縦書きブログ「八軒家南斉」

WEB1グランプリ 準グランプリ受賞

2012年05月14日

五月十三日  ただになつかし、きょうは母の日。

八十五の翁となれど 母おもへば
ただになつかし きょうは母の日

歌人窪田空穂が詠んだ一首。いくつになっても子は親の子と、けさの「天声人語」が紹介した。

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「ただになつかし」か。こころにしみる。そうではあるが、「母をおもう」には、ぼくには、きれいさっぱり手がかりの記憶がまるで欠落している、顔も声もだ。昭和前期に若くして他界したから、あまりに幼すぎてぼくの記憶のフィルムが感光していなかった。

「年齢の割には、立派な歯が残っていますね。お手入れがんばってください。」先日思いがけず、歯医者さんではげまされた。
「丈夫な歯は、母親のを受け継いでいるのでしょうか。ろくに手入れしていないのに。」ときいてみたら、かならずしもそうではないとのクールな答えだった。
でも、傘寿をむかえた、ぼくの丈夫な歯は、母ゆずり、と思いたい。長持ちする丈夫な歯をありがとう。母の記憶がまるでないぼくは、歯に限らず母とは遺伝子でつながっているのだ、と思うことにしてきた。そう、いくつになっても、ぼく自体が、母ゆずりの存在なのだと。おかげさまで。

「母の日」も、母思う証しのカーネーションのプレゼントも、母の時代にはなかったなあ。合掌。

投稿者 nansai : 14:14

2012年05月11日

五月十一日 電子本が待ち遠しい。ぼくは、黒船大歓迎。

電子本に興味しんしんである。
無人島に一冊だけ本を持ってゆくとすれば、あなたは何を選ぶか。ぼくにはそんな一冊は思い浮かばないが、

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かさばらず重量ゼロの電子本なら、読書端末に1500冊はいるらしい。電池切れが心配だから、太陽光の発電受光板が必要だろうが。

わが国の出版界にも、電子書籍という黒船がやってきた。読書端末「キンドル」を引っ提げて、巨大ネット書店アマゾンの襲来だ。年末に発表する、楽しみにしてほしいと、来日したベゾス社長が言い切った。
しかし、アルファベット26文字で、本がつくられている電子書籍先進国と違って、この国は、縦組み、漢字かな混じりで文章が構成されている。
キンドルは、日本語とどう取り組むのか。普通のおばさんにやさしく使える読書端末は、どう落ち着くのか。デビューが待ち遠しい。
ただでさえ読書人口が減っているから、及び腰だった出版社も新聞社も、黒船「アマゾン」の本土上陸に対応せざるを得なくなった。しかし、読書評論家でもろ手をあげて賛成という向きは、少数派だろう。

初物食いのぼくは、物は試し、キンドルとソニーの端末を購入。
まず、まんがが人気らしいが、ぼくはパス。
文章を読むだけなら、ソニーリーダーは、まずまずか。文字の大きさが視力に応じて調節できるのは、高齢者にはありがたい。しかし、紙の本にくらべて、重さゼロはいいが、端末自体の重さは苦になる。購入できる本の数があまりに少ないのにがっかり。

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ページ単位で区切って読むことになるので、ゆっくりと玩味しつつ読みたい文章には適している。気に入った随筆や長編の数ページを、端末の画面で400文字くらいの文章をゆっくりよく噛んで読むのも、せっかちで飛ばし読みするぼくには、新鮮な感じだ。
内容の軽い読み物に向いている。筋を追いながらの飛ばし読みは、親指をすべらせれば、一枚づつめくるよりも、らく。アマゾンは、「シングルズ」という読み捨て型の電子読み物を1ドルくらいで発売し始めた。ニューヨークの地下鉄でおばさんたちがよみふけっているのは、ハーレクイーンかこの手の読み物らしい。

アマゾンのキンドルは、いまは英語版だが、端末価格が安い。IPADと同サイズで価格半分の、「キンドルファイヤー」が注目だ。アマゾンは、端末機器で利益を上げようとせず、電子書籍のダウンロードでもうける狙いは、壮大な仕組みだ。

