアーカイブされ(しばらくは、だが)こうして記録再現できることだ。
この絵巻サイトを、だらだらと横スクロールしてゆくと、長さでは、とっくに天満橋は越えたはずだ。
裸の王様がひきずっている長いローブのようなものか。だれの目にもみえないから。

そんなわけで、ぼく自画自賛のつかみの絵が話題にのぼることはまずないのだが、題によっては、グーグルのサーチエンジンが、ひろいあげていることもある。
先日もグーグルの「映像」に「トラキチ」といれてみたら、ゴマンとあるごみの山に、かつて描いたぼくの絵が数点まざっていた。思わぬ再会である。
あれはロボットが機械的にひろうそうで、絵の巧拙は関係ない。

気まぐれなぼくの脳裏に、ふっとスジとまくら絵のアイデアが浮かんだら、こちょこちょと、マウスを動かす。気分と気合だ。
投稿者 nansai : 17:44
2008年04月24日
造幣局桜の「通り抜け」

いつもは閑散としている天満橋駅がどっと人の波でにぎわうのは、天神さんの夏祭りのほかには、造幣局桜の「通り抜け」のときだけである。
あちこちの桜が散った後の桜見物に、八十万人の善男善女がどっと繰り出してくる。満開の370本、125種の遅咲きの八重桜がお目当てだ。日本中から集められたときく。
見物は夜桜が本来だろうが、ふと思いついて、あえて大混雑の日曜日の白昼に単身突入をこころみた。
軽率にも、いつものとおり天満橋駅を降りて天満橋を渡ろうとした。
これは無謀というもので、天満橋は、人の河の交通規制でとても渡れない。迂回して東の川崎橋からようやく造幣局前の広場へ。縁日のような混雑だ。
こんなに人が集まるのは、花もさることながら、無料公開ということだ。だが、構内は、飲食禁止、食べ物はしまってくださいとアナウンス。ひたすら歩くだけ。さくらの下にござをしいて車座になって、さわぐこともできないから。場所取りも必要ない。
いまの花見は、見るより、撮る時代か。
みなケータイやデジカメで写真を撮るから、行列がすすまない。

大混雑にも平然と老夫婦が「これが、話題の雨宿りか」などと、花の前で立ち止まり、名札を一つ一つ確かめて楽しんでいた。
ぼくなんか花を撮る人々の写真を撮るのに夢中で、どの花もほとんど同じにみえてしまった。デジカメの液晶画面は、まっくらでなにもみえないから、やたらめくらめっぽうに、シャッターを押す。
あとで、造幣局のホームページをみたら、さくらの樹の一覧が、「あずまにしき」「あまぎよしの」から始って、解説つきでアイウエオ順にのっているのを発見。、まるでさくら図鑑だ。生きた花を満開の現場で見上げても、この多様な品種の差は、門外漢のぼくの目ではとても見分けられない。

親切に中国語のアナウンスもきこえてくる。「通り抜け」もグローバルになったのだ。
のろのろ牛の大群にむかって、写真なんか撮るのをやめて前へ進んでください、と絶叫する場内整理のおっさん。ごくろうさんなこった。
造幣局は、明治の文明開化の象徴だった。近代化学発祥の地ともいわれている。

構内には、さくらが植えられていた。明治16年に時の遠藤謹助局長の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともにたのしもうでないか。」(同局ホームページ)の提案で構内の桜並木の一般公開が始った。
戦災で何もかも失った大阪で根付き、これだけの人を毎年集められるのはすばらしい。
思いつき一過性のイベントでは、決してない。
花見は、文化遺産なのだ。
腰をすえて、花の寿命二十年三十年を見据えて、ソフト、ハードがともにそろわないと、こうはいかない。
しかも、それが明治初年から連綿と125年も続いている。国がバックアップする条件がととのっていたとはいえ、すごいことだ。
大阪文化再建のお手本が、ここにある。
「水都再生」が、叫ばれて久しい。
だが、うわすべりの思いつきイベントに流れてしまっているようだ。橋下知事が「イベント後の効果が不透明」と批判して「水都大阪2000」の実施計画案に反対した。
ぼくは橋下知事の反対意見を全面的に支持したい。
カネがかからないからといって、補助金を出して、終わってしまえば、単なる思い付きはいっさいが揮発して何も残らないことになる。
赤貧にあえぐ自治体が、ほかの喫緊の出費をさしおいて支援する価値はない。
ハードあってのソフトだ。リピーターをひきつける魅力ある持続的な都市文化を、大阪に根付かせねば。
この十年の失政で、なにやら文化的お題目のついた中身のないハコモノが、むなしいカネ食い虫であることは、国も地方自治体も思い知ったはずなのに。
京阪電車西口で、「造幣局桜の通り抜け」の臨時案内表示がふと目に留まった。

ふうん、造幣局は、JAPAN MINTか。覚えやすいな。英語と漢字の字画?の差がおもしろいと思った。
ついでながら、「通り抜け」の英訳は、
view‐throughとしてみたらどうだろう。(ドライブスルーというではないか。)よけいなことだが。
世界でもワシントン、ニューヨークでも、さくらが人気だ。中国からも花見客が訪れ始めている。枯れ木のように何もない大阪を花の町にできるかなあ。
そういえば、むかし南港の天保山は、花の山だった。いまも、「世界で一番低い山」が売りだ。ここは江戸時代大川をさらえた土砂を積み上げた人口の島で、そこにさくらを植えた。
おおさらえに従事した人たちの粋なはっぴの衣装が資料に残っている。いま荒涼とした南港で花の山は、想像しにくい。大阪では、ここまで風景は変わるのだ。
投稿者 nansai : 13:14
2008年04月17日
500円玉の値打ちを考える

このところ、ぼくは悪名高い「長寿医療制度」の恩恵により、腰痛の整骨治療に通っている。
この制度について厚生労働省はこう説明している。
これまで長年社会に貢献してこられた方々の医療費を、国民みんなで支える「長寿を国民皆で喜ぶことができる仕組み」(原文のまま。)と。
思いもかけぬ世論の沸騰にびっくりして、急きょ書き直したにちがいないが、ありがたいことではないか。
ぼくにしてみれば、従来どおり五百円玉ワンコインで整骨治療が数分受けられるのだ。
若い先生のタッチの妙というか、もむわけでなく、ほぐすわけでなく、どこがどうなっているのか知らないが、あちこちをさわりまくるだけで、あら不思議、老骨が95%回復してきた。

あとちょっと、小腰をかがめたり、低いいすから立ち上がるとき、あいててて、というほどではないが、ぴぴぴと違和感信号がくる。完治まで、もうちょいである。治療中の絵も、なかなか、うまく描けた。青いほうがぼくである。ねんのため。
前回は、中途半端のまんま、無謀にもゴルフコースにいきなり出て、その翌日から、あいてて、と寝返りが打てない元の木阿弥となった。あの苦い経験を繰り返すまじ。

このありがたい長寿医療制度は、趣旨がわかるように説明されていないため、いまや高齢者からの怨嗟の的である。へんにかざらずに、本音を正直に言えよ、という声もある。
年寄りに死ねというのか、といきまく向きもあるが、ま、いずれお迎えが来るのだ。
問題は、本人にも、家族にも、国、自治体、医療機関にとっても、たいせつな究極の終末医療をどうするかである。この制度がうまくはたらいてくれるだろうか。
国は、年間死亡者100万人の終末期医療費およそ9000億円を抑制したいのが本音。
でも、そのための在宅医療支援って、インフラがととのっていないいま、はたして、うまくゆくかなあ。
救急車が搬送する病人を病院に受け付けてもらえず、うろうろするさまがダブってみえてくる。
海外のインターネットをグーグルであけてみると、
good deathというテーマが、なんと、2千880万項目あがっていた。
ちなみに、トップにはBBCの健康特集「グッドデスを迎えるには」があがっていた。PDFで冊子が読める。
21世紀、人類最大の関心事、究極の健康問題は、
不老不死ではなく、good deathなのである。
厚生労働大臣には、あまりに荷の重すぎる課題だ。
さて。
投稿者 nansai : 15:04
2008年04月15日
さいなら、さいなら、くい倒れ太郎
道頓堀の食堂ビル「大阪名物くいだおれ」が突然閉店を宣言。ニュースが流れて驚いた。創業六十年、「そろそろ定年を迎え、お役目を終えたようです」と。

何で?寝耳に水だった。
道頓堀といえば、あんなにたくましく猥雑で、食い意地の張った人にあふれ、にぎやかな通りなのに、経営は、もう限界だそうな。わからんものだ。
店よりも、名物の電気仕掛け人形「食い倒れ太郎」の行き先が、話題となっている。
昭和25年に「これからは子供が大事な客や」と、客寄せのための人形を創業者が考案した。残して欲しい、さびしいという声が高い。
店では、プロジェクトチームをつくって、太郎の身売り先を探すという。

思い切りよく退陣のように見えるが、道頓堀を歩く客層が変わり、家族経営の限界から赤字もかさんできたから、
「もう定年や」と割りきったのだろう。
ほかにやりようがあったのではとは、余計なお世話だ。ごくろうさん。
ランドマークの人形の前で写真だけ撮って、かんじんの食堂に入らない客がほとんどではねえ。さっぱり商売にならんわけだ。全盛期の半分に売り上げが減ったそうだ。
かんがえてみると、キタが地盤のぼくは、大阪で半世紀暮らしているが、ミナミのこの超有名店に入ったことは一度もなかったのに気づいた。

道頓堀はめったに歩かなかったし、この店の前を通り過ごしただけだったなあ。「名物?にうまいものなし」だったのか。
ぼくも老いたし、食堂ビルも時代の客に合わなくなったということか。
親しみやすい人気はさることながら、モデルは、杉狂児だったとか。
もともとぼくの好みからいえば、食い倒れ太郎は、どう見てもチンドン屋で、顔も衣装も、あまりに洗練されていず、そこが愛されたのだろう、全国メディアに親しみをこめた軽侮のまなざしでことあるごとに大阪のシンボルとして取り上げられるのには、忸怩たる思いがあった。
しかし、太郎は、「大阪といえば思い浮かぶことランキング」調査では、

堂々?の8位にランクされている。
たこ焼き、大阪弁、吉本芸人、お好み焼き、通天閣、阪神タイガースファンに続いてだ。
あとには、「おばちゃん」と続く。
吉本と粉もんと阪神に頼る伝統も結構だが、21世紀には、なんとかならんのか。新しい大阪の文化のシンボルよ。
他府県からの眼には、これに「暴力」の町というイメージがつきまとうのだ。
江戸時代から連綿と続いた道頓堀の昔の情緒も消えた。残る老舗もわずかである。
新しい大阪のメッカは、関東から攻め下ってきた電器量販店だ。アジア、いや、世界から、ショッピング目当ての観光客が集まる時代だ。通りのあちこちから耳慣れない外国語がきこえてくる。

戦後焼け跡から復興し喧騒と繁栄の渦の中心だったランドマーク道頓堀。
その裏も表も、戦後60年の長きにわたって黙って見つめてきたのが、食い倒れシンボル太郎さん。
とうとう定年か、ごくろうさんやったなあ。
いさぎよく、後進に道を譲ってくれてありがとう。おあともよろしいのではないか。
さいなら、さいなら、さいなら。
投稿者 nansai : 13:15
2008年04月09日
エイプリルフールと長寿医療と、なにか関係あるのかな?

四月一日は、エイプリルフールデー。ユーモアの本家英国は、まじめにやるからおかしい。
ことしBBC放送がCGの技術の粋をつくしてつくりあげた空飛ぶペンギンたちの映像が話題になった。。
放送はすぐ終わったが、ユーチューブでみてみよう。
南極のペンギンの大群が、こけつまろびつ、いっせいに離陸して、やがて空を舞う光景は圧巻。BBC製作スタッフの力作だ。

ペンギンたちは、大挙して南極から数千キロを飛んで、そのまま熱帯アマゾンの密林に降下というふざけたコマーシャルである。

BBCウエブサイトには「あなたが英国在住でないとみれません。」とあるが、べつにロンドンに住んでいなくても、四月一日過ぎても、いまは国境を越えユーチューブでくりかえし眺められる。
ぼくは、蛇足ながら思いついて、南極のペンギンが空を飛んで熱帯のアマゾンのジャングルに降下したシーンをフルカラーで描いてみた。ペンギン降臨の図。オリジナルBBCのペンギンCMは、早くも不朽の名作の呼び声が高い。
あれはおもしろかったなあ。と、いまだに語り継がれるBBCのエイプリルフールの最高の愛すべきケッサクは、いまから50年前、放映された「スパゲッティの樹」だ。
英国では当時まだめずらしかったスパゲッティが、スイスの湖畔で栽培されているという筋書きで、地方の衣装を着た女性たちの収穫風景を放送した。樹からつるされたゆでたスパゲッティを、丁寧に摘み取ってかごに収穫するという念のいれようで、800万人が見たそうだ。まともに信じた人も多かったとBBCのウェブサイトにのっている。BBCはいまだに当時の記録をアーカイブし、引退したプランナーの声を紹介しているのがすごい。

さて、この四月から、ボクは、「コーレー」ペンギン族の仲間入りした。冗談ではなく厚生省が「後期コーレー者医療制度」をスタートさせた。
紙質ぺらぺらの薄い保険証が送られてきた。
これからペンギンのようによたよた杖をついて歩くお仲間は、増える一方だろう。1300万人もいるということで心強い限りである。東京都の人口なみだ。
しかし、なんぼなんでも名称がロコツすぎる、早く死ねといわんばかりだなどと、批判が出たとかで、高齢の福田首相が「長寿医療制度」と変更するように指示したそうな。
ま、いいじゃないか、どっちでも、とぼくは思う。
見切り発車のため、ちんぷんかんぷんだった説明不足を補うのに20億円以上の経費がかかるらしい。
年寄りが増えて、国も困っているのだ。

いよいよ体力の限界がきた後期高齢者1300万人に、医療費が、年間11兆400億円かかる。寝たきりも、これから増える一方だろう。
「長寿」高齢者と呼び方を取り繕っても、現実には年間100万人近く死亡する。医師会によれば、一年間の終末医療費は、9000億円に達するらしい。
こうなると、国は、もう面倒見切れない。それは正しい。どうか自分の始末は自分で、ということだろう。親に負担力なければ、知らない若者世代のせわになるのではなく、むかしから子が、死ぬまで面倒をみた。
国には、バックアップをしてもらいたい。天涯孤独でセーフティネットの必要なひとたちには、それなりに手厚く。おそらく全体の一部だろう。

だから、税金の無駄な出費を絶つ。正しい優先順位で使う。当然、役人と政治家のつるむ無駄使いはやめて、老人医療などもっと切実な使途に税金を当てよう。
クマしか通らず車の走るのを見かけない道路はいらない。むしろ、高齢者医療のほうがだいじではないか。道路という地方利権の分捕り合戦などは、もうやめてもらいたい。
政党は気づいているのか。とくに都市部の大病院の待合室には、おびただしい数の不安げな高齢者がひしめいて診察の順番を待っている。人口の8割は都市部に集中する。せまりくる高齢者問題は、都市問題なのだ。
粗末にあしらわれて怒れる後期高齢者はこわい。
「地方の切捨てか」などとおどし、目先の一票に目がくらんで、自民党は、田中角栄的な地方への利権ばら撒き政策を続けるゆとりはないはず。
投稿者 nansai : 16:08
2008年03月25日
大阪府庁内で職員が仕事中にタバコを吸う権利をぼくら納税者は、どう考えたらいいか?喫煙時間を機会損失として、お金に換算すると、さて。
先立っての休日、テレビの午前のワイドショーをみていたら、大阪府橋下知事の全面禁煙政策をめぐって、盛り上がっていた。

ことのしだいは、こうだ。
橋下知事が世界禁煙デーの五月三十一日をもって、庁内と出先機関を全面禁煙することにした。タバコを吸える休息時間を廃止するために、公務員の休息条例改正案を提出する予定という。
休息条例は、国や大多数の都道府県ではもう廃止されているらしい。府民の税金をもらって仕事する職員としては、庁内禁煙はあたりまえだと、納税する立場のぼくは、思っていたのだが。
ところが、ぼくが驚いたのは、禁煙の話題の意外な成り行きだ。
ジャーナリストの0さんが、自説を展開する。
全面禁煙はファッショである。あのナチスは、禁煙政策だった。橋下知事はやりすぎだ。権力を握ったものは、よく考えねばならん。

それを受けて、司会の落語家が、突然、自分はタバコを吸わないが、執務時間中の禁煙は反対だと言い出した。なぜなら、職員の士気が落ちて仕事の能率にひびくからだと。居並ぶゲストたちが、座の空気を読んで、いっせいに、「そのとおりだ。」と。
その場の流れでは、府庁内の全面禁煙が、行き過ぎで、いかに悪逆無道な方針かということになってしまった。大阪局のワイドショーは、司会者の仕切り方でときにこんな風に迷走する。
庁内禁煙がファッショ?そこまでいうかと、浅学菲才のぼくはびっくりした。
さっそくウイキペディアをみると、たしかに「禁煙ファシズム」という項目があって、ナチスの優性思想にもとづく政策だとか、当代一流の評論家の先生方が「過剰防衛的な社会」を批判している。先生方としては、マジでむきになっているのか、それとも軽い揶揄かユーモアのつもりなのだろうか。よくわからない。
テレビをみながら、あきれるよりも、こりゃたいへんだと思った。
庁内禁煙にかぎらず、そもそも大阪に「改革」はなじまないのだろうか。
何かを変えようと思ったら、「民意」が当てにならないし、裏切られることもある。ヨシモト調の軽いノリで、大阪の「民意」は、簡単に操作される。横山ノックに驚天動地、前代未聞の250万の票が集まったしなあ。ようわからん。
タクシーの禁煙も、大阪は及び腰で足並みがそろわない。
大阪のタクシー会社110社にアンケートしたら、74%が反対だそうな。「喫煙客を他社に採られる」というのが理由だ。
投稿者 nansai : 13:51
2008年03月24日
おっと、ふまないで。芝生は芽吹く準備中。

ぼくらは、北大江公園のはとである。
花には早いが、春がきた。公園の西側の空き地は、芝生が枯れて土がむきだしになっていて、そのうえを、小さな子たちがキャッキャと走り回っている。
空き地には、見た目には気づかないが芝生の種がまかれているらしく、回りに柵がたててある。大切な芽吹きの時期とあって、小さな看板があちこちにぶら下げてある。ぼくらは、立ち入り禁止ということか。「養生」というのだそうな。

おやおや、向こうではお母さん方が、乳母車をひっぱりいれて、お花見には早いが地べたビニールをしいて、おしゃべりに夢中だ。
なんやの、「ご協力」って?
看板は、目だたないからなあ。無視されてしまった。
青々と芝生のしげる五月まで、ミミズなどご馳走はおあずけはつらいな。
ハトには、看板は読めないから、仲間は、もう、土の上に舞い下りて、エサかなにか、つつき回している。

投稿者 nansai : 10:56
2008年03月18日
「この人チカンです。」といわれたら!

昨夜の朝日新聞大阪版夕刊によれば、満員電車で女性に告発されたら最後だという。ほんとうなら、おそろしい。身に覚えがなくとも、「痴漢冤罪」を防ぐのは大変だそうだ。「絶対大丈夫な方法は、ない」とつれない。
「あなたは痴漢冤罪から身を守っていますか」
通勤中の男性たちに駅頭で、同紙がアンケートしている。
情けないことに「混雑時は女性に近づかないこと」という笑えぬ自衛策もあった。触らぬ神にたたりなし。なるほど、ごもっともだが、なんだかへんだよねえ。

そんなわけで、満員電車で男が身を守るには、つり皮を両手で持つか、グリコ式お手上げが一番、のようだ。両手が腰から下だと真っ先に疑われるから。
幸運にも無実が立証された人の例をきくとぞっとする。
駅長室で身の潔白を証明しようとしたが、いきなり警官が来て、有無を言わせず、手錠、腰縄で連行されたという。留置所にいれられ、おぼえがないと、否認を続けると、48時間拘留されることも。これは、まいるよなあ。
「やっていないと訴えても警察はきいてくれなかった」と被疑者は訴える。
推定有罪がまかりとおるのだ。被害者の言い分が最優先されるから、加害者と目されてしまうと本人の自己弁護は困難な状況になる。無罪を証明する証拠を100%そろえねばならない。専門語?で「悪魔の証明」というのだそうな。
なんや。たかが「迷惑条例違反」ではないかといいたくなる。警察も裁判所も、なんだかヒステリックで異常ではないか。この殺伐な社会で、「迷惑」がそれほどの重大犯罪かなあ。もちろん困ったことではあるが。
一方的告発で駅長室から連れてこられた被疑者を居丈高にいためつける調べが、いじめのようでバランスを欠いているとしか思えない。
忙しいはずの警察も、もっとほかに未解決の重要事案があるだろうに。と、人畜無害の「後期高齢者」に分類されたぼくが、口をとんがらせるのもおかしなはなしだ。
疑われると、定年間際のサラリーマンが、あわや一生を棒に振る場面に追い詰められる。おかしい。冤罪ならなおのことだ。このごろでは、自称、被害者、目撃者がぐるになって、気の弱そうな男性に眼をつけ、示談金を狙う新手もあるそうだ。
映画「それでもボクはやっていない」(周防正行監督)が日本の裁判制度をえぐって、評判だったらしいが、どれだけ世論を喚起しただろうか。

いったいどうなっているのか。ネットで調べたら、あるわあるわ、もうすでに、いろんな角度から、痴漢冤罪の回避法が寄せられていた。
こんな笑えぬへんな話、海外ではどう扱われているのだろうか。もしかして、痴漢は、日本人だけのユニークな珍現象では?と思い、グーグルにあたってみた。
CHIKAN。日本語の「痴漢」にずばり当てはまる英語は見当たらぬらしく、海外のメディアは、むしろ痴漢対策におどろいているようだ。
「女性専用車両」は、日本で発明された奇想天外なアイデアだ。導入時には、ロンドンタイムズ電子版、ABCニュースなどに、「オールウーマントレーン」と紹介された。導入の背景は、SUKEBEが増えたからだとある。わが国の通勤電車は、清潔で正確なことで、世界から賞賛を浴びているのに。
ウイキペディア(英文)には、標識「ちかんに注意」(千葉西警察署管内防犯協会)と女性専用乗車口のプラットホーム標識(大阪)がめずらしいとみえてでっかくのっていた。
通勤時のぎゅぎゅう詰めの満員電車は、先進国日本独特の奇観であろう。
でも、ロンドンの地下鉄のように爆弾騒ぎにおびえなくてもすむし、こりないチカンたちの「迷惑」行為は困ったものだが、つくづく平和はありがたいと思いませんか。
投稿者 nansai : 14:34
2008年03月12日
ホワイトデーって、なんだ?
誰かが仕掛けたに違いない。かねがね胡散臭いと思っている行事?に、ホワイトデーがある。なにやらバタくさいが、欧米にはない行事だ。
三月十四日に、バレンタインデーに貰ったチョコレートかなんかに、お返しをしなくてはならないと、誰が決めた?
ネットで調べたら、でっちあげ犯人は、すぐ割れた。1978年、全飴協、つまりキャンデー、アメ菓子のメーカーたちが、アイデアを出して柳の下のどじょうをねらったのだ。

チョコレートの売れ行きに指をくわえていてもしかたがない。純国産の「ホワイトデー」というネーミングが覚えやすくヒットして、結構売れたとホームぺージにのっている。
日本独特の「お返し慣習」に目をつけたのはえらい。
今もアメ菓子がお返しの主役とは思えないが、女性から「モテルお返し」はなんだとネットなどで特集されている。ブランド物のハンカチとからしい。
人間とはあさましいもの。「チョコレートをもらった、自分に気がある」と早とちる、うぬぼれが問題だと、ベテランコンサルタントは指摘する。
「義理チョコだったのに、ホワイトデーに会社の前で待ち伏せされて、でかい箱に入ったぬいぐるみを渡された」(R25)といったエピソードもあるとか。

義理で貰ったチョコレートに、モテるお返しか。若い人は、たいへんだなあ。この国は、平和である。
バレンタインデーは、天下の奇習である。
アンケートでは、バレンタインデーなどなくなればいいという女性が30%、あきらめてお世話になっている人への感謝の印と割り切っている人が60%らしい。
投稿者 nansai : 15:25
2008年03月11日
お母さんと自転車三人乗り
町の中を自転車が、わがもの顔に走り回っている。
先日も、横断歩道の信号がやっと青に変って歩き始めたら、自転車が真横から風のように飛び出して、音もなくぼくの鼻先を走り去る。スピードが出ているから、衝突したら、ただではすむまい。
ケータイをみながら歩道をぶっ飛ばす不心得ものも見かける。もともと禁止行為の3人がけは、もってのほかだ。

目に余る自転車の無法ぶりに、警視庁が30年ぶりで交通規則を見直すことにした。
ところが、幼児二人を前後に乗せる3人乗りの禁止は、若い母親たちが反発した。
「3人乗りができないと、15分早く家を出なくちゃいけない。朝の忙しさがわかっていない。」
「女性の社会進出を無視した政策」というのだ。「少子化対策に矛盾する」とも。こんな場合マスコミもすぐ同調する。
「保育園も少なくて、バスもないのに、3人乗りの禁止は、子育て支援に逆行している。」
なるほど。ごもっともである。お母さんもたいへんなのだ。
しかし、まあ、そうではあるが、新しい見直しの動きは、いつもこうして、全体の一部の声で、ぐらつく。ひどいときは腰がくだける。政治家がわりこんでくるからだ。
大阪のドーンセンターの見直しも、そうだ。
年金問題が解消したかもしれない総番号制も一部の反対でさたやみとなった。
地方の道路、郵便配達も同じようなレトリックで族議員がまくしたてる。
基本の趣旨と全体の利害関係のなかで、ワリを食うグループが必ず現れるのはしかたがない。総論と部分利益をどうバランスさせるかが行政なのだが。
今回は、警視庁が折れ、自転車の「一人乗りのときに比べ著しく不安定にならない構造」が技術上可能であれば、例外的に走行を認めようということになったとか。
こんな場合、せっかく開発されてもコストが高く。購買客が少ない、やむなく、というシナリオが見えてくる。
わすれてはいけないのは、もともと改正の趣旨は、安全である。お金では買えない命の問題だ。
2006年に自転車同乗中に怪我をしたこどもは2150人。70%が交通違反だった。
6歳未満のこどものけがは、40%が頭部だ。頭の重い幼児は転倒すると、脳に損傷を受けやすい。危険防止には、幼児のヘルメットの着用が徹底されなければ。
しかし、この国では、自動車のチャイルドシートの着用も すすんでいない。
自転車の違反行為は、昨年11月末で百七十五万件、前年同月比34%増だそうな。増える一方だ。
「三人乗りを普及させて、少子社会から抜け出そう」というのは、うーん、ちょっと考えにくいのだが。
テレビでみていたら、デンマークのコペンハーゲン市は、自転車天国らしい。市内に自転車専用道路がつくられていた。
投稿者 nansai : 10:52
2008年03月03日
文明開化は大阪からやで
三月になった。どの雑誌も、さくら特集で、こぼれんばかりのピンク一色だ。
大阪が、桜色に輝いて一番元気のよかった頃。それは、明治初年、文明開化のさきがけとなるプロジェクトXが、大阪天満橋川崎でスタートしたときだった。天満橋からその活況がよくみえただろう。

遺された錦絵をみると、大阪の文明改革は、なぜかさくら風景と合うらしく、希望に燃え新しく国が産業を興す当時の華々しい光景が想像できる。
勢いが違うなあ。川には、外輪船が黒煙をはいて、対岸の最新工場群の煙突もいっせいに煙をはいている。いまは人ごみの通り抜けのさくらしか知られていない。
あれから幾星霜、天下の台所から、大阪は、軍都に、煙の都に変貌して敗戦を迎えた。
当時の錦絵は、満開のさくらと文明開化、大阪の一瞬光芒を放ち輝いた頃の高揚した気分を、伝えてくれる。中之島図書館蔵。公開されているからデジタルで大きく引き伸ばしてみることができる。
維新当初は首都を大阪に置く計画がほぼ内定していたのだそうな。
明治4年、交通の便利なこの地に、日本初の造幣工場「大阪造幣寮」という巨大西洋工場が開業した。
総レンガづくりの工場群、高さ30メートルの大煙突が、近代日本を築く科学技術を誇った。お雇い外人たちの協力で、まばゆいばかりの65基のガス灯もこうこうとともされ、あかるさに大阪の人たちが仰天した。それまでろうそくと行灯の光しか知らなかったのだ。一目見ようと連夜市民が押しかけたという。
投稿者 nansai : 14:19
2008年03月01日
鈴をつけるのは誰?
民主党の指名競争がいよいよ煮詰まってきた。テキサスとオハイオが最後の決戦場だ。オバマの勢いがとまらない。ヒラリーは中傷で反撃を試みるが、ネットでみると敗色濃厚のようにみえる。
アメリカのジャーナリズムは非情でえんりょがない。次のように報じている。

民主党の党内事情としては、早くヒラリーに名誉ある?撤退をしてほしいらしい。このまま、クリントン陣営がライバル候補に最後まで罵詈雑言を浴びせ徹底抗戦すると、党内が傷つき割れる。秋の共和党との本番で、どう転ぶかわからないからだ。
問題は、「だれがヒラリーに告げるか」だ。と、ワシントンポストの見出しには、惻隠の情はない。
なかなか言い出せない。誰がネコに鈴をつけるかだ、とある。そうだろう。そこは日本人の心情に似ているかな。戦いが終わったら敵味方ないという、ラグビーのノーサイドのようにはゆかないものだろう。ニューヨークタイムスには、過去の歴史からみて、もう暗殺の可能性を心配している記事も。
テキサス、オクラホマの決戦は終わっていない。なのに、戦い果てたとみて、敗因分析に入った新聞の論調が目立つ。ヒラリーさんには申し訳ないが、われわれ異国の野次馬には大変興味ふかい。
当初あれほど有利に立つていたはずのクリントン陣営がどうして個々まで追い詰められたのか。ヒラリーは、資金集めでは大口献金者を確保したはずだった。オバマは小口の草の根募金でクリントンを打ち破った。オバマ候補への献金は、一人平均わずか109ドルと、ABC放送が報じていた。運動員たちはクリスマスに一日休んだけだ。
オバマ陣営にくらべ、戦略の大きなミスが指摘されている。早くも戦犯探しだ。ヒラリーの戦略を立てたコンサルタントが、実名、企業の名を挙げて非難されている。ハゲタカが勝ち馬の本命クリントンにちゃっかり乗ったのだ。
寄付金集めなどのカネの使い方が乱脈をきわめていたとか、克明にデータが残っていて事細かに分析され報道されるのが、アメリカの選挙らしい。
投稿者 nansai : 02:12
2008年02月27日
緊縮府政の船出に声援、「水都再生」は草の根で
テレビでみると、「財政非常事態」を宣言して、橋本知事が、怪腕をふるっている。
たいしたものだ。見直した。

大阪府のハコモノ施設がいかに税金と借金の無駄遣いだったかを始めて現場検証してくれている。
歴代の知事は、知らん顔だった。新知事にエールを送りたい。いいぞ、その調子!
これは、ジュラ紀のはなしではない。平成のいま、オオサカ平野を闊歩する巨大恐竜の図だ。ハコモンザウルス。シャッキン・コンクリートでできていて、主食は、府民の税金だ。
バブル以前からオオサカに次々に誕生したハコモンザウルスの群れ。駅前自転車のように放置してきた府会議員の責任は大きい。年間30億円の赤字を出す、わけのわからないハコモノ施設を承認し続けた。かれらを選んだわれわれ府民の責任はもっと大きい。
抵抗勢力に囲まれ多難な船出だが、橋本知事の若いエネルギーを、府民が後押しせねば。
大阪のおばちゃんたち、サポートたのんまっせえ。ハシゴはずしたらあかんでえ。あんたらの税金をあんなに無駄使いされたら、ぎらぎら目を光らせて、怒らにゃ。
ワイドショーで大阪府の問題点があらわになり、夕張と変わらぬ無責任自治体の実態が、全国ネットで日本の津々浦々に知りわたることになった。
夕張か大阪か。恥さらしというより、恥の公開は、役人による隠蔽や居直りより、一歩前進である。
「御堂筋パレード」の予算減らし賛成だ。
「水都大阪2009」の見直しも必要だろう。

「水都大阪」構築には、われわれ草の根も一肌ぬがねばあるまい。役所がハゲタカにまる投げするよりは、足が地についたプランのいくつかを、自前で考えてみたい。
さて、唐突ではあるが、再生を願う水都の「へそ」は、ここ、ご当地、八軒家界隈なのだ。そこで、

ネット上のご近所サイト「八軒家かいわいマガジン」のとりあえずの見本版編集が、ぼちぼち始動することになった。早くかたちにしたい。

ここら界隈ご町内の繁栄を願って、有志たちが集まることになっている。南斎翁も隠居スタッフとして参加したい。
この八軒家絵巻と同じ形式で、「美しい日本語の文章をネットでも縦組み、大文字で読みやすく」がねらいだ。江戸時代の古い地図を手がかりに、北大江公園特集、島町通り特集がお目見えの予定。もちろん読みやすい縦書きで。
おなかをすかせた北大江公園のハトたちも、どんな出来上がりになるか、たのしみにしているらしい。(この浮浪ハトは公園の住人だが、キャラクタ候補だ。名づけて八軒家の「ハトの八ちゃん」。)

このウエブサイトは、八軒家を起点として、ゆくゆくは、大阪のへそ、大川一帯をコンテンツのテリトリーとしたい。
上町台地の西端のここらあたりは、古代から歴史の宝庫だが、地上の建築物は戦火によりみな消失した、残されたのは、伝承と史跡の石碑だけだ。
めぼしいところでは、八軒家船着場、熊野詣の出発点など。万葉集にみえている古代の「難波津」は、諸説あるが、浪速橋あたりと伝えられる。
往年の八軒家船着場を生き生きと再現した一枚の絵を紹介しよう。手前に三十石船、石段の上に灯をともし始めた船宿。暮れなずむ大川。人々の呼び声、喧騒が伝わってくるが、実際に写生されたわけではない。この幕末?の八軒家風景は、野村広太郎氏が記録絵画という独自の手法で描いたもので、カラー写真のない頃の大阪の風景を克明に油絵で描写したコレクションがある。東方出版刊「おおさか百景いまむかし」から。昭和初期の作品だろう。
こういうすぐれた先人の残された大阪の文化遺産を、こつこつとていねいに収録して後生に伝えてゆきたいものである。デジタルだからできるのだ。だれにでも、みてもらえ、伝えられる。

WEBマガジン特集のおまけに、客寄せポスターの図案をのせることに。
まず、島町の「マリアン」イタリア料理店。
地元食材を使う「スローフード」料理が評判だ。
ハナシ好きのひげのクマさんシェフと、ちかく水耕栽培実験農場も加えて、近辺の契約農家直送の有機野菜料理が、当店の売りだ。

くらげのような巨大野菜は、無数の根が薬液のなかを泳いでいる水耕栽培を描いたつもり。
ポスターのキャッチフレーズはこうだ。
「ここの野菜は、うまい。
そのはず、某国立大医学博士が考案した回転水耕栽培だ」
農薬を使わない、害虫は回転する水槽で水没水死させる仕組み。日光をさんさんと浴びるから、作物が大きく育つ、歯ざわりがよく、ビタミンが逃げない。だからさくさくと歯ざわりよく、うまいのだと、いいコト尽くめだが、問題は製造コストだけだという。
一日も早い入荷が待たれる。
投稿者 nansai : 13:11
2008年02月20日
大接戦を制するのは、小口の献金者か

今年のアメリカ大統領選挙ほど、まだ予備選挙なのに、手に汗にぎってみたことはなかった。記録的な人数が投票所に列を作った。総額五千億円の政治資金が乱れ飛ぶとか。テレビやネットを通じて、時々刻々、大リーグ以上に迫力が伝わってくる。
民主党の指名競争が白熱している。ヒラリーとオバマのがぶり四つの勝負は、延長戦にはいり、たがいに非難の応酬で因縁試合の様相を呈してきた。
日本とは、選挙の仕組みが違うようだ。こちらでは、有権者は一方的に、一票を懇願されるだけで、積極的に献金やカンパに応ずるほど熱狂しない。
商品のカタログにあたる「選挙公報」は、何も書かれていないのと同じだ。情報不足のため、誰を選んでよいか、よくわからないままに投票所におもむくこともしばしばである。
アメリカでは、投票の前に、まず候補への募金合戦がすさまじい。
いくら集めたかをマスコミが報道する。
あの広い国土で、各州の有権者に呼びかけるには、運動員とテレビCMと遊説のための航空運賃が必要だ。経費は、ばくだいだろう。
候補者は必死で募金を呼びかける。法の許す範囲で一人2300ドルとか。戦前の予想では、全米に水も漏らさぬ集金ネットをつくりあげたクリントンが有利で、圧倒的な資金量を誇っていたという。
ふたをあけると、オバマの草の根ネットが猛然と募金をつのった。いまはかんたんにネットで送金できる。ネットの差も大きいのか。
かれは「変化」を掲げた。いっしょに分裂を乗り越え、アメリカの統一を唱えるメッセージがイエスと受け止められた。
オバマの支持者は、若者、インテリ、黒人だ。零細献金者だ。ちりも積もれば莫大な資金が集まる。寄せられた四十七パーセントが、200ドル以下という。
ふだんは献金しない層が、スローガンに共鳴して応募してきた。ここまでもつれて長期戦になれば、いわゆる「ロングテール」層がカギをにぎるのか。
一月にオバマ陣営は3200万ドル集めたのに、対するヒラリー陣営は、1300万ドル。支持者たちはもう法定枠を使い切っていた。弾切れだ。

全米津々浦々での遊説演説は、スピーチライターをフル動員して、黒人、農民、自動車産業、ヒスパニックと、それぞれ利害の異なる地元へ、二枚舌三枚舌で呼びかけることになる。揚げ足の取り合いもえげつなく、支持者の反応もすごい。
目先の一票ほしさに、地元向けの約束手形をきりまくるのは、日本の選挙と同じらしい。広大なアメリカにくらべれば、本来は、日本のほうが、情報公開よろしきを得れば、民意を正しくまとめやすいのではないか。
民主主義という巨大で複雑な仕組みを効果的に動かすのはたいへんだ。
大統領候補を党内の指名で勝ち取るのにこれほどのカネとエネルギーが必要だ、とは驚く。大統領選挙は、4年に一度の祭りだとか、民主主義教育の場とか言われるが、そんな生易しい争いではないようにみえた。
こんなカネのかかる選挙以外にいい方法はないものか。建国の父たちも驚いているのでは?
選ぶほうも選ばれるほうも、一体になって盛り上げる熱気の選挙。それはいい。そのなかで、前回はブッシュのような大統領が選出されたのだが。
投稿者 nansai : 12:51
2008年02月18日
大阪の若者も、たいしたものだ

なんとも形容しがたいマルチな才能の持ち主が、大阪に誕生していた。
「乳と卵」で芥川賞を受賞した川上未映子だ。豊胸手術を望む母と思春期の娘の関係を描く物語で137回の芥川賞に選ばれた。小説は二作目という。
ぼくには小説の批評眼はないが、織田作之助風の大阪弁をまぶした「弁文一致」の口語饒舌体は、きらいではない。樋口一葉の文体に影響を受けたそうだ。
それよりも、文芸春秋三月号に載った受賞者インタビュー「家には本が一冊もなかった」を読んで、ぼくはさわやかな感動を覚えた。
昼は書店員、夜は新地で働いたというドキュメンタリーとしての、彼女の人生の軌跡が共感でき興味深かった。
大阪市立工芸高校卒業後、書店員、歯科助手、ホステス、歌手をへて、作家デビュー。まだ31歳なのに。
家に本がないので彼女が小説を読み出したのは、国語の教科書だった。いろんなジャンルの作品が収められていて面白かったという。高校の二、三年生のときにカントの入門書を読んだのが始まりで、働きながら大学の通信教育で哲学を学んだ。
小説を書くのと似ているそうで、歌手としてもライブは続けてやりたいらしい。
足が地に着いていて、物怖じしない。しっかりしているなあ。いや、たいしたものだ。
世間の良家の令嬢おりこうさんコースとは、まったく違う、けものみちを踏みしめ疾走している。終戦後の焼け跡を経験した、ぼくら昭和の残党としても、共感できるところもあるな、と勝手に考えた。
川上未映子賛江。ぼくのアーカイブのなかから拾い出して、思索する猛禽類としての彼女のイメージスケッチを勝手に試みてみた。ご本人はグラビアで見るとなかなかの美形なのだが。
投稿者 nansai : 15:57
2008年02月12日
建国記念の日は、かつての「紀元節」だった
太平洋戦争前の今日は、紀元節だった。小学生のぼくは、登校して、天皇皇后の御真影のまえで、
「雲に聳える高千穂の」
と声を張り上げて紀元節の歌を歌った。
で、きょうは、高千穂の峰に天孫ニニギノミコト(ワードでは漢字変換できない)が降り立ったとされる日だと思っていた。天照大神の命により、日本つまりトヨアシハラチイホアキミズホノ国を治めよ、サキクマセ!