電子本読者は、巨大書店の在庫のなかから、電子本価格のキンドル版を選ぶことになる。
アマゾンは、店頭でなくネットカタログで一冊ごとに詳しい説明を読みながら本を選ぶ。買う決心すれば、ワンクリックで、一冊の本の内容が、瞬時に、読書端末にもパソコンにも、ダウンロードされる。便利というより、快感である。書店の書棚をきょろきょろ探しまわるぼくのタイプにとっては、本の連鎖買いは、失敗も多いが、楽しみなのだ。
ソニーの「リード」は、本選びの説明が不足していて、この楽しみの手続きが複雑すぎる。
アマゾンとの決定的な差である。

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読書は、プロとアマに分かれる。万巻の書を集め資料を読み解くことで生計を立てているプロは、難解な書籍の内容を消化する鋭い歯と頑丈なあごを備えている。

電子本の端末利用は、あごも歯もまだ強くないアマチュアと学生、こどもに最適だ。教育への貢献は計り知れない。ぼくは、新書版、文庫版の「とれとれで廉価」電子版を切望している。朝日新聞のAスタンドやアマゾンの「シングルズ」はいい試みだ。ベストセラーが続出するだろう。

これからは、読書端末に応じた本づくり、教科書作りが、まったく新しい発想で開発されねばなるまい。
電子書籍は、文章だけでなく、動画、図表、音声、辞書を組み入れ、次のテーマに連鎖するリンクを縦横無尽にはりめぐらせる編集になるだろう。電子教科書の開発で、独習型の教育システムで一国の知識レベルが上がる。コンクリートの箱やダムよりも有効だ。国家百年の計だ。と、夢はふくらむ。

投稿者 nansai : 13:19

2012年04月25日

四月二十五日 ことしも花見にはゆきそびれたが

年年歳歳、どうせ、花相い似たり。花見は,また人見でもある。出不精のぼくは、ことしも、花には失礼した。
129種類のさくらが見られると評判の造幣局のとおりぬけの夜桜を、とも思ったが、あの狭い敷地にえらい人出や。長い長い行列や。交通整理が声をからす。名残りの花の前で写真を撮ろうとする人たちに向かって「立ち止まらないでください」と絶叫する。あの人ごみを覚悟せねばならぬとなると、目と鼻の距離でもつい億劫になる。

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花見を心待ちにする人は、花より酒。タクシーの運転手さんのはなしでは、このごろは「長屋の花見」のように地面にござをしくのではなく、椅子テーブルで、バーベキューらしい。満開のさくらの花も、もうもうたる焼肉の煙で、むせてへきえきだろう。

落語の「百年目」は、船場の大店の番頭はんの冷や汗物語だ。やり手で超カタブツでとおっている番頭の次兵衛、じつはなかなかの粋な遊び上手。
花の季節、こっそり店を抜け出して、いつもの顔ぶれの遊び仲間と芸者幇間を連れ、高麗橋から桜ノ宮へ屋形船をチャーターして、花見に繰り出そうという趣向だ。
むかしは、高麗橋のかかっていた東横堀川の川幅もひろく、貸切のリムジンタクシーのように大型の屋形船を待たせておいて花見としゃれることができたのだ。

角の駄菓子屋の二階に預けておいた粋な衣装に着替えれば、次兵衛さんもどこからみても大店のだんなさんだ。しかし、こうして自前の銭で遊んでいても、すまじきものは宮仕えとあって、あくまで、番頭は、人目に氣を使わんならん立場。
きょうも大川には、ぎょうさん屋形船がでている。でも、せっかく満開の桜を目の前にして、
「あのなあ、その障子開けといたらあかん。」
「きょうは蒸しますやないか。」
「いやいや、屋形船というものは、道通っている人がどんなやつらが乗っているのかのぞきたがるもんや、ひょっとして知っているもんに顔みられたらたいへんや、」
など番頭氏、氣を使いつつも、大屋形船の船足が遅く、そのうちに酔いがまわり気がゆるんだ。
肌ぬぎになり、はめをはずしているうちに、ほんまに運悪く、会ってはいけない旦那とはちあわせしてしまう、わあ、これはしたり、ここで会ったのが百年目や。酔いもさめはて店に飛んで帰ったが後悔先に立たず、もんもんと寝付けぬ夜。身につまされて、他人事でないというおなじみの名場面である。

ネットでは、文化勲章受賞の米朝師匠の高座がきける。クリックすれば、屋形船に乗ってすっかり花見気分だ。落語マニアでないぼくも、動画がゆっくり味わえるのがありがたい。人間国宝まだ髪が黒々しているころの名演。値打ちものである。

名作「百年目」の舞台は、やはり船場でなければ、と思いませんか。江戸の名人がたばになっても、大店の番頭が主役の上方版のほうに軍配があがる。ネットで、テキストつきで、人間国宝の至芸が味わえるのに、落ちがわからないという質問が多かった。うーん、しかたがないか。時代が違う。

ぼくも挿絵に、当時の屋形船をペイントで描こうとしたが、錦絵を見てもディテールがよくわからない。
花は満開でも、障子を閉めれば、人目がさけられる、花は障子に穴あけてみたらええがな、花のにおいだけかいどいたらよろし、とはせっしょうな。
で、せっかく花見にでかけながら障子を閉め切った、けったいな屋形船をたどたどしくマウスで描いた。おそまつ。

投稿者 nansai : 13:24

2012年04月09日

四月九日 熱砂を越えて命を救うラクダ診療所?

焼け付くような熱砂の沙漠を、はるばると、ラクダがなにやら重い荷物を運んでいる。

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ラクダの背中に積まれているのは、小型の冷蔵庫と電源のソーラーパネルだ。冷蔵を必要とする薬品とかワクチンを、ラクダはケニヤやエチオピアの遠くの村まで運んでいる。いわば、沙漠の自家発電移動診療所なのだ。荷物を背負ってラクダは一日に150キロも歩くことができるそうだ。
ぼくは、このアイデアを、サンケイのコラム『ラクダが問う日本の家電』でみつけた。詳しく知りたくて、ネットで調べたら、ケニアの移動診療ラクダは、三年前から、エコの成功例として、すでにくわしく紹介されていた。

アフリカの照りつける太陽光エネルギーと暑さに強いラクダの組み合わせとは、考えたものだと感心した。でも、コロンブスのたまごで、だれでも思いつきそうなアイデアと思ったら、とんでもない。
NPOやプリンストン大学、カリフォルニアのアートセンターが力を合わせて、砂漠を越えて道なき道を歩いて運ぶラクダに搭載できる軽量機器とこのシステムを2005年に開発した。重い自家発電冷蔵庫をのせる鞍はタケ製。開発予算は数千ドルしかなく、試作にはブロンクス動物園のラクダに協力してもらったそうだ。引き続き寄付をつのっている。

コラムの筆者は、指摘する。
スイスのビジネススクールでは、このラクダ冷蔵庫の発想こそ、大赤字に苦しむ日本の家電企業に欠けているものだという。要素技術の開発には熱心な日本には、軽い冷蔵庫も発電能力の高い太陽光電池を作る技術はある。だが、その延長線上に、ラクダ冷蔵庫は出てこない。アフリカの奥地の貧しい医療状態の解消に役立つ太陽光を利用した薬品冷蔵移動システムなど、世界のすみずみにどんなニーズがあるかには、日本企業は無頓着なのだと手厳しい。

投稿者 nansai : 14:54

2012年04月02日

三月三十一日
財政危機のイタリアでは、学者首相が緊急登板。
なんと閣内には、政治家がひとりもいないそうだ。

どんなに国が莫大な借金に押しつぶされそうになっていようが、痛みを強いる緊縮策を打ち出そうものなら、すぐデモや暴動の起こるお国柄である。
ここは、各政党も無用の争いをやめ、学者首相の知見に従おうとした。