きっと栄えるよ、といわれるままに、天孫が降り立ったと教わった。
いま、悪名高い高級官僚の「天下り」は、これに由来する。
ところが、紀元節の唱歌には三番あって、中心場面は宮崎県ではなく、奈良県の橿原で、神武天皇の即位がテーマだそうな。神話と歴史の区別なんかわかるわけもなく、一番だけで早とちりして、小学生のぼくには紀元節の主役がこんぐらがっていたのだ。でも、「くーもにそびゆるたかちほのー」だもんな。
昭和十五年は、国を挙げて、紀元節を祝った。どういう計算かわからないが、紀元は二千六百年。節目の年というわけだ。
当時は、あの太平洋戦争の一年前で、その後の運命を知る由もない国民は、国威発揚で盛り上がっていた。
金鵄輝く日本の、栄えある光身に受けて奉祝歌が大ヒット?して歌われ、おおさわぎだった。二十一世紀のいま、ネットでも、初音ミクが歌ってくれる。

「八紘一宇の塔」が、戦後万博の「太陽の塔」のように時代のシンボルだった。塔は、東国原知事のお膝元宮崎にある。
少年のぼくには、悔しい思い出がある。
当時の少年倶楽部の付録に、八紘一宇の塔の紙製組み立て模型が付録についた。ぼくの家では、雑誌や本は、外地から親が送ってくれることになっていた。広告で見た付録を楽しみにしていたら、付録だけ、父親が自転車から落としてしまったという。70年たったいまも、残念である。
この日、朝日新聞に、「無宗教の国に多くの支持者」と題して、東京大学宗教学の島園進教授の国家神道についてのタイムリーな論文がのった。
「明治23年に教育勅語が下された。明治天皇が教育の根本を精神について国民に授けた聖なる教えだ。この後、小学校は、天皇の聖なる教えに導かれる場となった。それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な拝礼に親しんだ。伊勢神宮や明治神宮に詣で、天皇のご真影と教育勅語に頭をたれた。これが国家神道だ。」
思えば、幼かったぼくにとって、学校は、国家神道の「教会」だった。講堂に祭壇がもうけられていた。イコンは普段は奉安殿に保管されていた。先生たちは、みな国粋主義の「宣教師」だった。
昭和二十年までは、ばくぜんとだが、神州不滅だと信じていた。国家神道の導くところ、敗戦寸前まで、国体護持、一億玉砕にまでゆくのだが、竹槍を持って聖戦に殉じようとした当時の庶民にとっては、それは昭和天皇への個人崇拝とどう違うのか。アラブの大義とか北朝鮮の首領様信仰とどう違うのか。
島薗教授は、こうも述べている。
敗戦後も国家神道は解体されてはいない。皇室神道の「核」は残った。今もなお多くの信奉者がいる。
投稿者 nansai : 15:59
2008年02月07日
喫茶店のカレーのにおい
喫茶店でカレーなどの強い食べ物のにおいが漂うのは困ったものだ。芳醇なコーヒーの香りがだいなしだ。気になりませんか。
といってぼくが特別コーヒーの香りの差に敏感なわけでもないが、食べ物やソースのにおいが、どうしても狭い店内では勝ってしまうのだ。

「ついに、スターバックスが再びコーヒーらしい香りを取り戻すことになった。」とニューヨークタイムズの電子版にのっていた。
トップの鶴の一声で、朝食に温かいサンドイッチを出していたのをやめることにしたそうだ。つまり、コーヒーのアロマを、温かいサンドイッチのにおいがじゃまするのに、シュルツ社長が気づいたらしい。やっぱりコーヒー専門店の売りは香りやで、と原点に帰ったのだろう。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったスターバックスも、競争の激しい米国内ではかげりをみせ、不振の100店舗を閉めるそうだ。マクドナルドやダンキンドーナッツが、味のいいコーヒー部門に進出してきたからだ。

昭和も遠くなった。味にこだわる頑固な店主のネルで濾して淹れる濃い苦いコーヒーが、かつては、大阪名物だったが、代も変わり、そんな喫茶店は少なくなった。
店主の人柄にひかれて、雨の日も常連が集まってくる暖かい店は生き延びているようだ。イタリヤのバールのように、顔なじみが、ゆっくりだべりながら、粘れる店がほしい。
建築家の安藤さんによれば、大阪の男どもは散歩をしない。だから、町がさびれるのだという自説だ。一理ある。
そういえば、市役所の近くで花火でも上げると、人出が急に増える。大阪人は、イベントに餓えているのか。

この春、いよいよ京阪電車の新線の上を利用して、
大川端の八軒家着場跡にも遊歩道ができるらしい。
ここからみる中之島の風景は、絵葉書のパリに似ているといわれる。川風に吹かれぶらぶら歩いて疲れたら、憩える止まり木のようなオープンカフェはできたらいいなあ。回転寿司にもきてほしいが。
大阪は家賃が高いと、よく耳にする。
家賃を料金に織り込むと、若い人を吸い寄せる小さな店やレッスン場の経営が、成り立たないそうだ。
あちこちで、いまビルとビルのすき間に、中小のビルがにょきにょき建ちかけている。思い思いにばらばらで、町なみとか店なみ?は、気にしていないようだ。先行き景気の見通しは暗澹としている。人が吸い寄せられるアイデアは大丈夫かな。
家賃が高いと、きれいなビルが建っても町はまちがいなくさびれる。バブル前、銀行の店舗で埋め尽くされた御堂筋の寂れようを思い出す。伝統に根ざさない「御堂筋パレード」では、活性化はどうにもならない。
投稿者 nansai : 17:56
2008年02月01日
首長を選ぶ選挙は、たいへんなのだ。
二月五日火曜日、スーパー・チューズデー。いよいよアメリカの大統領選挙は、両党候補者もしぼりこまれ前半の山場を迎える。

一人の候補者を大統領に選ぶのに総額で5000億円のカネが乱れ飛ぶといわれる。
長丁場のすさまじい選挙戦に勝ち抜くには、候補者の体力と根性とカネだ。終盤には、テレビ宣伝の投入量で差がでてくるという。
相手を中傷するテレビのコマーシャルに制限はないそうだ。カネが続く限り、ボクシングのように打たれたら、すぐやり返す。えげつない。
民主主義の総本山、4年に一度のこの国の選挙方式が、はたして正しい効率的なやりかたなのか。建国の父が作ったシステムだそうだが、21世紀のわが国にふさわしいお手本なのだろうか、わからない。
アメリカの大統領選挙では、民主、共和両党ともに、指名争いで、キャンデダシー、候補者の資格をめぐってまるで格闘技のようなつかみあいの激しい言い争いになる。民主党のオバマ対ヒラリー、旦那のクリントン元大統領も加わっての場外乱闘的舌戦が、見ものだ。
いまは、ユーチューブで、やりあいのスピーチがネット上にくりかえし見ることができる。スポーツの実況のようだ。

お互い自分こそは「ふさわしい」と主張する。
一様に、「変革」が必要だ、とCHANGEを叫ぶ。
そして、要は、大統領の任に堪えるだけの経験があるか、準備は万全かなど、誹謗中傷を交えて、同じ党内で言い争うのだ。相手候補はふさわしくないと、面と向かって攻撃する。
だから問題点は、浮き彫りになる。
選挙はビジネスであり、ぬかりなくプロの戦略コンサルタントが仕切る。選挙対策本部は、戦略を立て、カネ集めのシステム作りに躍起だ。
各候補のウェブサイトは、充実している。サイトに訪れた読み手を説得し巻き込もうとしている。
政見だけでなく、寄付を募り、集会への参加を呼びかけ、ボランティアとして力を貸してくれるように訴えているのだ。
結局は、集金力だと専門家はいう。
カネさえ用意できれば、あの凡庸なジョージブッシュが選ばれてしまうのが、アメリカの民主主義の苦い現実なのだ。
さて、今回は?世界が注目している。盛り上がりは、すごいようだ。

候補者の適性をあげつらわねばならぬのは、大阪府知事選もおなじだった。日米の選挙事情は、もちろん、比べようはない。
だが立候補のいきさつからみて、府知事戦は、いかにもにわか仕立てで準備不足の楽屋がまるみえだった。かねて議論を重ね周到に検討されたグランドデザインを用意したわけでもなかった。次点に終わった大学教授は、40日では何もできなかったと述べている。
大阪府知事選挙は、知名度の争いとなり、弁護士でテレビタレントの橋下氏が圧勝した。
大差をつけ獲得した百八十万票をどうみるか。関西では、やはり「お笑い百万票」か、と東京のマスコミからは揶揄されているのだが。

大阪府の有権者は700万人いるらしいが、候補者選びは、カタログなしで商品を注文するようなもので、有権者としては、商品の中身がよくわからないから、選ぶのはむつかしく、おっくうになる。
府は、5兆円の累積赤字をかかえている。
府は、800万人の乗客を乗せて、海面すれすれを低空飛行中のウルトラ巨大エアバスなのだ。力つきれば夕張市と同じ財政再建団体に転落する。
当選すれば、府知事は、その超巨大ジャンボジェットを、機長として操縦することになる。設計ミスと積年の整備不備で、おんぼろエンジンは不調である。徐々に高度は下がってきた。乗客800万人を満載して、無事つつがなく航行できるのか。
結局選ぶものさしとしては、事前にどれだけ顔が売れていたか、テレビに出ていたかになる。知名度、好感度だけが、選ぶ材料のすべてになる。
首長にふさわしいかどうか、わからない。おそらく本人にも。
市も府も、ふりかえれば、民間企業の再建なら、経営能力の期待できない人材が過去選ばれてしまったのだ。その結果が、現在のおびただしい赤字と遺跡のような役立たずハコモノである。ただしい政策をとれなかった議員を選出した府民、市民の責任であろう。
ぼくは、橋下知事の若さだけでなく、かれの卓越した学習能力に期待している。
これからでも遅くない。腕利きのブレーン集団を率いてほしい。再建には、府の経営を診断し治療する「外科医」のスタッフが必要だろう。宮崎県東国丸知事よりも、元三重県知事の北川路線を打ち出してほしいと願うのだが。
夕張、大鰐、大阪。各地自治体の破綻は、公共事業の利用客の現実離れした需要予測にあったのはあきらかだ。
ニュータウンもオリンピック誘致も地下駐車場も空港もリゾートホテルも整備新幹線も公民館も博物館も遊園地も道路も橋もトンネルも、需要予測の甘いでっちあげで、死屍累々の赤字の惨状を招いたのだ。議会は、チェック能力を欠いた。
それを見抜くデジタルのチェックシステムがあれば、橋下知事はそれを駆使してもらいたい。
スーパーコンピューター?に、政策の実現可能性の選択肢を正しく入力し、議会はそれにもとずいて討議して決めればよい仕組みはできないものだろうか。
要するに、税金のもっとも得な使い方を長期シミュレーションし、「神託」ならぬ客観的な予測をコンピューターにまかせられないものか。
地元大阪の選挙事前報道よりも、海外の田舎の選挙の手に汗握る状況が、テレビ、インターネットで時々刻々リアルタイムで伝えられる。ユーチューブでみれば、候補者は目の前だ。
どのような形の選挙が望ましいか。
スケールは、あまりに違いすぎるが参考にはなる。
投稿者 nansai : 15:00
2008年01月28日
一月二十八日(月)
腰が痛いカエルになって
生まれて初めて、すすめられて接骨院へいった。
週末二日間、ぎっくり腰でもないのに、何かを取ろうとして腰をひねると、どうしたことかアイテテと急に激痛が走る。床についても、枕もとのスタンドを消すのも、寝返り打つのも、ままならない。

ゴルフはさっぱり飛ばないが、年のわりに、足腰が丈夫なのが売りだったが、これはただごとではない。
愛想のよい若い先生に診療してもらうと、よくわからんが、ぼくの体がゆがんでいて、骨盤の上に正常に背骨がのっていないそうだ。思い当たるふしとしては、以前、地下鉄の階段でころんで捻挫してから、どうも不自然な歩き方をしていたようだ。気づかぬうちに、その無理が、アイテテになったらしい。
かえるのようにうつぶせになって、若い先生に軽くちょいちょいと触ってもらっていたら、いつの間にか、おっ、だいぶ楽になっていた。
霊験あらたかである。不安が消し飛んだ。この年までマッサージしたこともなかったので、たいした技術だと感服した。
投稿者 nansai : 14:50
2008年01月24日
ろうそくを立てないバースデーケーキ

もういくつ寝るとお正月。むかしは、指折り数えて、新しい年を迎えて、こどもはひとつ年をとった。
昭和も戦前、ぼくのこどものころは、年齢は、満でなく、数えで何歳、といったように記憶する。
お誕生日を祝う風習は、まだ定着していなかった。
ケーキもプレゼントも用意されていなかったし、ハッピーバースデーツーユーの曲も歌ったことはなかった。天皇の誕生日「天長節」は祝日。小学生も、「きょうのよき日は大君の」と歌って、国を挙げて祝った。

さて、今月ぼくは満ナンサイの誕生日を迎える。うれしいわけがない。
絵に描いたモチならぬ、特製バースデーケーキをじぶんでデザインしてみた。ろうそくの数は描ききれない、でたらめである。真ん中に風車をたてた。
思えば、たくさんの恩やおかげで、こんな年まで生きてこられたものだ。なかでも、ひ弱い幼い孫を、動物園の飼育係のように、育ててくれた祖母には、苦労をかけどおしだった。
ぼくが世話をかけた祖母たちは、「千の風」となって、いまも大空を吹き渡っているのだろうか。といっても、みな亡くなってからずいぶん経つからああしんど、くたびれて微風ないし無風状態だ。バースデーケーキの真ん中の風車は、そんなかすかな風をしっかりと受けてまわるためなのである。ありがたいエネルギーなのだ。
ここで、例によって、くだらないアイデアが浮かんだ。
ケーキにたてた水車の支柱を、ろうそくに見たてたて、発電ランプとするのだ。

誕生日を迎えた人は発電風車をけんめいにふうふう吹いてまわす。がんばれ。もうすこしだ。拍手。やっと点灯。割れるような拍手。
といった何回も使える、こんな省エネ版バースデーケーキ。風車ランプは、点灯できたら、おもろいやん。
ろうそくメーカーが困るだろうが。
投稿者 nansai : 14:35
2008年01月17日
一月吉日
どうにも不安な先行き暗い新年だが、あけまして「どーだ」という初夢。のような妄想を、マウスを操って、披露しよう。
それは、日本で一番高い塔を、万博公園エキスポランドに、おったてるのだ。場所は大阪平野のどまんなかである。

これといってランドマークのない大阪に、アジアはおろか世界から観光客を誘引する展望タワーだ。22世紀まで、百年以上長持ちして、いうならば、パリのエッフェル塔と張り合おうというわけだ。
初夢にしては、なんとなくしけたスケッチではあるが、気宇壮大なつもりだ。ぼくの通勤ルートは、緑あふれる万博公園を見下ろし走るモノレール。がらがらの車内で太陽の塔と死んだようなエキスポランドをながめつつ思いついた。
この塔からは、ほら、眼下に、太陽の塔や万博の森や広場、千里団地が小さく見える。晴れた日は、360度ビューだ。大阪平野一円、大阪湾、淡路島も望めるのだ。
あたらしい東京タワーがなんぼのもんじゃい、という元気でユニークなデザインを、ひろく世界の建築家からコンペで募りたい。

伊丹空港からモノレールで、新幹線は新大阪駅、地下鉄は千里中央駅と交通至便である。
ここ万博公園の立地は、大阪とは思えないほど、ひろびろとゆとりもあり最高である。遊園地エキスポランドは、例の大事故の後、しゅんとして休園して経営が危ぶまれる状態だし、万博公園は、正式には「日本万国博覧会記念機構」といい、れっきとした独立行政法人として存在意義がチェックされている。ここでカツを入れる必要がある。
塔の基礎部分は、地下を掘って、デジタル歴史ミュージアムとする。
日本の歴史をデジタル技術の粋を尽くして、世界の観光客にみせたい。万博公園にある国立民族博覧会の優れた展示ノーハウを生かしたデジタル分館にすればよい。
ミュージアム会場内は、パナソニックとシャープの協賛を得て、最新の大型デジタルスクリーンを林のごとく並べて世界をあっといわせるバーチャル展示を試みたい。大阪湾は、21世紀、日本の誇るデジタルベイである。

また、万国博覧会に象徴される波乱の昭和を記念して、300万人の太平洋戦争戦没者を弔う小さい仏像を、基礎部分におさめてはどうか。
塔の名は公募するとして、昭和記念タワー、万博タワー、アジアタワーなど。
年明けるや、世界経済は低迷し、財政の重荷にあえぐ大阪も暗雲たちこめる日々ではあるが、この夢を今度当選される新しい大阪府知事にプレゼントしたい。
とまあ、景気よく、いいたい放題の構想、妄想ではある。ひとりよがりの、ぼく的!にいうならば、「独楽の塔」なのだ。コマは英語でTOP、つまりトップオブザワールドタワーとは「どーだ」のおそまつ。
誇大もよしとしようや、酔余の初妄想は、楽しい。
投稿者 nansai : 13:09
2008年01月01日
二〇〇八年一月一日(火)


投稿者 nansai : 00:02
2007年12月27日
「出す当てのない賀状展」は、むだ?
十二月二十日(木)

いよいよおしつまってくると、近くの公園のハトたちも首をちぢめてまるくなっている。夏には3匹いたはずのホームレスの猫たちも姿を消した。どこかにもらわれていったらしい。
知人友人から、年始のごあいさつ辞退のはがきをいただく。その数が、ことしは多い。近親者を亡くして、はがきにひとりひとりの思いがこもっている。多くは、天寿を全うされ、おどろくほど高齢だ。
で、賀状を出す先が、さらにせばまってきた。
「年賀状は贈り物だと思う」と、したり顔で、郵政公社のコマーシャルはいう。
若い人は、ケータイですませてしまうからだろう。「アケオメ」で意が通じるらしい。
ぼくくらいの年齢になると、事情は違う。
あっけらかんと「あけましておめでとうございます」でいいものか。
年賀状は、相手の安否を確かめるノックのようなものだ。と思う。
「よお、ドーダ!」もいいが、遠慮がちに。
すっかりごぶさたしている昔の友人が、いつまでも元気とは限らないのだ。
「おおい、まだ生きているかあ?」
例年ちょっとハイになって出していたノーテンキな決意表明的「おめでとう」ではなく、聖徳太子ではないが、「つつがなきや」とでもせねばならぬ。

ことし久しぶりで賀状をくれた友人は、これから入院手術すると走り書きしてきた。手書き文字の乱れに驚き、いやな予感がした。見舞いの手紙をだしそびれているうちに、訃報に接した。何年も前から入退院を繰り返していたのだ。
お世話になった方で、前の年いただいた年賀状に病気でしんどいと書いてはあったが、ことしも、かなりたってから、父は亡くなっていたと、ご長男からご連絡いただいた。鈍感だった。
眼光紙背に徹して、いただく年賀状の行間をうかがわねばならぬのは、つらい。
そうではあるにせよ、ぼくにとって、出す先の減った賀状とはいえ、恒例の干支などはお絵描きの絶好のお題である。宮中歌はじめの御題のようなものだ。
例によって、あて先不明の独りよがりの賀状展をネット上にならべることにした。

考えてみると、年賀葉書一枚50円。たった一枚を運ぶとしたら、配達の人手と経費は、排出CO2はおいておいて、無視できない。郵政公社はこんなサービスを21世紀のいつまで続けられるのだろう。
ことし、クリスマスカードを思い切ってネットに切り替えた英企業が、けさの新聞に取り上げられていた。
その点、だれも見ないかもしれない。どこに届けるあてもない。配達の要らないブログは、きらくなものだ。
しかし山中の庵のような、こんな自閉症ブログでも、数少ないがウオッチャーがいる。アタマ隠してシリ隠さずだ。気分が乗らず、さぼって間隔があくと、体調がわるかったのかときかれる。
隠居のブロッグは、集中治療室の心電波形のモニターのようなものかもしれない。ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。波形はふるえているようにみえても、本人はパソコンの前で、ひとり「ドーダ」と小さくつぶやきながら、お絵かきを楽しんでいるだけなのだが。
このブログのいいかげんなところは、日記のようで日付けにしばられないことだろう。ストレスにならない。夏休みの絵日記のような提出のしめきりがない。ぐうたらで移り気なぼくが、だらだら飽きずに続けてこれたのは、この融通無碍ないいかげんさによる。

そして年賀状のアイデアを、あれこれとひねくりまわせるのは、デジタルの特権である。マウスとキーを操るだけで、紙も絵の具も筆もいらない。
ん、失敗したら消すまでのことだ。
こうして、愚にもつかないアイデアがたまってゆく。
主人公というか、今年の狂言回しは、干支のねずみ。こいつをおもちゃに、しばし楽しむことができる。勝手なもので、この際はだれにこれを出そうと考えないから、出す先が減ったのは気にならない。
年賀状向きかどうか別として、ぼくのアーカイブからひっぱりあげたねずみ諸君を紹介しよう。折々思いつくままに、混乱をきわめて、千差万別、支離滅裂。ばらばらだね。「2008年賀キャラクター展」のおそまつ。
ちなみに年賀状のコピーは、一茶の句集から拝借することにした。だじゃれ。
めでたさも ちゅうくらいなり おらが春



まずは書初めから。

以下、だらだらと、ねずみのオンパレード。順不同で。


だじゃれですんまへん、チューパーマンや。

抱かれているねずみの表情。

ぼくのゴルフの腕は年々ひどくなる一方だが、絵は上達したみたいである。毎年のならわしで、プレーヤーの顔を、干支の動物にすりかえるのだ。


上達いちじるしいときくI氏夫人の勇姿。眼光が鋭い。





三丁目の夕日。フラフープをまわすねずみ。

ちょっと捻りすぎか。「大山鳴動して、ねずみ一匹」の図。
ちいさくてみえにくいが、画面の下に、ねずみが一匹。世界恐慌など、よくない兆しが、オーバー?に報道されているから。なにも起こらなければ、いいのにな。




投稿者 nansai : 14:46
2007年12月25日
硝子戸の中から外を見渡すと
十二月二十五日(火)

「硝子戸の中から外を見渡すと、霜よけをした芭蕉だの、赤い実のなったうめもどきの枝だの、直立した電信柱だのがすぐ眼につくが、そのほかにこれといった数えたてるほどのものは、ほとんど視野にはいってこない。」
大正4年、夏目漱石は晩年のエッセー「硝子戸の中」で、このように書き出している。
自分はほとんど表に出ずに、毎日書斎の硝子戸のうちにばかり座っているので、世間の様子はちっともわからない。座ったり寝たりしてその日その日を送っている。「書斎にいる私の眼界はきわめて単調で、そうしてまた極めて狭いのである。」と。
「しかし、私の頭は時々動く。」
狭い世界でも狭いなりに事件は起きるからだ。
「それから小さい私と広い世の中を隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人がはいってくる。」それがまた漱石にとっては思いがけない人で、思いがけないことを言ったりしたりする。興味に満ちた目を持って漱石はそれらの人を迎えたり送ったりしたことさえあると書いている。情報は、人が運んできたのだ。

「去年から欧州では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。」
大きな戦争とは、第一次世界大戦だ。100年後の平成の今とあまりかわらぬ大正4年の世相がうかがえる。
「米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だ不景気だと零している。」ともあり、このころから打ち続く農村の疲弊は、富国強兵を国是とした近代日本のひずみ、きしみの通奏低音だった。農村の窮乏は、昭和にはいり、満蒙への侵略、太平洋戦争へと、日本を駆り立てたのだ。

21世紀の郊外のわが家の硝子戸の中から見上げられるのは、高圧線の鉄塔である。寒々しい、うっとおしい光景だ。
高圧線の電磁波による健康被害の論争はかまびすしいが、規制のおかげで、鉄塔の下は、ビルもたたず、竹やぶやナラやクヌギの里山が手付かずでそのまま残っている。
国土の有効利用の面からも、電柱の地下埋設は叫ばれて久しい。
最近のうわさでは、鉄塔がそのうち撤去されると決まったらしい。
抵抗していた電力会社が、ついに重い腰をあげたときいた。
いつのことやら、もし本当なら、わが家は大歓迎だが、鉄塔がなくなるとカラスも困るだろうが線下の地主各位は大あわてだ。農地の宅地並み課税が痛いという。高圧線の鉄塔が撤去されたら、タヌキの出そうなわが家の周りは、雑木林が消え、いっきょに、マンションが建ち並ぶことだろう。いいことばかりとは限らない。
漱石の時代、「硝子戸の中」にときたま訪れる人が情報のメディアだった。平成のいまは、むかしのように訪れる客はなくなったが、見渡す限り氾濫したマスメディア情報の泥海に、孤立したぼくらは、浮かんでいる。
マスコミで報じられる情報の大半は、泥の大海に浮遊するごみだ。どんな情報かといえば、殺人、交通事故、火事、汚職、スキャンダル、選挙目当ての、大局はそっちのけの政局をめぐる右往左往。「かんけーねえ、」と言い放てばそれまでだ。
漱石のいう「小さい自分と広い世の中を隔離している硝子戸」は、平成のいまも存在しているのだ。人生と社会、国の行く末などを考えるには、晩年の漱石のように、人間としての洞察力が必要なのだろう。彼が没したのは、49歳。関東大震災の7年前だった。
新潮文庫で142ページの随想集は、わずか286円だ。この薄さなのに、懐かしいひもの栞がついている。
ネットの電子図書館で無料で読むことができるのはありがたい。ただし、読みづらい横組みだが。
投稿者 nansai : 14:45
2007年12月20日
ナンボのもんじゃ?「ドーダ!理論」とは。
十二月二十日(木)
話題の「ドーダ理論」が、文春文庫「もっとコロッケな日本語を」に収録されている。この深遠な理論が、「ドーダの人々」三篇にわたって問題提起され、たったの476円である。日本の文庫本水準もたいしたものだ。
提唱者は、「ドーダ学の祖」東海林さだお氏。

「ドーダ!」は、自慢話だ。
人は、みな、ドーダ、このようにオレ(ワタシ)はえらいんだぞ、ドーダ、といっているわけだ。
といってしまえば、ミもフタもないが、なにげない自慢話の奥底には、人間の深層心理がひそんでいる。
銀座の高級クラブから国立競技場まで、さまざまな場で、人の自慢する姿を漫画家の目でじっと観察して得られたスルドい仮説は、5年前に「オール読物」に連載され、いま洛陽の紙価を高めつつあるのだ。
この理論に共鳴した鹿島茂氏が「ドーダの近代史」(朝日新聞社刊)をあらわし、ドーダ史観で、幕末から明治までの司馬遼太郎のテリトリーをなで斬りにした。

同書をNHKの書評で松岡正剛氏が推薦するにいたって、元祖「ドーダ理論」の正当性はゆるがぬものとなった。

人間はなぜドーダするか。
ドーダ行為から人間の営みをみると、何でも切れるハサミのように、「文学から革命行動まで、人間のすべての活動を解明できる」と鹿島氏はいう。人間行動の森羅万象なんにでもあてはまること、かのウエゲナーの「大陸移動説」に匹敵するんじゃなかろうか。

鹿島教授は、つぎのようにドーダを定義して、
「自己愛に源を発するすべての表現行動である」 と喝破した。いわれれば、そのとおり。八軒家描くところの、この手のけちなブログなど典型なドーダ行為なのだ。

ドーダの祖述者鹿島教授はこう説明する。
ドーダ学というのは、人間の会話やしぐさ、衣服や持ち物など、ようするに人間のおこなうコミュニケーションのほとんどは、「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう。ドーダ、まいったか?」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立ち、ここから社会のあらゆる事象を分析してゆこうとする学問である。
「ドーダ理論は世界最強のグランドセオリーだ!」教授は、ドーダをみごとに発展拡大解釈し、精緻に理論を再構築し、「抱腹絶倒」な近代通史を試みた。ドーダの魂がつきもののように乗り移り、このよく切れるはさみで、水戸学から始めて高杉晋作も西郷隆盛も、一刀両断で説明できるという。
「ドーダは、自慢である。
人に誇りうるものである。
と同時に、人にうらやまれるものである。
ドーダは本質的に、誇る、うらやむの相関関係がなければならない。
たいしたものだと思われねばならない。」(東海林さだお「ドーダの人々」)
で、いろんなタイプのドーダ現象が、東海林氏とその一派によって、観測されている。優位性誇示型ドーダが一般的だ。忙し自慢、教養ドーダ、ブランドドーダ、学歴ドーダ。まだある。有名人にあやかったドーダ。謙虚ドーダ、同県人ドーダなどなど。あげればきりがないだろう。

ユング心理学の言う「投影」ではないか。との説をなす人も現れた、と「ドーダの人々」にある。
自分の内部にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外部の何かに投影し、外的なものとして認知しようとするものと解釈されるそうな。ふうん。「投影」ねえ。よくわからんが、ますます奥深そうだ。
ドーダ光線で世の中を見渡すとなんでも説明できるから、あんまりキマジメに「ドーダ理論」をドーダするのも、自分で自分をCTスキャンするようで、おもはゆいところがある。そこがおかしい。愉快だ。
銀座の高級バーは、「ドーダの館」らしい。ぼくはぼくなりに、東京はニューヨークやパリなみの「ドーダ都市」ではないかと思う。
現在のわが大阪は、今回の市長選挙の結果を見ても、ドーダ力が低いように思われる。

「ドーダ!」のから振りが、もうしんどい。
大阪は、数々の手痛い挫折を引きずって、負け犬伝統の「それが、なんぼのもんや」の視点に安住している感じだ。吉本とタイガースだけのの「ドーダ力」は、さて。
かつては、大阪こそ、ドーダの本場だったのだが。「ドーダ都市」大阪の復活を祈るや切。
投稿者 nansai : 14:23
2007年12月11日
記念日だらけなのに、きょうが、ふつうの日でいいのか。
十二月八日
66年前の今日、何が始まったか。気にも留めない日本人のほうがおそらく多いだろう。政府も、日本の新聞もテレビも、あえて触れるのをはばかる不気味な沈黙の記念日なのである。声を潜める申し合わせでもあるのだろうか。あれほどのことが起きた、きょうはまさに、その日なのに。
66年前のきょう(日本時間午前3時)日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊を奇襲した。

「臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
ダイホンエイハッピョウ、しぼりだすように読み上げられたアナウンスが、太平洋戦争の勃発を知らせた。
どの家にもラジオがある時代ではなかった。小学校4年生のぼくは学校で講堂に集められ校長先生からきかされた。
日本側からすれば、狂喜乱舞の大戦果だった。
無線を封鎖し隠密裏にハワイに接近した六隻の空母から第一波180機、第二波160機の雷撃機、急降下爆撃機が飛び立ち、オアフ島の米艦隊の基地を襲った。ハワイ時間で午前7時49分。いつもの静かな日曜日の朝だった。
攻撃が始まって90分で2386名が戦死。(うち55名は一般市民)1139名が負傷した。戦死者の半数は、戦艦アリゾナの爆発による1177名。戦艦アリゾナ、オクラホマを始め、艦船18隻が沈没、うち軍艦は5隻だった。
大戦果に日本国民は酔いしれたが、アメリカは卑劣なだまし討ちだとして激怒した。ルーズベルト大統領は、翌日の演説で、この日は「ザデイ オブ インファミイ」、汚名のうちに生きる日だとして怒りをあらわにした。緒戦の先制もむなしく、直ちに開戦を決意したアメリカの巨大な軍事力に、たちまち制海権、制空権を奪われた日本は、この攻撃のわずか4年後、壊滅した。
日本は国土が灰燼に帰し300万人の死者を出したあげく、すべての海外資産を失い無条件降伏した。当時の指導者は、どういう見通しで、この無謀な戦争を始めたのか。いまだにその責任は問われていない。
66年前、たしかに、この日、歴史は大きく動いたのである。
アメリカでは、大統領が、この日、「パールハーバーデー」に国旗の半旗掲揚を各省庁に指示した。
全米各地の新聞のネット上では、生存者の談話が紹介されている。各地でささやかであっても追悼行事がおこなわれていることがわかる。真珠湾攻撃で2390名の命が失われ、なお1000名以上の遺体が海底の泥でさび付いた戦艦アリゾナの艦内に閉じ込められていると報じている。
戦艦は、現在も湾底に沈んでいる。その上を海面にまたぐようにして、アリゾナメモリアルが建つ。いまは国立公園施設である。だいぶ傷んできたので「パールハーバーミュージアム」の資金集めがすすんでいるという。

毎年十二月七日には、メモリアルビジターセンターで追悼式典がおこなわれる。今年も年々減るなかで5名の生存者が参加した。みな90歳前後だ。「グレートゼネレーション」とたたえられている。かれらは、ボランティアとして、メモリアルを訪れる観光客と交流し、いっしょに写真にはいり、サインをして愛想をふりまいている。「戦争へ!日本軍オアフ島を爆撃」の見出しの躍る当時の新聞の復刻版にサインしている。日本の高校生がおじぎして、千羽鶴を手渡す風景がCNNで紹介され、ほっとする。
ことし、戦艦オクラホマの戦死者追悼碑が建てられた。死傷者の多かったアリゾナの影に隠れで忘れられていたのだ。
オクラホマは攻撃で転覆し429名が艦内に閉じ込められた。救助されたのは30名。艦はその後スクラップにされ曳航中に沈没した。
120万ドルをかけた顕彰碑の前に、攻撃を受けた7時55分に200人が集まって、黙祷に始って式典がおこなわれた。429名の名は黒い大理石と429本の柱に刻まれている。
ヘリコプターの編隊が頭上を舞い、ステルス爆撃機が従い、歓声が沸いた。生存者は、高齢でもう集まれないだろう。
まだ身元不明の遺体640名はパンチボウル墓地に埋葬されているという。
死者の栄誉は、デジタルのサイトでひとりひとり記憶されるようになるのではないか。
十二月八日の朝日新聞大阪版は、一面トップに、「太平洋戦争開戦66年」とし、「戻らぬ遺骨115万の遺骨」をのせた。十二月八日に触れた唯一の記事だった。
66年前のこの日何が始ったのか。黙っていることは許されない。
投稿者 nansai : 16:56
2007年11月27日
歳末、猫のお絵描き棚おろし
十一月二十七日(火)

年末をむかえ、ただよってくるインフレの異臭で、世の中キナくさくなった。オイルショック、はたまたサブプライムのバブル破裂と、あぶくゼニが世界じゅうを回りまわって悪い兆しが、あちこちに露呈だ。
ぼんやりと年賀状の干支の絵でねずみをもてあそんでいると、ちょっとあきてきて、むしょうに相棒の猫の絵を描きたくなった。猫の写真は、デジカメの普及で、いま、大ブームだ。
猫のお絵描きはどうか。種類がいろいろで、三毛や縞や、柄も複雑
なので、しろうとが描こうとすると意外に難しい。大画家の晩年の作品に名作が見受けられる。では、猫の絵は、このネット上にどのくらい存在するのだろう。

気になって、グーグルで調べてみた。猫とイラストレーションといれて、検索。おるわ、おるわ、世界中でその数なんと、今日現在で三千四百八十万匹だ。(検索ロボットが探すのだから、かなりあやふやではあるが)ぼくも、仲間に入れてもらおうと、もう数匹の仲間を投入することに。
せっかくだから、昔描いたネコも呼び出そう。過去、描き指しがアーカイブに眠っているのを、ひっぱりあげて、いまいちど手をいれてみた。例によって、絵のタッチは、シリメツレツというか、そのときの気分しだいで、ばらばらである。

ぼくは、マウスを使って絵のようなものを描くが、それには、ぼくの手に負えるテーマとモデルが必要である。猫は、格好の目標だ。
上等な猫は飼ったことがない。わが家には、三歳の元野良猫(メス)がいる。なんら特徴のない平凡なキジ猫である。こいつの動きを観察する。朝な夕なながめているとデッサンに自信のないぼくも、いつのまにか彼女の伸びをするかたちが取れるようになった。かな?
でも、ねこは、むつかしい。新聞や雑誌、グーグルイメージなど、人の撮った写真を見て描くのが、らくでおもしろい。70歳を越えて絵を描き始めたモーゼスおばさんも、広告写真などを見てヒントにしていたらしいというから。


猫の種類は多すぎて、とてもおぼえきれない。うちにいるモデルはただのキジねこである。いつも食卓のうえにすわっているから、こんな見返り美人のポーズも拝見できる。

愛すべきネコの写真は、テレビ、新聞、雑誌に氾濫している。
写真の動かないポーズを描くのは、やさしいようで骨がおれる。
マウスで一所懸命スケッチしても、ちゃんと似せて描くのはむつかしい。似ても似つかぬというな。デッサンがくるってゆがんでいるからこそ、期せずして、適当にいい味が出せているんじゃ、というのが、ぼくの言い分。それはどうかな?