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イタリアのあたらしい学究派の首相が来日した。
あわや債務不履行か、とまで心配された財政危機に急遽登板して、冷静沈着な対応で国民の信認をとりつけ奮闘中のモンティ首相である。タイム誌にも取り上げられ、オバマ大統領も絶賛した。
NHKのインタビューに応じ、政治について語ったことばが、日本人の耳に痛く、国情は違うにしても、深く、うなづかされたことだった。
かれは、学者で、どの政党にも属していない。経済商業専門のボッコーニ大の学長も務めた人物。
だから、有権者のしがらみに縛られず、きびしくても、正しい政策が打ち出せたと、モンティ首相は語った。たいへんだったろう。いまも労働問題は火種がくすぶっているという。
「たとえ痛みを伴う政策でも、将来のために何が必要か具体的に説明するのが、議会や国民の支持につながる」と述べた。

いまイタリアの内閣には、首相をふくめて政治家がひとりもいないそうだ。有識者内閣である。財政破綻にあえぐイタリアは、万策尽きて政治家を除く有識者で内閣を構成した。常識を超えた起死回生の策だ。
首相自ら来春までと人気を区切った暫定政権だから、難題を飛び越えられたといわれている。短期間だから、政党も受け入れた。


一方、日本の国会議員は、政局に血道をあげている。
しがらみにがんじがらめにされた日本の政党は、次の選挙だけが目標で、国全体とか、国の将来を考える政治家はいない。イタリーと違い、まだせっぱつまっていないとの甘い見通しなのか。
選挙は、政策よりも、とにかく数だ、という、田中角栄型政治家があとをたたない。
党内の融和が、国益に優先するのも不思議な現象だ。公益企業や組合など特定の既得権益をまもるのに必死で、国の将来をかえりみるゆとりがない。候補者の公約は、大半は絵空ごとで終わってしまう。

有権者の半分近くは棄権する。政党は、地元や組合、企業の既得権にすり寄り、ばら撒きを公約し、票をかき集めた。口癖のように国民のしあわせとか民意を連発するが、ひたすら、目先の一票しか頭にない政治家たち。
あげくのはて、イタリーもびっくりの膨大な国の負債が積み上がって、年金も農業も原子力発電も、こうして惨憺たる現在の体たらくがある。

学者でクールなモンティ首相は強調した。
目先の人気や政治的なしがらみにとらわれなかったので、財政支出の削減や年金などの構造改革が可能になったと。
就任前と比べて状況は大幅に改善されたという。財政赤字は来年までにゼロにすると言い切る。労働法改正では組合が反発しているようだが、それでも支持率が下がっても55%だからたいしたものだ。

しがらみに縛られた政治家を排除しなければ、正しい政策が日の目を見なかったイタリアの暫定内閣。足の引っ張り合いに明け暮れる日本の政治にも何かを教えてくれる。

投稿者 nansai : 11:28

2012年02月14日

二月十一日 
めでたい建国記念なら、国じゅう、お祭り騒ぎがふさわしいのでは。

二月十一日が、なんの祝日か、わかっていない人がほとんどだろう。なぜ休みなのかわからないまま、ひっそりと過ごした一日だった。この日は、れっきとした「建国記念の日」であるのに。

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敗戦までは、紀元節といった。神武天皇が即位した日にちなみ、といっても、史実ではなく神話にもとづいて?きめられた。
ぼくら小学生は、講堂に集められ、軍服に身を固めた天皇皇后のセピア色の写真に最敬礼し、「雲にそびゆる高千穂の」と奉祝歌(ユーチューブで聞ける)を斉唱し、校長の奉読する教育勅語に頭を垂れ、はだしで直立不動で聞いた。鼻水がつめたい床にたれてもいいから、頭をさげ続けねばならないといわれた。あのような式典を経験した人も、いまでは少なくなったろう。
明治6年制定された紀元節は、敗戦でGHQによりいったん廃止され、昭和42年に政令により復活、祝日とされた。

当時のような式典は、こりごりだ。もう誰も受け付けまい。
だが、国の誕生を、底抜けに明るくにぎやかに祝う祭りは、あってもいいと思う。右も左もなく。七月四日のアメリカ独立記念日、七月十四日の巴里祭のように。

毎年、その日は、祭りだ。記念日は、もっと陽気な季節にうつしたらよい。
世界に冠たる日本の花火技術の粋をつくして花火を打ち上げる。世界のあちこちから集まってもらい、にぎやかに祝い楽しむ日にしたいものだ。

時は、すべてを洗い流してくれる。敗戦でうしろめたい皇国史観の残像も、あと数十年たてば、色あせて立ち消えになるだろう。戦時中は、戦意高揚の大役を担わされた神社も、いまや若い女性たちの観光ホットスポットに変貌してきた。
大阪でいまだにもめている国歌斉唱も国旗掲揚も、不幸にも70年も前の、あのころの悲惨な記憶を引きずってきた。


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テレビでみる外国の都市の街並みは、カフェでも洋品店でも、あちこちに国旗がかざってある。べつに祭日でなくても。
国旗は、町や店を活気づける。人をひきつける。
国旗はナショナリズムの象徴として掲揚するだけではない。町並みをおしゃれに元気にする街角のアクセサリーのはたらきをする。

あらためて日本のイメージを誇り高くグローバルにひろめるのに、国旗も国歌も必要だ。かつて日の丸の小旗は、出征兵士を送るとき、皇族たちの巡行を出迎えるとき、ちぎれるように打ち振られた。しかし、時代は、もう21世紀だ。

日の丸は、これから日本がメシを食べるのになくてはならぬ登録商標だ。老舗ののれんなのだ。世界からリスペクトされねばならない。汗水たらして何世紀もかけて築いた国民の知的資産なのだ。メイドインジャパンの品質は、尊敬されている。末永くあとの世代に引き継ぐブランドなのである。
もう21世紀。次の段階へ進んではどうだろう。
「日の丸」の国旗は、グラフイック的にみれば、世界でも最高傑作のデザインだ。あのようなシンプルなデザインは、他国に類をみない。

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いまの国歌は、試合前の演奏では、ノリにくい。いざ戦わんという気分からはちょっとずれている、なんとかならんかな、と密かに思うのはオンチのぼくだけだろうか。
もっと軽快なメロディーの第二国歌もほしい。
みなが思わず口ずさみたくなる愛される国歌だ。
スポーツやイベントの始まる前など、観衆のみんなが声を張り上げて歌いたくなるようなのがいい。
そんな国歌なら、いまもめている「国歌起立斉唱」も、誰もボイコットせず、全員歌う輪にはいれるのではないか。教会でゴスペルソングが、みなからだをゆすって手を打って歌われるように。

投稿者 nansai : 11:58

2012年02月02日

一月二十八日 「ご老人は謎だらけ」をもう読みましたか?

なんとなく、またひとつ年をとってしまった。

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五木寛之氏(ぼくと同年らしい。すごいエネルギーの持ち主)の「下山のすすめ」説にも同感だが、山頂をきわめたことがないから、下りるまでもなく、いつも谷間を伝い歩いてきた。

思えば、運と縁である。数えきれない多くのありがたい出会いがあり、ご恩返しもできず、こんなのんきなことをいっておられることに、感謝。

面白い本と出合った。
「ご老人は謎だらけ」―老年行動学が解き明かす、と副題にある。光文社新書740円。著者は、大阪大学大学院人間科学研究科教授、佐藤真一氏。老人は謎だらけなのかあ。

「老人は、老い先短い。しかし、なぜかそれを気に病む老人はいません。
多くの人が深刻に考えることなく、毎日平穏に暮らしています。」
なぜだろう?と考えて、佐藤教授は、老年行動学の勉強を始めたそうだ。

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「現役世代なら、あと数年の命と思えば目の前がくらくなってしまうはずのに、老人たちはなぜ心穏やかにくらせるのでしょうか」
と、佐藤氏は不思議に思ったという。
先が短いのに、なぜ平気で暮らせるのだろうか?死ぬのが怖くないのだろうか?
心理学ではむかしから大きな謎だったそうだ。なるほど、老いたぼくにも、謎だ。