めすネコはすぐおかあさんになって子を産む。かわいがるなら、産ませないように。つぎつぎに生まれる子ねこがかわいそうだから。


動物を人間に見立てて、二足歩行させるのは、かんたんだ。
これは、元来猫背のネコに背筋を伸ばしてもらって、一流モデルを気取らせた。

八軒家南斎のこのような閉鎖的BLOGは、個人の文箱やノートみたいなもので、ただ、ふたがない、かぎがかけてない。
思いつきの走り描きだが、こうして陳列してみると、画廊の世話にならない個展のようなものだ。集客の必要もない。誰の迷惑にもならないのが気に入っている。
なかには、へえ、これ、自分で描いたの?というような発見もあっておかしい。ころっとわすれている。猫がねこじゃらしにじゃれるように描くときは興奮しているが、すぐにあきてしまったのだ。

面白いことに、思いつきはすぐ忘れるが、面白い。この黒頭巾をかぶったねこは、「ニャンじゃ」と名づけた。ねずみ小僧とからめて、物語がでっちあげられそうだ。テレビをみていたら、おとなのアメリカ人にも、忍者が人気で黒装束ですぐまねをするのが面白かった。
準備の要らない安直なお絵かきは、画用紙も絵筆のいらないペイントをつかえばよい。絵の具がいらないから、いくらでも色が使える。描きなおしは、自由だ。くたびれるまで、あきてしまうまで。

投稿者 nansai : 12:08
2007年11月21日
お年始の贈り物に、ネズミはいかが?
十一月十七日(土)

ことしの年末は、日本中の郵便ポストに数億匹のネズミの大群がいっせいに飛び込むにちがいない。干支のネズミは年賀状の主役だからだ。
「年賀状は贈り物だと思う。」と、日本郵政の広告はいう。40億枚年賀はがきを売りきりたいらしい。
コピーの意図はよくわからんが、その年賀状に、干支に選ばれたとはいえ、ねずみは、騒がしく清潔とはいえない。アイデアとしても、姑息かつ陳腐である。
いかがなものか。さて。

と、いちゃもんはつけたものの、ほかに策がないし、干支のネズミをアイデアで料理するのは例年おもしろい仕事なのだ。
ネズミの絵は、雪舟からウオルトディズニーにいたるまで、古来、名作が多い。ミッキーマウス、メイジー、レミーと、漫画、絵本、映画の愛らしい大スターぞろいだ。
ミッキーマウスは、きょう七十九歳のサイン誕生日を迎えた。老いてますます矍鑠たるミッキー爺さんに負けず、いちびって、迷作にいざ挑戦といこう。

ぼくのような年になると、年賀状を出す先がだんだんほそってくるのはしかたがないことだ。

手はじめに、まず四つんばいのネズミをむりやり直立二足歩行させる。正月のめでたい行事に参加させたり、人間さまのするスポーツのポーズをとらせたり。
ときどき、ネズミに見えず、キツネやイヌやクマに見えたりする。




書初め、たこあげ、ゴルフ、サーフインとかボクシングとか、運動させてちょこまか動かす場合と、じっと静止させる場合といろいろである。
なにしろ思いついて突如パソコンに向かいマウスを動かすので、ネズミのタッチは、気分により、ばらばらである。
としのせいにはしたくないが、われながらいいアイデアが浮かんでも、シャボン玉みたいにはじけて消えてしまう。それもご愛嬌。思い出せなくても、また思いつけばいいやとあきらめる。
しばらくすると、なんのことはない、とっくの昔、マイピクチュアにしまいこんでいたのを忘れていた、ということがままある。パソコンは、老人の記憶ロボットだ。アーカイブの無限のしまいこむ能力を利用せねば。
干支の場合、さるや馬などほかの動物を擬人化したときのを、そのまんまいただいて、首をすげかえる。
人間の動きに見立てているから、これはうまくゆく。
絵を描くとき、ネットは、覚えていないこと、知らないことを教えてくれる。昔の赤い郵便ポストのかたちもスノーボードのからだのひねりも、みなグーグルの「イメージ」を参照すれば教えてくれるのだ。

これは、お世話になっているお隣のイタリア料理店のための年賀ポスター案である。たのまれたわけではないが、アーカイブから引っ張り出して、2008年改定バージョンに。とりあえず大阪でミシュランひとつ星をねらうべく頂点を目指す祈りをこめておいた。
主人シェフは、どうも白い歯をむきだした熊の顔が気に入らぬようだったが。
なぜ、スノーボードか。じつは、愛媛県の高校生がスノーボードでオリンピックを目指すニュースをみたばかりだった。世界に通じる実力の持ち主なのだ。
下らぬアイデアには、きりがない。ことしは、ちょっと、新機軸を思いついた。
月探査機「かぐや」からハイビジョンで撮った38万キロさきの地球。この美しい映像を使わせてもらおう。
来年の年賀状には、おそらく定番の初日の出をしのいで、初地球の出(舌をかみそうだ)の写真があしらわれることだろう。
この息をのむ映像にそえるには、「謹賀新年」では味気ない。賀正いがいに、いろいろありそうだ。
真っ暗な宇宙にぽつんと浮かぶ孤独な地球の姿。
おーい、まだ水はあるのか。緑は茂っているのか。
こんなのはどうだろう?ディズニーにとっちめられるかな。地球ネズミ?

投稿者 nansai : 12:17
2007年11月13日
十一月十三日(火)
ポピーデー

英国では、女王も首相も閣僚も、その日は赤いひなげしの造花を胸につけている。
十一月十一日が「ポピーデー」だ。正式には、リメンバランス デーと呼ばれ、英連邦諸国では、国を挙げて戦没者を追悼する日という。二つの世界大戦とそのほかの紛争で亡くなったすべての男女を偲ぶ特別の日と定められている。
国中のみなが、午前十一時に、二分間の黙祷。つづいて、各地で在郷軍人が行進する。ホワイトホールの戦没者記念碑には王室のメンバーと、政治家が集まり献花する。
十一日に近い日曜日は、追悼サンデーと呼ばれて、教会で儀式があげられ、各地の記念碑に花輪が捧げられる。二分間の黙祷につづき、ラッパが吹かれ、ビニヨンの詩「斃れし者に」が朗読される。
もし十一日がウイークデーに当たっても、学校、職場、ショッピングセンターで、万難を排して、「二分間サイレンス」はおこなわれる。
1918年のこの日は、第一次世界大戦の終戦の日だ。その年の十一月十一日午前十一時、西部戦線の砲火がやんだ。数百万人が死傷した4年以上の悲惨な戦闘のはてに。

午前十一時きっかりに「二分間サイレンス。」が始った。
電車はエンジンを止め、車も息をひそめる。帽子を取る人もいる。頭をたれる人も。あちこちで、年老いた元軍人が、気をつけの姿勢をとる。おばあさんが涙を拭いている。みなが静かに立ち尽くしている。
以上は、1919年のロンドンの街角での初めての「二分間サイレンス」の模様を、当時の新聞が伝えた記事からだ。
赤いひなげしの花が、百年も前からの、国に命を捧げた戦没者に、厳粛に思いをいたすシンボルになっている。赤いおしゃれな紙の造花が町で売られており、在郷軍人の支援にあてられているらしい。
なぜポピーなのか。その由来も語り継がれている。
激しい砲撃で西部戦線の激戦地フランダースの地面が掘り返され、地中に眠っていたポピーがいっせいに花開き、一面の花畑になったといわれる。「フランダースの野原にて」という、戦死したカナダの軍医の作った詩が、いまに詠みつがれている。

NHKの海外ニュースでみて、BBCネットを掘り返してみた。
BBCの第二次世界大戦アーカイブは、戦後60年を記念して、将来に向かって永久保存を願い昨年改訂された。
このサイトにはおびただしい死者の情報(15000枚の写真、47000の取材)が記録され、いまもなおサーチボックスが設置され情報提供が求められているのだ。NHKにもぜひ見習ってほしい。祀るのではなく、忘れないという気持ちがたいせつではないか。
国のため命を捧げた死者たちに、あなたがたを決していつまでも、決して忘れない、という思いは同じだが、追悼のしかたは、国や宗教によって当然違うわけだ。だが、戦後、半世紀をすぎ、わが国の行き詰った靖国論争も、はやく前向きに、解消せねばなるまいと思った。

BBCの戦没者を弔うためにしつらえられた幾多のアーカイブを見て考えた。
デジタル時代の死者を追悼する記念碑は、石にきざむのではなく、記録のために必要な無限の空間と時間の待つネットに、アーカイブすべきだろうと。
国費により、NHK制作で、デジタル戦争博物館を建立するとよい。戦争により非業の死を遂げた三百万人の死者を弔い、正しい歴史観を後世に伝えるための史料をそこに蓄積編集すべきだろう。
国立デジタル戦没者記念戦争史料館。
21世紀に立ち上げるべき公共事業の「ハコモノ」こそ、戦没者を弔うための墓地ではなく後世に伝える情報デジタルアーキテクチュアではないか。ここは、NHKにおさめたぼくらの聴取料もフルに活用してほしいのだが。
戦没者を慰めるのに、英国のポピーのような花のシンボルがほしいと思うが、「菊」の御紋章は、思いが重過ぎると感じるのはぼくだけだろうか。
ガーディアン紙の報じるところでは、今回、イラクやアフガニスタンで傷ついた兵士たちのロンドン戦没者記念碑でのパレード参加が許可されなかった。激しい非難の声があがっているという。国は、戦争の悲惨さを国民に見せたくないのだ。

投稿者 nansai : 16:50
2007年11月12日
十一月十二日(月)
「暴走老人!」という本が出たぞ。

なぬ、「暴走老人!」とはおだやかでない。
が、省みて心当たりがないわけでもない。
書名の「老人」に!がつけられている。かなりの悪意がみてとれるな。
藤原知美の同名の著書で一躍流行語になりそうな気配。こんな本のバカ売れもいやだなと、抵抗がなくもなかったが、NHK「週刊ブックレビュー」で著者の藤原知美氏の弁をきいて、さっそくではなく、まあ、そのうちに、読んでみようという気にはなった。
「あんた、失礼じゃないか!」
こんな風に、すぐに切れて激高する「新」老人がふえたと、芥川賞作家はクールに指摘しているらしい。
老人も、人口がふえて、多様化してきたと思う。
分別あってしかるべき老人たちがときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、著者は、ひとまず「新老人」と呼ぶ。
評判の本とあって、テレビとネットでかなり引用解説しているので、読まなくても「新老人」の一員として、著者の切り口は理解できる。
文芸春秋のネットをあけてみると、「書誌ファイル」にこうある。
家族問題を長年テーマにしてきた作家が、「暴走する「新老人」たちの孤独にメスをいれ、品格なき日本人のいまを鮮烈に描き出します。」
最後のおすすめのひとことが痛烈だ。よくいってくれるよ。
「あなたの隣の困った年寄りたちの生態を明らかにする新感覚ノンフィクション・エッセイの誕生です。」

「だれにむかって、ものを言うちょるんじゃ!」
などと激高すると、術中にはまり生態解剖されてしまいそうだ。一冊買って読まんわけにはいかなくなった。
ここに描いた老人は、オリジナル作だ。
「夕日の詩」の西岸良平描くところの昭和三十年代の理想?のお年寄りに、「暴走老人!」に取り上げられた平成のキレれた新老人を重ね合わせてみた。ま、昔ながらのただの老人に見えるのだが。
投稿者 nansai : 12:01
2007年11月09日
十一月九日(金)
年賀状アイデア戦争勃発
ことしは、年賀状のアイデア水準がぐんとあがった。ホームページをみても、郵政公社が一流デザイナーを総動員して、デザイン指導啓蒙をはかってきたからだ。民営化の発足とあって、40億枚売り出すそうな。
ちかくのコンビニにいったら、ここでも、もう年賀状戦争が熱い。
賀状つくりのアイデア集が、雑誌売り場にならんでいた。「10分でできる年賀状。」ソフトバンク刊。なんと押すな押すなの1500点の作例がのっていて、たったの500円。CDつきだ。これは安い。「最短3クリックでできる年賀状作成ソフト」も、充実してよくできているぞ。

やや、これはしたり。先を越されたか。遅れてはならじ。
ぼくの楽しみは、年賀状の干支の動物をアイデア画化することなのだ。何を隠そう、ぼく南斎は、ビルゲーツ先生秘伝のMSペイントでマウスをこちょこちょ操って、絵のようなものを描く、怪しいネズミ使い。天才絵師狩野永徳も、仰天の手軽さなのだ。
とわれて名乗るもおこがましいが、師匠もいないから免許皆伝なんかない。天涯孤独の町の鼠絵師なんである。賀状ごときで、ソフトバンクや郵政公社に負けてはいられない。

わがマイドキュメントをひっくりかえして、かねて描きためた年賀状の動物たち(ねずみを主体に)に集合をかけて、2008年型アイデアを点検しよう。玉石ごちゃごちゃのなかに傑作が埋もれているやもしれないのに、描いたまま、忘れていることが多いからだ。泰山を鳴動させて、とりあえず、まずネズミ一匹を追い出すことに。
手始めに、探索ダイバーマウス。ウエブの大海原は、情報のジャングルだ。深くもぐって探そう。サーチマウスをよろしく。探しマウスというネーミングもいいか。

投稿者 nansai : 13:29
2007年11月08日
十一月八日(木)
我輩は、脚である。ちゃぶ台の。
--小沢党首辞任騒動をめぐって--

我輩は、ちゃぶ台の、一本の脚である。
どういうわけか、我輩のほうが、ほかの脚よりも、はるかに太い。
(ちゃぶ台とは、懐かしい昭和時代、たたみのうえに座って食事したころの折りたたみ食卓。いまは、ふつうの家庭からは消えたが、向田邦子のホームドラマに出てくるやつだ。
頑固親父が、家父長の威厳を保つために怒鳴りながらひっくり返すシーンが、向田ドラマによく出てきた。)
諸般の事情で、我がちゃぶ台は、いろんな板のはりあわせでできている。決して一枚板ではない。
とりあえず、くぎでいいかげんにとめてあるだけだ。
ある日、念願の大きな宴会を開きたいと思った。後押してくれる人もいた。
我輩は考えた。そのためには、からだを寄せて、もっと大きなちゃぶ台といっしょにならねばならない。あわよくば、釘で打ちつけて強引にひとつのちゃぶ台に合体できるかもしれない。
ところが、意外にも、ほかの脚たちが反対するのだ。
親のこころ、子知らずではないか。燕雀なんぞ大鵬のこころざしを知らんやだ。許せん。
一番太い足の我輩は、思わずかっとなって、ちゃぶ台をひっくりかえそうとした。年甲斐もなく。

もよもと、ちゃぶ台同士の組み合わせ、寄り合わせるのは、我輩の得意だ。いろいろなちゃぶ台を、過去何回も寄せ集めた。
でも、しばらくたつと、なにもかも気に入らなくなって、ひっくりかえした。漱石の「坊ちゃん」だな。
ひっくり返すと、ちゃぶ台は、ばらばらになる。我輩は、それを、何回もくりかえした。
今回も、ひっくりかえしかけた。が、いつになく必死にほかの足たちがとめるので、大人気ないと反省して、思いとどまったしだい。さて。
(ちなみに、このように、どんでん返す行為を、いまも、マンガやドラマでは、「ちゃぶ台返し」というそうな。)
投稿者 nansai : 15:22
2007年11月02日
十一月一日(木)
詩集「求めない」
「求めない」(加島祥三 小学館)
という詩集が、本屋の山と積まれた新刊書の谷間に、
ちんまりと並んでいる。

「すると、何かが変わる」と帯にある。
「開いてみて」とちいさな白い本がささやく。
ん、1300円+税だ。
求めない――
すると
心が静かになる。
求めない――
すると
キョロキョロしていた自分が
可笑しくなる
求めない――
すると
恐怖感が消えてゆく
詩だろうか、句だろうか。200ページ足らず、どのページも、白い紙のまんなかに、こんな短い数行がぽつんと印刷されているだけ。この詩には、著者の研究している老子の思想がベースに流れているらしい。

「求めない」は、数ヶ月前、NHKの朝のニュースで若いアナウンサーたちに紹介されて知った。
八十歳を越え信州に独居している著者は、英米文学の専門家だったが、十年以上前に「老子」に出会い、英語からの自由な翻訳をこころみ、ロングセラーとなったという。この本も、早くも5刷だ。
求めない――
人それぞれの受け取り方があるだろう。それが難しいことは百も承知だ、と詩人は言う。その上での「求めない―」。ときには、もう求めないと自分に言ってみるだけで、いい気分になるよ、とも。
求めない――
すると
恐怖感が消えてゆく
ぼくらは、求めて、求めて、かなわず、あきらめる。また懲りずに、求めて、求めて、かなわず、あきらめる。そんな繰り返しが世の常だろう。
ぼくほどの年になっても、それは続く。あさましいことだ。が、集中力と記憶力がとみにおとろえてきたので、「求める」気持ちが持続しない。天の配剤というべきか。
求めない――
のあとに、自分で考えて、日々、なにかをつぎたしてゆくのがいいのでは、と考えた。かなわぬまでも、やってみる値打ちがありそうだ。
そうすれば、ひとりひとり、自分だけの「求めない」詩集をつくることができる。
求めて、求めて、ないものねだりの、ぼくには難しいことではあるが。 (そうだ。脈絡なく、ぼくは勝手にぼくのカエルの絵をそえることにした。)

求めない――
すると
求めないでもいられる自分に驚く
先日、ひさしぶりで気の置けない友人たちと、ホームコースでゴルフをした。
もともとの下手にくわえて、足をひきずっているせいもあり、いつものことだが、ボールがあらぬほうに飛んでゆく。キャッチャーフライみたいに真上にもあがるのだ。
二十センチのパターをはずしながらも、ぼくは悠揚せまらず、
「求めない」「求めない」
をとなえて、いや、連呼して、パートナーにいぶかしがられた。
深遠な老子の思想とは、ほど遠い受け止め方である。
投稿者 nansai : 13:50
2007年10月30日
十月三十日(火)
打たれたが、あっぱれだ。岡島投手
ことしのワールドシリーズには、注目した。両軍に日本人選手がいたからだ。松坂、岡島と、松井。
「一億ドルの男 ルーキーイヤー 至福のエンディング(毎日)は、4勝して優勝したボストンブレーブス松坂投手に捧げられた見出しだ。
ゲーム3は、空気の薄い標高1,600b敵地デンバーで、コロラドロッキーズを相手に、松坂はみごとに5回を投げきって、勝利投手となった。このところ結果の出なかったダイスケは、買い被りが裏目にでて期待されなくなって心配していたが、最後に意地を見せた。

しかし、ぼくは、脇役の岡島投手をたたえたい。
シリーズ初登板での岡島投手の救援振りには、感動した。冷静な平常心で、歯を食いしばって、打者7人を凡打三振に討ち取った。相手ロッキーズの監督が絶賛したというからすごい。
フランコーネ監督の信頼はあつかったが、第三、第四戦では、いずれもホームランを浴び一点差に詰め寄られた。限界だったのだろう。
岡島は、シーズン66試合に登板した、縁の下の中継ぎだ。
今年はじめ、レッドソックスに移籍したが、岡島のあの投げ方で大リーグで通用するかと危ぶむ声が多かった。ぼくもその一人だった。
ダイスケの「ジャイロボール」は魔球だとか、鳴り物入りの松坂大輔の影にかくれていたが、今はどうだ?
日本の球界に見る眼がなかったのと、岡島のパワーを大リーグに通用すると見抜いたレッドソックスのコーチとの出会いが、幸いした。

球を放す瞬間、キャッチャーミットから眼をそらし、下を向く。
あっち向いて、ほい。岡島投手の独特のピッチングフォームを何とか描いてみたいと思った。似ても似つかぬのは承知のうえで。

変則といわれるだけあって、かなりむずかしい。
新聞やグーグルの写真を見ながら、マウスをこちょこちょまわしてスケッチする。
そのときのこっちの気分により、その都度描き方のタッチが、ふらふら一定しないのが、悲しいかな、しろうとのご愛嬌だ。
でも、ものは考えようである。型にとらわれない自由は特権でもあるのだ。思いつくまま無責任にいろんな型をあれこれ試みためすのは愉快だ。と、居直ることにしている。
ゴルフでは、これをテストハビット(ためし癖)という。コース上でやると、たたりでぼくはひどい目にあっているのだが。
投稿者 nansai : 12:57
2007年10月24日
十月二十四日(水)
偽装の赤福もちに「もったいない」の
いいわけは、もったいない?
大阪では、粟おこしなど往年の地元名産の影が薄くなった。かわって、伊勢名物のはずの赤福が、大阪駅で一番売れている大阪土産ときいた。たいしたものだ。
全国区に雑誌広告を出して、創業300年の赤福は順風満帆に見えた。

あんやもちのようにいたみやすい商品を、工程の技術革新で、添加物がなく新鮮なまま、消費者にとどけている、というふれこみだったからだ。
ところが違った。
「生ものですからお早めにお召し上がり下さい」とは書いてあるが、手練手管のかぎりをつくして消費期限を偽るだけでなく、売れ残りの回収製品も冷凍し、消費期限をつけなおし再出荷していたという。
チェックの目は節穴か。行政も見抜けなかった食品衛生法とJAS法違反だ。
「客を欺く精神が許せない」と社説に掲げたのは、産経。「老舗よ、お前もか」(朝日)ほか、大新聞も非難ごうごうの弾幕を張っている。
追い詰められた社長は、「もったいない」という気持ちが社員にあったのだろう、と弁明した。自分は知らなかったが、と歯切れは悪かったが。

だが、「もったいない」は、世界で認知された日本人の美徳とされている。
食べ残しなど食品の無駄は目に余る。コストダウンは、製造現場の正義であり、目標である。世は、リサイクル、再利用、資源の有効活用を叫ばれている。売れ残ったあんともちを「分別回収」して、何が悪い。食中毒になった客がいるかと、居直りたいところだろうが、うそはいけない。きれいごとをいって消費者をだましたことになると、とっちめられている。
テレビニュースを見ていたら、伊勢参りのお客はのんきなもので、赤福の店頭で、せっかくたのまれて買いにきたのに残念だと、にこにこ。閉まった店の前で、みな並んで記念写真を撮っている。お客さんはありがたいものだ。

食糧危機かもしれぬ21世紀、「もったいない精神」は大事だ。
こぼした飯つぶをひろって食わされたぼくらからみて、コンビニなどの食品の大量廃棄も、これからはいかがなものか。衛生面にシビアな配慮が必要だが。
ぼくは、このけしからん赤福のためのアイデアを思いついた。一発逆転は、むりかもしれないが。

お取り込みの最中に大きなお世話であるが、おわびのしるしに、つぎのような新?製品発売のごあいさつはどうか。
「長年の、そして今回の経験と冷凍再生技術を生かして、あんともちのリサイクル製品の開発に成功しました。味は変わりません。」
再生商品名は「白福」はどうだろう。
「もったいない」の気持ちは、たいせつに。
「従業員向けの社内販売価格で。よろしければ」として、老人ホームなどでお茶請けに、無料でくばって、罪滅ぼし。いいんじゃないの。
投稿者 nansai : 15:25
2007年10月18日
十月十八日(木)
もし、亀田がチャンピオンになっていたら?

未曾有のバッシングのさなか、本人は自分で丸坊主になって一言も発せず、亀田親子は処分に全面降伏の感じで、「とりあえず」あやまって記者会見は終わった。
今度のフライ級世界選手権(しろうとで野次馬のぼくは、世界タイトル戦とは気がつかなかった)は、試合というより、事件になった。反則許すまじ。だれもが正義の味方で、裁判員になったのではないか。だからいわんこっちゃない。大新聞までも苦々しげに社説でとりあげた。
ぼくは、もし、何かの拍子で、亀田大毅が世界チャンピオンになっていたら、と考えてみた。
あの晩、リングサイドの実況アナは絶叫していたのだ。
チャンピオンの切れたまぶたの上の出血がとまらない。ドクターストップにでもなれば、「勝てますね」と。

もし大毅が勝っていたら、世間は、マスコミは、どんなスタンスをとるだろうか。困ったかなあ。よおし、と張り切ったか。手のひらの返しかたは、とても興味深い。
「親子の絆」がテーマのテレビの特番が、次々に企画されよう。21世紀の「親孝行」として、美談化されるだろう。
勝ってなんぼや、何が悪い。こどものけんかに親が出て悪いか。父親の子育ての本が、ベストセラーになって書店の店頭に平積みされるだろうか。
激しいブーイングは前回もおきたし、抗議の電話も五万本と聞いたが、今回もすごかったが。
ボクシングは、ぼくのようなズブのシロウト目には、勝ち負けの判定が難しい競技だ。野球やサッカーやマラソンなどの、ほかのスポーツと違う。
12ラウンド打ち合って、どちらもダウンしない。
やせた33歳の世界チャンピオンが目の上を切り顔面ぼこぼこだ。
いっぽう、筋骨たくましい18歳の挑戦者は、涼しい顔。判定で大差がつくと、ブーイングを背中に浴びながら、健闘を讃えあうでもなく、さっさとリングをあとにした。
リングサイドの元世界チャンピオンは、判定ほど差はない、と言い切った。どうなっているのだ。

事件性のおかげで、テレビ桟敷のぼくら野次馬も、あとで詳しく試合の内容を解説してもらい、にわか「反則通」になった。世界選手権試合はフェアなものと思っているから、びっくりだ。
ふうん、サミング、頭突き、目つぶし、抱え投げ、タマをねらう、いろいろあるもんだ。ボクシングをやっている人には常識でも、驚いた。
で、ボクシングには門外漢のぼくには、破天荒だった試合そのものよりも、後のテレビや新聞の報道がおもしろかった。
この試合をふくめての一連の騒ぎをめぐる人たちが、意見の立ち位置をかえる、あたふたぶりが、じつに興味深かった。

ちょっとでも、ボクシングをかじった人は、怒りで震えるようだ。許せない。スポーツは、フェアで神聖だという思い込みが強い。
同じボクシング業界では、多少歯切れは悪いが、不快感を隠せない。ほかのえげつない格闘技に客を奪われて落ち目の業界にフットライトを浴びさせてくれたのだが。
さて、世間様だ。
ぼくもその一員だが、ボクシングはわからないから、態度しか判定のしようがない。
「なにわの弁慶」とか、業界では悪役を「ヒール」というらしいが、ちんぴらやくざの役を振られて、得々と演じてきた。一流の振り付け師がついていたのだろう名演技だった。
年少者のくせに、先輩に敬意を払わない、礼儀知らず。顰蹙を買う挑発行為。不愉快だ。ざまをみろ、親の教育がなっていない、とか、世間様はにわか裁判員としてブーイングを浴びせる。

世間にも、ひいきの引きたおしのグループがいる。
関西の地元だ。試合の後、熱唱する唄の追っかけファンもいるらしい。ぼくのタイガースとはちょっと違う。
亀田一家イコール関西と見ている人も多いらしい。
テレビにはびこる吉本イズム。しかたがない。同じように見てほしくないという声も。
いちばん、大きい正義のブーイングは、勧進元のTBSに浴びせられている。視聴率は、四十%近くに達してしてやったりのはずだったが。
ボクシングも、ショーにすぎない、という信念で、一糸乱れぬ大統領選挙のような売りだしキャンペーンが展開されたのだろう。成功してきた。

だが、思わぬ展開になった。世間様の風当たりに、あわてて、局のなかでも、対応がまちまちだったようだ。
「愛局心」がばらばらにみえた。司会者やタレントたちが、急遽立ち位置を変えるのに、あたふたと右往左往する。これは見ものだった。
当人たちは、自分自身の人気、良識を守るのと、局への一宿一飯の恩義の板ばさみで、わかるねえ。
「あんたはずるい、距離をとって、打ち合わなかった」と、翌日のテレビでチャンピオンに、証拠のメモを取
り出してくってかかったタレントがいた。試合前で「君が代」を独唱した歌手である。
いやあ、それぞれ、忠犬ハチ公だ。みな生きるのに一生懸命だなと思ってきいていた。
最後に、博愛主義者。訳知り。家庭裁判所。死刑廃止論者だ。
まだ18歳のこどもじゃないか。何も知らないのだから、親の責任だ。才能の目をつんではいけない。将来の世界チャンピオンになれる素質が、みてとれる。
などなどだ。
18歳の未成年。でも、ぼくは、すべて、自己責任だと思う。
まわりに影響されるのはしかたがない。これほどマスコミに持ち上げられたら、振り落とされたら、狂うのは当たり前だ。
視聴率の犠牲。果たせなかった父親の野望。跳ね除けるのは難しいが、自分の人生だ。
誰からも相手にされない若者は、ほかにはいて捨てるほどいる。
他人がとやかくいうことではない。大きなお世話だ。
ただ、テレビや出版、ゲームの興行師たちのがんばりで、亀田一家のスタイルが、社会現象になり、そのまんま、夕刊紙の一面に登場するのにはご勘弁願いたいものだ。ネオ亀が、青少年の憧れの理想像になっても、どうかねえ。
脅しのちんぴらの物言いが、大阪弁代表とみなされるのも迷惑だし、うんざりだ。
半世紀前は、不運にも、同じ年代の若者たちが、戦争に駆り出され、帰らぬ人になったことも思い出した。
投稿者 nansai : 13:56
2007年10月12日
十月十二日(金)
歴史の教科書で学んでほしいことは、なにか

半世紀も前、太平洋戦争の末期に、沖縄でなにが起きたか。あと数ヶ月で、日本が連合軍に無条件降伏する土壇場だった。
本土にいるぼくたちは、あまりにも知らなさ過ぎたし、知ろうとしなかった。グーグルかヤフーに、「沖縄戦」と入れて検索してみよう。
昭和二十年、太平洋戦争末期の沖縄戦は、55万人のアメリカ軍(上陸部隊18万人)と12万人の日本軍が戦い、民間人を巻き込んだ日本側の死者は、三ヶ月で20万人を越えた。
悲惨にも、海に囲まれて逃げ場のない非戦闘員15万人が死亡した。
ほとんどが米軍の熾烈な砲撃爆撃による犠牲者だが、ところによっては、洞窟に逃げ込んだ住民が集団自決に追いやられた。
女子供老人、非戦闘員も、軍民一体で戦い、生きて捕虜になることを恐れたからだ。
ことしになって、この集団自決に、軍の命令はなかったとして、教科書の記述が削除された。それをめぐって、沖縄県民が抗議の声をあげている。
この91式手榴弾は、7,8秒で爆発する。死を選ぼうとした住民たちは、車座になって、手榴弾を爆発させたと伝えられる。

当時、手榴弾の材料の金属が不足していて、丹波などの窯元で製造された陶器製も使用され、不発事故も多かったという。
手榴弾が入手できない場合、やむなく、最愛の家族同士が、カマや棒で殺しあう悲劇も。地獄としかいいようがない。

沖縄の場合、集団自決した人々は、十万人の尊い犠牲者のうちの一部である。それなのにである。
日本軍が命令で関与したかどうか、世界でもまれな集団自決を教科書にどのようにとりあげるか。問題は、歴史認識から外れて政治問題になってしまった。反日、売国奴、自虐史観と、相手を呪う言葉が飛び交う。
地元住民のデモの数におびえて教科書を書き直してもよいのかという大新聞の意見も出てくる。
高名なノーベル賞作家が裁判で争い、大新聞どうしが口汚くののしりあうといった有様である。
そんな教科書の記述をめぐる争いよりも、大事なことがある。
昭和二十年、沖縄でなにが起きたか、史実を集めて歴史に残し、戦争を知らないひとたちの胸にしっかり刻むことが大切だと思う。
そして、なぜと問いたい。それが歴史認識だろう。
沖縄でどうしてこのような戦いが起きたか、なぜあれだけ多くの住民が戦いに巻き込まれてなくなったのか、後世の人が考える史実をできるだけ忠実に伝えるべきだろう。
あわせて、昭和のはじめからの太平洋戦争にいたるまでのいきさつを伝えねばならない。なぜ300万人の日本人が命を落としたのか。なぜ。
そして、日本軍が戦争に巻き込んで、なくなったアジアの人たちの犠牲を、どう受け止めるか。

沖縄戦に限らず、戦争は、殺戮以外のなにものでもない。ウイキペディアで、殺戮の歴史をみてみよう。
たいていの兵士は、徴兵される前は、ふつうの農民や市民だ。
戦場は、かれら、ごく普通の人間を、殺戮に駆り立てる。かれらを突き動かす動機は、なにか。
刷り込まれた大義だけでなく、恐怖、報復、疑心暗鬼など、異常な心理状況による。
命令のあるなしにかかわらず、軍隊が、兵士が、狂うときは、敵の戦闘員と一般民衆が見分けがつかぬ極限状況においてである。市街戦、ゲリラ戦は、大量殺戮につながりやすい。
勝った側は、戦闘を終結させるために、殲滅をはかる。圧倒的な武力で優位に立ち制圧できるとき、無抵抗の相手が、特に民衆が殲滅の犠牲となる。殲滅、掃蕩は命令によることが多いのだ。
NHKのドキュメンタリー兵士の証言をみても、命令だからしかたなかったと兵士たちはいう。ある元兵士は平然と、ある元兵士は涙を浮かべて。
どのような大義をかかげようとも、どの時代の、どの国の軍隊も、例外ではないと歴史は教えている。
この史実を、戦争を知らないひとたちに伝えたい。
戦争とはなにか。おぞましい戦場の極限状況を知らないひとたちに学習してほしい。
歴史だけが、教えてくれる。
NHKの2005年制作のドキュメンタリー「沖縄よみがえる戦場」は、みておくべきだろう。いま深夜に再放送されている「証言記録・兵士たちの戦争」は、アジア太平洋戦争で、わが皇軍がいかに戦ったか、ぼくたち銃後の国民がしらなかった史実を教えてくれる。
このドキュメンタリー・シリーズは、戦争を知らない政治家たちに、「ご議論」の前に戦争の現実を学習できる機会を与えてくれるだろう。若い世代には、丸暗記のための教科書よりも、この日米双方の映像資料による証言をみてほしい。
修羅場を経験してかろうじて生き残った証人たちは、戦後60年たち、押し黙ったまま、次々に世を去っている。何が起きたかを思い出し語るのは、あまりにつらいから。
集団自決に軍のかかわりはなかったとして、教科書記述を改訂しようとした勢力は、いったいだれなのか。
安倍内閣時代の文部科学省の動きは、見過ごせないと思う。
戦争末期、日本は国全体がおおきな感情に突き動かされていた。国を守るということは、一億玉砕してまでも国体を護持することで、沖縄の住民を守るということは、軍の戦略としては考慮外だった。
毎日新聞那覇支局の三森輝久氏は、「記者の目」欄にこう書いている。
「沖縄戦は、本土防衛の時間稼ぎのため日本軍が展開した「出血持久戦」だ。軍民混在の状況下で組織的抵抗が三ヶ月続いた。この過程で、日本軍が住民を壕から追い出したり、食料を奪うなどの虐待が各地で起こった。スパイ視の挙句に殺害した例もある。県民の犠牲者数は、いまも不明で、9万から16万人まで見方がわかれる。」
自分を、天皇陛下の「醜の御楯」と思え。大君の辺にこそ死なめ、省みはせじ。今の人たちには信じがたいことだが。ぼくらは、こう教わった。
中学二年生のぼくらは、もう本土決戦のための海岸陣地構築に動員されていたが、遠く海をへだてた沖縄戦の悲惨な戦況は、まったく知らされていなかった。
沖縄戦に勝利して、アメリカ軍は、Operation Downfallを発動する計画だった。十一月一日のXデーまでは、7発の原子爆弾を投下し、九州に35万の米軍が上陸の手はずになっていた。
かれらの見積もりによれば、日本制圧には、米軍170万から400万人の死傷者(戦死者40万人から80万人)が予想された。
対する日本側の損害は、本土防衛に大規模な市民が動員されると仮定して、500万人から1000万人であった。
過去のノルマンディーや硫黄島、沖縄戦から類推して計算された数字であろう。(戦時庁スティムソンのスタッフ、ウイリアム・ショックリーに。ウイキペディアから)
中学二年生のぼくは、沖縄戦と同時期に本土で陣地構築に動員されていた。
沖縄に向かって出航した戦艦大和が沈没したことも、連合艦隊が壊滅したことも、まったく何も知らなかった。このオリンピック作戦の全貌?も寡聞にして、ネット上で、60年後に初めて知ったのである。
投稿者 nansai : 16:40
2007年10月10日
十月十一日(木)
たそがれコンサート予告
ことしも、会社の前の公園で、町おこしの「たそがれコンサート」が開かれる。有志肝いりの豪華プログラムだ。バイオリン、アコーディオン、太鼓と、毎晩、演目がかわる。入場無料。

オンチの南斎も、ボランティアでポスターの絵を描くことに。以下は、アイデアスケッチだ。

赤いとんがり三角は、公園の遊具で、これをシンボルにしては、というわけ。これからこの界隈の名物イベントになれば、縮めて、「たそコン」とよべばいい。これから三十年たって、ここが「三丁目の夕日」として子供たちの記憶に残るかもしれない。
絵のほうは、ちょうど「衛星探査機かぐや」がおじゃましているお月さんから、ウサギ君に出演を依頼した。



もともと大阪城内だったここら界隈は、水の都のへそにあたる。歴史はふるく、平城、平安時代にさかのぼる。すぐそばに、熊野街道に通じる御祓い筋。公園の下は、名高い八軒家船着場でにぎわったところ。万葉集にでてくる難波津も近くにあったという説も有力だ。
この千年以上前の歴史のある街をなんとか、盛り立てたいものだ。盛況を祈ろう。
投稿者 nansai : 18:03
2007年10月01日
九月二十八日(金)
ピリオドの日。
どうなることかと心配していたら、阪神、8連敗にピリオド。中園の好投、復帰した林の一振り。若手のふんばりで、まずは、やれやれ。

その夜、堂島中町のショットバー「デワ―ハウス」がひっそりと四十九年の歴史を閉じた。こちらは、いささか切ないピリオド。入居しているビルが取り壊されるらしい。
昭和がまた遠くかすんでゆく。
ほんまに知る人ぞ知るだった。このスコッチバーは、昭和三十年代のサラリーマンのぼくにとっての青春のアーカイブだった。あのコロは、よう飲んで、よう働いたなあ。
昔の毎日会館の対面の地下一階。看板が小さくて地上を通る人はつい見過ごしてしまう。転げ落ちそうな急な階段を下りると、この4坪ほどの隠れ家風たたずまいは、古色蒼然、昭和三十四年創業時とまったく変わっていない。階段下つきあたりのトイレは、向かいの居酒屋との共同便所だ。
知る人ぞ知る。開店当時は、それはたいしたもんだった。
大阪じゅう、屋上地下、いたるところビアホールが乱立し、安いうまいトリスバー全盛時代で、「ホワイトラベル」のような舶来スカッチは、薄給のぼくら平社員には、神々しく近づきがたい存在だった。
おそるおそる緊張して、上司に連れてきてもらった晩を昨日のことのように覚えている。(すごいことに、半世紀も前、その日撮られた写真が、きちんと整理されて、店のアルバムに貼りつけられているのだ)