老年行動学専門の教授の答えは、ごもっともである。
なんと、老人はポジティブなのだそうだ。ふうん。
どうやら老人は自分に都合のよいことや楽しいことしか覚えていないらしい、というのが、日本応用老年学会理事の佐藤教授の発見だ。
専門的にいえば、エージングパラドックスというらしい。体力や機能は落ちても、主観的な幸福観は高い。人生の残された時間が短くなると、人間は無意識にポジティブなことに関心がむきやすくなるのだそうな。そういえば、ぼくの友人たちにもいる、いる。

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困ったことに、お年寄りは自分を老人と思っていない。人は老いを自分ではさほど感じず、老人と感じず老いてゆくものだと、理解せよと教授はいう。これはたいへんだ。
老い先短くても、だから心穏やかなのだ、といわれても、そうかなあ。そうかもしれない。

とくに忘れっぽいわが身に照らしてみると、楽しかったことも、苦しかったことも、あほらしかったことも、それこそ、往時ぼうぼう、忘れてしまったのだが、研究対象のモルモットとしては、佐藤教授説に大筋はなっとくである。

ノーテンキな老人の取り扱い説明書として、おすすめしていいものか。思いは複雑だ。
新米老人たちがふえてきた。大衆長寿社会の「元気な老人たち」とどう付き合うか、この本はその心得集だと、「東洋経済」誌ブックトレンドはのべているのだが。

投稿者 nansai : 14:58

2012年01月20日

一月二十日「いまあなたは幸せですか?」
どう答えたものか。

ここ大阪市郊外では、ことしも平穏な正月を迎えた。冬風の吹きすさぶガレキの被災地には申し訳ないほどの平凡な新年がめぐってきた。
昨春からにわかに国内外に充満する不安、不穏な重苦しい空気を、連日伝える新聞やテレビの情報にさらされなければ。

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「いま、あなたは幸せですか?」
こう問いかけたのが、キオスクで買った週刊朝日新春号だ。大きなお世話だが、幸せ感は、ひとそれぞれやで、満足するかしないか、心の持ちようや、などと相田みつおのように言い出すと、こころにおさまりはついても、議論に収拾がつかなくなる。
年賀や初詣では、底抜けの「ハッピーニューイヤー」というよりは、つつましく家内安全、無病息災、お互いの無事を願いあうのがつねである。

高齢になると、ひたすら、自分の健康だけを願うよう

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になる、いけないことだろうか、と、病気で倒れ奇跡的に復活して勇退したテレビの司会者が、新年のコラムに正直に書いていた。同感である。

そもそも、幸せとは何だろう。あらためて考えてみる。
しあわせと無事とは、いまのような八方ふさがりの、気分の滅入る乱世では、同義語なのだ。そうやなあ、とため息。

そういえば、ぼくのしあわせは、年とともにダウンサイズ化してきている。いまや、至福.とか、天にも昇る心地とはかんけいなく、ごくささいなことがうれしい。

ぼくのばあいは、失せモノ発見だ。
記憶力がトミに衰えて、しょっちゅう置き忘れする。しまい忘れもある。
めがね、本、(とくに文庫、新書などの新刊書)雑誌。パンフレット、手紙の封筒。デジタル端末、小銭入れ、定期。

ない。ないぞ。あれはどこに行った?
家の中で一日中うろうろ探し物している感じだ。
出しっぱなしにしておくと、整理整頓という家庭内暴力によって、即、片付けられてしまう。どこにしまいこんだ?と、家族を犯人あつかいにするから、うとまれてもしかたがない。

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きわめて非生産的で、くたびれる。それがふとしたところで、出てきたときは、よろこびだ。あった。ばんざい。
だいたいあるべきところにあって、気づかず、見落としているだけなのだが。
失せものとの再会は、記憶力に自信のなくなったぼくにとっては、しあわせな一瞬なのだ。またすぐべつの探し物がはじまる。

ところが、しあわせの意識が、震災で変わったという。
「今日と同じ明日」が続くことが、どんなに幸せかを、今度の震災で痛感した、と週刊朝日はいう。
あの大震災で、「当たり前の日常」が当たり前でなくなる瞬間をいやおうなく知ることになった。そうだ、今日と同じように明日が訪れる。それがどんなにしあわせなことなのか。

まさに、ちょうど始まったNHKドラマ「開拓者たち」が、70年前満州からの引揚者たちの苦難の歴史を語り始めた。「今日と同じ明日」が突然消えたのが、前の戦争だった。いつの世でも、幸せとは真逆の「不幸」とは、いかに過酷なものか。
敗戦で突然日常から引き裂かれた開拓民は、みな宮城県の農家出身だった。ソ連の攻撃にかれらは、逃げ惑い家族を失い、引揚げてまた生きようと新しい開拓地に入植、牧畜に挑戦した。

意外なことに、若者たちの幸福度は近年上昇していると、若手の学者たちを取材して、週刊朝日は指摘する。

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新進の社会学者の表した「絶望の国の幸福な若者たち」(古市憲寿著)によれば、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間でいちばん高いことがさまざまな調査であきらかになっている。格差社会といわれながら20代の若者の70%が現在の生活に満足していると答えている。
将来が不透明だからこそ、 いまここにいる自分たちのまわりを大事にする。そういう意味での幸せ。人間の幸福度の高低は他者との結びつきにかかわる。当たり前の日常こそ、しあわせだと感じている。
大災害をはじめて経験した若いスタッフなのだろう。みな前の戦争の悲劇を知らない人たちだ。300万人の命が理不尽に失われた。

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いったい、幸せの値打ちは、カネなどのものさしで、はかれるものなのか。
昨年、ヒマラヤ山麓のブータン王国から若い国王夫妻がおとずれ、「国民総幸福度」が話題となった。ブータンの国勢調査では、国民の97%が幸せと答えているそうだ。
この国でもDNPやGNPのような経済的な豊かさのほかに、「幸福感」があることを考えてみようということになった。政府も独自の幸福度指標を作ろうとしている。

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法政大学坂本教室は、47都道府県の幸福度を数値化した。それによると、日本一幸せなのは、福井県で、最下位は、わが大阪府であるらしい。
なんでまた大阪なんや、と府民としてはつっこみをいれ抗議したいが、平均寿命や保育所定員比率の低さ、刑法犯の多さなど40の指標で点数化したあげく、どん尻の47位だそうだ。また「府市あわせ」か。自虐ネタでも笑えない。

世界幸福度ランキングというのもある。
一位はデンマークで、日本は90位だった。レスター大学のホワイトが世界178カ国を聞き取り調査し

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たという。
びっくりするほど税金の高い北欧諸国は、国民幸福度では、かなりいいセンいっているらしい。どうして?なんでだろう?
福祉も教育も、よりよくするために税額をあげてまかなうというと、選挙に落ちるからといって、民意をみくびっているのが日本の政治。議員たちは、視察のためには、北欧をよく訪れるらしい。結論は、日本と北欧は違うよ。
デンマークは人口500万人程度、九州くらいのサイズだ。一億人以上住んでいる日本を細かく割って道州制にしたら、幸福なデンマークのような国がいくつつくれるだろうか。

投稿者 nansai : 11:02

2011年12月28日

一月一日 ことしもよろしく

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投稿者 nansai : 14:12

2011年12月27日

十二月二十七日 大阪市は燃えているか?
改革の火の手があがった。


おどおどと、おたおたと、すべて意気消沈の日本で、いま頭を高く上げて矢継ぎ早の改革案を打ち出しているのが、橋下大阪市長だ。これまでの市長には、なかったスピードだ。

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民意。この気まぐれで得体の知れぬ空気のような妖怪の影に、既成政党は怯えきっている。想定外の投票率アップに支えられた民意を振りかざす橋下氏の奔放な動きに気押されたのか。選挙で争った政党連合が、かんたんに批判のホコをおさめて作り笑いを浮かべ、維新の軍門に下った。
みえみえなのは、大義を主張するよりも、ひっこめて、次の選挙対策だ。勢いのある維新陣営を敵にまわしたくないからだろう。茶番だった。
ぼく自身は、大阪市民でもなく投票権もないが、橋下新市長の行動力、現状破壊力に期待を寄せているのだが。