「はーい、動かないで」と、先代のバーテン矢持さんが、要望があれば、超スローシャッターで客の写真を名機ニコンSPで撮ってくれたものだ。白黒だがかたっぱしからアルバムに張って、それを誰にもオープンに見せるサービス?が自慢のアイデアだった。
連れてきた女性と並んで撮ってもらうのだが、プライバシーなんか平気だ。個人情報が今ほどうるさくない時代の顧客管理のはしりだった。
バインダーがはずれてぼろぼろになった百六十冊?のアルバムが、昭和の高度成長時代からの越しかたをクールに記録している。
昭和三十年代のぼくの若き日のやせてとんがった顔も、かけだし当時の名刺といっしょに残されている。青春の過去帳のようなものだ。
往時茫茫、堂島通りをへだてて毎日放送のスタジオが対面にあったころは、スターたちも時間つぶしに訪れた。ビデオ以前のキネコ撮りの時代だった。
別に上得意ということでもなかったが、古顔として、忘れた頃に友人たちとぶらり訪れた半世紀。お世話になりました。時代を超越して、このバーは、表情を変えず客にこびず飄然としたところが好ましかった。(近年は、タウン誌などで男の隠れ家風に見直されてきたようだが。)

スカッチしか出さない。しかし、スノッブめいたところがみじんもなく、いわしなどの缶詰が積み上げられた棚から勝手につまみを選ぶ。水割りの水はミネラルではなく水道水をボトルに入れ冷蔵庫で冷やした。
「ここの水割りは薄いから、何十年も飲んでも悪酔いせず胃を壊さないのだよな」と、ぼくらはよく悪態をついた。
さして飲めもしないくせに談論風発して深夜まで粘るぼくらの頭上に先代バーテンダーの矢持さんが、ロープを張ってまだぬれた布巾をつるす。ぽたぽたしずくが落ちてきそうだ。
頼むから帰ってくれえ、の信号旗だったのもなつかしい。
ありがとう。さようなら。お世話になりました。
大阪がまだ元気だったころの話だ。
デワーハウスが生まれて二年目、昭和36年秋の第二室戸台風で、高潮の泥水が堤防を乗り越え、中之島一帯水浸しになった。
あのころから大阪が変貌し、背の高くなった防潮堤で大川の水面が見えなくなり、川の中にくいをぶち込んで高速道路の橋脚とした。パリのセーヌに似た水の都の風景も消え、東京一極集中に一直線へ。トリスもスカッチも、いまは焼酎に好みが変わった。

閉店の晩、ぼくなりのレトロな、こころの「玉手箱」を小脇にかかえ、ころげおちないよう用心しながら急階段を降りて、なかをのぞいてみた。
当然、ぼくは浦島太郎である。
あ、お呼びでない?振り向いてくれる旧知の客は、いようはずもない。
子か孫のような見知らぬ若い世代のひとたちで狭い店内は込み合っていた。
「こころぼそさに ふたとれば、
あけてくやしき たまてばこ」
投稿者 nansai : 16:24
2007年09月28日
九月二十八日(金)
トラがネコに化けた夜
十一勝十一敗一分で迎えた昨夜の阪神中日戦。
久しぶりで三塁を守る今岡に、中日中村の三遊間のゴロが襲った。
待ってとった体勢がまずかったか、右足に体重がかかり、よろけるような妙な倒れ方をした。一塁へはかろうじてツーバウンドで刺したが、ひざか足をひねったらしい。いたい。

でも、痛みはあるだろうに、今岡はそのまま引っ込まず、次の打席で、走者一塁において、みごと三塁左を抜く二塁打だ。
もともと鈍足の彼が痛む足をひきずって、けんめいに二塁へ駆け込んだ。
塁上で、めったにしない小さなガッツポーズ。
三ヶ月のブランクからはいあがった彼のくそ意地がつたわってきた。ぼくは、安っぽく感動はしない。プロなら当たり前のプレーだからだ。
打線不振の不甲斐ない阪神は、せっかくランナーをためても、次の一本がでないまま、八連敗だ。でも、ひさしぶりで今岡のガッツなプレーをみせてもらった。
はいあがって再起なるか?ホームページに、一時は進退も考えたと書いた今岡。外野席のファンは、「お帰りなさい。今岡」と書いたプラカードを振っていた。
けさのスポーツ新聞の見出しは、きびしい。ニッカンは、
「300万人突破の日に8連敗」
「『猫ナイン』」叱る宮崎オーナー」「甘えるな」
デイリーは、語呂合わせできた。
「泣きっ面に8連敗」
「トラがネコに::」
「復帰今岡右ひざ負傷」
うーん、我輩は猫だった、か。南無阿弥陀仏。
でも、生まれ変わって七回化けて出て来い。

投稿者 nansai : 12:02
2007年09月27日
九月二十七日(木)
戦争の太鼓の音が聞こえるって?
「これは日本のメディアがあまり報道しないことなんですが…」
こんな前置きで、テレビのワイドショーのコメンテーターが披露する海外情報が、平和ぼけのぼくには興味深い。
急きょパソコンの前に座り、へえ、ほんまかいな、と情報源のサーチにかかる。これは老いた脳のストレッチみたいなものだ。

イラン情勢が切迫しているらしい。
「たいへんなことになっているのをしらないのか」と、ワイドショーをぽかんと眺めていたら、挑発された。
タイガースの連敗なんか悲しんでいる場合ではない?
アメリカがイランを爆撃しようとしているというのだ。
「中東大戦の足音が聞こえる」(ニューズウイーク)とは聞き捨てならぬ。
ネットをのぞいてみると、うわさは、一年前から取り上げられ、記事や論文がネット内にわんさと山積みされている。
本気なのか、様子見のリークか。イスラエルにイランの核サイトを空爆させるプランもあるとか。イスラエルに先に手を出させて、イランが報復に出れば、アメリカの出番というシナリオもあるとか。背景は、イスラエルが絡んでくるので複雑だ。
外交はもう手詰まりで、イランの経済制裁に賛成している国連の国々も怖気づいて足並みが乱れているらしい。
いま、強硬派のチェーニー副大統領が、ブッシュとライス国務省長官をゆさぶっているとか。イラン討つべしと後押ししているネオコン理論派は、政権の内外でまだ活発に動いているらしい。
一方、アメリカ軍高官は、イラン戦争のうわさを打ち消そうとけんめいのようだ。
大統領選挙をひかえたアメリカで、イラクの増派か撤退であれほど、もめているのだから、ブッシュは、もう懲りて、いまイランと戦端を開くとは考えられないのだが。まさかと思うぼくのシロウト判断は、あてにならないのか。
アメリカが眼のかたきにしているのは、イランの「イスラム革命防衛隊」だといわれる。この強大な組織(らしい)が、武器供与や訓練で、イラクの武装勢力、シーア派民兵を支援しているとにらんでいる。イラク問題がかたづかないのは、イランの後押しだとみているのだ。

アメリカ上院は、政府がこの12万人の革命防衛隊を、テロリスト集団と指定し経済制裁を加えるよう決議した。法的にそうなれば、この組織の対外的ビジネスが封じこめられ、イランと付き合いの国にも大きな影響がでてくるらしい。
もひとつ驚いたのは、シリアと北朝鮮のむすびつきだ。
いつの間にか、核とミサイルの技術をめぐって両国が密接な関係にあるのだそうだ。北朝鮮によるシリアへの核協力が、欧米のメディアで報じられている。

先月、シリアの核関連施設をイスラエルが「謎の空爆」をした。イスラエル奇襲部隊が、シリアで北朝鮮供与の核物質入手という英夕刊紙の報道も。まるでハリウッド映画だ。
平壌放送が躍起になって、デマだと打ち消していた。六カ国協議が延期されたのはそのためだというニュースもある。
6者協議とはべつに、北朝鮮は、核拡散を狙っているのか。商売になるなら、核やミサイルを、どこの国にも売るというのか。
平和ボケの日本では、内閣が倒れ、一日何回もくりかえし、なたで父親が殺されるテレビニュースが流れている。
ぼくらは、核拡散は国連まかせで知ったことではないとして、拉致問題でアタマがいっぱいだが、北朝鮮が、その裏で、はるか中近東で核やミサイルを売ろうとしているとは知らなかった。いま、アメリカやイスラエルは、そっちに神経をとがらせているのだ。
日本の外交は、ずれているのだろうか。
投稿者 nansai : 14:43
2007年09月21日
九月十六日(日)
お大事に。安倍さん
総裁のウツワというよりは、参議院選挙用のポスターとして起用された安倍さんだが、あまりにまじめできちょうめんで、

そんな人がウツになりやすいから、はたせるかな、いじめられて、もともとない答えをさがしているうちに、ココロがこわれて、痛ましい退場振りだ。
後のことはよく考えずに目前の選挙に勝ちたい一心で、党から抜擢された。毛並みは血統書つきだったが、経済にも改革にも、あまり詳しくはなかったのではないか?
世論調査で「つぎの首相にふさわしい人」を尋ねたら一番多かったという。有権者は(とくにおばさん)見た目重視、ときめこんだのは、自民党の長老たちか、国民をちょっとなめすぎたかなあ。世論調査の人気も民意も、あてにならないのに。
そこそこにハンサムで背も高いし、外国の元首と並んでも、見た目にひけをとらない。選挙民の皆さんに、好感度バツグン。とくに、女性向けに、ルックスでは非の打ち所のないスターだったのだが。
「統治能力のない人」が首相にいたことの怖さをわれわれは見てしまった、と飯尾淳教授はいう。党は安倍政権をもっと早くおわらせるべきだった。自民党には連帯責任がある、とも。
首相候補には、宇宙飛行士よりもややこしい条件下に耐えられる精神力テストが必要なのだろう。
問題の根は、もっと深い。
今の日本、何がもっとも深刻かといえば、国家指導者の「人材飢饉」(田勢康弘)といわれる。いつから、そうなったのか。

首相というリーダーの「器」を育て上げ選別する能力を、いつの間にか、政党が失ってしまった。これはゆゆしいことだ。
日本の首相は、世界の列強に伍し、一億三千万人の乗員乗客を乗せて航行する超巨大宇宙船の機長なのだ。巡航時の操縦能力はもちろん、いざという場合の統治能力、危機管理能力は、必須である。安倍さんには荷が重すぎたか。
航空機の機長にはマニュアルにもとづいて、図上、実地と、徹底的研修がおこなわれると聞く。宇宙船の機長はさらに長期の訓練が必要なのだろう。運転がはるかに容易なはずのJR宝塚線の惨事は、どのような環境で、だれがひきおこしたか。
将のウツワといわれるが、名将のもとには、孔明や秋山真之のような名参謀がいてチームを形成していた。太平洋戦争はエリート参謀たちの責任のなさが追及されている。
グローバルに同時多面展開する政治の時代、将も参謀も、
人材がたりなければ、システムで解決せねばならぬ。
国会でまどろっこしく上げ足を取り合っている時代ではない。「ご議論」という決定方法は、はたして有効なのか。
もたもた空転は、国家の取り返しのつかない機会損失だ。
スーパーコンピューターを導入して、海外の過去の事例より推定される対策群のオプションを検索できるようにはできないものか。あかんやろか。
エリート官僚は頼りにしたいが、縦割りの省益に左右され、視野せまく世界の事情に暗い。かつての不良債権のしまつの危機的もたもたぶりを見ると、まことに不安だ。
太平洋戦争も、陸大、海大卒の当時の超エリート参謀たちの独断による作戦で、あの悲惨な結果をまねいた。
秀才でも経験豊富でも大人物でもない安倍さんを責めても仕方がない。有権者をなめてかかり、目先の選挙に勝つ、それだけのために、かれを総裁首相に選ばざるを得なかった仕組みの危うさが問題だ。こまったことだ。
投稿者 nansai : 20:00
九月十三日(木)
安倍さんもぼくもこけた日。
清水の舞台で崩れ落ちた安倍首相も苦渋に満ちたさんざんな一日だったろう。ぼくはぼくで、ああ、今朝は不覚をとった。

朝、地下鉄の始発駅で、階段でつまずいて足をふみはずしたのだ。よせばよいのに、まさに出ようとする電車に間に合うと見て、目が泳いで、あわててふみだした足がもつれてこけた。
自業自得である。スローモーションだが、ご禁制の「駆け込み乗車」だった。
両手に荷物を持っていたので、転んだ際に右の足首にしたたかに全体重がかかり、ぐしゃという感じ。とりあえず次の電車に転がり込んだが、立てなくなりどうにもならず、淀屋橋駅のホームから、親切な駅員さんに、車椅子で地上にあげてもらった。
近くの整形外科のレントゲンでみたら、捻挫。老骨はどうやら大丈夫らしいが、ちょっと始末に困る部位のようだ。ギブスはさけてテーピングで様子をみることになった。不安だが、医者はクスリもシップもくれない。体で治すのだそうだ。

体重を支える片足が不自由だと、車椅子がこんなにらくなものかとはじめて知った。松葉杖の保証金は、一対二本?で四千円。
一歩も歩けないのは、右足のかかとを床に着地させるとき激痛が走るからだ。家ではソファにごろんとイモムシ状態で、室内数十センチでも移動に困難をきたしている。なりふりかまわず、移動は、四つんばいか匍匐前進が、しんどいが効率がいい。

チベットの修行僧のように体を持ち上げて動かすのに、自分の体重がこんなに重いとは知らなかった。イモムシの短い足がたくさんあるのは、そのためなのだ。
痛い右足のかかとを浮かせて、どっこいしょと、借りた松葉杖に体重をかかけて「歩く」のには、コツが必要だ。なれるのに時間がかかりそうだが、だいぶ上達した。
初めて気づいたが、わが家は家じゅう段差でバリアだらけだ。障害があれば、とても暮らせないとわかった。階段があがれないから、2階の寝室で寝るのはあきらめて、居間のソファで寝ることに。
回りの評判は、にわか身障者に、いたってひややかである。
それみたことか。年齢を考えろ。ふだんから重い荷物を持ちすぎだ、というのだ。読めもしない資料や本をかかえてはこぶのは、愚の骨頂だとも。
ここぞとばかり、有益なアドバイスを雨あられのごとく頂戴するはめに。いちいち、ごもっともである。
教訓。転ばぬ先のチエ。
「転ばない体を作る」。偶然か、けさの毎日新聞のヘルス欄の特集だ。ストレッチなどで、バランスや転倒回避力をやしなう転倒予防7か条を紹介していた。
高齢者が転ぶと、骨折などで、そのまま寝たきりになりやすい。65歳以上では、「寝たきり」など要介護の原因の一割以上が転倒だそうだ。さらに、一度転んだ経験のある人は、再び転びやすいとか。

結論。段差につまずいても、踏みとどまる力があれば転倒しないらしい。全身を鍛えることだそうな。そうか、踏みとどまる力か。ぜんぜんこりないのが、ナンサイなのである。
投稿者 nansai : 19:01
2007年09月12日
九月十二日(水)
朝青竜、どうすればいい?

朝青龍が非難ごうごうだ。
異文化にはぐくまれて育った外国籍のかれを横綱に推挙したのは、横綱審議会の面々である。むにゃむにゃと本人にも意図不明な四字熟語を唱えさせて、晴れて日の下開山と認定した。格好をつけただけの、その時点で予想されたことだ。
かれがふさわしくないというなら、平成の横綱になにを期待するか、はっきりした基準はあるのか。なければ、いじめである。
まず、相撲というビジネスモデルが、国技のわくをはみでてしまったことだ。国技ではなく、国際技になった。
日本人は、力士という職業に魅力を感じなくなった。新弟子になりてがない。子供たちも裸になるのがはずかしいそうだ。これからは、番付の中心となる日本人選手がたりなくなるだろう。こんご体力気力充実した強い力士は、みな海外勢になるだろう。
力士は、髷を結えなければならないという条件も、そのうち無視されるだろう。金髪のままでも縮れ毛でも、相撲とってカネ儲けしたければOK、人種を超えた開かれたスポーツにならないともかぎらない。こんな単純で興奮する格闘技はほかにはない。日本固有の礼儀とか、言い出さなければ。
大リーグも、戦後しばらくは黒人を排除していた。いまはどうだ。日本のプロ野球も主力打者は外人だ。助っ人と呼んでいるが。
ボクシングは体重別でなければ、危険で、争えない。サッカーも、ソフトボールも、国籍にこだわれば、帰化させなければならない。
体型や筋肉の組成で人種間の差は意外に大きいのではないだろうか。
相撲は、伝承スポーツという人がいる。日本人だけの日本文化を伝承するというのだ。それは、蹴鞠や流鏑馬、歌舞伎や文楽のようにだろうか。保存の対象だが、当然、古典芸能とスポーツでは、条件が違う。競うプロスポーツにはなりえない。

強いもの、技量の差で、定められたルールのもとで、成果をおさめたものが、プロスポーツの勝者だし、チャンピオンだ。常識だ。それがグローバルスタンダードである。
相撲の横綱は違う、というのか。
横綱にふさわしいかどうか、勝負の成績とは、べつに人間としての品格を問われる。それも、スポーツには、シロウトの横綱審議会が判定する。この決め方は、もう無理ではないのか。
ほかのどのスポーツも、強くて勝ち抜いた選手が、チャンピオンである。かれの性格が、人の上に立てる人格者かどうかの判断は、べつの基準だろう。あえて言えば関係ないことだ。
アメリカの大リーグでは、中南米の選手が増えた。英語もままならぬ選手は多い。国技としての野球の約束ごとは、試合の前の国歌斉唱に敬意を払うことだけだ。イチローも松井も胸に手を当てて星条旗を見上げている。
巡業に出る義務があるというなら、それは、横綱の矜持とは関係ない。契約上の問題だ。相撲興行の運営上不可欠ならば、朝青龍に巡業の参加についての違約のペナルティーをあらかじめ契約書に記載しておかなければならなかった。国際技のビジネス慣行に、以心伝心はむりである。
投稿者 nansai : 17:46
九月十日(月)
タイガース首位へ。でも暫定だ。
(あとどうなるかは、わからん)

週末の三日間は、テレビの前にくぎづけになって、ひさしぶりに阪神巨人戦を堪能した。それも、三連勝とも一点差、ついに、ついに、五月に12もあった差をひっくりかえしたのだ。ようやった!
今朝の新聞では、タイガースは、もう優勝したように賞賛のあらしだ。ダッグアウトの奥で、いつもニガ虫を噛み潰して、薄くなった髪を手でなで上げていたオカダ監督も、白い歯を出して笑うようになった。
でも、プレーオフがあるから、日本シリーズに出場できるかどうかはわからない。しかし、値打ちからすると、この3連戦は、日本プロ野球の歴史に残るだろう。

「首位や 虎ファン涙目」「12差 ひっくり返す」
「奇跡生む 日替わりヒーロー」(毎日)
「21選手出場 トラ10連勝」(毎日)
21選手総動員は、タイガースカラーだ。
押さえの三枚投手は、もちろん、すばらしい。目先の一勝という、気合だけでは、連投酷使のつけがまわってくる。かならず。
下柳などベテラン選手は、39歳、心底、今年の異常猛暑がこたえたはずだ。
新世代の林 桜井、下園が飛び出してきたのは、もちろんだが、他球団で、戦力外通告を受けたり、引退寸前と思われた脇役の活躍がうれしい。高橋、葛城、野口、檜山の面々。間に合うかと思われた安藤の復活もありがたい。ファームに落ちている今岡はどうなのか。
「優勝マジック13点灯」(スポニチ)は、はしゃぎすぎだろう。

ぼく自身は、「日刊ゲンダイ」のやたら長い、さめた見出しをたかく評価している。
「巨人3タテ25年ぶりの10連勝はメデタイし、いいことずくめの勝利だが…」
「何度もいうようだが、阪神首位に立つのはまだ早い」
「いつおちるんやろうと、そればっかり考えて体に悪いわ」もファンの偽らざる心理
「敵は、巨人だけでなく過密日程と連戦疲れと落合中日」などなど。
ご指摘のとおりだ。
ぼくは、ファンではあるが、テレビやラジオで応援する。
騒がしすぎる甲子園球場の熱狂的応援儀式になじめないのだ。本場アメリカでも、テレビで見る限り、ああいった光景は繰り広げられていない。クールジャパンの応援風景かなあ。
幼いこどもをつれて甲子園に出かけて、ユニホームを身にまとい、応援棒をふるまわし、雨中にも、六甲颪を絶叫する、ぼくにはあれほどの元気はない。

いいことが、そんなに続くはずがない。
と、トラファンは、もともと、くらい性格だ。辛酸をいやというほどなめてきたから、はしゃぎすぎにブレーキをかけるのが、真性トラファンだ。
また、悪い予想ほどよく当たるのが、悲しい。今期も、広島に不覚をとる。ナックルにきりきりまい。日本シリーズではロッテに3タテ食うとか。
しろうとの予想通り、とは、どういうこっちゃ。なにしとんねん。

そうではあるが、タイガースが勝つと、愉快だ。なんとなく気分がいいんだな。勝った夜は、うきうきして寝床に入り試合の経過を反すうしつつ眠りにつくこと、しばしばである。面白きこともなき世を面白く。ありがたいことだ。
入場料も払わないタダ見のファンのくせに、タイガースの試合、それも勝ちゲームだけを見るのがすきだ、とは勝手なものだ。
がんばりすぎずに、優勝しようや。
藤川投手は、ぼくにはエキスポランドのジェットコースターのように見える。目先の一勝にフル回転させて、球児をつぶしては、なんにもならん。捨てゲームも計算のうちや。
投稿者 nansai : 15:23
2007年09月07日
九月七日(金)
ブッシュは歴史の勉強が足りないのか

追い詰められたブッシュ大統領が、歴史家から非難を浴びている。
イラクからの早期撤退をせまる野党主導の議会に、62年前の日本占領の成功を引き合いに出して、苦しい反駁をこころみた。
早期撤退に抵抗するブッシュ大統領は、歴史の常識をくつがえし、ベトナムの撤退は失敗だったとした。
第二次世界大戦では、日本帝国とナチドイツを破ったあとの占領政策よろしきを得たからこそ、両国とも、首尾よく民主主義国家にヘンシンさせたではないか。日本を占領の成功例として引き合いに出した。
これに対しては、それはないよ。野党からもいっせいにブーイングだ。いまのイラク情勢と、かつてのドイツ、日本をくらべることじたい、むちゃくちゃだと、反論が集中しているらしい。
それよりも、ぼくが驚いたのは、アメリカでは、議会が、堂々と、大統領に向かって、早期に撤退すべし、と迫れるところだ。拘束力はないらしいが、選挙で勝ちとった民意が背景にある。9・11以降、愛国一色だったアメリカで、このように、まだシビリアンコントロールが機能している。
選挙で勝った野党が議会で多数を取れば、撤兵議題が上程できるとは、さすが民主主義の本家だと感心した。
占領地からの撤兵論議など、かつての軍部独裁の日本帝国では、とうてい考えられないことだった。
昭和16年、華北からの撤退を要求されて、血を流した英霊になんと申し開きするのだと、軍部は怒り狂い(おそらく当時の国民も)一切の妥協交渉を拒否して、あの300万人を失う破滅の大戦争に突入した。

さて、62年前の占領下の日本は、ブッシュから引き合いに出されるほど、優等生だったのか。連合国に無条件降伏した年、ぼくは、地方の一中学生だったが、今思えば、あの時期のアメリカの占領政策は、成功したと思う。
往生際の悪い新聞は、降伏を「終戦」といいかえ、占領軍を「進駐軍」と呼ぼうとした。あの頃の記憶がよみがえってきた。
一面の焼け野が原、なにもかも破壊されつくして、もういい。参った、という感じだった。
精神論の大和魂は通用せず、日本は、物量戦に完敗した。
本土決戦を叫んだ一部の軍人も、すぐおとなしくなった。
二重橋の玉砂利にひれ伏してみずからの至らなさを悔い泣きながら天皇にわびる人たち。ニュースの映像がくりかえし、いまも登場するが、ぼくらは、そんな気持ちは毛頭なかった。
もう空襲がない。家に帰れる。灯火管制がおわり、電灯がつけられる。ほっとした。それだけでうれしかった。

敵国降伏の神風も吹かなかったし、「一億玉砕」もせずにすんだ。
この期に及んで、なお「一億総懺悔」と煽る大新聞もあった。戦争に負けたのは、国民の責任だ、と。そこまで頭はまわらなかった。負けて悔しいというより、心底、終わってよかった、と思う日本人が、ぼくだけでなく、ほとんどだったのではないか。
それよりも、現実だ。
空腹な日本人は、現実主義者だった。原理主義ではなく。
焼け野が原の国土に、海外からの復員兵、外地からの引き上げ者がひしめく。
「鬼畜米英」のはずの進駐軍が、意外にも秩序正しく行動した。米軍は、上陸すれば、婦女子に暴行の限りを尽くすと宣伝されていたのに。
米軍のものの豊かさに、何もかも失ったぼくらは、圧倒された。これでは負けるはずだ、とだれもが納得した。

学徒動員で本土決戦の穴掘りから解放されたぼくら中学生は、ある日、また駆り出された。
歩兵42連隊のいなくなった空き家の兵舎を、進駐軍のために掃除するためだ。のみやしらみをいやがったのか、米軍はすぐに兵舎に入らず野営していた。
ぼくは、その日、インスタントコーヒーの小袋を拾って帰ったのを覚えている。米軍の携帯口糧で、アルミのホイルにはいっていた。
熱いお湯に溶かして飲んだあの晩、ぼくは生まれて始めて、アメリカ文化を味わった。

ジープ。この軍用車こそ、少年のぼくらの眼に映ったアメリカの豊かさの象徴だった。米兵の乗り回すジープの機動力とかっこよさに、しびれた。神社の階段も、らくらく上がれるすごいパワーらしい、とうわさしあった。終戦後の日本には、大八車か、荷馬車しかなかった。木炭バスもほとんど見かけなかった。
ジープから、チョコレートやチューインガムをこどもたちにばらまいたから、甘いものに飢えていたこどもたちには、いいPRになった。米兵がラッパ飲みしていたコカコーラは、なぜか、ぼくらの口にはいることはなかった。

一枚の写真が、ぼくらにショックを与えたのをいまも鮮明に覚えている。
昭和二十年九月二十七日、天皇のほうから、米国大使館に連合軍最高司令官マッカーサー元帥を訪問した。
会見室で二人で並んで撮った写真が世界に配信された。肩が並べられないほどの一目瞭然の身長の格差。片や、モーニング。片や、ふだんの軍服。それもシャツ姿だ。
ひとことも付け加えることのないシーンが、ぼくらの眼に焼き付けられた。
軍服に身を固め白馬にうちまたがった大元帥の「ご真影」。かつての宮内省貸下げのイメージとのあまりの落差に、中学生のぼくもがく然とした。
東久邇内閣の内務省は、不敬にあたるとして、すぐ発売禁止令をだしたが、GHQにより、はばまれたそうだ。
その後アメリカ大使館での二人の会見は、十一回を数え、相互の信頼感は高まっていったとつたえられている。

マッカーサーは、賢明だった。連合国間の天皇を裁判にかけよという意見を無視し、あえて戦争責任を問わずに、占領軍の日本統治にたくみに利用した。
当時、元駐日大使など日本通が進言していたのは、天皇は、女王蜂のような存在で、いなくなると、日本の民衆は、ハチの巣をつついたようになり収拾がつかなくなる。日本の統治占領に、百万の軍隊が必要になると。
ぼくは中学生だったが、小学生4年からあれほどたたきこまれた国家神道の教えは、脳裏から、あっという間に、揮発した。戦争に負ければ、歴史の教科書には墨を塗り、神話も国体もへちまもない。教師も軍事教官もヘンシンだ。詔勅も戦陣訓も軍人勅語も、紙切れと化し、コーランのような強制力は、もとよりない。一神教でない神道は、たんに神話に根ざしただけで教義を持たないから、真の意味の宗教でないといわれるゆえんか。
毎朝、朝礼で宮城へむかって東方遥拝しなくなっても、校庭から、天皇皇后の御真影を保管する奉安殿がなくなっても、神社の前で頭を下げなくても、こだわる理由のないぼくらは、べつになんとも感じなかった。教育によって強制されていた崇めるべき対象が消滅したのだから。
ここらが、一日五回もメッカの方角に向かい礼拝する戒律の厳しいイスラムと、ちがうところだ。
日本占領が無難に推移し、くすぶる焼け跡から日本の国力が徐々に立ち上がれたのは、国内に、イラクのスンニ派とシーア派のような宗派間の根深い争いがなかったからだ。
長いものにはすぐ巻かれ、変わり身が早く、八百万の神さんのどれも信じていないご都合主義のしたたかさが、ぼくら日本人にはあったのだ。

地方都市に住んでいたぼくにとって、進駐軍キャンプでのアルバイトは楽しみでもあった。たんに掃除などの雑役にこき使われるのだが、らくなものだった。
『アメリカ映画は、文化の泉』」だった。GHQはチャンバラやあだ討ち劇を禁止した。テレビもなく海外渡航も許されない終戦後、映画はアメリカの豊かさと楽しさを垣間見せてくれた。「ユーコンの叫び」「キューリー夫人」「ガス灯」など、周到に日本人再教育のためのハリウッド映画が選定され、たちまちぼくらは洋画ファンになった。
漫画ブロンディで、アメリカならどこの家庭にもある電気冷蔵庫や夜中におなかのすいた亭主のダグウッドが作る巨大なサンドイッチを知った。
ピュリッツアー賞受賞作家のジョン・ダワーは、次のように書いている。
ひどい空腹と物不足の当時に会って、アメリカ人たちの豊かで快適な生活ぶりは、日本人の目にはとにかく信じられないほどだった。アメリカが「偉大」な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのあり、それが豊かになる方法のように見えたからであった。「敗北を抱きしめて」
イラクでは、地下にもぐったフセイン大統領の銅像が群集によって引き倒された光景がニュースとして流された。軍事作戦は成功したが、大統領が逃亡し国内は無秩序に陥った。官僚システムが徹底的に破壊されたからだろう。
アメリカは、イスラムの宗教指導者たちの煽動力を過小評価していたのではないか。ここが、占領政策を覆す巨大な精神的火薬庫だったのに。
ジハード(聖戦)で戦死すれば殉教者、とわりきって、爆弾を積んで突っ込み命を捨てることを恐れない。
そんな教義は、いちおう国体が護持された日本では成り立ち得なかった。まさに手のひらをかえすように、無視され忘れ去られた。
戦時にあっては、神風特攻隊は、信念というか、命令により敵艦船に爆薬を抱いて突入したが、もともと、神道そのものに、そんな民衆を動かす指導力はなかったのだ。終戦までは、国家神道という宗教の指導者は、政府の官僚と軍部と学校の教師だった。
そんなわけで、イラクやアフガニスタンのように、日本では武装勢力が蜂起することはなく、占領軍は一兵も失っていない。もっとも太平洋戦争当時の占領軍は、イラク駐留の軍隊の三倍の規模だった。
こうして、GHQは、表に立たず、行政能力は無傷だった日本政府を、間接的に効率的に、支配することに成功したのだ。これが占領を成功させた一因だろう。
さきのジョン・ダワーは、こう指摘している。
新憲法下の日本人は、市民というより、天皇の臣民から、占領軍当局の臣民になったのだ、と。
ぼくは、同時代に生きてはいたが、証人の資格がない。
当時は、あまりに情報不足、戦後の混乱のなかで、見聞きできず、なにも知らなかった。ぼくらより年上の年配の人たちに共通するのは、あまりにつらいことを思い起こすことをきらい、知ろうとしなかったことだ。62年たって、新しくもろもろの証言資料が発表され研究が進んできている。戦争を知らない年下の若い研究者たちのご教示を受け、謙虚に学びなおしたい。
投稿者 nansai : 12:39
2007年09月03日
九月三日(月)
俳句がうまくなる発想法
各新聞の俳壇を総なめにしていた知人が、このほど、「俳句がうまくなる100の発想法」ひらの こぼ著 草思社)を出した。好著である。
凡百の入門書とは違う。歳時記の季題にはふれず、「発想の型」からはいる逆転の構成がユニークだ。ぼくのような門外漢にも、ひらめいて秀句がすぐつくれそうな気にさせてくれるハウツー書だ。

100の「型」の選びかたも、あまのじゃくというか、「型」破りで、わかりやすい。既成俳壇の諸先生の意表をついているのでは。

たとえば、最初にあげられている「型1」は、
「裏返してみる」「見えない裏を読む」である。
ふうん、裏が句になる、とは、気がつかなかった。視点をかえることだな。例句として、
羽子板や裏絵さびしき夜の梅 永井荷風
餅焼いて新しき年裏返す 原 裕
なるほど、と感心したぼくも、早速、裏返しを試みて、
秋暑し裏返りたるネコの腹
あくびして猫身をよじる残暑かな
うちの駄ネコは、食事のあと、うーんと伸びをしながら、気持ちよさそうに、ごろんとひっくりかえって四つ足をつっぱる。おなかをなでなでしてくれ、とさいそくするのだ。

もっとも、この絵のモデルは、描き映えのする美人ねこで、実在するわが家のねこは、そんじょそこらにいる、ただのキジねこである。
ちなみに、発想法100番目の「型」は、こうだ。
「なにもいわない」
これは、よくはわからんが、奥が深そうだ。
例句として、
日盛りの一つ打ちたる時計かな 久保田万太郎
遅き日のつもりて遠き昔かな 与謝蕪村
うーん、この型は、とうてい歯がたちそうもない。
投稿者 nansai : 11:46
2007年08月28日
八月二十八日(火)
ぼくの絵のこと 自画弁護

さしてパソコンに強くないぼくだが、こうしてデジタルの恩恵をうけて、絵(のようなもの)を描いている。
ぼくの絵は、いわゆるコンピューターアートとはほど遠い。縁もゆかりもない、といってよい。
MSペイントという無料の初心者向きソフトを使って、マウスを机の上を滑らせて、おもいつくまま、描いている。
ぼくにとっては、画筆やエンピツにあたるのが、たまたまマウスなのだ。
机の上でマウスを滑らせるのに必要なスペースは、ハガキサイズ半分ていどである。猫ならぬねずみのヒタイか。だから、省スペース。画用紙も絵の具も使わないから、省資源。体力を消耗せず、くたびれないから、C02も排出しない。

いってみれば、ぼくの絵は、デジタルの「お皿」にのっているが、職人がひとつひとつ手でにぎる「スシ」のようなものだ。アナログそのものなのである。
もちろん、せせこましいスクリーンとマウスの制約があるから、油絵のような大きな構図、こみいった描きこみは、できない。「小さなぬり絵」といったところか。
ケッサクができた!と、喜び勇んで紙にプリントする気になったとたんにコストが発生する。プリンターのインクと紙代だ。ばかにならない。これをどう収めるか。

デジタルであろうがアナログであろうが、要するに、内容、中身だ、アイデアだ、自画自賛でいいじゃないの。と、ぼくも居直ってうそぶくのである。
なまじ画廊で個展など開いて、人さまにめいわくをかけては、いけないと思っている。
親しい人は、災難だがいいとしよう。余技でご愛嬌というところがある。知らせを受け取って、思案した挙句、義理で顔を見せてくれる人には、申し訳ない。
その点で、ウェブはいい。見るのがいやなら、画面をきりかえればすむことだ。

プロを目指す若い人も、こんな風に、画をMSペイントとマウスで描こうとするあほな人はいない。幼児にしても、あたえられた三輪車のようなものだから、すぐにあきて卒業してしまう。
やはり高齢者向きかなあ。
三輪車の最高齢レーサーがぼくだろう。レースといっても参加者がいないのだが。
手軽にふとした思い付きを、ちょっと手をかけて、かたちにして残せるのがいい。すぐ忘れてしまうのだが。

出だしのパソコンとマウスの絵は、描きたてほやほやだが、そのほかは、何年か前に描いてわすれていたのを、ひさしぶりにマイピクチュアから引っ張りあげて並べてみた。個展といえなくもないか。
投稿者 nansai : 15:07
2007年08月24日
八月二十四日(金)
八月のあの日の空の青さかな

62年前、国敗れた日の空の青さを思い出す。
学徒動員されて、日本海海岸の陣地の穴掘りをしていた。下痢してやせこけているのに、空腹だった中学生。あの日の昼のおかずは、たしかかぼちゃだったか。
そして、お盆明け。62年後のきょうの昼飯は、近所のイタめしランチ。白い皿にピザなどこぎれいに盛られた前菜。あつあつの海の幸スパゲッティ。エスプレッソ。これで千円。「ありがとうございます」の声に送られて、店の外の空が、青くまぶしい。
お礼を言うのはこっちなのに。いつも空腹で、食べられることが何よりもありがたかった時代を、忘れている。腹いっぱいたべられる、それがどんなに満足なしあわせだったことだったか。

戦争末期、戦おうにも食べるものがなく死んでいった兵士たち。太平洋戦争に倒れた兵士の七割が、悲惨にも餓死といわれている。精神論だけの補給なき無謀な戦いだった。
昨夜、NHKハイビジョンのシリーズ証言記録「兵士たちの戦争」をみた。NHK全国の放送局で収集し記録したドキュメンタリー番組だ。
証言者は、ビルマ、フィルピン、中支の戦線で戦った元兵士たち。みな八十歳を越えている。重い口を開いて、若いアナウンサーの無神経とも思われる問いかけに、答える。
高齢の証言者たちの、おそらく生涯最初で最後と思われる証言の内容は、重く暗い。とつとつと、語られる。無表情に。あるときは、涙を浮かべ、あるときは、むかしの日本人特有のうすら笑いを浮かべて、さりげなく。
軍首脳のエリート参謀が立案した大作戦が、いかに思いつきで理不尽であったか。でも命令は絶対だった。辛くも生き残った生存者たちの証言は、申し訳なくて、とてもまともには見ていられない。
援軍も補給もない。密林のなか、空爆にさらされながら、武器も食料もない作戦だった。
打通作戦2000キロの長い行軍では、戦う前に、歩き続けるつらさに耐えかねて自殺する兵士が続出した。