今回の大阪市長選では、一部の名だたる評論家、政治学者たちが、選挙後も、口汚く、といってよいほど、橋下氏をこきおろすのに、実は驚いた。押しなべて、大阪には無関心な在京のマスコミは冷たく、あるトーク番組で、民放の年配のアナが、橋下氏のやりかたを「デマゴーグ」と評したのには、ことばの意味がわかっていないのかとびっくりした。
これほど毀誉褒貶の分かれる人物はすくない。ウイキぺディアを開くと、「橋下徹」の項目になんと41ページもの記述がある。

しかし、ホットに見える橋下陣営には、クールな軍師たちがついて、計画的なロードマップが綿密につくりあげられているのだろう。
上山信一氏著「大阪維新」(角川新書)を読んでわかった。上山氏は、慶応大学総合政策学部教授で、ブレーンの一人だ。大阪市の抱えている積年の病弊の問題点が、CTでスキャンしたように、実によく整理分析されている。橋下陣営の掲げる目標が、目先の選挙目当ての急造マニフェストではなさそうである。

大阪府民のぼくは、「ふしあわせ」と自嘲されている、府と市の不幸で非効率な関係がよくわかっていなかった。
上山氏が、橋本氏に出会う前に、大阪市役所の改革は、もう2004年に始まっていて、関淳一市長の下で、助役の大平光代氏が陣頭指揮をしていたと、上山氏はいう。
翌年に大平氏から出動要請があって、アメリカのコンサルティング会社マッキンゼーの分析手法で、辣腕の元同僚の助けを借りて、大阪市の改革案作りに取り組んだ。2年半の間に市役所の主要事業68の分析を行い、積年の大阪市の病弊が見えてきた。しかし、大阪市の市長―労組―議会のもたれあい構造では、改革は無理とわかったという。
次の選挙で、改革派の関市長は、民主党の推薦を得た平松氏に敗れ、改革は未完におわった。

今度の選挙で、ふたたびボールが改革にもどってきた。
実行力の橋下市長を迎えて、プレー再開ということになる。上山氏のようなブレーンたちが、市長を補佐して、変わるに変われない国や地方自治体のしくみに挑むのは、賛成である。橋下氏は、職員約4万人の大阪市役所はシロアリの巣だと喝破した。
ブレーンの上山信一氏は、かつて二年半にわたり主要事業68の分析を行った。大阪市は必要以上の人員を抱え込み、必要以上の給料を払っていると、「大阪維新」でつぎのように、述べている。職員一人一人は優秀でまじめだが、組織は利権をめぐる「巨大なアリ塚」のようになっている。
大阪市は、「巨大な組織でありながら、目の前の声の大きな議員や特定分野のニーズに対応することに追われている」とも。

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ぼくは、市政の参加権はないが、今度のダブル選挙戦での体制側?のすさまじい橋下攻撃には、まゆをひそめたひとりである。
大阪都という考え方には、勉強不足で、どうなるかよくわからない。だが、大阪府の中核都市のシロアリの巣のような現状に挑戦する橋下市政には市外から固唾を呑んで見守り応援したい。

市政改革とはなんのつながりもないが、ずいぶんむかし描いたオオアリクイの食事の場面をのせておく。テレビ番組でみたのだが、草原にあるシロアリの巣は堅牢で頑丈で塔のようだ。アリクイは鋭いつめでひっかき崩す。そして長い細い舌を巣穴に突っ込んで吸い取りたべてしまう。
もちろん、市政の改革は、なまやさしいものではないだろう。やすやす食べられるようなシロアリではない。反撃もはんぱではないだろう。お皿もテーブルクロスもない。マスコミもどっちにつくか、わからない。

日本全体が萎縮している現在、つぎの選挙が怖いから、無節操なバラマキ行政が再開された。
みずからの改革をまず大阪市がやってみてほしいと願わずにはいられない。


投稿者 nansai : 13:21

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