はじめから食料は現地調達と決められていたという。つまり住民からの略奪だ。食うものがないから仕方がなかった、と自嘲気味に語る最強軍団の兵士たち。
フィリピンでは、敗走して逃げ込んだ山の中には、食べるものがない。泥水をすすり、草を食った。「電気いも」は食うと内臓が腫れ、死に至る。倒れた兵士の顔の両頬がえぐられてないのを見たという元兵士の証言。きっと空腹に耐えかねて、人肉を煮て食ったのだろうと、ひとごとのようにいう。極限になれば人間はなんでもするとも。
いま、安倍首相をはじめ戦争を知らないひとが大半だ。この悲痛なドキュメンタリー「シリーズ証言記録」を、目をそむけずにみてほしい。冷厳な歴史の事実を見つめるのに、史観の自虐も自愛もないように思われる。
60年以上も、悲惨な歴史の生き証人たちは口を閉ざしてきた。かれらの最後の証言に耳を傾けるのが、ぼくたちのつとめではないか。
今のご時勢とあって、NHKもあえて目立たない時間帯を選んで放映しているように見受けられる。安倍内閣を取り巻く自民党の有志は、教科書を議論するまえに、史実を確かめてほしいと思う。
絶対の命令のもとに、「皇軍」がどう戦ったか。戦線でなにがあったか。なぜ300万人が命を落とさねばならなかったか。そして、それに倍するアジア各国の人たちが巻き込まれて、身の上になにが起きたか。
史実だけが物語るのだ。
あまりにも多い証拠、証言を検証し、事実を認めることから、すべてが始まるのではないか。
今回NHKから放映された次の番組からうかがえる戦没兵士の数は、そして、戦いに巻き込まれ戦没した市民、農民の数は、いったいどのくらいになるのだろうか。
いま、ちまたでは、死者に勇気づけられる「千の風に乗って」の曲が、静かに大流行しているといわれる。百万枚を突破したとか。
私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風になってあの大きな空を吹き渡っています
かれらひとりひとりが「千の風」になる。ならば、集まってとんでもない、怒りのパワーの台風エネルギーになるはずだ。
合掌

証言記録 マニラ市街戦
第一回 西部ニューギニア 死の転進
佐倉歩兵221連隊
第二回 北部ビルマ最強部隊を苦しめた密林戦
久留米第18師団
第四回 退却支援 崩壊したビルマ戦線
敦賀歩兵119連隊
第五回 大陸打通作戦 苦しみの行軍2000キロ静岡歩兵34連隊
第六回 陸の特攻フィリピン最後の攻防
岡山歩兵10連隊
第七回 ソ連国境知られなかった終戦
青森 野砲兵107連隊
投稿者 nansai : 17:56
2007年08月20日
八月二十日(月)
夏休みの宿題。Tシャツ。

40度近くの猛暑なのに、町内の画廊で、若いアーチストたちが手芸品の展示会を開いた。
お題は、動物園。
枯れ木もヤマのにぎわいというわけで、南斎翁にも、声がかかって、マウスで描いた動物の絵をTシャツにして、若いひとの作品のなかに何食わぬ顔でまぎれこませた。



うやむやのうちになんとか展示は終わったが、Tシャツはおもしろいテーマだと再発見。
Tシャツは、てくてく歩くポスターだし、たんすにしまっておいて、コレクトするにもカサばらない。
マウスを動かす即興描きなら、お手の物だ。
この手のひとりよがりアイデアなら、むかし取った杵柄(古いのお。とっくに死んだたとえだ。)で、ひねくりまわせば、なんぼでも浮かんでくる。省エネだから、くたびれることはない。

かばやアリクイなど、ややこしい動物の細部はおぼえていないから、めんどうくさがらず、グーグルのイメージを検索して、適当なポーズとモデルを探す。
描くのがおもしろい。といっても、Tシャツは、じっさいにつくるとなると、意外に高価である。絵をはがきに印刷するようにはいかない。
お絵描きのコストよりもシャツの材料費と印刷費が高くつくのが、難点だ。パソコンのスクリーンで見るほうが安上がりで無難だろう。
風呂場で調子はずれの鼻歌をきげんよくうたっているように。

小学生のころは、夏休みの宿題がだいきらいで、夏が終わるのがゆううつだった記憶がある。優等生のように何の苦もなく夏の終わりに宿題が提出できるクールなアタマの持ち合わせがなかった。
じまんではないがガキの頃から計画性がなく、その日その日をたのしくあそびほうけ、めんどうな宿題を先送りするレージーボーイ。
今は、セミの大合唱にも負けず、朝から、パソコンの前に座り込む毎日だ。自分で題を出して、提出義務もないのに、こうして絵日記みたいなのを描く。興にまかせて、勝手なものだ。
「猛暑日お見舞い」Tシャツは、どんなもんじゃろ。涼しげな絵柄を選んで、ペイントアンドマウスで、こちょこちょと。




投稿者 nansai : 15:45
2007年08月10日
八月九日(木)
60年前、7発の原子爆弾が日本を狙っていた。無差別に何万人殺戮すれば、気が済むのか。

原子爆弾の破壊力は、いまなお、実感されていない。
仕方がない?原子爆弾の投下は、明らかな戦争犯罪である。
指導者たちが、いかなる大義めいた言い訳を用意しても、それは許しがたい詭弁でしかない。
花で整然とかざられた慰霊の祭壇や千羽鶴で、原爆の被害のイメージ化がされすぎている。「核廃絶」も、耳たこの念仏だ。
ひゅるひゅると音をたてながら落下する原子爆弾。
爆発の、まさにその一瞬をドキュメンタリーにドラマ化したBBC番組を、一昨年に日本でもある民放が放映したが、なぜか、まったく話題にのぼらなかった。
タイトルが問題を提起していた。
「ドキュメンタリー USAテロリズム ヒロシマ原子爆弾。」
いま、ユーチューブでみることができる。
62年前、14万人が被爆死した広島のあと、長崎に落とされた原子爆弾の当初の目標は、小倉だった。
B29ボックスカーは、小倉上空の天候が悪く成果が確認しにくいから、目標を長崎に変更した。不運な7万4千人が犠牲となった。60年前の当時の状況は、ネットでウイキペディアをサーチすれば、知らなかった史実(戦勝者側の記録ゆえ、偏ってはいるとしても)が次々に、発見できて、ぞっとさせられる。

おそろしいことに、つぎの原爆は、八月の17か18日の後の適当な天候の日をえらんで投下するときまっていたという。
続いて、立て続けに、九月に三発、さらに、十月に三発。日本の主要都市は、すでに相次ぐ空襲で破壊しつくされていたのに。
長崎に原爆が落とされた日、ぼくは、小倉の対岸の町の海岸にいた。本土決戦に備えて中学二年で陣地構築に動員されていたのだ。知らぬが仏だ。せまい海峡をへだてて、目と鼻の距離に、原爆は落とされたかもしれない。
あの夏は、空襲で焼け残った小学校の宿舎から、やせこけて下痢でふらふらしながら、毎日歩いて現場に通っていた。ラジオもないし、新聞も読めない日々で、戦況は不利としか、わからなかった。「新型爆弾」が投下されたときいたような気もするが、それが原子爆弾と知る由もない。威力などわかるはずもなかった。

今公開されている資料をウイキペディアなどでみてみよう。
米軍の本土上陸のためのダウンフォール(帝国の没落)作戦は、十一月にせまっていた。
十一月一日のXデー上陸日までには、原爆7発が必要と、見込まれていた。
原子爆弾のような大量殺戮兵器は、当然市民を巻き込むのだが、情け容赦はない。当時の米軍の辞書には、「人道」はのっていなかった。まさに、鬼畜米国である。
なぜ市民をも巻き添えにする非道な大量殺戮兵器を用いるのか?戦争の早期終結が、アメリカの大義であるからだ。本土上陸をいそぎ、米軍の損害を最小にとどめたいと、マッカーサー将軍は主張したという。
日本軍の戦い方は、ここにきて、最後の一兵まで持ち場を死守し時間を稼ぐ主義だ。
沖縄、硫黄島などの戦闘からみて、最後まで降伏せず徹底抗戦する日本軍の戦いぶりから、米軍はおびただしい数の損害を覚悟していた。25万人から100万人と予測していたという。
人道への配慮をすてて、無尽蔵の物量をたのみに、時間と効率を重んじる兵力を温存する作戦だった。
もし陸軍が主張したように、国体を守るべく本土決戦にもちこんだら、その損害ははかりしれなかっただろう。

本土上陸が近いとして、政府は昭和二十年六月に「義勇兵役法」が成立させた。
15歳以上60歳以下の男子、17歳以上40歳までの女子を戦闘員として「国民義勇戦闘隊」を結成する法律だ。「一億根こそぎ皆兵化」である。
何のために?国体を護持するためなのだ。醜(しこ)の御盾たらんというわけだ。すでに学徒動員されていたぼくらは、13歳だったが、もちろん知る由もなかった。
この法律が成立したとの情報を得た米軍は、それまで上陸作戦で、非戦闘員の子供、女性を殺傷することに躊躇があったが、「これで日本人はすべて戦闘員だ。徹底した無差別攻撃が可能との判断を下したといわれる。
この間のいきさつが、ウイキペディアのほか、「石油で読み解く、完敗の太平洋戦争」(岩間 敏著)に、詳しく記載されている。慄然とする。
ヒロシマ原爆では、ぼくと同年輩の中学生が犠牲になっている。中学の上級生は、県内の海軍工廠に
動員されていたが、終戦直前に空爆を受け、死傷者をだした。中学二年生だったぼくらは、何も知らされず、知ろうともしていなかった。
暑い八月。原爆慰霊祭が催され、死者が追悼される。

年を追うごとに、記憶は風化する。悲惨な被災の状況を伝える語り部たちも、年老い亡くなってゆく。
追悼を英語で、REMEMBERという。思い起こして忘れないことだ。許すが、決して忘れない。
ぼくたち日本人は、過去を水に流そうとしてしまいがちだ。執念深くない、のが問題だ。
死者を弔い祈ることもたいせつだが、決して忘れない、そのための史実の学習が必要だと思う。いったい、なにがおきたのか。どうして20万もの人が、蒸発、命を瞬時に落としたのか。
ぼくは、インターネットで、ウイキペディア、それもできれば英語版と、向き合うことにしている。ウイキペディアは、いろいろな人がさまざまの角度から書き込まれた集合知の百科事典だ。敵味方彼我の歴史認識の差を知る必要があると思うのだ。
合掌しつつ、学ぼう。覚えておこう。
投稿者 nansai : 17:22
2007年08月08日
八月八日(水)
中之島公園に、軍艦が隠れていた

「大阪中之島公園 無名「戦争遺跡」、保存で論争」
と、こんな見出しが、日経新聞にのった。
日本海軍の軍艦のマストが、戦前から、なんと八十年の風雪に耐え、中之島公園の一隅に、敗戦後も人目を避けるように、ひっそりと建っていたというのだ。それが、ついに、この秋、公園の大改修工事で撤去ということになり、大阪市が市民団体ともめているとのことだ。
天神橋から見下ろすと、橋の下、西側の公衆便所の横に、茂みから顔を突き出すように、船のマストのような高い鉄塔がそびえている。
足元は、廃品回収のブルーのテントに囲まれていて、公園には場違いな風景だ。
国旗掲揚台としてつかわれていたらしい。だれが、いつの頃建てたのか。
中ノ島公園の東の突端を剣先といい、軍艦の舳先に似ている。ここで、大川は堂島川と土佐堀川の二つの流れに切り裂かれて、西へ向かう。
中之島を、大川を下る軍艦にみたてて、マストを建てたのだろうか。
なんぼなんでも、「無名」とは、軍艦が気の毒である。ネットには、なんでも記載してある。調べてみた。
艦名は、すぐ判明した。通報艦、最上(もがみ)だ。
哨戒船信濃丸は有名だ。日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊をいち早く発見、「敵艦みゆ」と打電した。どうもそれとは違うようだ。

「最上」は、なかなかの高性能で、初めは通報艦だったが、日露戦争以後は、無線の普及で通報艦の存在意義が小さくなり、大正になって早々に一等砲艦に編入されたという。
最上は、明治41年に三菱長崎造船所で建造されたタービン艦で、排水量1350トン。乗員134人。当時わが国で最初に蒸気タービンを搭載したという。
日本海方面の警備や、青島攻略、シベリヤ出兵に参加したが、新技術タービンの老朽化が早く昭和3年に廃艦となった。昭和4年6月売却解体とある。

青島攻略ではドイツ水雷艇を撃沈したとか、ほんまかいな。
1929年、廃艦売却後、大阪で解体の際、酸素ガスの火花で火災発生した。
あまり華々しい軍歴ではない。
その年は、大不況の前夜だったが、大阪府と大阪市が、同艦の前檣と後部艦橋を購入し、中ノ島公園に掲揚ポールとして使用したとある。
ひところは、軍艦旗が翩翻(へんぽん)と、川風にひるがえっていたのだろうか。
取り壊して芝生にしてしまうのは、もったいないかなあと思う。市民から寄付をつのり、修復しよう。まわりに、さくらでも植えて、名所にしたらいい。
戦災で焼け野が原になった大阪には、ストーリーのある名所があまりに少ないからだ。かつてはセーヌ川のようだった大川も、道路の橋脚がぶちこまれて、このざまだ。
昭和37年の台風で折損したが、財界が尽力して復元したらしい。
この軍艦は、悲惨な太平洋戦争の記憶とはカンケイがない。さびた艦橋からは、ああ、もう軍艦マーチは聞こえてこない。軍国主義の昔に帰ろうとするうごきの心配はないだろう。
ここらあたり、元禄時代は、中央公会堂南の栴檀木橋から東につきでて「山崎の鼻」と呼ばれたのは、備中山崎家五万石の屋敷がここにあったからだ。
百年後の明和四年、さらに東につきでた中州を築地し、中ノ島上の鼻新築地ができた。山崎の鼻にできた花街を、当時の人は、「風引き新地」と呼んだそうな。
川は、流れるのだ。
投稿者 nansai : 17:06
2007年07月31日
七月二十九日(日)
ぼくも いくさに征くのだけれど

今から65年前、あの太平洋戦争下、一人の大学生が、ごくふつうのことばで、かざらない真情を、詩のかたちで、ノートや手帳に書き残して、応召した。発表するあてもないままに。
映画監督志望だった彼は、昭和二十年、二十三歳の若さでルソン島の戦場に散った。

街はいくさがたりであふれ
どこに行っても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてば ぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている
ぼくがいくさにいったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな
だれも かれも おとこなら みんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど
なんにもできず
蝶をとったり子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら
そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますように
成田山に願かけた
この詩は、かれが愛読していた萩原朔太郎の詩集の余白に、書き残されていたという。
7月22日のNHKハイビジョン特集、「青春が終わった日 日本が見えない 戦争下の詩と夢 竹内浩三」のなかで紹介された。はたして、どれくらいの人がみただろうか。
中公文庫「ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死」(稲泉 連)も、大宅壮一ノンフィクション大賞受賞作の帯をまとって、書店に平積みされている。

詩人として戦後はじめて評価された竹内浩三とは、どんな青年だったのか。
「征く」とは、一体どういうことなのか。だれもかれも おとこなら みな征かねばならぬ。なぜだ。
ぼくの孫のような世代のひとたちが、60年以上も前の戦争や出征という、理解を越えて想像を絶する出来事にとまどいながら、自分と同年輩の戦没詩人をドキュメンタリーに取材している。

この詩を書いた竹内浩三は、昭和二十年フィリピンルソン島で戦死した。二十三歳の若さだった。グライダーで敵の中に降りて戦う空てい部隊に所属していた。
戦時下、映画監督を夢見て日本大学芸術科の学生だったかれが、ノートや手帳に書き残した詩は、戦後遺族により発表され、世に出た。
友人の手で編まれた私家版の作品集は、昭和31年に発表されている。NHKラジオは、昭和57年に「戦死やあわれ 兵士竹内浩三の青春」を放送している。
初めて世に問われて、もう50年もたっているのだ。
発見された戦没詩人に、若い人たちは、「反戦」というより、「青春」に、若者としての共通項を見出しているらしい。
竹内浩三の青春を知る人たちは、90歳に近い。
竹内より10歳年下の少年だったぼくは、陣地構築に学徒動員されたが、かろうじて本土決戦の戦火を免れた。
いくさにいったなら、「なんにもできず」とは、まさにぼくのことかと考えた。軟弱中学生だったぼくは、
軍事教練でどじを繰り返し、授業中も漫画のらくがきでうさばらししていた。応召まぎわの竹内浩三のいいようのない不安と焦燥が、ひとごとでなく、理解できる。
あのようなやさしいことばで、たんたんと、苛烈な時代にさからうでなく、あきらめるでなく、竹内は、詩の形で自らの無念の思いを残した。ただひとりの姉以外の、だれに読まれるというあてもなしに。
今、ぼくのまわりは、総理大臣をはじめ、戦争を知らない人ばかりである。
しかし、少年のころ、いやおうなく戦争にまきこまれながらも歴史に無知な当事者だったぼくは、戦争を知らない若い世代の人たちの研究に教えられている。
竹内浩三もくわしく理解できたのは、今回がはじめてだ。年配者によっては、あまりに苦い経験は語りたくなく、正しい史実に眼をそむける人も多い。
本格的に客観的に、戦争に取り組もうとしている若い人がふえてくるのはいいことだと思う。

無力だったが、昭和一桁生まれのぼくは、時代の目撃証人の一人だと感じている。ぼくの絵は、まぶたに浮かぶ当時の光景にもとづいている。
戦時中、田舎町のぼくら小学生も、幾多の英霊の凱旋を道路わきに整列して迎えた。遺骨をおさめた箱は白い布につつまれ、兵士たちの首から吊り下げられて、無言の行進をした。
昭和二十年敗走し戦死した竹内浩三の骨は、いまも故国に帰ってはいない。ルソン島のどこかで行方不明だ。
かれは、生前、ノートにこんな詩を書き付けていた。
白い箱にて故国をながめる
音もなくなんにもなく
帰ってはきましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
ああ戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

ことしも、また八月十五日がやってくる。戦争を知らない世代が、どのような形で受け止めるだろうか。
投稿者 nansai : 15:25
2007年07月26日
七月二十六日(木)
百万人の天神祭り。これでいいのかなあ。
阪神中日戦は気になっていたが、ふと思い立って、大混雑の天神祭りをのぞいてみた。
むろん、天満橋は、人ごみで近づけない。八軒家から、天神橋へと人の流れに逆らって歩いた。

天神橋のうえは、歩行者天国だが、欄干に人がもたれているだけで、がらがらである。
橋のまんなかで警備員がハンドマイクで呼びかけている。声をはりあげるでもなく、もごもごと。
「ここからは、花火が見えません。」
つまりこの橋にいてもしかたがないから、花火の見える場所に移動しなさいと、ご親切にも、案内しているのだ。天神橋は、天満宮の表参道のようなユニークな存在なのに。
追い立てるなんて、大きなお世話だ、とぼくは思った。
なんだ。
大阪天神祭りは、つまるところ、花火大会なのか。
つい京都の祇園祭の山鉾巡行と比べてしまう。

錦絵でみるように、本来、大阪の橋は祭りの主役のはず。
これでは、主客転倒ではないか。
八時ごろ、天神さんの境内にはいったら、はたせるかな、ここも、がらがら。これでいいのかなあ。周辺のたこ焼きやなど、夜店は、人出でごったがえしている。何しろ百万人がくりだしているのだから。
せっかくのお祭りで、境内に人気が少ないと、お賽銭にもひびくだろうに。天満宮には、博物館級の幾多の拝観するに足る御物がある。もっともっと価値を演出すればいいのにと思う。花火もギャル神輿も、そえものだろう。

けさの新聞をみると、日本の三大祭のひとつ、大阪天神祭は、あまり大きくはとりあげられていない。タイガースの記事がはるかに優遇されている。
水都の夜空に、奉納花火5千発、鉦や太鼓の音をひびかせながらすすむ100隻の飾り船、百二万人の人出でにぎわった、とのっている。

百二万人が押しかける祭りは、めったにあるものでない。甲子園が満員になっても、4万人に満たない。
くわえて、どこの祭りにも負けない1千年以上の伝統がある。
でも、最古の祭りの伝統があり、これだけの大観衆を引き寄せたのに、祭の内容が、これでいいのかという気がしている。ものたりない。
人気を追うあまり、祭りの本義はさておいて、あまりに打ち上げ花火中心にすぎるではないか。舞台も、偏ってしまったように思う。
大阪日日新聞の吉岡社主が、座談会で辛口のコメント。「率直にいって工夫がないように思いますね。船に乗って人がたのしんでいるのを、周囲の観客がボーっと見ている。船渡御そのものに対する工夫がもっと必要です。」
大阪の観光の目玉が、千年の伝統を持つ天神祭りではないのか。はりぼてと吉本でつぎはぎされた御堂筋パレードではないかも。
大阪は、戦火にさらされ、時代がかわった。祭りの背景が激変したのだ。
水の都といっても、大阪の大阪たるゆえんの八百八橋もいまや見る影もない。

網の目のようだった川も掘も 自動車道路に取って代わられた。
変化に応じて、大阪は、次の百年を見越して祭りの再設計が必要なのではないか。
残念だが、水辺の船渡御の舞台は、表情がかわってしまった。
天神祭りは、たんなる大花火大会で終わってはもったいないと思いませんか。
。京都の祭りに負けない「行列」「パレード」の新趣向、アイデアの革新が求められる。思い切った発想の転換は、本来、大阪商人のお家芸だ。
「最もがっかりした観光地ランキング」(週刊ダイヤモンド)で、大阪市は、堂々?の2位である。うーん、このままでは、いけないのでは?

つぎに、よけいな提案を。
祭りの舞台として、大川の南側、土佐堀通り、中ノ島一帯は、舞台としてなんとでも再設計できる。京阪電車の新線と、八軒家遊歩道を、いまから祭りを意識して計画したいものだ。
いま、京橋三丁目のビルは、土佐堀通りから、すぐそこに大川の祭りの様子が望めるのだが、格子のシャッターかガラス戸が下りている。
つぎに、せっかくだから、天神橋からも、淀屋橋からも、花火が見れるように、打ち上げ場所を、ふやしてはどうだろう。
規制がやかましいらしいが、べつに高度はのぞめなくても、松屋町の線香花火のようでもいいではないか。
大川は、東西に長い。祭りのテリトリーをひろげて、天神さんのご利益を惜しみなくいただいて、大阪つぎの百年の発展のためにあやからせてほしいものだ。
投稿者 nansai : 15:33
2007年07月24日
七月二十四日(火)
台風4号。中越沖地震。原発火災。つぎつぎとエラい目にあったが、日本列島、とにかく、からっと梅雨明けだ。

河童が寝転がって、ぽかんと、雲ひとつない空を見上げている。真ん中の白いマルは、河童の皿のつもりである。きょうは、芥川龍之介をしのぶ「河童忌」。
河童忌や河童のかずく秋の草 万太郎
今宵は、大阪天神祭宵宮。
投稿者 nansai : 15:27
2007年07月23日
七月二十三日(月)
アジア杯、4強へ
因縁のオーストラリア戦に、やっと勝った。サッカー国際試合の日は、ぼくも熱い愛国者だ。檻の中のクマのようにテレビの前をうろうろする。オシム語録のにわか信奉者でもあるが、落ち着かない。(この雄牛になぞらえたオシム像は、ぼくにしては、よく描けている。自画自賛。)

いい試合だった。退場で一人少ない相手に、押し気味に進めたが、120分の延長でも一対一のまま決着がつかない。劣勢の相手の目論見どおり、PK戦へもつれこんだ。
いやーな予感をぶっとばしたのは、キーパーの川口の
まさに神がかりとしか思えない、超ファインセーブ。
川口が、身を挺して左右に飛んで、一人目と二人目を、止めた。すごいぞ。天晴れだ。

勝てて、よかった。
それよりもなによりも、思うことがある。
開催国べトナムは、30年前は、戦場だったのだ。
立派に整備されたハノイの大スタジアムで、赤いユニホームの小柄なベトナムイレブンがボールを追っている。これが、平和なのだ。
ならば、500万人とも言われる死者をだした、あの戦争は、なんのためだったのか。
そして、世界各地の紛争は、何を生むのだろう?
高くかざされた大義のむなしさを思う。
スポーツも、競い、争う。だが、だれもが納得する合意のもとにだ。
サッカー試合は、共通のルールで、勝ち負けを判定される。国家も、イデオロギーも、政治体制も、民族も、宗派も、その秩序に従う。人類は、その知恵に学びたい。バグダッドで、アジア杯を!
投稿者 nansai : 11:14
2007年07月19日
七月十九日(木)
普及させたくない?エコバッグ商売
スーパーでくれる無料のポリ袋を、「レジ袋」というらしい。全世界で5000万枚とも一兆枚とも推定されている。
にわかに、これが世界中で、文字通り、袋叩きにあっている。いまや地球温暖化の元凶として、「ポリ袋廃絶」が叫ばれているのだ。

パリでもニューヨークでも世界の各都市で、法案が通り次第、実施に移されるだろう。
アメリカが、手のひらを返して、地球温暖化防止にむかい、急激にハンドルを切ったからだ。そして、政府公認の、ポリ袋に代わる布のバッグが、脚光をあびている。
珍現象として、こんなエコバッグが熱狂的に売れているのをご存知か。世界の街角の信じられない光景を、ぼくはテレビ報道でみた。

「あたしはポリ袋じゃないよーだ」と変な字で描いてある。英国の一流バッグデザイナーが手がけたこんなバッグが、それこそ、すごい人気だ。
みたところおそまつな中国製のズックのバッグ、取っ手は、布の紐製。どこがいいのかねえ。
デザインしたハインドマーチ女史のご尊名を、寡聞にしてぼくは存知あげなかったが、これが隠れもないブランド品で、知っている人には値打ちがあるらしい。
値段が2000円前後なら安いと、ロンドン、シンガポール、香港、台湾、東京、ニューヨークで売り出したら、徹夜も辞さない長い行列ができた。
お一人様三個で売り切れご容赦ということで、即、売り切れ。ネットオークションに出すと、3万円の価格がつくというからびっくり。台湾では、お客が殺到して、警察官が出動、病院行きの怪我人が30人。懲りてアジアでは、インターネットでしか売らないそうだ。
本来は、NPOが、環境破壊の諸悪の根源ポリ袋を廃止すべく、ハインドマーチ女史に、綿布のエコバッグのデザインを依頼したのに端を発する。
そんなわけで環境問題とまったくカンケイないお宝騒動が、世界の各都市の街角でくりひろげられている。してやったり。環境問題もファッショナブルにやらなければと、デザイナーの仕組んだ限定販売作戦がいやらしい。これが、大当たりというから、世の中、どうかしている。特に、ご婦人方の勘定がよくわからない。香港で買いそこなったお客が、わざわざニューヨークまで買いにくるらしいと、ニューヨークタイムズは、
ハインドマーチ女史の話を紹介している。ええかげんにしてほしいものだが。
投稿者 nansai : 16:12
2007年07月18日
七月十八日(水)
桂 雀々十八番より「さくらんぼ」
いま上方落語がブームとかで、たまたまだが、テレビの「雀々十八番」上演にいたる一部始終ドキュメンタリーをみてしまった。ふだんはあまり関心がないのだが、後日深夜に放送された落語二題も録画しておいた。
そのひとつが、「さくらんぼ」。ぼくは、雀々を、はじめてきいた。

雀々は、しつこく、まくらで予防線を張る。
「さくらんぼ」は、人気がなく弱いネタで、前列g席くらいしか、おもしろさがわかってもらえないと。すんまへんなあ。なので、後ろのほうのお客さんは、寝てもろてもよろしいが、途中で抜け出さんようにと、勝手な注文をつけていた。話のすじはこうだ。
間違って、さくらんぼうの実を飲み込んでしまった男。なんだか胃がむずむずしているなと思っているうちに、のどの奥から、さくらの木がむくむくと育ってきた。

春になると、この木が頭のてっぺんで満開だ。うわさを聞きつけて近所の連中が花見に押しかけてくるようになった。人が集まって、あんまりやかましいので、怒って引き抜いたら、雨が降ってあとが池になってしまった。こんどは、昼夜かまわず、釣り人が集まるやら、おおさわぎ。眠ることもできない。あまりのことに、男は、世をはかなんでか、腹たち紛れか、南無阿弥陀仏と、池に身を投げてしまった。
と、雀々は、大熱演だが、なんとも、残酷で気の毒な、笑えない?ハナシだ。
えらいこっちゃなあ、どうしよう。頭のてっぺんで、さくらが満開になったら。ぼくなんかは、このシュールなネタの主人公に、つい同情してしまう。
中には、どうしてあたまのてっぺんの池に身を投げられるのか、としつこく問いただす野暮な客もいるらしい。雀々が予防線を張ったのは、演っていられないからだろう。
シュールで面白い発想だが、たしか前にも出会った記憶がある。
偶然にも、同じようなアイデアを思いついて、ラク描きで、あれこれためしたことがある。
頭の上部をカットして、平たい部分に、脳裏に浮かぶよしなしごとを、いろいろと描きこむのがぼくの手口。子供のころの思い出の砂場とか、さくらの木も。

さくらんぼの由来をネットでサーチしてみた。、えらいもので、ちゃーんと調べた人がいる。
ご教示に預かることにしよう。
これは、安永2年頃の人気のあった笑い話だとか。あらためて、江戸時代の先人のアイデアに脱帽だ。300年前に、最初に発想した人はすごい!
落語では、けちのハナシの枕に用いたそうだ。「あたまやま」として定番だった。落語好きには常識なのだろう。
投稿者 nansai : 16:07
2007年07月12日
七月十二日(木)
岡島投手はえらい。
全米オールスターでMVPに輝いたイチローはもちろんだが、わが岡島投手は、あっぱれである。
最後のネット投票で32番目のオールスターに選ばれた。すごいことだ。たった3ヶ月間の救援実績でファンから認められたのだ。

残念ながら、球宴では登板のチャンスには恵まれなかったが、実績はたいしたものだ。
アメリカ人の野球選手を評価する眼のただしさ、きびしさがよくわかる。現役ならば、過去の名声よりも、いまの実績だ。マツイもマツザカも選ばれなかった。
あっち向いてほい、といわれる岡島の独特のピッチングフォームを描くのは、むつかしい。
ぼくは、テレビの画像を静止して、試みてみた。でも、うまくは描けない。再チャレンジせねば。
投稿者 nansai : 13:36
2007年07月11日
七月七日(土)
70年前、七夕のあの日を境に何が始ったか
70年前の昭和十二年七月七日、北京郊外に起きた「盧溝橋事件(Marco Polo Bridge Incident)を思い起こそうと、社説に掲げたのは、朝日新聞だけだった。テレビは、ほうかむりをきめこんだ。

いま、ほとんどの日本人が知らないのではないか。
昭和十二年七月七日に、なにが起きたか、何が引き起こされたか。
日本では七夕風景がテレビをにぎわせているが、中国では、国辱の日ととらえているという。
70年前この橋の近くで起きた日中間の発砲事件が、日本にとって破滅の大戦争へなだれ込むきっかけとなった。
それより6年前の満州事変に端を発した日中の衝突は、ここにきて、ついに国のブレーキがきかなくなった。この日から、ゆっくりと日本の地すべりがはじまったのだ。軍部の狙い通り、戦火は中国全土にひろがり、八月には第二次上海事件が起きた。

あの昭和十二年七月七日こそ、日本にとって、運命の日だった。もう後に戻れず、4年後には、英米に宣戦布告し、8年後には、日本は焦土と化し無条件降伏した。
懐かしい「三丁目の夕日」は、無一物、焼け野が原から、10年以上たった後の話だ。
日中戦争は不思議な戦争だったと歴史家はいう。日中双方とも宣戦布告をおこなわないまま戦闘が続けられた。いっぽう、裏面では、太平洋戦争末期にいたるまで、種々の和平工作がおこなわれていた。(加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」より)
当時、戦争のニュースは日常茶飯事で、ぼくらは「支那事変」と呼ぶように教わった。ぼくらの読む絵本のなかでは、だいすきな兵隊さんが、戦地でも、中国人の子供をかわいがっていた。(現在「支那」という漢字は、変換を試みてもでてこない。)泥沼などという凡庸な表現では言い表せない「戦争」が続いた。
いまふりかえれば、国民も、世界の現実を知らず、気楽なものだった。
「東洋平和のためならば、何の命が惜しかろう。」と、銃後のぼくらは歌った。死を恐れるなと教えられ、こわいけれど、命の大切さも、よくわからなかった。「平和」とはなにか、戦争がないことのありがたさがわかっていなかった。戦争になれきって、国じたいが狂いかけていたのだ。

拝啓ごぶさたしましたが、
ぼくもますます元気です。
上陸以来きょうまでの、
鉄のかぶとの弾のあと、
じまんじゃないが、みせたいね。
「上海便り。佐藤惣之助」
こんな軍歌が、軽快な節回しで歌われた。
戦争は「人殺し大会」といったひとがいる。この歌では、戦争の厳しさが、気楽なメロディにのせて、甘く口当たりよいカクテルのように、偽装されている。
少年のぼくにも、おぼえやすく、うきうきと、じょうずに歌えた。
この年、第二次上海事件が終わるまでの日本軍の損害は、戦死者9115名、負傷者三万名。
あの南京事件(Nanking Massacre)も、この年に起きた。

いま、昭和を懐かしい時代ととらえるか、敗戦に至る十字架の道だったととらえるか。
あまりに波乱万丈だった同時代に生きたぼくだが、個人として体験したことは、吹き荒れた巨大台風のほんの局地認識でしかない。何も知らされなかったし、歴史認識というには、あまりにも無知であった。
最近、各国の公文書館から当時の極秘資料が公開され始めた。ぼくよりも若く、戦争を経験していない優れた研究者による昭和史の著作が、堰を切ったように、次々と出版されている。一冊をあげておく。
加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ」岩波新書
歴史にまなぶ。無力なぼくらにできることは、それだけだ。
盧溝橋には、抗日戦争記念館が建てられている。真珠湾上には日本軍に撃沈された戦艦アリゾナの記念館がある。
何の知識もなく訪れる日本の観光客には、その意味がわからないらしい。
被害者は、決して忘れないし、忘れまいとする。勝者であればなおのことだ。都合よく水に流しはしない。
南京で30万人が虐殺されたとの中国側の主張は、あんまりだと、朝日もいう。こころみに、ウイキペディアで、世界の虐殺とされている事件の一覧表を見てみよう。当時のおぞましい振る舞いの事例を、東海大「鳥飼研究室」のサイトは克明に収録している。
ベトナム戦争でのソンミ村の米軍による虐殺の犠牲者は、村人504人。加害者の兵士たちは軍法会議にかけられた。
戦争は、そのような残酷な情況を生み出したし、復讐心に燃えて引き金を引いた兵士など加害者は黙して語らないのは、どこの国でも同じだ。
朝日新聞は社説で提案した。もう一歩勇気を持って、踏み出せないか。史実の論争は専門家にまかせて、安倍首相は、南京を慰霊のため訪問すべきだと。
それはいい。だが、首相の歴史認識は浅いように思われ、こころもとない。耳に逆らわない内輪の意見だけ聴くのではだめで、みずから歴史のおさらいをしてほしい。広く世界の日本に注ぐ眼のきびしさを知らねばならぬ。
官邸のネットで、つぎの項目をサーチするのに数分もかからないはずだ。盧溝橋事件。南京事件。日中戦争。同じ項目で、英文のウイキペディアも。
投稿者 nansai : 16:15
2007年07月05日
七月五日(木)
阪急電車の「全席が優先席」は、あまかったのか

満員電車に、ときどき、どこからか、でかい顔のカニがでてきて、座っている。大阪だけだろうか。
オオマタビラキガニのオスだ。大股を開いて、座席を占領する習性がある。
片方のはさみが進化して、ケータイに変化している。いつもケータイに目を走らせるか、目をつむって寝たふりか、妊婦老人に席を譲ることはない。
その大股を、ひざ膝頭ひとつずつすぼめると、もう一人座れるのだが。このカニは、縄張り意識が異常に強く、そこを下手につつくと、逆切れする習性に注意だ。

阪急電鉄には、電車の「優先席」がなかったとは知らなかった。あえて「全席が優先席」という性善説をとって、「どこの席でも譲り合いの心」を乗客に期待したという。
新聞によれば、こんど、その施策を見直すことになったらしい。
思ったとおりの効果があがらなかったとか?それはあたりまえでしょう。なんでも、株主総会で、高齢の株主から要望が出たらしい。
でも、阪急電車の「全車輌優先座席」は、結構ではないか。9条のように、他の善意を期待するユートピアもすてたものではない。
優先座席を設けたからといって、にわかに席をゆずり合う美風がうまれるか。効果がないのは、おなじだろう。
しかし、「美しい日本」はうさんくさいが、「やさしい大阪」なら大賛成だ。沿線の乗客の善意を信頼する阪急の性善説は、それはそれでいいと思う。総会で株主につきあげられたからといって、あたふたするのも、いかがなものかと思ったりする。
そもそも「優先席」とは、何を優先するかが、だれにもはっきりしないのではないか。
ぼくは、混んだ車内で席を譲られたことは一度もない。
我勝ちの先着順が、ここ大阪のしきたりだ。後から乗ってきて、座る権利があると思うほうが、おかしい。席が空いているとしたら、つり革にぶら下がっての友人同士の会話がはずんでいるときだけ。
電車の中では他人とかかわりたくないと思うのか、みなすぐケータイに視線を落とす。
先日も、こんなことがあった。
満員の地下鉄に乗り込もうとしたら、ぼくの横を若い男が、するすると、くぐりぬけ、目の前の空いた席に、すっと座って、ケータイに見入り始めた。そいつはカニではなく、イタチだった。ああ、タッチの差だった。どうせ、しばらくすれば、座れるのだけれど。
投稿者 nansai : 17:25
2007年06月28日
六月二十八日(木)
まぜて、ばれないブレンド食品

高温の油でこんがり揚げられたら、コロッケの中身の肉は、外見では、わからない。あつあつで、おいしそうだったら、食べてみても、ぼくなら味の差はわからないのだろう。

ブタやニワトリを牛と偽っても、ひき肉にすれば、わからないという、苫小牧の食肉加工卸「ミートホープ」社の牛肉偽装事件。はたして前代未聞なのか、この業界ではごくあたりまえのことなのか。
社長は、たたき上げの商売人で、アイデアマン。賞状までもらっている。ひき肉の「匠」的存在だ。

棄てるのは、もったいない。リサイクルだ。と、思ったのかどうか、20年前からいろいろ創意工夫して、コストダウンのために、トリであれカモであれ、ありとあらゆる種類の安い肉を、工夫してまぜたらしい。混ぜると、うまくなるとも。
でも、ラベルを偽造して、騙したらいかんなあ。そして、大もうけして一族で系列レストランを経営するなど企業は栄えた。
この一年だけでも、368トンのひき肉が出荷されたというから、コロッケはいったい何億個?出回ったのだろう。

田中社長のうそぶくとおり、かなしいかな、消費者は、値段にはこだわるが、品質の見分けがつかない。くやしいね。
だから、20年以上も、ばれなかった。ラベルに表記された内容をうのみにするしかなかったのだ。

天網恢恢、疎にして洩らさず。といいたいが、結局、内部告発でしか、味の差(あったとしてだが)や賞味期限切れは見抜かれなかった。
だが、どうせばれないと「牛肉」と、大きくあつかましく表示したのが、うんのつきで、JAS違反どころか、詐欺罪にとわれるだろう。このような角をはやしたブタはいないからなあ。

生協もスーパーもレストランも、専門家がいるだろうに、見抜けない。ほんとだろうか。業界では、当たり前で、農水省などお役所も、消費者よりも業界よりではなかったのだろうか。
ぼくは、食品業界には暗いが、もともと、食品加工とは原料をまぜることだろう。
ブレンド、ミックスされた食品がどんなに多いことか。まぜて、付加価値をつけるか、格安品をつくるかだ。
ウイスキー、ワイン、米、お茶、コーヒー。発泡酒。みなまぜて、等級の差をつけている。

しかつめらしい顔をして、テスターとか ブレンダーが、味の差をチェックする。しろうとでは、とても感知できない感性の世界なのだろう。いうほどの差はあるのだろうか。
発泡酒も、まぜられたら、どんな組成かよくわからん。目下、大宣伝中の「ビール」?と思ったら、「お酒」としっかり記載されていた。ますます、「名が体を表さない」時代である。
この豊かな時代に、日本の食の宝庫である北海道での食品加工会社が、内容を偽って、ラベルに不正に記載した。
北海道ときくだけで、新鮮なイメージだ。くいだおれの大阪のデパートでも、北海道展は押すな押すな。うまくて安いコロッケは、目玉だったのではないだろうか。
このところ、企業は、西部劇でいえば、無法地帯にいる。保安官がいない、いや、法律がない。
法の網をかいくぐるか、法の網が追いついてきていないかである。
経営者の平身低頭のお詫びシーン、新聞の社会面の小さい字で組まれたお詫びとリコール広告は、日常化した。
古めかしいが、社是、社訓、経営理念、商道徳、良心のかけら、必要なのかなあ。
投稿者 nansai : 11:37
2007年06月22日
六月二十二日(金)
さいきん動物園にいきましたか

先日、動物園の飼育係だった若い女性に紹介された。もちろん彼女はウサギではない。おさないころからの動物園好きがこうじて、専門の学校を出て、動物園の飼育係になったそうだ。
いまは、元飼育係の立場から、自分で本を書いたり講演したりして、たくさんのひとに動物園の楽しさを知ってもらおうとPRしている。
時代におくれまいと、動物園も、ずいぶん改革されたらしい。
白熊とかパンダとか花形の動物以外に、つきあうとおもしろい動物がたくさんいて、みていてあきない。めいめいにファンがついているそうだ。
アリクイにアリのかわりに、何を食べさせているか、あとずさりするヤブ犬、(ブッシュドッグといってジョークにもなっている)とか、面白い話をどっさり聞いた。
ぼくは、動物園にはごぶさたしているが、テレビの動物番組はごひいきである。動物ドキュメンタリーは録画している。話をきいて、動物の飼育のご苦労と達成感がよく理解できた。
ただ、ぼくは、さいきん動物園にいったことがないから、絵にしょうがない。資料を頼りに、食欲旺盛なアリクイのお食事風景にでたらめにトライしてみた。

この絵は、オオアリクイが、アリのご馳走を一匹ずつねばねばした、長い長い舌で、すばやく吸い取って食べているところ。(まわりにみせると、力作なのに、なんの絵だかよくわからん、というブーイング)
もちろん、動物園では、アリ塚はないからアリを大量に集めるなど、こんなおもてなしはできない。さて、実際のえさは、どうしているか。
くわしくは、彼女の本にのべてある。
仲尾有加「動物園で楽しいひとときを 元・飼育係が語る、とっておきエピソード」新風舎刊。
本屋に並んでいなければ、アマゾンで買える。
その本は、まず、あなたは、最近、動物園にいきましたかと、きいてくる。そういえば、まったくご無沙汰の大人は多いことだろう。
いろんな人がさまざまな動機で動物園を訪れてたのしんでいるようだ。
お弁当を持って動物たちに会いにゆこう。
隣のイタ飯食堂「マリアン」で、お話とサイン会(コーヒーとクッキーつき)どうかな。
投稿者 nansai : 11:54
2007年06月20日
六月十七日(日)
めったにないことなので
今朝の日曜日は、気分がいい。岡の上のコンビニに、いそいそと坂を上ってスポーツ新聞を買いに行く。
昨日のロッテ戦で、阪神が、実に久しぶりで大見出しになったのだ。

押されっぱなしで敗色濃厚のタイガースが、
土壇場の9回、一挙9点をあげ、苦手ロッテを見事逆転。いまや12球団中で、あの最貧打のタイガースが、9点とって、うっちゃったのだ。奇跡だ。信じられない!
めったにないことなので、サンケイスポーツ、スポニチ、デイリー、ニッカンと、スポーツ報知を除いて、各紙買う。ついでに、お昼の祝杯用に、プレミアムビールを一本。249円。
野球は、筋書きのないドラマだ。プロレスとは違う。
新聞の見出しは、各紙とも、アニキ金本を褒め称えるのが、大半だ。金本の不言実行はたいしたものだが、よいしょは、くだらん。
「若虎、ミラクル呼んだ」
と見出しにかかげたのは、なんとスポニチだけ。
ほんとは、ここがポイントなのに。

エンドランかけて、もっと動け。桜井、狩野、庄田など、もっと辛抱強く、若手を使え。など、これまで鬱積したOBやファンたちのオカダ監督へのブーイングは正しかったのだ。
ようやく、というか、しぶしぶというか、オカダ監督がなりふりかまわず、打線に若手を起用し始めた。
かれは、球界では、誇り高いエリート中のエリートである。かたくなにヒットエンドランを毛嫌いしていたのに、塁上の走者にサインを送り始めた。
結果は二塁で刺され盗塁は失敗したが、解説の梨田が、「これでいい。きょうから、阪神の野球は変わりますよ」と叫んだのには、正直、驚いた。

屈辱の借金10は危うく免れたが、ほっとしてはいけない。なんとか世代交代を急がねばならぬ。
ことし、阪神から広島にトレードされた喜田は、阪神時代は、一軍の打席に起用されても、これで失敗すると、また二軍にもどされると、がちがちの金縛りになっていたという。広島に来て、監督のおおらかなアドバイスもあってのびのび打てる。そして、結果が出せて、うれしいそうだ。阪神を出された喜田は、いまや広島の希望の星になった。
阪神は、監督の方針なのか、林はようやく日の目をみたが、桜井など、若手の出る幕を押さえてきた。上が、怪我をしなければ、打席に立てなかった。
外人監督率いるパの高卒選手は、若くてぴちぴちしている。スコアラーの提供するデータを信じて、思い切ってのびのびバットを振っている。専門家の目からみると、阪神の選手は、振っていないそうだ。そして、結果が出せず、出る幕のないままに、どんどん年を食ってしまう。いまこそ、しゅんなのに。
阪神の元若手が、パの他球団で、活躍しているのをどうみるかだ。
ま、ぼちぼち、いこか。これからや。
年功序列は、なんだかお役所仕事みたいだ。それに、むかしは、負けが込むと、おさだまりの内紛。あれはいただけない。
投稿者 nansai : 15:40
2007年06月13日
六月十三日(水)
フランス外人部隊とコムソンと
衛星放送のニュースでみたのだが、アフリカの部族間の内戦の鎮圧作戦に、フランスの外人部隊が送り込まれていた。無政府状態の現地の軍隊は、無力であてにならないからだ。画面に映っていた外人部隊は、みな屈強な黒人のプロ兵士で、命令は、フランス語だ。

外人部隊の存在を、ゲーリー・クーパー主演の「モロッコ」で知った。ちっとも似ていないが、往年の大スター、ゲーリー・クーパーのつもりだ。戦後の上映だったが、外国人を雇って兵隊にするという発想が、当時ぼくには意外に思えた。
いまは、グローバルな市場原理がまかり通る世紀である。忠君愛国のお題目を掲げ、一銭五厘の葉書で呼び出して、男一人ずつ徴兵できた時代は、先進国では終わりを告げた。
21世紀的「傭兵の時代」がきた。
アメリカもベトナム反戦運動にこりて、徴兵制をやめた。
アメリカが仕切っているイラク戦争でも、現地には、戦争請負会社が二万人のベテラン兵士を雇って駐留させている。正規軍では、間に合うはずがない。莫大な人件費が軍費として支出されている。
従軍も、勲章や名誉よりは、契約、カネ(学資、資格の名目をとるばあいも)しだいになるかも。
採算にあうとみた企業が戦争請負をビジネスモデルに組み入れられるかどうかできまる。コムソンや警備会社とおなじだ。当然のことながら、国是にそう補助金も、目当てだ。
このばあい、愛国心も関係ない。何事も契約なのは、大リーグ選手と同じ。高給を受け取る代償として、戦死しても、国に殉じた英雄として、国立アーリントン墓地に葬られることはない。

これからは、ますます、軍人の調達がままならぬ時代がくる。フランスの外人部隊の募集も各国でおこなわれている。制服も、凛凛しくかっこよくしなければ。
「ぼくは ぐんじん だいすきよ
いまに おおきくなったなら」
幼児のころから、歌って育ったのが、ぼくの時代。
これから教育に力を入れ、愛国心を涵養しても、兵隊さんになってくれる子は、すくなくなるだろう。
国の建前としても、人手不足でない袖は振れないから、ややこしい、むずかしい、しんどい仕事は、グローバルに外注せざるを得ない。いま、過疎の地方からひっぱりだこで、ほめられているのが、民営刑務所だ。
民営化は、すなわち、専門の技術を持つ人材の怒涛のごとき、輸入ということになる。
三十年後はどうなるだろう。
自衛隊は、プロ野球や大相撲のように、体力の優れた、アジア各国からの兵士が参加するようになろう。
大阪夏の陣、冬の陣で、大阪城に入場したのは、浪人の大群だった。山田長政のように、海外で雇われた例もある。当時の東インド会社の傭兵の半数は日本人だったそうだ。鎖国前の日本人は、グローバルだったんだなあ。

高齢化の日本。これから、課題は、介護だ。コムソンをこてんぱんに指弾しても、そのまんま、大きな課題は残る。だれも引き受けたがらないババは、残ったのだ。
誰にもできる仕事ではない。ナイチンゲールの博愛精神だけでは、続かないらしい。かなり強靭な体力と専門技術訓練が必要だ。景気が上向き始めた日本では、介護に振り向けられる人材の求人難は、必至。絶望的といってよい。
介護のための外人部隊をどう編成するか。
イギリスなど先進国へは、フィリピン、シンガポールが、国単位で、訓練された介護要員を「輸出」している。輸出産業なのだ。
だが、この国では、日本語と文化の厚い壁が、グローバルな人材の輸入を阻む。どうしたものか。
投稿者 nansai : 14:49| コメント (0)
2007年06月12日
六月十二日(火)
黒いTシャツ
がらがらの千里中央駅で、黒いTシャツ姿の男を見た。
背中にただ一行、「低所得者」と書いてある。

着ていたのは、どちらかといえば貧相な中年のおっさんだったが、なんとなく凄みがあった。ローマ字でデザインされた意味不明なTシャツより、ぎょっとする。メッセージ性というほどのこともないが、あの黒いTシャツは、刺青の役目をはたしていたな。
投稿者 nansai : 15:14
2007年06月08日
六月八日(金)
知られざる「みどりの大阪新名所」
新緑が眼にまぶしい季節、いま、大阪で一番美しい風景。それは、モノレール彩都線の阪大病院前駅から、万博東公園駅のあいだである。

地上三十メートルの高架線上を、音もなく走るモノレールから見下ろす眺めは、緑の絶景である。
右にみえますのは、万博の森だ。くすのきが欝蒼と茂って延々と続いている。
眼に青葉。さくらも、もみじもいいが、万博の森の絶景は、緑の海だ。
通勤のぼくは、がらがらの4両編成の一番前の運転席の後ろに陣取って、眺めている。これから立ち上がるニュータウン向けのダイアだからか、乗客はまばら。申し訳ないなあ。
遠くに見える(はず)のが、岡本太郎の太陽の塔の後姿。まもなく車窓左側に例のエキスポランドがみえてくる。
ゆくりなくも、ニューヨークのセントラルパークを思い浮かべた。町のど真ん中にあり、だれでもはいれる。
入場料はとらない。公園経営のインサイドストーリーを、NHK衛星が放送していたのを思い出した。
あそこは、経費の大半を民営に委託しているそうだ。ボランティアも参加している。
万博公園は、柵で囲まれている。外部の侵入を許さない。運営もよそよそしく、通りいっぺんのお役所仕事のような気がする。どこかの天下りさきだろうか。
セントラルパークのウエブサイトを開いてみて、仰天した。すばらしい活動振りだ。

市民のための開かれた公園をめざしているのだろう。一時荒廃して犯罪の巣になった時期もあった。いまや、ニューヨークマラソンをはじめ、活気あふれる行事が年中展開されている。
80ドル寄付すると、その人の思いのメッセージを添えたベンチを、公園内に置くことができるらしい。
愉快なのは、ネットのなかに、セントラルパークのイヌ好きの人のためのもろもろ情報を特集したサイトがある。
自慢の愛犬の写真コンクールがある。
もしあなたのイヌが迷子にあっても、仲間のネットワークでさがしてあげますよとのことだ

でも、ここは、日本。大阪だ。
市民の公園?どこの市?という風に、縄張りの問題になるだろう。大阪市は、知らん顔をするだろう。広報が、なにかの表紙に「太陽の塔」をのせることをいやがったときいた。
公園の中の施設は、入場者が集まらず設備が老朽化したということで、美術館もつぎつぎに大阪市内に引越ししている。
規模的には、セントラルパークに匹敵する、この得がたい関西のみどりの宝は、どうなるのだろうか。
投稿者 nansai : 16:38
2007年05月31日
五月三十一日(木)
たいへんだ。
バスが、沈む。沈むよ。
だいじょうぶ。
大川をゆったりと航行中。なのだ。

久しぶりで、いいアイデアをテレビで見た。
水陸両用の観光バスが、大阪に登場だ。定員40人。運転スイッチを水上にきりかえると、最高15キロでるという。こんなバスがあるんだなあ。これを、アメリカから買ってきて、水の町大阪の観光ツアーにと思いついた人がいる。えいっと私財一億円を投じたそうだ。たいしたものだ。このごろ手元不如意の大阪市交通局では、こうはいくまい。快挙だ。水の都ツアーに水陸両用観光バス、とは思いつかなかったなあ。面白い。クリーンヒットするだろう。

さっそく、グーグルでしらべてみたら、北海道や栃木県、東京でも、もうちょっかい出して試験運転している。これから、競走だ。負けていられない。
話題に乏しい大阪にはぴったりのグッドアイデアだ。(同じハコモノでも車輪とスクリューがついている。夕張の二の舞にはならないだろう。)琵琶湖にもいい。不振の関西だが、アジアから観光客が呼べるぞ。
海外旅行にごぶさたのぼくは知らなかったが、水陸両用バスは、すでにニューヨーク、オーストラリア、ドバイ、アラスカ、マイアミ、アイダホ、サンディエゴ、など、世界あちこちの都市で成功しているらしい。
で、お調子者のぼくも、割り込んで、一案。
今年の天神祭りは、船渡御のほかに、バス渡御といこう。スポンサーは、いくらでもでてくるかも。
そのうちに、いろいろな型の水陸両用車が上陸するだろう。ダイハツなど、国産車も。
秋の御堂筋パレードも、サントリー、パナソニックと、水陸両用車パレードにして、大川を、大阪城から西へ下るなんていいなあ。あ、橋がじゃまか。
そうや、忘れていた。阪神の優勝パレードだ。雨の御堂筋もいいが、大川をさかのぼってから、やろうやないか。そのうちに。
投稿者 nansai : 17:16
2007年05月30日
五月三十日(水)
トウゴウさん、なんとかなりませんか
阪神が、甲子園で、ロッテに大敗を喫した日。
奇しくも、百年前の日露戦争で、日本海軍がロシア帝国のバルチック艦隊を対馬沖において、完膚なきまでに打ち破った、まさにその日だった。
旗艦三笠のマストにはZ旗が翻った。

戦艦三笠の艦橋に立つ小柄な東郷提督の絵は、小学生だったぼくの目に今も焼きついている。
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」と打電し、いよいよこれから出動する三笠の艦橋の状況が描かれていた。大きな額が小学校の講堂にかかげられ、毎日、仰ぎ見みて、軟弱で臆病なぼくも、すごいなあと、武者ぶるいした。

それって、なんのこっちゃい、というむきもあろうから、ぜひウイキペディアの「日本海海戦」[[Battle of Tsushima]]を参照してほしい。
司馬遼太郎渾身の作「坂の上の雲」に目を通すより、手っ取り早い。
三倍も戦力において勝るバルチック艦隊を、劣勢の東郷艦隊が、対馬沖で迎えうった。1905年5月27日。苦心して編み出した捨て身のT字戦法、敵前大回頭で打ち破った。ロシア艦隊は、戦艦、巡洋艦のほとんどを撃沈され、拿捕された。日本海軍は、水雷艇三隻と損害軽微だった。海戦史上まれにみる完勝だった。
戦闘中、マストにZ旗が、高く掲げられた。冒頭に描いた信号旗である。
「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」将兵いっせいに奮いたったと伝えられる。
あまりにも有名で、少年のぼくらも、戦時中、いやになるほど、ゼット旗の話を聞かされて、叱咤激励されたのを思い出す。
Zは、アルファベットの最終の字で、「もうあとがない」のこころで、トラファルガー海戦ではじめてネルソン提督が掲げた。
負けたらおしまいの大海戦にくらべれば、タイガースには、まだまだ、あとがある。終盤、なんとか遮二無二に三位にすべりこんで、プレーオフを制することだ。

「明日は勝つぞ、タイガース!」
アドミラル ネルソンとトウゴウにあやかって、タイガースの士気を鼓舞すべく、甲子園でゼット旗だ。「各員一層努力せよ、」と、ふりまわしても、…あかん。かなあ。
なにしろ、対ロッテ交流戦が、2戦24失点だ。
どうやって点をとるか。打線よりも作戦だ。サンスポのインタビューにこたえて、
「ベンチワークだ。」
と、星野前監督はいう。こういうときこそ、監督は、さい配で選手を動かすべきだとも。
しろうとのぼくにも、そう思える。じゃあ、なんのためのカントクなのだ?と、これは、ぼくの遠吠え。
こうもいいたい。
再三ひどい目にあわせてくれるパリーグの外人監督たちの用兵術に学ぶべし。どっしりかまえて動かないポーズは、泰然自若というより、往年の強打者はベンチワークに弱く、次が読めないからかなあ。
もう目先の勝負にはこだわれなくなったから、じっくりいろいろ考えて世代交代へ、だね。
負け惜しみのようだが、往年の弱い、はがゆいタイガースに帰ったようで、おろおろぼやき、かつ悪態をつきつつ、歯噛みしながらの応援には、ついチカラがはいるなあ。
で、Z旗だ。ダメ虎時代に還ってほしくない。秋には、体力回復して、なんとか三位に滑り込もう。プレーオフを制して日本シリーズへ。明日があるさ。

「百発百中の一発、よく百発一中の敵砲百門に勝る。」
世界が仰天した未曾有の成功体験がわざわいして、後年、自信過剰の日本海軍は太平洋戦争で手痛い目にあうことになるのだが、それはまた別の話。
投稿者 nansai : 11:54
2007年05月28日
五月二十八日(月)の二
阪神まけると新聞売れん
負けた、負けた。ロッテに、14失点、今季ワースト。
阪神大敗の翌日のスポーツ新聞が、おもしろい。
扱いに苦慮しているのがわかる。

オカダ監督の暗い顔と他人事のようなコメントでは、売れんわなあ。なんや、あれは?某デザイナーのユニホームも、あんまり似合わんのお。と、つい八つ当たりもしたくなる。
卑怯なのは、サンスポだ。ウマに乗って逃げた。
まるで競馬新聞だ。一面の見出しが、
「女が勝った!ウオッカダービー 64年ぶり快挙」
ようやく5面に、やっとタイガース関連だ。敗因から目をそらし、金本への死球をとりあげて、
「ロッテ、なにすんねん、虎、なにしてんねん」
ゴマすって、オカダをかばう新聞もあるが、うその大本営発表はできない。太平洋戦争中の負け戦の報道振りと似ていて違うところは、読者がみな戦況結果を知っているということだ。みんないっぱしの評論家なのだ。ロッテにくらべてぼろくそだ。
口々に、いわく、
敗戦処理に中村や能見を使うのをやめてほしい。
島谷を優遇しすぎや、使わん勇気も必要。
などと、トラ党の声はもっともだ。
テレビ評論家も、ふだんは談合のように口重くかばいあうが、連敗が続くと、つい本音が出る。
バレンタイン監督のようなパリーグの用兵にくらべて、第一球からの盗塁やヒットエンドランなど、もっと早く仕掛けんかい。

尻馬に乗って、ぼくの意見はこうだ。
若さにもっとチャレンジさせよ。
昔の名前に頼らずに、首脳陣は、選手をブランドで使うな。不調なら、ひっこめろ。無名でも実績なくても、実力の可能性に賭けよ。鳥谷のように。
大相撲の白鵬も、ゴルフの石川少年も、若い可能性を爆発させた。
阪神は、年功序列だ。パリーグをみても、阪神を追放された選手たちが、めいめいの持ち味をいかして主力打者で活躍している。
阪神は、上のふたが重く、ようやく芽の出た林も、もう28歳だ。桜井も狩野も、もっとはやく世に送り出すべきだった。出し惜しみしているうちに、つぶれてしまうこともあるのだ。
投稿者 nansai : 15:23
五月二十八日(月)
我輩は蟻である
ぼくは、毎朝、熊野詣だ。
知る人ぞ知る「熊野かいどう」をてくてく歩いている。

かつての八軒家船着場、いまの京阪天満橋駅が起点だ。
階段をあがり、土佐堀通りをこえ、だらだら坂を南に上がる。トウカエデの街路樹の下を、えっちらおっちらと、たったの二百メートルくらいだが。
熊野かいどうだ。
「熊野街道は、このあたり、(渡辺津、窪津)を起点にして、熊野三山に至る道である。」
と、坂の上がり口に、石碑が立っている。
「京から淀川を船でくだり、この地で上陸、上町台地の西側、脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられ、平安時代中期から鎌倉時代にかけては、「蟻の熊野詣」といわれる情景がつづいた。」
千年前の平安時代からの細い道を、ぼくは毎日歩いている。蟻の行列の一匹だ。

蟻たちは、なぜ、この道の果て、はるばる熊野を目指したのか。信心の薄い平成のぼくには、想像もつかない。
熊野は、浄土信仰が盛んだった平安末期、現世にある「浄土」の地とされたといわれる。
その頃、仏が滅してから、二千年。
京から、上皇や女院による熊野御幸がひんぱんにおこなわれたという。
暗黒の「末法の世」を説かれても、ちんぷんかんぷんの庶民はそれどころではなかったが、当時の貴族社会は、不安でパニック状態に陥っていたと思われる。
記録が残っている。鳥羽上皇21回、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、
上皇クラスの御幸は、約百年間に百回を数える。おびただしい回数だ。
それも、物見遊山の旅行ではなく、身を清め、京から徒歩600キロ、莫大な経費をかけ大勢の人数を従えての一ヶ月半の難行苦行だった。
そんな熊野参詣に、ひとびとを駆りたてた恐れは、なんだったのか。
道中の難行苦行が一切の罪業を消滅させ極楽に往生できる、という阿弥陀信仰だったというが。
上皇の御幸がすたれたあと、室町時代からは、武士や庶民が、蟻のように列を成して、熊野を詣でたらしい。

眼を閉じて、タイムマシーンに乗ってみよう。
1159年12月、人家もまれなこの細い道を徒歩の平清盛が白装束姿で、後白河院の熊野御幸のおともしている。
保元の乱は、その留守を源義朝らに襲われたところから始まった。平家、続いて、源氏と、武家政治への転換点だったのだ。
御堂筋と平行する、この筋は、いまは大阪のどこにでもある、名もない道のひとつだ。千年も前から、上町台地に向かうこの細い道を、人々が往来した。
だが、交通量のはげしい坂の入り口にたつ石碑の銅版に気づく人もいない。
大阪は、坂の町、夕日の美しい町だ。日の沈む西方の浄土に向かい手を合わせて、この道を歩いた蟻たちの行列を描いてみた。
投稿者 nansai : 11:56
2007年05月15日
五月十五日(火)
そんなに長生きしたいですか、
と問われて。
「日本人の死に時」(幻冬舎新書)

願わくば花の下にて春死なん
その如月の望月のころ 西行
その花も散り、万物かがやくばかりのの新緑の候であるが、ただぼんやりと座して、お迎えを待っていてはいけないらしい。「ぴんぴん、ころり」が、国是のようだし、国会でも、議論されている。
ここ数年、死を考えるブームで、本や雑誌が、次々に出版されている。
いい本が出た。
久坂部羊「日本人の死に時」(幻冬舎新書)これは、近来まれな快著である。
「死に時」のすすめ。この触れにくいテーマをめぐって、あちこちでハチの巣をつついたような議論が展開するだろう。いいことだと思う。

作家でもある著者は、老人医療医。数々の老人の死を看取ってきた阪大医学部出の現役の医師だ。
本の副題には、「そんなに長生きしたいですか」
腰巻には「あなたは、何歳まで生きるつもりですか?」と、たたみこんでくる。
続いて、
「苦しみ、うとまれ、寝たきりになりたくない、人のための、「『ほどほどで死ぬ』哲学」とある。

医療行政ではやっかいもの扱いの後期高齢者としては、たじたじと、あとずさりだ。まことに時宜を得た、ごていねいな問題提起ではある。
そう、高齢者社会に生きるものにとっては、この200ページの薄っぺらな本は、まさにバイブルなのだ。
いいかえれば、「あんたの死に時」を教えてくれる本である。なかでも、第八章「死に時のすすめ」は圧巻だ。
参考になるぞ。ご同輩。戦友諸君。

62歳の内科医が、みずからの胃ガンを手術不能と判断して、自然の摂理として受け入れ、そのまま死を待つことにした。その衝撃のエッセーが紹介されている。
かれは、医師として、悲惨な老後をさんざんみてきた。年をとってからのつらい死は非常に多い。この医師は、自身で胃がんを診断して9ヶ月後になくなった。
かれの書き残したエッセーによれば、ほんとうに死が近づくと、恐怖心も徐々に弱り、死もそれほど怖くなくなるというのだ。上手に死を受け入れれば、穏やかな最後を迎えられるとも。
数々の老人の死を看取ってきた久坂部医師はいう。心の持ちようで、死ぬ前には死が怖くなくなる。こんな朗報は、ちょっとないのではと。

著者によれば、ガンによる死がいいのは、確実に死ねるということだそうだ。それも一年以内に。
むかしはみんな家で安楽死していた。
「近代医療の発達する前は、たいていの人が自分の家であまり苦しまずに死んでいました。自然にまかせておけば、人間はそれほど苦しまずに死にます。」
著者は、たんたんと説く。
死が苦しくなるのは、人間があれこれ手を加えるからだ。放っておけば、そんなに苦しむ前に力尽きて死ぬ。
多くの人にとって、長生きは苦しいのに。と、著者は、マスコミで世に喧伝されている安楽長寿情報に顔をしかめる。そんなバラ色情報に浮かれていると、いずれ訪れる老いに苦しめられるとも。
まだ若く時間にゆとりのあるうちに、「長寿の危険」にそなえるようすすめている。
そうか、長寿は危険でいっぱいなのだ。
西行法師の願いのように、満月の花の下で眠るように、とはいかないらしい。
介護現場を知る久坂部医師は、歯にキヌ着せず、こう指摘する。
健康情報ばかり先走り、人々はまるで悪霊につかれた豚のように、悲惨な長寿の谷底になだれこんでいると。

同医師の述べる結論は、かんたんだ。死に時がきたときは、抗わないことが、いちばん、らく。
受け入れる準備さえできていれば、心も穏やかになれるだろう。
「自然に逆らうことは、苦しみと煩いを増やすばかりです。多くの老人の死を看取って、そう思います。」
そのとおりだろう。わが意を得た。
この新書の720円は安い。
まだ書評で取り上げられていないようなので、ぼくはぴんぴん元気な友人たちに一読をすすめている。
投稿者 nansai : 10:33
2007年05月11日
五月十一日(金)
連敗を9で止め、タイガースの長すぎた大型連休がやっと終わった。

10連敗!それは、あんまりだ。
この二試合は、連敗ストップをかけてなりふりかまわず、戦ったのは、評価できる。
ぼくは終盤の土壇場しかみていないが、藤川投手の誇り高き「この一球」をテレビの前の特等席でじっくり堪能した。
スタンドの大観衆の中では味わえない、投手と打者の虚虚実実の駆け引きに、久しぶりにうならされた。

勝った昨夜のキャッチャーが、駆け出しの狩野というのがうれしいじゃないか。
昨夜は、見事だった。あっぱれだ。
ほとんど一軍の試合にお呼びでなかった狩野捕手が、意表をつく変化球をまぜ、藤川をリードして、三者凡退させた。甲子園の大舞台に臆せず最後までマスクをかぶった。
「変化球のサインだしてもええよ。」と藤川が声をかけたという。美学の直球勝負に封印して勝った、と、朝日は書いている。
狩野は、直球に絞ってくる相手の的をはずして、らくに三振をとろうと思った。と、これは別のスポーツ紙から。

前日の負け方は、あまりに無残だった。
まさかの8回にひっくりかえされた。速球ごり押しの藤川は、読まれていた。
正捕手矢野は、ぼろぼろだった。走られるわ、捕逸するわ。
俊足の代走を一球めで走らせた井原コーチの走塁シミュレーションが成功した。
走る巨人が、キャッチャー矢野を動揺させ、力でねじ伏せる藤川の美学をがたがたにした。以前から嘲笑の的だった長嶋型の巨砲打線が、完全にモデルチェンジしていたのだ。
長い長いトンネルだったが、阪神は果たして抜けられたのか。
狩野、林、と、タイガースも、いよいよ、実力の世代交代だ。
この苦い9連敗は、主力選手に遠慮せずに、思い切って新戦力を登用できる機会を与えてくれた。
まだ先は長い。
投稿者 nansai : 14:59
2007年05月08日
五月八日(火)
タイガース連敗阻止祈願
「岡田休養」
どでかい見出しが、スポーツ新聞にのっていた。すわと、買ってみたら、いつものように、小さく
「させん」
と「宮崎オーナー明言」とある。
なーんや!
サギだね、これは。キオスクで、毎度ひっかかるのも、いかがなものか。
「7連敗。それでも、信頼揺るがず」だそうな。

さすがオーナー、あまいばかりじゃなく、苦言も呈している、とサンスポ。
「故障者が多いのに、強いチームの戦い方をしている。もっとチャレンジャーとして戦わないと。」
「星野前監督のように言葉で人をひきつけることも大事。アピールしないと。」とも。それはむりでしょう。
急に打つ手がなさそうなので、急遽、これまでに描いて忘れていたタイガース応援之図をアーカイブから引っ張り出してならべ、悪霊退散、厄除け必勝祈願を。
なにぶん緊急の事態につき、応援ギャルたちには、数年前の元気な夏の甲子園から、夏姿のまんま、タイムマシーンに乗せて出場してもらった。
「かっ飛ばせー、タイガース。」か、なつかしい!
ごめんね。ちょっと肌寒いかな。


これは、いまは昔の絵だ。よだれをたらしているトラの口のなかでもがいているのは、気の毒に、巨人の堀内監督(当時)だ。あのころは、巨人も、ぱくりと、ごちそうさまだったなあ。

優勝は、おこがましいが、土壇場大挽回祈願の絵馬を奉納することにしたい。もちろん、広田神社に。球児の横型ホームプレート絵馬のアイデアは、売れるぞ


これも、なつかしいプラカード?
「ぶっちぎれえ。阪神!」首位にたって独走態勢にはいり、追いすがる二番手をつきはなすのだ。

オカダ監督御用達焼酎「そらそーや」も、発売されたそうだが、売れ行きはどうかな。心機一転。頼まれてはいないが、びんもキャッチフレーズもかえてみた。
「ななころび、やおき。こけたら、たて。」

投稿者 nansai : 16:20
2007年05月07日
五月八日(火)
いよいよ、たけなわの「母の日」商戦。
花オンチのぼくだが、いま、ブルーのカーネーションが話題らしい。テレビ大阪のニュースで知った。2004年のグッドデザイン金賞だ。

へえ、先端技術開発のブルーのカーネーション、一本なんぼやろ?
高そうだが、もらってうれしいかねえ、大阪のおばちゃんは?。
「もらったらうれしいですか」の質問(やらせかなあ。)に答えて、
「そりゃうれしいわ。
でも、何かに添えてね。そうや、商品券がええわ。」
やあ、条件つきとは、さすがである。赤い服を着こなしている身なりのいいおばあちゃんだったが。
ぼくは、花屋をのぞいていないので、まだ話題のブルーカーネーションにお眼もじできていない。
で、以前に描いた赤い花びらにこちょこちょと手を加えて、

はい、できあがり。このとおり、クローン栽培で、なんぼでもできるのだ。



ここで、思い出した。
親しい友人が、手術して入院している。もう元気になって退院も近いのだが、そのお見舞いに、いつもの「絵に描いた花」はどうやろ。

そうだ、絵がいい。戸口で逡巡しているのが、ぼくである。
この絵はいつも好評だ。見舞いの前に、病院の壁とドアをぬりかえ、名札を書き換える。
せっかくバイオで育てた花を持っていっても、ゴルフのうまい屈強なおじいさんなので、ネコになんとか、かもしれないので。
投稿者 nansai : 16:11
五月五日(土)
こどもの日
トラ、7連敗。泣いている場合か?

プライドだけ高い監督の打つ手のはずれる采配の問題もあろうが、連敗の主な原因は、主力選手の年齢だろう。どんな名選手も、歳には勝てない。筋肉とカンが急激におとろえてくる。
おそれていたチームの勤続疲労が、意外に早く夏までもたず、ゴールデンウイークに、はやくも顕在化したのだ。
いたましいエキスポランドのコースターの車軸破断を思い出してしまう。
で、こういう世代交代の時期を、果断に、どう乗り切るか。あわててもしかたがないか。
右翼手の林、捕手の狩野が、頭角をあらわしたが、二軍に、そのほかの注目選手はいないか。
ドラフトでは、いい選手は、くじでしか当たらない。
外部からの補充は?緊急輸入は?
もともと阪神の戦力の中核は、元広島の打線、元日本ハムのエース、元中日の控え捕手などで構成されている。鳥谷のように純粋に阪神育ちは、案外少ないのだ。
大リーグをみても、ヤンキースもあのざまだ。どの球団も、眼の色変えて、人獲り、戦力補充ゲームだ。日本のプロ球団は、牧場になってしまった。
トラキチも、嘆いている場合ではない。
投稿者 nansai : 13:29
2007年05月02日
四月二十九日(日)
四月二十九日
きょうは、「昭和の日」。
確か、「みどりの日」だったはずなのが、
昭和一桁生まれのぼくに、なんの説明もなく、祝日の名前が変えられていた。
もともとは昭和天皇の誕生日だった。
戦前は、おごそかに天長節といった。
昭和天皇は、「人間宣言」などしていない、という学者の説が、「昭和の日」のトーク番組で披露されて、居並ぶ出場者がうなずいている。耳を疑った。

これは、どういうこっちゃ。きょうの日に、またなぜ?
天皇の「人間宣言」は、その学者の見解では、当時の新聞が勝手に解釈して見出しをつけたという。おやおやである。
天皇は、普通の人であってはいけない、ということか。
敗戦後、天皇が神であることを自ら否定した、とされる昭和二十一年年頭詔書を、ネットで、読み返してみた。
冒頭に明治天皇の五箇条のご誓文が引用され、次のように読める。
「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。
天皇を現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。」
いま読み返して、おっしゃるとおり、と思う。一部には、これはGHQの差し金だと言いつのる向きもあるようだが。
まさに、この「架空なる観念」により、昭和の暗黒の時代、ぼくら「臣民」は、死ぬほどひどい目にあい振りまわされたのだ。
きょうが、なぜ唐突に、「昭和の日」なのか。長年いろいろもめたあげく、議員立法した一部政治家たちの努力が実ったらしい。靖国や皇室をめぐって、平成の戦後生まれ「勤皇の志士」たちが頭をもたげそうな気配である。

昭和の日本は、いまや映画「三丁目の夕日」で懐かしがられているように甘酸っぱいノスタルジーにつつまれている。
が、昭和という時代は、光と陰のコントラストが極端だ。満州事変の翌年、ぼくは、昭和のもっとも暗い陰の時代に生をうけた。かえりみて、ぼくの一生は、昭和と完全にシンクロしている。
こんな年齢だが、検事でも判事でもなく、時代の生き証人のひとりである。
それも、「進め一億、火の玉だ!」のスローガンのとおり、一億分の一人の証言しかできない。
ほとんど皇国史観で教育を受けた。
歴史認識としては、時代の波に翻弄されて、食うに忙しく、何も知らないし、理解していないと自覚している。
昭和二十年以前の昭和は、少年のぼくの眼からみても、ブラックホールの時代だった。いかなる大義をふりかざそうと、結果として、戦争を引き起こし300万人が命を落とした。あの取り返しのつかない重苦しい時代には、二度と帰りたくない。
想像を絶する強烈な思想の重力が、ある一点に、国民をひきずりこんでいた。「国体」である。
学校が教会で、校長が司祭だった。
あの時代は、愛国よりも「忠君」に、教育のウエイトが置かれていたと記憶する。
おびただしい数の昭和史が出版されている。700円で買える新書版がいい。若手の俊秀の書き手たちが鋭く昭和の抱える問題にせまっている。
その史実の解釈をめぐって、甲論乙駁、いろんな意見が、出始めている。
NHKスペシヤル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したか」(第61回文化庁芸術祭テレビ部門大賞)は、議論のたたき台として必見だろう。
昭和12年からの中国戦線での一連の事件は、証拠の解釈は自由だが、ドキュメンタリーにとりあげられた事実をみるかぎり、今も何かを物語っている。
現在、自衛隊金沢部隊に保存されている第一師団の戦闘詳報。90歳前後の従軍兵士たちの克明に記録された日記や証言。捏造はできない。口を閉ざしたまま多くの兵士がなくなったが、70年近く前の資料が断片にせよ現存している。ひとの記憶は衰えても、記録は残る。重い。
証拠をめぐって、解釈は、いろいろでかまびすしい。
が、昭和六年から二十年まで、なんと言おうと、日本は、沖縄戦だけでもで二十万人、二十万人の広島長崎の原爆犠牲などなど、戦争の最終段階は、国体護持を悠久の大義として、300万人の命を失った。いたましいかぎりである。
悲惨な時代に生まれたが、ぼくら少年は、新聞をはじめ正しい情報から隔絶されていた。考えることのかなわぬ葦だった。
旧制中学生は、昭和二十年、学徒動員された。ぼくら二年生は、本土決戦に備え海岸の機関銃座作りへ、1年上は海軍工廠で八月十四日の空襲で死傷者を出した。小学校に寝泊りし、新聞もラジオもみていなかった。
軍国少年のぼくらは、巨大戦艦「大和」の存在を知らされていなかった。
世界最大の戦艦が、沖縄へ片道燃料を積んだまま特攻攻撃して海の藻屑と消えたのを知ったのは、終戦後のことである。
いま、次々に発表される史実に接して驚き、あらためて、あの時代の狂気のうねりを思うのである。バブル期にも、またに似たようないやな予感がしたのだが。
その時代のエリート、かつ無知蒙昧の指導者層に、情報を持たず判断できないぼくらは運命を託さざるを得なかったのだ。
昭和というコインは二つの面、明るい表と暗い裏とがある。おなじ人物の肖像がきざまれているのだ。
老いたぼくは、自分の乏しいが、しかし貴重な経験を足がかりに、改めて距離を置いて、歴史に学びたいと思う。
ぼくたち日本人にしてみれば、もう済んだことだ。忘れてほしい。水に流したいのだが、世界は、過去の清算に、注目している。
21世紀の世界と未来を相手なら、日本は、もっと、いさぎよく、身を処さねばなるまい。いさぎよく。
日本人のあいだで、自虐史観とか、ことばをつくして意見の違う相手を罵しり合っても、むなしい限りではないかと、ぼくは思うのだが。そして、
「昭和の日」は、八月十五日がふさわしいと。
投稿者 nansai : 14:19
2007年04月25日
四月二十五日(水)
夕張市は、メロンでは食べられなかったのか

味とブランドで有名なメロンだけでは、食べて行けなかったのだろうか。夕張市は、多額の借金をして、メロン博物館など、遊園地からスキー場まで、約30の一連のハコモノを建て、観光客をひきつけようとした。
あげく、財政の破綻で、地方の縮図として、夕張市はさらしものになっている。
かつては地方再生のモデルケースの優等生だった。
多くの自治体が、夕張市を訪れ調査している。過疎の街づくりの模範として、数多く受賞しているのだ。
なんと経済同友会は「美しい都市づくり賞」(昭和63年)、自治省は「活力ある街づくり優良地方公共団体」(平成2年)、通商産業省は「ふるさと産業50選」(平成4年)などなど。
夕張だけでなく、活性化を願う地方自治体はみな程度の差はあるが、政府の音頭とりで、時代に流され、悪乗りさせられた。どだい無理な話の「列島改造論」が、もてはやされて、総括されていないままに。
あのころのアメリカからの内需拡大の大合唱、カネあまりの時代で、地方自治体は、こぞって政府保証つきの借金バスに乗り遅れまいとした。
景気対策のはずの公共工事が、くせものだった。
地域再生という実現不可能な国是まがいの空手形を信用して、投資ではなく、投機に手を出したのだ。
あらそって起債し、土地を買収し、道路をひき、ハコモノが全国津々浦々に建てられた。
目的として、どこでも、右へならえの「企業誘致、観光事業」のレッテルがはられ、選挙の公約にも掲げられた。
国は、景気対策として自治体に公共事業をうながした。
カネがなければ、借金返済の一部を地方交付税で負担するとした。自治体はわずかな負担で大規模事業が可能となり、競って会館やホールなどハコモノを建設した。ずさんな計画がペイするはずもなく、返済と維持費が自治体の財政を圧迫、地方の長期債務残高は200兆円を越える結末だ。
過疎に悩む地方の選挙は、集票マシーンとして土木建築系の地元資本が暗躍してきた。いまも、だろう。
選挙協力して当選のあかつきに、公共工事に参加できる。ばら撒きゼニで、地元もうるおう。

いわゆるコンクリートのりっぱなハコモノを建てるのは、かんたんだ。
しかし、このころ、全国で雨後のたけのこのごとく安易に企画されたテーマパークは、気息えんえん、苦しい運営をしいられている。
一目でわかる資料が、ネットで探せる。
どの自治体も、あわよくば、ディズニーランドのようなテーマサイトを夢見て、過疎の地に、遠くから観光客を呼び寄せようとしたのだ。
この手の施設が生き延びる頼りは、地元のリピータというのが、至難の常識である。
甘い需要測定、いや作文で、かぎられた観光客を、あちこちの過疎の地域のあいだで奪い合おうというのだから、計画は最初から破綻していた。
だから、遊園地や博物館の持続的な運営は、その道のプロでも難しい。観光事業化は、地域の悲願ではあっても、誇大妄想にすぎない。

問題は、選挙だ。机上の地域活性化をうたいあげ、当選して、景気のよい公約どおり、ばら撒き行政のおこぼれにあずかり、政府の援助を見込んで起債してハコモノが建てられる。無責任な企画はどこかが持ち込んだのだろう。需要予測は甘いというよりでたらめである。役所にも議会にも、経営の眼を持った人材はいない。議会もぐるだから、あとの監視もない。
失敗しても国がなんとかしてくれるはずという神話。
これは、夕張だけの現象ではなかった。

「地方を切り捨てるな」というヒステリックな叫びはいまもきこえてくる。
でも、地域格差は、なくなるはずがない。少子高齢化は、地方の人口減少時代だ。
健康で文化的な最低の生活を欲するならば、ストローのように、都市部に住民は吸われてゆくだろう。冷厳な現実と向き合い、どう折り合うかだ。過疎地の起死回生の奇策は、ないと知れ。
あれもこれもは、むり。集中と選択しか、企業も国も生き残れない。企業は、バブルがはじけ、つぶれそうになって、身にしみた。
選択とは、限られた機会と資源を有効に使うことだ。維持できないものを、整理統合することだ。売り渡し、捨てることでもある。
それを、「切捨てだ!」と叫び、地域に票をねだるのは、選挙民にこびる言葉のトリックにすぎない。
人口は、先進国ではますます都会に集中する。これは、承服しがたくても、よくもわるくも、文明の必然、法則だ。
なのに、過疎の地方が、ばらばらに、競い合わされ、巨額の債務地獄という破綻の道へ、まっしぐらすすんでいった。政府も、田中角栄の列島改造論をひきずったまま、地方をミスリードしたのだ。

「地方を切り捨てるな」とあじって、とにかく目先の選挙に勝つ。それは国を危うくすることではないか。民主主義の算定のフレームがゆがんでいるように見える。日本は、農村を選挙の基盤とする候補者が、人口の比率よりも多い。地方を見据えて調整しつつも、将来の国益がはかられねばならぬ。地方出身の候補に、それは可能か。
選挙のつど、不要不急かもしれぬ「公共工事」という、地元への安易な公約のにんじんをぶら下げて、目先の得票を狙ったことも、長い眼で見れば、地方自治のパワーを削いできたのではないか。
夕張は、メロンで成功してきた。だが、観光目当ての博物館は、よけいだった。
夕張市を他山の石として、地方は、生き残るための、「身の丈」の経営を、必死に考えねばなるまい。
投稿者 nansai : 10:34
2007年04月19日
四月十九日(木)
23歳の犯人は、バージニア工科大で33人を撃ち殺し、自分に向けて引き金を引いた。いともかんたんに。
GLOCK 19。
9ミリ、セミオートマチックピストル。凄惨な凶行に使用されたのが、このハンドガン二丁だ。ネットで調べたら、おびただしい数の同製品の画像がでていた。

先月犯人は寄宿舎から40分離れた銃砲店で、このピストルを555ドルで買った。店は、かれの運転免許証、小切手帳で名前住所を確認し、移民カードで永住権をチェックした。30分で照合が終わり、彼はクレジットカードで支払った。バージニア州で銃を買うのは、拍子抜けするほど、かんたんだ。

今度の事件でも、アメリカの銃刀法が変わることはないらしい。銃を自衛のために保有することは、建国以来の市民の権利であるという。この既得権をめぐって、国論が二分しても、投票で覆ることはないそうだ。
文化の問題であるし、お国柄でもある。対応は容易ではないと思う。
先進国では、正常な人間が、争いの解決に理性を持って銃に訴えることはまずないだろう。
長崎市長射殺事件を見ても、決して大義をかざしての身をすてての反抗ではない。何かの不適合な精神的状態の人間が、武器を入手したときが、こわい。何とかに刃物というやつである。
アメリカよりは、まだ日本のほうが現実的に対応できる。
銃刀法があるだけましだ。銃刀狩りを、重点かつ集中的な取り締まりを定期的におこなうことはできないものだろうか。

技術が進歩して、武器さえあれば、おんなこどもでも大量殺人できる時代だ。アフリカでも、中近東でも。
ぜったいに、銃が、たやすく手に入らない社会に。
投稿者 nansai : 16:11
2007年04月18日
四月十八日(水)
氷を溶かすには
温家宝首相の「氷を溶かす旅」に、ぼくらは、もっと拍手してもよいのではないか。虚心坦懐に。

かれは、もともと地質技術者らしい。国会でスピーチしたり、朝街に出てジョギングしたり、学生相手に野球をしたり、これまでの首脳にくらべ、ぼくの目には、じつによくやっていると映った。
しかし、こういう中国のジェスチュアにだまされまいぞ、と警戒する勢力は一部ジャーナリズムにも根強い。
春風にさそわれてソフトムードの客人には、こちらも
気持ちよく熱烈歓迎して、いい気分で帰ってもらうのがいい。新聞は、歓迎一色一面トップであつかうべきだったのではないか。
乗せられても素直に乗れば、と思う。外交は、だましだまされだ。北国の春の日のようにゆっくり時間をかけて、氷を溶かすのがよい。こころが凍り付いて固まってしまうのは、策の下なるものだ。

国境や資源のような積年の「火種」は、運よく、都合よく、消えることは決してないものだ。どうにもならない。しかし、インドとパキスタンのカシミールのように、こじれに、こじれては、難儀である。
日中、長い歴史で紆余曲折をへた。ともに、これから生きてゆくことが大事なのだ。これまでの歴史はもう変えられない。変えられるのは認識だけだ。
でも、過去を水に流そうというのは、日本の理屈だ。
いわんや過去の戦争を正当化しようとするのは、たんに不勉強なだけだ。国際的には、けじめをつけられないのは、女々しく卑怯ともとられかねない。
アメリカも、真珠湾攻撃を汚辱の日として「忘れない」といっている。ネット上の膨大な量の記録をみるとよい。
史実は、曲げられないし、消去できない。証拠は動かないが、加害者側は語らない。墓までもってゆき、語りたくない。
あくまで事実無根といいつのって、相争うことで、双方のナショナリズムの火種に、ふいごで風がおくられることになる。
ヨーロッパに眼を向けてみよう。
わずか60年前まで、戦争を繰り返し、あれほどいがみ合っていた英独仏の関係のようになれないものだろうか。

ぼくの眼には、温首相の野球ユニホーム姿が象徴的にみえた。
鍵は、スポーツにある。
スポーツは国境を越えるというが、当面浮世のなまぐさい利害を超越できるからだ。それも国別対抗のオリンピック形式ではない。それぞれの地元に愛されるプロチームの一員になりきることだ。
欧州では、なんといってもプロサッカーだ。欧州各都市のチームに、世界から国境を越えて選手が参加してくる。昨日の敵が、きょうの神様になることもある。
日本では、国技の大相撲だ。角界にとって、モンゴルは、親戚みたいな存在だ。
ダイスケを見よ。地元ボストンでは、人気チームのヒーローとして、あれほどまでに(テレビで知る限り)身内として受け入れられている。
くりかえすが、地元のチームの一員となることだ。
地元チームに参加し勝利に貢献することで、受け入れられ頼りにされ尊敬され、語り継がれるほどの親しい感情は生まれる。そして、選手を応援することで、初めて地元同士、わだかまりがとけ、交流できるのだ。
中国では、野球は「棒球」というらしい。温首相が旗をふれば、これからすごい勢いで、人口十三億の国に「プロ棒球」が普及するかも。
三十年後には、セントラルやパシフィックのような中華「棒球リーグ」が、各地域に30は出現するだろう。プロ野球球団は、500チームではきかない。
優れた中国人選手が生まれ、大リーグにも、日本球界にも、進出するだろう。大相撲のようになる。
ダイスケにあやかろう。
スポーツを通じて、はじめてわかるのだ。今生きている日本人たちは、別に、鬼ではない、友人だと、中国の人に思ってもらえるようになる。
昭和の軍国少年ぼくらは、60年前までは、日本は神州、神の国で、攻め寄せてくるのは、「鬼畜米英」と教わった。敵が上陸すれば、一人一殺して、神州を守らねばならないと。
戦争が、人を鬼にする。
平和になれば、殺し合いが終われば、憎しみの火種は自然に消えるはずだ。
なーんだ、べつに「鬼畜」じゃなかった、相手も普通の人間じゃないかとわかる。
ジープに乗って町中を走り回りチューインガムをかんでいる若いアメリカ兵をみて、腹をすかせていた少年のぼくらには、すぐにわかった。
残念なことに、国じゅう焼け野が原となり、同胞300万人のかけがえのない命を失った後だったが。
投稿者 nansai : 11:12
2007年04月16日
四月十六日(月)
さくらさくら
さまざまのこと
思い出す桜かな
これは、春の園遊会で、安倍首相が唐突に引用した芭蕉の句だ。

老いた芭蕉が、故郷の伊賀上野で、思いがけなく先君の遺児から花見の宴に招かれたときに、感慨をこめて詠んだ句らしい。
その22年前、仕えていた先君が25歳で急逝した。近習だった芭蕉は、あまりのことに驚き世をはかなんで出奔したのだ。
首相には、郵政脱藩組を意識してとか、の思惑はなさそうだが。
しきしまの大和心をひと問わば
朝日に匂う山桜花
不幸にも、桜の花は、先の戦争にふかく関わりつづけられた。貴様と俺とは同期の桜。ぱっと咲くよりは、潔い散りかたが、武士のかがみと尊ばれたのだ。
万だの桜か 襟の色
花は吉野に 嵐ふく
大和男子と 生まれなば
散兵線の 花と散れ
悠久の大義に生きよ、戦場で命を惜しむな、いさぎよく散る桜をみよ、というわけだ。いつ頃からこういう美意識が生まれたのか。

とにかく日本人は散るさくらが好きだった。
「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」とか「久方の光のどけき春の日に しずごころなく花の散るらん」
などが、標準メニューだ。
つぎは、ぼくの好きなひねくれ一茶の句。
ただたのめ
はなは はらはら
あのとおり
この世に、ただ頼み参らすのは、観音さんしかないと、一茶はいうのだ。

投稿者 nansai : 14:29
2007年04月06日
四月六日(金)
隣りの北大江公園で、午後、ハトとホームレスの猫が満開のさくらの花の下で、なにやらひそひそ、しゃべっているのをきいた。

腹をすかせて、ベンチの下にうずくまっている黒猫が、うらやましそうに。
「この公園の桜も、ようやく満開やな。
川向こうの造幣局の通り抜けも始ったで。あっちは、ぞろぞろ、ものすごい人出や。えらい違いや。
夜店も出て、満員の京阪電車は、うはうはらしい。」
「そういえば、ここには、だれも花見に来よらんなあ。がらんとして、もったいないわ。
ことしは、冷えるからやろか。
公園も整備されて、花見にはもってこいなのに。桜の木も十五本以上はあるで。
酒盛りが始ると、おこぼれがもらえるのに。おなかすいたなあ。」
と、鳥目のハトだから、夜の宴会はつきあえない。
「大阪の町は、みなが散歩するようにならんと、元気がでんと、建築家の安藤さんもいうてはった。
で、これから、みなが散歩できるように、大川一帯に桜を植えて、「平成の通り抜け」にしたろ、という構想らしい。雄大やないか、アイデアが。」
「ところで、この界隈は、どうなる?
蚊帳の外では、つまらんなあ。このさびしい公園に人が集まるにはどうしたらええやろか。
わしらも、かわいがられて、えさをもらいたいし。」と、ハトも空腹そうだ。
「あんたら、ハトはあかんわ。まるまるふとっているし、それにしては、フンのしまつとか、マナーが悪すぎるデ。」と、自分の評判は棚に上げてホームレス猫。
負けじと、ハトも、いいかえす。
「ネコは子をぎょうさん産むから、きらわれるんや。人間の世界のように、ねこにも「赤ちゃんポスト」をつくってくれたらええのにな。」

花見の季節はすぐ終わる。
だが、いよいよ、日本人にとって勝手の違う「少子高齢化」時代にはいる。どうなるだろう。想像もつかない。この公園の風景も変わるにちがいない。お年寄りで、いっぱいになるかも。
近所の都心のマンションに、高齢者が続々とかえってくる。そのうち人口三人に一人は高齢者だ。
「人口減少社会の設計」(中公新書松谷明彦、藤正巌著)によれば、長い時間をかけて高齢者社会に移行したイギリスの都市が参考になるという。
どんな町でも日中に人でにぎわっている。その半分が高齢者だそうだ。町の真ん中には歩行者天国がある。高齢者が安心して歩き回れるよう、駐車場があちこちにもうけられている。クルマが遠慮するシステムがつくられているらしい。ぼくらは、人間が安心して歩けるはずの歩道を、ベルも鳴らさずスピードを上げて走る自転車におびえているというのに。
そして、多くのベンチが町のあちこちにある。高齢者が、長時間、町の中ですごし、知り合いに会い、落ち着いて話せる場所が必要だ。
どっこいしょと腰をおろせるベンチが、これからのまちづくりの主役になる。
テレビで紹介されていたが、あちらの公園では、ベンチを寄付した人の銘版がはりつけてあった。
市民が亡くなった家族の思い出の記念とかで、ベンチを寄贈するらしい。記念植樹みたいな感覚だろう。
先日NHKの再放送で「小さな旅、明日も笑顔で」をみていたら、この国での高齢者社会の未来像は、巣鴨の高岩寺の境内にあった。

「ばあちゃんの原宿」で、つとに有名なとげ抜き地蔵商店街だ。境内には、もちろんベンチがびっしり十重二十重に準備されて並べられている。
話し相手をもとめて遠くからやってくるお年よりの常連も多いからだ。
自分で撮った猫の写真を見せ合ったり、コミュニケーション用と称しておかきや飴玉もめいめい用意して。おしゃべりをたのしむのだ。
カラオケ喫茶「昔の唄の店」も、客層は90歳から60歳と幅が広い。食べ物の持ち込みは自由。みな、出番の合間に、持参した手料理を、分け合っている。
常設の花見のようなものか。
65歳の易者さんが、しばらく顔を見せない人へのことづけをあずかったり、ここでは、高齢者が、交流しやすい街づくりになっている。
こんな風に、日本でも、欧米の高齢者コミュニティとは一味違った「寄り合い」の場が多彩にくりひろげられるだろう。それに合わせた町づくりが、そろそろのぞまれるのだが。
ここ八軒家船着場の界隈は、京と大阪を結ぶ交通の要衝として栄えた。
通り抜けの始る以前の夜桜の季節、三十石舟が大川を漕ぎ渡るの図。時代考証は、ちゃらんぽらん、いい加減だが、オリジナル。天満橋過ぎて天満青物市場辺りの風景のつもり。

投稿者 nansai : 14:02
2007年04月05日
四月五日(木)
これはなんの絵?

出張から帰宅して、なぜか無性に絵が描きたくなった。
油絵のように(描いたことはないが)たいそうな準備がいるわけではない。パソコンの前に座って、ペイントを立ち上げて、いきなりそそくさと描き散らすだけなのだ。
夜遅く思い立って、マウスで描いたこの絵は、なにに見えるだろうか。
雑誌の写真をみて描いたのだが、どうも自信がない。
あすの朝、さめた眼であらためてたしかめてみたい、と思った。
これは、蒟蒻。のつもりなのだ。
新幹線のPR誌の「車窓歳時記」(ひろさちや文)に、こんにゃくのエッセイがのっていた。ルビなしで、漢字の標題。読めるが、ぼくには書けない。
「蒟蒻植う」が、晩春の季語らしい。前年から囲って保管しておいた蒟蒻芋の球茎を四月末から五月の初めに畑に穴を掘って植えるそうだ。
パソコンに「こんにゃく」と入力すると、「蒟蒻」と変換されてでてくる。たいしたものだ。
エッセイにそえられた写真が、ライトを浴びていかにもこんにゃくのぷるんぷるん素材感をだしていた。
ぼくにも描けるかなと、絵心をさそわれた。
見ようによっては、建築現場の瓦礫のかけらにみえないこともない。
投稿者 nansai : 13:04
2007年04月02日
三月三十一日(土)
沖縄戦の修正?文科省が教科書検定

これは、徳利ではない。
昭和二十年の沖縄戦で使用された日本陸軍の手投げ弾だ。「決戦手榴弾。」金属不足で、なんと陶製である。上部にマッチのような発火装置があり、信管部にはゴム製皮帽がつけられ、中に火薬がつまっている。(ネットで発見した。信楽古陶館や海兵隊沖縄戦資料館に展示されている。左の絵は、米軍使用のMK2。)

敗色濃い沖縄戦で、戦禍に巻き込まれた住民は10万人近い犠牲者をだしたが、戦線の一部では、日本軍から、自決するための手榴弾を渡されたという。おそらくこの種の陶製の手投げ弾だったろう。鬼畜米兵から、生きて虜囚の辱めを受けることのないようにと。それが、軍の強制だったどうか、検定教科書にどう記載するかでもめていると新聞は報じている。文部科学省は、「軍が強制」という記述に修正をもとめているらしい。軍は自決命令をだしていないと、個人の名誉回復をめぐって裁判にかけられているからだという。
その背後には、前の戦争の正当化を願っている勢力が、政府、自民党にキャンペーンを張り始めたと、ニューヨークタイムズは、一昨年に指摘している。
そんなことは、どうでもいいと、ぼくはいいたい。
もっと大事なことに、目をそらし見逃してはいけないと考える。
なぜ?と問うことが、たいせつではないか。
太平洋戦争末期、昭和二十年の日本人は、軍隊も民間人も、なぜ降服を肯んぜず、集団自決のみちを選んだのか。
いまネットを検索すれば、デジタルに記録されたおびただしい資料と索引から、薄っぺらの教科書よりもはるかに大量の情報が得られるのだ。
問題は、それをどう読み解き解釈するかである。
戦火に斃れたおびただしい犠牲者の数をみてほしい。イラク戦争とは桁違いだ。
沖縄では、日本側の死者行方不明者は18万8136人。うち、民間人9万4000人が犠牲となり、軍人軍属の犠牲者は2万8000人。
サイパンでは、戦死2万1000人、自決8000人、捕虜921人。
このいたましい結果は、愛国、報国とか忠義とか勇猛とか玉砕、武士道などの美徳めいた言葉ではとうてい説明できない。
当時、少年のぼくらは、鬼畜米英に屈することをよしとせず、(婦女子は陵辱をおそれ)国体を護持するためには、「玉砕」をも辞さないとする「文化」の中で育った。
あらためて、たった4年間で300万人が命を落とした大きな歴史の流れに、学ばねばならないと思う。なぜ、一億余のひとびとが、何を信じて、あの巨大な津波に巻き込まれ溺れたのか、を知ろうとすることだ。
歴史の教科書では、何を教えるか、どの立場に立つか、いまのように歴史認識と価値観が別れている時代ではむつかしい。あの戦争はやむをえなかった、正当化しようとする勢力も、根強いときく。
文部科学省の官僚が、教科書の合否判定するのも、いまの大臣のように歴史に暗い政治家につつかれるだろうから、あぶなっかしい限りだ。サッカーのレフリーと違って、史実の判断のルールが明確でないからだ。
なのに、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に修正を求めた。
教科書の役割とはなにか。歴史の「履修」は、学力の差をはかるテストにおわってはいけない。まる暗記の受験科目としてのみ扱ってはもったいないと思う。
めいめいが、一生かかって、学び続けるものだろう。教科書は、その過程の一資料にすぎない。
ぼくは、ものごごろついてから万世一系の皇国史観の真っ只中で育った。戦時中の教科書は墨を塗ったりして、敗戦後すぐに否定されたが、正しい歴史認識がぼくの身につくには、ずいぶん時間がかかるものだとしみじみ思う。いまは開かれた世界から、日々豊富で多様な情報を提供できるテレビとネットの影響は大きい。
学ぶなら、根拠ない年号にこだわらず、歴史の大きな流れをつかむこと、さまざまな受け取り方があることを学ぶことが、世界市民としての、教養というよりは常識ではないか。
これからの歴史の教科書は、テーマごとに、参考文献、ネット、ビデオ、DVDを参照するように指導し便宜を図る手引きであればよい。いいかえれば、教科書は、ウエブのホームページというか、ポータル機能を果たせばよいと思うのだが。
手っ取り早く、だれにもわかりやすいのは、NHKスペシアルなどのアーカイブからの映像記録だ。
つぎに、インターネットだ。情報量では、紙数にかぎりある教科書は、さかだちしてもかなわない。
ウイキペディア日本語版で、「沖縄戦」をひいてみよう。15ページにわたり、くわしい史実が記述されてある。なかで、「沖縄戦末期と沖縄住民の状況」については、議論が分かれるが両論が併記されている。外部リンクの豊富な資料のなかから、鳥飼研究室「:沖縄戦と住民」が内容充実している。
情報のデジタルアーカイブ時代に、文部科学省が、政治家の圧力をうけつつ、情報量の貧しい検定教科書をしぼりこむ。これは、なんということか。
投稿者 nansai : 10:34
2007年03月30日
三月三十日(金)
モノレール、ニュータウンへ

自宅の近くの空中を走るモノレールが、かなりべんりになった。
この月から、ニュータウン彩都の入り口まで延伸、千里中央駅へ直通となった。ありがたい。
町開きにあたり、おそらく採算を度外視して、運行本数を増やした。付近住民のぼくとしては、心苦しいが、赤字を積み重ねている公共工事の恩恵をこうむることになったのだ。
この線が存続するには、今後もくろみ通り沿線の人口はふえるだろうか。沿線住民は、これからはクルマをすてて、モノレールを、もっと利用せねば。が、そうはいかんわな。

今後、ニュータウンが、どう発展するか、わからない。いまのところ、電車はがらがらである。ほとんど無人の車内へ、「お年寄りや妊婦に席をお譲りください」とくりかえすアナウンス。枕が、あれば寝台車なのだが。
ゆっくり揺られながら考え事をするには、最適である。もうしわけない。
夜八時ごろのモノレール阪大病院前駅かいわいは、ひっそりして北欧の郊外駅のようだ。駅の構内では、駅員が一人だ。改札口で新聞も売ってくれる。
さて、少子高齢化のすすむ日本で、都市郊外は、これからどうなるのだろうか。
欧米先進高齢国の都市では、昼間は町に人があふれ、その半分は老人であるということだ。
高度成長前夜の千里ニュータウンの情景を思い出した。入居者が、みな若かった。もう、あのような時代はこないだろう。あのころの子供たちの笑い声は消え、高齢者の増えたオールドタウンでは、ぼつぼつ老朽マンションの建て替えがはじまっている。

怒涛の勢いで、東京への一極集中が加速し止らない。彩都に誘致していた武田薬品の研究所に袖にされ、あてにしていた大阪府の知事がたけり狂っていた。しかたないだろう。
先年なくなった経済学者ドラッカーは指摘する。
今日では、あらゆる先進国において、田舎の人口は5%を下まわり、さらに減少を続ける。
かれはいう。人は、コミュニティを必要とする。
「今日、われわれに残された課題は、都市社会にかつて一度も存在したことのないコミュニティを創造することである」と。そして、非営利かつ非政府である組織NPOだけが、その役を果たすだろうと。
いまは人気のない暗いモノレール駅のプラットホームに立って考えた。この彩都線の沿線に、新しい住民が集まってくるとして、将来、ここに望まれるコミュニティがうまれるだろうか。
役所も企業もだめ。非営利組織NPOだけが答えだと、ドラッカーは喝破しているのだが。
投稿者 nansai : 11:09
2007年03月23日
三月二十三日(金)
なぜ座布団を投げるの?
先日、朝、テレビをつけたら、このシーンが寝ぼけ眼に飛び込んできた。大相撲春場所の土俵に、座布団が乱れ飛んで、力士がみえないほどだ。無敵の朝青龍が、まさかまさかの開幕二連敗した翌朝だ。

八百長報道で心ない中傷を受け、世間をみかえしてやる気持ちが、力余って、裏目に出たのか。
家内が、「どうして、座布団を投げるの」ときく。
もっともな質問だ。さほど相撲通でないぼく。早速グーグルにあたってみる。
「座布団 相撲」と、いれてみると、やあ、出ている、出ている。
「教えて!なぜ座布団投げるのか」「あれってどういう意味なんですか?喜んでいるの?褒めているの?」など、12万5000の項目がならんでいる。寄せられた諸説は紛々、正論、持論、いろいろと勉強になるなあ。さすが、この国では、相撲は、弱くても、国技であると感じ入った。
正解は、もともとは、横綱が格下の力士に負けたときに投げられる。横綱へのブーイングと、金星を挙げた力士への祝福の意味があるとのこと。昔は、羽織を投げた。あとで、呼び出しか力士本人が、羽織を返しに行くと、ご祝儀がもらえる慣わしがあったそうだ。その名残か。
ご祝儀をわたすとは、粋な振る舞いだ。しかし、強すぎて反感をもたれているモンゴル出身の横綱へのあてつけ、ざまあみろ、という感情もあろう。
でも、「あれほどの座布団が、宙に舞うのは異常だ。」「下品だ、横綱への礼を失している」と、怒っている人も多いようだ。
甲子園など野球場では、ひいきチームのふがいなさにたいしての腹たちまぎれのブーイングは、激しい。本来の、座布団投げは、それとは違うのだろう。
投稿者 nansai : 11:02
2007年03月22日
三月二十二日(木)
マコトの勇姿
ひさしぶりで、キオスクの新聞売り場の前で、足が止まった。ン!スポーツ新聞のでっかい見出しが、ぼくの目にとびこんできたのだ。
驚いた。なんと、なんと、
「今岡5打点 7連勝
開幕待てん 誠の姿や」
とあるではないか。
さっそく、マコトの勇姿をサンスポから、無断で謹写。

じつのところ、オープン戦の今年の出足の悪さに、阪神をあきらめていた。
主軸選手の高齢化とけが。かたくなな采配による中日戦十一連敗。井川の拉致。鳥谷の成長以外に取り立てて好材料のない今年は、こりゃあかんわと、本番前は一喜一憂して、おろおろせぬことに。
ところが、今岡が、生きていた!
「覇権奪回のキーマン、完ぺき復活!」(サンスポ)となれば、楽観は許されないが、すこし愁眉をひらいた感じ。いつまで続くか、とにかく、めでたい。
投稿者 nansai : 14:11
2007年03月19日
三月十七日(土)
関西空港ゲートにて
所用があって、久しぶりで、週末、飛行機に乗った。
さいきんは搭乗手続きも思ったよりもスムーズだなと楽観していたら、ゲートでひっかかった。何度も、警報音がブーブーとなって身体検査されるはめに。

若い係りが、天眼鏡みたいな機械で、ズボンのすその折り目から、メタ腹のなかまで触って、厳重にチェックする。小銭、デジカメ、めがねケース、そうざらえしても、凶器は発見されない。同伴の老妻が呆れ顔で見守るなか、10分間検査されたが、ブーブーの結論がでない。
係りは首をひねりながら、ズボンのベルトのバックルではないでしょうか、ということで、無罪放免、やれやれ飛行機に乗れた。
老人のぼくは、慶事のため、黒っぽい背広に白いシャツ、地味なネクタイで身を固めていた。「こいつがテロリストかも」と推理するのは、かなり卓越かつ飛躍した推理力が必要だと思う。
ぶー、ぶー、あやしいぞ、あやしいぞ、と連呼し告発し続けたのは、ゲートの警報装置だ。
いうところの冤罪なのだが、満員の地下鉄で、いわれなく、隣の若い女性にブー、ブー、このジーさんチカンですう、と警報されたら、どうしようと思ってしまう。ぼくは、駅長室に連行されるだろう。警官が来る。告発した女性は、ムシの居所がわるく、空港のゲートのように警報音を発したのかもしれない。ブーブー鳴るだけでゲートは弁護してくれない。おそろしいことになる。「それでもぼくはやっていない」という映画のようになるかも。解放されたいぼくは、おそらく、かんたんに屈服して、犯してもいない罪を「自白」するだろう。
「こいつ、あやしいぞ、怪しいぞ」と、警告するゲート。
空港では、ゲートのそばに、人間がいて、天眼鏡で再チェックしてくれる。ありがたいことだ。だから、腹も立たない。
でも、ハイジャックを防ぎ、凶器になりそうなものを、事前に発見するのが、究極の目的だろう、といいたくなるねえ。
モノは考えようだ。この年齢で、ハイジャック犯候補として、厳重なかつご懇切なるチェックを受けたことは、ぼくがあまりよぼよぼにみえなかったわけで、光栄なことだ。この日の関西空港では、ぼくがゲートイン前の最高年齢容疑者だったのではないか。ご苦労ではあるが、あほと違うか。
現場での目撃証人は、たいせつなのはあたりまえだ。
深夜の交通事故では絶望的だ。相撲では、勝負検査役が土俵際に座っている。野球の線審は、人手がたりなくて、あてにならないとされている。アメフトは、チャレンジ制度があって、ビデオで再チェックが許される。ゲートのうしろに人間がいてくれてよかった!
投稿者 nansai : 12:20
2007年03月16日
三月十六日(金)
切符をもらって、ピカソ展をみてきた。
大阪駅構内の大丸の15階にエスカレーターで上がれば、そこは小さいミュージアムだ。ピカソの大小の作品が、天井の低い狭い会場にひしめきあっているが、平日の午後は閑散としている。いいねえ。リラックスして本物とむきあえるなら、肩を張らないデパートの催し物でいいのだ。

残念ながら、絵のそばの説明のプレートがちいさく、暗い会場だから文字もまったく読めないので、イアホンを500円で借りる。ないよりは、便利だ。
興奮して図録も買ったが、絵や彫刻の写真がちいさいのはしかたがない。ピカソ晩年の遊びか、白いふくろうの焼き物がすばらしかった。そのうちに、ぜひ模写したいものだ。
本来は、絵はゆったりとした空間で(理想は自分の部屋で)鑑賞できればよかろうが、本格的美術館で、黒山のような観客の頭越しに、読みにくい説明板を頼りに、急いであせって見なければならぬ絵画鑑賞は、ぼくにはしんどいなあ。
その点、気楽に出かけられる駅中の美術館はすばらしい。ただし、「混み合わなければ」、の条件付だが。
投稿者 nansai : 15:15
三月十五日(木)
いま書店の店頭で、願ってもないブームが起きている。本が売れないから、各社から新書版がつぎつぎに企画されているという。
新書は、選ぶにも、読むにも、あきておっぽり出すにも、手っ取り早いのが助かる。テーマが、狭く絞られていて、鋭く明快。安い。コーヒー二杯分だ。軽くて、かさばらず、薄い。飛ばし読みに適しているから、せっかちで飽きっぽいぼくには向いているのだ。
新書の売り場では、いい年をして、駄菓子屋の店先できょろきょろ眼を輝かせているガキのような自分がいるのに気づく。

「ネコを撮る」(朝日新書)という新書を発見。いい本のようだ。あたりまえだ。何しろ著者が、動物写真の第一人者岩合光昭氏である。
ネコを撮るなら朝だと、岩合氏はいう。朝日が差しこむところに、ネコはいると考えていいそうだ。朝日を浴びて、眼を細めて、じっとしているネコは美しい。たしかに。
考えたこともなかったアドバイスがいっぱいだ。コーヒー代二杯で、世界をまたにかけて動物の写真を撮ってきた巨匠のご教示に預かれるのは、ありがたい。
イヌよりも圧倒的にネコの写真が多いらしい。(逆に本屋では、ねこの本は圧倒的に少ない。)岩合さんのホームページに寄せられる投書の70%が猫の写真つきだそうだ。
ぼくが思いついて、手振れ防止のデジカメで、うちの飼い猫に近づいて撮ろうとしても、ぴんぼけになってしまう。接写が下手だからというより、猫のきもちになっていないからかなあ。
猫を撮る。その奥は、深いようだ。
ぼくも、自分の腕前のことはたなに上げて、一眼レフのましなカメラがほしくなってきた。
投稿者 nansai : 14:24
2007年03月14日
三月十二日(月)
ダイスケの魔球?
新聞休刊日の今朝、テレビニュースが、大リーグオープン戦で、松坂大輔投手がホームラン二発をくらい、ノックアウトされたと伝えていた。
「ええ―、それはないよ、」
と、寝ぼけたぼくはベッドでのけぞった。
必殺のはずの魔球ジャイロボールはどうしたのだ?
愛国者のぼくは、にわかダイスケファンになっていたのだ。
ネットの上だが、知らぬ間に、現地ボストンでの前評判にのせられていた。その矢先のノックアウト。なんということだ。
あまりに付け焼刃だったが、この絵巻はダイスケ礼賛をテーマにしようと思っていた。つぎのように。

NHKでも、連日、大リーグのオープン戦の日本選手活躍の模様が報じられている。ハシのこけたようなことまで報道するから、どうかと思う。やはり、海の向こうに嫁に出した気分で、晴れがましく気になるのか。
井川を拉致された阪神ファンは、どうしてくれると「ブウーイング」なのだが。
なかでも、松坂大輔投手の前評判は、すごいようだ。レッドソックスの本拠地ボストンでも、ちょっと過熱気味、ひいきの引き倒しではないか。
ダイスケの呼び方も、DICE-Kと、アメリカ人に覚えやすく、うまくひねられている。
DICEはサイコロで、Kは三振だ。背番号18をおまけにつける。Tシャツは、ネット上でみるかぎり、サイコロの絵とアルファベットのKをあしらったのが多い。
アイデアをいただいて、ぼくもオリジナルデザインで、描いてみた。(サイコロを立体にしたのが独創的なのだ。)

かれのジャイロボールが、日本で開発された魔球としてはやされている。ゲームや漫画ともカンケイがあるらしい。
本人は、そういわれても、ぴんとこないらしいのだが。
半信半疑だが、ニューヨークタイムズもワシントンポストの一流紙も、図解入りで、科学的に、くわしくとりあげているから、びっくり。ウイキペディアでは、英語版と日本語版どちらにも、かなりの情報量がのっている。ダイスケ以前に、ゲームや劇画でも魔球はとりあげられていたらしい。
ジャイロボールとは、進行方向に回転軸がむいており、ライフル弾のような螺旋回転をしながら進んでゆくとあり、なんのことやらよくわからない。
ニューヨークタイムズは、新しい球種は何十年に一回くらいしか出現しないものとして、胡散臭そうにジャイロボールをとりあげている。日本人でジャイロボールの普及をアメリカに宣伝して回っている人がいるらしく、その言動をルポしている。

しかし、思えば、夢のような話ではないか。大リーグで、日本選手がこれほどまでに、期待されようとは。
ノックアウトされても、ダイスケは動じなかった。たいしたやつだ。
メイドインジャパンのジャイロボールが、まぼろしに終わっても、ネス湖の恐竜やツチノコのように、話題になるのは愉快ではないか。
新しい球種もかつては、先生格のアメリカから、教わったものだ。スライダーも、火の玉投手ボブフェラーが投げたものだ。
戦後すぐは、大リーグ野球と日本のプロ野球では、月とすっぽんと、ぼくらは思っていた。
1949年10月、日本のプロ野球が震撼した。
サンフランシスコ シールズがオドウル監督に率いられて来日した。日本が敗戦してわずか5年目だが、熱狂的歓迎を受けた。
当たるを幸い、日本チームをなぎ倒して、7勝をあげた。当時の日本の名だたる人気プレーヤーたちも歯が立たず、とにかく強かった。
少年のぼくらには、かれらが、大リーグやら格下のマイナーなのか区別はつかなかったが、とても太刀打ちできないという実感だった。体力格差、技術格差、戦術格差。どれをとっても、こりゃかなわんと思い知らされた。
草野球仲間と、一塁手ウエストレークの打撃フォームの真似をしたりした。内角球に対して肩を低く落とすスイングがかっこよかった。テレビのない時代、どうして仲間がウエストレークのフォームをさがしだしてきたのか。雑誌写真の切り抜きだろうが、はっきりしない。ぼくが、今ゴルフでダフリまくる遠因は、ここにあったかもしれない。
当時は大リーグの試合は白黒のニュース映画でしか見られなかった。ジョーディマジオのスタンスの広いノーステップ打法に眼を丸くした。
昭和24年。日本球界に大きな影響をもたらしたサンフランシスコシールズの来日。あれから、60年近い歳月が流れた。その年、日本のプロ野球は分裂して、セントラルとパシフィックの2リーグにわかれた。
日本の街を、米軍のジープやトラックに混じって、日本製のオート三輪がよたよた走り始めたころの話だ。
ことし、トヨタがGMを抜き、世界一になるという。

イチロー、マツイ、ダイスケ。
民族の体力格差は、しかたがない。育った日本野球の特徴を生かして、めいめいが世界の水準を抜いたのだろうか。
投稿者 nansai : 11:37
2007年03月02日
三月二日(金)
お国のために

30年前に制作されたドキュメンタリー番組「遠い島」(昭和53年制作)が、朝日放送から深夜一時過ぎ、ひっそりと再放映された。深夜CMまみれの無残な姿で、アカデミー賞受賞式の前夜、あたかも人目をはばかるかのように。
真夜中のことで、見た人は、ほとんどいなかったのではないか。
アカデミー作品賞の呼び声高かったクリント イーストウッド監督の「硫黄島の手紙」は、賞を逸した。
ドキュメンタリー「遠い島―硫黄島・その33年」。1977年第15回ギャラクシー大賞を受賞している。
再放送は、深刻な内容にもかかわらず、俗悪な深夜向けCMが、フジツボのようにびっしりとりついていた。ずたずたに話が中断し、見るに堪えず、戦没者に対し心無いことのように思えた。どこか心あるスポンサーが、ノーコマーシャルで提供すべき重い内容なのに。

昭和20年2月、日本軍は、栗林中将以下、地熱60度の地下にアリの巣のように地下壕を掘りめぐらし要塞を築いて待ち構える硫黄島に、米軍が上陸。思いもかけぬ頑強な抵抗に遭い「太平洋の墓場」といわれた激戦となった。
一平方キロあたり双方の戦死者は1400人。
日本軍は二万人が戦死(全員玉砕といわれたが1000名は捕虜となり生還)、米軍は6800人戦死。22000人負傷した。
番組は、戦後33年経って、日米双方の生還者、遺族の生の声を取材した。20人あまりの証言を淡々と積み重ねてある。生還した兵士たちは、一様に口が重く語ろうとしない。
摺鉢山に星条旗を立てた国民的英雄のインディアンの兵士は、国債の宣伝のために呼び返され、英雄扱いされているうちにアル中になって死んだ。
その星条旗が立てられる瞬間を双眼鏡でとらえていた日本軍将校は、その直後撃たれて両眼を失った。いまもそのシーンを夢に見るが、カラーだという。
捕虜となって生還した大隊長は、もう何も覚えていないと取材を拒否。
33回忌は、仏教でも供養の一区切りである。
硫黄島戦没者供養塔が建てられた。遺族が集まる法要の席で、僧侶がたちあがり、今日は天皇誕生日だから、万歳を三唱するといい、音頭をとる。
「テンノウヘイカ バンザーイ」
遺族のおばあさんたちが曲がった腰をかがめたまま唱和させられていた。
「バンザーイ」
みていて、胸がつまった。痛ましい限りである。
長野県から参列した金田シズエさん、84歳(当時)が、マイクの前でインタビューにたんたんと答える。
どんなお子さんでしたかときかれ、
「親の口からいうのもなんじゃけど、親孝行な、やさしい子でした。
お国のために果てたのじゃから、あれでよかった。満足しております。」
日本が栄え、わたしも皆さんもこのように幸せに過ごせているのも、ああいう子たちがいってくれたおかげと思っております。
家に帰って、さみしいときは、わたしは歌を歌って、眠ってしまいます。歌はほかに知らないので、よくないかもしれないが、軍歌をうたいます。
「それより後は一本の 煙草も二人分けて飲み
ついた手紙も見せおうて 身の上話繰り返し」、
そのうちに、疲れて寝入ってしまいます::
ぼくは、胸のつぶれる思いで聞いた。
再放映された番組が終わって、解説の道上アナウンサーがつけくわえた。
33年前このドキュメンタリーの取材に応じたかたがたは、今ほとんど亡くなっているでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。
おばあさんの口ずさんでおられたのは、軍歌というより、戦争の挽歌として知られた「戦友」です。
「ここはお国を何百里」
バックにゆっくりと歌詞が映し出された。
一、ここはお国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下
二、思えばかなし昨日まで 真っ先かけて突進し
敵を散々懲らしたる 勇士はここに眠れるか
この14番までえんえんと続く長い歌詞の、なんと十番を、84歳の金田のお母さんは、覚えていた。眠ろうとして、くちずさんでいたのだ。せつせつとして裏悲しい調べは、決して元気の出る歌ではない。
いま、大きな戦争はなく、平和が続いている。
愛していた死者から、前向きに生きる勇気がもらえるとして、「千の風となって」が、世界中で歌われ朗読されているという。
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません

硫黄島の日本軍戦没者二万人。「太平洋の墓場」で、誰に見守られることなく、ほとんどの遺骨は、まだ地熱60度の地下壕にある。おそらく眠ってなんかいない。千の風になり、大空を吹きわたれたら、どんなに気持ちいいだろう。
昭和二十年三月、硫黄島守備隊が玉砕して、日本は制空権を失いB29の本土への空襲が激化した。
内地のぼくら中学(旧制)二年生も、本土決戦に備えての陣地構築のため、日本海海岸に動員された。
丸太を縦に並べた機関銃座を、老兵といっしょに、アリの巣のように海岸の岡沿いに掘りめぐらす作業だった。国体護持のために、である。
硫黄島に送られたのも、老いた応召兵たちだったと、ドキュメンタリーの解説はのべていた。本土決戦をひかえて日本には、老兵か子供しか残っていなかったのだ。
あれから、62年の歳月が流れた。
今回、ハリウッドで、突然、硫黄島が映画化され評判にならなかったら、この国はと、ぼくは思ってしまう。
投稿者 nansai : 13:49
2007年02月26日
二月二十七日(火)
公園のハトとエサとの深刻な関係
ぼくは、いま、つきあいのことで悩んでいる。
隣の公園の中を歩き回っているハトたちとのカンケイである。点呼して数えたことはないが、二十羽以上はいるだろう。

改装中の小さな公園は、日中は、寒々として、こどもたちのすがたはない。真新しいベンチには、元気のない若いセールスマンが所在無げに、腰をおろしているだけだ。
芝生が張ってあるので中に立ち入らないでください、という市からのお達しの紙が、紐に吊るされてひらひらと寒風にそよいでいる。あちこちに散らばって、空腹な(ふうにみえる)ハトたちは、その芝生の種などをついばんで、生きているのだ。
ぼくが悩んでいるのは、このハトたちにえさをやったものかどうか、ということである。
気まぐれなぼくは、ときどき豆やパンくずをまいてやる。目がいいのだろう。離れたところからも、何羽もわっと寄ってきて、羽ばたきながら争ってつつく。黒山のようになる。腹をすかしているんだ。こんなにありがたがって、食べ物にむらがってくるとは。
その点、うちのネコなどは、横着なものだ。えさが用意されているのは、当然と思っているらしい。
公園横の「パン屋さん」のどうせ捨てるパンくずをわけてもらおうかな。

ところが、「とんでもない」としかられた。
「ハトにえさなんか、やったらあかん。」と友人のひとりは、いうではないか。「ハトは、害鳥やで。ベランダの糞の被害でえらい目にあった。」
公園のそばのパン屋さんも、とばっちりで、わんさと投書がきたので、びっくりしたときいた。ハト撃退派は、パンくずを出すな。ハト愛護派は、パンくずをえさに与えよう。どないせいちゅうねん?

おやおや、不勉強なぼくは、ネットで調べてみることにした。
ハトにえさをやるべきかどうかは、世界のあちこちの都市の大問題だった。ハト対策に東京、ニューヨーク、ロンドンの各市当局は、頭をかかえている。資料をみると、状況証拠は、ハトに圧倒的に不利だ。ハトは繁殖力が旺盛である。えさが豊富なら、年に8回、各2個の卵を産み、雛は6ヶ月で成鳥になるというのだ。
ビルやマンションと公園の間を通勤して、ベランダにフンや羽毛を撒き散らして洗濯物を汚す、巣をつくり排水管をつまらせる、、鳥インフルエンザも心配だ、と住民から苦情が殺到しているそうだ。
ロンドンでは、ハトをめぐって、市長と動物保護団体が大喧嘩だ。「トラファルガー広場の戦い」である。
トラファルガー広場には、世界からの観光客が集まり、ここでハトにえさをやる。えさのトウモロコシは免許を受けた売店で販売していた。ところが、二千年に市長が変わると、すべてが一変した。

リビングストン市長は、ハトが大嫌いで、諸悪のもとのハトを「羽を生やしたネズミ」といい(うまい比喩だ)、広場でのえさの免許販売をやめさせて糧道を断とうとした。
このままだと4000羽が餓死してしまう。「トラファルガー広場のハトを救う会」が結成された。えさの量を減らしてハトの数を減らすことには同意した。1800羽に減ったが、えさの与えかたで、いまだにロンドン市側ともめており裁判沙汰になっているという。

平和都市ヒロシマも、困ったらしい。平和記念公園のハトの始末については、市民のつきあげに苦渋の選択をせまられたようだ。
「鳥獣保護および狩猟に関する法律」をふりかざせば、知事の捕獲の許可は可能だ。しかし、平和のシンボルを追放するのは、市民の強い反発が予想される。
えさやりを自粛しよう、と、問題の解決を市民に納得させたのがよかった。当初の2000羽が、300羽をきったはずだ。
泥沼になるかもしれぬ条例化はさけられ、啓蒙でソフトランディングできたようだ。日英の国民性の差か。

繁殖力旺盛だから、増えるハトの数と迷惑は、与えるえさの量に比例するらしい。ハトをかわいがる人とハトを憎む人と、どこでも、ひとびとは二派に別れる。ここの公園の近所の人たちも、おそらく同じだろう。アメリカの農務省の発表では、住民の苦情にこたえて年間六万羽を殺しているそうだ。
ベネチア、ニューヨーク、世界の都市も対応は、いろいろ。ハトにえさをやることが法令違反になるのが、ロスアンジェルス、ロンドンだ。さて、大阪は?
ま、いいか。ぼくは、気が向いたときだけ、たまにハトたちにパンくずをなげてやることにした。タバコのポイステよりもいけないことかなあ。
このせまい公園で、いったい何羽のハトが食っていけるだろうか。トラファルガー広場で1500羽、広島市の平和記念公園では、500羽が適正人口?らしいが。
投稿者 nansai : 17:56
二月二十六日(月)
ピック症
けさの朝日新聞の一面トップは、五段抜き大見出しで、
「働き盛り 突然万引き」。
分別も地位もある中高年の万引きの原因は、「ピック症」と呼ばれる認知症だったと報じている。
ええ!そうだったのか。

まじめに仕事をしていた働き盛りの人が、万引きをして、社会的地位を失うケースが相次いでいる。それは、若年認知症が原因だった、という衝撃のリポートである。すごい。二人の婦人記者のスクープだろうか。
認知症は、脳の前頭葉と側頭葉の血流低下と萎縮で起きる。うち八割が、「ピック症」とされている。
百年も前に症例が報告されていたという。
やっぱりと思った。
中高年で社会的地位もあり、万引きするような品物を買うカネがないわけでもないのが、なぜ。ボールペンや消しゴムを万引きして懲戒免職とは、と不思議に思っていた。当の本人は、周囲の状況を気遣わず、まったく罪の意識がないそうだ。
朝日新聞の一面に、「ピック症」のチェックリストがのっている。正しく診断できるようになったのは、この10年らしい。
同じようなケースの痴漢行為も、本人の自覚のない場合は、冤罪を言い立てる前に、ピック症を疑ってみるべきではないだろうか。シロウトの類推に過ぎないのだが。
投稿者 nansai : 17:42
2007年02月20日
二月二十日(火)
大阪シティーマラソン
隣の公園のはとが、しゃべっていた。

「東京は元気がええなあ。東京マラソンは、雨の中を三万人の市民が走ったらしい。沿道からもすごい声援や。市民の新しいお祭りやというて、新聞もほめとるわ。」
「先をこされてしもうたが、大阪が元気を出すのに役立つええことやったら、すぐまねせなあかんで。
大阪シティーマラソン!
これ、ええがな。二番煎じもへったくれもないわい。
東京かて、ロンドンやニューヨークの大都市マラソンに触発されたんやから。
大都市の景色を見ながら走るのは、市民ランナーにはたまらん体験らしい。」
「そうや。大阪は、水の都や。八軒家のここらあたりから、中ノ島、大阪城あたりの、大川沿いは、美しい世界屈指の名マラソンコースや。
世界から、観光客を呼べるわ。」

「ここだけの話。わし思うんやけどな、「御堂筋パレード」より、市民マラソンのほうが盛りあがるでえ。あれやめたら、マラソンで世界へ大阪から、観光情報が発信できるで。パレードは、大阪ローカルのお笑い中継の扱いだけやもん。」
「ふうん。そうやけど、そらあかんと思うわ。
成功している都市マラソンは、どこでも市民ボランティアの力が大きいそうやな。で、大阪は、どうやろ?どれくらい集まるやろか。」
「そうやな。(ため息)
しかし、のりに乗ったら、阪神の優勝パレードみたいになるかもしれへんど。」

マラソンを走りたい人に女性が増えたのは、時代だろう。走れないぼくからみれば、唖然。あのつらい長時間の走りに、氷雨が降る。でも凍えても耐えて完走したい。がんばる自分をみつめられるよろこびがあるという。えらいなあ。

東京マラソンも、評価をめぐって、ぼろくそにこきおろしている夕刊紙もある。確かに石原ショーの面はあるだろう。だが、走りたい人がこんなにもいるとは。
NHKでは、ラストランした有森選手が、インタビューに答えて、世界の都市マラソンにくらべて、訴える「メッセージ性」がないとコメントしていた。
たとえば、ロンドンマラソンには、多額の寄付金が寄せられる。自分の走る目的は、パーキンソン病協会への寄付だとか、メッセージを掲げて走るランナーが多い。集まった寄付金は、ロンドンマラソンチャリティ基金を通じて非営利団体に寄付されるという。

まったくのシロウト考えだが、大きなそろばんでは、大都市マラソンはペイするのではないか。鉄筋コンクリートのハコはいらない。道路などは、今ある設備を利用するのだから。
かつて大阪市長が夢見て膨大な費用を誘致運動に使い雲散霧消と消えたオリンピック投資にくらべてると、市民が走る「祭り」の費用対効果は、格段にいいはずだ。
「大阪は、生きてまっせえ。ええ町だっせえ。」
と、毎年定期的にきちんと世界にメッセージが発信できるなら、まねするのもわるくはないはずだ。これまでの大阪女子マラソンの実績もふまえて。

投稿者 nansai : 09:35
2007年02月15日
二月十四日(水)
「誰かチョコ」
「誰かチョコ」というキーワード?が、BLOG頻度順の上位にきているのをみて、びっくりした。
「誰かチョコ」くれえ、といううめきだろうか。
YAHOOでサーチしたら、なんと660万件だ。

まさに天下の奇習、バレンタインデーである。見たこともない異教の聖人をあがめる(らしい)日に、本邦でも、高価なチョコレートを豪華包装してプレゼントする。この国の誕生日には、まるで無関心なくせに。
デパ地下は、ごったがえすチョコレート博覧会だし、NHKは、特別番組で世界のチョコレート作りを紹介していた。
世間のせまいぼくは、驚いた。この奇習は、国のすみずみにまでひろがっているんだなあ。
メリーチョコレートの「わくわく川柳」が面白い。
川柳といっても、きまじめな作品が多い中で、ユーモラスなのをいくつか。
愛よりも人道支援の
ようなチョコ(46歳会社員)
義理チョコに両手
あわせる年となり(66歳団体役員)

チョコレートにかこつけて、思いを伝える。恋人同士か、言い寄りたい相手に、渡す。それはいい。
あげる人がいない、渡す人がいない場合、配らねばならぬのは、つまらん。かねてから評判の悪いギリチョコは、いま窮地に立たされているという。
テレビ報道では、職場によっては、こぞって義理チョコ廃絶を決議したところもあるそうな。そりゃそうだろう。正論だ。
おくるほうの出費もたいへんなら、もらうほうもぎょっとすることがあるらしい。お返しに気を使うし、想定外の贈り手からもらったときなど、困惑するという。「友チョコ」が、今年のトレンドワードになっていた。

しかし、「義理チョコ」は、世界に誇る?日本社会独特の風習だ。なくなるとさびしいなあ。「誰かチョコくれえ」も、わびしいもんだが。
本来、へんなお色気抜き、お返しなし。が、正しいギリチョコのすがたである。年賀ハガキみたいに考えてはどうかな?

しかし、それにしては、高すぎるぞ。
お年玉ハガキみたいなものと考えたら、チョコ一個、せいぜい百円。寒中見舞い風のカードをそえて。
大阪のおばさんたちは、のど飴をいつも携帯していて、やたらにくれたがる。あの「おひとついかが」のノリを真似しては?
甘みのない苦いダークなチョコは、血圧やガン予防にいいと学術的にも証明された。もらえれば、ひとかけでも、からだにいい、ありがとさんなのだ。
もちろん、チョコのフィギュアもおもしろい。世界一のオタク日本だ。手の込んだアイデアあふれる極小成形品は、お家芸だ。改めて、一個百円のチョコフィギュア。人間考えることは同じで、店頭には、いち早く小さいテディベアなんかが並んでいた。

日本は有力市場と見られているのか、この高級ブランドのオーナー、マルコーニ氏は、はるばるベルギーからきて阪神のデパ地下売り場で立ったまま、商品にサインしていた。
占領軍ジープのあとを「ギブミーチョコレート」と叫びながら追っかけた終戦時を振り返ると、いま、ぼくらは、飽食のかぎりをつくしている。
ここで正義をふりかざすなら、フェアトレードに注目したい。ネット上では、情報があふれている。
ココア豆の生産地は、象牙海岸とかガーナとか、なにしろ労賃が安く、世界最貧国だ。アフリカの子供たちが学校に行けるように、適正な価格で、搾取されている国の農民のココア豆を買おう、という動きがある。
ぼくがチョコレート会社のえらいさんなら、BLOGでの「誰かチョコ」の悲痛なうめき声に耳を傾ける。のど飴クラスの、安心して配れるギリチョコの開発に、本気で取り組むようにはっぱをかける。儲かるまいがね。
さもないと、赤字に悩みアイデアに飢えている郵政公社が、津々浦々の郵便局で、アフリカ人道支援「チョコメール」を売り出すかも知れないぞ。
投稿者 nansai : 11:43
2007年02月14日
二月十一日(日)
きょうは、なんの日?
「建国記念の日」は、なんともさびしい祝日である。
祝日ではあるが、何を祝う日なのだろう。気にする人は、ほとんどいないのではないか。

「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」として、「の」の字をはさんで法制化され、ようやく国民の祝日に復活するまで、9回の議案提出、廃案を経たにしては、今日は何の日?だ。
二月十一日。かつては、「紀元節」といい、四大節のひとつだった。
「くーもにそびゆる たかちほのー」
紀元節には、式典があった。天皇皇后両陛下のセピア色の御真影の前で、小学生のぼくらは大きな声をはりあげて「紀元節の歌」をうたい、校長先生の奉読する教育勅語を頭を垂れてきいた。
意味はよくわからなかったが、高千穂の峰に皇孫が降臨したという神話を歌った歌詞らしかった。

雲にそびえる高千穂という山は、東国原知事の君臨する宮崎県にある。その山に天から降りた天孫ニニギが、神武天皇とどうつながるかは、よくわからなかった。
神武は、宮崎を船出して瀬戸内海を東征し、大阪湾に上陸したが破れた。やむなく、熊野を迂回して地方豪族を打ち従え、奈良県の橿原で初代天皇に即位したという言い伝えだ。ときに紀元前660年。弥生時代だ。神武は、百七十三歳で没したという。
ぼくが小学生のころ、神武天皇は、絵本と教科書に描かれていた。日ハムのひげをそる前の小笠原選手とそっくりだった。

初代天皇神武天皇の即位をもって紀元元年と定めたのは、明治政府だ。複雑な事情をかかえていた。
なにしろ神話と歴史がごちゃ混ぜの時代だった。神武天皇が実在したかどうか、さまざまな仮説がたてられている。
暦の計算上で紀元前660年になってしまったが、信憑性を疑う人はあまりいなかった。
紀元節は、世界各国の建国記念日のなかでは、ダントツに古い。どうしてそんな勘定になったか。明治政府が定めたいきさつは、ウイキペディアなどにくわしい。
今でこそ荒唐無稽と笑い飛ばせる時代設定だが、ぼくら小国民は、もちろん当時の国民は疑う歴史認識はもたなかったと思う。
御民われ生けるしるしあり、天つちの栄えるときと、ぼくらは歌った。万世一系の皇統をいただき、万邦無比のよい国に生まれ合わせたと信じた。「八紘一宇」が危ないキーワードで、世界の隅々にまで他の民族にもこのよろこびをおすそわけしようと望むのは、大きなお世話だった。
神話の年数をベースに逆算して、紀元二千六百年が盛大に祝われたのは、太平洋戦争突入の一年前の昭和十五年。橿原神宮参拝者は一千万人を越え、祝賀ムードは最高潮に達した。翌年、高揚した気分のまま、日本は、300万人を失う無謀な大戦争につっこんでいった。

古事記や日本書紀など、日本にまだ文字のなかったころ部族ごとのばらばらに口づてに伝わる説話が、ようやく聞き書きで、編集されたのは、漢字の輸入された六世紀になってからだ。
古代から引き継いだ民族の伝承はすばらしい。どんなに荒唐無稽であろうと、このような神話は、民族の素朴な誇るべき文化遺産だ。神話に罪があろうはずがない。しかし、神話を史実とすりかえ、国民に信じさせたカリキュラムの罪は深いのだ。
「紀元節」は、戦争遂行のための皇国史観の教育に利用されるだけ利用された。敗戦で廃止されて、ぼくらも目が覚めた。
「建国記念の日」が、紆余曲折のはて、「の」の字をいれて復活したのは、国敗れて戦後二十年たってからだ。でも、この国を「神の国」と考えている人は、もう多くない。国の気持ちは、自転しながらも、ゆっくりゆっくりと、右に左にぶれる。知らず知らず、地軸が傾くのだ。明治から昭和の初期にかけてのぶれかたはひどかった。
もうああいう時代は、繰り返したくないと思う。大丈夫だろうか?

ぼくは、近代国家としての建国記念日としては、もうわが国は、神話に基づかないで、明治天皇の東京遷都の日に定めてはどうかと思う。その際は「の」の字を取り去りたい。
ついでに、この際、国歌を新調したいものだ。
オリンピックでも大きな声で歌える元気のよい新国歌がほしい。オンチのぼくではあるが、軍艦マーチのような、とはいかないだろうから、小学唱歌「ふるさと」をマーチにロックにでもサンバにでも編曲しては、と提案しよう。
なぜなら、国歌は、歌われる歌詞の意味がみんなにわかること、共感されることが、なによりたいせつだ。愛国心は、まぶたの裏に浮かんでくる国土の思い出と離れがたいものであるからだ。
投稿者 nansai : 16:01
2007年02月09日
二月九日(金)
北大江公園のはとたち
朝、隣りの公園のはとが、しゃべっている。

「けさは、よう冷えるなあ」
「かぜひいたらあかんぞ。
鳥インフルエンザと疑われるで」

「この豆、うまいなあ。さっきの爺さんがまいてくれはった。」
「うん。うまい。でも、もうなくなったわ。
川向こうの天満繁盛亭で節分の豆まきの残りらしい。なんでも、大サービスで鶴瓶が客席に向かってまいた豆ということゃ。」

「わしらがつついとるのは、芝生の種やで。ほかにたべるもんないもんなあ。
この公園、去年、改装したが、まだなんや寒々として殺風景やなあ。園内あちこちに裸の木が目立つね。
はやく春が来て緑がいっぱいにならんと寂しい。でも、ここの芝生、タネ食べてしもうて、大丈夫かいな。」
殺風景?空腹なはとたちは、勝手なことをいっている。せっかく税金でまかれた芝生の種を、ついばんでいるのに。

ジャングルなど遊具が新調されたが、公園は、まだ未完成だ。ドッグランとおぼしき囲いもあるが、なんだろう。
昔からのヒマラヤスギは、半分刈られたままでストップがかかり立ち往生だ。
電信棒のような背の高い木が、丸坊主で植えられている。けやきのようだ。
木の種類をめぐって、付近住民のあいだでいろいろとあるらしいが、年月を重ねこれからかたちがととのってゆくだろう。明治神宮や万博公園とはあまりにスケールが違うが、こんもりした鎮守の森みたいな心安らぐ小公園になってほしい。

ネットで調べてみたら、ここは、「街区公園」(従来は児童公園と呼んだ)で、半径250メートル程度の街区に居住する人々が利用する0.25fを標準とする公園らしい。ものいりで手元不如意な大阪市が、力を入れているモデル公園。せまいというのは、ぜいたくだろう。
ところで、ここよりも、もっともっと狭い、世界最小の公園を、ネットで発見した。
たいていの人が知らずに通り過ぎてしまうほど狭い路傍の公園?だ。はとたちにも教えてやろう。

ぼくは訪れたことはないが、その場所はここ。
ギネスブックに載っている世界最小の公園は、ミルエンズ公園といってオレゴン州ポートランドの繁華街の一角にある。直径わずか60センチの円形の敷地なのだ。へえ、うそや。こんなに小さいのか。グーグルイメージの写真で確かめてほしい。
名づけたのは、地元新聞のジャーナリストだ。
1945年、かれディック フェーガン記者がオフイスの窓から眺めていたら、路上に、あなぼこを発見。街灯の電柱のために掘られたのだが、市は何年もほったらかしだ。
みかねたフェーガン記者は、ある日思いついて、ごみを捨て雑草を刈り、花を植えることにした。勝手に「ミルエンズ パーク」と命名して、自分のコラムにお話をのせ始めた。
やがてかれの小さな妖精のおとぎばなしは市民に評判になり、20年も連載されたそうだ。ファンの熱意に押されて、あなぼこは1948年に市も正式に公園として認定された。
この狭い公園に、ファンは、胸像など、さまざまなギフトを提供したらしい。傑作なのは、蝶のための飛び込み台つきプール。カタツムリ競争やバグパイプの演奏とかのイベントも。

フェーガンは1969年になくなった。
世界一狭い公園は、現在は道路工事のため一時避難中だが、すぐ近くの新しい居場所におちつくことになるらしい。
ユーモアだねえ。予算がなくても、市民のアイデアひとつで、世の中明るくなるんだ。心温まる話と思いませんか。皆の衆。

投稿者 nansai : 10:50
2007年02月07日
二月三日(土)
鬼も、いろいろ

きょうは、節分である。テレビでは、成田山で横綱朝青龍がピンクの裃を着せられて豆まきのシーン。
昨今は、豆まきよりは、恵方を向いて願い事を念じつつの、巻き寿司のまるかぶりのほうが、社会現象として盛んなようだ。
でも、節分といえば、鬼。

鬼といえば、ぼくの住んでいる摂津の国のこの町には、極め付きの伝説の鬼がいた。
その名を、茨木童子という。あまり知られていない。
平安時代、大江山を本拠に京を荒らしまわった酒呑(シュテン)童子の一の子分だった。生まれたときから歯が生えていて、かわいげのない巨体が周囲から恐れられた存在だったそうな。
親分のシュテン童子は、源頼光四天王によって退治されるのだが、渡辺綱と戦い、茨木童子のみ逃げ延びたといわれる。
四天王の一人渡辺綱の本拠は、八軒家船着場かいわいだ。ぼくの会社から歩いて数分の川端、同じ町内、まさに、奇縁だ。
渡辺綱は、茨木童子の腕を切り落とすが、悔しがった童子が、老婆に化けて腕を取り戻しにくるというホラーストーリーが脚色され語り継がれている。
ぼくは不勉強なのだが、茨木童子の名は、平家物語、太平記、御伽草紙、茨木(歌舞伎)、戻り橋(歌舞伎)、羅生門(能)、綱館(長唄)などにみえるらしい。由緒正しい、えらい鬼なのだ。

ホラー版もグロテスクでおもしろそうだが、ぼくは、かわいい路線のオリジナルの茨木童子を描いてみた。ついでに、タイガースの応援させようと、トラ柄のパンツをはかせた。首のペンダントは、Tである。

茨木童子は、市民のぼくが知らぬうちに、いつのまにか、ちゃっかり茨木市のキャラクターに起用されていた。市内あちこちに、かわいい漫画風の像がたち、駅の売店には、みやげ物まである。


これは、「鬼は外」豆をぶっつけられ逃げまどっている伝統的な鬼。差別されてかわいそう、という声もあがらないようだ。

描きやすいから、これまで鬼の絵は、いろいろ描きちらしてきた。
見てのとおり、アマチュアのぼくの絵のタッチは、われながら、まとまりなく、ばらばらである。
いろんな人が勝手に描いているようにも見える。今日思いついて描いた鬼は、今風の、ができた。ちょっと疲れているフリーターだな。
MSペイントのツールボックスから、筆、鉛筆、エアブラッシュのどれを使うかでも、画風?がころっとかわるのだ。酒盃をわしづかみにしている酒呑童子をブラシツールで描いてみた。

投稿者 nansai : 11:59
2007年01月31日
一月三十一日(水)
セイウチの絵を描く
つくづく、いい顔しているなあ、しかしソラでは描けない動物たちがいる。未熟なぼくが、そのうちに、なんとか描けるようになりたい動物だ。三種類いる。
セイウチ、イグアナ、カメレオン。
ふだんみたことがないから、描くのは容易なことではないが、ひまつぶしにはもってこいだ。
いずれも、テレビの秘境の動物番組いがいでは、なかなかお目にかかれないグロテスクな面々である。愛嬌のある、ひとくせある複雑な顔と体型の持ち主だ。
そこらを走り回っているイヌやネコを描くように、特徴をつかんでスケッチできない。
動物園で運よく出会ったとしても、瞬時のデッサン力がなければ、たとえ円山応挙でも、めったに見慣れないかれらの姿を形にのこすことは、至難のワザであろう。
テレビの秘境動物番組は、ぼくのごひいきである。
動物園にでかけなくても、ここで、珍獣たちに出会えるのだ。録画しておいて、いい表情はデジカメで撮っておくようにしている。
国内外、ほとんど旅行しないぼくが、いちばんお世話になるのは、南極から、アフリカ、アマゾンまで。いながらにして世界が見渡せるサーチエンジンである。

グーグルで探し出した写真を並べて見ながら、マウスで描くことになる。らくちんではあるが、思うようには描けない。とりあえずセイウチをと、たのしく、悪戦苦闘している。つぎは、声量豊かな美声の友人のカンツオーネの熱唱振りを、貫禄十分のセイウチにたくしてみた。
そんなぐうたらなぼくが、ある晩、テレビをみていて、ほとほと感心した。
アメリカの有名な絵本作家ターシャばあさんの庭がNHKでこのところ毎年紹介されている。バーモント州の寒村の山の中の一軒家に一人暮らし、91歳で現役の絵本作家だ。彼女の自然な庭も有名だが、描いた絵本は百冊を越える。小さな子にとって、お話が魅力的なのはもちろんだ。
絵が、とにかくうまい。デッサン力がすごい。
テレビを見てぼくが感心したのは、90歳をこえた彼女のプロとしての目とワザである。イヌやねこ、動物のさりげない生き生きしたシーンをとらえ、肉眼に焼き付ける。その場で、いつも傍らの、小さなスケッチブックに、さっとデッサンする。おそれいりました。
ぼくのように、ろくにスケッチもせずに写真をみながらおたおたマウスを動かすアマチュアとは、くらべものにならない。
彼女は、幼いころから、肖像画家だった母親からきびしく対象を目にしっかり焼き付けるように仕込まれたそうな。すごいなあ。まねのできることではない。
投稿者 nansai : 16:04
2007年01月29日
一月二十九日(月)
このごろ短歌が元気だ
「マーラーって映画音楽みたいじゃない?」
「おお、何というお褒めの言葉!」
斉藤 寛
こんな短歌が、日曜日の日経新聞にのっていた。短歌もかわったなあ。脱皮したのか。しろうと目にも、このごろ短歌がやけに元気だと思う。
第一、ぼくにもわかりやすい。共感を呼ぶ。新聞の投稿欄でみるだけだが、俳句に比べて、文字数が多いだけ、自由で、冒険ができるのだろう。
伝統の鋳型を尊重しながらも、今生きている日本語をのびのびと駆使しているところがすばらしいと、門外漢のぼくは感心するのだ。
俵万智「サラダ記念日」の影響か。さいきんは、だれでも短歌の世界が身近に感じられ、すぐ参加できそうに思えてきた。
ついでながら、俵さんの人気サイト「チョコレートBOX」を探して開けて見たら、自選の「一人百首]これが、びっしりと横に組まれていた。
「うちの子は甘えん坊でぐうたらで
先生なんとかしてくださいよ」
これも短歌だ。せっかくのユニークな作品、いい感じに縦書きにしてもらえたら、と思う。横に組むともったいない気がする。この縦組みサイトを参考にしてほしい。
短歌も、オンライン百科事典ウイキペディアのように、題を決めて、自由編集すれば、平成の古今集、万葉集が続々うまれるだろう。選者はいらない、無限収録アーカイブとなると、おもしろくも、すごいことになる。収拾をどうするか、大きなお世話だが。
ケータイの普及で、若者は、想が浮かべば、即、時間と場所を選ばず、親指を自在に動かして、詠み人になるとテレビ特集でみた。伝統の短詩形とデジタル表現は、意外なことに、よくなじむらしい。いま風にいえば、短歌2・0だ。
もう一首、今朝の日経新聞から。
若者が眠りメールし老いの立つ電車は
ネオンの町の底行く
森田小夜子
「町の底」が印象的、と選評にあった。地下鉄通勤のぼくがよく目にする光景だ。
投稿者 nansai : 11:17
一月二十八日(日)
ハッピー?バースデー
誕生日を迎えた。
いよいよカウントダウンの段階にはいった。ぼくのまわりは、家族も、みな知らん顔だ。いくつになったか?この歳になると、「おめでとう」など、こころにもないことはいえないのだろう。武士のなさけ、惻隠の情というやつである。
パーティーはしないが、腕をふるって、バースデーケーキを描いた。ろうそくの数は、計測不能、でたらめである。
あっという間に三つも描いた。
画餅ならぬ画ケーキ。これなら、不二家のように賞味期限でとっちめられることはない。
老年が青春を演じようとしだすと、老年は卑しいものになる。と、ヘッセが書いたものにあるそうだ。
そのとおりで、老いを受け入れない老年は醜い。
以上は、中野孝次の「今ここに―充実した老いのために」からだ。
老いを戒めることばは、多い。愕然とする。
孔子は、例外なのだろう。
論語では、自分は70歳になって、こころのおもむくまま、のびのびと行動しても、規範からはずれることはなくなったといっている。
凡人はそうはいかない。
そうではあるが、この歳になったら、老人の美学もほどほどに、という気になっている。孔子様には及びもないが、そこそこの自前のブレーキを信用しよう。
いちいち反省するのもしんどいし、もう自然体でいこうやと、若いころからいい加減なぼくは、居直ってしまう。
要するに、見苦しいはずの、自分の老いに鈍感なのだ。こまったものだが、つけるクスリがない。
ありがたいことに、還暦をはるかすぎたころに、MSペイントで絵が描けることを雑誌で知った。不器用でずぼらなぼくでも、デジタル機器のおかげで、マウスを操って、下手なりの横好きのお絵かきができるのだ。
好きな色を勝手に塗りたくるのに、年齢はカンケイない。ピカソや北斎をみてみろ。
くまやネコやいぬの絵のプリントアウトを、隣のイタめし食堂マリアンにはりだしておくと、お客のご婦人方のお目にとまることもある。また聞きだが、べつに専門家でもない彼女たちの「ま、かわいい」は、最高の賛辞である。ついつい、ひそかにウケをねらっている自分がいて、ぎょっとさせられる。
600年も前の徒然草にも、いやなことが書いてある。
「聞きにくく見苦しきこと、老い人の、若き人に交じりて、興あらんと物言いたる。」と。
老いを受け入れない老年は醜い。そのとおりだろう。
しかし、兼好法師にもヘッセにも申しわけないが、凡愚のぼくはぼくなりに、デジタルを杖とすがり、余生を興に乗って、過ごしたいと思うきょうこのごろだ。いいんじゃないの。たいしたことはできなかったが、なにしろ、孔子様よりも長生きをしてしまったのだ。
21世紀の、このバーチャルな世界では、姿さえみせなければ、老年のぼくは、いつまでも水も滴る若衆絵師に化けていられる。と、思いたい。
で、以下は、誕生記念に自画像?悪乗りのナンサイ像だ。
見てのとおり、桃山時代の屏風絵からのパクリである。化けた若衆のバサラ振りが気に入っている。
だが、虚実どっちも、実